失礼しちゃうぜ

24/Ⅴ.(木)2012 はれ
昨日の「新生カワクリ」の記事に対し、mayuさんから(どんどん変わっていくのですね。)というコメントを頂きましたが、
確かに、カワクリはどんどん変わっていますが、それは外観だけです。
昔、どっかの国のエラい人が、「チェンジ!チェンジ!」と連呼していましたが、何でも変えりゃE.ってモンでもないでしょう。
大切なものは、変えてはいけないのです。
大切なものとは、ポリシーとか美学とか初心とか伝統、かな。
そういうものは、しっかり手を離さずに、そっと握っておくべきです。
mayuさん、安心して下さい、カワクリはそうしています。
しかし、生きづらい世の中になったものです。長いものには、時には巻かれた方がよいのでしょうか。
僕の今の状況を良く知っている旧友には、「喧嘩する価値もない奴さ、相手にするなよ」とたしなめられるけれど、
俺はあんなセコイ奴等に利用されるのは、まっぴらなのさ。
そりゃ、大人だし、見て見ぬ振りも出来るけど、俺は怒ってるんだよ。
どの位、怒っているかというと、スリッポンの柄をレオポード柄に変えた位、怒ってるんだよ。↓。

テーブルの上に足を投げ出して撮影したのさ。アグレッシブだろ?。止めても無駄だぜ。
BGM. 吉田拓郎「我が身可愛いく」


同窓会

18~19/Ⅱ.(土)~(日)2012
2月の始めに「大学の同期会」をやるとの葉書が来た。
<随分と直前に連絡をよこすものだなぁ。それで、人、集まるか?>と思って、同期の友人Wに連絡したら、
「その日は、大学全体の同窓会があって、その葉書は、二次会のものだ」と教えてくれた。
言われてみれば、去年の年末に大学の同窓会のお知らせが来ていた。
返事を出さずに、放っておいた。
Wは、それから仲の良かった友人や女子にも連絡をして、「この際だから皆で、
同窓会に出よう」と話しをまとめた。
Wは、同窓会事務局に問い合わせ、僕が出欠の連絡を出していないが、出席できるように手配をしてくれた。
Wは、元々、頭のいい奴なのでこのくらいは朝飯前だ。
今の仕事も成功しているみたいだ。
場所は、都内の一流ホテル。僕はWに<何を着ていくの?>と尋ねると、
Wは「スーツ」と答えた。
僕はスーツを持っていないから、
<襟のついたシャツと高級なGパンならいいかな?それだと入れてくれないかな?>と
質問した。
それというのも、以前、有名なレストランに招待されたことがあり、草履で行ったら、
お店に用意してあるブカブカの靴に履き替えさせられた苦い体験があるから。
でも、店に靴が用意されてるということは、結構、草履で来る人が多いってことだよな。
なんだよ、偉そうに、大して旨くもないのに、味の違いわかんねぇよ。
それは舌の問題か?、失礼しました。
するとWの返事は、
「どんな格好でも、大丈夫。ただ、俺はスーツで行く。
医者って格好とか気にする奴いるじゃん。それが面倒くさいから。ホテルはGパンでOK!」
とお墨付きを貰ったので、
僕はミック・ジャガーが上半身裸でズボンのポケットに手を突っ込んでいるプリントTシャツの上に、
白地に淡い花柄のシャツを羽織り、腿の辺りに音符が描かれてるGパンを履いて、
靴は履きなれない靴を履くと必ず靴ズレするからいつものスニーカーがカラフルだからそれでいいと、
コーディネート終了。
同窓会は土曜日なので、外来が終ってから行くので、遅れて合流することに。
先に着いたWから「今、どこ?」とか
「何線に乗り換えて、何個目」とか
「何番出口から出て、橋を渡って右の建物」とか
「入ったら守衛がいるから‘○○の間’はどこか聞けばいい」とか
一つづつミッションが送られてくるので、
僕はそのナビに従って会場に向かった。
実際、僕は何ホテルでやるのか知らなかったから。
正確に言えば、‘知らなかった’のではなく‘知ろうとしなかった’のだけれど。
途中、Wに<皆、何着てる?>ってメールをしたら、「全員、スーツ」と返って来た。
ちょっとだけ<帰ろうかな…>と弱気になったが、
忌野清志郎が山口百恵と三浦友和の結婚式に招待された時
