ゲーム2夜〜アイコラ、コラ💢

30/Ⅲ.(土)2024 はれ。問題児・花咲れあが謝罪から開き直り!水着姿公開し、「そろそろFANZAかブラジルに行くしか道がなさそうだけどどっちにしようかな」炎上から大喝采へ

前回の続編。

例題を兼ねて。問題1。診察室の芦田愛菜・バカボン❤️。下の写真とどこかが違うぞ?

どこだかわかりますか?

ほっぺの渦巻きが「赤」から「青」になってます。青の🌀は、僕のお手製。

さて第2問。からかい上手の高木さん。プールでの間違い探し。

下の絵との差は?

正解は、西片が僕に変更。僕は、妖怪かストーカーみたいですね。

第3問。美空ひばり。金鳥の夏。

どこが違うでしょう?

正解は、「金玉」の夏。「こんぎょく」と読みます。

第4問。キテレツ大百科のコロ助。

どこが違うでしょう?

コロ助の頬が紅に染まってます。「はじめてのチュウ」の副反応でしょうか?令和初のねずみ年の年賀状より。荒井注(あらい・ちゅう、志村けんの前のドリㇷのメンバー)。

第5問。寝釈迦コーナー。

どこが違うでしょう?正解は実物大。

モスラの幼虫をタバコがわりに咥えたり、寝釈迦像を片手にポーズ。ウルトラQの、ナメゴン、は寝釈迦ポーズのカエルに寄生。

精神安定?

寝落ちしました。みんな疲れてますね。

第6問。歯痛(は、いた)ポーズの人。

歯痛の川原はロキソニン。

歯痛の文化部長のスーちゃんはイブ。

第7問。三島由紀夫。

陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地でアジる三島を思ふ。首部(こうべ)には、サンリオでもらったキティちゃんの紙製・カチューシャを鉢巻に模して。

第8問。ねじ式。

もはやクイズというより、アイコラ写真の紹介です。白ハート=スーちゃん、せむし男=川原。

第9問。毛皮のマリ―。

美輪明宏=川原、少年=スーちゃん。

第10問。大瀧詠一。

どこが違うでしょう?

スーちゃんは一回、顔を載せて白いハートで消す二度手間。それなら最初から消しても良さそうだが、そこは「円谷英二」精神。見えないところにも手を抜かない。男は外人なので鼻を高くするため、金属製のクリップでプチ整形。割と痛い。お洒落は我慢だ。

第11問。アグネスラム。

中1の時にファンでした。当時も似たようなことしてました。

第12問。横尾忠則の、ON砲。

クイズというより、形態模写になっています。スーちゃんは、国民栄誉賞・王貞治の現役時代を知りません。間近でみる一本足打法の気迫に「怖い」と囁きます。

第13問。偽物語よりキスショット。

これはスーちゃんに麦わら帽子をかぶらせ、僕が不慣れなPCテクニックを駆使して彼女の個人情報を死守した力作。

第14問。麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」。

これも一旦、スーちゃんの顔を貼って、白ハートで消す。

第15問。郷ひろみ「よろしく哀愁」。

ガダルカナルタカ、か、お見送り芸人しんいち、か、じゅんいちダビッドソンに似てませんか?(笑)ジャスティン・ビーバーの斜め顔に似てるとも言われました。

第16問。オイル時計。

逆さにすると綺麗です。

オイル時計の擬人化。

逆さにしました。

 

以上です。

BGM. 森尾由美「天気予報は I Luv U」


スピリチュアル4部作②「少年よ大志を抱け」

池の鯉に一目ぼれした少年たつじは、鯉が英語でカープであると知って、広島カープを応援する。少し野球をやるがすぐ止めた。ウルトラマンやポケモンにもはまったことがあるがすぐ飽きる。月日だけ流れて自分だけ何もしていない。世間体を気にする親から「何かしたら?」とつっつかれ、ネットでみた「大谷翔平、100人の子供たちを米国留学に招待」の記事になんとなく応募。

たつじは20才をとうに超えていたが、人工知能のエラーで選ばれてしまった。渡米したたつじが配属されたのは医学校だった。医学校は「20世紀最後の天才」メロス川原が指導していた。メロス川原については下の参考文献を。丁度漢字の「川」の字の書き順で読むこと。

未完。

メロス川原は、大谷翔平枠の留学生のたつじを可愛がった。「昔は医学と宗教はセットだった。それは、救済、という名前だった。しかし文明が発展し医学と宗教は袂を分かつことになる。元々一緒だった分、両者の中は最悪になる。医学は宗教を金目当てだと切り捨て、宗教は薬は有害だと訴えた。困ったのは間に挟まれた患者だった。その溝を埋める医療の復興を私は目指している。たつじよ、お前は私と一緒に働かないか?」とスカウトした。今まで誰にも承認されたことのない、たつじは二つ返事だ。メロス川原とたつじは医学界の革命児と騒がれたが、一方でそれを恐れたのがアメリカ政府だった。メロス川原をセクハラの冤罪で逮捕した。メロス川原は失望し、一大決心をした。それは「即身仏になる」だった。メロス川原は水の枯れた井戸の下に幽閉した。取り残されたたつじは「俺はこれからどうしたらいいのだ?」と狂気した。そしてメロス川原の井戸に四六時中座り込み、対話した。「メロス川原よ。何故、俺を置いていく?」「たつじよ、私はもう人類に絶望したのだ。最後の望みは、たつじよお前だ。今だから言おう。お前が二十歳過ぎてるのにここに入れたのも、医学校に進学したのも、AIのミスなどではない。私の采配だったのだ」「師よ、だったら何故、私を置いていくのですか?」「お前は人類が残した最後の良心だからだ。お前はひとりで苦しみながら、私たちが追及した、カタカムナ医学を完成させるだぞ。うっ…さ…寒い」。たつじは羽織を脱ぎ、それを井戸の格子に掛けた。「こうすれば寒さも少しはマシになるはず」。たつじも寒い中、井戸のそばを動かなかった。屈強なガードマンたちもその迫力に制止が出来なかった。結果、メロス川原は酸素不足で死んだ。引きずりだされた「即身仏」をみてたつじはつぶやいた。「ミ…ミイラじゃないか」。それでも、救済を求める患者の後は絶たない。師匠を失った無力なたつじに何が出来る?そして、カタカムナ医学はどうなった?

それはこれからの時間軸。大岡山での、たつじの活躍に刮目せよ。

BGM. 長渕剛「俺らの家まで」


スピリチュアル4部作⓸「大岡山心中」

14/Ⅲ.(木)2024 はれ 松本人志めぐる証言。セクシー女優、文春から取材依頼も「もちろん、断りました」

よくよく考えたらこの子は僕が中学の時に、1年だけ五反田に住んでた時に、マンションにいた子です。しばらくして、「ところでこのフランス人形どうしたの?」って聞いたら、誰も知らない、って。いつのまにか家にいた。皆気味悪がったから僕が引き取った。以来ずっと僕の部屋にいる。もう母が死んで20年くらい経つ。僕とこいつの関係の方が50年くらいだから母を抜いた。誰よりも長い。

かつらはとれて、

ちゃんとかぶせてあげないと。

服もぼろぼろ。替えがないから1度も洗濯してない。

あ~あ、擦れちゃってる。

新しい服を買ってあげたくて秋葉原や中野に行ったことがあるが、ピタリのサイズがない。

スカートもボロボロ。

前にうちにいた大平さんが服を作れるはずだからLineで頼んでみたら、「作ってあげたいですがヤキモチ焼かれたら困るので買いましょう」と探してくれることに口約束。

今、エネルギー療法の先生に気功を習ってるのだが、先生のお母さんが人形の服を作ると聞いたので頼んでみたら、

「そもそも、このお人形ちゃんは、マジでヤバいです!!ちょうど次回は、中級の徐霊編ですよね!この時に成仏というか、御霊を上に上げてあげるのはいかがでしょうか?その後は、お焚き上げ.comに送るのが理想かと。。川原さんがそのままお人形を、御霊入りのまま大事にされたいというのでしたら、それでも良いかも知れませんが、、御霊にとって、いつまでも現世に留まり続けるのはあまり良い事ではありませんからね」だと。

 

で、どうするのか、って?

