焼肉小倉優子

2/Ⅶ.(金)2010 はれ
小倉優子の焼肉屋が訴えられてる、と週刊誌に出ていた。
「居抜き」で使ったからどうのこうの、というあまり大した事件でないから良かった。
お店には、僕も一度行ったことがある。
新宿駅からコマ劇場に向かう途中のビルの上の方に大きな看板があり、
「焼肉小倉優子」の文字とゆうこりんの笑顔。
小倉優子を認知したのは、よみうりランドのポスターに起用された時だ。
当時、小田急線を利用してた僕は毎朝見かけた。
・水着姿でプールサイドに無表情で座り小首をかしげて、
「学生、来て来て!安くするわよ」と入園料学割。
・水しぶきを浴びる絶叫マシンで髪を逆立てて悲鳴をあげ、
「ヤダーッ、こんなにビショビショ」。
・暗がりで怯えながら、
「一日三回もなんて…。もう許してぇ!」はお化け屋敷。
さすがにこれはマズイだろうな、と思ってたら案の上、差し替えになった。
12チャンの夕方の帯番組「シブスタ」でライセンスと、
後番組「ぶちぬき」で雨上がり決死隊と組んで司会を勤めた。
僕個人は色々ときつい時期で、どれだけこの番組に救われたかわからない。
毎回録画して観た。
こりん星キャラが完成していく過程が見れた。
CD『フルーchu・タルト』の一曲目、「ビタミンLOVE」で毎朝、起こしてもらった。


恵比寿のリキッド・ルームでやったシークレット・ライブにも行った。
「ビタミンLOVE」は2曲目だった。
オール・スタンディングなので前の方で観れた。
この頃の、小倉優子は可愛かった。
小倉優子の失策は、何かのインタビューでコスプレをちょっと馬鹿にする発言をしたことだ。
ゆうこりんはコスプレ写真集も出してたのだから、間接的に、ファンを見下した発言だった。
その結果、ファンは中川翔子に流れた。
あっ、この場合のファンは僕です。
そうは言っても、昔のよしみ、小倉優子がイジメられたら知らん顔もしてられない。
僕が開業する時、前の病院から独立祝いに防災ポスターを貰った。
今もクリニックの喫煙所に貼って、火の用心を呼びかけてもらっている。


清志郎も初期のRCサクセションの「けむり」という歌で、
♪火のないところにも煙は立つものさ~♪と歌っている。
頑張れ、小倉優子。
BGM. 小倉優子「だいじょうぶ…」


サタデー・ナイト・ラヴァさん~ジューン・ブライド

30/Ⅵ.(水)2010 ハレ晴れ
ジューン・ブライド「6月の花嫁」、6月に結婚した花嫁は幸せになるという。
ヨーロッパでは古い伝承のようで、ローマ神話の結婚の女神Junoにあやかったとか、3~5月が結婚を禁止し
6月は解禁月だからとか、欧州では6月が一番雨が少なく天候がよく復活祭もあり祝福ムードが高まるとか。
でも、日本でジューン・ブライドを広めたのは間違いなく「よしだたくろう」だ。
ヒット曲「結婚しようよ」の歌の通り六文銭の四角桂子と、6月に教会で白いスーツを着て結婚式をあげた。
それが若者の結婚式の一つのスタイルになった。
結婚は幸福、祝福だけとはかぎらない。
面白くないと思ってる人もいる。まして、それが想いを寄せてる人なら…。
流行歌にはそういうテーマがよくあって代表曲はシュガーの「ウエディング・ベル」と早川義夫の「サルビアの花」だ。
シュガーは80年代に流行った3人組のガールズ・グループで、僕はファンでシングル・レコードを全部持っている。
「ウエディング・ベル」は元恋人の結婚式に呼ばれ祭壇の一番隅で二人の幸せを見せつけられ、
♪クタばっちまえ、ア~メン♪と、ハーモニーを効かせ全員で小首をかしげるポーズを決めるのが可愛い、
80年代OLのサバサバした心境を歌ったヒット曲だ。
一方、早川義夫は60年代のGSの中でも異彩を放つ存在の「ジャックス」のリーダーで解散後は岡林なんかに楽曲提供もしていた。
そんなことはどうでもいい。問題は、早川義夫のソロ・アルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』である。
まずは、このレコード・ジャケットを見て味わって欲しい↓。

