就職

22/Ⅲ.(木)2012 はれ、暖かい
こういうご時勢だもの、就活は大変そうですね。
服装とか髪型もちゃんとしないといけないんでしょう?、大変だね。
バンバンの「『いちご白書』をもう一度」では、
就職が決まると髪型をちゃんとしなくてはいけない、と言った趣旨の事を歌っていましたが、
平成になって24年も経つというのに、そんな慣習がまだ残っているんですね。南無三。
思い出すのは、昔、NHKの「YOU」という若者番組に白井貴子がゲストで出演していて、
「就職」がテーマの回で、白井貴子が就職面接にTシャツにGパンで行ったら、
面接官に「あなたは何故、スーツを着て来なかったのですか?」と質問され、
<私自身を見て欲しいから!>と自信満々に答えたら、
面接官に、「就職面接とは、TPOに合わせた格好が出来る人物なのか、も見るポイントなんだよ」
と諭されたという話をしていて、僕はすこぶる嫌な気分になったのを覚えている。
僕が、高3の頃かな。今でも、思い出せるよ、あの嫌な気分。
白井貴子は当時、自分のジャンルを「ロック」と言っていたからね。
<ロックが、TPOに合わせるか?>とテレビに向かって文句を言ったよ。
まぁ、別に白井貴子が悪い訳ではないんだけれど。
この番組は、少なからず、後々の僕の人生に影響を与えた。
今から10数年前かな、僕は児童・思春期の治療をしたいと思った。
日本では数少ない児童・思春期を専門にやっている伝統のある病院に、
ちょっとした縁があり、面接を受けられるチャンスをもらった。
そこは、「行きたいです!」と言って、おいそれと行けるような病院でもなくて、
一応、公的な病院なので採用されると公務員の扱いになるし。
精神科の部長さんとの面接は好感触だったが、
「あとは病院長との面接があるから、そこでしくじらないように」と助言された。
その時、さっきの白井貴子の面接官のセリフが、
バンバンの「『いちご白書』をもう一度」のBGMに乗って、
僕の脳裏をかすめたのである。
そこで僕がとるべき行動の正解は、美容院に行って髪を染める、であった。
その病院には患者向けの病院報があり、そのタイトルが『みどりの〇×』だったので、
僕は、髪の毛の色を緑色に染めることに決めた。
だけど簡単に緑に染めると言っても、黒髪を緑にするのは結構大変で、
ブリーチでまず脱色して、髪が白っぽくなったら、その上に緑色の染料を塗るのである。
まだ、初音ミクなんていない時代だった。
そうやって、病院長との面接に挑んだ。
「病院」と「美容院」って、響も似てるしね。
病院長は、「何故、あなたはそんな髪の色をしているのですか?」
と紳士的に尋ねられた。
僕は健康的に<病院のイメージカラーにしてみました!>とさわやかに返答した。
さすが、そういう病院の病院長ともなると器が大きいもので、
「そういうセンスは、子供向けでいいですね」とうなづいて、見事、僕は合格した。
合格すると今度は、職員向けの会報誌に、同時期に採用されたメンバーと一緒に、
アンケート形式の同じ質問に答える自己紹介記事が載るのだが、
その最後の質問が「あなたのモットーは?」というものだった。
僕は、‘モットー’ってのも死語だな、と思いながら、ふざけて、
<いや~ん、モットー!>と書いて提出した。
なんと、それは検閲をパスして、そのまま刷られて全職員に配布された。
僕は、器の大きい病院だな、と感心した。
さすがに怒られるかな、と思ったけれど、ちゃんとチェックしなかったのかもな、係の人が。
そんな採用面接の思い出でしたが、実は今回、カワクリにも新しい人が入りま(す)した。
受付の仕事量も残業時間も増えて来たので、人員を補充した訳です。
新しい仲間が、心理も含め、2~3人増えそうです。よろしくお願いしますね。
詳しくは、あらためて紹介します。
アンケート形式の自己紹介記事にしようかな。
勿論、最後の質問は、「あなたのモットーは?」で。
下は、今週のお花、白と黄色のチューリップ。ういういしいでしょう?。↓。

BGM. 戸松遙「motto☆派手にね!」


徳島のひと

21/Ⅲ.(水)2012 はれ、風が寒い
絵の上手い子がいて、その子が何でも描いてくれるというので、『化物語』の‘戦場ヶ原ひたぎ’さんをリクエストした。下が、それ。なかなか、ツンデレ感が出てて、良いのではないでしょうか。↓。

知らない人のために、‘戦場ヶ原ひたぎ’さんとは『化物語』に登場する体重が5kgしかなく、ホッチキスやカッターナイフなどの文房具をいつも護身用に身に潜ませている、複雑な過去を持ったツンデレの女子高生であります。
『化物語』は西尾維新という人の小説で、強烈なキャラクターの登場人物の会話で物語が進行してゆきアニメ化もされ、今期のアニメでは、『偽物語』という続編が放送された。『偽物語』は、『化物語』の主人公の阿良々木暦(あららぎ・こよみ)の妹たちファイヤーシスターズに焦点を置き、色々なメタファーで「偽物」と「本物」を描いている。
アニメイトでは、3月25日まで「青春はほんものを探すための戦いだ!ファイヤーシスターズを探し出せ!」と題した企画をやっている。アニメイト店内にあるファイヤーシスターズのPOPを探し、そこに掲載されているQRコードを読み取ると「ほんもの」か「にせもの」か判別できる。そして、見事、「ほんもの」を見つけると携帯待受画像がゲットできるのだ。
僕は新宿のアニメイトで、これに挑んでみたが、なかなか「ほんもの」は見つからず、7回連続で(7ヶ所という意味)「にせもの」だった。
それは、こんな感じだ。↓。 
 火憐「金は全てじゃない――ほとんどだ!」  
 月火「そんなの、言葉の上だけのも・・・・・・ふう」  
 このファイヤーシスターズは「にせもの」でした・・・。 
 「ほんもの」のファイヤーシスターズを探せ!
そして、やっと8ヶ所目で「ほんもの」を見つけた。それは、こんな感じ。↓。
 火憐「ごっこじゃなくて正義の味方だよ、兄ちゃん」 
 月火「正義の味方じゃなくて正義そのものだよ、お兄ちゃん」 
 【ほんもの】のファイヤーシスターズ発見!!
ちなみに新宿のアニメイトは地下1階と3階まであり、多くの人が携帯電話を持って、店内をウロウロしていた。
僕が、「ほんもの」を見つけた場所は、3階のコスプレ・コーナーの片隅だった。
僕はいつも思うのだが、アニメイトがこういうフェアの時に必ず、「全国アニメイト各店で開催!(徳島店を除く)」と、徳島店だけを除くのは何故なんだろう?、ということ。逆に行ってみたいよ、徳島店。
昔、ビートたけしが、「プロ野球中継で一部の地域を除いて放送を延長します、って言うの、あれ、一部の地域に住んでたら嫌だな」とギャグで言っていたのを思い出す。そんなアニメイト徳島店。
ちなみに、下が特典の待受画像。↓。右が、小さい妹の月火(つきひ)で、左が大きい妹の火憐(かれん)。