 

 

「お人形が可哀想だから家に置いときます」。

BGM. RCサクセション「ダーリン・ミシン」


大岡山デート~時を忘れて

26/Ⅰ.(金)2024 寒い 昨日の松本人志不在のダウンタウンDX、浜田雅功の第一声は「ありがとう」

 

今日は時の経つのを忘れちゃうようなデートです。視聴者応募企画です(笑)。

まずは時間ドロボウと戦う「モモ」の作者・ミヒャエル・エンデの写真と、あなたの時計とスマホを預かる係のスピードワゴン・小沢の名言「一人じゃ夜に勝てる気がしない」です。

まずは最近の僕の行きつけの店の紹介。この焼鳥屋は遅くまで開いてるので重宝です。ピーマン体操の有馬かなちゃんは実はピーマンが嫌いだと聞いたので、あなたは大丈夫かな?と考えながらピーマンを撮影しました。

これだけアップだと嫌だろうと思ってシャッターを切ったあと、

偶然、体にカメラが触れて勝手に写真が撮れました。それが下の写真です。僕は「奇跡のピーマン」と名付けました。芦田愛菜ちゃんが微笑んでいます。

僕は町中華で利用するラーメン屋でこないだ喧嘩しちゃってもう行きません。僕が入ろうとしたら、「後、ラーメン2玉なんですよ」と言われたのです。分かります?一つは僕だとして、残りひとりだから、あまり長居されても困る、と遠回しに言われたのです。僕は「わかったよ。またね」と言ったら、こっちの顔色を察したか相手はオドオドしていました。こちとら江戸っ子だい。そんな扱い受けた店ぇなんか2度といかねぇと絶縁です。

 

日曜日によく昼から行って、家族にお土産を買って帰ってた「とんかつ屋」。こないだ家族に「とんかつ屋、行って来る」と言ったら、止められまして。「?」と聞いたら、「あなたが、とんかつ屋と喧嘩して、もう2度と来ないと啖呵切って来たって。でも忘れちゃうかもしれないから、とんかつ屋に行くと言ったら、止めろ、って言ってたじゃない」だって。かぁ~この店もダメか。

 

挙句が焼き肉屋。その日は早く閉めると言うからどうしたのだろうと思ったら、親戚に不幸があったから、朝早いのだと。僕は常連客だから、ポチ袋に1万円札を入れて、おかみさんに渡して帰った。次回行ったら店主が丁寧に「こないだはお心遣いありがとうございました。でも、あれは受け取れません。いつも飲み食いしてる代金より多いじゃないですか。また来て欲しいから」だと。「いやいや、こっちは江戸っ子だい。一度出した金を引っ込められるかい」って跳ね返したが、それでも俺の手にポチ袋を握らせるから、頭に来て、「わかった。もうてめえの店は二度と来ねぇ」と喧嘩して帰って来ちゃって。近所で行く店ないよ。こういう喧嘩の仲裁をイエスさまがやるのを小学校の聖書の時間に聞いたな。それを思い出して、カワクリで「聖劇」をかつてやりました。それの再録をします。初めての人は新鮮に、みたことある人は懐かしがってみて下さい。

出演・うかい、スー、渡辺、川原。

↓。

・【三方一枚損】

村人Xが、煙草を吸って休憩していた。↓。

そう長居もしてられない。その場を去る、村人X。↓。

「あ~腰が痛ぇな。休憩でもするか」と村人Yがやって来た。↓。

村人Yが煙草を吸う。↓。

「おや?こんな所に忘れ物がある。ベルハーのCD3枚。今となっては貴重な物だ」。↓。

「おいおい、お前さん、忘れ物だよ」。↓。

「ベルハーのCD3枚、あそこのベンチに忘れてあったぞい」。↓。

村人X「確かに、これは元はあっしのだ。しかし、一度、あっしの手から離れた物だ。拾ったお前さんの物だ」。↓。

村人Y「いやいや、あちきだって、ナザレの生まれよ。こんな物を受け取った日にゃ、村の笑いモンだ。お前に返す」。↓。

なにを~、わからずやめ~。こうなりゃ、フェンシングで決闘だ、望むところよ。↓。

やめれ、やめれ~。喧嘩はいけねぇだ~。↓。

誰か仲裁ばしてけろ~。↓。

そこに現れしは、ナザレのイエス。「どういう訳で喧嘩になったか経緯を教えてくれないか?」。↓。

「なるほど。3枚のCDを、落とした方も、拾った方もお互いに受け取らず、相手に与えようとしてる訳だな」。↓。

何か良い解決策がないものか。無駄な血を流させる訳にはいかない。↓。

ひらめいた!「ここにもう一枚、同じベルハーのCDがある。これは私の物だ」。↓。

これをさっきの3枚に加えると合計4枚になる。↓。

それを2枚づつに分けて、おのおのに分けることにしよう。↓。

村人Yは、本当なら3枚もらえるところが2枚だから、1枚の損。↓。

村人Xは本来なら3枚戻ってきていいのに、2枚しかないから、1枚の損。↓。

そして、かくいうイエスも自分のCDを与えたのだから、1枚の損。↓。

「こうして、みんな平等に、1枚づつ損をした、ということでどうだ?」「なるほど、それなら合点がいくぜ」「こりゃ、一本とられた」。

これぞ、名裁き「三方一枚損」。↓。

アホか~!どこが聖劇やねん。大岡政談じゃないか。いい加減にしろ。↓。

という訳で、おしまい。田舎のお母さん、見てる~?アーメン。

 

↑どうでしたか?聖書の教えと、大岡裁き、って似てる話があるんで、解決したのがイエス様か大岡越前か迷うことがあるんですよね~

 

さ、夜通しデート、と言えば、まずは、定番のカラオケだ。

昔の友達(女子)からこんなレターを貰った。

 

川原くんへ

火曜日、昭和のアイドル曲カラオケ大会があって歌わなきゃいけないんだけど、何歌ったらいい?😵‍💫聖子ちゃん以降でお願いします。そして今の私が唄ってもイタくないような感じの。

と言われたからいくつか候補を出してあげた。

僕らもそれをするか?お互いが相手に歌わせたい歌を選択するの。僕からのリクエストは、

竹内まりや「不思議なピーチパイ」杏里「オリビアを聴きながら」岡田有希子「くちびるNetwork」原由子「ハートせつなく」松田聖子「制服」です。

あなたのリクエストは?

 

それでは夕ご飯。大岡山から歩いて行けるけど、電車なら一駅、奥沢の店。テレビで紹介されたこともあるって。

ワインで行こう。

最初は、骨付きソーセージ。マンガに出てくる肉みたいですね。たとえば、はじめ人間ギャートルズ、とかに。

シーフードピザ。タバスコってアントニオ猪木が日本に輸入したんだよ。

そしてこのパスタが「マツコの知らない世界」で紹介されたんだって。「ガーリック明太子と大葉スパゲティ」。

タンシチュー。

お店はこんな感じだよ。

これが「証拠」。

 

さて、まだまだ夜はこれからだ。大岡山のクリニックに戻って映画をみよう。きっと僕らは、面白い映画ってなんだ?、という話になって結構ややこしい方向に彷徨ったりしながら、最終的には喜劇映画に落ちつくと思う。僕が二十歳の頃、月に一回、土曜の夜、浅草の六区の映画館でクレージー・キャッツの5本立てのオールナイトをやっていた。それをここで再現しよう。僕はクレージーの映画なら大抵持ってる。あなたは興味はあっても、女の子が1人で行くにはハードルが高いと思うから。

 

カワクリシアターは、テレビモニターの前のソファで。

アニメ開始から10年以上経ってるけど、さすがに学生服はまずいから私服にして。

さて席亭は私が務めましょう。
一本目が「ニッポン無責任時代」で二本目が「ニッポン無責任野郎」。この2本は、川原達二が選ぶ日本の喜劇映画10本に間違いなく選出される作品で、そんな架空のランキングなどどうでもよくて、この2本はそれぞれが面白いのだが、話がつながっているから続けて観ると何倍も面白いよ。

