あんた誰?

29/Ⅰ.(土)2022 佳子さま’’私も愛に生きる‘‘宣言。

少し前の話だが、木曜日に仕事を終えて駅まで歩く道すがら、飲食店を覗いて帰るのだがどこもすし詰め状態。餃子の王将、なんて行列。何かと思った。翌日、同じ時間にクリニックを出たら「ココイチ」の電気が消えていて、まるでゴーストタウン。何ごと?…そうです。金曜日から、「マンボー」だったのです。だから木曜日は「飲める最後の日だ~」と言った群集心理が働いたのでしょう。しかし、よく飼いならされた国民ですね。いつ軍国主義に舞い戻ってもおかしくない、と末恐ろしくなります。

良いも悪いもこういう同調圧力が「ファクターX」の正体だとしたら、共通テストで「成績が悪いから絶望して」受験生を切りつける「モンスター」を生む土壌も同じ根っこなのかもしれぬ。「自己責任」という意識は皆が持つべきなのは前提として、それとは別座標で人間は社会的動物であるから「政治が腐敗すると少年犯罪が増える」ように、その準拠集団で1番「敏感」かつ「弱者」が「集合的表現」としてアクションを起こすことは、家庭内暴力と同じメカニズム。川が汚染されるとメダカが消え、川が浄化されるとメダカが姿をみせるようなこと。自然破壊のメルクマールに、メダカ、がなるように、子どもたちを世の中の荒廃のメルクマール=「加害者」にしないようにするのも大人の責任だ。

うちの心理の松井さんは「加害者研究」をしていて簡単に教えてもらったら、どの事件にも共通するのは、「誰かが気づけなかったのか?」という「声」の後出しジャンケン感で、つまり事件が起きてからそう言うのは簡単だが、現実にはなかなか難しかろう。うすうす気づいててもどうしていいやらわからぬし。

そこで我々の仕事である。教育現場や家庭で「あれ?何かおかしいぞ」と思う子がいる。「それが何かはわからないが」教師や親の勘である。名探偵の「あやしい。何か匂うぞ」という嗅覚に近いのかもしれない。「骨相学」という人相学のようなもののように、「顔つきの異常」かもしれぬ。とりあえず受診しろ、とやってくる子供と会う。

そんな子たちの中に「自分もジョーカーみたいになると思う」と未来を予見するものは少なくない。凶悪事件が起きると「自分も人を殺すのではないか?」と騒ぐ子がいる。ほとんどの子はそんなことはせず、ただ単に深層心理にある集合無意識としての反社会性のスイッチが押されて、強迫観念が発動してるだけなのだが、でも何%かは本当にそうなる。誰がいつ犯罪者になってもおかしくない、ロシアンルーレットみたいな時代は、まるでいつ誰がコロナに感染してもおかしくないというオミクロンの猛威とシンクロしてる。

そんな「狭義の精神疾患」ではない人のメンタルヘルスを担当するのがうちの3人のカウンセラーで精鋭部隊です。まだカウンセリングを受けてない人はいいが、もう何回か受けてる人へ。うちの心理士は名札をしてないから名前が見えないですね。最初に自己紹介や契約書を渡していますが、忘れたり放っぽっている人も多いでしょう。でも、今さら名前を聴くのは失礼ですね。そんなあなたに、今回は心理士の名前をあらためて紹介しました。僕がチラシを書き、クリニックの玄関に貼っておいたのでもうこれで安心ですね。固有名詞って単なる識別記号だから覚えづらいですものね。「風呂桶のアカを舐める妖怪だから、あかなめ」とか「蟻を捕食する動物だから、アリクイ」みたいに意味があれば覚えられますが、「愛知県出身、鈴木イチローです」なんて言われても丸暗記するしかないから、まるで学校の「勉強」と同じで頭の良さと関係なくないですか?ちなみに僕の好きな名前を扱った題材は、「シベールの日曜日」という映画です。フランソワーズ(本名はシベール)という少女が美少女です。

