夢について。教えちゃうぞ。

10/Ⅹ.(水)2018 はれ ゴールデン・アーム・ボンバーの輪島、死ぬ。

夢を大切にした人の話しは多い。

ソクラテスだったか、プラトンだったか忘れたが、当時は哲学と数学は兄弟みたいなものだったらしいが、
音楽は一段下にみられていたそうだ。
そうしたら、ソクラテス(か、プラトン)の夢に音楽の神様が現れて、
「おい、ソクラテス(か、プラトン)よ。音楽も重要じゃぞ」とか言って、
そうしたら、ソクラテス(か、プラトン)は、翌日、往来で自作の歌を作って大声で歌って披露したという。

親鸞の時代は、僧侶はお肉を食べちゃいけないし、女と寝るのもいけないとか、タブーが多かったらしい。
確か、親鸞は京都の六角堂で居眠りしてたら観音様が現れて、
「おい、親鸞よ。お前様は女と寝ていいぞ。その時、この観音が女とすりかわってやるから、お前様は女と寝たのではなく、
観音とまじわったのじゃ」と何とも都合の良い夢をみて、かつ真に受けて、女犯妻帯をはじめて行ったお坊さんだそうだ。
っていうか、そもそも六角堂で寝るか?すごいな、親鸞。大好きよ。

つげ義春は、ガロの締め切りが近づいても、何のアイデアも出ないから、屋根の上で昼寝をして、
その時にみた不思議な夢をそのままマンガに描いて、とりあえず出した。
夢だから細部がはっきりしてないので、「○×方式」とか「××クラゲ」と記載したが、
編集者の誤解で、誤植で、「××クラゲ(ばつばつ・くらげ)」を「メメクラゲ(めめ・くらげ)」とされたが、
つげ義春本人は、「どうでもいいや。どうせ夢だし」ってそのままにしといたら、「メメクラゲ、って何?」って話題になって、
遂には、「マンガか芸術か?」という論争にまで発展するのだから、いい加減なものである。ねじ式、より。↓。

元ネタは何だったか忘れたが、縁起の良い夢をみた人から、その夢を売ってくれと大金を払った人の話があった。
日本の昔話だったか、海外のジョークだったか、落語だったか。
もっとも落語は昔話も海外のジョークでも吸収してネタにしちゃうからなぁ、いよいよ何だかわからない。
所ジョージが吉田拓郎の初期の名曲「恋の歌」に惚れ込み、
「自分の全曲をあげるから、恋の歌(の著作権)と交換してくれ」と頼んだエピソードと通じる熱量だ。
気持ちはすごくよくわかる。

診察で夢の話をする人は意外に少なく、そんな中、最近目立つのは2つのパターン。
1つは、夢の内容をバーっとしゃべって、その後、ネットで調べてきた解釈を語る人。
もう一方は、「夢ばかりみます」と言うものの、その内容は喋らず、具体的に聴いて行くと、
「えっ?夢の内容なんか、ここで喋っていいんですか?」と言う人。
前者は「夢占い」を楽しんでいる人で、お遊び感覚で、それはそれで良いと思う。
後者は夢はくだらないものと思い込んでる人。こっちの人には、言いたい。夢をもっと大切にしよう。

TPOにもよるが、両者に僕は一応、我々が夢をどう考えているか説明することにしている。
日常の中では色んなことがあるが、一々覚えてたらたまったもんじゃないこととか危険な思想もある。
そういうものは普段の生活をするにはあまりよろしくないから、無意識下に閉じ込められる。

でも、そういうものも、エネルギー体だし、彼らにとっては不当に抑圧されてる訳だから、いつか意識に飛び出す隙を狙ってる。
日中は、意識と無意識の国境線上に門番がいっぱい立って、これらが出ないように見張っているが、
夜勤帯になると門番の数も減るから、抑圧されてる強い感情や記憶は飛び出すチャンスで勢いを増す。
こうなると、さすがに門番でも抑え切れないが、これらがそのまま飛び出すと睡眠を妨害したり、
不穏な世の中になるから、数少ない門番には、それらを別の形に変身させる特殊能力が与えられていて、
これを検閲といい、彼らは検閲を受けて、夢に登場するのである、という考え方。

