見ないふり

17/Ⅵ.(木)2021 時々激しい通り雨 7月からの新ウルトラマンの敵役のボスに上坂すみれ。

ワクチン接種後から体調が悪い。体がだるく調子が出ないのだ。もう1週間以上たつから医者たちは「副反応ではない」と口をそろえる。ひどい奴は「仕事したくない病だ」という(笑)。

こないだの日曜の総合格闘技「RIZIN」の東京ドームマッチは後日録画でみた。しょこたん(36)がユーチューブでコラボした人気の朝倉兄弟の弟・朝倉海(27)の試合のリングアナウンサー役をやってたからビックリした。総合格闘技は潜在的なプロレスファンで占められてる世界だから迂闊に入って来ない方がいいぞ。全盛期のビートたけしでさえ物を投げられたし、下手すりゃ山田邦子の二の舞だ。そんな人気の朝倉兄弟の兄は、柔術家に失神負け。日本の総合格闘技がグルっと一回りして柔術にスポットが当たりそうな予感。それは中量級のタイトルマッチの決まり手も「三角締め」だったから。とは言え、この試合はチャンピオンがアゼルバイジャンの選手でこないだまで志願して兵役に出てた選手。対するチャレンジャーは日系人で浜松に拠点を構えて練習を積んでいた。今はコロナだから外人は来日後2週間隔離生活でアゼルバイジャンのチャンピオンはそんなハンディを背負って試合に挑み負けた。そしてそういう裏事情をテレビでは言わないのだ。卑怯だと思った。

女の子が親戚が死んだけど「なんとも思わない」という。対象喪失の直後はそういうものだ、と諭すが、「それとは違う」という。「自分には人間的な感情が欠落してるのだ」と淡々と言う。そこで僕は大学2年の時に、父が死んだ時のエピソードを話した。棺桶に花などを入れた後、釘を打つのだが、僕はたまたま台所に「イトーヨーカ堂」の商品券があるのをみつけ、茅ケ崎の北口にあるイトーヨーカ堂へ行き、別にすぐ必要でもない靴下を何足か買い、大事な儀式に遅刻した。女の子はそれを聞いたら大笑いして、「なんで靴下?センセーはサイコパスですね」と2度笑った。精神分析の祖・フロイトも自分の父親の葬式に床屋に行って待たされたために遅刻したというエピソードがある。フロイトはこのことから、「無意識に父の死を認めたくない気持ちが行動をコントロールしてしまう」失錯行為と言う無意識の作用を発見した。でもあの子に言わせりゃ「フロイトもサイコパス」だ。

僕のおじさんが先日、死んだ。コロナ禍だから葬儀は簡素に。参加しなくても良い。僕はそのおじさんには親しみを持っていたから、お通夜に行こうと思っていた。告別式だとちゃんとした格好をしないといけないが、お通夜ならフダンのTシャツ&ジーパンでも良いはずだから。でも知らせを聞いた土曜の夜、睡眠薬を規定量の倍飲んだら、二日間寝続けてしまい、お通夜も告別式も出れないどころか寝て過ごした。おじさんは僕が子供の頃に宮前平のペットショップで「ワニ」を買ってくれた。うちの家族は僕以外は皆、爬虫類や両生類が嫌いなので、おじさんくらいしか買ってくれる人はいなかった。僕が池にワニを放したら、父が池で飼ってる鯉が食べられてしまう、と大騒ぎして怒っていた。僕は子供の頃、俊足だったがそれは同年代の中でのこと。父は結核で足を悪くしてるから走るどころかビッコをひいてたから相手にならない。だからおじさんが遊びに来るとかけっこの相手をしてもらった。おじさんは足が速かった。何度やっても勝てなかった。「タッちゃんには無理だよ」と余裕で笑っていた。子供相手に手を抜かなかった。僕は大人げないなと思ったが、大人ってそうあるべきなんだと教わった気もする。

母の日ばかりが母に感謝すべき日ではないように、通夜や告別式以外の日に弔いに行っても良いことにさせてもらおう。しかし、体調がすぐれない。患者に心配されるほどだ。困ったものだ。おじさんのせいかもしれない。迷惑な話だ。合掌。


精神療法各論

13/Ⅴ.(木)2021 霧雨。医師会会長、マンボウの中会食を謝罪。

精神療法といっても色々と流派があって、アメリカではカウンセラーの数だけカウンセリングがある、とか、400種類のカウンセリングがある、などと言われてるそうです。今日はその代表をいくつか、カワクリ視点で独断と偏見で紹介します。

①精神分析(精神分析的精神療法、力動的精神療法)

…治療構造をしっかり作り、転移(患者さんが過去に体験した様々な対人関係を治療に、無意識に、持ち込んでくること)を取り扱うことを中心に行うもの。19世紀末にフロイトが提唱しました。イエス・キリストとフロイトとカール・マルクスは人間存在に大きな影響を与えた3人のユダヤ人だと並べて語られることがあります。

フォークトリオだったRCサクセションの清志郎はバンド編成の新生RCを作るために当時の人気フォークデュオ・古井戸(ふるいど)の仲井戸麗市・チャボを引き抜きたいと思いました。そこに古井戸のもうひとりの加奈﨑がソロアルバムを出すというので楽曲を何曲か提供しました。キヨシローはどんな時よりも本気を出して「売れる曲」を作りました。これでヒットすれば、古井戸が解散してチャボが自分のところに来てくれるから。結果、チャボはRCに参加してその後の成功は皆さんご承知の通り。出会った頃のキヨシとチャボはどっちも人見知り。当時は合同でリサイタルをすることが多く、ミュージシャンが楽屋でワイワイやる輪に入れなかった者同士でした。2人がはじめてコンタクトしたエピソードが僕は好きです。楽屋のすみっこでキヨシがチャボにポケットからチョコレートを出して、「チョコ、食う?」と声掛けると、チャボが「食う!食う!」と答えたそうです。これが二人の友情の始まりです。フロイトの話をしようとしてたら、すっかり古井戸(ふるいど)の話になってしまいました。

②実存分析(ロゴテラピー)

…ユダヤ人のため強制収容所に収監されて生き延びたフランクルが提唱した実存をテーマにしたもの。フランクル著の「夜と霧(よる、と、きり)」はベストセラー。

僕は生のフランクルにあったことがあります。講演会を聞いたのです。印象的だったエピソードを話しましょう。フランクルはある神学校に呼ばれて講演会をしたそうです。司会進行は学長がしたそうです。学生から事前に集ったアンケートを学長が1枚づつ見ながら質問を選別するそうですが、ある質問紙を学長が「くだらない」と捨てようとした時、フランクルは「ちょっと待った。それを見せて下さい」と言いました。学長は「?」な顔をして「600、とは何ですか?なんて質問は下らない」と言いますが、フランクルは「いや、これは大変、重要な質問だ。神(GOD)とは何ですか?と書いてある」と言います。きっとこんなくせ字だったのでしょう。↓。

ここで重要なのは、神学校の学長には見えなかった「GOD」が自分にはみえた、というアピールでした。すごくないですか?僕はちょっと引きました。

帰りに偉い先生に「君はフランクル先生は知っているかね?」と聞かれ、「はい。夜と霜(よる、と、しも)を読みました」とジョーク(霧を霜と読み間違えた体)を言ったらカンカンに怒ってました。ジョークの通用しない人は困ったものですが、僕にも責任はあり、やはりTPOを考えるべきですね。

