川原達二の青の時代

21/Ⅴ.(土)2022 くもり少し雨 久しぶりに「エネルギー療法」の予約をとった。

今回は前回の続き。学生時代に描いてたマンガが発掘されたので、内輪で好評なのでみなさんにも見せびらかしましょう。

 

ミックジャガーからの賛辞の言葉から。ローリングストーンズはレノン&マッカートニーに曲を書いてもらった時の回想で、ミックは「20分くらいで二人が部屋から出てきたからギターを取りに来たのかと思ったら、もう出来たよ、と渡された」というエピソードを語っていた。良い作品とは長く時間をかけりゃ良いってもんでもないという話。ちなみにその曲は「彼氏になりたい」。それのオマージュとして、ミックジャガーに成りすましてみました。

まずは、記念すべき第1作。つげ義春の「下宿の頃」というタイトルを真似したくて、「浪人の頃」というマンガを描きました。内容的にはまったく影響されておらず、ほぼリアルな浪人生活を描いています。紙の上部に書いてある煽り文句の「マンガか?芸術か?」はつげ義春が「ねじ式」を発表した時の世間の声です。それを自分自身に向かって問いかけている訳でお恥ずかしい限りですが、「がんばれ!自分」というほとばしる若さゆえです。

前回も言いましたが、この漫画は、「川」の字の書き順の様に、左上から下へ、そして真ん中上から下、最後は右上から下で「完」という独特な読み方です。

吉田拓郎はアマチュア時代、好きな子が出来ると必ず歌をプレゼントしていたといいます。だから僕もクラスの人気者の桜井さんにマンガを描いてあげました。桜井さんのバインダーの柄が「かぶと虫」の絵に「enjoy your life」とデザインされてたのをみて、ピーターパンのイメージで作りました。しかし、プレゼントしたはずの絵が、現存するというのはどういう意味かわかりますか?突き返されたんスよ。

これは美容院に行ってマッシュルームカットにしたら失敗して、「ギリシャの鉄兜、みたい」とバカにされたのをマンガに昇華した作品です。「明日はホームランだ~」は当時の吉野家牛丼のCMのキャッチコピーです。

クラスメートがメンタルに参ってて「睡眠薬を飲んでる」と聞いて、人間の心の闇にメスを入れました。ラストシーンは意味深で、この男が優雅なのか、入水自殺なのかと論争が起きましたが、それも作者の思うつぼでした。

授業中にボーっとしてた時に、なんとなく頭に浮かんできたことをマンガにしてみました。「傷だらけの~」という言葉を使いたかっただけだと思います。

「マリちゃん」の相談を「リカちゃん」という先輩に相談したら大笑いされたので頭に来て、猟奇殺人事件を企ててみました。みんなが「引いてた」ので手応えを感じ「ガロ」に投稿しようと表紙だけ描いて挫折しました。

「マリちゃんとリカちゃん」の続編に「~ちゃんと~ちゃん」というタイトルをつけたくて作りました。小学校の時代にバス通学してた思い出を描きました。ラストシーンは、つげ義春の「長八の宿」のパクリです。

つげ義春の「古本と少女」や「もっきり屋の少女」に影響され、「~と少女」という作品を作りたかったのです。内容は実話です。「脇フェチ」っぽいですが、野球部の先輩は何人か「これは良い作品だ」と誉めてくれました。そう言えば、1982年、世は「ロリコン・ブーム」でした。

この頃からマンガに飽き始めてます。そして無意識的に主人公(自分)を医者に仕立て上げようとしています。太宰治のタイトルをかりて、「名医・メロス川原」が「先生」を助けるために駆け付けるが、間に合うか?というスリルを表現したかった野心作です。「先生」の病気は不治の病「不安神経症がん」としてますが、こんな病気はありません。つげ義春が「不安神経症」だったことと、それじゃ死にそうもないので「癌」をくっつけて作った造語です。作品は未完です。

1982年最後の作品で、ペンネームも変えて、この後、プロレスマンガ路線に走るので事実上、引退作品です。当時は伊藤つかさが人気で「アイコ16才」というテレビドラマに出て入浴シーンがあったことに感動してマンガに仕上げました。伊藤つかさはジェームス・ディーンのファンで、「理由なき反抗」の中でジェームス・ディーンが「俺の名はジミー。親しい人には、ジェィミーって呼ばせるのさ」というフレーズを思い出して、僕は子供の頃、扁桃腺が弱かったことから、「ジェイミー・アデノイド・タツジ」という新しいペンネームにし、「JAT」と略して浸透させようと企みました。「YMO」的な感じです。心機一転、青いインクを使っていますが、残念ながら「青の時代」に作品はこれ一つのみに終わりました。

SUMMER COME BACK TO ME、は所ジョージの「TOKYOナイト&デイ」のB面で、「下落合焼鳥ムービー」の主題歌になっていました。タイトルだけ借りました。

最近は脳内マンガ「川谷達平」というのを「連載」しています。脳内マンガとは紙におこさず、頭の中で妄想し続ける遊びで、主人公の「川谷達平」は野球選手。「大谷翔平」と「川原達二」の合いの子です。投げれば160km、打てば大ホームランで日本では収まりきらずメジャーに行きますがそこでも「二刀流」として大活躍。…って話なのですが、現実の「大谷翔平」が凄すぎて、脳内マンガが追いつきません。とりあえず、今週の「川谷達平」はロシアに渡り、プーチンを説得し戦争をやめさせノーベル平和賞をもらう手筈です。

BGM. 下落合焼とりムービー 予告篇


1982年の川原達二

20/Ⅴ.(金)2022 はれ 行きつけの蕎麦屋の人手不足深刻化。

学生時代に描いてたマンガを発掘。MMが、「面白いから画像を送れ」と誉めるから調子に乗って記事にする。

この漫画は、「川」の字の書き順の様に、左上から下へ、そして真ん中上から下、最後は右上から下で「完」という独特な読み方です。大学ノートに描いてたせいでしょう。

まずは、自己愛的な男を描きました。女子はギリシャ神話の「ダフネ」をイメージ。ダフネは、アポロンから求愛され嫌すぎて月桂樹になっちゃった女神。

 

