10/Ⅹ.(水)2018 はれ ゴールデン・アーム・ボンバーの輪島、死ぬ。
夢を大切にした人の話しは多い。
ソクラテスだったか、プラトンだったか忘れたが、当時は哲学と数学は兄弟みたいなものだったらしいが、
音楽は一段下にみられていたそうだ。
そうしたら、ソクラテス(か、プラトン)の夢に音楽の神様が現れて、
「おい、ソクラテス(か、プラトン)よ。音楽も重要じゃぞ」とか言って、
そうしたら、ソクラテス(か、プラトン)は、翌日、往来で自作の歌を作って大声で歌って披露したという。
親鸞の時代は、僧侶はお肉を食べちゃいけないし、女と寝るのもいけないとか、タブーが多かったらしい。
確か、親鸞は京都の六角堂で居眠りしてたら観音様が現れて、
「おい、親鸞よ。お前様は女と寝ていいぞ。その時、この観音が女とすりかわってやるから、お前様は女と寝たのではなく、
観音とまじわったのじゃ」と何とも都合の良い夢をみて、かつ真に受けて、女犯妻帯をはじめて行ったお坊さんだそうだ。
っていうか、そもそも六角堂で寝るか?すごいな、親鸞。大好きよ。
つげ義春は、ガロの締め切りが近づいても、何のアイデアも出ないから、屋根の上で昼寝をして、
その時にみた不思議な夢をそのままマンガに描いて、とりあえず出した。
夢だから細部がはっきりしてないので、「○×方式」とか「××クラゲ」と記載したが、
編集者の誤解で、誤植で、「××クラゲ(ばつばつ・くらげ)」を「メメクラゲ(めめ・くらげ)」とされたが、
つげ義春本人は、「どうでもいいや。どうせ夢だし」ってそのままにしといたら、「メメクラゲ、って何?」って話題になって、
遂には、「マンガか芸術か?」という論争にまで発展するのだから、いい加減なものである。ねじ式、より。↓。
元ネタは何だったか忘れたが、縁起の良い夢をみた人から、その夢を売ってくれと大金を払った人の話があった。
日本の昔話だったか、海外のジョークだったか、落語だったか。
もっとも落語は昔話も海外のジョークでも吸収してネタにしちゃうからなぁ、いよいよ何だかわからない。
所ジョージが吉田拓郎の初期の名曲「恋の歌」に惚れ込み、
「自分の全曲をあげるから、恋の歌(の著作権)と交換してくれ」と頼んだエピソードと通じる熱量だ。
気持ちはすごくよくわかる。
診察で夢の話をする人は意外に少なく、そんな中、最近目立つのは2つのパターン。
1つは、夢の内容をバーっとしゃべって、その後、ネットで調べてきた解釈を語る人。
もう一方は、「夢ばかりみます」と言うものの、その内容は喋らず、具体的に聴いて行くと、
「えっ?夢の内容なんか、ここで喋っていいんですか?」と言う人。
前者は「夢占い」を楽しんでいる人で、お遊び感覚で、それはそれで良いと思う。
後者は夢はくだらないものと思い込んでる人。こっちの人には、言いたい。夢をもっと大切にしよう。
TPOにもよるが、両者に僕は一応、我々が夢をどう考えているか説明することにしている。
日常の中では色んなことがあるが、一々覚えてたらたまったもんじゃないこととか危険な思想もある。
そういうものは普段の生活をするにはあまりよろしくないから、無意識下に閉じ込められる。
でも、そういうものも、エネルギー体だし、彼らにとっては不当に抑圧されてる訳だから、いつか意識に飛び出す隙を狙ってる。
日中は、意識と無意識の国境線上に門番がいっぱい立って、これらが出ないように見張っているが、
夜勤帯になると門番の数も減るから、抑圧されてる強い感情や記憶は飛び出すチャンスで勢いを増す。
こうなると、さすがに門番でも抑え切れないが、これらがそのまま飛び出すと睡眠を妨害したり、
不穏な世の中になるから、数少ない門番には、それらを別の形に変身させる特殊能力が与えられていて、
これを検閲といい、彼らは検閲を受けて、夢に登場するのである、という考え方。
だから夢に出た素材を「夢事典」みたいなもので象徴解釈してもあまり意味はないと思う。
なぜなら今の世の中は情報量も多く価値も多様化しているから、個々にとって象徴の意味は異なると思うからだ。
この検閲のシステムをとても上手に書いてるなぁと思う参考文献は、筒井康隆の「夢の検閲官」という短編小説で、
「夜のコント・冬のコント」に収録されている。
簡単に要約すると、ある女性が夢をみると、夢法廷、というものが開かれ、夢の検閲官が登場する。
この女性は二ヶ月前に息子を亡くしていて、その悲しみから毎日酒びたりで、夢の舞台に登場しようとするものは、
息子に関する内容ばかり。
しかし、それをそのまま通してしまったら、彼女は息子のことを思い出し、飛び起きてしまう。
なんとか、そうとは判らないものに検閲しなくてはならない。
ルールは、彼女の記憶にあって、息子を連想させない別のものにする、のである。
まずは息子が通っていた中学校がやってくる。こんなものをそのまま通すわけにはいかない。
そこで検閲官は、建物つながりで、彼女の故郷の合掌造りの家に土木工事班に命令して作り変え、舞台に出す。
次に来たのは担任の教師。こんなものを通したら大変だ。たまたま、この担任の下の名が、おじさんの名と一緒だから、
おじさんを呼びつけ、置き換える。幸い、彼女はこのおじさんのことを良く思ってないから人材としても適している。
次にクラスメイトたちがゾロゾロ来るが、彼女は息子がイジメを受けてたのではないかと思っている。
こいつらも舞台に出すわけにはいかない。
しかし、こんなたくさんの人物を一つ一つ変換するのは大変だから、そう言えば、授業参観の時に彼女は、
教室の後ろからみるたくさんの坊主頭を「くさった黒いトウモロコシみたい」と思った記憶があった。
それを利用して、圧縮して舞台に出した。
そうすると、夢の舞台では、合掌造りの家の前で、おじさんが黒いトウモロコシを食べてる途中経過だ。
「これなら、何の夢か判らないだろう」と検閲官はご満悦。
ところが、そこに息子がやってきてしまう。
もう毎日毎日、この息子はやってきて、あらゆるものに変換しつくしていた…。
ここから先は内緒にしておくから、興味がある人は読んで下さい。面白いですよ。油断してると泣きますよ(笑)
さて、しばらくブログで心理部門のコンテストをやってないので、折角だから、夢について何か書いて貰おうかな。
もうコンテストじゃなくてもいいから、合作でも、対談でもいいです。
一般的な啓蒙でもいいし、こぼれ話風な面白エピソード、あるいはカウンセリングで夢はどう扱うかでもいいですね。
まぁ、夢の報告は、治療関係の進み具合を反映しているから、慎重に取り扱う必要があるから一概には言えないということを判った上での無茶振りです。
そうそう、僕の夢日記「地獄寿司」をテキストにして思いついたことを書いてもいいですね。
ここでこんな風に質問してみる、とか、ここはきっと川原先生のことだからこんなことだろうと想像するが、今は言わないで、
これこれこういう時が来たら介入するヒントにするとか。
企画的には面白いと思うけれど。
では心理の皆さん、よろしくどうぞ~。
BGM.ビートルズ「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」