ザ・ヒストリー・オブ川原①~「家族の肖像」

3/Ⅶ.(土)2010 蒸し暑い、くもり夕方から雨
7月はお誕生月なので、「ザ・ヒストリー・オブ・川原」と題して思い出にひたることにする。
その第一弾。
生まれて初めて好きになったアイドルは天地真理だった。
カトリック系の幼稚園から小学校に通っていた僕にとって、「天地創造」の天地に、
「わたしは道であり、真理であり、命である」の真理を名に持つアイドルは、
堂々と好きになっても許される安心感があった。
天地真理の本名は、斉藤真理といい、実家は茅ヶ崎の南口の駅前にある「斉藤不動産」
だという噂があったが、真偽の程は定かではない。
父は、なんとか僕に勉強させようと、「斉藤不動産にお嫁に来てもらうよう頼んでやるから」と
交換条件をチラつかせた。
しばらくして、森昌子が「せんせい」でデビューした。
僕と一緒に歌謡番組を観てた父は森昌子を大変気に入り、「娘に欲しい」と言った。
父は堅物だが、時々おかしなことを云う。
僕はブラウン管の森昌子を観ながら、こんなモンチッチみたいな奴にいきなり家に来られて、
今日からお姉さんよ、などと言われても困ると思った。
その頃、モンチッチ、まだなかったけど。
茅ヶ崎は潮風から家を守るために海沿いには松林が広がっている。
僕はそこらじゅうに落ちている松ぼっくりを見ては、忌々しく森昌子を自由連想した。
そんな折、ラチエン通りに密生しているヘビイチゴを食べることで評判の上級生「マミー」が
松ぼっくりを食べることに成功したというニュースを耳にした。
朝の礼拝で、僕は「マミー」に「森昌子、好き?」と話しかけてみた。
「マミー」は「くれんの?」と答えた。
僕は、こいつらはお似合いだな、森昌子は「マミー」にまかせた、と思い随分と気が楽になった。
母は働き者で浮かれたことはまずなかった。
だから芸能人で誰が好きかなんて話も聞いたことがない。
唯一、歌舞伎の坂東玉三郎を贔屓にしていたくらいか。
晩年は、兄がアリスの堀内孝雄に似てると誰かに言われたらしく、2か月半くらい堀内孝雄を応援していた。
僕は部屋に月刊明星か月刊平凡の付録についていた天地真理の等身大ポスターを貼っていた。
紺色のチョッキにベルボトムのGパンを履いて微笑んでいて、隣の真理ちゃんという感じだった。
いい感じ。                             
兄の部屋は殺風景で『ミクロの決死圏』という、博士の命を救うために医療チームがミクロになって
博士の耳から体に入っていくというSF映画のポスターが貼られてたのを覚えている。
兄はギターが弾けて学生時代はテニス部だった。
兄の部屋のポスターの変遷は「かぐや姫」とか「ビートルズ」といったアーティストか
コナーズとかボルグといったテニス・プレーヤーで、およそ色気も素っ気もなかった。
アイドルにうつつを抜かしたことなんてないんじゃないか?
あっても、岡田奈々1週間、とか、小泉今日子10日間、なんて程度じゃないかな。
そのくせ、東京乾電池の高田純二がやっていた土曜のお昼の8チャンの番組で、
アナウンサーの寺田理恵子のお見合い相手を大学生から募集するというコーナーの、
第1回の出演者としてテレビ出演していたのには驚かされた。
<ご趣味は?>「テニスです」
<何級ですか?>「硬球です」という、仕込まれた掛け合い漫才みたいなことをやっていた。
家族には極秘にしていたが、僕はその番組が録画されたビデオをたまたま発見して観た。
でもそこは武士の情け、親には内緒にしておいた。
BGM. サザンオールスターズ「茅ヶ崎に背を向けて」


