予告ブログ①~「生きること、死ぬこと」

15/ⅩⅡ.(月)2014 はれ 
※今思うと、あれがプロローグだったんだね。
珍しく、マサキから電話があって、この1年で同級生が2人死んだんだそうで。
2人は闘病日誌をフェイス・ブックにアップしてて、別の友人が、自分も癌で闘病中、とコメントしてるそうで。
<なんか壮絶だな>と僕が答えると、マサキはこう言った。
「だからさ、もう僕らの年は、普通に病死する年齢になったんだよ」って。
<まぁ、そうだな。で、だから何?>。
「ところで、君、まだ、酒呑んでから、風呂に入ったりしてるの?」。<もうしてないよ>。
マサキは、「病死なら良いんだよ。病気なら。只さ、君は酔って風呂で寝たりするから、変な死に方はやめて欲しいんだよ」。
<死に方に、普通とか変とかあるか?>と僕が言うと、
「あるよ!こっちが後悔するんだよ。『あぁ、注意しとけば良かった』ってさ。病気なら許すよ。事故死はやめてくれよ」と、
マサキは強い口調で言ってたな。
ここで少しだけ、僕とマサキの関係を話しておきたい。2人の思い出話を。
僕とマサキは、同じ大学の医学部に一緒に入学した同期。年はマサキが一個上。
自分で言うのも何だけど、入学したての僕の態度は悪かった。
言い訳じみてるけど、僕は精神科医になりたくて医学部に入ったから、他の奴らとは目的意識が違うと思っていた。
皆は、医学全般を勉強して、国家試験をパスしてから、自分の最も興味のある分野に進むという選択肢を持ってたでしょう?
だから、僕はハナからそんな奴らと気が合う訳がない、と決め付け、友達を作ろうとしなかったんだ。
だから、皆、僕を変人扱いしていたね。
そんな僕にとって、化学の実習はペアで協力してやらなければならないから、それは苦痛だった。
ペアは機械的に出席番号順に組まされてね。
僕とマサキの苗字は二人とも「カ行」で、続きだったから、席順は隣同士だった。
僕らの初めての接触は、化学の実習だったね。
これは誰にも話してない事かもしれないけど、マサキの漢字は「マキ」とも読めてね。
僕は何を早合点したのか、てっきり、ペアを組む子は「マキちゃん」という女の子だと決め付けていたんだ。
<マキちゃんって、どんな子かな。きっと笑顔の良く似合う世話好きな少女に違いない。イヒヒ>って妄想してた。
さっき、友達を作ろうとしなかったと言ったけど、ホラ、鎖国しても出島くらい作るでしょう?
僕は、空虚な大学生活に、学園ラブコメの要素を期待して、「マキちゃん」の到着を待ってたんだよ。
そこに現れたのが、マサキで、実習のパートナーに「こんにちは、僕、マサキだよ」と丁寧に挨拶する男で。
あの時、僕は一瞬にして頭の中にこさえた砂の城が崩れ落ちて、混乱を通り越して殺意さえ感じたんだよ。
だから僕の実習のパートナーに対する第一声は、<君、この実験、1人でやってね。俺、やる気なくしたから>だった。
確かに、ひどいね、俺。
おまけに僕は嘘が嫌いなので、本当にマサキに1人でやらせたんだよ。
実習はとても長くかかって、マサキは僕に、「頼む、これ洗ってくれないか?」と巨大な球状のビーカーを渡してね。
それは、何十万円もする高級なガラス細工の実験道具だったけど、僕は怒りが鎮まらなくって。
<わざと落として割っちゃえよ。洗わないで済むぜ>って平然と答えてね。
後で、聞いた話だと、マサキの僕の第一印象は、「本当に嫌な奴だった」そうで。
その後、僕とマサキは卒業するまで同じクラスだったけど、一切交わりがなかった。
きっと、マサキが避けてたんだろうな。
そんな僕らは一緒に大学を卒業して、同時に国家試験に受かって、僕は精神科へ進み、マサキは放射線科に入局した。
うちの精神科の教授のモットーは、「精神科医は体も診れなくてはいけない」で、救命センターのローテを義務づけた。
しかし、そこの労働環境は劣悪で、24時間救急で夜など寝れず、それなのに翌朝からも仕事があって。
寝る時間などほとんどなく、時間をみつけては、当直室で仮眠するくらいで、家にはほぼ帰れない3ヶ月、で。
マサキも同時期に、救命センターをローテしていたから、僕らはそこで再会した。
もう、さすがに、年月が経ってるから、化学の実習のことは、時効で。
僕らはお互いの医者になってからの近況を報告し合って。
だけど、そこで耳にしたマサキの話に僕は耳を疑くった。
放射線科医は直接患者と接さないイメージだが、CTスキャンの造影撮影などでは、血管確保のために注射をうつ。
血管の出やすさは個人差があって、出やすい人と出にくい人の差は激しい。
マサキは、たまたま、血管の出にくい人に当たって、注射を失敗したことがあったそうで。
マサキのオーベンは、ヒステリックな意地の悪い女医で、駆血帯という腕を縛るゴムに針を刺す練習を何日もさせたらしい。
マサキは、「駆血帯なら、すぐ刺せるんだよ」と当たり前のことを言って、笑いを誘おうとしたけど、それは笑えない。
俺は聞いてて、頭に来たんだ。
<それは、イジメじゃないか!マサキ、そんな科はやめて、精神科へ来い!>と救命センターの後、精神科にローテするよう勧誘した。
マサキも精神科には興味があったらしく、僕に背中を押されて、とても感謝していたね。
やたら有り難がるから僕はそこに付け込んで、<じゃさ、毎朝の患者のデータのチェックと伝票書き、俺の分もやっといて>。
マサキは、笑いながら、二つ返事でOKした。
これで、イーブン。僕の救命センターでの仕事の負担はかなり減り、気持ちも大分、楽になった。
出会いの関係性は、普遍的だと思ったものだよ。
僕らがいる頃の救命センターは大忙しで、テレビ局が泊り込みで密着取材をしてる程だった。
その番組は、救急車が病院玄関に着くなり、待ち構えていた医者が心臓マッサージをしながら、病院の中まで運ぶシーンから始まる。
その心臓マッサージをしているのが、マサキだった。
マサキは、ばっちり全国放送の電波に乗っていた。
その番組は2時間くらいの特番だったけど、一方の僕は1コマも画面に映っていなかった。
テレビ映えしないのかな。ま、いいや。俺が勝負するとこは、そこじゃないし、って負け惜しみを言って。
僕はなんとかマサキの力を借りて、救命センターのローテを終え、マサキを引き連れて、精神科に戻った。
マサキは主流派のグループの先輩たちに可愛がられ、そのまま精神科に移籍した。
その結果、僕らは、精神科でも同期になり、研修医を終えたら、二人とも大学院に進んで、そこでも同期で。
大学院生には週に1日「研究日」と言って、まったくポケベルが鳴らない、呼び出しをくわない日がもらえた。
つまり、毎週1日、一回50分の精神療法の枠が8コマ、確保出来る。それも4年間。
当時、僕は精神分析を勉強中で、大学院に行けば、「精神療法センター」の面接室も使えて。
そこは一般の外来とは、かけ離れた場所にある静かな空間で。
こんな治療環境は、どこでも手に入らないから、僕はそれ欲しさに大学院に進んだんだ。
だから、僕らの大学院生活は対照的だった。
マサキは研究をして、学会発表をたくさんして、アカデミックな舞台で精力的に活躍した。
僕はただただ地味に地道に精神療法をして、外部にスーパービジョンを受けに行って、やりたいように精進した。
僕は精神療法班の皆さんの協力の下、というより皆が手分けしてくれて、論文を仕上げた。
しかし、大学院卒業には語学力をみる、という項目があって、英語の論文の全訳の提出も必須だった。
お恥ずかしい話だが、僕がそれを知ったのは、提出期限まで残り2日の時点だった。
僕が教室の隅で困っていたら、マサキが「どうしたの?」と声をかけてきて、僕は事情を説明して。
すると、マサキは、「それなら~」と自分が訳した最新の英語の文献の全訳をくれた。
マサキは、いくつも、論文を訳していて、提出したのは別のだから、「良かったら使って」と僕にくれた。
<そう?悪いね>と棚からぼたもちで、滑り込みセーフ。僕は、運も実力のうちだ、と思ったっけ。
そして、僕とマサキは無事、審査を通り、二人揃って、大学院の卒業式に参加して。
マサキは両親が、僕の家からは母が式に出席して。
マサキの両親とうちの母は、嬉しそうに挨拶を交わしていて、記念にと僕らは、2ショットの写真を撮られたね。
まだ、その写真、うちにあるけど。
マサキは晴れやかな表情で正面を見て写っていて、僕は視線をそっぽに向けて写っていて。
真を写す、と書いて写真と読むが、正攻法で卒業した人間の達成感と、人に頼ってばかりの男の、コントラストみたいで。
二人とも若いよ。
大学院を卒業すると、関連病院に出向になる。
丁度その頃、アメリカの大学の精神科で教授をしていたという精神分析のM先生が日本に帰国するという噂を聞いた。
そして、M先生はA病院が引き抜いたとの情報もキャッチした。
僕は、実際、学問的な先生の臨床が、実践的な日常の現場で通じるものなのかをこの目で確かめたかった。
そばにいれば多くのことを学べるとも思った。
だから、僕の出向先をA病院に希望した。
ところが、A病院へ出向するのは、もう既に、マサキで決定済みだった。
それは、マサキが大学院時代にA病院にパートタイムで勤務していた実績があり、A病院からのオファーでもあった。
大学病院の医者は、どこの関連病院も欲しがり、引く手あまた、だ。
医局長は、「A病院はマサキで決定で、1つの病院に2人は派遣出来ない。川原をA病院に出すのは、無理だ」と言った。
しかし、そんなことで引き下がる僕ではない。
僕は医局長に、直訴した。
<A病院には僕を行かせるべきだ。その方がA病院の為にもなる。マサキは、丹沢の山の奥の病院にでも飛ばせば良い>。
返す刀で僕はマサキにも、<お前は、A病院を辞退しろ。お前が行くより、俺が行くのがふさわしい>と圧力をかけた。
そして、僕は毎日の様に、医局長とマサキにしつこくそれを言い続けて。2人とも、ノイローゼにならなかったかな?
でも、その結果、医局長は英断した。
異例の医局人事。
「A病院へ、川原とマサキの2名を同時に出向」。
無理が通れば道理が引っ込むのが、世の中だ。
大学院を出た者は、通常、2年間出向したら、一旦、大学へ戻るシステムだった。
だけど、僕はある人から、「大学病院から来る医者は大抵2年で帰るから患者に不親切だ」と言われ、その通りだと思った。
そこで僕は、3年目以降も居残りを希望して。
もう医局は、あまり僕と関わると面倒になると懲りていたのかしら、すんなり僕の意見は通って。
これで、マサキとはおサラバになると思っていたんだ。
そうしたら、マサキもA病院に残留になって。
それは、A病院から医局へのたってのお願いであって、マサキの残留の理由は僕のそれとは大きく違ってた。
A病院は、各大学から精鋭の医者が揃う大所帯だ。それをまとめるのは、大変な仕事だ。
A病院は、マサキの力を高く評価していて、A病院の「医局長」として残って欲しいとの要請だった。
大学の医局は、これには難渋を示したが、(俺とは大違いだ)結局、裏金でも動いたのか(嘘です)、マサキも残留となって。
これは今まで、ちゃんと話したことがなかったと思うから、今更だけど、告白するね。
ある日、A病院で僕が受け持った患者さんから、衝撃の事実を聞いたんだ。
彼は精神科救急で入院してきて、これまでの精神科受診歴はなかった、はずだった。
病気が良くなった彼が僕に語ったのは、実は小学生の時に親に内緒で1人で精神科を訪れていたと言う過去だった。
そんな情報は、全然、聞いていない。
そりゃそうだ、入院時は本人から情報を聴取出来ないから、家族からの陳述を手がかりに診療がスタートする。
家族は、彼が小学生時代に1人で精神科を受診していたことなど、知らないのだ。
だから、記録には残っていない訳だ。
我々は診断面接と言って、最初の数回でその人のこれまでの歴史を聴取するけど、重要な事は最初は喋らないのかもね。
向こうもこちらを伺っていて、「本当にこいつは信用して良い人物か」なんて吟味しているんじゃないかと思うんだ。
その人の小学生の時の精神科受診体験は、1回の診察で、「病気ではない。何かあったら来て」と言われて帰されたそうだ。
「何かあった」と思うから、意を決して、受診したのにだ。