③森田療法

…僕の指導教官が「森田療法」の専門家だったから大学病院の病棟に畳部屋がありました。全部で50床の病棟に特別室みたいな個室があるのは異様です。入院森田療法は「絶対臥褥(がじょく)」と言ってまず最初の1週間は寝たきりで部屋から出れません。そして次のステップで日記が許され、次で散歩・軽作業と行動の自由を広げて行きます。「不安」を行動で紛らわさず、正面から向き合うためです。しかし、考えてみて下さい。うちの病棟は50床あって、様々な病気の人がいて、皆、決まった時間に食堂に行って、薬も列に並んだりします。用件があればナースステーションに自分で行きます。しかし、森田療法は絶対臥褥、部屋から出られないので看護婦さんが食事や薬を届け、ナースコールで部屋に来てくれます。畳部屋は一つしかないから、超VIP待遇ですよね。これは自己愛が満たされるというか、お殿様みたいな気分に浸れます。だから僕の感想は「うちの病棟の森田療法の効果は、自分を特別扱いされることで満足するから」だと思ってました。森田療法は森田正馬(まさたけ)先生が考案した禅の思想を取り入れた日本発の精神療法です。僕は研修医の頃にやってたせいで古臭いものだと思っていたら、最近、またブームのようです。何故でしょう?不思議だ。

④内観療法

…大学病院に勤めてる頃、夏休みの2週間を利用して地方の精神病院に行った。無医村みたいなところで、医者の頭数を必要とする病院が当時はあって長期休みには出稼ぎに行った。その土地は治安が悪く入院時に記載する問診票(当てはまるものに丸をする)の「態度」の欄に「入れ墨をみせて脅す」という項目があり、こんなものが印刷されてるということはそういう人が多いという意味なのでしょう。そこで出会った心理士の先生(60さいくらい、男)は「東京から来た若い医者」に興味を抱き、「東京の精神療法事情」を聞いて来ました。代わりに彼は自分が考案した「ロール・レタリング」という精神療法を教えてくれました。誰かに向けてお詫びの手紙を書くという指導でした。何せ入れ墨ゴロゴロですから、普通のカウンセリングじゃダメなんでしょう。「母に向かって詫びなさい」と言ってローレ(ロール・レタリングの略)。「次は父に向って、ローレ」とローレ攻めにしてくそうです。

こないだ、「23歳シングルマザー小6男子にわいせつ行為で有罪」という記事に「こういう人には罰じゃなく治療を」と書いてありましたが、僕は「こんな美人が来院しても何をすればいいかわからんな」と思いましたが、その時に、ローレのことを思い出しました。あの先生、生きてるかな?

⑤認知行動療法

…これも犯罪者の更生に役立つそうですね。しょこたんがストーカー被害にあったというニュースでも「犯人には治療を」というコメントがあって、その時に弁護士が認知行動療法は再犯防止のエビデンスがあると言い切ってました。

その真偽はともかくとして、認知行動療法とはある状況で生じる気分や行動には、その人特有の「方程式」が稼働するのだという考えです。つまり、y=f(x)、という公式を持ってる人のそれを、y=f’(x)、に換えれば、条件ⅹでも結果yの値が変わってくるという算段ですね。でも、僕に言わせれば、その方程式って結局どうやってつくられたかってその人の人生の積み重ねで出来上がった訳だから、そこを掘り下げて行くのは精神分析だから、結局、認知行動療法って精神分析の短期&焦点づけ療法じゃんって思うのですが、違うの?

⑥箱庭療法

…昔、えらい先生に「箱庭をどう思いますか?」と聞いたら、「あれは、こちらが寄り添って見守ってる中で作ることに意味があり、それは風景構成法も同じことで、だから箱庭は決して一人で作っても駄目だよ。こちらが見ていて、それがきちんと患者さんに意識として伝わっていることが大事で、それがあればバウムテストだって治療になりうるよ」だって。分かったような分からぬような。

⑦アンガーマネージメント

…「怒り」をコントロールする方法をラジオビバリー昼ズで松村邦洋が言ってました。腹が立ったら「怒」という字を思い出し、「女の股にこころ~」、「女の股にこころ~」、「女の股にこころ~」、「女の股にこころ~」、「女の股にこころ~」、「女の股にこころ~」と10回言うと、腹が立たず、別のところが立つ、という下ネタ。高田文夫に怒られてました。

 

以上、精神療法あれこれ、でした。


カワクリ緊急事態宣言解除

8/Ⅴ.(土)2021 はれ。石原さとみ聖火リレーランナー、物議をかもす?緊急事態宣言延長。

川原はスランプだった。みんなも同じだろうな。長引く自粛、コロナ鬱、天候の寒暖差、気圧、趣味ができない・・・などで寄る年波、体力の低下を痛感していた。カワクリの緊急事態宣言は、コロナを防ぐことよりも川原の体調を考慮したものであった。

そして、ゴールデンウィーク。ステイホームのため一升瓶を買い込んだ。
1本目は楽器正宗。↓。

楽器正宗は福島の酒。酒は酔うと結局味はよく分からないから、復興をなんとかしたいというその気持ちで好んでのんでいる。そういう偽善者だという自覚があるぼくがスキ。なんて。

2本目は、花陽浴。↓。

日本酒ランキング上位の人気の酒です。甘い。これを買ったのは、昔好きだった子の好きな酒がこの酒だったからです。歳を取ると懐かしくなって、あの子とのんでいるような気持になるかなと思ったから。
いい酒に、高級なあてをつけると酒の味がわかんなくなるもの。質素なつまみをと、セブンの金のウインナーとヤゲン軟骨で美味しくいただく。

だけど、家に居てラジオを聞いて酒をのんでるだけだから、昔のことばっか考えてしまう。昔の患者さんのことを考えてしまい、2,30年もすると精神医学の考えも変わるもので、仕方ないんだけど「あの患者さんにこうしてあげとけばよかった」と後悔もする。そろそろ現役も終わり、残りの時間を考えたりしていた。
そしたら、普段口をきかない息子が「”親鸞”って何歳まで生きたか知ってる?」と聞いてきた。(浄土真宗の宗祖で、植木等「スーダラ節」のルーツにもなっている人が”親鸞”)「わかんない」と答えると「90才」との事。当時の平均年齢は30才、単純計算で300才まで生きたことになる。息子は続けて「だから、まだこれからだから頑張れよ」だって。あと200年くらい働けと・・よし、後ろばっか見てても仕方ないと立ち直る。

ゴールデンウィーク最終日、形から気合を入れようと美容室に行った。

ハーフ&ハーフ?白黒つけろ?それは前回までの僕。
今回のテーマはブラックジャック↓

僕は忌野清志郎が死んだことを認めてないのだが、一応5月が命日。清志郎が尊敬していたのが「ブラックジャック」「子連れ狼」「オーティス・レディング」の三人。その中の「ブラックジャック」の白黒にした。

去年、コロナで江の島の密が問題視されていたが、今年の夏もみんな海水浴に行けないだろうと思い気分だけでもと、海をモチーフにネイルをしました。

題して「雨男は海水浴に来るな」
ハンドは、初夏のイメージ。↓。

足の親指についてるのはターコイズ。海に似合う石でつけたそう。↓。

というわけで、元気になり、身なりも整い、魂も入り、診療を元に戻すようにしました。

 

と、川原先生なりすましスーでした。先生が忙しいため代わりにお知らせしました。今回は分かりやすかったんではないでしょうか?でも全部本当の先生のエピソードなのでご安心くださいね。