まだ観てない人は、観るといいです。
順番を間違えないようにね。「~時代」、「~野郎」の順です。

きっとあなたは嬉しそうにゲラゲラと笑いころげてて、2本が終わると輝いた顔をして、「スゴイね!」と興奮しているはず。つづいては、海外ロケの「黄金作戦」と後期の傑作「ぶちゃむくれ大発見」

あなたはついにこの辺で飽きて来て、映画の途中で眠り出すだろう。だから、オリエンタルなゴザをひいてげるよ。そこで横になりな。

風邪ひかないように、僕のニットをかけてあげる。

こうして映画館は観客は僕一人。

 

ラストの5本目は、「喜劇泥棒家族」にします。
ストーリーは、ある島の住民は全員が泥棒で、時々、船で本土へ行っては集団で泥棒をして生計を立てていた。その島の泥棒のボスが植木等で、植木は昔、警察に捕まって拷問を受けて片足が動かなくなって、杖をついていた。警察はいよいよ本腰を入れてこの泥棒達を捕まえようとし、島に乗り込んでくるのである。
圧巻は、男どもが次々に逮捕される中、最後に残った植木等が刑事に追い詰められるシーンである。
なんと、植木等はそこで杖を捨て、動かないはずの方の足をヒョイ・ヒョイ・ヒョイと動かしてみせ、画面いっぱいに満面の笑みを浮かべ、空を飛ぶ鳥のように、海を泳ぐ魚のように、活き活きと走り回るのである。
植木等、健在!という感じだ。
何だか僕は、この僕以外は寝てる映画館で、1人、感動しているのである。
結局、泥棒は全員捕まり、働き手(と言っても泥棒だが)を失った島は女と子供だけになった。警察は、泥棒は逮捕したが、盗まれた金品を島から見つけ出すことは出来なかった。ボスである植木等が、決して口を割らなかったからである。
ラストは、自転車の練習をしている子供に女たちが、気をつけなさいよ、と声を掛ける。
子供は、それでもよろめいて、電柱にぶつかって転んでしまう。
ほら~、言ったばかりでしょう、と女たちが駆け寄ると、自転車の前のライトのガラスが割れて、中から金銀財宝が顔を出していた。植木等は警察の目を誤魔化すためにここに隠していたのだ。驚く女たち。キラキラと輝く宝石のアップで映画は終わった。
不覚にも僕は感涙して、少し落ち着いてから、あなたを起こして映画上映はおしまい。
犬一匹、猫一匹いない。カラスも鳴いていない。クリニックに差し込む朝の光。僕はその朝日と瞼に焼きついたキラキラの映画のラストシーンの両方を自分の未来と重ね合わせて、先はみえないけど何とかなる、と根拠のない確信を得て、頑張ろうと心に思ったんだ。

朝だよ。東京の空はいつのまにか綺麗になってるね。

ブルースカイブルーって感じ。

どうする?昼までいる?とりあえず、お昼は食べようか、北口商店街の蕎麦縁「さかもと」へ。僕はカレーうどんにするよ。

鶏のから揚げも頼むから分けて食べよう。

 

どうでしたか?時を忘れたデート。僕らはこんな風になれるといいなと思いました。

 

感想だけどやっぱり門限は決めといた方が良い気がするよ、シンデレラ。

 

BGM. クールス「シンデレラ」


呪物

19/Ⅰ.(金)2024 寒い。松ちゃんの女性セレクト指示「人妻」「高校や中学の先生」「スタバの店員」。

 

いきなりですが問題です。下の中味は何でしょう?

正解は、大谷翔平のTシャツ。

デコピンと一緒。今日あたりは、大谷が全国の小学校に贈ったグラブがお披露目される頃でしょうか?

 

僕の方はと言えば、歯痛は歯医者も整形もお手上げ。「実は帯状疱疹では?」という意見まで。昨日はロキソニンや漢方を飲みまくり湿布を貼りまくるも、30分と保たず。こうなったら後は「愛」しかない。「お手当て」などという言葉があるようにずっとさすってて貰いたいが現実的ではない。そこで思い出したのはいつも僕と一緒に寝ている子。

 

「この人形」はいつからか家にいて、誰が家に持ち帰ったのかは家族の誰も心当りがなかった。きっと、プレゼントかどこかのお土産で貰ったのだろうが、その行為自体を当人が忘れてしまっているようだ。昔の家族も今の家族も、(構成員は別なのだけれど)、皆、こぞってこの人形を不気味がる。だから必然的に人形は僕の部屋に飾られて、もう4~50年になるのか。↓。


残念ながら、この人形に何か特別な力がある訳ではなくて、ただ、僕の中学受験のための塾通いの頃から中学合格、その後の僕の生活をずっと見てきて知っている。僕がマンガを読んでいる時も、投函しそびれたラブレターを書いていた時も、ホルンの練習をしていた時も、深夜ラジオを聴いていた時も、友達が遊びに来て馬鹿騒ぎしてる事も、親に隠れてウイスキーをこっそり飲んだことも、憬れのアイドルのピンナップも、好きなプロレスラーのポスターも、僕のお気に入りの歌手とレコードも、整髪料で髪型に異常にこだわって鏡の前に立っていた姿も、それから、僕の喪服姿も何度か見て知っている。
僕の歴代の彼女も、一回きりの人も僕の部屋に遊びに来たことのある人は皆会っている。今も、僕の部屋に来れば会えます。

中川翔子のデビュー10周年を記念したライブ「超☆野音祭」、日比谷野音にも連れて行った。せっかくだから、マイナスイオンを発する緑の中に、人形を出してやり記念撮影した。↓。


今回のライブは皆、サイリウムを手に持っているが、僕はうっかり用意してこなかった。すると隣の人が、サイリウムを2本くれた。しょこたんのファンは皆、親切なのである。前にも、貰ったことがある。ところで、僕の人形はどうしたかと言うと、ちゃんとこのような形でステージを見ていました。↓。

僕の好きなジョークで、「あいつ100人の女と付き合ったらしいぜ」、「お前も言いたきゃ、そう言えば?」って言うのがあり、僕の「歴代の彼女」って実際のところは好きなアイドルやタレントのことで、山口百恵、高田みづえ、竹下景子、石野真子、柏原よしえ、オードリー・ヘップバーン、伊藤つかさ、キューティー鈴木、三田寛子、浅香唯etc。でも生のライブを見たのは生涯初だと思う。

そんな彼女を霊能者は「もう呪物です。納めては?」というが、こいつを手放すくらいならたとえそれが地獄でももろともだ。でも呪物ならと思い、この子に「つらいから痛みをとってよ」とお願いして患部に彼女の手を当て一晩寝た。そうしたらウソみたい。朝起きたら歯痛がケロッと治ってる。

現在午後9時2分。今のところ痛みの再発はない。

BGM. 斧乃木余接(早見沙織)「 オレンジミント 」


今年も大岡山近辺でデートしましよう。

9/Ⅰ.(火)2024 はれ 文春砲恐るべし!今度は、亀ちゃん

 

1月9日はカワクリの開業記念日。仲睦まじき、秋篠宮家。右から、眞子さま・佳子さま・悠仁さま…?あら、悠仁さまのお顔が…。

カワクリはお誕生日の飾りつけをしました。

 

しかし、今日のスポーツ紙の一面はどこも「松ちゃん」でしたね。次回の「ワイドナショー」には出るそうだから録画しないといけませんね。

さて、そんな年明けですが、今年も大岡山デートをしませんか?お暇なら来てよね、私さびしいの。と、五月みどり風に初めてみました。

 

新年なので普段使ってるコースターも変えました。これまでは「デデデデ」の「おんたん」。

「デデデデ」は今度劇場版アニメ化されるそうですが、「おんたん」役の声優は、あのちゃん、がやるそうです。ちなみに主役の小山門出はYOASOBI の幾田りら(いくら)です。待ち遠しいですね。出来たら一緒に行きたいですね。

