11/Ⅶ.(日)2010 はれ
録画しておいたDREAMを観る。青木真也、おそるべし。
昨日は、クリニックの飲み会。徳田、塚田、岡田、吉田と「田」の付く人が集結した。 いつものお店、新メニューの「鳥ナポリ」というのを注文してみる。
するとお姉さんに「ナポリは‘鳥’と‘豆腐’がありますが?」と聞かれた。だから、‘鳥’。
昔、お茶の水の「ノーム」というスペース・インベーダーが出来るテーブルがいっぱいある喫茶店で、 僕の友達は海老ピラフを注文した。
するとウエイトレスに
「ピラフは、‘海老’と‘カニ’がありますが?」と言われ、
「じゃ、‘カニ’で」と答えていたのを思い出した。海老とカニ、結構違うよ。
僕ら二人とも大学にすべて落ち、一緒にどこの予備校に行くかを相談する会議でのこと。
自信喪失しててブレやすかったのかな。
昨日もワインを飲みすぎた。家に帰り、台所でお水を飲んだまま力尽きたようだ。
朝、起きたら台所だった。コップを握ったまま眠っていた。背筋がよじれて痛い。
BGM. 加藤和彦「キッチン&ベッド」
ザ・ヒストリー・オブ・川原③~「エロスとタナトス」
11/Ⅶ.(日)2010
7月はお誕生月なので、「ザ・ヒストリー・オブ・川原」と題して思い出にひたることにする。
その第三弾。
僕が小さい頃、父親は雷おやじだったので~父は大正生まれで戦時中は樺太や満州などで苦学したらしい~
いつも怒ってたので、僕は「早く死ねばいいのに」といつもいつも思っていた。
ただ、父が死ぬと生活が困るのは判っていたから、あの世から送金されるシステムができないものかと考えた。
逆に、母が死んだら僕はどうやって生きて行っていいか判らない。 だからカルメン・マキの「時には母のない子のように」というヒット曲を聞くとやるせない気持になり、
母が死んだら後を追おうと決意した、小学校低学年の頃である。
母が死んだ後に、死ねる場所をいくつかみつける。 僕は泳ぎが出来ないので、海や川は候補から外した。
死ぬことより溺れることの方が恐ろしいからだ。
茅ヶ崎駅から少し離れた所に開かずの踏切があり、そこなら確実だと考えた。 何度か下見に行った。
ある日、線路の脇の草むらにエロ本が捨ててあった。
中味を見た。オバさんがセーラー服姿で載っていて、吐き気をもよおしたが、
掲載されてるマンガがシュールで面白かった。
誰かが定期的にエロ本を捨てる場所だったらしく、僕は「エロ本の墓場」と名付け、
いつしかそこに本を読みにいくのが愉しみに変わっていた。
エロスがタナトスに勝利したのだ。
後日、茅ヶ崎ライオンズクラブあたりが「有害図書ポスト」みたいなものを設置して
エロ本の不法投棄はなくなった。
そして僕はその頃には、あまり真剣に死について考えなくなっていた。
話は父に戻るが、父は胃癌でリタイアしてから僕に歩み寄った。
僕が普段着ていたつなぎ(ダウンタウン・ブギ・ウギ・バンドが着てたような奴)を自分も着たいと言うから、
藤沢の東急ハンズで買ってきてあげ、そろいで着て喫茶店に行ったりした。
医者に止められてるはずのタバコも、僕が吸ってる銘柄のsometimeに変え、
「メンソールは茅ヶ崎に合う」と僕のチョイスを絶賛した。
父が死ぬ直前~兄はもう医者になっていて僕は医学生だった~僕は毎日、
学校の実習を終えるとお見舞いに通った。
父には「癌だ」と言わない約束だった。母も兄も、内緒にしておくのがよいと判断したのだ。
僕は医学校で「尊厳死」なんてものを習ったばかりだったし、大体嘘をついてるのが嫌だったから、
ある日、2人きりの時にすべてを教えた。
父も医者だったから判っていたようで、
「達二、告知というのは大事なことだ。何でも告知をすればいいものでもない。
その時、その人によって、告知すべきか、すべきでないかと考えるのも医者の仕事だ。
主治医が告知しない方がいい、と言うのだから、今の話は聞かなかったことにする」
というようなことを言われた。
