21/Ⅵ.(月)2010 快晴
手塚治虫の「アトム秘話」をビデオで観る。
アトムの誕生。
鉄腕アトムは手塚の代表作なのに、当初、手塚はそれ程、重きをおいてなかった。
そしてテレビアニメーション。
今までの常識を覆す、というか、無理がある製作。
当然、スタッフから文句が出る。
でもそれをまとめて皆をその気にさせたのは、手塚治虫の情熱だった。
手塚の頑張る姿に皆がつられていった。
BGM. スティクス「ミスター・ロボット」
リクエスト特集・第1弾~オリジナリティー
21/Ⅵ.(月)2010 快晴
「爆問学問」で浦沢直樹の工房を訪れる番組を観る。
工房は教室みたいに浦沢直樹が教壇みたいな位置にいて、
アシスタントが机を向き合わせて作業をしている。
面白かったのは、
浦沢直樹がアシスタントに原稿を渡す時にほとんど下書きの線が見えないものがあるそうだ。
それは何故かというと、鉛筆の段階でミスの線がないから下書きの線に迷い線がないのだという。
そういう時がたまにあり、頭で思った映像がどんどんどんどん右手を伝わって出てくる、
「今、漫画の神様が降りて来ちゃっているよ~」という感じなのだという。
で、「グーって書いているんだけど、ワ・ワ・ワ・ワ・ワ~、すごい!すごい!すごい!」って思ってると、
翌日、物凄く具合が悪くなったりするのだという。
そういう時は危なくて、「もう限界のピリピリに行っちゃってるのだ」と言う。
浦沢直樹は中学の時、手塚治虫の「火の鳥」を見て
「なんだ、これは?こんなすごいものを描く人が世の中にいるんだ」と縁側で一日、ボーっとしたという。
爆笑問題の太田も、お笑いをやっているとどうしてもビートたけしという存在が大きく、
デビュー当時よく「ツービートに似てますね」と言われて、それはモロに影響を受けていたから当たり前で
発言やら何やらは「どうしても(たけしの)亜流」になってしまう。
そういう自分がすごく嫌なんだけど、「それ」が抜けられないのは「それ」がきっかけで好きになってるからで、
「あいつ(たけし)、早く死んでくれないかな~ってラジオで言って問題になちゃったんだけど~(笑)」
との照れ芸もたけし譲りだ。
それから2人は~正確には田中がいるから「3人は」なのだが~浦沢が手塚を、太田がたけしを、
いつまでたってもその人になれない、くつがえせない、
「オレ、やってる意味ないじゃん」的な表現者としてのジレンマや宿命
というテーマがあることを、お茶の間とともに共有した。
ここで浦沢がこの難問への一つの模範解答として、
ザ・ローリング・ストーンズのキース・リチャーズが自分が死んだら墓碑銘に
「過去の遺産を未来に語り継いだ男」
と刻んでくれと語っていることを紹介し、
「自分のやったことはそのぐらいだっていうスタンスはかっこいい。
こんなのだったよ、っていうのをとにかく若い世代に語り継ぐっていうくらいしかできないだろう」と言った。
太田は「もし、それができたら、それはそれですごい…」と無口な子供のような表情で下を見た。
昔、藤子F不二雄が手塚治虫の「新宝島」の‘衝撃’を書いてる文章を読んだことがある。
それはとにかく
「あの衝撃はあの時に読んだものにしかわからない。今、キミたちが読んでも伝わらない」
ということだけを繰り返し言っていて、およそ藤子F不二雄らしくない拙い文章が印象的で、
「伝わらない」ということを強調することによって、何かを必死に「伝えよう」としているように思えた。
BGM. Tレックス「20th Century Boy」
少女はいつも
21/Ⅵ.(月)2010 快晴
少女は、1人でお化け屋敷に入るのが、全然怖くない。
お化けは、‘嘘こ’の「のっぺらぼう」しかいないし、お化け屋敷にも自分しかいないから。
「のっぺらぼう」は、いつも「バナナ、バナナ」と言っていて、少女の弟を食べてしまう。