新調したコースターは、ぺろりん先生の所属する「でんぱ組」。

 

それではデートのスタート。まずはランチだね。「孤独のグルメ」でも紹介された、九絵、に行こうか。

漁師料理と名乗るだけあって威勢がいいです。相変わらず店内で大声で夫婦喧嘩をしてて、ホールを担当するブレイキングダウンに出て来そうな息子にお正月の「地震」と「飛行機事故」の陰謀論を聞かされました。これを、人情味がある店、と言ってリピーターが多いから、蓼食う虫も好き好き、ですね。

 

これが「九絵定食のなめろう付き」。

お刺身の下はサラダになってます。

これが煮物。

あら汁。

なめろう。

自家製の卵焼きときんぴらごぼう、など。

ご飯はお代わりし放題だけれど、あなたは最初から「ご飯、半分」にしておいたら?ボリュームがすごいから。美味しいけど食べきれないでしょう。

入り口の貼り紙だと大将、患ってたみたいですね。全快お祝い申し上げます。

久絵の店名は、「腹いっぱい食え~」という意味だそうです。まさかの駄洒落。

大岡山には、駄洒落を使った店が散見されます。たとえば、印鑑屋。

鳴穂堂、の駄洒落なんですね。なるほど。

 

大岡山を舞台に撮影されたものに、「ギボムス」があります。原作はマンガ。

ポップは当時の受付の鈴木さん(元うかいさん)が書いてくれました。

新年の2日にスペシャルをやったそうで、鈴木さん(元うかいさん)は「面白くて3回みた」そうです。

クリニックのテレビは節電中なので、ギボムスのポスターを。節電中のピカチューも鈴木さん(元うかいさん)が描いてくれたポスターで、節電チューとピカチューを掛けた駄洒落です。

鰻屋さんでもらったアンパン。これ、ギボムスのお正月スペシャルのドラマの最後に出てくる商品なのだそうです。

セブンイレブンで売ってるそうです。

ベーカリー麦田のロケ地で自撮りしました。パン食い競争の要領です。

 

夕飯は中華に行こう。歩いても行けるけど電車で一駅、奥沢の四川料理・荒木。

まずは青島ビールでいい?

前菜はクラゲ。キュウリは抜きました。欲しければ別盛でもらいましょう。

味変にお酢を掛けると美味しいよ。

これは腸詰。ネギが嫌なら別盛にしようか。

紹興酒はストレート。あなたも少しはお酒を飲んだらいいのに。覚えたての歌を歌って欲しい夜だ。

これはフカヒレ姿煮。

最後は四川だから麻婆豆腐で。僕はご飯を麻婆豆腐の上に載せるタイプ。

 

僕の子供の頃はよくみんなで中華街に行ったものです。父が眼科をやっていて従業員がたくさんいたのだけれど、その中に中国の人がいて、その人の親がやってる店が中華街にあったから。その家は何人もの姉妹がいて、長女は僕が幼稚園の頃遊んでくれたお姉さんで、末っ子は僕が浪人時代に励ましてくれた少し年上のお姉さん。好きだった人。

うちの眼科には眼鏡部という眼鏡や訓練を担当する男の人もたくさんいて僕とよくキャッチボールをしていた男の人は野球とギターが上手な、ギッチョの好青年。
僕が淡い恋心を寄せていた中国人の末っ子の女性とその人が付き合っていると知った時には、お似合いだと思って、祝福した。悔しいけどね。
だけど、彼女の国籍かネックで、結婚は出来ないという話を聞いた時にはショックだった。僕はもうハイティーンだったので、ある程度の事情も理解できるつもりだった。
僕は彼女と茅ヶ崎の海岸を海水浴場から辻堂の方向へ遊泳禁止区域まで話しながら歩いていた。江ノ島が僕らに近寄って来る。
僕は僕なりに良いアドバイスをしたつもりだったが、彼女は「タッちゃんは、まだ子供だから判らないのよ」と馬鹿にした。
すると、急に雨が降り出して、まるで彼女の涙雨みたいで、僕らは濡れネズミみたいになったから、大慌て。
海辺から近くのパシフィックホテルに駆け込んだ。
家に帰ったら、父がパシフィックのことを、「昔は一流ホテルだったが、今は連れ込みホテルになった」と嘆いていて、少し焦った。
後にサザンが「夏をあきらめて」で同じような光景を歌っていたから、僕は桑田にこのこと喋ったっけ?と頭をひねったものです。

しかし僕は訳あって自分の経歴から茅ケ崎を抹消したから、今は「江戸っ子」です。でも三つ子の魂というのか年をとったからか、最近茅ケ崎の子供の頃の家の夢をよくみます。茅ケ崎にはとんど、寄ってないから今更行く勇気はないです。誰かがボディガードのように一緒にいてくれれば行ってみたい気がしないでもないけど。

今度企画します?茅ケ崎デート。

 

BGM. サザンオールスターズ「夏をあきらめて」


発病までの記録

1/Ⅻ.(金)2023 はれ、寒い 吉田拓郎 一夜限りの復活。「‥とかに曲を書いたり」。

 

古い日記をみつけた。1987-1988年のもの。昭和62-63年。昭和64年は1月だけで平成元年になる年です。

タイトルが仰々しいですね。自分がいつか狂うんじゃないか?と思っているから、「遺書的」に残したものでしょう。勿論自殺するつもりではなく、「正常」な時期の記録を残しておこう、的な意味の遺書。その頃は、「正常」と「異常」に明確な区別があると思っていたし、思われていた時代なのがうかがわれますね。島崎藤村の「夜明け前」を意識してたのかもしれません。中身をみていきましょう。

「フリーバーズ」とは僕が作った「総合芸術秘密結社」のことで全国展開を狙っていたが「東京フリーバーズ」の3人のみで終わる。いわば「詩を書かない詩人」の集まり。

同年代の男子がどんどん「大人」になって行くのに焦っていますね。

海に出かけたりして。

あっちゃんとのりちゃんは従妹です。「来日する」とは外タレみたいですね。

アイスクリームとは僕の好きなクラスメート。学級委員みたいに真面目で地味なクセに気が強く「川原君!」と僕には厳しかったが、たまにノートを貸してくれたりするから、「甘くて冷たい」ので「アイスクリーム・ベイビー」と僕が名付けました。この辺は彼女の誕生日だったのでしょう。

タロット占いにすがってますね。下がその時の描写。現代なら写メですね。

物的証拠。

牛久保は、ベッドサイドを回る班の一緒の女子。アイスクリームの傷を埋めてくれてた。

プラカンとは、実際の症例に学ぶプラクティカント、の略。

2内とは、第2内科。当時は「臓器別(消化器・循環器・呼吸器など)」ではなく、そういう言い方をしてた。

牛久保が他の男子と仲良いことを知り、かつ旧友が「大人」になって焦る。

臨床実習ではワイシャツにネクタイで行かねばなりませんでした。ECGは、心電図のこと。

最後のフレーズは遠藤賢司の「不滅の男」の歌詞ですね。

荒れてますね。

さらに荒れる。

ゲシュタルト崩壊。

心を表現するのに「言葉」や「文字」は不要ですね。

「三番目に大事なもの」とは初期のRCサクセションの屈折した名曲のタイトルです。

2外とは第2外科のこと。

日本シリーズ第6戦の9回表、西武の日本一決定目前の場面でファーストの清原が突然涙を流し、それをセカンドの辻がなだめた。巨人に入れると思ってたのに、巨人がドラフト1位に指名したのは、PL学園高校の同期・桑田だったから感無量だったのでしょう。KKコンビがプロ入り2年目の年。俺は何をやってるんだ?

マニックディフェンスしてます。「ええじゃないか」の気分です。

クンちゃん?誰?

アントニオ猪木は雨が嫌いで子供の頃は雨だと学校を休んでたそうです。

新日の暴動とは、たけしプロレス軍団が乱入した時のことです。

ティファニー?そんなところ行ったのか??覚えてない。

占いに行ったりして。

広瀬隆は「東京に原発を!」や「危険な話」の著者。

このランキング、覚えてる人6人、思い出せない人5人。今も付き合いある人1人です。病食もぎりベイビーって誰だ?

