きれいに生きる

10/Ⅳ.(日)2016 はれ、暑い。東精診の電話相談の番。
幼稚園の時、少しの間、おばあちゃんと一緒に住んでいた時期があった。
おばあちゃんは何かの治療のため、病院に近い家に、しばらく滞在していたのだ。
僕がおばあちゃんの部屋に遊びに行くと、おばあちゃんは、オブラートに薬を包んで、
「この薬は苦いんだよ」と言って、つらそうに薬を口に放り込んで飲み込んでいた。
翌日、家中が大騒ぎになっていた。
うちには何人ものお手伝いさんがいたが、母を筆頭に総出で、家捜しをしていた。
おばあちゃんの薬がごっそり無くなってしまったのだ。
最終的に、お手伝いさんの誰かが、外に出してあるゴミ専用のポリバケツの中から発見して事なきを得た。
しかし、なぜ、薬がそんな所に捨ててあったのだろう?
おばあちゃんは、「もしかしたら、私がタッちゃんに薬が苦いとこぼしたから…」、という推論になり、
母はもう勝手にそう決めつけ、「達二はやさしい子だね~」と褒め称え、お手伝いさん達も口々にそう言った。
僕は勝手にそういうイメージをつけられるのは、少し、迷惑だな、と思ったが、そこは黙っていた。
小学校の時、僕はクラスのリーダー格で、その日、男子が何をして遊ぶかは、僕の一存だった。
僕は頭が良く、ユーモアのセンスがあり、運動神経も顔も良かったから、女子の人気も1人じめだった。
何かで班を作って行動する時、男子の主力グループは僕と同じ班になれると思っていた。
クラスには、班に入れないような子が数人いた。
大抵、そういう子は余り者同士、そういう子を寄せ集めたグループを組まされていた。
僕は親分肌みたいなところがあって、グループを作る時、積極的にその子らに声をかけ、真っ先に班を作った。
主流派の男子は、「え~なんで~」と文句を言っていた。
そんなことはお構いなしで、僕らの班は一番面白いことをして、一番楽しいことをした。
ある日、女子のお母さん達から、母が話を聞いてきた。
「タッちゃんは、やさしくて、班を作る時に、班に入れない子を誘って組んでいる」って。
母は、そのことを聞いてきて、大喜びで、「さすがは、達二だ!清水の次郎長の血をひいている」と真顔で言った。
僕は、正直、女子ってバカだと思ってたけど、そんなところを見てるんだぁ、とちょっとびっくりした。
すると母は、女の子を選ぶ時に、そこは最低条件ないといけない。顔やみてくれは、二の次と言った。
この言葉は案外、その後の僕の女子を見る目に大きく影響を及ぼした。
研修医の頃、痴呆(今でいう認知症)の患者さんを病棟で受け持った。
病棟は、班長が主治医で、指導医が実質的な主治医で、研修医が雑用をやって勉強させてもらう仕組みだった。
ある日、事故が起きて、その患者さんが亡くなった。
病院は訴訟対策を立て、僕をこの件から外した。
それは研修医という身分だからというのもあるが、「川原が余計なことを言ったら大変だ」というのが実際だ。
時代は、非を認めてはいけない、らしかった。
僕には事情の進行具合は知らされず、しかし、家族側と随分揉めているとも伝え聞いた。
「だから、お前がいなくて良かった」とも先輩に言われた。
ある日、僕は病院の廊下でその家族と鉢合わせした。
家族は、僕が入院中、その患者さんと関わっているのを、良く思っていてくれていた。
僕はあまり話しが出来ないその患者さんに、ラジカセを持って来て、三橋美智也や美空ひばりのテープを聞かせた。
すると、痴呆の患者さんでも、歌は覚えてるらしく、口ずさんだり、機嫌が良くなるのだ。
僕は家族に、患者さんが昔、好きだったものの話を聞きだして、音楽だったり、古いアルバムの写真を見せて脳を刺激した。
家族はその関わりを、自分達も治療に参加出来ると、とても感謝してくれたのだ。
家族は僕を見るなり、「川原先生~」と走り寄って来た。涙を浮かべてた。
僕は、「今回はこちらのミスですみません」と謝った。思わず、口が滑った。
すると、家族は、「その一言が欲しかったんです。でも、患者は、先生のことが大好きでした」と言ってくれた。
翌日、病院に行くと、上級医の先生から、「あの件は解決した。向こうが訴えを取り下げたんだ」と報告を受けた。
僕は、接触を禁止されていた身だから、内心、家族が僕のことを言ってやしないかとハラハラした。
でも、特に何も言われなかったし、バレてないみたいで怒られずに済んだ。
大学の野球部の頃、夕飯をおごってくれる先輩と、割り勘の先輩がいた。
おごってくれる先輩は、割り勘の先輩のことを、「あいつはケチだろう」とあざ笑った。
僕は本当にケチじゃない人は、他人のこともケチだなんて思わないはずだから、
この先輩はおごってはくれるけど、この人こそケチなんだろうなぁ、と思った。
そして、そう思う僕もケチだ。
よしだたくろうは、「イメージの詩」で、♪自然に生きてるってわかるなんて、なんて不自然なんだろう♪
と歌ったが、
きれいに生きてる人って、きれいに生きる、なんてことを考えないんだろうな。
日々の暮らしに流され、時だけが急ぐ毎日で、きれいに生きる、って難しいけれど、
もっと、きれいになりたいな。
BGM. よしだたくろう「制服」


