今田の昔

31/Ⅰ.(月)2011
深夜テレビ「お願いランキング」に、今田耕司が出てるのをみた。
ホスト役のブラマヨとやり取りをするトーク形式の番組だが、その中で「何故、今田さんはピン芸人なのですか?」
という質問に、今田は昔ホンコンさんと「Wホルモン」というコンビを組んでいたという。
解散の理由は、当時の今田は全然朝が起きれなくて、いつも寝坊して、
それでもああ見えてホンコンさんはとても優しい人で、ずっと許してくれていて、
それでも今田はずっと寝坊して、ある日、ホンコンさんが「このままでは2人とも駄目になる」と解散したらしい。
今田耕司は当時を降り返って「本当にダメ人間でした」と言っていた。
それは、本人が当時を振り返っても説明できないことだった。
学生の頃、忌野清志郎の売れない頃の日記を読むと、「この人はダメ人間だなぁ~」と思って、とても安心した。
そういえば僕も医者になりたては結構遅刻とかして怒られていた。
何年目かにある先生との出会いで衝撃というか影響を受け、真面目になった…というか、過剰に働くようになった。
それは今でもそのままで、人間は一生のうちで働くトータル時間が定められているのかもしれない。
まだ返済期間みたいだ。
何年か前に、指導医の先生にお会いして近況を報告したら、「へ~、川原君、朝から仕事してるの?」と驚かれた。
人間はいつか何かの拍子にガラっと変わる時期がある。
風向きとか潮の満ち干きに喩えられるようなものだ。
だから、今、駄目な人もそういう時期が来れば自然と変わるから、それまではあまり努力をしないでいいと思う。
…無責任な発言だなぁ。
BGM. ハナ肇とクレージーキャッツ「ホンダラ行進曲」 


涼宮ハルヒの消失

18/ⅩⅡ.(土)2010 夜は友人の結婚披露パーティーにお呼ばれ
今日は「涼宮ハルヒの消失」のDVD&BLの発売日。
12月18日は長門による改変が起きた日で、その日に発売日を合わせたらしい。素晴らしい!!!。
下に、今年の3月の映画公開にあわせご当地・西宮へ聖地巡礼ツアーに行った時の写真を一挙公開しよう。
①キョンの通学路、2枚。↓。


②ミクルがキョンに公園で時間断層の説明をする時のイメージ映像に使われた川。↓。

③長門のマンション。↓。

④キョンが「光陽園学院」に急ぐ道の光景、2枚。↓。


⑤ハルヒが「転校」した「光陽園学院」、2枚。↓。


⑥ハルヒの下校時間までキョンが待つ花屋のあたり。↓。

⑦改変された世界のハルヒと古泉に、キョンが事件を説明する喫茶店。(サイゼリア)。↓。

⑧古泉がキョンにおそらく「うらやましいですね」と言ったのを踏み切りの音がかき消したその踏み切り。↓。

⑨「北高」、2枚。↓。


⑩映画の前に見るべき「笹の葉ラプソディ」DVDの特典映像に出てくる立て看板。↓。

BGM.  岩崎宏美「あざやかな場面」


ジ・アウトサイダー

11/Ⅹ.(月)2010 はれ
一度、つまづいた奴らにチャンスの場を与えてやりたい。
格闘技くらいは敗者復活の場があってもいいではないか。
そんな思いで前田日明が始めた「ジ・アウトサイダー」がついに横浜文化体育館に上陸した。
この場所は、リングスが約11年間の活動にピリオドを打った思い出の場所だ。


ジ・アウトサイダーは全国の不良達が集結して戦うアマチュア大会で、
○×連合第何代総長とか××会特攻隊長などがそれぞれの看板を背負って出場する。
当然、応援する奴らも不良やギャングやチーマーや暴走族だ。のぼりをたてて気勢を上げる。
僕は最寄り駅・関内から、それっぽい不良5人組の後について行く。
会場に着くと思ったら、奴らの行き先は「猫カフェ」だった。きぇ~、だまされた。
不良のクセにメルヘン。果物屋のおばあちゃんに道を聞いたら親切だった。
お礼に、みかんを買った。
15時会場、16時開始。僕は15時についたが、入れたのは16時だった。
なぜ1時間も入場に時間がかかったかというと、ものものしい身体チェックが行われたから。
一人ひとり、金属探知機みたいなもので調べられた。ドスやチャカを持ち込むといけないから。
会場入り口に、村上和成が立って陣頭指揮をとった入念ぶり。
前田が言うように、警備は完璧だった。
K1やDREAMの警備はひ弱なバイト君だが、この日の警備員はみんな、おっかなかった。
実際、そこらじゅうで客同士が乱闘するのだが、屈強な警備の男が暴れる入墨の男の首をしめてひきづり出してた。
臨場感~!。会場には、船木の花も届いていた。↓。