僕は「天才」ゆえ、凡人から浮いていたが、意外にも「凡人」も良い奴だった、という天才の誤算を描きました。魔法使いサリーちゃんの最終回のように、唐突に友人に自分の正体を明かすところが面白味です。大学時代の実話。

同級生の青春時代を勝手に妄想しました。つげ義春の「義男の青春」というタイトルをどうしても真似したかっただけのモチベーションで書き上げた「未完成」の作品です。当時、10時8分のバスを逃すと次は10時40分でした。

jazz喫茶でセロニアス・モンクの「プラターズの、煙が目にしみる」をアレンジした曲を聴いた時に即興でひらめいたプロットを後に漫画化しました。フラれた彼女との再会の場面を描いた、ちょっとロマンテイックな川原らしい代表作です。

BGM. RCサクセション「こんなんなっちゃった」


心の護美箱(55)~恥と罪の意識の変化

23/Ⅳ.(土)2022 はれ マイク・タイソン、嫌がらせを続ける男をボコボコに。鉄拳制裁に擁護の声も。ウィル・スミスとの差は何だ?

日本は恥の文化だという。日本人の多くは「神」と契約してないので、「悪いことをしたら罰があたる」という罪悪感がブレーキになりづらい。それよりも村社会だから「近所の目」が気になり「そんなことしたら恥ずかしいぞ」という空気や同調圧力がブレーキとして機能することは「コロナ禍」で思い知らされた。

しかし、年代によって「恥」の概念は違い、突飛な格好や、立ち食いや、電車の中で化粧するなどは「恥」ではない若者が多く、逆に「ボッチである」とか「人と違う意見を言う」かと思うと「普通である」ことが恥ずかしいと思う人も多い。これは恥の意識がなくなったのではなく、恥の文化は続いているが、貞操観念の世代間格差だと思う。

心の護美箱(54がいっぱいになったので、(55)を作りました。心の護美箱がなんだかわからない人はバックナンバーを見て下さい。ま、簡単にいうと愚痴を書き込めるページです。「非公開」希望の人はそう書いてくれば内容はアップしません。

ここは誰にも言えない「秘密」を書いても大丈夫な場所ですが、「秘密」を話すのは恥ずかしいことですね。そこで言い出しっぺの僕がお手本というか「恥ずかしい秘密」をお話しましょう。これは中2の時の話ですが、なんと!これまで誰にも話したことがない蔵出しのエピソードです。

僕は中高一貫の男子校でブラバンにいました。僕はホルンを吹いていて、親友のY君はクラリネットを吹いてました。金管楽器と木管楽器は練習が別だったりしますが僕らは仲良くて気が合って笑いのツボも似てるし、休み時間にはゴムボールで野球をしたりして、僕は吹奏楽よりY君と遊ぶのが楽しくて部活に行ってました。そんな僕らはある日ほんの些細なことからボタンの掛け違いがあって絶交しました。僕はそのせいで部活にも行かなくなりブラバンも辞めてしまいました。

原因は、Y君が休み時間に本を読んでいて、他の誰かとその文庫本の話をしてたから、僕は彼が一人になった時に近づいて、「何、読んでるの?」と聞きました。するとY君は本を後ろ手に隠して「何でもないよ」と笑いました。さっきまで他の子と楽しそうに話してたのを僕はみてました。だから「何?」としつこく聞きました。Y君は苦笑いしながら「何でもない」と言って本のタイトルを教えてくれません。それで僕はカッとなって頭に来て「教えてくれないなら絶交だぞ!」と言ってパンチを浴びせました。Y君は悲しそうな顔をしましたが、僕はきっと怒りという名の嫉妬で狂ってたのだと思います。二人とも中2だし、仲裁に入る人もいなかったからそのまま冷戦が続き、何かのはずみに僕は彼にすごく意地悪をしたのが決定打で彼を泣かせてしまい、僕は自己嫌悪から部活を辞めて、彼とは毎日、学校であっても目を合わせず、お互い、別の友人が出来たから、結局、2度と話すことはありませんでした。

でも僕は時々Y君のことを気にしていて、高校の卒業式の時に、勇気を出してY君に話しかけました。4年ぶりです。「昔はごめんな。意地悪して」と僕が言うと彼は「うん」と言いました。…覚えてるんですね。「本読んでて、俺が名前聞いたの覚えてる?」と言ったら「覚えてる」と言いました。そうか、Y君も気にしてたのか。僕はそのタイトルを教えてくれなかったのが悔しくって意地悪してたんだ、ごめんね、と謝りました。Y君は硬い顔をしてました。僕は重ねるようにして、「あの時、読んでた本、って何なの?今なら教えてくれる?」と聞きました。すると、Y君ははじめて笑って笑いながら「星新一の『ボッコちゃん』だよ」と言いました。僕は、「え~、俺がずっと怒ったりジェラシーを感じてた原因は、ボッコちゃん、だったの~?」と膝から崩れ落ちると、Y君の笑顔は昔のような笑顔に戻っていました。そりゃ、「ボッコちゃん」は言いたくはないわな。でも俺だって、そんなことで意地悪してたなんて誰にも言えませんでしたよ。今回が初告白です。

BGM. 南野陽子「恥ずかしすぎて」


心の護美箱(54)~戦争への介入

2/Ⅳ.(土)2022 はれ 人類最強・ヒョードルがロシアMMA連合会長を電撃辞任、現在のウクライナ侵攻と関係か?

