おかしな格好で真面目な話を。

16/Ⅰ.(月)2012 寒い
今日は校医のあと、菱沼先生と都内で会食。
ちょっと高級でオシャレな店に案内される。
彼とはいつも真剣に治療論とかの話しになる。
こういう話が出来る人は少ないので貴重で刺激的な時間が過ごせた。お店も美味しかった。
僕は、昨日中野で買った‘タケコプター’付きの帽子と、翼の生えたスニーカーを履いてゆく。
どちらも、しょこたんバスツアー用に購入したもので(昨日の記事参照)、二つ組み合わせると、空も飛べそうでしょう?
しょこたんと逢える浮ついた気持ちを表現してみました。
そんなアイテムを何故今日に?と思われるかもしれないが、それは菱沼先生は昔、大変だけど充実した仕事を一緒に
やり遂げた同志だからで、その頃の自分達への敬意を込めて、おろしていったのだ。
ちょっと店には不釣合いだった。
同志の証、空回りの巻。
ま、気にしない、気にしない。下が、そのシューズと帽子。↓。


菱沼先生はパワフルで、今度クリニックで心理士のための勉強会を開くらしい。
彼の持論は、心理も薬のことを理解してるべきで、それには僕も同調。
彼のつてで偉い先生が勉強会を開いてくれるらしく、せっかくの機会なので僕とうちの心理の徳田さんも参加させてくれと頼み、快諾をもらう。
‘勉強’という漢字は、「むりにしいる」と書くが、自発的にやる‘べんきょう’は楽しいものだ。
物を知るとか、わかるという快感はどんな娯楽でも敵わないと思う。


僕はティファニー

5/ⅩⅠ.(土)2011
11月5日は、母の誕生日。子供の時、兄の提案で兄弟でお金を出し合い、プレゼントをしたことがある。
それは、おもちゃの指輪で、多分、数百円の代物で、エメラルドのイミテーションで、
キラキラの緑色がカメレオンみたいで魅力的だった。
母は、その日、父に「子供達が、これをくれた」と報告しているのを、僕はコタツでうたた寝しながら聞いていた。
父は、「子供達は、宝石のつもりなんだから、一生、大切にするように」と言うのを、僕は寝たふりをして聞いていた。
実際、母はその通りにして、母が亡くなって遺品を分ける時、宝石箱の中にそれをみつけた。
この幼児体験は、のちのちの僕の女子との付き合い方の原型となった。
要は、「お金<気持ち」である。
中1の時に、流行った太田裕美の『木綿のハンカチーフ』はその思想を強化した。
松本隆の作詞したその歌は、男が就職のため、恋人を田舎に残し、上京するという設定だった。
僕は中学から東京に出て来て、小学校の好きだった子は田舎の学校に通っていたので、
これは自分のために作られた歌なのではないかと愛着をもった。
『木綿のハンカチーフ』は、男女の文通の内容が歌詞になっている形式で、
1番では男が恋人へのプレゼントを探すと宣言し、
それに対して女は、私は欲しい物などない、あなたが都会に染まらないでくれればいい、と返す。
この歌は4番まであり、男は女にスーツ姿の自分の写真や、都会で流行りの指輪を贈りつけ、
それに対して女は、木枯らしのビル街で体に気をつけてとか、ダイヤや真珠よりあなたのキスの方がきらめくもの、
と返信する。
太田裕美の澄んだ伸びるソプラノが健気さを表現する。
男はとうとう4番の歌詞で、
「毎日、楽しくって、君を忘れちゃうよ、許してね」
みたいなふざけたことを一方的に抜かし、
ずっと贈り物は要らないと言っていた太田裕美が最後のわがままとして贈り物をねだるのだが、
それが涙を拭くための木綿のハンカチーフ、というオチである。
こうして、「お金<気持ち」路線は確固としたものになり、思春期の刷り込みは恐ろしいもので、
僕は大学時代や医者になってからも女子に高価なプレゼントをするのは不誠実だと思った。
プレゼントには、オリジナルの彼女を主役にしたマンガを描いたり、
その子の好きな歌手の秘蔵映像(もしくは音源)をあげたりした。
それが一番、喜ぶと、本気で思っていたから。
つげ義春のマンガで、世の中は安保闘争で騒乱としている時に、
ヤミ米を買いに行く仕事の手伝いをするという実話に近い作品がある。
そのマンガは、ヤミ米を買いに行く親分に
「アンポ、って知ってるか?」と聞かれたつげ義春が、<何ですか、それ?>と答え、
親分は「俺も知らねぇんだよ」と笑って終わるのである。
昭和史みたいのを見ると、皆がその時代は安保に関心をもっていたように錯覚するが、
同時代に全く別次元で生活する人はいるのである。僕もそんなところがある。
多分、僕はバブル時代というのを東京(もしくは神奈川)で過ごしているのだが、
実体験としての感覚はゼロだ。
言われて見れば、友人達がデート・コースや記念日が何とかとかよく言っていた時期があったから、
きっとあの辺りなんだろうな、とは思う。その頃も女子との付き合い方は同じだった。
結構、大人になってから、割と、この人はセンスがいいな、と思う女の子が、
「プレゼントに、ブランド物を貰うと嬉しい」と言ったのを聞き、とても驚いた。
僕のマンガを心底、喜んでいた子だったから。
平成に、太田裕美はいないのか、と痛感した。その反動形成なのかもしれないな…。
僕は、最近、カエルの指輪をしている。たまに、「可愛いですね」と言われると、
<ティファニーです>と答えている。
勿論、ウソであるが、皆、一瞬、「エッ?」と驚く。
それが、楽しくて、指輪をしているようなものである。↓。

