診察とカウンセリングのちがい

16/Ⅲ.(水)2016 はれ、あたたかい
よくある質問に、「診察とカウンセリングはどう違うのですか?」というのがある。
診察は医者がして、カウンセリングは臨床心理士がする、とか、
診察は保険診療で、カウンセリングは保険が利かない、とか、
診察はその時の混み具合で時間がまちまちだけど、カウンセリングは1回50分と決まっている、とか、
こんな形式的なことは皆さんもお判りでして、聞きたいのは内容的な差なのでしょう。
たとえば医薬分業システムのように、医者は薬を出して、薬剤師が薬の説明をする、などの役割分担なら判りやすく、
精神科医は薬を出して、お話はカウンセラーが聞く、という極端なやり方もあるだろう。
でも、そもそも精神科医が話しを聞かないと処方が出来ないし、薬を出してない人も診察を受けにくるし、
カワクリではナースの塚田さんに診察前に話を聞いてもらう人もいるから、ますます、カウンセリングって何?、となる。
必然的に、そういう質問が多くなる。
違いを語る前に、まずは共通点を述べたい。
それは、診察でもカウンセリングも、治外法権だ、ということだと思う。
誤解を恐れながら言うのだが、今の季節だと、「3.11」を忘れない。
その当時の診察場面だ。
その前に、僕らの仕事の生命線は守秘義務だから、本人に無断で「学会発表」や「論文」を書いてはいけない決まりがある。
勿論、個人が特定できないように、ケースをぼやかしたり、ミックスさせたりするのだが、
それでも、本人に了解を得る、のが絶対である。
だから、僕は基本的にブログにそういうことは書かない主義だが、今回だけは特別に例外です。
これから紹介するエピソードは本人の了解をちゃんともらったので、これから書きます。
その子は、中学生で学校も家も友人関係もうまくいかなくて、毎週、クリニックに通院していて。
薬を出すような症状もないから、毎週、ちょっとの時間だが、診察で話をしていた。
彼が、その頃、なんとかしのいでいられたのは、診察もそうだったかもしれないが、「少年ジャンプ」の存在だった。
月曜日にジャンプを読んで、週末クリニックに来て、一週間づつ乗り切っていたのだ。
そこに、「3.11」である。
色んな流通とかにも影響が出て、ジャンプは1週発売を延期した。
東京に住んでいる我々の電力の多くは東北の被災地に依存していたし、東京も計画停電をしていた頃だ。
テレビの番組もあまり不謹慎な番組は自粛されていた。
実際に被害にあった方のことを思うと、ジャンプ1週間延期、なんて何てことのないことだった。
だけど、彼は毎週、ジャンプを読むことで、日々をなんとかしのいでいたから、彼にとってはジャンプがないのは痛かった。
しかし、そんな事を言える世の中でないことを彼は重々知っていた。
彼は悶々としていて、自己嫌悪にもなっていた。
僕は、<ここで喋ったことは外に漏れないし、人間はそもそも不完全で放っておけば不謹慎になるもので、
外では言ってはいけないことも、ここでは喋って良いんだよ。心は治外法権だから>と保障した。
すると、彼は小さく息を吸って、大きな声で、「ジャンプ、読みてぇ~!!」と叫んだ。
診察とカウンセリングに共通するものは、そういうところだと思う。
世間でそんなことを言ったりやったりしてはいけない考えや思いも、せめて精神科では、言葉にするだけならば良しとする。
戦争中に「はなし塚」というのがあったという。
そのご時勢にふさわしくない噺を禁演して、墓に埋めたのだという。
戦争と震災を一緒にすると怒られそうだが、伝えたい趣旨はそういうことではないので、行間を汲み取って欲しい。
立川談志によると、「落語とは人間の業の肯定」であるから、そういったことはあってはいけないのだと思うのだが。
「明烏」も「子別れ」も「居残り佐平次」も葬られた。
落語と精神科を並列には語れないが、我々の仕事の守るべき一線もそこだと思う。
前置きが長くなったが、診察とカウンセリングのちがい、についてですね。
僕は、そう質問されたら、こう答えることがあります。
浅草キッドの本に書いてあったのですが、たけしの運転手を一時期していた、ゾマホンという変な外人がいます。
ゾマホンは、アフリカのベナンという貧しい国から日本に留学して、たけしのTV番組に出て、有名になった人です。
ベナンのことわざに、
「空腹の者への正しい援助は魚を与えることではなく、
魚の捕り方を教えることだ」
みたいなことがあるのだそうです。
それで、ゾマホンは日本で稼いだギャラを本国に送金・寄付するのではなく、学校を建てる資金として援助しているそうで、
その心意気に、たけしがその番組が終わっても自分の運転手に雇っていたというエピソードがあります。
僕はこれは精神科治療にもあてはまると思うのです。
つまり、クリニックを訪れた患者さんは、「空腹」です。
ですから、とりあえず、「魚」を与えて、お腹を満たさないと、「魚を捕る方法」どころではありません。
僕の仕事は、「魚」代わりに、薬や診断書を出したり、心理教育や助言をして、当座をしのぎます。
肝心なのは、そこからで、「魚の捕り方」を教えるのは、自己理解を深めたり、ストレス対処作を身に付けることと同義でしょう。
難しいのは、「正しい魚の捕り方」が人によって違うところだと思うのです。
正解は一つではないところが、信仰や自己啓発と違うところでしょうか。
「正しい」やり方は、それぞれの人の心の中にあるのでしょう。
これまでのその人の歴史によって、方法は異なるし、失敗から学ぶ事もあるでしょう。
心の中は、森の中に似ています。
勝手が知らずに、一人で入って行くと道に迷って出て来れなくなることもあります。
だから、心のメカニズムをよく知った専門家をガイドに一緒に探索活動をして、「ここからもうちょっと行ってみよう」とか
「ここから先はちょっとヤバイ、引き返そう」などとやることが、「魚の捕り方」を見つけることになる人もいるでしょう。
しかし、今の保険診療システムでは、精神科医はそこまでやれる時間がありません。
そこが精神科医が皆、共通して抱いているジレンマです。
そこで僕は、ある程度、「空腹」を満たした患者さんをカウンセラーに紹介します。
僕がカウンセリングに期待するのは、そこから先です。
これは僕の考えなので、心理には心理の言い分もあるでしょう。
心理は今、大きな転換期を迎えています。
心理の資格がいよいよ国家資格になるそうです。
その時、ちょっと揉めたのは、「医師の指示のもとで行う」みたいな一文だったと思います。
これは心理の自律性や自立性、専門性や主体性、ひいては心理のアイデンティティーに関わる大問題です。
まだまだ、これから詰めて行く案件だそうです。
話しはちょっと変わりますが、世の中の万物は偉大なる相似形で出来ているという数学的な考えがあって、
たとえばギザギザの海岸線の砂を拾い集めると、一つ一つが同じギザギザの形をしている、とか。
そんな理論が応用出来るなら、医師会vs心理の業界で起きてる問題が、カワクリという局所でも起きてはいないか?
医師の指示のもとでないと働けない心理士。
これでは心理士が可哀想だ。
だったら、心理から発信出来る場を作ろうと考えた。
それが「カワクリ下克上・心理コンテスト」で、そのうちパンフやホームページにも反映されるでしょう。
その叩き台として、個々の思いや考えやポリシーを皆さんに、いち早くお伝え出来るチャンスをブログに設けて、
たとえば、
「この病院は変だけど、このカウンセラーのカウンセリングを受けたい」とか
「ここの院長は引くけれど、このカウンセラーは信用出来そう」という声を拾い上げたい。
ブログのスペースだから、それは小さな場だし、目に触れる機会は少ないと思うけれど、大切なのはスローガンだから。
草の根運動的に情報が拡散するかもしれないし!
…でも、この心理への配慮って、空腹な者に魚を与えてる、ことに過ぎはしないのか???
自問自答。
BGM. RCサクセション「君が僕を知ってる」


王選手(監督)の夢

23/Ⅱ.(火)2016 曇り、少し寒い、花粉?
ジャイアンツのユニフォームを着て、王選手(監督)が夢に出て来て、こう言った。
「川原君のバッティング・フォームを見てたんだけど、アッパーからダウン・スィングに戻した方が良いんじゃないかな。
僕の一本足打法を使うと良いよ。
あれなら、大根切りになるからね。はははは…」と爽やかに笑って。↓。

言われてみると、僕は野球部の頃は、ダウン・スィングでライナー性の打球を打っていた。
それはボールが準硬式という外はゴムで芯が硬球と同じ重い球だったから、上から叩きつけると飛距離が出るから。
それが、僕が精神科医になって、こどもの病院に移って、ソフトボールのレクレーション係りになった時、フォームを変えた。
ソフトボールは、打ち上げた方が飛距離が出る気がしたのと、
それよりもソフトボールを通じて、こども達に何を伝えようかと考えた時に、
こども達は皆、とても萎縮していて、何かにおびえるように、お行儀よくしていたから、
僕はソフトボールを通じて、もっと遊び心とか、形に囚われない自由さを持っても良いんだという見本を見せたかった。
僕は守備では、ゴロを全部、突っ込んで捕り、ファーストへはダイビング・スローをした。
エラーとか暴投を恐れぬ荒いプレーがこども達に受けた。
そんな僕が選んだ打法は、近藤和彦の天秤打法だ。
バットのグリップを離して持ち、背中の方で天秤の様にリズムを取り、バスター・バントの要領で打つ。
慣れると意外とタイミングは取り易い。
僕の打撃は段々と進化して、体を180度に折り畳んで、体の回転の勢いと遠心力を利用したら、これが良く飛ぶ。
僕らのレクレーションのフランチャイズは屋外の球場だったから、風に乗せるように、自ずとアッパー・スィングになって行った。
僕が打席に立つと、こども達は、口々に、「おい、天秤打法だ。外野、下がれ~」と脅威した。
どうやら、王選手(監督)は、そのことを言っているみたいだ。
言われてみれば、理由があって変えたフォームだが、それがソフトボールだから、という経緯を僕は忘れていた。
だったら、今度、打席に立つ時は、ダウンに戻した方が良いかもしれないな。
ま、今の僕の人生で打席に立つことないんだけどね。
これは、知らせの夢かな?
原点回帰とか、状況に応じてやり方を見直せ、という比喩か。
王選手(監督)はよく僕の夢に出てくるが、決まって、こんな知らせの夢のプレゼンテーターの役が多い。
夢は大抵、検閲を受けてるから、その夢だけを夢事典のようなもので読み解くのは、むずかしく、額面通りには受け取れない。
だけど、結構、昔の偉い人は、夢を鵜呑みにしていることが多い。そして、それがまたうまく行っている。
ソクラテスは、ふだんは音楽を馬鹿にしていたらしいが、夢で「ソクラテスよ、音楽をやれ」と言われたら、
自分は「無知の知」だ、などと言いながら音楽のことを知らないくせに馬鹿にしていた、と反省して、
作詞・作曲したオリジナル・ソングを皆の前で歌って聞かせたという。やはり天才って素直なんだな。
親鸞はもっとすごいです。親鸞が修行してる頃のお坊さんは女を抱いてはいけないし、肉を食べてもいけなかった。
親鸞は、修行中、京都の六角堂で居眠りしてた時(それもすごい!)、夢に観音様が出て来て、
「親鸞や、お前は女と寝てもいいぞ。なぜなら、その瞬間、わらわが女と入れ替わってやるから、観音様とならOKじゃん!」
みたいなご都合主義の(すみません)夢をみて、それを鵜呑みにして浄土真宗を作っちゃったって言うんだから、
やっぱり歴史に名を残す人の発想は理解を超えてますね。
こないだ大学の医者に聞いたのだが、最近は研修用のプログラムやカリキュラムが親切に充実しているらしい。
そうしないと、若い人たちは不満を陳べるらしいから。
ま、そんな馬鹿なこともないとは思うが、1人でも大声でそういうことを言うと、皆がそういう風に思われるってことはあるだろう。
しかし、親切な研修プログラムって、自分で考える力や疑問を持つ発想が失われたり、そもそも芸って盗むものみたいな所があるのに、
そういう精神が欠落しないか心配だ。
つまり、「教えてくれる人」がいないと「何もできない人」になってしまうか、
出来ない言い訳ばかりをする人間の養成機関にならないかな。
僕が心配することでもないのだが。余計なお世話でした。
だけど、世の中には、教えてもらえることと、自分でつかむものがあると思う。
人によって、それは違ったり、あべこべだったりするから、難しいんだけど。
でも、自分の人生をどうするかなんて、これは教えてもらうことじゃないだろう。
ドラえもんのひみつ道具に「ミチビキエンゼル」ってのがあって、のび太は散々な目に遭っていた。
そんな時、夢には、たまに解決のヒントが隠されてることがあるから、注意してみると良いでしょう。
ポイントは、大抵の夢は普段抑圧されているフラストレーションみたいなものが出てくるから、
夢の後味は、不快だったり、変てこだったりするんだけれど、
寝起きが清々しい夢の時は、今抱えてる問題の解決のヒントの可能性があり、ってあたりかな?
取りあえず僕の場合、今度の休みにバッティング・センターに行ってみようかなと思います。↓。