先生もそうだったように、コロナ鬱、巣ごもりによる夫婦喧嘩、ひきこもり、天候による自律神経の乱れ、不眠、コロナ禍で知らないうちに流行って来た”病名たち”(ADHD,ASD,HSP,カサンドラ症候群など)、それにそもそも五月は「五月病」の季節。精神科・カウンセリングは不要不急ですね。
おまたせしました。新患受付再開です。

また受付時間や何か変更があればカワクリホームページでお知らせしていますので、ご覧いただければと思います。
なにはともあれ、先生が元気になってよかったです。おわり。


心の護美箱(35)~今さらわかった

1/Ⅴ.(土)2021 はれ、地震があった、雷雨も。マッチ退所。

僕がうんと子供の時に、ウルトラマンをみた。ソントンジャムという会社の提供で、滝のような川のようなせせらぎの中に「ソントンジャム」が並んで映ってるコマーシャルが番組の間に流れてたが、うちの食卓にはソントンジャムはなかった。ウルトラマンのオープニングは白黒のマーブルみたいなうねうねが「ウルトラQ」とタイトルを映し出すのだが、これは前番組の「ウルトラQ」そのままで、それが勢いよく吹き飛んで真っ赤な背景に白抜きの文字で「ウルトラマン」と出る衝撃。まだテレビは白黒放送とカラー放送が半々の時代で、「ウルトラマン」は新しい時代の幕開けの象徴のようにもみえた。僕の一個上の学年の友人が「ウルトラセブンはみたが、ウルトラマンはリアルタイムでみてない」と言ってたから(上に兄弟がいるいないとか)で随分、文化背景は変わるものだと思う。僕は「ウルトラセブン」には飽き出していた。それはウルトラセブンはロボットとか乗り物が多くて、僕は怪獣とか動物が好きで機械は嫌いなせいもある。ちなみに僕は「仮面ライダー」もみたことがない。裏番組で「巨泉のお笑い頭の体操(クイズダービーの前身番組、円鏡がこれで売れた)」をみてたから。当時は一家に一台しかテレビがなくビデオもなかったから、視聴率というのが今より信用できたと思う。

特撮ものから卒業した僕が夢中になったのは芸能界だった。月刊「明星」とか「平凡」を毎月買ってみていた。天地真理・南沙織・小柳ルミ子の三人娘が売り出し、五木ひろしがデビューし、グループサウンズを解散してソロになった堺正章や井上順が歌にお笑いに大活躍。ジュリーこと沢田研二とショーケンこと萩原健一は二枚目の代表。小学校3-4年の頃、「帰って来たウルトラマン」が放送されるというニュースが流れた。僕はもうその頃にはそんな子供っぽいものに関心がなくなりつつあったが、当時人気の「仮面ライダースナック」などのブームに乗れなかったから(テレビをみてないので)ウルトラマンならわかるぞ、という色気がなかったとも言えない。「帰って来たウルトラマン」の特集を「テレビガイド」が巻頭カラーで特集するというから買ってみたが、今でも覚えているがその号の表紙は、黒いタキシードを着て並んでいる(かくし芸大会の宣伝か?)マチャアキとドリフのカトちゃんのツーショットだった。

この二人はとても面白かった。まだ志村けんは付き人だったからテレビではみなかった。確か、4チャンで「第1回喜劇人大賞」なるものを授ける番組をみた記憶がある。由利徹や伴淳三郎などの重鎮がそろって若い芸人の話をしながら雑談の延長で大賞が決まるという訳のわからないシステムだった。大賞には「マチャアキ」が選ばれた。マチャアキのお父さん・堺俊二は笑芸人で舞台の最中に舞台で死んだことで有名だ。「お父さんの分まで頑張りな」ということを誰かが言っていた。多分、みんな同じ思いだったのだろう。僕は子供でマチャアキは好きだったから賞をもらったのは良かったと思ったがこの偉そうなおじさんが何者なのか当時はその有難味がわからなかったから退屈な番組であったが、そのせいかどうか知らないが「喜劇人大賞」は僕の知る限り第2回以降をやってないと思う。すごいぞ、マチャアキ、唯一無二のチャンピオン。

マチャアキと順之(井上順は、いのうえ・じゅんじ、と名乗っていた)はグループサウンズのスパイダースのメンバーだった。ジュリーはタイガース、ショーケンはテンプターズだった。僕は彼らがGSで活躍する姿を実際にみた記憶はない。きっとウルトラマンをみてたせいなのだろう。GSの生き残り組の人気はすごかった。新御三家が出ても、お笑いや芝居や歌で存在感見せ続けた。エンゼルハットをかぶってデビューした当時の桜田淳子がフルーチェのCMで歌を歌うのだが、それはフルーチェに色んな味があって迷っちゃうというのと自分で簡単に作れる商品で誰にあげようかな、と恋に恋する乙女感をミックスした傑作CMで、僕は今でも歌えるのだが、♪ジュリーにショーケン、マチャアキ、ジュンジ、私の私の好きな人♪、と歌うのである。ここに出てくる名前が当時の人気者ランキング上位で全員GS出身者だった。ちなみにこのCMは最後に、桜田淳子がスプーンを握りしめ空をみて、「ひろし~」というオチである。迷った挙句、桜田淳子が決めたのは「ひろし」だったのである。これは五木ひろし、とか、ど根性ガエルのひろし、という意味ではなく、当時、日本人男子で1番多い名前が「ひろし」だったからと何かで読んだ。きっと、明星か平凡であろう。

さてここで問題になることが数年後に起きる。

日本の歌謡シーンにフォークのブームが起きる。よしだたくろうの登場だ。拓郎についての細かい記述はここでは避けるが、たくろうのデビュー曲は「青春の詩(うた)」である(所説あり)。ここで豆知識。日活映画がロマンポルノに方向転換する直前、「女子学園ヤバい卒業」という夏純子が主演する青春ズべ公路線がヒットした。この映画で夏純子は敵対する不良グループと競技場でタイマンを張り、度胸を見せつけるため、そこでストリップよろしく制服を脱ぎ、まぶしいような純白のブラジャーとパンティ姿を披露した。この無軌道な若者の青春群像を描く映画に何故か突然、公園の噴水近くにギターを抱えた男が登場し歌を歌い出すのである。それが、よしだたくろうであり、歌が「青春の詩」である。音は後からかぶせたのだろう、エレキの音がするから、これはエレックレコードのファーストアルバムからの音源ではなく、シングル盤の音源だろう。この詩は♪喫茶店に入って彼女の手を握ること、あ~それが青春♪というように「~な、こと、あ~それが青春」というフレーズを重ねて行く手法でいくらでも長く出来るのが初期のよしだたくろうの作風の特徴です。その中で今回皆さんと共有したいのがこのフレーズです。それは、♪ジュリー、ショーケーン、キンちゃん~、あ~それが青春♪です。前述の如く、ジュリーは沢田研二、ショーケンは萩原健一、どちらもGSです。しかし、そうなると「キンちゃん」は誰でしょう?僕はこれを中2の頃からずっと悩んでいます。色々調べたし、ラジオにも投書したし、書籍も読み漁ったが、回答はありません。ちょっと音楽に詳しい奴にきいても、「キンちゃん?欽ちゃんだろう。萩本欽一」と答える始末。でも、ディメンジョンが違うじゃないですか。そこで僕が当たりをつけたのは、ザ・フォーク・クルセダーズの北山修。フォークルは京都のライブハウスでジュリーたちと同じステージに立っていた。一足先にジュリーたちがスカウトされ東京に向かう時、ジュリーが北山修に「先に東京に行って待ってる」と言ったセリフは有名。フォークルの当時のライブ音源を聞くと黄色い声で一色。北山修は普段は「サム(おさむ、の、さむ)」と呼ばれていますが、覆面バンド「ザ・ズートルビー(山田隆夫がいた、ずうとるび、とは別物)」では足柄金太と名乗っていたから、「キンちゃん」という呼ばれ方もしています。北山修のソロコンサートのライブ音源を聞くと、「サム~」「キンちゃん~」と二つの掛け声が聞こえます。そこで僕が出した説は、よしだたくろうの「青春の詩」の「ジュリー、ショーケン、キンちゃん~」のキンちゃんは北山修・説でした。

