お寿司屋のおじさん

5/Ⅵ.(日)2011 はれ
下の子と、行きつけの寿司屋へゆく。寿司屋のおじさんの昔話をきく。おじさんは、中学を卒業してから集団就職で大岡山に来たそうだ。
<当時は、どんな歌が流行っていたんですか?>に、おじさんは、「渡辺マリの『東京ドドンパ娘』とか、森山加代子の『じんじろげ』」に、<へぇ~>と僕が関心を寄せると、おじさんは、「センセー(僕のこと)も、古いの良く知ってるね」と乗ってくる。「当時の歌手は、皆歌が上手くて、声も個性的な人が多かった。中でも、美空ひばりは別格だった」とおじさん、<別格ですか?>と僕、「別格!」とおじさん。
男は、三橋美智也が流行っていて、三波晴夫や村田英雄は浪曲から転身してくるから、もう少しあとらしい。
おじさんは、昭和18年の山形生まれ。戦争の記憶はなく、進駐軍の人がくれたガムやチョコレートが美味しかったと笑う。<やっぱり、ギブ・ミー・チョコレート、とか言うんですか?>に、「言わない。そんなこと言わなくても、向こうからくれた。やさしかった~」と当時の様子をチョコの味と一緒に思い出してる。
おじさんと同期で大岡山に来た人で残ってるのは、おじさんを入れて2人きりだそうだ。今でも、電気屋さんに勤めていて、今でも、仲が良いらしい。
昭和18年というと1943年。<同い年の有名人って誰がいます?>の質問に、おじさんは「う~ん」と考え込む。すると、今まで気配さえ消していたかのような、下の子が、横からボソッと口をはさみ、「ミック・ジャガー」と答えた。
<マジで?…っていうか、お前、今まで気配消してなかったか?>との俺の驚愕に、息子はポーカーフェイスを決め込んで、冷緑茶のグラスを口に運んだが、その口元が得意気にニヤリとしていたのを、俺は見逃さなかった。
BGM. ボブ・ディラン「ライク・ア・ローリング・ストーン」


立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花

3/Ⅵ.(金)2011 はれ
下のお花は、昨日、受付の子が買って来て診察室に飾ってくれた、芍薬(しゃくやく)です。
「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」の芍薬です。せっかくだから、立って撮影してみました。↓。

立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、というのは女性を美人だとおだてる時に使う文句だが、今はあまり耳にしない。
美人とお花といえば、子供の頃、母が観てたので一緒に見てた、「花ははなよめ」というドラマを思い出す。主題歌が、メロディーに乗っけてただただ花の名前を並べるだけで、途中に「いよー」とか「よーい」とかお座敷っぽい合いの手が入る。
それは、主演の吉永小百合が芸者なんだけど、3人の子連れの花屋にお嫁に行くという設定だったからだろう。
僕がよく覚えてるのは、吉永小百合が「母親」であることに悩んで、自分のお母さん(この人も芸者)の淡島千景に相談に帰ると、淡島が吉永小百合に「ただの子供好き」と「母親」の違いをたとえ話で言って聞かせるシーンだ。
それによると、子供がご飯を食べながらボロボロこぼしてたら、「ただの子供好き」はこぼすたびに「まぁ、こんなにこぼして」と一々、拭いて面倒をみるのだが、「母親」は笑ってそれを眺めていて子供が食べ終わったら黙って拭いてあげるのだという。吉永小百合は何かを悟り花屋に走って帰り、それを淡島が優しく見送るのである。名シーンだ。
数日後、茅ヶ崎の北口にある西友というスーパーで僕は母と買い物をして、その帰りに上のレストランで何かを食べた。僕と母は対面に座り、僕が何かをこぼしたら、母が「あら、こぼしてる」と手を出そうとしたので、僕は母に上に書いた「花ははなよめ」の淡島千景のセリフを言ってやった。母は、即、ダマった。
母は負け惜しみで、「嫌な子ね…」というから、僕は負けじと、「親の顔がみたい?」と言い返した。圧勝で終わった。
BGM. ポール・サイモン「母と子の絆」


