ここのところ良い天気が続いていますが、テレビが言うにはまだ梅雨明けではないそうですね。
だからクリニック正面入り口のポスターは、まだ『日常』の梅雨バージョンです。↓。
そうそう先日、修理に出していた回る地球儀が戻って来ました。
結局、修理は出来ず、新品と交換されました。
今まで同様、猫に持ってもらいます。これでクリニックも円滑に回って行きたいところです。↓。
すると不思議なもので、何かの手違いで製造が遅れていた「唯ちゃんのアラームクロック」が今頃、届きました。
これは「けいおん!!」の平沢唯のバースデイ記念で去年の11月に出る予定だったのです。ね、今頃、でしょ?。
しかしカワクリ的にはタイムリーだと解釈されるのです。待たせた甲斐だけあって製品は中々の優れものです。
唯ちゃんの声で、おはようボイス3種類・ティータイムボイス1種類・おやすみボイス2種類がきけるのです。
例をあげてみると、おはようボイスその1。
「朝だよ~起きて~。
ふっふっふ。目覚ましより早く起きるために、ずっと起きてたんだよっ!
あーでも眠くなってきちゃった。おやすみなさい…。」
と言った風です。
おはようボイスなのに何故かおやすみボイスになってる、そんな「けいおん」テイストが計6ボイスです。↓。
さて、話を梅雨に戻しましょう。前回の徳田さんのブログ記事にもあったアジサイのお花を紹介しますね。
写真は、カワクリ写真部部長の徳田さんに撮影してもらいました。↓。
風物詩風に言うと今年は、隅田川の花火を東京スカイツリーの上から見下ろすのが人気だそうです。
みのもんたが今朝のワイドショーでそう言ってた。
そんなニュアンスで、アジサイも上空から激写。撮影は同じく徳田部長。↓。
7月は僕の誕生月だし、カワクリメンバーには他にも7月生まれや獅子座もいるし、後は梅雨さえ明ければね。
そうそう冒頭の『日常』のポスターはリバーシブルになっていて、裏側は虹バージョンになっている。
梅雨が明けたら、引っくり返そう!。↓。
BGM. よしだたくろう「伽草子」
6月の文化活動
6月はあわただしかったのですが、趣味の時間も充実していてバランスを保てました。それをまとめて報告しますね。
まずは、3日、初代タイガーマスク・佐山サトルのセミナーに出席してきました。↓。
50人程度の参加者で、僕はせっかくだから真ん前に座りました。
ゲストには新間寿が来て、猪木vsM.アリ戦の90億円の借金を一夜にしてチャラにした裏話や、お父さんお母さんを大切に
しよう、という教えを聞かされました。下は、3名様限定のサイン入り冊子です。僕は真ん前に座ってたから貰えました。↓。
続いての佐山サトルの講義は圧巻でした。
「自分はプロレスラーとは思っていません。格闘家とも思っていません。思想家です!」と述べ、
その自己紹介に偽りはなく、仏教やフロイトや脳内物質や人種と宗教の問題や共産主義や自由主義やユダヤ人や武士道や陽明学や戦争や不動心や
催眠術について2時間くらい語りました。
佐山は、「まずは服装からしっかりしないといけない!」と力説し、
さすがにこういう会に来る人はマニアックな佐山ファンなので、ほとんど皆スーツにネクタイで参加していました。
僕は、短パンにロンT.で真ん前に座っていたから、佐山は僕と目が合うと、
「Tシャツが悪い訳ではありませんよ。ここではいいです。ただし、TPOは必要です!」とフォローしてくれた。
優しいね、佐山。
10日には、立川志らくの劇団・下町ダニーローズの談志追悼公演『談志のおもちゃ箱』をA.を誘って観に行きました。↓。
これは談志の狂気を引継ぐと言われる弟子の志らくが、談志がこよなく愛した映画や、談志の名言、好みの酒、懐メロなどを
これ以上ないとばかりに埋め尽くしたお芝居でした。
パンフレットに志らくとミッキー・カーチスのサインをしてもらいました。↓。
パンフの裏面には、お芝居にも出演してる談志の娘さんのサインを、「人生、成り行き」とメッセージも添えてくれました。↓。
見終わった後、僕とA.はタイ料理を食べに行き、劇の感想などを語り合いながら、僕は料理のカラさで疲れてしまいました。
そして、人は何故、自殺をするんだろうね、なんて真剣な話をしたりもしました。
翌日、僕は1人でもう一度、観に行きました。それはとても面白かったから。談志はいい弟子を持って幸せだなと思ったから。
下は、劇場に設けられていた談志の祭壇。↓。
6月は、フィギュアも幾つか買いました。下が、2012年ワンフェス限定の「ゼットン・金バージョン」。受付に飾ってあります。↓。
それから、『化物語』の千石撫子のフィギュアも集めました。今週のお花のひまわりと一緒に撮影。↓。
下は、つげ義春の大型ポスター。これは、『ねじ式』をモチーフにしていますね。相談室と処置室の間の壁に貼ってあります。↓。
これは中野ブロードウェイの3階にある「タコシェ」という本屋で千円で購入しました。お買い得でしょ?。
まだ有りましたよ。欲しい人は、今すぐ、タコシェに急げ!。
消しゴム
1/Ⅵ.(金)2012 はれ
ずっと診察室の机の上に黒いボールペンの跡がついていて、丁度、それが短い髪の毛みたいに見えて、
ほぼ99%の人が髪の毛と見間違えて、取ってくれようと指で触れても取れなくって、「あっ、ペンの跡かぁ」、と気付く、
ということが続いていた。そして僕は、それを放置したままで来た。
今年も今日で6月になり、気分一新、その髪の毛みたいなペンの跡を、消してみようと思い立った。
理由は、今日から6月だから、というたったそれだけ。
普通の消しゴムで消えるかな?、とは思ったけれど、試しにゴシゴシとやってみたら、消しゴムのカスが、
ニョロニョロニョロと、まるで気の良い寄生虫か何かのように、いっぱい湧き上がって来て面白かった。
しかもその効果で、ペンの跡はキレイに消えました。
今はもうだれも、髪の毛だと見間違えることはないでしょう。
僕らの人生は、過去を振り返ると「汚点」というのでしょうか、消してしまいたい記憶が誰にでも有りますね。
そんな汚点を消せる消しゴムがあれば、欲しがる人も多いのでしょうね。
寺山修司の実験映画に、その名もズバリ、「消しゴム」という作品があって、色んな思い出を消して行って、