だけど全然く怖くない~ だって「のっぺらぼう」は、パイナップルと女の子は食べないから。
弟が食べられて、少女は悲しくなるが~すぐに笑ってしまう。
BGM. アネット「パイナップル・プリンセス」
W杯の陰で
21/Ⅵ.(月)2010 快晴
土曜日は外来が混んでて終わったのが10時近かった。
行きつけの寿司屋さんはサッカーの試合があるとお店が暇だと言ってた。
力道山のプロレス中継があると銭湯がガラ空きだったり、
ビートルズがエド・サリバン・ショーに出てる時ティーン・エイジャーの犯罪はゼロ件だった~
なんてのと同じか。
それにしてもオランダ戦は惜しかったようですね。
次のデンマーク戦がいやがおうにも盛り上がりますね。
世間の注目がサッカーに向くから、婚約発表などニュースに取り上げて欲しいものはまだ先にして、
スキャンダルなど騒がれたくないものは今のうちに謝っちゃえ、というのがパターンでしょう。
その効果を最大限に利用してるのが、相撲協会の賭博疑惑ではないでしょうか。
ほとんどのスポーツ新聞のスポーツ欄や芸能欄はサッカー一色で、
東京スポーツだけが、サッカーの記事を終面に追いやり角界の賭博問題を連日報道しています。
東スポの読者層はプロレスファンなどで構成されているから、
世間と一大事がずれるので、こういうことはよくあります。
おまけに東スポは時々、スクープ!と言って
「宇宙人がつかまった」とか「プレスリーが生きていた」とか「ケネディが生きていた」とか「雪男発見」とか
「ミック・ジャガーがん」などのガセネタを一面に載せるので、
今回の相撲協会はこの「東スポさんの言うことですから~」もうまく利用できていて上手いなぁと感心しました。
技能賞!
僕の記憶に残っている東スポでのW杯関連の記事は、
開幕早々南アフリカでマラドーナの前夫人が逮捕されたというもの。
これは終面を丸々割いた大きな記事だった。
どうもマラドーナ前夫人がフーリガン一味と疑われヨハネスブルクの空港で拘束されたというのだ。
マラドーナが入国の裏工作をしたのでは、などと憶測で記事が進み、
結局は「間違いだとわかり謝罪された」というオチだった。
しかし東スポは、南ア当局はマラと極悪集団の関係を問題視しているのは間違いない、
としW杯期間中「GO!GO!マラドーナ」というコーナーを設け
「必ず何かをやってくれる男」マラドーナに密着すると宣言した。
今のところ、「GO!GO!マラドーナ」の続編はない。
オランダ戦の前日も一面は「武蔵川理事長隠ぺい疑惑」で、
サッカーは終面で「本田家の掟 『オレ』禁止」であった。
どういう記事かと言うと、サッカー日本代表の本田圭祐の大叔父にあたる元カヌー五輪代表の本田大三郎(75)が、
中田英寿との対談番組を見ていたら圭祐が公共の場で「オレ」という言葉を使っていたことに緊急提言したのだ。
一流スポーツマンは紳士であれ、が本田家のモットーだという。
なんと、この大三郎の長男があのプロレスラー本田多聞だというから驚きだ。
多聞は荒々しいプロレス界の中に生き続けながらも‘家訓’を守り、
一人称は「オレ」ではなく必ず「私(わたくし)」を使う。
その礼儀正しさはプロレス界一と言っていい。
そして多聞は、
親戚がサッカーの試合に出るので良かったら見て下さい~的なメッセージを東スポ読者に送ってた。
僕にとっての知名度は、本田多聞>>本田圭祐だからこれで正しいのだが、
多分世の中とは大きくズレてるのだろうな。
本田圭祐って有名だぜ。誰に言ってんだ?
そういえば、こないだのタモリ倶楽部でも、
右上隅に「日本vsオランダ放送まであと18時間37分30秒」というテロップが出ながらも、
番組は‘酢’についてだった。
どの酢で作る酢の物が酒に合うかという、ワールド・カップのワの字も出ないプログラムだった。
世間に迎合しないことが、長寿の秘訣か。
BGM. シド・ビシャス「マイ・ウェイ」
たっちゃん、ピンチ!