先日、「東急線沿線、4大頭脳集結。首脳会談、THE サミット」が行われた。東急線沿線でメンタルヘルスに関わる仕事をしている自称・4大頭脳、が、マンボー明けに一堂に介して、「世界を憂おう」という自己愛的な傷口を舐めあう寄り合い集会だが、実際には、「ある機関」の内政に僕が関与して「ご意見をたれる」という裏テーマも自覚していた。そんな「サミット」の前に僕は啓示的な夢をみたのです。

僕のもとに少年があらわれ「絵本を作ったからみてくれ」という。手書きの表紙には子供の字で「ぼくのせいしんしっかんがなおったら、ウルトラセブンはちきゅうにきてくれますか?かみさま、ちきゆうがたいへんです」と書かれていました。「僕の精神疾患が治ったら、ウルトラセブンは地球に来てくれますか?神様、地球が大変です」、という意味です。どういう暗示でしょう?ヒントの「ウルトラセブン」から連想するものは?

 

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「ノンマルトの使者」という回がありました。地球人は科学の進歩で海底に進出していきます。すると怪獣が現れて海底開発隊を攻撃します。そこで地球防衛軍が出動して怪獣をやっつける用意をします。そこに少年がやってきます。彼こそが「ノンマルトの使者」なのです。少年は「元々、人間が来るずっと前からノンマルトは海底で静かに暮らしていた。そこに侵略して来たのが人間だ」と抗議します。ウルトラセブンは地球防衛軍に所属してますから、地球の平和のために戦う使命があります。しかしその時ウルトラセブンの心に何かがよぎります。

「これは地球という星の海底に住む先住民・ノンマルトと人間の、地球という惑星の領土問題じゃん。俺はM78星雲だし、関係ねぇし。何やってんだ?俺?巻き込まれてねぇ?」と苦悩しながら葛藤しながら怪獣ガイロスと戦うウルトラセブン。この回は背景に「ベトナム戦争」がありました。当時は大人たちが真剣に子供たちに時事問題をぶつけていたのです。僕は子供ながらにウルトラセブンの葛藤を理解しました。

その数日後、茅ケ崎の電気屋にキャンペーンでウルトラセブンが来るという。僕は親に連れて行かれますが、「ウルトラセブンの葛藤」を知っているのは残念ながら僕だけでした。大人たちはいい気なもんで記念写真を撮ってくれます。下の写真がそれです。幼稚園児の僕は、ウルトラセブンに何と声をかけていいのかわからず、ソッポを向くことしか出来ませんでした。↓。

そんな訳で、僕は「サミット」に参加するにあたり、「内政干渉」はよそう。ただ中立性を保つためひたすら呑もう、と考えたのです。それが「ノンマルトの使者」への50年後の僕からの回答だと思ったのです。

 

しかし、酒とは恐ろしいもので、僕は途中からさっぱり記憶がなく、泥酔したらしく、後で聞いた話では「ある機関」の1番エライ人に、店の外で「死ね~!」と叫びながら飛び蹴りをくらわしたそうです。あ~ぁ、結局、俺もウルトラセブンと同じじゃないか。

BGM. 世良公則&ツイスト「SOPPO」


心の護美箱(52)~カケラを集めて

10/Ⅲ.(木)2022 はれ 小林麻耶(42)、整体師の夫(「あきら。」38)と離婚を発表。

最近は困ったことに毎日同じ夢をみます。夢の中の僕は医学部を出たばかりの研修医。「卒業旅行」にみんなは行ったというが僕は誰にも誘われてません。毎日のお昼も誰かを誘って食堂に行こうとするのですが、時々付き合ってもらうけど、愛想がないというか、のけ者にされてる感じがしてヒシヒシと孤独です。カリキュラムもわからず「何をしていいのかがわからない」のではなく「何がわからないのかがわからない」のです。これはとても不安な悪夢で、夢の途中で「あれ?俺って、クリニックやってなかった?じゃ、これって夢じゃん」と思って目覚めるのです。こんな夢を毎日みてます。まるで並行世界を行き来しているようです。僕は自意識では人気者でグループの中心だった自尊心があるのに、夢は妙にリアルで、もしかして僕は本当はそっち側の人間なのか?と恐ろしくなります。なぜなら僕には夢の舞台である「卒業の頃」や「研修医の頃」の記憶が全然ないのです。当時の話になってその頃の流行歌やドラマや芸能人をまったく知らなくて驚かれるのですが、「それは勉強や仕事しかしてなかったから」だと思ってましたが、よくよく考えたら覚えてないのは「浮世のはやりすたり」ばかりでなく「自分史」も覚えてないのです。

時々、ある時期の記憶がすっぽり抜けてる子がいます。たとえば、小学校3年生の時の記憶が全然ない、など。それは苦痛を伴う記憶を意識にとどめておくと心の負担が大きいから、とりあえず意識の下に押し込めておいた方がよいと判断した自分を守る最終手段みたいな自衛です。「解離」という現象で「抑圧」とか「否認」とか「隔離」という「防衛機制」を駆使しています。「とりあえず全部なし!」みたいに。不自由はしますが、「総合的に評価」すると覚えてないメリットが勝るのです。こういう体験が有る人は「よく生き延びたな、頑張ったな、自分」と自分で自分を誉めてあげて下さい。「症状」というより「苦痛に対する対処」だった訳ですから。戦争中の国の子も大変でしょうが、「平和」な国で生きるのも同じくらい大変なことです。そういう訳で僕にも何か覚えてちゃ不都合な事態があったんですかね?もっとも、僕の場合は長く生きてるから記憶のメモリーがキャパオーバーして「忘却」という名の「老化現象」を起こしているだけなのかもしれないですが(苦笑)。

 

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僕が生まれてすぐに母が病気で入院したためどこかに預けられてたことがあるそうですが記憶にはなく、あまりそのことを詳しく聞かされたこともないです。みんなにとって良い思い出ではなかったのでしょう。共同作業として「なかったこと」にしてました。でも人生って油断ならないですよ。もうすぐ60ですよ、それなのに今頃になって、断片的な「嫌な」「痛い」思いを思い出したりするようになりました。「もういいじゃん」って思わないですか?許してくれないのですね、人生は。

