アンサー夢・夢日記~親になる。~

5/ⅩⅠ.(月)2018 朝は雨、のちくもり 母の誕生日

ポールが日本に来ている。10/31&11/1東京ドームは平日で仕事だから行けない。あとは名古屋、それも平日。
今年はダメかとガッカリして。僕はポールに元気をもらいたい心境だったから。
そうしたら、11/5両国国技館に追加公演が決まった。
11/5は月曜だから、クリニックは休みで、行ける!
11/5は母の誕生日だから、ポールは相撲が好きだし、これは母が僕に贈ってくれたプレゼントだと思った。
ところが、あらゆる手立てでチケットを狙いに行っても落選。
キャパが小さいからしょうがないが、ポールが見れないのは残念だ。

僕は現実を逃避するクセがある。
これはきっと、母とポールが、今と向き合え、と言ってるのだと思った。
だから、いったんは放棄した、カワクリ「夢のキャンペーン」も、ちゃんとやるべきだと思い直して、
心理をたきつけて、僕も手伝うから協同で夢の記事を書こうと脅迫した。

夢はシリーズで読め、という原則から、僕と彼女はブログの夢日記を読み直し、
とりあえず、今年2018年の夢にしぼろうと、
「人をダメにする初夢」、「セカンド・ドリーム」、「通過儀礼」、「心の音」、「地獄寿司」、
を読み解いて行く企画に踏み切った。

今回の記事は、僕が心理と上記の夢について語り合って、自分で自分の夢について連想した日にみた夢。
そういうのを、アンサー夢(む)、という。
アンサー夢、とは、夢について、色々解釈した後に、報告される夢で、つまり、前の解釈が合ってるかどうかの、
指標になる夢だと言われている。後日、発表される「心理の夢の記事」とセットで味わってもらえると嬉しい。
※以下が、夢日記。

 

※二子玉川の高島屋に、僕は、僕の親友と、僕の娘と3人で冬物のレインコートを買い物に行ったのだ。
娘がまだ小さい頃、友人はよくうちに遊びに来て、ディズニーの「シンデレラ」のビデオやら、ミキハウスの洋服を、
まるで自分の娘にそうするように買い与えて可愛がってくれていて、僕は家族との縁が薄いから、
個人的にも僕は世間知らずでわからないことがあると、きまって常識的な彼に相談している間柄で、それに甘えていた。

さくら学院がモデルになってレインコートの宣伝をしている。僕はもしもサイズの大き目があったら自分用にも買おうかと、
スタジアムジャンパーのコーナーを物色していた隙に、友人が娘用のコートを2枚、店員と相談し選んでいた。
今回も買ってくれるらしい。
僕はまるでそれを当然のように受け入れていて、当たり前のように平気でいた。
友人が念のため、上の階もみてくると、いそいそとエスカレーターで昇って行くと、娘は沈んだ顔をしていた。
僕は買う予定になっているコートを何気なく手にとってみると、襟元に汚れがあった。

「なんだ、これは?」と僕が言うと、娘は、「あの人が買ってくれる物は、いつもそうなのです」と泣いた。
僕はびっくりした。
娘は幼い頃から、そんな事実を僕に内緒にして我慢していたらしい。
それは知らなかったとは言え、すまなかった。
僕と娘は和解して、娘はその代わりに段ボールで出来た四角いBOXと、スプレー式のペンキを買ってくれとねだった。
娘が僕に物をねだるなんてことはこれまでになかった。
スプレーは、ところどころ剥げた段ボールの箇所に吹きかけて綺麗にするもので、
娘はいつのまにやらDIYが趣味になっていたのか?いや、彼女の歴史はそうなるしかなかったものなのかもしれない。

僕は友人の選んだコートは遠慮しておこうと決断した。
娘は、「そうして欲しいです。お父さまには秘密にしていましたが、小学生の頃から、いつもあの人のくれた汚れた服や欠陥品を、
お母さまと一緒にデパートに行って交換しに行っては、お店の人に怒鳴られて、お母さまは何度も何度も頭を下げて、
私はそのお姿をみていて目が悲しくて、耳が切なかったのです。でも、もうこのスプレーがあれば大丈夫です」。

僕は何か大きな間違いをしていたようだ。
洋服を、それも学校に着て行くような世間体のような格好を、親である僕が選ばないで、親友に任せていたなんて。
まるで、托卵(たくらん)する習性の、カッコーみたいじゃないか。親として失格じゃないか。
「服を大切にな」と、羊たちの沈黙、で、ハンニバル・レクター博士は、女の政治家にそう言っていたのを思い出して、
僕はいつまでも亡くなった僕の親との葛藤といい加減、見切りをつけ、自分が親として娘に何をしてあげるのかを考えるべきだったのだと、
今さらながら、気付かされた。

そして娘は、自分の好みの「服」を選べる年齢になっていた。
レインコートが教えてくれた。

BGM. よしだたくろう「暮らし」


夢の素因数分解~心の音~

19/Ⅹ.(金)2018 くもり ベビメタYUIMETALが脱退!