だから夢に出た素材を「夢事典」みたいなもので象徴解釈してもあまり意味はないと思う。
なぜなら今の世の中は情報量も多く価値も多様化しているから、個々にとって象徴の意味は異なると思うからだ。
この検閲のシステムをとても上手に書いてるなぁと思う参考文献は、筒井康隆の「夢の検閲官」という短編小説で、
「夜のコント・冬のコント」に収録されている。

簡単に要約すると、ある女性が夢をみると、夢法廷、というものが開かれ、夢の検閲官が登場する。
この女性は二ヶ月前に息子を亡くしていて、その悲しみから毎日酒びたりで、夢の舞台に登場しようとするものは、
息子に関する内容ばかり。
しかし、それをそのまま通してしまったら、彼女は息子のことを思い出し、飛び起きてしまう。
なんとか、そうとは判らないものに検閲しなくてはならない。
ルールは、彼女の記憶にあって、息子を連想させない別のものにする、のである。

まずは息子が通っていた中学校がやってくる。こんなものをそのまま通すわけにはいかない。
そこで検閲官は、建物つながりで、彼女の故郷の合掌造りの家に土木工事班に命令して作り変え、舞台に出す。
次に来たのは担任の教師。こんなものを通したら大変だ。たまたま、この担任の下の名が、おじさんの名と一緒だから、
おじさんを呼びつけ、置き換える。幸い、彼女はこのおじさんのことを良く思ってないから人材としても適している。
次にクラスメイトたちがゾロゾロ来るが、彼女は息子がイジメを受けてたのではないかと思っている。
こいつらも舞台に出すわけにはいかない。
しかし、こんなたくさんの人物を一つ一つ変換するのは大変だから、そう言えば、授業参観の時に彼女は、
教室の後ろからみるたくさんの坊主頭を「くさった黒いトウモロコシみたい」と思った記憶があった。
それを利用して、圧縮して舞台に出した。
そうすると、夢の舞台では、合掌造りの家の前で、おじさんが黒いトウモロコシを食べてる途中経過だ。
「これなら、何の夢か判らないだろう」と検閲官はご満悦。
ところが、そこに息子がやってきてしまう。
もう毎日毎日、この息子はやってきて、あらゆるものに変換しつくしていた…。

ここから先は内緒にしておくから、興味がある人は読んで下さい。面白いですよ。油断してると泣きますよ(笑)

さて、しばらくブログで心理部門のコンテストをやってないので、折角だから、夢について何か書いて貰おうかな。
もうコンテストじゃなくてもいいから、合作でも、対談でもいいです。

一般的な啓蒙でもいいし、こぼれ話風な面白エピソード、あるいはカウンセリングで夢はどう扱うかでもいいですね。
まぁ、夢の報告は、治療関係の進み具合を反映しているから、慎重に取り扱う必要があるから一概には言えないということを判った上での無茶振りです。

そうそう、僕の夢日記「地獄寿司」をテキストにして思いついたことを書いてもいいですね。
ここでこんな風に質問してみる、とか、ここはきっと川原先生のことだからこんなことだろうと想像するが、今は言わないで、
これこれこういう時が来たら介入するヒントにするとか。
企画的には面白いと思うけれど。
では心理の皆さん、よろしくどうぞ~。

BGM.ビートルズ「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」


トランポリン

7/8(日)サーカスを観に行った。
お台場は、心理的に遠いだけで、時間的には断然近い。

僕を魅了したのは、丸い装置の中に隠れてる赤い服の小人。
はじめ、子供かと思った。
ラストに撮影して良いタイムがあるので、狙って撮った。

一つのズボンを二人で履く、シャム双生児を思わせる男も後半では上半身裸になって、アクロバティックな空中パフォーマンスをみせて、
ブリティッシュ・ブルドックスを彷彿とさせた。
うちの受付スタッフのため、上半身裸男の写真も撮っておいた。