その時の僕は白い足袋を履かされて縄のようなもので足首あたりが縛られてる視界の残像があります。僕らの世代で子供が足袋を履くなんてことはないからおかしな記憶の錯誤です。妙に生々しいのが不思議ですからひょっとしたら「前世の記憶」かもしれませんね。話がスピリチュアルになって来たからもうやめます。

お便りお待ちしております。

BGM. 吉田拓郎「襟裳岬」


主人公

8/Ⅲ.(火)2022 寒い ゼレンスキー氏「キエフにとどまる」

さだまさしの功罪について考えてみた。グレープの時代は別にしても、ソロになってからのさだまさしの人気はすごかった。「雨やどり」は爆発的に売れたし面白かったし。立川流の談春も、談志が死んでからさだのファンを公言するようになり、松本人志もさだまさしは自分の師匠だと発言しててビックリした。でも我々の世代で影響を受けなかった人はいないと思う。僕も「風見鶏」と「私花集(アンソロジー)」という2つのLPを持っていた。僕は山口百恵のファンだったから「さだが『秋桜(コスモス)』の作者だからLPを持ってるんだ」という言い訳も用意した。当時はまだたけしが世に出ておらず、タモリの影響力が大きく、深夜ラジオでタモリが「名古屋ダサい」と「さだまさし軟弱」とバカにしてたから男子としてはさだを聞くなんて軟弱だと思われそうで恥ずかしかった。もし急に女子が家に来て、「エロ本」か「さだのLP」のどちらか一つしか隠す時間がなければ迷わずさだを隠していたと思う。しかし時は魔術師だ。談春が大みそかのさだのコンサートで落語をやり、松ちゃんがワイドナショーで堂々とそんなカミングアウトをする。そしてそれがどれほど大事なことかを知ってる人も少なくなった。

僕の中高時代は、どんなにませてても「生きる意味は?」なんて考えてる子は周りにいなかった。それほど自分の価値にうぬぼれていなくて、言葉にこそしなかったが、「生まれたから死ぬまで生きてよう」くらいに生きていた。自分の人生にそんなに期待してなかった。アントニオ猪木が好きなのも長嶋や王を応援するのも「自分には出来ないこと」をやってるからで、「彼らと同じ時代に生まれて良かった」「同じ空気を吸えて幸せ者だ」と思っていた。

それがいつからだろう。ヒーローがインフレを起こしたのか、「自分の人生」を考えるようになった。僕はそれはSMAPの「世界に一つだけの花」のヒットによるもので、「ナンバーワンでなくてもいい、元々特別なオンリーワン」の呪縛だと思ったりもした。しかし、SMAPも一夜にしてならず。これがどんなに名曲だろうとなんの滑走路もなくいきなり飛び立てるはずがない。何か「プレ・SMAP」的な自己啓発的な力があったに違いない。それは何かをずっと考えていた。主に自分の小学生、中学、高校とその時代の背景にある文化を洗い直してみた。そこで浮かび上がったのが、さだまさし、であった。

さっきも言ったが僕は2枚さだを持っているが、さだまさしの「私花集」のB面のラストに「主人公」という歌がある。これはファンの中での人気投票では必ず1位になる~あなたはあなたの人生の主人公だ、というメッセージの歌である。これまで日本人で日本人に向かってこんなことを言った人を僕は知らない。北山修も吉田拓郎も岡林もユーミンも誰も言ってこない角度からの直撃弾だ。

 

こないだこんな夢を見た。僕は空を飛んでいて、きっと僕は花粉かおしべで風に乗り森の中を川の上を自由に飛び回る。人間のいない世界だ。僕の役割はめしべ的なものをみつけて、遺伝子情報を伝えるべく受粉することだ。僕は次の何かにバトンを渡す役割の象徴化だった。

僕は結構長いこと生きてきて、僕のアイデンティティーの核にあるのは、「僕は母に愛されていた」という体験だった。それはきょうだい葛藤の勝者という意味でもあった。それが近頃、何か忘れていた記憶が蘇って、夢などに出てくる。それらはかけらみたいなものなのだが、パズルのように合わせてみると、なんと「母は僕より兄を愛していた」という数々の場面だ。ずっと封印していた光景だった。僕はもうすぐ60才になるが、還暦というのは人生が一回りして再スタートらしいが、まさかの「たっちゃん愛され神話」の崩壊である。僕は僕の人生の主人公から転げ落ちた。さて、そうなると僕の存在意義とは何なのだろう?兄や親や妻や友人の人生に必要な「モブキャラ」だったのか。それともさっきの夢が暗示するように僕は次の世代に何かを伝える「送りバント」のような役割なのか。

西洋の小説で主人公の祖父はそこそこ名声があったが大酒のみで~などという配役があり、その祖父の残したトラブルの種や未解決の葛藤が世代間伝達され数世代先の主人公たちにちょっとしたスパイスを与えるなんて描写がよくあるが、僕の生きてる意味は子供やその子供たちという主人公の人生を彩る舞台装置の一つなのでは?という新しい落としどころも見つけられるようになった。さだまさしに出会う以前の自分に戻ったようだ。幼い僕の面影たちが優しい笑顔で「お帰り」という。さよなら、主人公。

BGM. さだまさし「主人公」

 


おっぱい談義

5/Ⅱ(土)2022 今期のアニメでは「その着せ替え人形は恋をする」がおすすめ。amazonプライムでもみれます。

男性は「巨乳」が好きだと思い込んでる女性も多いようですが、ひとから聞いたのですが「おっぱいパブ」なる風俗店もある一方、「貧乳」専門のデリヘルもあるらしい。それなりの需要があるらしく、「巨乳派」と「貧乳派」におっぱいフェチは分かれるそうだ。僕はあまりどっち派でもないのだが、おっぱいで一番直近でショックを覚えたのは、コロナ以前の、さくら学院の文化祭の、アンコールで出て来た「ワンファイブ」というユニット。そもそも、さくら学院は、小中学生で結成される学校をモチーフにしたアイドルグループで、ファンのことを「父兄」と呼び、色んな部活もある。今を轟く、BABYMETAL、も元は、さくら学院の「重音部」でした。さくら学院は、中3を終えると自然に「卒業」になる、成長期限定ユニットです。この子たちは頑張り屋だったり天然だったりハツラツだったり芸達者だったりして、あまり「性」を感じさせない「安心感」が好きでした。ところが、「ワンファイブ(15歳の集まりって意味です)」。
中3の4人が、大人っぽい女のコーディでメイクしてそれっぽい歌を歌うのですが、こちらには、戸惑いしか生まれません。中3ですよ。妙に体の線を強調する服で、バストのフォルムとかクッキリみえて、目のやり場に困りました。

