マニック・ディフェンスの理由

12/Ⅵ.(水)2013 少し雨、蒸し暑い
懸案の「タッチの南ちゃん」の記事を是が非でも5月中に書き上げたのも、その後のマニック・ディフェンスも、
その理由は、心理の徳田さんが5月いっぱいで6月1日から、お休みに入ってしまうからでした。
徳田さんは、カワクリ・オープニングからのスタッフで約6年半の間、僕の右腕のように働いて、
支えてくれていました。
週に3回は一緒にお昼を食べ、週に4日はケースについて語り合った仲です。
ある意味、家族以上に近かった存在です。
そんな彼女がいなくなるのは、僕にとっては痛手で、そりゃ、オイル時計のまとめ買いくらいしますぜ、旦那。
さて、徳田さんの送別会は、5月25日に自由が丘の韓国料理屋さんで行いました。
徳田さんの代りに、新しく心理が4人、入りました。
その新・心理スタッフからは、サプライズで綺麗な、真っ白い花束が贈られました。↓。


徳田さん以外で、オープニングからいるのは、僕とナースの塚田さんだけです。
その塚田さんが気を利かせて、こっそり花束を用意しておいてくれ、「僕から」ということで、これもサプライズプレゼント。
これが、それ。↓。心理の花束が、白だから、まるで、紅白歌合戦のようです。
まだ5月なのに、蛍の光な気分でした。