ラウンド・ガールはラウンド・エンジェルと呼ばれ、SRCやDREAMより断然良かった。
前田の趣味か?。格闘技の邪魔もせず、華にもなる。こういう細部にもセンスは光る。
はじめは水兵さんみたいな格好の子が出てきて可愛かった。
試合が進むにつれ露出度の多い子に代わって行った。
この大会の目玉の1つは、日米安保改定50周年を記念して日米友好の証として、
前田日明が選抜したアウトサイダー選抜軍vs沖縄在日米軍の5vs5対抗戦だ。
特別立会人として、なんと!、長州力が「パワーホール」の入場曲に乗って登場した。
大盛り上がり。前田はリングスの頃と同じ、赤のブレザーに白いシャツ・ノーネクタイ。
日の丸を思わせる。
ラウンド・エンジェルは、迷彩色のビキニに迷彩柄のシャツを羽織った米軍をイメージした子と、
白の特攻服に白いボンタンにピンクのブラのジャパニーズ・ヤンキー・スタイル、日米対抗を煽る。
館内は、大歓声。
結果は、日本の圧勝、4対1。米軍、弱いぞ~、もっと強いの出て来~い!。
もう1つの目玉で1番盛り上がったのが、アウトサイダー対ZSTの5vs5対抗戦。
ZSTとは、リングス活動停止のあと、旧リングススタッフが中心となって旗揚げされたプロ格闘技団体。
所英男や年末にKIDに勝ったSRCの金原正徳を輩出している。
プロ集団にとっては勝って当たり前、負けたら何を言われるかという何のメリットもない戦いだが、これを受けて対抗戦が実現した。
対抗戦・第1試合は‘川口連合第十代総長’という入墨の男と‘ZSTの仮面ライダー’というフィギュア・オタクの対戦。
興奮したアウトサイダー軍は花道や壇上を占拠し、「このままだと選手を減点にする」と宣告されやっと席についた。
一方のZST清水俊裕はやさ男風で仮面ライダーのベルトを締め入場。
最新・仮面ライダーの決め台詞「お前の罪を数えろ!」とマイクアピールしたから、不良達が怒るのなんの。
恐ろしい雰囲気の中、試合開始。しかし、なんと!、仮面ライダーが秒殺してしまったのだ。
「プロをなめるな!」とマイク。また乱闘。
ZSTの3勝1負で迎えた大将戦・アウトサイダー軍はジ・アウトサイダー出身のプロ第1号・吉永啓之輔。
吉永は女子からキャーキャー言われていた。
なかなかハンサムでワルで強いから、モテるんだな。
試合はZSTの奥出雅之の一本勝ち。ZSTの4勝1負。
しかし、ものすごい殺気だった。
DREAMやSRCやK1に慣れてるから、なかなか新鮮で良かった。
会場の客は怖いけど警備はしっかりしてるので、刺激が欲しい人にはオススメです。
前田日明は、えらいものをつくったなぁ。
考えてみれば、今の格闘技界のトップのヒョードルやノゲイラやアリスターだって皆、前田が発掘して来たんだからな。
それを引き抜きとかで活動休止に追い込まれて、悔しかったなぁ。
それでも、前田は11年間でZSTやアウトサイダーを作って、リングス・ネットワーク構想を有言実行してるんだもの。
前田こそが、敗者復活だよ。すごいなぁ。見習わないと。
最後に全選手登場時、ラウンド・エンジェルの水兵さん2人もリング・イン。
僕が携帯で撮ろうとしてるのに右の子が気がついて、手を振ったら2人で振り向いてくれた。
好きな人が優しかった、ピース!。




BGM. RCサクセション「よそ者」


勉強会!