カワクリは現在、夢について啓蒙キャンペーン中。
カウンセリングにおいて、夢を扱うことが近代的なのかどうかは別として、柔道家が足関節を極められるように、
プロとして裏技を持っていた方がいいと思う。
実際に、夢の報告をする人はいるから。
そういう訳で心理部門に夢の記事を発注してる最中です。
僕の夢日記を題材にしてもいいよ、と、少し前の記事に、夢の因数分解、を書きました。
夢はシリーズで読め、とも言われるので、その第2弾をお送りしましょう。

それではまず復習からしますか。テキストブックはこれです。

多分、僕が子供の時の家族は海外旅行というものをしたことがない。
「トリスをのんでハワイに行こう」じゃないけれど、海外旅行なんて、夢のような時代だった。
僕が小学生の時、父の妹(おばさん=と言っても年が離れてるから若い!)がハワイに行くと聞いて、
一家に衝撃が走ったのを今でも覚えている。
なんて言うのか、クラスで一番地味な子が、一番最初に結婚して、その結婚式の招待状が届いた時のような心境か。

僕は昔、いわゆる国辱ツアー、というのか、そういうことが目的の海外旅行に友人達と行ったことがある。
勿論、目的は観光とかグルメとかビーチとか異国情緒でもあったが、性産業という付属品がついていた。

しかし、僕はいい子ぶる訳ではないし、または職業差別的なことを言ってるのではなくて、職業に貴賎はないし、
人類で一番古い職業は売春だと知ってるし、なのに何かキザにロマンティックに、
愛がなければエッチは出来ないみたいな、青臭いことを盲信していたのである。まったくもってバカであった。
アルファベットで言えば、「H」のあとに、「I」が来るのだから。

そんな旅行の時、みんなで盛り上がってご飯を食べて、「次は~」という時に僕はホテルに帰るのである。
とんでもなく、付き合いが悪く、ノリの悪い、田舎モンだ。自分で自分の過去が忌々しい。
たとえば、友人と歌舞伎町で呑んでその足でそういう店に行こうよ、って時も、僕はバッティングセンターで待っている。
接待で吉原に行った時も、僕は待合室で皆を待っていた。
これは風俗嬢から嫌われるタイプの男らしい。っていうか、会ってないから、それ以前の問題だ。
あーあ、俺は何をやってんだろう。今の頭脳のまま、その頃に戻れたらもっとうまいやり方が出来るのかな?
変わらないかな?

実は僕は温泉が嫌いである。
医局旅行で、ナントカ温泉って所に行ったが、僕は体を洗ってから浴槽に3秒くらい浸かってすぐ出たら、
後輩が「もう出るんですか?」とビックリしていた。
僕は母と年末年始に箱根の温泉でゆっくりしようと出かけたことがある。
僕はもう20才くらいだった。
繁忙期の温泉宿のサービスなんか期待する方が悪いのだが、僕はあまりの雑な接客に頭に来て、「帰ろう!」と言い、
母を連れて帰ってしまった。母は悲しそうな目をしていた。
でも僕はそんなことより、自分のイライラの方が上回って、抑えようがなかった。
そんな性分は今もあまり変わってないような気がする。

売れてない頃のRCのエピソードでキヨシローと三浦友和は高校時代の友人だから、山口百恵との結婚式にキヨシは呼ばれ、
でもスーツなんか持ってなかったから、Gパンと赤い皮ジャンで行ったってエピソードを高校時代に知って、
あわてて赤い皮ジャンを探しにアメ横まで行った。
でもなかなか若く、結婚式をする友人がいなかったから、着る機会がなかったが、
若くして死んだ友人のお通夜にその格好で行ったら、友人からは非難ゴウゴウだったが、その家族からは、
「本当に急いでかけつけてくれたのね」と涙されて、感激された。
それ以来、味をしめた僕は知り合いの死には、葬式には行かず、お通夜に派手なファッションで行くという悪癖がつき、
そういう席では浮くのであるが、喪主や親族達は意外と喜んで近寄って声掛けしてくれるから、
しばらくはこのライフスタイルで行こうと思ってる。

僕は大学5年生の時に大失恋をした。
それは相手が僕のことを好き(だと思ってた)なのに、相手が僕じゃないダサいクラスメートと付き合って、
僕は告白もしてないのに、捨てられて、何故かすごく傷心して、学校にも行けなくなって、クラスの女子達が、
「早く元気出して」
「学校に来てね」と寄せ書きをくれて、それが余計に自分をみじめなような気にさせた。
世の中はバブルで、皆、クリスマスにお目当ての女の子をどこに誘って落すかなどという雑誌の特集に夢中で、
僕はと言えば、いつの世も一定数いるような疎外された部外者の人間で、ふてくされるエネルギーもなく、
ただ離人症(りじんしょう。現実が害だから現実感を失うことによってバリアを張って心を守ろうとする防衛手段)のように、
ほうけていた。

すると、クラスの人気者のレレちゃんが、クリスマスイブに僕を誘ってくれた。
お家でホームパーティーをするから、「タツジもおいでよ」と言うのである。
僕は暇だったから、そこに参加した。
ところがそこはとんでもない異世界で、外人とかハーフとか美男・美女の集まりで、みんなドレスアップしてて、
ある男はローストビーフを焼いてきたとお土産に持って来ていた。
僕は料理人以外で、男が料理するのか?とビックリした。
まだビストロSMAPのずっと前の時代で、ジャニーズで言えば、マッチが「愚か者」を歌ってる頃だと思う。
そんな僕はレレちゃん家のパーティーで、隅っこの四角いソファにポツンと座っていて、
そしたらレレちゃんがやたら親しげに話しかけてくれて、彼女のいい所は決して僕を他の人と仲良くさせようとしない所で、
彼女は僕とだけしか通じない話(たとえば、カレーうどんはさまして食べた方がおいしい、とか)をして、僕をもてなしてくれた。
僕はそれを見習って、今の人付き合いの基礎にしている。