徳田さんの良さの1番目は、精神分析をベースとした臨床的な基礎技術がしっかりとしていたことです。
勉強熱心で休みの日には、研究会に参加したり、積極的にスーパービジョンを受けていました。
給料と休日の大部分をそれらに費やすストイックな姿勢は、おそらく臨床心理士としての誇りがそうさせたのでしょうね。
徳田さんの良さの2番目は、共感する能力が高いところです。
精神科の教科書には、精神療法の基本は、「傾聴・共感・支持」と書かれています。
しかし、これは疑問です。「共感」って技法や技術なのでしょうか?
どんなにすぐれた専門家でも、他人の気持ちなんて、そうやすやすと判らないでしょう。
もし、判るという人がいるなら、それは判った気になってるだけではないのかしら。
色々な考え方はあるでしょう。
でも、僕は「共感」とは、話を聞いていて、生じるものだと思うのです。
技術というより現象に近いのではないでしょうか。
もし、技術の部分があるとするなら、それは共感が生じるように工夫して話を聞くことではないかしら。
相手の気持ちに調律を合わせるような技術。
これは丁度、赤ちゃんが泣いてる時、「おっぱいが欲しい」のか「オムツを替えて欲しい」のか
「抱っこして欲しい」のかをお母さんが読み取る能力に似てるのではないかしら。
徳田さんの良さの3番目は、臨床に望む、責任感と覚悟でした。
徳田さんは、まるでサリンジャーの小説のライ麦畑の捕まえ役のようでした。
危ない時の患者さんをしっかりと捕まえて離しませんでした。
徳田さんがよその治療機関に送る診療情報提供書に目を通したことがあります。
丁寧な言葉選びでエレガントな文章でしたが、中味は、「果たし状」みたいでした。
要約すると、うちはこれだけのことをやったんだから、この人を診るんなら、そこんとこヨロシク、
と相手の覚悟を問うようでした。
その見立ての正確さと治療の流れの理解に、普通の人はちょっとビビるだろうな、と僕は読んでそう思いました。
でも、それはこちらが威張ってるのではなくて、すべては患者さんのためになるから、良いことなのだと思いました。
以上は、臨床心理士としての徳田さんの資質の長所の列挙でした。
以下は、徳田さんの人柄の良さについて書きます。
我々の仕事は人の心を対象にするものなので、自身のパーソナリティーも治療の道具の一部になります。
勿論、人と人だから、相性もありますけどね。万人に受ける治療者などいないですからね。
それを踏まえて、徳田さんの人柄の治療的なところは、僕が思うに、多分、これまでの人生で優等生で来た人ではなさげなところです。
それは、人間は放っておくと駄目になる生き物で、弱々しく情けなくダラシナイことを実感として判っているふしがあるのです。
「優秀な人」は、ここが欠落しているので、あまり良い治療者になら(れ)ないことが多い気がします。
徳田さんの人柄で治療的だなと思う2番目は、好奇心の強いところです。
僕らが話をしていて、「それ、何だっけ?」となると必ず調べて教えてくれます。それが、どんなにくだらないことでも。
僕は、今思うと、徳田さんのそういうところに甘えていたのかもしれません。
自分の面白いと思うマンガやDVDを貸して、話題を共有させていたのですから。
「涼宮ハルヒ」のラノベ全巻とか、「けいおん」のマンガ全巻とか、「かんなぎ」のマンガ全巻とか、
「おやすみプンプン」とか。
「おやすみプンプン」に至っては、徳田さん、途中から、自分で買っていました。
「ひぐらしのなく頃に」のDVDや「化物語」のブルーレイも観てくれました。
僕が中高生の頃は、友人達とレコードの貸しっこをしたり、お互いの好きな芸能人のイベントに付き合いあったりしたものです。
僕は友人を山口百恵の映画に付き合わせ、石野真子や近田春夫&ハルヲフォンのコンサートに連れて行きました。
代りに、エアロスミスや榊原郁恵のコンサートからジャパン・ボウルというアメリカン・フットボールの試合にも付き合いました。
それが、段々と大人になると、そういう関係が希薄になって行き、寂しくなって行きます。
僕は、ゴルフとかしないから、気がつけば、のけものみたいになってたりします。
それを徳田さんに、マンガやアニメを押し貸しして、埋め合わせていたみたいです。
そう言えば、立川談志の落語にも、連れって行ったっけ。
でも、徳田さんにとって、それは良かったと思います。
生きた立川談志を見た事があるって、いつかどこかで誰かに自慢できる時が、きっと、あるから。
そうそう、徳田さんの人柄の治療的な効用について話していたんでしたね。
そうなると、何はともあれ、後にも先にも、それは、明るさ、ですね。
徳田さんがいると、それだけでその場が明るく感じました。
徳田さんは第1火曜日だけ、変則的にお休みでした。
徳田さんのいない火曜日は、午前中でも放課後のようでした。
よく徳田さんは、相談室に、お花を飾っていましたが、僕は、何故か、ひまわりの黄色いお花の印象しか有りません。
徳田さんは、お別れにシシリア・レモンとフレッシュ・バジルのルーム・ミストをくれました。
意味は、「情熱と誠実」だそうです。
多分、徳田さんから見た僕の診療のポリシーが、「情熱と誠実」だと思ってくれたのでしょう。
そんな話はしたことないけれど。
徳田さんは、自分がやめた後の、僕への仕事の負担増を心配していました。
だから、もし、僕が疲れ果ててしまって、萎えそうになった時は、この香りで乗り切って、
というメッセージなのでしょう。↓。


今日はまだ6月12日だけど、スプレー、早くも使いまくりだよ。
診察室、レモン風味の香りで充満。
徳田さんは、クリニックのオープンの時は、まだ、臨床心理士の資格を取ったばかりの駆け出しの新人でした。
カワクリの歴史は、徳田さんの臨床心理士としての成長とパラレルでした。
そんな徳田さんに贈りたいのは、♪あなたがもしもどこかの遠くへ行きうせても、今までしてくれたことを忘れずにいたいよ、
もどかしさも貴方にゃ程よくいいね♪、と歌った黒人霊歌か何かの一節です。
徳田さんは、毎年、6月が嫌いでしたね。今年の6月は、あまり6月らしくないけれど、それでも、やっぱり嫌いですか?、6月。
僕はマニック・ディフェンスを効かせて張り切り、そして新たな心理の皆もオーバーワーク気味に、頑張ってくれています。
なんとかなります。
まぁ、最後に、とってつけた様になるけれど、徳田さん、約6年半、ありがとう、お疲れサマー。サンキュー、達者でな。
BGM. LAZY 「Hello Hello Hello」


