「志らく」と「ひまわり」

23/ⅩⅡ.(金)2011 天皇誕生日
よみうりホールに、立川志らくの独演会を観にゆく。年末と言えば、談志が「芝浜」を演じるのが風物詩だが、今年は無理なので、志らくにオファーがあったらしい。そういう経緯で志らくが「芝浜」をやることになったのだが、チケットは発売してすぐに800枚売れ、あと少しで満席だから宣伝しよう、としたところで談志が死んだ。一瞬にしてソールドアウトだって。
志らくは、21日のお別れの会のことを、マスコミはお涙頂戴の場面だけを流して面白い素材を使わない、と裏舞台を面白おかしく喋った。高田文夫の話がさすがに面白かったが、不謹慎なのでここには書きません。
演目は「富久」と「芝浜」。その昔、談志も同じプログラムを30周年記念にやった事がある。
志らくは最後に、「今日は談春兄さんの所に行かないで、こちらに来て下さってありがとうございます」と礼を言った。たしか談春は、浅草だ。


志らくの落語の興奮が冷め遣らないので、映画を見ることにする。新宿で「ひまわり」をやっていたはず。
1970年、米ソ冷戦当時、欧米初のソ連ロケを敢行して撮影された。監督は、ビットリオ・デ・シーカ。ソフィア・ローレンが主役。↓。


第二次大戦で引き裂かれた男女の悲哀を通して、戦争の悲惨さを冷静に描いている。地平線まで広がる海のようなひまわり畑の下には、イタリア人やロシア人の戦死者が眠っているという。ヘンリー・マンシーニの音楽が素敵。
新宿武蔵野館で上映中です。


忘年会2011

22/ⅩⅡ.(木)2011
今日は、クリニックの忘年会。なので、少し早めに終わらせてもらいました。年に1度のことなので。
今回は、カワクリ総メンバー集結です。僕とナースの塚田さん、心理の森国さんと徳田さん、受付の岡田さん&吉田さんです。
場所は恒例の赤坂の料亭「たい家」。受付の2人は、何でもないことでずっとクスクス笑っている。静か~なお座敷だから、何でもないことが可笑しくなっちゃうんだろうね。下は、鯛めし。↓。

X’マスも近いので、クリスマス・ケーキを持ち込むことに成功。吉田さんのお手柄。↓。

6人に苺が5つ。だけど争奪戦にはならず、岡田さんと吉田さんの2人で仲良く1個の苺を分けていた。
しかし、今年は大変だったね、計画停電とかあって。まだ仕事、もう一週間あるけど、お疲れ様でした。
下は、今週のお花アナスタシア。菊の一種だそうです。↓。


写メに乗せて

20才の頃から、親しい友人が、池袋サンシャイン展望台から、写メを送ってきてくれた。↓。

池袋は、映画「けいおん」のスタンプラリーをやってるほど、メッカだからね。
友は「けいおん」は詳しくないと思うんだが(詳しかったらゴメン)、僕が好きなのを覚えていて、送ってくれたのだろう。昔から、さりげなく親切なやつなのだ。彼は、来年の4月にいよいよ開業するらしい。何か僕で教えてあげれることがあったら、手伝うね。
写メと言えば、こないだ僕が、談志が死んで凹んでいた時、スタッフが、自宅のベランダから見た風景を送ってくれた。↓。

綺麗だな。僕は、これを見て、ちょっと元気になったのです。
写メに乗せた仲間の心根に支えられて、日々を送っているわけです。


自由

20/ⅩⅡ.(火)2011 くもり
友達の友達から、贈り物が届いた。抱っこしても手が届かない程、大きな箱だが、中味は軽い。サンタの風船だった。
受付の岡田さんの説に従うと、空調やエアコンなど風のそばは駄目なので、廊下においておく。↓。

