ビューティフルネーム

30/Ⅶ.(木)2020 くもり 高田延彦、アベノマスク追加8000万枚に苦言。「洗濯する負担も考えなさい」

笹公人の「念力ろまん」(2015年5月)を読んでいる。↓。

「気分はCITY POP」という連作で、
「ゴダイゴの『ビューティフルネーム』脳内にかけながら見る園児の散歩」、
という句があった。そういう訳で、今回は、名前の話。

中2の頃、自分の名前に別の漢字を当てる遊びをしてた。僕の下の名は「達二」だから、「刺青(タトゥー)血(ジ)」と当て、出来たら満足して部屋のその辺に放っぽいたからいけないのだが、母がみつけ、悲しそうな目で「達二、あなたは自分の名前が嫌いなの?」と訴えられたもので、僕は「ハァー、これだから大正生まれは面倒くさい」と思ったものだ。

知り合いの獣医さんに聞いた話だと、動物園で「○○の赤ちゃん」の名前を公募、ってのは客寄せなんですって。
基本的に動物園では、動物に名前は付けないらしい。
識別できれば良いから。
今の個人情報保護法と似てるな。「何番の方、会計にどうぞ」みたいな。
そう考えると、名前って記号かな。
ところが、我々の業界では、「イマジナリー・ベイビー」なんて用語があります。
「イマジナリー・ベイビー」の例で、よく引き合いに出されるのが、皆さんご存知の画家のゴッホです。
ゴッホの産まれる丁度1年前に子供が死んでいて、つまり、その子の命日に、ゴッホは産まれたことになります。
親としては、モーニング・ワークの意味合いもあったのでしょう、ゴッホに死んだ子と同じ名前をつけます。
でも、これってどうなんでしょうね?
庭の隅には、お墓もあって、墓石に自分の名前が刻まれているのを、きっと幼いゴッホは見ただろうに。
その名前が、「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」。
ゴッホは小さい時から親と馴染めず、弟のテオにくっ付いていて。
テオを親代わりにして何とかやっていたが、テオが結婚した直後、精神症状が悪化して入院となる。
甥が産まれた時、ゴッホはホロホロと泣き、その子に「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」と名付けてくれと頼んで。
その通りに名が付くと、その直後に自殺して死んでしまう。
ゴッホには、「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」を伝える役割があった、というお話し。
これが、「イマジナリー・ベイビー」、家族神話のような世代間伝達のお話し。
どうですか?
すごくないですか、我々の業界。
ゴッホってもっとも多く「語られる画家」の1人だと思うのだが、我々のすごさはゴッホの作品に一切ふれてないこと。
ま、病跡学のジャンルではふれてるんでしょうが。
家族精神医学では、ふれない。ただ、役割理論の例えに良い具合に使われている。
ゴッホほど極端でなくても、名前には、何かを縛りつける力(作用とか効果)がありますね。

名前を考えるにあたって、僕が1番に想起するのは「シベールの日曜日」という映画です。
ここからは、ネタバレありです。
嫌な人は、ここから先は読まないで下さい。映画のあらすじを書いて終わりの記事ですから。
あらすじは、シベールという少女が母に男が出来て邪魔になったから、寄宿舎に入れられます。
母はシベールに「毎週、日曜日に面会に来るから」と約束して去って行きますが、一回も来ません。面会どころかその後の映画に登場しません。シベールは、棄てられた訳です。
おまけに寄宿舎の怖い寮母みたいな人に、「シベールは変な名前だから、ここではフランソワーズと呼びます」と勝手に名前も変えられてしまいます。
フランソワーズ(シベールのこと)は日曜日ごとに健気に来る筈もない母を待ちます。
ある日曜日、フランソワーズは、ある青年と出会い、意気投合して、友達になります。
いつしかフランソワーズの日曜日は、この青年と会う日になりました。
青年は、ベトナム戦争で受けた心の外傷で、戦争神経症(PTSD)になっていました。
青年には綺麗な看護婦の彼女がいて、彼女は献身的に青年のケアをしていました。
でも、青年は彼女には心を閉ざし、フランソワーズにだけ、心を開くのでした。
世間からみたら奇異にみえますが、純愛ストーリーです。
フランソワーズはクリスマスのプレゼントに教会の上の風見鶏が欲しいとリクエストします。
クリスマスの日に二人は逢引して、青年は危なっかしい足取りで、教会の屋上に上って風見鶏をもぎとってきます。
それをフランソワーズに渡すと彼女は満面の笑みで、お返しにと、木にくくりつけた紙を指差します。
青年が、その紙を木から取って、畳まれた紙を開いてみると、カメラがそこに書かれた文字をクローズアップします。
シベール
とだけ書いてあります。
フランソワーズは、クリスマスのプレゼントに、青年に本当の自分の名前を教えたのです。…涙。
それから、何がどうしたのかは忘れたのですが、警官隊が二人を取り囲みました。
どうやら、精神異常者が少女を誘拐した、って話になっていたような。
「手を上げろ!」の声に、青年がシベールをかばおうと動いた瞬間、一斉射撃。青年、銃殺。
青年の死体に泣き崩れる少女。
警官隊が近寄り、声を掛けます。
「お譲ちゃん、大丈夫?」「悪者は死んだからね」「怪我はないかい?」と警官隊は優しく口々に語りかけます。
少女はずっと泣いています。
そしてラスト。「もう大丈夫だから安心して。お譲ちゃんのお名前は?」という警官の質問に、泣きながら少女が答えます。
<もう私に名前なんてないのよ>
これが、映画「シベールの日曜日」です。
名前の持つ意味を考えさせられますね。名前は単なる識別記号ではありませんね。
さて、これでおしまいです。
名前について興味を持った人や、戦争神経症の資料を探してる人は、観てみたらどうでしょうか?
ただ1つ注意点があります。
僕の古い友達がよく言うのですが、「君の教えてくれる映画はいつも面白そうだから観るんだけれど、必ず、筋が違うんだよ」。
「さらにタチが悪いのは、映画より、君の話の方が面白いから、観た後、損した気がするんだよ」って。
僕は自分の記憶だけで話してるから、他の話がミックスされるのでしょうね。
だから「シベールの日曜日」のストーリーも違うかもしれません。
さっきのゴッホの話も同様です。気になった人は鵜呑みにしないで自分で検証して下さいね。
あと、ここまで読んでくれたけど、記事や映画「シベールの日曜日」に取り分け、興味が湧かなかった方にも朗報!
シベールは美少女だから、ロリコンの人は必見です!!
この記事のタイトルは「ビューティフルネーム」なのに、なんちゅう、オチじゃ。

BGM. 映画「シベールの日曜日」ダイジェスト


心の護美箱⑳~アーカイブス「キミのテレフォン・ナンバー、7255」

29/Ⅶ.(水)2020 くもりのち雨 田子ノ浦親方が飲食店で泥酔する写真がネット上に流出

心の護美箱⑲がいっぱいになったので、⑳を作りました。
はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。
「王様の耳はロバの耳」という話を覚えてますか?
王様はロバの耳をしてして、それをひた隠にしてます。しかし、いつも王様の髪を切る床屋だけは「王様はロバの耳である」ことを知っていて、口止めされていました。
でも、床屋はどうしてもそんな重要なことを一人で抱えてることが出来ず、井戸の奥に向かって「王様の耳はロバの耳」と 大声で叫びます。すると、その声があらゆる井戸を伝わって井戸と言う井戸から「王様の耳はロバの耳~」 と響き、皆にその秘密が知れ渡ってしまうのです。
だから秘密を打ち明けるのは、危険ですね。でも、精神科&カウンセリングには守秘義務があります。安心ですね。ここでも、非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。
溜め込むのは良くないです。安全な場所で、「王様の耳はロバの耳」と言いましょう。
最短でも通院間隔は1週間に1回ですね。1週間という単位は、色々ある時はありますからね。ですから、酔った勢いでも、ネガティブになった時でも、送って下さい。身元がバレるようなことはしませんから。
まぁ、グチに限らず、要望や苦情やエールやラブレターでも構いません。この記事に関する感想コメントなら、尚結構!