BGM. シーナ&ザ・ロケッツ「ユー・メイ・ドリーム」


コマーシャル

20/Ⅰ.(水)2016 曇り寒い
ずっと欲しかった「音叉(おんさ)」を買った。
それは、パワーストーンが吸い取った悪い気を浄化するもので、空間を浄化する力もあるらしい。
これはエネルギー療法の先生が持っていて、ずっと探していたけれど、どこの石屋にもなかった。
僕は家で最近、よく金縛りにあうから、幽霊でもいるのかと思っていた。
こないだのエネルギー療法でチェックして貰ったら、「かなりマイナスのエネルギーが溜まっている」と。
マイナスのエネルギーをよく調べてもらったら、「自宅」と出た。
やっぱり、そうか。
でも、そんなに悪い物でもなかったらしく、施術でとってもらうことが出来た。
そこで、ついでに「音叉」の売ってる店を聞いたら、「どこの店でもあるが、奥にしまってあるかも」とのこと。
あるけど言わないと出してくれない、というのはよくあることだ。
このエネルギー療法だって、除霊、などを全面に打ち出したりはしていない。
そうしたら、怪しいからね(笑)
でも、親しくなると、裏技を披露して貰える様になると言う訳だ。
これは寿司屋とかに似てる。
僕の行きつけの店は決まっていて、僕は常連だから、行くとメニューに載っていない裏メニューを教えてくれる。
こうなってこそ、一人前の客になった気がする。
だから、僕は店では、裏メニューしか注文しない。まるで、幽霊、みたいだ。その心は、うらめしや。
…って、別に面白くもないですね。
僕は、エネルギー療法の先生の言う通り、石屋に行って、<音叉ありますか?>と尋ねたら、「ありますよ」と、
一瞬、店主の目が水晶のようにキラリと光り、奥から出して来てくれた。
音叉にも何種類かあって、チャクラの調整には部位ごとに違うらしいが、僕はごく一般的な「4096」Hrzのを買った。
「4096」は地球の持つ周波数と同じらしく、瞑想や浄化に適しているらしい。
僕は「しわくろ」と覚えた。「0」は輪っかに似てるから「わ」と読ませた。
「しわくろ」の意味は「皺が黒い」とか「幸せは苦労から」などとしても良いですね。
語呂合わせが得意な人は、それぞれ考えてみて下さい。
音叉は天然水晶とセットにするとパワーがアップするそうです。
これが音叉4096HRz。↓。

この水晶の固まりとセットにします。↓。

音叉で水晶を叩くと、キーンという反響音が聞こえます。このようにします。(カメラマン・大平さん)↓。

そして、水晶をかざして、空間を浄化します。(カメラマン・大平さん)↓。

待合室は人が集まるので、時々、浄化してあげると良さそうです。
でも、あんまり浄化しすぎるのもいけないそうです。
人の気と書いて「人気」と書くから、人気がなくなっちゃうと困るから。
過ぎたるは及ばざるがごとし、ですね。
水晶で浄化をすると、今度はその水晶も浄化しないといけません。
お店の人に聞いたら、さざれ石(水晶)とお皿、をサービスでくれました。↓。

この上に水晶を置けば、お互いに浄化し合うそうです。
石屋の店主は、僕がわざわざ音叉を買いに来たことが嬉しかったらしく、
オタクの人みたいに専門的なことを矢継ぎ早に教えてくれました。
水晶の浄化の仕方など。明治神宮のお水を貰って来てそれで洗うと良い、とか、その根拠とか。
それから、新月の光りに照らすと良い、とか。
僕は、<セーラー・ムーン・クリスタルですね>、と言おうかどうか迷って、迷った末、言わなかった。
カワクリの診察は、待合室の患者さんがいっぱいになると、「そろそろ…」という合図に受付が後ろの扉を3回ノックします。
経験された方もあるでしょう?
あれは、そういう意味です。
しかし、ノックの音が結構、響いて、僕がビックリしてしまうので、今週は、テスト的に、音叉、で知らせてもらっています。
これはビックリしないし、浄化もされるし、一石二鳥です。
今回のお題の、コマーシャル、とは、この音叉のことではなく、エネルギー療法についてです。
僕がブログにたまに書くから、質問されることが多いのです。
本当は人が増えて、僕の予約がとれなくなると嫌だから教えたくないのですが、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の例もありますし、
診察で教えてくれ、というリクエストも多いので、お教えしましょう。
「ボディ・デザイン・ラボ」という名前で、検索窓に「日吉 エネルギー療法」と入れると一番上に来ます。
本当なら、メッケルちゃんみたいに、リンクで飛べるようにしてあげると良いのでしょうが、
僕のキャラは「機械に弱い」ですから、皆さん、自力で入力してたどり着いて下さい。
日吉、と入力しますが、今は移転して奥沢です。
僕にとってはクリニックから近くなって、良かったです。
僕のおすすめは、同業者の方(精神科医・臨床心理士)です。
よく質問されるのは、「先生は、毎日、患者さんの話を聞いていて大変になりませんか?」ということです。
確かに我々の仕事はちょっとエクソシストに似ていて、皆さんのフラストレーションを少し、請け負って、
楽にするという面もあります。
僕は子供の頃、お見舞いに行くと、その人の具合が少し良くなって、代わりに僕が熱を出す、ということがよくありました。
自分では憑依体質だと思っていたのですが、医学部に入ると、結構、そういう人が多くてびっくりしました。
そして僕らは、専門的な勉強と並行して、もらい過ぎない方法、とか請け負ったものを処理するテクニックを習得します。
これは心理の人も同じですね。
若い頃は、こういうのが普通に出来たのですが、最近は年令のせいか、結構、力と時間がかかるのです。
だから、僕にとってエネルギー療法は、省エネ、というのか、助かるのです。
まぁ、効果に個人差はありますけどね。
患者さんにとっても、いいかもしれません。
西洋医学は万能じゃないから、東洋医学とか民間療法とかと、車の両輪のように補完し合うと良い人もいますね。
ここの代表は、坂下さんという男の人で、ホームページに出ている人です。
僕の担当はIさんという女性で、そこは3人の人でやっています。
1つだけ注意点をあげるとすると、ここのスタッフは皆、テレビに出てもいいくらいにビジュアルが良い点です。
そのせいで気圧されして、緊張してしまうのが心配です。
もっとも、カワクリに通っている人は、ビジュアルが良い治療者には慣れているから免疫がついていて大丈夫かな。
一応、断っておきますが、ホームページを見たら、「筋肉弛緩」「内臓調整」「アレルギー除去」が3本柱のようです。
僕の記事を読んで、いきなり「除霊して下さい」とか「縁切りをお願いします」と言うと、ひかれると思います。
それに、あまりそういうのを前面に出してないですね、よく読んだら。まぁ、うさんくさい、ですもんね。
あくまで、裏メニューですね。
そうそう、大事なことを言い忘れていた。
除霊をお願いしたい人の中に、ひょっとすると「憑依妄想」という病気の症状の人がいるかもしれません。
そういう人は、お薬を使った方が確実に良くなりますし、あっちでは無理かも。
どっちへ行ったら良いかの判断が難しいですね。
沖縄には、ユタ、という人がいて、まずそこに行って、病院に行くか、ユタがみるかを決めて貰うことがあるそうです。
それと同じような仕分け作業が出来る役割の人が必要ですね。それは僕がします。
重い病気の人が向こうに行っても迷惑をかけるし、薬で治るなら経済的にも楽だしね。
だから、もしそういう人はまず僕の診察で相談して下さい。エネルギー療法の適応の有無をチェックしてあげます。
あれ?なんだ?、結局、自分のクリニックの、コマーシャル、になっちゃった。
BGM. 甲斐バンド 「ビューティフル・エネルギー」