徳島の人に、愛をこめて。


勉強会 ~つつじヶ丘メンタルクリニック篇~

 久しぶりにおじゃまします。とくだです。
 今日は、先日参加した勉強会について。
 この勉強会は、つつじヶ丘メンタルクリニックの菱沼先生が、
心理の人も薬について知っておくとよいのではと企画してくださったので、
川原先生のご配慮もあり、その会に私も参加させてもらえることになりました。
 今回はつつじヶ丘メンタルクリニックでの開催らしく、
他のクリニックを見学できる機会はあまりないので、それも楽しみ。
普段とは違って、色々アウェーだけれど、興味深いテーマ。行ってみたい!と思ったのでした。
 菱沼先生については、川原先生からも何度かお話しをうかがったことがあって、
その様子から私の中のイメージは、とても誠実で臨床にも
真摯な先生なんだろうなという感じを抱いていました。
その菱沼先生にも直接お会いできるのと、さらに今回の勉強会では、
うつ病治療における薬物についての研究では第一人者である
(これも事前に菱沼先生が教えてくださったこと)
朝倉幹雄先生のお話しを伺えるとのことで、それも楽しみに参加しました。
 当日、つつじヶ丘メンタルクリニックに着くと、菱沼先生が院内を案内してくださいました。
実際にお会いした菱沼先生は思っていたよりもお若くて爽やかな先生。
きれいで清潔感のある院内。菱沼先生カラーかもしれないと思いつつ、
普段カワクリにいると、だいぶ印象が違う・・・!
診察室や処置室があって、スタッフルームも広くて、スタッフの皆さん同士、
くつろいで過ごせそうな感じ。
クリニックを作るっていうのは、個性が出るものなんだなぁと思っていたら、
川原先生も「没個性的だな、性格が出るな」と言っていました(苦笑)。
でも、そんな菱沼先生のクリニックにもスタッフルームには、菱沼先生のものという、
ガンダムのプラモが。。。なんだかそういうのを見ると親近感(笑)がわきますね。
 菱沼先生のところの心理の方々も揃っていて、勉強会が始まりました。
朝倉先生のお話は、『抗うつ薬は何に効いているのか』というテーマ。
私は、内心すごく緊張していました。心理の勉強会とはちょっと赴きも違うだろうし、
医学的な基礎研究ということは難しいお話で、まったくわからなかったらどうしようという思いだったので。
でも、始まってしばらくすると、不思議なもので、段々と朝倉先生の話に引き込まれていきます。
難しい専門用語とか、いわゆる教科書的な話しではなくて、とてもわかりやすいのです。
なるほど、なるほど!みたいな気分になりました。
でも、内容としては、とても難しい話で、今説明は、、、できない。
ただ、身にはなったと思う。本当に。(これじゃあ胡散臭いけれど、本当に・・・)
 朝倉先生という先生は、プレジデント誌の名医5名にも選ばれたことのある先生だそうで、
さすがスゴイ先生のお話はわかりやすく、私がこんなこと言うのも恐れ多いのですが、
研究者であり、臨床家である先生なのだと感じました。
実はそういう先生は少ない中、朝倉先生はそういう先生、
ということを菱沼先生も話していらっしゃいました。
そういう先生なら、強面のちょっととっつきにくい先生かと思いきや、
とても感じの良い先生で、それもあり、終った後のお食事会では、
アウェーでありながらも調子に乗って、この際だから、と色々と質問をしてみたのですが、
それにも気さくに答えてくださいました。朝倉先生、ありがとうございました。
 ちなみに、お食事会は、近くの焼肉屋さんへ。菱沼先生セレクトの素敵なお店。
そこで、菱沼先生のところの心理士さん達ともお話しができました。
普段はカワクリは心理は一人体制。森国さんとも直接お話しできる機会も少ないものです。
以前学会でお会いしたり見かけたりしたことのある心理士さん達だったのですが、
ゆっくりとお話するのは初めてだったから、それも新鮮でした。
色々と仕事の話も出来て嬉しかったです。
   
 菱沼先生には、このような会を開催してくださって、とても感謝しています。
この場を借りてではありますが、ありがとうございました。
 また勉強会ができたらいいなと思いました。
長くなりましたが、先日の勉強会について、でした。
 
 
 


3・11

11/Ⅲ.(日)2012
なかのZEROホールにDAYS  JAPAN主催特別講演会『3・11から1年』を、高校の時の友人と聴きに行く。
開会の前に、「DAYSが伝えた2011」と題したスライドショーが流され、講演会の始まり。いわき市民放射能測定室「たらちね」の鈴木薫さんの現地活動報告がまずあり、次いで上杉隆(自由報道協会代表)がメディアの姿勢について、その後は広瀬隆(!)の40分に渡る熱弁を聴く。休憩をはさんで、DAYS  JAPAN編集長でもある広河隆一の講演があった。夜の7時から9時半まで行われた。
DAYS  JAPAN4月号増刊号『検証 原発事故報道 あの時 伝えられたこと』は中々、読み応えがある出来栄えだ。↓。
Amazonの売り上げでも、1位になったそうだ。

「運命の1週間 2011年3月11日~17日」の東電・保安院・官邸他からの発表と、テレビ(NHKと民放)、新聞、Twitter&ブログの記事を時系列で横並びに載せ、それを「検証」して行くのである。

3・11の事故直後から1日くらいにはこれらに差はあまりないが、多分それは、最初は慌ててて、情報がそのまま出てしまったからなのだと上杉隆は言っていた。日が経つにつれ、差が浮き彫りになる。
こういう一大事の時に、巷の噂に惑わされるな、とよく言われるし、僕もそう思っていたものだが、一概にそうとも言えず、勿論、意図的にそういうものを選んで掲載されているのだろうが、今になって判ったことも沢山あり、そういった目で初めの1週間をレトロ・スペクティブに見直すと、当時の政府発表を受けたテレビや新聞の報道より、結果的に巷の噂的なTwitterやブログの記事の方が「正しかった」りすることもあるのだ。何を信用したらいいのか、受身的じゃ駄目なんだな。大変な時代だなぁ。


食中毒?