(清志郎と三浦友和は高校の同級生だったから)にGパンに革ジャンで行った、
と何かで読んだのを思い出し、勇気を出した。
会場に着くと、首から提げる名札を渡され、
誰だか判る目印にするのだろう、首からブラ提げた。
すぐにW達の待つ場所に合流し、そこにはMやVもいて、少し遅れてT君も到着した。
皆で会うのは10年いや20年ぶりくらいなんじゃないか?
僕はワインを駆けつけ3杯、すぐに皆と打ち解けた。
食事がバイキング方式になってるので、グラスと皿を持って会場をウロウロしていると、
「川原君、変わらないね」と色んな人が声を掛けてきてくれた。
皆、懐かしそうに、嬉しそうな顔をしている。
卒業してから20年以上経っているのだ、僕の見た目が変わらない訳がない。
おそらく皆が言いたいのは、
こういう会にもこういう格好で来て偉そうにしているところが変わらない、ということなのだろう。
そして、そのことに対して、皆、好意的もしくは寛容であった。
僕は好きだった女の子の何人かと一緒にツーショット写真を撮らせてもらった。
大事に保存するつもりだ。
いきなり背後から大声で、
「キャーボー!」という声がして、振り向くまもなく、スリーパーホールドを極められた。
勿論、愛情表現である。
僕のことを「キャーボー!」などと呼ぶ人間は限られている。
それは野球部でだけ使用されていた僕の愛称だったからだ。
「川原坊や」が「キャーハラ・坊や」に転じて、「キャーボー」とあいなった訳である。
声の主は僕が1年の時の4年生のキャプテンだった。
「元気か?何だ、お前その格好は?今度の野球部の謝恩会は来るのか?相変らずだな、キャーボー!」と
矢継ぎ早に脈絡のないことを言われ、僕も矢継ぎ早に
<元気です。ミック・ジャガーです。謝恩会の返事は出してません。皆にもそう言われました>と
質問の順番通りに答えた。
僕は新歓コンパで酔い潰れてキャプテンのアパートに泊めてもらい、
翌日には風呂にも入れさせて貰った恩義があり、その時のことを感謝して、その舌の根も乾かぬうちに、
<でも、水風呂で冷たかった>と文句を言った。
するとキャプテンは「すまん、追いだき機能がなかったんだ」と頭を下げた。
しかしキャプテンになるような人はやはり器が違うのだ、翌日に僕にメールをくれ、
野球部の謝恩会に参加できるようにしておいたから、
いついつの何時にどこどこホテルの‘何の間’に来い、
と手配してくれていた。
仕方ないから、行くことにする。
…仕方ない、って言い方も失礼だな。
訂正、喜んで参加する。
二次会は同じホテルの上の階で各々の学年ごとに同期会をするのだ。
そもそも、これが冒頭の葉書の正体なのだ。
違う大学に入局したために、同窓会に来ていないO君を呼ぼうと意見が一致した。
メールで<おいでよ>と出すが、
O君は「俺は同窓会名簿に入っていないから」と言うので、
<二次会は名札を返しちゃってるから紛れ込んでも判らないよ>と返信した。
すると、O君は「○○ホテルに行ける様な服じゃない」と遠慮するので、
<俺とかVはGパンだよ>と説得すると、
O君は「俺は作業着みたいなズボンだ。ホテルは遠慮しておくよ。3次会に呼んでくれ」と
寂しいことを言う。
O君が好きだった女の子も来てるんだし、服装ごときを理由に辞退するのはくだらないことさ。
そこで僕は、Vに僕の格好を写メに撮らせ、
その際、丁度、帽子とマフラーと手袋が一体となってる防寒着を着て来てたので、
それは豹柄で帽子には豹のように耳が付いていて、その方がインパクトがあるので
(つまり格好なんて関係ないよ、というメッセージ性が強いので)、
その写メを添付してO君に送った。
その効果は抜群で、O君は二次会に合流した。
呼んどいて言うのもなんだが、本当に作業着みたいな服だった。
しかし、O君は僕の格好を見て安心したから来たのではあるまい。
そこまでしてくれる旧友への男気として駆けつけたのだろう。
じゃなきゃ、普通の神経で、○○ホテルにあんな格好で来れまい。
あれ?俺、矛盾したこと言ってるか?。
下が、O君の男気を稼動させた写メ。↓。

