11/ⅩⅡ.(火)2012 くもり
カワクリに来た事がある人は、入り口を入ると正面に直立した猫がお盆を持って立ってるのを思い出せるでしょう。
本来は、そこには「地球儀」が乗っていて、その地球儀は光と地球の自転を利用して、勝手に回るのです。
これは半永久的に使える物なのですが、ここ半年で2回も、故障して、回らなくなってしまいました。
最近は修理に出していて、だから、お盆にはアニメ『日常』の「阪本さん」のぬいぐるみが鎮座していました。↓。
不思議とこの地球儀が回らなくなると、カワクリもうまく回らなくなるというジンクスがあり、たとえば長年、
2トップを務めていた受付の岡田さん&吉田さんの「Wおめでたい理由」退職とかがそうでした。大変な1年でした。
その地球儀が、やっと直って帰って来ました。↓。
今は予約時間通りに外来が回らなくて、2・3時間待ちが当たり前になっていたので、新患をストップしていますが、
やっと、1時間待ち位で回るようになりました。少し、様子をみて大丈夫そうだったら、新患の受付を再開します。
地球儀も戻って来たし、世はクリスマス・ムードだし、カワクリもほんの少しだけ、クリスマス色を出してみました。
まずは、入り口横の衝立に、アニメ『化物語』のクリスマス・メッセージ・カードを2パターン貼りました。
これは、5人のヒロインが、クリスマスに関して、寄せ書き風に一言コメントをしています。↓。
羽川翼の場合は、①「何でもはあげないわよ。あげたいものだけ。」
②「ホワイトクリスマス、にゃんちゃって!」。
戦場ヶ原ひたぎ、①「ヒイラギの葉は、武器になる」
②「サンタクロースより待ち遠しい人がいる。」。
ハ九寺真宵なら、①「『メリー苦しみマス』って奴、それ自体 苦しくないですか?」
②「あげる側の人になりたいですね!」。
神原駿河ならば、①「私達が注目すべきは トナカイの脚力だ」
②「プレゼントは靴下と交換だ!」。
千石撫子ならば、①「X-mas…Xの部分が ロマンティック。」
②「今年の冬はあったかい。」。
って具合です。このコメント集は、「化物語」を知ってる人は面白いでしょう?。良く出来ていますよね!。
一方、「化物語」を知らない人には、なんのこっちゃ?、でしょうね。まぁ、世の中の事象は全てそうですね。
カワクリではツリーは飾らないので、クリスマスっぽいフィギュアを所々に配置しています。探してみて下さい。
これは、「デス・ノート」の、夜神月サンタ&L.トナカイ、です。↓。
これは、「かんなぎ」の3人娘が、サンタに扮しています。↓。
「けいおん」からは、まずは、澪ちゃん。↓。
そして、「あずにゃん」。↓。
ヱヴァンゲリオンQは、すごい人気ですね。外来をやっていて、こんなに話題に出る作品は過去になかったです。
それはクリニックに飾ってあるから、とかそういう理由ではないのだと感じます。
なぜなら、「涼宮ハルヒの消失」とか「けいおん」は、ごく一部の人が口にするくらいでした。
エヴァQのすごさは自分が観たという人以外にも、「家族が観た」とか「友人の話では」と言った切り口が多いのです。
都市伝説みたい。それからスタッフも何人かは観てるみたいで、これも異例です。
勘違いしてる人が多いかもしれませんが、カワクリのスタッフが全員、アニメが好きな訳ではありません。
それは、求人の選考基準には入っていないから。だから、クリニックの飲み会でアニメの話題をしても、通じません。
しないけど。
それなのにです。エヴァQには、何人かのスタッフが劇場へ足を運んでいるのです。
僕は、ここにこの映画の人気の高さを見て取りました。
下は、そんなエヴァのキャラ達が、楽しそうにクリスマス・パーティーをしてる光景です。↓。
女子がサンタの格好をするというのは、アイドルの定番でもありますね。
ちょっと古くなりますが、下は2005年の「週刊少年チャンピオン」です。小倉優子がサンタに扮しています。↓。
これには、2枚のトレカが付録で付いていました。1つがこれです。↓。
もう1枚がこれ。↓。
そして、ビンゴカードで当りが出ると、「テレカ」がもらえました。僕は、当てました。それがこれ。↓。
この号には、「ゆうこりんに20の質問」というインタビュー記事も掲載されているのですが、今、冷静になって読み返すと、
これが味わい深い。7年目になる今、一緒にチェックしてみましょう。
たとえば、<好きな食べ物?>「チョコレート」、<もらって嬉しいプレゼント?>「おかし」、<宝物>「ファンレター」
までは良いでしょう。アイドルとして、正解です。
しかし、<今、一番会ってみたい人?>に「ナイチンゲール」、<最近見た印象深かった夢?>に「殺しの目撃者」、
と言った受答えで、雲行きが怪しくなり、ついに、
<座右の銘?>「1にウキ×2、2にルン×3、3・4がドキ×2、5にオホホ」、<好きな言葉?>「フニャニャーン」、
<体調管理で気を付けてること?>「まどをしめてねる」。この辺で、仕留められるのだ。ハッピー・メリー・ゆうこりん。
2008年の「週刊少年マガジン」の中川翔子も異彩を放っている。↓。
巻頭記事『しょこたんのギザハッピー☆クリスマス』でのしょこたんのメッセージを紹介したい。
「みなさん、もうすぐ、クリスマスですねえ。
昨年、この日は部屋で魔女の格好でひとりコスプレをしていました。
愛猫のマミタスにサンタの衣装を着せて写真を撮ったり。
それでネギに火をつけてみたら、意外に火が大きくなってしまい、指にやけどをしてしまいました。」
である。しょこたんは、4年経っても、ファンを裏切らず、同じテンションをキープしている。いや、加速度がついている。
下は、付録のクリスマス・カード。その1。↓。
その2。↓。
抽選で特製QUOカードが当るのだが、これは外れた。
