相談室だより  ~~まとめ~~

相談室だより  ~~2024ポスター完成~~

こんにちは。心理のとくだです。‘ハンバーグ食い’です・・・(笑)

 

さて、入り口のポスター、こんな感じです!

全体像はこんな感じです↓

 

松井さんが描いてくれました。
心理のご案内に、絵を導入するという初の試み。

これは先生の斬新な発想が元ではありますが、日々の話の文脈があって出て来たものだなと思っているところでもあります。

その日々の話のうちの一つには、精神分析の理論は、無意識を意識化することや、転移や逆転移を言語化していくことに重きが置かれるけれど、実際には言語で表しきれないノンバーバルな部分も重要で。そういうノンバーバルにも注意を向けながら、文脈をつないでいく作業、言葉にしていく作業を繰り返していくことを大切にしていきたいということを話していたり。。

そんな中で、ご案内を、言葉よりも絵で伝えるという今回のポスター案が。。きっと先生の中でそんな回路がつながったのではないか、という私なりの解釈。それもなかなかいいのかもしれないと思いました。でも、ポスターの絵、って、ノンバーバル?なのか?バーバル?なのか?というところもありますね。

それはさておき・・・
今回の作者の松井さんの声をまず聞いてみようと思います。

ーーーーーーーーーーー

心理の松井です。この度、僭越ながらカウンセリングポスターを描かせて頂きました。
子どもの頃から絵を描くのは好きですが、先生から「カウンセリングのポスター描いて!」と言われた時はなかなか悩みました。
“絵を描く”のと”ポスターを描く”のは全く別の作業だからです。
“診察を受ける”のと”カウンセリングを受ける”くらい違うかもしれません。
病院の診察、症状を話す、先生と話す、というのは想像できても、カウンセリングと聞くと身構えてしまう。実体がよくわからないし、イメージが湧かないし、正解もわからないぞ、となると、カウンセリングがとても意を決していよいよどうにもならなくなった時に始める、最終手段のように思えてしまうかもしれません。
そんな”入りにくさ”を少しでも減らしたく、ポスターには”あるある”な悩める人々に登場してもらいました。
どうでしょうか。自分の”あるある”は居ますでしょうか。
カウンセリングを始める理由は、”あるある”からでいいのです。困ったらカウンセリングという手もあるしな!くらい身近に感じてもらえたいいなと思っています。
というわけで、不慣れなカウンセリングというものを知ってもらいたく、不慣れなポスター作りをしてみました。

私事ですが、今年の目標は”気になっていることをやってみる”です。ずっと登山に興味があったので、年明けに小さな山ですが登ってみました。おかげでポスターの山登りのテイデアが浮かびました。
全く別のものが繋がることってありますね。
カウンセリングにも、そういう発見がたくさんあると思います。
いつでもお待ちしています。
心理士と漫画家の二刀流…?ちょっと何のことだか…先生が二刀流”あるある”ポスターを作ってくれたら、やる気になるかもしれません。

ーーーーーーーーーーーー

松井さんの制作秘話でした。

せっかくだから(?)心理の原さんにも、久々にインタビューしてみます!

それは次回にお届けします!

 

相談室だより  ~~創造の病(creative illness)~~

松井さんからバトンを受け取りました、心理の原です。
カウンセリングの新しいポスターができましたね。
若い人にもカウンセリングを身近に感じてもらえたら、と思っています。

2022年度から、高校の保健体育の授業では精神疾患にかかわる項目が盛り込まれるようになりました。背景には、①精神疾患の多くが10代(思春期)に発症が急増していること、②適切な処置が遅れると症状や生活への影響が深刻になりやすいことがあります。最近の研究では、うつ病や統合失調症など発症のピークは19.5歳から20.5歳、強迫性障害や不安障害、摂食障害のピークは14.5歳から15.5歳という結果もあります。また精神疾患全体(認知症を除く)では18.5歳までに罹患者の半数が発症しているとも言われています。もちろん大人になってから発症する人もいますが、10代での発症は見逃せない割合に達するわけです。(参考:東京都こころの健康だよりNo.138 2023年10月)

思春期は、子どもから大人へと心身ともに変化する時期です。急激な身体の成長に戸惑いながら、心の中は子どもと大人の間を行ったりきたりします。周りの評価を気にしながら、自分とは何かを自問自答したり、親に甘えたい気持ちと自立したい気持ちの間で揺れ動いたり、多くの葛藤を抱えて戸惑いながら過ごしています。

自分自身を過大評価する一方で、ささいなことで自己卑下にとらわれたり、周囲に対して根拠なく優越感を持ったり、次の瞬間に激しい劣等感が湧いてきたりします。容姿や体型などの外見的特徴もアイデンティティの形成に大切な役割を担っています。このように思春期は、自分への関心が高まり、自分らしい生き方を模索する時期ともいえるでしょう。いわば、だれもが自意識過剰なわけです。

カウンセリングでは、精神疾患の治療や不登校などの一時的な停滞を、アイデンティティを構築する上で「意義あるもの」として考えます。とにかく早く症状や問題行動がなくなればよいとか、それらを取り除いてもらうためにやってくるだけ、という考え方はしません。その人のそれまでの生活や周囲との人間関係、社会的状況とも関連づけながら、その症状が出現した意味を検討して、理解して、役立てることを期待してお会いしています。

