名前の考察

23/Ⅰ.(金)2015 昨日よりは少し暖かい
知り合いから、女の子が生まれて、母子共に健康で、名前が決まった、ってメールが届いた。
おめでとう!何かお祝い贈るね。
たまたまだけど、僕も名前について考えてたところなんだ。
僕の名前は「達二」。由来は、「達人」のようになるように。「二」は次男だから。
ちなみに兄の名前は「達一」ではありませんが、「一」の字は付きます。
微妙でしょう?
「二」は極めて、数学的だから。
子供の頃の僕は、「二」が「一」に劣ってると思うのが嫌で、結構、「2」という数字にこだわりました。
僕は韋駄天で、すばしっこく、俊足でした。
運動会の徒競走の予行演習は必ず1番でした。
でも、「一」位は嫌なので、本番ではブッチギリでゴール直前まで走り、テープを切らずに後続を待ちます。
そして、2番手が来たら、<どうぞ>の合図をして、テープを切らせ、自分はわざと2位になります。
運動会が終ったら、教室で、自慢げにこう言うのです。
<やっぱ、2位が1番だよね>って。書いてて思ったけど、嫌な奴だね。
それに、2位が1番って言ってる時点で、「一」の優位性を認めてるんだけどね。
そこは、ホラ、小学生だし。コンプレックスって矛盾を土台にしているようなものだし。
他にもありますよ。マンガの単行本は必ず、2巻から買いました。
続きが読みたかったら、3巻を買うし、前が知りたかったら、1巻に遡って買うし。
これは、結果的に無駄が少なかったです。
この手口は、今でも実生活に応用されていて、新作アニメは、まず第2話からチェックします。
それで今期、観るアニメを決めます。
カワクリに置くマンガも大体、この方式です。話題のマンガはまず2巻を買って面白かったものが揃えてあります。
待合室のマンガの種類は結構、増えましたから、何を読むか迷う人は2巻から読んでみたらどうでしょう?
ただし、ひよどり祥子『死人(しびと)の声をきくがよい』は1巻のラストがとても良い話です。
だから、これは普通に1巻から順に読むのが良いです。↓。

知り合いの獣医さんに聞いた話だと、動物園で「○○の赤ちゃん」の名前を公募、ってのは客寄せなんですって。
基本的に動物園では、動物に名前は付けないらしい。
識別できれば良いから。
今の個人情報保護法と似てるな。「何番の方、会計にどうぞ」みたいな。
そう考えると、名前って記号かな。
ところが、我々の業界では、「イマジナリー・ベイビー」なんて用語があります。
「イマジナリー・ベイビー」の例で、よく引き合いに出されるのが、皆さんご存知の画家のゴッホです。
ゴッホの産まれる丁度1年前に子供が死んでいて、つまり、その子の命日に、ゴッホは産まれたことになります。
親としては、モーニング・ワークの意味合いもあったのでしょう、ゴッホに死んだ子と同じ名前をつけます。
でも、これってどうなんでしょうね?
庭の隅には、お墓もあって、墓石に自分の名前が刻まれているのを、きっと幼いゴッホは見ただろうに。
その名前が、「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」。
ゴッホは小さい時から親と馴染めず、弟のテオにくっ付いていて。
テオを親代わりにして何とかやっていたが、テオが結婚した直後、精神症状が悪化して入院となる。
甥が産まれた時、ゴッホはホロホロと泣き、その子に「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」と名付けてくれと頼んで。
その通りに名が付くと、その直後に自殺して死んでしまう。
ゴッホには、「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」を伝える役割があった、というお話し。
これが、「イマジナリー・ベイビー」、家族神話のような世代間伝達のお話し。
どうですか?
すごくないですか、我々の業界。
ゴッホってもっとも多く「語られる画家」の1人だと思うのだが、我々のすごさはゴッホの作品に一切ふれてないこと。
ま、病跡学のジャンルではふれてるんでしょうが。
家族精神医学では、ふれない。ただ、役割理論の例えに良い具合に使われている。
ゴッホほど極端でなくても、名前には、何かを縛りつける力(作用とか効果)がありますね。
「化物語」の忍野忍は、元・伝説の吸血鬼ですが、忍野メメが「名前で縛っておいた」と言っていたっけ。
下が、診察室のソファの横のサイド・テーブルの「物語シリーズ・コーナー」から、忍野忍。↓。