確か、最後には自分自身を消して終るんじゃなかったかな?。そんなフィルムが有りました。
僕らの仕事は、過去の嫌な記憶を消すことではありません。
どんなに嫌な記憶にも、それぞれにはそれぞれの意味があったのだろうし、消せない事実なのだとしたら、
それらの一つ一つに納得の行く意味付けをしてあげて、心の置き場を見つけてあげる必要があるのでしょう。
そんな作業の手伝いをする。
そういうのが精神科・心療内科・カウンセリングの仕事なのだと思います。
前髪
先日、吉田さんの送別会をした時、久々に会った彼女から、「先生、髪、伸びましたね」、って言われた。
後ろでゴムで束ねてたからかも。あれから、さらに時は過ぎている。つまり、さらに髪も伸びている。
という訳で、日曜日、近所の美容院に行きました。
最近、ちょっと気になる芸能人の写真を持ってって、<こんな風に>と差し出したら、美容師さんはしばし困惑していた。
美容師さんの腕が悪い訳ではない。4時間以上、時間もかけた。だが、出来栄えは、全然似ていない。
元(素)が違うんだから、そりゃしょうがないか。しかし、からっきし似てないよ。
笑っちゃうくらい似ていない。恥ずかしくて、元ネタが誰かなんて、聞かれても言いたくないよ。
言えないもの、似てないから。だから言いません。
ちなみに、これはクイズではありませんから、答えませんよ、念のため。
月曜日は休診日だが、クリニックで用事を済ませ、その足で新宿へ。天気快晴なれど、昼過ぎに大雨&雷。
アニメイトで、「ウツボラ」の2巻を購入。これで完結です。クリニックに置いてあります。↓。
下は、新宿地下道の壁一面に貼られていた‘きゃりーぱみゅぱみゅ’の告知。↓。
皆、前髪パッツンだ。
通えないから退会することにしたキックの会員証の写真も前髪パッツンだ。この当時は、銀髪だ。↓。
退会する時は、会員証を返却する決まりなのだが、会員番号がジャスト100番だから、なんだか返すの惜しいな。
久々の野音への来日です。
6/Ⅴ.(日)2012 晴れ、雨、晴れ
今日は中川翔子のデビュー10周年を記念したライブ「超☆野音祭」。
日比谷の野音は、RCかキヨシのユニット以外では行った記憶がない。
昼くらいに目が醒めたら、よく晴れていた。
しょこたんは雨女だから、心配していたが、これなら大丈夫そうだ。
家を出て行こうとすると、家族が「今日は5時から雷雨だって、予報よ」と教えてくれた。
昔のRCは台風が接近していても、普段ならアンコール曲に使う「雨上がりの夜空に」をオープニングから演奏して、
台風をぶっ飛ばしていたっけ。
<ザマァ、ミヤガレ>とキヨシが言ってたのが今でも耳に残ってる。
僕は、この年齢(とし)で一人で屋外で濡れるのは嫌だなと思い、人形をリュックに入れて同伴した。
開場15時、開演16時。
僕は15時半ごろには野音に着いた。
しょこたんのコンサートだから、沢山のレイヤーさん(コスプレをする人)がいて、
彼女らは、3時間前に来て撮影してるらしい。
せっかくだから、僕もリュックから人形を出して、マイナスイオンを発する緑の中に、人形を出してやり記念撮影した。↓。
すると、どうだろう、この写真を撮った直後から、雷鳴が轟き、大粒の雨が降って来た。
家族の言ってた天気予報が当たった。
雨足は強くなり、そのうちヒョウの様な痛い物まで降って来た。
さすが、しょこたん、雨女。
グッズ売り場で、猫耳雨合羽、を買い、それはピンクの雨合羽で、フードが猫耳になっている。
バックプリントで背中中央に、shoko nakagawa と筆記体で白字がピンク地に浮かび、
お尻の辺りに猫の尻尾がクルンと描かれている。
左の襟の辺りにワッペン風に「雨女」という文字がこれも白く描かれてるのが愛嬌だ。
屋外でこの天気だから、このピンクの猫耳雨合羽が飛ぶように売れて、会場は半分くらいピンク色だった。
雨は降ったり止んだりで、それでも僕は人形をリュックに避難させ、雨合羽を着て、ライブに備えた。
オープニング、しょこたんはギターを持って登場した。
曲は、「つよがり」。バスツアーのミニライブでも登場に歌われた曲だ。
何かのPVでギターを持ってるシーンがあったが、それは持ってるだけだったが、なんと!今日はちゃんと弾いてた。
練習したんだ~。気合が入ってるな。
しょこたんは、1曲目を歌い終わるとMCで、「宇宙が喧嘩を売って来ました」と言い、空に向かって、
「おい、宇宙!われら貪欲者達(どんよくしゃたち)との全面戦争だ!」とタンカを切った。
すると演出のように強風が吹いて、虫の死骸や葉っぱがステージに風に乗って飛ばされて集まった。
今回のライブはロック・テイストが強く、皆、サイリウムを手に持っているが、僕はうっかり用意してこなくって手持ち無沙汰。
すると隣の人が、サイリウムを2本くれた。しょこたんのファンは皆、親切なのである。前にも、貰ったことがある。
ちなみに観客層は男女半々、子供から(ポケモン、ディズニーの影響大)50代の人まで、老若男女だ。
コスプレ率が高いが、今日は非コスプレの人も、さっきの猫耳雨合羽を着てるから、
何の集まりだ?という様相を呈していた。
まさに、カオス!。
しかし、それが良かったのか、宇宙との戦いに我々は勝利し、雨雲は空から消え去った。
新曲の振り付けをその場で習い、皆で合わせて踊ったりしたのも良かったのかな。
雨乞いみたいで。あっ、それじゃ逆か。
僕は、義務教育で音楽や体操やお遊戯みたいなものを何故するのかちゃんと理解して来なかったのだけれど、今日、解った。
こういう時の為なんだ。
♪スフレ・スフレ・スフレ♪ってフレーズで、指で小さな丸から中位の丸そして大きな丸を順に描く振り付けが可愛かった。
アンコールの恒例は観客達が「空色デイズ」のサビの部分を大合唱するのだが、この日は野音だし、雨雲は追い払ったしで、
見事な空色が頭上にあった。アンコールでしょこたんは、「空色デイズ」を北京語バージョンで歌った。
しょこたんは、今年はデビュー10周年でアジア・ツアーも行われる。北京語バージョンは北京で披露するらしい。
確か香港観光親善大使にもなったしね。アニソンで世界を平和にするのだ。
しょこたんは興奮して最後の最後には、ステージ上でシャツをまくってお腹を見せたりしていた。「anan」ネタかしら?