16 Replies to “きれいに生きる”

  1. 先生、こんにちは。
    きれいに生きる、から程遠い私です。
    でも、先生の文章を読んで泣きそうな気分です。
    ところで、清水の次郎長の子孫なのですか?
    小学生時代のクラス内の派閥争い、人間関係、いじめ、教師の暴力、セクハラ、いろいろありましたが、私は一人で傍観するという位置を守りました。
    日曜日も当番のお仕事なのですね。お疲れ様です!

    1. トモトモさん、こんばんは。
      母の先祖が清水港の方にいたそうで、多分、子孫だと勝手に思い込んでるだけだと思います(笑)
      そちらの様子はいかがですか?
      詳しくは、今度、聴きますね。
      ではまた~

  2. 川原先生。痴呆の患者さん、川原先生に、昔好きだった音楽を聞かせてもらったり、話を聞いてもらったり、
    きっと、最期に幸せな時間を過ごすことができて、天国に召されたと思います、シンシア的に・・・。
    私は、まだまだ痴呆老人になるには、時間があり、川原先生に出会ってから、20年以上経つけど、
    きっと、若い時のシンシアさんは、内気で、お堅い性格で、そのくせ、結構いい加減で、現在に至っては、ただの
    気難しいオバサンの患者で、困った人だと思われてたりして。
    川原先生が、人気者というのは、みんな納得できると思いますよ。私が、そんな先生をすごいな!って、思うのは、
    グループに入れない子に、親切にしてあげたってこと。きっと、そんな同級生は、大人になっても、川原先生の
    ことに、感謝して、楽しかった思い出になっていることでしょう。なんか、いい話ですね。

    1. シンシアさん、こんばんは。
      アップするのが遅くなって、不安にさせてしまったようなら、すみません。
      いい話と言ってくれてありがとう。
      きれいに生きて行くのが難しいのなら、せめてきれいな思い出だけでもかき集めたくなりますね。
      ではまたね~

  3. コメントは久しぶりですが、いつも読んでいます。
    迂闊に謝っちゃいけない世の中になっていますね。
    言質を取られてはなるまい、と。厳しい時代だなぁ。
    きれいに生きる、応援してます。
    私もまずは、そこそこきれいに生きる、くらいを目標にしてみます!