このA面の5曲目に「サルビアの花」が収録されている。
オケはなく、早川義夫がピアノで弾き語りをしているが、その迫力に凍りつく。
早川義夫の歌唱法は独特で、口の中で言葉をこねくり回し、陰湿というか恨めしい。
「サルビアの花」の歌詞は、♪扉が開いて出てきた君は偽りの花嫁。頬をこわばらせ僕をチラっと見た。
泣きながら君の後を追いかけて花吹雪舞う道を、転げながら、転げながら、走り続けたのさ~♪、である。
60年代の色恋のもつれの怨念じみたものが見事に描写されている。
シュガーの「ウエディング・ベル」と続けて聴いて比較することをオススメしたい。
以前、BS-NHKのフォーク特集でゲストの早川義夫が「サルビアの花」を歌っていて、
演奏終了後にアシスタントの岡部マリが「こわ~い」と震えあがり、司会の坂崎幸之助が苦笑していたのを覚えている。
僕は大学の頃、「ローランド・大人のためのピアノ・スクール」というのに1年間だけ通ったことがある。
渋谷の、今のアニメイト・コミック館の坂を登りきったジョナサンの付近にあった。
毎週土曜日の夜レッスンに通った。
マリコ先生という大学を出たくらいの育ちの良さそうな美人が僕の担当だった。
僕は子供の頃少しピアノをやっていたし、中高はブラス・バンドにいたから譜面も読めた。
だからレッスンは「好きな曲を弾けるようになろう」という目的にした。
そこで僕は早川義夫の「サルビアの花」弾き語りバージョンがやりたい、と言い出した。
当時は、スコアなんてものは売ってないから、マリコ先生にレコードを貸し譜面におこしてもらった。
それがこれ↓。懐かしい。

ピアノを始めて半年くらい経って、医学校の同級生・レレちゃんとマリコ先生が女子高時代の友人だと判明した。
僕はちょっと恥ずかしかった。
レレは、鬼の首を取ったように得意気だった。
僕は大学が忙しくなりピアノをやめた。
自動的に、マリコ先生とは会わなくなった。
何年後か、マリコ先生の結婚パーティーがあり、僕は当日レレに連れられパーティーに顔を出した。
僕はあまり気が乗らなかったが、レレが強引だった。
「サルビアの花」の男が来た、と嫌われないかと不安だったが余計な心配だった。
マリコ先生は、ノーブルなウエディング・ドレスで僕の飛び入りをとても喜んでくれた。
僕も嬉しかった。
レレに感謝した。
BGM. RCサクセション「マリコ」


行方不明

24/Ⅵ(木).2010 はれ
蒸発者に憬れたことがある。安部公房の『燃えつきた地図』とか三島由紀夫の『音楽』とか。                                      皆さまがたにおいてはW杯で盛り上がってらっしゃるところ、なんなんな話題でしょう。
何の不自由もなく、一見幸福そうにさえ見えた男が突然姿を消した。
行き場所も告げず、書き置きもない。
懸命な捜索、やっとの思いで男を見つけ出した。ドヤ街みたいな処にみすぼらしい姿でいた。
でも、声はかけなかった。
なぜなら、今までのどんな瞬間よりも男の顔が幸福そうに見えたから。
そんな話に憬れた。
「蒸発者」にではない。
「身内や友人に親身に心配される存在」を夢想した。
だから、もし僕が「蒸発者」だったら、自分を必死に探し回る家族や仲間の心配顔を、物陰に隠れて、                                かくれんぼする子供みたいに、「あっ、来た来た」なんて喜んで見るに違いない。
これじゃ、蒸発者失格だ。
そんなことを考えてたのが10代の終り頃、我ながら幼稚である。
昔、wowowでシティーボーイズの舞台『丈夫な足場』というのを観たことがある。
蒸発者の集いがあり、各々がどういう経緯で蒸発するに至ったかを、時間軸や座標軸をシャッフルして、
つぎはぎにして、最後に話が繋がるというものだ。
面白かった。DVD、出てるかな?
「蒸発」に似てるものに「神隠し」がある。
神隠しといえば『ピクニックatハンギング・ロック』という映画だ。
1900年のオーストラリアの寄宿制の女子学校が舞台。
先生に引率された一行が、岩山ハンギング・ロックへピクニックに行く。すると、ちょうど12時に時計が止まって、
少女達がいなくなってしまう事件の顛末が筋。
意味深だなと思ったのは、1人だけ岩山に吸い込まれなかった子がいて、その子があまりかわいくない子として、
非常に差別的に描かれていたことだ。
神隠しにあうのはきれいな子だけ、きれいじゃない子はだめ~っていう。 
「選ばれなかった子」は、事件の「証人」の役割をさせられた。
なんか、意味深でしょ?
BGM. よしだたくろう「かくれましょう」