下は、しょこたんのファン・クラブ「ギザぴんく」から贈られてきたクリスマス・カード。2010年のもの。↓。
話がクリスマスになって、ついつい調子に乗りすぎてしまったが、クリスマスと言えば、クリスマス・ソングである。
昔、山下達郎がラジオで「クリスマスの日は、ビーチ・ボーイズのクリスマス・アルバムとフィル・スペクターのクリスマス・
アルバムしか家ではかけない」、と言っていたのを聞いたことがあり、クリニック開院当時は、真似してそうしていた。
ご存知の人は知ってると思うが、この2枚のアルバムは名作なのだが、意外と手に入りにくいのだ。古すぎて。
毎年、クリスマス用のオムニバス・アルバムが企画されて発売されるから、店頭に置くスペースがないのである。
僕はLPしか持っていなかったので、このCDを手に入れるのには苦労した。
結構、大変な思いをして見つけたのだが、多くの反応は、「この季節、どこに行っても、クリスマス・ソングですねぇ」
である。それで、がっかりして、それでも2・3年はかけたかな。ここ数年はもう、かけるのをやめてしまっています。
だから、もう今年は普通です。ジョンの曲が、1つ入っているくらいです。これは、クリスマスというよりむしろ追悼の意味。
さんざん、クリスマスの話をしてきましたが、冒頭で紹介したお役御免の「阪本さん」がどこに行ったか気にしてくれている
方もいるでしょうか?。
「阪本さん」、今、どこにいるかと言うと、診察室のピンクのソファに、「ポケモン」のイーブイと仲良くしています。↓。
ちなみに僕はクリスマスに特別なことはしません。ケーキも買わないし、チキンも食べないし、シャンペンも飲みません。
BGM. 高橋美枝「ひとりぼっちは嫌い」
もうすぐ帰るよ
8/ⅩⅡ.(土)2012 くもり
先日、知り合いの加藤さんに赤ちゃんが出来たから、六本木ヒルズにあるヒステリック・グラマーからベビー服を贈った。
そうしたら、そのお祝い返しに高級なお酒の一升瓶が贈られて来た。
特別な日に呑もうと、ずっととって置いたけれど、今日はジョンの命日だから、今日を特別な日に認定することにした。
そう言う訳で、今朝、家を出る前に、記念撮影してきました。お酒は、今か今かと、僕の帰りを待っているはずです。↓。
僕は平日はお酒を呑みません。
正確に言うと、翌日、仕事がある時は、呑みません。
少しでもお酒が残っていると診療に差し障るというプロ根性と、呑み始めたら止まらないという性(さが)ゆえに。
なので、お酒を呑むのは土曜の夜と日曜日と祝日の前の日だけです。日曜は、朝から解禁です。
好きなビデオを観たり、好きな音楽を聴いて、好きなマンガや詩集や小説を読んで、好きなお酒を呑みます。
あっ、だから基本は家で1人呑みです。
加藤さん、赤ちゃん、元気ですか?。寒いし、悪い風邪が流行っているから気をつけて。お酒は、今日、いただきますね。
ジョンの命日だからビートルズのレコードを古い順からかけて、呑んで、きっと朝には、カラッポになってるでしょう。
BGM. ジョン・レノン「真夜中を突っ走れ」
風邪と選挙
6/ⅩⅡ.(木)2012 少し暖かい
最近は、選挙のニュースが多いですね。
皆さんは、もし自分が選挙に立候補するなら、「何党」から出る、と考えたことはないですか?。
あっ、これは既成の政党ではなくて、自分の「党」を作る遊びです。
砂糖菓子が好きな人は「金平糖(コンペイトウ)」とか、過去の記憶を大切にしたい人は「走馬灯(ソウマトウ)」とか。
大喜利みたいですね。
そう言えば、実際、昔、林家こん平は笑点で自分のことを「こん平党」総裁と呼んでたことがありましたね。
そんな話も楽しいですが、ここのところの天候はひどいですね。そのせいで、風邪が随分と流行っていますね。
昨日・今日の外来でも、随分と風邪の人が多かったです。皆さんは風邪は大丈夫ですか?。
うちの母は、薬剤師の資格を持っていて、僕が子供の頃、風邪をひくと、葛根湯(かっこんとう)を少し多めに飲ませました。
「ちょっと多い方が、すぐ効く!」と言っていました。
僕が以前、勤務していた病院の看護士長さんも、風邪をひいたら「葛根湯を2つ飲むといい」と力説していました。
勿論、部下の看護士さん全員から、「自己流は、駄目!」と反撃を喰らっていました。
ちなみに、その看護士長さんの名誉のために言う訳ではないけれど、その人はとても優秀で有能な人でした。
母と士長さんが同じことを言うのが印象深くて、僕は風邪の季節になると、時々、葛根湯のことを考える癖がついていました。
そんな月日も、つい先日、漢方薬治療の高名な先生とお話しする機会があり、この2つのエピソードをぶつけてみました。
すると、その先生は、「その通り!。風邪の引き始めには、葛根湯を2包づつ、1日6包飲ますといい」と言っていました。
へ~、そうなんだ。母も士長さんの言うことも、ちゃんとした裏づけがあったんだ。基底的な部分で、すごくホッとしたよ。
でも、これは正式な服用方法ではないので、おすすめはできません。
※お薬は、医師や薬剤師の指示にしたがい、用法・用量を守って服用して下さいね。
この流れで話を冒頭の「党」を作る遊びに戻すとすると、僕の立候補する時の政党名は、「カッコントウ」で決まりだな。
本来「カッコントウ」は「葛根湯」と表記するけれど、「トウ」は「党」を使いたい。すると、「カッコン」をどうするかだ。
「カッコン」を「カッコ」と「ン」に分けて、「カッコ」は()を使って、「ん」を「カッコ」でくくろうかな。
(ん)党。
スマートな感じはするけど、政策が何だか判りませんね。
せいぜい、「風邪は大病のもと、早めに治そう!」とか「手洗い、うがいを忘れずに!」くらいか。これじゃ、標語だな。
でも、アントニオ猪木が選挙に出た時のスローガンは、「国会に卍固め、消費税に延髄斬り!」だったんだから。大差ないか。