ワンファイブが一旦はけて、残りのメンバーがその感想を言い合うわけですが、「女性らしい、すてき~」みたいな反応なのです。
そこにワンファイブが、さくら学院の制服に着替えて何の反省もなく参加するわけですが、これがまた不思議で、さっきあんなに強調されてた胸がぺったんこなのです。
デビュー当時の小柳ルミ子は、アイドル演歌路線だったので、胸の大きいのはマイナスだと胸にさらしを巻いていたといい、アグネスチャンも、その愛くるしいルックスに、大きなバストは、日本男児が萎縮するといけないからと、さらしを巻いたという同様の噂を聞きました。だから、僕はこのワンファイブも、出番が終わって制服に着換える時に控え室で、スタッフにさらしでグルグル巻きにされたに違いないと、その光景まで頭に浮かんだものです。そんな「さくら学院」もコロナ禍の中、閉院してしまいました。

でも、よくよく考えたらそんなに驚くことでもないかもしれません。山口百恵など15歳の時に、月刊明星とか平凡で、黒のビキニとか披露してて、僕は毎月、そういうのを普通にみていたから。でも、百恵ちゃんは、僕の4学年上だから、「15歳の水着を見てる僕は12歳」なのでOKであって、「15歳のワンファイブをみてる僕は50代」なのだから、ちょっと何かと問題がありそうだ。

ところで、アイドルとバスト問題だが、やっぱり男は女が怖いから、日本のアイドルの場合はバストが小さい方が良いとされてきた歴史がある。…本当か?
堂々と胸を売り出す場合(榊原郁恵・河合奈保子・細川ふみえなど)キャラは「バカ」だった。(実際は違うのだろうが)そうやってちょっとバランスを女性側でとってくれないと、男はインポテンツになってしまう。だから、胸の大きい女性は不当に、バカという汚名を背負わされてた屈辱もあると思う。その悪い歴史に終止符を打ったのは、小池栄子だと思う。

僕はその場面をリアルタイムでみてたのだが、それは「爆笑問題の検索ちゃんぴおん」という深夜番組で、爆笑問題が司会で小池栄子がアシスタント、お笑いタレントがパネラーで、ネットの噂を出題するクイズ番組だった。もちろん、爆笑問題がやるのだから普通のクイズ番組ではなく、例によって、太田光が暴走するのである。
ある時太田は制止する小池栄子に、「お前なんか、オッパイだけのタレントじゃねぇか」と口が滑った。さすがの太田も発言のあと、しくじったという顔をした。パネラー達(芸人)が色々とフォローする中、小池栄子は冷静に「はいはい。オッパイだけでここまで来たタレントですよ」と返して、進行した。
これにはパネラーの土田も「さすが!大人!」と拍手し、皆が絶賛。太田もペコペコ謝っていた。
それ以来、胸が大きい=バカ、という図式をあまり見なくなりました。

僕の青春暗黒時代によくしてくれたお姉さんがいて美人で優しくて憧れてたのですが、彼女はおっぱいが小さいらしく、何かの時に、「私は貧乳だから」と自虐的に言うから、僕は「全然そんなこと魅力と関係ないよ」と言ったのですが、彼女はやさしく笑って、「タッちゃんは子供だからよ」と相手にしてくれませんでした。その頃、斉藤由貴が「微・少女」というビデオを出していて、「美少女」と「微少女」をかけてる妙だったから、それを真似して僕は「貧乳ではなく微乳だよ。微乳じゃなくて美乳だよ」と言ったら、彼女は真面目な顔をしてこちらを真っすぐにみてました。今だったらセクハラなのでしょうか?

これもひとから聞いたのですが、最近は「貧乳」を「品乳」と書いて「品格のある乳」と意味づけしたり、「貧乳」を崇め奉る「ヒンニュウー教」というカルト的なひとたちもいるそうです。全然関係ないですが、アニメにもなった「かんなぎ」のコミックスの帯を思い出しました。

僕の母は乳癌で僕が生まれた時はもう乳房がなくて僕は母乳をもらった記憶がなくて(みんな記憶はないか)おまけに赤ちゃんの時は母と離れてたので、そこへの執着から「おっぱいフェチ」になりそうですが、そうなりませんでした。変態とかフェチってそうそう単純なものでもないのですね。でもおっぱいに関しては、小学校の頃何かのマンガで読んだ、アマゾネスという女の部隊が馬に乗って弓矢を打つのですが、その時、おっぱいが邪魔になるから、片方の乳房を切り落とすというシーンになんとも言えぬ、エロスを感じた思い出があります。