名前を考えるにあたって、僕が1番に想起するのは「シベールの日曜日」という映画です。
ここからは、ネタバレありです。
嫌な人は、ここから先は読まないで下さい。映画のあらすじを書いて終わりの記事ですから。
あらすじは、シベールという少女が母に男が出来て邪魔になったから、寄宿舎に入れられます。
母はシベールに「毎週、日曜日に面会に来るから」と約束して去って行きますが、一回も来ません。
面会どころかその後の映画に登場しません。
シベールは、棄てられた訳です。
おまけに寄宿舎の怖い寮母みたいな人に、「シベールは変な名前だから、ここではフランソワーズと呼びます」と勝手に
名前も変えられてしまいます。
フランソワーズ(シベールのこと)は日曜日ごとに健気に来る筈もない母を待ちます。
ある日曜日、フランソワーズは、ある青年と出会い、意気投合して、友達になります。
いつしかフランソワーズの日曜日は、この青年と会う日になりました。
青年は、ベトナム戦争で受けた心の外傷で、戦争神経症(PTSD)になっていました。
青年には綺麗な看護婦の彼女がいて、彼女は献身的に青年のケアをしていました。
でも、青年は彼女には心を閉ざし、フランソワーズにだけ、心を開くのでした。
世間からみたら奇異にみえますが、純愛ストーリーです。
フランソワーズはクリスマスのプレゼントに教会の上の風見鶏が欲しいとリクエストします。
クリスマスの日に二人は逢引して、青年は危なっかしい足取りで、教会の屋上に上って風見鶏をもぎとってきます。
それをフランソワーズに渡すと彼女は満面の笑みで、お返しにと、木にくくりつけた紙を指差します。
青年が、その紙を木から取って、畳まれた紙を開いてみると、カメラがそこに書かれた文字をクローズアップします。
シベール
とだけ書いてあります。
フランソワーズは、クリスマスのプレゼントに、青年に本当の自分の名前を教えたのです。…涙。
それから、何がどうしたのかは忘れたのですが、警官隊が二人を取り囲みました。
どうやら、精神異常者が少女を誘拐した、って話になっていたような。
「手を上げろ!」の声に、青年がシベールをかばおうと動いた瞬間、一斉射撃。青年、銃殺。
青年の死体に泣き崩れる少女。
警官隊が近寄り、声を掛けます。
「お譲ちゃん、大丈夫?」「悪者は死んだからね」「怪我はないかい?」と警官隊は優しく口々に語りかけます。
少女はずっと泣いています。
そしてラスト。「もう大丈夫だから安心して。お譲ちゃんのお名前は?」という警官の質問に、泣きながら少女が答えます。
<もう私に名前なんてないのよ>
これが、映画「シベールの日曜日」です。
名前の持つ意味を考えさせられますね。名前は単なる識別記号ではありませんね。
さて、これでおしまいです。
名前について興味を持った人や、戦争神経症の資料を探してる人は、観てみたらどうでしょうか?
ただ1つ注意点があります。
僕の古い友達がよく言うのですが、「君の教えてくれる映画はいつも面白そうだから観るんだけれど、必ず、筋が違うんだよ」。
「さらに性質が悪いのは、映画より、君の話の方が面白いから、観た後、損した気がするんだよ」って。
僕は自分の記憶だけで話してるから、他の話がミックスされるのでしょうね。
だから「シベールの日曜日」のストーリーも違うかもしれません。
さっきのゴッホの話も同様です。気になった人は鵜呑みにしないで自分で検証して下さいね。
あと、ここまで読んでくれたけど、記事や映画「シベールの日曜日」に取り分け、興味が湧かなかった方にも朗報!
シベールは美少女だから、ロリコンの人は必見です!!
この記事のタイトルは「名前の考察」なのに、なんちゅう、オチじゃ。次回から、予告ブログに戻ります。
BGM. RCサクセション「君を呼んだのに(And I Called Your Name)」