2/Ⅹ.(土)2010 はれ
夜から、新薬の勉強会。診察が長引いてしまい、大幅に遅刻。
城南地区の勉強会や精神科医の集まりの時は、必ず「つね先生」が世話人になってくれている。
面倒見の良い親分肌の先輩だ。
2次会は、その「つね先生」の馴染みの銀座のバーへ。
酒のつまみに出た、コンニャクの甘辛煮がうまかったので、板長を呼び、ハワイ旅行で余ってた$紙幣をチップで渡す。
板長はノリノリになり、「チップ、頂きました~!。七百$です~!」と大声で叫び、鉢巻にお札を差して働いていた。
以前にも、僕はここに連れて来てもらったことがあり、その時、店のゲイ・ボーイに
「ウチらを本当に旅行にまで誘って、実際に連れてってくれるのは「つね先生」くらいなんですよ」と、
「つね先生」がトイレに行ってる時にこっそり泣きながら告白されたことがある。
もらい泣きした。その事、「つね先生」には言ってない。調子に乗るといけないから。
「つね先生」は、最近は加圧トレーニングに凝ってて、ここ30日くらいは酒も呑んでいないという。
豪快にして繊細な人が、自分の肉体改造に興味が行くなんて、三島由紀夫の最期みたいじゃないか。
心なしか顔色も悪いな。顔が浅黒い。
「つね先生」本人は、「ハワイ焼けだ!」というが、心配だ。
<お前、自殺すんなよ!>と言って、ヘッドロックして、頭5発くらい殴っといたから、まぁ、当分は大丈夫だろう。
開業医が集まると、経営の話に少しはなる。
「今の診療報酬では(経営は)苦しい」と皆、口々に言っていた。
「つね先生」に、「お前もやり方、考えろよ」と言われた。
なんじゃ、そりゃ?。
製薬会社の人も1人、一緒に来たが、いつまでもネクタイをしめてるから、
「ネクタイをとれ!。もしくは、ネクタイだけになれ!」と命令した。
結局、別の医者の頭に、ネクタイを巻いてやった。
製薬会社の人に、「最初から、この店でやれば良かったのに」と言ったら、
「つね先生」に「バ~カ、ここじゃ経費で落ちねぇんだよ!」と言われた。
なんじゃ、そりゃ?。
で、今日の勉強会の会場に選ばれたのが、神楽坂のアグネス・ホテル。
アグネスというと、アグネス・チャンやアグネス・ラムを思い浮かべる人も多いと思うが、
アグネスと言えばなんてったって「聖アグネス」だろう。
聖アグネスは、4世紀の初頭、「キリストはわたしの花婿です。わたしはその方に従います」と宣言した。
ローマの裁判官の息子は、美しいアグネスを見そめてプロポーズするが、聖アグネスはまったく受け付けなかった。
この親子、甘言で落ちないとみると、力づくの威しに出た。
裁判官は「それなら、つぎの2つのうちどちらかを選べ。ローマ神殿に行って供物を捧げるか、娼婦館に行くか」。
聖アグネスは、それでもひるむことなく
「わたしは偶像の神々に供物を捧げるつもりはありません。しかしまた、わたしを肉体の罪で汚すこともできないでしょう。
わたしには、わたしのからだを守ってくれる主の御使いがついているからです」。
そこで、裁判官は、聖女の服を脱がせ、全裸の姿で娼婦館にひきたてようとした。
すると、聖アグネスの髪の毛が長く伸びて、子羊のように全身を覆ったという。
娼婦館に着くと天使が待っており、聖女に明るく輝く服を与え、館の中をその輝きで満たしたという。


朝、起きたらポケットにクチャクチャの1万円札が3枚、入ってた。
覚えてないけど、きっと払おうとしたんだろうな。
※訂正:本文中のチップの額‘七百$’は‘7$’の書き間違えでした。七百円と混同したのです。お詫びして訂正いたします。
BGM. J.S.バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」


憬れのハワイ航路④

あくる日。
目覚ましより早く目が覚める。ダイヤモンドヘッドの登山に出かける。
ホテルからのバスで登山口まで、そこから歩く。


ハワイといえば透き通る青い海。この青い海を保つため、ハワイ市長は毎朝早起きして海岸を歩き、
バスクリンをまいている、とバスガイドが日本人向けのジョークを言ってたが、
ダイヤモンドヘッドの展望台から観る海の色はまさにバスクリン。
バスクリンを誉めるべきか。


草も木もない裸の山から見える青い海とのコントラストも絶景だが↑、
ゴツゴツと剥き出しの山肌と枯れ木に親近感を覚える。
ハゲタカとかハイエナとか、嫌われ者の住み家のようで気を遣わなくてよさそうだから。↓。


ホテルに戻って、フルーツを食べて、お土産を選ぶ。
少し横になり本を読み、浮輪を持ってビーチへ。
今日は波がない。
浮輪で漂っていると、どんどん沖に流されて行ってしまい、怖いのでなるべく浅瀬に滞在する。
立って、ヘソくらいの波でも、腹這いになってれば頭を越える大波だ。
十分、サーファー気分が味わえる。