山口百恵で印象的なのは、ジュリーと共に東京音楽祭に出た時、「夢先案内人」を歌ったのだが、音程を外しまくっていた。
後のインタビューで読んだのだが、「私は生理になると極端に音を外す」と、まだ中学生だった僕は女体の神秘におののいた。

山口百恵は、年端も行かないデビュー直後から、「青い性」路線みたいなもので人気を博したり、
「百恵白書」というアルバムの一曲では、自らの性(欲)体験を述べていたり、さっきの「生理」発言だったり、
性的な感じを戦略的に打ち出していたと思うのだが、僕が好きな期間は、珍しくセクシャルな要素が薄い時期だった。
とくに「花ざかり」というLPを買った時にもらったポスターの彼女は、となりのお姉さんみたいな普通の姿で、
僕はそれが一番のお気に入りで今も診察室の後ろの扉に貼ってある。↓。

僕が山口百恵のファンだったのはセクシャルじゃない時期だと言ったが、例外的に「冬の色」という曲は好きだ。
「あなたなら他の子と遊んでるとこをみかけても待つことが出来る私です」
という歌詞は、いじらしさというよりも、相手の事を誠実に心の中に定着させているからこそ言える発言で、
たとえば子供が母の姿がみえなくなると泣き叫び、みつけると泣き止む、という赤子から、
一段、大人になって、みえなくても泣かないで待てる、という成長のステージを恋愛関係の中で表現してるところに、
目新しさを感じたのだ。

心のノート、は何かそれと似てるフィーリングがする。
相手や自分やお互いが忙しくて、離れ離れの時間が長くても、いつも一緒だと信じられる力、それをサポートする小道具。
それが、心のノート。
小ちゃい子がお母さんが不在の時も、お母さんの匂いのするタオルの切れ端をお守りかわりに持っていれば、
安心っていうのとちょっと似てると思った。

BGM. 山口百恵「乙女座宮」


夢日記~地獄寿司~

20/Ⅸ.(木)2018 KID死ぬ、と大平さんに教えたら、コナンの「怪盗キッド」と勘違い。正解は、山本。

「夏休み」明け、元々その予兆はあったがついに、オーディオ機器が完全にポシャって、クリニックのBGMはしじま。
オーディオ危機。
おまけに、休み明け早々、スタッフも体調を崩し、人数も手薄。
そこにアクシデントが一つや二つ。
さんざんなスタートだった。
すっかり疲弊して、家に帰ったらバタンQ。手も洗わずに寝てしまった。

そんな日に見る夢は決まって良い。
現実が大変だから夢でくらい応援してやろうと無意識部隊が気を使ってくれる。以下が、夢。

僕は勉強会の打ち合わせをしている。僕のアイデアは実践的で、「困ってる人に役立つ」と大好評。
僕はおだてられ、ちょっといい気分。
秘書さんがつき、しばらく雑用をサポートしてくれるらしい。
早速と言ってはなんだが、クロワッサン生地のアンパンをくれた。
僕はこんなシャレたものの食べ方がわからなくて、まわりの生地のおよそ半分くらいをポロポロとテーブルにこぼしてしまった。
ちょっと恥ずかしかった。
すると秘書さんは、
「これはそういう食べ物なのです。欧州ではこぼした皮は床に捨てるのですよ」
と大胆にクロワッサンの生地をササッと手で払って床にまき、ハイヒールのかかとで踏んづけた。
「だから、先生は何も気にしないで、自分のやるべきことだけをして下さい」

JRの東神奈川のあたり。
車庫があるあたりに隠れた名店があるという。
そこの名物は、河童の甲羅のゼラチンの部分を握り寿司にして出してくれる。
ちょうど、家族連れも来ていて、そこの子供も河童のゼラチンを注文したが、僕ので山。
子供は残念そうで親に慰められていたから、僕はその子供に何故か昔の自分をみてとって、
「良かったら、僕の分をお食べ」
と食べる権利を譲ってやった。
きっとあまり教育の行き届いていない家なのだろう。親からも子供からも礼を言われなかった。

僕は店を出て、クネクネした線路の上を歩き、それは歩きにくい蛇行したレールだったが、
よく考えたら、何も線路にそって歩く必要なんかないんだと思った。しばらくすると母に逢った。

母はこれから「地獄寿司」に行くから一緒に行こうと誘った。僕も河童を食べ損ねたところだったし丁度いい。
しかし、「地獄寿司」とは変な名前だ。
母は意に介さず、「上寿司にしなさい。特上はあぶらっこいだけで、あれは野暮天が食べるものです」と言った。

そう言えば、母は死んでもう何年経つのだろう。僕はそろそろ父の死んだ年齢に近付いてるのだろうか。
ジョンは、イマジンで、天国も地獄もない、と歌ったが、実際はどうなの?と母に聞いてみた。
母は、今、地獄にいるという。ちょっとびっくりした。
「でも、地獄には達二の好きな人が結構いっぱいいて、談志さんやキヨシローさんもよくみかけますよ」
「へ~、地獄もそんなに悪いところじゃないんだね」
「それを偏見というのです」と言って、母は地獄寿司をつまんだ。

