主人公

8/Ⅲ.(火)2022 寒い ゼレンスキー氏「キエフにとどまる」

さだまさしの功罪について考えてみた。グレープの時代は別にしても、ソロになってからのさだまさしの人気はすごかった。「雨やどり」は爆発的に売れたし面白かったし。立川流の談春も、談志が死んでからさだのファンを公言するようになり、松本人志もさだまさしは自分の師匠だと発言しててビックリした。でも我々の世代で影響を受けなかった人はいないと思う。僕も「風見鶏」と「私花集(アンソロジー)」という2つのLPを持っていた。僕は山口百恵のファンだったから「さだが『秋桜(コスモス)』の作者だからLPを持ってるんだ」という言い訳も用意した。当時はまだたけしが世に出ておらず、タモリの影響力が大きく、深夜ラジオでタモリが「名古屋ダサい」と「さだまさし軟弱」とバカにしてたから男子としてはさだを聞くなんて軟弱だと思われそうで恥ずかしかった。もし急に女子が家に来て、「エロ本」か「さだのLP」のどちらか一つしか隠す時間がなければ迷わずさだを隠していたと思う。しかし時は魔術師だ。談春が大みそかのさだのコンサートで落語をやり、松ちゃんがワイドナショーで堂々とそんなカミングアウトをする。そしてそれがどれほど大事なことかを知ってる人も少なくなった。

僕の中高時代は、どんなにませてても「生きる意味は?」なんて考えてる子は周りにいなかった。それほど自分の価値にうぬぼれていなくて、言葉にこそしなかったが、「生まれたから死ぬまで生きてよう」くらいに生きていた。自分の人生にそんなに期待してなかった。アントニオ猪木が好きなのも長嶋や王を応援するのも「自分には出来ないこと」をやってるからで、「彼らと同じ時代に生まれて良かった」「同じ空気を吸えて幸せ者だ」と思っていた。

それがいつからだろう。ヒーローがインフレを起こしたのか、「自分の人生」を考えるようになった。僕はそれはSMAPの「世界に一つだけの花」のヒットによるもので、「ナンバーワンでなくてもいい、元々特別なオンリーワン」の呪縛だと思ったりもした。しかし、SMAPも一夜にしてならず。これがどんなに名曲だろうとなんの滑走路もなくいきなり飛び立てるはずがない。何か「プレ・SMAP」的な自己啓発的な力があったに違いない。それは何かをずっと考えていた。主に自分の小学生、中学、高校とその時代の背景にある文化を洗い直してみた。そこで浮かび上がったのが、さだまさし、であった。

さっきも言ったが僕は2枚さだを持っているが、さだまさしの「私花集」のB面のラストに「主人公」という歌がある。これはファンの中での人気投票では必ず1位になる~あなたはあなたの人生の主人公だ、というメッセージの歌である。これまで日本人で日本人に向かってこんなことを言った人を僕は知らない。北山修も吉田拓郎も岡林もユーミンも誰も言ってこない角度からの直撃弾だ。

 

こないだこんな夢を見た。僕は空を飛んでいて、きっと僕は花粉かおしべで風に乗り森の中を川の上を自由に飛び回る。人間のいない世界だ。僕の役割はめしべ的なものをみつけて、遺伝子情報を伝えるべく受粉することだ。僕は次の何かにバトンを渡す役割の象徴化だった。

僕は結構長いこと生きてきて、僕のアイデンティティーの核にあるのは、「僕は母に愛されていた」という体験だった。それはきょうだい葛藤の勝者という意味でもあった。それが近頃、何か忘れていた記憶が蘇って、夢などに出てくる。それらはかけらみたいなものなのだが、パズルのように合わせてみると、なんと「母は僕より兄を愛していた」という数々の場面だ。ずっと封印していた光景だった。僕はもうすぐ60才になるが、還暦というのは人生が一回りして再スタートらしいが、まさかの「たっちゃん愛され神話」の崩壊である。僕は僕の人生の主人公から転げ落ちた。さて、そうなると僕の存在意義とは何なのだろう?兄や親や妻や友人の人生に必要な「モブキャラ」だったのか。それともさっきの夢が暗示するように僕は次の世代に何かを伝える「送りバント」のような役割なのか。

西洋の小説で主人公の祖父はそこそこ名声があったが大酒のみで~などという配役があり、その祖父の残したトラブルの種や未解決の葛藤が世代間伝達され数世代先の主人公たちにちょっとしたスパイスを与えるなんて描写がよくあるが、僕の生きてる意味は子供やその子供たちという主人公の人生を彩る舞台装置の一つなのでは?という新しい落としどころも見つけられるようになった。さだまさしに出会う以前の自分に戻ったようだ。幼い僕の面影たちが優しい笑顔で「お帰り」という。さよなら、主人公。

BGM. さだまさし「主人公」

 


おっぱい談義

5/Ⅱ(土)2022 今期のアニメでは「その着せ替え人形は恋をする」がおすすめ。amazonプライムでもみれます。

男性は「巨乳」が好きだと思い込んでる女性も多いようですが、ひとから聞いたのですが「おっぱいパブ」なる風俗店もある一方、「貧乳」専門のデリヘルもあるらしい。それなりの需要があるらしく、「巨乳派」と「貧乳派」におっぱいフェチは分かれるそうだ。僕はあまりどっち派でもないのだが、おっぱいで一番直近でショックを覚えたのは、コロナ以前の、さくら学院の文化祭の、アンコールで出て来た「ワンファイブ」というユニット。そもそも、さくら学院は、小中学生で結成される学校をモチーフにしたアイドルグループで、ファンのことを「父兄」と呼び、色んな部活もある。今を轟く、BABYMETAL、も元は、さくら学院の「重音部」でした。さくら学院は、中3を終えると自然に「卒業」になる、成長期限定ユニットです。この子たちは頑張り屋だったり天然だったりハツラツだったり芸達者だったりして、あまり「性」を感じさせない「安心感」が好きでした。ところが、「ワンファイブ(15歳の集まりって意味です)」。
中3の4人が、大人っぽい女のコーディでメイクしてそれっぽい歌を歌うのですが、こちらには、戸惑いしか生まれません。中3ですよ。妙に体の線を強調する服で、バストのフォルムとかクッキリみえて、目のやり場に困りました。

ワンファイブが一旦はけて、残りのメンバーがその感想を言い合うわけですが、「女性らしい、すてき~」みたいな反応なのです。
そこにワンファイブが、さくら学院の制服に着替えて何の反省もなく参加するわけですが、これがまた不思議で、さっきあんなに強調されてた胸がぺったんこなのです。
デビュー当時の小柳ルミ子は、アイドル演歌路線だったので、胸の大きいのはマイナスだと胸にさらしを巻いていたといい、アグネスチャンも、その愛くるしいルックスに、大きなバストは、日本男児が萎縮するといけないからと、さらしを巻いたという同様の噂を聞きました。だから、僕はこのワンファイブも、出番が終わって制服に着換える時に控え室で、スタッフにさらしでグルグル巻きにされたに違いないと、その光景まで頭に浮かんだものです。そんな「さくら学院」もコロナ禍の中、閉院してしまいました。