聖地巡礼

23/Ⅵ.(水) 雨のウエンズディ
4時に目がさめる。早朝覚醒。外は雨。気分は憂鬱。
憂鬱といえば、涼宮ハルヒですが、春休みに「消失」の映画化を記念して来阪しました。
長門のマンションや、キョンが毎日文句を言いながら通う急な登り坂の通学路や、北高や、
みくるがキョンに未来人だと告白した公園とか、光陽園学園とか、映画「消失」で古泉がキョンに
「うらやましいですね」とつぶやく声が踏み切りの音でかき消されてしまう場面の踏み切りとか、
その直前にハルヒと古泉とキョンが入ったサイゼリヤとか、
古泉とキョンが閉鎖空間に侵入するスクランブル交差点、などなどを観光してきて楽しかった。
また行きます。
下の写真は、北高。

制服姿の女子が駆け上がってきそうだ。
BGM. 猫「雪」


バターになりたい?

18/Ⅵ.(金)2010 快晴のち雨
これから雨が続くそうで嫌になりますね。
ゆううつになるし、この世から取り残されたような淋しい気分にもなります。
孤独感。ひとりぼっちは、さみしいですね。
今日は、手の痺れと胃の調子が悪いから南波先生に鍼と温灸をしてもらいました。
だいぶ良くなった。
中学の頃、TV番組から伊東四郎と小松政男の「シラケ鳥」というのが流行した。
そのギャグ自体は別に面白くも何ともなかったのだが、
燃える男・長嶋茂雄が引退したりして世の中全体が燃え尽きてシラけた世相を反映して、
ウケてたのではなかろうか。
中学生にもなると、「シラケ鳥」は幼稚でシラけ気味であったが。
その後、時代は校内暴力とか「金属バット事件」に代表される家庭内暴力や
暴走族など殺伐とした風景に様変わりして行った。
するとコナイダまでラジオの深夜放送で
「天才・秀才・バカ」というくだらないコーナーで人気のあった谷村新司の率いるアリスが
「冬の稲妻」のヒットを皮切りに爆発的な支持を得たのはよいとして、
ちょっと隙を見せたら武道館で「美しき絆~ハンド・イン・ハンド」などという観客同士が
手と手をつなぎ合い絆を深めるという新興宗教みたいなライブをおっぱじめた。
「3年B組金八先生」がスタートしたのも同じような時期だ。
コナイダまで「ジョーダン!ジョーダン!ジョ~~ダン!!」なんて、
西城秀樹のYMCAをおちょくってJODANという歌を冗談半分に体でアルファベットを作りながら歌っていた武田鉄也が
熱血教師に扮し「‘人’という字は支え合って出来ています。人間は1人じゃない」と熱く語り、
そのフレーズが本当はさびしいだけでやり場のない怒りを
社会に向けるしかなかった不良達の心のブラックホールにピタっとはまった。
孤独に悩むたくさんのひとりぼっちが「金八」や「アリス」という箱舟に飛び乗った。
一方、それに乗り遅れた若者たちもいた。
「金八」や「アリス」に偽善の香りを嗅ぎ取ったり恥ずかしさを感じ
、直感的に「この舟に乗るのは危険だ」と察知したのだ。
現実は定員オーバーで乗りそびれただけかもしれないが…。                       
そこにビートたけしが登場した。
衝撃的とはこういうことを言うのだろう。
たけしは世間のウソや誤魔化しや偽善を、たけし自身にも内包していると告白しながらも、
露悪的に毒ガスという風刺の効いた笑いに昇華した。
「金八先生、すごいですね~。‘人’という字は支え合うって、‘入る’っていう字になっちゃった。弱っちゃうな~」。
ヒーローに思えた。
僕が今でも忘れられないのは、ある日のオールナイト・ニッポンで、
「アリスってのもすごいですね~、ハンド・イン・ハンドだって。君たちは1人じゃない、って、バカ野郎!
人間みんな1人なんだよ!1人じゃないのはシャム双生児くらいだ!」とやった。
シャム双生児とは体が結合している双生児のことだ。
こんな放送を聴いていたら、聴いてるものも同罪として罰せられるのではないかと心配した。
しかし、そんなことはなかった。
それどころか、世間はビートたけしを歓迎した。
特に「知識人」は率先して評価した。
たけしを評価することが‘インテリげんちゃん’としての評価につながった。
しかし、最も驚くべき現象は「金八」や「アリス」の人気も落ちなかったことだ。
つまり、たけしと金八・アリスのファンが重複したのだ。
想像してごらん(by ジョン・レノン)~、金八に感動しアリスのライブで手を取り合った奴らが、
翌日のTVでたけしに昨日のことをバカにされ大笑いしてるのである。
ある種の贖罪の儀式か?
勝ち残るのは大衆ということか?
密かに、僕は奴らと一緒に笑ってることで知らないうちに汚染され同化してしまうのではないかと恐怖した。
ま、そうなったらそうなったでひとりぼっちではなくなるのだが、
みんなと溶け合ってバターにはなりたくなかった。
ところで、醍醐というのは「バター」のことで醍醐天皇が好きだったからそういう名前になった、
とタモリのオールナイト・ニッポンで聴いて知った。
あくる日、国語の授業で先生が同じ話をしたからたいそう驚いた。バター、豆知識でした。
BGM. 高橋美枝「ひとりぼっちは嫌い」