BGM. ビートルズ「アイム・ソー・タイアード」


夢日記~「心の音」

季節は真夏で若者たちはバカンスを楽しんでいた。
ハワイでみたこともないマリンスポーツをしてる日本人が取材をうけてる様子を、隣でみてた。
皆楽しそうに笑ってる。僕は2階建てのバスに乗っている。

国内でも仲間内で、温泉旅行に行こうという話があちこちで出てる。
僕も温泉に行ってみたいなぁ。でも、一緒に行く相手がいない。
お金を出せば、ついて来る人もいるかもしれないけど、それでもイヤイヤ来られても、かえって気を使ってしまう。

僕は何かのパーティーに紛れ込んでしまった。芸能人の結婚式だろうか。バンドが演奏をしてる。
僕はポツンと四角いソファに座ってる。
僕はこんな不釣合いな場所に、短パンと踵を踏んづけたスニーカーで来てしまった。靴下も履いていない。
僕には飲み物も渡されなかった。

するとそこに山口百恵がやって来て、「いた!もう行きましょう」と僕の腕をとった。
「こんなところにいても楽しくないでしょ」と言った。
僕はずっと君を探してたけどどこにもいなかった、と言うと、
「バカね。こころのノート、を持ってるでしょ?
それを持ってる限り、私はいつだって、あなたと一緒にいるって言ったじゃない」と笑った。

僕は、こころのノート、を持っていた。彼女も、こころのノート、を持っていた。
彼女の、こころのノート、をみせてもらったら、ナボコフや芥川龍之介やトロッキーの格言が綺麗な字で書かれていた。
山口百恵は、「今度温泉に行きましょ。その時は、こころのノート温泉用を作りましょ」と名案を出した。
彼女はいつも良いことを思いつく。
僕と彼女は移動しながら、陽のあたる廊下を歩いていて、僕は<ねぇねぇ、メタ的な話になっちゃうけど、
山口百恵が選んだ名言集、って本を出したら売れるかもよ>と提案したら、彼女は何も言わないで、口元だけで笑った。

彼女は多忙だ。いつも一緒にという訳にはいかない。それはわかってる。

これからの僕は何もさびしくない。
こころのノート、があるから。僕は彼女といつも一緒だよ。

BGM. 山口百恵「お菓子職人」


通過儀礼

1/Ⅳ.(日)2018 はれ エープリル・フール

小学校の時、青年誌の企画に当選し、赤塚不二夫と対談した。
その号の、赤塚不二夫のマンガは、格好つけた男がマントをとると、パンツ一丁で、
さらにラストはメガネとパンツになるというナンセンスなコネタだった。
僕はまことに失礼したが、赤塚不二夫に、
<このマンガのどこが面白いのか判らない。それは僕が子供だからだと思う。
面白いことを理屈で説明してというのは無茶だと思うが、無理を承知で説明してくれませんか?>と言うと、
意外にも、あっさり、「いいよ」と笑って、
「あのね、これはね、まず、この男が格好つけてるでしょ。格好つけてるくせにパンツ一丁なんてバカバカしいでしょ。
そう思わない?思うでしょ。よし。だったら、そのパンツは思いっきり派手にしちゃおう。
男が履かない様なパンツ、女物でもいいね。
それでそこをいったんしまっといて、メガネを見せて、読者の気を上にそらしておいて、またパンツを出すんだよ。
そうすると、さっきのパンツのタメがあるから、重なって面白くなるんだ。
2回目のパンツはもっとバカバカしいものがいい。金色とか星条旗とかね。そうやってみると面白いでしょ?」と言われ、
僕は<なるほど>と思い、生まれて初めて生理的にでなく、こうした方がインテリっぽいなというポーズとして、
笑うというリアクションをおぼえた。
一つ大人の段階を昇ったんだと思う。と同時に何かを失った気もした。

その当時の○×は、風紀の取り締まりが今よりうんとゆるくて、夜になると街は混沌としていた。
僕はある夏、夜のビルの屋上の「ハッテンバ」というビアガーデンみたいなところに潜入し、
いわゆる男同士のカップルの社交場の生々しい実態をみて逃げて帰る。

そこでは、サザエさん、マスオさん、という隠語が飛び交い、各々、S(サド)、M(マゾ)の略だった。
地下には、家に帰りたくないとビルに立て篭もる双子の女の子がいて、妙に愛嬌が良かった。
しかし、得てして、人はそうであるように、苦境の時にある人こそニコニコしているもので、
その女の子達のお母さんは子宮体癌で子宮を摘出してるのに、子宮頸癌になり、
チンピラの男が、お母さんが言う通りにならないと、子宮のあたりをめがけて腹部をグーで殴るように、
彼女らに命令するから、それが嫌でここにいるんだという。僕には何もしてやれなかった。

人のよいおじさんと「ハッテンバ」を冒険しにみにいくことにした。
そのおじさんはどこかの中学校の生活指導の教諭だった。
屋上では、酔っ払ったサザエさんみたいな髪の’ダヨーン’みたいな顔をした男が、
山羊のモツを食べ過ぎたと呑んだ酒を吐きながら寝転がっていた。
僕はどうしてもこの「ハッテンバ」がどういう意味で存在しているのかが判らず、’ダヨーン’に勇気を持って質問してみた。