でも、よくよく考えたらそんなに驚くことでもないかもしれません。山口百恵など15歳の時に、月刊明星とか平凡で、黒のビキニとか披露してて、僕は毎月、そういうのを普通にみていたから。でも、百恵ちゃんは、僕の4学年上だから、「15歳の水着を見てる僕は12歳」なのでOKであって、「15歳のワンファイブをみてる僕は50代」なのだから、ちょっと何かと問題がありそうだ。

ところで、アイドルとバスト問題だが、やっぱり男は女が怖いから、日本のアイドルの場合はバストが小さい方が良いとされてきた歴史がある。…本当か?
堂々と胸を売り出す場合(榊原郁恵・河合奈保子・細川ふみえなど)キャラは「バカ」だった。(実際は違うのだろうが)そうやってちょっとバランスを女性側でとってくれないと、男はインポテンツになってしまう。だから、胸の大きい女性は不当に、バカという汚名を背負わされてた屈辱もあると思う。その悪い歴史に終止符を打ったのは、小池栄子だと思う。

僕はその場面をリアルタイムでみてたのだが、それは「爆笑問題の検索ちゃんぴおん」という深夜番組で、爆笑問題が司会で小池栄子がアシスタント、お笑いタレントがパネラーで、ネットの噂を出題するクイズ番組だった。もちろん、爆笑問題がやるのだから普通のクイズ番組ではなく、例によって、太田光が暴走するのである。
ある時太田は制止する小池栄子に、「お前なんか、オッパイだけのタレントじゃねぇか」と口が滑った。さすがの太田も発言のあと、しくじったという顔をした。パネラー達(芸人)が色々とフォローする中、小池栄子は冷静に「はいはい。オッパイだけでここまで来たタレントですよ」と返して、進行した。
これにはパネラーの土田も「さすが!大人!」と拍手し、皆が絶賛。太田もペコペコ謝っていた。
それ以来、胸が大きい=バカ、という図式をあまり見なくなりました。

僕の青春暗黒時代によくしてくれたお姉さんがいて美人で優しくて憧れてたのですが、彼女はおっぱいが小さいらしく、何かの時に、「私は貧乳だから」と自虐的に言うから、僕は「全然そんなこと魅力と関係ないよ」と言ったのですが、彼女はやさしく笑って、「タッちゃんは子供だからよ」と相手にしてくれませんでした。その頃、斉藤由貴が「微・少女」というビデオを出していて、「美少女」と「微少女」をかけてる妙だったから、それを真似して僕は「貧乳ではなく微乳だよ。微乳じゃなくて美乳だよ」と言ったら、彼女は真面目な顔をしてこちらを真っすぐにみてました。今だったらセクハラなのでしょうか?

これもひとから聞いたのですが、最近は「貧乳」を「品乳」と書いて「品格のある乳」と意味づけしたり、「貧乳」を崇め奉る「ヒンニュウー教」というカルト的なひとたちもいるそうです。全然関係ないですが、アニメにもなった「かんなぎ」のコミックスの帯を思い出しました。

僕の母は乳癌で僕が生まれた時はもう乳房がなくて僕は母乳をもらった記憶がなくて(みんな記憶はないか)おまけに赤ちゃんの時は母と離れてたので、そこへの執着から「おっぱいフェチ」になりそうですが、そうなりませんでした。変態とかフェチってそうそう単純なものでもないのですね。でもおっぱいに関しては、小学校の頃何かのマンガで読んだ、アマゾネスという女の部隊が馬に乗って弓矢を打つのですが、その時、おっぱいが邪魔になるから、片方の乳房を切り落とすというシーンになんとも言えぬ、エロスを感じた思い出があります。

小学校高学年になると、「泣くなおっぱいちゃん」という歌をボインの歌手が歌っていて、キャンペーンで茅ケ崎に来て、レコードを10枚買うと「おっぱいを見せてくれる」、20枚買うと「おっぱいを触らせてくれる」、30枚買うと「おっぱいにキスさせてくれる」というお色気企画がありました。子供ってそういうのが好きじゃないですか。僕らも盛り上がったのですが、正直、「おっぱいにキスする有難味」が分からず、「まぁ、俺は20枚だな」とうそぶいてました。レコード1枚400円の時代です。20枚で8000円です。お年玉を使ってなかったのでその代金はありました。同年代の奴らにマウントを取りたかったのでしょうか、僕は本気でそのキャンペーンに行くつもりでした。するとそれを知った親は当然止めるのですが、母は僕が止めても聞かないのを知ってますから、父が止めに入りました。当時の人気はなんと言っても天地真理です。天地真理の本名は斉藤真理といい、どうも茅ヶ崎駅前の斉藤不動産が実家との噂でした。父はそれを持ち出し、「お前が大人になったら斉藤不動産にかけあってやるから、泣くなおっぱいちゃん、は止めろ」と言いました。僕も子供ですから、天地真理と結婚出来るなら、と提案を飲みました。アイドルの寿命は短いもので、また天地真理はなんだか「おかしな転落の仕方」をして人気がなくなります。その内、僕は中学生になって東京に出てきます。
父は趣味でカメラをやっていて、その知り合い筋から、「今度、デビューさせるモデルの四つ切ポート」を2カット貰って来たと言い、僕にくれました。その外人モデルは豊満な胸をしていて、ビキニで海岸に寝そべっている生写真でした。父はきっと昔の、泣くなおっぱいちゃん、の約束をこれでチャラにしようとしたのでしょうね。ふてぶてしいですね。
ただ、僕はそのモデルのバストより童顔な表情がキラキラしたお日様見みいだったから気に入って、額に入れ部屋に飾りました。
しばらくしたら、そのモデルは色んな雑誌に出るようになって、あっという間に世間の男の人気を独り占めしました。すごい人気でした。僕は先に知っていた優越感から父のおかげで学校でもカーストが上位になりました。ちなみに、そのモデルの名前は、アグネス・ラムと言い、「うる星やつら」のラムちゃんの元ネタです。今も診察室の天井にいます。

そういえば、「からかい上手の高木さん3期」はとても実験的で賛否分かれてますが、僕は好きです。こないだ、高木さんが、ラムちゃんのコスプレに一瞬変わる、サービスショット(原作になし)があり萌えました。