そういう訳で、皆さんも風邪に注意して、「何党から立候補するかごっこ」をして、選挙を身近に感じたらいかがでしょう。
BGM. よしだたくろう「風邪」
冬の色
5/ⅩⅡ.(水)2011 風邪をひいてる人が多かった
今日は、お花の話です。カワクリには、毎シーズン、季節のお花を贈ってくれる方がいて、ありがとうございます。
今はコレがソレです。クリスマスっぽいですね。あるいは、「紅組代表」って感じですね。↓。
一方、これは今日の診察テーブルのお花、「白組代表」って感じです。応援団長には、「けいおん」のあずにゃんを配置。↓。
そして、これは受付のお花。今年の紅白にたとえれば、美輪明宏。「桃組」です。↓。
去年のブログの「オオトリ」は、心理相談室から徳田さんが高校サッカーのお話をしましたね。
あれから、1年経つんですね。今年も、徳田さんに頼もうかな?。年末恒例にしたりして。
別に面白い記事を書こうとしなくてもいいんだよ。
ホラ、相談室のお花は、その時時に合わせて、徳田さんが自らチョイスして、写メに残してるでしょう。
そのお花たちを並べさえすれば、年の瀬だけに、「紅白歌合戦」のように艶やかに、締めくくれるんじゃないかな?。
もう12月、今年も残りわずかになりましたね。徳田さん?、Ready Steady Go?。
BGM. 山口百恵「冬の色」
親切
30/ⅩⅠ.(金)2012 寒い
今日で11月もおしまい。もう明日からは12月ですよ。
歳を取ると、1年は早いものだと言いますものね。
こないだ、父の歌の本を紹介したので、今日は母にします。
母の誕生日も11月だったから。11月の最後の日に親孝行。
これは、母の最初の歌集「あしたの風」。↓。
僕が中学に上がると僕と兄は東京に住み、母がその面倒を見に来ていたから、父は茅ヶ崎でほぼ1人で暮らしていた。
僕が医者になると、兄はアメリカに留学して、もう父は死んでいるから、母は茅ヶ崎で1人暮らをしていた。
父も母も、1人で暮らしてる時間が長くあった。
1人はさびしかったのかな。僕は1人になったことがないから、わからない。
母は‘1人暮らし’の頃、時々、手紙を寄こしたり、短歌の雑誌を送って来たりした。
それは同人誌みたいなもので、僕もそこに入っていたのだけれど、歌などまるで詠んでいなかったので、
母が僕の名で歌を作っては、勝手に投稿していたものだから、その雑誌には、毎号、僕の歌が載っていた。
僕はあまりそれが気に入らなくて、母を怒ったこともある。
「著作権の侵害だ!」、みたいに。正確には意味が違うけれど、言わんとしてるニュアンスは判るでしょう?。
僕は比較的若くして結婚して、妻がいて、子がいて。
母はどんな気持ちで、僕と妻に手紙を寄こしたのだろう。
封筒の宛名には必ず、僕と妻の両方の名前が書いてあった。
僕は手紙を読んだら、そんな時は茅ヶ崎に帰って、顔を出してあげればよかったのにな。
そう遠くもないんだし。
そして、これが第二歌集にして遺歌集「海桐花さく道」。↓。
海桐花は、とべら、と読みます。海岸に咲く花ですね。
さて、問題です。
この表紙の絵、どこかで見覚えはありませんか?。※正解は、この記事のラストに。
本を開くと、まず始めに「自宅前にて」というタイトルで、母の写真が著者紹介として載っています。
良い表情をして綺麗な訪問着を着て写っているのでこの写真を選んだのですが、
しかし、これは「自宅前にて」ではなく、よその御宅を訪問した時に、その玄関先で撮って頂いた写真なのです。
校正のミス。
この本は、関係者にはお配りしたので、その御宅にも当然、贈らせて頂いた。
きっと、開けて、ビックリされただろうな。だって、自分家が知らぬ間に知人の「自宅」になってるんだから。
あわてて、権利書、確認したりして。なんて、すみません。素人が急いで作ったものなので。失礼しました。
この本の、「あとがき」は僕が書いています。兄がそう言うもので。
母には、もう少し、やさしくしてあげればよかったな、と思う。
でも、もう死んじゃったから、今さら言ってもしょうがないですね。
その代わり、これから関わりのある人には親切にしていこう。
罪滅ぼしというのかな、利己的な理由だけれど。
「人の為」と書いて、「偽り」と読むのは、こういうことを言うのかな。
でも、それで誰かが損をするとか、他人に迷惑をかけると言うのでなければ、責められる筋合いでもないはずだ。
自己満足だって自覚してる分、無自覚な善人よりは無害なんじゃないかな?。完全に開き直りだ。
つまり、なんだな、まぁ、これからは、縁のある人には、出来る限り、親切にしようと思った訳です。
口先だけ、みたいに聞こえるかもしれないけれど、なるべく、そうしようと努力するつもり。
BGM. 大上留利子「嫌われ者の恋」
※文中の問題、表紙の絵の答えは、心理相談室の額縁の絵でした。↓。
父は、にわとり。唯も、にわとり。
27/ⅩⅠ.(火)2012 超、寒い
今日、11月27日は亡き父の誕生日だ。と言うことは、「けいおん」の平沢唯のバースディでもある。
と言うことは、ってのもおかしな言い回しだが。
父は11月生まれだが、亡くなったのも11月。
命日は、11月8日。ちなみに亡き母の誕生日は、11月5日。11月は気忙しい。
父は目医者だったが、臨床の傍ら、よく文を書いていた。短歌なども詠んでいた。
母もその影響で、短歌を詠んでいて、僕にもそれをさせようとしていた。
父は、大正10年生まれで、その頃の人は皆、多かれ少なかれそうだったのだろうが、複雑な背景があり、
北海道や満州などにいて、満州では医大にも通っていたそうで、最終的に真逆な環境の温暖な茅ヶ崎に居を構えて、
僕はそこで生まれ育った。
これが父の歌集で、人生の前半を連想させる「北の樹木」。↓。
これが、人生の後半を連想させる、つまり僕が生まれ育った、「海光る町」。↓。