4&5/Ⅲ.(日)&(月)2012
ここのところ寒暖の差も激しく、そこに来て同窓会やOB会や立川談志追悼会やUFC観戦など色々とイベントも重なって、免疫力が低下してしまったのか、4&5日にかけて、「食中毒」みたいになって大変だった。
それは、酷い消化器症状で、脱水になってはイケナイ、とポカリスエットをガブ飲みするのだけれど、それもすぐに戻してしまう。だから、また飲んで、また戻して…の繰り返し。まるで、インドの修行僧の‘荒行’みたいだ。
奥さんが心配して、「病院に行く?」と聞いてきたが、僕は意識が朦朧とする中、猫のミーちゃんが毛玉がお腹に溜まると草を食べてワザと吐いて毛玉を出していた映像が頭に浮かび、僕もミーちゃんを見習って‘荒行’で毒素を吐き出し、後は安静にしていたら、二日目の午後には全快した。
僕は、よほど仕事向きの体をしてるらしく、年間を通じて滅多に風邪などひかないが、まれに寝込むときはゴールデンウイークや年末年始などだ。今回も、そのようなもの。4&5日は、丁度、日・月だったので、クリニックは休診日で、診療に穴をあけないで済んだ。とは言え、5日(月曜)の校医相談は、ドタキャンしてしまい、日程を変更していただき、ご迷惑おかけしました。関係者各位の方へ、この場をかりてお詫びいたします。
でも、おかげさまで、もうすっかり大丈夫で、むしろ‘荒行’の効果で体調が良くなって、いい形で今週のスタートがきれました。
下の写真は、受付の子が用意してくれた、今週のお花、チューリップ。もうすぐ、春ですね。↓。

BGM. ザ・ビートルズ「ゲッティング・ベター」


野球部OB会

3/Ⅲ.(土)2012
数日前のブログの記事にも書いたが、こないだの大学の同窓会で、
僕が1年の時の野球部のキャプテンと遭遇し、キャプテンは獨協高校の卒業生で、
僕にしたら高校&大学&野球部と3つの先輩にあたる人物で、
なかば強引に(って言い方もないな。訂正、親切に)誘われて野球部OB会に参加することになった。
場所は、渋谷セルリアンタワー。
土曜日は外来なので、遅刻して合流。こういう会はちょっと遅れて行くくらいが大物っぽくて丁度良い。
…って、発言が小物っぽいですが。
テーブルが幾つか有り、一番奥が初期のメンバーで、順々に年代毎に輪になっていた。
だから、入り口から入ったら知らない顔ばかりだった。
僕は、知ってる顔を探して歩いて行ったら、結局、一番奥のテーブルに行き着いた。
皆様、威厳がある。僕が1年の時の幹部達だ。下は、当時の写真。
尚、プライバシー保護のために先輩方の顔にはゴリラのシールを貼っておく。↓。


僕は、諸先輩方に挨拶がわりに、先日の「しょこたんファンクラブ日帰りバスツアー」で撮った
中川翔子とのツーショット写真を見せびらかした。
先輩方の口からは、
「お前、何やってんだ?」「まだ、こんな事をしてるのか?」「誰だこれは?」「知ってるぞ、‘ひょこたん’だろ」
などと鈍い反応が返って来た。
しかし、いくら何でも‘ひょこたん’はないだろう。
‘ひ’と‘し’の区別がつかないのか?江戸っ子か?。
それでも空気は温まり、そのうち先輩方の口からは、
「俺は、理解できる」「俺には、川原の気持ちがわかる」「俺も、実は○×のファンなんだ」
「もしAKBに会ったら、紹介してくれ」などと一部、訳のわからない発言もあるが、
結局、皆アイドル好きで、盛り上がった。
僕が1年の時の文化祭で野球部は喫茶店を模擬店として出し、
僕はそこで歌謡ステージのようにアイドルのアテブリをした。
下が、当時の模様。曲は、多分、早見優の『急いで!初恋』。↓。


「川原君?」と今までとは異質の声のトーンで呼びかけられた。
それは、僕が1年の時の野球部のマネージャー(女子)だった。
彼女は、当時、看護学校の2年生で、マネージャー(女子)とはいえクラブの先輩だった。
僕は彼女にずっと本を借りっ放しで、その本は今も部屋の本棚にあるから、
それを見るたびに、今でもマネージャー(女子)のことを思い出していて、
でももう返す機会もないだろうなとずっと思っていたから、再会できてビックリした。
彼女は、「ここのテーブルの人しか判らないわ」と言い、
「でも、みんな、変わらないね」と当時と変わらぬ笑顔で言った。
マネージャー(女子)は、
「川原君は、うさぎ?」と年を聞くから、僕は<とら>と答えると彼女は驚いて両手で自分の口を隠し、
「うさぎかと思った…。年上なんだ…」と絶句していた。
僕は浪人してるからね。
下が、当時のマネージャー(女子)とのツーショット写真。
尚、プライバシー保護のためにマネージャー(女子)の顔にはうさぎのシールを貼っておく。↓。


結局、僕は最後までのことは言い出せず、バレたらどうしようとビクビクしていた。
今、考えれば、これから返せばいい、だけなのだが。
ここまでだと、あまり野球部っぽくないですね。
そこで、野球をやっていた写真を紹介しましょう。
下は、僕が1年の時の東医体(東日本医科学生総合体育大会の略)、場所は仙台。
僕はサードの控えで、隣に写ってるのがサードのレギュラーのY先輩。
Y先輩は、我が道を行くタイプで、今回のOB会にも来てなかった。
きっと、我が道になかったのだろう。
尚、プライバシー保護のためにY先輩の顔にはラクダのシールを貼っておく。↓。