黒船

2/Ⅵ.(木)2011 雨。管総理不信任案?
今日は、6月2日だが、それで思い出すのは、サディスティック・ミカ・バンドの『黒船』というLPだ。
僕は、発売より少し遅れて、中学生の頃に聴いた。ザ・フォーク・クルセダーズの流れで、加藤和彦に行き、ミカ・バンドに辿り着いたのだ。
このLPのA面で「タイムマシンにおねがい」に続き、黒船「嘉永6年6月2日」「嘉永6年6月3日」「嘉永6年6月4日」というインストゥルメンタルな曲が3つ続くのである。高中正義のギターが印象的で、まるで始めて「黒船」を見た日本人の驚きを表現してるかのようだった。
僕は、学生の頃、あまり社会科を真面目に勉強しなかったので、黒船が日本に来航したのが何時なのか知らないし、確認作業もしていない。勝手に、「嘉永6年6月2~4日だろう」、と決め付けて生きて来た。今のところ、それで損をしたことはない。
ミカ・バンドが英国でロキシーミュージックの前座をつとめた時の模様を収録した、『Live In London』の「黒船」もかっこいい。ライナーノートに今野雄二が、ロキシーミュージックの時間を大幅に喰った、と書いていた。
加藤和彦も今野雄二も死んじゃったな。2人とも自殺だよ。この2人は、中高生時代の僕から見て、かっこいい大人だった。粋というか、お洒落というか、自殺するような人に見えなかったな。でも、自殺ってそういう人がするのかな。
いや、別に、自殺を美化してる訳ではないので、誤解しないようにお願いします。
BGM. サディスティック・ミカ・バンド「黒船(嘉永6年6月2日)(嘉永6年6月3日)(嘉永6年6月4日)」


上には上

1/Ⅵ.(水)2011
5月29日に行われた「DREAM JAPAN GP」をスカパーのペーパービューでみる。
今回、青木真也は4月に米ストライクフォースで勝利を収めた後、シンガポールのジム「Evolve  MMA」へ渡って練習を積んで来た。そこには世界レベルの柔術家やハイレベルなムエタイ選手らがいて、青木自身が語るには、「Evolve  MMA」には青木すら手玉に取る柔術の猛者がいるのだという。上には上がある、とは言うけれど、「青木を手玉に取る」ってどれだけ世界は広いのだろう。青木は今回の試合から所属も「パラエストラ東京/Evolve  MMA」に改めた。
子供の頃、ウルトラマンの最終回で、ウルトラマンがゼットンに負けるのだが、それより衝撃的だった事実は、ウルトラマンを救いにM78星雲から「ゾフィー」という名のウルトラマンの上司みたいのが飛んで来たことだった。
見た目は、ウルトラマンとそっくりだが、胸のあたりに銀色の丸い仁丹みたいなポツポツがいくつも付いていて、それが勲章みたいで、子供心にも、「ウルトラマンより位が上なんだ~」、と思わせる視覚的な説得力があった。
それがどれだけ衝撃的だったかと言うと、毎週々々、色んな怪獣や宇宙人の侵略から地球を守ってくれた我らのウルトラマンが、M78星雲ではトップ・ファイターではなかったという事実である。これまでの世界観を超越したスケールのものが存在するという事実に、2、3日呆然とした。宇宙は広い。
「上には上がある」繋がりで、もう一つ。藤子不二雄のSF短編に「超兵器ガ壱号」というのが似たようなニュアンスです。ネタバレになるので、内容は書きませんが、『カンビュセスの籤(くじ)』という藤子不二雄SF短編集に載っています。クリニックにあるので、興味があったら読んでみて下さい。↓。

カウンターテーブルの辺りにあります。テーマは似てるけど、ちょっと、なごみますよ。
BGM. 「ウルトラマンゾフィー」(『ウルトラマンZOFFY ウルトラの戦士VS大怪獣軍団』主題歌)
※DREAM関連記事~良かったらみて下さい。
・2011年5月、「DREAM…」


