検閲も仕事(?)

7/Ⅱ.(木)2013 晴れ
※採用面接を受けるかどうか迷ってる方は、このページの右にある「カワクリ紹介」を読むと参考になるかも?、昔のですが。※
さて、採用面接を受けない方々へ。2月に新しく待合室に用意したマンガのお知らせをしましょう。
まずは、全国の書店員さん絶賛!
今、イチバン、売りたい漫画、と帯に書いてある「喰う寝るふたり住むふたり」です。
個人的な趣味で言えば、僕には共感するところは少なかったです。世代的なものでしょうか。
ま、趣味は皆、違うしね。
でも、人気みたいです。増刷してるし。↓。

クリニックに置くマンガは僕は全部、目を通して、面白いかは勿論、クリニックにふさわしくないもののチェックもします。
検閲ですね。とか言って、「ひぐらし」とか手塚治虫の「奇子」とかは、OKなのですから、検閲、甘いですね。
それでも、微妙なラインのものもあり、そういうのは、これまでは女性目線で心理の徳田さんにチェックしてもらっていました。
今回からは、受付の天明さんにその役をバトンタッチすることにしました。
今、検閲中のものがあります。パスしたら、待合室に出しますね。それまでは作品名は、秘密です。
ちなみに、今まで、NGになった作品は、たった1つだけです。そんな栄誉ある(?)作品とは、安達哲の「さくらの唄」です。
ヤンマガKCスペシャルから刊行されていますが、3巻のみ、「成年コミック」と表記されています。
僕は好きなマンガでストーリーも青春モノで良いと思うのですが、性描写が露骨すぎるのです。それも3巻から突然。↓。

そんな「さくらの唄」にちょっと似た風味のある作品だなぁと思ったのが、押見修造「悪の華」です。
実際、作者が作品の紹介の中で、「さくらの唄」に影響を受けたと書いてありました。やっぱり、と思いました。
でも、こちらの方が、描写はマイルドなので、「これは検閲なし」で出してしまいました。大丈夫です。多分…。
ボードレールの「悪の華」を愛する文学少年・春日くんが主人公。
ある日、彼は放課後の教室に落ちていた大好きな女子の佐伯さんの体操着を思わず盗ってしまう。
それを嫌われ者の少女・仲村さんに見られてしまい、「バラされたくなければ」と‘契約’をさせられてしまうとこから始まる。
コミックの装丁は、登場人物の「フキダシ」になっているのが印象的で、1巻は仲村さん。
嫌われ者ですが憎めないです。↓。

2巻の表紙は、ボードレールの「悪の華」を愛する主人公の春日くん。
佐伯さんとデートすることになった春日くんに仲村さんが命令したこととは?
下の絵をじっくり見ると判ります。↓。

3巻は、佐伯さん。彼女は少し性格が良く描かれすぎてる感じがしないでもないですが。
でも、結構、大胆だったりします。↓。

マンガのところどころで文学作品が登場します。
アンドレ・ブルトンの「ナジャ」とか。「ナジャ」は診察室の本棚にもあります。↓。

作者は、「あとがたり」で中学生の頃、デルボーの絵画に魅せられたというような趣旨のことを書いています。
デルボーは僕も好きな画家で、クリニックの壁には絵が飾ってありますし、診察室の本棚には画集も並んでいます。↓。

そうそう、このマンガを天明さんの検閲に出さずにOKとした最大の理由は、これはTVアニメ化されるそうだからです。
放送できるなら、大丈夫だろうと踏んだのです。これが、その証拠の帯。↓
7巻で登場人物たちは高校生になります。

受付前のカウンターのあたりに「新刊」を置くことにするので、良かったら見て下さい。↓。

ちなみに、検閲でNGの「さくらの唄」は探してもクリニックのどこにもないので、ご承知の程を。
そう言われると見たくなるかな?
BGM. 豊田清「青春PART1」


皆さんとの架け橋に

1/Ⅱ.(金)2013 晴れ
意外と、「占い、のようなもの」が好評なようです。
「占い」と言えば、「誕生日大全」という本も受付の奥にあるのですよ。
この本には、366日分の、占いが載っているのです。
血液型が1/4、星占いが1/12の確率なら、誕生日大全は1/366なので、統計的には精度が良いと言えるのかしら?。↓。

たとえば僕は、7月24日生まれなのですが、この本によると、「よき相談相手で、分別がある人物」だそうです。
その詳細と、「隠された自己」「仕事と適性」「恋愛と人間関係」「数秘術によるあなたの運勢」「長所」「短所」が載っています。
さらに「相性占い」として、
「恋人や友人」「力になってくれる人」「運命の人」「ライバル」「ソウルメイト(魂の伴侶)」の誕生日が網羅されています。
自分の意中の人の誕生日が入っていないか探すのも楽しいですね。
そして、「この日に生まれた有名人」の名前が列挙され、
ちなみに7月24日生まれは、水川あさみ(女優)、谷崎潤一郎(作家)、ガス・サント(映画監督)、久保田利伸(ミュージシャン)、
よしもとばなな(作家)、植草克秀(少年隊)、ジェニファー・ロペス(女優・歌手)、坂本昌行(V6)、中村紀洋(プロ野球選手)、
相沢紗世(タレント)、須藤理彩(女優)、スンヨン(KARA)、右代啓佑(陸上10種競技選手)だそうです。
これは、スタッフと皆さんがコミュニケーションする際に、何か話しに詰まった時用に、小道具として受付に置いてあるのです。
だから、待合室を探しても、有りません。
自分の誕生日のページを見たい・知りたい人は、スタッフに言って下さい。
奥から出して、見せてくれるでしょう。見開き2ページだから、読み応えがありますよ。
スタッフと皆さんのコミュニケーションで思い出したのですが、「千石撫子のポップ」は普段はスイッチを切ってあります。
まだ誰も聞いたこと、ないんじゃないかな?。撫子の声を聞きたい人も、気軽にスタッフに声をかけて下さいね。
そのように吹き出しを付けてみました。↓。