下は、僕がレギュラーをとった頃の春合宿だ。
寒かった。ユニフォームの上に、HAKKAのトレーナーを着て遠投をしてるところ。↓。


僕はこの頃から、野球に飽きて顔を出さなくなり始めた。
幹部達は、そんな僕に責任を持たせるために、僕を副キャプテンに指名した。
でも、その作戦は裏目に出て、
僕は<なんかそういう手はこすいな>と思って、先輩達の厚意を裏切った。
僕は、子供の頃から飽きっぽくて、色んな習い事をやったがどれも長続きしなかった。
中学でブラバンに入ってホルンをやるが3年の途中で飽きて、打楽器に転向。
それも結局、飽きてやめてしまった。
飽きてやめるのだから、やめ方も中途半端で、どれもフェイド・アウトだった。
それでも、大学の野球部の人達はやさしくて僕が卒業をする時には、
「追い出しコンパ」に呼んでくれた。
卒業アルバムにも、野球部として写真を載せた。
ユニフォームが新しくなっていたので、後輩のを借りた。
写真撮影だけだから、サンダル履きのままで撮った。↓。


そんな僕でも、今の仕事だけは飽きずにもう20年以上もやっている。
だから、もし、「自分は何をしても長続きしなくて駄目だ…」と思ってる人がいたら、
何か自分に合うものが見つかれば、きっと長続きするので、
そんな風に悪く自分を決めつけない方がいいと思う。
夢中になれるものなんて、一生のうち、1つあればいいんじゃないか?
人生、長いしね。
人生は野球みたいなもの。
野球は9回ツーアウトからだよ。
まぁ、そんなことはどうでもよくて、今宵は懐かしい人達と逢えて楽しかったです。
それも偏にこの会に誘ってくれた、キャプテンのお陰です。
山田さん、ありがとうございました。
BGM. よしだたくろう「Have  A  Nice  Dayー天然色写真編」(フジカラーCMソング)


UFC JAPAN と もう1つの戦い

26/Ⅱ.(日)2012
世界の総合格闘技で一人勝ちをしている「UFC」がついに日本に上陸した。それを観戦に行く、さいたまスーパー・アリーナ。
アメリカ本土の放送時間に合わせるために、日本での試合開始は朝の10時だった。僕は、前の晩、徳田さんと寿司屋で呑んでいたから、起きるのが大変だった。寿司屋の話しは、後にするとして、まずは「UFC」である。
正直言って、僕は「UFC」のことをあまり気に入らないのであるが、本場のオクタゴンをそのまま持ってくるみたいだし↓、

つまり、名物リングアナや↓、

ラウンド・ガールもそのまま来るし、↓、

それに馴染の日本人選手も沢山出場するし、批判するためには観ておかないと何も言えないし、つまりこの位、理由を重ねないと、自分を肯定できないほど、僕は「UFC」に否定的な立場なのである。
今の「UFC」は、合理的なマニュアル化された戦略が必須で、選手の個性が活かされてなくて、つまらないのである。
もっと言えば、そもそも総合格闘技そのものの礎は、アントニオ猪木の一連の異種格闘技戦からスタートしたと言っても過言ではなく、それをリアルタイムで観続けている我々日本人の目は肥えている。騒ぎたいために集まる客層向けのアメリカンなエンターテイメントに満足できるかな。喩えれば日本のプロ野球は好きだげど、メジャー・リーグは面白くない、みたいな雰囲気に近い。
だけど、去年くらいから、日本のプロ野球でも、「S」と「B」と「O」の表示の順番をメジャーに揃えて、「B」「S]「O]の順番になっていて、ビックリというかガッカリした。
「巨人の星」や「ドカベン」で、野球を覚えた世代からすると、緊迫した場面の表現は「9回裏、二死満塁、カウント、ツー・スリー」だろう。それを「カウント、スリー・ツー」なんて言われると、普通に<三振じゃん>と突っ込んでしまうぞ。あれ?喩えたら、かえって判らなくなってしまいましたね。…よくあるんだ、僕には、そういうとこ。
そんな「UFC」は超満員でパンフレットも完売で買えない人もいたみたい。クリニックのフィギュア棚の脇の本棚にあるので、興味のある人は見て下さい。↓。

結果、「UFC」はどうだったかと言うと、悔しいが、面白かったのである。奴らは、図に乗って、また年内に来るらしい。今度は東京ドームかな?。調子、こいてんなぁ。どうせまた朝早いんだろうから、近い方がこっちは有り難いけど。…って、もう行く気になっていますが。
ところで、前の晩の土曜日は、外来が珍しく早く終ったので、徳田さんと奥沢の寿司屋に寄った。そこで僕らは、「UFC」に勝るとも劣らない、もうひとつの戦いを繰り広げたのである。
発端は僕で、<‘涙’というのは人間の‘喜怒哀楽’のどんな感情でも出るでしょう?。人間の心の奥底には雑多な感情がオリみたいに溜まっていて、それが日常生活の中で色々と悪さをすると仮定しよう。だとするなら、‘泣く’という行為はとりあえずは良いことなのではないか?。なぜなら、‘涙’が意識下に沈殿するオリみたいな感情を、活性炭の役割のように吸着させて除去してくれるから>、みたいな話しを振って、そこから話題が展開して、<このマンガの最終回は必ず泣ける、とかってのない?>って話しになり、だったら、<お互いにそういう話を言い合って相手を泣かせられるか勝負をしよう!>と僕が挑んだのである。徳田さんは、それを受けて立った。
まさに「UFC」前夜にふさわしい、戦いの火蓋が切って落とされた。ルールは(泣ける話)で自分が泣いたら+3ポイント、相手を泣かせたら+7ポイント、がゲットでき、ポイントの合計得点が多い方を勝者とする。
結果は、徳田さんの圧勝で、彼女が+21ポイント、僕が+3ポイントだった。つまり、僕は自分で話して1回泣き、徳田さんの話で3回泣き、彼女は僕の話にビクともしなかった。因みに僕が自分で話して泣いたのは、「ジャイアント・ロボ」の最終回である。
だけど、今考えたら、僕の方がたくさんお酒を呑んでいたから、涙腺が緩みやすいというハンディがあったな。ハンディ・ポイントとして、熱燗1本を3ポイントとしたら「サブ・ロク、ジューハチ」で18ポイントゲット。合計+21ポイント!あっ、同点だ。
徳田さんには、後日、「UFC」にはちゃんと間に合ったと報告をしたら、「ちょっと、心配してました」と喜んでくれた。そこには勝者の余裕が見え隠れしていた。次回、リベンジを果たすべく、ネタを仕込もう。
泣ける話、募集しようかな。


けいおん、実写化?