話は変わりますが、4月からメンバーチェンジとなったEテレの「ゴーゴーキッチン戦隊クックルン」の新メンバーは「タイゾウ」という男の子を中心に男子2、女子1、大人の女子1という構成です。ここで私がふれておきたいのは「タイゾウ」という男の子です。この子が若い頃のよしだたくろうにそっくりなのです。一人だけ年長なので背が高く、手足も長い。ノリが良くて、自分のことを「俺」と呼ぶくせにどこかしら育ちが良さそう。茶目っ気があって笑うと、眉が下がり、目がタヌキみたいにタレ目になり、肉厚のある唇がニコチャンみたいに半円を描き、まるで顔の輪郭の丸の中にもう一つ丸が出来て「◎」みたいな表情が記号になります。かぶってる帽子も拓郎がかぐや姫と一緒につま恋でやった時のオールナイトコンサートの時のバンダナを連想させます。ちょっとボンボンな不良っぽさだけど笑顔が可愛い男の子。こういう子が女性に人気が出るのは良いことだが、幼い男児が好きな変質者の目にとまらないかと心配になります。今は男の子を持つお母さんがベビーシッダーは「男はあぶない」と偏見めいた不安を抱いている世の中だからです。

さて話を元に戻しましょう。皆さんは「WOWOW」を申し込んでいますか?あれは契約してないと妨害電波みたいのでみれないシステムになってますが、中には無料でみれる番組があります。松村邦洋と松本明子のやってる「電波少年W」は無料でみれます。主にテレビの歴史を振り返るみたいな懐かしく、かつ資料的な側面のある番組です。そこで驚いたのですが、こないだゲストに萩本欽一が出演しました。欽ちゃんは元気でしたが、もうさすがに年寄りでしたね。活舌も悪いし、間も悪い、ツッコミが古くて、本人は毒気と面白みがあると思ってるんだろうけどしつこいだけ。ま、欽ちゃんを生でみれるだけで貴重なのだからそんなことは全然気にならないのだが、先に挙げた特徴はなぜかビートたけしにも共通してて、若い頃はあれだけ芸風の違った二人が同じようにみえてしまのは、年取ると人間はみな同じようにみえる仮説が出来上がりました。他のサンプルも集めてみます。と、そんなことはどうでもよくて、この番組で衝撃だったのは全盛期の「コント55号」の頃の異常な欽ちゃん人気の紹介です。「まるでアイドル」で出待ち&入り待ちは当たり前、マンションにまで女性ファンが駆けつけていたというのです。つまり、よしだたくろうの「青春の詩」の「ジュリー、ショーケン、キンちゃん~」のキンちゃんは、みんなの言う通り萩本欽一でした。俺は何を何年間も悩み続けていたのだろうか。0度と360度が同じ座標軸を示すようにグルっと考えすぎて何も考えない奴と同じ結果に辿り着く。

心の護美箱(34)がいっぱいになったから(35)を作りました。始めてこのブログを読む人は「何のこっちゃ?」ですね。そんな人はこちらを。→心の護美箱(34)。

BGM.  よしだたくろう「青春の詩」


心の護美箱(31)~ABC

13/Ⅱ.(土)2021 はれ 呪われた東京オリンピック、失言の森会長の後釜に暴言の豊田真由子、急浮上?

女性蔑視の森さんが辞任してまるで世論の勝利のように勝ち誇るマスメディアを横目に久しぶりに東京スポーツは良い一面を持ってきた。それがこれ。↓。

東京五輪の会長を辞めたら「プロレス協会の会長に」と蝶野が推してるのだ。森会長がかつてプロレス観戦をした時の写真を引用し、パイプ椅子を持ち今にも臨戦態勢とあおる。ページをめくるとこんな記事も。「あつまれ どうぶつの森」のパロディか。↓。

差別用語・放送禁止用語についていろんな意見がある。たとえば「つんぼ」「おし」「めくら」などはNGで吉田拓郎の「ペニーレーンでバーボンを」という曲は歌詞に「つんぼ桟敷」というフレーズがあるという理由で音源化されないままだ。地上波ではクレージーキャッツの映画で植木等の言うセリフ「あわてる乞食はもらいが少ない」の「乞食」の部分が不自然にカットされる。そもそも障害者のハンディキャップを露骨にさらすのは良くないという配慮からさりげなく「つんぼ」や「めくら」という表現にしたのに、それを差別用語としてわざわざ「耳が不自由な人」「目が不自由な人」と言い換えるのは本末転倒かえって無神経だと立川談志は言っていた。こういう話をする時の談志の落としどころは「俺が暴言を吐くのは、口が不自由だから。同情してもらいたい」だった。今回の森さんの女性蔑視宣言はそんな談志の漫談を思い出す、「森さん、口が不自由な人」説。志らくあたりが言っても良かったのではないか。もうどうせ、グッとラック終わりだし。

誰にでも得手不得手はあり、僕の不自由は人間関係だ。でもそれは長くなるからまた別の機会に。

心の護美箱(30)がいっぱいになったから(31)を作りました。始めてこのブログを読む人は「何のこっちゃ?」ですね。そんな人はこちらを。→心の護美箱(30)

BGM. 沖田浩之「E気持ち」


欲しい物

19/Ⅰ.(火)2021 寒い 共通テストで失格のマスク鼻出し男トイレに立てこもり逮捕、49才だった。

昨日コンビニで「干し芋」をみた。今は旬なのか何種類もあった。それで思い出したのは、アポロが月に行った頃。「天才バカボン」で宇宙ロケットをタリラリラーン星に打ち上げたが全員帰還しない。国際学会は「これ以上、有能なパイロットを失えない」と議決して、次のページをめくると「そういう訳で君たちが選ばれた」という解説に「アイアイサー」と敬礼するバカボンとパパの姿。二人は最後のロケットに乗ってタリラリラーン星に向かった。実はタリラリラーン星人は人食い人種でこれまでのパイロットは全員食べられていた。しかしバカボンとパパはとんちで切り返し無事地球に戻って来た。その記者会見でインタビュアーが「感想は?」とマイクを差し出すと、パパが「感想は乾燥芋です」と答えた。僕は「乾燥芋」というものを知らず、母に乾燥芋を食べたいとねだった。母は料理が好きだったから「なんとか金時」という高級な食材を用意して焼き芋やふかし芋、そしてその時代には珍しかったスィートポテトもこさえてくれた。しかし僕の興味はバカボンの「乾燥芋」で、まるで「目黒のさんま」みたいなやりとりが続いた。学校でも国語の授業であてられて「この詩の感想をいいなさい」と言われても僕は「感想は乾燥芋です」と答えた。クラスのみんなは僕と同い年だから「乾燥芋」がわからず皆ポカンとしていた。きっと「天才バカボン」を読んでなかったのだろう。僕はクラスで「受けるかどうか」などどうでもよくて、とにかく「感想は乾燥芋です」と言いたくてしょうがなかったのだ。

