僕には、子供の頃、おかしなクセがあった。
それは、借りてもいないお金を友達に返すのだ。
額は、50円とか100円単位だが。
友達は、当然、貸してないので、受け取らないのだが、僕は嘘が上手かったから、相手を言いくるめて、貸した気にさせた。
友達は、「そう言えば、貸してたかも?」とか言って、小額のお金を受け取るのだ。
僕は心の中で、<しめしめ、馬鹿め>とほくそ笑むのだ。
そんなことを中学生くらいまでしていた。
何で、そんなことをしていたのか、きっと人に借りを作りたくないとか、誰かに借りを返さなくてはという強迫観念みたいなものだったのかしら。
僕の実家は茅ヶ崎で、割と大きな家だった。
当時は、「乞食(こじき)」というのがいて、大きな家に「何か食べるものを恵んで下さい」とやってくると聞いていた。
そして、大人たちは、口を揃えて、「乞食に、食べ物をあげてはいけない」と言った。
1度、あげると、この家はくれると思って、それ以降、何度も来るようになるからだそうだ。
僕がまだ小学校にあがる前だったと思う。
僕の家に、女の乞食が来た。その時、家には僕しかいなかった。
女の乞食は、「食べ物を恵んでくれ」と言った。僕は、<1度、あげると何度も来るようになるからあげれない>と断った。
すると、その女の乞食は悲しそうな顔をして、「これっきりだから、2度と来ないから」と訴えた。
子供の僕には、その人が嘘をつくようには、見えなかった。
僕は、<ちょっと待ってて>と言い、食卓にあった、おにぎりをあるだけ女の乞食にあげた。
女の乞食は、何度も何度も、「ありがとうございます」と礼を言い、帰って行った。
何度も何度も振り返っては、お辞儀をして去って行った。僕は、その姿が見えなくなるまで見送った。
それ以降、約束通り、女の乞食は、うちに来なかった。
僕は、女の乞食を信じて良かったと思った。と同時に、大人の言うことを鵜呑みにしてはいけない、と思うようになった。
こう書くと、ちょっと美談のように読めるかもしれませんね。だとしたら、すみません。違うのです。
僕が女の乞食におにぎりをあげたのは、乞食のためではなく、親にずっと乞食の話を聞かされてて、会ったこともない乞食に申し訳ないと思っていたからで、だから、僕は自分のうしろめたさを埋めるために乞食におにぎりをあげて、楽になろうとしただけ。
あげた乞食がたまたま良い人で、約束を守って、2度と来なかっただけの話で。
僕は医者になってからも、少しおかしなクセが残っていた。
医局に入ると、関連病院にパートに行けるのだが、おおよその金額の最低ラインは保証されていた。
しかし、僕は、あまり評判の良くない先輩の医者から、斡旋された病院と契約した。
その金額は、最低保証ラインの半分以下だった。生活費に困った。
多くの親切な先輩達は、僕のために怒ってくれ、「その病院はやめろ」とか「あいつは信用するな」とその先輩を悪く言った。
その先輩は、病院からバックマージンを貰ってるのだと指摘する人もいた。多分、事実だと思う。
その人は、そういう人だから。別に僕は、その先輩に何の恩もなかったし、親しくして貰っていた訳でもない。
その先輩は、駄目元で研修医に片っ端から声を掛けていたのだ。
それに、たまたま僕が引っ掛かっただけだった。
こんなこともあった。遠方に引っ越す先輩が、自家用車の処分に困って、それを僕に売りつけたのだ。
僕は、自動車を運転しないから、車など必要なかった。
でも、僕は言い値で車を買い取った。家族には、怒られた。
その時も、多くの先輩達は、僕のために怒ってくれ、「あんな車がそんな値段がするはずがない」と意見を言った。
関連病院のパートの斡旋をした先輩と、車を売り付けた先輩は、別人物である。
僕のために怒って、意見をして、忠告してくれた親切な先輩達は同じ人物である。
その頃の僕は、少し、うんざりしていた。熱心に、親身になってくれる先輩達に対して。
<そんなこと言われなくても判ってるよ>、って。<知ってて、わざと、騙されてるんだよ>、って。
今、考えると、僕はおかしかったと思う。わざわざ、縁もゆかりもない人に金を騙しとられてることを知ってて平気だなんて。
きっかけは患者さんだった。
僕と同じで、借りてもいない金を他人に返す患者さんがいて、その人と面接をするうちに、<やっぱり、おかしいな>と思った。
僕は、ある日、2人の先輩に、<てめぇ、よくも騙しやがったな!このサギ野郎!>とぶち切れた。
1人は、病院の屋上に呼び出し、もう1人は、当直室の奥のシャワー室に閉じ込めた。
2人の先輩は、あっさりと謝り、話はチャラにした。
2人は、ずる賢くて、セコイ奴だったが、気の弱い人でもあったから、僕は怒りすぎ、少し、悪いことをしたな、と思ってる。
BGM. カリオカ「 Little Train Of The Coipira 」