21/Ⅱ.(火)2012
岡田さんが前髪をおでこのところでピンで分けて留めていたから、僕が<唯ちゃんみたいだね>って言ったら、彼女の反応は「?」だった。僕が<けいおん、の平沢唯だよ>と説明したら、岡田さんは、「けいおんの?アハハ!」と声だけで笑った。
「けいおん!!」で平沢唯が、卒業写真を撮る前に、自分で前髪を変な風に切ってしまい、仕方なく工夫して前髪をピンで留めてた時と似てるんだ。
そんな昼下がり、クリニックに大荷物が届けられた。「平沢唯のほぼ等身大パネル」だった。これは読んで字の如く、唯ちゃんのほぼ等身大のパネルなのである。今は、そういうグッズが流行っているらしい。
クリニックの心理相談室とか処置室とかのある通路に設置してあります。良かったら、グルっと回って、見て下さい。
カワクリに来れない人のために、どのくらい「ほぼ等身大」なのか、相談室の徳田さんの代りに置いてみました。↓。

ね、ほぼ等身大でしょう?。
そう言えば、「けいおん」がAKB48とかSKE48やらで実写化になるという噂を聞いたのですが、本当でしょうか?。
「けいおん」のファンの反発は必至だろうが、AKBとかのファンは嬉しいのかな?


平成中村座~追悼疲れ

20/Ⅱ.(月)2012
立川談志追悼公演、落語立川流 In 平成中村座を観に、Aを誘ってゆく。
Aとは、この1月に立川志の輔の落語に行き、その帰りに「くじら」を食べて、
今度、こんな機会があったら「どぜう」を食べようと約束していた。
平成中村座は、浅草にあるので「どぜう」を食べるには持って来いで、まさか、こんな早くにそんな機会が来るなんて。
(2012年1月『志の輔らくご in PARCOを観る』を良かったら読んで下さい)。
僕は、前々日の同窓会で大騒ぎしたから声がかすれて、晩年の談志のようで、まさに立川談志追悼にピッタリ。
同窓会で出会った友人から情報を集めて、落語終了後のお店も大体、目星をつけておいた。
僕は番傘の新しいのが欲しかったので、Aを早目に誘い出して、買い物に付き合わせるのを口実に、
せっかくだから浅草見物を楽しんだ。下が、僕が買った番傘、陰干しをしてるところ。↓。


Aは浅草は中学の遠足以来だと言って、機嫌も良く、揚げ饅頭をおごってくれた。
Aはプレーン味、僕は胡麻味にした。仲見世通りを歩いて、浅草寺にお参りに行こうということになるが、
その手前に‘かつらや’があり、Aはそこの店の前で、
このあいだ中国の女の子が長い黒髪をバッサリと切って売っている番組をみて、
かつらにするには人口毛が高く売れるのだとというテレビから得たウンチクをかつらやの前で話し出し、
僕はちょっとだけヒヤヒヤした。別に、Aは何も悪くないんだけどね。なんとなくね。
浅草寺でお参り、僕はAに<いくら入れる?>と聞くとAは50円玉をこちらに見せた。
「ご縁があるように」ということだそうだ。
僕は、ポケットの小銭を探したら、5円玉はあるが、50円玉はなかった。
語呂だけから言えば、僕の5円玉の方が「ご縁がありそう」だが、今どき、5円はないな、と思い、
100円玉と一緒に5円玉を賽銭箱に投げ入れた。合計105円、消費税みたいだ。
参拝をすませ、おみくじを見つけたから、<おみくじ、する?>って聞いたら、
Aは正月に‘大凶’を引いたから、もうコリゴリと断った。
Aの引いた大凶の内容というのは「あなたは外見ばかりを気にして、本質を見ていない!」というものだったそうだが、
それなら全然、気にする必要ないよ。僕がAを知ってるよ、Aは上っ面じゃなくて本質的な人物だってことを。
<だったら、そのおみくじが間違ってるんだよ>と僕が言うと、Aは「そういう発想はなかった!」と気を持ち直していた。
平成中村座は、中村勘三郎が昔の歌舞伎小屋をイメージして再現したもので、隅田川のそばにあり、
スカイツリーがすぐそこにそびえ立っていた。
談志と勘三郎は仲が良く、そのよしみで談志追悼の落語会にこの場を貸してくれたのだろう。
この日の立川流のメンバーも志の輔こそ(病欠)だったが、落語は、談笑・志らく・生志・談春と揃い踏みで、
おまけに最後にこのメンバーに高田文夫と中村勘三郎が加わって座談会をするというから豪華だ。