背後霊

12/ⅩⅠ.(木)2015 はれ
僕が精神科医になった理由は、予告ブログの番外編にあげてあるので、時期も良いので、近いうちにアップします。
今回は、精神科領域でも、何故、僕が精神分析や精神療法に興味を持つようになったのか、のお話です。
大学生の頃、母が、東北から神様がやって来るという噂を聞きつけて、2人で見物に行ったことがある。
川崎の方の、何かの新興宗教の道場みたいなところだった。
僕らは熱心な信者に混じって、罰当たりみたいに、ゆるく座って、神様の登場を待っていた。
リーダーみたいな男は、神様が現れる時には強い風が吹くからこの無風の道場の松の葉が大きく揺れる、と説明した。
僕は試しに、神様が鎮座する予定の場所まで歩いて行くと、無風の道場の松の葉が大きく揺れた。
信者達は、どよめいた。リーダーみたいな男は焦っていた。母は、よくぞやった、と大喜びした。
きっと、「係りの者」がボタンでも押し間違えたのだろう。
しかし、僕ら親子は、神様が登場する前に別室に移動を命じられた。
そこに神様が待機していた。
神様は予想に反して、普通の田舎のおばさんだった。
神様は困った顔をして、「お願いだから、帰ってくれまいか?」と田舎弁でお願いした。
母はブツブツ文句を言っていたが、僕はこのおばさんが急に不憫に思えて、母を説得し帰ることにした。
<まぁ、俺たちの勝ちだから、いいじゃん>みたいに言って。
そうしたら神様は良い人(?)で、「あなたの後ろには3人の背後霊がいる」と教えてくれた。
「その3人はあなたと同年代で、あなたのことを羨ましがっていて、力を貸してくれるから安心して良い」と言った。
僕には思い当たる3人がいた。
僕は比較的、珍しいと思うのだが、10代後半に同級生3人を亡くしている。
その3人のことかな、と一瞬、納得した。
でも良く考えたら、そのうち2人は医者を目指していたが、親友という程の仲でもなかったし、力を貸すとは信じれなかった。
おばさんは、テキトーなことを言って、僕らを言い包めて信じ込ませる作戦なのかなと疑った。
そんなことはどっちでも良いのだけれど、今日の本題である。
3人のうちの1人は、確かに僕のことを今でも応援してくれていると信じられる。
彼こそ、僕に精神分析やフロイトのことを教えてくれた張本人で、中高の時の同級生だった。
彼は博識で見た目は中原中也に少し似ていた。
英語とドイツ語が堪能だった。
僕は彼に借りたフロイトの文庫本を<わかんない>と言って突き返したら、彼はこんな風に言うのだった。
「それはわからないのではなくて、つまらなかったんだね。フロイトは日本語訳より原文の方が面白いんだけどな」って。
そして彼は、「川原君は、絶対、精神科医になるべきだ」と言い、フロイトの本を彼流に噛み砕いて放課後に教えてくれた。
僕はそこで防衛機制とかを知って、それは面白いと興味を持った。
高校の3年は理系と文系で授業が分かれるから、彼とは疎遠になって行った。
卒業後、しばらくして彼は死んだ。11月だった。家族だけの密葬だった。
しばらくして、僕は彼の家族に呼ばれて、彼の家に招かれた。
家族はどうしても僕と会いたかったそうだ。
ちょっと難しい問題なのだが、彼は僕のことが好きだったらしく、彼はいわゆる同性愛者だったらしい。
簡単に言えば、ホモだった。
性の嗜好は人それぞれだ。人にとやかく言われる筋合いはない。人に迷惑をかけなければね。
東京スポーツの風俗欄をみると、色んな性癖に合わせた性産業があり驚かされる。
最近の流行は、ぺチャパイ、みたいだ。巨乳ブームの反動か?
しかし、同性愛の風俗はあまりみかけない。平成27年でもだ。
だから、彼が死んだのはまだ昭和50年代だったから、色々と思い悩んでいたのかもしれないな。
思い悩んでいなかったら、ゴメン。
彼が僕を好きなことは勘付いていたが、まさかそんな背景があるとは知らなかった。
もしも、彼がそんなに若くして死んでしまうと判っていたら、1度くらい寝てあげても良かったのになと、マジで思う。
だからもし、お前が背後霊で、これを読んでいたなら、ちゃんと俺の手助けをしなさい。
BGM. ザ・ルースターズ「恋をしようよ」


躁的防衛

11/ⅩⅠ.(水)2015 はれ
昨日の記事の最後に書いた「BGM」、RCの「すべてはALRIGHT(YA BABY)」は、僕にとっては特別な歌です。
この曲は、RCが事務所との色んなイザコザをやっと乗り越え、新たなスタートを切る時に発表されたシングルです。
今聞くと、ポジティブな応援歌のように聞こえるかもしれませんが、この時のキヨシの心境はどん底だったことでしょう。
PARCOのCMに使用されるなど、プロモーションに力を入れましたが、チャボを筆頭に他のメンバーは恥ずかしがり屋で、
積極的には協力しません。
キヨシだって、本来はそういうのが得意な人じゃないのです。
なのに孤軍奮闘してましたね、テレビの中で、ガラにもなくオチャラけて。
RCは不遇時代があったから、キヨシはたくさんの楽曲をプールしていました。
だから、ブームが来た後も、クオリティーを落とすことなくニューアルバムを発表して行きました。
しかし、この頃には、「貯金」も底をつき、キヨシは新たに曲も作らなければなりませんでした。
それでも、RCは大人気でした。
その年のクリスマスの武道館コンサートのMCでキヨシはこう言いました。
「今日、ここに来れた奴は幸せだぜ。来たくても来れない奴がいるからな。チケットがとれなかった奴とか。植物人間とか」
後に知ったのですが、この時、キヨシのお母さん(当時は、キヨシもまだ実母だと思っていた)は植物人間だったそうです。
つまり、「すべてはALRIGHT(YA BABY)」は、全然、オーライじゃない時に作られ歌われていたのです。
脳天気なお気楽な歌に聞こえますが、この歌は苦悩の真っ最中にいる人間は、そうでも言わないとやってられない、ということを表現したのです。
僕は当時、医大生でしたが、父が死んだ頃で、それとは関係ないのですが僕の成績は悪く落第しそうな時期でした。
そんな時、♪すべてはオーライ、イエ~ベイビ~♪、と歌うキヨシの姿は手本になりました。
精神分析の用語で「躁的防衛(マニック・ディフェンス)」という概念があります。
簡単に言うと、抑うつ不安に陥った時の防衛のことで、現実を否認して、根拠のない万能感で乗り切ろうとする試みです。
これは、躁病の説明に使われることもあります。
そうなのです。躁病とは、楽しくてなるのではないのです。
あぁ、それで思い出したのですが、「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉がありますが、あれも似たようなところがあるそうです。
江戸時代には家屋の特徴などのせいで、大層、家事が多かったそうで。
それは決して、江戸の見物(みもの)だった訳ではなく、そうとでも言ってないとやってられなかった、という所だったようです。
度を越した負け惜しみ、と強がりですね。
こないだ、しょこたんと小林幸子とのスリーショットの時にお話しましたが、僕の携帯のカメラ機能はイカレテしまいました。
自宅のブルーレイも故障しました。
カワクリでは、待合室のモニターで流すDVDが動かなくなったり、動いたかと思うと、プリンターが故障したり。
診察室の椅子が片一方、壊れたり。受付カウンターのイエス様のライトが破損したり。
光と地球の自転だけで半永久的に動くはずの地球儀が止まってしまったり。
立て続けに、SOSサインを、アニミズム的に言えば、先祖の霊が教えてくれていて。
なるほど、そういうことかと今さらながら、判ったけど。
昨日は、11月のせいにしたけれど、月が変われば何とかなるというものでもない。
目の前の物に、立ち向かって行くしかないのだ。
そう言う訳で、サポートメンバーの募集中です。今一度、BGMをリピート再生です。
BGM. RCサクセション「すべてはALRIGHT(YA BABY)」


予告ブログ④~「BELLRING少女ハート」のライブのレビュー

29/Ⅳ.(水)2015 はれ
近年はアイドル戦国時代と呼ばれているが、僕はかねてからベルハーの「朝倉みずほ」に注目している。
それは、「朝倉みずほ」のパフォーマンスにではなく、「朝倉みずほ」の持つファンのキープ力が、
我々の臨床にも通じるものがあるのではないか、とニラんでいるからで。
この日のライブ、「あくび」~BELLRING少女ハート&川本真琴withゴロニャンず~では、
みずほのそれを説明するのに、うってつけのエピソードがあったので紹介しようと思います。
今日の記事は前日の記事、「GWはライブ三昧~今日は新宿LOFT」の続編です。
これを最後まで読んでくれて、みずほ、を知らない人は、みずほ、を理想化するかもしれません。
断っておきますが、僕が言いたいのは、みずほ、の持つキープ力の高さと洗練さが我々の日常臨床にも参考になるのでは?
という点で、アイドルとして朝倉みずほの歌唱力とかダンスとか演技力とかが卓越しているという意味ではないですからね。
ユーチューブで、
「2014.2.15 BELLRING少女ハート 朝倉みずほちゃん生誕特典」という動画をみつけました。
「夏のアッチェレランド」と「ボクらのWednesday」の2曲を無人の会場でピンで歌い踊っています。
どう感じるかは人それぞれですが、とりあえず、ぶっ飛ぶと思います。
3回みると中毒になるから要注意です。
話を4月29日(水)の「あくび」~BELLRING少女ハート&川本真琴withゴロニャンず~のツーマンライブに戻します。
ベルハーのオープニングは、旧メンバー4人で「ライスとチューニング」。
いきなり、みずほ、のラップ!
その後、新メンバー3人が加わり他3曲を披露した。
詳しいセトリを知りたい人は、ベルハーのホームページから「もえち」のブログへどうぞ。
「もえち」は、いつもライブの様子やセトリを詳しく書いてくれているので、それを参照すると楽しいです。
そして、川本真琴withゴロニャンず、にバトンタッチ。
僕はそこでライブハウスの後方に移動。
ツーマンの良い所はお互いのファンが出番によって場所を譲り合う所だ。
川本真琴は何曲か歌った後のMCで、
「今日のお客さんはベルハーのファンですか?それとも川本真琴の目当ての方ですか?」
と客層の大体の分布を把握して、
「大丈夫です。川本真琴のファンでも知らない曲ばかりですから」
と言って会場の笑いを誘った。
それが川本真琴の現役感で、単なる懐メロ歌手とかアニソン歌手ではないというプライドにもみえた。
気が付けば、僕の陣取ったすぐ横にベルハーのメンバーとプロデューサーが立っていた。
彼女らは、こうやって日夜、客席から、先輩達の芸を観ているんだ。
やっぱり、芸は盗め、って言うのが正しい姿勢だな。
教育カリキュラムなんか充実させたって、逆に甘えが生じて、後身は育たないのかもしれないな。
そんなことを思って、僕も川本真琴のステージを観賞した。
しかし、ステージがブレて見える。ベルハーのオープニングで暴れた時に、メガネを落としてしまったようだ。
僕はお客さんには失礼して、床に這いつくばって、往年の横山やすしのギャグの様に、メガネ、メガネって探してたら、
ベルハーや川本真琴のファンは親切ですね、一緒に暗がりの中、僕のメガネを探してくれました。
そして、川本真琴の演奏中なのに、川本真琴のファンが僕のメガネを発見してくれました。
その瞬間、周囲には小さな拍手も起こって。ありがとう。皆、やさしい。
しかし、僕は大森靖子ちゃんのコンサートの時もメガネを忘れて行くなど、眼鏡関連の失錯行為が多すぎる。
きっと、これは物の見方が狂ってるぞ、とか、正しく物を見直せ、という「しらせ」に違いない。
御眼鏡にかなう、って言い回しもあるな。
目上の人に気に入られたり、実力を認められたりすることの意味だったと思う。
御眼鏡にかなわなくなって来たのか?
色々と思うことはある。
だけど、まずは、メガネの度数を調べ直す所から始めてみよう。
タロット占いと同じで、深読みは危険だ。
ステージでは、川本真琴はトロピカルな曲調の曲を中心に披露して、自分の出番を終えた。
そして、一旦、引っ込んだと思ったら、ベルハーのメンバーを呼び入れ、お約束の、コラボ・タイム。
「FNSうたの夏まつり」では、川本真琴はしょこたんと競演したそうだから、ここで「1/2」を期待した。
だけど川本真琴、しょこたんとのコラボで何かトラウマでも受けたのかな。
川本真琴は、言行一致、コラボでも、徹底して自身の代表曲をやらなかった。
かと言って、気合は十分で、ベルハーと川本真琴はこの日のコラボのために、練習を積んで来たと明かした。
その選曲は「男女」という、可愛いにも程がある、ベッキー・クルーエルが世に出た曲と、
ローリング・ストーンズの「サティスファクション」の2曲だった。
「サティスファクション」は「満足」の意味だが、予定調和的に言えば「1/2」をやらないのは少し「不満足」だったな。
ちなみに、「もえち」のブログのセトリには、「サティスファクション」のことを、「サディスファクション」って書いてあった。
「もえち」はベルハーの中では年長な方だが、そうは言っても若いから、ストーンズのこと、よく知らないみたいで。
きっと、攻撃的なロックな姿勢=ドS=サディスティック、とサティスファクションが混ざっちゃったんですかね。
そんな誰の得にもならない考察をしてみました。
「サディスファクション~」。
そして、ライブはベルハーが再登場して、大いに盛り上がった。
ベルハーは、ライブ会場でグッズを買うと、スタンプカードにハンコを押してくれる。
下が、ベルハーのスタンプカード。アストロモンスのフィギュアに持たせてみました。
ちなみに、アストロモンスは「ウルトラマンタロウ」の初回に出て来た怪獣。↓。