彼は、精神科医療に失望したそうだ。
だから、「何かあった」けど、受診をしなかった。
そして、いよいよどうにもならなくなって、精神科救急のルートに乗ったのだ。
もし、小学校の時の、初回の診察が違う形だったら、もしかしたら入院を回避できていたかもしれないな、と僕は思って。
言われてみると、研修医の頃、上級医の先生の外来に陪席させてもらった時に、似たような患者さんが来た事があった。
その先生は丁寧に診察をして、同様に、「君は病気じゃないから、安心しなさい」と諭して帰した。
そして、先生は「あの子はテレビの番組をみて、自分も病気なんじゃないかと心配して来たけど、これで安心しただろう」と
満足そうに笑っていた。
しかし、僕はその子が絶望的な表情で部屋を出て行くのが印象的でよく覚えていたんだ。
点と点が線になった、というのか。僕は、こういうケースは世の中にたくさんあるのではないかと思って。
一般的に精神科の病気は発症すると病識がない、と言われて、自分で自分が病気だとは思えないというけど…。
確かに、ヘビーな病気の急性期の多くは、病識がないけど。
だけど軽症の病気や、再発直前の患者さんは自ら、「自分はおかしい」と訴えてくるよな。
それは時には、専門家の僕らや、普段、一緒に暮らしている家族でさえ気づかない程のわずかな異変なのだ。
つまり、病気の極初期には本人にしか判らない、ものすごく病識がある時期がある、という仮説が成り立たないか?
だって、小学生が1人で精神科を訪れるなんて、通常じゃない。きっと本人にしか判らない病識があるという仮説。
それを多くの医者が見落としている可能性がある。
しかし、それは「誤診」ではない。まだ発症してないのだから。
でも、発症してしまったら、それは精神科医でなくても判断がつくものだろう。専門家なんて要らないよ。
だから僕は思ったんだよ。
専門家の仕事は、病気になる寸前に受診してきた患者さんをしっかりつかまえて離さないでおくことだって。
たった1回で帰してはいけない。医療につなげていく。
理想を言えば、病気が発症する前に、病気を治すこと、それは、未病とも言えるかもしれないね。
精神科の病気の多くは、「発症」するのではなく、「発見」されるだけなのかもしれない、とも。
だったら、なるべく早く「発見」した方が良い。
僕はそんなことを、A病院で患者さんから教わったんだよ。
そうしたら僕は、いてもたってもいられなくなって。
僕は「こどもの精神科医」になって、多くの子供の助けをしなくてはという使命感にかられて。
そんな時、「こどもの精神科」を専門にするB病院で精神科医の募集をしていることを知って。
これは、俺に行け!、と神様やご先祖様が言ってるのだと思って。
僕は迷わず応募して、シンクロだと思って、これは僕のための「欠員」だと信じて疑わなかったんだ。
ちゃんと説明したことなかったけど、そういう経緯だったんだよ。
そして、僕はB病院の採用面接を受けて、晴れて合格して。
でも、そこで色々な問題が噴出してきたんだよね。
まずは、そもそも僕のワガママで、A病院に医局から2名出向させていた人員の埋め合わせ。
さらに、今度、新しく勤めるB病院では、僕は公務員扱いになるらしく、大学の医局を退局しなければならなくって。
只でさえ、医局は人事のやりくりで大変なのに、助手クラスの僕が突然に辞めるのは、駒を動かす方は大打撃で。
大学の医局からも、A病院からも、責められそうで。
そこで、僕はマサキにそのことを打ち明けて。
マサキはさすがに驚いて一旦は僕を慰留したけど、すぐに止めても無駄だと理解してくれて。
マサキは、「わかった。僕が何とかするから。君は大人しく何もしないでくれ」と言って。
出会いの関係性は大事だと思ったよ。面倒なことは、マサキに任せよう。
僕はひたすら、果報を寝て待つことにして。
さすが、マサキはどんなマジックを使ったのか、どんな交渉術を駆使したのか、知らないけれど、首尾よく事は進んだ。
僕は、円満に医局を退局し、A病院に別れを告げて、B病院に就職した。
僕は児童思春期病棟の入院患者と、思春期デイケアの担当をして。
病棟の患者と通いの患者の垣根をはらって、「ソフトボール・チーム」を作り、毎週、近所のグランドを借りて、半日、練習した。
そして、近隣の同じように児童専門の病院に、「ソフトボールの試合」を申し込み、試合を成立させた。
病棟では、プログラムに乗れない夜行性の患者たちのために病院非公認の漫画クラブ「メソ部」を作り、コミケにも出店した。
年末のクリスマス会では、ほぼ楽器初心者のメンバーで、バンドを組み、演奏をした。僕もピアノで参加した。
普通の病院にいたら体験出来ない有意義な4年あまりだった。
自分で考えたことをどんどん思いつき実行して。
そして、それはそれをサポートしてくれるスタッフたちの協力もあったから可能だったのだが。
勿論、あまりなスタンド・プレーを面白く思わない人たちもいた。
しかし、僕はそれでいいと思っていた。
本当に良いものは、評価が分かれるものだと知っていたからね。
万人に気に入られる高感度№1タレントが面白くもなんともないのと同じ理屈で。
しかし、いいことばかりはありゃしない。僕は、意外な形でB病院を辞めることになってしまって。
それは、精神科の中で分裂騒動があったからで、僕はそれを収拾しようと尽力したのだが、かえって事が大きくなって。
本当は水面下で計画は完了していたはずなのに、僕がそれを表面化させたからで。
結局、病院長や総婦長まで巻き込んで、毎日のように会議が開かれたが、平行線。
あげくの果て、問題の早期収拾のため、「これは事を大きくした川原が悪い!」という結論になって。
<え~>、って思ったが、言われてみれば、そうかもしれないね。
僕は、そんな政治的なやりとりの日々に辟易していたし、病院長以下の評価がそうなら、もうここは潮時だと思った。
そうすると、不思議なもので、「ヘッド・ハンティング」の会社から、お誘いがあった。
何故、この時期にタイミング良く?と僕はいぶかしがった。
僕を面白く思ってない奴らの差し金だと、被害的なもののとらえ方もした。
しかし、もう病院にはいられないし、この病院に移る時に医局も辞めてしまったので、僕には後ろ盾がなかった。
だけど、困った事に、僕には、多くの患者さんがいた。
精神科の治療は、他の科と違い、終わりが有りそうでない。
それは、「病気」を診るからではなく「人」を診る診療科だからだと思う。
「症状」は「相談」の入り口に過ぎないのだ。
一般的に、医師が異動する時には、次の医者に引き継いで行く。
僕は幸せ者で、患者さんの多くは、僕について来てくれていた。
僕が病院を移るたびに、一緒に医療機関を移して、ついて来てくれていた。
僕は行く先々の病院で、多くの患者を連れて行くので、驚かれたよ。
「ひとりゲルマン民族大移動」と呼ばれた事もあった。
つまり、そんな患者さん達の診療を続ける場所が必要だったんだ。
僕は仕方なく、「ヘッド・ハンティング」の会社の紹介で、ある病院の院長と事務長の接待を受けた。
僕の経歴は、見栄えが良かった。
大学院は出てるし、直近のB病院では「医長」だったし。
僕を、ヘッド・ハンティングする病院が提示した条件は悪いものではなかった。
ただ、顔色の悪い院長の面構えが気に入らないのと、幇間のような事務長の「今日はザックバランに」という連呼が耳障り。
僕は、その後、数日、耳の奥で、「ザックバラン」「ザックバラン」という幻聴に悩まされたくらいで。
しかし、僕には、もう選択肢がなかった。
そこに行くしかないと決意しかけた夜だった、マサキから電話があった。
マサキは、「大体の話は聞いたよ。この業界は狭いからね。大変だったね」と僕を労って。
マサキは、「A病院に戻っておいでよ」と言った。
僕は、<それは出来ないだろ。俺、変な辞め方してるし>。
「大丈夫、俺が話をまとめるから。君がくればA病院にとっても戦力になるし。あっ、俺、診療部長になったんだよ」だって。
だから、マサキにはある程度人事権とかもあるみたいで。「話は僕がつけるから。君は何もしないでね」と言った。
せっかく、そう言ってくれてるんだから、ここはマサキに任せた。
そして、僕は晴れて、A病院に出戻りすることになって、懸案の患者さんの行き場も出来た。僕はマサキに拾われた。
でも、皆さん、覚えてますか?あいつ、元・放射線科医ですよ。誰のおかげで偉くなったと思ってんだ?
その時の僕の偽らざる心境は、1度死んだ身だ、思う存分やろう、だった。
僕がこれまでの経験で学んだ事は、多職種が協力するチーム医療で医者に求められる物は、強力なリーダー・シップと他のスタッフが犯したミスも全部請け負う責任と覚悟だった。
人間と言うのは、相手が本気かどうかを嗅ぎ分ける力があって。
そして、それが本物だと感じ取ると必ずひるむ。
僕は、もう失う物は何も無かったから、強気で攻めた。
僕は次々と新機軸を打ち出し、それをマサキが会議で通してくれた。
どんな魔法を使えば、あんな滅茶苦茶なアイデアが会議で通るのだろう?
おかげで、僕の病院での評価も高くなったんだけどね。
気がつけば、マサキは副院長に昇格するという。
大出世だね!おめでとう。僕は1人の男のサクセス・ストーリーをこんな真近で見られるとは思わなかった。
ちなみに僕の役職は、「ヒラ」のままで。
マサキは、僕に診療部長にならないか?、と打診した。
自分が副院長になるから、診療部長の兼任は会議が多すぎて、荷が重いと言うのだ。
僕は、きっぱりと断った。
<だったら、『会議を少なくするための会議』を新たに発足させたらと良い>と助言してね。
もっとも、マサキは、僕の将来のことを考えていてくれて、「元・A病院診療部長」は何かの時につぶしがきくと言うのだ。
それでも僕は断った。
<マサキのように実力がない奴は肩書きが必要だが、俺のように優秀な者には邪魔なだけだ>と言って。
マサキは、「そんなことを言うなよ」と悲しそうな目で言ってたね。
ある日、マサキが僕に「実は開業しようと思うんだ」と打ち明けた時にはびっくりした。
僕はてっきり、マサキはこのままの流れで院長になるものかと思っていたから。
するとマサキは笑って、「だから、院長になるんだよ」と開業してクリニックの院長になるんだと珍しくシャレたことを言った。
マサキが開業支援の会社オクスアイの金村さんと打ち合わせをする時、僕も野次馬で同席させてもらった。
マサキと金村さんはかなり具体的な打ち合わせをしていた。
一方の僕は、自分の性格上、開業は向いてないと思っていた。
自分は経営者向きの性格じゃないと思っていたから。
だけど、オクスアイの金村さんの辣腕を見ていたら、この人なら僕でも開業が出来るのではと思えてきた。
その頃、僕の母は末期癌で闘病中だった。
母はかねがね、僕に、「人に雇われていてはダメ。開業しなさい」と口が酸っぱくなる程言っていて。
僕は、老い先短い母に親孝行をしたい、と魔が差して。
そして、マサキの打ち合わせの最中、金村さんに<俺も頼んで良い?>と衝動的に申し込んだ。
僕は開業を決意した。マサキも金村さんもビックリしていた。
マサキは、「君と僕が同時に開業したら、病院は大騒ぎになるから、自分が開業の許可を取ってからにしてね」と釘を刺した。
僕はその言葉に引っかかり、<何だ?マサキと俺が同時期だとまずいのか?>。
確かに、マサキが抜けたら、病院は蜂の巣をつついたような大騒ぎになる。
そこに俺が辞めると言ったら、絶対、引き止められるな。
出戻りの身だ。弱味もある。
<よし、マサキより先に辞めよう!>。
僕は、金村さんに、マサキより俺の案件を優先してくれ、とせっついた。
そして、マサキのお願いを無視して、病院側に<僕は開業するので、年内で辞めます>と宣言した。
こんな僕でも、病院はちょっとパニックになり、ありがたいことに慰留された。
マサキは、「アチャー」って顔をしていたね。
ごめんね、こういうの早いもの勝ちだから。知らなかった?
ちなみに、カワクリは平成19年1月の開業で、マサキのクリニックは平成19年4月がオープンです。
僕らは開業後、しばらくは、数ヶ月に1回は集まって酒を酌み交わし、近況を報告しあった。