ちなみに、「王様の耳はロバの耳」のオチを覚えてますか?これはちょっと良い話です。王様の耳が「ロバの耳」だと知ってるのは床屋だけだから、床屋を殺してもいいのに、許してあげます。
このお話は別のお話の続編なのです。アポロンの怒りを買った王様は罰として、耳をロバの耳にされてしまってたのです。
そして話は戻ります。王様が床屋を許してやったところに、アポロンが現れ「よく床屋を許してやった。お前の罪もといてやろう」 と耳を元に戻してくれたのです。「寛容さ」を説いた寓話ですね。

さて、カワクリの電話番号は03-6240-7255ですが、初めて来院された方は、7255の語呂合わせのように、
<何ここ?>
って思うかもしれません。今回のアーカイブスは、前にいたスタッフが作ってくれた記事です。求人公募に合わせて、クリニック案内をブログで披露してもらったのでした。↓。

 

「何、ここ?平成30年版」2018年3月9日

こんにちは、受付の大平です。

川原クリニックにはじめて来院される患者さんは「ここは病院ですか?」、
「ここはなんですか?」と質問してくる方がとても多いです。
ブログを読んでいればそんなに驚かないかもしれないですが、
入口でなかなか入って来れない方もよくいます。

クリニックのコンセプトは昔の「何、ここ?」の記事に書いてあるとおり、
〈川原先生のお家に来る〉をイメージしたそうなのでぷらっと気軽に入ってきてください。
飾ってある物、置いてある物なら、何を見ても、何を読んでも、何を触っても大丈夫です。のんびり過ごして下さいね。

と、言ってもこんなに色々あったらどうしたらいいか分からないという人もいるかもしれないので
改めて【川原クリニックを知りたい!】方のためにご紹介します。

 

川原クリニックは大岡山駅正面口を出て右に進むとある大岡山北口商店街の中にあります。

外には看板が出ています。

階段を上がると2階が川原クリニックです。

 

 

入口にはポスターやお知らせが貼ってあります。

川原クリニックの受付時間は火曜日~金曜日は朝8時30分~19時30分まで、
土曜日は朝8時30分~18時30分までです。日曜日・月曜日・祝日はお休みです。

 

クリニックの入口が開くと賑やかさに圧倒されてしまうかもしれませんが
雑貨屋でも怪しい場所でもありません。
川原クリニックを目指してきたのなら間違いなくここが川原クリニック。

ドアが開いてまず正面にあるのがフィギュア・ケースとネコ、濡れ透けTシャツです。

ネコが持っているものが昔は地球儀だったのに「日常」に登場する猫の阪本になっています。
阪本が持っているのは”我輩は猫である”なのですが、コレいつの間にか入っていたので誰のイタズラなのでしょうか?
川原先生?それとも患者さん?こんなイタズラがたまに起こるのも川原クリニックの面白いところの1つです。

 

では、このままクリニック内をぐるっっと一周まわってみましょう!

入口で左を向くと、アニメ「けいおん」の平沢唯ちゃんとゴジラ、ピカチュウ、バルタン星人などがお出迎えしてくれます。

ここには「けいおん」唯ちゃんのギター、”ギー太”も置いてあります。
川原クリニックで働いている人たちの中にギターを弾ける人は誰もいないので、
患者さんが弾いたり調律をしてくれたりしています。

もちろん、初代院長もかわらずここにいます。

 

そのまま進むと左側は患者さんが待ち時間に勉強やお仕事が出来るように作ったカウンター席があります。

 

このカウンターには今イチオシのマンガが並んでいて、
壁はその関連ポスターや川原先生の好きなものたちが貼ってあります。

受付からこの席を見ていると、作業するには隣同士近いんじゃないの?と思うのですが
いつもここの席で勉強しているある学生さん曰く、7~8分でなれるそうです。

 

このカウンター席と向かい合っているのが受付です。

 

受付の周りは、「物語シリーズ」の忍野忍や、寝釈迦コーナー、

ドラえもんたち、ブースカ、オイル時計など盛り沢山。

 

受付を通り過ぎるとウォーターサーバーとゴミ箱があります。

ウォーターサーバーにはなぞなぞが貼ってあり、定期的に変わります。
ちょっとした暇つぶしになるので挑戦者も多く、川原先生や作成者以外の受付もその1人です。
ヒントと答えは受付にあるのでぜひ聞いてくださいね。

ウォーターサーバー周りの壁には水とかけてセーラーマーキュリーのポスターや
コーヒーが置いてあるのでコーヒールンバのCD,
昔のなぞなぞ、奇数月に更新されるイラストなどが貼ってあります。

この壁にはティッシュがぶら下がっているのですが、まるで受付がクイズを出したかのように、ある患者さんが
【このケースは「いちにのさんすう」に出てくる”タップ君”です】という
メモをお会計の時にくれて、受付を楽しませてくれたことがありました。

 

受付の横の通路の天井にはアニメ「まどマギ」のキュゥべえがぶら下がっていて、

 

手前の扉が喫煙室です。

病院なのに喫煙室って珍しいですよね。
ここは昔から何時間も談話している人たちがいたりします。
私はここでヨガをしている患者さんを見かけたことがあったっけ・・・。

 

喫煙室のお隣の扉がトイレです。

 

トイレと診察室、処置室、心理のお部屋にはお花が飾ってあります。

毎週受付がお花を飾ることになっていて、受付それぞれの好みが出るので感想をくれる患者さんがいたりもします。
去年1番反響が良かったお花は鵜飼さんが買ってきた「ピンクッション」というお花でした。

 

トイレを出たら受付うらの通路があります。

ここの通路には処置室と心理のお部屋が並んでいます。

処置室は採血の時やナースの塚田さんとの面談につかうお部屋です。
このお部屋はとてもシンプルでアリスの絵が飾ってあります。

心理のお部屋はカウンセリングの時に使います。

ここの通路は先生の好きな中川翔子やきゃりーぱみゅぱみゅ、ベルハー、「物語シリーズ」が貼ってあります。

このブログを書いている時に川原先生が教えてくれたのですが、
心理のお部屋の前には「物語シリーズ」の千石撫子のパネルが置いてあります。
このパネル喋るのですがこれを聞かせてくれと言った患者さんはまだいないそうです。
私は壊れてバッテリー切れかと思っていたので、今日初めて聞きました。
人が通るたびに「撫子は~・・・撫子は~・・・」と言ってうるさいから普段は電源を切っているそうですよ。

 

診察室の扉は2つあり心理のお部屋に近いほうの扉は川原先生用。

患者さんはイカの貼ってある扉から入ります。

診察室の中はこんな感じで川原先生のお気に入りのもので溢れています。

診察は基本的に大きいテーブルの前の席で受けるのですが、奥にはソファー席もありますよ。
今日はどうしてもソファーじゃなきゃだめだという時は先生にお願いをしてみては?
受付の占いのように1回目は無料かもしれません。

