タッちゃんの夏休み

9/Ⅷ.(月)2010 小雨
 新宿、世界堂に「アリス」のポストカードと「丸尾末広」のポスターをラミネートしに行く。
その前に、麺屋武蔵でつけ麺を食べる。料金同じで大盛になるが、食べきれない量だ。これからは、気をつけたい。
 渋谷のアニメイトに寄り、予約しておいた「けいおん」の第二期BLを入手。
 帰宅してから、高校野球を少し、観る。夏の甲子園が始まると、敗戦記念日、というフレーズが頭をよぎる。
 東スポで、立川談志の連載記事が始まる。談志の前は小柳ルミ子だった。小柳ルミ子の前は山本小鉄だった。                                            どういう人選なのだろう?絶妙か??
BGM. もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」


ヒゲの日

8/Ⅷ.(日)2010 はれ
 8月8日は「ヒゲの日」だそうだ。漢字の「八」がヒゲに見えるからだそうだ。
 ポケモン・サンデーで中川翔子が付けヒゲをつけて、そう言っていた。カワユス。
 平和な日曜日。『イキガミ』⑧巻を読む。
BGM. スキマスイッチ「アイスクリーム シンドローム」


踊ろよ、ベイビー!

7/Ⅷ.(土)2010 はれ
昨日と今日、クリニックの前の、大岡山北口商店街は、夏祭りでちょうどクリニックの真下にやぐらが組まれ、
♪ドン・ドン・ドン・ガラガッタ、♪ド・ドンガドン・ガラガッタ♪とやっていて、
クリニックの中まで盆踊りの歌や笛太鼓が響き渡ってきました。
しかし、4年目ともなるとすっかり馴れたもので、そんな喧騒に左右されずに診察が出来るほど腕を上げました。
クリニック内の装飾と外部のお祭り騒ぎが相まってカオスな雰囲気を作り出し、
「ここでは日常ではためらうことでも何を言ってもいいんだ」、という治療的な異空間を産み出すことに成功しました。
ピンチをチャンスに変えるのは猪木譲りです。

BGM. デヴィッド・ボウイ「レッツ・ダンス」


エビスと丸尾

6/Ⅷ.(金)2010 はれ、ホットサマー
若い人の間で丸尾末広の人気はすごいと思う。
よくこんな若い人が~と感心する。若い人にも、丸尾にも。 
それに比べ、蛭子能収の評価が低すぎると思う。
やはり、「スーパーJockey」のせいか。本業以外で売れると、有難みが目減りするのかもしれない。
僕は、エビスさんは天才だと思う。
エビスさんの初期作品集「地獄に堕ちた教師ども」「私はバカになりたい」「私の彼は意味がない」
「私は何も考えない」「なんとなくピンピン」「狂った果実」は傑作だ。是非、オススメだ。
それ以降の作品は、途端に手抜き色が濃くなるが、そんなことで前の作品の価値が下がるものではない。
僕は、年賀状に「私の彼は意味がない」とだけ書いて全員に出した年がある程だ。どれ程だ? 
1993年4月号「月刊ガロ 蛭子能収特集」もエビスさんの魅力が満載だ↓。超オススメ。

蛭子能収と丸尾末広は同時期に「ガロ」に掲載されていた。
その他にも、泉昌之、平口広美、根本敬、川﨑ゆきお、渡辺和博、菅野修、アラーキーらが作品を発表していた。
毎月、「ガロ」が出るのが楽しみだった。
僕は「ガロ」に敬意を表して、電車に乗って町田の本屋まで買いに行っていた。
中野でもシモキタでもなく、聖地は町田!、と自分で決めていた。
今や、町田も様変わりした。さびしいものだ。
下は、中野「タコシェ」で買った丸尾のピンナップを額装したもの。
絵とは全く関係のない名言をひっぱってきて、短冊状にして左右に貼り付けて、
結びつけて楽しむのが今のマイ・ブーム。




(右・学生)  『いま ぼくが ひたすら望んでいることは~存在すること(to be)なのだ。
どうか忘れないでほしいが、この不定詞は中国語では<他動詞>なんだよ』。ヘンリー・ミラー「南回帰線」
(中・豹男)  『メフィストフェレス「お昇りなされ、あるいは下りなされ。同じことじゃよ』。ゲーテ「ファウスト」
(左・少女)  『幸福がそんなにみじめなものなら、幸福から私を救って下さい』。ジャン・ジロドウ「間奏曲」
↑…こんな雰囲気です。僕は丸尾末広の「DDT」と「少女椿」のサイン本を持っている。
BGM. ヒカシュー「私はバカになりたい」