これから新しいスタッフも加わるでしょうから、皆さん、よろしくお願い致します。
BGM. 吉田拓郎「この歌をある人に」


リニューアルな2月

1/Ⅱ.(金)2013 晴れ
もう2月ですね。カワクリも、7年目に突入です。色々とスタッフが入れ替わったりもしますが、頑張ってやります。
さて、心機一転というか気分転換というか、クリニック内をちょっとリニューアルしてみました。
まずは、入り口の脇の「なぞなぞ」のポスターを新しい問題に変えました。
機会があったら、チャレンジして下さい。今回のは「小学生気分」で解くのがいいでしょう。
正解者には、賞品はありませんが、スタッフがホメてくれます。
答やヒントを聞きたい人も、スタッフに声をかけて下さい。↓。

それから、占いのようなもの、も新しくしました。
これは、今、悩んでいることを頭の中に念じて、パッとページを開くと、そこに解決のヒントがあるという本です。
まぁ、お遊び感覚で。(でも、ちょっと当るかも…)。
これは5種類あって、「恋愛」に特化したものや、「天使のメッセージ」などというのもあります。↓。

ちなみに、今年度のカワクリについて、開いてみたら、こんなのが出ました。
 「みんなが褒めたたえてくれるでしょう。でも、うぬぼれてはいけません」。
確かに表面的に持ち上げられることは多いからな、気をつけよう。
それから、今の悩みの種、心理スタッフなどの補充の問題。採用面接とか面倒だなと思いつつ、開く。
 「嫌だというのは、やらない理由にはなりません。嫌だという気持ちをなくす必要はありません。嫌だと言いながら、やるのです。」
ごもっとも、です。
ついでに、あまり無縁ですが、というか不道徳かな、「恋愛」を開いてみたら、ピシャリと一言、
 「近寄らないことです」
そりゃそうだ。むしろ良かったよ、止めてくれて。ま、恋愛対象、いないけどね。
とこの様に、なんとなく、どうにでも解釈できるメッセージが並んでいるので、その気になれば、「引く」かもしれませんね。
でも、繰り返し言いますが、「遊び」ですからね。困ったことや悩み事は、診察やカウンセリングで話して下さいね。頼むよ。
そして、これは絵本なのですが、なかなか、シュールなのです。絵もそうだけれど、話の筋も。「え??」って終り方です。
「いったいどうした?セーラーとペッカ」という本です。見つからなかったら、スタッフに聞いて下さい。探してくれるでしょう。↓。

そうそうウォーター・サーバーに貼り付けた「なぞなぞ」も新しくしました。小倉優子のシール付きです。奮発です。↓。

今月は採用面接で忙しくなりそうですが、合間を見て、「なぞなぞ」のポスターを作るので、待ち時間にトライして下さいね。
BGM. 中山千夏「あなたの心に」


おわカレー

18/Ⅰ.(金)2013 晴れ、雪が残る
昨日の帰り道、大岡山北口商店街で、カワクリと駅の半ばくらいにある「みんなの豚カレー」の店先に貼紙を見ました。
「1月31日をもって閉店します」だって。
徳田さんとお昼に何度か行って贔屓にしていた店だ。僕は、その場で徳田さんに緊急・携帯メールした。
タイトルは「今日のビッグ・ニュース」、を文字って、豚カレーだけに、「今日のピッグ・ニュース」とした。
内容は、豚だけに「ブッタまげた」「ピッグりした」、そして「もう一度、行こう。カレーだけに、お別れーに」と書いた。
以前、「みんなの豚カレー」の前は「鶏のからあげ屋」だった。あの場所に出した店は、すぐ畳んでしまうな。
僕は、そんなことを考えながら、道すがら、お別れに、お経っぽく、モノローグ、「れかたぶ、の、ナンミー」と呟いた。
これは、「みんなの豚カレー」をさかさまに言った呪文。
そして、これは遠藤賢司(エンケン)のまね。
エンケンと言えば、70年代初期の日本を代表するハード・フォークの旗手で、ヒット曲は「カレーライス」が有名。
エンケンは、本当にカレーライスが好きらしく、僕が高校の頃、渋谷に「ワルツ」というカレー屋を持っていた。
ライスがピラミッド型にカレーのルーの中にそびえ立っている「ピラミッド・カレー」というのを売りにしていた。
学校帰りに、食べに行ったことがある。今はもう、そのお店はないです。
やはり高校の頃、エンケンは「東京ワッショイ」というLPを発表し、それは横尾忠則のデザインがジャケットで、
当時、エンケンはよく吉田拓郎の深夜放送にゲストに呼ばれて、「ワルツ」の宣伝をしたり、拓郎に何を聞かれても、
「ワッショイ!」としか返事をしなくて、「東京ワッショイ」のプロモーションにも力を入れていた。
エンケンと拓郎のやりとりの様子は、馬鹿馬鹿しくて(…とは失礼だが)とても面白かった。
その甲斐あって、僕は「東京ワッショイ」、買ったもの。
「東京ワッショイ」のA面の一曲目の「東京退屈男」は、曲の最後に、「レカドミラピのツルワ、よなぁ~」という謎の
呪文が聞かれて、拓郎のラジオで知ったのだが、それは「ワルツのピラミッド・カレー」を逆から言ってんだって。
「れかたぶ、の、ナンミー」は、「東京ワッショイ」へのオマージュでした。
「みんなの豚カレー」は、1月いっぱいで閉店だ。よし、今月は、受付のスタッフも代わりばんこに誘って連れて行き、
最低3回は行こう。
そうすれば、俺のせいでつぶれたんじゃない、と罪悪感を持たずにすみそうだからね。
さらばみんなの豚カレー。↓。