本棚には精神医学の本からひみつ道具大事典、図録、ポケモンカードなどが置いてあり、
その中にヒストリーオブカワハラもまぎれています。

診察室を出ると目の前はおそまつさんコーナー、

そこから左に行くとソファーや椅子のある待合室スペースです。

ぶら下がっているポケモンたちにジャンプしてタッチしてもOK。

この本棚の上の段には格闘技や映画のパンフレット、絵本が置いてあり、
下の段にはマンガが置いてあります。
本棚の前のカートにも入りきらないマンガが並べてあります。

あまりにもたくさん本や漫画が置いてあるので誰かが読んだあとの並び順が変わったときに
こんなのあったっけ?という発見があったりするんです。

ここの壁は先生が観に行った公演のチケットコーナー。

それとテレビもあり、流れている映画は定期的に変わります。
「シンゴジラ」を流し始めたときには夢中になる患者さんが続出でした。

テレビが見やすい席は座り心地もよく、うたた寝するのにもピッタリです。

このカラ松タンクトップは一度だけ夏に川原先生が着ていたっけ・・・

これで一周ですね。
帰る前に扉の前で立ち止まってみてください。ここにも色々貼ってあるんですよ。

そうそう、クリニック内でかかっているBGMは他院でかかっているような音楽ではありません。
川原先生セレクトの歌謡曲やアニソン、アイドルの曲などなど。
クリニックが空いていて他の患者さんに迷惑にならなければ口ずさんでもいいのです。
ある女性の患者さんは仮面ライダーの曲が流れたときに、
つい懐かしくなって歌っちゃったと言って仮面ライダーについて熱く語ってくれました。

歌を口ずさむのはOKですが電話は禁止なので通話する場合は外でお願いしますね。

川原クリニックは待ち時間が1~2時間かかってしまう日がよくあります。

勿論、このブログにも川原先生のことやクリニックのことはたくさん書いてあるのですが
書ききれないことが多いので、自分で見つけるのもいいですよね。

”こんなのあった~”と発見した時は

①1人で・・・ ②いや、川原先生と診察で・・・ ③診察まで待てないから受付で・・・

では、川原クリニックでお待ちしております。


心の護美箱⑱~アーカイブス「電話の話し」

30/Ⅳ.(木)2020 はれ 9月に新学期?

今日は、令和2年4月30日です。去年の今日の日付を言えますか?正解は、平成31年4月30日です。
令和元年は、5月1日からですから、4月30日までが平成だったのです。
平成最後のブログ記事も偶然ですが、「心の護美箱」でした。

心の護美箱⑰がいっぱいになったので、⑱を作りました。
はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。
つまり心に溜め込んでるものを、捨てる、ゴミ箱、のようなものです。非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。

最近はコロナで自粛生活を皆が頑張っていますが、「オンライン飲み会」とか「ズーム飲み会」とかあるそうで、お家にいながらテレビ電話で一緒に飲めるそうで楽しそうです。オンライン飲み会に必要な物は何だかわかりますか?刺身です。オンラインだけに回線(海鮮)が必要だから、です。「ねずっち、のです」と、最近、ユーチューバーになった、ナイツの塙がやってました。僕ももう少し機械に詳しいか、友達がいればやれたのにな、と残念がりながら、今回は電話の記事のアーカイブスにしてみました。↓。

18/Ⅳ.(木)2013 はれ
今年から、東京都精神神経科診療所協会(東精診)というのに入会した。
いや、させていただいた。
その勉強会が、13日(土)にあり、テーマは「精神科救急」関連のこと。
翌日の、14日(日)は、「こころの電話相談」の当番をした。
15日(月)は、月1の精神分析の研究会と、この休みは、精神科一色だった。
多分、皆さん、知らないと思うので紹介しますが、東精診では毎週日曜日に無料の電話相談をしています。
それは入会している診療所の「精神科医」が、当番で担当しているのです。
心理士やケースワーカーではなくて、精神科医がやっているのが貴重だと思います。
実は、僕はこのサービスを入会するまで知らなかったのです。
つまり、あまり知られていないと思う。なので、ここで宣伝しましょう。
東精診のホームページを開いてもらうと、左端に「こころの電話相談」という囲いがあります。
そこをクリックしてみて下さい。
毎週日曜、PM2~5時まで、対応しています。
これは、当番の数日前にクリニックに宅急便でそれ専用の携帯電話が送られてくるのです。
僕は、自分がその当番だと知りながら、本部か何かに行ってやるものだと勝手に思い込んでいたから、
電話機が送られてきた時には驚いた。
前の当番の先生が次の当番の医者に直接、送るルールなのだ。
伝票には、「電話機」と記されている。
僕は、説明文をよく読んでなかったから、電話機の送り主のクリニック宛てに直接電話して、
「そちら名義で、時限爆弾みたいな謎の電話機が送られて来たのですが、こ、これ、心当りありますか?」ってあわてて聞いちゃった。
そしたら、そのクリニックの受付の方は、朗らかで、親切に、「きっと、電話相談の当番ではないですか?」と教えてくれた。
そこで、やっと気がついた。お恥しい。前のクリニックの先生、失礼いたしました。
今後とも、よろしくご指導ご鞭撻の程を。
で、電話相談である。
相談は、3件あった。
これが「多い」のか「少ない」のかの判断は微妙だ。
試しに、ヤフーで「こころの電話相談」と検索してみたら、少なくとも10頁以内には見つからなかった。
岡山や広島や宮崎や埼玉はあったのに。宣伝不足なのかな。
なので、ここで紹介して、少しでも認知度を上げようと、記事にしている訳です。
無料相談ですが、通話料だけはかかりますので、念のため。

そうそう、電話で思い出したのだが、僕が高1の時、学習塾で知り合った女の子にやたら長電話をする子がいた。
その子は電話魔で、一時期、毎日のように電話がかかってきた。
当時は、携帯電話などない時代で、家の電話にかかってきた。それで、平気で2~3時間、喋るのだ。
内容は、どうでもいいことばかり。
たとえば、世良公則&ツイストの新曲について、とか。
先日、古い日記を見ていたら、架空の電話のシナリオを発見した。
それは、その子に電話する前に、僕がシュミレーションしたもので、数頁にわたっている。
シチュエーションは、僕が電話をするところから始まっている。
僕はその子の長電話には慣れっこだったのだが、自分から電話をするのは、緊張したのかな、そんなものを作って。
こちらが話しかけて、相手の答えを想像して、話が進んでゆく台本なのだが、
実際には、「一言目」から想定外のフレーズが返ってきて、無駄に終った想い出が残ってる。
僕はその子と塾の友達たちで海水浴に行ったことがある。
その子は、高1のくせに真っ赤なビキニを着ていて、それがまた何とも色っぽくなかったことを、
真夏の強烈な日差しとともに思い出す。
それは、その子の性格があまりに明る過ぎたからだと思う。
その子は、僕をそのグループで「1番可愛い子」とくっつけようと色々とおせっかいを焼いては、すべてを台無しにした。
「私に任せておきなって~」みたいなことを言って、すべて台無し。悪気はないんだよなぁ。
その子のお兄ちゃんは小さな暴走族のリーダーをしていて、その子は、それをとても嫌がっていた。
僕は、「そんなことはどうでもいいことさ」、と電話越に言ったことがある。本当にそう思ったし。
珍しくその子は、黙り込んでいた。
今、思うと僕は、その子のことが好きだったのだと思う。

BGM. ピーターとゴードン「愛なき世界」


カウンセリングのキャンセルについて

27/Ⅲ.(金)2020 くもり 緊急事態でも、若者は街へ。渋谷で大縄跳び?