サーカスの後半にみたトランポリンはすごかった。
見てるうちに判ったのだが、あれは大人数でやる団体プレーで、一人を高く飛ばせたいなら、
他の人達が同時にトランポリンの端っこを勢い良く跳んでバネを効かせ、
止まらせたい時は近くに集まって寄って反動を抑止するステップをふむ。
そう言えば、うちに開封してないトランポリンがある。
5分で1km走ったのと同じダイエット効果がある、との謳い文句に乗せられて購入したが、
買ったら満足しちゃったのと、冷静に考えたら天井に頭をぶつけちゃうんじゃないかと思って、開けてない。
「買う前に、そう思わないんですか?」と受付に言われた。
でも、今回のシルクドソレイユ「キュリオス」で僕のショーマンシップに火が付いた。

先月、恒例の精神科開業医仲間の集まりがあった。
不倫と、商談と、子供の進路の話が中心のちっとも面白くない会なのだが、今のブームは体幹トレーニングだ。
皆、年をとってきてるのと、そうは言っても医者だから健康志向ということもあって、
体幹トレーニングの個人レッスンを受けてる人が半数で、残りも感化され、
「これからやろう!皆でやろう!だから、川原もやろう!」という話になった。
呑みの席なので、あまり頑なに拒絶するのも場がシラけるから、<グッド・アイデアだね!>と親指を立てておいた。

しかし、そんなものやるもんか。
総合格闘技の五味隆典が、UFCにいた時、
「UFCはもうUFCという競技になっていて、戦術が決まっていて、面白くない。
自分はあえてそれに逆らって自分のやり方でやってスカ勝ちしたい」とインタビューに答えてて、
まぁ、結果はダメだったけれど、そういう心意気というものにすごく共感したものだ。

だから僕も、効率よいダイエットが体幹トレーニング個人レッスンだと判っていても、そこは五味と一緒の了見で、
トランポリンで自主トレしよう!

今は何でも自己流よりコーチについて習った方が効率も良いし、間違いも少ないし、そういう環境も整っている。
精神療法の卒後トレーニングも充実していて、毎週何らかのワークショップがある。
精神療法の技法も多様化し、時代や病態に合わせて、色んなやり方が編み出され、その勉強会が雨後の竹の子、
のごとくだ。
そんなものに参加して勉強した気になるのを、体幹トレーニング個人レッスンや、UFCの戦術と同じように感じてしまうのだ。

五味が、グダグダ言わず、パンチとキックで倒す、と言ってたのを、我々の治療ストラテジーに置き換えると、
それは、支持・傾聴・共感、になるのだと思う。
これって、シンプルなようで奥深い。
流行のテクニックに浮気せず、大切なことに磨きをかけて行きたいと思う。

BGM. 忌野清志郎 「JUMP 」


カワクリ専門外来~「花嫁になる君に」~虐待防止プログラム

10/Ⅶ.(火)2018 はれ 6年ぶりに「けいおん」新連載開始

世代間伝達という言葉があります。
これは部活のしごきの悪しき風習が受け継がれていくように、
自分が下級生の時に上級生にされて嫌だったのに、自分が上級生になったら、「伝統だ」などと言って、
やってしまうのと同じで、世代から世代へと伝達されてしまうことを言います。

ロンブーの淳が言ってましたが、自分が嫌だなと思った風習は自分が上級生になった時に終らせた、というように、
世代間伝達はどこかで止めることが出来ます。
多分、必要な条件は、自分が嫌だったことをしっかり受け止め、言語化し、整理して、論理的に再構成出来ること、
だと思います。
この作業を一人でやるのはなかなか大変です。

世代間伝達は、子育てでもよく起きます。
情緒豊かに育った子は、情緒豊かな親になる反面、虐待を受けて育った子はやがて虐待をする親になってしまう、
負のスパイラルが起きることが残念です。
子育てには、自分の受けた体験が影響する訳です。
不幸な体験をした人は無意識にそれを繰り返すのです。
幼少期に未解決な問題を抱えて大人になってる人がたくさんいます。
なんとかかんとかやっていても、自分が親になった時、寝た子が起きるように、潜在化していたテーマが我が子に投影されて、
子育ての中で蒸し返されるのです。

