4/Ⅰ.(月)2016 きっと今日も暖かそう
正月早々、こんな自慢もあったものではないが、僕はメカに弱い。
それは多分、人間は思春期までに獲得した能力とその利息で生きているのでは?と思ったりするからだ。
まぁ、この仮説は甚だインチキで、さっき思い付いた思いつきで、統計学的にも疑わしい。
サンプルは1、僕だけだから。
学術的に言えば、仮説というより、「1例報告」に過ぎない。
僕は中高でタイプライターを習わなかった。
だから、今でも、パソコンのキーボードは右手の人差し指1本で打っている。
ジャスト・ナウ、たった今、皆さんがご覧になっている、この文章も右手の人差し指1本で打っている。
とは言え、それでも毎日、使っているから、結構、速いのだ。
「世界・指1本だけ・早撃ちコンテスト」なんてのがあったなら、上位入賞、狙えるかも。
意外と盲点なのは、思春期の頃はまだ一般家庭にFAXがない時代だったので、FAXが判らない。
FAXは今でも業務上使用頻度が高いもので、全部、受付にやって貰っている。
オーディオ機器も、レコード・プレーヤーとカセットレコーダーの接続とか、
ビデオもβやVHSの類なら自在にダビング出来るのだが。
コピーガードを外す機械も秋葉原で買って持っていた。
しかし、時代が変わって、僕が大学生の頃、CDとかMDが出て来た。
あそこら辺からがダメ。まず、MDが判らない。
従って、DVDのダビングとかが出来ない。
いや、しちゃいけないのだから、出来なくて良いのだ。捕まる心配もないし。
つまり、生活していく上で、分相応に暮らしている分には、何の不自由もないのだが、
1点困るのは、クリニックの待合室に流しているBGM.が、Ipod.なのだ。(←スペル、合ってるか?)
パソコンの中のItunesって奴に、曲を入れて、Play listを編集する所までは何とか学習した。
あとは、見よう見まねで、テキトーにイジって、何とかしている。
何が困るって、CDによって音量(音質?)が異なるのだ。
クリニックは天井に8個のスピーカーが埋め込んであるから、ちょっとの差が増幅される。
曲によって爆音でビックリさせられたり、小さすぎてノイズのようにしか聞こえなかったり。
最近の新譜は大体、音を揃えて来たが、極端に大きいのは、きゃりーぱみゅぱみゅ。
それとアニメ「日常」ブルーレイの特典CDの劇中伴奏曲。これがデカイ。
逆に小さいのが、ビートルズ。プロパティからオプションを選択して音量を調整しようとしても、
出来る限りMAXの(+5)にしても、きゃりーちゃんの(-5)より小さい。だから使えない。
最近出た、「Beatles 1」とジョン・レノンのソロだけ何故か、普通。
だから、それらだけ流している。
音量を一定に出来る方法があれば良いのだが、これまで一応、何とか手作業で微調整してきて、
なんとかなっているので、それがオジャンになるのは悲しい。
だから、仮に教えて貰っても、100%の確率か駄目だった時の保障がなければ、冒険する気になれない。
それに今のところ、コツをつかんだから、日々の暮らしは凌げるし。
ずっと不思議だったのが、曲順。
シャッフルに設定しているのだが、一曲目が毎回、必ず同じ曲なのだ。
以前に小森さんがブログの記事に書いてた気がするが(違ってたらゴメン)、
偽物語、の月火ちゃんの「白金ディスコ」がずっとかかっている時期があった。
毎朝、月火ちゃんの、♪ホラ、どっこい♪、の掛け声で1日が始まる。
それはそれで素敵だった。
それでも我々は解析を進めた。
そのうちに判った法則は、「プレイリストの1曲目がかかる」だった。
当時、「白金ディスコ」はプレイリストの1曲目だった。
しかし、プレイリストの順番がどうやって決まるのかが判らない。
Ipodに入れた順番でもなかった。
なんだろう?と思って、最近、発見したのは、どうやら、曲名・アーティスト・アルバムの次の
「ジャンル」が最優先されていて、そのアルファベット順に並んでいるようだった。
これを調べてみると、「Alternative」がトップで、「Blues」「Classical」「Pop」「R&B」「Rap」
「Rock」「Sounnd track」…などとなる。
アニメの主題歌・劇中歌は「Sounnd track」に分類されるのだが、何故か、「白金ディスコ」は
「Alternative」に振り分けられていた。
「Alternative」って、簡単に言うと、前衛音楽、のこと。
ディスコ+音頭の融合だから前衛なのかな?
何かの間違いだろうと思って、今は「Sounnd track」に修正したから、順番は下の方に来ている。
この「ジャンル」というのはCDに記憶されているのだが、誰がどういう基準で決めているのか?、が、
今の1番の謎だ。
さくら学院やしょこたんや大瀧詠一が「Pop」だったり、
きゃりーちゃんが「Dance & House」で、BABYMETALが「Metal」というのは、まぁ判る。
初音ミクが「Electronica」もなるほどと膝をうつ。
ところが、ビートルズは「Rock」だが、ジョン・レノンのソロは「Pop」という基準は何だ?。↓。

さらに興味深いのは、同じジョンのソロの同じアルバムでも「イマジン」だけは「Rock」なのだ。
昨年、亡くなった野坂昭如の楽曲も「Rock」に分類されていた。↓。

一々尤もだと僕は感心しているのだが、一体どんなセンスの持ち主がこの作業を担当してるのだろう?
野坂先生と、イマジン、と、ビートルズは「Rock」。
アニメ「おそ松さん」の主題歌のカップリングを内田裕也が歌っているが、それは「Pop」。↓。

良いセンスだなぁ。誰が選別しているんだろう。
よく「Rock」とは音楽のジャンルではなく、生き様だ、などと言われる。
極めつけは、野坂昭如の「サメに喰われた娘」。
この曲は僕が昔、野坂先生の記事を書いた時に(BGM)に抜擢したくらい、1番好きな歌なのだが、
この曲の「ジャンル」がなんと「Indie Rock」だって。↓。

本当にそうだよなぁ。誰なんだろう、コレ決めてる人。
会ってみたいなぁ。
ちなみに、戸川純は「Rock」で、大森靖子は「Pop」だった。
頑張ろう!大森靖子!!

二〇一六年一月四日 川原達二
年賀状2016
3/Ⅰ.(日)2016 春の陽気みたいに暖かい
去年のラストは忙しかった。
イブの診療が終わったのが11時半で、25日は0時5分だった。
気がついたら、クリスマスなかったです。
ですから、両日に来院された方は、とても待ったでしょう。
ごめんね。
今年は、なるべく待ち時間を短縮し、皆さんが終電で帰れる、ことを目標にします。
年末は地上波で格闘技もやるし、休みも短いから、ずっと家で呑んでいました。
不思議な物で1年に1回くらい、ケンタッキーって食べたくなりますね。
さいたまスーパーアリーナに行ったことがある人なら判ると思いますが、
SSTと言えば、KFCですね。
なので僕は大晦日の格闘技を観ながらチキンを食べて、ワインを数本空けました。
そのあおりを受けて、一日遅れで、元旦に年越しそばを食べて、日本酒を数本空けました。
2日になって、やっと、おせちを食べて、日本酒を数本空けました。
本当なら一升瓶の方が安上がりなのですが、
「一升瓶を何本もゴミの日に出すのは恥ずかしい」と家の者が言うものですから。
うちは誰も呑まないので、僕の飲酒分だけなのですが、
休日ともなると朝から呑んでしまうのが人情ですね。
一升瓶がゴロゴロ出る。
4kg、太りました。
今年は、5日から外来がスタートなので、今日あたりからリハビリを兼ねて生活しないといけません。
ようやく今日、年賀状書きをしました。
今、書き終わって、投函して来ました。
やっと暦に追いついた感じです。
その勢いで、皆さんにも新年のご挨拶の記事を書こうと考えたのですが、
機械の文字でご挨拶というのも味気ないので、
せっかくですから、今、書き上げた年賀状を写メに撮ったので、
それをここにアップすることで、年賀状代わりにして頂こう、という企画です。
本来なら、「しょこたんバースディ・ライブのレビュー」を書くと予告しておいたのですが、
お正月明けに逢えない方もいるでしょうから(特に、遠方の方や入院中の人をターゲットに)、
予定を無視して、優先順位を変更しました。
最初はこんなバージョンで書いてみました。↓。

1枚、1枚と書いてるうちにアイデアが湧いてきて、少しづつ、ミニマム・チェンジして、
いつのまにやら、スリムになりました。体重は減らないけど。
一月三日に年賀状を出す良い点は、年賀状とは慣習では一斉に三賀日に届くものでしょう。
それが遅れて届く分、じっくり味わって読んで頂ける点でしょうか。
一月三日に年賀状を書くメリットは、もらった賀状のコメントが書けることでしょうか。
対話というか、文通みたいになりますね。
家族写真を載っけてる方には、<ベスト・ファミリー賞を差し上げたいですね!>とか、
赤ん坊やペットの写真を全面的に打ち出してる人には、<可愛いね~>などと、
思ってもいない言葉を添えて。
ま、初嘘、ですね。
…って、そんなに悪い人ぶることもないですね。
話の筋を、年賀状に戻しましょう。
同じ教室出身の先生方には、
去年、恩師が亡くなってしまったけれど、我々は長生きしよう、と書いて出しました。↓。

晴れ着の綺麗な娘さんが写ってる方には、
<娘さん?キレイでござるな>
と書きました。突然変異みたいに、とても綺麗だったから。↓。

健康のために、テニスを始めた、という旧友には、
ジャンケンのパーに‘す’を書いて絵文字にして(テニスの意味)家族に読まれたくなさそうなことを書いてやった。
ちなみにこいつの奥さんとはよく美容院で一緒になるらしいから、奥さんにもメッセージを書いておいた。↓。