温度

7/Ⅵ.(金)2013 ホントに梅雨??晴れ
昔、徳田さんがブログのピンチヒッターをしてくれた時によくしてたように、今日は、お花の紹介をしましょう。
予報では、今日から雨のはずでした。お花も、紫陽花を用意して、雨の準備をしていました。↓。

ところが、予報は見事に外れて、今日も晴れ。それでかしら?、お昼に、お花に、ひまわりが追加されました。↓。

しかし、こう暑いと、空調の調節が難しいです。
日中は蒸し暑く、冷房を付けると、しばらくすると寒くなります。
なので、冷房を止めて、しばらくすると、暑くなります。
そこで、冷房をまた付けます。しばらくすると、また寒くなります。
そして、冷房を止めて、…
そんなことを一日中、繰り返しています。
適切な温度を保つのは、難しいですね。
人間関係と似ていますね。
精神分析には、「山あらしジレンマ」という言い方があります。ショーペンハウエルの寓話に由来します。
人と人の心理的な距離のとり方(近づきと隔たり)をめぐって生じる葛藤とアンビヴァレンスを意味する用語です。
下は、昨日のお花、バラ。山あらしのトゲとバラのトゲつながりで。↓。

BGM. 麻生よう子「逃避行 」


電話の話し

18/Ⅳ.(木)2013 はれ
今年から、東京都精神神経科診療所協会(東精診)というのに入会した。
いや、させていただいた。
その勉強会が、13日(土)にあり、テーマは「精神科救急」関連のこと。
翌日の、14日(日)は、「こころの電話相談」の当番をした。
15日(月)は、月1の精神分析の研究会と、この休みは、精神科一色だった。
多分、皆さん、知らないと思うので紹介しますが、東精診では毎週日曜日に無料の電話相談をしています。
それは入会している診療所の「精神科医」が、当番で担当しているのです。
心理士やケースワーカーではなくて、精神科医がやっているのが貴重だと思います。
実は、僕はこのサービスを入会するまで知らなかったのです。
つまり、あまり知られていないと思う。
なので、ここで宣伝しましょう。
東精診のホームページを開いてもらうと、左端に「こころの電話相談」という囲いがあります。
そこをクリックしてみて下さい。
毎週日曜、PM2~5時まで、対応しています。
これは、当番の数日前にクリニックに宅急便でそれ専用の携帯電話が送られてくるのです。
僕は、自分がその当番だと知りながら、本部か何かに行ってやるものだと勝手に思い込んでいたから、
電話機が送られてきた時には驚いた。
前の当番の先生が次の当番の医者に直接、送るルールなのだ。
伝票には、「電話機」と記されている。
僕は、説明文をよく読んでなかったから、電話機の送り主のクリニック宛てに直接電話して、
「そちら名義で、謎の電話機が送られて来たのですが、こ、これ、心当りありますか?」って聞いちゃった。
時限爆弾か何かと勘違いして、あわてて。
そしたら、そのクリニックの受付の方は、朗らかで、親切に、「きっと、電話相談の当番ではないですか?」と教えてくれた。
そこで、やっと気がついた。お恥しい。前のクリニックの先生、失礼いたしました。
今後とも、よろしくご指導ご鞭撻の程を。
で、電話相談である。
相談は、3件あった。
これが「多い」のか「少ない」のかの判断は微妙だ。
試しに、ヤフーで「こころの電話相談」と検索してみたら、少なくとも10頁以内には見つからなかった。
岡山や広島や宮崎や埼玉はあったのに。宣伝不足なのかな。
なので、ここで紹介して、少しでも認知度を上げようと、記事にしている訳です。
無料相談ですが、通話料だけはかかりますので、念のため。
そうそう、電話で思い出したのだが、僕が高1の時、学習塾で知り合った女の子にやたら長電話をする子がいた。
その子は電話魔で、一時期、毎日のように電話がかかってきた。
当時は、携帯電話などない時代で、家の電話にかかってきた。それで、平気で2~3時間、喋るのだ。
内容は、どうでもいいことばかり。
たとえば、世良公則&ツイストの新曲について、とか。
先日、古い日記を見ていたら、架空の電話のシナリオを発見した。
それは、その子に電話する前に、僕がシュミレーションしたもので、数頁にわたっている。
シチュエーションは、僕が電話をするところから始まっている。
僕はその子の長電話には慣れっこだったのだが、自分から電話をするのは、緊張したのかな、そんなものを作って。
こちらが話しかけて、相手の答えを想像して、話が進んでゆく台本なのだが、
実際には、「一言目」から想定外のフレーズが返ってきて、無駄に終った想い出が残ってる。
僕はその子と塾の友達たちで海水浴に行ったことがある。
その子は、高1のくせに真っ赤なビキニを着ていて、それがまた何とも色っぽくなかったことを、
真夏の強烈な日差しとともに思い出す。
それは、その子の性格があまりに明る過ぎたからだと思う。
その子は、僕をそのグループで「1番可愛い子」とくっつけようと色々とおせっかいを焼いては、すべてを台無しにした。
「私に任せておきなって~」みたいなことを言って、すべて台無し。悪気はないんだよなぁ。
その子のお兄ちゃんは小さな暴走族のリーダーをしていて、その子は、それをとても嫌がっていた。
僕は、「そんなことはどうでもいいことさ」、と電話越に言ったことがある。本当にそう思ったし。
珍しくその子は、黙り込んでいた。
今、思うと僕は、その子のことが好きだったのだと思う。
BGM. ピーターとゴードン「愛なき世界」