BGM. ゴダイゴ「ビューティフルネーム」


オオトリ相談室だより 2021

こんにちは、とくだです。今年も残り数日です。

 

年の瀬といっても、なんだか実感がわかないでおります。

 

先日、寄せ書きを贈るという機会がありました。ただ、このご時世、なかなか寄せ書きを書くにも集まれない、そこに着目したビジネスってあるんですね。オンライン寄せ書きというものがありました。手書きにはできないけれど、オンラインでたくさんの人からのメッセージを集めることができました。

 

オンライン、というのもお馴染みになってきましたね。毎月の定例会で、私たちもオンラインの心理療法についての文献を講読したり、事例を検討した1年でした。

 

オンラインや録画、デジタルなものは繰り返し振り返ることができるなど、便利さがあります。

 

その一方で、対面は一回、その場限りの一回性、ということが際立ちます。

 

どちらにも長所、短所がありますよね。私はやはり、その場の一回、ノンバーバルな面も含めた情報量の多さ、その空間にいるというところを大切にしたいという思いがあります。

 

でも、このブログもデジタルで、こうして皆さんにお伝えする術もあるというわけですね。現代を生き抜くには二刀流でいけるといいのかな。大谷選手みたいに。今年すごかったですね、大谷選手。野球に詳しくないですが、かっこいいなーと。

 

さて、来年はどんな1年になるでしょうか。来週にはもう年明けているんですよね。

 

2022年、心理部門としては、なるべく多くの方に心理相談も活用していただけるよう、2部屋体制を本格的に始動していく予定です。

来年も、よろしくお願いいたします。


心の護美箱(44)~しあわせになる方法

12/Ⅹ.(火)2021 くもり 眞子さま&小室圭さん結婚を祝福、国民の5割強!

石野真子35th Aniversary TOUR 2013「しあわせのレシピ」を観に行った。

石野真子は、このライブの数日前に「徹子の部屋」にゲスト出演した。ライブのプロモーションなのでしょう。番組は、黒柳徹子が石野真子に関する情報を事前に調査し、それを質問して行くという進行。そこでは、「石野真子は実はキューバでは国賓的な扱いを受けている」とか「アイドル時代、キャンディーズやピンクレディーや石野真子の親衛隊同士は仲が悪く、会うとすぐに喧嘩になっていたが、それを(アイドル連合)としてまとめ仲良く応援しようと尽力したのが、石野真子の親衛隊だった」というエピソードが紹介された。こういう自慢話や美談は、ライブのトークで語られてもいいネタだ。ふさわしい、と言っても良い。
だけど、石野真子はそういう話しは一切しない。当然、そんなマコちゃんだから当時の暴露話やぶっちゃけトークなんかは勿論、しない。ただ、「35年、あっと言う間だったね。…色々、あったか(笑)。皆もそうでしょ?」としか言わない。月日は経って、それぞれ、色々、あったけれど、出会った関係性に終りはない。石野真子は、このことを確認したかったのではないかな。続いてはいなかったけど、ずっとつながっていた。だから、渋谷公会堂ではなくて、ファン1人1人の顔が見える近さのライブハウスを選んだんじゃないかな。なんて、そんな風に思うのは、2回も結婚して離婚して芸能界に戻った彼女と僕の和解の勝手な憶測。しかし、最近の若いもんはしょうがない。アイドルで稼いでたくせに「自分で卒業しといて即、暴露話解禁」。金返せ、とよく言われないな。ファンがたるんでるのかな。だから二次元に客を取られるんだよ、とブツブツ言いたくなる。

心の護美箱(43)がいっぱいになったので、(44)を作りました。今回は心理部門の紹介です。

カワクリ心理部門ではマニアックな心理テストも取り揃えてあります。現物を出すのは著作権の問題だあると嫌なので、受付の大平さん(※当時)に類似品「なんちゃって心理テスト」を作ってもらいました。
①ロールシャハテスト
元々、ヨーロッパの子供の遊びだったみたいです。左右対称のインクの染みをみせて何にみえるか聞くテストです。あいまいな物を無理矢理何にみえるか答えなければなりません。「インクの染み」という答えはNGです。↓。