BGM. 遠藤賢司「 踊ろよベイビー 」


猫とマウス

11/Ⅰ.(金)2013 はれ
クリニックで血液検査をした場合、それを外の会社に委託して、結果を出すのですが、
その会社の担当者がこないだ代わったのだが、その新しい男の態度がすこぶる悪い。
去年の暮れ、頭に来て、同じ会社を使ってる菱沼先生に相談したら、
「その人は仕事の出来ない人なんですよ」と慰めてくれ、
また当面の診療上に問題は生じないから、会社を代えたりすると余計、労力がいるから、
金持ち喧嘩せず、でそのままにしとくのが結果的には、良いですよ、と見事な助言をくれた。
彼は僕より年下だが、賢い男なので、困るとついつい相談してしまう。今年もよろしく。
でも、やっぱり腹の虫が収まらないから、開業支援をしてくれた「オクスアイ」の金村さんにも相談したら、金村さんが直接、
その会社に意見をしてくれたらしく、その会社の偉い人から謝罪の電話を貰った。
さすが、困った時の金村さんだ。心強い!。
もし、この記事をみて、開業を考えてるお医者さんがいたら、「オクスアイ」をお勧めしますよ。
開業して、6年経つけど、アフターケアもバッチリです。
金村さん、今年もよろしく。
ところが、今日になってその問題の担当の者が、いきなりクリニックに来たらしい。
僕は診察中で会わなかったが、ものすごく態度が悪かったと受付が言っていた。そして肝心の仕事もしないし。
菱沼先生なら、放っておけ、と言うのだろうけれど、そろそろ仕事に支障が出かねないから、どうしたものか。
上司にチクるか。
そんな不愉快な事件があり、そこに来て受付で使っているパソコンのマウスの具合も悪くなり、
こっちは早急に何とかしないといけないので、お昼休みに、自由ヶ丘まで買い物に行った。
フランス雑貨のお店。マウスは店頭に飾ってないものも含めると10種類あったが、
その中から僕は「カエル」と「猫」で迷った。
そこで店員さん(若い女性)に、
<どっちが良いですか?>とゆだねてみると、
店員さん(若い女性)は迷わず、「猫」と言った。
僕は、<あっ、マウスだけに、鼠には猫?>と返答したら、
店員さん(若い女性)はしばらく、……と沈黙していたが、ふいに何かを吹っ切るように、お腹の底から声を出すように、
「ダイジョブです!」とうなづいた。
何がダイジョブなんだ?。お前こそ、ダイジョブか?、と思った。
すると店員さん(若い女性)は、「カエル」柄は似たようなものが他社からも発売されているが、
「猫」の方がオリジナリティーがあって良いからだと補足説明してくれた。
鼠には猫、スルーで。
でも、なるほど。
僕は「猫」を択び、クリニックに戻り、渡部さんと天明さんにその話をしたら、「絶対、猫、です!」と言われた。
彼女ら、「カエル」見てないくせに。
でも、小谷さんも含め、受付3人からの評判は良くて、彼女らが主に使うのだから良かった。
せっかく自由ヶ丘まで行ったのだから、皆におやつにプリンを買ってきてあげた。徳田さんと塚田さんにも。5人分。
僕はプリンを食べない代りに、ラーメンを食べて来ました。
特製ラーメンが900円にトッピングに100円のメンマをつけて、ジャスト千円。
5千円札を自動券売機に入れると、ラーメンとメンマのチケットが出てくる。
お店の人が声をかけるから、僕はチケットを渡しに行きつつ、そのままカウンターの席に座った。
自由ヶ丘では評判のラーメン屋で確かになかなか美味しかったが、食べてる途中で気付いた。お釣りを取り忘れてることを。
でも、もう何人もがチケットを買っていて、おつりの4千円は消えていた。
ラーメン一杯、5千円か。プリンも買ったし、食費の方がマウスより上だ。エンゲル係数高いな。
ま、しょうがないか。今年は初詣にも行ってないから、お賽銭代わりと思って。1月だし厄落としだと思って。
そんなドタバタな1日でした。
下が、「猫」のマウス。↓。

BGM. 猫「雪」


棚からひとつかみ 2012冬

26/ⅩⅡ.(水)2012 くもり
クリスマスもつつがなく終わり、クリニックのBGMからスペクター・サウンドとビーチ・ボーイズが撤収されました。
X’masソングに変わって、今日からは、ローリング・ストーンズとアニソンを中心とした曲の構成になっています。
ストーンズの50周年を記念してです。
と言うことで、今日は音楽の話題にしましょう。
僕は今でも、かなり膨大な量のレコード盤やβのビデオを保管しています。
全てがCDやDVDで再販されてはいません。
それや当時のTVから録画した物などはデジタルに変換する作業をしています。
しかし、作業は遅々として進みません。デジタルと違い、アナログダビングは収録時間がそのまんまかかるからです。
でも、そのような手間が思い出の整理には割と相性が良く、たとえば棚からひとつかみ、手にした作品を紹介してみましょう。
下は、柳沢純子という若手の演歌歌手の「あなたに片想い」というレコードです。
当時、好きだった石野真子に似てるという理由だけで衝動買いしました。
ジャケットはアイドル風に見えますが、曲は演歌です。
僕はこの曲の映像も持っていて、それは12チャンネルの深夜の演歌番組からβビデオに録画したものです。
それは番組制作の明らかなミスなのですが、「あなたに片想い」のテロップが「あなに片想い」と誤表記されていました。
さて、突然ですが、ここでなぞなぞです。ここに隠れている動物は何でしょう?。正解は、ジャケット写真の後に。↓。