ハッピー・バースディ

21/Ⅱ.(木)2013 曇り、昼には雪が降ったらしい
メイちゃん、お誕生日おめでとう。メイちゃんが、5月生まれじゃない、って引っ掛問題みたいだね。
僕の方は、今度の日曜日、待望の「しょこたんの日帰りバス・ツアー」です。↓。

僕は去年に続き、2回目の参加です。ちなみに一昨年は、寝坊して不参加でした。
「しょこたんバス・ツアー」は、ファンクラブの催し物で、ミニライブや握手会や2ショット写真を撮る時間もあります。
今年は、「DONYOKU合戦」というチーム対抗の歌合戦もあるそうです。
それはファンによるカラオケ大会で、ものまねパフォーマンスやアニソン、コスプレ部門もあり賑やかです。
僕は、勿論、「DONYOKU合戦」にはエントリーしませんよ。こう見えても、シャイネスだから。
でも、「バスツアー」にはワクワクしています。このワクワク感は、言葉では伝わりませんね。
人の心には、形が無いでしょう?
だから、相手に気持ちを伝えるのって難しいですね。
だから、言葉って、気持ちを伝える道具としては、便利ですね。とりあえず形になるから。
だけど、言葉って気持ちと「=」イコールじゃないからね。数学的に言えば、近似値かな。
僕が、たとえば悲しくて、「悲しい」と言葉にしても、それは口にした途端、僕の「悲しい」気分とは少しズレるもの。
むしろ、「あの曲」や「あの絵画」の方が、僕の悲しい気持ちにフィットするケースが多いね。
だけど、それはそれで、言葉より正確さに欠くから、受取側のアンテナによって受信されないこともあるしね。
感性の問題だね、「何、それ?雑音?」なんて言われた日にゃ、たまったもんじゃないよ。
ところで、僕らの仕事は、心を扱う仕事。形のないものをやり取りしたり、受信しなくちゃいけない。
だから、言葉にはすごく世話になっている。
不足分は、非言語的な表現で補うんだな。だから絵画療法とか音楽療法とかダンス・セラピーなんてあるんだよ。
夢とかも重要だね。あっ、この場合は、夜寝る時に見る方の夢ね。
あとは、思いつくままの連想とか。色で気持ちを表現することもあるね。
そんな訳で、僕の今の「しょこたん日帰りバスツアー」を控えたワクワク感は、たとえるとこんな感じかな。
カラフルというか、ポップというか、スイートというか、ビターというか、ハニーというか、スマイルというか…。
そう。こんなチョコレートの詰め合わせみたいな気分です。↓。