これは、「逆さまにした方が皆さん、想像しやすそう」との絵描きの提案で、ひっくり返してみました。何にみえますか?。↓。


②P-Fスタディ
Pはピクチャー、Fはフラストレーション。ムカつく場面のひとコママンガの吹き出しにセリフを書きます。自分の内面を投影させるため、テストのマンガは表情や髪型などがあいまいで限定しにくくなっています。スタンリー・キューブリックの「時計じかけのオレンジ」でも登場しました。下が、大平さん版P-Fスタディ。↓。


③SCT(sentence completion technique:文章完成法テスト)
書き出ししかない不完全な文章の続きを書いて文章を完成させます。これが何故、投影法かというと、この質問に対しては色んな答えが出来るはずです。それを一つだけ書くことで、その人が何に囚われてるとか執着してるとか固着してるかをみます。逆に、答えにつまる、なんてのも意味がありますね。国会答弁の「記憶にありません」みたいで怪しいですね。下が、大平さん版SCT。↓。


④TAT(Thematic Apperception Test:絵画統覚検査)
意味ありげな絵画をみて、物語を作ります。こども版もあって、その中の一枚はRCサクセションのシングルマンのレコードジャケットになっています。↓。


シングルマン、は名盤なのですが、一時期は廃盤でした。ファンの再販運動があってレコード会社がわびて復刻されました。まさに日本の音楽業界の本質をみる目をテストした結果になった訳です。
下が、大平さん版TAT。皆さんもやってみましょう。出来るだけ想像力を働かせてドラマチックな物語作家になって下さい。過去にどんなことが起きていたのか?そしてこの絵の場面では何が起きているのか?登場人物達は何を考え、どう感じているのか?さらに今後物語りはどう展開して行くのか?その辺の紙片にでも書き留めてみましょう。↓。


どうですか?意外と難しそうじゃないですか?人生は戦いに喩えられます。人生における「しあわせのレシピ」は、「己を知り敵を知れば百戦危うからず」ではないでしょうか。それならば、まずは順番通りに、己から。でも、心理テストで1発で測ろうとせず、ゆっくりカウンセリングで対話を通じて自分のストーリーを紡ぎ治す方が自己理解にはおススメです。…散々、心理テストを紹介してから言うのもなんですが…。

BGM. 中山千夏「あなたの心に」


心の護美箱(34)~心理療法(カウンセリング)のすすめ

過去記事からの転載になります。↓(一部編集有)

スーです。
先生が患者さんにカウンセリングのアナウンスをするセリフを、私を患者に見立てシミュレーションしてくれたのを、それがまた早口で、一生懸命口述筆記しました。
それを記事にしてみましたので、後はよきに。

今、あなたがここに居て、これこれこういう問題があると。
そこにはあなたの性格とかいわゆるアイデンティティーというものが、関わっているわけなんだけれども、そういったものは、
昨日今日始まったようなものではない。と。
三つ子の魂百までもと言うように、あなたが生きてきた年数、
幼稚園時代とか小学校中学校高校、どこでどんな体験をしたか、
今まではそこをやり過ごしてきたかもしれないけれど、思春期とか青年期になると、寝た子を起こすように過去の固着していた問題が出てきたりするものなのだ、と。
だから、問題を解決するためには、何が問題なのかを
自分でわかる必要があって、そのためにカウンセリングでは、
最初の4~5回でカウンセラーの方から質問をして、
今あなたの困っていることと、あなたの歴史がどう関わっているのかを、見立てる作業をする。