そんなことを思い出して今日クリニックに来たら患者さんから「干し芋」を頂いた。僕は以心伝心に驚いて、乾燥芋を一かじり。鳥のくちばしのようにしてみた。↓。

僕の好きなテレビ番組「ゴーゴーキッチン戦隊クックルン」でこないだおならをするプープー怪人が出てきた。クックルンは怪人を地球から守るためお料理を作りそれを食べると「満腹ビーム」が出せて、怪人を宇宙に吹きとばせるのだ。プープー怪人をやっつける回では、クックルンの3人がサツマイモをくりぬいて皮を残しそこにこして甘く味付けしたお芋を戻して焼くスィートポテトを作ってた。クックルンに出てくる、コムギ、は可愛いなぁ。誰かに似てるんだけどそれが誰だか思い出せないのが最近の悩み。

今日のBGMはキヨシロー。サビの歌詞の「欲しい物はたった一つだけさ」の「欲しい物」が「干し芋」に聞こえるという理由だけでチョイスしてみました。

BGM. 忌野清志郎 & 2・3’S – プライベート


心の護美箱(27)~ゴルフ

10/ⅩⅠ.(火)2020 はれ 涼宮ハルヒの総選挙、開催!ミヨキチはエントリーされず。

心の護美箱(26)もいっぱいになったので、(27)を作りました。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。

おそ松さんの第三期もいよいよ5話。今期は、「鬼滅の刃」のせいもあり、あまり盛り上がっていない分、静かにみれていい、とおそ松さんクラスターには好評。内容的にも、謎のおむすびロボットが登場し、AI知能装備で人間のために何でもするというこの2体のロボットは6つ子の世話をする訳だが、誰が何のために寄越したのかは謎のまま。今の所、6つ子やその他の主要キャラクターの情報を収集してるところで、時折、見せる不気味な無表情が背後が何かを不安視させる。「ひょっとして中国が日本人の情報を集積するために送ったというオチでは?」と言ったら、スタッフから「そんなのだったら第三期パッケージごとソフト化出来ませんよ」だってごもっともな指摘。そんなことはどうでもいいのだが、アメリカ大統領選挙盛り上がりましたね。こんなに日本中が夢中になった外国の党首選びもなかったし、初めてアメリカ大統領選挙の仕組みを知ったという人も多いですね。ジョー・バイデン氏でほぼ決まりのようですが、この人のことは親中家ということくらいしか情報がなかったですね。あとは、熊本の田舎町にジョー・バイデン町長という人がいるというくらいで、それも梅田穣(うめだ・ゆたか)の音読み(バイデン・ジョー)だというほのぼの系のニュース。アメリカの大統領選ですが、中国や北朝鮮に強く言うのはトランプくらいだから日本にとってはトランプ大統領の方が良かったという意見も聞かれます。そんなトランプ氏は、バイデンが勝利宣言をした日に、自分の所有するゴルフ場でゴルフを楽しんでいたとのこと。トランプの大逆転はあるのか?そんな訳で、今回はゴルフの記事のアーカイブスです。↓。

7/Ⅰ.(土)2012
僕は、一度だけゴルフをしたことがある。
それは、研修医1年目の医局コンペで、研修医は強制参加、だったから。
面倒見のいい、ゴルフ好きの先輩がいて、本番の前に練習場に何回か連れて行かれ特訓をし、本番はその先輩と一緒に回る組になった。
キャディさんというんでしょう、僕らのグループと一緒に回るそのおばさんはきつい性格の感じの悪いキャディで、口うるさくて、僕の歩き方が悪いとか、芝が駄目になるとか文句ばかりをつけてきた。
こっちだって、好きで来てる訳じゃないし、初めは我慢していたが、途中から「うるせぇ!ババァ」とか「林にボールを打ち込んだから、その自慢の声でカラスを追っ払え」とか
「池に落ちたボールを潜って取って来い」とか言うとババァも負けじと「自分で池に入れ」とか「カラスのことまで知らない」とか「ゴルフをやる資格がない」などと言った。
「別に俺はゴルフをやらなくったって困らないから、ただ進行が遅れるだけで、それも知ったこっちゃない」と言うと先輩が「まぁまぁ、仲良くやろうよ」。キャディには「彼は純粋な性格なだけなんだ」と言い訳したり、「池のボールは取らなくていいんだよ」と新しいボールを差し出したり、「少年ジェットみたいにやってみようかな~。ウー、ヤー、ター!」と大声を出してカラスを追い払ったりしていた。
結局、前半が終了した所で、医局の偉い先生達で話し合って、僕は後半のラウンドは出なくていいことになり、風呂に入ったりして自由にしていて良いと許しをもらった。
皆が打ち終わると優勝者とか準優勝者とかブービー賞とかに賞品を授与するセレモニーがあるのだが、僕は「努力賞」とかいう名目で電子ピアノの玩具みたいなのを貰った。
帰りはそれぞれ車に分乗するのだが、僕はさっきの親切な先輩の運転する車に乗った。
僕は、もらった玩具のピアノを車中でずっとデタラメに弾いていて、先輩は「川原君、ちょっと静かに出来ないかな?」とハンドルを握りながら言って、僕は「あと少しでやめますから」とノッテ来たから即興曲の不協和音を鳴り響かせ続けた。
その先輩はとても穏やかな人で、「川原君、もうそろそろいいかな?」と静かに言った。
「もうチョイ」。そんなやりとりを僕がピアノに飽きるまでやって、僕は飽きたらやめて、
その後は後部座席で爆睡し、やさしく先輩に起こされて、目を覚ましたら自宅の前だった。
ま、当然だが、翌年の医局コンペには誘われなかった。
それ以来、僕はゴルフのクラブを触ったことがない。何を言いたいかと言うと、ゴルフを愛する者に悪い者なし。


おとこのこのサバイバル術

28/Ⅹ.(水)2020 昼に地震あり。欅坂46、改名って知ってた?

鬼滅の刃、のブームの勢いは止まるところを知らず、郵便局では切手や年賀状も売り出されます。
去年のカワクリは「ねずみ」のイラストのデザインを何枚か作りました。ねずみ、はチューと鳴くから、「ピカチュウ」とか「荒井注」とか「ミッキーの宙返り」など。
今年も来年の干支「うし」に引っ掛けて何かを考える時期に。
今の所、大橋巨泉のイラストを描いて「ウッシッシ」というセリフ入りはどうかと思案中。
僕が小中学校の頃は、年賀状と言えば、全員分手書きで書いていたものだ。友人・親戚・先生などの他、中学に上がると部活の先輩にも出すから100枚位書いていた。
僕の中学は中高一貫で僕はブラバンでホルンを吹いていた。当時、中3の金子さんという背の高い大人しいクラリネットの先輩にも年賀状を出した。全員に出したから。
すると年明け、金子さんに「川原、年賀状、ありがとう」とお礼を言われた。それが毎日毎日、何度も何度も真剣に言われた。
僕は、この人は後輩から年賀状をもらったのが初めてなのかな?ひょっとしたら誰からも年賀状をもらえないで来た人なのかな?と邪推する程、異常なくらいお礼を言われた。