だから、僕もこの件は誰にも言っていない。今、始めて言った。
父が死んだのは、進級を左右する大学の定期考査の直前で、
まったくもって迷惑な時期に死んでくれたものだと恨んだものである。
BGM. 青山和子「愛と死をみつめて」
老人と海~1978年夏
10/Ⅶ.(土)2010 はれ
茅ヶ崎駅南口から海に向かう道を、東海岸という。茅ヶ崎は先週、海開きをしたそうだ。
かぐや姫の「かぐや姫Today」という再結成コンサート(←観に行った)が行われた年、
加山雄三は『加山雄三通り』」というLPを出した。
矢沢永吉の「時間よ止まれ」とかサーカスの「Mr.サマータイム」が流行ってた夏だ。
榊原郁恵は「夏のお嬢さん」、石野真子は「私の首領<ドン>」、大場久美子は「エトセトラ」だ、なつかしい。 『加山雄三通り』を聴けば、加山雄三通りとは東海岸のことだとわかった。
当時、地元の年寄りが「若い奴が勝手をして困る。けしからん」と難癖つけてて、ズレてるなぁと思ったものだ。 だって、もうサザンオールスターズなんて新人が活躍してるんだぜ。
加山雄三、若くないぞ。
加山雄三、おじさんだぞ。って。
今は昔、いつしか加山雄三通り、正式名称になっていた。
近頃は海水浴場を「サザンビーチ」と呼んで集客してるようだ。
年寄り、いいのか?
「老人と海」でした。
BGM. かぐや姫Today「湘南 夏」
棚から一掴み
9/Ⅶ.(金)2010 はれ
今回は、これまでブログで使用した歌の一部のレコード・ジャケットを紹介しませう。
・30/Ⅵ.「ジューン・ブライド」より文中に使用。↓
・27/Ⅵ.「まさか…」よりBGMに使用。↓
・17/Ⅵ.「結婚しようよ」よりBGMに使用。↓
・13/Ⅵ.「徳田先生の思ひ出」よりBGMに使用。↓
・10/Ⅵ.「ゴマスリ行進曲」よりBGMに使用。↓
・22/Ⅴ.「ハートで勝負!」よりタイトルに使用。↓
・1/Ⅴ.「院長ブログをはじめました」よりBGMに使用。↓
以上、棚から一掴みでした。
BGM. 山下達郎「アトムの子」 (←わかるかな?)
ザ・ヒストリー・オブ・川原②~「麒麟児」
8/Ⅶ.(木)2010 はれ
7月はお誕生月なので、「ザ・ヒストリー・オブ・川原」と題して思い出にひたることにする。
その第二弾。
麒麟は古代中国では、鳳凰、亀、龍と共に神聖な生き物とされた。
このことから、幼少から秀でた才を示す子供を「麒麟児」と呼ぶ。
相撲取りに麒麟児というのがいた。
突っ張りが得意で、北の湖・若三杉・金城(かねしろ)らと‘花のニッパチ組’と言われた。
よく学校で真似をした。NHK、名古屋場所放映しないって。
僕は子供の頃、あまり大きい方ではなかった。
背の高さなんてどうでもいいと思うのだが、他人に「タッちゃんは小さいからね」と言われると、
母はよく、「サンショは小粒でピリリと辛い!」と怒っていた。
写真は、母が作ってバザーに出した麒麟のぬいぐるみ。
僕の方が、少し背が高く設計されている。
赤いマフラーはサイボーグ009。
BGM. 渡辺香津美「Kylyn」
わたしはここにいる
7/Ⅶ.(水)2010 くもり、やっぱり雨
七夕といえば涼宮ハルヒだ。
中学生のハルヒは七夕の日の真夜中に学校へ忍び込み、ジョン・スミスと名乗る北高生の助けをかり、
校庭にナスカの地上絵のような落書きをする。
それは、宇宙人へのメッセージだという。
ハルヒが考案した宇宙語で、「わたしはここにいる」という意味だった。
おとなの皆さん、これが「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズを楽しむにあたっての鍵になります。
それでは、コマーシャルです。↓。
七夕は諸事情があって別れ別れになった二人が1年に1度だけ逢えるチャンスで、雨が降ったら来年に繰り越し、
という縛りがロマンティックですね。
郷ひろみも♪会えない時間が~愛、育てるのさ~、目をつぶれば君がいるぅ~♪と歌ってました。