20/Ⅵ.(日)2010 一日寝ていたので天気はわからず
昨日、
「ブログ、読みにくいんですよ。もう少し間を空けるとか改行するとかしてくれませんか?」とネギタンに言われた。
自分でもそう思っていたが、追い打ちで「なんか論文みたいなんですよね」と言われへこんだ。
モチベーションが急低下。
この人は僕の心を折る急所を知っているのかもしれない。
BGM. 加藤和彦「気分を出してもう一度」
時代屋の女房
19/Ⅵ.(土)2010 はれ
夏目雅子と「時代屋」でお酒を呑んでいる夢を見た。
つまみはコチの刺身、牛肉を葉っぱにくるんで焼いた物、まこガレイの唐揚げ、店員は石野真子。
夏目雅子と伊集院氏の問題になったところで、僕は
<それは2人の問題だ」>応えたら彼女は泣き出した。
そんなことは重々承知だし皆なにもそう言われている、と。
僕は精神科医でありながら皆なと同じ発言をして彼女を傷つけてしまったのだ。
悪かった、と謝った。
夏目雅子は急にビクッとして
「殺されるかと思った」と怖がった。
君を怖がらせてごめんよ。
大丈夫、エリマキトカゲが君の味方さ。
<そういえば、僕は小さい頃、ワニを飼っていたよ>。
「私はコオロギやカブト虫を家で放し飼いにしていたわ」。
彼女の恐怖心が和らいでくれた。
それにしても、夏目雅子はもう死んでいるのではなかったっけ?
人間というものは、死んでもまだ死を恐れるものなのか?
死人も人間だ、平等なのか。
BGM. 夏目雅子「Oh!クッキーフェイス」
バターになりたい?
18/Ⅵ.(金)2010 快晴のち雨
これから雨が続くそうで嫌になりますね。
ゆううつになるし、この世から取り残されたような淋しい気分にもなります。
孤独感。ひとりぼっちは、さみしいですね。
今日は、手の痺れと胃の調子が悪いから南波先生に鍼と温灸をしてもらいました。
だいぶ良くなった。
中学の頃、TV番組から伊東四郎と小松政男の「シラケ鳥」というのが流行した。
そのギャグ自体は別に面白くも何ともなかったのだが、
燃える男・長嶋茂雄が引退したりして世の中全体が燃え尽きてシラけた世相を反映して、
ウケてたのではなかろうか。
中学生にもなると、「シラケ鳥」は幼稚でシラけ気味であったが。
その後、時代は校内暴力とか「金属バット事件」に代表される家庭内暴力や
暴走族など殺伐とした風景に様変わりして行った。
するとコナイダまでラジオの深夜放送で
「天才・秀才・バカ」というくだらないコーナーで人気のあった谷村新司の率いるアリスが
「冬の稲妻」のヒットを皮切りに爆発的な支持を得たのはよいとして、
ちょっと隙を見せたら武道館で「美しき絆~ハンド・イン・ハンド」などという観客同士が
手と手をつなぎ合い絆を深めるという新興宗教みたいなライブをおっぱじめた。
「3年B組金八先生」がスタートしたのも同じような時期だ。
コナイダまで「ジョーダン!ジョーダン!ジョ~~ダン!!」なんて、
西城秀樹のYMCAをおちょくってJODANという歌を冗談半分に体でアルファベットを作りながら歌っていた武田鉄也が
熱血教師に扮し「‘人’という字は支え合って出来ています。人間は1人じゃない」と熱く語り、
そのフレーズが本当はさびしいだけでやり場のない怒りを
社会に向けるしかなかった不良達の心のブラックホールにピタっとはまった。
孤独に悩むたくさんのひとりぼっちが「金八」や「アリス」という箱舟に飛び乗った。
一方、それに乗り遅れた若者たちもいた。
「金八」や「アリス」に偽善の香りを嗅ぎ取ったり恥ずかしさを感じ
、直感的に「この舟に乗るのは危険だ」と察知したのだ。
現実は定員オーバーで乗りそびれただけかもしれないが…。
そこにビートたけしが登場した。
衝撃的とはこういうことを言うのだろう。
たけしは世間のウソや誤魔化しや偽善を、たけし自身にも内包していると告白しながらも、
露悪的に毒ガスという風刺の効いた笑いに昇華した。
「金八先生、すごいですね~。‘人’という字は支え合うって、‘入る’っていう字になっちゃった。弱っちゃうな~」。
ヒーローに思えた。
僕が今でも忘れられないのは、ある日のオールナイト・ニッポンで、
「アリスってのもすごいですね~、ハンド・イン・ハンドだって。君たちは1人じゃない、って、バカ野郎!