僕らは学生時代は馬鹿騒ぎをする方で、
たとえば学園祭などでは、ステージで各クラブごとに出し物をする恒例があるのだが、
そういうステージに乱入したりして楽しんでいた。
学園祭実行委員会は当然ながら進行を妨害するものを排除したい。
そのため、柔道部とかの屈強な奴らが警備に当たっていて、
彼らとは何度か衝突したことがある。
そんな因縁もあり、我々はお互いを煙たがり、距離をとっていた。
同期会では、そんな柔道部の一人が
「おぉ、川原。相変らずだね。まぁ、一杯やれよ。何呑んでんだ?ワインか」と
俺の持ってるワイングラスにワインを注いだ。
普通、ワインというのは、チマチマとグラスの半分位づつ入れて呑むものだと思うのだが、
奴はワインをグラスにナミナミと注いだ。
相変らず、嫌な奴だな。
俺は、そう思いながら、グラスを一気に呑み干した。
すると、奴はビックリした顔をして、「お前、何、やってんの?」と言った。
俺は、<つがれた酒は一気に呑まないと>と理由を答えたら、奴は苦笑しながら、
「俺な、実は、そういう体育会系のノリ、苦手なんだよ」と耳元で囁いた。
僕らは顔を見合わせて、どちらからともなく笑った。
昔のことは恩讐の彼方に、我々は20年以上の歳月を経て和解した。
時は魔法使いのようだ。
さっきも言ったが、二次会は名札がないので誰が誰だか判らない。
しかし、同期なら判らないのは失礼である。
ところが僕は同級生の顔と名前を覚えるのが苦手なのである。
正確に言えば、覚えようとしなかったのである。
以前、山手線の中で、
「もしかして、川原君だよね?俺、○×だよ!」と声を掛けられたことがあるが、
誰だか判らなかった。
彼は必死で、
「俺、○×だよ!一緒に、海外旅行に行ったじゃないか?」と言われて、ナントナク、そんな人いたなぁ、
と思ったくらいで、たいそう、相手をガッカリさせた前科がある。
だから、二次会は危険だ。
向こうはこっちを知っている。
しかし、こっちは向こうを知らない。
さらに、それを向こうにさとられてはいけない。
そこで僕が考えた作戦は、
僕の近くにMを配置し(Mは僕がそういう人間だと知っている)、
<もし誰かが俺に話しかけてきて俺がそいつを誰だか判らなかったら、‘コマネチ!’ってたけしのギャグをやるから、
そうしたら自然に『おぉ、×○じゃないか、元気?』と小芝居をして、さりげなくそいつが誰だか俺に教えろ>
と仕込んでおいた。
結果、俺は二次会中、ずっと‘コマネチ!’、‘コマネチ!’と言い続けていた。
平成24年2月のサタデーナイト、
おそらく日本中で一番、‘コマネチ!’と叫んでいたのは自分だという自信がある。
自負と言ってもよい。
しかし、僕の失敗はそばに配置しておいた人間の人選ミスで、
Mは俺が‘コマネチ!’、‘コマネチ!’という度に、
「わかんねぇ~」とか「俺に聞くなよ~」とか言って、
Mは俺と同じくらいクラスメートの名前を知らなかった。
そのせいで、僕は後輩にペコペコ頭を下げて逆に恐縮されたり、
先輩に横柄な態度をとって呆れられたりする始末。
学年毎に、分かれてるといっても、
そこはアコーディオン・カーテンみたいなもので仕切られてるだけだから、結局、入り乱れるのだ。
そうは言っても、印象的な人たちもいて、たとえばヨット部の1個上の3人組の先輩(女子)は、
「たつじ、元気?アンタ、何、やってんの?相変らずねぇ。T君も来てる?」と矢継ぎ早に脈絡なく話しかけられ、
僕も矢継ぎ早に、
<元気です。あなたたちと話しています。皆にそう言われます。どっかにいますよ、連行しましょうか?>
と質問順に答えた。
3人組の先輩(女子)をそこに待たせ、Mを誘って、T君を探しに各階・各部屋を回っていった。
T君は、僕らのグループの一人で、ヨット部のキャプテンだった人だ。
ちなみに僕はヨット部の幽霊部員でもあった。
僕はさっきO君に送った写メ用の豹の帽子付きマフラーを被ったままの格好で歩き回っていて、
最初に入った部屋が運悪く、一回生の集まりの部屋だった。
さすがに一回生は10歳とか20歳とか年上の人達だから、知らん顔して退室しようとしたら、
そのマフラーが怪しがられた。
一回生たちは、何か妙なものが入って来たと僕とMを取り囲んだ。
今、考えれば、帽子を脱ぐだけで随分違ったのだろう。