そうやって「育児ノイローゼ」として受診される方はたくさんいます。
我々はそれを手助けする方法を持っています。

でも思うのです。それをそうなる前に未然に防げたらいいのに、と。

子育ては、誰でも例外なく、自分の問題と向き合う作業ですし、
多かれ少なかれ、世代間伝達の問題を持っていない人はいません。
現代は、幸せと不幸の基準があいまいです。
ものすごく不幸ではないけれど、すごく幸せでもない、という人がほとんどです。

ですから花嫁になる君へ、母になる前に、自分の問題と対峙して、整理しておきませんか?
花嫁修業の一環として。

今の世の中は、密室の育児はいけません。全員の大人で全員の子供を育てる世の中です。
心当たりのある人は、カワクリ専門外来へどうぞ。

ま、でも、結婚したからって、必ず、母親になる必要なんてないんだけどね…。

BGM. よしだたくろう「花嫁になる君に」


没原稿

4/Ⅶ.(水)2015 くもり、蒸し暑い。カワクリ前でドラマの撮影、綾瀬はるか&竹野内豊をみた。

精神科専門雑誌にコラムを書くのだが、今のところ候補を2つ書いた。
スタッフに読んでもらい、多数決の末、没にした方を今回、紹介しましょう。

日大アメフト部の第三者委員会の中間報告が出たが、びっくりしたのは、120人に行ったアンケートで、
「内田監督と井上コーチの言ってることを信用出来るか?」という質問に、「はい」と答えた人は、「0人」だったそうだ。
0人、ってすごいな。フツー、ひねくれ者の一人や二人いてもよさそうなのに。

なぜ、こんなことを急に言い出してるかと言うと、日大アメフト部の例が異例で、通常は、
ディスカッションが活発化している時は、6vs4、とか、7vs3、で決まるものだろう。
竹村健一は昔、「全員一致なら、やめてしまえ」と言っていた。

今回、没になった方を紹介するが、大平さんはこっちの方を推してくれてて、
つまり何を言いたいかと言うと、残った方が、これより良い出来だという訳ではない、という言い訳です。
それでは、没作品の紹介です。

 

 

『僕は別の4人の先生に<精神療法でもっとも大事な物は何か?>という本質的な問いをしたことがある。

一人目の先生は、米国帰りの先生で、「それは、共感、ですよ」と仰った。生き生きとした心の交流だそうだ。
しかし、その先生のオフィスの花瓶には精巧な造花が活けられていた。葉っぱの水滴まで、イミテーションだった。

二人目の先生は、「それは、構造、だ」と言った。構造とは、いつ・どこで・何分間・いくらでやるか、
などの条件を厳密に決めて、それを忠実に守る事だそうだ。
しかし、その先生はサービス精神旺盛で、約束の時間をオーバーして続けてくれた。

三人目の先生は、「それは、正直さ、だ」と言った。なるべく、治療者・患者関係に、嘘がない方が良いと力説された。
しかし、その先生の趣味は、手品、だった。

僕はそこで重要なことに気付いた。どんなに優秀な先生でも、人間だから、パーフェクトということはない。
その上で、自分の弱点と関連したところを大切だ、と気付くのではないか。
たとえば、人間が生きるのに必要なものは何か、という問いと似てて、普通にしてることをあげたりはしないだろう。
空気、なんて真面目に答える人は変人だ。
僕の大学の先輩にも、同じ質問を尋ねたら、「愛だよ」と答えられた。その先生は、バツ2だった。

四人目の先生は、「精神科治療でもっとも大事なのは、治療者の責任と覚悟、だ」といつも言っていた。
先生は本当に、責任と覚悟がある、先生だった。それなのに、何故、「責任と覚悟」、と答えたのだろう。
このままでは、せっかく僕がたどり着いた仮説が間違っていたことになってしまう。
そこで僕はこれまでの3人の先生の事を話し、どうして先生は責任と覚悟があるのに、治療に大事なのは、責任と覚悟、
だなんて言うのですか?と聞いたら、すごく嫌そうな顔をされた。』

 

 

どうですか?面白いですか?
没に一票入れた心理スタッフの一意見は、「これはただ単に人の悪口を言ってるだけで、敵を作ります」という正論だった。

うかいさんには、「先生がもっとも大事に思ってることはなんですか?」と逆質問された。
出るべくして出る、当然の質問だ。
僕が、精神科治療の中でもっとも大事だと思うものかぁ…。