サタデー・ナイト・ラヴァさん~ジューン・ブライド

30/Ⅵ.(水)2010 ハレ晴れ
ジューン・ブライド「6月の花嫁」、6月に結婚した花嫁は幸せになるという。
ヨーロッパでは古い伝承のようで、ローマ神話の結婚の女神Junoにあやかったとか、3~5月が結婚を禁止し
6月は解禁月だからとか、欧州では6月が一番雨が少なく天候がよく復活祭もあり祝福ムードが高まるとか。
でも、日本でジューン・ブライドを広めたのは間違いなく「よしだたくろう」だ。
ヒット曲「結婚しようよ」の歌の通り六文銭の四角桂子と、6月に教会で白いスーツを着て結婚式をあげた。
それが若者の結婚式の一つのスタイルになった。
結婚は幸福、祝福だけとはかぎらない。
面白くないと思ってる人もいる。まして、それが想いを寄せてる人なら…。
流行歌にはそういうテーマがよくあって代表曲はシュガーの「ウエディング・ベル」と早川義夫の「サルビアの花」だ。
シュガーは80年代に流行った3人組のガールズ・グループで、僕はファンでシングル・レコードを全部持っている。
「ウエディング・ベル」は元恋人の結婚式に呼ばれ祭壇の一番隅で二人の幸せを見せつけられ、
♪クタばっちまえ、ア~メン♪と、ハーモニーを効かせ全員で小首をかしげるポーズを決めるのが可愛い、
80年代OLのサバサバした心境を歌ったヒット曲だ。
一方、早川義夫は60年代のGSの中でも異彩を放つ存在の「ジャックス」のリーダーで解散後は岡林なんかに楽曲提供もしていた。
そんなことはどうでもいい。問題は、早川義夫のソロ・アルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』である。
まずは、このレコード・ジャケットを見て味わって欲しい↓。

このA面の5曲目に「サルビアの花」が収録されている。
オケはなく、早川義夫がピアノで弾き語りをしているが、その迫力に凍りつく。
早川義夫の歌唱法は独特で、口の中で言葉をこねくり回し、陰湿というか恨めしい。
「サルビアの花」の歌詞は、♪扉が開いて出てきた君は偽りの花嫁。頬をこわばらせ僕をチラっと見た。
泣きながら君の後を追いかけて花吹雪舞う道を、転げながら、転げながら、走り続けたのさ~♪、である。
60年代の色恋のもつれの怨念じみたものが見事に描写されている。
シュガーの「ウエディング・ベル」と続けて聴いて比較することをオススメしたい。
以前、BS-NHKのフォーク特集でゲストの早川義夫が「サルビアの花」を歌っていて、
演奏終了後にアシスタントの岡部マリが「こわ~い」と震えあがり、司会の坂崎幸之助が苦笑していたのを覚えている。
僕は大学の頃、「ローランド・大人のためのピアノ・スクール」というのに1年間だけ通ったことがある。
渋谷の、今のアニメイト・コミック館の坂を登りきったジョナサンの付近にあった。
毎週土曜日の夜レッスンに通った。
マリコ先生という大学を出たくらいの育ちの良さそうな美人が僕の担当だった。
僕は子供の頃少しピアノをやっていたし、中高はブラス・バンドにいたから譜面も読めた。
だからレッスンは「好きな曲を弾けるようになろう」という目的にした。
そこで僕は早川義夫の「サルビアの花」弾き語りバージョンがやりたい、と言い出した。
当時は、スコアなんてものは売ってないから、マリコ先生にレコードを貸し譜面におこしてもらった。
それがこれ↓。懐かしい。

ピアノを始めて半年くらい経って、医学校の同級生・レレちゃんとマリコ先生が女子高時代の友人だと判明した。
僕はちょっと恥ずかしかった。
レレは、鬼の首を取ったように得意気だった。
僕は大学が忙しくなりピアノをやめた。
自動的に、マリコ先生とは会わなくなった。
何年後か、マリコ先生の結婚パーティーがあり、僕は当日レレに連れられパーティーに顔を出した。
僕はあまり気が乗らなかったが、レレが強引だった。
「サルビアの花」の男が来た、と嫌われないかと不安だったが余計な心配だった。
マリコ先生は、ノーブルなウエディング・ドレスで僕の飛び入りをとても喜んでくれた。
僕も嬉しかった。
レレに感謝した。
BGM. RCサクセション「マリコ」