W杯勝利記念 『作戦勝ち』

15/Ⅵ.(火)2010 はれ
僕はまったくサッカーを見ないが、さすがに日本がカメルーンに勝ったというニュースは見た。
戦術やゴールがどのくらいスゴいのかはわからないが、詳しい人に聞くと「作戦勝ち」らしい。
作戦にも色々あろうが、圧倒的な兵力の差がある相手と戦う時に有効なのは頭脳戦である。
おそらく頭脳戦とは、
①心理的な罠を仕掛け
②精神的に苛立たせ
③相手の持ち味を封じ込め
④攻撃を空回りさせ
⑤動きが雑になったところを仕留める、クレバーな兵法である。
かつて僕は、頭脳戦のお手本みたいな試合を観たことがある。
それは、ジャイアント馬場vsスタン・ハンセンの一戦だ。
全盛期を過ぎた馬場は勢いに乗るハンセンに破れPWF世界ヘビー級ベルトを奪われた。
リターン・マッチが組まれたが、もう誰も馬場が勝つとは思わなかった。
しかし、馬場はここでハンセンにものすごい頭脳戦を仕掛けたのだ。
タイトルマッチが決まった日から、報道陣に「次の試合に秘策がある。
ハンセンがウエスタン・ラリアートを仕掛けて来た時に‘16文ラリアート’を打つ」と言うのだ。
それを伝え聞いたハンセンは慌てた。
「ナニ?‘16文ラリアート’だと?16文は馬場の足のサイズだろ?ラリアートは腕を使う技だ。
どうやってやるんだ?そもそもラリアートは俺様の得意技だ!」と激高し、記者たちに八つ当たりした。
ジャイアント馬場は余裕しゃくしゃくに
「ま、当日を楽しみにしてよ」と太い葉巻を吹かし、記者たちの質問を煙に巻いた。
ハンセンのイライラがピークに達した頃、決戦の火蓋は落とされた。
普段のスタン・ハンセンの試合ではなかった。
いつものハンセンらしい破壊力が陰をひそめた。
‘16文ラリアート’を恐れるばかりに踏み込んだ攻撃ができないからだ。
その為、馬場に決定的なダメージを与えられないのだ。
一進一退の攻防の中、正直ここまで馬場が善戦するとは思わなかった、
不用意に飛び込んだハンセンをクルっと馬場が「小包固め」に丸め込んで3カウントを奪って勝利した。
「小包固め」とは、
相手の首に自分の腕を巻きそのまま自分の足を相手の足にひっかけクルっと前転させエビに固めるセコイ技である。
馬場は勝利者インタビューで、「16文ラリアート?そんなモン無いよ。16文は足のサイズ、ラリアートは腕を使う技。
出来る訳ないだろう」と笑い飛ばした。
ハンセンは‘16文ラリアート’という亡霊に負けたのである。
馬場の談話を伝え聞いたスタン・ハンセンは「ガッデム!」と悔しがったという。
お昼に、徳田さんからトゥーリオが日本に来て仲間と溶け込むまでの苦労話と
トゥーリオは実は日本に帰化していて「〇〇〇」という漢字の名前であることを聞いた。
「〇〇〇」は覚えていない。
そう言われて思い出したのだが、
沢村栄治と並ぶ戦前の巨人軍のエースだったスタルヒンは戦時中は
「須田博」という漢字の名前にしたそうな。
BGM. ザ・プラターズ「16トン」