「ちょっと、待て!お前は誰だ!何回生だ?何科の医者だ?それより医者か?名刺を出せ!」と
矢継ぎ早に脈絡のないことを言われたので、
僕も矢継ぎ早に
<待ちます。川原と言います。何回生かは思い入れがないのでわからないです。精神科です。名医です。名刺は明日、作ります>
と質問順に答えた。
ここはもう腹をくくるしかない。
‘居残り佐平次’にでもなったつもりで、口からデマカセなことを言って、適当に先輩方をおだてたり、
<上品なネクタイですね。万引きですか?>などと軽口を叩いてるうちに、
「面白い、気に入った」などと認められ、
握手を求められたり、ハグされたりして、最後は胴上げまでされる始末。
何とか無事に逃れることが出来た。
もしも同じ様なことが起きた時のために、アドバイスをしましょう。
このように沢山の偉い人に囲まれたら、瞬時にその中で一番偉そうな人を見分けて、
その人だけをターゲットにたらしこみましょう。
一人で大勢と喧嘩をする時には、その中で一番強そうな奴だけを倒しに行け、
という喧嘩の極意に通じるものがあるでしょう。
しかし、僕とMにはまだT君を探す仕事が残っている。
3人組の先輩(女子)を待たせているのだから。
あっさりと、次に開けた扉の向こうにT君の姿があった。
僕は、
<T君!探したよ!先輩が逢いたがってるよ!一回生、最悪だったよ!早くおいでよ>
と腕を引っ張ると、
T君は丁度、その部屋の集会でスピーチをしている最中だった。
なるほど、だから、T君だけ立っているのか、と納得した。
そこにいた人達は驚いただろうな、いきなり豹を被った男が無遠慮に侵入してきて、
しみじみと思い出にふけっているT君を拉致しようとしたのだから。
しかし、T君はキャプテンともなるような人間だから器が大きく、僕の扱いにも慣れているから、
うまく僕をいさめて、スピーチを続けた。
しばらく僕はT君の隣に立って、テーブルの奴らのことを見回したが、知ってる顔はいなかった。
T君は、結構、感動的な話をしていたから、僕は空気を読んで、
<じゃ、T君!下にいるからね!皆さん、お邪魔しました~!ご歓談をお続け下さい~!
じゃぁね~、また見てね~!バハハ~イ!>
とか言って、その場を立ち去った。
部屋の外のソファにMが座って待っていた。
Mは、一回生の部屋で懲りたらしく、この部屋には入ってこなかったのだ。
Mよ、虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。
T君は間もなく、下に降りて来て、3人組の先輩(女子)と再会し、僕にも、
「さっきはサンキューな。あの乱入のおかげで場が盛り上がったよ」と、
明らかに嘘だと判る、お礼を述べた。
ホテルの会がお開きとなり、僕はWとMとVとO君とT君の6人で、女子を誘って3次会に行った。
普通の居酒屋の奥の座敷だったが、僕はこの辺りから記憶があやしい。
色んな人に逢って懐かしかったし、Wのはからいで来て良かったと思ったけれど、
それなりに気を使ったし、緊張もしたね。
だから、4次会は、男6人だけでもう一軒行こうよ。
僕はやはり、この6人だと楽だな、と思った。
それは6人ともそう思ったんじゃないかな。
ここに今日来れなかった、沖縄にいるKがいたらより最高だったな。
Vの行きつけのオカマバーで呑んだ。
明日が日曜日だから、こんな時間まで騒いでいられるんで、翌日、仕事だったら大変だな、
と僕が言ったら、
Wが「俺、今日、仕事(会議?)なんだよ」と言った。
朝の5時だった。
Wは酒を呑めないので、二日酔いこそないが、さすがに徹夜はきついだろう。
そう言えば、学生の頃もこのメンツで呑んで、Wは朝までシラフでつきあっていたっけ。
W、お前が一番変わってねぇよ。
帰りは、Mが家が同じ方面だからと、タクシーに一緒に乗っけてくれて、僕の家の前で降ろしてくれて、無事、ご帰還。
家に帰ってから寝て、夕方に起きたら、声が出ない。
晩年の立川談志みたいにかすれている。
家族は驚いて、「カラオケでも行ったの?」。
俺、<いや、普通に喋ってただけ>。
家族は不安そうに、「何を、喋ったの?」。
俺、<よく覚えてない>。
家族、「覚えてないの?」。
俺、<そう。でもね、おそらく…>。
家族、無言。
かすれた声で俺は言う、<おそらく、十中八九N・G>。
BGM. 山本山田「旧友再会フォーエバーヤング」