それで納得いってくれれば、継続面接が始まっていく。
そこで、アセスメントの段階で聞かれる事は、
あなたの歴史を大河ドラマ的に分析していくことで、そのためには、
DNAレベルで父親とか母親とかの血も受け継いでいるわけだから、
親がどんな人間であるかだとか、その親にもまた親がいる訳だから、
おじいちゃんおばあちゃんがどんな人なのか。
プラス人間は、社会的な動物だから、兄弟とか親戚とか、
友人関係に留まらず、時代とか文化とか流行りとか風土とか信仰とかも関係してくる。
そういうものを全部聞いたうえで、それらにどのぐらい影響されているのか、あるいは反発しているのか、それを全く知らない他人であるカウンセラーにしゃべる事によって、相手に伝わるように喋らないといけないから、話しているうちに自分の整理にもなる。
これを毎週1回50分やる。
よく考えて欲しい、人生の中で生きてく中で、自分のことだけを話題にして、50分話し続ける空間などない。
それを人工的につくって、専門家と一緒に見つめていく作業がカウンセリングで。
これは本当の事を言うと、全ての人がやった方がいい。
ただそんな事に、厚労省は金を出さんと言っているから、
保険がきかなくて、1回7000~8000円かかる。
まぁ、高いように感じるかもしれないけれど、何かに比べれば高くないんじゃないかな。

唐突ですが、下にあるイラストは先生が描いたフロイト。色塗りはスーが担当しました。↓

 

懐かしい記事でしたね、必死にリスニングした記憶がよみがえります。
ここから先がシン・ニュースです。
喫煙室から待合室に変貌を遂げていた部屋が、新しく心理室に生まれ変わりました。

入ってすぐはこんな感じ↑

実際にカウンセリングを受けるときの視点はこんな感じ↑
シックな心理室の紹介でした。

カウンセリング中は扉を閉めてるので、間違って入らないようにお願いいたします。

先生からのお知らせでした。

 

心の護美箱(33)がいっぱいになったから(34)を作りました。始めてこのブログを読む人は「何のこっちゃ?」ですね。そんな人はこちらを。→心の護美箱(33)。

(先生が新しく護美箱をつくる時間がなかったので、私がつくりました。気にせず、いつも通りの護美箱としてお使いください。)


なんでもない日おめでとう。

27/Ⅱ.(土)2021 はれ。今日は3K(強風、乾燥、花粉)。シン・エヴァ、3月8日公開決定!

鏡の国のアリスに出てくるハンプティ・ダンプティは「マザーグース」に出てくる卵が元ネタですが、太っちょの体にネクタイを巻いていて、アリスに「それ何?」って聞かれると、白の女王に「なんでもない日のお祝い」にもらったと言います。「?」なアリスにハンプティ・ダンプティは呆れ顔で「誕生日は365日に一回だけど、なんでもない日は365日に364日あるんだからお得さ」と言います。…いつも言いますが僕は記憶で書いてるから細かいところ違うかもしれないから誰かにウンチクで言う前に調べた方がいいですよ。違ってること多いから。

さてそんな些細なことは気にしない。「おそ松さん第3期」のエンディングCDが届きました。早速、クリニックの、待合室でも運の良い人は耳にするでしょう。

これには豪華な紙ジャケットとシールのおまけがついてます。

僕はiTunesに入れてしまえばいいから、うちのスタッフの「おそ松さん・クラスタ」にプレゼントすることにします。なんでもない日のお祝いです。

ただあげるのでは能がないから宝探し風にしましょう。こんなものを用意します。

とおまつきみ、が土曜日にクリニックに来日します。なので金曜の夜に仕込みます。普段は相談室はこんな感じで入室します。

そこに「おそ松さん」の使い魔として起用されるのはやはり、エスパーにゃんこ、が相応しいでしょう。第1弾のメッセージを託します。

パソコンはテーブルの上にあります。

ここに指示通りにするため背面に貼っておきます。

すると、猫の名刺立て、の文字が。それは同じテーブルの上にあります。灰色の猫で、元々はCDなどを立てるおフランスのインテリア雑貨ざんす。

ここにもメッセージを置きます。

この用にして宝探しをする寸法です。なのでメモをこうやって仕込みます。

壁掛け時計は、カウンセリングを受ける人の背後なので気づかない人もいるかも。っていうかカウンセリング受けてない人はそもそも相談室の中を知りませんね。こうなっています。