金子さんは、翌年当りから、急に部活に来なくなり、でも意外な方向から名前を聞くようになった。それは不良たちから一目置かれてるのであった。
金子さんは雨でもないのにいつも長靴を履いていて、噂では靴底には鉄板が入っていると聞いた。学生カバンも薄くそこにも鉄板が仕込んであるらしい。前者が攻撃用で後者が防御用。
僕らの高校は不良の激戦区・池袋にほど近く、帰り道にそこを使ったり、寄り道に池袋に出ることがちょくちょくあった。しかしお坊ちゃん学校であるから、不良たちからはカツアゲの良い鴨だ。
僕らはお札は財布に入れず、靴下の中に隠して歩いていた。
そんな中、金子さんは一匹狼だが、池袋でも激闘を繰り広げてるらしかった。
当時は有楽町線が開通したばかりで、不良校どうしのタイマンがプラットホームで始まると、次についた電車から双方の学校の生徒が雪崩のように流れ込んで来てもみくちゃの大喧嘩になってたのが日常茶飯事。当時の駅員さんは大変だったと思う。

時代的に「不良」はカッコイイとされていた。キャロルを解散した矢沢永吉や、暴走族あがりのクールス(舘ひろし、などがいた)などが音楽シーンでも人気があった。
漫画では「花の応援団」とか「男組」など硬派=不良のような美化された風潮もあった。男性アイドルには市民権がなく、ミーちゃんハーちゃんが聞くナンパとバカにされていた。ジュリーでさえそうだった。

だから僕らのようなお坊ちゃん校でも、ファッションとして不良化が進んでいた。髪型はアイパーかリーゼント。学生カバンも中の綿みたいなのを抜いて、細くした。細くするため、百科事典を何冊かカバンの上に置いて一晩寝かせたものだ。当時はどの家にも応接間に百科事典があり、それは親の見栄の飾り物で子供たちは腹筋を鍛えるためにお腹に乗せる重石か、カバンのために使われていた。
当時の喧嘩にはヌンチャクが使われていて暗黙のルールで刃物は禁止だったのだと思う。
ヌンチャクは、数年前のカンフーブームでブルースリーのマネをするため小学生は自製で作ったから要領は得ていた。
町の金物屋で水道のホースを1mくらい買って来て、適当の長さに切り、ビニールテープでぐるぐる巻きにし、2本をチェーンで結んだ。
本当にやばい学校のヌンチャクはホースの芯に何か固い物を入れていた。

金子さんは高1くらいで学校を辞めてしまうのだが、僕に対してはずっと感謝していて、金子さんが使っていた鉄板入りの極薄のカバンと戦闘用のヌンチャクを別れ際にくれた。
金子さんが池袋で不良校のトップの奴をやっつけてしまったから、その学校が総出で僕らの学校の最寄り駅に大挙朝から張り込んで、一般生徒まで脅して大騒ぎになり、さすがにそれには学校や警察などの大人たちも対策に乗り出した。ものすごいマジなヤバイ雰囲気だった。
金子さんはその責任をとって辞めたのだと思う。今思うと、15-6の少年のやったことだった。
僕はたった一枚の年賀状のお蔭で、伝説のカバンとヌンチャクの継承者に指名された。
うちの学校の番長みたいな奴が低姿勢でそれを自分に譲ってくれないかと頭を下げに来た。僕は持て余してたものだし、こんなの持ってて何かの因縁をつけられたらたまったものではないと思っていたから、速攻で譲り渡した。

しかし時代は不良の時代で自衛しないと生きていけないサバンナのような都会だった。怖ければそんな所に行くなと言われるが、自分の好きなこと(本屋や中古レコード屋の大きいのがあった)をしたいのをそんなこと(暴力、カツアゲ)のために我慢するのも嫌だった。
そこで弱い子も弱い子なりに工夫して生きていた。
僕は近所の金物屋でヌンチャクの原材料であるホース、通常は水色なのだが黄色もあった、それを3mほど買った。
そして、僕は何も加工しないで、3mの黄色いホースをズルズルひきずって登校していた。
学校の教師が「川原、それはなんだ?」と驚き、「ホースです」、教師「何に使う?」。すると横からオッチョコチョイが「こいつ喧嘩用に持ってるんですよ」とチクった。
すると一旦ホースは没収され、緊急職員会議。「生徒が3mのホースを学校に持って来た。どうするべきか?」が議題。
うちの学校はリベラルな校風だ。職員会議の結果、「前例がないのでおとがめなし」。ホースは返された。僕はしばらくホースを持って池袋をうろついていたが、不良からからまれることはなかった。
それだけか、池袋の楽器屋にどうしても行きたいとか本屋に行きたいという他のクラスのおとなしい子に「一緒に来てくれない?君が一緒だと安全なんだろう?」と用心棒のような役割をさせられたこともあった。

高3の頃、池袋にサンシャイン60がオープンし、その地下に海外のお菓子やおもちゃを売ってるソニープラザという目新しい店が入り、僕らは学校帰りに寄った。
僕はそこでメタリック調の光線銃を買った。レバーが古いテレビのチャンネルのように切り替えられるようになっていて、周波数の違う音がけたたましく鳴った。
僕はそれを撃ちながら池袋を歩いていたが、時々、頭の悪そうな不良にからまれそうになったが、大抵、そのグループの中の有力者が「あいつはやめておけ」と相手をなだめてくれていた。

大学に入って、千葉の友人の別荘に夏旅行。柔道部でもないのに学校の柔道大会で準優勝するようなガタイの良い奴を筆頭に、ボクシングをかじってる奴、サッカー部のゴールキーパー、そして六本木のナンパ師(こういうやつは喧嘩を売られる事が多いから喧嘩が実は強い。もしくは護身術に長けている)らと僕の5人メンバーだった。
夜中に酒が足りなくなって調達に行くと地元の不良たちと鉢合せ。よしやいいのにナンパがメンチ切ったから取っ組み合いが始まって、こっちの大将が相手を何人か投げ飛ばしたら、どこからわいてきたんだという数の不良たちとバイクと車まで来て、僕らは知らない町で取り囲まれた。大将はヌンチャクで頭を殴られ大流血。ここで勝負あり。残りのメンバーも無抵抗なままボコボコ。
僕も左足をふまれてそれが痛くて地面に転げ落ちてたら、追い打ちをかけようと下っ端が俺を蹴ろうとした時、相手のボスみたいな奴が、「そいつはやめとけ」と言って、僕は足を踏まれただけで助かった。
きっと僕はみるからに弱そうだから手加減しないで殴ったら死んじゃうと心配したのかも。
当時の不良は喧嘩の仕方を知ってたから良かったが、今はそういうの学校でも教えないから怖いですね。


心の護美箱(26)~大学受験

17/Ⅹ.(土)2020 雨 関東で寒さ12月並み、体調注意。小林幸子、始球式で投げず。

さて、心の護美箱(25)もいっぱいになったので、(26)を作りました。
はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。
ここでも、非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。
まぁ、グチに限らず、要望や苦情やエールやラブレターでも構いません。この記事に関する感想コメントなら、尚結構!