これらは今も僕の診察室の後ろの本棚に飾ってあり、僕をバックアップしてくれている。↓。
本の手前に「にわとり」型のセロテープがあるのは、父が「にわとり」年だったから。
そう言えば、平沢唯も「けいおん部」の新歓のビラを配る時、にわとりの着ぐるみを着ていたな。
そのフィギュアどっかで、見たぞ。買おうかな。
立川流追善落語会 千秋楽(夜) 立川流誕生後の巻
23(金・祝)/ⅩⅠ.2012 17:00開演
立川談志一周忌 特別公演「立川流 追善落語会」に行ってきた。場所は、よみうりホール。
入り口で、「談志の遺言」という、中は真っ白の、メモ帳を配布された。↓。
追善落語会は3日間4興行、行われ、千秋楽夜の部はオーラスで、
「立川流誕生後の巻」と題され、談志が立川流を旗揚げした後に弟子入りした落語家を中心にプログラムされていてた。
つまり、志らくや談春や談笑が出演する↓。
夜の部は、2階最後尾座席だが、会場全体が見渡せて、ある意味、壮観であった。
昼の部同様、幕が開くと、横一列にズラリとメンバーが深々とお辞儀をして並んでいる。
その光景に会場からどよめきが起こる。
同じく、土橋亭里う馬(どきょうてい・りゅうば)による「一門挨拶」から始まるのだが、夜の部はオーラスだから、
土橋亭里う馬のテンションも上がっていて、メンバー紹介のコールも、まるでプロレスのリングアナのようで、
「ご存知!立川志の輔!でございます!」、「立川…談春!っで、ございます!」、「立川~志らく!で~ございますっ!」と
ヒートアップしていた。会場もそれに呼応する。ただし、何故か立川談笑が不在だった。夜の部に出演するはずなのに。
土橋亭里う馬は、「3日間4興行やりましたが、1度も直弟子21人が揃ったことはありませんでした」と締めくくった。
いよいよ演目。
立川流誕生後の巻。
つまり、談志が立川流を創立した後に弟子になったものたちが登場するのである。
まずは、立川談修。
談修は、専修大学を出ていて、だから談志の談と専修の修で、談修という名前になったのだと言う。
談志のつけた名前のままで、来春、真打ちになる。
今日やる演目の「宮戸川」は3年前に越谷でやった時に、談志に褒められた思い出があるそうだ。
談修は、「談志が弟子の落語を褒めるなんて滅多にないから、悪いことが起きなければいいが、と思っていたら、
それから談志の体調が悪くなった」と言って会場を笑わせた。
続いては、立川平林(たてかわ・ひらりん)。
「新しい師匠の立川談慶とリレー踊りをやる」と言って、「安来節(やすきぶし)」と談志の思い出を語った。
それはもう見舞いには来るな、という状態の時のこと。
平林は、「来るな」ということは「来い」という意味かと考え、談志に「安来節」を観て貰おうとザルとカゴを持って、
病床を訪ねた。
おかみさんと娘さんがテーブルを移動してくれ、「安来節」を踊ったら、談志が「平林、うめえ」と紙に書いてくれたという。
娘さんが「パパ、偉いねぇ!。ひらりん、真打ちにしてもいいね?」と言ってくれたが、談志は肯かなかったと言い、
会場の笑いを誘った。
平林は「安来節」の全国大会で3位になった実績があるそうだ。
「安来節」とは、ドジョウすくいのことである。
平林が下がると、リレー踊りである、師匠の立川談慶が登場した。
談慶は、「1年前23日に死を知ったので私にとっては、今日が命日です」と言っていた。
しくじりの連続だが、唯一、師匠に褒められたのが「かっぽれ」です、と言って「かっぽれ」を踊った。
立川流は、
二つ目昇進には、落語50席と都々逸・長唄・かっぽれなどの歌舞音曲を、
真打昇進には、落語100席と歌舞音曲がテストになるそうだ。
歌舞音曲は直接、落語家とは関係ないように思うが、そういうものに興味や関心を持つという
センスが求められてるのだと聞いたことがある。
立川流の昇進テストを垣間見させて貰った気分だ。
立川雲水は、談志が参議院時代、ただのタレント議員とは違い、沖縄開発庁の政務次官にまでなって、
しかし、わずか36日で辞めさせられたことや、
今でも人気のある長寿番組「笑点」は談志が自分で企画・立案・構成・出演した番組なのに、
3年で追放されたというエピソードを紹介して、談志の正邪・プラスマイナスの両面を語った。
落語は、「ん廻し」。
立川生志は、前座時代に談志に褒められたエピソードを披露。
旅先の旅館でご飯を残したら、仲居さんがおにぎりにしてるのを見た談志が、「いいね!」と言った。
何がいいのかと思って仲居さんを見たら(女としたら)それほどでもなくて、見たらラップが業務用の100mのものだったそうだ。
家庭用は25m。
生志は、談志がラップを「いいね!」と言ったのだと思い、旅館の人に
「あれは業務用ですか?普通に売っていませんよね?師匠が欲しがっているから、お金は出しますので譲って下さい」
と頼んだら、只でくれたという。
帰りの電車で談志にそのラップを見せたら、「エレぇ!お前は本当に見所がある!」と喜ばれたという。
談志は、そのラップを奥さんにも見せて「すごいだろ?100mだぞ」と話していて、
生志は「実はあと2本、貰ってあるんです」と見せたら、
談志は「ナニ?300mか?!」と、ラップ300mで大変に褒められたという話で爆笑を誘いながら、
気がつくと、落語「初天神」に入っていた。
生志の落語は、やはりうまい。
さて、ここで野末陳平先生の登場だ。
立川志らくが司会役を買って出て、
「さぁ、皆さん、ここでしか観れません。野末陳平ショー。立川談志の最後の親友」と盛り上げる。
志らくは、今日のメインはこれだと言い切った。
この後、自分と談春が続けて落語をやるが(それはとても豪華だと思うのだが)、それは又いずれ観ることができる。
でも、野末陳平ショーは今宵限りと煽りまくっていた。