斉藤は親友だったけど今は音沙汰なし。消息不明。もう死んでるかも。

東横は、溝の口の東横病院。

なんでしょう、これは。ラブレターかしら?ポエムかしら?それとも作詞?

まぁ、よく医者になれたものです。

BGM. 植木等「そうだそうですその通り」


心の護美箱(75)~川原を支えた女たち

26/Ⅺ.(日)2023 くもり、寒い 日本レコード大賞、大賞候補からYOASOBI「アイドル」除外で物議

 

池田氏というカリスマを失った今、その「団結」には綻びの気配が漂っている、東大閥エリートVS創価大叩き上げ、の骨肉の内部抗争が始まった!…と今週号の週刊文春に載っていた。池上彰と佐藤優の対談もあり、池上彰の祖母が学会員で新聞少年だった池上彰は朝日新聞と聖教新聞を毎日読んでいたが聖教新聞は「立正佼成会の悪口ばかり書いていて、立正佼成会信者が仏壇を運んでて交通事故にあった、とか。仏教団体が他の団体の悪口を書くってどういうことなんだ」と子供心に思ったと語り、僕は「こんな記事載せて良いのか?」とびっくりしたが、対談相手の佐藤優もそれに便乗して話を膨らませてるから良いのか。結局、全部、自主規制で言論の自由はあるんだなと知りました。他にも宝塚花・雪・星組トップが「イジメなしウソ会見に激怒」宝塚幹部に改善要求、や、ジャニーズ問題「ジュリーさん、本当に補償する気ある?」、羽生結弦105日離婚「羽生推し精神科医のコメント」、アンビリーバボー「ギャラ12億よこせ」「昔の写真使うな」北野武が暴走中、原色美女図鑑には市川團十郎と小林麻央の娘・12歳が初登場などとにかく「買い」の号です。

 

さすがに大学6年にもなると、皆、目の色をかえてラスト・スパートをかける。
ただ、なんとなく、ひとこと、「さぁ、俺達も頑張ろうぜ!せーの」みたいなワンシーンが欲しかっただけなのだ。こないだまで一緒にバカをしてた友達がいきなり国試モードになったので戸惑った。本当に、戸惑った、という言葉がピッタリだ。僕は最終電車に乗り遅れたヨッパライのようで、おきざりにされた気分に浸った。こういう時には、人の心に隙間ができる。そこに悪魔がやってくるのだ。あまり親しくはなかった1年後輩の遊び人が「川原さん、一緒に遊びましょうよ」と誘ってきた。学校のそばの繁華街のフィリピン・パブへ行こうという。
「Black&White」とか「おしゃれ泥棒」とかいう名前だったと思う。
そのお店は、ステージが1つあり、あとは広いフロアにテーブルが幾つかあって、各々のテーブルに艶やかな色のチャイナドレスをまとったフィリピン人の女の子がつき、水割りを作ってくれたり、カラオケをしたり、会話を楽しむ、そういう雰囲気。馴染客には目当ての子がいる。
後輩は「川原さんは、マイラがいいでしょう」とマイラをあてがわれた。マイラは、華奢で背格好もそんなに大きくなく、端正な顔立ちをしているフィリピン美人だ。彫が深いというのか、鼻筋がピンと伸び、肉厚のある唇をいつもツンととがらせているから、ちょうど顔面の中央部分が穏やかに隆起しているような造りだった。黄色いドレスを着ていたせいもあり、第一印象は、ひよ子みたいな顔をしてるなぁ、と思った。
マイラは他の子と少し違った。マイラ以外の子は率先して場を盛り上げたり、客とデュエットしたり、それを囃したてるため変な拍子の掛け声をかけたりしてふざけているが、マイラはそれを見て笑ったり手拍子を合わせているだけだった。
僕はそういうところで盛り上がる社交性に欠けていたから、「担当・マイラ」は疲れなくて助かった。後輩のチョイスが正しかった、ということなのだろう。
それから僕はフィリピン・バーに通った。学校帰りに一人で寄って、ビールを一本だけ飲んで帰る日もあった。僕の生活はすさんでいた。クラスはピリピリした雰囲気だし、水は低きに流れる、というのか、どうしても楽な方へ逃げたくなるのが人情だ。僕の足は、フィリピン・バーに流れた。ある日マイラが、明日の日曜日、自分の家に遊びに来い、とこっそり僕に言った。マイラは、真剣な目をしていて、後輩には内緒で一人で来い、と言った。了解した。
翌日、指定されたところで待ち合わせ。彼女らは、7~8人でタコ部屋みたいなところに雑居していた。「お~、タツジ!」皆、顔見知りだから、口々に歓迎してくれた。いつもの仲間、いつもの笑顔、という感じだが、いつもと違うのはノーメイク&私服だということだ。普段の華やかさはまるでなく、なぜフィリピン人はくすんだ色の服を好むのだろうか。仕事で原色ばかり着させられるから、反動形成なのかもしれないな。センス的には野暮ったいが、この方が街に同化して目立たずに生活出来るメリットもあろう。僕らは近所のホカ弁でからあげ弁当を買って食べた。そのあと、川の方に出て、子供たちがするような遊びをして時間を浪費した。川沿いのコンクリートの部分に、僕とマイラは並んで座った。
マイラは正面の川を見ながら、僕の方を一切見ず、「タツジ、もう明日からお店、来ない方がいいよ。勉強しなさい」と言った。僕は「わかった」とか「そうする」とか阿呆みたいな返事をした。どうしてこういう時、もっと気の効いたセリフが出ないのだろう?。いつもいつもそう思う。それから僕は勉強した。
狂ったように勉強した。テレビも東スポも一秒も見なかった。本当に狂っていたのかもしれない。とにかく寝てる時間以外は勉強しかしなかった。そして、そのペースは国試の当日まで持続した。結果、僕は試験に合格して医者になった。
後日談。僕は一度だけ、マイラに会ったことがある。
医局の先輩が、うまい焼肉屋を見つけたからと連れて行ってくれたのだ。店主と奥さんの2人で切り盛りしてる小さな店だ。常連なのか、巨人軍の選手のサイン色紙が壁に飾ってある。その隣りに先輩のサイン色紙がちゃっかり並べて貼ってあり、笑った。お会計の時、奥さんらしき人は、サービスでガムとヤクルトをくれた。顔を見て、僕はビックリした。マイラだった。
「あっ…」と僕が絶句するのを、先輩は不思議そうに見ている。僕が「マイ…」と言いかけて「ラ」の音を発音する瞬間に、マイラは「元気?」と言葉をかぶせて、「ラ」の音を消した。マイラは軽く微笑んでいて、相変わらず、ひよ子みたいな顔だった。

 

心の護美箱(74がいっぱいになったので、(75)を作りました。心の護美箱がなんだかわからない人はバックナンバーを見て下さい。ま、簡単にいうと愚痴を書き込めるページです。「非公開」希望の人はそう書いてくれれば内容はアップしません。みんながどんな相談をしてるのか、これから受診される方には必見です。ただ、その性質上、「コメントは非公開」が多いから、僕の回答しかのってない例が多いです。そんな時は、答えから「コメント」を想像してみるのも一興ですね。

 

フィリピンパブには、何故か日本人の子も勤めていた。当時は不思議に思わなかったが何故なんだろう?ある日、その子に店がはねてから、「自分の家で呑み直そう!」と誘われた。断る理由もないから付いて行った。すると、家に着くなり、彼女は「ちょっと待っててね」と言って、仏壇を開けて、お経をあげ出した。それはルチーンでこなしてる感じの簡素なものだった。
それから彼女は、店からくすねて来たというウイスキーのボトルをバッグから出して、「呑もう!」と言った。僕は、「あなたの信じてる神様は、こういうことして怒らないの?」って聞いたら、黙り込んじゃった。
次の日曜日、彼女は僕のアパートに来て、部屋を掃除してくれた。お礼に近くで、ビールでもおごるよ、と蕎麦屋まで歩く道すがら、彼女は「日曜の昼間に歩けるなんて嬉しい」と言った。僕はなんとなく「僕は、この人と結婚するのだろうか」と思った。
しかし、マイラの禁止令が出て、僕は店に行かなくなったし、彼女からも何のアクションもなかったから関係は途絶えた。何年か経って、気になって、その店のあたりに行ってみたが、それっぽい店はいまだにあったが、店名も変わっているし、もうさすがにその子はいまいと思って、店には入らずに帰って来た。ただそれだけのこと。