そのかわり、海水パンツの中は砂だらけになる。
浅瀬で溺れ恐ろしい体験をするも、冷静に足をつけば、なんてことはない。
恐怖とはイメージの作り出すものだ。
泳げないことにコンプレックスを持ってる人に朗報。吉田拓郎もカナズチです。
僕は、それを小学校の時に知って、とても気が楽になり、それ以降、まったく泳ぎの練習をしなくなった。
そういえば、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウイルソンも泳げないらしい。
話を、海に戻す。
娘が、同様に浮輪を持って海に出るが、彼女は命知らず、どんどん沖の方へ行ってしまう。
娘は小学校の頃、スイミング・スクールにも通っており、僕とは違い、泳ぎには自信があるのだ。
海を満喫している。
その間、こちとら相変らず浅瀬で溺れている訳である。
1時間くらい経過して、疲れたので妻の待つゴザへ戻る。
僕は、娘の様子を時折、気にしていたが、どんどん沖へ流れていく。
一向に帰ってくる気配がない。
もしかして、戻れなくなったのではないか?
風が凪ぎ、波が沖へ沖へと物体を引き寄せているのかもしれない。
さっきまで娘の浮輪の目印のグリーンの付近にたくさんいた他の遊泳者達も遠ざかり、
娘の現在地を示すグリーンは、太平洋にひとりぽっち、ポツンと浮かんでいる。
自分から助けを求められない、内気な子だ。
不安でも周りに声をかけられない、それどころか外見は平然として見られてしまう。
周りも気付かないから、さらに沖へ流されている。
まだ陽は高いが、人間はこんなに長い時間、海に浮かんでいて楽しいと思うか?
人間には海に浮かんでいて楽しいと感じる時間の限界もあるだろう。
ライフセーバーの位置を確認する。
砂浜から、娘の名を呼んでみるも届かない。
望遠で写真を撮ってるカメラマンがいる。
彼にレンズをのぞかせてもらって表情を確認するか?。
いくら泳ぎが達者とは言え、いくら魚座生まれとは言え、足がつってしまえば使い物になるまい。
「河童の川流れ」、「海のもくず」、「水の泡」という不吉なフレーズが頭をよぎる。
早川義夫の声で、ジャックスの「からっぽの世界」の一節が脳内にかかり始める
。♪静だな~海の底~。静だな~何もない~♪。
砂浜から、娘の名を念じ気を送る。
その限りは、浮輪が破れない、荒波にさらわれない、そんなコーティングの力を期待して。
いよいよ、娘のグリーンの浮輪は、沖へ流されて行く。
娘を助けなければ。
もし仮にそれが過剰な心配でも構わない。
確率の問題ではない。期待値の問題だ。
娘が、もし助けを求め、不安のまま流されていたなら…そう思うと胸が張り裂けそうだ。
娘を助けに行こう。目測で50~100mの距離だ、と弟が言う。僕は泳げないが、弟も泳ぎが達者だ。
娘同様、小学校時代スイミング・スクールに通い、色んなトロフィーをもらって帰ってきていた腕自慢だ。
娘を助けるべく、僕は黄緑の浮輪をくぐり、弟に娘の所まで泳いで連れてってもらうことにする。
弟に、ビートバンの要領で、浮輪の僕をバタ足で押させる娘・救出作戦だ。
妻によく沖で観察し、もしグリーンか黄緑の浮輪が見えなくなったり、異変を感じたら
(たとえば、サメの背ビレが見えた、とか)あそこのライフセーバーに連絡するよう言い残す。
妻も、弟に無理はするな、そして弟が1人で行った方がいいんじゃないか?、などと言う。
それは、ちがう。
主は1匹の羊が迷ったら残りの99匹をその場に残してでも探しに行くと聖書に書いてあるではないか。
一家の長である、私が行かない訳にはいくまい。
僕は、自ら浮輪をかぶりスタンバイOK、弟の動力で娘のもとへ泳ぎ出す。
僕が方向を「12時の方向」、「11時の方向」、「1時の方向」と指示を出す。
風は逆風、波も我々救出班を岸へ押し戻そうとする。
必死に押す弟が、「進まない、遠い」と弱音を吐く。
オレも体重を前にかけ、波に負けないように体重移動、波の抵抗を和らげるべく波に向かって体を
45度に舵取りして、弟に「がんばれ!」と叱咤激励を飛ばし、自らもフル稼働で足を動かすも、
お風呂で遊ぶアヒルのおもちゃのごとく微力だが、気合を伝えるには十分で、弟は英雄的に力を発揮、
波を追い抜き浮輪は前進。必死の形相、男らしく育ったものだと感慨。
竜雷太・主演、「これが青春だ」の主題歌が脳内でかかり出す。
♪嵐の中も~君のためなら~七つの海を泳いでいこう~
誇りひとつを胸に掲げて~夢に飛び込む~それが若さだ~そうとも!これが青春だ~♪。
娘のグリーンの浮輪が近付く。
ホルンの奏法で身につけた複式呼吸の要領で、娘の名を呼ぶ。2度、3度。
すると、娘はこちらに気付き、手を振る。
SOSのサインか?
娘の名を呼び続けながら、手招きすると、勇気百倍になったか、自力でこちらに泳いでくる。
「何?」と言う。
潮に流されてるのではと心配して救助に来た、と伝えると、娘は安堵の照れ笑い。
砂浜へ戻るぞ、との号令に従い、彼女はスイスイと先に泳いでいく。一安心。
一方、弟は、「重い重い、浮輪が邪魔だ」と嘆きながら、今度は方向転換、
必死で今来た道をUターン、砂浜に父を無事に送り届ける任務にミッション変更。
そんな弟に、いかにお前のとっている行動が人として素晴らしく、縁の下の力持ちとは男らしい美学なのだ、
ということを噛んで含めるように言って聞かせながら、足がつく所までくれば、こっちのもの。
右足で砂浜をギュっと掴むように立ち、左足も前に、両足でしっかりと立てた。
もう大丈夫だ。
オレは、振り返り、疲労困憊の弟の手を握り、ご苦労様、と引っ張るようにすくいあげる。
ここだけ見たら、オレ、ヒーロー。
とにかく、皆、無事で良かった。
足の砂を洗い流してホテルの部屋に戻り、一休みして、おなかが空いたので焼肉を食べに行く。
その席で、弟に、泳ぎの不安はなかったか?、と聞くと、「自分が溺れたらどうしよう」と心配だった、と言った。
「人生は、多くの場合、慎重にしておいた方が無難だ。
しかし、あの場面で泳ごうと決意したのはとても立派なことだ。男らしく育って、お父さんは鼻が高いぞ」と誉め、
「今日のMVP」の称号を与えた。