これも上手に隠します。

ティッシュケースにはこのミッション。

こうなります。

そして僕の前で右往左往して相談室の中の、とおまつきみ、はここでハットするでしょう。僕の背後に回ってこのメモを見つける訳です。明日、直前にシャツの背中に張り付ける予定です。

額縁の絵は机の真正面に飾ってある絵。この裏にさっきのCDを忍ばせます。

すると、こんなに何もない風にして完成です。

プレゼントはちょっと遊び心を持ってあげると喜ばれますね。ま、人によっては「鬱陶しいなぁ。こちとら時間ねぇんだよ」って思う人もいるから、各自、よく空気を読んで真似したい人は真似して下さい。

BGM. オフコース「僕の贈りもの」


謹賀新年、これでいいのだ

先日、アニメ「おそ松さん」の「ニートの生きざま展」に行ってきました。

 

現在アニメは3期が絶賛放送中、1期2期と色々な形で注目を集めてきた作品ですが、ニート展ではアニメ放送当初から現在にいたるまでの原画や、舞台化した際の小道具などが展示されています(残念ながら、原画は撮影禁止です)。

この展示のタイトルが初めに発表された時、ファンの間では「ニートの生き様って何()」と、そのネーミングに各地で笑いが起こったものです。ニートに生き様も何もあるか、といったニュアンスでしたが、これがアニメおそ松さんと、それを取り巻くファンたちのいい空気感だと思っています。

 

アニメの1期のオープニングでは、「一生全力モラトリアム」というフレーズが出てきます。まさしくおそ松さんに出て来る六つ子は全員がニート、いかに働かず、楽をして実家に居続けるかに、常に全力です。あとは全てが適当。このままでいいのかな、なんて誰かが言ったって、働くわけでもなく、何をするわけでもなく、やばいよね~と言ってまたいつものニート生活に戻っていきます。まさにモラトリアム、自分と向き合うことなくだらだらと怠惰な日常が続きます。

 

しかし、ここに救いがあるのだろうなと思います。

生きるために働き、人間関係を構築し、悩み苦しみ、後悔し、逃げられない現実に向き合わざるを得ない日々に晒される。好きなことを仕事にし、趣味があり、不自由のない生活をしていても、葛藤や虚しさを覚える。彼らと同じニートであっても、その現状に焦ったり負い目を感じたり、時に自己嫌悪になる。人生を面白おかしく謳歌している人もどこかにいるかもしれないけれど、やはり、生きるとは過酷なことだと思います。

そういうあらゆる苦しみを、まるでどうとでもなると言わんばかりに、六つ子は悩まず苦しまず、適当に、やりたいようにやる。フィクションと言ってしまえばそれまでだけれど、それでも、画面越しにここまで適当に生きる人間を見ていると、必要以上に肩に力を入れている自分に気付きます。

 

ニートに生き様なんてあるのかと笑い合ったファンたちは、そんな六つ子の生き方を「現実はそんなもんじゃない」と笑いながら、自分たちのできないことをやってのける彼らに心を委ね、できない人生を託します。

 

ニート展では、まさにこれまでの彼らの生き様を堪能できる場でした。何もしない彼らの日々にも、ドラマがあり、歴史があり、感動があります。どんな生き方でも、必死にならなくても、世間からなんと言われようと適当でも、生きているだけで十分である。広い展示場の中で表情をコロコロと変え騒ぐ六つ子の姿は、そんな自由さを見事に見せつけてくれました。それは、自分のできない人生を振り返るようでもあり、彼らに預けた時間を手元に広げるような、感慨深い体験でした。

23時間かけて展示場を周り、好きな話や笑った話を散々思い返し、名残惜しくともやっぱり現実の日常に戻らざるを得ません。お前らはいいよなと言いながら、時に恨み、人生の一部を託しながら、これからもニートな六つ子を愛おしく思っていくのだと思います。