上のベルハーのロゴ・マークをネイルに取り入れてみました。↓。

僕は「あくび」の記念Tシャツを買ったら、30ポイント溜まって、メンバーのコメント入りDVDと交換可能になった。
僕はてっきり、あらかじめ録画されているものをくれるのかと思ったら、1枚づつ作ってくれるらしく名前を聞かれた。
そして、「誰のDVDにしますか?」と聞かれて、これもてっきり全員が揃ってメッセージをくれるのかと思ってたら違う。
推しメン、を選んで、そのメンバー1人がメッセージを吹き込んでくれるみたいだ。
僕は、ベルハーという特異なアイドル・ユニットに興味があって、特にこの子を推している、というのではない。
でも、不意打ちで、誰か1人を選択しなければならい場面になった。
後ろには行列が出来ている、考えている時間はない。
僕は、「ソフィーの選択」の、メリル・ストリープのように反射的にメンバーを選ばなければならなかった。
その場面で、咄嗟に僕の口から出たメンバーの名前は、「みずほ」だった。
スターに必要なのは、こういう引きの強さだ、とよく言われる。
そして僕はコインを2枚、もらった。これ何に使うの?
僕はベルハーのライブは久し振りで、セカンド・ワンマン以降、物販のやり方がよく判らないので、
詳しそうな人に聞いた。
すると、そのコインは1枚でチェキを、もう1枚でそのチェキにコメントを入れてくれるらしい。
ライブが終了してから、チェキ列が出来る。
僕はコインを2枚握り締め、「みずほ」の列に並んだ。
みずほ、の列だけ異様に長く、みずほの列はすぐ受付終了になっていた。
僕が始めてベルハーを知ったのは、新宿のタワレコのインストア・ライブだった。
その日、何かの用事でたまたま寄ったのだが、それは運命なのかしら、彼女達のステージに出くわし、
衝撃を受けた。
黒いセーラー服にカラスの様な羽根をはやした衣装は、アイドルらしくない。
メンバーは6人とクレジットされているのにも拘らず、ステージ上には3人しかいない。
音程は外れ、踊りもバラバラ。
そして、1曲歌い終わる度に、お互いの立ち位置が違うとか歌詞を間違えてるとか注意しあっていた。
今時の若い子は器用だから、素人でも、もっと達者だ。学芸会以下のステージだった。
しかし、楽曲は良くて心に沁みて、ハラハラさせられるパフォーマンスは目を離せず、
結局、最後までライブに釘付け。
勢いでCDも購入して、握手会にも参加してみた。
ベルハーのファンは握手をする時に長くメンバーと喋るから、自然と時間が押していた。
タワレコのインストア・ライブは時間きっちりに終らせないといけない。
ベルハー関係者は焦っていた。
約束を破って、2度と使えなくなったら困るからだと思う。
僕は後ろの方の順番だったが、途中から、ベルハーのスタッフが長いファンを打ち切るように介入して行った。
そして僕の番になった。
僕はその時は誰が誰かも判らなかったから順番に握手して記念にチェキを撮って帰るつもりだった。
今思うと、その時の3人は、じゅり、と、もえち、と、みずほ、だった。
順番に握手をして、彼女達が何か言うのに相槌をうつだけだったから、スピーディーだった。
僕はベルハー・スタッフから「早くして」とお願いされる事態にはなりようがなかった。
そのはずだった。
ところが、みずほ、である。
最後の、みずほ、は前の2人と違って何も喋らない。ただニコニコしている。
僕が握手を終え、その場を去ろうとしたが、みずほ、は手を離さないのである。
僕は戸惑った。みずほ、の力はそんなに強くはなかった。しかし、その手は解けなかった。
つかまった、という感じだ。キャッチされた、という感覚だった。
ジョン・レノンを射殺したチャップマンの愛読書としても有名な「ライ麦畑でつかまえて」で主人公は、
将来なりたい職業などはないが、もしなるなら、ライ麦畑のつかまえ役だと語っていた。
それは、広いライ麦畑に大人は自分しかいなくて、後は皆、子供で、子供は夢中で走り回っているけれど、
ライ麦畑の向こうは絶壁みたいな崖で危なっかしい。
なのに子供達は走ってる時は、どこを走ってるかなんて見やしない。
だから、そこでの仕事は、崖から落ちそうになった子供を見つけたらさっと素早くつかまえてあげること。
そんなことを1日中やるのが仕事。本当になりたいものはそれしかない、と言う。
僕は常々、精神科の仕事は、ライ麦畑のつかまえ役に似てるなぁ、と思っている。
そんな「ライ麦畑でつかまえて」の原題は、
THE CATCHER IN THE RYE
だ。英語に詳しい人に聞いたら、CATCHには、捕獲して捕まえたらしっかりと離さない、
という意味があるらしい。
何を言いたいかと言うと、みずほ、の握手は、そんなCATCH、だったのである。
そのせいで、僕はベルハーのスタッフから、
「すみません。時間が押しているんで下がってもらっていいですか」と催促されて。
僕は<すみません>と恐縮して下がろうとするが、それでも、みずほ、はニコニコした顔で手を離さない。
すごい度胸だ。
僕はベルハーの運営スタッフからは離れてと言われ、ベルハーのメンバー(みずほ)からは離してもらえない。
どっちにすればいいんだ?という、ダブル・バインド状況。この初対面のインパクトは強烈だった。
僕の毎日の診療も、タワレコの握手会と同様に、時間との戦いだ。
なるべく1人の診察時間は長くしたいが、他の患者さんの待ち時間は短くしたい、と云う絶対的矛盾を併せ持つ。
精神療法的に云えば、絶対的矛盾が発見されたら、それはその人のテーマである、と言われている。
なるほど、まさにこれはカワクリのテーマだ。
僕はその解決策に、タワレコ体験を応用できないかとあれこれ考えたりもした。
強面のスタッフを雇って、
「もう時間だ、早く切り上げろ!」と診察室に乱入させ、僕はニコニコして、
<大丈夫、大丈夫>と面接を続ける。
みずほ、の真似をして診察場面でダブル・バインド状況を人工的に作ってみる。
でも、よく考えたら、ダブル・バインド・セオリーって精神病を作る親の態度だって、ベイトソンは言ってるから、
反治療的だ。
従って、却下。
「何をもって治療的か?」という議論もあるが、精神科で治療的だと言われている概念に、
ホールディング、というのがある。
holding
は、「抱えること」とか文字通り「抱っこ」と訳されることもある。
それは治療環境の提供とか、安全な環境のお膳立てとか、心理的な支持とか、
患者さんの抱える問題を丸ごと抱えるとか、多様な意味がある。
ホールディング、は「抱っこ」って訳があるから、母親的でやさしくフワッとした毛布でくるむような印象を持たれるかもしれない。
でも、これも英語に詳しい人に聞いたら、holding、にはcatching(捕獲する)の意味もあるらしい。
子供がライ麦畑の崖から落ちそうになった時に、つかまえるやり方は、やさしく抱っこするようなやり方では無理で、
手を引っ張って、力ずくで抱きしめて、安全が保障されるまで決して離さないことが大切だ。
ちょっと荒っぽくてもね。
それで思い出したのだが、ビートルズの初期の代表曲「抱きしめたい」は結構な意訳で、原題は、
I Want To Hold Your Hand
だ。
直訳すると、君の手を握りたい、だ。
ホールディングの文脈で云うなら、握りしめて離さない、って感じかな。
そうそう、みずほ、の握手ってそんな感じだったんですよ。
レノン=マッカートニーと意味的に一緒なんだから、ね、すごいでしょ?、みずほ。
そんな、みずほ、と握手するのは、随分と久し振りだ。
なんか最近は、ついついBABYMETALや上坂すみれや大森靖子に気が散っていたから。
さっきも言ったが、みずほ、の列は長くて、ライブが終ってかなり時間も経っていた。
明日は仕事だから、僕はササっとチェキを撮って帰ろうと思っていた。
すると、みずほ、は僕を見て、「あっ、久し振り~!」と手を振った。
そして、その手の平を僕の目の前に差し出して、「ちょっと待って」と言って、「かわはら、さん!」と名前を当てた。
名前を覚えててくれるのは、ファンとしては嬉しいものだ。
だが、人の名前を覚えるのが得意な人は一定数いる。
だから、これだけをもって、キープ力、と言っているのではない。
それは、つまり、こんなことなのだ。
僕は、みずほ、とチェキを撮り、それにコメントを書いて貰うのだが、みずほ、は「どうする?」と言う。
僕が<?>と応えると、みずほ、は「今度の時に渡すので良い?」と聞く。
みずほ、の列は長蛇の列だからね。
僕は、<今度って言われても…いつ来れるかな?>と優柔不断に迷っていると、
みずほ、は「じゃ、今度、渡すね」と次回予約をとってしまった。
しかも、それが営業的でもなく、強制的でもなく、お願いでもなく、おねだりでもなく、マニュアルでもなく、自然なのだ。
「じゃぁ、またね」って感じで。
僕は仕事柄、逆の立場になることはあって、なるべく、予約をとってあげるようにしてあげてる。
ただ、臨床の難しいのは、そう云う患者さんもいれば、逆に「もう来なくて良いよ」と言って欲しい人もいる訳で。
そういう人を見損なって、無理矢理に繋ぎ止めると、金儲け主義、とか悪口を言われそうだし。(笑)。
ま、そこの見極めはセンスですね。
我々の仕事は、営業色が出るのは致命的だけれど、お金と時間を使う価値がある、と思ってもらう説得力がなくちゃね。
経済原則の中で暮らしてるから仕方ないけど、お金が絡むと、縁とか誠意とかを証明するのは難しいけど。
そこもアイドルと僕らの仕事と共通する点があると思う。
みずほ、のキープ力の高さとは、僕のように1回離れかけたファンがフラッとやってきたワンチャンスを決して逃さないことで。
これは勉強になった。
アイドルのファンをやっていると複雑な心境になることが多い。
家で動画や音楽を聴いてる分には、自分とアイドルだけの2人の関係だけなのだが、
ライブ会場に行くと、自分より断然、気合の入った、年季の入った、ファンを見かける。
そうすると、何故か、ひどく落ち込むのである。
<俺の入り込む余地はないな>とか。
ファン同志の仲間に入ることも出来ないし、ついつい弱気になってしまうのだ。
それは、アイドルとの物理的な距離と反比例するのだ。
近いほど、そうなる。
だから、BABYMETALやきゃりーちゃん(アリーナ・クラス)では味わわない。
上坂すみれや大森靖子(中サン)でも、感じなかった。
しかし、ベルハーは近い。だから、実感してしまう。
そういうのが無意識的に働いて、ベルハーのライブから遠のき、他のライブに手を広げ、濃度を希釈していたのかもしれない。
サザンオールスターズの「シャ・ラ・ラ」じゃないけれど、
♪えり好みなどばかり良い訳ないじゃん、目移りがクセなのさ。あなたの事が頭にチラついて、シャ・ラ・ラ。♪
僕は想像するのだが、患者さんの中には、僕が今、言ってる事と似たような事を診察に対して思ってる人がいる気がする。
僕の臨床スタイルは、<入り口は病気の症状でも、結局は、人生での色んな相談事は事欠かないから、
診療は終わりがあるようで、明確な終わりはない>、というスタンスだから。
狭義の病気以外の人も、たくさん来ている。
だから、待ち時間が長かったり、待合室に患者さんが沢山いると、ライブハウスの時の僕の様に、「来てて良いのかな?」、
と考える人も多そうで。
僕にとってのベルハーのライブのように遠慮したり、いじけたりして、足が遠のく人も結構いると思う。
「僕みたいな相談で来てて良いんですか?」とか「もう良くなったから来なくて良いと言われるのではないかと不安です」
などと実際に言われることもある。
そんな風に直接、言える人はまだ良い。
思ってても、言えなくて、理由を語らないままに、自然とフェイド・アウトして行く患者さんもいる。
そういう人が何かのきっかけで、1年くらいして、フラっと再び、訪れることがある。
そこで肝心なのは、そのフラッと来たワンチャンスを、しっかりつかまえることで。
きっかけなんて、何だって良い。川本真琴くらいの理由で良い。
むしろ、しばらく来なかった理由を喋れるように話を持っていけると良い。
今さらって話かもしれないけど、今だから言えるって話もあるし。
と言う訳で、僕はベルハーのライブに再び、通うことになると思います。
月1定期公演「第一回消エル赤血球」に行くことにしました。
その報告は、また今度。
ちなみに、出会いの関係性は普遍的で、この日の僕も混んでるから、気を遣ってサッサと帰ろうとした。
すると、みずほ、は「早いよ、まだ行かないで」と僕を引き止めた。
「早いよ、まだ行かないで」と言うフレーズが、なんかセクシャルな意味を含んでるような妄想をしてしまい、
<こいつは魔性か?>と僕はそれで頭が真っ白になり、その後、みずほ、が何を喋っていたのか、全然、覚えてない。
さて、いよいよ、シリーズ、GWはライブ三昧~、は残すところ、しょこたんのバースディ・ライブ2Daysのみとなりました。
5月中に書き上げるぞ!
BGM. BELLRING少女ハート「ボクらのWednesday」