すると、風船だからフワフワと移動して廊下を回遊している。
診察の合間に、扉を開けたら、そこにサンタがいて、今日一日で何回も、ビックリした。

心理の徳田さんは、相談室の扉の曇りガラス越しに、フラフラとサンタが通る影を何度か目撃したという。
まったく自由な奴だぜ、サンタクロース。


ちかごろの事

2011年12月中旬、今年もあとわずかになりましたね。デスク周りを綺麗にしてみました。↓。

フィギュアBOXも、「つげ義春選集」を出して、「俺の妹」フィギュアや「ハルヒ消失」棚を作る。↓。


つげ義春は、診察室の本棚に移した。そばに置いておきたかったから。↓。



机のお花の‘けいとう’は生命力があってさ、新しいつぼみを出してきている。↓。

今年ももう少し。寒い冬だけど、がんばる。


映画「けいおん」を観る

12/ⅩⅡ.(月)2011 くもり
今日は、都立高の校医相談。今年オーラスという訳で、教育庁からも2名、来られてカンファレンスをした。皆、熱心だ。
学校に関わる仕事をしていて、<この子は病院に行った方がいいな>と思うケースがよくある。でも、実際には、病院にかかるような‘症状’がないから、本人も親も教員も‘医療’という発想が出ないみたい。
病気になる前に行けばいいのにと思うし、病気でなくても生きづらさや誰にも言えない悩みがあったら、精神科やカウンセリングへ行くという社会の筋道みたいなものが出来ればいいのにと、よく思う。もっとも、現状では精神科や心療内科はそういう人たちを受け入れるだけの余力がないから、しょせん理想論なんだけどね。だけど、少年犯罪のニュースとかみると、心が痛む。
帰りに新宿へ出て、映画「けいおん」をみる。「何故、けいおんが好きなんですか?」とよく聞かれるが、それは登場人物が誰一人として傷つかないから、です。
下は、新宿ピカデリーにあった巨大ツリー。↓。

池袋地区や新宿&渋谷エリアではスタンプ・ラリーをやっていて、映画館やアニメイトやタワーレコードなどを回ると記念品をくれるらしい。↓。


映画は、面白かったが、細部に判らない箇所があった。多分、始めて観る人には分かりやすいが、目の肥えた人が観ると実は深い!なんてカラクリがあるんじゃないかな。一回では、わからないや。
リピーターには何回か観たら景品をくれる。下は、半券を貼る台紙。↓。

完全にコンプリートするには24回行くことになっている。さすがに、それは無理かな。
下は、期間中、ロッテリアでくれるバッジ。↓。

映画は、平日だけど、結構混んでいました。僕は、あと2回だけ行きます。決めとかないと、キリがないしね。


クリスマス気分~映画「けいおん」公開記念号

6/ⅩⅡ.(火)2011 朝は雨、午後から曇り
どこで買うかによって特典が異なるから、何かを買う時は迷うものである。3日、封切りの映画『けいおん』の前売り券もそうだ。
誰かはアニメイトで買ったと言ってたし、誰かはTSUTAYAで買うと言っていた。僕は、TBSショッピングで購入した。
特典は5人分の(5種類の)お面とでっかい横断幕だ。こう言っちゃなんだが、共通項は「過剰」だ。
お面は、一度、徳田さんに被ってもらったきり、使う術なし。横断幕は、思い切って診察室に貼ってみた。↓。

もしも診察室の椅子に座ったら、斜め右後方に有ります。普通に座ってたら、視界に入らないのでご心配なく。
「けいおん」関連のグッズは色々あって、全部、貰ったものですが、一部、紹介しましょう。
あっ!こんな風に言うと、何か要求されてるように思われる人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。頂き物はご遠慮してるので、皆さん、お気持ちだけで。
下は、色紙。↓。