<赤塚不二夫先生は、マンガの面白さを解説してくれました。そんな無理なお願いを叶えてくれました。
だから、お願いします。どうして、この「ハッテンバ」はあるのか教えて下さい>と訴えかけると、
’ダヨーン’は、「それは無理だよ」と吐きながら言って、ふいに相棒とアイコンタクトして、僕の方を真顔で睨み、
「だって、オレたちはこっち側の人間だよーん」といった。

「お前は違うよ-ん」と言われて、僕の隣の生活指導の教諭は、僕を置き去りにして、その場から走って逃げて行った。
僕はすえ恐ろしくなって、その場から一刻も早く逃げなきゃと、足がもつれながら、足がもつれながら、
走っても、走っても、うまく前に進まないけれど、何段も、何段も、階段を転げ降りていく。

途中で、「ハッテンバ」の、’SMキリシタン’という男に、変な油を吹きかけられたり、
「発砲するな!」というポスターの前で警官の頭に銃をつきつけてる男とぶつかったために、ピストルを撃たれ、
その弾がギリギリ頭をかすめて飛んで行ったり、なんやかんやあったが、やっとこ安全なビルに戻って、
顔馴染みの中古レコード屋のおじさんに、ことの顛末を喋ると、「もう大丈夫だよ」と根拠のない無責任な笑みをみせられ、
だけどそれにホッとした。
店頭にあったジュリーのレコードを指して、おじさんは「ジュリーのパンツも派手だぞ。イヒヒヒ」と下品に笑った。

数日後、僕が秘かに想いを寄せている年上のひとの旦那さんにその話をしたら、
「オレにも似たような経験があるよ」と共感してくれた。
すると、年上のひとは、急にプンプンして、「あの人は何年も私といるのにそんな話、一回も私にしたことないじゃないの」とスネて、
僕は思わず、笑ってしまった。

僕は笑いのセンスの向上と、派手なパンツを履くことが、大人への通過儀礼だと肌で感じていた。

 

 

下は、最近買った新しいボクサーパンツ達。夢に出てきた赤塚不二夫先生に捧ぐ。

BGM. T・レックス「メタル・グルー」


セカンド・ドリーム

声色、を、声帯模写、という言葉に作り変えたのは、古川 緑波、だと聞いた。
あの、「エノケン・ロッパ」、の、古川ロッパ。

僕の知ってる、ものまね、の歴史は、声帯模写から、そっくりさん(若人あきらetc)、
それを誇張して笑いにする(コロッケ、清水アキラetc)を経て、
最近では、武田鉄也、のものまねなら、「絶対、金八先生が言わないこと~」ってプレゼンしておいて、
髪の毛をたくしあげるポーズをしながら、「結局、世の中、金だ~」って叫んで、
<言わなそう~>という客のリアクションを呼ぶ、みたいな芸風だ。
僕はそんな、ものまねの変遷の見届け人の一人なんだな、なんて思い詰めていた矢先だった。

英国に留学中の、佳子さま、が一時帰国して、「子供たちに笑顔を届けたい」というプロジェクトが実現。
何故か、僕は派遣団の精神科医代表メンバーに選ばれた。
子供の臨床をしていたことと、佳子さま好き、を常日頃アピールしていたことが宮内庁に評価されたみたいだ。
さすが、ネット社会。何でもアピールしておくものだ。夢は向こうから、やって来る。

当日、僕はステージのそでで、佳子さまの様子を見ることが出来た。
佳子さまは、子供たちに向って、飛び切りの笑顔で、ハツラツと、マイクを向けて、こう尋ねた。

「ウン○とチン○、どっちがマン○だと思う?」

それを目の当たりにして、<言わなそう~>とビックリしたのが今年、2回目にみた夢。

絶対、佳子さま、がおっしゃらないことでも、夢では起きるのだから、夢とはなんともけったいなものよ。

BGM. 北原佐和子「夢で逢えたら」


人をダメにする初夢

2018年=平成30年正月

国技である大相撲もモンゴル勢が中心であるし、プロ野球の外人枠も知らぬ間にどんどん増えている。
日本の学校では複数の部活をかけもちすることが基本的に出来ないから、
そのためプロ・スポーツを頂点と考えた時のピラミッドの底辺を支える中学生の競技人口が人手不足、
少子化の影響はこんなところにも影を落す。
中でも深刻なのは、女子のソフトボールやサッカーやバレーボールなどの頭数の必要な団体競技だ。
トゥエンティー・トゥエンティーの東京オリンピックを目前にして、さすがに危機感を持った文科省が動き出した。

女子団体スポーツに限り、特別枠として、男子1名の参加を認める。

たとえば、女子ソフトのキャッチャーをドカベンがやってもいいし、女子バレーのセッターを猫田がしてもいい。
準備は早い方が良い、とスポーツ庁は教育庁に働きかけ、
中高一貫校の女子高にも1学年に男子10人を目安に入学させるようガイドラインを作った。