優先順位

31/Ⅴ.(火)2011 はれ
優秀な船長は、ふいの嵐にそなえて、積荷を海に捨てる順番をあらかじめ決めておくという。航海の途中、嵐に巻き込まれたら、なるべく船を軽くする方がよい。せっかくの積荷がもったいないからと、どれも手離さないでいると、船ごと転覆してしまう。それで慌てて、積荷を海に捨てて、途中で嵐が治まったら、一番大事なものを捨てて、比較的重要度の低いものが残っていた…なんて事態も起こりかねない。
そんなことを防ぐために、優秀な船長はあらかじめ捨てる順番を決めておく、ということらしい。「優先順位をつけることの大切さ」のたとえ話だ。
僕は、毎日の診療の後、書類作成などの事務作業があり、今は講演会の準備や、勉強会、ここに来て原稿依頼もあり、そこに来て「涼宮ハルヒの驚愕」も早く読みたいし、こうやってブログも書いて、さらに「ポケモン」ゲームまで始めるのだ。(昨日の記事、「ポケモン・デビュー」を良かったらみて下さい)
忙しくなりそうだ。積荷を捨てる順番を決めておかなきゃ。最初は、「ポケモン」だな。次は、ブログかな。
「涼宮ハルヒの驚愕」は直に読み終わるから、それほど心配はいらない。
BGM. ロッド・スチュワート「セイリング」


ポケモン・デビュー

30/Ⅴ.(月)2011
中学の頃、スペース・インベーダーが流行り、何発目でUFOを撃つと何百点になるからと、弾の数を空撃ちしながらUFO襲来を待って高得点をあげたりしたもので、僕は仲間内では結構うまい方だった。あと、ピンボールも得意だった。それらの機械は、ゲームセンターに設置されていたり、喫茶店のテーブルがゲーム機になっていたり、ボーリングの待ち時間にボーリング場の一角でやるもので、ゲームとは家に帰ってからやるようなものではなかった。
その後、ファミコンやらゲームボーイやら、自宅のTVにつないだり携帯するゲームが登場するのだが、その頃には、僕はもうゲームをやるような歳ではなかった。だから、これらのゲームを一切やったことがなく、残りの人生でもやる事などないと思っていた。「その事実」を知るまでは…。
先日、下の子が、「最近ポケモンにはまってる」、と言っていた。ポケモンは、DSという種類のゲーム機でやるらしいが、そう言えば、よく理系の大学院生なども「ゲームとしてポケモンは面白い」と高評価だったのを思い出した。下の子は、「面白いからやったら?」と勧めるが、<俺はゲームはいいよ>と断った。
ポケモンは一時期、ポケモンカードを集めたり、夏休みのJRのスタンプラリーに参加したが、<どうも、ゲームは…ね>。下の子は、「ゲームだとロケット団って悪いんだぜ」と言う。<知ってるよ、ロケット団が悪の組織だってことくらい、常識だぜ>。
すると、下の子は一瞬息を呑んでから、「アニメのムサシとコジロウは別。もっとも、ゲームをモチーフにして作られたキャラクターなんだろうけど、ゲームのロケット団はチンピラみたいなんだ」と言った。<チンピラって、お前、一体、何をすんの?>。「たとえば、カラカラのお母さんを殺したのは、ロケット団なんだ」。<ナニ?ホントか?>。「本当だ」。
カラカラは、前にもブログで書いたが、僕が一番好きなポケモンで、「こどくポケモン」と言って、死に別れた母親の骨を被っているのだ。
<そのゲームをしたらロケット団と戦えるのか?>。「もちろん」。<よし、買いに行くぞ>。
という訳で、今日、新宿で下の子と待ち合わせして、ビックカメラで一式揃えた。ゲーム売り場に行き、レジの係の人に、「何と、何と、何と、何!」、って指示をして、「緑でいいね」とゲーム機本体の色だけ俺に確認し、必要なものを揃えさせる我が子の後姿には、風格さえ漂い、<頼もしいものだ>、と感心した。
帰ってから、初期設定してもらい、付きっ切りでみて貰いながらはじめてみた。ソフトは、「ソウルシルバー」、ルギアが出る奴。パートナー・ポケモンは、ヒノアラシにしてみた。
BGM. 宮沢りえ「Game」
※ポケモン関連記事~良かったらみて下さい。
・2010年9月、「幸福への招待」「憬れのハワイ航路④」「憬れのハワイ航路⑥」
・2011年2月、「ポケモンで風邪退治」