志らくは、ファンが何を聞きたいかを知っていて、野末陳平のどこが面白いかも判っていて、
談志と野末陳平の関係の事も熟知した上で、出しゃばらずに、上手に聞き出すのが、さりげなくて、
これは志らく以外には出来ない仕事だなと思った。
談志と野末陳平はかつてMXTVで「談志・陳平の言いたい放だい」という番組をやっていたことがあり、
これはかのビートたけしをして、「あの番組はひどい。放送禁止用語でも何でも言ってる。あれでクレームが来ないのか?」
と呆れさせたほどの番組だったが、2人は番組収録で毎週、会うという枠を超えて親密だったそうだ。
というのは、その当時、毎日、談志は野末陳平に電話をかけていたという。
そして、毎週、番組収録の日には、1人暮らしの野末陳平のために談志は手作り弁当を作ってあげていたというのだ。
志らくは、「師匠が弁当を作っていたのは知ってますが、中は見たことがありません。どんなおかずが入っていたのですか?」
と、野末陳平の口から具体的な中味を聞き出していた。
確かに、興味深い。
例えば、「鮭」らしい。
志らくは、毎日電話をして弁当も作ってもらう、2人の関係を恋人同士にもたとえ、
そんな2人が大喧嘩をして絶交した時期に関しても、どうして絶交したのか、どうやって仲直りしたのか、お互いどう思っていたのか、
などを鋭く質問した。
当時、志らくは、談志が弟子達に「陳平とは付き合うな!会ったら破門だ!」と言っていたという事実も告白した。
野末陳平によると、絶交の理由は大したことでもないのに談志が怒って、絶交期間は3~4ヶ月続いたという。
しかし、ここからが面白くて、野末陳平は耳が遠いので、普段、家の電話は留守電にしているらしい。
そこに毎日、談志から電話が来るが、談志は留守電にメッセージを残さないから、疎遠なまま。
ある日、たまたま、野末陳平が電話に出たら、それが談志からで、何事もなかったように普通に喋って仲直りになったそうだ。
もし、その時、野末陳平が電話に出なかったら、絶交は続いていただろう、という。
志らくは、「メッセージを残さないのに、どうしてそれが談志だと判るのですか?」と質問すると、
野末陳平は、「それは判るよ。溜息が入ってるんだから。ハ~って」。これには会場が大爆笑になった。
志らくは、「今日は野末陳平ショーです。野末先生、立川流の弟子を、この人はこう、と一言で答えて下さい」とお題を出す。
そのやりとりは以下のように一見、淡白なものだ。
志らく「まずは、志の輔!」、陳平「ガッテン!」。
しばし、こんな調子が続く。
以下のように。
志らく「談春」、陳平「もてそうだな~、うらやましい」。
志らく「談笑」、陳平「ありゃ、デカイだけ」。
志らく「生志」、陳平「ありゃ、なましだろ。なまし」。
志らく「雲水」、陳平「坊主だろ」、志らく「見た目だけじゃないですか」。
志らく「談慶」、陳平「ありゃ、ワコールだろ」、志らく「それは前の名前です」、陳平「ワコールに勤めてたんだよ」。
志らく「志遊」、陳平「あれも坊主だ」。
志らく「キウイ」、陳平「あれ、バーテンじゃん」。
志らく「志らく」、陳平「う~ん、こりゃ目の前にいて言いにくいけど、器用すぎるね」。
志らく「ミッキー亭カーチス」、陳平「ありゃ、外人だよ」。
志らく「立川藤志楼(とうしろう)こと高田文夫は?」、陳平「高田文夫君ね~…」と言葉が詰まると、
いきなり、ご本人、高田文夫がサプライズで登場!
これか、志らくが「今日のメインは野末陳平ショー!」と言ってたのは。
高田文夫は、マイク片手に、右手を高く上げて、笑顔で登場した。
元気そうだ。
志らくが高田文夫に「お帰りなさいませ」と深く頭を下げる。
高田文夫は、開口一番、「こんにちは、桜井センリです」。爆笑。
ここから高田文夫が一気に喋る。
「8時間、心臓が止まっていたんですよ。私のハートはストップ・モーションですよ」。(※桑江知子の歌です)。
「ICUに入っていたんですよ。国際基督教大学じゃないんですよ」。
「野坂昭如さん、死なないね?」。
僕はここで回想する。
僕はずっと野坂先生の具合を心配しているのだけれど、誰とも共通項がなくてさみしく思っていたのだ。
野坂昭如も立川流のBコース(芸能人など)の落語家だ。
さりげなく、名前を出すあたり高田文夫の優しさを感じた。
話を戻そう。
高田文夫は、さっきの志らくと陳平のやりとりが、「実は綿密な打ち合わせをしていたんですよ」とバラして、
「志の輔、ガッテン、なんて練習してるんですから」と泣くまねをする。
すると志らくも「談春は実は、やくざ、って答えるはずだったんですが、野末先生、もてそう、なんて答えちゃって」と笑う。
野末陳平が「高田君、元気になったから、いい気になっちゃって」と返すと、「景山民夫の分まで頑張らないと」と高田文夫。
高田文夫は「早く納骨しないから、勘三郎さんとか染五郎んとこまで行っちゃって。オレんとことか来て」と言って、
まるで談志を見送ってきたような物言いだった。
でも、冗談じゃなくて、そんな気もするから不思議だ。
だけど、高田文夫は「今日、談志さんの追善の会なの?。えっ、そうなの?。円楽さんじゃないの?」とトボケて、
野末陳平の服装を指差して、「それでちゃんとした格好してるの。森光子さんの帰りじゃないの?」とペースは落ちない。
高田文夫が乱入したが、これは「野末陳平ショー」である。
志らくはしっかりそこをわきまえて、談志と陳平の思い出話を聞く。
野末陳平が談志と最後に食事をしたのは、談志が「中華を食べたい」と言うから「維新號」という店に談志の奥さんと3人で行き、
談志は「フカヒレを食べたい」と言って、フカヒレだけを1人で旨そうに食べて、陳平は端っこの方を少し貰ったという話。
野末陳平は、それを思い出して、久しぶりに、談志の奥さんを食事に誘った、というエピソードをしみじみと語る。