おかしな格好で真面目な話を。

16/Ⅰ.(月)2012 寒い
今日は校医のあと、菱沼先生と都内で会食。
ちょっと高級でオシャレな店に案内される。
彼とはいつも真剣に治療論とかの話しになる。
こういう話が出来る人は少ないので貴重で刺激的な時間が過ごせた。お店も美味しかった。
僕は、昨日中野で買った‘タケコプター’付きの帽子と、翼の生えたスニーカーを履いてゆく。
どちらも、しょこたんバスツアー用に購入したもので(昨日の記事参照)、二つ組み合わせると、空も飛べそうでしょう?
しょこたんと逢える浮ついた気持ちを表現してみました。
そんなアイテムを何故今日に?と思われるかもしれないが、それは菱沼先生は昔、大変だけど充実した仕事を一緒に
やり遂げた同志だからで、その頃の自分達への敬意を込めて、おろしていったのだ。
ちょっと店には不釣合いだった。
同志の証、空回りの巻。
ま、気にしない、気にしない。下が、そのシューズと帽子。↓。


菱沼先生はパワフルで、今度クリニックで心理士のための勉強会を開くらしい。
彼の持論は、心理も薬のことを理解してるべきで、それには僕も同調。
彼のつてで偉い先生が勉強会を開いてくれるらしく、せっかくの機会なので僕とうちの心理の徳田さんも参加させてくれと頼み、快諾をもらう。
‘勉強’という漢字は、「むりにしいる」と書くが、自発的にやる‘べんきょう’は楽しいものだ。
物を知るとか、わかるという快感はどんな娯楽でも敵わないと思う。