おっぱいの大きな人は、男の人が「胸ばかり見てる」と分かるそうです。男もそんなにジロジロみないと思いますが、一瞬の目の動きのような気配でわかるというのだから、すごいですね。そう言えば、女性で「男の人の股間ばかり見てしまう」、という人がいます。それは「巨乳を見てしまうスケベ男」と違って、「見たくない」のに気になって、「見まい」とすればするほど「見てしまう」という「強迫行為」みたいなもので、「病気」です。恥ずかしがって中々打ち明けませんが、意外とそういう女性は多いのです。だから、もし自分もそうだ!という人がいたらそれは治療すればよくなるから診察で言って下さいね。

BGM. サザンオールスターズ「涙の海で抱かれたい~SEA OF LOVE~」


心の護美箱(46)~11月はうわの空

9/ⅩⅠ.(火)2021 冷たい雨。 日ハム・新庄ビッグボス、清宮に減量指令。

’83年、長嶋茂雄の肩書は、「ミスター」だった。ミスターは色んな地域の少年野球チームに招かれ実地指導をしていた。ミスターが来ることにカチコチに緊張したのはコーチや監督や父兄であって、少年たちにとっては「長嶋茂雄」なんて「ただのおっさん」である。長嶋は三塁ホットコーナーに自らグラブをはめ守備につきノックを受けてお手本を示す。痛烈なゴロに突っ込む「ミスター」。打球と自分の身体を衝突させるように飛び込む「ミスター」の姿をはじめは子供たちは笑ってみていた。しかし、「ダッシュだ!つっこめ!ダッシュだ!」と叫びながらゴロをさばく姿に少年たちの表情が突然に変わる。さっきまで半笑いだった顔が呆然&唖然となるのである。何故かと言うと、ミスターの一塁への送球がすべて大暴投なのである。それでも、ミスターは叫ぶ。「ダッシュだ!取ったらすぐ投げろ!暴投なんか気にするな!」。一瞬にして少年たちの心を掴んだ。これこそがミスター・長嶋茂雄の素顔である。

そんなミスターは球界人初の文化勲章をとって、ミスター行きつけの田園調布の焼き鳥屋はお祝いの旗をかざしてます。↓。

 

心の護美箱(45がいっぱいになったので、(46)を作りました。心の護美箱がなんだかわからない人はバックナンバーを見て下さい。ま、簡単にいうと愚痴を書き込めるページです。「非公開」希望の人はそう書いてくれば内容はアップしません。

11月は僕の亡き両親の誕生日があったり、父の命日があったりで「家族」や「生死」について考えさせられる月です。だからちょっとうわの空になったりします。母は短歌を詠む人でした。下は母の遺歌集。↓。


中の写真に、自宅前とあるが、これは近藤先生というお方のお家を訪問した時に、近藤先生のお宅の玄関先で撮ったもの。それが、自宅前にて、となってるから、この本が出版された時、さぞかし近藤先生は驚いたことでしょう。この歌集の編集の一部は僕がやりました。僕のミスです。近藤先生、すみません。お家、乗っ取っちゃって。↓。


母の死後、押入れから、僕が子供の時に描いた絵が出てきた。これは近所の養鶏場で描いたもの。形見分けの時に、兄に、「持って行け」と言われたので、診察室に置いてあります。↓。


裏を見ると、絵画教室で描いた油絵みたい。↓。


小学校の何年生だったか忘れたが、夏休みの宿題が終わってなくて、一番大変だったのは、「自由研究」。母は何の変哲もない木箱を持って来て、その蓋に、僕に絵を描かせた。僕は、蕎麦屋の前の置物の、タヌキ、の絵を描いた。母は、趣味で、鎌倉彫、をやっていたから、僕のタヌキを上手に彫って、色をつけて、上にニスを塗って完成。これが優秀だと評判になり、神奈川県の賞をとり、どこかに展示された。「子供らしい視点、自然との調和と、子供らしからぬ技術の確かさ」みたいなことが評価された。母は、ニワトリの絵はとっておきながら、その鎌倉彫、は捨てていた。僕が作ったものじゃないからかな。親心って、そんなもの?

BGM. 八九寺 真宵(加藤英美里)「帰り道」


心の護美箱(45)~ヒーローは、敗北からスタートしている

23/Ⅹ.(土)2021くもり 眞子さま&磯山さやかの誕生日、眞子さま30才&磯山さやか38才。

僕は六星占術でいう「大殺界」の3年間が今年でやっと抜けるらしくホッとしたのも束の間、来年からは「厄年」らしい。もう何を信じたら良い物か。結局、自分に都合の良い物しか信じないという大方の人と同じ結論になる。我慢した「3年間」を返せと言いたい。

しかし、重なる時は重なるもので、色んな方面からストレスは一度に来るもので、そんな時、僕は、ガッツ石松、を思い出す。ガッツ石松は若い頃、繁華街で10人組のチンピラとケンカになった。いくらガッツが腕自慢でも10人相手では、かなうまい。そこでガッツがとった戦略とは?ガッツは、行き止まりの細い路地をみつけ、そこは大人1人くらいしか通れない狭さで、ガッツはそこに入り、突き当たりのカベに背を向け臨戦態勢。相手は1人づつしか入って来れないから、1人づつ順繰りにぶんなぐって、全員、倒したという武勇伝。
ガッツ石松と聞くと、世間の人は「バカ」と誤解しているが、なかなかの策士だ。問題山積とは、辞書で調べたら、片付けるべき問題が山積みにたくさんあることを言う。昔の人は、分散して1年中悩まされるくらいなら、少々大変でもいっぺんに来てもらった方が気が楽だ、と強がったと聞く。たくさん色んな方面のストレスからキャパシティーオーバーになった時や、スケジュール帳が真っ黒になった時は、脇見をせず、目の前のことを一つづつ、ガッツ石松方式でがんばることにしている。

心の護美箱(44がいっぱいになったので、(45)を作りました。今回は、緊急にお伝えしたいメッセージ、それは、僕の知っているサクセス・ストーリーは、皆、黒星スタートだ、である。プロの洗礼、とでも言うべきか。
アントニオ猪木のデビュー戦は、大木金太郎に頭突きでフォール負け。同日デビューのジャイアント馬場は田中米太郎に「股割き」で勝っている。
新人・長嶋茂雄の開幕戦は、国鉄スワローズの金田正一の前に4打席4連続三振。金田は3三振を奪った後の4打席目でも臆せずブンブンとバットを振り回してくる新人・長嶋茂雄に恐怖を抱いたと言う。世界のホームラン王・王貞治は、デビューから26打数ノーヒット。長いスランプからのスタートで、27打席目の安打がホームランであった。