教訓Ⅰ~追悼、中西先生

10/Ⅸ.(水)2014 はれ、求人公募中
来月、「アイザワ先生」と会う約束だ。
「アイザワ先生」は僕が大学病院にいた時の指導教官だ。
今は退官されて、もう何年になるだろう。
公の場には一切、出て来ない。隠居生活を満喫している。
僕は時々、たとえば、「5/18問題」のように困った時だけ、一方的に手紙を送りつける。
すると、「アイザワ先生」はさすが隠居生活、すぐに返事をくれる。
こないだ、ふと、「アイザワ先生」に恩返しをしないとイケナイと思いついた。
「アイザワ先生」が直接指導して学位論文をとったのは、僕と今はA病院の院長をしている「T」の二人きりだ。
僕は、「T」を誘って、「アイザワ先生」はよっぽど暇そうだから中華街にでも招待してご馳走しよう、と提案した。
指導教官と言えば、親も同然。親孝行しよう。僕は、本当の親はもう死んじゃってるし。孝行したい時に親はなしだ。
「T」も乗り気で、なので連絡は、「T」に任せた。
話はトントン拍子で、「アイザワ先生」の返事は快諾で、ただ、1つだけ条件がある、と。
それは、この会は、自分が二人を招待する会にしたい。
店は、「アイザワ先生」自身が決める。お金は全部、自分が払う。なんなら、家族を連れて来ても良い、とのことだった。
立川談志が、「すぐに恩を返そうとする奴は恩知らずだ」と言ってたのを思い出し、ここは素直におごられることにした。
「T」は本来の趣旨と異なると少し躊躇していたが、そこは民主主義、多数決で2対1だ。
僕と「T」は、「アイザワ先生」に来月、ご馳走になることになった。
そんな時である。8月のなかば過ぎに中西先生が亡くなられた。
直前までご自身のクリニックで診療をされていたという。
突然の病死だった。
中西先生は僕の高校の先輩でもあるし、学生時代も医局に入ってからもお世話になった。
中西先生は、野球部の出身だったから、医局対抗の野球大会では、キャッチャーをやってもらいチームの要役だった。
温厚でいつも落ち着いていて弱い者の味方で優しく威厳があって上品で洒落のわかる人で、皆が一目置いていた。
若い頃の僕は悪目立ちするので、意地の悪い先輩にいじめられて、そうすると必ず、中西先生が助けてくれた。
去年くらいに医局の集まりでお会いしたのが、最後になってしまった。
僕は恩知らずで、中西先生の姿を見ても、<ヨッ!>と酒の入ったコップを上に向ける挨拶だけ。
ビールくらいお酌するとか、近況を報告するとかすれば良かったな。悔やまれる。
だって、まさか死ぬとは思ってなかったから。
しかし、我々の医局の精神科開業医は50代で死んでる人が多い。異常なくらい若死にが多い。
中西先生も、50代だった。
僕は何人かの開業医に、<天国お迎えレース、次は誰だ?>と一斉送信したが、誰からも返信がなかった。
そのくらい、皆、ショックだったのだろう。不謹慎だったのかな?
「T」はA病院の院長だ。
僕は、「T」に<開業医達は皆、戦々恐々としてるよ>と言うと、「勤務医だって同じですよ」と怒られた。
「明日は我が身ですよ」と言われた。<しかし、「アイザワ先生」は80だぞ>と僕は言った。
すると、「T」は「今度、お会いしたした時、長生きの秘訣を伺いましょう」とうまいこと話をまとめた。
そうしたら、つい先日、「アイザワ先生」から分厚い封筒が、僕と「T」の家に届いた。
同じ内容で、複写した同じ文面だった。
「アイザワ先生」の手紙の書き出しは、「10月の会だが、やっぱり、私は行かないことにする」だって。何、それ?
まさかのキャンセル。
そして、その分厚い手紙には延々と言い訳が綴られていた。
言い訳と言っても、「夏が暑いから」とか「10月になったって、夏バテはとれない、と思う」とか「しんどい」とか。
「今年になって、一回、横浜に行ったがすごく疲れた」とか「東京なんて、もう何年も行ってない」とか。
「最寄り駅まで行くだけで一苦労」とか「体重は5キロ減った」とか「おかげで、スマートになった」と訳の判らない自慢をしたり。
「私は隠居生活者だ。ひきこもりだ。さぁ、なんとでも言ってくれ」みたいな開き直りみたいなことも書いてあった。
呆れた。
そして、どうせ会があっても、自分の話す内容はこんなことしかない、と言って、将棋と最近読んだ本のことが書いてあった。
現在日本将棋連盟所属のプロ棋士はおよそ150人いて名人を筆頭にA級、B1、B2、C1、C2、と5クラスあるとのこと。
2~3日置きにインターネットでリアルタイムの将棋が観戦できる、という情報。(いらない)。
そして、読書は「昆虫記」とかを読んでるらしい。夏休みに「昆虫記」って、子供か!、っつうの。
こんなことは言いたくないが、僕も「T」も結構、忙しい中、日程をやりくりして、設定した親孝行の会だ。
それに対して、「いかがでしょうか?」、と言うスタンスではないのである。
「私は行かない」という一方的な通達なのだ。
僕は「T」に、<あれ、読んだ?>と聞くと「読みました」と困惑していた。
そして、僕らは、義理とか人情とか恩とか恩返しとか一切考えないこと、それが長寿の秘訣だな、という結論になった。
とは言え、このまま黙って、引き下がる我々ではない。今、策を練っている。
何か、表題と全然違う内容になってしまいましたね。ま、「教訓」と言えば、「教訓」だが。
あらためて、中西先生、ご冥福をお祈りいたします。
そして、中西先生の残された患者さん達のフォローをされている近隣の先生方、ご苦労様です。
特に、ヨー君やカミムラ先生など昼休みも返上して、診察してるそうですね。自分たちが倒れないようにね。
あと、きしろ、も。
今回の中西先生の件で学んだのは、クリニックは院長が死んだ時点で閉院になる、ということだ。
だから、代わりに医者が応援に行っても、そこでは薬も出せないし、紹介状も書けないらしい。
「法人」にしておけば、死んじゃっても、ピンチヒッターがきくらしい。
「法人化」なんて手続きが面倒くさそうで考えたこともなかったが、残された患者さんのことを考えたら、それも有りだな。
それが今回の教訓かな。中西先生が最後に教えてくれたこと。
次回、いよいよ、予告ブログ、「生きること死ぬこと」に続きます。
BGM. 初音ミク「いつか何処かで(I feel the echo)/桑田佳祐 」


おすすめ 精神科

4/Ⅸ.(木)2014 くもり、求人公募中
ネットの情報など、当てにならない。
そもそも、病院選びは難しい。
それをネットで探すのは無理がある。
まして、精神科は。
仮に良くても、「書かない」だろうし。
複数の患者さんが、「世間に知れて患者が増えたら自分の時間が減るから教えない」と言っていたし。
至極、もっともな意見だと思うし。
一方で、開業のクリニックをやってると、ほぼ毎週、宣伝広告の勧誘の電話がある。
「名医を紹介」みたいな感じで、インタビュー記事にするらしい。
つまり、広告料を払って、広告じゃない風に掲載してくれる、からくり、らしい。
全部、断ってる。
たまにそういう形式の記事を見ることがあるが、それらがすべてその手のものかどうかは知らない。
本当の名医には、ちゃんとしたインタビュアーが無料で行ってるのかもしれない。
でも、何だ?本当の名医、って。肯定語を並べただけなのに、途端に胡散臭くみえる。気のせいか?
ところが、こないだ遠くからみえた新患の人から、「ここを選んだ理由は、ネットの評判」だと聞いた。
<ネットにうちの評判なんて出てるの?>
「おすすめ 精神科」と入れるとトップ5に出てくるらしい。
知らなかった。
迂闊だった。
いや、知ろうとしてなかったんだ。
みてる人はみてるね。神はみてるんだね。隠し切れないな、良さが。
やっぱ、現代はネット社会ですよ。
もはや、ネットで知りえない情報はないんじゃないでしょうか?
いや~、知られちゃいましたか。「隠れた名店」的な?
傷口を舐め合うこんな世界でも、きちんとした情報を提供する奇特な人もおるんだな。
あんまり、おだてられても困るよ、ウヒヒ…。
照れるだろ、ホントのこと言って、誉められても~、よせよォ~。何も出ないよ(笑)
そんな独り言をかましながら、僕は、ネットの検索の窓に「おすすめ 精神科」と入れて評判をみてみた。
ありましたよ!大田区の川原クリニック。まさに、うちです。
どれどれ、読んでみよう。
「水曜日の佐藤先生が、おすすめです」だって。
なんだよ、ソレ。
俺じゃないじゃん。
って言うか、佐藤、もう辞めてるよ!
水曜日に佐藤、いねぇよ!
浮かれて損したよ。
バカみたい。
他人の評価なんて気にしないで、僕は僕らしく生きて行こう。今日までそして明日から。
ところで評判の佐藤先生は今、神奈川の「あさひの丘病院」の常勤医です。
今度、佐藤と呑むから、このネット情報を教えてあげよう。
あいつ、きっと喜ぶだろうな。
単純な奴め。
ところで、これを投稿してくれた方、ありがとうございました。
クリニックの評判があがって患者さんが増えました。
佐藤先生のイメージもグンとあがりました。
きっと励みになるでしょう。
佐藤に代わって、お礼を申し上げます。
佐藤によろしく伝えておきますね。
と言う訳で、「おすすめ 精神科」でうちを選ぼうとしてるそこのあなた。
水曜日の佐藤先生は、もういませんから。
行くなら、「あさひの丘病院」ですよ。
全然、話は変わりますが、先日、深夜のテレ朝にベルハーが出演していました。
その続きがネットで観れます。
「テレ朝動画 ベルハー」と入れて検索すると上のほうに、『赤ペン瀧川先生の宿題やったか?!スペシャル
特別授業 変幻自在アイドル「BELLRING少女ハート」編』というのがあるはずです。
ベルハーは本来7人組みですが、これに出演してるのは、みずほ・ゆうゆ・じゅり・あーやん、の4人です。
これは面白いですよ。ベルハーらしさが良く出てます。
ベルハーをあまり知らなくて、少し気になる人にはおすすめです。
20分くらいの番組で、無料で観れます。
3回、観るとハマりますよ。3回目は、みずほ、の動きに注目して鑑賞するのが、僕の流儀です。
BGM.シュガー「ウェディング・ベル」
↑「佐藤」と「砂糖=シュガー」を駄洒落でひっかけてみました。
「ウェディング・ベル」も、「ベルハー」とベルでひっかかって面白いでしょう?