小学校高学年になると、「泣くなおっぱいちゃん」という歌をボインの歌手が歌っていて、キャンペーンで茅ケ崎に来て、レコードを10枚買うと「おっぱいを見せてくれる」、20枚買うと「おっぱいを触らせてくれる」、30枚買うと「おっぱいにキスさせてくれる」というお色気企画がありました。子供ってそういうのが好きじゃないですか。僕らも盛り上がったのですが、正直、「おっぱいにキスする有難味」が分からず、「まぁ、俺は20枚だな」とうそぶいてました。レコード1枚400円の時代です。20枚で8000円です。お年玉を使ってなかったのでその代金はありました。同年代の奴らにマウントを取りたかったのでしょうか、僕は本気でそのキャンペーンに行くつもりでした。するとそれを知った親は当然止めるのですが、母は僕が止めても聞かないのを知ってますから、父が止めに入りました。当時の人気はなんと言っても天地真理です。天地真理の本名は斉藤真理といい、どうも茅ヶ崎駅前の斉藤不動産が実家との噂でした。父はそれを持ち出し、「お前が大人になったら斉藤不動産にかけあってやるから、泣くなおっぱいちゃん、は止めろ」と言いました。僕も子供ですから、天地真理と結婚出来るなら、と提案を飲みました。アイドルの寿命は短いもので、また天地真理はなんだか「おかしな転落の仕方」をして人気がなくなります。その内、僕は中学生になって東京に出てきます。
父は趣味でカメラをやっていて、その知り合い筋から、「今度、デビューさせるモデルの四つ切ポート」を2カット貰って来たと言い、僕にくれました。その外人モデルは豊満な胸をしていて、ビキニで海岸に寝そべっている生写真でした。父はきっと昔の、泣くなおっぱいちゃん、の約束をこれでチャラにしようとしたのでしょうね。ふてぶてしいですね。
ただ、僕はそのモデルのバストより童顔な表情がキラキラしたお日様見みいだったから気に入って、額に入れ部屋に飾りました。
しばらくしたら、そのモデルは色んな雑誌に出るようになって、あっという間に世間の男の人気を独り占めしました。すごい人気でした。僕は先に知っていた優越感から父のおかげで学校でもカーストが上位になりました。ちなみに、そのモデルの名前は、アグネス・ラムと言い、「うる星やつら」のラムちゃんの元ネタです。今も診察室の天井にいます。

そういえば、「からかい上手の高木さん3期」はとても実験的で賛否分かれてますが、僕は好きです。こないだ、高木さんが、ラムちゃんのコスプレに一瞬変わる、サービスショット(原作になし)があり萌えました。

おっぱいの大きな人は、男の人が「胸ばかり見てる」と分かるそうです。男もそんなにジロジロみないと思いますが、一瞬の目の動きのような気配でわかるというのだから、すごいですね。そう言えば、女性で「男の人の股間ばかり見てしまう」、という人がいます。それは「巨乳を見てしまうスケベ男」と違って、「見たくない」のに気になって、「見まい」とすればするほど「見てしまう」という「強迫行為」みたいなもので、「病気」です。恥ずかしがって中々打ち明けませんが、意外とそういう女性は多いのです。だから、もし自分もそうだ!という人がいたらそれは治療すればよくなるから診察で言って下さいね。

BGM. サザンオールスターズ「涙の海で抱かれたい~SEA OF LOVE~」


心の護美箱(46)~11月はうわの空

9/ⅩⅠ.(火)2021 冷たい雨。 日ハム・新庄ビッグボス、清宮に減量指令。

’83年、長嶋茂雄の肩書は、「ミスター」だった。ミスターは色んな地域の少年野球チームに招かれ実地指導をしていた。ミスターが来ることにカチコチに緊張したのはコーチや監督や父兄であって、少年たちにとっては「長嶋茂雄」なんて「ただのおっさん」である。長嶋は三塁ホットコーナーに自らグラブをはめ守備につきノックを受けてお手本を示す。痛烈なゴロに突っ込む「ミスター」。打球と自分の身体を衝突させるように飛び込む「ミスター」の姿をはじめは子供たちは笑ってみていた。しかし、「ダッシュだ!つっこめ!ダッシュだ!」と叫びながらゴロをさばく姿に少年たちの表情が突然に変わる。さっきまで半笑いだった顔が呆然&唖然となるのである。何故かと言うと、ミスターの一塁への送球がすべて大暴投なのである。それでも、ミスターは叫ぶ。「ダッシュだ!取ったらすぐ投げろ!暴投なんか気にするな!」。一瞬にして少年たちの心を掴んだ。これこそがミスター・長嶋茂雄の素顔である。

そんなミスターは球界人初の文化勲章をとって、ミスター行きつけの田園調布の焼き鳥屋はお祝いの旗をかざしてます。↓。

 

心の護美箱(45がいっぱいになったので、(46)を作りました。心の護美箱がなんだかわからない人はバックナンバーを見て下さい。ま、簡単にいうと愚痴を書き込めるページです。「非公開」希望の人はそう書いてくれば内容はアップしません。

11月は僕の亡き両親の誕生日があったり、父の命日があったりで「家族」や「生死」について考えさせられる月です。だからちょっとうわの空になったりします。母は短歌を詠む人でした。下は母の遺歌集。↓。


中の写真に、自宅前とあるが、これは近藤先生というお方のお家を訪問した時に、近藤先生のお宅の玄関先で撮ったもの。それが、自宅前にて、となってるから、この本が出版された時、さぞかし近藤先生は驚いたことでしょう。この歌集の編集の一部は僕がやりました。僕のミスです。近藤先生、すみません。お家、乗っ取っちゃって。↓。


母の死後、押入れから、僕が子供の時に描いた絵が出てきた。これは近所の養鶏場で描いたもの。形見分けの時に、兄に、「持って行け」と言われたので、診察室に置いてあります。↓。


裏を見ると、絵画教室で描いた油絵みたい。↓。


小学校の何年生だったか忘れたが、夏休みの宿題が終わってなくて、一番大変だったのは、「自由研究」。母は何の変哲もない木箱を持って来て、その蓋に、僕に絵を描かせた。僕は、蕎麦屋の前の置物の、タヌキ、の絵を描いた。母は、趣味で、鎌倉彫、をやっていたから、僕のタヌキを上手に彫って、色をつけて、上にニスを塗って完成。これが優秀だと評判になり、神奈川県の賞をとり、どこかに展示された。「子供らしい視点、自然との調和と、子供らしからぬ技術の確かさ」みたいなことが評価された。母は、ニワトリの絵はとっておきながら、その鎌倉彫、は捨てていた。僕が作ったものじゃないからかな。親心って、そんなもの?