私事ではあるが、僕も研修医に成り立ての頃、無断欠勤がバレて、ペナルティーで「2週間連続当直」の刑になった。今でもそうだが、医者の当直は、翌日も勤務である。当直は当直室で仮眠して、呼ばれたらすぐ病棟や救急外来に行くのが仕事。だから、運が悪ければ、2週間まともに寝れないのだ。でも僕は、へこたれなかった。勿論、自業自得だと反省した、のではない。2週間、当直室から家に帰れない泊り込みという状況が、「日本一のホラ吹き男」の植木等みたいだと思ったからで。映画「日本一のホラ吹き男」で、臨時雇いで会社に入った植木等が配属された部署は、会社にとって何の関係もない古い書類の整理。皆、やる気がない。「ここじゃ、いくら頑張っても出世はないよ」と先輩から言われる。すると、植木等は、底抜けに明るいテンションで、張り切って、荷物をまとめて会社に泊まり込み、仕事をする。「そんなにまでして残業代が欲しいのか」という皮肉にも、「いいえ、残業代はビタ一文、いりません」と1人で、書類を全部、片付けてしまう。労働組合は残業して残業代を取らないことを問題視し、同じ職場の人間達は「仕事がなくなってしまった」と不満を言う。そうして、会社は仕方なく、植木等を他の部署に係長待遇で異動させる。ここからホップ・ステップ・ジャンプ!東京オリンピックの直後の映画で元・三段跳びの選手だったという設定の植木等は、三段跳びの様に出世して行く。高度経済成長の時代のサラリーマンに元気を与えたと言われる映画だが、今、観ても色褪せないパワーだ。なので、僕も植木等のマネをして、家から色んな物を当直室に持ち込んだ。浅草のマルベル堂で、クレージーキャッツのブロマイドをオーダーメイドで引き伸ばし、それを当直室の壁に貼った。陰気な当直室が、まるで僕の1人暮らしの部屋みたいに衣替えした。評判を聞いて、何人もの看護婦さんや他科の研修医も覗きに来た。皆、「お~」って言ってた。今思うと、カワクリの空間作りのルーツは、この当直室に起源があったのかも。クレージーの特注ブロマイドは、今もカワクリの待合室のテレビ側のソファの方に貼ってあります。↓。

丁度、半分の1週間が終った時点で、調子に乗った僕は、「トニー谷」のブロマイドの特注も発注した。そのニュースに異常に反応した人たちがいた。それは病棟のナース達でした。女性には、つらそうな姿をアピールするより、平気の平左、で明るく振舞った方が母性本能をくすぐるみたいで、ナースは一丸となって、僕の味方をした。彼女らのナイチンゲール精神は組織立って、医者や教授や医局長に「いくら何でも可愛そうだ」と意義を申し立てた。
「過重労働でミスが起きたらどうするつもり?」
「川原先生だから笑って仕事が出来ているのよ」
「いえ、ああ見えて、顔で笑って心で泣いているのよ」
「あぁ、いじらしい」
「それに比べて、他の医者は川原先生に仕事を押し付けて、楽をしてるのよ」
「他の医者は、ズルイわ」
などと、本来、僕が無断欠勤したのが問題なのに、矛先が他の医者に向いた。実際は、僕は研修医だったから、当直には必ず上級医の先生が日替わりで付いていて「2週間当直」というのは、半分、洒落だった。つまり、学生気分の抜けない僕に社会人の厳しさを教え込ませるための親心であり、問題を大きくしない配慮だった。そして、2週間、毎日、日替わりで色んな先輩から、生の知識を吸収できるチャンスを用意してくれたのだった。僕は、ゴールデン・ルーキーで、精神科医として期待されていたのだ。そんな内輪な洒落は、ナースには通じない。
彼女らは、川原先生を守るためにはストライキも辞さず、の構えだ。病棟でナースにストなどされたら、大変だ。医者が、検温や配膳や採血や保清など、駈けずり回らなければならなくなる。ナース・コールも医者がとる事態になる。これには上層部もあわて、急遽、僕のペナルティーは1週間で解除された。そして、医局長はナースの前で、僕を労う為の1席を自腹でもうける約束までさせられた。憎憎しげに、医局長が、「川原君、何を食べたいんだい?」と僕にだけ見える角度で恐ろしい顔をして質問した。僕は、「●●のうなぎ」と高級な鰻屋の名前を告げ、「個室で、コースにしてね」と答えた。ナースを納得させるには、それが最善の策だった。そして、僕と医局長は週末、本当に二人きりで、鰻屋の個室でコースを食べたのでした。さすが、名店!、うまかったです。
何を言いたいかと言うと、「始めから上手く行く人はいない!」、ということで、ヒーローでさえ最初は皆、黒星スタートなんだから、仮にそうだとしても腐らずに頑張ろう!、というエールです。

BGM. 植木等「スーダラ伝説」


心の護美箱(42)~よくある質問

16/Ⅸ.(木)2021 はれ ゲレロが45号、大谷を抜く。ペレスも44号。本塁打王争い1差で3人の大混戦。

知り合いの風俗嬢は友人と食事に行く時、割り勘でも「少し多め」にお金を出すという。彼女は自分のお金は「綺麗なお金じゃないから負い目がある」と泣く。綺麗じゃないか。

僕は中学の頃、借りてもないお金を友人に「返して」いた。友人は「貸したっけ?」と不思議な反応をするが、こちらが強く「返す」と大抵の人は受け取った。後に岸田秀という心理学者の本に似たような体験が書いてあって、「それは親に借りを作りたくないから、別の場所で借りを返してるのだ」という解説で妙に納得した。

前の病院で「芸術療法」を専門にしてる先生がいてその人に教えてもらった話。「智恵子抄」で有名な智恵子はその晩年は高村光太郎と会話が出来なかったそうだ。しかし智恵子が切絵に興味を示すのを発見した高村光太郎は智恵子の為に毎日、綺麗な千代紙を買って帰ったそうだ。智恵子は夢中で切絵をする。光太郎はそれに答えるように違う千代紙を探しては買って帰る。これは高村光太郎が智恵子の為に買ってるようにみえるが、実は智恵子が光太郎が喜ぶから切絵をしてあげていた、という逆転現象がいつしか起きていたのだという。「愛」ってよくわからないけど素敵な話ですね。

医学部の科目の中に「精神科」があるのはよく考えると不思議だ。「精神」って特定の臓器ではないし「脳」とも違うし解剖しても見当たらない。「こころ」を扱う学問やジャンルは他にもある。哲学や宗教学や芸術や文学の方がより的確に「こころ」の本質をとらえているかもしれない。だけどあえて「こころ」を医学に置こうとした人の発想が興味深い。