そうそう、「しょこたんバス・ツアー」の記事はもう少し、お待たせで。
ところで、僕の人形はどうしたかと言うと、ちゃんとこのような形でステージを見ていました。↓。
先日の「スランプ」という記事の中で、「歴代の彼女」という表現が一部で反響があり、
僕のキャラ付けが軟派になってゆく気がしたので少し補足を。
僕の好きなジョークで、「あいつ100人の女と付き合ったらしいぜ」、
<お前も言いたきゃ、そう言えば?>って言うのがあり、
それに近いものですね、「歴代の彼女」って。
でも、実際のところは好きなアイドルやタレントのことで、
部屋のピンナップやポスターを人形がずっと見て来たという意味です。
山口百恵、高田みづえ、竹下景子、石野真子、柏原よしえ、オードリー・ヘップバーン、伊藤つかさ、
キューティー鈴木、三田寛子、浅香唯。
でも、僕の人形が生のライブを見たのは今日が生涯で初じゃないか?
楽しめたかな?
疲れたかしら?
どっちもかな。
BGM. 近田春夫&ハルヲフォン「レインコート」
平成中村座~追悼疲れ
20/Ⅱ.(月)2012
立川談志追悼公演、落語立川流 In 平成中村座を観に、Aを誘ってゆく。
Aとは、この1月に立川志の輔の落語に行き、その帰りに「くじら」を食べて、
今度、こんな機会があったら「どぜう」を食べようと約束していた。
平成中村座は、浅草にあるので「どぜう」を食べるには持って来いで、まさか、こんな早くにそんな機会が来るなんて。
(2012年1月『志の輔らくご in PARCOを観る』を良かったら読んで下さい)。
僕は、前々日の同窓会で大騒ぎしたから声がかすれて、晩年の談志のようで、まさに立川談志追悼にピッタリ。
同窓会で出会った友人から情報を集めて、落語終了後のお店も大体、目星をつけておいた。
僕は番傘の新しいのが欲しかったので、Aを早目に誘い出して、買い物に付き合わせるのを口実に、
せっかくだから浅草見物を楽しんだ。下が、僕が買った番傘、陰干しをしてるところ。↓。
Aは浅草は中学の遠足以来だと言って、機嫌も良く、揚げ饅頭をおごってくれた。
Aはプレーン味、僕は胡麻味にした。仲見世通りを歩いて、浅草寺にお参りに行こうということになるが、
その手前に‘かつらや’があり、Aはそこの店の前で、
このあいだ中国の女の子が長い黒髪をバッサリと切って売っている番組をみて、
かつらにするには人口毛が高く売れるのだとというテレビから得たウンチクをかつらやの前で話し出し、
僕はちょっとだけヒヤヒヤした。別に、Aは何も悪くないんだけどね。なんとなくね。
浅草寺でお参り、僕はAに<いくら入れる?>と聞くとAは50円玉をこちらに見せた。
「ご縁があるように」ということだそうだ。
僕は、ポケットの小銭を探したら、5円玉はあるが、50円玉はなかった。
語呂だけから言えば、僕の5円玉の方が「ご縁がありそう」だが、今どき、5円はないな、と思い、
100円玉と一緒に5円玉を賽銭箱に投げ入れた。合計105円、消費税みたいだ。
参拝をすませ、おみくじを見つけたから、<おみくじ、する?>って聞いたら、
Aは正月に‘大凶’を引いたから、もうコリゴリと断った。
Aの引いた大凶の内容というのは「あなたは外見ばかりを気にして、本質を見ていない!」というものだったそうだが、
それなら全然、気にする必要ないよ。僕がAを知ってるよ、Aは上っ面じゃなくて本質的な人物だってことを。
<だったら、そのおみくじが間違ってるんだよ>と僕が言うと、Aは「そういう発想はなかった!」と気を持ち直していた。
平成中村座は、中村勘三郎が昔の歌舞伎小屋をイメージして再現したもので、隅田川のそばにあり、
スカイツリーがすぐそこにそびえ立っていた。
談志と勘三郎は仲が良く、そのよしみで談志追悼の落語会にこの場を貸してくれたのだろう。
この日の立川流のメンバーも志の輔こそ(病欠)だったが、落語は、談笑・志らく・生志・談春と揃い踏みで、
おまけに最後にこのメンバーに高田文夫と中村勘三郎が加わって座談会をするというから豪華だ。
おそらく大衆芸能のレベルから言えば、歌舞伎は落語の数段上だろうから、
ここで落語が出来るのは記念というか名誉なことなのだろう。
さっきも言ったが、平成中村座は当時の歌舞伎小屋を再現した仮設小屋なのだが、
座談会で志らくは高田文夫が楽屋に入るなり第一声、
「なんだよ、ここは避難所みたいだな」と言ったということを中村勘三郎の前でバラした。
この一言のおかげで、有難みという名の肩の力がフッと抜けた。
高田文夫は志らくに向かって「シーっ」ってポーズをしてたけど。
座談会は談志の思い出話を語るのだが、そこは師匠の言いつけ通り、
芸人がしみじみしてどうするとばかりの、暴露合戦だった。
やはり、こう並ぶと志らくというのは飛び抜けて談志イズムを継承している不謹慎さだった。
勿論、ここで言う不謹慎とは褒め言葉である。
僕が、一番、不謹慎だと思ったのは、志らくが談志の下ネタにまつわるエピソードを話したあと、
談春が「今日は、ご家族もいらっしゃるんだから」と志らくをいさめると、
高田文夫が「ご家族じゃなくて、ご遺族!」とつっこみを入れた瞬間、
中村勘三郎が会場に響き渡る大声で膝を叩いて大爆笑していたことである。勘三郎、不謹慎だなぁ、と思った。