開業は僕の方が先輩だが、マサキは大病院の管理をしていた人間だから、主に僕がマサキに判らないことを相談する会だった。
僕は今でも、誰々が急死したけど、香典いくらにする?、とか電報とかお花とか贈る?とマサキに電話して相談している。
逆に、マサキから電話があることは滅多にない。
そんなマサキが、今回、珍しく電話を寄越して。
その用件が、「酒を呑んで風呂で寝るな」とか「事故死をするな」だって。
唐突に思われるかもしれないけど、それには一応、伏線があって。
この位の季節だったから。あの事件は。
それは最初に僕らがA病院に勤務してる頃の話。
僕は過酷な過重労働で肉体的に疲弊していて。
あまりに体調が悪いので、マサキのすすめで内科の先生に診てもらって。
内視鏡検査では異常がなかったけど、血液検査で、「多血症」の所見が出た。
臨床検査技師の話では僕の血の色が真っ黄色で、大変驚いたと、マサキから聞かされた。
「多血症」はストレスでもなるらしく、治療法は「血を抜く」しかないらしい。
なんて野蛮な治療法があるものだ。
その直後、僕は大学の精神療法センターの忘年会に参加した。
疲れていたし、僕の呑み方は破滅的な呑み方をするから、泥酔した。
運が悪いことにその時、僕は何か原稿の作成中でノートパソコンを持ち歩いていて。
会がお開きになり、その店は2階にあり、僕は足を踏み外し、両手をふさがれたまま、急な階段を顔面から落下した。
受け身が取れなかった。
その後の記憶はない。
後で聞いた話では、そのまま大流血したまま、走り出し、また転倒。
起き上がってフラフラしたところに、通りかかったタクシーにぶつかって行ったらしい。
幸い、そこの道は細い路地で、タクシーは徐行していたから、タクシーの運転手に過失はなかった。
僕はそのまま自分の出身大学であり、自分がかつて勤務していた救命センターに搬送されて、ICUに緊急入院となった。
ICUって言っても、国際基督教大学(International Christian University)じゃないですよ。
集中治療室(Intensive Care Unit)ね。
皆さんは、「ICU症候群」って知っていますか?
ICUのような特殊な医療環境に入る人は体も弱ってるため、一過性の精神症状を引き起こすことがあるのです。
僕はそれになりました。
「せん妄」という精神運動興奮を伴う意識障害です。
この間の記憶はまったくないのです。
ICUは基本的に重症の身体疾患の患者さんを診てる訳で、そこで「ICU症候群」が起きると精神科医が呼ばれます。
運悪く呼ばれた精神科医は僕の後輩だったため、僕に罵倒されて帰ったそうです。
その時の僕は暴れるから、ベッドに強力な紐で拘束されていたそうで。
仕方なく上級医の医者が呼ばれる訳ですが、僕は先輩に対しても、「俺より出来ないくせに出しゃばるな!」と悪態をついて。
先輩は、本当のことを言われて、ひどく傷ついたそうです。
そこでも、最後に登場したのは、マサキでした。
マサキは、僕を強力な精神安定剤で数日間、眠らせたそうです。
僕の家族は、後になって言うことには、このままもう僕が二度と目を覚まさないんじゃないかと心配したそうです。
意識障害の回復の仕方は独特です。
まるでトンネルから出るように、ある時からパッと記憶が戻ります。
その瞬間、僕の目の前には、マサキがいました。
マサキは、「起きた?おい、酒は呑むもので、呑まれちゃダメだぞ」と言いました。
<ば~か。『酒は、反省するために呑むものだ』って、立川談志が言ってるぞ!>と僕が言い返すと、
「良かった。君、正気に戻ったね」と答えるマサキの笑顔が見えました。
よく言うよね、てめぇで、セデーションかけといて。
僕の病状は大量の出血と顎の骨の骨折でした。
大量の出血は、僕の多血症の治療に役立ち、血液検査のデータは正常値に戻っていました。
僕は全身状態も回復し、意識も正常になり、拘束も解かれ、形成外科の病棟に移りました。
大学病院に入院したことがない人でも、ドラマなどで、見たことがあると思いますが、教授回診というのがあります。
主任教授を筆頭に医局員が全員大名行列のようにゾロゾロとベッドサイドを回るやつです。「白い巨塔」とかで見ませんか?
僕の部屋にも、教授回診はやってきました。
形成外科の教授はいかにも職人気質の融通のきかなそうな無愛想な男でした。
僕は学生時代にこの人の授業を受けたことがあるので、顔と名前は一致しました。
教授は、僕のレントゲンを見て、「う~む、見事な骨折線だ」と言って、一同が口を揃えて、「見事だ」と賛美しました。
骨折線を誉められても、別に嬉しくもないのですが、誉められて嫌な気分はしませんでした。
後になって知ったのですが、マサキが形成の先生に、「川原君は誉めながら、治療をして下さい」と頼み込んでいたらしく。
頭ごなしだと、治療意欲がそがれるタイプだからって。
僕の治療は、手術ではなく、顎間固定と言う、口が開かないようにワイヤーで上下の歯茎をくくりつける方針になりまして。
骨折線が、美しいから、ね。
顎間固定の期間は、3ヶ月だって。その間は口から物も食べれないので入院生活です。
僕は1ヶ月くらいで退屈な入院生活に我慢が出来ず、点滴を自己抜去し、病院を無断で離院して、家に帰りました。
家族があやまりに病院に挨拶に行き、僕は「傷病手当金」の給付を受けて自宅療養です。
家でなるべく液状のもので栄養がとれるような生活をしました。
しかし、暇でした。
「男はつらいよ」の全シリーズを1作目から全部観たり、太宰治の小説を年代順に読み直したりしました。
いよいよ、3ヶ月がたって、顎間固定が外れました。
まだ、顎の骨がずれるといけないので、頭のてっぺんと顎を包帯でグルグル巻きにして、僕は現場に復帰しました。
その姿は痛々しくて、無理に出なくても良いんじゃないか、という賛否両論も聞かれました。
最近で言えば、フィギュア・スケートの羽生選手のような姿ですね。一緒にしたら、怒られるか。
僕の外来患者さんは、3ヶ月間、マサキの外来で代診してもらって。
マサキは、「君の患者さんはすごいね。まるで手がかからなかったよ」と感心していて。
「薬も、川原先生の出したものをそのままで、って3ヶ月間、何も問題がなかったよ」と言ってましたが、僕は内心で、
<お前に言ってもしょうがない、と思ったんだろう>と思っていたんだ。
その証拠と言っちゃなんだが、復帰後、ある少女からもらったカセット・テープには参った。
彼女は、家族以外で口を利くのは僕くらいで、僕も彼女との診察時間を大切にしていて。
そんな彼女にしてみれば、いきなり僕が怪我で3ヶ月入院と聞かされた時にはショックだったことの予想は出来る。
彼女は気丈にも、僕と会えない日々を、本来なら診察時間が約束されてる時間帯にカセットにメッセージを吹き込んでいて。
初回は、DJ風に、「達二先生がいなくても、意外と私は大丈夫です。今日の1曲目は、Xの紅、です」って感じで。
そして、普段なら診察でお話するような他愛もない話を、明るい口調でユーモラスに独り語りしていて。
1ヶ月が4週とすると、3ヶ月×4週=12回分の収録があった。
最初の方は、そんな感じでDJ風のセッションなのだが、2ヶ月目になると、途端に無口になって行って。
そして、最後の1ヶ月は、泣き声と嗚咽で。
「私は達二先生に会いたいが、患者だから、お見舞いにも行けない。立場が違うから。今までそんなことにも気づかなかった。
そんな自分が馬鹿でくやしい。達二先生に、会いたい」と言って泣いていた。
これにはやられた。おそらく僕の担当の患者さんの代表の意見だと思った。
僕は人生で後悔することはしょっちゅうあるが、反省することは滅多にない。
だけど、さすがにこれを聞いた日には猛省した。
彼女がこのテープを吹き込んでいる頃、僕は家で<暇だ~暇だ~>と文句を言っていたのだから。
あかんたれ、だと思った。
そして、僕はそれから心に誓ったことがある。
翌日に診療のある日には酒を呑むのは、よそう。
酒が残って、患者さんの話を集中して聞けなかったらいけない、と思ったからで、それは今でも続けている。
実際には、ビールの1~2本や、日本酒の2~3合や、ワインの3~4杯が、明日の診療に影響を及ぼすことなどまずない。
でも、そういう決意をしたことで、皆さんに勘弁してもらおうと勝手に1人で決めたのです。
勿論、例外はあるけどね。
たとえば、お通夜に呼ばれて、「故人の為に今日は呑んでやって下さい」なんて遺族に酒を勧められた時とか。
そんなシチュエーションで、<いえ、明日は診療がありますから>なんて断れないだろう。だから、そういうのは例外ね。
僕は多分この時から心を入れ替えたのだと思う。
患者さんがいるから、勝手に死んだりしてはいけないと思っている。
皆を見送ってから、死のうと思っている。
あっ、そんなことを言って、今、思春期の新患をバンバンとってるけど、大丈夫か?俺の寿命。
ま、いいか。人生、成り行き、だ。
閑話休題。
そんな僕に、マサキが電話を寄越した。
ここのところ、知り合いが立て続けに死んでるからという理由で。
それで僕が事故死でもすれば、マサキの旧友ゆえの虫の知らせが当たったという事になるのだろうが。
だけど、それじゃ、話としては面白くない。人生はそんなにシンプルではない。人生はもっと奇抜だ。
だったら、例えば、実はこれは、その逆で、マサキが急に死ぬのではないか?
これは意表を突かれたが、考えてみたら、ありがちなパターンではある。
僕を心配して寄越した電話が、実はマサキの最期のメッセージだった、なんて感じで。ありそう!
マサキが死んだらやっぱり友人代表として、弔辞を読むのは、僕だろうな。
僕が何故、予告ブログ「生きること、死ぬこと」に手こずっていたかと言うと、途中でその事に気づいてしまったからで。
記事と平行して、マサキの葬式で読み上げる挨拶文も、考えなくてはならなくなったからで。
こんなに長く付き合いのある友人の死と直面するのが苦痛だったのだ。
だから、僕は弱虫でブログの記事を先送りにし、カワクリのスタッフにブログの更新を委ね、現実から目をそむけていた。
しかし、それではいけない。
困った事から逃げ出すのは、僕の悪い癖で、僕はもう大人だし、若者の手本にならなければいけないのだ。
だから、いつまでも、マサキの死を否認してばかりはいられない。
予告ブログ「生きること、死ぬこと」と同時進行で、マサキへの弔辞も書き上げることにしよう。
僕とマサキの思い出話を書くのだ。
それが、マサキへの弔辞になる。
しかし、ここまで来ても、どうも、まだマサキが死んだ実感が湧かないんだ。
そりゃそうだ、マサキ、生きてるから。ピンピンしてるから。
でも、人間はいつ死ぬかなんて判らない。メメント・モリだ。一期一会だ。
手探りながら書いてみる。
マサキに語り掛けるように、お別れの言葉を書こう。
書き出しは、こんな感じだ。
<マサキ、なぜ君はこんなに早く逝ってしまったのか。僕はこれから誰に頼れば良いんだ。
僕は今、友人代表として、君の弔辞を読むためにここにいる。いまだに信じられないよ~>
~の続きは、この記事の冒頭に循環します。※D.C.
・おまけクイズ
僕は入院生活の時、家族に頼んで、僕の本棚から、あるマンガを持って来てもらいました。
さて、それでは問題です。
僕が入院中に家から持って来させて読んだマンガとは、以下のうちどれでしょうか?
①小林まこと「1・2の三四郎」
②永井豪「あばしり一家」
③手塚治虫「火の鳥」
④高橋留美子「めぞん一刻」
⑤みつはしちかこ「小さな恋の物語」
正解は、ラストの「BGM.」で発表します。
しかし、なんで、このマンガをチョイスしたのかは、今考えても、謎です。
深層心理を究明出来る人は考えて見て下さい。
その推理の結果も、コメントにお寄せ下さい。
では、正解発表。
BGM. ギルバート・オサリバン「アローンアゲイン」
 (とても綺麗なメロディです。この歌詞の意味を知らない人は、訳詞を調べない方が良いですよ。ひきますから)
 (アニメ「めぞん一刻 」で一度だけOP曲に使われました。おまけクイズの正解は、④高橋留美子「めぞん一刻」でした)