マイ・ブーム

5/Ⅷ.(木)2010 はれ
「エンドレス・エイト」の巻でもお話しましたが、最近のマイ・ブームは、ポスターやピンナップを貼って、                                その左右に短冊状に「名言」を並べてみる。本来、全く関連ないものを結んで、雰囲気を楽しむ遊び。
自分、考案。

↑(右、チェシャ猫) 『余の髭(ひげ)に気をつけてくれ。首切り役。余は首をきられることにはなっておるが                              髭を切られることにはなっておらんで』。1535年、トマス・モア卿。
↑(左、アリス)   『どうせあたしをだますまら、死ぬまでだまして欲しかった』。西田佐知子「東京ブルース」。

 
 ↑『憂鬱は凪いだ情熱に他ならない』。アンドレ・ジイド「地上の糧」。
…と、まぁ、こんな様子です。不定期に、ご報告して行きマス。
お昼は、森国さんと「マスの照り焼き定食」を食べマスた。
BGM. シューベルト「ます」
 


20代前半の悩み

4/Ⅷ.(水)2010 はれ、アスファルト・ジャングル照り返しが強い
NHKの、矢沢永吉&糸井重里~今だから「お金」の話、を録画してある。観るのが楽しみ。
「糸井重里の萬流コピー塾」を読む。1984年初版の本。今、読んでも面白い。
糸井重里といえば、昔、テレビで「結局、20代前半までの悩みなんて、その時だけのもので、
後になっても考えることなどない」なんてことを言っていた。当時の日記に書いたから覚えてる。
衝撃だった。それも、同じ1984年頃。
BGM. 斉藤哲夫「悩み多き者よ」


エンドレスエイト

3/Ⅷ.(火)2010 ハレ晴れ
エンドレスエイトとは、夏休みに何かやり残した感のある涼宮ハルヒが無意識に8月を繰り返させる話で、
テレビでは去年の夏、実際8週に渡り同じようなものを観させられた。
なぜ8週かはわからないが、エンドレスエイトの8月の8に引っかけたのかもしれないし、
無限大∞が数字の8を横にした形に見えるからかもしれない。関ジャニ∞と同じ要領だ。本当に同じか?
これからハルヒのアニメを観ようという大人は、まず一期の「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅰ~Ⅵ」までを観て、
次いで二期の「笹の葉ラプソディ」に飛び、劇場版「涼宮ハルヒの消失」のDVD(BL)化を待つのがよいと思う。
本当は一期、二期と順々に観て、「~消失」に進むのが王道だが、
いかんせん二期の「エンドレス・エイト」がしんどい。
二期アニメを期待していたため、反動でうんざりした。
名作「涼宮ハルヒの消失」は無限ループを全て記憶していた長門有希がエラーを起こす話だから、
本当は観ていた方が長門有希に共感できていいのだが、あれはつらいから、大人には無理だと思う。
下の写真は、クリニックの控え室の扉に貼ってある、長門有希のポスター。
左右に短冊状に「名言」を並べてみた。雰囲気を楽しむ、マイ・ブーム。

(右)『人生は、書物のそとで聞く音色が違っている』。ロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」。
 …長門はいつも部室で本ばかり読んでるから、花火の音色はどう聞こえるかしら?というもの。
(左)『死のうと思ってゐた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。
着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織り込められてゐた。これは夏に着る着物であろう。
夏まで生きてゐようと思った』。太宰治「晩年」。
 …長門の浴衣姿にひっかけてみました。
BGM. サザンオールスターズ「夕方Hold  On ME」


火の玉ボーイ、復活。

2/Ⅷ.(月)2010 はれ
午前中、スカパーで五味のUFC2戦目をペーパービューで観る。1ラウンド、KO勝利だ。とにかく勝って良かった。
午後は、友人とメールのやりとりをして、そのあと新宿へポロシャツを買いに行く。
焼肉を食べた。スマスマを見た。
BGM. THE MAD CAPSULE MARKETS「SCARY」