終った時間も結構、遅かった。高田文夫が「そろそろお時間で」と言っても、
勘三郎が「もう一つ、話して良い?」って伸ばしていたから。
夜通し、ずっと話していたそうだった。勘三郎、いい人だなぁ、と思った。
昔、談志が、ここでチンポコを出せと言われて出せるかどうかで人間性がわかる、と言っていたことがあり、
たけしや上岡龍太郎は出す、鶴瓶は言わなくても出す、勘三郎も出す、と言ってたのを思い出した。
昨年の11月に談志が死んでから、色んなテレビの追悼番組を見たり、弟子達の落語会に行ったりして、
今日はそのオーラスのようだ。中味の濃い、面白い、決して湿っぽくない明るい会だったが、そうは言っても、追悼の会。
終わると同時に僕はどっと疲れてしまった。
僕らは「どぜう」を食べに行くはずだったが、終演も遅かったし、浅草は店の閉まるのが早いし、
帰れなくなるのも困るので、取り敢えず渋谷まで銀座線で出ることにした。
Aは、地下鉄の中よく考え事をする、などと話していたが、僕は疲れて頭が呆っとしている。
<何、食べようか?>と僕が言い、「ここは虎ノ門」とAが言い、地下鉄が僕らのテリトリーに入って来たことを告げる。
<渋谷でどこか店、知らない?>と僕が聞き、「何を食べたいか?」とAが聞くから、僕は少し考えて、<ピザ>と答えた。
Aは、「ピザ?そりゃないでしょ」と言い、ここは自分がしっかりしなきゃいけないと思ったのだろう。
今日の志らくの演目の『疝気の虫』から、その噺の中でラーメンを食べるというアドリブがあるのだが、
それを例に出し、恵比寿に塩ラーメンの美味しい店があるからそこに行こうという。
Aは過去に3回その店に行ったことがあり、4回迷ったことがあるから、店に辿り着けるか不安だと言ってはいたが、
やはり人間というのは相方が頼りにならないとしっかりするもので、
底力と言うのか、潜在能力の発揮と言うのか、母性本能と言うのか、一発で迷わずに店に着いた。
Aは、ここの店はおごってくれると気前の良いことを言い、
塩ラーメンの旨い店だと聞いていたから塩ラーメンを注文した。
「トッピングは?」とAが聞くから、僕は<メンマ>と答え、「ビールは?」と言うから、じゃ、ビールもご馳走になろう。
Aは海苔をトッピングしていた。でも、トッピングって、ピザみたいな響だな。
ラーメンを食べながら、一昨日の同窓会の話をしたら、Aは楽しそうだと感想を言って、
自分はそういうのには絶対に呼ばれないと断言した。
<俺もずっと呼ばれなかったけど、年とると呼ばれるよ>と軽く答えたら、「いや、それはない」とAは口をつぐんだ。
僕は僕の知らないAの暗黒時代に思いを馳せるのだった。
Aは、「明日休みだったらよかったのに」、と言って手を振って別れた。
休みだったら、カラオケでその頃の歌が聞けたかな?。
談志が死んだ。
23/ⅩⅠ.(水)2011 勤労感謝の日 寒い、少し雨
夕方、寝ていたら息子に「談志が死んだ」と起こされた。
寝ぼけて、<ダンス・ハ・スンダ?>とミカ・バンドの歌かと思い聞き返すと、「立川談志が死んだんだよ」と大声で言われた。
そりゃ、大変だ、とあわててTVをつけると、4チャンが特集みたいにしてやっていたから、それを観ていた。
談志は「笑点」の初代司会だから、4は力を入れたのかな?ゲストが始めは「きくぞう」だったが、
後半に円蔵(昔の円鏡)が加わったのは良い人選だと思う。
円鏡は何度も、「洒落じゃないの?なさけないなぁ。生きてなきゃ。
洒落じゃないの?」と画面越しにもガッカリしてみえた。
談志と円鏡と言えば、「談志・円鏡の歌謡合戦」という番組が伝説だ。
談志の言うイリュージョンの世界だ。今はCDで聴ける。↓。
談志はおととい亡くなったらしい。
息子が、夜の9時から「ニコニコ生放送」が独占で遺族による記者会見をするという情報をゲットしたので、
8時半くらいから2人で、パソコンの前に椅子を並べ、中継を待った。
すると、8時51分に、「ご遺族の意向により、中継中止となりました」というテロップが流れた。
ここに一冊の手帳がある。
これは、1999年8月10日から2000年11月30日までの、談志の「ひとり会」や「独演会」に行った時に用いたものだ。↓。
爆笑問題の太田光が何かで談志と落語について語っていたことがある。
落語には‘まくら’と言って本題の前にウォーミングアップみたいな小話が入る。
そこで談志は漫談のようなことを長々と言うのだが、そのジョークの数々がウイットに富み、毒を含み、社会に切り込み、
そして爆笑をさらう。
それは自分たちの漫才よりもすごいものを見せつけ、
その立川談志が談志よりも落語はすごいのだと言って見せ付けられる「落語」にはかなわない、
という様な趣旨のことを言っていた。
僕はこの手帳に、その‘まくら’のジョークを走り書きでメモした。
その日の着物の様子も後で思い出せるようにスケッチした。↓。
国立演芸場の「ひとり会」は毎月欠かさず通ったし、その他の「独演会」もほぼ追っかけた。
99年8月10日の「ひとり会」の前座は、アンジャッシュと底ぬけエアラインが出演。
NHKの「オンエアバトル」の審査員を談志がして、目をかけた彼らを「ひとり会」の舞台にあげたのである。
12月9日の「ひとり会」の前座は志の輔がつとめ、談志は「もったいない前座。
今度は、小さんを使おう」と自分の師匠である小さんの名前をあげたりしていた。