朝刊

9/ⅩⅡ.(火)2014 はれ
ちょっと前の記事で、「名医を紹介」みたいな有料の広告の勧誘がよく来ると書いたのを覚えてる方もいるでしょうか?
その時、僕は、「全部、断っていて」、きっと本当の名医の所に無料のインタビューが行くのだろうと書いたと思う。
そうしたら、こないだ来た。
前の、前の、病院で一緒だった心理士の「Oさん」の紹介で、新聞の取材だった。
クリニックの宣伝目的ではなかったから、引き受けた。
しかし、果たして、僕が適材なのかという疑問はあった。
こういう啓蒙的な記事には、もっと口先のうまい御用達の学者先生が喋った方が良いのでは?と記者さんにも言った。
ま、とりあえず現場の声を、と言う事らしかった。
そして、昨日の朝刊にその特集記事は出てた。
大したことは述べてないし、ちょっと名前が出てるだけで、えばるようなことじゃないんだけどね。
だけど新人の頃、お世話になった先生はきっと喜ぶと思って、今日、新聞に手紙を添えて、レター・パックで郵送した。
手のかかった生徒ほど可愛いと言うし。
犯罪以外で新聞に載るのは良いことだから、孝行のつもりで送った。
新聞の記事は、12月8日の朝刊に掲載された。
その日は、ジョン・レノンの命日だから、自分の名前が12月8日の新聞に載ったのは、少しだけ嬉しかった。
下は、カワクリのジョン・レノン追悼週間の診察室の入り口(&出口)の正面の壁一面。↓。


次回、いよいよ、予告ブログ「生きること、死ぬこと」行きます!
BGM.グレープ「朝刊」


受付だより~お待たせいたしました!小森編

2014年12月5日(金)小春日和
みなさま、こんにちは。
受付だより、第二弾。担当はフレッシュ小森です。
カワクリへ来て2ヶ月が経ちました。だいぶ馴染めてきたようです、カワクリに。
とある休日、わたしは陽気な歌を口ずさんでいました。
あれ?これ、なんの曲?わたしはなにを歌っているのかしら・・・?
な、なんと、クリニックのBGMで流れている曲ではありませんか!なんの曲かもわからないのに。
これはもう、カワクリメンバーとして馴染んできた証拠ではないでしょうか。
(ちなみに先生に確認したところ、アニメ「偽物語」つきひフェニックスの「白金ディスコ」でした。)
そんな小森がお送りする受付だより、テーマは何にしようかな。後藤さん、天明さんは2人ともアニメだったからな。
ちょうどBGMの話も出たことだし、音楽にしようかな。あ、そういえば前回の記事(なぞなぞ編)にボブ・ディランが
出てきたっけ。
どれどれ、ボブを探してみましょう・・・お、いましたいました、こんなところに。
じゃん!

BGMではよく流れていますが、意外や意外、ボブはここにしかいません。
これは、ディラン(やはりボブと呼ぶのは違和感があるのでディランで)のイギリスツアーに同行して撮影された
ドキュメンタリー映画「DON’T LOOK BACK」のチラシです。
ちなみに原題では「DON’T」ではなく「DONT」だそうで、こちらは日本公開時のものと思われます。
わたしは観たことがないので、次のお休みにでも探してみようと思います。
そもそもわたしがディランを知るきっかけとなったのは、映画「アイデン&ティティ」でした。
みうらじゅんの漫画が原作で、全編にわたりディランの曲が使用されています。
主人公の中島は、バンドブームに乗ってメジャーデビューしたロックバンドのギタリスト。売れるための音楽を
やりながら、本当に自分の思うロックはこれでいいのかと葛藤しています。そんなとき、高円寺のアパートに
ディランが現れます。ディランは中島にしか見えません。中島に迷いや疑念が湧くと、あるときは家の中に、
あるときは街中で、はたまたライブハウスの観客にまぎれて、ディランが現れるのです。ディランは答えを
教えてはくれませんが、中島はディランに恥じないような行動を選択していきます。
この映画を観たのは10年ほど前ですが、当時はディランの曲に聞き惚れてしまい、正直内容は
あまり覚えていません。
改めて考えてみると、「アイデンティティー」って何なのでしょう?
先生の記事にもよく登場しますね、アイデンティティー。
今年3月のブログに、1月と4月にアイデンティティー問題をこじらせて来院する人が多い気がすると
書いてありました。
確かに、年末は今年1年を振り返り、年始は新年の抱負や目標を考えるといった機会が増えるものです。
せっかくなのでそれに乗って、改めて考えてみようかなアイデンティティー。
と思いながらこのブログを書いているわたしの後ろに気配が・・・もしやディラン?!と思ったら先生でした。
なんと先生の手には、原作の漫画が!さすがですね~。
さっそくお借りして休憩中に読む。そして唸る。まったく休憩になりません。
で、わたしの思うアイデンティティーとは、ずばりこれ、ディランです!
これでは話が終ってしまうので、もう少し書いてみます。
アイデンティティーを辞書で調べますと、自我同一性と書いてあります。
その人をその人たらしめるもの、という感じでしょうか。少しくだけると個性とか。
わたしたちが生きていくあいだに、大小かかわらずたくさんの選択が現れます。
そのときディランが囁くわけです、「お前は本当にそれでいいのか?」と。
この声を、アイデンティティーと呼んでもよいのではないでしょうか。
しかしこの声は、なかなか聞こえないかもしれません。ディランも、誰にでも見えるわけではありません。
親の教えとか、学校の教育とか、社会の常識やルールというたくさんの声(騒音)の中で、聞き取るのは大変です。
わたしは今まで、医療の世界で働いたことはありません。なんなら、資格も持っていません。
まったくの異業種から転職しました。
どうしてカワクリで働きたいと思ったのかと訊かれれば、ディランの声に従ったから!というところでしょうか。
ちなみに、さきほどのディランの下にはこんなチラシがあります。
じゃん!

クリニックのオープン当初に作ったものだそうです。現在は使われておりません、お宝です。
わたしが思春期の頃、まわりにいるオトナといえば、親と学校の先生ぐらいでした。
その頃よく思っていました、もっといろんなオトナと話してみたいと。
教育とか、損得とか、正解・不正解だけじゃない話をしたかった、聴いてみたかった。
そんなわたしがオトナになって、オトナっていいなと思うことは、夏休みの宿題がないことではなく、お酒が飲めるように
なったことでもなく、いろんな人に出会い、話すことができること。
揺りかごから墓場まで。ちがうか。赤ちゃんからお年寄りまで。
特に、カワクリで働き始めてからは、毎日たくさんの人と接します。わたしとしては、絶好のチャンスです。
思春期の頃の願いが、叶ったのかもしれません。
どんどん話しかけますが、話したくないときは断っていただいてかまいません。
そして、どんどん話しかけてください。その度に、わたしの夢が叶っていきます。ありがとうございます。
わたしは、ディランを見失わないように、声を聞き逃さないように、今日も生きていくのであります!
あらら、またもやフレッシュ感のない記事となってしまいました。
お花とか、ラブライブとか、可愛い写真のせたほうがよかったかな。受付のイメージ壊れるかしら。
いやいや、そもそもこのブログタイトル、十中八九N・Gですよ?
たまにはN・Gなことも書かないと、タイトル変えなきゃいけないし。
ね、先生。新人にお手本をお願いします。
BGM.ボブ・ディラン「Like a Rolling Stone」


受付だより~さっそく第二弾!天明編

2014年11月19日(水) はれ
はーい!皆さん、こんにちは!受付の天明です。
後藤さんからブログのバトンを受け取りました!
後藤さんのブログ面白かったですね!後藤さんがハルヒやゴジラが好きなんて皆さん知ってましたか?
私もゴジラが好きなのは初耳で今回のブログを機会に後藤さんの新たな一面を知れました!
そんな後藤さんのことがもっと知りたい、直接お話したい方は是非、受付で後藤さんに話しかけて見て下さいね!
ではでは、受付ブログ2人目の天明のブログにお付き合い下さい。
ちなみに、天明(てんみょう)って苗字自分で言うのもなんですが、珍しいですよね。
電話でお店の予約をする時などに名前を言うと、ほぼ100%の確立で聞き返されます(笑)これ、天明あるあるです(笑)
昔はこの名前が嫌いでしたが、川原クリニックにきて、名前をお伝えすると皆さんかっこいい!とか神々しい名前ですね!と
お褒め?の言葉を頂きます。
そして、ほとんどの方が珍しいから一回で覚えちゃった、と言ってくださります。
やはり、名前を覚えて頂くのは嬉しいもので、珍しくてあまり好きじゃなかった自分の名前が、カワクリにきて好きになりました。
ついつい、脱線してしまいましたが、本題に入りたいと思います。
えーと、今回のブログのテーマは「川原クリニックのおすすめスポット」ですね。
天明の独断と偏見でおすすめスポット選ばせてもらいますね(笑)
天明のおすすめスポットは、後藤さんからの流れで私も好きなアニメでいきたいと思います(笑)
天明のおすすめスポットは受付の近くの天井に貼ってある、ラブライブのポスターです。

まずはPrintempsの3人ですね。

続いてはBiBiの3人です。

最後にlily whiteの3人です。
ただ私もラブライブが大好き、という理由で選びました(笑)ライブ行っちゃうくらい大好きです(笑)
いわゆるラブライバーですね。(ラブライブのファンのことをラブライバーと言います。)
皆さん、ラブライブはご存知ですか?
ラブライブの曲はクリニックでも流れているので耳にしたことあるかたも多いかと思います。
ここでラブライブってなに?って方にラブライブについて簡単にご説明させていただきます。
主人公の高坂穂乃果たちが通う高校「音ノ木坂学院」が学校統廃合の危機に瀕していました。
学校の危機を救うべく、9人の生徒が立ち上がり、彼女たちは、自らがアイドルとして活動し、学校の名を世に広め、
入学希望者を増やそうと考えました。
そんな彼女たちと、まだ見ぬファンのみんなで叶える物語=スクールアイドルプロジェクトが始まりました。
こんな感じです(笑)
とにかくすごい人気でネットではμ’sが紅白にでるのでは?とまで噂されてます。
つい最近MUSIC JAPANにμ’sが出演したのでその影響なのでしょうか?個人的には南ことり役の内田彩さんがいっぱい映っていて嬉しかったです。
ちなみにμ’s(ミューズ)とは彼女たちのグループ名です。最初に紹介したのはμ’sから派生するユニットです。
ラブライブはアニメも曲も声優さんたちのライブもどれもとても素晴らしいです。
特にライブは一度是非、現地で味わっていただきたいです。といっても今では全くチケットが取れません。
私も次のライブはライブビューイングでの参加予定です。
ラブライブのすごいところは、声優さんたちがアニメのPVと同じ振り付けで歌って踊ってライブをしているところです。
すごいパワフルなのにキュートでラブライバーの熱気もすごいです!

