2023オオトリ 言葉にならないもの?

こんにちは。とくだです。

 

今年も終盤、ブログもオオトリです。

ウィニコットという精神分析家がいたのですが、その人の言っていた『可能性空間』とか『中間領域』という考え方があります。

私たちが体験している外的な現実と、主観の内的世界、その間にある領域のことで、芸術とか遊びとかを通して外的な現実と主観的な内的世界を繋いでいるような空間です。

小さな子がお気に入りの毛布やお人形を肌身離さず持っていて、どこに行くにもそれがあれば安心するようなものがあります。そういうお人形や毛布は、この内的世界と外的な現実との移行対象、と言われています。

大人になってずっと中間領域に没頭してしまうと外的現実との折り合いがつかなさ過ぎてしまう可能性もあると言われますが、大人もその『中間領域』を大切にしたいですね。

芸術やお笑い、音楽、なんでもいいと思うのですが、そこに私たちがうまく言葉にならないものが詰まっていることで、心が浄化されたりします。心理療法は言葉を使うことが多いけれど、言葉にならないものもたくさんあるので。夢なんかもいいですね。

ある先生は、夢分析について、その夢を見た夢主が、この夢って一体どういうことだろう?と、自由連想的に考えるということ、そうやって関わり始めるということが最も治療的だと言っていたらしいです。夢の内容の解釈を誰かにしてもらう事よりも、そうやって自分と向き合いだすことが大きいそう。なるほどな、と思います。

もちろんカウンセリングでもそういう夢の話、OKです。

フロイトは心の構造をイド、自我、超自我といった理解で捉えようとしましたが、前田先生という人がそこから連想した図があります。心のエネルギー、欲動の取り入れ口が下方にあって、身体に近いのだと北山先生が言っていたのですが、その入り口入ってすぐは、「心の沼」があると。未分化なものがたくさんあるんでしょうね。生/性と死と原始的なエネルギーが沼に潜んでいるのでしょうね。


【前田重治著『続図説臨床精神分析学』より引用】

言葉になるもの、ならないもの、について思いを馳せた2023年だったかなと思います。

 

みなさま、良いお年をお迎えください。


2 Replies to “2023オオトリ 言葉にならないもの?”

  1. とくだ先生、おはようございます。
    ウィニコットは、確か精神科医の北山修が、一般的には日本に紹介したんですよね。私は専門家ではないので、余計な考察は控えますが、芸術、映画でも、音楽でも、何でもいいですが、それらがなければ生きられない人です。言葉にならぬ感動、なんて言い方がありますが、心を浄化させる一つの対象として、見てみるのもいいかもしれません。人をふるえあげさせる音楽もありますが、それはそれで・・・・・・。
    原先生が、「ぴぴさんは、文化のことをしゃべっている時が一番楽しそうですね」と言っていましたが、その意味で、今回のとくださんの文章は面白く、興味深かったです。
    これからもカウンセラーの先生にはお世話になります。長文失礼しました。

    1. ぴぴさん
      コメントありがとうございます。とくだです。
      ぴぴさんがおっしゃる通り、ウィニコットは北山先生が日本に紹介したといえると思います。北山修、というと、精神科医イメージなんですけど、フォークルイメージの方も多いんですよね、きっと!
      心を揺さぶるもの、をたいせつにしたいですね。

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