GWはライブ三昧~ポールを観に行く!2015

27/Ⅳ.(月)2015 はれ
僕は今週は少し体調を崩しぎみで、風邪っぽい症状。熱はないが喉に少し違和感があって、鼻が出る。
僕は花粉症ではないけれど、遅れて花粉症を発症したのかなとも思った。
だけど、花粉のシーズンももう終わったのに今頃花粉症になる、なんて発想はバカらしいなと思った。
すると「バカは風邪をひかない」というフレーズが頭を支配し、<あれ?俺はバカなのか?>
<だから風邪じゃないのか?>とか。
<俺はバカじゃないから(そう思いたいから)風邪をひいたのか?>と訳が判らなくなってしまった。
日本人には言霊思想というのがある。
僕は寝る前に、<風邪はバカがひくものだ>、と毎日10回繰り返し自分に言い聞かせるようにしてから寝て、
栄養ドリンクと葛根湯を倍量飲んでなんとか乗り切った。
今日はポールのコンサートだが、その前に午前中に日吉でエネルギー療法を受ける。
先生に、今週の体調を説明すると、「では、アレルギー・チェックをしてみましょう」と調べてもらった。
アレルギー・チェックと言っても内科でやるような血液検査ではなく、
僕は横たわり顔にタオルを掛けられているから、何をされてるのかはよく判らないのだが、
両手をダランとしていると先生が両腕を伸ばしたり縮めたり引っ張りながら、
まるで長門有希の様に、口の中で何か呪文のような数字を唱えてる。
で、出た結果が、アニサキス、だって。
医学生の時、「病害動物」という授業で習いました。
アニサキスってイカに住む寄生虫ですね。
ところで、上から読んでも下から読んでも同じになる文を回文と言うが、「談志が死んだ」とか「竹やぶ、焼けた」が有名で、
「イカ、食べたかい?」も回文だ。昨日、大森靖子のコンサートの後に回転寿司に行ったから、そのせいかな?
エネルギー療法では、風邪の症状を思い浮かべてイメージして下さい、と言われ、そうしてると額や口鼻の周りに風が流れるような体感で、
くしゃみを二回と咳を二回したら、すっかり具合が良くなっていた。
ありがとう。お陰で万全の体調で、ポールのコンサートに臨めます。
何か、お土産、買ってきますね。
僕は、昨日、美容院でこの日のポールのコンサートのためにヘアスタイルを初期のビートルズをイメージしてマッシュルームにしました。
ネイルはブリティッシュ仕様にしました。↓。

ちなみに去年もポールの来日公演は予定されていて、僕はチケットも持ってたのですが、ポールが腸捻転でライブが中止になりました。
そう言えば、「5/18問題」の頃だ。
あれから1年かぁ。
もっと以前のような気もするなぁ。
今回のチケットも、前回&前々回同様に、僕の30年来の親友のF.が用意してくれた。
ポールの東京ドーム公演は、1日おきで、(木)(土)(月)の予定だった。
カワクリの休診日は(月)だから黙ってても(月)をとってくれる友情は、今さら照れくさいから礼は言わない。
グッズは、パンフレットとポスターと巨大ブランケットをクリニックに置きました。
今回、お世話になった「エネルギー療法の先生」と「美容師さん&ネイリストさん」にはタオルをお土産に買いました。
クリニックの入り口の所の机に、パンフレットを置いときましたから、良かったら見て下さいね。↓。

ポスターは、喫煙所です。一昨年のから、リニューアル。↓。

診察室の入り口扉正面の壁には、東京ドーム限定のリトグラフを、当日のチケットと一緒に。↓。

巨大ブランケットは、テレビモニター側の、「けいおん」の垂れ幕を少しずらして飾りました。↓。

ところが、これは完全に遮光効果が高くて、今朝、クリニックに着いたら、待合室が真っ暗でした。
「もっと光りを!」のモットーで、受付の後藤さん&小森さん&山﨑さんが試行錯誤してくれ、結局、診察室に飾りました。
皆さんの座る位置の右後方のソファの方の壁です。
多分、普通にしてたら、視界に入らないです。興味があったら、振り返って見てみて下さい。
巨大で、ビックリしますよ。↓。

コンサートは、一曲目から、マジカル・ミステリー・ツアー。大盛り上がりです。
「バック・イン・ザ・USSR」とか「バンド・オン・ザ・ラン」とか「へルター・スケルター」なども凝った演出で。
僕はクリニックのモニターで流す映画の候補作品を絞るべく、最近007シリーズを観ていたから、
「死ぬのは奴らだ」のエキサイティングなステージが1番良かったです。花火がボンボン打ち上げられてて。↓。