すると高田文夫は、「よっ、人情噺!。芝浜!」とからかったり、
「ていのいいナンパ!」と指を差して茶化したりする。
野末陳平は、「もう歳だもん。81だよ」と返すと、高田文夫は「その道は別だからな」と笑いながら腕組みをして上を見る。
野末陳平が、気を取り直して、「だから、フカヒレを食べに行ったら」と言いかけた所で、高田文夫は「オチはあるんだろうな」
と鋭くツッコむ。
見かねた志らくが、「野末先生のいい話が高田先生のせいで全部、台無し。横で見てて、野末先生、泣きそうになってる。
これは人情噺だから、オチはなくていいんです」と一応、話をまとめた。
でも、この話には続きがあって、野末陳平が支払いをしようとしたら、談志の奥さんにとめられたという。
奥さんは、談志が亡くなる前に、「これから陳平さんと食事に行く時はお前が払え」と言われていたと言うのだそうだ。
会場が感動の輪に包まれる寸前、高田文夫が「ていのいいサギ!」と野末陳平を指さして笑う。
志らくが、「野末先生のいい話が全部、台無し」と言ってショーはおしまい。
このスペシャルトークの後に登場したのが、立川談笑。
談笑は、「上がりにくいこと、この上ない」と苦笑して話はじめる。
毎年10~11月は立川流にはいいことがなく、去年は談志、その前が談大、その前が文都が亡くなっている。
談笑は「今年は高田文夫先生かと思ってたら、今日の見たら、今年はモチそうですね」と言って会場の同意を笑いで得ていた。
談笑の落語は、多分、「粗忽長屋」。
多分、と言うのは、オリジナルなギャグで構成された脚色で、オチまで変えてあるから。
しかし、高田文夫復活祭のような、あんなスゴい笑いの後に登場するプレッシャーを払いのけて、大爆笑を得たのはさすがだ。
ここで、中入り。
ロビーは談志や弟子達のDVDや書籍の販売をしていて、こちらも熱気がある。
談志とたけしと太田の対談本が面白そうだった。クリニックに置いておきますね。↓。
中入り後、いきなり劇場に大音量の洋楽がかかり、松元ヒロが登場。
スタンダップ・コメディである。
僕はこの人は何度か観たことがある、いづれも談志の会で。
この人は中々テレビに出れないタレントで、危ないネタをやる。
1度だけ、それこそMXTVの「談志・陳平の言いたい放だい」にゲストで出て、さすがにその時はパントマイムをやっていた。
今、この人は山本太郎などと一緒に反原発のデモに参加したりして、動画サイトでも観れるらしい。
思想的なことは別として、この人の芸を談志は買っていて、ニューオータニで行われた談志のお別れの会で唯一、
ステージで芸をしたのが、松元ヒロだったそうだ。
ちなみに談志はこの人をヒロ松元と、間違えて、呼んでいたらしい。
そして、志らく。
登場するなり、談志のモノマネをしてここには書けない様な危ないことを喋っていた。
「納骨、決まったんだけど、来ない奴がいる。談春。あいつは破門だ」とこの後にオオトリをつとめる兄弟子の名前を出し、
そこで我に返ったか、「すみません、言いすぎました」と謝った。
そして、志らくは
「何をやろうかなと談志師匠の十八番、色々考えましたが、饅頭こわい、という小さん師匠の十八番をやります」
と言った。
エクソシストやエイリアンを連想させるシュールでスピーディーでクレージーな落語で、
会場は観客の絶叫と爆笑が入り混じっていた。
さすが、談志の狂気を受け継ぐと言われる、立川志らくの面目躍如だ。
そして、談春。
「3日間4回に渡り、追善できまして、皆さんのお陰だと、一同、喜んでおります。もう一席、お付き合いをお願いします。
志らくさんを見習って、私も小さん師匠の十八番を」で、会場は大爆笑。
さすが談春ですね。
演目は「棒鱈」でした。
いや~、盛り沢山だった。
でも、2公演を続けて観れて良かった。
高田文夫の復活祭もみれたし。
来て良かったと思った。
下は、会場で貰ったポスト・カード。「人生、成り行き」。↓。
立川流追善落語会 千秋楽(昼) 立川流誕生前の巻
23(金・祝)/ⅩⅠ.2012 12:00開演
立川談志一周忌 特別公演「立川流 追善落語会」に行ってきた。場所は、よみうりホール。↓。
追善落語会は3日間4興行、行われ、今日が千秋楽で昼の部と夜の部がある。
昼の部は、「立川流誕生前の巻」と題され、
談志がまだ立川流を旗揚げする前に弟子入りした落語家が中心に演目を組まれていた。
意外に志の輔は立川流になってからの弟子というイメージが強いが、
正式には立川流を旗揚げする直前に弟子になっているから、こちらのグループに登場した。↓。
幕が開くと、横一列にズラリとメンバーが深々とお辞儀をして並んでいる。
その光景に会場からどよめきが起こる。
まずは「一門挨拶」。
口上と進行は、立川流の新代表になった土橋亭里う馬(どきょうてい・りゅうば)。
立川流誕生前後に関係なく、直弟子全員を入門順に紹介してゆく。
桂文字助、立川左談次、立川談四楼、立川龍志、立川談之助、立川談幸、立川志の輔、立川志らく、立川生志、立川雲水、
立川キウイ、立川談慶、立川志雲、 立川談笑 。
ここまでが真打ち。
そして、二つ目の紹介。
立川談修、泉水亭錦魚、立川平林、立川談吉。
談修は談志が亡くなる前に「真打ちになってもいいよ」と許可をもらっていたが、
談志が患っていたため、真打ちになれなかった。
そこで来春には、真打ちになる、ということがここで発表された。
泉水亭錦魚は立川龍志一門に、立川平林は立川談慶一門に、立川談吉は立川左談次一門になることも報告された。
紹介されたものは、ただ頭を下げるだけで1人1人のコメントはない。
しかし会場からは大きな拍手が起きる。
土橋亭里う馬は、皆を紹介し終えた後、「全員は集まれず、ぜん馬と談春が仕事の都合で欠席です」と伝えた。
談春がいないのはさびしいと思った人は多いようで、会場に一瞬、そんな空気が流れた。