おそらく大衆芸能のレベルから言えば、歌舞伎は落語の数段上だろうから、
ここで落語が出来るのは記念というか名誉なことなのだろう。
さっきも言ったが、平成中村座は当時の歌舞伎小屋を再現した仮設小屋なのだが、
座談会で志らくは高田文夫が楽屋に入るなり第一声、
「なんだよ、ここは避難所みたいだな」と言ったということを中村勘三郎の前でバラした。
この一言のおかげで、有難みという名の肩の力がフッと抜けた。
高田文夫は志らくに向かって「シーっ」ってポーズをしてたけど。
座談会は談志の思い出話を語るのだが、そこは師匠の言いつけ通り、
芸人がしみじみしてどうするとばかりの、暴露合戦だった。
やはり、こう並ぶと志らくというのは飛び抜けて談志イズムを継承している不謹慎さだった。
勿論、ここで言う不謹慎とは褒め言葉である。
僕が、一番、不謹慎だと思ったのは、志らくが談志の下ネタにまつわるエピソードを話したあと、
談春が「今日は、ご家族もいらっしゃるんだから」と志らくをいさめると、
高田文夫が「ご家族じゃなくて、ご遺族!」とつっこみを入れた瞬間、
中村勘三郎が会場に響き渡る大声で膝を叩いて大爆笑していたことである。勘三郎、不謹慎だなぁ、と思った。
終った時間も結構、遅かった。高田文夫が「そろそろお時間で」と言っても、
勘三郎が「もう一つ、話して良い?」って伸ばしていたから。
夜通し、ずっと話していたそうだった。勘三郎、いい人だなぁ、と思った。
昔、談志が、ここでチンポコを出せと言われて出せるかどうかで人間性がわかる、と言っていたことがあり、
たけしや上岡龍太郎は出す、鶴瓶は言わなくても出す、勘三郎も出す、と言ってたのを思い出した。
昨年の11月に談志が死んでから、色んなテレビの追悼番組を見たり、弟子達の落語会に行ったりして、
今日はそのオーラスのようだ。中味の濃い、面白い、決して湿っぽくない明るい会だったが、そうは言っても、追悼の会。
終わると同時に僕はどっと疲れてしまった。
僕らは「どぜう」を食べに行くはずだったが、終演も遅かったし、浅草は店の閉まるのが早いし、
帰れなくなるのも困るので、取り敢えず渋谷まで銀座線で出ることにした。
Aは、地下鉄の中よく考え事をする、などと話していたが、僕は疲れて頭が呆っとしている。
<何、食べようか?>と僕が言い、「ここは虎ノ門」とAが言い、地下鉄が僕らのテリトリーに入って来たことを告げる。
<渋谷でどこか店、知らない?>と僕が聞き、「何を食べたいか?」とAが聞くから、僕は少し考えて、<ピザ>と答えた。
Aは、「ピザ?そりゃないでしょ」と言い、ここは自分がしっかりしなきゃいけないと思ったのだろう。
今日の志らくの演目の『疝気の虫』から、その噺の中でラーメンを食べるというアドリブがあるのだが、
それを例に出し、恵比寿に塩ラーメンの美味しい店があるからそこに行こうという。
Aは過去に3回その店に行ったことがあり、4回迷ったことがあるから、店に辿り着けるか不安だと言ってはいたが、
やはり人間というのは相方が頼りにならないとしっかりするもので、
底力と言うのか、潜在能力の発揮と言うのか、母性本能と言うのか、一発で迷わずに店に着いた。
Aは、ここの店はおごってくれると気前の良いことを言い、
塩ラーメンの旨い店だと聞いていたから塩ラーメンを注文した。
「トッピングは?」とAが聞くから、僕は<メンマ>と答え、「ビールは?」と言うから、じゃ、ビールもご馳走になろう。
Aは海苔をトッピングしていた。でも、トッピングって、ピザみたいな響だな。
ラーメンを食べながら、一昨日の同窓会の話をしたら、Aは楽しそうだと感想を言って、
自分はそういうのには絶対に呼ばれないと断言した。
<俺もずっと呼ばれなかったけど、年とると呼ばれるよ>と軽く答えたら、「いや、それはない」とAは口をつぐんだ。
僕は僕の知らないAの暗黒時代に思いを馳せるのだった。
Aは、「明日休みだったらよかったのに」、と言って手を振って別れた。
休みだったら、カラオケでその頃の歌が聞けたかな?。


同窓会

18~19/Ⅱ.(土)~(日)2012
2月の始めに「大学の同期会」をやるとの葉書が来た。
<随分と直前に連絡をよこすものだなぁ。それで、人、集まるか?>と思って、同期の友人Wに連絡したら、
「その日は、大学全体の同窓会があって、その葉書は、二次会のものだ」と教えてくれた。
言われてみれば、去年の年末に大学の同窓会のお知らせが来ていた。
返事を出さずに、放っておいた。
Wは、それから仲の良かった友人や女子にも連絡をして、「この際だから皆で、
同窓会に出よう」と話しをまとめた。
Wは、同窓会事務局に問い合わせ、僕が出欠の連絡を出していないが、出席できるように手配をしてくれた。
Wは、元々、頭のいい奴なのでこのくらいは朝飯前だ。
今の仕事も成功しているみたいだ。
場所は、都内の一流ホテル。僕はWに<何を着ていくの?>と尋ねると、
Wは「スーツ」と答えた。
僕はスーツを持っていないから、
<襟のついたシャツと高級なGパンならいいかな?それだと入れてくれないかな?>と
質問した。
それというのも、以前、有名なレストランに招待されたことがあり、草履で行ったら、
お店に用意してあるブカブカの靴に履き替えさせられた苦い体験があるから。
でも、店に靴が用意されてるということは、結構、草履で来る人が多いってことだよな。
なんだよ、偉そうに、大して旨くもないのに、味の違いわかんねぇよ。