セトリはすごく良くてポイントポイントで感動のツボを抑えてて、「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」とか
「ヘイ・ジュード」とか「レット・イット・・ビー」とか「イエスタディ」とかジョージの「サムシング」をウクレレで演奏とか、
もう泣きますよ。
今日のポールは絶好調で、F.とも話したんだけど、ポールは、2年前より若返っていましたよ。
ノンストップでアンコールも2回やって、それもすぐ出てきて、全く休まない。
一昨年の記事にも書いたけど、メンバー紹介や他のメンバーの演奏とかで時間を稼いだりしない。
水も一滴も飲まない。
晩年の立川談志は糖尿病も患っていたから、口が渇いて、高座で湯飲みのぬるま湯を飲むことがしばしばあった。
その度、談志は、「本当は飲んじゃだめなんです。自分の唾液で潤わさいと」と言っていたのを思い出す。
ポールに詳しい人の話だと、ポールが水を飲まないのは、「ライブ中に水飲むのって格好悪い」って言う理由なんだって。
格好良い!
F.は、「ポールって73くらいだろ?君の指導教官だった精神療法センターのA.教授が退官したのが60だろ。
それと比べて、10以上も上なんだぜ。すごいよな」と僕の恩師を引き合いに出して、僕の恩師を軽くディスって。
本当に最後の曲が終わった後、ポールが「また来るよ」と手を振ったら、それまでは静に座って観ていた僕の隣のおばさんが感極まって、
急に立ち上がって、「ポール!」って歓声をあげて、大きく手を振りながらジャンプしていた。
そして、振り向き様に僕の顔を覗き込む、その顔は泣きじゃくってて何の液体だか判らない程ぐちゃぐちゃで、眉墨とかオシロイとかが崩れて、
まるでキッスみたいなメイクになっていて、感動の坩堝って言うのか、リビドーのドツボって言うのか、
「良かったわよね!」
と感動の共有を強要してくるから、僕はその勢いでこのまま唇を奪われるんじゃないか?って貞操の危機も感じて。
キッスだけに。
一方のF.は隣のカップルがずっと歌を歌ってるのは良いのだが、それが恐ろしい程に音痴で、調子っぱずれで、
そのせいでポールの歌より、隣のカップルの歌に気がとられてしまったと嘆いていた。一度、気になるとそうかもね。
ライブってそういうものだよ。グルーヴって云うんですかね?
しかし、そんなエピソードが指し示すのは、さすがポール・マッカートニー、会場は一体となり、感動のステージ、
感動のフィナーレ、感動の余韻を皆が持ち帰って、明日からもまた頑張ろうと口々に感動を言葉にして帰る駅までの道のり。
感動って単語しか使ってないから、ボキャブラリーの少ない人間のように思われそうだが、少ない語彙で伝わるなら、その方がコミュニケーションの質は良い。
明日の(火)は武道館が追加公演になった。
武道館は1966年にビートルズが来日公演をした聖地。
ビートルズが武道館を使う時って、使用許可を取るのが大変だったってドキュメンタリー番組を観たことがある。
柔道連盟とかの人が、「男のクセに長髪でチャラチャラした外人に、日本武道館を貸せん!」みたいな。
でも、なんとかそこを直談判した男の苦労話だった。
そのお陰で、ロックを志す者のとりあえずの目標は、今でも「めざせ!武道館」が合言葉になっいてる。
「けいおん」の放課後ティータイムのメンバーもアニメの中でそう言ってた。
だけど、F.が言うには、武道館のチケットは10万円だって。
さすがに高いね。
でも、C席という見切れ席(25歳以下に限るらしいが)は2100円らしい。
お金のない若い人にも、生のポールを観せてやろうという思惑で、その料金設定はビートルズの当時の入場料(2100円)
と同じという粋な計らいらしい。
そう言えば、ビートルズが女王陛下から勲章を貰った時のライブ映像で、
良い席に偉い人やその婦人が招待されていて、ファンの女の子が2階席にいた。
そこで、ジョン・レノンは、「後ろの人は声援を。前の人は宝石を鳴らして下さい」と皮肉なMCをしてた。
そんな連想もしてしまう価格のバランスだ。
でも、明日の武道館は、きっと、今日とセトリは違うんだろうなぁ。
帰り道、僕とF.は感動も覚めやらず、「勤務医だったら明日休みをもらって武道館に行ったな」と冗談を言った。
勿論、冗談ですから。
勤務医は勤務医で大変だからね。
ちゃんと訂正しておかないと勤務医に怒られるからな。
「川原達二の十中八九N・G」は業界視聴率が高いから。
ちょっと変な事を書くとすぐクレームが来る(笑)
それも「コメント」欄にじゃなくて、直だから、参るよ。
そもそも断ってるじゃん、十中八九N・G、だって。
まぁ、だからと言って誤解を生む様な記事を書いて良い訳がありません。
ネットにもマナーがあります。
勤務医だって、休みませんよ。逆に、開業医だって休みますよ。
とにかく、誤解を招く、不適切な発言でした。
今度、きつくF.に注意しておきますので。
さて武道館公演だが、おそらく近いうちに西新宿あたりの海賊版屋でブートレックが売られるから、それで我慢しよう。
F.にも毎度ポールのチケットを取ってくれるお礼代わりに武道館の海賊版を買っといてやろう。
あいつは、近頃、調子に乗って特注サイズの液晶テレビを買ったと自慢気に話してたからな。
ちょびっと、羨ましかったから。
その特大のテレビモニターで画質の粗い海賊版の映像を観させ、無駄遣いを痛感させよう。良い薬だ。
きっとF.の奥さんにも感謝されるだろう。
そう言えば、一昨年のポールの記事は、半分以上、ポールはポールでもポール牧の事を書いた気がする。
まるで懲りないようだが、ポール牧についてちょっと話したい。
前置きとして、僕は常々、精神科医と芸人の社会的な役割は似てる所があると思っている。
例えば立川談志の「落語とは人間の業の肯定」というのと、フロイトが精神分析で言ってる事は重なる部分が多いと思う。
それは人間は社会的な動物だから、世の中を平穏に暮らすためには皆が好き勝手にやっていたら秩序がなくなって大変になる。
だからある程度、平等に自我をセーブして、共有するルールが必要になる。
それは法律だったり校則だったり常識だったりする。
これらは皆が少しずつ我慢して譲歩して出来たものだから、生理的には不愉快なものである。
だけど、だからと言ってそれを破るのは社会的には不適合である。
だけど、やっぱり不愉快である。
それは常識たちがさも偉そうに絶対善みたいな態度でいるからで。
だから、「不愉快だ!」って思うだけなら、言葉にするだけなら許されるのではないか。
それを別の視点から見て、「常識って疲れません?」って道化として口火を切って抑圧を解放してあげるのが芸人の役割で、
「そりゃ常識は疲れますよ」と社会的地位のある立場から同意するのが精神科医の仕事だと思う。
違いは、対象にする相手が、芸人は大勢で、精神科医は個人であることかな。
ね、似てるでしょ?
ポール牧は、僕らの世代にはビートたけしのオールナイト・ニッポンでホラ吹きネタでブレイクした。
結局は、自殺しちゃうんだけど、それ以前にも自殺未遂騒動とかがあって。
そういう修羅場をくぐって来た人で。
芸人としてのプライドも高くて、自らのスキャンダルもつつみ隠さず喋っていた。
「芸人だったら、どんなに追い詰められたかをさらけ出して語るのは決して恥ずかしいことじゃない。
むしろ、それを隠して生きていく事の方が恥ずかしいことだ」ってポール牧は言っていた。
このポール牧の「芸人」を「精神科医」に置き換えたらどうなるのだろうか、と僕はよく思う。
精神科医だって人間だからしくじったりもする。場合によっては、社会的な制裁を受けることもある。
そんな時、それをきちんと受け止めて、それをこれからの仕事にどう活かして行くのかが人間としての度量の差になる。
精神科という専門性だからこそ出来る内省の仕方や総括の仕方があるはずだ。
その葛藤や苦悩や絶望からの信用回復のプロセスを見せるのが真摯だと思うし、誰かの手本になるかもしれない。
ポールだって日本で大麻所持で逮捕された過去があっての今なんだから。
ポールに習おうぜ。牧にも、マッカートニーにも。
BGM. ザ・ビートルズ「ザ・ロング・アンド・ワインディングス・ロード」