キース・ムーン☽

14/Ⅵ.(月)2010 雨がしとしと
「鳥」からキース・ムーンの生涯を映画化するという噂を聞いた。
キース・ムーンはザ・フーのドラマーで「奇人」「壊し屋」としても有名。
あるパーティーの会場でキース・ムーンの姿を見かけたミック・ジャガーは、
慌てて逃げ帰ったという話が有名である。
「けいおん!!」の3話目くらいで、ドラムの田井中律がスランプに陥った。
理由は、ドラムはスポットライトが当たらない目立たない存在であるからだった。
楽器を代えようかと、ギターやキーボードにも挑戦した。
しかし、律ちゃんは中学時分に好きだったザ・フーのビデオを夜通し観て、自分にはドラムしかない、
キース・ムーンに憧れてドラムを始めたのだ、という初心を思い出し立ち直るという、ちょっといい話だった。
でも、律ちゃん、キース・ムーン好きだったんだぁ。
田井中律はもう高3である。
律ちゃんの一個下の学年にあたる「鳥」は、動画サイトでディズニーの「ピーターパン」を観ていたら、
キース・ムーンに似ているな、と思って興味を持ち色々調べたという。
16歳は勉強盛りだ。彼から聞いた逸話で面白いものを紹介しよう。
題して『~キース・ムーン 奇才ドラマー~』。
①自宅からわずか500m先のパブに行くのにもヘリを飛ばしていった。
②ホテルのロビーに車ごと突っ込んでフロントに一言「キーをくれ」。
③オランダのユダヤ人街でロンメル将軍のコスプレをする為にナチスの制服を着て闊歩し、殺されかけた。
④スティーブ・マックイーンは、隣に住んでいたキース・ムーンが夜中にジャンプ台を使ってモトクロスで爆撃してくるので、塀を高く作り直した。すると何故かキースは自分の家側の塀をそれよりも高く作り直した。
⑤オノ・ヨーコのスカートをまくりあげた。
⑥自宅のプールにロールスロイスを沈める。
⑦自宅の門を入るとすぐプールになっていて、知らずに車で入ってきた友人はそのまま水没した。
⑧奇抜な格好でレストランに入ろうとして追い出されると、その店を買い取って自分を追い出した店員をクビにした。
⑨「自分が死んだ」と嘘の電話をメンバーや仲間にメイドを使って電話をかけさせ、あわてて駆けつけた知人が来ると死んだふりをした。実際、本当に死んでしまった時、ザ・フーのメンバーはキース・ムーンの親まで葬式に来てるのを見て「マジなのか?いや棺桶を突き破って出てくるに違いない」と思っていたそうだ。
キース・ムーンは、
1978年、ポール・マッカートニーのパーティーでいつものように羽目を外し、
オーバードラッグ&大酒を呑み、翌朝自宅のベッドで冷たくなっているのを婚約者に発見された。
享年、32歳だった。
BGM. 河合奈保子「ムーンライト・キッス」