人間みんな1人なんだよ!1人じゃないのはシャム双生児くらいだ!」とやった。
シャム双生児とは体が結合している双生児のことだ。
こんな放送を聴いていたら、聴いてるものも同罪として罰せられるのではないかと心配した。
しかし、そんなことはなかった。
それどころか、世間はビートたけしを歓迎した。
特に「知識人」は率先して評価した。
たけしを評価することが‘インテリげんちゃん’としての評価につながった。
しかし、最も驚くべき現象は「金八」や「アリス」の人気も落ちなかったことだ。
つまり、たけしと金八・アリスのファンが重複したのだ。
想像してごらん(by ジョン・レノン)~、金八に感動しアリスのライブで手を取り合った奴らが、
翌日のTVでたけしに昨日のことをバカにされ大笑いしてるのである。
ある種の贖罪の儀式か?
勝ち残るのは大衆ということか?
密かに、僕は奴らと一緒に笑ってることで知らないうちに汚染され同化してしまうのではないかと恐怖した。
ま、そうなったらそうなったでひとりぼっちではなくなるのだが、
みんなと溶け合ってバターにはなりたくなかった。
ところで、醍醐というのは「バター」のことで醍醐天皇が好きだったからそういう名前になった、
とタモリのオールナイト・ニッポンで聴いて知った。
あくる日、国語の授業で先生が同じ話をしたからたいそう驚いた。バター、豆知識でした。
BGM. 高橋美枝「ひとりぼっちは嫌い」
TVの国からキラキラ
16/Ⅵ.(水) 雨のウェンズデイ
最近みた夢。
◎ダウンタウンの浜ちゃんと松ちゃんが、僕をプールに落とそうと画策している。
番組の企画か?親しみを込めたおふざけか?
◎石野真子がCM女王に返り咲いた。
◎中山美穂が「ラブラブ電報をもらって嬉しい!」とCMに出ている。
懸賞は、テレフォン・カード。
◎三河屋温泉に泊まる。
どのチャンネルをまわしてもテレビは「忍者ハットリくん」しかやっていない。
BGM. 田原俊彦「ハッとして!Good」
W杯勝利記念 『作戦勝ち』
15/Ⅵ.(火)2010 はれ
僕はまったくサッカーを見ないが、さすがに日本がカメルーンに勝ったというニュースは見た。
戦術やゴールがどのくらいスゴいのかはわからないが、詳しい人に聞くと「作戦勝ち」らしい。
作戦にも色々あろうが、圧倒的な兵力の差がある相手と戦う時に有効なのは頭脳戦である。
おそらく頭脳戦とは、
①心理的な罠を仕掛け
②精神的に苛立たせ
③相手の持ち味を封じ込め
④攻撃を空回りさせ
⑤動きが雑になったところを仕留める、クレバーな兵法である。
かつて僕は、頭脳戦のお手本みたいな試合を観たことがある。
それは、ジャイアント馬場vsスタン・ハンセンの一戦だ。
全盛期を過ぎた馬場は勢いに乗るハンセンに破れPWF世界ヘビー級ベルトを奪われた。
リターン・マッチが組まれたが、もう誰も馬場が勝つとは思わなかった。
しかし、馬場はここでハンセンにものすごい頭脳戦を仕掛けたのだ。
タイトルマッチが決まった日から、報道陣に「次の試合に秘策がある。
ハンセンがウエスタン・ラリアートを仕掛けて来た時に‘16文ラリアート’を打つ」と言うのだ。
それを伝え聞いたハンセンは慌てた。
「ナニ?‘16文ラリアート’だと?16文は馬場の足のサイズだろ?ラリアートは腕を使う技だ。
どうやってやるんだ?そもそもラリアートは俺様の得意技だ!」と激高し、記者たちに八つ当たりした。
ジャイアント馬場は余裕しゃくしゃくに
「ま、当日を楽しみにしてよ」と太い葉巻を吹かし、記者たちの質問を煙に巻いた。
ハンセンのイライラがピークに達した頃、決戦の火蓋は落とされた。
普段のスタン・ハンセンの試合ではなかった。
いつものハンセンらしい破壊力が陰をひそめた。
‘16文ラリアート’を恐れるばかりに踏み込んだ攻撃ができないからだ。
その為、馬場に決定的なダメージを与えられないのだ。