男達のホワイト・デー

今回は、以前のブログ記事「タグ」の中で予告した「ゆたかさん」と中西先生の友情を軸にした特別企画です。
「男は強くなければ生きて行けない、優しくなければ生きて行く資格がない」
知らない皆さんも多いかと思うので説明すると、これは「野生の証明」という映画のキャッチコピーでした。
「野生の証明」は、「人間の証明」に次ぐ角川映画の第2弾で、薬師丸ひろ子のデビュー作です。主演は、高倉健。
ちょっと男っぽい、導入をして、2人にゴマをすってみました。
先日、「ゆたかさん」から電話をもらった。
「ゆたかさん」は僕の大学の先輩で、それは恐ろしい先輩だった。
出来れば、あまり関わりを持ちたくないような怖い人だった。
昔の上級生には、本当に恐ろしく怖い人がいたものだ。
それに比べて、中西先生の優しかったこと。
その二人が同期で仲良しだと言うから、人生は味わい深い。
僕の入学した大学には、学生会館というロッカーや食堂やロビーのある棟があった。
そこの1階にはジュースの販売機や喫煙スペースがあり、ベンチがあって学生の休憩場所だった。
学生の休憩場所だから、自由に使って良い物と思い、入学したての僕は派手な格好でデカイ態度でくつろいでいた。
その頃の学生会館を牛耳っていたのが、「ゆたかさん」だった。
僕は何人かの人に、「ゆたかさん」に目を付けられない様に注意しろ、と忠告を受けていた。
しかし、僕はまさか大学生にもなって、そんな原始的な上下関係が通用するものか、と相手にしなかった。
「ゆたかさん」はしばらく僕を泳がせて様子を見ていたらしい。
そして、僕の一挙手一投足を観察しては、周りのものにリサーチしていた。
僕のクラブの先輩は、普段は喋ったこともない怖い先輩に呼び出され、僕の事で尋問されたらしい。
「あいつは、なんで、南軍の帽子をかぶって、学校に来てるんだ?」
「あいつは、なんで、フェース・ロックにチキン・ウイングを合体させた技を使うんだ?」
僕の先輩達は可愛そうに、僕の服装やプロレス技のことで、問い詰められ、答えられないと鉄拳制裁だ。
そして、先輩達は、「川原、なんで、その帽子なの?それより目立つ格好、やめて」とか、
「川原、なんで、チキンなんとかって技を選んでるの?それより、学生会館でプロレス技、かけないで」って懇願した。
僕は当時、アメ横の中田商店というアーミーな店で軍隊の服を買って来ては好んで着ていた。
また当時は、UWFがブームで、ス-パー・タイガー(佐山サトル)がチキン・ウイング・フェースロックを流行らせた。
「ゆたかさん」は古くからのプロレス通だとは聞いていた。
だから、僕は学生会館で「卍固め」や「足4の字」をかけてる分には、見過ごしてくれたのだろう。
しかし、当時のUWFは、既存のプロレスを否定し、派手な技より地味にギブアップを奪える技が決め技だった。
その代表が、チキン・ウイング・フェースロックだった。
これは背後から相手の片腕を手羽先の様に「く」の字にとって、逆の手で相手の顔を横に引っ張り、自分の両手を
ロックさせる。これは両手の人差し指1本をフックするだけで、極まった。
多分、この辺が、「ゆたかさん」の臨界点だったようで。
僕は、「ゆたかさん」に呼び出しをくらった。
覚悟はしてたが、ついに来たか、という感じだった。
僕は大勢の取り巻きを引き連れた「ゆたかさん」に学生会館の屋上か何かに連れ出され、ボコられるのかと覚悟した。
殴られたら、すぐ女子の所に行き、同情票を引いて、女子を扇情して心理的に逆襲に出ようと作戦を練っていた。
しかし、「ゆたかさん」は1年生相手にそんな野蛮な手段はとらなかった。
取り巻きはなし。1人で来て、「メシをおごってやる。付いて来い」と言った。
そして、僕らは、学生食堂ではなく、ちょっと高級な病院のレストランに行った。
「ゆたかさん」は、「川原って言ったな?何でも好きな物を頼め。遠慮はするな」と微笑んで言った。
僕のシュミレーションとは違った展開なので、少し拍子抜けした。
そんな人を相手に、この場面で遠慮をするのは、かえって危険だ。
先輩の顔を潰すことになると空気を読み、そのレストランで1番高いメニューの「焼肉定食」を注文した。
しかし、これにはきっと罠があることくらいの想定はしていたから、僕は苦手の「きゅうり」対策として、、
ウエイトレスにこっそり、<きゅうり、は抜いてね。サラダからも、漬物からもね>とお願いしておいた。
「おごってやったんだから、残すな」とか言いそうだし。
僕が、「きゅうり」を嫌いなことをリサーチしてる可能性だって、ゼロではないからね。
そして、僕らは他愛のない話をしていると、「焼肉定食」がテーブルに届いた。
ちなみに「ゆたかさん」はコーヒーしか頼んでいない。
<「ゆたかさん」は食べないんですか?>と尋ねると、「俺はいいから。お前、食え」。
<そうですか、じゃ、遠慮なく>、「ちょっと待て」。
「ゆたかさん」は、「ただし、箸を使って食うな」と言った。
は~、なるほど。
そういうこと言うんだ。
だったら、サンドイッチとかにしときゃ良かったよ。
「焼肉定食」は、焼肉が盛り付けられた皿と、白飯、サラダ、汁物にデザートだ。
箸を使って食うな、って犬食い、するしかないな。
それでこういうちょっと高級なレストランに連れて来た訳か。
恥をかかせて、上下関係を叩き込もうという作戦か。なかなか、頭脳犯だな。
そうなったら、トンチ合戦だ。トンチと言えば、一休さん、だ。
一休さんが「この橋を渡るべからず」の看板を、堂々と橋の真ん中を渡り、「端ではなく真ん中を渡りました」
と言ったトンチを応用して、僕は箸を持ち、焼肉の皿の真ん中の肉を食べた。
ゲンコツが飛んできた。
イテっ。
「箸で食うな、と言っただろう」との怒声。
僕は頭をさすりながら、<だから、端じゃなく真ん中で食べました>と答えた。
「ゆたかさん」はしばらくポカンとして、トンチに気付いたら、「お前、面白いな」とニヤリと笑った。
そして、急に良い人になって、「ゆっくり食え。俺は行くから。何か困ったら、俺に言え。力になるぞ」って。
僕は「ゆたかさん」が去った後、ゆっくりと焼肉定食を堪能した。
さすが病院のレストランで1番高いメニューだ。うまかった。ご飯、オカワリした。
翌日から、学生会館に行くと、風景は様変わりした。
「ゆたかさん」は僕の姿を見かけると、「お~!川原!元気か?」と声を掛けてくれ、僕も南軍の帽子をとって挨拶した。
それを見かけたクラブの先輩は、「なんで、「ゆたかさん」が川原に挨拶するの?」と慌てていた。
僕が、<仲良くなったから>と答えると先輩は頭を抱えていた。
史上最強の先輩と史上最悪の後輩がタッグを組んだから。
それからと言う物、僕は「ゆたかさん」が用心棒をしてくれることを良い事に益々、増長して行く訳である。
僕らの大学には、2つの野球部があった。
「硬式野球」と「準硬式野球」。準硬(ジュンコー)は、B球という芯が硬式と同じで周りが軟式のようなゴムボールを使う。
医学部の野球部は、ジュンコーの方が一般的で、クラブ数も多かった。
うちの大学では、ガチで野球をやりたい猛者が硬式に入り、おっかない人や柄の悪い奴が多かった。
一方、ジュンコーは、芸能人野球大会みたいな華やかなプレーをしたい人が集い、カッコいい滑り込みの練習とかをしてた。
僕は、ジュンコーに所属して、背面キャッチや天秤打法などの練習をしていた。
ちなみに、「ゆたかさん」と中西先生は、硬式野球部のチームメイトだった。
そして、冒頭の「ゆたかさん」の電話につながるのだ。
今度、「ゆたかさん」の代の硬式野球部の面子で、3月14日に、豚しゃぶを食べにいくらしい。
で、その時に、中西先生の写真が欲しいのだが、誰も持ってないから、「川原に頼むしかない」とのお願いだった。
3月14日と言えば、世間は、ホワイト・デーだ。
しかし、硬派の男達には関係のないイベントだ。
男ばかりで豚しゃぶを食うらしい。
豚を食うところが、また男っぽい。
そして、そんな同期の会に中西先生も参加させたいという男気だ。
中西先生はもう死んでいて、死人に口なしだけど、同期だから一緒に豚しゃぶを食べたいと云う優しさに心を動かされた。
まさに、「男は強くなければ生きて行けない、優しくなければ生きて行く資格がない」を地で行っている男達のホワイト・デー。
<判りました。任せて下さい。何とかします>と僕は大見得を切った。
そして、中西先生が開業する直前まで、同じ病院に勤務していたF.に電話した。
すると、F.は「俺は、写真を持たない主義だ。だったら、サスガに頼むと良い」と教えてくれた。
サンキュー。
だけど、F.って写真を持たない主義だったのか?初耳だ。
あいつは昔から、今さっき決めたことでも、「俺の主義だ」とカッコつける癖があるからな。
きっと最近、浮気の現場写真でも見つかって懲りたんだろう。
そして、僕はサスガに電話して、これこれこう言う訳で、中西先生の写真が欲しいのだが、と聞いてみた。
すると、サスガはあっさりと、「有りますよ」と言った。
「中西先生のお別れの会で、僕らでスライド・ショーを作って、評判が良かったんですよ。
硬式野球部の方も一部、見えていて、感動して泣いてましたよ。
あれ?川原先生は中西先生のお別れの会に来ませんでしたか?」
と批判的な口調で言った。
<いや、行くつもりだったのだが、その日はきゃりーぱみゅぱみゅのコンサートとかぶってさ。
靴を投げて中西先生の会に行く予定だったんだけど、直前にきゃりーちゃんのスキャンダルが発覚してさ。
きゃりーちゃん、落ち込んでるかと思って応援に行かなきゃと思い直してさ。
それに、お別れの会って言ったって、中西先生がそこにいる訳じゃないし。俺が行かなくても会には関係ないだろうしさ>
って言い訳をした。
サスガは、仕方ないなと言う感じで、「判りました。先生のクリニックに送ればいいですね」と言い、ミッション終了!
中西先生と僕とサスガは不思議な縁で、高校と大学と医局が同じで、先輩後輩の仲なのです。
順番は、中西>川原>サスガです。
精神科は他大学との交流のため、毎年、野球のリーグ戦があった。
僕らの医局は、中西・川原・サスガの3人が主力メンバーだった。
そうそう、サスガもジュンコーです。だから、あいつは、高校も大学も部活も医局も僕の後輩になります。
ある年の野球大会。僕は派遣病院に出向していて、そこのMSさん(秘書みたいな人。ケースワーカーの卵。若い女子)
が野球観戦の応援に行きたいと言うから、3人くらいを僕の私設応援団員として帯同した。
そうしたら、若い女の子の前ですから、ちょっと良い所を見せたいと思うじゃないですか?判るでしょ?だんな。
僕は、サスガに、<おい、ピッチャーを変われ>と途中からマウンドに立って。
しかし、僕の下心はナインにみえみえで、「大丈夫なのか?」と心配の声があがって。
僕は、<大舟に乗ったつもりで。こう見えても、中学の頃は「小さな巨人」と呼ばれてたくらいだから>って、
ドカベンの里中を持ち出して。
実際、僕は中学の頃、草野球で、「小さな巨人」と呼ばれていた。
ま、正確には、友人に<そう呼べ!>と脅迫していたからで、皆は不要な争い事を避けたいから、自分の損失にならない
範囲では俺の言う通りにしていた。
他にも、「キャプテン」と呼ばせていた事がある。
これは、キャプテン・ハーロックとリリーズの「好きよキャプテン」をかけていた。
教師には、「川原、お前は一体、何のキャプテンなんだ?」とよく聞かれて、説明するのが面倒くさかった。
<何かに限定された範囲のものではなく、将来、トップに立つ資質のようなものを中学生の嗅覚が嗅ぎ分けるのでは?>
などと適当な事をフカしておいた。
話が脱線したが、僕はリリーフとしてマウンドに立った。
僕はドカベンの里中のように華麗なアンダースローから幾つかの変化球を投げ分けた。
しかし、練習は裏切らない、というか、ボールは正直だ。
1球として、ストライク・ゾーンに入らない。3者連続フォアボールで、あっと言う間に無死満塁。
風雲急を告げ、大ピンチだ。
400戦無敗で知られるヒクソン・グレーシーが最強の男であった1番の理由は、負けそうな相手とは戦わない、
というのがあって、前田や桜庭の挑戦からは逃げていた。
でも、これは案外、生きる知恵だ。
戦場で生き残るのは、必ずしも勇敢な兵士ではない、と言うのと同じだ。
僕は、ピンチに強い男と自認しているから、負けそうなピンチはヒクソン方式で分母から消そう。
そうすれば、勝率は下がらない。
これは良いアイデアだ。
そこで僕は、マウンドにサスガを呼び、<おい、ピッチャーを変われ>とリリーフを押し付けると、
「嫌ですよ、僕は!自分で蒔いた種なんですから、自分で責任をとって下さい。次から、クリーンナップですからね」
と言い放って、自分の守備位置に戻って行ってしまった。
あいつは、高校も大学もジュンコーも医局も俺の後輩のくせに、少しも俺を尊敬してないな。
平気でこういう冷たい態度をとる。
普通、男の上下関係って、上が「黒」って言ったら、「白」でも「黒」だろ。
なんて僕がブツブツ文句を言ってると、マウンドに駆け寄ってきて優しい言葉をかけてくれたのが、その時のキャッチャーで、
女房役とは良く言ったもので、キャッチャーマスクをとって、
「川原、切り替えて行こう!
野球では、ピンチはチャンスだ。
川原の得意のフォームは、スリークォータだったよな。あの投球を俺に見せてくれないか?」
と優しくなだめる人物こそが、そうです!中西先生だったのです。
そうして僕はマンガの真似をやめて、中西先生のおだてに乗って、このピンチを最小失点で切り抜けた。
それで、試合は次の回に中西先生が逆転タイムリーを打って、残りのイニングをサスガがピシャリと抑えて、我々の勝利。
試合後の打ち上げで、<今日のMVPは誰か?>、と僕が言い出して、
「逆転打を打った中西先生では」とか「ピッチャーとして、先発とリリーフの両方の役割をしたサスガでは」と意見が分かれた。
しかし、もっとも大勢を占めたのは「野球はチームプレー。皆で勝ち得た勝利だから、皆がMVP」というぬるま湯のような意見だった。
僕はそこでも譲らず、新日世代闘争の時の前田が空気を読まず「誰が一番強いか決めればいい」と言ったフレーズがいつも頭の隅にあったから、
<誰がMVPかをはっきり決めるべきだ>と主張して、座はシラケた。
その時、中西先生がこう言った。
「今日のMVPは川原だよ。こんなに試合を盛り上げてチームに一体感を抱かせたんがから」と。
その意見にその場にいる皆が救われて、「MVPは川原」、ということになった。
僕はその時、中西先生って何て優しくて、正しい意見の持ち主なんだろう、と感心した。
僕はおそらく、そんな風な発言もした。
すると中西先生は、わざとらしく頭をかいて、照れるポーズをして、それを見て皆が笑って。僕も笑った。
そんな事を思い出しながら、僕はサスガから送られて来た中西先生の写真を「ゆたかさん」に送った。
電話口で「ゆたかさん」は、何度も何度も礼を言った。
<いや~、僕はただサスガに送ってもらったのを渡しただけだし>って。
それでも、「ゆたかさん」は繰り返し繰り返し、礼を言った。
「ホント、川原サンキューな。今度、メシ、おごるから。ホントに!」って。
<良いって、良いって。もう律儀なんだから、「ゆたかさん」ったら>
でも、あんまり断るのも失礼かな。
この場合、模範的な後輩の態度としては、おごられるべきなのかな?
目上の人の顔を立てて。
だったら、しょうがない、ゴチになるかぁ。
何にしようかな?
寿司が良いかな。
座っただけで、何万円みたいな店で。
よし、寿司にしよう。
寿司なら、箸がなくても食べれるからね。
豚しゃぶ、なんかに連れて行かれたら、大変だ。
やけど、しちゃうよ。
BGM. かまやつひろし「我が良き友よ」