 

おそ松さんを観て、少しでも心が自由になれる人が増えてくれたら嬉しいなと思っています。自由になれずとも、これよりは頑張って生きてると、きっと思えると思います。

とおまつきみ 


オオトリ 〜サバイブ2020〜

お久しぶりです。とくだです。相談室より今年最後の投稿です。

 

大トリの記事を担当していると、高校サッカーの話など突然始めてしまった過去記事を思い出したりして・・・高校サッカー選手権は相変わらず私の年末年始の楽しみの一つですが、応援していた高校生の選手たちは、段々と海外リーグやJリーグで活躍していきます。最近では観戦プラス、そんな選手の成長を見守る(?)ことも楽しみになりつつあります。

 

成長、ということで思うことなんですが。

人の心の発達でポイントになる年代というのがあって、

0歳、2歳前後、7歳、10歳、14歳、17歳、私たちが心身ともに大人として1人の人格が出来上がっていくまでの間、これらの年代は重要な年なんだろうと思います。本人にとってもそうですが、その周りとの関係性もその人の発達には欠かせないわけで、

この時期をどんな風に過ごしてきたか、そのあり方にその人らしさが表れ、

誰しもがこの時期をサバイブしてきているんだなと思うのです。大袈裟な言い方に聞こえるかもしれませんが、大事な時なのです。

 

例えば10歳〜14歳頃、いわゆる思春期が一番激動ではないかと思います。

なぜ激動になるのか、それは脳の急激な成長、に関連しているそうです。

人間の脳が急激に成長する時期は3つあって、まず、胎児期。次に乳幼児期。そして、思春期。特に変化が激しい思春期には、成長ホルモンと性ホルモンが大量分泌されます。身体的な変化だけではなく、心も大きく変化していく。たいてい成長ホルモンの分泌は10歳頃から少しずつ増えていくので、この頃は、大人になっていく自分の誕生の時期と言えるのではないでしょうか。子供時代の自分とは違う自分に出会っていく過程、そんな激動の時期の始まりです。

0歳や2歳前後の記憶がある人はあまりいませんが、意識的に記憶はなくとも、当時に体験した辛かった体験の記憶は身体が覚えている、身体記憶ということもあるようです。後々そういった忘れていた記憶がフラッシュバックのように出てくることもあります。

例えばある人の、記憶にないような小さい頃、きょうだいの誕生の際に、一時的に母親と離れ離れにならざるを得ない状況が起きたとします。子供は、母のいない状況に不安を感じます。生後7ヶ月くらいではっきりと子供は不安を示し始めるといわれます。ただ子供は事情があって離れ離れになったんだ、とは理解できないので、単純に、自分が見離された、捨てられた、といった体験になりうるのです。そういう時に感じた漠然とした不安、不快感は、意識的には忘れてしまいますが、身体は覚えていることがある。

そしてその人が思春期になって、親からの自立とか、依存とか、そういう親離れのテーマが葛藤の中心になってきた時を引き金に、本人の意思に関係なく、理不尽な思いとなってよくわからない感情が湧き上がる。この理不尽な思いは、本人は説明もうまくつきません。イライラした感情をぶつけるしかできないかも、いや、ぶつけられるならまだよいかもしれませんね。

ただ、ぶつけられる相手は一番身近な存在の母親であることも多かったりして、そういう生のままに近い感情をぶつけられた側も穏やかではいられません。よくわからないものをぶつけられると、親も人間ですし、イライラしてしまったり、落ち込んだりするかもしれません。あるいは非常に無関心になってしまったりもするかもしれません。