治療抵抗という言葉があって、治療が進んでゆくと、これ以上、進むのが怖いな、とか、無意識に、治療が進むのを嫌がる気持ちが湧くものです。
それがまた「意識」してないから曲者で、そういうのが気持ちや行動に出ます。
「今日は雨だからめんどくさい」とか「仏滅だから縁起悪い」とか。
そういうのを許さず、正面から向き合う為、カウンセリングでは「キャンセル料」を設定します。

これはよく「あなたのために時間をとっておいたから」と言って、こちらがわの生活保障のようにとられますが、もっと深い意味があるのです。

治療抵抗は、行動に出ることがあるから、英語で、アクティング・アウト、ということもあります。
治療というアクトから、外れるアウト、という意味ですね。

だからもっともらしい理由があっても、約束の時間に来れないとキャンセル料が生じるゆえんです。
「雨が降ってもアクティング・アウト」ということわざ(?)があるように、親戚が死んでも、電車の遅延でも、キャンセル料はとられます。

でも、ここにきての、コロナ、です。
外出自粛の要請など。これはもうしょうがないですね。「教条的に」やってる場合じゃないですね。
そう思い、今回のコロナ関連に関してはキャンセル料が発生しないことに、心理士と相談して決めました。

今朝、朝ごはんを食べるとき、小さな奇跡が起きました。生卵を割ったら、中の黄味が双子でした。
きっと神様が、
その判断でいいよ、
と評価してくれたのだと思います。

BGM.阿良々木月火「白金ディスコ」


パレイドリア

5/Ⅲ.(木)2020 はれ、風が冷たい 習近平主席訪日延期

近くて遠いは男女の仲、などと言いますが、精神医学では感覚器官を通じて外界に存在するものを意識することを、知覚、と言います。

実際にあるものが違ったものに知覚されるものを錯覚といい、たとえば柳の枝が揺れるのが幽霊にみえる、などです。実際に存在しないものが知覚されるものを幻覚といって、区別します。

空の雲や壁のしみを見ていると怪獣や人の顔になったりするけど、現実にはそれは雲やしみだと知ってるのを「パレイドリア」と言います。中学の同級生だった岩本君が、「俺の部屋にフランシスコ・ザビエルがいるんだぜ」というから見に行ったら、柱の木目でした。

下は、お馴染みのクリニックの階段。↓。

そのUターン地点に、古代オリンピックの選手をみつけました。↓。

心理検査のロールシャハテストも図をみせて何にみえるかパレイドリア的に調べるのです。ロールシャハ検査については過去に書いた記事が面白いから良かったら見てみて下さい。ここ

BGM. 山下達郎「パレード」


精神科おすすめ図書

現代のエスプリ、などで精神分析関係の特集をやると、一定数さばけるそうだ。
しかし、それを支えてる購買層は医療関係者ではなく市井の人だという。
確かに身の回りの仲間で「現代のエスプリ、読んだ?」なんて会話はまずしない。
そのように何らかの関心で専門書に触れたい人もいるだろうし、サイコロジストやコ・メディカル、教育現場の方が読んだら役に立つ本を紹介してみよう。

何と言っても最近の流行はコレですね。↓。

この業界のあやしい(←誉め言葉)カリスマ(←とこの本に書いてあった)である神田橋先生のお言葉は、
「発達障害は発達します」で、当事者も周囲の人々も未来に希望をもてるのだと伝える本です。

そんな神田橋先生の「診断面接のコツ」は研修医の時に読めと言われた本で、ベストセラーですね。↓。

同様に研修医の時に読めと言われた本でベストセラーは土居先生のコレ。「面接をする人」なら誰でも参考になります。

僕が研修医2年目で派遣に出された東横第三病院(現・恵愛病院)に、土居先生の「方法」で謝辞を送られてる逸見先生という人がいた。
院長以下誰も喋ったことがない「謎の人物」とされ、とにかく「偉い人」らしいとだけの情報。1週間に半日だけ来てた。
僕は好奇心旺盛なので逸見先生に話しかけてみたら、とても気さくな先生でペーペーな研修医に色んなことを教えてくれた。
それは、教科書に載っていないようなことで、ちょっとここでは書けないようなこともあるが、僕は毎週話を聞いてはノートにとって、そのノートはまだとってある↓。

「方法」が1977年出版で、土居先生の「甘えの構造」が71年に出てるから、こっちを先に読むとより理解できるかもしれませんね。↓。

そんな土居先生と小倉先生の対談本も面白い。神田橋先生がフロアからチャチャ入れるのが面白いです。小倉先生は僕が関東中央病院にいた時のお師匠さんです。やっぱりアクの強い天才精神科医でした。↓。

僕が小倉先生のオフィスにスーパービジョンに行った時、奥の部屋で、土居先生と藤山先生が部屋に入って行くのがみえた。
「あれ、土居先生と藤山先生ですよね?」と聞いたら、小倉先生は「そう。部屋を貸してるんだ」って言って、それ以上のことは教えてくれませんでした。

藤山先生は今の精神分析学会のトップランナーであるが、落語・特に談志の追っかけで、こんな本を書いています。
巻末で談春と「落語と精神分析」について対談してて、それはもう談志の死後だったから2人とも勝手な事を言ってて、
僕は頭に来て、志らくの独演会のあとのサイン会でその本を志らくに見せて、「これどう思います?」って抗議したら、志らくは苦笑してました。↓。

中井久夫。神田橋先生をもって、「中井久夫はウルトラマンである」と言わしめた男である。
法律でも微生物研究でも一線だったはずなのにわざわざ精神科に来てくれた。それは光の国から我らのためにやって来たウルトラマンと同じだという意味である。

東大で中井先生がゼミをやると聞き参加したことがある。(ちなみに中井先生は普段は神戸にいる)
でもそこは受付も会計もない東大の校舎の中の狭い一室だった。
後で知ったのだが、それは東大OBの集会だったらしい。
僕は部外者で皆に一瞬ジロリとみられたが僕はそういう空気は全然平気なので、「出てけ」とも言われないから、お話しを最後までうかがえて有意義だった。

分裂病の再発を発見する一番早い手は、ベロを出させ虫眼鏡でみる、のだそうだ。
それを小倉先生に話したら、「それは中井先生だから出来るのだから、真似しちゃいけない」と優しく諭された思い出がある。↓。

中井先生は神戸で震災があった時の被災者でもあった。
あの時、中井先生は日本中の大学病院の精神科教室に、神戸大学に来るように誘いをかけた。
でもそれは、SOSではなく、これは明日は我が身だから見学に来いという意味だった。

自らも被災者で、被災した患者の治療もしなくてはならない治療者に必要なのは、週に1回の温かくて美味しい食事と、生花だと書いてある。
特に黄色い花がいいらしい。この年の園芸会では、ひまわり、がよく売れたらしい。↓。

アメリカの操作的診断基準・DSM-Ⅲ以前の、ドイツ・ロマン主義的な精神医学ならこれがおすすめ。四方と書いて、「よも」と読む。にしまる・よも、先生。↓。

これをもっとコンパクトにお手軽にしたのがこれ。貴重な写真がふんだんに使われている。↓。

うつ病には、「Q&A」がオススメ。特に高齢者の「うつ」と「せん妄」と「認知症」の鑑別など判りやすく図で説明してある。↓。

母親になる人が読んでもいいのがこれ。カワクリ専門外来~「花嫁になる君に」~虐待防止プログラム、のミーティングをした時のテキストに用いたものです。↓。

ちょっとここで変化球。
小此木啓吾先生の「映画でみる精神分析」です。

僕は小此木先生のオフィスにグループ・スーパーヴィジョンに通ってたことがあるのですが、入口に、パピルスが飾ってあって、
その絵の意味は「黄泉の国で、現世でウソをついた人が罰せられてる」という図柄で、そんなものをカウンセリング・ルームに貼る神経がすごいなと思いました。
小此木先生の先祖は「小柴」という有名な武将らしく、そこから漢字を分解して、「小此木」という名前を貰ったそうです。
やっぱり精神療法は「個人」だけの自分史でなく、ルーツとか風土とか脈々たるものが背景としてあるという考えが大事なんだと考えさせられました。