心の護美箱(41)がいっぱいになったので、(42)を作りました。よくあるご質問への回答です。

幼稚園の頃、ブツブツと独り言を言いながら近所を徘徊している老婆がいた。乳母車に古い赤ん坊の人形を乗せて、その人形を本当の赤ん坊だと思っているという。「すずめ」を捕まえて食べてるという。「タッちゃん、あの人に話しかけてはダメですよ」と教えられていた。
ある日、狭い路地で、乳母車の老婆と鉢合わせになった。
僕は思わず、「すずめ、って食べれるの?」と聞いた。
すると、老婆は「坊や、そんな可哀想なことをしてはいけないよ」とビックリするほど優しい声でそう言った。やがて僕らは仲良くなり、老婆は乳母車から赤ん坊を抱え上げて、「ほら、こうするとお日様が透けて見えて綺麗なんだよ」と教えてくれた。セルロイドの人形に夕陽が差し込んでキラキラ反射して輝いて虹のように見えた。
同じ頃、家に時々、「乞食」(←これは不適切な表現なのでしょうが、差別を助長する意図ではないので使用します)が来た。「タッちゃん、乞食が来たら、食べ物をあげちゃダメですよ。クセになってまた来るから」と言われた。
ある日、僕しか家にいない時に勝手口から女の乞食が、「何か恵んで下さい」と入って来た。僕は、「お前に、何かあげるとクセになるから、やらない」とピシャリと言い放った。すると女の乞食は、「坊ちゃん、もう何日も何も食べてないのです。約束します。今日だけですから」と懇願した。この人が嘘をつくようには見えなかった。僕は台所に置いてあった塩むすびを持って来てあげた。女乞食は何度も何度もお礼を言い、約束は守る、と言って帰って行った。毎日、「ねぇ、今日、乞食、来なかった?」と聞くのが日課になった。大人達は、「変な事を気にするのね」と笑っていた。女乞食は約束を守ったのだ。
僕はこれらの事を通じて、大人達の言う事はかなりいい加減なものだぞと思った。そして、それ以来、この世の「常識」とか「普通」とか「規則」とか「一般」などを疑ってかかるようにした。
将来は、「常識」や「普通」で不当に差別や誤解を受けてる人達を助ける人になりたいと思った。そのためには「パワー」が必要だ。僕の父は医者だから「精神科」というものがあることを知っていた。それだ。僕は精神科医になって医者と言う権威を武器に、差別や誤解で苦しんでる人や不自由に生きている人達の心の味方であろう。それが僕が精神科医を志した初心で、よくある皆さんからの質問への答えで、今でもそう思っている。

BGM.ムーンライダーズ「九月の海はクラゲの海」


心の護美箱(41)~柔道とスケボー、1977

6/Ⅷ.(金)2021 はれ 名古屋市長・河村たかし(気さくな72才)「金メダル嚙みつき事件」は「最大の愛情表現だ」と。

7月の連休、開会式の数日前の東京MXでやってた番組で「オリンピックに反対が8割」というアンケートをみて、「明後日なのに?」とビックリしました。僕はあまのじゃくだから、「それなら俺は2割になってやる!」とオリンピック肯定派宣言。ファミマで「アシックス」の応援ユニフォームを買い反骨精神をみせるつもりでした。


やるならテッテ的にと、ネイルもオリンピック仕様。フットネイルはビタミンカラーで活力を表現。

ところがどっこいいざ開会式が始まると開会式の視聴率は56.4%と驚異的。僕はオリンピックで浮かれるバカ代表みたいになってしまいました。トホホ。

心の護美箱(40)がいっぱいになったので、(41)を作りました。今回は「東京オリンピック2020」も終盤戦に向けて盛り上がって来たので、私の中高時代の思い出のスポーツ「柔道とスケボー」の記事にします。この二つの競技の性格は全然違い、柔道は「体育の必須科目」でスケボーはおしゃれの最先端。スケボーは我々の上の世代では輸入されていなかったナウい未知のボクらのファッションでした。それでは、1977年にタイムスリップ!

それはアウェーのような大ブーイングだった。
僕は一瞬、気圧されしたが、覚悟をきめて、拍手を送り、<いいぞー、よくやったぞー、惜しかったー>と声をかけた。

 

 

イジメもなければ、ハブられることもなかった。どちらかと言えば、親切な人ばかりだった。きっかけは新年度に体調をくずし、数週間学校を休んで、新しいクラスに行ったら、もうグループが出来上がっていたことだ。班分けをする時も入れてもらえたが、特別に仲良くしたい人達でもなかったし、話題も合わなかった。僕には友達がいなかった。

今、大人になるとどうってことないことが思春期には気になることがある。友達がいない、というのは、その代表選手だ。友達がいないというのは、さびしい奴と憐れに思われたり、自分はそうなりたくない、と思ってる奴からは批判の対象になったりもする。そいつの自己正当化のために。親は心配するだろうし、教師はしゃしゃり出そうだから、なるべく顕在化しないように気を回した。

万有引力とは引き合う孤独の力だ、と寺山修司は言っていたが、僕と同じように友達のいない男と万有引力のように引かれあってつるむようになった。そいつはガタイがデカく乱暴者でリアル・ジャイアンみたいな奴で加減を知らないから、皆から恐れられ敬遠されていた。

どういうきっかけでそうなったのかサッパリ覚えていないのだが、僕らは学校が終ると彼の家まで遊びに行った。彼の家の近くには神田川が流れていて、彼は当時の流行の最先端のスケートボードを持っていた。僕らはスケートボードに最適な坂まで通い、一人が坂の下で見張りをし、もう一人が坂の上からすべった。もし車や自転車が来たら合図を送り、衝突しないように、途中で降りれるためである。坂の下には神田川。僕らは何度もスケートボードを神田川に落としては、長い棒で突っついて拾い上げ、またすべっては落としてを繰り返した。何日も何日もひたすら同じことをやった。

そのうち、僕とジャイアンが仲良くなったことが学校で知れ渡り、僕の学校でのカーストは上がった。用心棒がついたから。

学内で柔道大会があり、ジャイアンは柔道部でもないし、最上級生でもないクセに、破竹の勢いでトーナメントを勝ち上がり、決勝戦まで行った。決勝の相手は柔道部のキャプテンで最上級生の男だった。体格はジャイアンがまさったが、キャプテンにもメンツはある。試合は力と意地の攻防で、結局、足技か何かで、我・ジャイアンがよろけてポイントをとられ、逃げ切られ、準優勝だった。

表彰式。優勝者は圧倒的な声援を受けた。その半分は、よくぞ生意気な怪物を退治した、という判官贔屓な賞賛だった。準優勝者も表彰されたが、それはアウェーのような大ブーイングだった。僕は一瞬、気圧されしたが、覚悟をきめて、拍手を送り、<いいぞー、よくやったぞー、惜しかったー>と声をかけた。

周りの上級生は、「なんだ、あのチビ」「誰だあいつ?」といぶかしい顔をしてこっちをにらみ、クラスメートは空気を読んで、「おいやめとけよ」、と制止する者もいたが、僕はまるでシカト。拍手を送った。
「ともだち」は、僕の方を振り返って、はにかんで笑った。

その異様な光景を興味深そうにみてた奴が3人いて、彼らもやがて合流して、僕らは5人組のグループになった。皆クラスはバラバラだったが、夏休みには海に行ったり、放課後は誰かの家に集まったり遊びに行ったり、冬にはスキーにも行ったことがある。僕は旅館で一人寝てて、旅館のおばさんに、「あんたも若いんだからすべって来なさい」と小言を言われた。山口百恵が「初恋草紙」を歌ってる頃で僕はゲレンデに出ないで、旅館でラジオから流れてくるそれを聞いていた。

BGM.山口百恵「初恋草紙」


心の護美箱(40)~明日に向かって走れ

18/Ⅶ.(日)2021 はれ 「クイックジャパン」の小山田圭吾イジメ発言ネットで話題になるのは3回目?