BGM. 新かぐや姫「湘南 夏」


芦田愛菜への伝言~退行期うつ病

19/Ⅹ.(木)2023 くもり 50代の男性にわいせつ行為、62歳の男を逮捕 

退行期うつ病という言い方をしたものだ。中年から老人にさしかかる時点で発症するうつ病。区切りを「60才」にするか「65才」にするかで揉めてた議論もみてた。自分は「30才」代だったから、ひとごとというか、研究対象だった。

しかし、自分が「60才」になってみて感じた1番の衝撃体験は、「若い頃の思い出が改変される」のだ。僕は結構お気楽に生きて来たし幸せ者だったし母からも愛されて来たと思っていたがある朝起きたら「全然違うストーリー」になっていて、たとえば「母は兄の方を愛していた」などという実感と根拠がいっぱい頭に浮かんでくる。ある種、一晩にして革命である。死ぬかと思った。「60才」を馬鹿にしちゃいけない。危険がいっぱいだ。嘘だと思うなら生きてみるといい。

 

今日の記事はこれまでに書いたものの切り抜きで寄せ集め。

・11月5日は、母の誕生日。子供の時、兄弟でお金を出し合い、プレゼントをした。おもちゃの指輪で、多分、数百円の代物で、エメラルドのイミテーションで、キラキラの緑色がカメレオンみたいで魅力的だった。母は、その日、父に「子供達が、これをくれた」と報告しているのを、僕はコタツでうたた寝しながら聞いていた。父は、「子供達は、宝石のつもりなんだから、一生、大切にするように」と言うのを、僕は寝たふりをして聞いていた。
実際、母はその通りにして、母が亡くなって遺品を分ける時、宝石箱の中にそれをみつけ僕は素早く、その指輪を抜き取った。
この幼児体験は、のちのちの僕の女子との付き合い方の原型となった。要は、「お金<気持ち」である。僕は大学時代や医者になってからも女子に高価なプレゼントをするのは不誠実だと思った。プレゼントには、オリジナルの彼女を主役にしたマンガを描いたりしてた。
結構、大人になってから、価値観の合う女の子が、「プレゼントに、ブランド物を貰うと嬉しい」と言ったのを聞き、とても驚いた。

・母は薬剤師の資格を持っていて、僕が子供の頃、風邪をひくと、葛根湯(かっこんとう)を少し多めに飲ませた。「ちょっと多い方が、すぐ効く!」と言っていた。喘息には、庭にあるサボテンみたいな(アロエ?)植物を千切って、それを液状化して、僕の胸に塗り込んだ。すると不思議と、ヒューヒューが止まった。あれは何だったのか、いまだに判らない。

・小学校低学年の頃。母が死んだら僕はどうやって生きて行っていいか判らない。だからカルメン・マキの「時には母のない子のように」というヒット曲を聞くとやるせない気持になり、母が死んだら後を追おうと決意した。母が死んだ後に、死ねる場所をいくつかみつける。
僕は泳ぎが出来ないので、海や川は候補から外した。死ぬことより溺れることの方が恐ろしいからだ。
茅ヶ崎駅から少し離れた所に開かずの踏切があり、そこなら確実だと考えた。何度か下見に行った。
ある日、線路の脇の草むらにエロ本が捨ててあった。中味を見た。オバさんがセーラー服姿で載っていて、吐き気をもよおしたが、掲載されてるマンガがシュールで面白かった。誰かが定期的にエロ本を捨てる場所だったらしく、僕は「エロ本の墓場」と名付け、いつしかそこに本を読みにいくのが愉しみに変わっていた。エロスがタナトスに勝利したのだ。
後日、茅ヶ崎ライオンズクラブあたりが「有害図書ポスト」みたいなものを設置して、エロ本の不法投棄はなくなった。
そして僕はその頃には、あまり真剣に死について考えなくなってしまった。

・僕は子供の頃から小さいが背の高さなんてどうでもいいと思うのだが、他人に「タッちゃんは小さいからね」と言われると、母はよく、「サンショは小粒でピリリと辛い!」と怒っていた。写真は、母が作ってバザーに出した麒麟のぬいぐるみ。僕の方が、少し背が高く設計されているのが味噌。赤いマフラーはサイボーグ009。↓。


・下の写真のTシャツは、ケロヨン。となりの婦人は、「木馬座」のもぎりのおばさん。うそ。母。↓

・子供の頃、祖母が蕎麦屋から「もりそば」の出前を取り、海苔をたくさん千切ってかけて「ざるそば」にしているのを発見した。祖母が言うには、「ざる」と「もり」では百円の値段差がある。それなら、自分の家で海苔をかけた方が良いと言うのだ。
帰ってそのことを母に話すと、大きな溜息をつき、昔は、「ざるそば」と「もりそば」では御つゆが違ったものよ~、と現代そば事情を嘆いた。僕は、この親子はアベコベだな、と思った。

・小学校の頃、母の買い物の付き添い役は僕。
横浜の帰りは、ダイヤモンド地下街というところの『鳥ぎん』で釜飯を食べた。
その手の焼鳥屋さんがそうであるように、釜飯が炊き上がるまでの間、焼鳥をつまみながら待つのである。僕は偏食なので、鳥皮を30本とか40本とか食べるのである。そして、母の釜飯を少し分けてもらう。鳥皮だけを馬鹿のように食べる小学生を見て、店のおじさんは「この子は、将来、大物になるよ」とあきれ返り、それを真に受けた母は喜んで、「このお店だって繁盛するわよ」とお世辞で返してたのが微笑ましい。ちなみに、『鳥ぎん』は割とすぐつぶれた。

・子供の時、寿司の出前は高級な「寿司まさ」と決まっていたが、僕は近所の立ち食い寿司屋の「寿司寅」の方が好きだった。
子供ごころに「寿司まさ」は気取って見えたし、性分としてのアマノジャクと判官贔屓もあった。さらに、親に怒られて家から締め出されると、家のお金をチョロまかして「寿司寅」に寄っていた、常連気分も手伝った。だから家で寿司の出前をとる時は「寿司まさ」で大きな桶を頼み、僕用に「寿司寅」で穴子だけを注文した。
そんなある日、「寿司まさ」の出前と「寿司寅」の出前が玄関で出くわしてしまった。桶の大きさが全然ちがう。「寿司寅」のおじさんに嫌な思いをさせたのではないか、と大変気にした。それを知った母は僕に、「タツジの1番は『寿司寅』なんだから、堂々としていればいい」と言い、僕は<なるほど>と思った。

・小4の頃、上級生達も引き連れて、休み時間に野球をやって、ゲームをキリの良い所まで延長したから、皆を授業に大量遅刻させてしまい、そのことで学校から注意を受けた母が、親戚に電話してるのを、こっそり聞いてしまったことがある。電話口に向って、母は、「上級生まで従えて、野球で授業に遅れるなんて、達二は将来、竹見太郎のような大親分になるんじゃないかしら?」と、相談事のはずが、自慢話に変わっていて、僕はそれを盗み聞きしながら、<このままじゃマズイな>と思ったものだ。
ちなみに、竹見太郎、とは、ケンカ太郎、とも呼ばれた、その頃の日本医師会の会長。