 

今回のテーマは、大学受験です。コロナもあり、今年は大変そうですね。頑張れ、受験生❗️

 

①2015年1月4日 「語が苦」

僕の通っていた学校は中高一貫の男子校で6年制の学校で僕はブラバンに所属していたから中1の時から「高吹連」のコンクールに出ていた。中1が1年生で、高3が6年生みたいな感覚。
年明けは、高3の先輩の進路の話題になる。毎年、大抵、ふざけた先輩が一人や二人はいて、「俺、東大、受けてくるから。ヨロシク!」と言って、そういう事を言う人は、決まって、成績が悪い。
そういうのを「記念受験」って呼んでいた。つまり、冷やかし、ですね。
だけど、「記念受験」をした先輩が、「東大?受けたけど、落ちたよ。やっぱ、難しいね。歯が立たないよ」と笑う姿と、往年のプロレスラーが、「ルー・テーズ?戦ったことあるけど、完敗だったね。歯が立たないよ」と回想するシーンは、どこかちょっと似たニュアンスがあって、僕はいいなと思ってた。
だから、僕も高3になったら、「記念受験」をしようと決めていた。やっぱ伝説のレスラーとは戦っておきたい。ところが、そんな先輩方のふざけた態度への対処策か、僕らの前の学年くらいから「共通一次」が採用された。国公立を受ける人は必須で、私立受験には関係がなかった。うちの学校は高2で、「理系」と「文系」が見事に分かれ、「理系」は「理系」しかしないようなカリキュラム。国公立を受ける人は少数でそういう人は、別に授業を選択してとっていた。だから生徒よりも先生の方が、「共通一次」の対策で大変だったみたいだ。
僕は中1の時から「記念受験」はするつもりだったから、「共通一次」に申し込んだ。
しかし、ここで2つ問題点が浮き上がってきた。
1点目は、東大は所謂「足きり」というのをやるから、「共通一次」で高得点を取らねば受験出来ないシステムになっていた。英・数・国が200点づつで、理科を2つと社会を2つ選択して各100点づつ合計1000点満点で、900点くらい必要だった。
理科と社会は4つのうちから2つをその場で選択して良いから、解き易い問題が多いのをその場で決めようと思った。「共通一次」にはマークシート方式が導入された。当時はシャーペンはダメで鉛筆のみ、「HB」と指定もあった。僕は普段、4Bくらいの濃い芯を使っていたから、試験前に文房具も揃えなければいけなかった。ついでにマークシート対策として鉛筆の6面を削って、サイコロのように①~⑥の数字を書いて判らない問題は、これを転がして出た数字に丸をつけることにした。共通一次は記述式より選択式が多かったから、こういう必殺技が編み出された。なんとか、これらで足きりを突破しようと考えた。無謀だった。ま、それでも、記念受験にこだわった。後輩に、「俺、東大、受けてくるから。ヨロシク!」って言う文化を残したかった。これが1点目の問題。
2点目の問題は、もっと深刻だった。
なんと僕は学年末テストの英語が赤点で追試だった。その日程が、共通一次の二日目とかぶっていた。僕は職員室に、「共通一次があるから、英語の追試は受けれないんスけど~」と言いに行くと、「何!?」と大騒ぎになった。只でさえ、職員室は不慣れな共通一次で大わらわなところに来て、卒業もあやうい生徒がそれを受けると言うのである。
追試とは学年末試験の一回をしくじっただけで卒業出来ないのは可愛そうとの救済措置だ。共通一次は我が校では数名の成績上位者が受けるものだ。
教師達は、まさか「追試」と「共通一次」の日程がかぶる生徒が出るなどと想定していなかった。担任は、この時、初めて僕が共通一次に出願していることを知り、「お前なぁ」とあからさまにあきれ顔をした。そのやりとりをみつけた、英語の担当のハゲ山が「追試を受けない者には単位はやらない!」と割り込んできた。ハゲ山は、そのビジュアルから、いにしえの先輩がそう命名して、我々の代まで伝承され続けているあだ名だった。
「今、担任と話してる所なんだけど邪魔しないでくれる?」と僕が言うと、もっとギャーギャー言い出した。「受験生には、『落ちる』とか『すべる』って禁句だって知ってる?センセーの頭を見てると、『すべり』そうで縁起悪ぃんだよ」って僕の口が滑った。
ハゲ山は真っ赤になって怒り心頭だった。ゆでだこのようだった。
「まぁ、待て」と担任が割って入って、「お前、冷静になれ。学校のテストで追試の奴が東大に受かるか?」と諭すように言った。
僕は、「あんたは、自分の生徒を信用できないのか!?」と担任の目をにらみつけた。わずかに担任が視線をそらした時。僕はここが勝負だとたたみかけた。なるべく優しい声で、スローなテンポで、催眠術師のような声色で、「自分のクラスから、東大生が出たらどうなる?職員室の中で、株が上がるんじゃないか?」。すると瞬間、担任の目が賭博師の目に変わった。「お前、本気か?」。「中1の時から、決めてることだ」。…しばしの沈黙の後、担任がバクチ打ちのような口調で言い放った。「判った!受かって来い!英語の追試は俺がなんとかしてやる!」。「やり~!そう来なくっちゃ!じゃ、俺、共通一次、受けてくるから。後のこと、ヨロシク!」。と言う訳で、僕は英語の追試を免除され、共通一次を受けれた。
共通一次と云うのは、比較的、基礎的な問題を出して、難問は出ないと聞いていた。
だから、とりこぼさないように、ということだった。
結果ははまぁまぁ出来た。社会と古文&漢文は、「サイコロ鉛筆」が大活躍。
しかし、問題の英語が全然、出来なかった。そりゃそうだ、本当なら学校で追試を受けてるはずなんだから。試験当日は、大雪だったが、番狂わせは起きなかった。
まぐれはなかった。翌日、学校に集まって、自己採点をしたら、結局、足きり。
一応、職員室に報告すると、担任は「わかった。すぐ切り替えろ。腐るな!」とまるで野球部の顧問のようなゲキを飛ばした。ここは、もう少し、具体的な受験の必勝法とかを伝授すべきじゃないのか?精神論で何とかなるもんじゃないぞ。
そう僕が思ってると、またまたハゲ山が近付いて来た。
「追試は、大目に見たが、まだ単位はとれてないからな。私大受験までに、これをやれ」と分厚い課題を渡された。
「重ぇ~よ!ふざけんなよ!こっちは、これからラスト・スパートなんだ。学校の課題なんかやってられるか!」と思った。教室に帰って、ブツブツ、文句を言ってると、「ちょっと見せて」と英語が出来る子が、ハゲ山の課題に目を通した。そして、「これ、学年末試験の範囲だけじゃないよ」だって。「何だ、それ?」。「高校の全部の範囲から出てるよ」。「マジか?」。「ハゲ山先生も、これ作るの大変だったんじゃないかな」。「じゃ、お前、やるか?」。「冗談じゃないよ。それに、これ、かなり偏ってるよ」。「嫌な奴だな!そんな所にエネルギーかけやがって。陰険だな。ムカつく!」。
すると、クラスの皆が、「そうだ!そうだ!陰険だ!」と受験のフラストレーションをここぞとばかり爆発させた。しかし、課題をやるのは、僕だけだ。
そこで僕は担任に文句を言いに行った。「お前、なんとかするって約束しただろ。どうなってんだ」って。すると、担任は、「ま、形だけ、やっとけ!出せば良いんだ。出せば!」と珍しく的確なアドバイスを寄こした。僕は担任の言葉通りに、チャチャっとレポート用紙数枚にマンガを描いた。ハゲ頭の男が物を持ち上げて「Up!」、ハゲ頭の男が物を下げて「Down!」、脇に置いて「Side!」ってな調子で。↓。