この本は、映画マニアの先生が「100%趣味」で書いたような本ですが、その中の「シラノ・ド・ベルジュラック」を僕は何度も「投影性同一視」の説明の時に口伝えで聞いてて、
その話が好きになって、それで前にここでも「激写メ・ストーリー」にしたという舞台裏があります。
どうですか?いやぁ、やっぱり精神科って面白いですね。↓。

ちょっと脱線しますが精神医学とはクロスくらいな座標に「夢」があります。
夢の書籍で面白いのは、河合隼雄の「明恵、夢を生きる」です。明恵、と書いて、みょうえ、と読みます。あきえ、という女の子の夢日記じゃなく、夢を大切にしたお坊さんの話です。↓。

河合先生の弟子だった先生に昔、聞いたのですが、河合先生が本気で書いたのは、この「明恵」と「こころの処方箋」の2冊だそうです。↓。

というと数多ある他の書籍が手抜きみたいに聴こえますが(笑)
とは言っても、2人とももう死んじゃってるから死人に口なしですね。
僕は「日本人の昔話」が好きです。↓。

夢と言えば、もう1冊、別冊宝島の「夢の本」が面白いです。親鸞とかユングとか秋山さと子とか(←ディメンジョン、バラバラ)で構成されています。↓。

同じシリーズの「性格の本」も面白いです。これはユング心理学の紹介ですね。
医療分野でユングはあまり用いられないから知る機会にはいいですよ。
特にこの本の圧巻は、アーキタイプ別にふるい分けられる記述式の「心理テスト」で、医学的な信頼性や妥当性はありませんが、
そこらの占いよりは質がいいからやってみると面白いですよ。友人同士やカップルや親子でやって比較しあっても楽しいですね。↓。

とは言え、一施設に1冊欲しいのは、やっぱり「精神医学事典」ですね。
左のブルーの大きいのが古い方で、右の銀の小さいのが改訂版です。内容はかなり違います。
当然、改訂版の方が良い様に思いますが、僕は昔の大きいブルーの方が好きです。
日本語が平易なんです。
難しい言葉を使われると、「この人、本当は判ってないんじゃないの?」と疑ったり、或は、「伝わらない奴はあっち行け、シッシ」って閉鎖的な感じがするからです。
まぁ、単純に研修医の時から読んでるから、執筆人に思い入れがあるというノスタルジーなんだと思いますが。↓。

話を神田橋先生に戻そう。
僕は研修医の頃に心理の先生に紹介され代々木の花クリニックの神田橋ゼミに行った。6-7年通った。
毎週日曜の朝で「日曜学校」さながら、ほぼ皆勤で行った。それは平成9年3/30でいったんその会が終るまで行った。
「最終回」に配られたのがこの本。奥付をみると、平成9年3月29日発行になってるから出来立てホヤホヤだ。↓。

 

神田橋研究会の「最終回」では参加者1人づつと記念写真をとって、この本を手渡してくれたのでした。↓。

BGM. 大場久美子「エトセトラ」


心理啓蒙劇、シラノ・ド・ベルジュラック~いとしのロクサーヌ

14/ⅩⅡ.(土)2019 寒い。田中みな実の写真集(本日発売)が届く。

茶番劇が行われていた。それは権力者の「寝床」のようなものだ。↓。

そこに正義感の強い、シラノ・ド・ベルジュラックが乱入し、即興の詩で圧倒した。

♪ゴアが出るのは~ミラーマンじゃなくて~マグマ大使なり~♪。↓。

皆の前で恥をかかされた権力者は、シラノをうらんだ。権力者の隣には娘の美女・ロクサーヌ。お花の冠をしてる方です。↓。

シラノはかねてから、ロクサーヌに恋心を抱いていたが…シラノにはコンプレックスがあって、告白できなかった。それはシラノがとても醜い鼻の持ち主だったから。↓。

手塚治虫の「火の鳥」シリーズの猿田みたいだ。下が、猿田。↓。

 

ある日、ロクサーヌに呼び出されたシラノが聞かされたのは、シラノにとってショッキングなことであった。↓。

ロクサーヌが好きなのは、美男のクリスチャンだった。両想いだった。↓。

しかし、このクリスチャンは顔がいいだけで、中身はからっぽ。ボキャブラリーに乏しく、ロクサーヌに恋の告白をするラブレターの文章も書けないのだ。

そこでシラノは、自分がラブレターを代筆するから、それをクリスチャンが書いた事にして、ロクサーヌに送るように提案した。↓。

心理豆知識。ここでシラノがクリスチャンにとった行動は、心と態度が裏腹ですね。これを心理学では、「反動形成」と呼びます。↓。

それからロクサーヌとクリスチャンは恋仲になりますが、ある夏の夜、ロクサーヌの家のバルコニーで恋を語りあう時、クリスチャンは平凡なセリフしか出ません。たとえば、野菊の墓、の名台詞が「民さんは、野菊のような人だ」をパクろうとして間違って、「君は、春菊のような人だ」とスキヤキの具みたいなことを言ってしまいます。これでは、バカボンのパパと同じです。ロクサーヌが幻滅し始めてますね。↓。

そこにシラノが駆けつけた。辺りは幸い薄暗い。木陰から、クリスチャンになりすまして、美しい愛の言葉を代演します。

♪忍び逢う恋をつつむ夜霧よ~わかっているのか二人の仲を~晴れて逢えるその日まで~隠しておくれ~夜霧~夜霧~♪

ロクサーヌはうっとり聞き入ります。↓。

そしてその言葉に酔いしれたロクサーヌは、クリスチャンに、令和はじめてのチュウ、を許します。↓。

シラノも自分の恋文がロクサーヌに喜ばれ嬉しくなります。投影性同一視という心理機制です。投影性同一視は、分裂(スプリッティング)をベースにした未熟な防衛機制だと言われています。↓。

少し、説明が必要ですね。

ある女の子がお母さんに叱られて家を出されます。↓。

そこで捨て猫をみつけます。猫に自分の姿を投影します。↓。

そしてお小遣いで食べ物を買って与えます。「ほら、お食べ」。↓。

ヌニャヌニャ。猫が喜んで食べます。↓。

そして捨て猫の心を満たすことで自分の孤独を自分で癒してることになるのです。これを投影性同一視と言い、シラノがクリスチャンを使って、ロクサーヌに愛されたと喜んでるのも同じ心の働きですね。

未熟な防衛機制だと言われるが故に、未熟であるからこそ純粋さを感じさせますね。↓。

ここで物語りは新展開です。

権力者がシラノとクリスチャンを戦場に送ります。↓。

いとしのロクサーヌは、「戦場へ行っても必ずお手紙をちょうだいね」とおねがいします。↓。

シラノは約束通り、戦場から手紙を送ります。危険な中、必死にロクサーヌとの約束を守ります。↓。

クリスチャンはいくら阿呆でも気付きました。ロクサーヌが愛してるのは自分じゃなく、恋文の内容なのだと。ヤケになったクリスチャンは無謀にも前線へ飛び出して、銃に撃たれて死にます。まるで、ロバート・キャパの戦場写真のようです。↓。