川原クリニックでの私は「創造の病(creative illness)」という考え方も大切にしています。人が病気(特に精神疾患)になり、それを克服しようとする過程の中で、今までとは異なる創造的な考え方を生み出したり、生き方そのものが創造的に変容したりすることを示している概念です。

河合隼雄は「病というのは、その人なりに、どこか自分の心の深いところと接触して何か変化しているのではないか」と述べています。「カウンセリングによって、その人が単に元通りに治ったというのではなく」「生き方が前と少し変わった、あるいは考え方が少し変わった、それはやはり、ある種の創造じゃないでしょうか」「カウンセリングを受けに来る人はみんな、その意味で言うと創造の病にかかっている人です」と指摘しています。

川原クリニックのカウンセリングでは、病気の人が来て病気を治して健康になる、という考え方だけではなく、その人が自分の人生の物語を生きるうえで「創造の病」をどう活きるのか、を一緒に考えたいと思っています。

そうそう、大人になって中年期に訪れる「第二の思春期」もありますね。家族関係、転職、ハラスメント、不倫、喪失や逆境体験など、メンタル不調という症状になって現在の自分をおそってきます。

嵐のような思春期の真っただ中にいる方も、かつて思春期だったミドルエイジの方も、自分を見つめる機会にカウンセリングを考えてみませんか。

ついしん:精神疾患の授業ですが、高校では遅い?かもしれません。せめて14歳、中2頃には教養として伝えたいなぁ

それでは徳田さんにパスを送ります!

 

相談室だより〜〜ポスター特集の最終回

こんにちは。とくだです。

ポスターみてくださった方もいて、嬉しく思います。ありがとうございます。

実際に、‘カウンセリング、心理療法は最後の手段‘、という思いで来てくださる方も多いです。だからこそ、その一歩手前で、心理療法というものを身近に感じてもらいたいという意味合いがある今回のポスターです。

 

心理療法を知るきっかけ、がクリニックの場合は、医療の場なので、どうしても心身の不調と密接です。でも、必ずしも病気、というわけではなく、私たちは悩む時期があります。それも一つの創造の病でしょうか。

 

私たち心理士は、その人にとっての病を理解して、その意味を考えていく作業において、連続性を持って複数回の面接を重ねていきます。

 

ここで、もう一歩話を進め、心理療法を始めてから、の話。

心理療法を始めてしばらく経つと、

何を話していいかわからなくなった、

話すことがなくなった、

何も思い浮かばない、

思っていたような方向とは違っていた、

沈黙が多くなった、

といったことが起きてくることがあります。

 

あるいは、

遅刻が増える、

キャンセルが増える、

料金の支払いが滞る、

こういうこともしばしば起きることがあると言われています。いわば、心理療法あるある、なのです。

心理療法が進んでいく過程で起きてくることで、始めてみたからこそわかること、とも言えるでしょう。‘偶然‘かもしれないけれど、繰り返される、そんな時は、これは心理療法の進み具合と連動しているかもしれません。

私たちは良くも悪くも変化することに抵抗感を抱くもののようで。少し専門的にいうなら、治療抵抗といわれます。抵抗、というと否定的なイメージの言葉かもしれませんね。でも、否定的な意味合いだけではないパワーがあるものです。

精神分析の理解では、かつては、この抵抗は、変化を求めるはずが、それとは逆の力が働くもの、治療の妨げになるもの、という側面がまず注目されました。

ただ、現代では、抵抗の他の側面、その人が自分を守り自己の安定感を維持するためのもの、その人の現実適応を支えるためのものという側面もあることが考えられるようになってきています。

抵抗には、その人の持つ生き様というのでしょうか、そういうものが絡んでいるのです。無意識的に安定を維持しようとやってきた方法が人それぞれあるわけで。それは外からみたら歪な方法に見えたり、自分自身でも苦しんでいる方法であっても、それが自分にとっての適応的な方法だったり。

でも、場合によってはその方法は、かつては適応的だったかもしれないけれど、今、合わなくなってきているものかもしれない。そのひずみと症状が関連しているかもしれない、そんな仮説を考えます。現実適応はとても大切ですが、無理が生じていては苦しくもなります。そういうところは、一歩踏み込んでみないと見えにくいところです。

心理療法が、予約制で、時間と料金とペースが決まっているのは、見えにくいものを少し見やすくする、そういう風に作られています。

抵抗が生じている時、まず自分自身があまり気づいていない、ということも多いものです。

あれ?もしかするとそういうことかな?という視点を持ってもらえたら、それについて話し合えるきっかけになるかなと思います。

気付いたとしても、実際に、面と向かって心理士に話しにくい場合もあると思いますが、その思いを言葉にしてみてください。

そういう話し合いを通じて、そこのテーマを一段深めていくことができるかもしれません。あるいは、結果的に、そこで心理療法を終わることも一つかもしれません。

私たち心理士にとってもですが、心理療法の終わり、というテーマは、さまざまな思いが巡るものです。心理療法を終わる場合には、終わりの時期を決めて、その過程を話し合えるといいでしょう。

心理療法、というものは、まだまだあまり馴染みがないかもしれませんが、この少し特殊な時間、人生の中であるひととき、そういう時間を持ってみるのも一つではないでしょうか。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です