追悼、T先生の思ひ出

29/Ⅵ.(火)2010 くもり
T先生が死んだらしい。
T先生は研修医時代を内科で過ごして精神科に来たから、
キャリア的には先輩だが入局したのは僕と半年位しか違わない。
年度区切りで言うと「同期」になり、新入医局員の歓迎旅行では一緒に出し物を披露した。
その年の新人は僕らを含め5人だった。
僕以外の4人が春・夏・秋・冬の「レナウン娘」になり、
僕がSMの女王様に扮し4人をしばくというお下劣ショーだった。
観てる人は酔っ払いだから、この位で丁度いい。  
レナウンとは1960年代に流行した若い女性向けの衣料品メーカーで、
「ワンサカ娘」というCMソングをBGMに使った。
当時は、音源を入手するのが難しく、レナウンに直接頼んだらテープを送ってくれた。
T先生は、♪ドライブウェイに秋が来りゃ♪の秋娘担当で、
KISSみたいに白粉で顔を真っ白にし、ピンクのポロシャツに白いスコートに白のソックス、首にスカーフを巻いた。
舞台上で、僕のムチから嬉しそうに逃げ回るT先生の笑顔を忘れない。
鬼ごっこしている子供みたいだった。
僕の研修医2年目の派遣病院で1年間一緒に過ごした。
まだ何もわからない僕には、ほぼ同期のT先生の存在が助かった。
タバコを吸う時、天井に向かって煙を垂直に吹き上げるのが癖で、インディアンの狼煙(のろし)のように見えた。  
いわゆる‘ギター小僧’でたくさんのギターを蒐集していた。
高価なものもあったようでよく自慢していたが、僕はあまり関心がなかった。
仕事が終わるとナースを誘ってよく呑みに行った。
F.も一緒だった。よく遊んだ。その時の遊び仲間のセイコも死んだってね。変死だって噂。
4/Ⅵのブログで僕の「入局にあたって」という作文を紹介したが、同じ教室年報にT先生も「入局して」という文章を寄せている。
はじめは戸惑いや驚異を感じて大変だったが、いくつかの症例を経験し、知識を得て、その対応も変わってきた。
精神科医療で大切なのは他職種との連携で、その治療においては家族の関わりが重要だと感じる。
周囲の先輩方や良いスタッフに恵まれて感謝する、
という趣旨のことが書いてあった。
T先生の医学的な死因はまだ聞いてないが、僕は孤独死なんじゃないかと思う。
T先生、その内、遊ぼうね。セイコも誘ってさ。
BGM. かまやつひろし「ワンサカ娘」


Ωの法則・#2

27/Ⅵ(日).2010 はれ
オウム事件のあった年、僕は大学院を修了し関連病院に出向した。
当時、その病院には「ファントム理論」という何やら難しげな学説を唱えられた安永浩先生というとても偉い先生がいた。
とある席で、安永先生は「オウムがやっている拉致監禁や洗脳や電気ショックと、
我々の行っている精神科医療のどこが似ていて、どこが違うのかを明確に考えるべきではないか?」
という趣旨の発言をされた。 
その場にいた少しだけ偉い先生や中堅の先生は「全然違いますよ」と一笑にふした。
確かに、「全然、違う」のである。
それでも安永先生が問題提起した意図は何か?
僕は安永先生の反応に注目した。
しかし安永先生はそれっきり何も答えず、それ以降オウムについては何も言わなかった。
賢者とは人里離れた森の奥にただ1人で住み、乱世になると人々の前に姿を現し一言だけ意見をするという。
人々がそれを受け容れれば事態は改善し、受け容れなければ黙って森に帰るという。
安永先生をみていてそんな話を思い出した。
僕がこの病院を辞め別の病院に移る時、送別会には行けないからと安永先生から手紙をいただいた。
筆圧の弱い薄~い、それは風流な文字だった。 
もし、人が水に字を書くことに成功したら、きっとこんな字になっただろう。
BGM. さだまさし「天文学者になればよかった」


Ωの法則

27/Ⅵ.(日)2010 はれ
NHKは苦しい立場にあるようだ。大相撲の名古屋場所を中継するかどうかの決断である。
中継をするとなれば、視聴者からの猛反発は必至だし(船頭は東スポ)、中継しないとなれば中継を望むファンからの反発も避けられない。むしろそっちの抗議の方が多いのではと予想される。反発は受信料の問題にもつながる可能性がある。局内では「このままサッカー日本代表に注目が集まってほしい」という声が上がっているという。東スポ情報。

ビデオの整理をしていたら、「オウム・ビデオ」というのがvol.1~8まで出てきた。
2時間テープだから標準でも16時間。3倍速で録ってたらもっとである。「オウム・ビデオ」とはオウム真理教の一連の騒ぎを、録画しコレクションしておいたものである。よく録ったなぁ。