ここで親の側も、実は自分が自分の親にされて嫌だったことを知らず知らずのうちにしてしまっているというようなこともあり得るのです。私たちは誰しも自分が体験したことが基盤になっているので、無意識のうちに繰り返してしまうというのはあるわけで。もう親世代になっていれば10代の頃の気持ちは忘れ去っていることだって多いと思いますが、子供との関わりを通して、それこそ理不尽に記憶が蘇る。世代間伝達、ということとも関連します。そして親も冷静になってから、反省や罪悪感が強くなる・・・。この時期は親子間で何事も起こらないわけにはいきません。

 

思春期の変化が急激なので、今ここに例を挙げましたが、先程あげた年代では多かれ少なかれ、只中にいる人たちがもがき、周りも揺れる、そういうことがよく生じるように思うのです。ではこういうことにならない方がいいのか、というとそうではなくて、これは関係性を見直していくチャンスだと思うのです。

その時期の只中にいる人も、親も、自身の体験をちょっと立ち止まってみてみてはどうでしょう?その上で、親の側は、自分自身の体験の整理が少し必要かもしれません。自分の体験や親としての期待といったいろんな思いがあって自然なことだと思いますが、その辺りをおいておいて、今、子供が体験していることはどういうことなのだろう?と思いめぐらせていくこと、“もの想い”というようなものに繋げていけるとよいのではないでしょうか。

そういう親が戸惑いながらも子供に思いをめぐらせる姿勢に、子供は抱えられていくのだと思うのです。それは子供にとって、自分の混乱はありのまま抱えられているという体験、他者への安心感に繋がっていくでしょう。

成長を見守るというのは、なかなか大変なものですね。

 

2020年も残りわずか、皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。

 


相談室だより 〜2020 秋 新たな始まり その1

こんにちは、とくだです。お久しぶりです。今回は、本人です・・・笑(?と思った方は相談室だより〜2020夏 初恋をご参照ください…)

コロナ禍で、心理臨床の業界もオンラインの臨床をめぐって、様々に検討され始めています。私たち心理部門も、月1回の定例ミーティングをオンラインで行い、交流をしています。

コロナによって途切れてしまうよりも、できる範囲で交流できたらと3人の意見も一致したので。今月のミーティングでは、新たに心理療法(カウンセリング)のお知らせを作成しようと、話し合っていました。私たちが普段行っている心理療法とはどういうものなのか、ということを考える作業をディスカッションでき、それもまた刺激になりました。

 

3人、と言いましたが、実は4月から心理部門に新たなメンバーが加わりました!

現在の心理部門は、

火木担当の原さん、

水金担当の私、

そして土曜担当の松井さんです。

新たなメンバーと心理部門のご紹介も兼ねて、それぞれの今の思いを記しました。

まずは私→原さん→松井さん、とバトンを渡していきますね。

 

私たちが心で感じているものは常に動いているし、捉え所がないし、目には見えないものです。私たちは、寝ていても起きていても心は活動していて、意識と無意識との間の壁を調節していたりするのだと思います。

その心の活動を助けたり、成長を促していくには、その心を写し返してくれる相手が必要です。その相手に自分が投げ入れ、相手がその何かを受け取り、また相手から何かが自分に返され、受け取る、そういった交流を、繰り返し、繰り返し私たちは行っています。

基本的に私たちは初めから心を知るわけではなく、こうして相手とのやり取りを通して、

心の活動の幅を広げ、成長していきます。それは場合によっては、逆の方向へ向かっていったりすることもあります。

例えば、赤ちゃんが何かしらの不快感を抱いて泣く、お母さんがそのサインを受け取り、おっぱいやミルクをあげたり、おむつを変えたりする、不快さが和らぎ、また赤ちゃんは落ち着くというようなやりとり。そういう交流が繰り返されながら、自分に生じてくる快・不快について赤ちゃんは理解していく、というように。

 

そのやりとりは心地よい安心感を得られることもあれば、不快さや痛みを伴うこともあります。痛みの扱い方も、人それぞれ、あるいは同じ人でもその時期によっては、様々な現れ方をします。