僕はティファニー

5/ⅩⅠ.(土)2011
11月5日は、母の誕生日。子供の時、兄の提案で兄弟でお金を出し合い、プレゼントをしたことがある。
それは、おもちゃの指輪で、多分、数百円の代物で、エメラルドのイミテーションで、
キラキラの緑色がカメレオンみたいで魅力的だった。
母は、その日、父に「子供達が、これをくれた」と報告しているのを、僕はコタツでうたた寝しながら聞いていた。
父は、「子供達は、宝石のつもりなんだから、一生、大切にするように」と言うのを、僕は寝たふりをして聞いていた。
実際、母はその通りにして、母が亡くなって遺品を分ける時、宝石箱の中にそれをみつけた。
この幼児体験は、のちのちの僕の女子との付き合い方の原型となった。
要は、「お金<気持ち」である。
中1の時に、流行った太田裕美の『木綿のハンカチーフ』はその思想を強化した。
松本隆の作詞したその歌は、男が就職のため、恋人を田舎に残し、上京するという設定だった。
僕は中学から東京に出て来て、小学校の好きだった子は田舎の学校に通っていたので、
これは自分のために作られた歌なのではないかと愛着をもった。
『木綿のハンカチーフ』は、男女の文通の内容が歌詞になっている形式で、
1番では男が恋人へのプレゼントを探すと宣言し、
それに対して女は、私は欲しい物などない、あなたが都会に染まらないでくれればいい、と返す。
この歌は4番まであり、男は女にスーツ姿の自分の写真や、都会で流行りの指輪を贈りつけ、
それに対して女は、木枯らしのビル街で体に気をつけてとか、ダイヤや真珠よりあなたのキスの方がきらめくもの、
と返信する。
太田裕美の澄んだ伸びるソプラノが健気さを表現する。
男はとうとう4番の歌詞で、
「毎日、楽しくって、君を忘れちゃうよ、許してね」
みたいなふざけたことを一方的に抜かし、
ずっと贈り物は要らないと言っていた太田裕美が最後のわがままとして贈り物をねだるのだが、
それが涙を拭くための木綿のハンカチーフ、というオチである。
こうして、「お金<気持ち」路線は確固としたものになり、思春期の刷り込みは恐ろしいもので、
僕は大学時代や医者になってからも女子に高価なプレゼントをするのは不誠実だと思った。
プレゼントには、オリジナルの彼女を主役にしたマンガを描いたり、
その子の好きな歌手の秘蔵映像(もしくは音源)をあげたりした。
それが一番、喜ぶと、本気で思っていたから。
つげ義春のマンガで、世の中は安保闘争で騒乱としている時に、
ヤミ米を買いに行く仕事の手伝いをするという実話に近い作品がある。
そのマンガは、ヤミ米を買いに行く親分に
「アンポ、って知ってるか?」と聞かれたつげ義春が、<何ですか、それ?>と答え、
親分は「俺も知らねぇんだよ」と笑って終わるのである。
昭和史みたいのを見ると、皆がその時代は安保に関心をもっていたように錯覚するが、
同時代に全く別次元で生活する人はいるのである。僕もそんなところがある。
多分、僕はバブル時代というのを東京(もしくは神奈川)で過ごしているのだが、
実体験としての感覚はゼロだ。
言われて見れば、友人達がデート・コースや記念日が何とかとかよく言っていた時期があったから、
きっとあの辺りなんだろうな、とは思う。その頃も女子との付き合い方は同じだった。
結構、大人になってから、割と、この人はセンスがいいな、と思う女の子が、
「プレゼントに、ブランド物を貰うと嬉しい」と言ったのを聞き、とても驚いた。
僕のマンガを心底、喜んでいた子だったから。
平成に、太田裕美はいないのか、と痛感した。その反動形成なのかもしれないな…。
僕は、最近、カエルの指輪をしている。たまに、「可愛いですね」と言われると、
<ティファニーです>と答えている。
勿論、ウソであるが、皆、一瞬、「エッ?」と驚く。
それが、楽しくて、指輪をしているようなものである。↓。