同じく健康のために、マラソンを始めたという人生の先輩には敬意を払って、
<マラソンですか?すごいですね~>
と書き、差をつけて置く。↓。

毎回、ポールの来日公演のチケットをとってくれる友人F.の誕生日が、一月三日、だから、
<誰かのハッピー・バースディ>として暗に覚えているよ、と伝えておく。
大抵、一月三日生まれなんて、誕生日と正月を一緒に祝われて、卑屈になっているはずだから。↓。

前の病院で一緒に勤めていた先生は、今年、還暦になるそうで、
<ヒデキ、カンレキ~!おせちにあきたらカレーもね!>
と昔懐かしいCMのダジャレを書いて送った。
あっ、若い人は知らないよね。
西城秀樹が「ヒデキ、感激~!」ってやってたハウス・バーモンド・カレーが元ネタです。
今、ユーチューブ、検索したら、動画があった。
今後の人生で何の役にも立たないと思いますが、良かったらみて下さい。↓。

遠くの年取った親戚が寄越す便りには、「皆さんで遊びに来て下さい」という血の通った物を感じるから、
<ぜひ、遊びに寄らせていただきたいと思います>
と心を込めて伝えることが出来たのも、一月三日に年賀状を書くメリットだ。
まぁ、忙しくて、遊びにいけないがな。口先だけでも。↓。

今、アップして気付いた。「ぜひ」が「せび」になってる。
口先だけだから、書き間違っちゃったのかな。もう投函しちゃったよ。しようがないや。
以前に、家族に来た年賀状にも勝手にコメントを書いたら、ひどく怒られたので、今年はそこだけ注意して、
こんな感じで、およそ3時間くらいで、思ったよりスイスイと仕上がった。
今年は良い年になる予感がする。
1つ残念なのは、
「大岡山のホームで、川原クリニック、の看板が見れて嬉しかった」
と書いてくれた親戚がいたことで、
何が残念かと云うと、あの看板はもうやめてしまうのです。
新患のアンケートでも、あの看板を見て来た、という人は年間1人くらいで、宣伝効果はなくって、ほとんどはネット。
でも、こうして見て喜んでくれる親戚がいるなら、看板を残しておけばよかったカナぁ。
世の中、金や効率ばかりじゃないからなぁ。
ワニを買ってくれた恩もあったしなぁ。
まぁ、過ぎたことを言っても、しょうがない。
前向きに行こう!
皆さん、2016年もよろしくお願い致します。↓。

今後のブログは、去年のGWに行われた「しょこたんバースディ・ライブのレビュー」から開始と言いたい所ですが、
ちょっと難航しており、また心理部門が充実して来たので、そちらからのメッセージが先になるかもしれません。
では、今年が皆さんにとって良い年になりますように。
去年、運が悪かった人は今年がうんと良い年になりますように。
今年もどうぞ、よろしくお願い致します。
二〇一六年一月三日 川原達二
僕が精神科医になった訳
24/ⅩⅠ.(火)2015 あたたかい
僕の生まれた頃は、子供は親の家業を継ぐのが、まだ「普通」だった。
医者の子供は医者になるように育てられ、歯医者は歯医者、八百屋は八百屋、パン屋はパン屋だった。
クラスの同級生は、皆、そうだった。
ギリギリ、そんな世代だった。
僕の家は眼科の開業医で、僕は二人兄弟だったから、将来は、父と兄と3人で医院を大きくすることが刷り込まれていた。
周囲の誰もがそう思っていたし、それをやっかむ人もなく、暖かく見守られていた。
そういう時代だった。
それは仕方がなかった。
こればかりは個人の力ではどうしようもなく、僕は物心付いた時から、医者になることになっていた。
勿論、その後の人生で、思春期や反抗期で、それを修正する機会は平等に与えられた。
だけど、僕は医者になった。
それは医者になる、のではなく、精神科医になろうという強い意志があったのだ。
医者になるには医学部に入り、全教科を勉強して、全教科の国家試験をパスしないといけない。
だから、逆に言えば、医師免許があれば、何科にでもなれた。
僕にとっての将来の約束は、医者になることだった。
親の都合は、家の眼科を手伝うことだった。
しかし、拡大解釈をすれば、医者になれば何をやっても良いとも言えた。
僕の親族には医者が多かったから、僕は専門的に色んな科があることを知っていた。
ここまでが前置き、ね。
僕の生まれは湘南の茅ヶ崎の海側で、そこは別荘地の多い温暖なゆったりとした風土だった。
僕が幼稚園の頃、近所をブツブツと独り言を言いながら、乳母車を引いている貧しい老婆が徘徊していた。
老婆は乳母車に古い赤ん坊の人形を乗せていて、その人形を本当の赤ん坊だと思っているという噂だった。
すずめ、を捕まえて食べてるという噂もあった。
僕は母親やお手伝いさん達に、「タッちゃん、あの人に話しかけてはダメですよ」と教えられていた。
ある日、狭い路地で、乳母車の老婆と鉢合わせになった。
僕は思わず、<すずめ、って食べれるの?>と聞いた。
すると、老婆は「坊や、そんな可哀想なことをしてはいけないよ」とビックリするほど、優しい声で言った。
僕は一瞬で、この人は良い人だ、とピンと来た。
すると、そんな気持ちが以心伝心、彼女にも伝わったらしく、僕らは仲良くなった。
老婆は乳母車から赤ん坊を抱え上げて、「ほら、こうするとお日様が透けて見えて綺麗なんだよ」と僕に教えてくれた。
セルロイドの人形に夕陽が差し込んで、それはキラキラと反射して輝いて虹のように見えた。
しかし、僕はこの事は、親には秘密にしておいた。
同じ頃、似たような事件があった。
僕の実家は診療所の2軒隣りにワンブロックほどの広さを持っている大きな家だった。
だから、時々、「乞食」(←これは不適切な表現なのでしょうが、差別を助長する意図ではないので使用します)が来た。
母親やお手伝いさんは、「タッちゃん、乞食が来たら、食べ物をあげちゃダメですよ。クセになってまた来るから」と言った。
僕は言う通りにしていた。
ところが、ある日、僕しか家にいない時に、勝手口から、女の乞食が、「何か恵んで下さい」と入って来た。
僕は、<お前に、何かあげるとクセになってまた来るから、やらない>とピシャリと言い放った。
すると女の乞食は、「坊ちゃん、もう何日も何も食べてないのです。約束します。今日だけですから」と懇願した。
僕は女乞食の目をジッと観察して、僕にはこの人が嘘をつくようには見えなかった。
そこで、従業員がいつでも、食べれるように台所に置いてある塩むすびを持って来てあげた。
女乞食は何度も何度もお礼を言い、約束は守る、と言って帰って行った。
僕はこの事も、大人達には話さなかった。
代わりに、毎日、<ねぇ、今日、乞食、来なかった?>と聞くのが日課だった。
すると、親やお手伝いさん達は、「変な事を気にするのね。乞食なんか来ませんよ」と笑った。
女乞食は僕との約束をちゃんと守ったのだ。
僕はこれらの事を通じて、大人たちの言う事はなんていい加減なものだろうとあきれた。
そして、こういう「常識」とか「普通」は疑ってかかる必要があると思った。
当時の僕は幼稚園生だったから、実際はそんな風に言語化は出来なかったと思う。
今、振り返って、解説すると、そういうことだと言うことです。
僕はそれ以来、無批判にこの世を支配している「常識」とか「普通」とか「規則」とか「一般」とかを敵視するようになった。
それは、そういう事によって、無力な人が、抵抗する術もなく、不当に扱われてることに義憤を感じると同時に、
「常識」に縛られて、生きている大人たちも決して、自由に見えなかったからだ。
僕は将来、医者になったら、歪んだ「常識」や「普通」で窮屈をしている人達を助ける仕事をしたいと思った。
その頃の知識で、精神科という科があることを僕は知っていた。
僕は医者と言う権威を武器に、差別や誤解を受けてる人や、不自由に生きている大人たちの心を解放するために力を発揮しようと決めた。
そして、それは僕の性質上、とても向いているとも思った。
それが僕が精神科医になった訳で、この初心はブレることなく今に至っている。
初心忘れるべからず、と言うのは、初心に立ち返れ、とか、初志貫徹みたいな意味で使われることが多いと思う。
でも本当は別の意味があるのだと、中学の時の担任が国語の教師だったから、ホームルームの時間に教わったのを
今でも覚えている。
「~べからず」、と言うのは、「~できない」つまり「can not」の意味で、だからこのフレーズの正しい意味は、
初心はいつまで経っても忘れることの出来ない事で、一生、付いて回るものなのだ、という意味になるそうだ。
初心忘れるべからず、が味わい深くなりませんか?
今はカワクリの新しいスタッフを増員しようとしているところですが、よくどんなスタッフを選ぶのかと言う質問を受ける。
本当は、もしカワクリに、テロリスト集団が雪崩れ込んで来た時に、身を挺して、患者さんを守ってくれる人、と答えたい。
しかし、実際そんなことがあったら、まずは我が身を心配するのが「正常」だから、そこまでは求めない。
そんなことを言っていたら、求人、来ないもの。
ですから、どんなスタッフを求めるかと言えば、僕が精神科医になった訳に共感して、一緒に働きたいと思ってくれるような人です。
その為には、こっちも日々努力して、口先ばかりでなく、態度でそれを示す覚悟が必要だ。
そのつもりで、やってはいるんだけどね。
なかなかね…。
BGM. よしだたくろう「ひらひら」
へそもち
20/ⅩⅠ.(金)2015 はれ
まったくもって季節はずれの話で恐縮だが、白玉あずき、について。
幼い頃、母に言われて、近所のおばあちゃんの家に遊びに行っていた。
いつも1人で寂しがっているから、話相手になってやれ、とのこと。
おばあちゃんは、僕を可愛がり、昔話を聞かせ、おやつの時間に磯辺焼きを焼いてくれた。
夏には、気が向くと、白玉あずき、を作ってくれた。
おばあちゃんの作る、白玉、はちょっと変わっていた。
白玉のお腹の部分を指で押してくぼみを作り、「へそもち」を呼んでいた。
おへそ、みたいな形だからね。
おばあちゃんは、「へそもちを作ると、雷様が欲しがって、鳴り出すんだよ」が口癖だった。
僕は子供とは言え、そんな馬鹿馬鹿しい話を鵜呑みにしなかった。
おばあちゃんが、へそもちを作った日に高確率で、雷が鳴っても、それはそういう季節だから、とクールに受け止めていた。
ある夏の日、おばあちゃんが、へそもちを作った。
おばあちゃんは、「今日は雷様が来るよ~」といつもの様に言うが、僕は老人の独語だと思い、受け流していた。
しかし、衝撃だったのは、台所に立つおばあちゃんが鼻をほじっている光景を目撃してしまったことだ。
多分、僕はこの頃から、食べ物に潔癖症になったのだと思う。
僕は鼻をほじった手で作った、へそもち、を食べる気になれず、手をつけず、<帰る>と言った。
すると、おばあちゃんは、「タッちゃんの好きな、へそもちなのにどうしたの?」と聞いた。
だけど、そこで何を答えられようか。
おばあちゃんは、お土産に、へそもちを包んでくれた。
僕は、へそもちを家に持ち込むと家全体が汚染されそうな気がして、帰路、民家の塀の向こうに投げ捨ててしまった。
やれやれ。やっとこれで晴れた気分で家に帰れる、ホッとしたのも束の間。
にわかに空が暗くなり、雷様がゴロゴロと泣き出しそうな雲行きだ。
慌てて僕は全速力でダッシュして、両手でへそを隠して、大急ぎで家まで走った。
BGM. 堀ちえみ「稲妻パラダイス」
背後霊
12/ⅩⅠ.(木)2015 はれ
僕が精神科医になった理由は、予告ブログの番外編にあげてあるので、時期も良いので、近いうちにアップします。
今回は、精神科領域でも、何故、僕が精神分析や精神療法に興味を持つようになったのか、のお話です。
大学生の頃、母が、東北から神様がやって来るという噂を聞きつけて、2人で見物に行ったことがある。
川崎の方の、何かの新興宗教の道場みたいなところだった。
僕らは熱心な信者に混じって、罰当たりみたいに、ゆるく座って、神様の登場を待っていた。
リーダーみたいな男は、神様が現れる時には強い風が吹くからこの無風の道場の松の葉が大きく揺れる、と説明した。
僕は試しに、神様が鎮座する予定の場所まで歩いて行くと、無風の道場の松の葉が大きく揺れた。
信者達は、どよめいた。リーダーみたいな男は焦っていた。母は、よくぞやった、と大喜びした。
きっと、「係りの者」がボタンでも押し間違えたのだろう。
しかし、僕ら親子は、神様が登場する前に別室に移動を命じられた。
そこに神様が待機していた。
神様は予想に反して、普通の田舎のおばさんだった。
神様は困った顔をして、「お願いだから、帰ってくれまいか?」と田舎弁でお願いした。
母はブツブツ文句を言っていたが、僕はこのおばさんが急に不憫に思えて、母を説得し帰ることにした。
<まぁ、俺たちの勝ちだから、いいじゃん>みたいに言って。
そうしたら神様は良い人(?)で、「あなたの後ろには3人の背後霊がいる」と教えてくれた。
「その3人はあなたと同年代で、あなたのことを羨ましがっていて、力を貸してくれるから安心して良い」と言った。
僕には思い当たる3人がいた。
僕は比較的、珍しいと思うのだが、10代後半に同級生3人を亡くしている。
その3人のことかな、と一瞬、納得した。
でも良く考えたら、そのうち2人は医者を目指していたが、親友という程の仲でもなかったし、力を貸すとは信じれなかった。
おばさんは、テキトーなことを言って、僕らを言い包めて信じ込ませる作戦なのかなと疑った。
そんなことはどっちでも良いのだけれど、今日の本題である。
3人のうちの1人は、確かに僕のことを今でも応援してくれていると信じられる。
彼こそ、僕に精神分析やフロイトのことを教えてくれた張本人で、中高の時の同級生だった。
彼は博識で見た目は中原中也に少し似ていた。
英語とドイツ語が堪能だった。
僕は彼に借りたフロイトの文庫本を<わかんない>と言って突き返したら、彼はこんな風に言うのだった。
「それはわからないのではなくて、つまらなかったんだね。フロイトは日本語訳より原文の方が面白いんだけどな」って。
そして彼は、「川原君は、絶対、精神科医になるべきだ」と言い、フロイトの本を彼流に噛み砕いて放課後に教えてくれた。
僕はそこで防衛機制とかを知って、それは面白いと興味を持った。
高校の3年は理系と文系で授業が分かれるから、彼とは疎遠になって行った。
卒業後、しばらくして彼は死んだ。11月だった。家族だけの密葬だった。
しばらくして、僕は彼の家族に呼ばれて、彼の家に招かれた。
家族はどうしても僕と会いたかったそうだ。
ちょっと難しい問題なのだが、彼は僕のことが好きだったらしく、彼はいわゆる同性愛者だったらしい。
簡単に言えば、ホモだった。
性の嗜好は人それぞれだ。人にとやかく言われる筋合いはない。人に迷惑をかけなければね。
東京スポーツの風俗欄をみると、色んな性癖に合わせた性産業があり驚かされる。
最近の流行は、ぺチャパイ、みたいだ。巨乳ブームの反動か?
しかし、同性愛の風俗はあまりみかけない。平成27年でもだ。
だから、彼が死んだのはまだ昭和50年代だったから、色々と思い悩んでいたのかもしれないな。
思い悩んでいなかったら、ゴメン。
彼が僕を好きなことは勘付いていたが、まさかそんな背景があるとは知らなかった。
もしも、彼がそんなに若くして死んでしまうと判っていたら、1度くらい寝てあげても良かったのになと、マジで思う。
だからもし、お前が背後霊で、これを読んでいたなら、ちゃんと俺の手助けをしなさい。
BGM. ザ・ルースターズ「恋をしようよ」
予告ブログ⑥~「爬虫類を飼うこと」
5/ⅩⅠ.(木)2015 亡き母の誕生日
この予告ブログをした頃だから、もう1年以上前のことだ。
爬虫類に詳しい、Kさん、から池袋のサンシャイン60で「大爬虫類展」をやると聞いた。
爬虫類の展示即売もするらしい。
それがうっかり家族にバレてしまった。
家族は口々に、
「行っても良いけれど、何も買ってきちゃダメよ」
「誰も世話する人が家にいないんだからね」
「飼っても、可哀想なのは、その爬虫類なんだからね」
「本当に好きならやめてあげて」
「むしろ、爬虫類展には、行かない方が良いんじゃないか」
「見たら絶対、欲しくなるものね」
「欲しくなったら、絶対、買ってきちゃうものね」
「やっぱり、爬虫類展には行かない方が良い!」
と寄ってたかって、多勢に無勢だ。
民主主義に乗っ取って、仕方なく、僕は爬虫類展に行くのをやめた。
代わりに、オオトカゲのフィギュアを買って、診察室に置いた。↓。