憤りになることや、悲しみや孤独を強く感じること、そもそも痛みに気づかないようにする、無かったことにすることもあり得ます。

その痛みの中にいる時には、なかなか冷静になれない、それも自然なのかもしれません。

ただ、そこで立ち止まって自分の心に目を向けてみてほしい。

そして自分が何を求めているのか、そういう声を聞いてあげてほしい。

そんなに簡単に答えは出ないかもしれません。痛みが強いときには逃げ出したくなるかもしれません。それもまた今の状態の一つでしょう。

自分の心の声に耳を傾け、何を求めているのか、どういうことを選びたいのか。

痛みから目を背けすぎずに向き合うことができたら、

今より少しシンプルに心と付き合えるようになるのではないだろうか、と思うのです。

私は心理士の役割として、そういう痛みも含めて、

相談室という空間において、心理士と相談者の方の心が、どのように動いて交流しているのか、それを感じ、考え、体験しながら、お互いに向き合っていくことなのだろうと最近改めて感じているところです。そのためには、心理士自身も学びつづけ、その時に感じる体験を大切にしていきたいと思っています。

 

次は、原さんにバトンを渡します!

 


相談室だより 〜2020 秋 新たな始まり その2

バトンを受け取りました!火曜と木曜担当の原です。

 

■ 「病んでる」と「健康」のあいだ

「病気でないのに、カウンセリングを受けてもいいんですか」

「復職したら(学校に行けたら)、カウンセリングは終わりですか」

「カウンセリングに興味あるけど、家族や友人にうまく説明できなくて困っている」

 

カウンセリングや心理療法について、このような声を時々耳にします。カウンセリングには、少なからず、「病んでる」「メンヘラ」「健康でない」といったようなイメージもあるのかもしれません。(カウンセリングの意義を社会に伝えていくはずの、私たち臨床心理士の力不足でもあるのですが)

いったい、健康な心とはどのようなことでしょうか。ストレスを何も感じず、物事を思い通りに進めることができ、自分ひとりですべてを解決できるような心のことでしょうか。

例えば、周りからは、だいじょうぶと思われている人が、自分自身がいる場に安心感や帰属感を持てず、その場にいるだけでひどく疲れたり、不安な気持ちが強くなってくることがあります。また、相手が違っても、なぜかいつも同じような人間関係が繰り返されてしまって、困っている(あるいは困らせている)人もいます。

このような心の状態は、「病んでる」とも言いきれません。一方で、社会で求められている機能を外的に果たしていることだけで「健康」といえるでしょうか。人の心は、「病んでる」「健康」であると、安易に二分することができないものです。

私たちを取りまく環境が大きく変容したり、あまりにも過酷な状況、例えば、戦争中である・大きな災害にあう・大切な人が亡くなる、などでは、むしろ、「病んでる」ように見える心の状態になることのほうが、逆説的に健康な心の状態であるともいえます。ショックを受けたり打ちのめされたり、一時的に大きな混乱も抱えるけれど、そのほうがむしろ自然であり、ゆくゆくは自己治癒力も働きやすかったりするでしょう。

異常な事態における、正常で健康な反応ともいえます。

 

■新しい日常とカウンセリングと

新型コロナの感染拡大では、全世界の人々が同じような危機を体験しています。たくさんの情報が流れる飽和状態の社会で、自分の価値観や生き方を見つめ直すことも求められています。これまで見て見ぬ振りをしてきたことを正面から見つめる必要性にも迫られています。

カウンセリングを通して、自分は何を大切にしたいのか、自分らしさとは何か、を一緒に考えてみませんか。

困っている自分を認めることや、ありのままの自分を受けとめることは、なかなか難しい作業です。カウンセリングでは、常識とか社会的な望ましさをいったん横に置いて、対話を通して本当の自分を見つめたり、生きづらさの正体に気づいていくことをめざしています。

矛盾に満ちた社会の中で、健康すぎず、不健康すぎず、ほどよく機能していく人(good enough person)であることを、あなたと一緒に考えたいと思っています。

 

それでは、松井さんにバトンを渡しますね〜