2000年になると、談志の体調は悪くなり、落語が出来ず、テリー伊藤や毒蝮や山藤章二が舞台にあがりトークをしたりした。
ファンは、それで十分だった。
ただ、そこに座って、お茶を飲んだり、居眠りしてるのを見てるだけで十分だった。
しかし、談志自身が一番それを嫌った。
ファンに満足行く落語を見せれない葛藤を吐露していた。
1月11日の「ひとり会」は前座の後、談志が出るかと思いきや、
何と突然、円楽(笑点の司会をしてた、もう死んだ人の方)が登場して「蒟蒻問答」を一席演じた。
談志は、普段から「笑点は俺が作ったんだ。
あいつらは、俺のおかげで食えてるんだ」みたいなことを言い、円楽のこともバカにしたりしてたのに、
談志のピンチに円楽が駆けつけるとは思わなかった。
皆、ビックリして、そして歓迎した。
円楽が舞台を下りると、談志が登場し、
「風邪で今、ボーっとしてんだよ。それで、俺よりもボーっとしてる奴、前に出しゃいいと思ってね」と憎まれ口を叩いて、
友情への感謝の表現としていた。
そして毒蝮や山藤章二や西丸震哉も壇上に上がり、座談会をしようということになり、円楽も呼ぼう、ということになったら、
楽屋から「円楽師匠、お帰りになっちゃいました」という声。
ヒーローは颯爽と登場し、ピンチを救うと、姿を消す、みたいな感じだった。
だけど、円楽の方が、先に死んだんだよな。
久しぶりに、「ひとり会」のビデオでも観てみるかな。↓。
二期のサインには、「遺言がわりに…」と書いてある。
2000年正月だから、上記の円楽が助っ人に来た頃だ。↓。
せっかくだから、メモ帳に書かれてる中味を少し紹介しましょう。
・野球好きの2人。先に死んだ方が、天国にも野球があるか知らせようと約束。
1人が死んで、約束通り(幽霊になって)やってくる。
「良い知らせと悪い知らせがある。良い知らせは、天国にも野球がある」。
生きてる方は喜び、<で、悪いのは?>、「来週の火曜、お前が先発だ」。
・「あなた!変なことすると妹を呼ぶわよ!」。
<じゃ、俺も弟を呼ぼうか?>。
・酒は人間を駄目にするのではなく、酒は人間が駄目だということをわからせるためのもので、
呑んで後悔するためにあるもの。
・「人生は真面目に生きなさい」って言うけど、「そうはいかないよね。いいんだよ、ちゃんとしなくって」というのが落語だった。
それが、近頃、みんな、ちゃんとしなくなって、落語家が「ちゃんとしよう」と言わなくちゃいけなくなった。これを「末世」という。
・「芸人ってのは、どんなにつらくても客にサービスをして」って言うでしょう?
オレ、そういうのないから。
嫌でしょ?オレがそんなことしても。お互い、嫌な思いしても。
・(横山ノックが訴えられた時)芸能界では、女の人が来たら、お尻触ってやるのが礼儀ですよ。
触り方に、センスがいるんですよ。
・オレん所に来る客は一筋縄でも二筋縄でもいかない連中。良く言えば、マニアック。
社会から認められてない連中。傷を舐め合ってるんだ。
・(国立演芸場での「ひとり会」は今日でおしまい。毎回「ひとり会」の券を買うのが大変だったという話から)。
「もう走らなくっていいから。ごめんね、苦労かけてるって知らなかった。
でも、知ってると、心配したり、変に優越感にひたったりするから。
また、どこかでやる。引退なんて言ってないし、できない」。
2000年3月9日。
・酔っ払って、最後にチンポコ出して踊ってるんだ。一緒に連れてった、(ビート)たけしも出すよ。
小朝は出さないんだ。ここに差がある。下品ね、って言われりゃ、それまでだけど。
円楽は出さないね。志ん朝は出すかな。勘九郎は出すね。意外に、染五郎は出すと思うよ。鶴瓶は出すね。
ざこばは、言う前に出すよ。こういうところに差が出るんだよ。
立川談志、享年75才。家元、今まで、色々とありがとうございました。
バレーの思い出
8/ⅩⅠ.(火)2011
前に、徳田さんがサッカーの代表戦を録画しそこなって観れなかったと残念がっていたことがあった。
誰か録画してる人はいないの?、と聞いたら、サッカーの様な種目はあまり録画・保存するものではないらしい。
それを聞くと、プロレス・ファンの収集癖は異常に映るかもしれないな。
でも、便利。見逃しても、誰か撮ってる(保存してる)からね。
先日、録画予約する際に、ワールドカップの番組があったから、念のために、徳田さんのために録画しておいた。
ちゃんと撮れてるか再生したら、それはサッカーじゃなくて、女子バレーボールだった。
お昼に徳田さんにその事を話して、<消していい?>と聞いたら、彼女は「先生は優しいですね。消して下さい」とやさしく笑った。
僕は、プロ野球とプロレス以外のスポーツはまったく興味がないので、オリンピックだろうとワールドカップだろうと見ることがない。
最近は、野球も観ないし、プロレスも観ない。総合格闘技くらいかな。
だから、どんなに有名な選手でも、スポーツ選手のことは呆れられるほど知らない。
でも、昔、野球・プロレス以外のジャンルで注目した選手がいたのを思い出した。
女子バレーの選手で、確か広瀬美代子とか言った。(名前、違ってたらゴメン)。
僕が高校生の頃、βービデオに自分の好きなシーンだけをよりぬきして編集してたことがある。
誰でも、経験あるでしょう?