心の護美箱(39)がいっぱいになったので、(40)を作りました。はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。とりあえず、グチを書き込めるページなのです。「王様の耳はロバの耳」という話を覚えてますか?王様はロバの耳をしてして、それをひた隠にしてます。しかし、いつも王様の髪を切る床屋だけは「王様はロバの耳である」ことを知っていて、口止めされていました。でも、床屋はどうしてもそんな重要なことを一人で抱えてることが出来ず、井戸の奥に向かって「王様の耳はロバの耳」と 大声で叫びます。すると、その声があらゆる井戸を伝わって井戸と言う井戸から「王様の耳はロバの耳~」 と響き、皆にその秘密が知れ渡ってしまうのです。だから秘密を打ち明けるのは、危険ですね。でも、精神科&カウンセリングには守秘義務があります。安心ですね。ここでも、非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。溜め込むのは良くないです。安全な場所で、「王様の耳はロバの耳」と言いましょう。最短でも通院間隔は1週間に1回ですね。1週間という単位は、色々ある時はありますからね。ですから、酔った勢いでも、ネガティブになった時でも、送って下さい。身元がバレるようなことはしませんから。まぁ、グチに限らず、要望や苦情やエールやラブレターでも構いません。この記事に関する感想コメントなら、尚結構!

 

僕が生涯で1番カッコ良かった話をしましょう。自分で自分のカッコ良い話をするほどカッコ悪いこともありませんが、そういうことを分かった上であえて記事にすることが、「心のゴミ箱」主催者としての男気というものです。

僕の家は地元では名士で昔の金持ちはそれを社会にも還元していたものです。僕の父は僕の通う小学校にブラスバンドを作るべくあらゆる楽器を人数分寄贈しました。うちの親の世代は「音楽」などという教養はないから音痴な人が多かったですが我々の世代からはピアノやエレクトーンやバイオリンを習う子が多くなり音楽は教育の一環でした。僕が小学校4年の時、父が楽器を寄付したきっかけで全生徒は「ブラスバンド」か「合唱部」に入部が必須となりました。僕は父のそういう行為があまり好きではなかったので、クラスの仲の良い女子と二人で相談して一緒に合唱部に入ることにしました。

そうしたら学校は大慌てです。父が楽器を贈ったブラスバンド部に僕が入らないなんて当時の村社会では考えれなかったのでしょう。僕は教師から「ブラスバンドに入るように」説得というよりお願いをされました。そういう大人の事情というのを子供は余計嫌う訳ではないですか。だから僕も頑なに拒否して、教師の言う事なんかシカトして彼女といそいそと一緒に合唱部に入る約束を強固に固めて行ったのです。彼女は色んな合唱曲を知っていて、僕がどんな歌を歌っても「ハモれる」才能の持ち主でした。

しかし大人と言うのは恐ろしい。到底、子どもでは歯が立ちません。教師は彼女をブラスバンドに入れさせたのです。彼女は泣いていました。「私、ブラバンに入るからタッちゃんも一緒に入ろう」。あきらかに言わされてるセリフでした。

僕は頭に来て、僕はブラバンに入るが君は合唱部に入れ、と言って、別々の道を歩むことにしたのです。僕はトロンボーンをやることにしました。当時、何かの歯磨き粉を買うと、おもちゃのトロンボーン(笛を小さくしたサイズで息を吹き込み先っぽのレバーを前後させると、ヒュ~ユ~ヒュ~、と音が変化します)が当たるコマーシャルを堺正章がやってたからです。

ブラバンは茅ヶ崎市の大岡祭でもパレードに参加して市内を闊歩しました。トロンボーンは吹かない時は朝顔(楽器の先っぽ)を下に向けて行進するのですが、僕は開き直ったら強いタイプなので、もうやる気満々、戦闘態勢で行進時も一人、楽器の朝顔を平行に持ち、まるで敵に突入する勇敢な兵士のような構えで人生と向き合う覚悟を付けたのでした。↓。

今はその時の覚悟の「利子」で人生を送っているようなものでそのくらい僕にとっては重要な年齢の出来事でした。

BGM. 吉田拓郎「明日に向かって走れ」


見ないふり

17/Ⅵ.(木)2021 時々激しい通り雨 7月からの新ウルトラマンの敵役のボスに上坂すみれ。

ワクチン接種後から体調が悪い。体がだるく調子が出ないのだ。もう1週間以上たつから医者たちは「副反応ではない」と口をそろえる。ひどい奴は「仕事したくない病だ」という(笑)。

こないだの日曜の総合格闘技「RIZIN」の東京ドームマッチは後日録画でみた。しょこたん(36)がユーチューブでコラボした人気の朝倉兄弟の弟・朝倉海(27)の試合のリングアナウンサー役をやってたからビックリした。総合格闘技は潜在的なプロレスファンで占められてる世界だから迂闊に入って来ない方がいいぞ。全盛期のビートたけしでさえ物を投げられたし、下手すりゃ山田邦子の二の舞だ。そんな人気の朝倉兄弟の兄は、柔術家に失神負け。日本の総合格闘技がグルっと一回りして柔術にスポットが当たりそうな予感。それは中量級のタイトルマッチの決まり手も「三角締め」だったから。とは言え、この試合はチャンピオンがアゼルバイジャンの選手でこないだまで志願して兵役に出てた選手。対するチャレンジャーは日系人で浜松に拠点を構えて練習を積んでいた。今はコロナだから外人は来日後2週間隔離生活でアゼルバイジャンのチャンピオンはそんなハンディを背負って試合に挑み負けた。そしてそういう裏事情をテレビでは言わないのだ。卑怯だと思った。