男たちヒーロー軍団は疲労して、早々と床につく。
かたや、姉は元気いっぱい、遅くまで母親とショッピングを楽しんだ。
ハワイもあと2日。
BGM.A面 平山美紀「真夏の出来事」/B面 ザ・フォーク・クルセダーズ「女の娘は強い」


人相

2/Ⅸ.(木)2010 はれ
Y.S.が、似顔絵を描いてくれた。
実に人相がよろしく、やさしさ2割増し。サービス・カット。
なんとも、気恥ずかしいというか、嬉しいです。ありがとう。
人相といえば、小学校の「聖書」の時間に聞いたお話をひとつ。
ある画家が、絵の依頼を受けた。
それは、マリア様に抱かれた赤ん坊のイエス様と12人の弟子を一緒に描いてくれ、という注文。
(時代考証メチャクチャ)。
画家は、街を歩いてモデルを探す。
最初に見つけたのが、可愛らしく純真な顔をした赤ん坊。イエス様のイメージにピッタリ。
それから、1人づつモデルを見つけ描き上げていく。
しかし、どうしても最後の1人、「裏切り者のユダ」だけが描けない。
悪どい顔の人間というのもそうそう世の中にはいないもので、何年も歳月が過ぎた。
ある日、街で「これだ!」という悪い人相の男を見つけ、モデルを引き受けてもらった。
やっと、完成するぞ。
絵を描かれてる途中、モデルの男は画家に向かってこう言った。
「私は、人生で絵のモデルをやるのは2回目なのです。
1回目は、赤ん坊の時だったので覚えていませんが」。
イエスのモデルをした赤ん坊が、大人になってユダのモデルをやった、というお話。
悪いことをすると顔が変わるから、みんなも気をつけよう~、という脅しだった。
人を外見で判断してはイケナイが、ある程度の人間性は顔に出る。
せっかく、いい人相に描いてもらったのだから、恥じないように生きなければと心に誓った。
40何才の秋なのだ。