BGM. 太田裕美「木綿のハンカチーフ」


仕事。

31/Ⅲ.(木)2011
Kさんから頂いたピンクのカーネーション。
フォトby徳田さん(カワクリ写真部)。↓。

Kさんは、
「××花屋さんは、あんまりお花が好きじゃないみたい。お花も元気ないし。○×花屋さんの方がよい」と言っていた。
お店屋さんは、自分の扱ってる品物を愛さないといけませんね。
それで思い出したのが、僕が大学生の時に出会った美容師さんのこと。
当時、僕は悪ノリで青山のモッズヘアとかジャニーズ御用達の「コバ(古場?)」とか
キョンキョンの通う「スターカットクラブ」などに月替わりで通ってた。
美容師さんは気を使って色々話しかけてくれるのだが、僕にはそれは鬱陶しい限りだ。
「学生さん?」なんて聞かれても、「何で、テメェに答えなきゃいけねぇんだよ」とか思った。
他人に自分の素性を知られるのも、「医大生!」と答えたりする自分も嫌で、
ふざけて「見ての通りのボイラー技士です」とか「こどもスパイ」と言ったり
「それは秘密です」とテレビ番組のタイトルをコールしたり出鱈目に答えてた。
だったら行くなよ!、って話だが、1980年代初頭ってそんな空気だったのである。
時代のせい。
そんな遊びもじきに飽きて、ある日、僕は気まぐれに地元の美容院に入った。
担当したのは元・不良って感じのお姉さん。お約束の「学生さん?」に、僕は面倒くさく、「まぁね」と答えた。
すると、彼女は、
「私は美容師になりたくてこの道に入ったの。
美容師でも好きじゃなくて仕事でやってる人もたくさんいるよ。
でもね、私は思うんだけど、私なら美容師の仕事が好きな人に髪を切って欲しいな。
だから、私はそう思って仕事をしてるんだ」
と鏡越しに真剣な目で語った。
さすが、元・不良。(決め付けるな)。
次回、僕はまたその人の予約をとり、自分から「僕は、今、実は医学部に通ってる学生なんだよ」と打ち明けた。
彼女は「何科のお医者さんになるの?」と聞き、僕は「精神科」と答えた。
不思議なことに、それ以来、僕は美容院で話しかけられるのが、それほど嫌じゃなくなっていた。
BGM . RCサクセション「金もうけのために生まれたんじゃないぜ」


商魂

25/Ⅱ.(金)2011 はれ
家に帰ると、TBSショッピングから「唯マフラー」が届いていた。
それが、これ。↓。

これは、TBSのテレビアニメ「けいおん」の中で主人公の平沢唯ちゃんが巻いていたマフラーを実際に
商品化した企画ものだ。
最近は、そんなものが好評で、他にもアニメの登場人物が普段着にしてるTシャツを売ってたりもする。

まだまだ、寒い冬の日です。マフラーは活躍しそうだ。
BGM. サイモン&ガーファンクル「冬の散歩道」


鉄道の日

14/Ⅹ.(木)2010 はれ
今日、10月14日は、「鉄道の日」らしい。
日本ではじめて新橋~横浜間に電車が走った日だからだそうだ。
鉄道と言えば、つげ義春の「ねじ式」の主人公がメメクラゲに左腕を噛まれ静脈を切断されイシャ(医者、のこと)を探す道で、
突然、きつねの面を被った少年が操縦する機関車がやってきてそれに乗せてもらうくだり。                                       主人公は、この車はもと来た方向に戻っているのでは?と少年にたずねる。
すると少年は、「目をとじなさい。そうすれば後ろへ走っているような気持になるでしょう。
こういう法則は小学校でちゃんと教えているではありませんか」と答える。
僕は、この場面をプリントしたTシャツを昔買って、毎年「鉄道の日」に着ることにしている。
だから、今日も着る。

「ねじ式」は、マンガか芸術か、などと歴史的に論議の的になったこともあったが、当のつげ義春によると、
締め切り間際で何も思いつかず、屋根の上で寝てた夢をそのままマンガにしたいい加減なものらしい。                               だから、「メメグラゲ」も本当は「××クラゲ」の誤植だったらしいが、どうでもいいからそのままにしていたそうだ。
その証拠に、マンガの最後に登場する婦人科医がするシリツ(手術、のこと)は「○×方式を応用した」、とある。                           夢をそのままマンガにしたから、細部は思い出せず、××とか○×としたのだろう。
こうやって、時々、つげ義春のことを思い出すことは大切だ。
下は、ねじ式フィギュア3色。↓。