正解は、「たぬき」です。「あなたに片想い」が「あなに片想い」と、「た」の字が抜けているからでした。
そうそう、「たぬき」と言えば、昔、12チャンネルの朝に、「おはようスタジオ」という新人アイドルの出る番組があって、
そこにゲスト出演する新人アイドルは新曲情報などを「たぬきインタビュー」というコーナーで紹介してもらうのですが、
「たぬきインタビュー」とは文字通り、質問の答えから「た」を抜いて答えねばならず、失敗して、「た」と言ってしまうと
顔にタヌキの絵のシールを貼られて行くという罰ゲームが見所でした。
皆、最初こそ警戒するのですが、インタビューが進むに連れ、ついつい1つ2つ「た」と言ってしまい、そこが愛嬌なのですが、
僕が今尚、忘れられないのは原田知世で、原田知世はショッパナから、「た」の字を連発して、インタビュー半ばにして、
タヌキシールで顔が見えなくなっていました。
途中からチャンネルをつけたら誰だか判らないぞ。僕はその映像もβビデオで持ってるはずです。
原田知世を有名にしたのは映画「時をかける少女」ですが、実はその前にTVで「セーラー服と機関銃」や「ねらわれた学園」
を主演していました。下は、「ねらわれた学園」の主題歌「ときめきのアクシデント」。↓。


「セーラー服と機関銃」や「ねらわれた学園」と言えば、本家は映画版の薬師丸ひろ子ですね。
ちょっと話はそれますが、小学校の頃、少年野球チームに入った僕は背番号を何番にしたいか?、と聞かれ、「666」と
「ヨハネの黙示録」の数字を希望に出したら、「3桁は駄目だ!」、と却下された思い出があります。
ところが、薬師丸ひろ子は映画「探偵物語」の公開記念の野球大会に登場した時、背番号「8940」をつけていました。
「8940」はヤクシマルの語呂合せですが、僕はそれをTVで観た時、思わず、「4桁、ありかよ!」とツッコミを入れたものです。
その野球大会の映像も、僕のβビデオのコレクションにあります。
そんな薬師丸ひろ子は、西城秀樹が司会する「モーニングサラダ」お正月特番にゲスト出演して、番組アシスタントの
伊藤つかさと夢の対談をしました。当時の伊藤つかさは2ndシングルの「夕暮れ物語」を出したばかりの人気絶頂期
でした。
下は、そんな伊藤つかさの「さよなら、こんにちは」という、ミュージック・カセットです。
このアルバムは矢野顕子、坂本龍一、加藤和彦、大貫妙子、高橋幸宏、竹内まりや、原由子ら人気ミュージシャンが
新人アイドルに惜しげもなく楽曲提供してしまうという、いかにも80年代っぽい、隠れた名盤です。
なぜ、レコードでなくカセットを紹介したかと言うと、カセットにのみ曲と曲の間につかさのお話が入っているのです。↓。


先日、「モーニングサラダ」の薬師丸ひろ子と伊藤つかさの対談を、βからブルーレイにダビングする際に見直してみました。
これがおそろしくつまらなかった。
無口な薬師丸ひろ子と照れ屋な伊藤つかさの間で、西城秀樹が孤軍奮闘し、アイドル2人はニコニコと笑ってるだけ。
ヒデキにちょっと同情した。
西城秀樹に、「川原βコレクション・良く頑張ったで賞!」を授与したいほどだ。要らないだろうけど。
下は、そんな西城秀樹の「聖・少女」。吉田拓郎が作曲した作品なので持っていました。ヒデキ、お疲れ様。↓。


そんな訳で、年の瀬に、「棚からひとつかみ 2012冬」をお贈りしました。
次回の「棚からひとつかみ」は、2013春を予定しています。うそです。
BGM. 薬師丸ひろ子「すこしだけ やさしく」


サンタフィギュアを蟹フック

22/ⅩⅡ.(土)2012 くもり
どこかのコンビニで伊藤園のお茶を買うと、「けいおん」のキャラクターのサンタフィギュアが付いてくるらしく、
色んな人から教えて貰いました。
以前ここに、あずにゃんは載せたので、彼女以外を紹介しましょう。クリスマスらしくね。
まずは、トナカイに扮した琴吹紬。↓。

次いで、サンタの帽子を被った田井中律。↓。

そして、律の幼馴染の秋山澪。↓。

そして、唯ちゃんにもトナカイの角。平沢唯。↓。

唯の妹の平沢憂。↓。

憂の同級生の鈴木純。↓。

僕が感心したのは、ある人がこのサンタフィギュアに蟹フックを加工して、携帯ストラップに仕上げたもの。
「唯ちゃんの頭に穴を開けるのには、ちょっとためらいました」とおっしゃっていました。優しいですね。
最近は携帯と言っても、皆、スマホの時代ですね。クリニックのスタッフも僕以外は全員スマホです。
でも、スマホは携帯ストラップを付ける穴がないと聞いたので、こういう楽しみ方は出来ないのですね。↓。

世はクリスマスですね、それでは皆さん、良い連休をお過ごし下さい。
僕はと言えば、23・24とレンチャンで落語に行くつもりでして、非メリー・クリスマス的な過ごし方を満喫して来ます。
BGM. ジョニー・ソマーズ「内気なジョニー」


立川流追善落語会 千秋楽(夜) 立川流誕生後の巻

23(金・祝)/ⅩⅠ.2012 17:00開演
立川談志一周忌 特別公演「立川流 追善落語会」に行ってきた。場所は、よみうりホール。
入り口で、「談志の遺言」という、中は真っ白の、メモ帳を配布された。↓。

追善落語会は3日間4興行、行われ、千秋楽夜の部はオーラスで、
「立川流誕生後の巻」と題され、談志が立川流を旗揚げした後に弟子入りした落語家を中心にプログラムされていてた。
つまり、志らくや談春や談笑が出演する↓。