BGM. 郷ひろみ「How many  いい顔」


サタデー・ナイト・ラバさん

28/Ⅷ.(土)2010  はれ
先日のブログ記事「逢ったとたんに~」を書いてから、思い出したことを書きます。
ちなみに表題のサタデー・ナイト・ラバさんの、ラバさんとは、小学校の時、ドリフの歌で♪わたしの~ラバさん~酋長の娘~♪ 
という変な歌があり、何かと思ったら、ラバとはLOVERで恋人のことらしい、と知ってから気に入って使ってる単語。 
つまり、土曜の夜にピアノのレッスンを受けてたから、ふざけてそう言ってた。
その日のマリコ先生は何かスターのような白いワンピースに赤いベルトの様なものをしめ、
いつもながら独特のふんわりとした、しとやかな意志の流れみたいな電磁波を発している、サタデー・ナイトだった。
次にやりたい曲を聞かれたので、「Just One Look」ってな調子で、「来週、テープを持ってくる」ということにし、
試しに僕はそのメロディーを右手だけで弾いて、「こういう曲なんですよ」的な次回予告風の紹介をすると、
彼女は「ああ」と光り輝く笑みを浮かべ、いきなり「こういうのですね」と両手でスラスラと弾き出したのだ。 
僕が、メロディーだけなら口ずさめる程度のものを、マリコ先生はピアノでやれてしまうのだ。
そして、その時、「これ、リンダ・ロンシュタットも歌っていますね」と言ったのであった。
別の機会にマリコ先生が「川原さんに合うと思って」とチョイスしてくれたレッスン曲が「メロディー・フェア」だった。 
偶然だが、これは僕の大好きな映画「小さな恋のメロディ」の、僕の大好きな主題曲で、たいそう感激した。 
僕の葬式に、是非、生演奏して欲しいと思ったほどだ。
ここで、「葬式にかけて欲しい曲ベスト3」を選出してみよう。
第3位、西城秀樹「君よ抱かれて熱くなれ」。第2位、郷ひろみ「花とみつばち」。第1位、野口五郎「きらめき」。
新御三家で、決めてみた。
BGM. エルトン・ジョン「土曜の夜は僕の生きがい」


ザ・ヒストリー・オブ・川原⑨~「お~い、ナカクラ君」

31/Ⅶ.(土)2010 はれ
7月はお誕生月なので、「ザ・ヒストリー・オブ・川原」と題して思い出にひたることにする。
その第九弾。
医師国家試験のテスト範囲は膨大である。
その全部を完璧にこなすのはなかなか難しく、また全部が出題される訳でもなくどこが出るかわからない。
そこで、傾向と対策が必要になり情報戦が重要になる、らしい。
僕らの頃の情報戦の主軸は、「~が出るらしい」という風の噂。
それを聞くと、そこを集中的に取り組む。
また別の噂を聞きつけると、そこを見直す。そんなことをしていた。
実際、情報内容よりも、そういうものを自分だけが知らない不安がプレッシャーを呼ぶから
心理的効果の方が大だったのかもしれない。
そうは言っても、国師直前の僕らには、まるでTVの選挙速報よろしく、
「どこが出るらしい~」というガセネタを待ちわびながら、自分の勉強を続ける、
というスタイルがスタンダードだったような気がする。
クラスの頭の良い子が、学校にかけ合い、6年生のために皆で勉強をし情報を
共有するためのスペースを確保してくれた。
これは、大変助かる。
0時とか1時まで解放してくれるのだが、その時間まで学校に残ると僕は家に帰れなくなってしまう。
僕は、当時、へんぴな所に住んでいたので、交通手段がなくなってしまう。
大学6年にもなると、結構マイカーを持ってる人がいて乗り合わせたりして帰っていたが、僕は車は乗らないし、
いかんせん‘へんぴ’なので、他の友人に乗せてもらって遠回りになってしまうので悪くてお願い出来ない。
それも毎日毎日のこと。
とてもじゃないが頼めない。
困っていると、これまで6年間、ひとことも喋ったこともない男が、                                                      「川原さん、僕、帰り送って行きましょうか?家は○×ですよね?うちもすぐですから」と言ってくれた。 
本当に?いいの?。
「川原さんの所、帰り道なんでいつも通るんですよ。1度、見かけたこともありますよ」と言ってくれた。
悪いなぁ。じゃ、お言葉に甘えて。
ところで、君、誰?。
すると彼は真面目な顔をして、「ナカクラです」と答えた。
ナカクラ君、と呼ぶことにした。
ナカクラ君の車は紺色の丸味を帯びた地味な日本製の車だった。
学校から僕の家までの間、車中で今日勉強した箇所を話し合った。                                                     ナカクラ君がどの位頭がいいのか僕は知らないが、きっと僕より成績はいいのだろう。                                        「そこはこうだと思いますよ」「それと関連して、コレコレ、というのも覚えておくといいですよ」などと言ってくれたから。
約束通り、国家試験が終わるまで、毎日、ナカクラ君は僕を家まで送り届けてくれた。
国家試験の当日、僕の手応えはなかなか良かった。                                                             ナカクラ君はどうかな?と少し気にしたが、広い会場だ、誰がどこにいるかなんてわからなかった。
そして、国家試験の発表。テストは水物だから、受かる人もいれば落ちる人もいる。
合格発表者の表にナカクラ君の名前はなかった。                                                                他のクラスの子に「ナカクラ君、駄目だったの?」と聞くと、「ナカクラ?誰?」と言われた。 
えっ?。…合格欄だけではない。卒業名簿にも「ナカクラ君」の名はなかった。
今でも、不思議に思う。ナカクラ君は、いなかった?。                                                             ただ一つ、はっきり言えるのは、もしナカクラ君がいなければ今の僕はいない、っていうことだ。
BGM. ソフトクリーム「クラスメイト失踪事件」


