5/Ⅴ.(水)2010 はれ
古いβのビデオを保存目的でブルーレイにダビングして過ごす。
中でも、面白かったのは「気分はパラダイス」。
MANZAIブームの終わり頃で、多分今から30年くらい前の番組。
若かりしビートたけしと島田紳助が「どうやって芸能界に生き残るか?自分たちは生き残れるか?」
ということを公共の電波でずっと相談してる内容だった。
たけしも紳助も未来を知らない。答えを僕は知っている。
「君たちは大丈夫だよ」とブラビアに向かって話しかけてみた。
たけしは丁度、足立区バンドというコミックバンドを作った頃で番組の中で「紳助の影響でバンドをやったんだよ」と告白した。
紳助は今後について「8ミリ映画に挑戦する」と語っていた。
たけしは「映画?」と言ってポカンとしていた。
勿論まだこの時点でたけしは自分が映画を撮るとか「世界の北野」になることを知らない。
ついでに言うとフライデー襲撃事件もバイク事故で顔面麻痺になることも知らないのだ。
だから紳助の影響でバンドをやったように、この会話をきっかけにたけしの頭の中に、
「映画かぁ」なんて選択肢が増えたのなら面白いな、と思った。
さばの塩焼き、行者にんにくのおひたし、たけのこの味噌汁を食す。
BGM. ザ・ジャガーズ「君に会いたい」
らくだ
4/Ⅴ.(火)2010 はれ
よみうりホール「立川志らく 25周年記念公演 独演会 スペシャルゲスト:立川談志」に行く。
談志は「昔は師匠がいいと、いい弟子は育たないと思っていた。でも、志の輔、志らく、はる(談春のこと)、
最近では談笑あたりが出てきて、これだけの弟子を育てたことで己の存在意義はある」という趣旨のことを言っていた。
数日前、談志はたけし、太田(爆笑問題)と3人で鰻屋の離れで呑んだらしい。
その時、太田が若い頃、談志に「お前はこのスタイルでやってていい」と言われて非常に安心した、という話をしていたという。
志らくは、談志に「人情噺はするな」と言われて言われた通り、「人情噺はしません」と言って「らくだ」を演じた。
話は全然変わるが、日本に初めて「らくだ」が来た時はつがいで来たらしい。
大変、珍しい動物で話題になったから、当時はアベックで出かけると
「おっ、今日はらくだかい?」などとからかわれたと何かで読んだ記憶がある。
BGM. ザ・フォーククルセダーズ「コブのない駱駝」