一進一退の攻防の中、正直ここまで馬場が善戦するとは思わなかった、
不用意に飛び込んだハンセンをクルっと馬場が「小包固め」に丸め込んで3カウントを奪って勝利した。
「小包固め」とは、
相手の首に自分の腕を巻きそのまま自分の足を相手の足にひっかけクルっと前転させエビに固めるセコイ技である。
馬場は勝利者インタビューで、「16文ラリアート?そんなモン無いよ。16文は足のサイズ、ラリアートは腕を使う技。
出来る訳ないだろう」と笑い飛ばした。
ハンセンは‘16文ラリアート’という亡霊に負けたのである。
馬場の談話を伝え聞いたスタン・ハンセンは「ガッデム!」と悔しがったという。
お昼に、徳田さんからトゥーリオが日本に来て仲間と溶け込むまでの苦労話と
トゥーリオは実は日本に帰化していて「〇〇〇」という漢字の名前であることを聞いた。
「〇〇〇」は覚えていない。
そう言われて思い出したのだが、
沢村栄治と並ぶ戦前の巨人軍のエースだったスタルヒンは戦時中は
「須田博」という漢字の名前にしたそうな。
BGM. ザ・プラターズ「16トン」
キース・ムーン☽
14/Ⅵ.(月)2010 雨がしとしと
「鳥」からキース・ムーンの生涯を映画化するという噂を聞いた。
キース・ムーンはザ・フーのドラマーで「奇人」「壊し屋」としても有名。
あるパーティーの会場でキース・ムーンの姿を見かけたミック・ジャガーは、
慌てて逃げ帰ったという話が有名である。
「けいおん!!」の3話目くらいで、ドラムの田井中律がスランプに陥った。
理由は、ドラムはスポットライトが当たらない目立たない存在であるからだった。
楽器を代えようかと、ギターやキーボードにも挑戦した。
しかし、律ちゃんは中学時分に好きだったザ・フーのビデオを夜通し観て、自分にはドラムしかない、
キース・ムーンに憧れてドラムを始めたのだ、という初心を思い出し立ち直るという、ちょっといい話だった。
でも、律ちゃん、キース・ムーン好きだったんだぁ。
田井中律はもう高3である。
律ちゃんの一個下の学年にあたる「鳥」は、動画サイトでディズニーの「ピーターパン」を観ていたら、
キース・ムーンに似ているな、と思って興味を持ち色々調べたという。
16歳は勉強盛りだ。彼から聞いた逸話で面白いものを紹介しよう。
題して『~キース・ムーン 奇才ドラマー~』。
①自宅からわずか500m先のパブに行くのにもヘリを飛ばしていった。
②ホテルのロビーに車ごと突っ込んでフロントに一言「キーをくれ」。
③オランダのユダヤ人街でロンメル将軍のコスプレをする為にナチスの制服を着て闊歩し、殺されかけた。
④スティーブ・マックイーンは、隣に住んでいたキース・ムーンが夜中にジャンプ台を使ってモトクロスで爆撃してくるので、塀を高く作り直した。すると何故かキースは自分の家側の塀をそれよりも高く作り直した。
⑤オノ・ヨーコのスカートをまくりあげた。
⑥自宅のプールにロールスロイスを沈める。
⑦自宅の門を入るとすぐプールになっていて、知らずに車で入ってきた友人はそのまま水没した。
⑧奇抜な格好でレストランに入ろうとして追い出されると、その店を買い取って自分を追い出した店員をクビにした。
⑨「自分が死んだ」と嘘の電話をメンバーや仲間にメイドを使って電話をかけさせ、あわてて駆けつけた知人が来ると死んだふりをした。実際、本当に死んでしまった時、ザ・フーのメンバーはキース・ムーンの親まで葬式に来てるのを見て「マジなのか?いや棺桶を突き破って出てくるに違いない」と思っていたそうだ。
キース・ムーンは、
1978年、ポール・マッカートニーのパーティーでいつものように羽目を外し、
オーバードラッグ&大酒を呑み、翌朝自宅のベッドで冷たくなっているのを婚約者に発見された。
享年、32歳だった。
BGM. 河合奈保子「ムーンライト・キッス」