女の園に、いきなり男子が10人入学である。これはかなりの大英断だ。
たしか、ソネさんの高校がそうだったと聞いた気がするが、違ってたらゴメン。

聖○×女学園も、中学1年に男子を入学させた。
僕はその中の一人だった。
おカミの目的など知ったこっちゃない、僕は部活にも入らず、毎日、学校帰りに、
女子と買い食いしたりして、休みの日にも町を探検しに繰り出した。
女子の制服からして季節は夏で、彼女はクラスの中心人物で黒髪ロングヘアーの闊達な娘だった。
明るい夏の日差しに目がくらみ、一瞬目を閉じ、目を開くと布団の中だった。

<なんだ。夢か…>と思って、再び眠りにつくと、また夢の続きがみれた。クライマックスは文化祭。
中高男子校でブラバンだった僕は~ブラバンは意外に運動部より練習量が多く、日曜も休日も部活で、
おまけにうちの学校の文化祭は、よその学校より晩めに日程されていたから~
他校の(女子校の)文化祭に行ったことがなく、この夢の素材は明らかに他の人の体験から拝借したのだろうな。
夢が秋の文化祭を終えたあたりで、また目が覚めた。

<まだ起きたくないよ。夢の続きをみせておくれよ>と枕元のドールにお願いすると、またまた夢の続きがみれた。

とても、楽しかった。
全部、初夢。

BGM. 来生たかお「夢の途中」


この世は夢。夢の夢こそ…

29/Ⅷ.(火)2017 晴れ、暑い
昭和33年、長嶋茂雄が巨人に入団した年、日本シリーズは巨人VS西鉄ライオンズ。
球界の紳士・巨人軍に対し、西鉄は野武士軍団、濃いキャラの大下・中西・豊田・稲尾…。
巨人の監督が水原で、西鉄が三原という因縁もあった。(三原は巨人を追い出され都落ちして九州へ)
日本シリーズは7戦して先に4勝した方が優勝。それは今も同じ。
巨人がいきなり3連勝。西鉄は後がない。
そこで「三原マジック」と言われた三原監督が出した指示は、「明日のことは考えず今晩は呑んで来い」。
野武士軍団は真に受けて朝まで呑んだ。
第4戦。巨人のキャッチャーが気持ち悪くなるほど、西鉄の選手は酒のニオイをプンプンさせてバカスカ打った。
これぞ、三原マジック。西鉄は勢いに乗って、球史に残る3連敗から4連勝で、逆転の日本一。
ここでの教訓は、追い詰められたら、思い切った気分転換をした方が良い。
コラムは8月末が締切です。
27(日)は、美容院と戸川純のライブ。
28(月)は、新宿に眼鏡を取りに行くつもりが、予定は未定、両日とも出かけず、2日で40時間くらい寝た。
日曜は、目覚ましが鳴る中、「外見をいくら飾ったって人間は中身だぜ」と睡魔が囁き、
「でも、美容師さんが待ってるよ」という天使の声を完封した。
疲れが蓄積していたのだろう、僕は泥のように寝てて、翌日も同様。
しかし、昨日は新宿駅で白煙事故が起きてたらしいから、結果オーライ、寝てて良かった。
40時間も寝てるとは言え、夢の見通しで、一睡もしていないみたいな錯覚だ。
例えば、僕は美術系の予備校に深夜に忍び込んだらしい。
そこには僕以外誰もいなくて、だだっ広い教室で僕は自分の存在が無に等しいと感じる。
それと同時に、無、という存在に気付けて僕は生まれて初めて自分の実存を実感出来た。
隣の部屋は映画館。
深夜だから誰も観客はいないみたいでスクリーンの前に薄いカーテンが引かれている。
僕は最前列まで行き、舞台に飛び乗って、即興で演技をしてみた。
薬師丸ひろ子の「Wの悲劇」をイメージして。
すると客席にはチラホラと人がいた。
どうやら、スクリーンの前のカーテンも演出だったようだ。
まずい!
僕は舞台から飛び降りて、前の扉から走って逃げた。一目散に逃げて、しばらくして後ろを振り向いたら追っ手は来ない。
僕は、<な~んだ、実験映画だったのか。だったら銀幕に向って立ち小便でもしてやりゃ良かったぜ>と、
安全が確保されると強気になった。
その他にも、東京ドームで野球をやったり、青山のトンカツ屋で注文を間違えられたり、不倫調査の片棒を担いだり、
中野駅で痴女集団にストーカーされたのを、自慢の脚力と時刻表のトリックを使って、まいてみせたりして、
夢の中でも大忙し。
そして長い眠りから目を覚まして、朝、テレビをつけたら、北朝鮮が3発ミサイルを撃ったと言っていたものだから、
夢より現実の方が突飛だった。締切まで、あと2日。
BGM. シーナ&ザ・ロケッツ「ユー・メイ・ドリーム」