RESET

3/Ⅳ.(金)2015 はれ
金曜のお昼に、心理の徳田さんと、お蕎麦屋さんに行き、最近、僕が考えていることを話して意見を聞きました。
1つは、たまに患者さんから聞かれるのですが、「診察とカウンセリングの違いは何ですか?」。
医者と臨床心理士の違い、とか、保険と自費、とか、時間とか構造の差、とか、そういう教科書的な答えは、なし、でね。
そもそも、カワクリのコンセプトは、狭い意味での病気以外の相談も受けます、で、
思春期相談や家族相談は、日常の悩みの相談をあくまで専門的な視点で対応します、というスタンスで、
そこには心理学や精神分析的な知識も用いられます。
つまり、それはジャイアント馬場が、U.W.F旋風が吹き荒れてシューティングという言葉がプロレス雑誌を席巻した最中でも、
「シューティングも含めてプロレスだ」と発言したのとちょっと似ています。
僕の診察を受けてから、カウンセリングに繋がった患者さんが、「診察とカウンセリングで話す内容を変えるべきか?」
と悩む気持ちはよく判ります。
僕が薬だけ出して、<話はカウンセリングでしてね>って言えば、患者さんは混乱しないんだろうけど。そうはしないから。
だけど、2つをどう使い分けたらいいのか、それを判りやすい言葉で納得いくように説明してあげるのが案外、難しいのです。
僕は、ここのところ、ずっとそんなことばかり考えていて、少し答えが見えかけてきたところです。
あと、もう一息。そこで徳田さんに質問して、その答えを聞いて、参考にしようと。
それに人に質問する時点で、相手に伝わるように話さないといけないから、自分の考えの整理にもなるし。
そんな昼休みでした。
この問いには、徳田さんもちょっと困ってました。でも、質問の意図は伝わっていました。
なので近いうち、ブログ「相談室だより」から「診察とカウンセリングの違い」を書いてもらうようにリクエストしました。
だけど彼女、曖昧な返事だったから、うやむやにする気かも。ま、気長に待ちましょう。
そうしたら僕も、同じタイトルで記事を書くつもりです。
医者と心理が別の立場から、「診察とカウンセリングの違い」をそれぞれ記事にして、それを皆さんに読み比べて貰って、
カワクリの臨床スタイルを判断して貰おうと云う企画です。
あとね、もう1つ、最近考えることがあって、それも徳田さんに聞いてみたけど、「私もわからない」みたいな暗礁に乗り上げて。
小難しくなるから、割愛しますが、それで昼休みは、タイム・オーバー。
本当は、さらにもう1つ、ネタがあったんだけど、それは時間がなかった。
全然話は変わりますが、(って言う場合、実は変わってないことが多いんだけどね、フィーリング的な部分においてね)、
近頃、僕がどんな髪色にしようと、ネイルを変えても、診察室の飾りの変化も、皆さんはほぼスルーですが、
それは「私はここに治療に来ている」という強い意志により、邪念に惑わされないように、話に集中されているのだと思っています。
或は、強すぎる刺激は、びっくりして反応するのは最初だけで、かえって、慣れっこになりやすい法則がある気もしています。
だから、今さら、僕が春に麦藁帽子をかぶっていようと短パンを穿いていようと、いきなりオーバーオールを着て来ようと、
皆さんにはありふれた診察室の風景に過ぎないみたいですね。
そんな風に思っていました。ところが、金曜の僕の服は、反応する人が多かったですね。
「そのスイッチ、押してもいいですか?」
みたいな事を言う人が多かった。
僕のこの日のTシャツは、白地に赤く四角いボタンが描かれていて、RESET、の文字と、
※このボタンを押すと元に戻ります。
と書かれていました。中野ブロードウェイで買いました。
元に戻る(す)、で思いつくのは、「まどマギ」と「涼宮ハルヒの消失」ですね。
ネタバレになるので、ここでは診察室のグッズを紹介。
「まどマギ」は劇場版を見た時のポップコーン・セットの箱で、「消失」のフィギュアです。↓。

あとは、「ひぐらしのなく頃に」もそうですね。これもネタバレになるので内容には触れないでおきますね。
下が、待合室のテレビ側の「ひぐらし」コーナーです。
それっぽい格言も、貼ってあるから好きな人は見てみて下さい。きっと楽しんでもらえるはずです。↓。

これだけ、アニメの主要なテーマにもなるのだから、RESET=やり直したい、という願望はきっと皆にあるんでしょうね。
人生はやり直しは利きますが結構、労力がいる作業だから、RESETボタンがあると簡単で良いんでしょうね。
南義孝の歌ではないけれど、人生はゲーム、みたいにね。
下が、皆さんをとりこにした、RESET、Tシャツ。↓。

さて、次回こそ、「男達のホワイト・デー」を書くぞ。
BGM. 南義孝「スローなブギにしてくれ(I want you)」


アニバーサリー・リアクション

2/Ⅳ.(木)2015 はれ
今回こそ、前々々回の記事『タグ』で予告した、「ゆたかさん」と中西先生の友情を軸にした特別企画「男達のホワイト・デー」
をお届け出来るつもりだったのですが、これが案外難儀で、本日も、挫折。
もう4月になっちゃったし、ホワイト・デーでもないし、もう誰も予告ブログなんて気にしてないだろうし。
ブログの検閲を頼んでる「顧問」も、「ブログは、センセーの発散に使って、ブログがストレスにならないように」
と事あるごとに言ってくれてるし。
この記事の右側に並ぶ「タグ」の項目の「川原達二の履歴書」というネーミングを考案してくれたのも、「顧問」です。
メールで、色々とやりとりをして、一晩寝かせて、3月19日にそのベールを脱いだのです。
その数日前、僕は何か落ち着かなくて、気忙しくって、何かをしないではいられなくて、夜中中、タグを付けてて。
「トモトモさん」などリアルタイムでタグが増えてくところを見ていたそうで。
「顧問」も異変に気付いて、「何をやってるんですか?!」と忠告をしてくれて。
その辺の顛末は、『タグ』に書いてあるから、興味があったら見て下さい。
それで何を言いたいかと言うと、その時期の僕は傍目から見てても、心配になるみたいで疲れてるみたいで。
憑かれてるみたいで?
心理の徳田さんが、「ストレス社会で闘う人のためのチョコ」をわざわざ買って来てくれたくらいです。
しかし、精神科医にそんなチョコをあげるなんて、按摩の肩を揉む、のにも似た行為ですね。
さすが、ストレス社会、みんなが紙一重だ、という徳田さんの臨床心理士としてのメッセージか。
徳田さんがくれたチョコは2種類あって、BABYMETALみたいに「黒」と「赤」の2バージョンあります。
これが、「黒」。疲れて机に突っ伏した吉田拓郎と一緒に撮ってみました。↓。

そして、これが「赤」。山口百恵のLPを背景に撮影しました。百恵ちゃん、これでハタチですよ。
うひょー、セクシー、…って言うより、老けてないか?。今のきゃりーちゃんで22だよ。↓。

ストレスと言えば、前回のブログを読んで、元・同僚がメールをくれました。
彼女も自身で医院を開業されていて、「人を雇うって大変よね、もう頭に来ちゃうことばっかり」みたいな内容でした。
まぁ、本当はそこまで露骨な言い回しではなかったのですが、そんなニュアンスも何割かあったってことです。
いわゆる「開業医アルアル」でした。
しかし、疲れるけど、新しい人が入って来てくれるのは、刺激になるから良い面もありますね。
昨日、紹介した山崎さんや心理の高橋さんや原さん。
あしたの風、って感じです。
あしたの風、と言えば、それは僕の母の第一歌集のタイトルです。
母の、第二歌集は遺歌集になりました。
あとがきは僕が書きました。
それは、母の一周忌に合わせて出版しました。
平成19年の3月19日の出版です。
ちなみにカワクリの開業は、平成19年1月だから、僕は開業準備と平行して、本を編む作業をしてたことになります。
そうなのです!
僕がやたらと「タグ」を付けまくってたのが母の命日の前日で、「川原達二の履歴書」のタグを発表したのが命日でした。
これは別に考えてそうやったのではなくて、たまたま、偶然、重なったのです。
そうは言っても、僕らは職業柄、偶然なんてあまり信用しなかったりもします。
たとえば、アニバーサリー・リアクションは、頭で考えるのではなく、その季節になると自然に体が思い出すことを指します。
つまり、思ってなくても、木々のざわめきや、空の高さや空気感、雑踏の季節感が、時空を超えて心をタイム・スリップさせるのです。
日本語では記念日反応と訳しますが、命日反応と言う場合もあります。
命日に限ったワケではないのに、命日反応と言う訳が存在するのが、日本人の死生観のようなものを表しているような気がしてこっちの方がしっくり来ませんか?
僕は、母が死んでから、墓がある寺の坊主と喧嘩して、墓参りには全然行きません。
行ってられっかよ!
大体、あんな神奈川の田舎の北の寂れた墓に、母や父がいるとは思いません。
生前に何のゆかりもない寺ですからね。
神仏は人間が信仰するから、はじめて存在しうる、という考え方も一般的にありますね。
なので僕が墓参りに行かなければ、父母の魂はあんな薄暗い墓に葬られていられないという計算式も成り立ちます。
そう考えると、僕が信仰しないおかげで父母の魂は開放されていて、案外、俺、親孝行じゃん。
なので僕は墓参りをしません。
父母の命日や誕生日には、心の中で話しかけるようにしています。
でも、タグの「川原達二の履歴書」の公開日が3月19日だったのは、意図的ではないです。
かと言って、無意識の仕業だけでもないのです。
なぜなら、それは「顧問」との共同作業だし、「顧問」は母の命日のことを知らないはずだから、たまたまです。
だけど、こうも考えます。
逆に母が、自分の命日を忘れないでね、と働きかけ、それに霊的なポジションで僕が呼応して、3月19日になったのだと。
偶然ではなくてね。
ちょっとオカルトチックな発想かな。
墓参りとか行かないくせに、信心深いのか罰当たりなのか、紙一重ですね。
BGM. BABYMETAL「ギミチョコ」