BGM. 八九寺 真宵(加藤英美里)「帰り道」


心の護美箱(45)~ヒーローは、敗北からスタートしている

23/Ⅹ.(土)2021くもり 眞子さま&磯山さやかの誕生日、眞子さま30才&磯山さやか38才。

僕は六星占術でいう「大殺界」の3年間が今年でやっと抜けるらしくホッとしたのも束の間、来年からは「厄年」らしい。もう何を信じたら良い物か。結局、自分に都合の良い物しか信じないという大方の人と同じ結論になる。我慢した「3年間」を返せと言いたい。

しかし、重なる時は重なるもので、色んな方面からストレスは一度に来るもので、そんな時、僕は、ガッツ石松、を思い出す。ガッツ石松は若い頃、繁華街で10人組のチンピラとケンカになった。いくらガッツが腕自慢でも10人相手では、かなうまい。そこでガッツがとった戦略とは?ガッツは、行き止まりの細い路地をみつけ、そこは大人1人くらいしか通れない狭さで、ガッツはそこに入り、突き当たりのカベに背を向け臨戦態勢。相手は1人づつしか入って来れないから、1人づつ順繰りにぶんなぐって、全員、倒したという武勇伝。
ガッツ石松と聞くと、世間の人は「バカ」と誤解しているが、なかなかの策士だ。問題山積とは、辞書で調べたら、片付けるべき問題が山積みにたくさんあることを言う。昔の人は、分散して1年中悩まされるくらいなら、少々大変でもいっぺんに来てもらった方が気が楽だ、と強がったと聞く。たくさん色んな方面のストレスからキャパシティーオーバーになった時や、スケジュール帳が真っ黒になった時は、脇見をせず、目の前のことを一つづつ、ガッツ石松方式でがんばることにしている。

心の護美箱(44がいっぱいになったので、(45)を作りました。今回は、緊急にお伝えしたいメッセージ、それは、僕の知っているサクセス・ストーリーは、皆、黒星スタートだ、である。プロの洗礼、とでも言うべきか。
アントニオ猪木のデビュー戦は、大木金太郎に頭突きでフォール負け。同日デビューのジャイアント馬場は田中米太郎に「股割き」で勝っている。
新人・長嶋茂雄の開幕戦は、国鉄スワローズの金田正一の前に4打席4連続三振。金田は3三振を奪った後の4打席目でも臆せずブンブンとバットを振り回してくる新人・長嶋茂雄に恐怖を抱いたと言う。世界のホームラン王・王貞治は、デビューから26打数ノーヒット。長いスランプからのスタートで、27打席目の安打がホームランであった。

私事ではあるが、僕も研修医に成り立ての頃、無断欠勤がバレて、ペナルティーで「2週間連続当直」の刑になった。今でもそうだが、医者の当直は、翌日も勤務である。当直は当直室で仮眠して、呼ばれたらすぐ病棟や救急外来に行くのが仕事。だから、運が悪ければ、2週間まともに寝れないのだ。でも僕は、へこたれなかった。勿論、自業自得だと反省した、のではない。2週間、当直室から家に帰れない泊り込みという状況が、「日本一のホラ吹き男」の植木等みたいだと思ったからで。映画「日本一のホラ吹き男」で、臨時雇いで会社に入った植木等が配属された部署は、会社にとって何の関係もない古い書類の整理。皆、やる気がない。「ここじゃ、いくら頑張っても出世はないよ」と先輩から言われる。すると、植木等は、底抜けに明るいテンションで、張り切って、荷物をまとめて会社に泊まり込み、仕事をする。「そんなにまでして残業代が欲しいのか」という皮肉にも、「いいえ、残業代はビタ一文、いりません」と1人で、書類を全部、片付けてしまう。労働組合は残業して残業代を取らないことを問題視し、同じ職場の人間達は「仕事がなくなってしまった」と不満を言う。そうして、会社は仕方なく、植木等を他の部署に係長待遇で異動させる。ここからホップ・ステップ・ジャンプ!東京オリンピックの直後の映画で元・三段跳びの選手だったという設定の植木等は、三段跳びの様に出世して行く。高度経済成長の時代のサラリーマンに元気を与えたと言われる映画だが、今、観ても色褪せないパワーだ。なので、僕も植木等のマネをして、家から色んな物を当直室に持ち込んだ。浅草のマルベル堂で、クレージーキャッツのブロマイドをオーダーメイドで引き伸ばし、それを当直室の壁に貼った。陰気な当直室が、まるで僕の1人暮らしの部屋みたいに衣替えした。評判を聞いて、何人もの看護婦さんや他科の研修医も覗きに来た。皆、「お~」って言ってた。今思うと、カワクリの空間作りのルーツは、この当直室に起源があったのかも。クレージーの特注ブロマイドは、今もカワクリの待合室のテレビ側のソファの方に貼ってあります。↓。