7月なかばの週末~その①

12/Ⅶ.(土) 2014 
診療のあと、行きつけの焼き鳥屋で、一杯、やりながら、新しく改訂された「DSM-5」を読むことにした。
「DSM」とは、アメリカ精神医学会の診断基準のマニュアルで、その第5版は、大幅なパラダイム・シフトで話題だ。
そんな話をしても、皆さんには難解でつまらないでしょうから、焼き鳥にメッセージを込めて、紹介しましょう。
まずは、しいたげられてる人に送ります、「しいたけ」。↓。

次いで、人生は、マラソンに喩えられますね。人間は孤独なマラソン・ランナーです。
準備運動は、しっかりと、アキレス腱を伸ばしましょう。
下は、珍しい部位、「アキレス腱」。↓。

これも、珍しい部位です。「鎖骨の周り」。
体の一部に異常に興奮するひとを、「フェチ」なんていいますね。
「お尻」や「くるぶし」や「うなじ」、など、「鎖骨が好き」、って人も多いですね。
下は、「鎖骨の周り」。↓。

僕は基本、翌日、休みの日にしか酒は呑みません。
だから、大抵、土曜日は呑みます。
1人で呑むことがほとんどです。斉藤由貴の歌に「土曜日のタマネギ」というのがありましたね。
下は、リアル・土曜日のタマネギ。↓。

そう言えば、今日は中サンで、臨床心理士の国家資格化に向けての説明会があったらしい。
徳田さんが、参加してるはずだから、どんな様子だったかを、メールして聞いてみる。
そして、しばらく、徳田さんとメールのやりとりをした。
ところで、7月は僕も徳田さんもお誕生日月だ。
クリニックにも飾りつけがしてあって、丁度、診察室や相談室から出てくると見えるように、富田さんが工夫した。↓。

僕の誕生日は、7月24日で、「何よ」と覚えてもらえると良い。
徳田さんは、7月15日で、<何か語呂合わせないの?>と聞いたら、「何もない」とのこと。
そこで、「715」で語呂合わせを幾つか考えてみた。
ざっと、以下のようです。皆さんも何か思いついたら、コメントして下さい。
・「715」夏は、1番、ご用心。
桜田淳子っぽくスタートしてみました。
・「715」名前、言って、ごらん。
カウンセラーっぽいですね。偉そうですね。Sっぽいですね。
・「715」何故に、印象、誤解する。
確かに、Sっぽいイメージじゃないですね、徳田さんは。
・「715」ナスビ、いんげん、ゴリライモ。
長谷川式スケールという認知症のテストでは野菜の名前がスラスラ言えるかという項目があります。
ゴリライモはダメですね。厳密には野菜って難しいんですよね。スイカやトマトやイチゴあたりね。
・「715」ナッシー、イーブイ、ゴーリキー。
ポケモン初代151匹から徳田さんがポケモン・トレーナーなら使いそうなのをチョイスしてみました。
・「715」涙の、意味は、ごめんなさい。
泣き落とし作戦とかしそうもないですね、徳田さんは。
・「715」なんちゃって、いやん、ご飯おごって。
こういうことも、絶対、言わないな。なんか確実にイメージダウンさせてるな。
名誉毀損とかになるかな。やばい、少し、ヨイショしよう。
・「715」泣けぬなら、癒してやろう、ご存知、カワクリの、徳田安奈でごぜぇます。
と啖呵を切ってみました。浅香光代みたいになっちゃった。真面目にやろう。
・「715」ならば、生きるとは、業(ごう)だ。
ふんわりと哲学的にしめてみました。
つまり僕は酔いが回って途中からこんなことをずっと考えていて、「DSM-5」どころじゃなくなった。