立川流誕生前の巻。
つまり、談志が落語協会を脱会する前に弟子になったものたちが登場するのである。
トップバッターは、立川談幸。
21日が談志の命日。弟子には二日後の23日に知らされた。つまり今日である。
談幸は、今日は「火葬記念日」だと言った。
その日に連絡網が回ってきて、その内容は「師匠が死にました。火葬は済みました」というものだったと言う。
談幸は、「だから今頃は、師匠が焼かれてる頃で、今日の打ち上げは焼肉屋らしい」とジョークを言って会場を笑わせた。
立川流は、芸人なんだから何でも笑いにしてしまおう、という了見なのである。
それを観客も共有している。
談幸の演目は、葬儀にちなんでか、「片棒」だった。
続いて、立川龍志が「家見舞」をやり、柳家小菊という女芸人が色、三味線を披露した。
そして立川志の輔の登場。
志の輔が入門して5ヶ月目で立川流が創立されたと言う。
そして談志はどんどん進化していったと言う。
談志のイリュージョン落語の代表作である「やかん」を志の輔がコピーしようとしたら、
談志に「あれは俺のだから無理だよ。お前のを作れよ」と言われ、「バールのようなもの」を作ったそうだ。
談志に「それいいよ」と言われて自信がついた、と志の輔は言っていた。
僕は「バールのようなもの」を3回聞いたことがあるが(下北沢、渋谷PARCO、赤坂だったと思う)何回聞いても面白い。
当然のように会場を大爆笑させた。
皆さんも面白いから、きっと動画サイトにあるでしょう、観て(聞いて?)みて下さい。
ここで中入り。
ロビーは談志や弟子達のDVDや書籍の販売をしていて、こちらも熱気がある。
その中でも目を引いたのは、12月8日に全国公開される「映画 立川談志」の宣伝だ。
前売り券を売っていた。
「やかん」と「芝浜」の二席を未公開映像も含めて大スクリーンで上映するのだ。
ドキュメンタリータッチでナレーションを柄本明がつとめるそうだ。↓。
中入り後、立川流の内田裕也と紹介されていた桂文字助(白髪を後ろで束ねて、白い顎鬚を生やしている)の
名人横綱・谷風の噺、「谷風情相撲(たにかぜ・なさけ・ずもう)」から始まる。
次に登場したのが、毒蝮三太夫。
とめ役(タイムキーパー)として、立川左談次が相手をした。
毒蝮は、「よくこれだけ入ったね。皆、志らくと志の輔の客じゃないの?お前も頑張れよ」と兄弟子にあたる左談次にそう言った。
毒蝮は、談志が死んだのに、今日はめでたい(自分達夫婦の)金婚式だと言っていた。
今から50年前、昭和37年11月23日に赤坂プリンスホテルで、会費1000円で結婚式。
司会が柳家小ゑん。立川談志になる2年前の‘談志’。
引き出物を出すにもお金がないから、そこで小ゑん(つまり談志)が色々とアイデアを出したそうだ。
入り口で封筒を渡し、封筒の中には「坂本龍馬」「広岡達朗」「宍戸錠」「皇太子殿下」「力道山」などと書いた紙を入れておく。
すると「力道山」を引く人が何人もいて、その人には「ラーメンをどうぞ」と配る。
曰く、「のびたら、おしまい」。
「広岡達朗」を引いた人には「宝くじ」。
「当らない割には買われている」。広岡は打率2割5分くらいのバッターだった。
「宍戸錠」を引いた人には、「器」。
西部劇をやっていたから、「撃つわ、撃つわ」で器。
これは家にあった器を持って来た。
このように金がないなら、アイデアでやるという談志らしいエピソードを披露した。
ちなみに談志の結婚式の司会は、毒蝮と(月の家)円鏡だったそうだ。
これもすごそうだ。
毒蝮の名付け親は談志なのだが、毒蝮は元は石井伊吉という俳優で、「ウルトラマン」ではアラシ隊員の役で出ていた。
当時は役者の方が1枚上という時代で、役者仲間からは毒蝮に変えることを反対されたという。
それでも談志は、「お前は役者は駄目だから、1人喋りをしろ!。毒蝮になれ!」と7年間口説かれたそうだ。
毒蝮は、談志がいなければ俺は今ここにいない、としみじみと言った。
毒蝮は、「談志は大師匠(おお・ししょう)にさえ、ここが駄目だ、と面と向かって言った。そりゃ、陰で言う人はいるよ。
だから一晩、呑みたいような奴ではない」と言って、会場を笑わせた。
毒蝮は最後に客席に向かって胸を張ってこう言った。
「皆さん、談志はすぐそこにいます。(談志が死んで)バラバラになると思った立川流がこうしてまとまったのは素晴らしい。
1日だけでも」だって。
トリは立川談四楼。
談四楼は、去年の今日、今時分、マスコミから「家元が亡くなったという噂がありますが?」という打診を受けていたという。
実は初夏にも1回「死亡説」というガセネタが流れて、家族がとても苦しんだという。
だから、家族を守ろうと「ガセネタです」で通していたが、どうやら本当みたいだという連絡網が回って来た。
しばらくして北朝鮮のキム・ジョンイルが亡くなって、そのニュースも2日間伏せられていたことから、
「独裁者の死は2日間伏せられる」と言って、会場を笑わせた。
談四楼は、1年、兄弟弟子で思い出話をしてきたが未だ語りつくせないと言い、「人情八百屋(にんじょう・やおや)」をやった。
これで昼の部、おしまい。
そして夜の部へと、つづく。
今日はティッシュの話。
21/ⅩⅠ.(水)2012 くもり寒い
今日は寒かったですね。風邪をひいてる人も多かったみたいですね。お大事に。
そして、今日、11月21日は、立川談志の命日・一周忌です。
どっちも、ティッシュが必需品になりますね。そこで、カワクリのティッシュ・あれこれを紹介しましょう。
まずは、入り口近くのテーブルにある「けいおん」のティッシュです。
まだ「あずにゃん」は入部してない時期ですね。↓。
そしてこれは、ウォーターサーバー横の壁の衣紋掛けにぶら下がってるティッシュです。