昔、七夕に『吉田拓郎のオールナイト・ニッポン』があり番組しょっぱなで拓郎が、
「吉田拓郎で、流星、です。僕も誰かに逢いたいなぁ~」と曲紹介したのを何故だか妙によく覚えている。
当時のオールナイト・ニッポンは月曜・中島みゆき、火曜・所ジョージ、水曜・タモリ、木曜・たけし、金曜・拓郎、
土曜・鶴光だった。スター達が定点のように、いつもの曜日いつもの時間いつものダイヤルに必ずそこにいた。
それこそまさに恒星だった。
BGM. 吉田拓郎「流星」
ひまわり
6/Ⅶ.(火)2010 はれ
↑これはいただき物の、ひまわり。
僕はきれいな花をみると反射的に、造花?と思う。
いい人をみると、偽善者?と疑うのに似てる。
このお花はホンモノ。その証拠に枯れた。
BGM. ザ・タイマーズ「偽善者」
久保キュンとキザえもん
5/Ⅶ.(月)2010 くもり時々雨
K-1 WORLD MAX を国立代々木競技場第一体育館まで観に行く。
魔裟斗引退後のK-1 MAXが生き残りを賭ける大会だ。
魔裟斗の階級だった70kg以下級トーナメントはファイナル16のぶつかり合い。
新設された63kg以下級は日本代表を決めるワンデイトーナメント。
その2つを同時にやってしまおうというのだから太っ腹だ。
63kg以下級はリザーブ・マッチから熱かった。すべての選手に意気込みと危機感があった。
第1試合で、前回メーンをKOで飾った優勝候補の上松が敗れる波乱に始まり、どの試合も面白く、退屈な試合がなかった。 決勝戦もKO決着で盛り上がった。 華のないペンキ職人が優勝したが、準優勝の久保優太と三位の才賀紀左衛門はいいキャラだ。 あの谷川プロデューサーが「かわいい」という久保キュンは22才、あの魔裟斗が「可愛くない」と言ったキザえもんが21才。 70kg以下級の中島弘貴は今日が誕生日で22才。 あと何人か、この位の年の人が出るといいな。 魔裟斗みたいな男は、そうちょくちょくは出てこない。‘数’が欲しいな。
BGM. キャンディーズ「年下の男の子」
今週のTV番組
4/Ⅶ.(日)2010 グズグズ振ったり止んだり
録り貯めていたTV番組をまとめて観る。
・アニソ~ンぷらす[世紀末オカルト学院]特集…OPテーマは中川翔子の「フライングヒューマノイド」だ。
・アマガミSS…人気ゲームのアニメ化だが、なんとも言えず。とりあえず、もう一話観て決める。
・タモリ倶楽部…来週よりHD化するにあたって、一つの問題が勃発。
10年使用している現在の「お尻を振る」オープニングは、
4:3のためレターボックス化すると黒い額縁が出てしまう。
その対策を考える番組。新たにお尻を振るモデルも選ぶ。浅草キッドがゲスト。
・ポケモンサンデー…7╱10公開の映画「幻影の覇者ゾロアーク」公開直前スペシャル。
街の守り神として呼ばれていた伝説の3体エンテイ&ライコウ&スイクンが街を襲う。
何故?それは、ゾロアークが化けていたのだ。
・「私の優しくない先輩」恋する気持ち応援スペシャル…ハルヒのヤマカン監督による
7╱17より公開される映画の紹介番組。
暑苦しい不破先輩役を「はんにゃ」の金田がやってる。
ヤマカンならではのこだわりのダンスシーンが散りばめられ、
最大の見せ場は主人公のヤマコが歌う5分半に及ぶ壮大なダンスシーン。
ワンカットで撮影されたそうだ。
エンディング・テーマ曲「MajiでKoiする5秒前」は、80年代の軽快なアイドル・ポップみたいで大変よろしい。
発売されたら、待合室で流そう。
・爆笑レッドカーペット…浅草勢VS吉本勢によるチーム対抗なぞかけ。個人戦だと、ねづっちの圧勝だから。
石井慧が審査員で出てた。
元気そうで安心した。
・歌の楽園…やっくんが司会の「リクエストと実力派シンガーがつくる夢のメドレー」。
テーマは「七夕・願い」。
‘おかいつ’のはいだしょうこと中川翔子が、ミカバンドの「タイムマシンにおねがい」