BGM. 桜田淳子「夏にご用心」


ユートピア

23/Ⅴ.(金) 2014 晴れ、昨日との寒暖差がつらい
もうすぐクリニックの夏休みの日程を発表しないといけない時期。
僕個人の意見では、GWがそうであったように、休みが入ると、外来の規則性が乱れるので、休みなどいらないのだ。
しかし、スタッフのことを考えると、そうもいかない。
3/11の直後や大雪の日、よそのクリニックに行けず、困ってた人が来院されたことがある。
うちは、夏休みも9月にとったりするから、夏季休暇でかかりつけが休みで、薬がなくて困った人がみえることもあった。
特に、SSRIなどの薬は、急に中断してはいけないから、たまたま、うちが開いてて良かった。
だから僕は、医療機関は同じ時期に休んではいけない、と思い、わざと夏休みを9月にとったりしていた。
別に、誰に頼まれた訳でもなく、感謝もされないが、勝手にそうしていた。自己満足だが。
綺麗ごとを言うようで嫌なのだが、日本には「赤ひげ幻想」のようなものがあり、「医は仁術だ」と教えられてきた。
「医師」は職業であるが、その根底に「奉仕の精神」を医者は皆、持っていると思う。
しかし、現実は厳しい(らしい)。
特に、今回の診療報酬の引き下げは、医師の働くスタイルも変えそうな勢いだ。悪い意味でね。
総合病院では不採算部門の「小児科」が閉鎖になったとか聞いたことがあるし、行き場がなくなった患者さんも困るだろう。
精神科の病院やクリニックを経営している人たちも、生き残り作戦を考えている。
僕はあまりそういうことは大袈裟に考えてなくて、なんとかなる、と根拠のない自信がある。
診療報酬の引き下げへの経営的な対処策は、たくさん患者をみることくらいしかないらしい。
しかし、そんな粗製乱造のような診療をしていると、治療の質が下がり、患者から不満が出るだろう。
そうすれば、自然にうちに患者が流れてくる、と僕は本気で思っていて、呑気なもので、いい気なものだ。生意気なものだ。
うちの患者が増えたら、それはただ僕が朝早くから始めるとか、昼休みをなしにするとか、夜遅くまで働けば済むことだ。
こないだF.と話してたら、僕らの医局の先輩で開業医の多くは、50代で死んでいるから、注意しようと言われた。
でも、僕は、好きでやっているので、大丈夫だと思う。
とは言っても、仕事は1人では出来ないので、治療理念を理解して、サポートしてくれるスタッフが必要だ。
僕がスタッフの採用面接で重視したのは、うちのクリニックが目指してるものに共感・同調してくれるか、のみだった。
経験不問、資格も学歴も参考にしなかった。ただ、その1点のみ。
そうして、選んだスタッフが、今のカワクリ・スタッフです。
しかし、一般論だが、人って変わるものだ。初心はそうでも、実際、働いてみたら、心変わりする人がいても、おかしくない。
昼休みはクリニックを閉じて欲しい、とか、日付が変わるまで残業したくない、とか。
夏休みは、友達と旅行に行けるような日程の夏休み期間が欲しいと思うかもしれない。
僕はそういう考えは、「正常」だと思う。
でも、世間の常識はカワクリの非常識、カワクリの常識は世間の非常識だ。
もしも、スタッフが心変わりしたら、とその時のその人の人生も考えている。
ある程度、うちで経験を積んだら、大きな組織や、普通のクリニックに転職したら良いと思う。
「有給」をあげるから、その時間で採用面接とか受けて来て、働き口が決まってから、うちを辞めるので良い。
今のところ、そんな人はいなさそうだが。
この先、もしそんな変化に気が付いたら、本人に直接、言おうと思う。お互いのためだ。
ストレートにそんなことを言うのは日本的ではないが、それが親切だし、良心的だし、両親的だし、親身だと、最近思ってる。
僕がクリニックでやろうとしてることを心から賛同して仕事をするような人間は、普通に考えて、「珍しい」。
僕はそんな人と一緒に、一蓮托生、カワクリを作って行こうと考えていて、それが僕のユートピア。
立川談志が晩年、「志らく、がいてくれて助かった」と言っていた。
あの立川談志のような超カリスマでも、談志に憧れて弟子になったものでも、談志の「落語との格闘」を理解しようとしなかった。
だから、志らくは、兄弟子に対してでも怒っていた。
談志の弟子なのに、師匠の本も読まない、「イリュージョン」を判ろうとしない、と。
本気で怒っていた。
志らくは談志のDNAを継承する落語家だと言われている。そして談志が死んだ後、立川流の中で、志らくは浮いてみえる。
談志が言うのはもっともで、そりゃ志らく、みたいのが1人いたら助かるよなぁ。
あ~あ、なんだか遠い話だ、ユートピア。今年の夏休みは、お盆にするかぁ。

BGM. RCサクセション 「金もうけのために生れたんじゃないぜ」


切り札

16/Ⅴ.(金) 2014 晴れ
吉田拓郎の30代の頃の歌で、
♪ひと晩たてば頭に彫った誓いがくずれ落ちて♪という歌詞の歌があるが、まさにそんな感じか。
昨日、「もう5/18が終わるまで、記事を書きません宣言」をしたばかりなのに、もう書いています。
でも、これは「逃げ」ではなく「やる気の出るネジを回す方法」を見つけたので、皆さんにも報告しようと思って。
何かの時に参考になればと思って。
僕は散々、「5/18問題」の準備が進まないと言ってきましたが、いざと言う時のために、
切り札、を用意しておいたのです。
それは何かと言えば、僕が研修医の頃から大学院で博士号を取るまで、お世話になったアイザワ教授に手紙を送っていたのです。
<今度、学会のシンポジウムのシンポジストに任命されました。期日が近づいていますが、やる気が出ません>と。
そして今日、その手紙のお返事が届いたのです。
その手紙には、こう書かれていました。
「小生在籍中から精神病理分野は先生にもっぱら期待しておりましたが、ハッパをかけてもなかなか動きませんでしたネ。
小生も似たようなタイプで余程外力が強くないと動かない方で、よく心情は分りますが、
今回、重い腰を上げたのは何よりです。」
アイザワ教授は退官後の引き際が良く、湘南の方に隠居されて、全然、同門会にも顔を出さない。
僕は、時々、思いついた時に手紙を書く。
今回の返事の書き出しは、
「前略、退職15年余り学問とすっかり疎遠になっていますが、久々にうれしい便りを頂きました。」
と書いてあり、僕がアカデミックな舞台に立つことを喜んでくれていた。
僕にはもう両親がいないから、ちょっと親孝行をした気分になった。
ちょっとしたアドヴァイスも添えてくれていた。
「5/18問題」、急展開、よもやの師弟愛。そうして僕は、やる気のネジを巻く。
これが、僕の切り札。
下は、「やる気のネジ」つながりで、フィギュア・ケースの「日常」コーナーから、「東雲なの」。しののめ、なの、と読みます。
背中にネジがついてるのが、「東雲なの」です。右に白衣を着た少女が見えるでしょう?その子(はかせ)が作ったロボです。↓。