出会い、とか、縁、かな。

縁があって、僕のところに来た患者さんだから、親切にしてあげたいし、味方になろうと思う。

ところで、カミュの「転落」という小説がある。
ある寒い夜に誰かが川で溺れている。助けるには寒くて、川も冷たそうだ。でも、助けないと後になって非難されそうだ。
そうして、主人公は、川のそばを歩かなくなった。

僕にもそういうところがあり、こないだの新幹線の事件などを耳にすると、
女性を助けて犠牲になった方は立派だと思う反面、「新幹線に乗るのはやめよう」と思うのだ。
それは事件にあうのが嫌だというより、事件に巻き込まれた人を助けなくちゃいけないシチュエーションに
自分が居合わせるのを避けるためだ。

普段の僕は人付き合いが面倒くさく、負担にさえ思っている。
なるべく友人との接点も持たないようにしている。
「仮説」に当てはめると、そんな僕だからこそ、「縁が大事だ」なんてわざわざ思いつき、
プロ意識として、質問にそう答え、全うしようと思うのかもしれないな。

BGM.五つの赤い風船「えんだん」


てらぺいあ

25/Ⅵ.(月)2018 猛暑日。NEWS手越、テレビに出てる!W杯金星の恩赦か?

またまたコラムを書くことになった。
今度は、「てらぺいあ」という精神科専門雑誌の1コーナーだ。
最近感じている、日常臨床で気付いたことを自由に書いていいらしい。

…って、本当に自由に書いていいのか?本当に自由に書くぞ。(脅してどうする?)
前にも同様のことを言ったが、これは専門誌のコラムだから、ある程度「まじめ」な人が読む。
だからと言って、僕の文章を「ふまじめ」だと非難されても筋違い。
それは僕に依頼した編集者が悪い。以上、言い訳おわり。

今回のコラムは、日常で気付いたことがテーマだから、わざわざネタを考えることもなく、
これまでブログに書いた記事の中から、それらしいものをピックアップして、それ様に編集して使い回そうと思う。

字数制限が800字というから、結構、コンパクトにまとめなきゃいけないのが難儀だ。
下が、うなぎ、だ。う~、ナンギ!(談志、「やかん」より)。回文、「うなぎ、なう」。↓。

話を戻すが、今の所、候補は「映画にならない話」。
声優などのオタクっぽい情報をカットしてスリムに仕上げようかと思っている。

てらぺいあ、とは、語源はギリシャ語で、「世話」とか「抱っ子する」という意味で、それが派生して、「治療」の意味らしい。
テラペイア。アロマテラピー、なんていうものね。
セラピー→、テラピー→、テラペイア。
ポケモンの3進化みたいな語呂ですね。

ということで、次回は、大平さんの、ポケモン色の強い記事をお送りします。
うかいさんも「ラジオ・パート2」に着々と着手しています。お楽しみに!

そして僕は原稿を書く。

BGM. 早見優「ニュースにならない恋」


心の護美箱③

31/Ⅰ.(水)2018 上坂すみれ、の「ポプテピピック」の主題歌発売日。石野真子の誕生日。

ポプテピピックの勢いがすごいですが、どっこい「おそ松さん」も健在です。
前々回の「となりのかわいこちゃん」は良かったですね。観ましたか?

「となりのかわいこちゃん」(=犬山キン子)が六つ子の隣に引っ越してきて、
六つ子がどうやって友達になろうかと屋根の上で企んます。

すると、かわいこちゃんの方から洗濯物のブラジャーを飛ばしてしまい、一松の頭に着地。

結局、となりのかわいこちゃんがブラを返して下さい、と受取に来ます。

このかわいこちゃんは、よほどそそっかしいのか、それからも、何度もブラジャーを飛ばしてます。

飛んできたブラの数だけ、六つ子ととなりのかわいこちゃんは仲良くなって行きます。

ここから先はネタバレになるからよしますが、クリニックのPCの待ち受けも「となりのかわいこちゃん」にしています。

この原作は、マンガ「おそ松くん」の文庫本10巻に同タイトルで収録されています。
クリニックに置いてあるので良かったらみて下さい。
下が、マンガの犬山キン子。ちょっとアニメと雰囲気違いますね。ひみつのアッコちゃん風ですね。