郵便配達は二度ベルを鳴らす。

1/Ⅷ.(日)2010 一日寝てたので天候は不明
昨日は、OB会のような集い。常さんは面倒見の良い親分肌な先輩なので、ついつい安心して呑みすぎた。
タクシーに乗せられ帰宅した。そんな日の夢。
一晩、明けたら茅ヶ崎の家にいた。
2階の南側の陽の当るおだやかな部屋だ。                                        
きのう、あんなに呑んだけど、もうすっかり気分はいい。
自然の光で目が覚めた。
起きた時、予想もしてない程に部屋がキレイな状態にあるというのは、誰かが一緒に住んでいて、
僕を起こさずに、こっそりと片付けてくれてる証拠だ。
机の上には、通販で申し込んだ僕宛の郵便物がきてる。
小包の上書きには、こんな風に記されていた↓。
「これはこんなに沢山の代金をお支払い頂き申し訳ないので、販売をご辞退させて頂きます。
商品、サンボジャケット(黒)」。
昼過ぎ、角川書店から「涼宮ハルヒの憂鬱、パノラマ・クリア・ポスター」が届いた。←これは、本当の話。
BGM. マーヴェレッツ「プリーズ・ミスター・ポストマン」


ザ・ヒストリー・オブ・川原⑨~「お~い、ナカクラ君」

31/Ⅶ.(土)2010 はれ
7月はお誕生月なので、「ザ・ヒストリー・オブ・川原」と題して思い出にひたることにする。
その第九弾。
医師国家試験のテスト範囲は膨大である。
その全部を完璧にこなすのはなかなか難しく、また全部が出題される訳でもなくどこが出るかわからない。
そこで、傾向と対策が必要になり情報戦が重要になる、らしい。
僕らの頃の情報戦の主軸は、「~が出るらしい」という風の噂。
それを聞くと、そこを集中的に取り組む。
また別の噂を聞きつけると、そこを見直す。そんなことをしていた。
実際、情報内容よりも、そういうものを自分だけが知らない不安がプレッシャーを呼ぶから
心理的効果の方が大だったのかもしれない。
そうは言っても、国師直前の僕らには、まるでTVの選挙速報よろしく、
「どこが出るらしい~」というガセネタを待ちわびながら、自分の勉強を続ける、
というスタイルがスタンダードだったような気がする。
クラスの頭の良い子が、学校にかけ合い、6年生のために皆で勉強をし情報を
共有するためのスペースを確保してくれた。
これは、大変助かる。
0時とか1時まで解放してくれるのだが、その時間まで学校に残ると僕は家に帰れなくなってしまう。
僕は、当時、へんぴな所に住んでいたので、交通手段がなくなってしまう。
大学6年にもなると、結構マイカーを持ってる人がいて乗り合わせたりして帰っていたが、僕は車は乗らないし、
いかんせん‘へんぴ’なので、他の友人に乗せてもらって遠回りになってしまうので悪くてお願い出来ない。
それも毎日毎日のこと。
とてもじゃないが頼めない。
困っていると、これまで6年間、ひとことも喋ったこともない男が、                                                      「川原さん、僕、帰り送って行きましょうか?家は○×ですよね?うちもすぐですから」と言ってくれた。 
本当に?いいの?。
「川原さんの所、帰り道なんでいつも通るんですよ。1度、見かけたこともありますよ」と言ってくれた。
悪いなぁ。じゃ、お言葉に甘えて。
ところで、君、誰?。
すると彼は真面目な顔をして、「ナカクラです」と答えた。
ナカクラ君、と呼ぶことにした。
ナカクラ君の車は紺色の丸味を帯びた地味な日本製の車だった。
学校から僕の家までの間、車中で今日勉強した箇所を話し合った。                                                     ナカクラ君がどの位頭がいいのか僕は知らないが、きっと僕より成績はいいのだろう。                                        「そこはこうだと思いますよ」「それと関連して、コレコレ、というのも覚えておくといいですよ」などと言ってくれたから。
約束通り、国家試験が終わるまで、毎日、ナカクラ君は僕を家まで送り届けてくれた。
国家試験の当日、僕の手応えはなかなか良かった。                                                             ナカクラ君はどうかな?と少し気にしたが、広い会場だ、誰がどこにいるかなんてわからなかった。
そして、国家試験の発表。テストは水物だから、受かる人もいれば落ちる人もいる。
合格発表者の表にナカクラ君の名前はなかった。                                                                他のクラスの子に「ナカクラ君、駄目だったの?」と聞くと、「ナカクラ?誰?」と言われた。 
えっ?。…合格欄だけではない。卒業名簿にも「ナカクラ君」の名はなかった。
今でも、不思議に思う。ナカクラ君は、いなかった?。                                                             ただ一つ、はっきり言えるのは、もしナカクラ君がいなければ今の僕はいない、っていうことだ。
BGM. ソフトクリーム「クラスメイト失踪事件」