でも、あの時のオウムはすごかった。今のサッカーW杯どころじゃない。って、比較するのも変だが。不謹慎な言い方かもしれないが、あの時に角界の賭博問題があってもまったくニュースにならなかったと断言できる。

当時、関口宏が土曜か日曜の夜に「家族でニュースを観よう」みたいなコンセプトの
ニュース・バラエティーみたいな番組をやっていた。その中で山瀬まみが「お父さんのためのワイドショー講座」というコーナーを持っていて、その週にあった民放各局のワイドショーで取り上げられた話題の放送時間数を合算して、その数値の大きい順にランキングにし、芸能・スポーツ・大衆文化に疎いお父さんに紹介する企画で、このコーナーの間だけお茶の間の力関係が逆転し山瀬のキャラともうまく相まって「やだ~お父さん、こんなのも知らないの~?」的ななごみを生み、家族で観るニュース番組のバランスをとる装置として機能していた。

ところが、オウム事件である。「お父さんのためのワイドショー講座」が機能しなくなった。さすがの山瀬のキャラをもってしても不可能だった。何故なら、ランキング1位がオウムは当然として、2位以下がなかったのである。2位以下がない、というのは、他のニュースが1秒も放送されなかったということである。全民放の毎日のワイドショーがコマーシャル以外はすべてオウムだったのである。これが何週も続いた。芸能人が結婚しようが離婚しようが不倫しようがチャリティーしようが覚せい剤で捕まろうが賞を獲得しようがまったくニュースにならなかったのである。地下鉄サリン事件が起き、どうもオウムが関与してるらしいという話になり、彼らは身の潔白を証明すべく連日テレビに出るようになった。生の記者会見などが昼時に毎日、行われたのが、ワイドショーを独占した1つの要因でもある。しかし、1番大きかったのは「上祐(じょうゆう)さん」こと上祐史浩という特異稀なキャラクターの存在だ。

僕のオウム・ビデオのvol.1の巻頭に録画されているのは、田原総一郎の「サンデー・プロジェクト」で上祐さんは村井秀夫・オウム科学技術省長官とともに生出演した。どこかハーフのような端正なマスクと清潔感のあるひた向きさが彼の第一印象で、大学時代にディベートで鍛えたという話術には田原総一郎も一目置いた。宗教をやってるイコールちょっと変、みたいなマイナスな偏見も彼らのビジュアルが吹き飛ばした。熱い上祐さんの隣に座る村井秀夫という若者も穏やかな悟りを開いた優しい仏さまのようなキャラで、このコンビが番組を通して識者たちの意地悪な質問を正面から受け止め
「自分たちはやっていない。我々はまじめに修行をしているだけだ。オウムも被害者だ」と訴えた。番組の最後で、司会の島田紳介が思わず「この人たちが、あんな事件を起こしたとは思えません」と擁護してしまう程、彼らはシロに見えた。僕も、紳助に同感だった。

それからというもの、上祐さんはテレビに引っ張りダコ。英語もペラペラな高学歴でありながら、理解してもらえないと熱くなり悔しさを素直に表現する若さが日本人特有の判官贔屓と母性本能をくすぐり主婦層の人気を呼んだ。キムタクやヨンさまやベッカムと並ぶのではないか。比較するのも変だが。

上九一色村の強制捜査や色んな物的証拠が出て来て、オウムはクロだと誰もが確信した。それでも、ひとり上祐さんは潔白を訴えつづけ、テレビに出演し続けた。世間は、オウムには真面目に修行するグループと国家転覆を狙うテロ集団との二つの顔があり、
上祐さんは前者に属し本当に事実を知らされてなかったのではないか、などと考えた。

そんな中、村井秀夫がテレビの中継中に刺殺される事件が起きた。上祐さんはテレビの中で、友人が殺された、と涙を流して憤った。それは、もし我々が友人が誰かに殺された時に見せるだろう反応となんらかわりなく、上祐さんの「正常さ」が強調された。
そこからの上祐さんは決死の覚悟だった。どう考えてもオウムの潔白はない中で、孤軍奮闘した。村井秀夫は息をひきとる瞬間、自分を抱きかかえる上祐さんに向かっ「ユ…ダ…」と言い残したと言う。上祐さんは村井秀夫の発言は犯人を自分に教えるためのダイイング・メッセージだと理解し、ユダつまり裏切り者、もしくはユダヤ組織の関与かもしれないと分析した。ある番組では、イエスを裏切ったユダやフリーメーソンの解説も行っていた。この頃になると、上祐さんのファンも上祐さんには同情したが、彼の訴えで考えを訂正することはなかった。むしろ、上祐さん、よく頑張った、そろそろあなたも目を覚ましなさい、みたいな風潮になった。