受付スタッフは朝に診察室のお掃除をしてくれるのだが、知っていても毎朝ドキリとする、と不評であった。
今回は特別に診察机の上に置いてお披露目。↓。

患者さんからも、「あれ、恐い。隠して」と言われ、それであちこちに移動しているうちに、首のあたりに亀裂が入り、
首の中から下のスポンジ生地がモコモコと出て来て、まるで、憐れなジラースの最後、みたいになってしまった。
ジラースとは、ウルトラマンに出てくる怪獣で、ビジュアルは同じ円谷プロのゴジラに襟巻をした怪獣だ。↓。

おそらく、ジラースはウルトラ怪獣史上、最弱の部類だ。
怪獣博士が、ジラースを作り湖の中で静かに暮らしていたのに、旅行者に発見され、ウルトラマンに怪獣という理由だけで、
何も悪いことをしていないのに退治された。
その時のウルトラマンの極悪非道ぶりは、筆舌に耐えがたく、ジラースをもてあそぶように、からかいながら、たとえば、
ジラースの襟巻を引きちぎり、その襟巻をマントのようにヒラヒラさせて、ジラースは頭から突進することしか出来ない。
ウルトラマンはそれを闘牛士気取りで、サッと身をかわして、おどけて、イジめるのである。
そしてお決まりのスペシゥム光線でやっつけて、ラストは口から血を吹いたジラースの断末魔の表情がクローズアップされ、
ブクブクと湖に沈んで行き、おしまい。
以前、ナースの塚田さんに見せたら、「これはひどい!ジラースが可哀想すぎる!」と怒っていた。
彼女は弱気を助け強気をくじく、正義感が強いからね。
憐れなジラースをマリア様の慈愛の光とともに。↓。