下が、ロバート・キャパの「崩れ落ちる兵士」。↓。

クリスチャンの死を知ったロクサーヌは修道女になります。お花の冠も捨てました。↓。

毎週毎週、シラノはロクサーヌを訪問する習慣になっていました。1週間の習慣です。↓。

ところが、ここでまた急展開。ある日、ロクサーヌの元に向う途中のシラノを、シラノのことが気に入らない権力者が背後から襲いました。致命傷か?。↓。

命からがら、ロクサーヌの元に向ったシラノ。ロクサーヌは、クリスチャンの手紙を読み返していました。↓。

そこでシラノが、ロクサーヌに、「クリスチャンの手紙」を読んで聞かせることにします。↓。

ロクサーヌはクリスチャンから貰ったラブレターをシラノに始めて見せて、シラノに読ませました。

スラスラと読むシラノ。♪忍び逢う恋をつつむ夜霧よ~今夜もありが~と~う~♪。

そこでロクサーヌは気付きました。こんな真っ暗な中で、しかも怪我を負ったシラノが手紙を読めるなんて。そして決め手は、この声です。この声は、かつてバルコニーで聴いた声。あなた、だったのね。シラノ…。↓。

シラノはさっきの打撲でもう死にます。でも、死ぬ前にシラノは自分の言葉でロクサーヌに告白できました。シラノは、ロクサーヌの腕の中でしずかにしずかに死にました。↓。

こうしてシラノは死にましたが、最期に、いとしのロクサーヌの肌にふれたことが、シラノはとても幸せだったといいます。おしまい。

BGM.吉田拓郎「夜霧よ今夜もありがとう」


令和デカダン派宣言

17/Ⅶ.(水)2019 久し振りに晴れ

街中で「安楽死」のポスターをみた。急いでいたから、よく見なかったが、そういう時代の要請もあるのか。

なんとか白書で、10代の自殺の数が増えていて、その理由で「学校関係」が「家庭問題」を抜いて1位になったとニュースに書いてあった。
どっかのチームの有望な22才のプロ野球選手が、18才の女子高生と不適切な関係になって無期限謹慎という記事が隣り合わせにあった。
まぁ、煎じ詰めれば、どんなニュースだって、無関係だ。

いきなりですが、モーニング・ワーク、という言葉を知ってますか?
朝のお仕事ではなくて、モーニング、とは、「morning(朝)」ではなく、「mourning(喪)」の意味です。
燕尾服の、モーニング、ですね。

モーニング・ワークとは、喪失体験から立ち直る過程や作業のことを言い、
死別・離別から失恋まで、
対象を喪失するすべての体験に当てはまります。
この厄介なところは、その事実からすぐに起きるとは限らず、ちょっと経ってから、
「時期はずれ」に起きることもありうることです。
数ヶ月ならまだしも、何年も経ってから、実感が湧く人も珍しくなく、
ただし周囲からみると、「なんで今頃?」なんて思われたりもします。
人間個人差があるから、喪に服す期間が、一律に1年間、なんて決まってる訳ではなくて、
年賀状を出さないのは1年に、とか、ってのは、あくまで目安です。

さて、モーニング・ワークの時に起きる色々な心の動きについては、きっと調べればみれるでしょうから、詳しくは書きませんが、
ここで厄介なのは、マニック・ディフェンス、です。
マニックとは躁(躁うつの躁)、ディフェンスは防衛です。

心が傷ついてる時に、プラス、自分が傷ついている、なんてことを認めちゃったら、ますますミジメになるから、
自分を守るため、強がって、必要以上に元気なふりをするのです。
みてて痛くなる時もあります。その痛みこそ、彼(彼女)が隠そうとしてる心の痛みと均質なのかもしれません。

イソップの、キツネとブドウ、の話もちょっと似てますが、あれは「合理化」と言います。
キツネがブドウを欲しいのに手に入らなくて、どうせあのブドウは酸っぱいんだよ、と言い捨て残念な気持ちを知性化して処理する寓話のことです。
マニック・ディフェンスと似てるけど、キツネにはちょっとお祭り気分が欠けていますね。

その点、どうどうでしょう?
最近の、十中八九N・G、の写メシリーズのはしゃぎっぷりは。
これまでお馴染みの方には違和感があったのではないでしょうか?

ボブ・ディランがフォークギターを置いて、ザ・バンドをバックに引き連れて、ロックに変貌した時のような進化ならいいのですが、
自分で考えても、マニック・ディフェンスですね。
何の喪失体験か、って?
まぁ、色々…。

絶対なくならないと思い込んでた1回も入ったことのない、昔ながらの地域密着型の文房具屋が店を閉じたり、
奥沢駅の町の本屋が時流に押されて閉店したり、
行きつけの寿司屋が今年の4月に定休日をもうけ、通しでやってたのが昼休みを作ったかと思ったら、11月いっぱいで閉店になると聞いて、
3月・4月に色んな事が重なって、それは丁度、平成が終って、令和になる世の浮かれ具合と相まって、
どんどん色んなものがなくなって行くなー、という、さびしさが、過去の置いてきぼりにされてた感情たちを、「さびしさの墓場」からよみがえらせて、
一気に襲ってきたものだから、僕はおセンチにもなってられない職種だから、自衛手段として、
髪を染めて、セーラー服を着て、ピカチュウを大人買いして、その場をしのいで来たんだけれど、やり尽くした感があって、
そしたら急にやっぱり、さびしいな、というしみじみした抑うつ感が湧いてきて、今年は冷夏だって言うし、
もうすぐ誕生日だから、否応なしに、いつまでも目をそらしててもそらしきれるものでもない。

ここは一つ、受け容れることにしようと、モーニング・ワークのステップを踏もうという日々なのである。
話が長くなったが、最近の僕は厭世的である。

世の中なんて終っちゃえばいい、と思うし、命を削ってまでやる仕事なんかないと思うし、
別に学校なんて行かなくても良いんじゃないかと、個人的には思う。最近は、教育虐待なんて言葉もある。

しかし、プロ(精神科医)としては、そうはいかない。
それはクリスチャンの精神科医が宗教観を表に出さないのと同じように、
あるいは、不倫をされてる女医さんが、性に奔放な患者の話も「中立的」に聞くように、
自分の価値観は脇に置いておくのが職業だからだ。

元々、我々は、常識にしばられず、「普通」や「平均」や「多数決」にも左右されない、個人の心の自由さを守る番人でもある。

例外的に、「死にたい」と訴える患者には、「死んじゃいけませんよ」とは言う。精神科医なら皆、そういうが、心の内はそれぞれだ。
本当に「死んではダメだ」と思う人と、身内に死なれて命の重みを痛感してる者もいよう。
僕は、「自殺なんてしたくなるよね」と思う派だが、同じ1人の医者でも、その時々で気分は変わる。人間だから。
僕は今、厭世的な気分なのである。

こないだ、「私はダメ人間だ。他の人と比べたら○○もしてないし、○×も出来てない、××さえしてない」と嘆いてる人の話を聞いていて、
あるマンガの1シーンを思い出した。

それはある2人の女子高生は、まわりが受験勉強してるのにゲームばかりして、部活もやらず、恋もしなけりゃ、あんまり大事なものもない。
世間で言う青春とは、ほど遠い生活だ。
そこに隕石が地球に近づいて、もう数分で人類が全滅するという。その時、2人の女子高生は言うのである。
「私たち、ひょっとして、勝ち組かも」。

この話を、嘆いていたその患者さんにしてあげたら、情けない顔をして、
「そんな話されても、嬉しくないですよ」だって。
すまん。ついつい、地が出ちゃった。
気をつけなきゃ。
人生、前向きに行かなきゃね。
きっと未来にはいいことが待ってるはず。
明日は晴れるさ。ホラ、晴れた。
上を向いて歩こう!