ワイドショーのスタンスも変わった。上祐さんの天敵・江川詔子あたりに「一連のオウム報道に関して、一部、オウムを英雄視した責任がある」みたいことを言われ、そろそろヤバいぞと思ったのだろう。それまでは、上祐さんに自由に話させてたのが、上祐さんの話をすべて途中でさえぎった。ハナから発言の場を与えられないことより、局アナあたりに話を途中でさえぎられることの方が上祐さんのカリスマ性を風化させる効果があった。今までの上祐さんの独壇場は与えられず上祐さんの発言はまるでその人格を否定する目的であるかのようににことごとくさえぎられた。マスコミによって作られた偶像がマスコミの手によって破壊されるブームの終りの作業だった。それでも上祐さんはよくテレビに出続けたと思う。褒めるようなことではないのかもしれないが、上祐さんはああいうかたちで責任を全うしたのだと思う。僕もそれに付き合った。それがこのビデオテープ8巻である。見直すことはないだろうなぁ。

その後、テレビがどうなったかと言うと、上祐さんの面白みを消したのだから上祐さんで視聴率はとれなくなり、芸能人の浮かれたニュースで賑わうようになり、オウム事件は普通に事件を報道するだけとなっていき、「お父さんのためのワイドショー講座」のランキングから消えていった。

僕は学生時代、アパート暮らしをしていた時、セールスや勧誘の類を一々、居間まであげお茶を出し、彼らの言い分を聞いたあと論破して帰らせるという遊びをしていた。                                                     色んな人が来た。新聞をとってくれとか、英語の教材を買えとか、カンボジアの子供に寄付する金をくれとか、親子連れで来る宗教の勧誘もあった。                                                                       ことごとく論破して負けなしだった。ただ1つ、非常に印象に残ってるのは、ヨガの修行を通して自己実現をしようというあまり営利目的ではないお誘いだった。僕は東洋体育もそこそこ詳しかったので、彼を言い負かすのはたやすかったが、その人はそんなことよりいかにヨガが素晴らしく自分には修行が必要だということを真摯に語っていて、ちょっとグラっと来た。実習が忙しくて物理的に時間がとれないから断った。

それは、まだ犯罪集団になる前のオウム真理教だった。

BGM. 大滝詠一「カナリア諸島にて」


行方不明

24/Ⅵ(木).2010 はれ
蒸発者に憬れたことがある。安部公房の『燃えつきた地図』とか三島由紀夫の『音楽』とか。                                      皆さまがたにおいてはW杯で盛り上がってらっしゃるところ、なんなんな話題でしょう。
何の不自由もなく、一見幸福そうにさえ見えた男が突然姿を消した。
行き場所も告げず、書き置きもない。
懸命な捜索、やっとの思いで男を見つけ出した。ドヤ街みたいな処にみすぼらしい姿でいた。
でも、声はかけなかった。
なぜなら、今までのどんな瞬間よりも男の顔が幸福そうに見えたから。
そんな話に憬れた。
「蒸発者」にではない。
「身内や友人に親身に心配される存在」を夢想した。
だから、もし僕が「蒸発者」だったら、自分を必死に探し回る家族や仲間の心配顔を、物陰に隠れて、                                かくれんぼする子供みたいに、「あっ、来た来た」なんて喜んで見るに違いない。
これじゃ、蒸発者失格だ。
そんなことを考えてたのが10代の終り頃、我ながら幼稚である。
昔、wowowでシティーボーイズの舞台『丈夫な足場』というのを観たことがある。
蒸発者の集いがあり、各々がどういう経緯で蒸発するに至ったかを、時間軸や座標軸をシャッフルして、
つぎはぎにして、最後に話が繋がるというものだ。
面白かった。DVD、出てるかな?
「蒸発」に似てるものに「神隠し」がある。
神隠しといえば『ピクニックatハンギング・ロック』という映画だ。
1900年のオーストラリアの寄宿制の女子学校が舞台。
先生に引率された一行が、岩山ハンギング・ロックへピクニックに行く。すると、ちょうど12時に時計が止まって、
少女達がいなくなってしまう事件の顛末が筋。
意味深だなと思ったのは、1人だけ岩山に吸い込まれなかった子がいて、その子があまりかわいくない子として、
非常に差別的に描かれていたことだ。
神隠しにあうのはきれいな子だけ、きれいじゃない子はだめ~っていう。 
「選ばれなかった子」は、事件の「証人」の役割をさせられた。
なんか、意味深でしょ?
BGM. よしだたくろう「かくれましょう」