下が、ウルトラマンにやられた、ジラース、のような痛々しさのオオトカゲ。↓。

やはりフィギュアと言えど飼育は難しいのか。
僕は東京都が指定している半透明のビニール袋にお花を添えて、祈りを捧げて、オオトカゲのフィギュアを弔った。↓。

その昔、僕は子供の頃、カメレオン、や、グリーン・イグアナ、なども飼ったことがある。
しかし、当時はヒーターなどの装置もなく、エサもハエを叩いて、半殺しにして与えたりしていた。
これはなかなか難しく、技が必要で、爬虫類たちは動かないと食べないから、気絶だけさせて、全殺し、ではダメで。
その頃の僕は野生児のようで、学校帰りに、トカゲやカエルやイモリやヤマカガシを捕まえてきては、家の庭に放した。
僕の野望はうちの庭で爬虫類と両生類を繁殖させ彼らの楽園を作ることだった。
僕の家の街灯には夜になるとヤモリが群がるのを、理科の教師に自慢したら、「欲しい」と夜に家にやって来た。
<ご自由にどうぞ>、と僕が言うと、教師は「どうやって捕まえるの?」と尋ねた。
僕は、街灯を揺すって、ヤモリの目を回し、ふるい落とし、数匹のヤモリを教師に渡した。
すると、翌日から、学校の狭い廊下で理科教師とかち合うと、向こうが道を空け、「どうぞ」、と言った。
僕は、こんなことで人生の形勢とかが変わるものなんだと実感したものだった。
僕の家族は僕以外は皆、爬虫類(や両生類)が嫌いで、父は池で鯉を飼っていたが、「鯉が食べられてしまう」と怒った。
僕は、<アカハライモリがキンカブトを食べる訳ないじゃないか。バッカじゃなかろうか>とトニー谷みたいに言い放った。
滅多に僕を怒らない母も、目の前で大量のトカゲやカエルを庭に放つ僕の姿をみて、怒っていたな。
僕は、そんな両親をみて、<怒ったって何も変わらないのにな>、と思ったものでした。
その年の川原家の流行語大賞は、「母さん、怒ったって何も変わらないよ」でした。(うそです)。
家族は大変恐怖しましたが、しかし、母の声にびっくりしたのか、ヘビやトカゲはうちの庭からいなくなってしまって、
僕はとてもガッカリした。
あるいは、野鳥に食べられてしまったのかもしれない。女と鳥類は凶暴だな。
おじさんとおばさんの役割とは何か。
唐突だがそんなことを考えてみた。
それは、僕はこう思う。
親が禁止していて、子供が自分の経済力では買えない物をプレゼントする係りだ。
僕のおじさんの住んでいた溝の口の辺りに大きなペットショップがあり、そこにワニが売っていた。
僕は何かの記念日か何でもない日のお祝いに、おじさんにせがんでワニをゲットした。
ワニを池に放とうかとも思ったが、イモリで怒る父だ。ワニを泳がせたら卒倒してしまうかもしれない。
仕方ないから市営プールにワニを連れて行き、一緒に泳いだ。
すると、すぐに係りの者が飛んできて、厳重注意を受け、僕は出禁になった。
なので、僕はそれ以来、夏休みにプールに行くという選択肢が消えた。
だから僕がいまだに泳げないのは、市営プールの警備員のせいだ。
な~んて、そんなことを言ってはいけませんね。
なんでも、他人のせいにするのは、僕の悪い癖で、それは政治や文明や教育や世代のせいだと思う。
両親には僕とワニを厳重に管理する責任があった。
父は庭の隅に、小さなプールを作り、そこで僕らは近所の子供達も呼んで一緒に遊んだ。
子供達はすぐにワニに懐いていた。
ワニの餌は生きたドジョウや、肉を紐で縛り、動かして獲物のようにして食べさせた。
飼育は大変だったが、それなりに面白かった。
しかし、当時は知識も機械も乏しかったから、越冬するのが困難だった。
寒い冬が来ると水温を保てず、ワニは死んでしまった。
ワニが死んだ日のこと。
僕はワニを供養のために、食べる、と言って母を困らせた。
母は、ワニの料理をしたことがない、などと言い訳をして、父は寄生虫がいるからと説得した。
しかし、そんな理性的な理由は僕の衝動にブレーキを掛けるのには不十分だった。
結局、母は鶏のササミか何かを買ってきて、それをワニの形に切り抜いて、フライにした。
その日の晩ご飯のおかずは、「ワニのフライ」だった。
当時は公害の問題で、魚の値段が釣り上がっているという時事ネタを「サザエさん」の4コママンガでやっていて、
サザエとフネが「子供達が魚が好きだから困るわね」と言い、苦肉の策、鶏のササミを魚の形にしてフライにする、
という同じシーンがあった。
その4コマのオチは、カツオがワカメに「大人も苦労してるんだね」とこそりと言い、「協力しよう」と。
カツオが「あっ、魚の骨が刺さった」と口に指を突っ込み骨を取るマネをして、ワカメも「私も」と同じポーズをとり、
サザエとフネが青ざめるというものだった。
僕はそのマンガを見た直後だったから、仕方ない、黙って、「ワニのフライ」を食べた。
淡白で味も素っ気もなかった。
<ワニの肉は言われた通り、本当だ、うまくないね。もう、これからはいいや>
母は安堵の表情を浮かべ、そうして、我が家の食卓に「ワニのフライ」が登場することは、2度となかった。
この「予告ブログ」が、亡き母の誕生日に書けて良かったと思う。
BGM. エルトン・ジョン「クロコダイル・ロック」
僕は給食が食べれない
22/Ⅹ.(木)2015 はれ
小学校の頃、お弁当を見られるのが恥ずかしくて、パンと牛乳を買って持って行っていた。
お弁当って、その家の事情が、集約されている情報源だと感じていたから。
今、思えば、どうってことのないことを子供は気にするのだ。
子供に限らないか、大人でもそうかな。
そんなことより困ったことは、周りの皆が親切で、余計なお世話で、有り難迷惑なことだった。
彼らは自分の都合で勝手に文脈を読んだ。
概ね、こんな感じが最大公約数だったと思う。
「タッちゃん家は、忙しいから…」
と勝手に可哀想がられて、他のお母さん達が交代でお弁当を作って来て。迷惑でしょ?
僕には、その家の事情が透けて見えて、とても気分が良くなかった。
そんなことより不憫なのは、うちの両親で複雑な表情をしていたな。
弁当もそうなのだが、もっと苦手なのが給食だ。
僕は給食が食べれない。
それは今でも治ってなくて、僕は病院食も食べれない。
病院勤めの頃など、お昼は皆で仲良くこぞって病院食堂に行くのだが、僕は一回も行ったことがない。
同志や苦楽をともにした仲間の事を、同じ釜の飯を食う間柄、だと表現することがあるが、僕は同じ釜の飯が食えない。
それは比喩ではなく、文字通り、食えないのだ。
「小さな恋のメロディ」は僕の好きな映画で、クリニックのモニターでも流すことがあるが、唯一、嫌いな所がある。
主人公の男の子が、給食の時間に食堂に列を並んで、流れ作業で皿に食事を盛られるシーンだ。
僕は男の子に感情移入して映画を観てるから、絶対、この学校には入りたくないと思った。それは今でも思う。
頼んでも、入れてくれない年齢なのだが。
なんか家畜になったような気分になるのだ。
きっと前世の記憶か、未来が家畜人ヤプーになるのかもしれない逆行性の暗示かもしれない。
ま、どっちも違うだろうけれど。
人間ドッグでご飯が出されても、食べれない。
顎の骨を折って入院した時も、病院の流動食が嫌で、無断離院した。
あの時は、家族に迷惑をかけた。
そんな僕だが、外食は出来るのだ。マックでも、松屋でも、立ち食いそば、でも余裕。
何が違うのかと問われれば、そんなに違いはなさそうなのだが、とにかく給食系が駄目なのである。
だから、もし僕が将来、老いぼれて、自宅介護が不可能になって、老人ホームに入ったら、数日で栄養失調になるだろう。
年寄りだから、すぐ脱水とかになって、どっかの病院に搬送されるのだろう。
そこでも病院食は食べれないから、点滴とかで生かされるのかな。
そんなにしてまで生きていたくないな。
今、現在、身内や友人が似たような境遇におられる方がこれを読んでたら、とてもデリカシーのない文章だと思う。
気を悪くされるだろう。すみません。
でも、これはあくまで僕の死生観というか散り際の美学的な机上の空論なので、そこはどうかひとつ、ご勘弁を。
つまり僕が未来、人の力を借りなければ、食べられなくなったら、そんなにまでして生きていたくないのである。
医者は、何でも、生かせば良いと思ってるし。
だけど僕らが、生きてるうちに「安楽死」や「尊厳死」は認められないなだろうな。
国会で法案を審議してくれないかな。
安保や公認心理師も絶対大事な案件だとは思うけれど、「安楽死」も議論して欲しいな。
色々と、判定が難しいだろうけれど。
立川談志が、「このカプセルさえ飲めば、痛みもなく、スッと安らかに死ねる、という薬があったら、どんなに老人は安心することだろう」
と生前に言っていたし。
なんか話がややこしくなりそうだから、最後は談志に話を押し付けてみた。
BGM. さくら学院(クッキング部ミニパティ)「プリンセス☆アラモード」
君にメロロン
6/Ⅷ.(木)2015 はれ、暑い、36℃!
うちに出入りしていたちょっと変わったお姉さん。
その人の家によく遊びに行った。
南湖のあたりのスーパーの店先で、焼き鳥を買ってくれた。
ポップなフラワー・ムーブメントなシールもたくさんくれた。
僕はそれを家中の窓ガラスに貼ったら、母とお手伝いさん達が必死にはがしていたっけ。
その時、僕が思ったことは、<シールって貼るのは簡単だけど、はがすのは大変だな>、ってことだった。
そのうち母は、その人と遊んではいけない、と言った。
理由は、ふしだらな女、だからだとか。
そんなことを小学校低学年生に言っても判んないだろうに。
それに、仮にその人がふしだらでも、僕にとっては良い人だったから僕の評価は変えられないのに。
「ふしだら」、で思い出したのだが、「だらしない」とは本来は「しだらない」という言い方だったらしい。
いつの世も逆さま言葉は流行るらしく、「しだらない」が「だらしない」に取って代わったとか。
バイヤーな水着、みたいな感じですね。↓。