と言う訳で、やる気のネジも巻けたので、残りカウントダウン2日、集中してやります。
今度こそ本当、5/18が終わるまで、ブログは書きません。徳田さん、任せた。
BGM. 吉田拓郎「アジアの片隅で」


タッちゃん、ピンチ!~燃えよ、闘魂。続、「5/18」問題

18/Ⅳ.(金)2014 雨
近頃の愚痴は、「5/18問題」ばかりだ。
「5/18問題」とは、5月18日(日)の午後、きゃりーぱみゅぱみゅと
ポール・マッカートニーのライブのどっちに行くか迷うのと、
午前中はある学会のシンポジウムで発表をしなくてはならず、
2つの問題を同日に抱えてる大変さを嘆いている現実の呼称だ。
ライブもどちらに行くか、誰と行くかも決まっておらず、(チケットを各々2枚づつ持ってる)、
学会発表も何を話すか決めてない。
特に学会発表の方が深刻で何を話すか全然思いつかず、時間だけが過ぎて行く。
アイデアがまるで出ないのだ。
そこに来て、F.が前日の5/17のポールのチケット2枚あるから一緒に行こう、と誘って来て、
学会前日なので1度は断わった。
しかし、再度、F.から「一緒に行く人がいないから、途中からでも、観に来ない?」と誘われたら、もう断われない。
今更、一夜漬けで済むことでもないし、毒を食らわば皿までも、だ。You~、行っちゃいなよ!、で、行くことにした。
そうすると、5/17にポールを観るから、5/18はきゃりーで良いかと思われるかもしれないが、
保険で応募したきゃりーの全国ツアーの埼玉(7月)と千葉(9月)もチケットがとれてしまった。
5/18のきゃりーは世界ツアーの一環の東京公演だが、おそらくそれと同様のものを全国ツアーで再演するのだと思う。
それが埼玉(7月)と千葉(9月)。
そう考えると、5/18はポールにしとくか。これがポールを生で観れる本当の最後の機会だろうし。
しかし、5/17に俺を誘ったF.は、「5/18は用事があるから」と俺の誘いを断わった。
だから、5/18のポールに行くとしても一緒に行く相手を探さないといけない。
学生の頃は、良かったよ。こんなことで悩まなかった。
大人になると大変だ。皆、腰が重い。
ポールに行くにせよ、きゃりーに行くにせよ、相手を見つけないといけないが、それが中々いない。
さらに、ポールに行くならきゃりーの、きゃりーに行くならポールのチケットを誰かに譲らないと。
これも、学生時代にはありえない悩みだ。学校に行けば、大抵の奴らが行きたがり、
くじ引きさせるくらいだったのに。
大人はつらいよ。
とか言いつつ、なんだか自分で自分を大変にしてるような気がしてきた。
そもそも、チケット1枚で良かったんだ。
ついつい、お祭り気分で、皆も行きたがるだろうと勝手に盛り上がり、
今になって周囲との温度差を痛感している。
まぁ、チケットは最悪、当日、会場付近に当日券を求めに来てるファンに売れば良い。
問題は、シンポジウムの学会発表だ。
アイデアというのは、空き時間にちょこちょこっとやれば出るようなものでもない。
それなりに気分を整えて、環境作りからしないと駄目だ。
そうすると、日曜か月曜の休みの日しかない。
丁度、あと1ヶ月になった。あと何日あるのだ?2×4で8日か。
しかし、そうでもない。
4/27はBELLRING少女ハートの月1定例ライブ「からふりゅ」に行くことになってる。
4/28は『BELLRING少女ハート六次元ギャラクシー』の完成披露パーティーとスペシャル完成披露試写会に招待された。
これで8-2で6日だ。
さらに、おめでたいことだが、中川翔子の誕生日が5/5のため、
5/4と5/5は昼夜2公演づつのバースディ・ライブもある。
6-2で4だ。
こうなると、やっぱり前日のポールがデカいな。
試験同様に前日が一番エンジンがかかるのだから。
でも、仕方ない。腹をくくろう。
発表内容は「自由」と言われたから、いざとなれば、
<昨日、ポールのライブに行きまして~>とライブの報告で終わらせよう。
さすがにそれは怒られるかな。
ポールの人気がもっとあれば、良かったのにな。
って、そういう問題でもないか~。
そんな「5/18問題」、現在進行形。
とにかく、こんな時は焦ってはいけない。開き直るのだ。
昔、何度も熟読して暗唱出来る、アントニオ猪木著の「燃える闘魂」の一節を今こそ役立たせよう。
A猪木は、こう書いている。
「私はどんなに苦しい場面に直面しても、<えい!やるだけやってやれ>という開き直りが出来るのは自慢ではないが、
私の精神力のたくましさだと思っている」。
<えい!やるだけやってやれ>、今こそ、このフレーズを胸に刻もう。
2014年、平成26年のこの現代におけるアカデミックな舞台での、
唯一の頼りが「精神論」とは我ながら捨て身だと思うが。
捨て身、って、発音すると、素敵、に似てるって、今、これを書いてて、発見した。
だから何だという話であるが、なんとか頑張ってみる。
下は、フィギュアケースにかけてる「日常・ゆっこ」のペンケース。↓。