~田村直美の「ゆずれない願い」~岩崎宏美の「ロマンス」を歌う。
最後は尾藤イサオが「悲しき願い」でしめた。
・UFCでは秋山が「三角」で負けた。
格闘技界は大変だ。そんな中、ブロック・レスナーはヘビー級統一戦で逆転勝ちした。
これからは、レスナーか?今週は、K-1とDREAMがある。
BGM. RCサクセション「ミスター・TVプロデュ―サー」
ザ・ヒストリー・オブ川原①~「家族の肖像」
3/Ⅶ.(土)2010 蒸し暑い、くもり夕方から雨
7月はお誕生月なので、「ザ・ヒストリー・オブ・川原」と題して思い出にひたることにする。
その第一弾。
生まれて初めて好きになったアイドルは天地真理だった。
カトリック系の幼稚園から小学校に通っていた僕にとって、「天地創造」の天地に、
「わたしは道であり、真理であり、命である」の真理を名に持つアイドルは、
堂々と好きになっても許される安心感があった。
天地真理の本名は、斉藤真理といい、実家は茅ヶ崎の南口の駅前にある「斉藤不動産」
だという噂があったが、真偽の程は定かではない。
父は、なんとか僕に勉強させようと、「斉藤不動産にお嫁に来てもらうよう頼んでやるから」と
交換条件をチラつかせた。
しばらくして、森昌子が「せんせい」でデビューした。
僕と一緒に歌謡番組を観てた父は森昌子を大変気に入り、「娘に欲しい」と言った。
父は堅物だが、時々おかしなことを云う。
僕はブラウン管の森昌子を観ながら、こんなモンチッチみたいな奴にいきなり家に来られて、
今日からお姉さんよ、などと言われても困ると思った。
その頃、モンチッチ、まだなかったけど。
茅ヶ崎は潮風から家を守るために海沿いには松林が広がっている。
僕はそこらじゅうに落ちている松ぼっくりを見ては、忌々しく森昌子を自由連想した。
そんな折、ラチエン通りに密生しているヘビイチゴを食べることで評判の上級生「マミー」が
松ぼっくりを食べることに成功したというニュースを耳にした。
朝の礼拝で、僕は「マミー」に「森昌子、好き?」と話しかけてみた。
「マミー」は「くれんの?」と答えた。
僕は、こいつらはお似合いだな、森昌子は「マミー」にまかせた、と思い随分と気が楽になった。
母は働き者で浮かれたことはまずなかった。
だから芸能人で誰が好きかなんて話も聞いたことがない。
唯一、歌舞伎の坂東玉三郎を贔屓にしていたくらいか。
晩年は、兄がアリスの堀内孝雄に似てると誰かに言われたらしく、2か月半くらい堀内孝雄を応援していた。
僕は部屋に月刊明星か月刊平凡の付録についていた天地真理の等身大ポスターを貼っていた。
紺色のチョッキにベルボトムのGパンを履いて微笑んでいて、隣の真理ちゃんという感じだった。
いい感じ。
兄の部屋は殺風景で『ミクロの決死圏』という、博士の命を救うために医療チームがミクロになって
博士の耳から体に入っていくというSF映画のポスターが貼られてたのを覚えている。
兄はギターが弾けて学生時代はテニス部だった。
兄の部屋のポスターの変遷は「かぐや姫」とか「ビートルズ」といったアーティストか
コナーズとかボルグといったテニス・プレーヤーで、およそ色気も素っ気もなかった。
アイドルにうつつを抜かしたことなんてないんじゃないか?
あっても、岡田奈々1週間、とか、小泉今日子10日間、なんて程度じゃないかな。
そのくせ、東京乾電池の高田純二がやっていた土曜のお昼の8チャンの番組で、
アナウンサーの寺田理恵子のお見合い相手を大学生から募集するというコーナーの、
第1回の出演者としてテレビ出演していたのには驚かされた。
<ご趣味は?>「テニスです」
<何級ですか?>「硬球です」という、仕込まれた掛け合い漫才みたいなことをやっていた。
家族には極秘にしていたが、僕はその番組が録画されたビデオをたまたま発見して観た。
でもそこは武士の情け、親には内緒にしておいた。
BGM. サザンオールスターズ「茅ヶ崎に背を向けて」