僕の小学校は女子高の付属で中高は女子校で、小学校だけ共学だった。
道を一本挟んだ敷地に中高の校舎があった。
そこの体育館倉庫のそばに、ミリンダの自販機があって、本当はいけないのだが、僕は休み時間に買いに行っていた。
バレるとヤバイから、体育館倉庫の中で、ミリンダ、を飲んで小学校校舎に戻る、ということをこっそりしていた。
誰かと行くと、そいつが足手まといになるのが嫌だから、一人で行っていた。
すると、その体育館倉庫の中には、隠れてタバコを吸っている女子高生がいた。
僕らは弱味を握り合い、ここはお互いのために秘密にしようと、共犯関係になった。
僕らはほぼ毎日、体育館倉庫で落ち合った。
彼女は何かの運動部に所属していて、その顧問の教師と内緒で付き合っているのだと打ち明けた。
でも、それはリンリ的にイケナイことらしかった。
僕はえらそうにミリンダを飲みながら、<ふ~ん、リンリ的ねぇ~>などと応えていた。
彼女はあまり頭の良い生徒ではなかったようで、僕と彼女の年の差を、簡単な引き算なのに、指を折って数えていた。
その数字が自分と教師の年の差より小さな数だったらしく、「よし!」と僕に乗り換えることにすると宣言した。
そして僕は、<将来、この人と結婚するのかなぁ>とボンヤリと思った。
それから数日後、彼女は体育館倉庫にパタリと姿を見せなくなった。
おかしいな、と思って、放課後、正門でまちぶせしていたら、彼女がやって来た。
明るい陽の下で逢うのは、初めてだった。
僕は<最近、どうしたの?>と聞くと、彼女は「あんたのお父さん、PTA会長なんだって?」、<そうだけど>。
「立場が違うよ!」と彼女は目を合わさずに、そう言った。
僕はそんなこと関係ないじゃん、と言いながらも、<この人は障害付きの恋に恋する人なんだ>とも思った。
だけど、風の噂で、彼女は卒業してから、その教師と結婚したと聞いて、<そいつは良かった>と思ったものだ。
うちの実家は眼科の開業医でたくさんの従業員がいて、僕は末っ子なので、大人たちから可愛がられていた。
僕とよくキャッチボールをしていた男の人は野球とギターが上手な、ギッチョの好青年だった。
僕が淡い恋心を寄せていた女性とその人が付き合っていると知った時には、お似合いだと思って、祝福した。
だけど、彼女の国籍か家柄がネックで、結婚は出来ないという話を聞いた時にはショックだった。
僕はもうハイティーンだったので、ある程度の事情も理解できるつもりだった。
僕は彼女と茅ヶ崎の海岸を海水浴場から辻堂の方向に話しながら遊泳禁止区域まで歩いて来た。
江ノ島が僕らに近寄って来る。
僕は僕なりに良いアドバイスをしたつもりだったが、彼女は「タッちゃんは、まだ子供だから判らないのよ」と馬鹿にした。
すると、急に雨が降り出して、まるで彼女の涙雨みたいで、僕らは濡れネズミみたいになったから、大慌て。
海辺から近くのパシフィックホテルに駆け込んだ。
家に帰ったら、父がパシフィックのことを、「昔は一流ホテルだったが、今は連れ込みホテルになった」と嘆いていて、
少し焦った。
後にサザンが「夏をあきらめて」で同じような光景を歌っていたから、僕は桑田にこのこと喋ったっけ?と頭をひねったものだ。
茅ヶ崎の海には、潮から町を守るように松林が立っていた。
そこのある区域に、ホモの浮浪者がいて、僕が通りかかると、「坊ちゃん、こっちへおいで」と自分の物を露出させて不気味に笑った。
僕はムシャクシャしていたから、騙された振りをして、松林の中に入って、油断した男の顔面に膝蹴りして逃げた。
そうしたら、その晩、複数のホモの浮浪者に追いかけられて蹂躙される夢にうなされた。
どっからどこまでが夢なのか、判らない。
僕が東中野に住んでる頃。
高校の先輩とたまたまご近所で出くわしたら、友好的で、「これから家に遊びにおいでよ」と豪華なマンションに招待された。
地下の駐車場にはジャガーというアメ車があって、先輩はそれを乗り回してると言った。
良いのか?高校生がジャガーに乗ってて。「巨人の星」の花形満じゃあるまいし。
「僕はこれから家庭教師と勉強だから、彼女が来るから相手してて」と言い残して部屋に消えて行った。
僕はだだっ広いリビングのソファに一人でいると、その彼女という人が入って来た。
大理石のように冷たい表情の美人で、僕は軽く挨拶をした。
彼女は、「隣に来ない?」と誘ったり、「吸う?」と吸いかけの薄紅いタバコを手渡そうとしたりした。
<いえ、煙が目にしみるから>と僕はプラターズのヒット曲のように断った。
が、何だ、これは?誘惑してるのか?
そもそも、あの先輩は何のつもりだ?家庭教師なんか来ないじゃないか。
そうか、きっと俺たちのやりとりを部屋からこっそり見てて、こっちが女に手を出したら、
「俺のスケに何してんだ?」って美人局みたいに出てくるつもりか?
それとも、倦怠期のカップルが刺激を求めて、チェリー・ボーイを交えて倒錯的な趣味に走るつもりか。3Pとか。
<ん~、弱ったものだ>と頭をフル回転させてると、先輩が部屋から出て来て、驚いたことに後ろに家庭教師がいた。
<あれ?本当に勉強してたの??家庭教師、いつ部屋に入ったの?あっ、先にいたの?じゃ、3Pは?なし?>
よく聞いたら、ジャガーも父親が運転するのに同乗してるだけなんだって。普通じゃん。馬鹿みたい。
高3の塾の夏期講習は泊まり込み。そこの女子たちに誘われて夜中に女子寮に忍び込んだ。
僕はその中の一番勝ち気な子と仲良しで彼女の布団に潜り込んで話をしていた。
「初恋の相手はどんな人?」の質問に、<石野真子かな>、と答えたら、「それは恋じゃないでしょ?」と怒られた。
うわ、面倒くさいパターンの奴だ。
その女子はカリメロに似ていたが、石野真子の悪口を言うたびに、表情は邪悪に変化して、最終的にスターウォーズのヨーダに見えた。
そして、他の間抜けが寮長に見つかった後は一網打尽。
僕らはそれぞれ、呼び出されて怒られた。
しかし、彼女は勝ち気で、怒られてる時に僕の片腕を閂の要領でギュっと自分の方に引き寄せて、講師たちを睨みつけた。
「私達は付き合っているんだから、誰にも邪魔はさせない!」と啖呵を切った。
彼女の胸が腕に当たる。<あぁ、僕は将来この子と結婚するのかな>と思った。顔はヨーダだけど。
後で寮長に僕だけ呼び出され、「あの子はやめろ」と説得された。
受験で恋愛すると、女は受かるが、男は落ちる、とも言われた。
頭ごなしに否定されると、恋の炎は逆に燃え上がる。西城秀樹じゃないけれど、やめろと言われても今では遅すぎた。
亀の甲より年の功、大人の意見もたまには合っていることがあるから注意が必要だ、という意味だったと思う。違ったらゴメン。
その子は受験直前に、頭の良い浪人生の男子と付き合うことにした、と僕に一方的に通告した。
それならそれでこっちは良いのだけれど、何が情けないって、「あれはないよな」と不細工な男どもに同情される現実だった。
そっちの方がきついよ。
で、寮長の予言通り、僕だけ大学に落ちるのである。
そして、僕は予備校を代ゼミに変えて浪人生活をした。
その時の様子は、受付カウンターのところに貼ってある「浪人の頃」に書かれています。
これは左側の上から下に読んで行くのが順番です。
「川原」の「川」の字の書き順と同じ要領で読む、と覚えると良いでしょう。↓。