伝わりました?。バスツアーまで、あと3日です。そして、全国の、2月21日生まれの方、お誕生日、おめでとうございます。
BGM. 中川翔子「CAT Life」


頑張れ!、精神科医。…そして心理士も。

前回のブログは実験的に愚痴っぽいことを書いてみてました。
実は、僕はブログを始めるにあたって、2つのことを心掛けようと思ったのです。
1つは「なるべく自己開示をしよう」ということ。
もう1つはストレス発散の場を作ろう。それには、分別とセンスが要求されるけどね。
だから、いわゆる院長ブログと較べると異質になるだろうな、と予測された。逆に、ストレスになったりして。
「そんなことを言わなきゃいいのに」って知り合いから忠告されるだろうな、とも思った。事実、されてるし。
そんな意味での、ブログタイトル、「川原達二の十中八九N・G」です。
ブログへのコメントはなるべく公開していますが、宣伝の類や、低次元の誹謗中傷はこれまで無視して来ました。
そういう事をする人は少なくとも複数人いて、ひょっとしたら面識のない人かもしれない。
始めは放置してたんだけれど、段々図に乗って来やがったから、ついに堪忍袋の緒が切れて、言い返した、という次第です。
誰かがコメントで書いていてくれていたけれど、前回の記事には皆さんおそらく、「困った」、ことでしょう。
善良なる方はスルーしてくれるだろうとの甘い読みもあって、しかし、蓋を開けたら、意外にも沢山コメントを頂いて。
ビックリというか、感謝というか、<こんなのに付き合せて、ゴメンね>という恐縮した心持ちです。
コメントはせず見守っていてくれた方もいるでしょうね、すまんね。申し訳ない。わりぃ。
しかし、やはり来るね。悪意のメールは。使用上の注意を書いても、そのことにイチャモンをつけてくる。
勝手に人ん家に突撃してきて、晩ごはんの献立にケチをつけてる奴みたいだ。「嫌なヨネスケ」って感じ。
ま、「見るな」と言われれば見たくなるのが人情か。そういう意味ではこっちが挑発的だったかな?。失敬!。
ところで、今さっき、「医者の自殺」という統計を見たのだが、精神科医の自殺率は他科の医師と比較して異常に高かった。
別の結果もあるだろうけど、確かに僕の周りでも何人かの精神科医が、自殺や過労死(これも自殺に極めて近いと思う)をしている。
パワフルで、面倒見が良くて、オシャレで、ユーモアがあって、<エッ、この人が?>と思わされる所が共通点だ。
他人の世話ばかり焼いて、自分の悩みは誰にも喋らないのも特徴だ。喋れなかったのかもしれないけれど。
僕がブログで好きなことを書いて発散してるのは、どこかで彼らの自殺から得た教訓を生かそうとしているのかもしれないな。
しかし、精神科医の自殺は、仲間の精神科医の心を動揺させて診療に悪影響を与えるから困りものだ。迷惑だ。
そもそも精神科医の重要な仕事の1つは、患者さんの負の感情の一部を引き受けることにある。
と言うことは、つまり、生き残ってナンボの職業なのさ。そういう意味じゃ、心理士も同じだな。
普段、患者には「自殺はしないと約束をして下さい」なんて言っておきながら、テメェが死んでどうすんだよ。
矛盾してんだろ。
大変な世の中だけど、死にたくなるのも判らなくないけれど、頑張ろうぜ!、精神科医。自殺なんかしてる場合じゃないぜ。


秋デミック

8/Ⅷ.(土)2012 豪雨のち晴れ
今日の夜は、「思春期のうつ」という研究会に徳田さんとともに参加するから、
いつもより早く上がります。
9月の文化活動はアカデミックで、学会・研究会・勉強会が目白押しです。
大岡山商店街は、今日・明日は秋祭りです。クリニックからも提灯を出しました。↓。