ザ・ヒストリー・オブ・川原⑧~「マイラ」

28/Ⅶ.(水)2010 猛暑つづく
 7月はお誕生月なので、「ザ・ヒストリー・オブ・川原」と題して思い出にひたることにする。
その第八弾。
医学校は6年制であり、さすがに大学6年にもなると、皆、目の色をかえてラスト・スパートをかける。 
断っておくが、それが悪いと言ってるのではない、当然である。
ただ、なんとなく、ひとこと、「さぁ、俺達も頑張ろうぜ!せーの」みたいなワンシーンが欲しかっただけなのだ。
こないだまで一緒にバカをしてた友達がいきなり国試モードになったので戸惑った。
本当に、戸惑った、という言葉がピッタリだ。僕は最終電車に乗り遅れたヨッパライのようで、
おきざりにされた気分に浸った。
こういう時には、人の心に隙間ができる。そこに悪魔がやってくるのだ。
1年後輩の遊び人だ。あまり親しくはなかった。
それが「川原さん、一緒に遊びましょうよ」と誘ってきた。
学校のそばの繁華街のフィリピン・パブへ行こうという。
ついて行く。
「Black&White」とか「おしゃれ泥棒」とかいう名前だったと思う。
そのお店は、ステージが1つあり、あとは広いフロアにテーブルが幾つかあって、
各々のテーブルに艶やかな色のチャイナドレスをまとったフィリピン人の女の子がつき、
水割りを作ってくれたり、カラオケをしたり、会話を楽しむ、そういう雰囲気。
馴染のお客には目当ての女の子がいる。
僕は後輩に「川原さんは、マイラがいいでしょう」とマイラをあてがわれた。
マイラは、華奢で背格好もそんなに大きくなく、端正な顔立ちをしているフィリピン美人だ。
彫が深いというのか、鼻筋がピンと伸び、肉厚のある唇をいつもツンととがらせているから、
ちょうど顔面の中央部分が穏やかに隆起しているような造りだった。
黄色いドレスを着ていたせいもあり、第一印象は、ひよ子みたいな顔をしてるなぁ、と思った。
マイラは他の子と少し違った。
マイラ以外の子は率先して場を盛り上げたり、客とデュエットしたり、それを囃したてるため変な拍子の
掛け声をかけたりしてふざけているが、マイラはそれを見て笑ったり手拍子を合わせているだけだった。
僕はそういうところで盛り上がる社交性に少し欠けていたから、「担当・マイラ」は疲れなくて助かった。
後輩のチョイスが正しかった、ということなのだろう。
それから僕はフィリピン・バーに通った。学校帰りに一人で寄って、ビールを一本だけ飲んで帰る日もあった。
僕は今でもカラオケは苦手なのだが、この頃のカラオケはお店のステージに出て歌うから、
他の客にも見られるので余計いやだった。
それでも毎日、後輩の歌を聞いていると2つ程、レパートリーが出来た。
長淵剛の「とんぼ」とマッチの「夕焼けの歌」だ。
僕の生活はすさんできた。
クラスはピリピリした雰囲気だし、良男さんはもう卒業して学校にいなかった。
水は低きに流れる、というのか、どうしても楽な方へ逃げたくなるのが人情だ。
僕の足は、フィリピン・バーに流れた。
ある日マイラが、明日の日曜日、自分の家に遊びに来い、とこっそり僕に言った。
マイラは、真剣な目をしていて、後輩には内緒で一人で来い、と言った。了解した。
翌日、指定されたところで待ち合わせ。
彼女らは、7~8人でタコ部屋みたいなところに雑居していた。
「お~、タツジ!」皆、顔見知りだから、口々に歓迎してくれた。
いつもの仲間、いつもの笑顔、という感じだが、いつもと違うのはノーメイク&私服だということだ。
普段の華やかさはまるでなく、なぜフィリピン人はくすんだ色の服を好むのだろうか。
仕事で原色ばかり着させられるから、反動形成なのかもしれないな。
センス的には野暮ったいが、この方が街に同化するには効果的だろう。
僕らは近所のホカ弁でからあげ弁当を買って食べた。
そのあと、川の方に出て、子供たちがするような遊びをして時間を浪費した。
川沿いのコンクリートの部分に、僕とマイラは並んで座った。
マイラは正面の川を見ながら、僕の方を一切見ず、
「タツジ、もう明日からお店、来ない方がいいよ。勉強しなさい。」と言った。
僕は「わかった」とか「そうする」とか阿呆みたいな返事をした。
どうしてこういう時、もっと気の効いたセリフが出ないのだろう?。いつもいつもそう思う。
それから僕は勉強した。
狂ったように勉強した。
テレビも東スポも一秒も見なかった。
本当に狂っていたのかもしれない。
とにかく寝てる時間以外は勉強しかしなかった。
そして、そのペースは国試の当日まで持続した。
結果、僕は試験に合格して医者になった。
後日談。僕は一度だけ、マイラに会ったことがある。
医局の先輩が、うまい焼肉屋を見つけたからと連れて行ってくれたのだ。
店主と奥さんの2人で切り盛りしてる小さな店だ。
常連なのか、巨人軍の選手のサイン色紙が壁に飾ってある。
その隣りに先輩のサイン色紙が並べて貼ってあり、笑った。
お会計の時、奥さんらしき人は、サービスでガムとヤクルトをくれた。
顔を見て、僕はビックリした。
マイラだった。
「あっ…」と僕が絶句するのを、先輩は不思議そうに見ている。
僕が「マイ…」と言いかけて「ラ」の音を発音する瞬間に、マイラは「元気?」と言葉をかぶせて、
「ラ」の音を消した。
マイラは軽く微笑んでいて、相変わらず、ひよ子みたいな顔だった。
BGM. ポール・マッカートニー&ウィングス「マイ・ラブ」