ヰタ・セクスアリス

13/Ⅵ.(日)2010 はれ
山口百恵の『百恵白書』というLPに「いた・せくすありす」という曲がある。 
『百恵白書』は、全曲宇崎竜童作曲・阿木耀子作詞の当時のアイドルのLPとしては異例の、
シングルカット曲なし、というトータル・アルバムだった。トータル・アルバムなんて言い方も古いが、
要は一つのコンセプトを持った作品集という意味だ。
フィル・スペクターの「クリスマス・アルバム」や、
ビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」、
ビートルズの「サージェント・ペパーズ」などが代表と言えば理解るだろうか。 
当時の歌謡界はシングル・レコードに重きを置いていて、
特にアイドルのLPなんてシングルが溜まったらベスト・アルバムみたいにして出すか、
洋楽や人の歌を歌う(カバーなどという概念はない)手抜き感が満載だった。
ポール・モーリアの曲に適当な歌詞をつけて歌っている人もいた。天地真理だ。持ってる。
話を戻す。
日本の歌謡曲でトータル・アルバムと言ったら、
フォークルの「紀元弐阡年」とタイガースの「ヒューマン・ルネッサンス」くらいではないか。
フォークルは歌謡曲じゃないか。そんな中、『百恵白書』は突然変異みたいにポンと世に出た。
帯には、
「このアルバムは私の分身、この中に18歳の、そう制服をぬいだわたしのすべてが入っています」と書いてあったが、
その煽情的な文句でさえが生ぬるく感じた、その内容は赤裸々で中学生だった僕には衝撃的だった。
まさに‘赤い衝撃’だ。
僕は薄幸そうな百恵のファンで、かねてから百恵が「私」という言葉を「アタシ」と発言するのがアバズレみたいで好きだったが、
『百恵白書』は何もそこまでお話していただかなくてもけっこうなのでございますが…、という「重さ」があった。
山口百恵は、まだ中3トリオの一番地味な子、っていう括りからやっと抜けたかどうかが僕のイメージだった。
ここから山口百恵は大きく軌道を修正して‘神話’や‘伝説’というおかしな方向に進むのだが、
『百恵白書』はその第一歩みたいなもので、僕は悪い予感がしたんだ。
このアルバムの中には、ファイナル・コンサートの異様なクライマックスで迎えるラストの
「さよならの向こう側」の前に歌われた「歌い継がれてゆく歌のように」が収録されていて、
この曲も名曲なのは判るが、初めて聴いた時、何か得体のしれない不安が脳裏をよぎったんだよなぁ。
山口百恵、守護霊、入れ替わったか?と少しマジで思ったりした、友達には言わなかったけど。
中でも一番、食あたりしたのは「いた・せくすありす」という、A面の3曲目の歌だ。
やっと、書き出しと繋がった。
タイトルは森鴎外の性欲史みたいな小説をモジったことからもわかるよに、
百恵の性的なことに関する告白みたいなものが録音されていた。 
あの下品な鶴光のオールナイト・ニッポンよりも、聴いてるところを母親に聞かれたくなかった。
後にも先にもない。畑中葉子の「後から前から」の方がまだマシだ。何を言ってるんだ?
今、あらためて歌詞を見ると別に大したことは書いてないのである。
その後の百恵を知っているから驚愕しないのか、感性が鈍ったか、これを成長と言うのか、
これを老いというのか。
しかし、あらためて聴く勇気はない。
BGM. 西城秀樹「勇気があれば」


サティスファクション

8/Ⅵ.(火)2010 くもり
古いビデオの整理をしていたら、ストーンズのハイド・パーク・コンサートが出てきた。
コントキのミック・ジャガーはカッコE 。
髪型といい、白いパンツといい、ドレスみたいなシャツといい。
サティスファクションの映像はとくにカッコE 。
途中あぐらをかいたりする。
「二人でお酒を」の梓みちよ、以前である。
ハイド・パークは、ブライアン・ジョーンズの追悼コンサートだ。
ブライアンはストーンズのリーダーでR&B色の濃い人だったが、
ミックとキースが台頭しオリジナル色が強くなって、主導権とアイデンティティイを奪われ、
酒とドラッグに溺れて、プールで溺れて死んだ。
中学時分、そういうのに詳しい友人は「ミックとキースがイジメて死に追いやった」と吹聴した。
その追悼コンサートのオープニング、何万羽の白い蝶がステージから飛び立った。
「その一羽づつを丁寧に踏み潰して、ミックが歌った」そんな映像の記憶があるが、
今、ビデオを観返すと決してそんなことはしていない。
普通に歌っている。
先入観とは怖ろしいものだ。
実際は、猛暑のために飛び立つ前に大部分が死んだらしいが。
「サティスファクション」に関するミック・ジャガーのインタビューはカッコよかった。
以下のごとく。
<詞には満足してますか?> 「性的に?思想的に?」
<両方です> 「性的には満足さ」
<思想と金銭上は?> 「金銭的には不満さ。思想的には努力中さ」
中学生の僕らが、「努力」というコトバをカッコE と思った貴重な瞬間だ。
BGM. 遠藤賢司「満足できるかな」


ジューンにやられないように

7/Ⅵ.(月)2010 はれ
ジューンも7日目。
ジューンは降雨や気圧を操って僕らに襲いかかってくる。
去年はA.がやられた。
スタミナのつく物を食べるように心掛けよう。
昨日は馬刺しとレバ刺しとテール・スープ、今夜はホルモンを食した。
今日は校医のあと、中野へ。
ブロードウェイの地下でソフトクリーム4色を食べ、
タコシェという本屋でマンガを買う。著者のサイン入り。
その後、フジヤというアニメ専門の中古CD&DVD販売店で
「地獄少女 二龍」の全巻セット、全箱購入者特典・『憂鬱えほん 地獄少女』付き、を購入。
良い買い物が出来た。
BGM. じゅんとネネ「愛するってこわい」