下は、先日、ポケモンの映画「ミューツーの逆襲エボリューション」を観てきたスタッフにもらった、肩乗りピカチュウ。
サトシのポーズがわからないから、ダンディ坂野、のポーズをしてみた。↓。

杉山さんのも撮ってみた。田舎のお母さん、みてる?。↓。

BGM. RCサクセション「上を向いて歩こう」


がんばれ!!照ノ富士!!(仮題)

13/Ⅲ.(水)2019 はれ ダイナマイト・キッド追悼興行の全カード決定!

アニメ「からかい上手の高木さん」の二期が決定したのと、今、10巻を買うと、卓上日めくりカレンダーがついてくる、
何かと話題の高木さん。

コミックス「からかい上手の高木さん」5巻に「クリティカル」という回があって、これがちょっと面白い。

いつも高木さんにからかわれるクラスメートの西片は、その日の朝の情報番組の占いでは超ラッキー運。
それで、「今日こそは高木さんを逆に、からかい返してやる」と意気込んで登校中、高木さんに会う。
見透かされたように、「何かいいことあった?」。
<な、ないよ>。
「もしかして、今日のラッキー運、かに座とか」
<ちょ…ちょ…なんで知ってるの?>
「あと、O型も1位だったから?」と図星。

それでも、西片は占いを信じ下校時に、高木さんをからかってやろうと思う。

高木さんと、首尾よく二人で帰ることになったところ、級友に、「ゲームやろうよ」と誘われるが、断る。
頭は高木さんをからかう作戦のことでいっぱいだ。しかし、これがまた何も思い浮かばない。

二人で並んで歩く帰り道。高木さんが、「ゲーム、よかったの?」ときくと、西片は作戦で気もそぞろだから、
<あぁ、うん。高木さんと一緒に帰りたかったし>と答え、また考え事。
高木さんに、じーっとみられ、やっと我に返り、

<今、俺、変なこと言わなかった?>と自問自答。
あわてて、<占いなんだよ。占いで、クリティカルが出る、って言ってたから、今日こそ高木さんに勝てると思って…>
<だから、別にそういう意味じゃないから。…今のないことにして>と言うと、
高木さんはいつもの高木さんで、「しょうがないなぁ。もう1回言ったら聞かなかったことにしてあげる」。
西片<言うワケないだろ。じゃ、俺、こっちだから。バイバーイ>と走って逃げる。1人残る高木さんのアップ。

唇の真一文字がかすかにふるえ、ごくんと何かをのみこんだような描写。
曲がり角を曲がって、「ハーっ」と胸をおさえる高木さん。こんな高木さん、みたことない。
最後のコマで「クリティカルってこわいなぁ」とつぶやく高木さん。
からかい上手の高木さん、で語り継がれる名場面と言っていいだろう。そんなクリティカル。
どういう意味か、わかりますか?

我々がよく施行する、エゴグラム、という心理テストの尺度に、CP、というのがあって、それは、クリティカル・ペアレントの略で、
「批判的な親」という意味です。でも、それと、このマンガの、クリティカルのフィーリングは違いますよね?

それで僕はうちのスタッフや友人やその方面で有名な心理業界の人にもメールして、クリティカル、の意味を聞いてみました。
学術的な意見や、英単語の意味を解説してくれる答えがいっぱい来ました。

でも、僕が知りたいのは、そういうことではなくて、そういう英単語の意味とこのマンガを結びつける「カギ」です。

そこで存在感をふるったのが、受付のうかいさんでした。
彼女は多分、そんなに英語が得意な方でもないのに、
ゲームで「クリティカル・ヒット(会心の一撃!)」という用語があるのを手がかりに、色々と調べてくれました。
ネットで、英語や心理学の知識はけっこう得られますからね。
高木さんの、「クリティカル」の回の動画もみてくれて、彼女が出した結論は、

「ここでいう、クリティカル、は、会心の一撃、のクリティカルです」。

よく自分は「勉強が出来ないから頭が悪い」と思っている中高生が結構、多くいます。
今の学校教育は、ほとんど丸暗記ですむ記憶力の勝負で、それで良い学校にも行けるし、良い会社にも入れるし、
医師国家試験だってパス出来るけど、人生はそこからがスタートです。
‘成功’した人が社会に出て困っていることが多いのです。
人生って、テストみたいに、‘正解’がないからでしょうか。

学校教育が広く浅く知識を身に付けさせるせいか、1つのことを深く掘り下げる習慣がないのも問題でしょう。
その点、オタクはすぐれてます。掘り下げますから。

吉田拓郎から入ったのに、ボブ・ディランの曲、全部、知ってたりするから。
ルーツをさぐる、ってことなんでしょうね。学問の基本ですね。

勉強と学問は違うと言われます。
勉強は漢字で、むりにしいる、と書きます。これはやらされてる訳です。
でも、学問はオタクに近いです。
興味があること、探究心が、知らないでいることを放っておかないのです。
意味のないことはまるでやる気ないのは、モチベーションが湧かないとパフォーマンスが極端に下がるからで、
逆に言えば、意味さえ見い出せばやる気が出てパフォーマンスもアップするということです。
だから、中高生で成績の悪い人は、何も腐ることはなくて、「自分は勉強は不向きで学問向きだ」と思うといいです。

僕の好きな立川談志は中卒で、落語家になりましたが、
「自分は学歴がある。落語を通して色んなことを学んでいるから。ないのは、学校歴だ」と言っていました。
僕の好きなフレーズです。

おまけ。

からかい上手の高木さん、には、からかい上手の元・高木さん、というスピンオフもあります。
ちょっとだけ紹介しましょう。こんな感じです。

元・高木さんは結婚して娘がいます。
娘との会話。
<ねぇ、ねぇ、お母さんってどんな子供だったの?>
「う~ん。好きな人をからかっていたかな」
<ははは。今と変わらないじゃん>
「そうだね。変わらないね。好きな人も」
<え~??…ってことは??>
そこに、玄関の音がガチャガチャとして、<ただいま~>とスーツの男の人が帰ってくる。顔は見えない。
コマ割りは、アパートの廊下にうつり、その家の表札に書かれていたのは、西片。

BGM. よしだたくろう「知識」


くよくよするなよ

12/Ⅱ.(火)2019 はれ少しあたたかい 猪木、ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~に登場!

平成も終るという。昭和・平成・●×の3つの元号を生きることになるのか。
父は、大正と昭和しか知らない。
母は、大正・昭和・平成を生きた。
親を抜いたり、肩を並べたりで、感慨深いものである。

僕が医者になったのは平成元年で、だから、精神科の経験年数を聞かれたら、今が平成何年かの数字を
そのまま言えばよくて、楽させてもらっていた。たとえば、今なら「31」年目である。
これからは足し算を駆使しないといけなくなるのか。

平成という時代は、精神科の中でも色んなことがおきた。
法律が改正されたり、アメリカの診断基準が大流行してドイツの伝統的な診断学が鳴りをひそめた。
「分裂病」「躁うつ病」「痴呆」という疾患名が「統合失調症」「双極性障害」「認知症」にとって変わった。

「痴呆」の進行を防ぐのに役立っていた薬たちが追跡調査で全部「効果なし」と判定されて市場から消えた時は驚いた。
アリセプトが出る前の、薬たちである。

うつ病の仮説も、モノアミンからセロトニンにかわってSSRIが登場した時、革命が起きたように思った。

「トラウマ」の概念も僕が研修医の頃と今では、180度ちがう。
当時は「心的現実」を重視するあまり、「外的現実」にはノータッチだったが、「いじめ」や「虐待」が深刻になり、
治療は「外的現実」の調整に重きを置く必要が出て、精神科医のケースワーカー化、などと揶揄された。