DREAM…

29/Ⅴ.(日)2011 雨
今日は、さいたまスーパーアリーナでDREAMという総合格闘技団体の久々の大会があり、満を持して観戦にゆく予定だったが、当日になってチケットが見当たらず。
3.11の地震以来、僕の部屋はグチャグチャで、何かを探し出すのに一苦労。そこで、今回のチケットは「特別な場所」に保管して置いたのだが、そこがどこだか忘れてしまった。策士、策に溺れる。(←使い方、合ってるか?)。井上陽水の言うように、探すのをやめた時、見つかるのだろうか。
K-1を含め、今や日本の格闘技人気は下火で、ギャラの未払い問題など社会的なイメージも悪く、経営も悪化、団体存続さえが青息吐息。
名のある選手はアメリカへ行ってしまうし、仕方なくプロレスに出稼ぎにゆくK‐1ファイターもいる(自演乙、京太郎)。
そんな中での、「DREAM JAPAN GP」は新設されるバンタム級の日本トーナメントを中心に、青木真也の試合も組まれ、マッチメーク自体は面白そうだ。
当日券を買う、という手もあったが、6月1日にCS放送されるし、外はひどい雨だし、家で「涼宮ハルヒの驚愕」を読むことにする。
こんなことは今までなかった。ぼくが格闘技から離れてゆく。(←オフコース風にしめてみました)
BGM. 忌野清志郎Little Screaming Revue「ひどい雨」


ガム分け

28/Ⅴ.(土)2011
今朝、大岡山の裏通りでおじさん同士の朝の会話、「梅雨に入ったね」というのを小耳にはさみ、梅雨に入ったのかぁ、と知った。
そう言えば、僕はこういう行き交う人と挨拶をしたり、声を掛け合ったり、天気や世間話をすることがほとんどない。別に、どうでもいいことだけど。
最近は土曜日がお昼休みがなく午前から午後へと流れてゆくのだが、そのせいで途中でガムがなくなってしまった。(僕は診察中にガムを噛んでるから)。そこでナースの塚田さんに「ガム、持ってない?」と聞いて、持ってたから分けてもらった。
僕は、何のこだわりもなく「LOTTE  XYLITOL」というガムを、ただレジの近くにあったからという理由だけで噛んでたわけだが、それを見た塚田さんは、「ハルヒじゃないんですか?」とビックリしてた。
そうか、ACUOは涼宮ハルヒがCMやってたな。忘れてた。…っていうか、よく知ってるな、塚田さん。

5月なのにもう梅雨か。暑い夏が、そこまで来てる。
BGM. RCサクセション「サマータイムブルース」


涼宮ハルヒの驚愕、ゲット

26/Ⅴ.(木)2011 はれ、夜に雨
昨日、待望の「涼宮ハルヒの驚愕」が発売となった。家のブルーレイ・レコーダーはキーワードを入れておくと、
勝手に番組を選んで録画してくれるのだが、昨日家に帰ったらワイドショーが留守録されていて何かと思ったら、
「涼宮ハルヒの驚愕」が世界15か国同時発売というニュースを秋葉原の行列の実況中継と
スタジオから「涼宮ハルヒ現象とは?」みたいな解説を報道していた。
「涼宮ハルヒ」シリーズは世界15か国で累計1650万部を突破するヒット作で、
今回の「~驚愕」は4年ぶりの新作で初版部数は51万3000部で、
爆発的なヒットをした村上春樹の「1Q84」の初版部数よりも上回った!というのだ。
ハルヒと春樹を比較しても、あまり意味がないと思うのだが…。ダジャレ?
「~驚愕」は前作「涼宮ハルヒの分裂」の続編で、
現実世界を改変する異能力はハルヒではなく佐々木さん(キョンの中学の同級生)のものではないか?というテーマである。
これは作品の根幹に関わる重要なエピソードにピリオドが打たれるわけで、熱狂されるゆえんである。
木曜日は、お昼が少し早く終わるので、昼休みに渋谷のアニメイトに購入しにゆく。
すると、アニメイトの店頭には「ハルヒ」のパネルが立っていた。↓。