僕は、「マイ・コレクション」というタイトルで3巻まで作った。
当時、僕は石野真子のファンで、石野真子が黄色いベレー帽を被った写真がジャケット・デザインのベスト・アルバムの
タイトルが「マイ・コレクション」だったので、そこから拝借した。
その「マイ・コレクション」の2巻に、
広瀬美代子がプロ野球ニュース(司会・佐々木信也)でインタビューを受けてる模様が収録されている。
合間合間に彼女のプレーが画像に映し出されるのだが、とにかくレシーブがすごいのである。
絶対、取れないようなものも拾うのである。
たとえば、観客席の方に飛んだボールもレシーブしてしまうのだ。マンガというか、サーカスみたいだった。
今、新宿の東口の地下通路に女子バレーの大会を紹介する大々的な看板とモニターがあるが、
そこで見て知ったのだが、どこかの国の代表選手(世界的プレーヤーらしい)は「アタックNo1」を観てバレーを始めたと紹介されていた。
すごいな、日本のアニメ。
でも、「アタックNo1」って、オレが小学生の時だぞ。
実写では「サインはV」(岡田可愛とかハンブンチャクが出てた)をやっていて、
昼休みに、女子は黒板の前で2人で向き合って対角線上に飛びながら、「X攻撃!」と叫んでいた。
オレは、それを教室後方でクラスメートに「卍固め」を掛けながら眺めていた。
きっと、日本中の小学校のお昼休みは、似たような光景だったんだと思うな。
ちなみに、マイ・コレクションは3巻で終わったが、その後は「パーフェクト・コレクション」とか「ミラクル・コレクション」とか
「ミリオンダラー・コレクション」というタイトルにした。
主な収録作品は、
「松田聖子が沖縄でコンサート中に襲われるシーンを、スーパージョッキーでビートたけしが笑いながら紹介してる」ものや
「野坂先生が、大島渚の記念パーティーの壇上で酔った勢いでパンチを浴びせ、
怒った大島渚にマイクで頭を叩かれるという逆襲に遭う」シーンや、
村上龍のトーク番組に忌野清志郎がゲスト出演するが2人とも話し下手で番組が成立しなかった、などなど、
今観ても、
「さすが!パーフェクト・コレクション!」、「本当に、ミラクル・コレクション!」、「まさに、ミリオンダラー・コレクション!」
と絶賛したくなるチョイスである。自分で、選んでるんだから当たり前かぁ。
全然、「バレーの思い出」じゃなくなってしまいましたね、すみません。
そうそう、今日は父の命日でした。ミーちゃんがいなくなって、もう1年かぁ。
映画の友
28/Ⅹ.(金)2011 くもり、少し寒い
芸術の秋、なので僕と映画について書いてみる。
僕は、アイデンティティーが危機的になると映画館に行く傾向があるみたいで、つまり映画の思い出話の巻です。
その1。浪人の頃、彼女だけ大学に受かって、僕は代ゼミに通っていた。
今くらいの季節かな、僕は成績が伸び悩み、着々と実力をつけていくライバル達に遅れをとり、
それを偏差値教育や受験戦争に嫌気がさしたと思い込み、「こんな奴らと、一緒にいられるか!。
人間の顔など見たくない」と思い、ある週の始まり、授業をエスケープして、衝動的に動物園に行くことにした。
代々木から上野なんて山手線に乗っていれば、連れて行ってくれる。
もっと早いルートもあるかもしれないが、急ぐ旅でもない。山手線でグルリと行こう。
上野動物園に着くと、月曜日は休園だった。
フラれた気分で、不忍池のあたりを一周してると、ピンク映画館を見つけた。
ピンク映画とは、成人向けのポルノ映画のことである。
「動物に会えないなら、せめて獣みたいな人間を観よう」と古臭い映画館に入った。
ストーリーは、希望に燃えて上京してきた少女が、悪い男に騙され、性に溺れて、あげくには毛じらみを伝染されて、
下の毛を剃って終わるという、確か『毛』というタイトルの映画だった。
観終わった僕は「このままではいけない」と、正気に返り、慌てて家に帰ってモーレツに勉強した。
その2。僕は精神科医になりたくて医学部に入ったが、いきなり精神科の授業はない。
一般教養や基礎医学から始まる。
体中の骨の名前を日本語と英語とラテン語で覚えたりする。
生理学や生化学など、理科の実験の親玉みたいなこともしなくてはならない。
精神科医になりたい僕には、苦行でしかない。
自分だけうまくいかなくて嫌気がさして、「こんなことをしたくて大学に入ったんじゃねえよ!」と1人で切れて、
ある週の始まり、実験をエスケープして、衝動的に新宿に出た。
理由は簡単、高校の頃、よく遊んでた街だから。
新宿をブラブラしてたら、ピンク映画館で「薔薇族映画3本立て」という看板を見つけた。
薔薇族とは男性同性愛者向けの雑誌のタイトルで、つまりホモの映画の特集をやっているという告知であった。
僕は、どうとでもなれ、という気分だったので迷わず入館した。
客は、僕の他は美人の女性の2人組みだけだった。
観客は3人、映画が始まった。
ストーリーは、原爆の被爆者である2人の男がお互いの孤独に惹かれあって、愛し合ってゆくというもので、
全編にしとしと雨が降っていて、憂鬱なフィルムだった。
僕は「安易な気持ちで踏み入ってはいけない領域もあるのだ」とカルチャーショックを受け、学校に戻って、
実験の後片付けに合流した。
その3。上級生になると病院実習が始まる。色んな科を回って実地の診療を見学するのだ。
色んな科には色んな医者がいて、中にはすごくインケンな指導医もいて、ことごとく僕に意地悪をした。