BGM. 忌野清志郎 & 2・3’S「プライベート」


ディス・イリュージョン

23/Ⅰ.(木)2014 寒いけど、昨日よりマシ
尊敬する先生が賞賛する人物は、誰からも「愚か者」と呼ばれている人で不思議だった。
だから僕は、直接、尊敬する先生に、<何故、その人を誉めるのか?>と聞いてみた。
すると先生から、「何故か、わしゃー、好きなんじゃー」とまぬけな答えが返って来た時。
<この人の目は節穴か?>と幻滅。
そして、その人を尊敬していた自分にも幻滅。
振り返り、後戻り、我が道を行く。それが今の道。
僕が女子を好きになるポイントは、容姿より、話してて面白いかどうか。
センスが合うかどうか、で、もっとも、そういう内面性はしっかり見ていれば容姿からも判る。
前言撤回、僕が女子を好きになるポイントは容姿かも。
若かった頃の昔話です。
その女子の語る芝居や映画や音楽の趣味はセンスが良くて一目置いていた。
話をしていていても大いに盛り上がって、楽しくて、そんな彼女は誰よりも可愛く見えた。
なのに、テーマがお笑いの話になって、お互いの笑いのツボが違った時。
<この子はそんな芸人を面白いと思うんだぁ>と幻滅。
てんで、センスねーの。急に変な顔に見えてきた。
誰かと、ずっと仲良く、居続けるのは難しい。特に相手に期待をし過ぎる時が危険。落差が激しくて。
幻滅は英語だと、「disillusion」。
精神科・心理学領域では、「disillusion」は脱錯覚を意味します。
「だつ、さっかく」と読みます。ちょっと、かっこよくないですか?
BGM. 矢沢永吉「抱かれたい、もう一度 -LOVE THAT WAS LOST-」


マニック・ディフェンスの理由

12/Ⅵ.(水)2013 少し雨、蒸し暑い
懸案の「タッチの南ちゃん」の記事を是が非でも5月中に書き上げたのも、その後のマニック・ディフェンスも、
その理由は、心理の徳田さんが5月いっぱいで6月1日から、お休みに入ってしまうからでした。
徳田さんは、カワクリ・オープニングからのスタッフで約6年半の間、僕の右腕のように働いて、
支えてくれていました。
週に3回は一緒にお昼を食べ、週に4日はケースについて語り合った仲です。
ある意味、家族以上に近かった存在です。
そんな彼女がいなくなるのは、僕にとっては痛手で、そりゃ、オイル時計のまとめ買いくらいしますぜ、旦那。
さて、徳田さんの送別会は、5月25日に自由が丘の韓国料理屋さんで行いました。
徳田さんの代りに、新しく心理が4人、入りました。
その新・心理スタッフからは、サプライズで綺麗な、真っ白い花束が贈られました。↓。


徳田さん以外で、オープニングからいるのは、僕とナースの塚田さんだけです。
その塚田さんが気を利かせて、こっそり花束を用意しておいてくれ、「僕から」ということで、これもサプライズプレゼント。
これが、それ。↓。心理の花束が、白だから、まるで、紅白歌合戦のようです。
まだ5月なのに、蛍の光な気分でした。