ザ・ヒストリー・オブ・川原⑦~「良男さん」

27/Ⅶ.(火)2010 はれ、暑い
7月はお誕生月なので、「ザ・ヒストリー・オブ・川原」と題して思い出にひたることにする。
その第七弾。
名は体をあらわす、などと言うがこの人は良い人だった。
名前が「良男」である。大学時代の野球部の1年先輩だった。
僕はサードを守り、良男さんは控えの一塁手だった。
ある日の試合で、ショートの先輩が失策したあと、僕がサードゴロを一塁へ悪送球した。
ピッチャーは振り返って「怖くて三遊間には打たせられないな」と嫌味を言った。
ファーストだって捕れない球ではないだろう。
技術的な問題ではなく、捕る気がないのではないか?と思った。
無性に腹が立った。
そんな時、ベンチから良男さんの声が響く。
「ドンマイ~、ドンマイ~。川原~、くさるなよ~」。
3アウトをとり、ベンチに戻ると、良男さんが僕の横に座り、
「くっそ~、俺がファーストだったら捕ってやったのに。俺が試合に出れないから…」と
口惜しがった。
良男さんは努力の人だった。
野球部の練習日以外も自主練していた。
その試合の後、僕は良男さんに誘われ練習をした。
良男さんが一塁ベースにつき、僕がゴロを捕球したと想定しあらゆる体勢から一塁へ送球する送球練習。 
細長いファーストミットの先を使ってショートバウンドの球は全部すくい上げる。
頭を超えそうな暴投もジャンプしてキャッチしてくれる。
言い忘れたが良男さんは長身である。
たまさか胸のあたりにストライクのボールを投げると、
いい音を出すためにファーストミットを思いっきり強く早くはじくように閉じる。
パシーン!球が重そうだ。
「川原~、ナイス・スロ~!」、良男さんは目をつむって青空に向かって雄叫びをあげるのだ。
こっちが照れる。
その後、僕はささいなことから日々がめんどくさくなり人間関係を全部切りたくなり部活を辞めた。
学校で部活の先輩とすれ違うとバツが悪いのは初めだけで、すぐに挨拶もしなくなった。
それでも良男さんは違った。僕の悪い噂を聞きつけると、
そのたびに学生会館まで僕を探し出しにきて、
「川原、くさるなよ」「川原、学校は辞めるなよ」と、こっちが「うん」と言うまで肩を揺すられた。
先日、新宿紀伊国屋書店に医学書を買いに行った。
モン・スナックでカレーを食べ、伊勢丹の方に歩いて行く途中で後ろから「川原!」と声をかけられた気がした。
しかし、ふり返ってもそこにはただビル風みたいなのが吹いているだけで、
カラクリ人形みたいな人間が往来してるだけだった。
しかし、それは聞き覚えのあるあの人の声だ。
僕が今、こうして精神科医をやったり院長ブログを書いたりしてるのも良男さんのお陰である。
「川原、くさるなよ」と言って引きとめてくれなかったら、本当に学校辞めてたかもしれない。
感謝しておりますです、心から。
BGM. ベニー・グッドマン「夢見る頃を過ぎても」