9/Ⅲ.(火)2021 はれ 綾波レイ1/1スケール等身大フィギュア180万円、予約開始。
昼休憩、商店街に出ると「山本のハンバーグ」の前にはワゴンを出してハンバーグ弁当を販売している。ココイチや松屋の入口にも「テイクアウト!」の大きな文字。僕の背後から来る自転車と正面から来る自転車が細い道を器用にすれ違うのは手慣れたものでそれが双方とも「ウーバーイーツ」の籠を背負ってるのだがそんな光景も見慣れてしまった。一体いつまで続くことやら?
昨日は「シンエヴァ」の公開日。たまたま3/8は月曜日だからクリニックは休診日。今は春休みなので「校医」もなくこれ幸いにと緊急事態下の中、二子玉川にエヴァを観に行った。すごく混んでた。客席も「市松模様」にせずフルハウス。ポップコーンもドリンクもOK。グッズ売り場だけ特設コーナーを設け、一度に5人しか入れない感染対策。一人出ると、係の人が「次の方どうぞ」と促して手指消毒してブースに入る。しかしその徹底ぶりゆえ、外は長蛇の列。あまりに長すぎて折り返し折り返しの列の最後尾はどこかがわからず。初期の地下アイドルの物販コーナーのようなカオス。地下アイドルはやがて「運営」ではなく「ファン有志」からの知恵で「●●ちゃん、最後尾はここ」というプレートが作られ、1番後ろの人がそれを頭上にかかげ後ろに人が来たらそれを渡す、というシステムが出来ていた。そのくらいすればいいのに、と思ったが、今はコロナだからなるべく無駄な接触は避けたいのでしょうね。とにかく「密」でした。僕は昼過ぎの回に行ったのですが関連グッズはほぼ品切れ。パンフレットは一人2部までという制限つきでした。自分用とクリニック用に二つ買いました。朝に早番のスーちゃんにそれを渡すと、彼女はまだ映画を見てないらしくそれまではすべての情報をシャットアウトするとネットもみてないらしい。そう言えば、僕もこないだ家に帰って録画した「R1」を観ようと楽しみにしてたのにたまたま開いたヤフーニュースで「ゆりあん優勝」という記事の見出しをみて、「なんだよ!ちくしょうめ!楽しみにしてたのに」と観る気が失せたのですが、こういうことも自己責任・自己管理が要求される世の中なのですね。だから火曜日に来た患者さんは「まだエヴァ見てないから何も言わないで下さい」と何人かに言われました。僕が、アスカのTシャツを着てたから察したのだと思います。
28才の患者さんが言ってたのですが、彼が14才の時に「劇場版エヴァ序」が始まったそうです。そこからエヴァを観出したそうで。エヴァに搭乗する資格のあるパイロットが14才という設定に引き寄せられ今回の「終劇」を心待ちにしていたそうです。14才の人がダブルスコアの28才になるってことはこの映画は「完結」に14年かかったのですね。
そう言えば、その頃はまだ「オタクは犯罪予備群」と思う親が珍しくなく、中高生が「不登校」になって「アニメ」を見始めると親は心配してクリニックに来たものです。しかし、うちのクリニックの飾りつけは当時からこんなものだから連れてきた親が愕然とし、子供の方がニヤニヤ笑って、直前までの力関係が一瞬にして変わるシーソーゲームがみれました。しかし、最早「クールジャパン」です。アニメは世界に誇る日本の文化。「ビードロを吹く娘」と「初音ミク」が同列で語られます。今の「鬼滅の刃」もすごいですがこれだけの市民権を持ったのは「ラブライブ」からじゃないかと思います。あの辺からスクールカーストの上の方の女子が公に「アニメを観てる」と言い出してました。
ここからは劇場版鑑賞にはあまり影響しない(?)ネタバレなので閲覧注意です。今回のエヴァは綾波が畑仕事をしたあとに入浴したりアスカが寝返りをうつパンティのアップがあったりアスカとマリのユリっぽい描写があったり見どころ多数でした。画像も綺麗で僕は知らなかったのですが映画というのは一つの制作会社が作るのかと思っていましたが最後のエンドロールをみてたら「ufotable」という文字があって、「あれ?キメツのじゃん」って思いましたが、どうやら一部を請け負っているみたいです。そういう作り方をするんですね、アニメって。音楽も良かったです。劇中で登場人物が酔っ払って歌う歌がよしだたくろうの「人生を語らず」だったのが意表を突きました。そしてストーリーはまさかあそこでああなってこんなになって最後にそうなるとは…。
最近映画を何回みた、という話を聞きます。僕が子供の頃は家庭用のビデオがまだ普及してなくてテレビは「1発勝負」でみてました。だから大抵、1度ですべてのセリフを一言一句覚えてしまいました。しかし、今は「あとでみれるや」と思うから集中してみないので鑑賞をないがしろにしています。中学の時、ブラバンの先輩に「レコードの聴き方」を習いました。「一生に一回しかこれを聴けないと思って聴け」。今回の映画に関してはそのように取り組んでみました。しかし、さっぱり意味のわからん映画でした。また見よう。
心の護美箱(31)がいっぱいになったから(32)を作りました。始めてこのブログを読む人は「何のこっちゃ?」ですね。そんな人はこちらを。→心の護美箱(31)。
いい大人が若者の機嫌をとるように「鬼滅の刃」とか「呪術廻戦」とか「エヴァ」とかをみるべきか?という必要論が交わされることはないと思いますが、そんな不毛の地に意見を述べてみたいと思います。
昔、「戦争を知らない子供たち」の作詞をした北山修が言ってたのですが、北山修は五木寛之など「上の世代」に「お前らは戦争も知らないだろう」と責められたそうです。それで「戦争を知らない子供たち」の2番の歌詞の歌い出しは「若すぎるからと許されないなら、髪の毛が長いと許されないなら~」というプロテストでした。そんな北山修は後にそういう「子供たち」が「大人」になった時、「自分たちより下の世代」に対して「君たちはビートルズを知らないだろう?」と言っていくべきなんだと言っていました。そんなことを言われたって若い人は「ビートルズ?知らないよ。それがどうしたの?」と言うでしょう。いつの時代も「今の若い人」はそういうものです。そこに「戦争が」「ビートルズが」と説教がましく言っても響きゃしません。奴らには奴らの文化があるからです。僕は北山修が言いたいのはこういうことじゃないかと通訳してみます。それは大人たちは安易に若い奴らの文化を受け入れるな、壁になれ、みたいなことだと思います。80年代に学生運動は起きませんでした。代わりにヘンテコなムーブメントが多発しました。マンザイブームでビートたけし登場、YMOやRCサクセションの台頭。これらを前の世代の吉本隆明(吉本ばななのお父さん)は「全肯定」してて、僕は「ありゃ?このお爺ちゃん本当にキヨシローの良さがわかるの??」って不思議に思いました。そうなのです。当時18-9の若い奴には簡単に「大人」にはわかって欲しくなかったのです。たけしが大島渚の映画に選ばれたのは「勝ち残って認められたから」いいけど。無条件にはいやだった。だから何を言いたいかというと大人はあまり若い人の「はやり」を甘やかさない方がいいと思う。
BGM. よしだたくろう「人生を語らず」