女の子が親戚が死んだけど「なんとも思わない」という。対象喪失の直後はそういうものだ、と諭すが、「それとは違う」という。「自分には人間的な感情が欠落してるのだ」と淡々と言う。そこで僕は大学2年の時に、父が死んだ時のエピソードを話した。棺桶に花などを入れた後、釘を打つのだが、僕はたまたま台所に「イトーヨーカ堂」の商品券があるのをみつけ、茅ケ崎の北口にあるイトーヨーカ堂へ行き、別にすぐ必要でもない靴下を何足か買い、大事な儀式に遅刻した。女の子はそれを聞いたら大笑いして、「なんで靴下?センセーはサイコパスですね」と2度笑った。精神分析の祖・フロイトも自分の父親の葬式に床屋に行って待たされたために遅刻したというエピソードがある。フロイトはこのことから、「無意識に父の死を認めたくない気持ちが行動をコントロールしてしまう」失錯行為と言う無意識の作用を発見した。でもあの子に言わせりゃ「フロイトもサイコパス」だ。

僕のおじさんが先日、死んだ。コロナ禍だから葬儀は簡素に。参加しなくても良い。僕はそのおじさんには親しみを持っていたから、お通夜に行こうと思っていた。告別式だとちゃんとした格好をしないといけないが、お通夜ならフダンのTシャツ&ジーパンでも良いはずだから。でも知らせを聞いた土曜の夜、睡眠薬を規定量の倍飲んだら、二日間寝続けてしまい、お通夜も告別式も出れないどころか寝て過ごした。おじさんは僕が子供の頃に宮前平のペットショップで「ワニ」を買ってくれた。うちの家族は僕以外は皆、爬虫類や両生類が嫌いなので、おじさんくらいしか買ってくれる人はいなかった。僕が池にワニを放したら、父が池で飼ってる鯉が食べられてしまう、と大騒ぎして怒っていた。僕は子供の頃、俊足だったがそれは同年代の中でのこと。父は結核で足を悪くしてるから走るどころかビッコをひいてたから相手にならない。だからおじさんが遊びに来るとかけっこの相手をしてもらった。おじさんは足が速かった。何度やっても勝てなかった。「タッちゃんには無理だよ」と余裕で笑っていた。子供相手に手を抜かなかった。僕は大人げないなと思ったが、大人ってそうあるべきなんだと教わった気もする。

母の日ばかりが母に感謝すべき日ではないように、通夜や告別式以外の日に弔いに行っても良いことにさせてもらおう。しかし、体調がすぐれない。患者に心配されるほどだ。困ったものだ。おじさんのせいかもしれない。迷惑な話だ。合掌。


精神療法各論

13/Ⅴ.(木)2021 霧雨。医師会会長、マンボウの中会食を謝罪。

精神療法といっても色々と流派があって、アメリカではカウンセラーの数だけカウンセリングがある、とか、400種類のカウンセリングがある、などと言われてるそうです。今日はその代表をいくつか、カワクリ視点で独断と偏見で紹介します。

①精神分析(精神分析的精神療法、力動的精神療法)

…治療構造をしっかり作り、転移(患者さんが過去に体験した様々な対人関係を治療に、無意識に、持ち込んでくること)を取り扱うことを中心に行うもの。19世紀末にフロイトが提唱しました。イエス・キリストとフロイトとカール・マルクスは人間存在に大きな影響を与えた3人のユダヤ人だと並べて語られることがあります。

フォークトリオだったRCサクセションの清志郎はバンド編成の新生RCを作るために当時の人気フォークデュオ・古井戸(ふるいど)の仲井戸麗市・チャボを引き抜きたいと思いました。そこに古井戸のもうひとりの加奈﨑がソロアルバムを出すというので楽曲を何曲か提供しました。キヨシローはどんな時よりも本気を出して「売れる曲」を作りました。これでヒットすれば、古井戸が解散してチャボが自分のところに来てくれるから。結果、チャボはRCに参加してその後の成功は皆さんご承知の通り。出会った頃のキヨシとチャボはどっちも人見知り。当時は合同でリサイタルをすることが多く、ミュージシャンが楽屋でワイワイやる輪に入れなかった者同士でした。2人がはじめてコンタクトしたエピソードが僕は好きです。楽屋のすみっこでキヨシがチャボにポケットからチョコレートを出して、「チョコ、食う?」と声掛けると、チャボが「食う!食う!」と答えたそうです。これが二人の友情の始まりです。フロイトの話をしようとしてたら、すっかり古井戸(ふるいど)の話になってしまいました。

②実存分析(ロゴテラピー)

…ユダヤ人のため強制収容所に収監されて生き延びたフランクルが提唱した実存をテーマにしたもの。フランクル著の「夜と霧(よる、と、きり)」はベストセラー。

僕は生のフランクルにあったことがあります。講演会を聞いたのです。印象的だったエピソードを話しましょう。フランクルはある神学校に呼ばれて講演会をしたそうです。司会進行は学長がしたそうです。学生から事前に集ったアンケートを学長が1枚づつ見ながら質問を選別するそうですが、ある質問紙を学長が「くだらない」と捨てようとした時、フランクルは「ちょっと待った。それを見せて下さい」と言いました。学長は「?」な顔をして「600、とは何ですか?なんて質問は下らない」と言いますが、フランクルは「いや、これは大変、重要な質問だ。神(GOD)とは何ですか?と書いてある」と言います。きっとこんなくせ字だったのでしょう。↓。

ここで重要なのは、神学校の学長には見えなかった「GOD」が自分にはみえた、というアピールでした。すごくないですか?僕はちょっと引きました。

帰りに偉い先生に「君はフランクル先生は知っているかね?」と聞かれ、「はい。夜と霜(よる、と、しも)を読みました」とジョーク(霧を霜と読み間違えた体)を言ったらカンカンに怒ってました。ジョークの通用しない人は困ったものですが、僕にも責任はあり、やはりTPOを考えるべきですね。

③森田療法

…僕の指導教官が「森田療法」の専門家だったから大学病院の病棟に畳部屋がありました。全部で50床の病棟に特別室みたいな個室があるのは異様です。入院森田療法は「絶対臥褥(がじょく)」と言ってまず最初の1週間は寝たきりで部屋から出れません。そして次のステップで日記が許され、次で散歩・軽作業と行動の自由を広げて行きます。「不安」を行動で紛らわさず、正面から向き合うためです。しかし、考えてみて下さい。うちの病棟は50床あって、様々な病気の人がいて、皆、決まった時間に食堂に行って、薬も列に並んだりします。用件があればナースステーションに自分で行きます。しかし、森田療法は絶対臥褥、部屋から出られないので看護婦さんが食事や薬を届け、ナースコールで部屋に来てくれます。畳部屋は一つしかないから、超VIP待遇ですよね。これは自己愛が満たされるというか、お殿様みたいな気分に浸れます。だから僕の感想は「うちの病棟の森田療法の効果は、自分を特別扱いされることで満足するから」だと思ってました。森田療法は森田正馬(まさたけ)先生が考案した禅の思想を取り入れた日本発の精神療法です。僕は研修医の頃にやってたせいで古臭いものだと思っていたら、最近、またブームのようです。何故でしょう?不思議だ。