甘くて冷たい、アイスクリーム

27/Ⅹ.(木)2016  今日は秋晴れ。
前々々回の「夢の展覧会」に2回登場した、アイスクリーム・ベイビー、は大学の同級生。
性格が悪く、意地悪だから、顔の一つ一つのパーツの作りは良いのに、
ファッションセンスがダサいから、「好きな子」とか「ルックス」という文脈で語られることが稀有な女子だった。
それでも彼女は僕にはやさしくて、僕が授業をサボってるとプリントを1枚余計にとっていてくれたり、
「川原くん、サボりはダメ!はい、プリント。面倒かけさせないでよね」とか、
「これ昨日の分のノート。貸すからさっさと写して。それ以外の目的に使わないでよ」などと、
ツンデレなどいう用語が存在する前の20世紀の終りに、立花みさと級の輝きを放っていて、
僕は「甘くて冷たい」から「アイスクリーム・ベイビー」というあだ名をこっそり付けていた。
略して、アイス、と呼ぶこともあった。
アイスは、勉強がとても良く出来た。
僕は精神科医になるため医学部に入学したから、目的が明白な分、それ以外の授業は無意味に思え、
従って、モチベーションが上がらず、パフォーマンスは下がった。
医学部は6年制、僕は毎年スレスレの成績で進級をした。
国師を通れば良いのだ。それまではビリでも良いから、まず進級、と目標を低目に設定していた。
大学4年の時、いよいよ、僕はピンチで、<もうダメかもしれない…>とあきらめかけた。
そして僕は現実逃避。
<将来は、アイスクリームと結婚して、ヒモのような生活を送ろう>と思った。
アイスにそう打ち明けてもみた。
すると、アイスは真顔で僕のノートに、
「めざせ、タッちゃん、BSL」と書いた。
これは当時、流行っていたマンガ(アニメ)「タッチ」のヒロイン・南ちゃんが主人公の達也に、
「めざせ、タッちゃん、甲子園」と書いて部屋に貼るシーンのパロディだ。
BSL(ビー・エス・エル)とは、ベッド・サイド・ラーニング、の頭文字で、5年生になると出る病棟実習のことだ。
つまり、アイスは、「一緒に5年生に進級しよう」とエールを送ってくれたのだ。
アイスは模範生だったから先生達のウケもよく、
「もしBSLに上がれたら同じ班になれるようにお願いしてみる。川原くんの面倒みなきゃだものね」と微笑んだ。
そして僕は頑張って、元々、やれば出来るタイプだから、目出度く5年生に進級した。
しかし、BSLは別の班。
アイスに、<同じ班になれなかったね>と言うと、
アイスは、「川原くんと同じ班になんかなったらお世話係で大変よ。あーあ、良かった、良かった」と底意地悪く
そっぽを向いた。
当時、「IT’s」という清涼飲料水のCMに、オードリー・ヘップバーンが「ローマの休日」の髪を切るシーンで登場した。
僕は髪を切ったあと、鏡に写った自分の姿を左右に振って確かめるオードリー・ヘップバーンの美貌が、
アイスに似てると思い、「アイス、オードリー・ヘップバーンにそっくり説」をクラスに吹聴した。
アイスは性格が悪いからクラスの皆は、アイスの外見の美しさに気付いておらず、
アイスの服はイモいから、「相変わらず、川原はおかしなことを言ってるなぁ」と口々に言い、
「この間は、トモエくん(男)のことを、甲斐智枝美、に似てるなんて言ってたし」と丸無視された。
それでも、そのあと、こっそりとクラスの目立たない奴と、暗い奴と、キモイ奴が1人づつ、僕のそばに寄って来て、
「●●(アイスの名前)は、オードリー・ヘップバーンに似ているよ」と言った。
僕は6年間で彼らと口をきいたのは、それが最初で最後で、彼らが何という名前かも知らない。
そのCMのせいか、テレビの洋画劇場でタイムリーにも「ローマの休日」が放送された。
僕は見逃したが、アイスクリーム・ベイビーは録画したという。
アイスは僕に、「みた?みる?」と言った。
僕は内心、<アイスが、オードリー・ヘップバーンを録画。自撮り、じゃん。貴重だ>と思った。
自撮り、なんて言葉、まだない頃だけれど。
そして、<みる!みる!>と答えた。
僕のアパートとアイスの実家はご近所だった。
それは僕がアイスの家の近くのアパートを借りたからで、ま、軽くストーカーですね(笑)
アイスはビデオを学校にではなく、僕のアパートまで散歩がてら届けてくれた。
なのに、その日に限って、BSLの班員がうちで酒盛りをしてやがって、せっかくのチャンスだから奴らをたたき出し、
僕はアイスと二人で僕の部屋でアイスの持って来たビデオをみた。
アイスは映画のオードリー・ヘップバーンをみて、僕は画面をみてるアイスの横顔をみてた。
アイスの録った「ローマの休日」はCM入りで、CMのたびに、アイスに、「川原くん、映画に集中!」と怒られた。
下は、昔の夢日記の表紙に貼った、CMに使われたオードリー・ヘップバーン「ローマの休日」の一場面。↓。


僕は医者になってから数年後、電車の中でバッタリ、アイスクリームに出会ったことがあった。
アイスは小さな男の子を抱っこしていた。
アイスから僕に気付き、声を掛けられた。
「この子、私の子」<エッ?>
「私、結婚したの」<エッ?>
「バツイチなの」<エッ?>
「うそよ(笑)」<エッ?>
「(笑)ホントよ」<エッ?>
と、出会いがしらの連続パンチのご挨拶だ。
アイスは、その子の手を持って、「僕は頑張るのだ~!」と、エイエイオー、みたいなポーズをした。
それをみて、僕は昔、きっとこの子になりたかったんだな、と思った。
そして僕はその子の目をじっとみて、<僕に出来る事なら何でもするよ>と瞳で語りかけたら、
その子は手を伸ばして、僕の鼻をギューッとつまんだ。
アイスは、「川原くんの鼻はつまみたくなるのよ」と真剣に解説した。
ならばと僕は、アイスの方をみて、ちょっと鼻を突き出すようにして、数秒、顔を向けてみたが、
アイスは鼻をつままなかった。
そして、アイスが先に電車を降りる。
僕らは手を振って別れた。
僕は車窓から彼女の背中を見送った。
アイスは一度も後ろを振り向かなかった。
僕は、<相変わらず、アイスクリームだなぁ>と思った。
次の駅で僕も降りた。
僕は、つげ義春の「もっきり屋の少女」のラストみたいに、「頑張れ、アイス」「頑張れ、アイス」、と手を振り上げながら、
病院への道を歩いて行ったんだ。
下が、「もっきり屋の少女」のラストシーン。↓。