よく見ると「完売」と書いてある。初版部数が「1Q84」越えなのに、発売2日目で完売かぁ。
下は、「完売」をお知らせする部分のアップ。↓。

そんなこともあろうと、ちゃんと予約しておいたので、ゲットできました。
今回は、前後巻セットに特製小冊子がついてくる。↓。

下が、特典の小冊子「涼宮ハルヒの秘話」。↓。

その他にも予約特典は色々ついていて、たとえばブックカバー。
2冊なので2種類あって、一つはちょっとアートっぽい。↓。

もう一つのブックカバーは、佐々木さんとハルヒの対立構図。↓。

その他にも、アニメイト特典で裏に「私はSOS団をいかなる時も応援することを誓います」と刻まれてるメタリックなカード。
全部で5種類、あるらしいが、4つ手に入れた。あと一つだ。
まずは、ハルヒとみくる。↓。

続きまして、長門とみくる。↓。

そして、ハルヒと古泉。↓。

4枚目が、キョンと古泉。↓。

「~分裂」では、佐々木さんがとても素敵な女性に描かれていました。断トツだった「長門有希」を抜いた、という感じです。
あっ、僕の個人的な好みの問題です。
他にも、色々、関連商品が売っていました。「佐々木さんのうちわ」なんてのもありました。
節電の夏だからね。何故か、Tokyo Walkerでも、特集が組まれてポストカードとしおりの特別付録がついてました。
しかし、Tokyo Wakerを読む人が、ハルヒに興味持つかな?よく知らないけど、対象とする層が違いすぎないか?
コラボって、そういうものか?単に流行を発信してるだけか。
そんなことはどうでもいいですね。これから読みますが、読むのが楽しみです。
※涼宮ハルヒ関連記事、良かったらみて下さい。
2010年5月、「涼宮ハルヒの驚愕」
・2010年6月、「聖地巡礼」「ハルヒ豆情報」
・2010年7月、「わたしはここにいる」
・2010年8月、「エンドレスエイト」
・2010年12月、「涼宮ハルヒの消失」「おやすみ」
・2011年5月、「勉強に近道はなし」


「川原クリニック・クラッシック」構想

25/Ⅴ.(水)2011 よく晴れた日
お昼を徳田さんと蕎麦屋で食べながら、最近考えた「カワクリ事業拡大構想」を彼女に話してみた。
ズバリ、「川原クリニック・クラッシック」という分院を作るのだ。今のクリニックは、若い人向けの雰囲気が強いため、もっとゆったりとした空間の分院を作るのだ。
待合室も白い壁に、せいぜい「静物画」の一枚くらいしか飾らない。観葉植物を置き、BGMも無害なα波が出るようなクラッシック音楽(本当に出るのか?α波)。照明も抑えて、刺激の少ないクリニック、それが「川原クリニック・クラッシック」。まぁ、普通のクリニックっていうことだが。
大岡山は高齢の方も多いので、「認知症」や「老年期のうつ病」の潜伏率も高いはず。僕は、こう見えてもお年寄りの診療の知識は結構あって、学位論文も「高齢者のうつ病」をテーマにした。お年寄り以外でも、静かな方がいいという方も少なくないだろう。そんな需要に応えての、「川原クリニック・クラッシック」。ロゴの「K」の色を緑から灰色に変えてみる。ロマンス・グレー。どう?よくない?。
徳田さんの反応はイマイチで、「で、誰がそこを診るのですか?」。
えっ?、そうか。ノー・プラン。俺がそっちをやったら、こっちを出来ないな。「川原クリニック・クラッシック構想」瞬殺。白紙撤回。
帰りに徳田さんは、「お花を買いたいから」と花屋に寄りたいというので付き合った。お花を選ぶ徳田さんを見てて思ったのだが、お花を選ぶ彼女はとても絵になるのである。お花とお話をしてるみたいだ。
彼女は、「お待たせしました。白い花にしてみました」と微笑んだ。「白紙撤回」の白か?。考えすぎか?
クリニックに帰る道すがら、徳田さんは「川原クリニック・クラッシック」をやったらきっと先生は老けてしまいますよ、やるのは20年後にしましょう、と言った。「そうだね」と僕はテキトーに相槌を打ちながら、徳田さんにも20年後はやってくるんだよなぁ、とぼんやり考えたりした。
BGM. 森高千里「私がオバさんになっても」