完全にラブライブの押し売り?みたいになってしまいましたが(笑)
クリニックには小説と漫画が置いてあるので興味がある方は是非、読んでみて下さいね。

ちなみに私はことり推しです。この写真の子です。

後藤さんは真姫ちゃん推しです。真姫ちゃんのソロの写真も載せて下さいって後藤さんに言われていたのでしっかりと載せました!
ラブライブはプロジェクトが始まった頃からファン投票でいろいろなことを決めてきています。μ’sという名前もそうです。
あとセンターを決める人気投票も行っています。アニメが終ってから行った6thシングル人気投票で真姫ちゃんは大躍進で
見事1位に選ばれました。
後藤さんには半ば強制的にラブライブのブルーレイを貸してラブライバーにしました(笑)
これからアニメとか全然みない、と言っている小森さんもラブライバーにしていく予定です(笑)
ラブライブの話を長々としてしまいましたが、天井にはラブライブのポスター以外にも
様々なポスターやぬいぐるみ、手ぬぐいなどが貼ってあります。

これはウォーリーを探せです。受付は誰もウォーリーを見つけられなかったです(笑)
Dさんが見つけてくださり、受付に教えてくれたのでもし、ウォーリーを見つけられない人、
どこらへんにいるのかヒントがほしい方はお気軽にお声かけ下さい。
天井なので首が疲れそうですが是非、ウォーリーを探して見て下さいね!
天井にはまだまだ紹介しきれないほどのいろいろな物が貼ってあります。
皆様も川原クリニックにきたら天井をじっくり見てみて下さい。
こんなところにこんなのが貼ってあるなんて!?って新たな発見があるかもしれないですよ!
ラブライブの話でも、天井に貼ってあるあのポスター好きとかなんでもいいので、このブログを機会に皆様とお話できたら嬉しいです!
最後になりましたが、富田さんに引き続き私、天明は、11月いっぱいで川原クリックを卒業することになりました。
思い返せば川原クリニックには2年以上お世話になりました。本当にあっとゆうまでした。
受付で映画の話や好きなアニメの話などをする時間がとても好きでした。
川原クリニックで過ごした時間は、私の人生の宝物です。
こうやってブログに文章を書いてもなかなか伝わりづらいかと思いまして、、、

字も絵も下手ですが、私の気持ちをかいてみました。
ちなみにこの女の子はアイドルマスターの天海春香ちゃんです。ラブライブに並んで大好きな作品です。
受付でアイマスのことをお話したのもすごく楽しかったです!
本当にありがとうございました。そしてお世話になりました。
文章を書くのは苦手なので読みづらい点も多かったと思いますが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
次は小森さんです!小森さんがどんなブログを書くのか今から楽しみです。
きっと後藤さんとも私とも全く違う観点からカワクリのおすすめスポットを紹介してくれると思います!
皆さん、期待して小森さんのブログを待ちましょう!なんて言ったら小森さんブログ書きづらくなっちゃいますかね?(笑)
きっと小森さんなら期待にこたえてくれるはずです!(笑)
では、小森さーん?次お願いしまーす!
BGM. μ’s「愛してるばんざーい」


受付だより~さっそく第二弾!後藤編

2014年11月14日(金) 天気(晴れ)
皆さん、こんにちは。受付の後藤です。
先生の期待の新記事はまだまだ難航している様なので、立て続けではありますが、受付だより第二弾です。
今回は「川原クリニックのおすすめスポット」と題しまして、受付1人1つの記事を書かせて頂くことになりました!
皆さん、各々の個性溢れる受付ブログ、是非楽しんでくださいね。
と言う訳で、今回は後藤のカワクリおすすめスポットと一緒に少しだけ受付のお仕事をご紹介したいと思います。
前回もお伝えさせて頂いたように、受付にはお会計やご予約、電話対応の他にも様々なお仕事があります。
その内のひとつが『お花係』です。
先生のブログや徳田さんの相談室だよりでもご紹介いただいてるお花。
あのお花をご用意させて頂くのがお花係りのお仕事です。
基本的に週代わりで飾っています。季節を感じさせるお花などもあるので、是非見ていただけると嬉しいです。
因みに飾っているのは、診察室、処置室、相談室、お手洗いの4ヶ所で、どのお花がどこに飾られるかは毎日ローテーションですのでお楽しみに!
以前まではお花に直接お花の名前を貼っていたのですが、新しく『本日のお花』というお花のお品書き(?)を作ってみました。
診察室の扉内側に貼ってあるので、診察室から出る際に一度見てみてくださいね。受付にも同じものを用意してありますので、お気軽にお声掛け下さい。
「あのお花の名前が気になる…!!」なんて方、是非見てみて下さい。

そしてそして、こちらが今週のお花たちです。

アマリリス

スプレーバラ

スプレーストック

カーネーション
もともとクリニックに『生花』を飾ろうと先生が思った理由を、皆さんはご存知ですか?
実はこの『生花』には先生からのメッセージが込められているのです。
「花」と言えば生花の他にもインテリアに活用しやすく枯れない造花やドライフラワーなど、様々な「花」がありますよね。
最近では人の役割にも同じように、「人」でなくてもできてしまう存在が増えています。
車の駐車だって自動でできますし、スーパーのレジだってセルフサービスが浸透して来ました。
しかし先生はそんな便利な現代をまるで「進撃のコンピュータ」と捉えているようです。
「便利」が増える世の中に対して、先生は「人間よ負けるな!」なんて奮起を促すメッセージが込められているそうです。
そこから「生」に拘った『生花』に繋がったと言う訳だそうです。
そんなメッセージが込められたお花もクリニックの見所ではありますが、他にもさまざまなクリニックおすすめスポットがあります。
続いては、後藤のクリニックのおすすめスポットをいくつかご紹介したいと思います。
まず一つ目のご紹介したいおすすめスポットは・・・じゃじゃーん!

診察室の隣通路のゴジラと涼宮ハルヒのコーナー(?)です。
ただ私がゴジラとハルヒが好きだから、という安易な理由で選ばさせていただきました(笑)
ハルヒは私が学生の時に『ハレ晴レユカイ』という曲のダンスが流行っていたのを覚えています。
学祭などでもそのダンスが踊られるほどで、コスプレもハルヒ一色でしたね~!何だか懐かしい…。
そんなハルヒの『ハレ晴レユカイ』は色々なキャラバージョンの曲もあり、勿論川原クリニックでも流れているので是非聞いてみて下さい。
ハレ晴レユカイ以外にも劇中のBGMや、ハルヒ役の平野綾さんが歌う主題歌も流れていますので、是非そちらも要チェック!
涼宮ハルヒシリーズをご存知でない方も、クリニックにコミックや関連書籍が用意されているので、是非読んでみてください!
因みにハルヒコーナーでは秘かに『長門有希ちゃんの消失』がアニメ化決定と宣伝されています。

先生は長門有希ちゃん推しなのか若干長門有希ちゃんが多いですが、専ら私は朝比奈みくるちゃん推しです!中の人は同じ『後藤』さんですしねっ!笑
『長門有希ちゃんの消失』アニメ版が待ち遠しいです。是非、皆さんも興味が御座いましたら見てみて下さいね♪
そんなハルヒコーナーと一緒に飾られているのが、ゴジラ映画のポスターです。
ここでは怪獣総進撃など様々なゴジラ映画のポスターが飾られています。
その中でも特におすすめのポイントは『ゴジラの息子』というポスターです。

皆さんはゴジラに息子がいた事をご存知ですか?
実はゴジラには『ミニラ』という可愛い息子がいるのです!
凛々しいゴジラとは打って変わって垂れ下がった眉に大きな瞳の憎めない表情が特徴です。
劇中でゴジラに光線の練習を教わるのですが、ゴジラのように凄まじい光線が出せず、ぽわわわ~んとふわふわ光線を出してミニラは「あれ~?」と言った反応。
そしてそんな我が子を見て、「あちゃ~」と頭を抱えるゴジラは、いつもの怪物とは打って変わって人間味?が溢れています。
どちらもその姿がとても愛らしく面白いので興味のある方は是非見てみてくださいっ!今までのゴジラ観が変わるかも!?笑
なんだか後藤の一方的な趣味ブログになってるじゃないか!
なんて言われてしまいそうなので、ここで少し方向修正(笑)
皆さんご存知の通り、クリニック内は受付を中心にぐるっと一周できる造りになっています。
受付の裏側には処置室と相談室がありますが、その通路壁や天井にをじっくりと拝見されたことはございますでしょうか?
あまり裏側を通る機会がないので、見たことがないという方は是非お好きな時に裏側に回ってご覧になってみてください。
化物語やベルハー、きゃりーちゃんを中心として床以外の一面が様々なポスターで埋まっていて面白いですよ!
その中に、後藤おすすめスポットは隠れています。
それがこちらです。

「処置室入り口…?」と思われた方、正解です。
私がおすすめと言うか、是非皆さんにみていただきたいのはこちらなのです。

処置室入り口に秘かに貼られた三枚のステッカー。皆さん、この三枚にも意味があってここに飾られていることをご存知ですか?
実は先生が処置室=塚田さん=ナースと連想ゲームからこの三つのステッカーが貼られたんだとか。
一番上はメン○レータムさんのあの有名なマスコットキャラのパロディーで、「ニャンコレータム(NYANKOLATUM)」です。よく見るとあのナースが猫耳を付けていて可愛いです♪
真ん中の綾波レイと一番下の花物語の神原駿河は二人とも「包帯」キャラという事で、ここに貼られたそうです。
正直、先生に教えていただくまでは特に気にも留めていなかったのですが、そこにある意味を教えられると愛着(?)が湧いてしまうものですね。
処置室前を通る度に、心の中でほくそ笑んでしまいます。皆さんも次に処置室前を通る際は是非チェックしてみてくださいね!
実はまだまだクリニックはおすすめしたい場所や見ていただきたいもので溢れています。
しかし大分長くなってしまいそうなので、今回はこの二つをご紹介させて頂きました。
ここですべてをお伝えできないのが残念です…。
皆さんもこれを機にクリニックの様々な所に先生のお茶目な仕掛けや隠されたメッセージを探して楽しんでみてください。
そして皆さんのカワクリおすすめスポットも是非教えてください♪受付一同お待ちしております。
拙い文章でありましたが、皆様長々とここまでお付き合いくださりありがとうございました。
このブログを読んで、またお越し下さった際に「あ、受付の人がブログで言ってたやつだ」なんて思っていただけると本望です。
また機会がありましたら、先生から教わったカワクリ豆知識をお伝えしたいと思います。本当にご愛読ありがとうございました。
ではでは、続いては天明さーん?よろしくお願いします(^_^)/~~
BGM. 平野綾、茅原実里、後藤邑子「ハレ晴レユカイ」