診察テーブルの花瓶も、小ぶりに変えました。この方が可愛いでしょう。↓。

季節はもう秋になりますね。秋になると、僕は、南沙織を聴きたくなります。
皆さんはそういうのはないですか?
BGM. 南沙織「哀しい妖精」


消しゴム

1/Ⅵ.(金)2012 はれ
ずっと診察室の机の上に黒いボールペンの跡がついていて、丁度、それが短い髪の毛みたいに見えて、
ほぼ99%の人が髪の毛と見間違えて、取ってくれようと指で触れても取れなくって、「あっ、ペンの跡かぁ」、と気付く、
ということが続いていた。そして僕は、それを放置したままで来た。
今年も今日で6月になり、気分一新、その髪の毛みたいなペンの跡を、消してみようと思い立った。
理由は、今日から6月だから、というたったそれだけ。
普通の消しゴムで消えるかな?、とは思ったけれど、試しにゴシゴシとやってみたら、消しゴムのカスが、
ニョロニョロニョロと、まるで気の良い寄生虫か何かのように、いっぱい湧き上がって来て面白かった。
しかもその効果で、ペンの跡はキレイに消えました。
今はもうだれも、髪の毛だと見間違えることはないでしょう。
僕らの人生は、過去を振り返ると「汚点」というのでしょうか、消してしまいたい記憶が誰にでも有りますね。
そんな汚点を消せる消しゴムがあれば、欲しがる人も多いのでしょうね。
寺山修司の実験映画に、その名もズバリ、「消しゴム」という作品があって、色んな思い出を消して行って、
確か、最後には自分自身を消して終るんじゃなかったかな?。そんなフィルムが有りました。
僕らの仕事は、過去の嫌な記憶を消すことではありません。
どんなに嫌な記憶にも、それぞれにはそれぞれの意味があったのだろうし、消せない事実なのだとしたら、
それらの一つ一つに納得の行く意味付けをしてあげて、心の置き場を見つけてあげる必要があるのでしょう。
そんな作業の手伝いをする。
そういうのが精神科・心療内科・カウンセリングの仕事なのだと思います。