    1. ひつじ雲さん、こんばんは。
      お久しぶりだと思ったけれど、いつも読んでいてくれたのですね、ありがとう。
      そうですね、今の世の中は、昔の世の中と同じくらい、厳しい時代ですね。
      きれいに生きる、ことを応援してくれるのですね。
      もし、ひつじ雲さんから見て、僕があまりきれいじゃなくなって来たら、どうぞ教えて下さいね。
      お互い、そこそこ、頑張りましょう!
      ではまたね~

  4. きれいも生きてみたいけど、それよに何よりもっと強く生きたい。
    毎日毎日、ちょっとした事やくだらない事でおちこんだり、
    あと、自分の活力ややる気がなくて仕事ができず、怒られたり。
    自分の何気ない言葉で周りやお客様に迷惑をかけたり・・・・
    いやなことだらけですね・・・・・
    自殺とまではいきませんが、職場から逃げたくなります。
    あぁもっと私に力ががあれば・・・・・・
    と思ってしまいます。

    1. sinさん、こんばんは。
      確かに、僕もそんな風に思うことがありますよ。
      RCサクセションの武道館ライブ(カセットのみの発売)の宣伝文句が、
      「神様、パ、パワーを下さい」でした。
      僕はこのフレーズを30年以上、忘れた日がありません。

  5. ストロング金剛デス
    きれいに生きるなんて事、ここんとこ全く考えて無かったですね〜
    ピュアな志しは失くしてしまい、自分の様な凡人は、汚い手を使っても、やむを得ない選択として自己肯定しているのが現状で、自己嫌悪さえしなくなっている事に気付かされましたよ。
    まさに、食うため、寝るため、やるため這い回るですよ。
    こんな時こんな言葉をかけて欲しいです talk dirty to me !
    それではオマタ〜

    1. ストロング金剛さん、こんばんは。
      最後からの2行目の英語の意味(引用)がわかりませんでした、すみません。
      僕は最近、きれいに生きるため、寝る前に復刻版コミックス「タイガーマスク」を読んでいます。
      ピュアな頃の自分を呼び覚まして、今の僕の応援をさせる作戦です。
      うまく行ったらおなぐさみ、です。では股。

  6. ストロング金剛デス
    超名作映画の題名「もっと私に汚い言葉を言って!」です
    良く考えると自分は昔も今もdirtyだった様に思います。ピュアだった頃なんて本当は無かったとさえ思う今日この頃です。
    それではオマタ〜

    1. ストロング金剛さん、おはようございます。
      自分が昔も今もdirtyだった、と思うというのは、ソクラテスの「無知の知」に通じますね。
      その映画は、調べましたが、まったく知りませんでした。
      僕は、「日活ロマンポルノ」ならタイトルくらいは判るのですが、洋物はまったく知りません。
      結構、長く生きているのに、知らないことばかりです。
      では股。

  7. ストロング金剛デス
    生意気ですが、大人の知識として補足させて頂きます。
    talk dirty to meはジェシージェムス、ブリジットモネ、トレーシーローズなどの超一流女優の代表作として有名です。
    後年poisonという下衆なバンドが同名曲をヒットさせました。
    まさに、下品下劣馬鹿粗野丸出しのダメリカ人らしいフレーズですが、自分は忘れる事が出来ず、今に至ります。
    きれいに生きるというテーマの記事に、下品下劣な話しをしてしまい申し訳ありませんでした。
    それではオマタ〜

    1. ストロング金剛さん、こんばんは。
      丁寧に大人の補足ありがとうございます。
      3本目の足を補われたような気分です。
      僕は洋物は全然判りませんが、トレーシー・ローズだけは知ってましたよ!
      きれいに生きる、と、下品下劣、って必ずしも、矛盾しなかったりしませんか?
      では股。

  8. 先生が研修医時代の数年前にあたるだろう頃、私は専門学校の学生で特別養護老人ホームの実習もありました。
    認知症の大部屋は、当時の私には衝撃的でしたが、その後の人生には役に立ってます。
    病院という場所も、ホントにいろいろですね。環境も、職員さんの意識や人柄も、金額も。
    患者の家族として(希望したのではなく) 三つ目の病院に関わることになり、へー、とか、え⁈、とか思うことが沢山です。とにかく、黙っていてはダメですね。

    1. トモトモさん、こんばんは。
      そうですね、トモトモさんも、実習で認知症の方をみてるんですね。
      病院は、本当にいろいろですよ。
      黙っていてはダメですね。
      三つ目の病院かぁ、やっぱり、色々と大変ですね…。
      ではまた~

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