相談室だより~番外編 ノルウェー×日本交流~

こんにちは。とくだです。
今回は、スウェーデンの友人からまた旅行記が届いたので、ここでもご紹介したいと思います!
カナリアに続き、今度はノルウェーのフィヨルドのステキな景色です。
ノルウェーの観光では欠かすことができないといわれるフィヨルド。いくつかあるようですが、世界遺産でもあるソグネフィヨルドのクルーズに友人は参加したとのこと。
ちなみに、フィヨルドとはノルウェー語で入り江という意味だそうです。
約100万年前にできた厚さ2000m以上の氷河が、1万年前に溶け出しました。その溶け出した氷河が海側に流れる時、その重さで谷底がU字に削り取られたといいます。その谷底に海水が流れ込んで今の形態ができあがったということだそうです。
壮大な経緯ですよね。想像がつかない、というか。。
厚さ2000m超える氷河…谷底がU字に削り取られる…?そこに海水?
と思ってしまいますが、、
その景観がこちらです。


ベルゲンという街から出発して周遊するそうですが、そのベルゲンは365日雨と言われるほど雨が多いらしいです。それがたまたま毎日快晴で、フィヨルドがとっても綺麗に見れたという友人。



空気も澄み切った晴れの日が写真から伝わってくるようです。
ステキですね~!フィヨルド。
行ってみたい場所がまた一つ増えました。
BGM:大滝詠一
フィヨルドの少女
ちなみに、日本の、相談室はいつも通りです…笑
いくつかお花もたまっていましたのでお届けしながら〆ます。



受付だより~ハロー・グッバイ

2014年10月23日(木) 雨のち曇り(寒くなりつつある)
皆さん、こんにちは。
今回は川原先生が予告ブログ『生きること、死ぬこと』に悪戦苦闘しているようで、
「当分ブログ作成に時間かかるから、その間受付でブログを繋いでくれない?」とバトンを渡されましたので、受付からお届けします。
予告ブログ『生きること、死ぬこと』は受付も期待して待ち望んでいる記事なので、皆さん乞うご期待です!
なんて事を言ったら、「勝手にハードルあげないでくれ」と先生に叱られてしまうかもしれませんが…(笑)皆さんもお楽しみに!
受付ブログ提案の際になぜだか「後藤さん、あなたがブログを仕切れ!」と突然のご指名頂いたので、
私、受付の後藤がやってます!笑
皆さん、どうぞ拙い進行ではありますが、よろしくお願いします。
今回は新たに加わった新メンバーの小森さんのご紹介とともに、
今まであまり知られているようで知らない受付をご紹介していきたいと思います。
この記事を通して、受付を今よりも身近に感じていただけたらなと思います。
さっそくではありますが、実は受付にはお会計やご予約受付の他にもさまざまなお仕事があります。
その内のひとつが、以前先生のブログでもご紹介頂いた、受付版『なぞなぞ』です。
以前は先生が作成されていましたが、現在は多忙な先生の代わりに受付が作成しています。
そんな受付版『なぞなぞ』がこの度、リニューアル致しました!
今回も受付各々の個性溢れるなぞなぞに仕上がっていますので、ご紹介させて頂きます。
まずは新メンバーの小森さんのなぞなぞです。
初めまして!新入りの小森です。今週でちょうど1ヶ月となります。
まだまだ不慣れで皆様にはご迷惑をおかけするやもしれませんが、一刻もはやくカワクリに馴染めるよう
努めてまいります。
さて、そんな新人・小森のなぞなぞデビュー作がこちら!

私は昔から絵が大の苦手でして、色鉛筆なんて夏休みの絵日記以来かと。
たいへん緊張しながら描き始めたのですが、これが思いのほか楽しくて、気づいたらすっかり夢中に!
調子に乗って、家元談志(気づいていただけないと恥ずかしいので、ここで自ら言うことにします)も登場です。
実は私、中学時代に落研(落語研究会、略してオチケンです)に所属していました。
と言っても、1年ほどで辞めてしまったので出来るようになったのは「寿限無」と駄洒落くらいでしたが・・・。
そもそも中学に落研てあまりないですよね。しかも10代の女子は入らないですよ。
昔から、若さがないとか、落ち着いてるといわれてきましたが、カワクリに来て確信しました。
年代がずれてる!!
BGMに伊代ちゃんが流れるんですよ!と思ったら、ボブ・ディランですよ!清志郎が少年時代を歌っていたとは!
なんて調子でウキウキ・ソワソワ、あ、いけない!鼻唄歌ってた!てへ!と受付の3人を見たら、あれ?
「ボブ・ディランて知ってる?」「曲名ですか?黒人ぽいですね~」あれあれ?
「細野晴臣って、ほらYMOの人だよ!」「・・・・。」確信。
一応言っておくと、私、先生より受付3人のほうがうんと歳は近いですよ。み、みんな、仲良くしてね。
ちなみにここ数年は怒髪天がNo.1です。今年結成30周年の素敵ロックバンドです。是非、聴いてみてくださいね。
そんな小森の黒歴史。初めて買ったCD(レコードじゃなくて良かった)は、氷室京介「KISS ME」です。
黒くないし。ブレてない。
初回から長々と失礼いたしました。こんなフレッシュ感のない新人ですが、どうぞよろしくお願い致します!
続いては天明さんと私、後藤のなぞなぞをサクッと紹介です。
こんにちは、天明です。
私のなぞなぞは富田さんのなぞなぞの右下に貼ってあります。

今回は脳活クイズです。
是非挑戦してみて下さい。
改めまして皆さんこんにちは、受付の後藤です。
私、後藤のなぞなぞはフレッシュな小森さんのなぞなぞの下に貼ってあります。
座る時、お水を取りに行かれる時、マンガを取ろうとしたその時に、一瞬でも視界に入ったら、見て頂けると嬉しいです。

前回、前々回の『暗号コレクション』『頭の体操』に続きまして、今回は『世界のなぞなぞ大集合』です。
各国のなぞなぞを集めてみました。
その国々のお国柄が出ていて、一筋縄ではいかないなぞなぞもあるので是非挑戦してみて下さい。
おすすめはアメリカの問題です。
因みに、ウォーターサーバーのなぞなぞも一新してみました。

前回に引き続き、『水』に関するなぞなぞです。
イラストは『水』にちなんで今回も水ポケモンから『ゼニガメ軍団のゼニガメ』です。
「あれ!?お湯の出し方わからない!」なんて時に、お湯の出し方と一緒になぞなぞのヒントや答えもお気軽に受付へ。
どちらのなぞなぞもヒントをいくつか用意しているので、気軽に挑戦してみてくださいね。
最後は我らがレジェンド富田さんです(笑)
みなさん、こんにちは!先程、後藤さんから紹介を受けました、レジェンド富田です。
って、突然レジェンド富田って言われても、皆さんにはチンプンカンプン何のこと?誰のこと?ってなりますよね~。
実は私、富田は、この度川原クリニックを卒業することになりまして、今回これが最後のなぞなぞになるからと
いうことで、『富田メモリーズ』や『富田レジェンド』をなぞなぞのタイトルにしてみたら?と先生がわざわざアドバイスをくれました。
そーんな、先生のアドバイスをそっくりそのまま鵜呑みにしちゃいました~(笑)
題して『富田・メモリーズ・レジェンド・クイズ』です。こちらのなぞなぞのご紹介は後ほど!
最近、めがねのベストドレッサー賞を受賞して話題になった、スキージャンプ銀メダルの葛西選手と同じ称号(?)を戴けるなんて、光栄です。
そんな、私、富田が作らせて戴いたモビールはこちらです。じゃじゃーん。

なんと、このモビール、まどマギのコースターで出来ているのです。しかも、このコースター、裏表でまどマギの絵柄が違うのです。
皆さん、知っていましたか?まどマギって、キュウベェという白い生き物とまどかが契約するかわりに、まどかの願い事を叶えてくれる
というお話なんですよ!いいですね~願い事かぁ~。。皆さんなら、どんな願い事を叶えますか?
私だったら、う~ん、、、
まずは回らないお寿司屋さんに行くこと!かなぁ(ちなみにこのブログ書いているのが、ちょうど夕飯時でして、
願い事が食べ物のことしか思いつかないのです(笑)すみません。)でも、願い事って、考えれば考えるほど出てきてしまうものですね~。
わたしって、欲(食欲?)深いのかも?!
受付の左手、天井に吊るしてあるので、まどマギが好きな方もそうでない方も、ぜひご覧になってみてくださいね。
ちなみに、このモビールが吊るしてある天井ですが、忘れもしない…クリニックの浸水事件。
台風の大雨によるクリニックが水浸しになってしまった、あの事件。懐かしいです。今となっては、心に残る思い出です。
あの時に、何人かの方が、診察の待ち時間に手伝ってくれましたね。一緒に水に濡れてくれた方、浸水におけるアドバイスをくれた方、
まさにあの時はサバイバルで、皆さんとは同じサバイバルを乗り越えた戦友みたいな気持ちになりました。
その後も、クリニックの浸水を心配して、お声かけ下さった方、わざわざ遠くからお電話下さった方もいっらしゃいましたね。
私自身こんな経験初めてで、そんな時に頂いたお電話は、とっても嬉くて、感激したのを覚えています。
 
そして、喫煙室のなぞなぞもリニューアルです。

いつも喫煙室に立ち寄られるそこのあなた!一服と共に一問、解いてみてください。
いつも喫煙室には入らないというあなた!喫煙とは別に、喫煙室ワールドを覗くついでに、解いてみてください。
そしてそしてお待たせ致しました!この度、川原クリニックを卒業することになりました富田の、
記念すべき!最後のなぞなぞ『富田・メモリーズ・レジェンド・クイズ』がこちらです。
これで、なぞなぞを披露出来るのが最後ということで淋しい気持ちもありましたが、皆さんが頭を抱えつつ、
答えを聞いてスッキリ出来る様な、なぞなぞを集めてみました。
前作、前々作のなぞなぞを解いて下さった方々、ありがとうございました。
皆さんがなぞなぞを答えに話しかけて下さるのが嬉しくて、ヒントを出すのが楽しくて、とってもやりがいがありました。
最後まで、温かく見守って下さり、ありがとうございました。

場所は、受付カウンターの右側、天明さんのなぞなぞも近くに貼ってあるので、ご一緒にどうぞ。
残りわずかですが皆さんとなぞなぞを通して、お話出来たら嬉しいです。
なので、ヒントや答えは、ぜひぜひ受付へどうぞ。
以上、受付のなぞなぞのご紹介でした!
いや~、今の日本でレジェンドなんて呼ばれているのは、ジャンプの葛西選手とカワクリの富田さんくらいですよね(笑)
今回ご紹介させて頂いた、受付各々の個性が出たなぞなぞ、是非挑戦してみてください。
尚、年内にすべてのなぞなぞを解いていただいた方には、チロルチョコをプレゼント!
皆さん、受付の初ブログはいかがでしたか?
受付を以前より身近に感じて頂けましたでしょうか?
先生には「もっとブログでくだけてもいいんだよ」なんて言われましたが、いやはや初ブログではどうしても緊張のせいか堅苦しいものになってしまうものですね(汗)
最後になりましたが、ここまで拙い進行にお付き合いくださり、皆様ご愛読ありがとうございました。
またブログにご参加頂いた天明さん、小森さん、富田さん、ありがとうございました。
今週で富田さんが卒業してしまうのは、とても寂しいです。
いつも受付で真面目で優しく周囲をサポートしてくださっていた富田さん、本当に長い間お疲れ様でした。ありがとうございました。
そして小森さんの加わった新たな受付を今後とも、皆さんどうぞ宜しくお願い致します。