浪人の夏休み。高校の同級生のお姉ちゃんが美人だと言う噂を悪友から耳にした。
冗談で、<ネェちゃんのパンティ盗んで来い>と命令したら実物を連れて来た。
それは、ものすごく美人だった。アイシャドーがブルーでエンジェルフィッシュみたいだった。
まぁ、浪人生が女子大生を見たら、誰でも、そう見えたのかもしれないけれど。
<お姉様ですか?始めまして>と挨拶すると「弟から伺っていますわ」、<はて?何を?>、「パンティー」。
そして、彼氏も連れて来ていた。
その彼氏とやらは、衣紋掛けみたいな男だった。
僕らは、ボーリング場に行くことになり、そこで僕は、ボーリング対決、を申し込んだ。
スコアの良い方が彼氏になれる、と。
姉はその話に乗った。衣紋掛けは、ぶつくさ文句を言っていたが、僕はまるでシカトした。
そして、僕は川原史上最高点、自己ベスト216を叩き出した。衣紋掛けは、90くらいだった。
だけど、それから先は、何もなかった。
冷静に考えれば、球転がしで男を決める女もどうかと思うし、二年連続、女で受験に失敗したら馬鹿みたいだし。
だからこの話しはここまでで、オチはない。受験生だけに。
大学に入り誰かの知り合いの女子高生と富士急ハイランドに4:4でピクニックに行った。
富士急には迷路があって、あみだで決めたカップルでペアになって入った。
僕らのカップルだけなかなか出れずかなり皆を待たせた。
僕はもうこのまま迷路から抜け出せなかったら、<僕はこの子と将来結婚する羽目になるのかな>と思って焦ったがなんとか脱出出来た。
僕らが最後に出て行くと、それぞれのカップルは良い感じになっていて、「ヒューヒュー」と僕らを冷やかした。
それ以来、富士急はトラウマ。
別のお嬢さん学校の女の子とも誰かのつてで仲良くなった。
何か勝手にカップルが決められていて、バレンタインに品川のアンナミラーズで待ち合わせ。
でも、僕はあんまり気乗りがしなかった。
それは、その子が僕との関係のことを、女たらしの男、に相談していたからだと聞いて。
こんな心理ゲームを知っています?
遠くに住んでいる「M君」を好きな「Lさん」は、「M君」に逢いたいばかりに「S君」に相談を持ち掛けました。
「S君」は1回、やらせてくれたら、「M君」の所まで連れて行ってやる、と約束しました。
「M君」に逢いたい一心の「Lさん」は「S君」に1回だけさせてやり、「M君」に逢いに行きました。
その事を打ち明けられた「M君」は「Lさん」のことを軽蔑して振ってしまいます。
さて、あなたが悪いと思う人を順番にあげなさい。
これは、恋愛の価値観を見る、心理ゲームですね。
もうお判りだと思いますが、「M君」はモラル、「Lさん」は愛情、「S君」はセックスです。
大学に入って初めて行った合コンは人数合わせで、当日に誘われた。
僕は合コンの作法を知らず、ガンガン呑んで、途中から記憶がない。
翌朝、起きたら、左腕に見慣れぬゴールドのブレスレット。
昨日の女の誰かのに違いない。
そうしたら、その晩、女から電話があって、ブレスレットを取りに、僕の家まで来ると言う。
それは嫌だから、なんとか中央線のどっかの駅のサテンで待ち合わせすることにした。
女は別に怒っていなかったが、「合コンでああいう呑み方は駄目だ」とか「女の子の扱い方」をレクチャーし出した。
途中から面倒くさくなったので、話は聞かないで、表情筋の動きだけを観察していた。感想は、<よく動くなぁ>。
すると、女は僕が素直に話を聞いてると勘違いして、調子に乗って喋り続ける。
僕はさらに目をこらし、皮膚の下の骨を透視して、そうしたら骸骨がガクガク動いてるように見えて、面白くなって来た。
そんな漫画が蛭子さんの作品にあったことを思い出して、余計におかしくなって、笑いをこらえるのに必死で、お尻をつねったりした。
そんな僕の我慢が、真剣さと勘違いされて、好意を持たれてしまった。
彼女は決して悪い人ではないが、僕の好みの外見ではなかった。
ピンク・フラミンゴのデバインみたいな容姿だった。
何故か、僕とデバインとその妹の3人でボーリングに行くことになった。
昔は中野の丸井の上にボーリング場があった。
妹は、お姉ちゃんには似てなくて、ションベンライダーの河合美智子にちょっと似ていた。
僕らは仲良くなった。
当時、僕は東中野にほぼ1人暮らしだったから、家は乱雑だった。
その子は家に来て掃除をしてくれたりしたから助かった。
「化物語」の阿良々木暦が神原駿河の部屋を片付けるの逆パターン。
お礼にデートも何回かした。
当時は千葉に東京ディズニーランドがオープンした頃だったが、僕は<ああいうのは愚民が行くものだ>、と思っていたから、
東京タワーの蝋人形館とか目黒の寄生虫館をチョイスしたけれど、彼女は普通の女の子だったから、
もうちょっとロマンティックな物を望んでいたのかもしれないな。
その後、彼女と何があったか忘れたが、どこかから一切、連絡をとらなくなった。ケンカとかしてないと思うけど。
でも、きっと原因があるとしたら、僕が悪かったんだろうな。
イジメと同じで、された方はいつまでも覚えていて、した方は忘れちゃってんだろうな。
皆さんも、人の振り見て我が振り直せ、です。気をつけて下さいね。
医学部の同期だったマリちゃんに、僕は猛アプローチをしたが、周囲からは「嫌われようとしてるとしか思えない」と言われた。
僕の出した暑中見舞いをマリちゃんのお母さんが見たらしく、マリちゃんに「お母さんが気持ち悪がっていたよ」と言われた。
頭に来たから、こけし、の形をした封筒で手紙を送った。案の定、マリちゃんより先にお母さんがそれを開いた。
中の便箋には、<お母さん、見てる?>。とだけ書いておいた。
マリちゃんに、「お母さん、恐がっていたよ」と言われた。
そんなマリちゃんと僕は今じゃメル友です。
こないだ何かの話の流れで、<マリちゃんは皆の心のマドンナだよ>と書いたら、
「いまだにそんなことを言ってくれるのは川原君くらいよ」と返事を貰った。
僕は、<あっ、ところで、このメール、旦那さん見てないよね?>と尋ねたら、「見てないよ。なんで?」って聞かれた。
そうかぁ、何も覚えてないんだぁ。
他の同級生の女子には、葉山のユーミンのライブに誘われた。
彼女の車で僕が助手席で。
学校で話したことはあるけど、2人きりは緊張するもので。
当時のユーミンのライブの盛り上がりは爆発的で、大盛況だったが、帰りの車中は沈黙気味。
僕はこのまま彼女が、海岸沿いのモーテルに車を突っ込んだら、断るのが大変だな、と勝手な妄想ばかりしていた。
しかし、彼女は紳士的で、海沿いのリッチなレストランみたいなカフェに寄ることにした。
その店は、当時は有名なお洒落な店で、気取った客ばかりがいて、息苦しかった。
とりたてて彼女と盛り上がる話題もなく、店も緊張するし、第一、僕はユーミンのこと詳しくないからまるで話しにならなかった。
それでも、彼女とは今でも、年に1回くらいはメールする間柄だ。
フィリピンパブのことは以前の記事「マイラ」に書いたから参照されたし。
ここでは、そこで勤めてた日本人の女の子について。
店がはねてから、「自分の家で呑み直そう!」と誘われた。
断る理由もないから付いて行った。
すると、家に着くなり、彼女は「ちょっと待っててね」と言って、神棚を開いて、お経をあげ出した。
それは簡素なものだった。
それから彼女は、店からくすねて来たというウイスキーのボトルをバッグから出して、「呑もう!」と言った。
僕は、<あなたの信じてる神様は、こういうことして怒らないの?>って聞いたら、黙り込んじゃった。
次の日曜日、彼女は僕のアパートに来て、部屋を掃除してくれた。
お礼に近くで、ビールでもおごるよ、と蕎麦屋まで歩く道すがら、彼女は「日曜の昼間に歩けるなんて嬉しい」と言った。
僕はなんとなく<僕は、この人と結婚するのだろうか>、と思った。
しかし、マイラの禁止令が出て、僕は店に行かなくなったし、彼女からも何のアクションもなかったから関係は途絶えた。
何年か経って、気になって、その店のあたりに行ってみたが、それっぽい店はいまだにあったが、店名も変わっているし、
もうさすがにその子はいまいと思って、店には入らずに帰って来た。ただそれだけのこと。
僕の国試の勉強はアパートの近くのカフェテリアで開店から閉店まで。
僕は朝からモーニング、昼はランチ、夜はハンバーグドリアを食べて勉強した。地元の奥様が通うような店。
お店は3人の女性がいて、毎日、勉強に通う僕を暖かく迎えてくれた。
僕は背中越しに、3人が見守ってくれてる気がして、1日中勉強を頑張れた。
クリニックのカウンターテーブルはそのイメージで作った。勉強しに来る子を受付が見守ってあげるイメージにした。
この店も気になっていて、何年か前に行ってみたら、もう区画整理にあって、その店の入っていたビル毎、消滅していた。
クリニックに飾るポスターのラミネートをしてくれる文房具屋の女の子は、最近、急に綺麗になった、と思っていた。
そうしたら、先日、向こうから、「お酒は呑めますか?」と聞かれ、呑みに誘われた。
その事を受付に話したら、「それは逆ナンですよ!まさか、行く気ですか?」とちょっとしたバッシング。
彼女は僕がポールのコンサートに行った時のユニオン・ジャックのネイルに感激していて、
「男の人のネイルって素敵ですよね。なのに全然浸透してなくって」と嘆いていた。
文房具屋の上司が言うことには、彼女は来週でお店をやめてしまうのだそうだ。
これからは、ネイリストを目指すそうで、それでずっと僕のネイルが気になってたらしいのだ。
なるほどね。それで僕を誘ったのか。ネイルをする男に興味があったのね。そういう事か。
植木等の「スーダラ節」ではないけれど、俺がそんなにモテるわきゃないよ、だ。
でも、なんか清々しいオチだ。あまりに清々しいから、今度一緒に飲みに行く約束をした。
男の上司も一緒に、つまり三人で。
なんで文房具屋の女の子の送別会に僕が参加するのかという疑問も残るが。
ま、細かいことは気にしない。人生、成り行きだ。
BGM. トワ・エ・モア「初恋の人に似ている」
男達のホワイト・デー
今回は、以前のブログ記事「タグ」の中で予告した「ゆたかさん」と中西先生の友情を軸にした特別企画です。
「男は強くなければ生きて行けない、優しくなければ生きて行く資格がない」
知らない皆さんも多いかと思うので説明すると、これは「野生の証明」という映画のキャッチコピーでした。
「野生の証明」は、「人間の証明」に次ぐ角川映画の第2弾で、薬師丸ひろ子のデビュー作です。主演は、高倉健。
ちょっと男っぽい、導入をして、2人にゴマをすってみました。
先日、「ゆたかさん」から電話をもらった。
「ゆたかさん」は僕の大学の先輩で、それは恐ろしい先輩だった。
出来れば、あまり関わりを持ちたくないような怖い人だった。
昔の上級生には、本当に恐ろしく怖い人がいたものだ。
それに比べて、中西先生の優しかったこと。
その二人が同期で仲良しだと言うから、人生は味わい深い。
僕の入学した大学には、学生会館というロッカーや食堂やロビーのある棟があった。
そこの1階にはジュースの販売機や喫煙スペースがあり、ベンチがあって学生の休憩場所だった。
学生の休憩場所だから、自由に使って良い物と思い、入学したての僕は派手な格好でデカイ態度でくつろいでいた。
その頃の学生会館を牛耳っていたのが、「ゆたかさん」だった。
僕は何人かの人に、「ゆたかさん」に目を付けられない様に注意しろ、と忠告を受けていた。
しかし、僕はまさか大学生にもなって、そんな原始的な上下関係が通用するものか、と相手にしなかった。
「ゆたかさん」はしばらく僕を泳がせて様子を見ていたらしい。
そして、僕の一挙手一投足を観察しては、周りのものにリサーチしていた。
僕のクラブの先輩は、普段は喋ったこともない怖い先輩に呼び出され、僕の事で尋問されたらしい。
「あいつは、なんで、南軍の帽子をかぶって、学校に来てるんだ?」
「あいつは、なんで、フェース・ロックにチキン・ウイングを合体させた技を使うんだ?」
僕の先輩達は可愛そうに、僕の服装やプロレス技のことで、問い詰められ、答えられないと鉄拳制裁だ。
そして、先輩達は、「川原、なんで、その帽子なの?それより目立つ格好、やめて」とか、
「川原、なんで、チキンなんとかって技を選んでるの?それより、学生会館でプロレス技、かけないで」って懇願した。
僕は当時、アメ横の中田商店というアーミーな店で軍隊の服を買って来ては好んで着ていた。
また当時は、UWFがブームで、ス-パー・タイガー(佐山サトル)がチキン・ウイング・フェースロックを流行らせた。
「ゆたかさん」は古くからのプロレス通だとは聞いていた。
だから、僕は学生会館で「卍固め」や「足4の字」をかけてる分には、見過ごしてくれたのだろう。
しかし、当時のUWFは、既存のプロレスを否定し、派手な技より地味にギブアップを奪える技が決め技だった。
その代表が、チキン・ウイング・フェースロックだった。
これは背後から相手の片腕を手羽先の様に「く」の字にとって、逆の手で相手の顔を横に引っ張り、自分の両手を
ロックさせる。これは両手の人差し指1本をフックするだけで、極まった。
多分、この辺が、「ゆたかさん」の臨界点だったようで。
僕は、「ゆたかさん」に呼び出しをくらった。
覚悟はしてたが、ついに来たか、という感じだった。