BGM. 太田裕美「木綿のハンカチーフ」


仕事。

31/Ⅲ.(木)2011
Kさんから頂いたピンクのカーネーション。
フォトby徳田さん(カワクリ写真部)。↓。

Kさんは、
「××花屋さんは、あんまりお花が好きじゃないみたい。お花も元気ないし。○×花屋さんの方がよい」と言っていた。
お店屋さんは、自分の扱ってる品物を愛さないといけませんね。
それで思い出したのが、僕が大学生の時に出会った美容師さんのこと。
当時、僕は悪ノリで青山のモッズヘアとかジャニーズ御用達の「コバ(古場?)」とか
キョンキョンの通う「スターカットクラブ」などに月替わりで通ってた。
美容師さんは気を使って色々話しかけてくれるのだが、僕にはそれは鬱陶しい限りだ。
「学生さん?」なんて聞かれても、「何で、テメェに答えなきゃいけねぇんだよ」とか思った。
他人に自分の素性を知られるのも、「医大生!」と答えたりする自分も嫌で、
ふざけて「見ての通りのボイラー技士です」とか「こどもスパイ」と言ったり
「それは秘密です」とテレビ番組のタイトルをコールしたり出鱈目に答えてた。
だったら行くなよ!、って話だが、1980年代初頭ってそんな空気だったのである。
時代のせい。
そんな遊びもじきに飽きて、ある日、僕は気まぐれに地元の美容院に入った。
担当したのは元・不良って感じのお姉さん。お約束の「学生さん?」に、僕は面倒くさく、「まぁね」と答えた。
すると、彼女は、
「私は美容師になりたくてこの道に入ったの。
美容師でも好きじゃなくて仕事でやってる人もたくさんいるよ。
でもね、私は思うんだけど、私なら美容師の仕事が好きな人に髪を切って欲しいな。
だから、私はそう思って仕事をしてるんだ」
と鏡越しに真剣な目で語った。
さすが、元・不良。(決め付けるな)。
次回、僕はまたその人の予約をとり、自分から「僕は、今、実は医学部に通ってる学生なんだよ」と打ち明けた。
彼女は「何科のお医者さんになるの?」と聞き、僕は「精神科」と答えた。
不思議なことに、それ以来、僕は美容院で話しかけられるのが、それほど嫌じゃなくなっていた。
BGM . RCサクセション「金もうけのために生まれたんじゃないぜ」


商魂

25/Ⅱ.(金)2011 はれ
家に帰ると、TBSショッピングから「唯マフラー」が届いていた。
それが、これ。↓。

これは、TBSのテレビアニメ「けいおん」の中で主人公の平沢唯ちゃんが巻いていたマフラーを実際に
商品化した企画ものだ。
最近は、そんなものが好評で、他にもアニメの登場人物が普段着にしてるTシャツを売ってたりもする。

まだまだ、寒い冬の日です。マフラーは活躍しそうだ。
BGM. サイモン&ガーファンクル「冬の散歩道」


鉄道の日

14/Ⅹ.(木)2010 はれ
今日、10月14日は、「鉄道の日」らしい。
日本ではじめて新橋~横浜間に電車が走った日だからだそうだ。
鉄道と言えば、つげ義春の「ねじ式」の主人公がメメクラゲに左腕を噛まれ静脈を切断されイシャ(医者、のこと)を探す道で、
突然、きつねの面を被った少年が操縦する機関車がやってきてそれに乗せてもらうくだり。                                       主人公は、この車はもと来た方向に戻っているのでは?と少年にたずねる。
すると少年は、「目をとじなさい。そうすれば後ろへ走っているような気持になるでしょう。
こういう法則は小学校でちゃんと教えているではありませんか」と答える。
僕は、この場面をプリントしたTシャツを昔買って、毎年「鉄道の日」に着ることにしている。
だから、今日も着る。

「ねじ式」は、マンガか芸術か、などと歴史的に論議の的になったこともあったが、当のつげ義春によると、
締め切り間際で何も思いつかず、屋根の上で寝てた夢をそのままマンガにしたいい加減なものらしい。                               だから、「メメグラゲ」も本当は「××クラゲ」の誤植だったらしいが、どうでもいいからそのままにしていたそうだ。
その証拠に、マンガの最後に登場する婦人科医がするシリツ(手術、のこと)は「○×方式を応用した」、とある。                           夢をそのままマンガにしたから、細部は思い出せず、××とか○×としたのだろう。
こうやって、時々、つげ義春のことを思い出すことは大切だ。
下は、ねじ式フィギュア3色。↓。