夜の部は、2階最後尾座席だが、会場全体が見渡せて、ある意味、壮観であった。
昼の部同様、幕が開くと、横一列にズラリとメンバーが深々とお辞儀をして並んでいる。
その光景に会場からどよめきが起こる。
同じく、土橋亭里う馬(どきょうてい・りゅうば)による「一門挨拶」から始まるのだが、夜の部はオーラスだから、
土橋亭里う馬のテンションも上がっていて、メンバー紹介のコールも、まるでプロレスのリングアナのようで、
「ご存知!立川志の輔!でございます!」、「立川…談春!っで、ございます!」、「立川~志らく!で~ございますっ!」と
ヒートアップしていた。会場もそれに呼応する。ただし、何故か立川談笑が不在だった。夜の部に出演するはずなのに。
土橋亭里う馬は、「3日間4興行やりましたが、1度も直弟子21人が揃ったことはありませんでした」と締めくくった。
いよいよ演目。
立川流誕生後の巻。
つまり、談志が立川流を創立した後に弟子になったものたちが登場するのである。
まずは、立川談修。
談修は、専修大学を出ていて、だから談志の談と専修の修で、談修という名前になったのだと言う。
談志のつけた名前のままで、来春、真打ちになる。
今日やる演目の「宮戸川」は3年前に越谷でやった時に、談志に褒められた思い出があるそうだ。
談修は、「談志が弟子の落語を褒めるなんて滅多にないから、悪いことが起きなければいいが、と思っていたら、
それから談志の体調が悪くなった」と言って会場を笑わせた。
続いては、立川平林(たてかわ・ひらりん)。
「新しい師匠の立川談慶とリレー踊りをやる」と言って、「安来節(やすきぶし)」と談志の思い出を語った。
それはもう見舞いには来るな、という状態の時のこと。
平林は、「来るな」ということは「来い」という意味かと考え、談志に「安来節」を観て貰おうとザルとカゴを持って、
病床を訪ねた。
おかみさんと娘さんがテーブルを移動してくれ、「安来節」を踊ったら、談志が「平林、うめえ」と紙に書いてくれたという。
娘さんが「パパ、偉いねぇ!。ひらりん、真打ちにしてもいいね?」と言ってくれたが、談志は肯かなかったと言い、
会場の笑いを誘った。
平林は「安来節」の全国大会で3位になった実績があるそうだ。
「安来節」とは、ドジョウすくいのことである。
平林が下がると、リレー踊りである、師匠の立川談慶が登場した。
談慶は、「1年前23日に死を知ったので私にとっては、今日が命日です」と言っていた。
しくじりの連続だが、唯一、師匠に褒められたのが「かっぽれ」です、と言って「かっぽれ」を踊った。
立川流は、
二つ目昇進には、落語50席と都々逸・長唄・かっぽれなどの歌舞音曲を、
真打昇進には、落語100席と歌舞音曲がテストになるそうだ。
歌舞音曲は直接、落語家とは関係ないように思うが、そういうものに興味や関心を持つという
センスが求められてるのだと聞いたことがある。
立川流の昇進テストを垣間見させて貰った気分だ。
立川雲水は、談志が参議院時代、ただのタレント議員とは違い、沖縄開発庁の政務次官にまでなって、
しかし、わずか36日で辞めさせられたことや、
今でも人気のある長寿番組「笑点」は談志が自分で企画・立案・構成・出演した番組なのに、
3年で追放されたというエピソードを紹介して、談志の正邪・プラスマイナスの両面を語った。
落語は、「ん廻し」。
立川生志は、前座時代に談志に褒められたエピソードを披露。
旅先の旅館でご飯を残したら、仲居さんがおにぎりにしてるのを見た談志が、「いいね!」と言った。
何がいいのかと思って仲居さんを見たら(女としたら)それほどでもなくて、見たらラップが業務用の100mのものだったそうだ。
家庭用は25m。
生志は、談志がラップを「いいね!」と言ったのだと思い、旅館の人に
「あれは業務用ですか?普通に売っていませんよね?師匠が欲しがっているから、お金は出しますので譲って下さい」
と頼んだら、只でくれたという。
帰りの電車で談志にそのラップを見せたら、「エレぇ!お前は本当に見所がある!」と喜ばれたという。
談志は、そのラップを奥さんにも見せて「すごいだろ?100mだぞ」と話していて、
生志は「実はあと2本、貰ってあるんです」と見せたら、
談志は「ナニ?300mか?!」と、ラップ300mで大変に褒められたという話で爆笑を誘いながら、
気がつくと、落語「初天神」に入っていた。
生志の落語は、やはりうまい。
さて、ここで野末陳平先生の登場だ。
立川志らくが司会役を買って出て、
「さぁ、皆さん、ここでしか観れません。野末陳平ショー。立川談志の最後の親友」と盛り上げる。
志らくは、今日のメインはこれだと言い切った。
この後、自分と談春が続けて落語をやるが(それはとても豪華だと思うのだが)、それは又いずれ観ることができる。
でも、野末陳平ショーは今宵限りと煽りまくっていた。
志らくは、ファンが何を聞きたいかを知っていて、野末陳平のどこが面白いかも判っていて、
談志と野末陳平の関係の事も熟知した上で、出しゃばらずに、上手に聞き出すのが、さりげなくて、
これは志らく以外には出来ない仕事だなと思った。
談志と野末陳平はかつてMXTVで「談志・陳平の言いたい放だい」という番組をやっていたことがあり、
これはかのビートたけしをして、「あの番組はひどい。放送禁止用語でも何でも言ってる。あれでクレームが来ないのか?」
と呆れさせたほどの番組だったが、2人は番組収録で毎週、会うという枠を超えて親密だったそうだ。
というのは、その当時、毎日、談志は野末陳平に電話をかけていたという。
そして、毎週、番組収録の日には、1人暮らしの野末陳平のために談志は手作り弁当を作ってあげていたというのだ。
志らくは、「師匠が弁当を作っていたのは知ってますが、中は見たことがありません。どんなおかずが入っていたのですか?」
と、野末陳平の口から具体的な中味を聞き出していた。
確かに、興味深い。
例えば、「鮭」らしい。
志らくは、毎日電話をして弁当も作ってもらう、2人の関係を恋人同士にもたとえ、
そんな2人が大喧嘩をして絶交した時期に関しても、どうして絶交したのか、どうやって仲直りしたのか、お互いどう思っていたのか、
などを鋭く質問した。
当時、志らくは、談志が弟子達に「陳平とは付き合うな!会ったら破門だ!」と言っていたという事実も告白した。