同門会

先日、出身大学の精神科医局の集まり、「同門会」に出席した。
そこで聞いたのだが、今は僕らの頃とは医学部教育のシステムが随分と違っているようだ。
大学の5年生で臨床実習をする前に全80大学共通のテストにパスしないとベッド・サイドに出られないらしい。
国家試験を2回受けるようなものだ、恐ろしい。
覚えなきゃいけない知識を教科書の重さに換算すると、我々の頃を1㌔とすると、今は2㌧だって、恐ろしい。
医師国家試験はすべての科から出題され、それに合格すると医師免許を取得でき、何科にでもなれるのだが、
僕は、精神科医になろうと思って医学部に進んだので、精神科以外の勉強をするのが苦痛だった。
6年生の時、どこの医局に行くか?。皆、悩む。当時は第3希望までを大学に提出したのだが、
僕は第1希望しか書かなかった。2・3は空欄。
意外と、そういう人は珍しくて、皆、一応、第3希望まで書いていた。
それを基に、医局から志望動機などを聞かれる面談をする日があって、精神科には僕を含め3名が挨拶に行った。
その時の、面談の担当が、A助教授だった。A先生の手元には我々3名の資料があった。
A先生は開口一番、僕に向かって、「君、すごく成績悪いよ。挨拶なんかいいから、もう帰って勉強しなさい。
試験に受かったら、喜んで君を精神科に迎え入れるから、君だけ帰りなさい」と本当に、その場で、僕だけ帰された。
A助教授は、クリントンが大統領になった年に教授になって、「俺とクリントンは同い年だ」とわけのわからない自慢をしていた。
僕の所属する班と、A先生は別のグループだったが、僕は勉強のためにA先生の診察の陪席を頼んだら、快諾してくれた。
だから、僕の臨床スタイルはA先生の影響によるところも多い。
A先生は、昔、船医をしていたり、小説も書いたりするユニークな人物で、風来坊みたいだがシャイで面倒見が良かった。
背が高くて、見た目にもナイス・ガイだった。そんなA先生が亡くなって、今年が6回忌になるそうだ。
毎年、同時期に開業した繋がりの4人の「同門」の医者で新年会をするのが恒例にある。
A先生の命日が、1月なので、成り行きで、A先生の行きつけだった寿司屋で会をやることが、定例化している。
僕以外の3人はA先生とこの店に来たことがあり、温度差はあるにせよ、皆、しみじみとする。
僕だけ思い入れがない。
先日、一人でフラリとその寿司屋に寄ってみた。
店主は僕の顔を覚えてくれていて、
「毎度どうも、お客さんもA先生のお弟子さん?A先生とはいっぱい想い出がありましてね。
A先生はご自分の本にもこの店のことを書いてくれていてね。まぁ、あそこに書いてあるのは半分は冗談なんですけどね」
と言って、おじさんはお店の人に「おーい、本を見せてあげて」と声をかけ、A先生が匿名で執筆した小説を手渡してくれた。
僕がパラパラと本をめくっていると、おじさんは冷蔵庫からコントレックスの大きなボトルを出して僕の方に向けて、
「私が血圧が高いって言ったらA先生がこの水を勧めてくれたんですよ。とにかく水を飲むといいよと教えてくれてね」。
「お通夜にも告別式にも行きましたよ。急性心筋梗塞ですって?びっくりしましたよ。
だって2日前にお店に来てたんですから。いつものように呑んで、冗談言ってたから」。
A先生のお通夜の会場のBGMは、エルヴィス・プレスリーだったな。
「その日は日曜日で丁度相撲をやっていて、私が横綱が勝ちますよと言ったら、
A先生は<俺は逆だと思うね>と言って、
じゃ賭けようかと言うことになって、トロを2巻賭けたんですよ。そしたら私が負けちゃってね。
A先生に、今日はお腹いっぱいだろうから次おみえになった時、トロ2巻お出ししますよと約束したんですよ。
そしたらその2日後に亡くなっちゃって」。
「ウチではもっぱら趣味の話をしてましたよ。仕事の話をされてもわからないしね(笑)。
海が好きでしたね。あと1人でチビチビやるのが好きでしたよ。
ウチで呑むのが一番幸せだって言ってくれましたよ。
あの頃の先生は忙しかったでしょう?
学会とか北海道の方へ牛の脳を取りに行ったりしてね。
忙し過ぎたんでしょうね。
A先生、ご自分では水をお飲みにならなかったのかな?。
ほら、医者の不養生と言うでしょう?
私はトロ2巻借りっぱなしですよ。返しようがないんですよ」と店主は嘆いた。
さすがの僕でも、<じゃ、代りに食べてあげましょうか?>とは言えない雰囲気だった。
A先生だけでなく、僕が入局した時の医局長も、オーベンだったK先生も、1個上の先輩のT先生も、
皆、早く死んじゃったな。
寿司屋の店主が言う通り、本当に、医者の不養生だ。
そこで僕は2週かけて、人間ドッグを受けまして、結果は「何も問題なし」。
同門会の皆さん、長生きしましょうね。
BGM. エルヴィス・プレスリー「好きにならずにいられない」