お昼は、森国さんとチャーシュー麺を食べ、心理テストの所見をみてもらう。
「鉄道の日」とはまるで関係ないな。
申し訳ないので、最後は、ねじ式車両で。↓。

BGM. 浜田省吾「ラブ・トレイン」


黒髪のロベスピエール

25/Ⅶ.(日)2010 猛暑
約10年ぶりくらいに、黒髪に戻した。これまで、赤・青・黄・緑・黄緑・金・銀・紫など色を変えてきた。
誕生日だからイメチェンしようと思ったら、残ったのは黒だけだった。
話は全然変わるが、石井慧がダライ・ラマに相談する光景をテレビで観たことがある。
石井は、自分は柔道から総合格闘技に移るかどうか迷っている、自分の意志を貫くべきか、
それとも時には長いものに巻かれろ、で年長者の意見を聞き入れるべきか?と尋ねた。
ダライ・ラマは、ビルマの竪琴みたいな片側の肩だけ出てる金色のテカテカ光る生地のド派手な衣装を身にまとい、
うん、うんと真剣な表情で質問に聞き入り、やおら石井に飛びつかんばかりの勢いで指を指し
「自分の人生は自分で決めるのだ!!」と断言した。
ものすごい迫力に、柔道金メダリストの石井慧も圧倒された。その後、石井は総合に来た。
ダライ・ラマが言ってる内容は、当たり前の普通のことだ。
でも、そこで僕は思った。
第一印象で「この人は何だ?」と思わせておけば、普通のことを言っても相手に与えるインパクトが大きいな、と。
これは使えるかもしれない。
背広にネクタイの男に「人生、努力」なんて言われても反発するが、お化粧して髪をツンツンさせた男に
「人生、努力」と言われたら真理のように錯覚するかも。
僕も謀らずもそれを利用してた面はある。
「ウチの子が茶髪にして不良にならないか心配」という親は僕の髪の色を見て考え直す機会とし、
「大人は信用できない」という子供は変な髪の色の大人を他の大人と違うと識別し心を開く。
しかし、それもあくまで見た目。人間、中身で勝負。
黒髪のロベスピエール、とは新日にUターン参戦した時の前田日明のニックネームだ。
BGM. ザ・ローリング・ストーンズ「黒くぬれ」


ザ・ヒストリー・オブ・川原②~「麒麟児」

8/Ⅶ.(木)2010  はれ
7月はお誕生月なので、「ザ・ヒストリー・オブ・川原」と題して思い出にひたることにする。
その第二弾。
麒麟は古代中国では、鳳凰、亀、龍と共に神聖な生き物とされた。
このことから、幼少から秀でた才を示す子供を「麒麟児」と呼ぶ。
相撲取りに麒麟児というのがいた。
突っ張りが得意で、北の湖・若三杉・金城(かねしろ)らと‘花のニッパチ組’と言われた。
よく学校で真似をした。NHK、名古屋場所放映しないって。
僕は子供の頃、あまり大きい方ではなかった。
背の高さなんてどうでもいいと思うのだが、他人に「タッちゃんは小さいからね」と言われると、
母はよく、「サンショは小粒でピリリと辛い!」と怒っていた。
写真は、母が作ってバザーに出した麒麟のぬいぐるみ。
僕の方が、少し背が高く設計されている。
赤いマフラーはサイボーグ009。




BGM. 渡辺香津美「Kylyn」


番傘買い

20/Ⅴ.(木)2010 雨
5年以上、前の話。
僕は雨具として番傘を使っているのだが、それは浅草の決まったお店で買うことにしている。
その頃、丁度、‘中国製’の番傘をお店で取り扱うようになった頃だという。
中国製と比べるとどこが違うのですか?、尋ねてみると店主は暗い面容ちとなり
「中国製は千円。日本製は五千円です」という。
値段以外の差は?、その問いに店主は、見た目も軽さも使い勝手も何らかわらないですね。
何もかわらない?、はい。違うのは値段だけです。「どうしますか?」と店主は地面をみながらそう言った。
僕はまるで‘人間性クイズ’でも出されてるような気分になり、
そこは判官贔屓というかナショナリズムというか伝統文化保存の意味からも日本製を購入した。
粋じゃない、と判断されるのを畏れたのかもしれない。
5年以上も経つものだから、結構傘はボロボロだがよくもったものである。
先日、新しいのを買いに浅草まで行った。いつもの店に行き、店主と話す。
中国製は千五百円、日本製は八千円だという。もう日本には作り手が少ないらしい。
値段以外の差は?、見た目も軽さも使い勝手も何もかわらないですね。
違うのは値段だけか…と僕が地面を見る。
そこで店主、ちょっと明るいトーンの声で「でもね、5年使うと差が出るんですよ。もちが違う!」だって。


なんか、人生が肯定された気がした。
BGM. 沢田研二「カサブランカ・ダンディ」