何かのキャラクターかしら?。
このキャラクターの名前を知ってる人がいたら、教えて下さい。↓。
受付に置いてあるのは、ヤギのティッシュです。
ヤギは紙を食べるから、ヤギの口から紙を取り出すジョーク商品ですね。↓。
心理相談室は、ベーシックに黒のボックス。
手前に見えるカレンダーは、徳田さんのチョイス。今年ももう少しですね。↓。
診察室には、まさにナウですね、ヱヴァンゲリオンのティッシュ・ボックス。
これは観賞用です。使わせません。↓。
診察室で使うのはこちら。最近の僕のお気に入りで、エリエールの「贅沢保湿」というティッシュです。
柔らかいからと、渡部さんが診察室に導入してくれました。しっとりしてて、お肌にやさしく、使った人の評判は上々です。
でも、僕がこのティッシュを気に入ってる理由は、ソレだけではありません。皆さん、その訳を聞いたら、きっと驚きますよ。
それでは、シンキング・タイムです。僕がこのティッシュを気に入っている、柔らかい、以外の理由とは何でしょう?。↓。
さて、僕がこのティッシュを気に入っている「柔らかい」以外の理由とは、正解は、「食べると甘い」です。
ティッシュを食べるなんて、あまり大人はしないから、正解率は低かったでしょうね。
昔は、子供の頃、木の葉や花の蜜など甘いのを吸ったものでした。沖縄の友人は、セミを食べたと言っていました。
いつからか、大人になったらやらなくなるものですね。
と言う訳で、正解は「味が甘い」でした。
BGM. 井上順之「涙」
Q&Q~11月20日
20/ⅩⅠ.(火)2012 くもり少し暖かい
昨日は昼は町田の都立高の校医相談、夜は錦糸町で精神分析の研究会。
そのため校医を少し早目にずらしてもらった。
勝手を言って、すみませんでした。
僕のリュックにつけてあるパスケースは、以前にも紹介しましたが、「ガラモン」です。
「ガラモン」と「ピグモン」は間違いやすいので注意しましょう。
「ガラモン」は「ウルトラQ」に登場するウルトラ怪獣で、セミ人間という宇宙人が操っているロボット怪獣です。
そのぬいぐるみを使い回して「ウルトラマン」に登場したのが友好珍獣「ピグモン」です。
僕は「小さな英雄」という話が好きで、タイトルの「小さな英雄」とはピグモンのことで、これは最終回でウルトラマンがゼットンに負けた後の、大団円の伏線みたいになっています。
「ウルトラQ」は白黒放送で「ウルトラマン」はカラーだったから、フィギュアを見て、どちらかを言い当てるのは難しいです。
下は、一応、「ガラモン」。↓。
町田の学校へ向かう道すがら、リュックに繋がるガラモンのヒモが細く千切れそうになっていたのに気付いた僕は、
<そろそろ寿命だな。町田にはヴィレッジ・ヴァンガードがあるから帰りに寄ってみよう>と思ったのが虫の知らせ。
いつも娘にはリュックの内側にしまってチャックをしめるよう注意されていたのだが、やっぱ他人に見せびらかしたいじゃん、
それが人情ってものだろ、僕は上の写真のようにガラモンをリュックの外に出して歩いていたのだ。
校医相談が終り、神奈中(カナチュー)バスに乗ろうとしたら、ガラモンの姿がなかった。どこかで落としたらしい。
引き返そうかとも思ったが、バスはもう来るし、町田から錦糸町は遠いし、さっきパスモのチャージしたばかりだけど、
南無三、今日のところはあきらめだ。
町田駅、ヴィレヴァンで、パス入れを物色するも、ガラモン・タイプは品切れ、その他、コレというものもなし。
町田からロマンスカーに乗って新宿まで。ヴィレヴァンになければ新宿アニメイトへ行ってみよう。
アニメイトに「ウルトラQ」は期待できないが、Qつながりで「ヱヴァンゲリオンQ」のグッズがあるはずだ。
ヱヴァンゲリオンのパスケースを見つけるも、それはヒモのついていない普通の定期入れだったから、これも見送った。
慌てて買うこともあるまい。
でも、あのガラモンの人形は気に入っていたから、この際、パスモはいいから、人形だけでも帰って来て欲しいな。
昨日は時間がなくて交番に届け出る時間がなかったから、今日のお昼にでも大岡山の駅前派出所に出頭しよう。
町田の落し物を大岡山で申告しても、いいのかな?。警察の横の連携は磐石かな。それとも縄張りとかあるのかな。
そんな事を考えながら、今朝クリニックに着くと、受付の渡部さんから伝言が、町田の高校の先生から電話があって、
学校周辺で「ピグモン」の落し物が発見されたから、クリニックに送りますね、とのこと。
良かった。見つかって。ガラモンの人形に「川原」と記名はしてなかったのに、僕のだとわかってもらって恐縮です。
わざわざ送ってくれなくても結構です。今度、行く時まで保管しておいてさえくれれば。感謝です。今日はついてるな。
正確には、ピグモンじゃなくてガラモンなんだけど。識別しにくいけど、ね。
ところで、11月20日はうちの息子の誕生日。
そこに照準を合わせたのか、今日、奴は「ヱヴァQ」を観に行くと言っていた。
そして明日は、11月21日、立川談志の命日、一周忌だ。
去年、談志が死んだ、と報道されたのは11月24日の朝だった。
談志の死は、弟子達にも知らされず、家族だけで密葬をすませたそうだ。
僕はその訃報を息子から聞いた。
その朝、息子は僕の部屋に走りこんできて、俺を揺り起こし、「談志が死んだよ!」と言った。
<嘘だろ?>と俺が飛び起きると、「11月21日に死んだんだって。あぶね~」と息子は言った。
俺が、<何があぶないの?>と尋ねると、
息子は呆れたような顔をして「そりゃ、嫌じゃん。1日違ったら俺の誕生日だぜ」。
そうか、もしも、談志の死んだ日が1日早い11月20日だったら、俺は息子の誕生日に、
<今日は談志の命日だな>と毎年しみじみ言ってたのかもな。
そりゃ、考えたら嫌だな。そりゃ、確かに、あぶね~、な。
BGM. ガロ「君の誕生日」