僕は大勢の取り巻きを引き連れた「ゆたかさん」に学生会館の屋上か何かに連れ出され、ボコられるのかと覚悟した。
殴られたら、すぐ女子の所に行き、同情票を引いて、女子を扇情して心理的に逆襲に出ようと作戦を練っていた。
しかし、「ゆたかさん」は1年生相手にそんな野蛮な手段はとらなかった。
取り巻きはなし。1人で来て、「メシをおごってやる。付いて来い」と言った。
そして、僕らは、学生食堂ではなく、ちょっと高級な病院のレストランに行った。
「ゆたかさん」は、「川原って言ったな?何でも好きな物を頼め。遠慮はするな」と微笑んで言った。
僕のシュミレーションとは違った展開なので、少し拍子抜けした。
そんな人を相手に、この場面で遠慮をするのは、かえって危険だ。
先輩の顔を潰すことになると空気を読み、そのレストランで1番高いメニューの「焼肉定食」を注文した。
しかし、これにはきっと罠があることくらいの想定はしていたから、僕は苦手の「きゅうり」対策として、、
ウエイトレスにこっそり、<きゅうり、は抜いてね。サラダからも、漬物からもね>とお願いしておいた。
「おごってやったんだから、残すな」とか言いそうだし。
僕が、「きゅうり」を嫌いなことをリサーチしてる可能性だって、ゼロではないからね。
そして、僕らは他愛のない話をしていると、「焼肉定食」がテーブルに届いた。
ちなみに「ゆたかさん」はコーヒーしか頼んでいない。
<「ゆたかさん」は食べないんですか?>と尋ねると、「俺はいいから。お前、食え」。
<そうですか、じゃ、遠慮なく>、「ちょっと待て」。
「ゆたかさん」は、「ただし、箸を使って食うな」と言った。
は~、なるほど。
そういうこと言うんだ。
だったら、サンドイッチとかにしときゃ良かったよ。
「焼肉定食」は、焼肉が盛り付けられた皿と、白飯、サラダ、汁物にデザートだ。
箸を使って食うな、って犬食い、するしかないな。
それでこういうちょっと高級なレストランに連れて来た訳か。
恥をかかせて、上下関係を叩き込もうという作戦か。なかなか、頭脳犯だな。
そうなったら、トンチ合戦だ。トンチと言えば、一休さん、だ。
一休さんが「この橋を渡るべからず」の看板を、堂々と橋の真ん中を渡り、「端ではなく真ん中を渡りました」
と言ったトンチを応用して、僕は箸を持ち、焼肉の皿の真ん中の肉を食べた。
ゲンコツが飛んできた。
イテっ。
「箸で食うな、と言っただろう」との怒声。
僕は頭をさすりながら、<だから、端じゃなく真ん中で食べました>と答えた。
「ゆたかさん」はしばらくポカンとして、トンチに気付いたら、「お前、面白いな」とニヤリと笑った。
そして、急に良い人になって、「ゆっくり食え。俺は行くから。何か困ったら、俺に言え。力になるぞ」って。
僕は「ゆたかさん」が去った後、ゆっくりと焼肉定食を堪能した。
さすが病院のレストランで1番高いメニューだ。うまかった。ご飯、オカワリした。
翌日から、学生会館に行くと、風景は様変わりした。
「ゆたかさん」は僕の姿を見かけると、「お~!川原!元気か?」と声を掛けてくれ、僕も南軍の帽子をとって挨拶した。
それを見かけたクラブの先輩は、「なんで、「ゆたかさん」が川原に挨拶するの?」と慌てていた。
僕が、<仲良くなったから>と答えると先輩は頭を抱えていた。
史上最強の先輩と史上最悪の後輩がタッグを組んだから。
それからと言う物、僕は「ゆたかさん」が用心棒をしてくれることを良い事に益々、増長して行く訳である。
僕らの大学には、2つの野球部があった。
「硬式野球」と「準硬式野球」。準硬(ジュンコー)は、B球という芯が硬式と同じで周りが軟式のようなゴムボールを使う。
医学部の野球部は、ジュンコーの方が一般的で、クラブ数も多かった。
うちの大学では、ガチで野球をやりたい猛者が硬式に入り、おっかない人や柄の悪い奴が多かった。
一方、ジュンコーは、芸能人野球大会みたいな華やかなプレーをしたい人が集い、カッコいい滑り込みの練習とかをしてた。
僕は、ジュンコーに所属して、背面キャッチや天秤打法などの練習をしていた。
ちなみに、「ゆたかさん」と中西先生は、硬式野球部のチームメイトだった。
そして、冒頭の「ゆたかさん」の電話につながるのだ。
今度、「ゆたかさん」の代の硬式野球部の面子で、3月14日に、豚しゃぶを食べにいくらしい。
で、その時に、中西先生の写真が欲しいのだが、誰も持ってないから、「川原に頼むしかない」とのお願いだった。
3月14日と言えば、世間は、ホワイト・デーだ。
しかし、硬派の男達には関係のないイベントだ。
男ばかりで豚しゃぶを食うらしい。
豚を食うところが、また男っぽい。
そして、そんな同期の会に中西先生も参加させたいという男気だ。
中西先生はもう死んでいて、死人に口なしだけど、同期だから一緒に豚しゃぶを食べたいと云う優しさに心を動かされた。
まさに、「男は強くなければ生きて行けない、優しくなければ生きて行く資格がない」を地で行っている男達のホワイト・デー。
<判りました。任せて下さい。何とかします>と僕は大見得を切った。
そして、中西先生が開業する直前まで、同じ病院に勤務していたF.に電話した。
すると、F.は「俺は、写真を持たない主義だ。だったら、サスガに頼むと良い」と教えてくれた。
サンキュー。
だけど、F.って写真を持たない主義だったのか?初耳だ。
あいつは昔から、今さっき決めたことでも、「俺の主義だ」とカッコつける癖があるからな。
きっと最近、浮気の現場写真でも見つかって懲りたんだろう。
そして、僕はサスガに電話して、これこれこう言う訳で、中西先生の写真が欲しいのだが、と聞いてみた。
すると、サスガはあっさりと、「有りますよ」と言った。
「中西先生のお別れの会で、僕らでスライド・ショーを作って、評判が良かったんですよ。
硬式野球部の方も一部、見えていて、感動して泣いてましたよ。
あれ?川原先生は中西先生のお別れの会に来ませんでしたか?」
と批判的な口調で言った。
<いや、行くつもりだったのだが、その日はきゃりーぱみゅぱみゅのコンサートとかぶってさ。
靴を投げて中西先生の会に行く予定だったんだけど、直前にきゃりーちゃんのスキャンダルが発覚してさ。
きゃりーちゃん、落ち込んでるかと思って応援に行かなきゃと思い直してさ。
それに、お別れの会って言ったって、中西先生がそこにいる訳じゃないし。俺が行かなくても会には関係ないだろうしさ>
って言い訳をした。
サスガは、仕方ないなと言う感じで、「判りました。先生のクリニックに送ればいいですね」と言い、ミッション終了!
中西先生と僕とサスガは不思議な縁で、高校と大学と医局が同じで、先輩後輩の仲なのです。
順番は、中西>川原>サスガです。
精神科は他大学との交流のため、毎年、野球のリーグ戦があった。
僕らの医局は、中西・川原・サスガの3人が主力メンバーだった。
そうそう、サスガもジュンコーです。だから、あいつは、高校も大学も部活も医局も僕の後輩になります。
ある年の野球大会。僕は派遣病院に出向していて、そこのMSさん(秘書みたいな人。ケースワーカーの卵。若い女子)
が野球観戦の応援に行きたいと言うから、3人くらいを僕の私設応援団員として帯同した。
そうしたら、若い女の子の前ですから、ちょっと良い所を見せたいと思うじゃないですか?判るでしょ?だんな。
僕は、サスガに、<おい、ピッチャーを変われ>と途中からマウンドに立って。
しかし、僕の下心はナインにみえみえで、「大丈夫なのか?」と心配の声があがって。
僕は、<大舟に乗ったつもりで。こう見えても、中学の頃は「小さな巨人」と呼ばれてたくらいだから>って、
ドカベンの里中を持ち出して。
実際、僕は中学の頃、草野球で、「小さな巨人」と呼ばれていた。
ま、正確には、友人に<そう呼べ!>と脅迫していたからで、皆は不要な争い事を避けたいから、自分の損失にならない
範囲では俺の言う通りにしていた。
他にも、「キャプテン」と呼ばせていた事がある。
これは、キャプテン・ハーロックとリリーズの「好きよキャプテン」をかけていた。
教師には、「川原、お前は一体、何のキャプテンなんだ?」とよく聞かれて、説明するのが面倒くさかった。
<何かに限定された範囲のものではなく、将来、トップに立つ資質のようなものを中学生の嗅覚が嗅ぎ分けるのでは?>
などと適当な事をフカしておいた。
話が脱線したが、僕はリリーフとしてマウンドに立った。
僕はドカベンの里中のように華麗なアンダースローから幾つかの変化球を投げ分けた。
しかし、練習は裏切らない、というか、ボールは正直だ。
1球として、ストライク・ゾーンに入らない。3者連続フォアボールで、あっと言う間に無死満塁。
風雲急を告げ、大ピンチだ。
400戦無敗で知られるヒクソン・グレーシーが最強の男であった1番の理由は、負けそうな相手とは戦わない、
というのがあって、前田や桜庭の挑戦からは逃げていた。
でも、これは案外、生きる知恵だ。
戦場で生き残るのは、必ずしも勇敢な兵士ではない、と言うのと同じだ。
僕は、ピンチに強い男と自認しているから、負けそうなピンチはヒクソン方式で分母から消そう。
そうすれば、勝率は下がらない。
これは良いアイデアだ。
そこで僕は、マウンドにサスガを呼び、<おい、ピッチャーを変われ>とリリーフを押し付けると、
「嫌ですよ、僕は!自分で蒔いた種なんですから、自分で責任をとって下さい。次から、クリーンナップですからね」
と言い放って、自分の守備位置に戻って行ってしまった。
あいつは、高校も大学もジュンコーも医局も俺の後輩のくせに、少しも俺を尊敬してないな。
平気でこういう冷たい態度をとる。
普通、男の上下関係って、上が「黒」って言ったら、「白」でも「黒」だろ。
なんて僕がブツブツ文句を言ってると、マウンドに駆け寄ってきて優しい言葉をかけてくれたのが、その時のキャッチャーで、
女房役とは良く言ったもので、キャッチャーマスクをとって、
「川原、切り替えて行こう!
野球では、ピンチはチャンスだ。
川原の得意のフォームは、スリークォータだったよな。あの投球を俺に見せてくれないか?」
と優しくなだめる人物こそが、そうです!中西先生だったのです。
そうして僕はマンガの真似をやめて、中西先生のおだてに乗って、このピンチを最小失点で切り抜けた。
それで、試合は次の回に中西先生が逆転タイムリーを打って、残りのイニングをサスガがピシャリと抑えて、我々の勝利。
試合後の打ち上げで、<今日のMVPは誰か?>、と僕が言い出して、
「逆転打を打った中西先生では」とか「ピッチャーとして、先発とリリーフの両方の役割をしたサスガでは」と意見が分かれた。
しかし、もっとも大勢を占めたのは「野球はチームプレー。皆で勝ち得た勝利だから、皆がMVP」というぬるま湯のような意見だった。
僕はそこでも譲らず、新日世代闘争の時の前田が空気を読まず「誰が一番強いか決めればいい」と言ったフレーズがいつも頭の隅にあったから、
<誰がMVPかをはっきり決めるべきだ>と主張して、座はシラケた。
その時、中西先生がこう言った。
「今日のMVPは川原だよ。こんなに試合を盛り上げてチームに一体感を抱かせたんがから」と。
その意見にその場にいる皆が救われて、「MVPは川原」、ということになった。
僕はその時、中西先生って何て優しくて、正しい意見の持ち主なんだろう、と感心した。
僕はおそらく、そんな風な発言もした。
すると中西先生は、わざとらしく頭をかいて、照れるポーズをして、それを見て皆が笑って。僕も笑った。
そんな事を思い出しながら、僕はサスガから送られて来た中西先生の写真を「ゆたかさん」に送った。
電話口で「ゆたかさん」は、何度も何度も礼を言った。
<いや~、僕はただサスガに送ってもらったのを渡しただけだし>って。
それでも、「ゆたかさん」は繰り返し繰り返し、礼を言った。
「ホント、川原サンキューな。今度、メシ、おごるから。ホントに!」って。
<良いって、良いって。もう律儀なんだから、「ゆたかさん」ったら>
でも、あんまり断るのも失礼かな。
この場合、模範的な後輩の態度としては、おごられるべきなのかな?
目上の人の顔を立てて。
だったら、しょうがない、ゴチになるかぁ。
何にしようかな?
寿司が良いかな。
座っただけで、何万円みたいな店で。
よし、寿司にしよう。
寿司なら、箸がなくても食べれるからね。
豚しゃぶ、なんかに連れて行かれたら、大変だ。
やけど、しちゃうよ。
BGM. かまやつひろし「我が良き友よ」
スポ根!
14/Ⅳ.(火)2015 小雨
今日こそは、「男達のホワイト・デー」を書こうと思っていたのですが、後輩のヤスオが参ってるみたいで。
急遽、予定を変更して、ヤスオを励ます記事にします。
義を見てせざるは勇無きなり、だ。
ヤスオの場合はもらい事故に近い気もするが、よく事情も知らないのに、勝手なことを書いて迷惑かけちゃいけないし。
今は我慢だよね。
ヤスオと僕の接点は野球だから、今日、<人生は野球と同じで、ピンチがチャンスだ!>とハガキに書いて投函した。
と言う訳で、今日のお題は、野球つながりで、スポ根にしてみました。
僕の子供の頃のヒーロー・マンガはこぞって、スポ根もので、だから僕のメンタリティーもこう見えてスポ根で出来ている。
カワクリのそこかしこに、スポ根が隠し味であります。
下が、テレビ側の待合室の「巨人の星」。↓。