今後も医学の進歩や、社会の運動で、精神医学の「常識」は覆って行くのかもしれない。
それを発展と言うなら、それに対応して行かなくてはならないが、それに振り回されるだけでなく、
変わらぬ精神科医のアイデンティティーを持っていたいものだ。

昔、立川談志が、ざこば、と芸談をした時の話を聞いたことがある。
談志が「落語とは人間の業の肯定」と言ったら、ざこば、は、「うけりゃいいおまへんか」と答え、
それに対して、談志が「うけなくなったら、どうするの?」と返すと、ざこば、は、「何が言いたいねん?」。
談志は「うけりゃいいと思っていると、うけてるうちはいいけれど、うけなくなったら困るでしょ?」、ざこば「…」。
談志「だから、落語とはこういうものだと定義しておけば、うけなくなった時に困らないでしょ?」
ざこば「そんなもんでっしゃろか」だって。

話は変わるが、昭和の爆笑王・林家三平さん(今の笑点に出てる三平のお父さん)は、私生活でも人を笑わせることを生き甲斐にしてたようで、
キラ星のようにエピソードがたくさんある。
その中でも有名なのは、三平さん(さん、まで入れて呼び名。今の、所さん、と同じシステム)が脳梗塞で倒れて、
救急車で病院に運ばれた時、意識の覚醒水準を確認するため、看護婦さんが「お名前は?」と尋ねたら、
「加山雄三です(当時の2枚目俳優)」と答えたという。命がけで人を笑わしてる。

太宰治が、晩年(遺書代わりに書いたから、タイトルが処女作なのに、晩年)、で、自分の事を、道化、といって、
もし自分が死んだら、「この人は一生涯、ひとを笑わせるために生きた人です」と墓石に刻んで欲しい、というようなことを言ってたと思うが、
それは三平さんにこそピッタリだと思うし、僕もそういう生き方をしたいと思う。
三平さんのことを書くと長くなっちゃうから、この辺にしとくが、談志が、
「もし、三平さんが、皆さん、真面目に生きなきゃダメですよ、なんて言う時代が来たらそれは末世だ」と言っていた。
もう三平さんも談志も死んでるけど、今の世の中って、そういう意味じゃ「末世」かな?なんて時々思う。

僕は談志の説く「落語論」と、精神科医の仕事って似てるな、と折に触れ思うことがある。
たとえば、忠臣蔵の四十七志は英雄として語られるが、家来はおそらく300人以上いて、その中の47人だから、250人以上は逃げちゃってるのである。

でも落語は実際そうなったら、死ぬのを覚悟で討ち入りに行くより、逃げた人間にスポットを当てて、
「本来、人間って逃げちゃうでしょ?」というのが、歌舞伎や講談との違いはそこで、それを談志は、
「落語とは人間の業の肯定」と初期に定義した。

精神科はと言えば、根性論や、気の持ちようだという精神論で追い詰められた人に、
「いい加減」をすすめ、「テキトーに」やろうとアドバイスし、決して「がんばれ」とは言わない。そういう仕事だ。
そして、そういうことを患者に言うには、そういう価値観を持ってる必要があるが、お医者さんは総じて頑張り屋が多いけど、僕は例外で、性分として精神科向きだと思っていた。

ところが世は末世である。
三平さんが「皆さん、真面目に生きましょう」と言わなければならないように、我々の臨床でも、

困難があらわれると避けることで自分を守る「回避性パーソナリティー障害」や、
やりたくないことに対して、いやだ、という代わりにわざとゆっくりやったり忘れたフリをする「受動攻撃性パーソナリティー障害」と言う人が、
訪れて来るようになって、「ちょっとがんばった方がいいんじゃない?」とアドバイスすることもたまにある。

精神科医がそんなとことを言うようになったら、それこそ世も末だ。
ましてや僕がそんなことを仕事とはいえ言ってるなんて知ったら、教師や親戚は一斉に「お前が言うな!」とツッコミを入れると思う。
そうなると、精神科医のアイデンティティーというのも難しくなってくる。

そこで参考になるのは、やはり談志で、談志は「落語とは人間の業の肯定」が通じなくなった現代で、落語とは「イリュージョン」だと言った。
これは弟子たちの中でもよくわかってない人が多かったそうだが、これも精神科領域と近い関係にある。
イリュージョンは、こっち側から説明した方がわかりやすいと思う。カワクリのHP「クリニック紹介」から抜粋。

心にとって、「病気と健康」や「異常と正常」などに明確な境界線があるものではなく、中間の領域がある。
多くの精神の病気は、この領域がやられてしまい、保てなくなっているようだ。
病気を発症する時には必ずこの中間領域を通過するし、回復期にも同様に中間領域を通って良くなる。
川原クリニックでは、この中間領域を大切に考えている。
中間領域は、他にも「日常と非日常」や「常識と非常識」や「夢と現実」や「赤ちゃんと大人」の間にもある。
そこがうまく機能すると、「遊び」が生まれる。
日本語の「遊び」にはplayという意味の他に「ブレーキのあそび」のように余裕という意味がある。
このような言葉遊びやなぞなぞやジョークやナンセンスが中間領域の代表で、芸術の世界にも発展して行く。
クリニックの空間が遊びに溢れていて、始めはビックリしても、次第に居心地が良くなるのは、そんな計算もある。

僕のアイデンティティーは今の所、そんなところで落ち着いているのだが、一つ心配なことがある。
それは、談志が死ぬ直前に、「落語とは江戸の風が吹く」と言ったことだ。
江戸の風、については、談志はあまり説明してないから、僕もあまりピンと来ないのだ。
それに今は、「イリュージョン」で事足りているから。
でも、この先、また悩むことがあるかもしれないから、少しだけ考えてみるか。

ここでヒント。
晩年の談志は小さん師匠のネタをかけたりしていた。原点回帰か?
さらにヒント。
志の輔は、追善落語会の最後のゴタゴタの中で、「俺は富山の風だ」と言っていたこと。

そうやって考えるとなんとなく、その出自というか、ルーツのようなものの雰囲気が伝わる、あるいはそんな空気感になるってことかと想定できる。

僕の生まれ故郷は、湘南の茅ヶ崎。
東京からみると、藤沢、と、平塚、にはさまれた別荘地で、海水浴場で有名だ。
しかし、藤沢や平塚が区画整理されて綺麗な道路があるのに、茅ヶ崎はクネクネした道がとても多い。
まれに真っ直ぐな道があると、よほど珍しいのか、逆に、鉄砲道(てっぽう・みち)なんて通称がついたりする。
それは茅ヶ崎は、戦争の時に、ほとんど空襲を受けてないからだそうだ。

僕の思い出の中の茅ヶ崎も、温暖で平和なイメージだ。ちなみに僕の出身小学校の名前は、「平和学園」だ。そこに6年通った。平和な小学生だった。
僕の誕生日は、7月24日で、母がよく言っていたが、僕の生まれた日は、とてもお天気のいい、真夏の昼間だったらしい。

だから僕の最終(?)目標地点は、暫定的にここに決めておこう。
つまり、何もしなくても、何も言わなくても、クリニックに来てくれた人が、暖かい気分になってくれること。
お日様を浴びたような風を感じてもらうこと。とりあえず、そうしてみた。だから僕は、くよくよなんかしてられないのさ。

BGM. ヒカシュー「20世紀の終わりに」