 


後は、「励ます(ハゲ増す)」とか「儲けが無い(もう毛が無い)」とかの英単語とマンガの挿絵を描いて、クラスの皆はそれを見て、ゲラゲラ笑っていた。一番受けたのは、デンマークの地図を書いて、「首都は?」、「コペンハーゲン」。もはや、英語じゃないし。「ハゲ」って言いたいだけだし。片仮名だし。
でも、これはとっても受けて、卒業までの短い間、ハゲ山のあだ名は、「コペン」になった。後で知ったのだが、僕の幾つか下の学年では、「ハゲ山」は「コペン」と呼ばれていたそうな。民間伝承とか街談巷語ってこうやって発生するんだ。
ちょっと話はそれるが、すぐ元に戻すのでご安心を。僕が大学生になった時、友人から、青山に出来たアイスクリーム屋に、行列するバイトに行かないかと誘われた。僕は断ったが、後で聞いたらそれが、ハーゲンダッツの日本初店舗の行列のサクラ、のバイトだったらしい。もし、僕が高校生の頃に、ハーゲンダッツが日本に進出していたら、ハゲ山のあだ名は「ダッツ」になってたな。
ま、そんなレポートをコペンに提出したら、「単位はやる。でも、課題は課題だ。ちゃんとやれ」と負け惜しみを言いやがった。「ま、暇な時ね~」と、単位を貰っちまえば、こっちのもんだ。で、僕は私大医学部の傾向と対策にとりかかる。
医学部のそれは、ちょっと癖があった。
数学は、数Ⅲはほぼ出ない。その代わり、ひたすら計算させる問題が出る。知力より体力。電卓でいいじゃん、って感じ。医学を志す者はスタミナが必要だという警告か、わずかなミスも許されない世界への通過儀礼か、機械に頼るなという暗示か。
物理は、原子物理がかなりのボリュームで出る。やっぱ、放射線治療とかがあるからか。化学もやっぱり、そんな感じだが、学校によって特徴的な差があった。
ただ、英語の「ヤマ」だけが読めなかった。過去問を解いてるとなんか癖はあるのだが、はっきりは判らない。まぁ、そもそも、英語に「ヤマ」もあったもんじゃないだろうが。
僕の勝負のポイントは、数学で稼いだ分の点数でどれだけ英語をカバー出来るかだった。英語が足を引っ張らないか、だった。
結果は、全滅。浪人確定。国公立の試験(僕は受けない、足きりだから)を待って、予備校の選抜クラスの試験が待っている。しかし、2週間くらい、ちょっと間が空くのだ。その間にだれてしまい、暗記物はほぼ忘れてしまった。駿台の試験は落ちた。なんとか代ゼミのクラスに受かった。その合格通知に喜んでいたら、親が、「予備校に受かって喜んでてどうする!?」とデリカシーのないことを言った。
予備校の4月開講までには少し時間があった。ふと、暇が出来たので、コペンの作った課題をパラパラっと見てみた。僕はそれを見て驚愕した。そこには、僕の受けた大学の入試試験と似通った問題が並んでいた。英語が出来る子が、「偏った問題」って言ってたのは、医学部用に「ヤマ」を張ってくれてたのだ。これやってりゃ、受かってたかも~
ごめんね、コペン。良い奴だったのね。と言う訳で、先生の言うことは聞いた方が良いという教訓でした。

 

②2018年8月16日 周期表の覚え方~受験生、必見!乙女、閲覧注意!

東京医大の女子受験生差別の問題は、なかなか世間にインパクトを与えましたね。
頑張れ!受験生!と言うことで、女子受験生に、微力ながら尽力しようと、化学の周期表のエッチな覚え方を教えましょう。前にいた受付が、「これを私がJKの時に知ってたらあんなに苦労しないですんだのに」と言わしめたものです。
これは、僕が高校生の夏に参加した、ある医学部専門予備校の夏期講座で、先生にではなく、そこにいたエッチな女子浪人生に教えてもらったもので、後にも先にも、こんな卑猥な覚え方を口にしてる人を知りません。ただ、丸暗記というものは、バカバカしいものや下品でくだらないものの方が忘れないものです。30年以上、経ってるのに覚えているもの。

周期表の覚え方というと、元素番号1-20を横読みした「水兵リーベ、僕の船~」が有名ですね。でも、これは一般的な分、全然エッチじゃないし、(エッチじゃなくてもいいんですが)意味不明ですね。
それに比べて、この後の、元素番号21以下と、つづいて、縦読みの「族」すごいですよ。
意味、判るし。むしろ、絵が思い浮かびます。
それでは、受験生、必見!乙女、閲覧注意!彼女の手ほどき開始です。

 

Sc Ti V Cr Mn Fe(鉄) Co Ni Cu(銅) Zn(亜鉛)

→少し、ちんこは、ヴァギナより黒い、まんこってコンドームにどう合うの?

1族・H Li Na K Rb Cs Fr

→変な淋病、何故痒い。ラブしすぎてフラフラ。

6族・Cr Mo W

→黒い物は、ワンダフル。

13族・B Al Ga In Ti

→ブーして歩いて我慢する、インテリ。

14族・C(炭素) Si Ge Sn(すず) Pb(鉛)

→たんすの下に現金、すずなり。

15族・N P As Sb Bi、これは「ニッポンの朝は酢豚にビール」が有名ですが、彼女は違います。

→ねぇ、パパ、あそこ、しゃぶってビンビンよ。

16族・O S Se Te Po

→お~、すげぇ~、世界は、てんで、ポルノブーム。

17族・ F Cl Br I At

→ふっくらブラジャー、私がアタック(Iを、英語の一人称として読みます)。

18族・He Ne Ar Kr Xe Rn

→変なねぇちゃん、歩いて狂って、セックス・ランニング。

 

僕は当時、高校生で、彼女は浪人生で年上で、だから仲良くしてもらって少し大人になった気がしてた。彼女は不良で、今で言う、援助交際をしていたらしく、しつこい相手だと「疲れる料」をとり、あっさりした相手からは「物たらん料」を巻き上げると、うそぶいていた。
ひと夏しかその塾に行かなかったから、その後彼女がどうなったのかを僕は知らない。


文化部通信~その拾~秋の文化祭・川原ヒストリア

こんにちは、文化部通信も、第10弾!スーです。

クリニックに貼ってある少年時代の写真を誉められてご機嫌です。自身の写真を浅草のマルベル堂に持って行ってブロマイドにするかと少々浮かれ気味の男、川原。(敬称略)

秋の文化祭シーズン、私への命令として、

昔の写真をチョイス&コラージュ

恐れ多くて私は選べないので先生自身で選択してもらいました。選べませんよ、恐れ多くて。

元は入口の、高木さんコーナー

その下の、おそ松さんのポスターの裏地が白だからそこに貼る

大事な写真原本なので、100均で買ったカード入れに写真を収め、

普段ほとんど活動していない高校写真部の文化祭での展示物のように写真を貼れば出来あがり

入口ドアにあるのでご覧下さいね。

私のお気に入りは、海水浴場で気をつけの姿勢で立っている川原少年です。広い大海原を前にして礼儀正しいですね。

結論、子供と動物と蛭子能収には勝てませんね(?)

次回は文化部員のヒストリア?幼少期の水着や晴れ着や変顔、あこがれのウエディングドレスの公開まであるかも。もちろんうそです。