まぁ、元はこっちが生意気だったのが原因なのかもしれないが、もしそうなら大人気ない奴だな、そいつは。
僕にだけものすごい量の宿題を出した。
休みの日も教科書とニラメッコだ。
そんな休日の過ごし方にも嫌気がさし、
丁度、大森キネカという映画館で寺山修司の実験映画の特集をしていたから気分転換に観に行った。
その日は、『書を捨てよ町へ出よう』が上映される日で、僕にはピッタリのタイトルで、
このグッド・タイミングは僕の正当性を立証されてるような気分になった。
映画館は日曜ということもあり、割と混んでいた。
奥の席の手前に空席を見つけそこに座ろうとすると、奥の席の客は若いお洒落な女の子だった。
こんな子が1人で寺山修司の映画なんか観るのかな?と思って、
<隣あいてますか?>とたずねると、丁寧に「どうぞ」と言った。
だから僕も丁寧に、<どうも>と返した。
ストーリーは、最初に主人公が画面いっぱいに正面から映し出され、客席に向かってアジるのである。
何しろ、「書を捨てよ町へ出よう」である、まず行動しろ、ということで具体的な提案を延々と訴えるのである。
すごい迫力である。
そして、主人公は「そこの君、まず隣の女の子の手を握ってみろ!」と言うから、僕は焦って、隣の子の様子を伺うと、
その子もこっちを見ていて、目が合って、二人して同時に笑った。
それから僕はその子と帰りにお茶をして、友達になった。
その4。数日後、彼女から千石の三百人劇場でルイス・ブニュエルの映画があるから一緒に行こうと誘われた。
ルイス・ブニュエルの「アンダルシアの犬」は寺山修司の年表にも登場するので、寺山つながりとして抑えておこうという訳だ。
タイトルは、『銀河』という異端キリスト教徒の話であったが、やや難解だった。
帰りに、お茶をして彼女から感想を求められたから、
<むずかしかったな>と答えると、「嘘!つまんなかったんでしょう?」と言われた。
図星で、この子は読心術の使い手か?、とヒヤッとしたが、そんなことはなくて、実は彼女も「つまらかった」んだって。
それから僕らは、面白い映画ってなんだ?、という話になり、結構ややこしい方向に彷徨ったりしたが、
最終的には喜劇映画の話になった。
今度の土曜の夜、浅草の六区の映画館でクレージー・キャッツの5本立てのオールナイトをやるから観に行くと僕が言うと、
彼女も是非連れって行ってくれと言う。
前から興味はあったが、女の子が1人で行くにはハードルが高かったというのだ。
その5。その日のラインアップは大したものだった。
一本目が『ニッポン無責任時代』で二本目が『ニッポン無責任野郎』である。
この2本は、川原達二が選ぶ日本の喜劇映画10本に間違いなく選出される作品で、
そんな架空のランキングなどどうでもよくて、
この2本はそれぞれが面白いのだが、話がつながっているから続けて観ると何倍も面白い。
まだ観てない人は、観るといいです。
順番を間違えないようにね。「~時代」、「~野郎」の順です。
当時の浅草はロックスが出来て集客に意欲を見せていたが、僕らの仲間は滅多に行かなかった。
皆、新宿や池袋は渋谷で遊び、お洒落な人が六本木や原宿あたりをうろついていた時代だ。
ビートたけしが、ギャグで「E・T」を観ようと映画館に行ったが銀座も新宿もどこもいっぱいで入れなかったが、
浅草の映画館はガラガラだったと言っていた。
勿論、たけし一流の浅草への愛情表現だと聞くものには伝わっていた。
かつての浅草からは多くの喜劇人が輩出された。
そんな喜劇の本場でクレージー・キャッツの映画を観るのである。
期待は膨れ上がってくる。
この日は、浅草に黄金時代が再現されたようだ。
こんな豪華な企画を放っておく馬鹿もないもので、その日の映画館はオールナイト映画にしては大入りだった。
後で判るのだが、大抵の人はこの2本を観たら帰ってしまった。終電もなくなるからね。
僕らは、朝まで観るつもりだから、まずは腹ごしらえ。
駅構内の焼きそば屋で、焼きそばを1人前とビールを2本たのんで、
焼きそばをを半分づつつまみにして、ビールを飲んだ。
その後、糸井重里がやっている団子屋がロックスにあるから、そこへ行きたいというので行ってみた。
孔雀なんとか、という店の名前だった気がするが、違ったらごめん。
話を映画に戻そう。
映画館は異様な盛り上がりで、彼女も嬉しそうにゲラゲラと笑いころげてて、僕は内心、ホッとした。
2本が終わると、彼女は輝いた顔をして、「スゴイね!」と興奮していた。
それと同時に、ゾロゾロと多くの客が帰って行った。
この映画館で夜を明かすべく残ったのは、僕ら2人と酔っ払って寝てる浮浪者みたいな何人かと、
そもそもここが寝ぐらなのでは?、と疑いたくなる本格的に寝ている何人かだけになった。
空気がガラリとかわり、彼女の表情も同様に変わった。
不安そうだったので、<大丈夫だよ>と僕が言うと、「やっぱり1人じゃ来れないわ」と彼女は苦笑してみせた。
3本目は、「日本一の色男」だったかな?。彼女の反応は、イマイチだった。
4本目は、クレージー・キャッツの後期の作品でドリフの加藤茶が準主役級で出てる映画で、
彼女はついにこの映画の途中で眠り出し、とうとうこの映画館で映画を鑑賞している客は僕1人になった。
ラストの5本目は、『喜劇泥棒家族』という映画で、僕も初めて観る作品だった。
ストーリーは、ある島の住民は全員が泥棒で、時々、船で本土へ行っては集団で泥棒をして生計を立てていた。