ロールシャッハテスト

14/Ⅶ.(木)2011 猛暑
中村先生から、今度、「ロールシャッハ・テストの学会」があるとのお手紙を頂く。
日曜日なら行けそうだから、行ってみようかな。
ロールシャッハ・テストと言っても、わからない方のために簡単に説明しましょう。
精神科の臨床で使う心理テスト(性格テスト)には、大きく分けて、「質問紙法」と「投影法」の2つがある。
質問紙法とは、あらかじめ用意された質問に対し被験者が‘はい’‘いいえ’もしくは、
‘はい’‘いいえ’‘どちらでもない’と答えるものだ。
得られた回答は統計的に処理されてできている基準に照らし合わされて客観的に評価される。
これは、採点と評価が簡便であることが長所だが、
「嘘をつこうと思えばつける」ことや「深いレベルの心理はわからない」という限界がある。
そういう「質問紙法」の短所をクリアしたものが、「投影法」テストだと思ってもらっていい。
具体的に言えば、比較的あいまいな刺激材料を与えて、被験者の自由な反応を引き出し、
それを分析する検査である。
そのため、「質問紙法」とは異なり、術者の力量の差が露骨に出て、
すなわちテスターの経験と資質が問われる検査である。
その「投影法」のいわば代表選手が「ロールシャッハ・テスト」である。
わかって頂けたでしょうか?。
ロールシャッハ・テストにも、色んな流派があるらしいが、
今回の学会は、国際的な規模で垣根を超えて大々的にやるみたいだ。
こんな大会を仕切るなんて、大変だろうなぁ。
中村先生は、臨床もバリバリやっていられるから、一体、いつ休んでるんだろう?と余計な心配にもなる。
クリニックでもロールシャッハ・テストを施行するが、
うちの心理の森国さんも徳田さんも2人ともセンスがよく優秀だと思う。何をもって優秀かと言うと、
「こちらの知りたいポイントを的確に答えてくれること」と
「何回か診察を重ねないと判らないような特徴を、一回のテストで指摘してくれる点」である。
話は少し変わるが、以前、「ロールシャッハテストはまちがっている」という本を読んだことがある。
題名通り、ロールシャハテストを科学的に批判してる内容で、僕はテストを信用してる立場なのだが、
それでも読み物として面白かった。↓。

この作者は前書きで、ロールシャハテスト信奉者たちは本書で展開される正当な科学的主張を拒否し、
激しい批判を浴びせた、と書いている。
挑発的な文章だ。
どんな人なんだろう?、ドキドキしちゃう、会ってみたいな。
折角だからロールシャッハ学会に、こういう人たちも呼んで、公開討論してくれないかな?。
「原発」の記事でも書いたが(2011年7月、「えっ?足りてたの?Tシャツ」、良かったらみて下さい)、
ディスカッションしてる模様を映像で観たいなぁ。文字だけでは伝わらない情報を、たとえば、
発言者の登場の仕方や歩き方(居丈高、シャツの襟を立ててる、ポケットに手を突っ込んでる、履いてる靴の値段etc)や
一瞬見せる表情(口のとがらせ方、ひそめ眉、アゴのしゃくりあげ方、邪悪な微笑etc)や
話し方(相手が話し終わらないうちに言葉をかぶせてくる、語気の荒さ、声の周波数、ヴォーカルとしての音色etc)
などの非言語的な部分を判断材料にしたい。
中村先生、やってくれないかな、この企画。
忙しい中、こんな事言ったら怒るかな?
一応、アカデミックな提案のつもりなんだけどな。
そんな暇ないか…。
それに、これ2005年の本だから、もうこの議論、決着ついてるのかな?。
ま、何はともあれ、日曜日は参加してみたいと思います。
BGM. ザ・シャドウズ「アパッチ」


学会

2/Ⅶ.(土)2011
学会出席のため、午後2時までで終りにしました。
ポリシーとして、学会のために外来を休むのは、なるべく避けてきたのですが、
今回ばかりは特例で、心理の徳田さんと一緒に参加させていただきました。
皆様には、ご迷惑をおかけしました。
今日の体験を臨床に生かしていきたいと思います。多分、徳田もそう思っているでしょう。
そうそう、7月23日(土)は、川原だけですが、17時くらいに終りになります。
これも研究会です。一ヶ月に二回も、すみません。
今後は、そうそう滅多にはないと思います。よろしくどうぞ。
ちなみに徳田さんのカウンセリングは、通常通りに行いますのでご安心を。
そうそう、7月24日(日)は、僕の誕生日です。
何も贈り物はいりません。
わざわざ、断るのも変ですが、本当に何もいりませんので。
じゃ、言うなよ、って話ですね。