アニメ「おそ松さん」の次回予告をみて電撃が背筋を走ったのですが、これもマンガが原作で、以前記事にしたこともある、
僕の大好きな作品です。
昔、受付につとめていた山Zさんとの合作記事に詳しいので良かったらみてみて下さい。

これは、チャップリンの「街の灯」をパロディにしたものですが、原作(チャップリン)より良い出来ですよ。
必見です!おそらく30分、丸々使うのでしょう。

それでは、心の護美箱③です。
過去の記事、心の護美箱①、と、心の護美箱②を参考にしたい方はどうぞ。

皆さんもムシャクシャしたり、モヤモヤしたり、イライラ、ジリジリ、ムンムンした時は使って下さい。
非公開希望でもOKです。

さて、次回は、予告通り、うかいさんのTVへの熱い思いがほとばしる記事をお送りします。

BGM. ビートルズ「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」(←おぉ、ブラジャーのダジャレ)


カワクリ・裏メニュー②「いじめ、DV、ハラスメント専門外来」

カワクリ・裏メニューの第2弾は、「いじめ、DV、ハラスメント専門外来」です。
それは、いじめをうけた人ではなく、「加害者」、のためのものです。
いじめた人の心の闇にスポットライトを当てます。DV、モラハラも同様です。
これらの行為は決して許されることではありません。
しかし、結果だけを咎めて、「なぜ、そうしてしまうのか」、にFOCUSしないと、相手を変えてまた同じことを繰り返しますね。
校医で、いじめの相談を受けたことがあります。それは「被害者」ではなく、「加害者」の面接でした。
その子は、親の呼び出しや、生徒指導、校長譴責(けんせき)など、こっぴどくやられて、ふってくされて、投げやりでした。
「どうせ、あんたも同じだろう」という態度でしたが、何度か会っているうちにバターのようにとろけてくれました。
いじめは何があってもいけないことですが、いじめる側にも事情や都合があるでしょうから、その辺を聴いてみたのです。
パワハラを受けた人を助けるために事実関係を診断書に書いて提出したら、パワハラしてる人から自身のカウンセリングを
求めて来られたけれど、まさか二人を同時にみる訳にも行かないので断りました。
今思うと、主治医は無理でも、カウンセラーにまわしてあげれば良かったです。
これらが専門外来を作ろうと思ったきっかけです。
専門外来では、
加害者の①ブレーキの効かなさ、②相手のどこがムカつくのか(それは自分が抑圧してる部分と重なるからか?)
③反省してもまたやってしまう愚かさと自己嫌悪、などをカウンセリングと心理テストで、歴史を振り返り、原因を探り、
解決のお手伝いをする、コース・メニューです。いやな自分とさよならしましょう。
加害者側の心のケアについて皆さんはどう思いますか?
うかいさん、に聞いてみようかな。
 
 
こんにちは。受付のうかいです。
「いじめ」という言葉で最初にパッと思い浮かぶのが「ライフ」という漫画と「人間失格」というドラマです。
どちらも学校内なので、わたしの中ではいじめ=学生リンチという構造が出来ているみたいです。
 
昔見たテレビで
「いじめは大人がしていること。子供はその真似をしているだけ」
と言ってる人がいました。
 
今では色々な「~ハラスメント」という言葉がありますが
「パワハラ」「モラハラ」なんて言葉は浸透しきっていますよね。
職場内や家庭内でもいじめは存在するみたいです。
 
いじめとはそもそも何なのか。
調べてみると
「自分より弱いものに対して一方的に、身体的・心理的攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの」
と書いてありました。
 
自然界では弱肉強食という言葉がありますが、
人間には道徳や倫理観がありますし、時代と共に平等精神が濃くなっています。
 
余談ですが、いじめという言葉は「いじめられる」という動詞からきたものです。
そしてその原義には集団行為かどうかは含まれていません。
1980年代初頭から陰湿な校内暴力が増えて、それが社会問題になりました。
それと同時にいじめという言葉は名詞でも使われるようになったそうです。
 
