1/Ⅳ.(日)2018 はれ エープリル・フール
小学校の時、青年誌の企画に当選し、赤塚不二夫と対談した。
その号の、赤塚不二夫のマンガは、格好つけた男がマントをとると、パンツ一丁で、
さらにラストはメガネとパンツになるというナンセンスなコネタだった。
僕はまことに失礼したが、赤塚不二夫に、
<このマンガのどこが面白いのか判らない。それは僕が子供だからだと思う。
面白いことを理屈で説明してというのは無茶だと思うが、無理を承知で説明してくれませんか?>と言うと、
意外にも、あっさり、「いいよ」と笑って、
「あのね、これはね、まず、この男が格好つけてるでしょ。格好つけてるくせにパンツ一丁なんてバカバカしいでしょ。
そう思わない?思うでしょ。よし。だったら、そのパンツは思いっきり派手にしちゃおう。
男が履かない様なパンツ、女物でもいいね。
それでそこをいったんしまっといて、メガネを見せて、読者の気を上にそらしておいて、またパンツを出すんだよ。
そうすると、さっきのパンツのタメがあるから、重なって面白くなるんだ。
2回目のパンツはもっとバカバカしいものがいい。金色とか星条旗とかね。そうやってみると面白いでしょ?」と言われ、
僕は<なるほど>と思い、生まれて初めて生理的にでなく、こうした方がインテリっぽいなというポーズとして、
笑うというリアクションをおぼえた。
一つ大人の段階を昇ったんだと思う。と同時に何かを失った気もした。
その当時の○×は、風紀の取り締まりが今よりうんとゆるくて、夜になると街は混沌としていた。
僕はある夏、夜のビルの屋上の「ハッテンバ」というビアガーデンみたいなところに潜入し、
いわゆる男同士のカップルの社交場の生々しい実態をみて逃げて帰る。
そこでは、サザエさん、マスオさん、という隠語が飛び交い、各々、S(サド)、M(マゾ)の略だった。
地下には、家に帰りたくないとビルに立て篭もる双子の女の子がいて、妙に愛嬌が良かった。
しかし、得てして、人はそうであるように、苦境の時にある人こそニコニコしているもので、
その女の子達のお母さんは子宮体癌で子宮を摘出してるのに、子宮頸癌になり、
チンピラの男が、お母さんが言う通りにならないと、子宮のあたりをめがけて腹部をグーで殴るように、
彼女らに命令するから、それが嫌でここにいるんだという。僕には何もしてやれなかった。
人のよいおじさんと「ハッテンバ」を冒険しにみにいくことにした。
そのおじさんはどこかの中学校の生活指導の教諭だった。
屋上では、酔っ払ったサザエさんみたいな髪の’ダヨーン’みたいな顔をした男が、
山羊のモツを食べ過ぎたと呑んだ酒を吐きながら寝転がっていた。
僕はどうしてもこの「ハッテンバ」がどういう意味で存在しているのかが判らず、’ダヨーン’に勇気を持って質問してみた。
<赤塚不二夫先生は、マンガの面白さを解説してくれました。そんな無理なお願いを叶えてくれました。
だから、お願いします。どうして、この「ハッテンバ」はあるのか教えて下さい>と訴えかけると、
’ダヨーン’は、「それは無理だよ」と吐きながら言って、ふいに相棒とアイコンタクトして、僕の方を真顔で睨み、
「だって、オレたちはこっち側の人間だよーん」といった。
「お前は違うよ-ん」と言われて、僕の隣の生活指導の教諭は、僕を置き去りにして、その場から走って逃げて行った。
僕はすえ恐ろしくなって、その場から一刻も早く逃げなきゃと、足がもつれながら、足がもつれながら、
走っても、走っても、うまく前に進まないけれど、何段も、何段も、階段を転げ降りていく。
途中で、「ハッテンバ」の、’SMキリシタン’という男に、変な油を吹きかけられたり、
「発砲するな!」というポスターの前で警官の頭に銃をつきつけてる男とぶつかったために、ピストルを撃たれ、
その弾がギリギリ頭をかすめて飛んで行ったり、なんやかんやあったが、やっとこ安全なビルに戻って、
顔馴染みの中古レコード屋のおじさんに、ことの顛末を喋ると、「もう大丈夫だよ」と根拠のない無責任な笑みをみせられ、
だけどそれにホッとした。
店頭にあったジュリーのレコードを指して、おじさんは「ジュリーのパンツも派手だぞ。イヒヒヒ」と下品に笑った。
数日後、僕が秘かに想いを寄せている年上のひとの旦那さんにその話をしたら、
「オレにも似たような経験があるよ」と共感してくれた。
すると、年上のひとは、急にプンプンして、「あの人は何年も私といるのにそんな話、一回も私にしたことないじゃないの」とスネて、
僕は思わず、笑ってしまった。
僕は笑いのセンスの向上と、派手なパンツを履くことが、大人への通過儀礼だと肌で感じていた。
下は、最近買った新しいボクサーパンツ達。夢に出てきた赤塚不二夫先生に捧ぐ。
BGM. T・レックス「メタル・グルー」