ヰタ・セクスアリス2

13/Ⅵ.(日)2010 はれ
学生時代に出席番号の近かった友人が、
奥さんに浮気がバレばい秘訣とは「嘘に事実を少し混ぜて喋ることだ」と自慢していたのを何故か思い出した。
彼の説によると、
「人間は嘘をつくと表情に出る。
だから、本当のエピソードを少し挿入すれば、事実を話す時には表情に変化が出ないから、‘
相対的に’表情の変化が薄まり、嘘がバレにくくなるのだ」と言う。
なるほどと感心したが、数年後に彼は離婚していた。
僕に初恋というものがあるなら、小学校の時のクラスメートの娘だろう。
彼女は当時流行っていたテレビの魔法少女に似た名前で、広い松林のすぐ脇に住んでいた。
彼女の家に遊びに行くと、彼女は親に見つからないように僕を押入れの中に誘い、
押入れの上の段の狭く暗い空間に2人並んでしゃがむと、
息を殺し頃合を見計らっては僕の手をギュっと黙って握るのだった。妙にドキドキした。
これは顕かに‘悪い’ことだった。
なぜなら彼女が母親に
「まさか押し入れに入っていないでしょうね?」と咎められてるのを見たことがあるからだ。
彼女は平然と「入ってないわ」と嘘をついていた。
魔女っ子だ。
彼女の家では犬を飼っていて、彼女は
「犬は嘘をつくと目が動くのよ。人間も同じだと思うの。
だから、私はお母さんに何か聞かれても、じっと目を動かさないようにしているの」と告白した。
僕らは何度も押入れに入ったが、この方法でついに一回もバレなかった。
ある日、いつものように押入れの上の段に並んで座り、いつもは彼女が手を握ってくるのを待つのだが、
はじめて僕から手を握ってみた。
すると彼女は怒って「駄目!手は、私から握るの!」と手を振りほどいた。
僕は「女って、勝手だなぁ」と呆れて、それ以来、彼女の家に寄るのを止めた。
次第に僕らは疎遠になり、僕の初恋は自然消滅した。
上に紹介した2つのツールは結構、実用的だと思う。
もし、やむなく嘘をつかなければならない時にお役に立てば幸いである。
BGM. 憂歌団「嘘は罪」