④内観療法

…大学病院に勤めてる頃、夏休みの2週間を利用して地方の精神病院に行った。無医村みたいなところで、医者の頭数を必要とする病院が当時はあって長期休みには出稼ぎに行った。その土地は治安が悪く入院時に記載する問診票(当てはまるものに丸をする)の「態度」の欄に「入れ墨をみせて脅す」という項目があり、こんなものが印刷されてるということはそういう人が多いという意味なのでしょう。そこで出会った心理士の先生(60さいくらい、男)は「東京から来た若い医者」に興味を抱き、「東京の精神療法事情」を聞いて来ました。代わりに彼は自分が考案した「ロール・レタリング」という精神療法を教えてくれました。誰かに向けてお詫びの手紙を書くという指導でした。何せ入れ墨ゴロゴロですから、普通のカウンセリングじゃダメなんでしょう。「母に向かって詫びなさい」と言ってローレ(ロール・レタリングの略)。「次は父に向って、ローレ」とローレ攻めにしてくそうです。

こないだ、「23歳シングルマザー小6男子にわいせつ行為で有罪」という記事に「こういう人には罰じゃなく治療を」と書いてありましたが、僕は「こんな美人が来院しても何をすればいいかわからんな」と思いましたが、その時に、ローレのことを思い出しました。あの先生、生きてるかな?

⑤認知行動療法

…これも犯罪者の更生に役立つそうですね。しょこたんがストーカー被害にあったというニュースでも「犯人には治療を」というコメントがあって、その時に弁護士が認知行動療法は再犯防止のエビデンスがあると言い切ってました。

その真偽はともかくとして、認知行動療法とはある状況で生じる気分や行動には、その人特有の「方程式」が稼働するのだという考えです。つまり、y=f(x)、という公式を持ってる人のそれを、y=f’(x)、に換えれば、条件ⅹでも結果yの値が変わってくるという算段ですね。でも、僕に言わせれば、その方程式って結局どうやってつくられたかってその人の人生の積み重ねで出来上がった訳だから、そこを掘り下げて行くのは精神分析だから、結局、認知行動療法って精神分析の短期&焦点づけ療法じゃんって思うのですが、違うの?

⑥箱庭療法

…昔、えらい先生に「箱庭をどう思いますか?」と聞いたら、「あれは、こちらが寄り添って見守ってる中で作ることに意味があり、それは風景構成法も同じことで、だから箱庭は決して一人で作っても駄目だよ。こちらが見ていて、それがきちんと患者さんに意識として伝わっていることが大事で、それがあればバウムテストだって治療になりうるよ」だって。分かったような分からぬような。

⑦アンガーマネージメント

…「怒り」をコントロールする方法をラジオビバリー昼ズで松村邦洋が言ってました。腹が立ったら「怒」という字を思い出し、「女の股にこころ~」、「女の股にこころ~」、「女の股にこころ~」、「女の股にこころ~」、「女の股にこころ~」、「女の股にこころ~」と10回言うと、腹が立たず、別のところが立つ、という下ネタ。高田文夫に怒られてました。

 

以上、精神療法あれこれ、でした。


カワクリ緊急事態宣言解除

8/Ⅴ.(土)2021 はれ。石原さとみ聖火リレーランナー、物議をかもす?緊急事態宣言延長。

川原はスランプだった。みんなも同じだろうな。長引く自粛、コロナ鬱、天候の寒暖差、気圧、趣味ができない・・・などで寄る年波、体力の低下を痛感していた。カワクリの緊急事態宣言は、コロナを防ぐことよりも川原の体調を考慮したものであった。

そして、ゴールデンウィーク。ステイホームのため一升瓶を買い込んだ。
1本目は楽器正宗。↓。

楽器正宗は福島の酒。酒は酔うと結局味はよく分からないから、復興をなんとかしたいというその気持ちで好んでのんでいる。そういう偽善者だという自覚があるぼくがスキ。なんて。

2本目は、花陽浴。↓。

日本酒ランキング上位の人気の酒です。甘い。これを買ったのは、昔好きだった子の好きな酒がこの酒だったからです。歳を取ると懐かしくなって、あの子とのんでいるような気持になるかなと思ったから。
いい酒に、高級なあてをつけると酒の味がわかんなくなるもの。質素なつまみをと、セブンの金のウインナーとヤゲン軟骨で美味しくいただく。

だけど、家に居てラジオを聞いて酒をのんでるだけだから、昔のことばっか考えてしまう。昔の患者さんのことを考えてしまい、2,30年もすると精神医学の考えも変わるもので、仕方ないんだけど「あの患者さんにこうしてあげとけばよかった」と後悔もする。そろそろ現役も終わり、残りの時間を考えたりしていた。
そしたら、普段口をきかない息子が「”親鸞”って何歳まで生きたか知ってる?」と聞いてきた。(浄土真宗の宗祖で、植木等「スーダラ節」のルーツにもなっている人が”親鸞”)「わかんない」と答えると「90才」との事。当時の平均年齢は30才、単純計算で300才まで生きたことになる。息子は続けて「だから、まだこれからだから頑張れよ」だって。あと200年くらい働けと・・よし、後ろばっか見てても仕方ないと立ち直る。

ゴールデンウィーク最終日、形から気合を入れようと美容室に行った。

ハーフ&ハーフ?白黒つけろ?それは前回までの僕。
今回のテーマはブラックジャック↓

僕は忌野清志郎が死んだことを認めてないのだが、一応5月が命日。清志郎が尊敬していたのが「ブラックジャック」「子連れ狼」「オーティス・レディング」の三人。その中の「ブラックジャック」の白黒にした。

去年、コロナで江の島の密が問題視されていたが、今年の夏もみんな海水浴に行けないだろうと思い気分だけでもと、海をモチーフにネイルをしました。

題して「雨男は海水浴に来るな」
ハンドは、初夏のイメージ。↓。

足の親指についてるのはターコイズ。海に似合う石でつけたそう。↓。

というわけで、元気になり、身なりも整い、魂も入り、診療を元に戻すようにしました。

 

と、川原先生なりすましスーでした。先生が忙しいため代わりにお知らせしました。今回は分かりやすかったんではないでしょうか?でも全部本当の先生のエピソードなのでご安心くださいね。

先生もそうだったように、コロナ鬱、巣ごもりによる夫婦喧嘩、ひきこもり、天候による自律神経の乱れ、不眠、コロナ禍で知らないうちに流行って来た”病名たち”(ADHD,ASD,HSP,カサンドラ症候群など)、それにそもそも五月は「五月病」の季節。精神科・カウンセリングは不要不急ですね。
おまたせしました。新患受付再開です。

また受付時間や何か変更があればカワクリホームページでお知らせしていますので、ご覧いただければと思います。
なにはともあれ、先生が元気になってよかったです。おわり。