・兄の進路か何かの話し合いがされていた。応接間に両親と兄が入って、僕はのけ者。しばらくは、テレビをみたり、一人でおとなしくしてたはず。でも、我慢しきれなくなったのです。子供だし、寒い日だったから。
僕は何度か応接間の戸をノックしたが、話は終りません。いよいよ、どうにも我慢ならず親の気をひくため水銀計をガスコンロであぶったのです。目盛を見ましたが、よく数字が見えませんでした。でも触ると熱いから、<これで良いだろう>とそれを持って、応接間の戸をノック。母は体温計を見て仰天。どうやら、直接炎に点けたから、目盛を振り切っていたみたいでした。母は、それを父に見せました。すると、父は母に言いました。「達二の看病をしてあげなさい」
母は僕の方に来て、何をしてくれたのかは具体的には覚えていませんが、「良い体験」として記憶しています。僕は仮病が親にバレタのは、すぐ判りました。
仮病だと判りながら、よくしてもらえると何かが、ストンと心に落ちたのです。
僕はそれ以降、親を振り向かせるために仮病を使う事はしなくなりました。

・僕はイジメを経験したことがない。もしそれに近いものがあるなら、小学校の高学年の頃だ。僕は受験のために、日曜日に、茅ヶ崎から東京の学習塾に通った。僕は途中から参加したので、もうグループが出来ているところに入った。
あまりよく覚えてないが、塾の帰りに、数人で電気屋に寄る風習があって、僕も誘われて、そこに参加した。最初は仲良くしていたが、何度目かで、まかれる、とか何かの嫌がらせを受けた。
きっと僕が頭が良かったか、顔が良かったか、女子にモテたせいだと思う。男の嫉妬は面倒くさいから。それが何回か続くとさすがに気分が滅入った。
僕の様子がおかしいことに母が気付き、しつこく聞かれて、ぼんやりと輪郭だけ話したんだと思う。自分が、イジメられてる、という事実を認めたくないという心も強かっただろうから。ぼやかして喋ったと思う。
すると母は、和服に着替えた。これは母の本気モードだ。
母はどこかに出かけて行って、しばらくして帰ってきたが、母はそのことは何も言わず、普段通りの母に戻っていた。
翌週、僕が塾に行く準備をしていると、母は、「達二、どこに行くの?」と聞いた。僕が、<塾>と答えると、母は、「あらっ、あそこはもうやめにしたのよ。言わなかったかしら?」とトボけた。男の子のプライドを大事にしたんだと思う。
僕と母は、その後の人生で、このことについて、1度も話したことがない。
しかし、このおかげで、僕には嫌なことがあったら逃げればいいんだ、という選択肢が出来て、随分とストレスに対する対処作のバリエーションの幅が広がった。逆に、だからこそ、攻撃的に人生を送れているのだとも思った。

・中学1年の時の「サングラス事件」。僕は学校にサングラスをかけて行ったら、担任にみつかって、没収&親の呼び出し。母が茅ヶ崎から目白までやって来た。高級な着物だった。これは母の戦闘モード。担任が、「校則違反で…」と言いかけると、「学校にサングラスをかけて来てはいけない、という校則ありました?」と上品に答える母。担任、絶句。担任は、気を取り直し、「しかし、達二君は、サングラスをかけないと目が変性して三つ目になる奇病だ、という嘘を…」に、母は、「先生、それは嘘ではなく、ユーモアですよ(笑)達二は昔から、トンチが効いて」と、むしろ自慢気。母は、問題のサングラスを手にとって、「先生もかけてごらんになったら?」と無理矢理、担任にグラサンをかけさせ、「あら、あまりお似合いになりませんね。似合ってたら、差し上げようかと思ったのですが、達二の方が似合いますね。じゃ、これは家でかけさせます。先生、サングラス、持って帰りますね~ごきげんよう~」と、つむじ風のように帰って行った。職員室に取り残されたのは、僕と担任だ。担任は、真顔で、「オレ、お前の母ちゃん、苦手。川原よ、もう学校に余計な物を持って来てくれるなよ。これは指導じゃない、お願いだ」と言った。

・その担任が卒業生を家庭教師にと僕に振って来た。OBのバイトの斡旋を、安易に俺に回して来るという安直な物件探しに、<俺も舐められたモンだぜ>とムカついたが、担任と母が相談して、そいつがうちに来ることになった。
当時、プロレス界はアントニオ猪木の異種格闘技路線で僕は猪木から目が離せなかった。毎日、学校帰りに、駅の売店で東京スポーツを買って帰っていた。その家庭教師は、東スポを見つけると、「その新聞、やらしい記事あるだろ」と下品に笑った。僕はエッチな紙面を見開きで渡し、<ちょっと、僕、水を飲んで来ますので、それまでそれでも読んでて下さい>と丁寧に言うと、そいつは、「おぅ!」なんて調子をこきやがって。僕は水など飲まず、急いで母の所に行き、<先生がお呼びですよ。お急ぎみたい!>と母をせかした。母は大慌てで部屋に入ると、堂々とスポーツ新聞のエッチ欄をニヤニヤして見てる男の姿に出くわして。
そいつの楽しみは、家庭教師の帰りに、駅前のパチンコ屋に寄ることだった。
一度、家庭教師が終った後、こっそり尾行したら、そいつは嬉しそうにパチンコ玉を両手ですくって席に向かっていた。僕は家に帰ってから、少し深刻そうな顔をして、<言おうかどうか迷ってるんだ>と母に言った。当然、母は聞き出そうとする。<あの先生、毎回、ここの後に楽しみに寄ってるお店があるのを見ちゃったんだ>と僕は答える。母はまだ冷静で、やさしく「どんなお店なの?」と尋ねる。<中学生は入っちゃいけない店なんだ>。母の顔はにわかに曇り、「なんて店なの?」。<うる覚えなんだけど、確か、看板に、チンコ、って文字が書いてあったよ>。
すると母は激怒して、勝手にハレンチな勘違いをして、担任に文句をつけて、そいつをクビにした。パ・チンコなのにね(笑)

・中2のバレンタインに、母から原宿で買ったという机一面大の板チョコをもらった。こんな物を売る奴も考える奴もおかしいが、買ってきちゃう母も母だ。
翌日、教室で「昨日、チョコ、もらった?」と探り合いの会話があって、僕は<このくらい>と机一面の面積を両手で示した。すると、クラスメートから、「すげー」と驚嘆された。男子校だったから皆も、チョコなんかもらってなかったから。ま、嘘でもないし。
しかし、中学生の男子なんてこんなことでクラスの階級が決まったりして、おかげで僕はその後の学園生活は随分と楽だった。

・大学の入学式。僕は大学生になってまで、親が入学式に来るのは恥しいと思っていた。まだ反抗期ですね。僕が嫌だったのは、周りの新入生たちで、皆、親子で来てて、嬉しそうに記念写真なんか撮っていて。こんな奴らと一緒にされたくない、と思って、入学式を途中で脱け出して、母を置き去りにして、1人で帰っちゃいました。母は遅れて家に帰って来て、僕が居間で寝転んでテレビを見ていたら、「良かった。いた」と笑ってました。あの場面は、怒るとか、「心配したでしょ!」くらいのことを言っても良かったんじゃないかな。でもなぁ、相手が俺だもんなぁ。あれが正解だったのかも。

・兄の結婚式。僕は間に合うように家を出たんだけれど、電車の網棚にスーツを置き忘れて、それを取りに行ったりして、遅刻。結婚式の途中で、バタバタと親族席に僕が遅れて到着すると、母はホットした顔をして、振り向いて笑っていました。

・僕は母の作る「ロースト・ビーフ」が好きでした。でも、あれ厳密には、「ロースト・ビーフ」じゃないですね。高級な肉の塊を、セロリとか薬草と一緒に焼いて、その野菜のダシと肉汁に醤油か何かで味付けしたソースを作って。それをたっぷりかけてヒタヒタにして食べる。僕は今でも、この世の中であれが最高に旨い食べ物だと思っています。
有名店の「ロースト・ビーフ」を色々、食べましたが、どれも劣りますね。
あの味は、もうないのです。母は、息子のお嫁さんたちには、「ロースト・ビーフ」の作り方を教えなかったですね。