「変」という字は「恋」という字に似てる

4/Ⅵ.(金)2010  快晴2連荘
書庫の整理をしていたら、古い教室年報を見つけた。
1990年3月、僕が医者になった時のもので、新入医局員たちの「入局にあたって」という作文が掲載されている。
僕のもあった。
折角なので下に無断転載しませう。
    ↓    ↓
『父の魂ー入局にあたって  川原達二』 
小学校2年の時だったと思う。
ごくありふれた1日だった。
私はいつものように遠回りをして家路を歩いていた。
ふと道端にキッカイな物体があるのに気がついた。
亀のミイラだった。
私は何の気なしに近くの貯水池にそれを投げ入れた。
するとどうだろう。亀は息をふき返し泳ぎ始めた。
私はしばらくその光景を見ていたが直にあきた。
そしていつもと同じ様に暗くなるころ家に帰った。
翌朝、学校に行くとまわりのフンイキが変だった。
妙に慣れ々々しく女どもが寄ってくる。
競い合うかの様に、私の靴をぬがしてくれたり、
お弁当のおかずを分けてくれたり、鉛筆を削ってくれたりしてくれた。
きのうの一件を誰かがこっそり見ていたらしい。
誰が付けたか「川原浦島ばなし」。
1日にして私はスターだった。
嘘の様にモテた。
事実私は今でもモテるが、あの時は「第一期黄金時代」と呼んでもいいだろう。
下校時には列をつくり、こぞって女たちが私のあとをついてきた。
みんなで私が救った亀を見に行くのだ。
女は口々に「元気に泳いでるね」「タッちゃんはやさしいのね」などと私を賞賛した。
他人の評価というものはどこかいい加減なもので、
いつもマジメなA君がちょっと魔がさしてカンニングしたのをみつけられようものなら
「実はズルい奴だった」「あいつは善人の仮面をかぶった悪魔だ」「私はウスウス感づいていた」
などと散々である。
ところがふだん意地悪なB君が帰り道で捨て犬の頭なんか撫でてる処を見つけたりすると
「実はやさしい人なんだ」「ただ照れ屋なだけなのよ」「私はウスウス感づいていたワ」
なんて勝手なものである。
今までの‘行ない’のスコアでも付けてたら、A君の方が全然いい子なのに、だ。
然しこれは私にとっては好都合だ。
私はよく「変な奴」だと思われる。
だから損するかというとむしろ逆で、ちょっと普通のことをすると
「意外とマトモだな」「あなどれない奴だ」「私はウスウス感づいていたよ」
などと、思いもよらない評価をうける。
だから「変な奴」と思われるのはけっこう得なのだ。
損とか得とかの問題じゃないのかもしれないけど。
子供の頃、よく父親に「損得勘定ばかりするな」とおこられたものだ。
しかし、今だに直っていない。
父は私が大学2年の時、胃癌で死んだ。
生前、父が楽しみにしていたのは、
私が医者になることと、ザ・ローリング・ストーンズの来日だった。
今年その夢が一遍にかなえられて、さぞや草葉の陰でよろこんでいることだろう。
   ↑    ↓
よくも入局の挨拶にこんなふざけたものを提出したものである。
と言いながら、恥の上塗り、またここに載せているのだからさすが同一犯の考えそうな仕業である。
実際、他の新入医局員の文と読み比べてみると決定的な温度差を感じる。
それは「異彩を放つ」とか「個性的」という意味ではない。
他の人が希望を語ったり抱負を述べたり、ベクトルが未来へと向かっているのに対して、
僕は一人だけ昔話をし、まるで何かにしがみつくように過去を振り返っている点である。
「ヨ~イ、ドン!」の合図で一人だけ背走するコントみたいだ。
BGM. GO-BANG’S「かっこイイダーリン」


少女地獄

1/Ⅵ.(火)2010  今日から6月だけど五月晴れ
書庫の整理をしていたら、永島慎二の「その場しのぎの犯罪」という漫画を見つけた。懐かしい。
そういえば僕は昔しばしば、その場しのぎの嘘をついた。どうでもいい嘘。切羽詰った訳でもない。
その気になればもっと計算できる頭脳があるのにすぐバレる嘘をつく。
大人は首をひねる。手を抜いているのか?
大人は途方に暮れる。嘘のための嘘?マニエリスム?
ある日、サングラスをかけて登校し服装違反でつかまる。
僕がついた嘘は「直射日光を浴びると目が変質する眼病を患っている」。
心配した教師は一言も叱らずに、有島武郎の「一房の葡萄」を気取ったのか、一冊の本をくれた。
タイトルは、夢野久作著「少女地獄」。
中身を読んでみる。
天才看護婦・姫草ユリ子は虚言壁があり、嘘を支えるためにまた嘘をつく。
そして自らついた嘘で地獄へ堕ちていく。
そんな話。
ちなみに「一房の葡萄」は「おいしかった」と書いてあったが、「少女地獄」は後味の悪さしか残らなかった。
話は変わるが、アニメに「地獄少女」というのがあったがあれは面白かった。
K-1MAXで長島☆自演乙☆雄一郎が、主人公・地獄少女こと閻魔あいのコスプレをしたのを一度見たことがある。
BGM. オフコース「君が、嘘を、ついた」


僕が野球部だった頃。

27/.(木)2010 はれ 昼過ぎに通り雨
看護学校のマネージャーに借りたまま返せていない本を読む。
A.J.クローニン「城砦」。
主人公の青年医師マンスンが、
いくどか絶望しながらも熾烈なヒューマニズムと科学的真理の求道精神に支えられて、
あやまりに陥ってはもどり、誘惑に負けてはそれから逃れ、それらを一つ一つ切りぬけ、
そのたびに医者としても人間としても成長していく話。
マンスンが圧倒的な抵抗をうけたのは、個人の、社会の、そして国家の無知と沈滞。
人間の無知はおそるべき威力をもち、その牙城は微動だにしない「城砦」のようだという。
あの人はどんな想いで貸してくれたのだろうか。
BGM. 野口五郎「青春の一冊」