野末陳平によると、絶交の理由は大したことでもないのに談志が怒って、絶交期間は3~4ヶ月続いたという。
しかし、ここからが面白くて、野末陳平は耳が遠いので、普段、家の電話は留守電にしているらしい。
そこに毎日、談志から電話が来るが、談志は留守電にメッセージを残さないから、疎遠なまま。
ある日、たまたま、野末陳平が電話に出たら、それが談志からで、何事もなかったように普通に喋って仲直りになったそうだ。
もし、その時、野末陳平が電話に出なかったら、絶交は続いていただろう、という。
志らくは、「メッセージを残さないのに、どうしてそれが談志だと判るのですか?」と質問すると、
野末陳平は、「それは判るよ。溜息が入ってるんだから。ハ~って」。これには会場が大爆笑になった。
志らくは、「今日は野末陳平ショーです。野末先生、立川流の弟子を、この人はこう、と一言で答えて下さい」とお題を出す。
そのやりとりは以下のように一見、淡白なものだ。
志らく「まずは、志の輔!」、陳平「ガッテン!」。
しばし、こんな調子が続く。
以下のように。
志らく「談春」、陳平「もてそうだな~、うらやましい」。
志らく「談笑」、陳平「ありゃ、デカイだけ」。
志らく「生志」、陳平「ありゃ、なましだろ。なまし」。
志らく「雲水」、陳平「坊主だろ」、志らく「見た目だけじゃないですか」。
志らく「談慶」、陳平「ありゃ、ワコールだろ」、志らく「それは前の名前です」、陳平「ワコールに勤めてたんだよ」。
志らく「志遊」、陳平「あれも坊主だ」。
志らく「キウイ」、陳平「あれ、バーテンじゃん」。
志らく「志らく」、陳平「う~ん、こりゃ目の前にいて言いにくいけど、器用すぎるね」。
志らく「ミッキー亭カーチス」、陳平「ありゃ、外人だよ」。
志らく「立川藤志楼(とうしろう)こと高田文夫は?」、陳平「高田文夫君ね~…」と言葉が詰まると、
いきなり、ご本人、高田文夫がサプライズで登場!
これか、志らくが「今日のメインは野末陳平ショー!」と言ってたのは。
高田文夫は、マイク片手に、右手を高く上げて、笑顔で登場した。
元気そうだ。
志らくが高田文夫に「お帰りなさいませ」と深く頭を下げる。
高田文夫は、開口一番、「こんにちは、桜井センリです」。爆笑。
ここから高田文夫が一気に喋る。
「8時間、心臓が止まっていたんですよ。私のハートはストップ・モーションですよ」。(※桑江知子の歌です)。
「ICUに入っていたんですよ。国際基督教大学じゃないんですよ」。
「野坂昭如さん、死なないね?」。
僕はここで回想する。
僕はずっと野坂先生の具合を心配しているのだけれど、誰とも共通項がなくてさみしく思っていたのだ。
野坂昭如も立川流のBコース(芸能人など)の落語家だ。
さりげなく、名前を出すあたり高田文夫の優しさを感じた。
話を戻そう。
高田文夫は、さっきの志らくと陳平のやりとりが、「実は綿密な打ち合わせをしていたんですよ」とバラして、
「志の輔、ガッテン、なんて練習してるんですから」と泣くまねをする。
すると志らくも「談春は実は、やくざ、って答えるはずだったんですが、野末先生、もてそう、なんて答えちゃって」と笑う。
野末陳平が「高田君、元気になったから、いい気になっちゃって」と返すと、「景山民夫の分まで頑張らないと」と高田文夫。
高田文夫は「早く納骨しないから、勘三郎さんとか染五郎んとこまで行っちゃって。オレんとことか来て」と言って、
まるで談志を見送ってきたような物言いだった。
でも、冗談じゃなくて、そんな気もするから不思議だ。
だけど、高田文夫は「今日、談志さんの追善の会なの?。えっ、そうなの?。円楽さんじゃないの?」とトボケて、
野末陳平の服装を指差して、「それでちゃんとした格好してるの。森光子さんの帰りじゃないの?」とペースは落ちない。
高田文夫が乱入したが、これは「野末陳平ショー」である。
志らくはしっかりそこをわきまえて、談志と陳平の思い出話を聞く。
野末陳平が談志と最後に食事をしたのは、談志が「中華を食べたい」と言うから「維新號」という店に談志の奥さんと3人で行き、
談志は「フカヒレを食べたい」と言って、フカヒレだけを1人で旨そうに食べて、陳平は端っこの方を少し貰ったという話。
野末陳平は、それを思い出して、久しぶりに、談志の奥さんを食事に誘った、というエピソードをしみじみと語る。
すると高田文夫は、「よっ、人情噺!。芝浜!」とからかったり、
「ていのいいナンパ!」と指を差して茶化したりする。
野末陳平は、「もう歳だもん。81だよ」と返すと、高田文夫は「その道は別だからな」と笑いながら腕組みをして上を見る。
野末陳平が、気を取り直して、「だから、フカヒレを食べに行ったら」と言いかけた所で、高田文夫は「オチはあるんだろうな」
と鋭くツッコむ。
見かねた志らくが、「野末先生のいい話が高田先生のせいで全部、台無し。横で見てて、野末先生、泣きそうになってる。
これは人情噺だから、オチはなくていいんです」と一応、話をまとめた。
でも、この話には続きがあって、野末陳平が支払いをしようとしたら、談志の奥さんにとめられたという。
奥さんは、談志が亡くなる前に、「これから陳平さんと食事に行く時はお前が払え」と言われていたと言うのだそうだ。
会場が感動の輪に包まれる寸前、高田文夫が「ていのいいサギ!」と野末陳平を指さして笑う。
志らくが、「野末先生のいい話が全部、台無し」と言ってショーはおしまい。
このスペシャルトークの後に登場したのが、立川談笑。
談笑は、「上がりにくいこと、この上ない」と苦笑して話はじめる。
毎年10~11月は立川流にはいいことがなく、去年は談志、その前が談大、その前が文都が亡くなっている。
談笑は「今年は高田文夫先生かと思ってたら、今日の見たら、今年はモチそうですね」と言って会場の同意を笑いで得ていた。
談笑の落語は、多分、「粗忽長屋」。
多分、と言うのは、オリジナルなギャグで構成された脚色で、オチまで変えてあるから。
しかし、高田文夫復活祭のような、あんなスゴい笑いの後に登場するプレッシャーを払いのけて、大爆笑を得たのはさすがだ。
ここで、中入り。
ロビーは談志や弟子達のDVDや書籍の販売をしていて、こちらも熱気がある。
談志とたけしと太田の対談本が面白そうだった。クリニックに置いておきますね。↓。