・父は目医者だったが、臨床の傍ら、よく文を書いていた。短歌なども詠んでいた。母もその影響で、短歌を詠んでいて、僕にもそれをさせようとしていた。僕が中学に上がると僕と兄は東京に住み、母がその面倒を見に来ていたから、父は茅ヶ崎でほぼ1人で暮らしていた。僕が医者になると、兄はアメリカに留学し、もう父は死んでいるから、母は茅ヶ崎で1人暮らをしていた。
父も母も、1人で暮らしてる時間が長くあった。1人はさびしかったのかな。僕は1人になったことがないから、わからない。
母は‘1人暮らし’の頃、時々、手紙を寄こしたり、短歌の雑誌を送って来たりした。それは同人誌みたいなもので、僕もそこに入っていたのだけれど、歌などまるで詠んでいなかったので、母が僕の名で歌を作っては、勝手に投稿していたものだから、その雑誌には、毎号、僕の歌が載っていた。僕はあまりそれが気に入らなくて、母を怒ったこともある。
今思うと、僕は手紙を読んだら、そんな時は茅ヶ崎に帰って、顔を出してあげればよかった。そう遠くもないんだし。母には、もう少し、やさしくしてあげればよかったな、と思う。でも、もう死んじゃったから、今さら言ってもしょうがないですね。
その代わり、これから関わりのある人には親切にしていこう。罪滅ぼしというのかな、利己的な理由だけれど。「人の為」と書いて、「偽り」と読むのは、こういうことを言うのかな。

・こないだファミレスで1人で本を読んでいたら、隣のテーブルに家族連れがいて。僕の真向かいに座った男の子はやっと言葉を喋りだしたくらいらしい。その子は「飲み物」が欲しくて、母親に「あぁ!あぁ!」と指差すんだけれど、母親は「口で言えるでしょ?」と言う。多分、ちょっと前までは、その子はそうやって「あぁ!あぁ!」って言えば、欲しい物が目の前に出てたのだろう。だけど、言葉を覚えたら、口で言わないと、取ってもらえない。
その子と目と目が合った。僕は、<お前、意地でも喋るな!>と気合いをこめて合図を送った。しかし、その子は俺のエールを無視して、「じゅーちゅ」と言いやがった。
その子の両親は、拍手して、「良く言えまちた~」なんて言って、飲み物を取ってやり、頭なんか撫でていて。僕は本を閉じて、店を出た。
親子でも、言葉が無ければ伝わらないのか、言わなければ判らないのか、と思うと、僕はブルーな気分になって。こんなエピソードは毎日、ザラにあって、僕はそんな時、母のことを思い出して、考えますよ。お母さんはもう死んでいないから、美化されていて、お得だね。

・晩年の母は末期癌でどんどん年老いていき、僕は親孝行なもので、仕事が終わるとほぼ毎日、茅ヶ崎の実家まで見舞いに寄って帰った。そこで、血迷ったんだろうな、母が生きてるうちに開業して一人前の姿を見せてやろう、と決心したのだ。母の葬式で色々な親戚に会い、開業する時は、ご案内状みたいなものを送った。すると親戚から、驚嘆と絶賛のお電話を頂いた。内容は総じて、「タッちゃん、よくぞ大岡山にしてくれた」というものだった。なんと!母親の実家の薬局は大岡山にあったらしいのだ。
物件は、開業支援の会社がみつけて来てくれたもので、偶然だった。

・カワクリが法人化して、名称を「医療法人綾枝会」にしました。綾枝会の綾は、母の名前からとりました。母はここのクリニックをみることなく死んでしまいました。

 

芦田愛菜ちゃんに最近は注目してるのですが、日本郵便 2021年度 手紙 新コミュニケーション発表会にて、彼女は「母の存在があるから頑張ろうと…」と思うと母は「絶対的な味方」だと語っています。芦田愛菜ちゃんに誰かあったら伝えて欲しい。「60才になったら変わるぞ」と。

 

BGM. 近田春夫&ハルヲフォン「あの頃~ジョカへ」


今日は母の話

21/Ⅸ.(木)2023 小雨 最高の教師、涙のクランクアップ

 

中二から僕は東中野に住んでいたが、大学2年の時に父が胃癌で死んだので茅ケ崎の実家に戻った。大学の5年生になるとまるまる1年病院実習でそれは夜中まで病院にいる訳でいよいよ茅ケ崎から通うのが無理になり、こっちでひとり暮らしした時の話。

お化けが出た。川のそばの物件だからだと思った。母に相談したら、知り合いの有名な歌舞伎役者のつてで「お札」を貰ってきてくれ、それを部屋に飾ったらお化けが出なくなった。

その後、僕は無事に医者になり今がある訳だが、母は僕が勤務医であること(誰かに雇われてること)を嫌っていた。母の肝癌の予後が告知された時、「生きてるうちに安心させてやるか」と魔が差して開業を決意したのが誤りで、それを聞いて安心した母はすぐに死んだ。だから母はここを知らない。教訓。皆さん、親に長生きして欲しいなら心配かけといた方がいいですよ。

 

その時の「お札」がこないだどうした具合か出て来ました。捨てた記憶はないから有っても不思議じゃないのですが、3~40年見なかったものがいきなり出て来たから懐かしいやら驚くやら。神の見えざる手、的に言えば、今は除霊が必要との事か?と悪ノリしてサンリオで腹巻を購入したことは前に話しましたね。

ちゃんと真面目に腹巻に「お札」を入れて肌身離さず暮らしていたのですが、腹巻というのは構造上、油断するとスポンと中の物が落ちてしまうものでして、案の定、どっかに落としてしまい紛失してしまいました。

そしたら途端に具合が悪くなってしまい、心にポカンと穴が開いた気がしたのです。

母はとうに死んでるのですが、僕は墓参りもしないし実家にも寄らないので、心の中で母は実家でまだ生きてるような妄想の余地を残していたのです。

それが「お札」の消失で、「母の形見」がなくなって、時期外れに、母を亡くした喪失感が現実感として押し寄せてきたのです。不思議ですね。「外的な現実」と「心的な現実」ってこんなにも乖離してるものなのですね。我ながら呆れました。

 

そんなこともあり、YouTubeで「母」を題材とする歌を選んで聞いています。皆さんも良かったらどうぞ。

さだまさし(グレープ)「無縁坂」

遠藤ミチロウ(スターリン)「お母さんいい加減にあなたの顔は忘れました」

森進一の「おふくろさん」は、もはやロックです。

・三善英史は花街、円山町で育ったシングルマザーの子です。苦労を知ってるからひとにも優しいです。自分も候補者だった新人賞を森昌子が受賞した時、森昌子が泣いて歌えなくなった時に、やさしくエスコートして、代わりに歌ってあげる姿は小学生ながら感動しました。山口百恵もこれをみてデビューのきっかけにしたとか。この年には麻丘めぐみもデビューしています。

森昌子「せんせい」

三善英史「雨」

 

僕はかねがね、「自立」とは輸入された概念ではないか?と疑っています。なぜなら家屋の問題もあり、欧米は子供部屋にはおばけが出るなど小さい頃から独立した空間がありますが、日本は「川の字・文化」です。欧米ではいい年しても実家にいると「おかしな奴」と思われるそうですが、日本では「親孝行」だと思われます。地盤が違うのです。

それが急激なグローバル化で欧米化した日本は生活様式やライフスタイルやメンタリティーまでそっちに寄せたから色んなところで歪が出てる気がします。

とにかく「自立」すりゃいい、と思ってる人も多いですね。良し悪しは別として、「まず自立の定義を決めろ」と言いたいです。そのくらい一人暮らし=自立、と思ってる人が多く、親元から離れればいいから、男の所に転がり込む、という依存対象を変えてるだけって人も多いです。それが悪いと言ってるのではなく、事実を言ってるのです。

心理的な自立とは、心理的に親殺しをすることなら、たとえば僕などは60になってやっと出来たのだからそんなもので、若い人はまだまだ慌てることはないのでは?と思うのでした。

BGM. 桜田淳子「ひとり歩き」