13/Ⅰ.(木)2022 ロネッツのロニー・スペクター(ヴェロニカ)死ぬ。癌。78才。
ナンシー(仮名)はソラナックスを10粒だけもらいに来て、半年くらいはそれでしのげる。必要な時にだけ飲むのだが、最近は、恋人が出来たらしく、「デートの前に飲む」らしい。「いつになったらやめれますか?」と言うから、「慣れだよ」といい加減な答えをしておいた。実際そうだし。
「処女は非処女になりたがり、非処女は処女になりたがる」ということわざがあるが、今はうぶでドキドキしてるうちが華で、そのうち常態化すると今のときめきを懐かしく思うのだろう。
人間は本能が壊れた動物だから「何か生きて行く目的」がないと生きて行けない。種の保存を淡々と発情期に従って自殺も考えず生を全うする他の動物たちとの違いは、難儀なものだ。まだこれが軍国主義だ、一神教だと縛りがあれば盲目的に生きれるのだが、なまじ価値が多様化されると自分で生きる目的を見つけないといけない。そんなものは実は「ない」のだから、いかに上手に自分をだませるかの勝負になる。そしてその目的がある程度の人数に共有されている必要もある。無難なのは、「家族愛」「学歴」「お金」「権力」「宗教」「国家」「天皇制」「共産主義」「世界平和」「民主主義」「自由」「権利」「恋愛」などであろうか。頭のいい人ほど、こういうものに疑いを持ち、これらを「共同幻想」だと見破る。しかし、幻想がないと生きて行く意味がみつからないから、廃人になるか狂人になるか犯罪者になるか自殺するしかない。上手に騙されるのも生きる知恵だ。「生き甲斐=アイドル」や「譲れないもの=ロックスピリッツ」でもいいと思うから何かを見つけましょう。
僕はロマンチストなので断然、「恋愛」至上主義者です。これは一夫一妻制の世の中では生きづらいですね。それはともかく僕の好む「恋愛」は、たけしの映画「Dolls」に出てくる「つながり乞食」のような運命共同体で「共依存」どころか「心中」するような「二人組精神病」のような一体感です。幸い、これまでの僕の人生では僕と均質な恋愛観をもつ人と出会えてないので、狂わず、かつ社会生活を送れています、心中もせずに。
僕が小学校の頃によく耳にした歌謡曲の影響も性格形成に反映されてるかもしれません。
・大信田礼子「同棲時代」:できることならあなたを殺してあたしも死のうと思った。それが愛することだと信じよろこびにふるえた。
・西城秀樹「ジャガー」:君が死んだら俺は死ぬ。
・山口百恵「湖の決心」:いつも私あなたのためならすべてを投げ出す覚悟が出来てます。そしてそれでふたりの間が終りを告げてもいいのです。
・さくらと一郎「昭和枯れすすき」:この俺を捨てろ。なぜこんなに好きよ。死ぬ時は一緒とあの日決めたじゃないのよ。世間の風の冷たさにこみあげる涙。苦しみに耐える。二人は枯れすすき。
こないだクリニックのことを自身のブログに書いててくれたアイドルがいて、「アイドルやアニメや漫画や映画など色んなものあります」と。そんな折、文化部長のスーちゃんとクリニックの中を探索し、「キュンとくる」胸キュンものを探したのですが、まぁ、ないです!僕は恋愛至上主義を謳いながら、どこかそれが破滅の道に進むと思っているからかしら?
・沢田研二「時の過ぎゆくままに」:時の過ぎゆくままに、この身をまかせ男と女がただよいながら堕ちて行くのもしあわせだよと、二人つめたい体あわせる。
BGM. ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」