裏は、こう。↓。

これは、デニーズのコースター。↓。

クリスマス、つながりで澪サンタ。↓。

街は、クリスマス気分ですね。カワクリも、「けいおん」以外にも、ちょっとクリスマス・テイストを織り込んでみました。
下は、「かんなぎ」の三人娘のサンタ姿。↓。

下は、「デス・ノート」のクリスマス・バージョン。↓。‘夜神 月’がサンタで、‘L’がトナカイ。

待合室に流れるBGMは、今年はクリスマスっぽい曲は入れません。
去年、「今どき、どこへ行っても、クリスマス・ソングばかり」と嘆く意見が多かったから。
僕が、高校生の頃、FM放送で山下達郎が「クリスマスの日は、ずっと、‘フィル・スペクター’と‘ビーチ・ボーイズ’のクリスマス・アルバムを家で流してる」と聴いてから、30年くらい、ずっとそれをマネしていて、去年はクリニックでも、‘その2枚’を流したのに、「今どき&どこでも」のクリスマス・ソングと一緒にされて、軽くショックだったから。
その放送の何年後かの夏、山下達郎は「メロディーズ」というアルバムを出して、そのB面のラストに「クリスマス・イブ」が入っていた。
僕らは、<こいつ、何、夏にクリスマス・ソング出してんの?>って笑ったが、その何年後かに東海道新幹線の「クリスマス・エクスプレス」のCMソングに起用されて、それがいわゆるバブルの時期で、恋人とクリスマスをどう過ごすかと、馬鹿たちどもが馬鹿騒ぎしてた頃だから、何年か遅れでこの曲は大ヒットした。その頃の僕の仕事は、浮かれてる奴ら一人一人に、<あの歌、夏に出した歌なんだぜ!>ってネガティブ・キャンペーンを張って回ることだった。どっちもどっちだ。
「けいおん」の映画はとても混んでるそうなので、少し経ってから、ゆっくり観に行こうと思います。
券2枚あるから、2回観れる。それとも、誰かを誘おうか。


花だより

 相談室のお花を連続でご紹介します。
ⅰ.スタンダード
スタンダードって大切、と思って9月にひまわりを見つけたのがコレ。

ⅱ.マーガレット(白い花)
お花も夏よりは長持ちするようになってきたようです。

ⅲ.ガーベラ

このガーベラ、今は一輪だけ残っているのを、
岡田さんが小さい花瓶に移してくれていて、まだキレイに咲いています。


猫 VS チェック

 久々におじゃまします。とくだです。 
 少し前の話だけれど、スリッパを新しくした。
今までどの季節もナースシューズだったから、
これからは季節毎に替えてみるのも楽しいかもしれないなと思う。
赤とか3色くらいあったけど、何となく緑を選んでしまった。
クリニックの色のイメージで、自然と緑を選んでたんだな、きっと。

先生のあの猫のスリッパに対抗して、私はチェックに!