丁度、半分の1週間が終った時点で、調子に乗った僕は、「トニー谷」のブロマイドの特注も発注した。そのニュースに異常に反応した人たちがいた。それは病棟のナース達でした。女性には、つらそうな姿をアピールするより、平気の平左、で明るく振舞った方が母性本能をくすぐるみたいで、ナースは一丸となって、僕の味方をした。彼女らのナイチンゲール精神は組織立って、医者や教授や医局長に「いくら何でも可愛そうだ」と意義を申し立てた。
「過重労働でミスが起きたらどうするつもり?」
「川原先生だから笑って仕事が出来ているのよ」
「いえ、ああ見えて、顔で笑って心で泣いているのよ」
「あぁ、いじらしい」
「それに比べて、他の医者は川原先生に仕事を押し付けて、楽をしてるのよ」
「他の医者は、ズルイわ」
などと、本来、僕が無断欠勤したのが問題なのに、矛先が他の医者に向いた。実際は、僕は研修医だったから、当直には必ず上級医の先生が日替わりで付いていて「2週間当直」というのは、半分、洒落だった。つまり、学生気分の抜けない僕に社会人の厳しさを教え込ませるための親心であり、問題を大きくしない配慮だった。そして、2週間、毎日、日替わりで色んな先輩から、生の知識を吸収できるチャンスを用意してくれたのだった。僕は、ゴールデン・ルーキーで、精神科医として期待されていたのだ。そんな内輪な洒落は、ナースには通じない。
彼女らは、川原先生を守るためにはストライキも辞さず、の構えだ。病棟でナースにストなどされたら、大変だ。医者が、検温や配膳や採血や保清など、駈けずり回らなければならなくなる。ナース・コールも医者がとる事態になる。これには上層部もあわて、急遽、僕のペナルティーは1週間で解除された。そして、医局長はナースの前で、僕を労う為の1席を自腹でもうける約束までさせられた。憎憎しげに、医局長が、「川原君、何を食べたいんだい?」と僕にだけ見える角度で恐ろしい顔をして質問した。僕は、「●●のうなぎ」と高級な鰻屋の名前を告げ、「個室で、コースにしてね」と答えた。ナースを納得させるには、それが最善の策だった。そして、僕と医局長は週末、本当に二人きりで、鰻屋の個室でコースを食べたのでした。さすが、名店!、うまかったです。
何を言いたいかと言うと、「始めから上手く行く人はいない!」、ということで、ヒーローでさえ最初は皆、黒星スタートなんだから、仮にそうだとしても腐らずに頑張ろう!、というエールです。

BGM. 植木等「スーダラ伝説」


心の護美箱(42)~よくある質問

16/Ⅸ.(木)2021 はれ ゲレロが45号、大谷を抜く。ペレスも44号。本塁打王争い1差で3人の大混戦。

知り合いの風俗嬢は友人と食事に行く時、割り勘でも「少し多め」にお金を出すという。彼女は自分のお金は「綺麗なお金じゃないから負い目がある」と泣く。綺麗じゃないか。

僕は中学の頃、借りてもないお金を友人に「返して」いた。友人は「貸したっけ?」と不思議な反応をするが、こちらが強く「返す」と大抵の人は受け取った。後に岸田秀という心理学者の本に似たような体験が書いてあって、「それは親に借りを作りたくないから、別の場所で借りを返してるのだ」という解説で妙に納得した。

前の病院で「芸術療法」を専門にしてる先生がいてその人に教えてもらった話。「智恵子抄」で有名な智恵子はその晩年は高村光太郎と会話が出来なかったそうだ。しかし智恵子が切絵に興味を示すのを発見した高村光太郎は智恵子の為に毎日、綺麗な千代紙を買って帰ったそうだ。智恵子は夢中で切絵をする。光太郎はそれに答えるように違う千代紙を探しては買って帰る。これは高村光太郎が智恵子の為に買ってるようにみえるが、実は智恵子が光太郎が喜ぶから切絵をしてあげていた、という逆転現象がいつしか起きていたのだという。「愛」ってよくわからないけど素敵な話ですね。

医学部の科目の中に「精神科」があるのはよく考えると不思議だ。「精神」って特定の臓器ではないし「脳」とも違うし解剖しても見当たらない。「こころ」を扱う学問やジャンルは他にもある。哲学や宗教学や芸術や文学の方がより的確に「こころ」の本質をとらえているかもしれない。だけどあえて「こころ」を医学に置こうとした人の発想が興味深い。

心の護美箱(41)がいっぱいになったので、(42)を作りました。よくあるご質問への回答です。

幼稚園の頃、ブツブツと独り言を言いながら近所を徘徊している老婆がいた。乳母車に古い赤ん坊の人形を乗せて、その人形を本当の赤ん坊だと思っているという。「すずめ」を捕まえて食べてるという。「タッちゃん、あの人に話しかけてはダメですよ」と教えられていた。
ある日、狭い路地で、乳母車の老婆と鉢合わせになった。
僕は思わず、「すずめ、って食べれるの?」と聞いた。
すると、老婆は「坊や、そんな可哀想なことをしてはいけないよ」とビックリするほど優しい声でそう言った。やがて僕らは仲良くなり、老婆は乳母車から赤ん坊を抱え上げて、「ほら、こうするとお日様が透けて見えて綺麗なんだよ」と教えてくれた。セルロイドの人形に夕陽が差し込んでキラキラ反射して輝いて虹のように見えた。
同じ頃、家に時々、「乞食」(←これは不適切な表現なのでしょうが、差別を助長する意図ではないので使用します)が来た。「タッちゃん、乞食が来たら、食べ物をあげちゃダメですよ。クセになってまた来るから」と言われた。
ある日、僕しか家にいない時に勝手口から女の乞食が、「何か恵んで下さい」と入って来た。僕は、「お前に、何かあげるとクセになるから、やらない」とピシャリと言い放った。すると女の乞食は、「坊ちゃん、もう何日も何も食べてないのです。約束します。今日だけですから」と懇願した。この人が嘘をつくようには見えなかった。僕は台所に置いてあった塩むすびを持って来てあげた。女乞食は何度も何度もお礼を言い、約束は守る、と言って帰って行った。毎日、「ねぇ、今日、乞食、来なかった?」と聞くのが日課になった。大人達は、「変な事を気にするのね」と笑っていた。女乞食は約束を守ったのだ。
僕はこれらの事を通じて、大人達の言う事はかなりいい加減なものだぞと思った。そして、それ以来、この世の「常識」とか「普通」とか「規則」とか「一般」などを疑ってかかるようにした。
将来は、「常識」や「普通」で不当に差別や誤解を受けてる人達を助ける人になりたいと思った。そのためには「パワー」が必要だ。僕の父は医者だから「精神科」というものがあることを知っていた。それだ。僕は精神科医になって医者と言う権威を武器に、差別や誤解で苦しんでる人や不自由に生きている人達の心の味方であろう。それが僕が精神科医を志した初心で、よくある皆さんからの質問への答えで、今でもそう思っている。

BGM.ムーンライダーズ「九月の海はクラゲの海」