ウォーター・サーバーの近くには、「あしたのジョー」。↓。

そして、ブルース・リー。あれ、ブルース・リーはスポ根じゃないか。↓。

僕が1番影響を受けたのは、「タイガーマスク」です。プロレス好きもそこからです。
小学校3~4年からの筋金入りです。
だから高校の体育の柔道にも、僕はプロレス技を持ち込み、弓矢固めや回転揺りイス固めやグランドコブラを炸裂させ、
体育の教師を唖然とさせました。
うちの学校の柔道は安全性を考慮して、結構縛りが多くて、絞め技や関節技は禁止だった。
僕のプロレス殺法は教師に言わせると、それに該当するらしかったが、僕は<これは寝技だ>と主張し、一部の技の了承をとった。
乱取りでは皆が背負い投げや大外刈りを掛け合ってる真ん中で、僕はツバメ返しの練習をしていた。
うちのクラスに、イノー君、という長身で体躯の良い子がいた。
授業の練習試合で、僕はイノー君と対戦になった。身長差20cmの無差別級の試合だ。
イノー君は、運動神経も良くて、柔道も強そうだった。
これはまともに行ったら負けるな。
そこで僕のとった作戦は、はじめの合図と同時に猛ダッシュで片足タックルに行き、相撲の小股すくいの要領で片足立ちにさせた。
だけど、イノー君はバランスが良くて、それでも倒れなかった。
ならばと僕はとった片足を思いっきり担ぎ上げ、軸足を蹴って、相手を背中から倒した。<やった!一本!>
しかし、判定は、「川原、反則負け!」。柔道では、軸足を攻撃するのは反則らしかった。
倒れた際、軽量級とは言え、僕の全体重が、イノー君の片足にかかって、イノー君は軸足を骨折した。
イノー君のお父さんも医者で、うちの父親はイノー君のお父さんに頭が上がらなかったらしい。
うちの父は短歌もやっていたが、それもイノー君のお父さんの導きだったから。
そう言えば、母の歌集にもイノー君のお父さんに世話になったと書いてあった。
しかし、僕はそんなことは、イノー君の骨を折るまで知らされてなかった。
両親が、「どうしよう、どうしよう」とあんなに困り果ててる姿をみたのは、あれが最初で最後だ。
両親は、イノー君の家まで、謝りに行った。僕は連れて行かれなかった。だって親同士の問題に子供が口を出すのもね。
しかし、イノー君はとっても良い奴で、「気にしなくていいよ」と松葉杖をつきながら、笑っていた。
イノー君は、治療の為、何日か学校を休んでいたので、僕はその間、普段とらないノートをとって貸してあげた。
「そうしろ」って親に言われたから。
サービスで、ノートの下にパラパラマンガも書いてつけておいた。
パラパラマンガのストーリーは、小股すくいから軸足蹴りで一本そして骨折の巻。
反省の色なし、だ。
でも、イノー君はそれをみて笑っていた。「よくこんなの思いつくね」って。人格者だな。
こいつは一本取られた。って、うまいこと、言ってるつもり。
ある雨の日。僕は友人と地下鉄の駅へ坂を下ろうとしてるところだった。
イノー君は、松葉杖で傘もさせないで、目白方面へのバス停に濡れながら歩いてるのが見えた。
僕はその姿を遠巻きに見てるだけで、体が動かなくって。
みかねた友人が「オイ、いいのかよ」と僕に声をかけて、それで僕は我に返って<あぁ>と答えて。
その瞬間、他の生徒が、イノー君に傘を差し出して入れてあげる光景がみえた。
僕は今でも、そのシーンを鮮明に思い出す。
だけど、その時の僕は、もうことは済んでいたので、<行こうぜ>と言って、友人と池袋へ出て遊んで帰った。
僕はサンシャイン60の中のソニプラで、アメリカ製のおもちゃの光線銃を買った。
それは、レバを引くと、けたたましい7色の音がして、未来っぽかった。
僕はそれを翌日、学校に持って行き、友人達に乱射した。(音しか出ませんから、念のため)
そうしたら誰かがチクったらしく担任の教師に怒られた。
そいつは前の週に僕がおもちゃの刀を持って行き、廊下でチャンバラをしてたら「川原、幼稚なことをするな!」と怒った奴で。
つまり、2週連続で、僕と担任はおもちゃの武器のことで怒ったり怒られたりしていたことになる。
イノー君とは、その後なんの接点もないが、確かどこかの医学部に行ったはずだ。
良い奴だったから、きっと、今頃、立派な医者になってるんだろうな。
何科になったのかな?
自分の体験を活かして、整形外科医になって、多くの骨折患者さんの治療をしてるのかな。
それとも親の後を継いでるのかな。
元気でやってるかな。
あれから何年、経ってるんだろう?
去年、石野真子がデビュー35周年って言ってたから、そのくらいかな。
今日みたいな雨の日は、古傷がうずくかな。
なんか全然、スポ根な記事じゃなかったですね。
すみません。
昨日、ネイル、ミルキーっぽくしたんだよ。見る?

じゃぁね、ヤスオ、頑張れ、俺がついてるぞ。
BGM. 忌野清志郎「空がまた暗くなる」