中入り後、いきなり劇場に大音量の洋楽がかかり、松元ヒロが登場。
スタンダップ・コメディである。
僕はこの人は何度か観たことがある、いづれも談志の会で。
この人は中々テレビに出れないタレントで、危ないネタをやる。
1度だけ、それこそMXTVの「談志・陳平の言いたい放だい」にゲストで出て、さすがにその時はパントマイムをやっていた。
今、この人は山本太郎などと一緒に反原発のデモに参加したりして、動画サイトでも観れるらしい。
思想的なことは別として、この人の芸を談志は買っていて、ニューオータニで行われた談志のお別れの会で唯一、
ステージで芸をしたのが、松元ヒロだったそうだ。
ちなみに談志はこの人をヒロ松元と、間違えて、呼んでいたらしい。
そして、志らく。
登場するなり、談志のモノマネをしてここには書けない様な危ないことを喋っていた。
「納骨、決まったんだけど、来ない奴がいる。談春。あいつは破門だ」とこの後にオオトリをつとめる兄弟子の名前を出し、
そこで我に返ったか、「すみません、言いすぎました」と謝った。
そして、志らくは
「何をやろうかなと談志師匠の十八番、色々考えましたが、饅頭こわい、という小さん師匠の十八番をやります」
と言った。
エクソシストやエイリアンを連想させるシュールでスピーディーでクレージーな落語で、
会場は観客の絶叫と爆笑が入り混じっていた。
さすが、談志の狂気を受け継ぐと言われる、立川志らくの面目躍如だ。
そして、談春。
「3日間4回に渡り、追善できまして、皆さんのお陰だと、一同、喜んでおります。もう一席、お付き合いをお願いします。
志らくさんを見習って、私も小さん師匠の十八番を」で、会場は大爆笑。
さすが談春ですね。
演目は「棒鱈」でした。
いや~、盛り沢山だった。
でも、2公演を続けて観れて良かった。
高田文夫の復活祭もみれたし。
来て良かったと思った。
下は、会場で貰ったポスト・カード。「人生、成り行き」。↓。