学校、職場、家庭、ネット、、、様々なコミュニティの中で人は必至に居場所を探します。
その過程で「いじめ」が発生した場合、簡単にやめることが難しく、逃げられなかったりします。
いじめは場所を選びません。
そしていじめられたトラウマで上手に生きられなかったり、いじめを苦に自殺をしてしまう人もいます。
今の時代はそれがクローズアップされると、ネット上でいじめた側を特定して追い込みます。私刑です。
 
加害者を擁護するわけでは決してないですが
わたしはこんな流れ、かなしいなぁと思います。
 
 
いじめは、だめです。正当化されることではありません。
でも、いじめはだめって言っているだけでは何も解決しません。
 
よく「いじめられる方にも問題がある」なんて言葉を聞きますが
問題は、みんな、抱えています。
 
加害者に対し、追い詰めたり制裁を加えるのではなく
内側で苦しんでる部分を汲み取ってあげることも必要なのではないでしょうか。
BGM. 森田童子「ぼくたちの失敗」


カワクリ・裏メニュー①「不倫(浮気)専門外来」

8/Ⅸ.(金)2017 はれ アントニオ猪木、前北朝鮮外相と面会
宮迫は大丈夫そうだ。
今、芸人に求められてるのは、不倫が発覚してからの記者会見をいかに笑いにもっていけるかだ。
本来は、芸人なんだし、「女遊びは芸の肥やし」で良いと思うのだが、
ちょっと前にダウンタウンの浜ちゃんでさえ謝ってたから、芸能界で許される人はいないのだろう。
ハリウッドスターの渡辺謙も帰国して真摯に謝罪会見を行い、追求する芸能レポーターが女性ばかりで、
皆、最後にはそのかっこよさにメロメロになり、二次災害が出そうな勢いだったが時流は、謝る、だ。
その位、不倫のニュースは多い。北朝鮮の核実験よりも、社会問題だ。
そんな世の中を浄化するために、みせしめ、として芸人は使われていたが、
宮迫の例のように、ノウハウが出来てきて、お茶の間もいい加減食傷気味で、ワイドショー的には、
そのターゲットを政治家に移すつもりのようだ。
民進党の山尾議員、不倫で離党、だって。
この、見つかったら謝っちゃえ、という風潮は恐い。
勝新、のような人間が2-3人欲しいものだ。
19世紀末ロンドンでは、裏表が綺麗に峻別されていて、その世界観が、「ジキル博士とハイド氏」のような交代人格を産んだ。
社会が腐敗すると少年犯罪が増えるように、児童や思春期の子供はその空気感に敏感に反応する。
マスコミが偽の正義感みたいに本質をみないで不倫問題を表面的に扱ってると、そのうち若年層で解離とか多重人格が頻発するぞ。
数が増えれば増えるほど、病気か仮病か見分けられなくなる。
俺は知らないからな。(誰に宣言してる?)
という訳で、そうならない為にも、「不倫専門外来」を作ろうかと思います。
不倫は、相方への裏切り行為です。しかし、日常的には氾濫している。
それにより心の傷を負った人のケアは通常どおり行って行きます。
今回の提案は、そうではなくて、「不倫をしてしまった人」のための専門外来を指します。
①性の暴走、②特殊な性的趣向性、③罪悪感、④わかっちゃいるけどやめられない、⑤配偶者への不満、
⑥幼少期からの屈折した歴史、⑦やり直すにはどうしたらいいか、などにスポットを当ててみます。
カウンセリングと心理テストで評価して、5回くらいをメドに行う、コース・メニューです。
僕は、ノータッチで、心理部門の新機軸です。
話は全然変わりますが、最近は僕の脳の具合がとても良い。
シナプスがつながってる感じ。アイデアがポンポン出る。そうすると、どうなるって?
何故か、まわりが困る、みたいです。
BGM. 郷ひろみ「バイ・バイ・ベイビー」