その島の泥棒のボスが植木等で、植木は昔、警察に捕まって拷問を受けて片足が動かなくなって、杖をついていた。
警察はいよいよ本腰を入れてこの泥棒達を捕まえようとし、島に乗り込んでくるのである。
圧巻は、男どもが次々に逮捕される中、最後に残った植木等が刑事に追い詰められるシーンである。
なんと、植木等はそこで杖を捨て、動かないはずの方の足をヒョイ・ヒョイ・ヒョイと動かしてみせ、
画面いっぱいに満面の笑みを浮かべ、空を飛ぶ鳥のように、海を泳ぐ魚のように、活き活きと走り回るのである。
植木等、健在!という感じだ。
何だか僕は、この僕以外は全員が寝てる映画館で、1人、感動していたのである。
結局、泥棒は全員捕まり、働き手(と言っても泥棒だが)を失った島は女と子供だけになった。
警察は、泥棒は逮捕したが、盗まれた金品を島から見つけ出すことは出来なかった。
ボスである植木等が、決して口を割らなかったからである。
ラストは、自転車の練習をしている子供に女たちが、気をつけなさいよ、と声を掛ける。
子供は、それでもよろめいて、電柱にぶつかって転んでしまう。
ほら~、言ったばかりでしょう、と女たちが駆け寄ると、自転車の前のライトのガラスが割れて、
中から金銀財宝が顔を出していた。
植木等は警察の目を誤魔化すためにここに隠していたのだ。
驚く女たち。
キラキラと輝く宝石のアップで映画は終わった。
不覚にも僕は感涙して、少し落ち着いてから、彼女を起こして映画館を出た。
犬一匹、猫一匹いない。カラスも鳴いていない。
無人街の浅草六区は、真っ白い朝もやに包まれていた。
僕は朝もやと瞼に焼きついたキラキラの映画のラストシーンの両方を自分の未来と重ね合わせて、
先はみえないけど何とかなる、と根拠のない確信を得て、頑張ろうと心に思ったんだ。
BGM. シカゴ「朝もやの二人」
アイドルを探せ
29/Ⅸ.(木)2011 一日、クリニックの外に出ていないので今日の天気はわからず
Oさんに昔のアイドルのグッズを取り扱っている店を教えて貰った。
ナカナカの充実振りだそうだ、今度行こう。
何かの映画の中で、監獄で生活をする人がピンナップ・ガールの写真を壁に飾り、
苦しい時間に耐えるという描写があったが、いつの世もアイドルにはそういう存在理由があって、
だからアイドルは素晴らしい職業だと思うし、アイドルにお金を消費するのは人生において必要経費だと思う。
そんな僕は、中学3年の頃、東中野のマンションに兄と2人で住みだした頃で、
それは実家から毎日当校するのが大変だからで、
でも実際は、週の大半を母が面倒を見に来てて、
だから父は1人茅ヶ崎で家族のために稼いでいて、そんな両親に感謝をすべきなのだが、
子供は子供で大変で、中3の僕は、特に何があったという訳ではないのだが、
絶望的な気分で毎日を送っていた。
きっと、クラスメートや教師や家族にも気付かれなかったが、暗澹たる日々だった。
その頃、僕の生活を支えたのは、一枚のアイドルのポスターだった。
そのアイドルとは、山口百恵だ。
山口百恵はシングル盤では、「秋桜」を歌ってる頃で、もうアイドルというより賞レースの本命になる王道の歌手で、
「横須賀ストーリー」以来の本格派ポップス路線から、「百恵神話」へと移行してゆく途上だった。
僕は、前にも書いたが、「中3トリオ」の3番手の頃の山口百恵が好きで、
その後の売れ線路線にはあまり好感を抱いていない。
それは僕がひねくれ物のマイナー志向だからではなく、第一、山口百恵はマイナーじゃないから。
それでも、僕を支えてくれたその時の山口百恵のポスターとは、
当時の山口百恵としても、当時のアイドルのポスターとしても、少し風変わりだった。
それは、白いブラウスに茶色のスカートをはいた普段着の格好で、
ポスターのくせにこちらの目を見ずに脇の方を向いている。
その視線の先に何があるかは、ポスターに写っていないので想像するしかないのだが、
おそらく他愛も無いものにちがいない。
それは近くのキレイなお姉さんみたいな風体だった。
東中野のレコード屋で、『花ざかり』というお花をテーマにした歌ばかりを集めたアルバムを買ったら特典としてもらった。
僕は、毎日、このポスターに見守られ、中3の一年間を皆勤賞で過ごした。
ちなみに、『花ざかり』は「川原達二の選ぶ10枚のアルバム」という企画があったら絶対に選出されるであろう作品だ。
そんな有りもしない企画などどうでもよくて、今はとても便利な時代でヤフオクとかに色んなものが出品されていて、
こないだ、ついに僕はこのポスターを入手した。
懐かしいな。
嬉しいな。
意外と安くて驚いた。
思い出は、お金では計れないということだ。
今更だが、うちのクリニックは僕の部屋に来て貰うというコンセプトなので
(「徹子の部屋」とか「さんまのまんま」みたいな感じ)、堂々と僕の好きなものを飾ったり貼ったりして、
皆さんに見せびらかしてる訳ですが、このポスターは自分の為だけに貼ろう。
どこにしようかな?。やっぱり診察室がいいな。
僕から見えるところに貼って、あの頃のように山口百恵に見守って貰おう。
何もかも、うまく運ぶはずさ。
だから皆さんは気付かれないかもしれませんが、隠すような物でもないので、興味があったら言って下さいね。
こっそり、教えてあげます。
BGM. 山口百恵「言わぬが花」
※山口百恵・関連記事~2010年6月「ヰタ・セクスアリス」、良かったら見て下さい。