立川流追善落語会 千秋楽(昼) 立川流誕生前の巻

23(金・祝)/ⅩⅠ.2012 12:00開演
立川談志一周忌 特別公演「立川流 追善落語会」に行ってきた。場所は、よみうりホール。↓。

追善落語会は3日間4興行、行われ、今日が千秋楽で昼の部と夜の部がある。
昼の部は、「立川流誕生前の巻」と題され、
談志がまだ立川流を旗揚げする前に弟子入りした落語家が中心に演目を組まれていた。
意外に志の輔は立川流になってからの弟子というイメージが強いが、
正式には立川流を旗揚げする直前に弟子になっているから、こちらのグループに登場した。↓。

幕が開くと、横一列にズラリとメンバーが深々とお辞儀をして並んでいる。
その光景に会場からどよめきが起こる。
まずは「一門挨拶」。
口上と進行は、立川流の新代表になった土橋亭里う馬(どきょうてい・りゅうば)。
立川流誕生前後に関係なく、直弟子全員を入門順に紹介してゆく。
桂文字助、立川左談次、立川談四楼、立川龍志、立川談之助、立川談幸、立川志の輔、立川志らく、立川生志、立川雲水、
立川キウイ、立川談慶、立川志雲、 立川談笑 。
ここまでが真打ち。
そして、二つ目の紹介。
立川談修、泉水亭錦魚、立川平林、立川談吉。
談修は談志が亡くなる前に「真打ちになってもいいよ」と許可をもらっていたが、
談志が患っていたため、真打ちになれなかった。
そこで来春には、真打ちになる、ということがここで発表された。
泉水亭錦魚は立川龍志一門に、立川平林は立川談慶一門に、立川談吉は立川左談次一門になることも報告された。
紹介されたものは、ただ頭を下げるだけで1人1人のコメントはない。
しかし会場からは大きな拍手が起きる。
土橋亭里う馬は、皆を紹介し終えた後、「全員は集まれず、ぜん馬と談春が仕事の都合で欠席です」と伝えた。
談春がいないのはさびしいと思った人は多いようで、会場に一瞬、そんな空気が流れた。
立川流誕生前の巻。
つまり、談志が落語協会を脱会する前に弟子になったものたちが登場するのである。
トップバッターは、立川談幸。
21日が談志の命日。弟子には二日後の23日に知らされた。つまり今日である。
談幸は、今日は「火葬記念日」だと言った。
その日に連絡網が回ってきて、その内容は「師匠が死にました。火葬は済みました」というものだったと言う。
談幸は、「だから今頃は、師匠が焼かれてる頃で、今日の打ち上げは焼肉屋らしい」とジョークを言って会場を笑わせた。
立川流は、芸人なんだから何でも笑いにしてしまおう、という了見なのである。
それを観客も共有している。
談幸の演目は、葬儀にちなんでか、「片棒」だった。
続いて、立川龍志が「家見舞」をやり、柳家小菊という女芸人が色、三味線を披露した。
そして立川志の輔の登場。
志の輔が入門して5ヶ月目で立川流が創立されたと言う。
そして談志はどんどん進化していったと言う。
談志のイリュージョン落語の代表作である「やかん」を志の輔がコピーしようとしたら、
談志に「あれは俺のだから無理だよ。お前のを作れよ」と言われ、「バールのようなもの」を作ったそうだ。
談志に「それいいよ」と言われて自信がついた、と志の輔は言っていた。
僕は「バールのようなもの」を3回聞いたことがあるが(下北沢、渋谷PARCO、赤坂だったと思う)何回聞いても面白い。
当然のように会場を大爆笑させた。
皆さんも面白いから、きっと動画サイトにあるでしょう、観て(聞いて?)みて下さい。
ここで中入り。
ロビーは談志や弟子達のDVDや書籍の販売をしていて、こちらも熱気がある。
その中でも目を引いたのは、12月8日に全国公開される「映画 立川談志」の宣伝だ。
前売り券を売っていた。
「やかん」と「芝浜」の二席を未公開映像も含めて大スクリーンで上映するのだ。
ドキュメンタリータッチでナレーションを柄本明がつとめるそうだ。↓。

中入り後、立川流の内田裕也と紹介されていた桂文字助(白髪を後ろで束ねて、白い顎鬚を生やしている)の
名人横綱・谷風の噺、「谷風情相撲(たにかぜ・なさけ・ずもう)」から始まる。
次に登場したのが、毒蝮三太夫。
とめ役(タイムキーパー)として、立川左談次が相手をした。
毒蝮は、「よくこれだけ入ったね。皆、志らくと志の輔の客じゃないの?お前も頑張れよ」と兄弟子にあたる左談次にそう言った。
毒蝮は、談志が死んだのに、今日はめでたい(自分達夫婦の)金婚式だと言っていた。
今から50年前、昭和37年11月23日に赤坂プリンスホテルで、会費1000円で結婚式。
司会が柳家小ゑん。立川談志になる2年前の‘談志’。
引き出物を出すにもお金がないから、そこで小ゑん(つまり談志)が色々とアイデアを出したそうだ。
入り口で封筒を渡し、封筒の中には「坂本龍馬」「広岡達朗」「宍戸錠」「皇太子殿下」「力道山」などと書いた紙を入れておく。
すると「力道山」を引く人が何人もいて、その人には「ラーメンをどうぞ」と配る。
曰く、「のびたら、おしまい」。
「広岡達朗」を引いた人には「宝くじ」。
「当らない割には買われている」。広岡は打率2割5分くらいのバッターだった。
「宍戸錠」を引いた人には、「器」。
西部劇をやっていたから、「撃つわ、撃つわ」で器。
これは家にあった器を持って来た。
このように金がないなら、アイデアでやるという談志らしいエピソードを披露した。
ちなみに談志の結婚式の司会は、毒蝮と(月の家)円鏡だったそうだ。
これもすごそうだ。
毒蝮の名付け親は談志なのだが、毒蝮は元は石井伊吉という俳優で、「ウルトラマン」ではアラシ隊員の役で出ていた。
当時は役者の方が1枚上という時代で、役者仲間からは毒蝮に変えることを反対されたという。
それでも談志は、「お前は役者は駄目だから、1人喋りをしろ!。毒蝮になれ!」と7年間口説かれたそうだ。
毒蝮は、談志がいなければ俺は今ここにいない、としみじみと言った。
毒蝮は、「談志は大師匠(おお・ししょう)にさえ、ここが駄目だ、と面と向かって言った。そりゃ、陰で言う人はいるよ。
だから一晩、呑みたいような奴ではない」と言って、会場を笑わせた。
毒蝮は最後に客席に向かって胸を張ってこう言った。
「皆さん、談志はすぐそこにいます。(談志が死んで)バラバラになると思った立川流がこうしてまとまったのは素晴らしい。
1日だけでも」だって。
トリは立川談四楼。
談四楼は、去年の今日、今時分、マスコミから「家元が亡くなったという噂がありますが?」という打診を受けていたという。
実は初夏にも1回「死亡説」というガセネタが流れて、家族がとても苦しんだという。
だから、家族を守ろうと「ガセネタです」で通していたが、どうやら本当みたいだという連絡網が回って来た。
しばらくして北朝鮮のキム・ジョンイルが亡くなって、そのニュースも2日間伏せられていたことから、
「独裁者の死は2日間伏せられる」と言って、会場を笑わせた。
談四楼は、1年、兄弟弟子で思い出話をしてきたが未だ語りつくせないと言い、「人情八百屋(にんじょう・やおや)」をやった。
これで昼の部、おしまい。
そして夜の部へと、つづく。