それは舌の問題か?、失礼しました。
するとWの返事は、
「どんな格好でも、大丈夫。ただ、俺はスーツで行く。
医者って格好とか気にする奴いるじゃん。それが面倒くさいから。ホテルはGパンでOK!」
とお墨付きを貰ったので、
僕はミック・ジャガーが上半身裸でズボンのポケットに手を突っ込んでいるプリントTシャツの上に、
白地に淡い花柄のシャツを羽織り、腿の辺りに音符が描かれてるGパンを履いて、
靴は履きなれない靴を履くと必ず靴ズレするからいつものスニーカーがカラフルだからそれでいいと、
コーディネート終了。
同窓会は土曜日なので、外来が終ってから行くので、遅れて合流することに。
先に着いたWから「今、どこ?」とか
「何線に乗り換えて、何個目」とか
「何番出口から出て、橋を渡って右の建物」とか
「入ったら守衛がいるから‘○○の間’はどこか聞けばいい」とか
一つづつミッションが送られてくるので、
僕はそのナビに従って会場に向かった。
実際、僕は何ホテルでやるのか知らなかったから。
正確に言えば、‘知らなかった’のではなく‘知ろうとしなかった’のだけれど。
途中、Wに<皆、何着てる?>ってメールをしたら、「全員、スーツ」と返って来た。
ちょっとだけ<帰ろうかな…>と弱気になったが、
忌野清志郎が山口百恵と三浦友和の結婚式に招待された時
(清志郎と三浦友和は高校の同級生だったから)にGパンに革ジャンで行った、
と何かで読んだのを思い出し、勇気を出した。
会場に着くと、首から提げる名札を渡され、
誰だか判る目印にするのだろう、首からブラ提げた。
すぐにW達の待つ場所に合流し、そこにはMやVもいて、少し遅れてT君も到着した。
皆で会うのは10年いや20年ぶりくらいなんじゃないか?
僕はワインを駆けつけ3杯、すぐに皆と打ち解けた。
食事がバイキング方式になってるので、グラスと皿を持って会場をウロウロしていると、
「川原君、変わらないね」と色んな人が声を掛けてきてくれた。
皆、懐かしそうに、嬉しそうな顔をしている。
卒業してから20年以上経っているのだ、僕の見た目が変わらない訳がない。
おそらく皆が言いたいのは、
こういう会にもこういう格好で来て偉そうにしているところが変わらない、ということなのだろう。
そして、そのことに対して、皆、好意的もしくは寛容であった。
僕は好きだった女の子の何人かと一緒にツーショット写真を撮らせてもらった。
大事に保存するつもりだ。
いきなり背後から大声で、
「キャーボー!」という声がして、振り向くまもなく、スリーパーホールドを極められた。
勿論、愛情表現である。
僕のことを「キャーボー!」などと呼ぶ人間は限られている。
それは野球部でだけ使用されていた僕の愛称だったからだ。
「川原坊や」が「キャーハラ・坊や」に転じて、「キャーボー」とあいなった訳である。
声の主は僕が1年の時の4年生のキャプテンだった。
「元気か?何だ、お前その格好は?今度の野球部の謝恩会は来るのか?相変らずだな、キャーボー!」と
矢継ぎ早に脈絡のないことを言われ、僕も矢継ぎ早に
<元気です。ミック・ジャガーです。謝恩会の返事は出してません。皆にもそう言われました>と
質問の順番通りに答えた。
僕は新歓コンパで酔い潰れてキャプテンのアパートに泊めてもらい、
翌日には風呂にも入れさせて貰った恩義があり、その時のことを感謝して、その舌の根も乾かぬうちに、
<でも、水風呂で冷たかった>と文句を言った。
するとキャプテンは「すまん、追いだき機能がなかったんだ」と頭を下げた。
しかしキャプテンになるような人はやはり器が違うのだ、翌日に僕にメールをくれ、
野球部の謝恩会に参加できるようにしておいたから、
いついつの何時にどこどこホテルの‘何の間’に来い、
と手配してくれていた。
仕方ないから、行くことにする。
…仕方ない、って言い方も失礼だな。
訂正、喜んで参加する。
二次会は同じホテルの上の階で各々の学年ごとに同期会をするのだ。
そもそも、これが冒頭の葉書の正体なのだ。
違う大学に入局したために、同窓会に来ていないO君を呼ぼうと意見が一致した。
メールで<おいでよ>と出すが、
O君は「俺は同窓会名簿に入っていないから」と言うので、
<二次会は名札を返しちゃってるから紛れ込んでも判らないよ>と返信した。
すると、O君は「○○ホテルに行ける様な服じゃない」と遠慮するので、
<俺とかVはGパンだよ>と説得すると、
O君は「俺は作業着みたいなズボンだ。ホテルは遠慮しておくよ。3次会に呼んでくれ」と
寂しいことを言う。
O君が好きだった女の子も来てるんだし、服装ごときを理由に辞退するのはくだらないことさ。
そこで僕は、Vに僕の格好を写メに撮らせ、
その際、丁度、帽子とマフラーと手袋が一体となってる防寒着を着て来てたので、
それは豹柄で帽子には豹のように耳が付いていて、その方がインパクトがあるので
(つまり格好なんて関係ないよ、というメッセージ性が強いので)、
その写メを添付してO君に送った。
その効果は抜群で、O君は二次会に合流した。
呼んどいて言うのもなんだが、本当に作業着みたいな服だった。
しかし、O君は僕の格好を見て安心したから来たのではあるまい。
そこまでしてくれる旧友への男気として駆けつけたのだろう。
じゃなきゃ、普通の神経で、○○ホテルにあんな格好で来れまい。
あれ?俺、矛盾したこと言ってるか?。
下が、O君の男気を稼動させた写メ。↓。