お昼は、森国さんとチャーシュー麺を食べ、心理テストの所見をみてもらう。
「鉄道の日」とはまるで関係ないな。
申し訳ないので、最後は、ねじ式車両で。↓。

BGM. 浜田省吾「ラブ・トレイン」


黒髪のロベスピエール

25/Ⅶ.(日)2010 猛暑
約10年ぶりくらいに、黒髪に戻した。これまで、赤・青・黄・緑・黄緑・金・銀・紫など色を変えてきた。
誕生日だからイメチェンしようと思ったら、残ったのは黒だけだった。
話は全然変わるが、石井慧がダライ・ラマに相談する光景をテレビで観たことがある。
石井は、自分は柔道から総合格闘技に移るかどうか迷っている、自分の意志を貫くべきか、
それとも時には長いものに巻かれろ、で年長者の意見を聞き入れるべきか?と尋ねた。
ダライ・ラマは、ビルマの竪琴みたいな片側の肩だけ出てる金色のテカテカ光る生地のド派手な衣装を身にまとい、
うん、うんと真剣な表情で質問に聞き入り、やおら石井に飛びつかんばかりの勢いで指を指し
「自分の人生は自分で決めるのだ!!」と断言した。
ものすごい迫力に、柔道金メダリストの石井慧も圧倒された。その後、石井は総合に来た。
ダライ・ラマが言ってる内容は、当たり前の普通のことだ。
でも、そこで僕は思った。
第一印象で「この人は何だ?」と思わせておけば、普通のことを言っても相手に与えるインパクトが大きいな、と。
これは使えるかもしれない。
背広にネクタイの男に「人生、努力」なんて言われても反発するが、お化粧して髪をツンツンさせた男に
「人生、努力」と言われたら真理のように錯覚するかも。
僕も謀らずもそれを利用してた面はある。
「ウチの子が茶髪にして不良にならないか心配」という親は僕の髪の色を見て考え直す機会とし、
「大人は信用できない」という子供は変な髪の色の大人を他の大人と違うと識別し心を開く。
しかし、それもあくまで見た目。人間、中身で勝負。
黒髪のロベスピエール、とは新日にUターン参戦した時の前田日明のニックネームだ。
BGM. ザ・ローリング・ストーンズ「黒くぬれ」


ザ・ヒストリー・オブ・川原②~「麒麟児」

8/Ⅶ.(木)2010  はれ
7月はお誕生月なので、「ザ・ヒストリー・オブ・川原」と題して思い出にひたることにする。
その第二弾。
麒麟は古代中国では、鳳凰、亀、龍と共に神聖な生き物とされた。
このことから、幼少から秀でた才を示す子供を「麒麟児」と呼ぶ。
相撲取りに麒麟児というのがいた。
突っ張りが得意で、北の湖・若三杉・金城(かねしろ)らと‘花のニッパチ組’と言われた。
よく学校で真似をした。NHK、名古屋場所放映しないって。
僕は子供の頃、あまり大きい方ではなかった。
背の高さなんてどうでもいいと思うのだが、他人に「タッちゃんは小さいからね」と言われると、
母はよく、「サンショは小粒でピリリと辛い!」と怒っていた。
写真は、母が作ってバザーに出した麒麟のぬいぐるみ。
僕の方が、少し背が高く設計されている。
赤いマフラーはサイボーグ009。




BGM. 渡辺香津美「Kylyn」


番傘買い

20/Ⅴ.(木)2010 雨
5年以上、前の話。
僕は雨具として番傘を使っているのだが、それは浅草の決まったお店で買うことにしている。
その頃、丁度、‘中国製’の番傘をお店で取り扱うようになった頃だという。
中国製と比べるとどこが違うのですか?、尋ねてみると店主は暗い面容ちとなり
「中国製は千円。日本製は五千円です」という。
値段以外の差は?、その問いに店主は、見た目も軽さも使い勝手も何らかわらないですね。
何もかわらない?、はい。違うのは値段だけです。「どうしますか?」と店主は地面をみながらそう言った。
僕はまるで‘人間性クイズ’でも出されてるような気分になり、
そこは判官贔屓というかナショナリズムというか伝統文化保存の意味からも日本製を購入した。
粋じゃない、と判断されるのを畏れたのかもしれない。
5年以上も経つものだから、結構傘はボロボロだがよくもったものである。
先日、新しいのを買いに浅草まで行った。いつもの店に行き、店主と話す。
中国製は千五百円、日本製は八千円だという。もう日本には作り手が少ないらしい。
値段以外の差は?、見た目も軽さも使い勝手も何もかわらないですね。
違うのは値段だけか…と僕が地面を見る。
そこで店主、ちょっと明るいトーンの声で「でもね、5年使うと差が出るんですよ。もちが違う!」だって。


なんか、人生が肯定された気がした。
BGM. 沢田研二「カサブランカ・ダンディ」