徳田さんの良さの1番目は、精神分析をベースとした臨床的な基礎技術がしっかりとしていたことです。
勉強熱心で休みの日には、研究会に参加したり、積極的にスーパービジョンを受けていました。
給料と休日の大部分をそれらに費やすストイックな姿勢は、おそらく臨床心理士としての誇りがそうさせたのでしょうね。
徳田さんの良さの2番目は、共感する能力が高いところです。
精神科の教科書には、精神療法の基本は、「傾聴・共感・支持」と書かれています。
しかし、これは疑問です。「共感」って技法や技術なのでしょうか?
どんなにすぐれた専門家でも、他人の気持ちなんて、そうやすやすと判らないでしょう。
もし、判るという人がいるなら、それは判った気になってるだけではないのかしら。
色々な考え方はあるでしょう。
でも、僕は「共感」とは、話を聞いていて、生じるものだと思うのです。
技術というより現象に近いのではないでしょうか。
もし、技術の部分があるとするなら、それは共感が生じるように工夫して話を聞くことではないかしら。
相手の気持ちに調律を合わせるような技術。
これは丁度、赤ちゃんが泣いてる時、「おっぱいが欲しい」のか「オムツを替えて欲しい」のか
「抱っこして欲しい」のかをお母さんが読み取る能力に似てるのではないかしら。
徳田さんの良さの3番目は、臨床に望む、責任感と覚悟でした。
徳田さんは、まるでサリンジャーの小説のライ麦畑の捕まえ役のようでした。
危ない時の患者さんをしっかりと捕まえて離しませんでした。
徳田さんがよその治療機関に送る診療情報提供書に目を通したことがあります。
丁寧な言葉選びでエレガントな文章でしたが、中味は、「果たし状」みたいでした。
要約すると、うちはこれだけのことをやったんだから、この人を診るんなら、そこんとこヨロシク、
と相手の覚悟を問うようでした。
その見立ての正確さと治療の流れの理解に、普通の人はちょっとビビるだろうな、と僕は読んでそう思いました。
でも、それはこちらが威張ってるのではなくて、すべては患者さんのためになるから、良いことなのだと思いました。
以上は、臨床心理士としての徳田さんの資質の長所の列挙でした。
以下は、徳田さんの人柄の良さについて書きます。
我々の仕事は人の心を対象にするものなので、自身のパーソナリティーも治療の道具の一部になります。
勿論、人と人だから、相性もありますけどね。万人に受ける治療者などいないですからね。
それを踏まえて、徳田さんの人柄の治療的なところは、僕が思うに、多分、これまでの人生で優等生で来た人ではなさげなところです。
それは、人間は放っておくと駄目になる生き物で、弱々しく情けなくダラシナイことを実感として判っているふしがあるのです。
「優秀な人」は、ここが欠落しているので、あまり良い治療者になら(れ)ないことが多い気がします。
徳田さんの人柄で治療的だなと思う2番目は、好奇心の強いところです。
僕らが話をしていて、「それ、何だっけ?」となると必ず調べて教えてくれます。それが、どんなにくだらないことでも。
僕は、今思うと、徳田さんのそういうところに甘えていたのかもしれません。
自分の面白いと思うマンガやDVDを貸して、話題を共有させていたのですから。
「涼宮ハルヒ」のラノベ全巻とか、「けいおん」のマンガ全巻とか、「かんなぎ」のマンガ全巻とか、
「おやすみプンプン」とか。
「おやすみプンプン」に至っては、徳田さん、途中から、自分で買っていました。
「ひぐらしのなく頃に」のDVDや「化物語」のブルーレイも観てくれました。
僕が中高生の頃は、友人達とレコードの貸しっこをしたり、お互いの好きな芸能人のイベントに付き合いあったりしたものです。
僕は友人を山口百恵の映画に付き合わせ、石野真子や近田春夫&ハルヲフォンのコンサートに連れて行きました。
代りに、エアロスミスや榊原郁恵のコンサートからジャパン・ボウルというアメリカン・フットボールの試合にも付き合いました。
それが、段々と大人になると、そういう関係が希薄になって行き、寂しくなって行きます。
僕は、ゴルフとかしないから、気がつけば、のけものみたいになってたりします。
それを徳田さんに、マンガやアニメを押し貸しして、埋め合わせていたみたいです。
そう言えば、立川談志の落語にも、連れって行ったっけ。
でも、徳田さんにとって、それは良かったと思います。
生きた立川談志を見た事があるって、いつかどこかで誰かに自慢できる時が、きっと、あるから。
そうそう、徳田さんの人柄の治療的な効用について話していたんでしたね。
そうなると、何はともあれ、後にも先にも、それは、明るさ、ですね。
徳田さんがいると、それだけでその場が明るく感じました。
徳田さんは第1火曜日だけ、変則的にお休みでした。
徳田さんのいない火曜日は、午前中でも放課後のようでした。
よく徳田さんは、相談室に、お花を飾っていましたが、僕は、何故か、ひまわりの黄色いお花の印象しか有りません。
徳田さんは、お別れにシシリア・レモンとフレッシュ・バジルのルーム・ミストをくれました。
意味は、「情熱と誠実」だそうです。
多分、徳田さんから見た僕の診療のポリシーが、「情熱と誠実」だと思ってくれたのでしょう。
そんな話はしたことないけれど。
徳田さんは、自分がやめた後の、僕への仕事の負担増を心配していました。
だから、もし、僕が疲れ果ててしまって、萎えそうになった時は、この香りで乗り切って、
というメッセージなのでしょう。↓。


今日はまだ6月12日だけど、スプレー、早くも使いまくりだよ。
診察室、レモン風味の香りで充満。
徳田さんは、クリニックのオープンの時は、まだ、臨床心理士の資格を取ったばかりの駆け出しの新人でした。
カワクリの歴史は、徳田さんの臨床心理士としての成長とパラレルでした。
そんな徳田さんに贈りたいのは、♪あなたがもしもどこかの遠くへ行きうせても、今までしてくれたことを忘れずにいたいよ、
もどかしさも貴方にゃ程よくいいね♪、と歌った黒人霊歌か何かの一節です。
徳田さんは、毎年、6月が嫌いでしたね。今年の6月は、あまり6月らしくないけれど、それでも、やっぱり嫌いですか?、6月。
僕はマニック・ディフェンスを効かせて張り切り、そして新たな心理の皆もオーバーワーク気味に、頑張ってくれています。
なんとかなります。
まぁ、最後に、とってつけた様になるけれど、徳田さん、約6年半、ありがとう、お疲れサマー。サンキュー、達者でな。
BGM. LAZY 「Hello Hello Hello」


温度

7/Ⅵ.(金)2013 ホントに梅雨??晴れ
昔、徳田さんがブログのピンチヒッターをしてくれた時によくしてたように、今日は、お花の紹介をしましょう。
予報では、今日から雨のはずでした。お花も、紫陽花を用意して、雨の準備をしていました。↓。

ところが、予報は見事に外れて、今日も晴れ。それでかしら?、お昼に、お花に、ひまわりが追加されました。↓。

しかし、こう暑いと、空調の調節が難しいです。
日中は蒸し暑く、冷房を付けると、しばらくすると寒くなります。
なので、冷房を止めて、しばらくすると、暑くなります。
そこで、冷房をまた付けます。しばらくすると、また寒くなります。
そして、冷房を止めて、…
そんなことを一日中、繰り返しています。
適切な温度を保つのは、難しいですね。
人間関係と似ていますね。
精神分析には、「山あらしジレンマ」という言い方があります。ショーペンハウエルの寓話に由来します。
人と人の心理的な距離のとり方(近づきと隔たり)をめぐって生じる葛藤とアンビヴァレンスを意味する用語です。
下は、昨日のお花、バラ。山あらしのトゲとバラのトゲつながりで。↓。

BGM. 麻生よう子「逃避行 」