来年の2月には、何十周年記念かで大学全体の同窓会があるそうです。
会えるかどうかわからないけど、僕はアイスとその他に会いに行ってみようと思います。
BGM.RCサクセション「うわの空」


夢の展覧会(完璧版)

14(金)~20(木)/Ⅹ. 2016
ベルハー・ショックの、みずほロス、で、こんな時は何を言ったらいいのか、わからない。
FM北海道「みずほのほ」には、<あまりのショックで手がふるえます>と、
ふるえた文字のファックスを送ってみました。…ちょっと、怖いですね。↓。


気分はまるで、フォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」、で、そんな時こそ互助精神で、
スタッフに何かご機嫌な記事で繋いでもらって、時間を稼いで、気持ちを立て直せればとも思うのだが、
気分が下がっていると、人に頼るのも億劫で…。
人に頼れないなら、昔の自分に力を借りよう、と、思いついたのが、僕は高校の頃から夢日記をつけていて、
時々、挿絵も添えているから、それらをアトランダムに載っければ、まるで、夢のイラスト展覧会。
絵には解説は無用の長物、風味を味わってもらえばよい。
あっ、待てよ。今、僕の携帯電話はカメラ機能が壊れたままだから、撮影を誰かに頼まなきゃ、だ。
頼めば、誰も嫌とは言わ(え)ないだろうけれど、それもそれで気を使い、とかくにこの世は住みにくい。
そんな、すったもんだ、も、一っ飛び、完成させました!夢の展覧会。
・カラス貝のマニキュア女vsトラディショナル・ブルー~瞳~少年風(1981.9月)


・伊藤つかさは、トマソンがお好き(1982.1月)


・貪婪(どんらん)…非常に欲が深いこと(1982.1月)


・手のひらを太陽に(1982.1月)


・もう君に逢うこともない、心は揺れても(1982.2月)


・小田急線のひとコマ(1982.2月)


・本厚ちゃん(1982.3月)


・キヨシローのまね(1982.3月)


・川守田(1982.4月)


・一人になりたい…ううん、一人がいやだから。(1982.7月)


・伊代はまだ(1982.8月)


・天才の誤算(1982.9月)


・テスト前日(1982.12月)


・物理ダメ(1983.2月)


・ダルなboyは、Love is Real.(1983.3月)


・マリン・スポーツ(1983.5月)


・カルピス(1983.5月)


・誕生日。小指と小指をつないで歩く、理科室でキス(1983.7月)


・夢見る年頃~36/38≒95(1983.8月)


・野球大会(1983.8月)


・クリスマス・イブ(1983.8月)


・恋人峠の昼下がりPart.2(1983.9月)


・すっかりトロピカル(1985.7月)


・明日のイブはRC(1985.12月)


・オキドキの古着で遊園(1986.5月)


・直ちゃん(1987.6月)


・Hanesの白のTシャツに血を滴らせてしまった(1987.6月)


・元・日本軍の男と、ユキヒョウ(1987.7月)


・大船観音がくずれた(1987.7月)


・みつけてくれたらキスしてあげる(1987.7月)


・甘くて冷たいアイスクリーム・ベイビー(1987.7月)


・気がつけば兵隊(1987.7月)


・眠れ。ライオネル・リッチーの墓の上(1987.7月)


・スタン・バイ・ミー(1987.8月)


・ニース予想図(1987.8月)


・アイスもハシャいでる、僕は日焼け(1987.8月)


・ダチョウ(クジャク)ともも焼き(1987.8月)


・僕は照れる(1987.8月)


・新宿地下の靴専門店(1987.8月)


・過ぎ行く夏を惜しんで~絵を描く2人の少女(1987.9月)


・念力(1987.9月)


・さっきまでの競争のつづきだ(1987.9月)


・渡り廊下の窓から連中が手を振る(1987.9月)


・脳外科はじまる(1987.9月)


・お前はストーブの前でのびていた。あくびしかしなかった(1987.9月)


・聴神経腫?すぐに手術(1987.10月)


・宙に浮く機械(1987.10月)


・すいみんやくが欲しい(1987.10月)


・明るく生きるコト(1987.10月)


・サンボのジャケット(1988.7月)


・オバQが正ちゃんのクラスの記念写真に写ってしまった。皮膚科テスト、60点。(1988.7月)


・ウサギに乗って空を飛ぶ(1988.12月)


・うその固まり(1989.1月)


・すべては幻想である(1989.1月)


・柔道(着)一直線!激しい視線の火花が散る(1989.4月)


・世代交代の口約束(1995.3月)


・2002.8月6日からの夢日記の表紙


BGM. サザンオールスターズ「別れ話は最後に 」