粋な別れ

30/ⅩⅠ.(水)2011
11月もおしまいですね。
11月は、父と母の誕生月であり、父の命日があり、息子の誕生日もあり、色々と物想う月であります。
去年は猫のミーちゃんが家出して、今だ帰らず、今年はとうとう談志が死んだ。
いつも僕は思うのだが、日本の葬儀というのは、何故にあんなに家族がしみじみ出来ないシステムになっているんだろう。
僕が大学2年の時に父親が死んで、それがテストの直前だったが、僕の学友たちは大勢弔問に駆けつけてくれた。
試験前なのに、友人の父親の葬儀を優先するなんて、立派なやつらだ。皆、良い医者になっていることだろう。
僕の父は胃癌で死んだので、家族にはそれなりの心の準備が出来る時間があったのだが、いざ死にました、
と言われても、僕にはリアリティーが湧かなかった。
友達が来てくれたのは、お通夜だったが、僕は着慣れない喪服に黒いネクタイなんかを締めていたから、
まるで仮装して友人をお出迎えしてるみたいで、照れくさくって、ちょっとハイ・テンションになっていたのだと思う。
「チャップリンのマネしてる欽ちゃんみたいだ」、なんて思われたらやだな、とか思ってた。
今思えば、こんな時にそんなこと考える奴はいないよな。オレ以外には。
友達は口々に「そんなに無理に明るく振舞わなくていい」と言い、
中にはそんな僕の姿に感情移入して勝手に泣いてる奴もいた。
僕より年上の友人は、「お前は、偉いよな。オヤジさんが亡くなったのに、悲しい様子を見せないで」と労ってくれた。
しかし、僕は本当に実感がなかったから、<いや、本当に悲しくないんですよ~>と軽く(明るく?)答えたら、
「ハ~、だとしたらお前は、何て冷たい男なんだ」と呆れられた。
うちの父は顔が広いから(別に面積が広いわけではない)色んな人がたくさん遅くまで弔問に集まってくれた。
父は眼科の開業医をしていたから、父の患者さんたちも来てくれて、涙を流して、お線香をあげてくれる。
それに一々、頭を下げるのである。喪服の黒ネクタイで。忙しいったらない。しみじみなんかしてる暇もない。
さすがに夜中になったら、皆、帰るだろうと思っていたら、父の棺桶の安置されてる部屋で酒盛りが始まった。
父の死を嘆き悲しむ人達だった。結構の数いたな、早く帰ればいいのに、と思った。
明日は、焼き場で焼かれて骨になっちゃう。今宵が最期だ。父と対話もしたいし。
でも、僕は思った。
この人たちは今日、ここでこれをしないともう機会がないけど、僕はいつでも今日のことを思い出せるから、
今日のところは譲ってやろうと思った。多分、母も兄も同じ思いだったのではないだろうか。
僕は、父の書斎に入り、圧倒的にそびえ立つ本棚たちの中にいた。
父は、眼科医のかたわら歌人でもあったから、本はたくさんあった。
そんな本棚の隅に不釣合いな物体を発見した。
それは、家庭用のカラオケの機械だった。
父は音痴で、昔、医師会の忘年会で出し物をしなくてはならなくて、僕がドリフの歌を教えてあげたことは
前にもブログに書いたが、(2011年4月「子に習う。」です、良かったら読んで下さい)、
そんな父が何故、カラオケの機械を持っていたのか僕にはピンと来た。
父は、大正生まれなので、医学生の頃、戦争があって、家族とは離れて、北海道や樺太や満州に渡り、
知らない土地で大病を患って、敗戦後、東京に戻り、自分より一回りくらい下の学生にまざって、
1から医学校に入り直したらしい。
詳しい事情はよく知らないが、戦争中の単位はノー・カウントになったからだそうだ。
父は、家族愛みたいなものをあまり知らなかったからか、家族や親戚をとても大切にした。
しかし、大切に仕方を知らなかったようで、自分は医院を休まず働いて、親戚達一向にお金を出し旅行に行かせた。
実際に父がお金を払ってる場面を見たわけではないが、そんなことは子供でも判る。
僕が東京の中学に入ると、茅ヶ崎から通うのが大変だと、兄と僕を東京のマンションに住まわせ、
結局、母が二重生活をするのだが、結果はほとんど東京にいて、週末に家族で茅ヶ崎に帰るという具合だった。
僕が高校生の頃、家族で父の先輩のお宅に遊びに行ったことがある。
そこは眼科の大きな病院で、父はそこの見学が主目的だったのだ。
僕はその家のことを今でも鮮明に覚えている。
堂々とした風格で優しそうなお父さんと、気が利くお母さん、チャーミングなお姉ちゃんに、
社交的なお兄さんの4人家族で、まるで「絵に描いたような」家族だった。
そして、そこの家では夕食の後、家族でカラオケをするのである。
招かれた我々は、度肝を抜かれた。マイクを回されたからである。
父は音痴、母もこういうのは苦手で、兄は自分の殻に入ってしまうから、仕方なく僕が、ドリフの「いい湯だな」を歌って凌いだのである。
向こうの家族は、心からの笑顔で拍手して、一人づつからお褒めの言葉をいただいた。
僕はそれ以来、人前で歌を歌うのが嫌いになったが、父には「家族団欒」=「カラオケ」って
インプットされたのかもしれない。ちがうのに。
それで、僕らが学校に行ってて1人で家族のために働いて茅ヶ崎で淋しく過ごしてる時に、
ふとカラオケを購入したのかもしれない。
カラオケの機械の横には、カラオケのソング・ブックがあった。↓。


通夜の宴会は、終わることをしらない。
僕はだらしなく酔っ払った大人たちの騒音に、<チッ!>と舌打をしながら、パラパラと本をめくった。
これには、索引があって、「あ・い・う・え・お順」に歌が並んでいる。
よく見ると、そのタイトルの上に、父の手によるものだろう、鉛筆書きで丸印がしてある。
おそらく父が好きな歌なのだろう。
しかし、おそろしく丸印が少ない。
僕は、「い」のページで目と手が止まった。
二つ、丸印が並んでいる。
一つは、ドリフの「いい湯だな」。これは僕があの家で歌った歌だ。
その隣は、石原裕次郎の歌で、「粋な別れ」だ。↓。


僕は、「粋な別れ」のページをめくり、歌詞を音読した。父からのメッセージに思えた。
『生命に終わりがある 恋にも終わりがくる 秋には枯葉が小枝と別れ 夕には太陽が空と別れる
誰も涙なんか流しはしない 泣かないで 泣かないで 粋な別れをしようぜ』
にぎやかな宴の音を聞きながら、僕は、ふるえていた。
BGM. 石原裕次郎「粋な別れ」