黒歴史とか、中二病とか

14/Ⅹ.(火)2014 台風19号が去って 
こういう仕事をしていると、皆さんと色々とお話をする中で、うまく伝えられないこともある。
「ある人」の話をするというのは、広い意味で守秘義務にひっかかるので、「よく聞く」話をしよう。
これは、本当によく聞く話で、「それ私(俺)の話!?」ってドッキリしてる、そこの人。
あなただけのことを言ってるんじゃないからね。
多くの人は、大人になったら(或は、恋人が出来たら)好きな物を処分しなければならない、と思っているようだ。
昔、好きだったアイドルのレコード(CD)やポスター(切り抜き)は今更、捨てるに捨てられない「恥ずかしい」物らしい。
オタク系のフィギュアやコミックスもそれに該当する。
その流れで言えば、昔、自身でマンガを描いていたという人も「恥ずかしい」らしい。
皆は口を揃えて、それらの作品は、死ぬまでに処分しないといけない、と言う。
このように、なかったことにしておきたい過去を、黒歴史、と呼ぶそうだ。
似たようなニュアンスで、世間は、中二病、とよく言うが、必ずしも、中二に限定された物ではない。
大学生の時にこっそりマンガを描いていたという心当たりの人も多いだろう。僕も描いてた。
それらの作品は、世に出ていないから、おそらく世間的には評価されない物なのだろう。
だから隠しておきたい、は理にかなっている、とも言える。
しかし、その時に一生懸命で夢中だった過去の自分まで一緒に否定してしまうのはいかがなものだろうか?
むしろ、誰も評価してくれないのだから、せめて自分くらいは理解者でいてあげたらどうだろうか?
それが今回、皆さんに問いたい提言だ。
そういうことを僕は、診察の中で思い、そうも言うのだが、言葉なんて上滑りさ、口先だけで言ってると誤解される。
心外だなぁ。
「心」は、「言葉」のことをあまり信用してないからな。
まだ少しは「態度」の方が信用があるからね、そうだ「態度」で示そう。
と言う訳で、現在のカワクリのキャンペーンは、僕の黒歴史の紹介です。
僕の場合は、自分で「黒」だと思っていないので、厳密には「黒歴史の紹介」ではないのですが。
でも、それは主観的な問題なだけで、客観的には「黒歴史」に見えるだろうから、黒歴史の紹介で良いだろう。
僕の好きなアイドルは石野真子だった。
なので、「態度その1」診察室の僕の脇の壁を石野真子のLPで飾った。↓。

「メソ部」とは昔に勤めていた児童思春期の病棟で作った病院非公認の「マンガ倶楽部」。
コミケみたいなものにも出店したこともある。僕は引率でついて行ったが、連中は店番を僕に任せて自由行動。
「先生、よろしくね!」と言われるから、隣のブースの女の子に、僕はマンガの先生だと勘違いされて、尊敬された。
そんなことはどうでもいいことだが、石野真子のLPはソファにも立て掛けて飾ってあります。↓。

これは自らが辱めを享受することで、今回の主張になみなみならぬ説得力を持たせようという心意気だった。
しかし、それは思わぬ副産物、嬉しい誤算を呼んだ。
それは、当時の僕の心を、タイムスリップのように、鮮明に蘇らせたのだ。
心理学の用語で、防衛機制というのがあるのをご存知だろうか。倫理社会とかでやるかも。
フラストレーションの対処策みたいなもののことで、何パターンかある。
その防衛機制の1つに「退行」というのがある。幼児退行、みたいにあまり良い文脈では使われないフレーズだ。
でも、この退行は、ちょっと良い退行だ。
純粋で勢いのある高校生の時の僕が、汚れちまって風邪気味の僕を、石野真子を介して応援してくれているのだ。
昔の自分が、今の自分にパワーをくれる、そんな退行。
こんなちょっと良い話をしていてはダメだ。メッセージがぶれる。
昨日、テレビでキング・オブ・コントを見たが、予選に大場久美子が林寛子と出てたとダウンタウン松本が言っていた。
大場久美子は石野真子と同時期に活躍したライバルだ。
大場久美子ファンと比較して、石野真子ファンは「恥ずかしくない」。
石野真子、黒歴史度、低いな。
これだけでは、まだ甘い。
メッセージが伝わらない。
そこで、ならばと、「態度その2」僕が鉛筆書きでルーズリーフに描いたマンガを紹介することにしよう。
これを描いたのは大学1年の授業中だ。
年齢は二十歳前だが、やってることは、まさに中二病だ。
周りの皆はどんな目で見てたのかな。
下は、錦糸町のアニメイトで買った「中二病メザメ~ル」。
受付カウンターのアルティメットまどかの下にあります。↓。

その下に、表紙と「浪人の頃」というマンガを貼りました。
良かったら見て下さい。面白いですよ。(なんだ?、自画自賛、ここが1番恥ずかしいかも…)↓。

左は、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーがコメントを寄せていることになっています。
これは、ポールとジョンがストーンズに「彼氏になりたい」を作った時のエピソードのオマージュです。
オマージュの意味、合ってるか?
右のマンガの煽り文、「マンガか?芸術か?」はつげ義春の「ねじ式」に寄せられた賛辞を引用。
ま、パクリですね。
この時点で、オリジナリティーないな。失礼しました。お恥ずかしい。↓。

でも、やっと今回の趣旨にたどり着きましたね。
他人にどう思われたって構わない。せめて、自分くらいは自分の応援をしましょう、というメッセージでした。
あいざき進也のファンだった人、そのレコード、捨てるな。
ちなみに、このブログのタイトルの「十中八九N・G」のシングル・レコードは喫煙所のガラスに貼りました。↓。

BGM. RCサクセション「こんなんなっちゃった」


白い色は恋人の色~「カワクリ~夏のお花シリーズ第2弾トルコキキョウ」

3/Ⅹ.(金)2014 はれ 30℃越え 
北海道のおみやげの定番に「白い恋人」というお菓子がありますね。
一時期、よしもとが「面白い恋人」というパロディー商品を販売したら、登録商標か何かで揉めてましたね。
あれは、もう和解したんだっけ。
さて、このブログの記事のタイトルの「白い色は恋人の色」とは、ベッツィ&クリスのヒット曲です。
作詞・作曲は、北山修&加藤和彦の「あのスバ」コンビ。
近頃は「あの素晴らしい愛をもう一度」を「あのスバ」と略すのが一般的みたいです。
北山修がアルフィーの坂崎に「あのスバ、行く?」なんて風に使ってます。
でも、今の若い人たちには、こんなことを言っても、なんのこっちゃら?、でしょうね。
今じゃ、フォークソングも懐メロの区分に仲間入りですね。
なんて、しみじみしてしまいました。
今回は予告ブログ「生きること死ぬこと」の下書きを間違って消してしまって意気消沈の僕のリハビリ的な記事です。
写真が中心の軽い内容です。
これは、以前に勤めていた病院で一緒だった四国の女医さんからレターをもらった時に、僕の働いてる現場を紹介しようと、
その日のお花、トルコキキョウをガイド役に撮影した写真たちです。
だから、これを撮影した季節は夏なので、今のクリニックの風景とは少し違います。
違いも、解説しながら、進めて行きますね。
ブログってコメントはくれないけれど、見ててくれる人が結構いるみたいで。
そう言う訳で、今回は普段、カワクリに来ない人にも雰囲気が伝わるような報告の記事にしてみました。
ちなみに最近、カワクリの様子で1番目立つのは、「澁澤龍彦のTシャツ」です。
「あれは、一体全体、何者?」という声が多数寄せられています。受付、あたふた。↓。

話が脱線してしまいました。今日のタイトルの副題は、「カワクリ~夏のお花シリーズ第2弾トルコキキョウ」です。
白い夏のお花、トルコキキョウ、診察室から。↓。

診察室の「おろち」は、絵が強すぎて他のポスターが霞んでしまい他が貼れませんでした。
最近、やっと、太刀打ち出来る絵を見つけ、貼りました。それは、バルテュスです。下が、おろち。↓。

その横には、椎名林檎のパネルが立ってます。皆さんの席からは、3時の方向です。↓。

「かんなぎ」は、初夏っぽいので撤去しました。でも、考えたら、これは「おろち」に太刀打ち出来てたのですね。↓。

「かんなぎ」つながり、つぐみ、は僕が大岡山のキックボクシングジム「RIKIX」に通ってた頃のスケジュール表からです。
護身術に詳しいMさんから教わったのだが、ストリート・ファイトで大勢に囲まれたら、1番脅威なのは目の前の相手だから、
とりあえず、ディフェンシブ・キックと言って、ボーンと相手を遠くに蹴り飛ばすのが有効らしい。
そして、残りは肘&肘でやっつけて、相手がポケットに手を入れるかを良く見ておいて、ナイフを持ってる可能性があるから、
ポケットに突っ込んでる手を押さえて、頭突きを食らわして、逃げるのがいいらしい。
僕は近いうち、イスラエル軍で開発され、FBIやSWATでも採用されている接近格闘術を習いに行くつもり。
相手が棒やナイフ、拳銃などの武器を持ってる場合や複数人と戦うことを想定した実戦的な護身術です。
下は、つぐみのキック!。↓。

「おやすみプンプン」からは、愛子ちゃんの財布。これは、診察テーブルの僕側の脇なので皆さんには死角ですね。
そう言えば、その後が気になってる方もいるみたいなので、一応、報告しておくと、Sちゃんに「プンプン」全巻読ませましたよ。↓。

この日に履いてたソックス。カンフーっぽいですね。中野ブロードウェイで買いました。↓。

受付の「クラナド」のポスターは評判が良いです。サブリミナール効果を狙って、受付を好印象に演出しました。(笑)↓。

受付の逆サイドは、「けいおん」のコーナーです。↓。

受付カウンターには、究極まどか、のフィギュアがあります。↓。

受付カウンターの逆サイドは、ルーシーがいます。徳田さんは、ルーシーと花沢さんが似てると提議しましたね。↓。

待合室を案内します。正面入り口には、きゃりーちゃんのポスター。
きゃりーちゃんと「日常」のはかせの共通点は、「サメ好き」です。↓。

待合室テレビ側には、「地下鉄のザジ」の額装。今は、ここに「星飛雄馬」のポスターがあります。下が、ザジ。↓。

中原淳一のポスターはやや位置を変えましたが、健在です。↓。

「幕末太陽傳」は今は自動ドアの所に昇格です。僕はこの映画は日本の喜劇映画のNO.1だと思います。
クレージーキャッツの「ニッポン無責任時代」と「ニッポン無責任野郎」の2本を1セットと数えて良いとしたら、悩むけど。
「幕末太陽傳」のフランキー堺の雑巾掛けのシーンは、談志が自分の「居残り佐平次」に取り入れたと言う位、鮮やかです。↓。

このポスターも評判良いです。「もりかわゆみ」という作家さんの作品です。新宿マルイで取り扱っています。↓。

BISの福袋。解散したから、撤去しました。今はこの場所に、クリープハイプがいます。↓。

BISは、喫煙所にもいましたが、撤去。
BISは、こないだ解散コンサートを「テレクラキャノンボール」のスタッフが撮影してるのをスペースシャワーで観ました。
面白かった。
「テレクラキャノンボール2013」は、テアトル新宿で10/5~7まで期間限定再上映が決まったそうです。
観に行こう!
あっ、ついつい夢中になって、「テレクラキャノンボール」の話になってしまいましたが、下が、喫煙所BIS。↓。

喫煙所つながりで「天国に一番近い島」。原田知世の「目が怖い」と意外と不評でした。
日本人は名刺文化という視線恐怖の文化です。
相手の目を見ると失礼だから、「私はこういう者です」と名刺を差し出し、直接視線を交わさないで済む文化。
それが、近頃は、欧米的な風潮で、「相手の目を見て話さないと失礼」、にとって変わって。大丈夫か?
日本は島国だぞ。「ナニ、ガンつけてんだよ!」って喧嘩が多発しないか心配だ。
夏物なので、今は撤去。↓。