変判

25/Ⅷ.(金)2017 晴れ、暑い
コラムを依頼された専門誌は、元はと言えば恩師が立ち上げた季刊誌が発展したもの。
恩師は、5/18問題、で煮詰まった時にも発破をかけてくれた切り札だった。
そんな恩師はもう死んじゃった。
もし生きていたら僕の文章がその本に載ることをさぞかし喜んでくれたことだろう。
飲兵衛だったから、きっと高い店で奢ってくれたかもしれない。
恩師は死ぬ前は隠匿生活をしていたから、死ぬ前に無理矢理会いに行こうと企てたけど、断りやがった(笑)
それにつけても、早く原稿仕上げなきゃ。
タイトルだけは決めたんだ。
2つ案があって、
「愛は変わらず落とし技」か「愛は判らず落とし技」。
受付に緊急アンケートしたら、「愛は変わるよね?」「でも変わらないと信じたいじゃない?」と白熱した討論の末、
前者になりました。
推敲が、「僧は推す月下の門」と「僧は敲く月下の門」を何度も考え抜いて作り直したのと、僕的には同等です。
タイトルだけだけど…。
「愛は変わらず落とし技」とは、「川原」と恩師の名前、をアナグラムにしたものです。
これで恩師の名前が判った人がいたら天才です。締切まで、あと6日。
BGM. ゴダイゴ「ビューティフル・ネーム」


ちょっと待ってて

3/Ⅷ.(木)2017 くもり、割と涼しい
今朝見た光景から。
交通安全とは、世界中の信号機がみんな「赤」になる瞬間、というくだりが、
「化物語」の副音声にありましたね。↓。

ここのところよく見るのは、この木から落ちてる実。↓。

「万有引力とは、引き合う孤独の力だ」と、寺山修司が言ってました。
この実とアスファルトの地面は愛し合っていたのかしら?アップします。↓。

これを思い切ってキックしてみました。コロコロ転がりますが、シャッタースピードが追いつきません。↓。

ここに止まりました。↓。

さらに続けようとしたら、木の上でカラスが見てたからやめました。
しばらく歩いていると、今度は、赤い実、を見つけました。↓。

これも蹴ってやろうと助走をしたら、別のカラスが別の木からこちらを偵察しています。
ハローバイバイの「都市伝説」で聞いたのですが、カラスは伝達し合って人間を見張っているといいます。
しつこい奴らだ。江戸所払いにしてやる。都民ファーストの会、に任せるか。
そんなことより重要なのは、8月は僕は依頼された「コラム」に専念しますが、自分で縛りを1つ付けました。
それは専門用語を使わないことです。
患者には判らない医療言葉を揶揄して、ジャルゴン、と言います。
ジャルゴンは、それ以外でも、ある集団特有の普通には理解出来ない用語のことをさします。
語源は、うがい、で喉をガラガラいわすgargle、だそうです。
鵜飼じゃないよ、うがい、だよ。
しかし、ジャルゴンを用いずに専門誌の原稿を書くのは、案外と大変です。出だしからして難しい。
それで思い出したのだが、現役で共通一次を受ける時、あまりに科目数が多すぎて、何から手をつけていいか判らず、
何もしないでいたら、何もやることがない、という錯覚に陥って、何もしないで、読書をしました。
普段は読んでもすぐ飽きてしまうのに、勉強しなくちゃいけない時にする現実逃避的読書はスイスイ進みます。
家にはクルクル回る椅子があり、僕は共通一次の前日なのに、椅子に座って、クルクルしながら、本を読んでると、
父が、「達二、何をしてる?」と声を掛けました。
それは「勉強しろ」とか「関係ない本など読んでる時じゃない」とか「真面目にやれ」みたいな意味ではなく、
重要な試験前日に居間でクルクルクルクルしながら本を読んでる息子への心配。
重い言葉だ、「達二、何をしてる?」。岸から、「戻って来~い」、と呼びかける父親の心の声だ。
そんなことと重ね合わせてしまう、8月のスタートダッシュだ。
このままだと、5/18問題、の時と同じように締め切り間際で徹夜になるかも。それはさけなきゃ。
それでは皆さん、しばしの別れじゃ。ちょっと待ってて。
BGM. Sam and Dave「Hold on I’m coming」