僕らは学生時代は馬鹿騒ぎをする方で、
たとえば学園祭などでは、ステージで各クラブごとに出し物をする恒例があるのだが、
そういうステージに乱入したりして楽しんでいた。
学園祭実行委員会は当然ながら進行を妨害するものを排除したい。
そのため、柔道部とかの屈強な奴らが警備に当たっていて、
彼らとは何度か衝突したことがある。
そんな因縁もあり、我々はお互いを煙たがり、距離をとっていた。
同期会では、そんな柔道部の一人が
「おぉ、川原。相変らずだね。まぁ、一杯やれよ。何呑んでんだ?ワインか」と
俺の持ってるワイングラスにワインを注いだ。
普通、ワインというのは、チマチマとグラスの半分位づつ入れて呑むものだと思うのだが、
奴はワインをグラスにナミナミと注いだ。
相変らず、嫌な奴だな。
俺は、そう思いながら、グラスを一気に呑み干した。
すると、奴はビックリした顔をして、「お前、何、やってんの?」と言った。
俺は、<つがれた酒は一気に呑まないと>と理由を答えたら、奴は苦笑しながら、
「俺な、実は、そういう体育会系のノリ、苦手なんだよ」と耳元で囁いた。
僕らは顔を見合わせて、どちらからともなく笑った。
昔のことは恩讐の彼方に、我々は20年以上の歳月を経て和解した。
時は魔法使いのようだ。
さっきも言ったが、二次会は名札がないので誰が誰だか判らない。
しかし、同期なら判らないのは失礼である。
ところが僕は同級生の顔と名前を覚えるのが苦手なのである。
正確に言えば、覚えようとしなかったのである。
以前、山手線の中で、
「もしかして、川原君だよね?俺、○×だよ!」と声を掛けられたことがあるが、
誰だか判らなかった。
彼は必死で、
「俺、○×だよ!一緒に、海外旅行に行ったじゃないか?」と言われて、ナントナク、そんな人いたなぁ、
と思ったくらいで、たいそう、相手をガッカリさせた前科がある。
だから、二次会は危険だ。
向こうはこっちを知っている。
しかし、こっちは向こうを知らない。
さらに、それを向こうにさとられてはいけない。
そこで僕が考えた作戦は、
僕の近くにMを配置し(Mは僕がそういう人間だと知っている)、
<もし誰かが俺に話しかけてきて俺がそいつを誰だか判らなかったら、‘コマネチ!’ってたけしのギャグをやるから、
そうしたら自然に『おぉ、×○じゃないか、元気?』と小芝居をして、さりげなくそいつが誰だか俺に教えろ>
と仕込んでおいた。
結果、俺は二次会中、ずっと‘コマネチ!’、‘コマネチ!’と言い続けていた。
平成24年2月のサタデーナイト、
おそらく日本中で一番、‘コマネチ!’と叫んでいたのは自分だという自信がある。
自負と言ってもよい。
しかし、僕の失敗はそばに配置しておいた人間の人選ミスで、
Mは俺が‘コマネチ!’、‘コマネチ!’という度に、
「わかんねぇ~」とか「俺に聞くなよ~」とか言って、
Mは俺と同じくらいクラスメートの名前を知らなかった。
そのせいで、僕は後輩にペコペコ頭を下げて逆に恐縮されたり、
先輩に横柄な態度をとって呆れられたりする始末。
学年毎に、分かれてるといっても、
そこはアコーディオン・カーテンみたいなもので仕切られてるだけだから、結局、入り乱れるのだ。
そうは言っても、印象的な人たちもいて、たとえばヨット部の1個上の3人組の先輩(女子)は、
「たつじ、元気?アンタ、何、やってんの?相変らずねぇ。T君も来てる?」と矢継ぎ早に脈絡なく話しかけられ、
僕も矢継ぎ早に、
<元気です。あなたたちと話しています。皆にそう言われます。どっかにいますよ、連行しましょうか?>
と質問順に答えた。
3人組の先輩(女子)をそこに待たせ、Mを誘って、T君を探しに各階・各部屋を回っていった。
T君は、僕らのグループの一人で、ヨット部のキャプテンだった人だ。
ちなみに僕はヨット部の幽霊部員でもあった。
僕はさっきO君に送った写メ用の豹の帽子付きマフラーを被ったままの格好で歩き回っていて、
最初に入った部屋が運悪く、一回生の集まりの部屋だった。
さすがに一回生は10歳とか20歳とか年上の人達だから、知らん顔して退室しようとしたら、
そのマフラーが怪しがられた。
一回生たちは、何か妙なものが入って来たと僕とMを取り囲んだ。
今、考えれば、帽子を脱ぐだけで随分違ったのだろう。
「ちょっと、待て!お前は誰だ!何回生だ?何科の医者だ?それより医者か?名刺を出せ!」と
矢継ぎ早に脈絡のないことを言われたので、
僕も矢継ぎ早に
<待ちます。川原と言います。何回生かは思い入れがないのでわからないです。精神科です。名医です。名刺は明日、作ります>
と質問順に答えた。
ここはもう腹をくくるしかない。
‘居残り佐平次’にでもなったつもりで、口からデマカセなことを言って、適当に先輩方をおだてたり、
<上品なネクタイですね。万引きですか?>などと軽口を叩いてるうちに、
「面白い、気に入った」などと認められ、
握手を求められたり、ハグされたりして、最後は胴上げまでされる始末。
何とか無事に逃れることが出来た。
もしも同じ様なことが起きた時のために、アドバイスをしましょう。
このように沢山の偉い人に囲まれたら、瞬時にその中で一番偉そうな人を見分けて、
その人だけをターゲットにたらしこみましょう。
一人で大勢と喧嘩をする時には、その中で一番強そうな奴だけを倒しに行け、
という喧嘩の極意に通じるものがあるでしょう。
しかし、僕とMにはまだT君を探す仕事が残っている。
3人組の先輩(女子)を待たせているのだから。
あっさりと、次に開けた扉の向こうにT君の姿があった。
僕は、
<T君!探したよ!先輩が逢いたがってるよ!一回生、最悪だったよ!早くおいでよ>
と腕を引っ張ると、
T君は丁度、その部屋の集会でスピーチをしている最中だった。
なるほど、だから、T君だけ立っているのか、と納得した。
そこにいた人達は驚いただろうな、いきなり豹を被った男が無遠慮に侵入してきて、
しみじみと思い出にふけっているT君を拉致しようとしたのだから。
しかし、T君はキャプテンともなるような人間だから器が大きく、僕の扱いにも慣れているから、
うまく僕をいさめて、スピーチを続けた。
しばらく僕はT君の隣に立って、テーブルの奴らのことを見回したが、知ってる顔はいなかった。
T君は、結構、感動的な話をしていたから、僕は空気を読んで、
<じゃ、T君!下にいるからね!皆さん、お邪魔しました~!ご歓談をお続け下さい~!
じゃぁね~、また見てね~!バハハ~イ!>
とか言って、その場を立ち去った。
部屋の外のソファにMが座って待っていた。
Mは、一回生の部屋で懲りたらしく、この部屋には入ってこなかったのだ。
Mよ、虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。
T君は間もなく、下に降りて来て、3人組の先輩(女子)と再会し、僕にも、
「さっきはサンキューな。あの乱入のおかげで場が盛り上がったよ」と、
明らかに嘘だと判る、お礼を述べた。
ホテルの会がお開きとなり、僕はWとMとVとO君とT君の6人で、女子を誘って3次会に行った。
普通の居酒屋の奥の座敷だったが、僕はこの辺りから記憶があやしい。
色んな人に逢って懐かしかったし、Wのはからいで来て良かったと思ったけれど、
それなりに気を使ったし、緊張もしたね。
だから、4次会は、男6人だけでもう一軒行こうよ。
僕はやはり、この6人だと楽だな、と思った。
それは6人ともそう思ったんじゃないかな。
ここに今日来れなかった、沖縄にいるKがいたらより最高だったな。
Vの行きつけのオカマバーで呑んだ。
明日が日曜日だから、こんな時間まで騒いでいられるんで、翌日、仕事だったら大変だな、
と僕が言ったら、
Wが「俺、今日、仕事(会議?)なんだよ」と言った。
朝の5時だった。
Wは酒を呑めないので、二日酔いこそないが、さすがに徹夜はきついだろう。
そう言えば、学生の頃もこのメンツで呑んで、Wは朝までシラフでつきあっていたっけ。
W、お前が一番変わってねぇよ。
帰りは、Mが家が同じ方面だからと、タクシーに一緒に乗っけてくれて、僕の家の前で降ろしてくれて、無事、ご帰還。
家に帰ってから寝て、夕方に起きたら、声が出ない。
晩年の立川談志みたいにかすれている。
家族は驚いて、「カラオケでも行ったの?」。
俺、<いや、普通に喋ってただけ>。
家族は不安そうに、「何を、喋ったの?」。
俺、<よく覚えてない>。
家族、「覚えてないの?」。
俺、<そう。でもね、おそらく…>。
家族、無言。
かすれた声で俺は言う、<おそらく、十中八九N・G>。
BGM. 山本山田「旧友再会フォーエバーヤング」