同様の理由で、エヴァのミサトさんも今はないです。ここも喫煙所。↓。

喫煙所の、上戸彩は内側の扉にいますから、中に入らないと見れません。タバコを吸わない人もどうぞ。
喫煙所だけに、火の用心。
今日、お昼に後藤さんとランチに行った時、聞いたのですが、最近、不倫してるんですって?上戸彩。ドラマの話だけれど。
火の用心から、火遊びですね。後藤さんにザッとドラマのあらすじを教えてもらいました。「昼顔」ってドラマです。
代わりに、僕はルイス・ブニュエル監督の「昼顔」というカトリーヌ・ドヌーヴが主演した人妻が娼婦になる映画を教えました。
ランチタイムの中華料理屋に、若いナース服の女とアニメTシャツを着た中年男の大声が「不倫」だ「娼婦」だと響き渡る。
それは、ドラマが伝えたいかもしれない不倫の持つあやうげで、はかなく、魅せられてしまう背徳感もブチ壊しにする破壊力。
下が、喫煙所の上戸彩。消防庁のポスター。↓。

喫煙所の窓には、めんま。↓。

すみぺ、は今、喫煙所に移動しました。↓。

「狙われた学園」も、喫煙所に移動しました。現在は、アニメ「狙われた学園」のポスターと並べてあります。↓。

これは、美術コーナー。この絵も人気があります。ヴェルネ・オラースの「死の天使」です。
診察室の後ろの扉の正面あたりの壁、受付側です。↓。

廊下をグルリと回りましょう。しょこたんのこのポスターは、見つけにくい所にあります。
見つけたら、受付けから、チロルチョコでもあげます、賞品として。↓。

塚田さんの使う処置室の前の壁一面は、ベルハー・コーナー。ちょっと自慢です。↓。

診察室の後ろの扉の廊下側は、BABYMETAL、DEATH!。
喫煙所の前の受付の側面の壁にも、ミニ・コーナーがあります。↓。

その角を曲がると、BABYMETALのメギツネのクリアファイルがコンプリートされています。
受付カウンターのさっきのルーシーの下あたりです。↓。

その近くには、しずかちゃんのコーナーがあります。都条例に挑発的なチョイスもありますが、ここでは無難に。↓。

ウォーター・サーバーの付近には、「ひみつのアッコちゃん」。↓。
知らない人のために、念のため、、「ひみつのアッコちゃん」と「天才バカボン」の作者は同じ、赤塚不二夫ですからね。

ウォーター・サーバーのタンクの上には、忍野忍ちゃんが夏らしいイデタチで君臨してました。↓。
今は、診察室のソファのサイド・テーブルの上で展開される「物語シリーズ」コーナーに移動しました。
タンクを取り替える時に、邪魔だしね。

「物語」つながりで、千石撫子。これは、なでこ、が喋ります。普段はスイッチ・オフにしています。
聞きたい人は、受付スタッフまで。そうそう、受付に新しく小森さんが入りました。よろしく。下が、なでこ。↓。

相談室と処置室の間の壁に、「ねじ式」のポスター。
つげ義春は、締め切りにアイデアが間に合わず、屋根の上で昼寝した時の夢をそのまま漫画にしたと言います。
だから、本当は「××クラゲ」だったのが「メメクラゲ」と誤植されても、まぁいいや、と思ったそうです。
それが、漫画か芸術かと論争になった「ねじ式」の真実です。良い話ですね。下が、ねじ式、女医。↓。

診察室側の廊下は、涼宮ハルヒ、コーナー。只今、大いに盛り上がっています!
下は、消失・長門。↓。

長門は喫煙所とウォーター・サーバーの間の秘密部屋の扉にも、浴衣姿のポスターがいます。
太宰治の「晩年」の一節をイメージとして添えてるので、良かったら見て下さい。↓。

ハルヒつながりで、佐々木さん。↓。
今は、ハルヒ・コーナーとゴジラが同時進行です。良かったら見て下さい。

ハルヒは入り口のフィギュア棚の上にも、ポスターがあります。
個人的には、気に入ってるコーナーです。その中から、「~の憂鬱」を。↓。
憂鬱は凪いだ熱情に他ならない、アンドレィ・ジイド「地上の糧」より。

さて、最後に普段しまってるフィギュアのお蔵だし。まずは、「おろち」。
めざとい人は、見つけますよね。通常は、ラック型の本棚の上にいます。↓。

ゆうこりん、の「恋のシュビドゥバ」人形。当時の小倉優子は可愛かった。↓。

ラストは、けいおん、からサワちゃん。デスデビルの頃。↓。

以上、トルコキキョウでした。写真40枚以上、使いましたよ。新記録かも。
全然話は変わりますが、トルコと言えば、トルコ風呂を連想する人は、年齢がバレますね。
今のソープランドのことです。大橋巨泉は、「ルートコ」って言ってましたよ。
「トルコ風呂」の名前の由来は、アングルというロマン派の画家の「トルコ風呂」という絵画からとったという説がありますが、
もし本当なら、ネーミングした人、良いセンスですね。下が、アングルの「トルコ風呂」。↓。

だけど、「トルコ風呂」はトルコ人留学生からクレームが来て、「ソープランド」に改名されたのでした。
僕が、20才前後の頃です。味も素っ気もロマンもない響きになったものだ、と嘆いていた不謹慎な人もいた。確か、F.。
マンガ「1・2の三四郎」をご存知でしょうか?
あれは、後半はプロレス・マンガになります。
主人公の東三四郎を含む「桜軍団」が、皆が勝ったら「トルコへ行こう!」と盛り上がるシーンがあります。
三四郎に思いを寄せる志乃ちゃんは、その時は、何が何だか判らなくて一緒に雄叫びをあげますが、後々、スポーツ紙で
「トルコ風呂」が何かを知ります。
志乃は三四郎の試合前に激励の手紙を書きますが、その最後の便箋に「トルコだけはいかないで」と付け加えてあるのが、
いじらしいです。↓。

だから、このマンガが連載されてる頃は、まだ言葉狩りにあってないですね。
プロレスと言えば、ユセフ・トルコというレフリーがいました。
力道山~馬場・猪木時代の日プロや、初期の新日で活躍していた怪しげな風貌のいかにもプロレス的な人物でした。
トルコとプロレス、相性いいな。どんな考察だ。今は昔だ。
さぁ、ウォーミング・アップおしまい。
次回は、いよいよ大変永らくオマンタせいたしました。
予告ブログ、「生きること死ぬこと」です。
そんなタイミングで、今日、入った臨時ニュース。
先日、ブログでも追悼記事を書いた中西先生のお別れ会が、なんと!、きゃりーぱみゅぱみゅのライブと丸かぶり。
どっちかに行けば、どっちかに行けず。
勿論、先約は、きゃりーちゃん。しかし、中西先生には世話になった。諸先輩も集うだろう。
そこにいなかったら、不義理な奴、と思われて、これからの人生で損してしまうかもしれない。
そんな不純な理由でずっと楽しみにしていた、きゃりーちゃんのライブを断念すべきなのか?
しかし、きゃりーちゃんのライブのためお別れ会に不参加は皆に理解されないんだろうなぁ。
子供の運動会なら、許されるんだよ、きっと。おかしくないか?世間の判断基準。まぁ、今更なんだが。
死者を敬うべきか、今を生きる人の生活の充実を優先させるべきか。
なんとまぁ、タイムリーに皮肉な二者択一よ。
態度は現在保留中。決めらんねーよ。いっそのこと、下駄に聞くか?下駄、持ってないけど。
そして、ここからは実況中継にします。
僕は普段、診療時間内はレオパード柄のスリッポンを履いています。
背後に見えるのが、さっき紹介した「おろち」にひけをとらないバルテュスの「夢見るテレーズ」です。↓。

これを足だけの勢いで宙に蹴って、その裏表で決めることにします。「明日、天気にな~れ」の天気予想みたいな感じ。
これで表、つまり履けるように着地したら、予定通り、きゃりーちゃん。
裏が出たら、中西先生のお別れの会にしよう。
って、こんな大事なことをスリッポンで決めて良いのか、という問題もあるが、良く考えたら人生ってそんなものだろう。
結構、人生の転機や一大決心なんて、最終的にコインの裏表で決めるようなモンじゃないか。
誰かに決めてもらうより、自分で決定してるだけマシだろう。
果たして、その結果は、今、スリッポン、蹴ってきます。
このライブ感、伝わりますか?
結果、出ました。↓。

裏でした。
きゃりーちゃん、ゴメン、中西先生のお別れ会に行きます。
さて、そうなると次なる問題は当日のドレス・コードだ。
案内状には「平服で」と書いてあるけど、俺の「平服」って、ここで言うところの「平服」と違う気がするのだ。
F.に聞いたら、「一応、ホテルでやるから、スーツで行くよ」だって。
俺、スーツ、ピンクの迷彩柄しか持ってないけど。
大学病院の医局の秘書さんにまで電話して聞いちゃったよ。
秘書の久野さんは、僕はよく知ってる信頼できる人物だ。
そんな彼女のアドヴァイスは、「平服ですが、あまり原色とかは…」だって。なるほど。参考になった。サンキュー。
原色じゃない=白か黒だな。でも、「平服で」は黒じゃなくて、という意味だとも解釈できる。
と言うことは、消去法で「白」だ。
俺の持ってる白い服…。
あった!野球のユニフォームだ。中西先生、野球部だったし、丁度良い。
ユニフォーム、どこにしまったっけ。家捜しだ。
そんな訳で、きゃりーちゃんのチケット1枚、誰かにあげます。
BGM. キャロル「夏の終わり」


スランプ?

24/Ⅸ.(水)2014 曇り時々雨 
誰か呪ってない?
予告ブログ「生きること死ぬこと」の下書きを間違って全部、消してしまい、1から書き直しです。あーぁ。
まぁ、そうは言っても、一度書いてるので、頭の中で構成が出来ているので、割とすぐに書けるでしょう。
と、たかをくくってますが、ショックは隠しきれません。
そんな季節は、めっきり冷たくなりましたね。
重なるときは重なるもので、採用面接やその他もろもろ。
とらばーゆ、ってもう紙媒体が無いって、皆さん、知ってました?
とらばーゆ、は医療機関の掲載が4週間だったらしく、応募もたくさん頂きありがとうございました。
僕は髪色を秋を先取りして、「もみじ」にして臨戦態勢。↓。

ネイルもそれに合わせて、休日返上で頑張りました。↓。

こないだ土曜の心理の谷田(やつだ)さんに、「センセー、大変でしょう」と労いの言葉をかけてもらいました。
<ナ~ニ、かえって、一度に来てくれた方が助かるよ!分散されて来られるよりマシ>と強がってみせた。
谷田(やつだ)さんは、「そういう考え方もあるんですね」と感心していた。
谷田(やつだ)さんも、超・多忙な人だから、何か思うところもあったのかもしれない。
さて、採用面接も一段落し、予告ブログ「生きること死ぬこと」を書こうと思ったら、手が止まった。
書けない。
どうしよう?
全然、ブログを更新してなかったから、文章の書き方を忘れてしまった。
ちょっと、リハビリが必要かも。
そうだ、「カワクリ夏の花特集、第2弾~トルコキキョウ編」の写真が手付かずである。
写真にコメントをつけて記事にするのは、文章を考えたり、飛躍した思考を取り戻すには、良いウォーミング・アップかも。
と言う訳で、すっかり秋めいて来ましたが、次回は、「カワクリ夏の花特集、第2弾~トルコキキョウ編」です。
季節はずれでごめんなさい。
それから全然、関係ないのですが、今の僕は、コスプレに詳しいRちゃんから、「うたの☆プリンスさまっ♪」の音也(おとや)
に似てる、って言われました。
Rちゃんは、「見てみて下さい。似てますよ」と笑いながら、「髪色がね!」と強調していた。
BGM. キャッツ★アイ「めっきり冷たくなりました」