人間ドックのご報告

10/Ⅹ.(土)2020 台風。昨日の「グッとラック!」池袋事故のニュースで、フワちゃん号泣。

木曜日のロンドンハーツ3時間スペシャルは、女性タレントの体力測定&運動会。総合で、みちょぱが史上初の4連覇を果たしたが、志村けんイズムを継ぐ女=磯山さやかも体操着で登場。磯山さやかはユーチューブにも進出し、ひたすら唐揚を食べるという癒しの動画を配信中と評判だが、今、クリニックのパソコンの壁紙は、磯山さやかが体操着で唐揚を食べてるものだ。話は脱線したが、磯山さやか36才は、走り高跳びで早々と脱落したが、残りの優勝者を決めるのを待つ時間が嫌なので、そのコーナーを取り仕切り、バーの高さを一気に7センチ上げさせたりして、自分は競技には参加せず「これをクリア出来るのは4人ね」などと予想屋みたいなことをして、オアシズ・大久保的なポジションをうまくこなしていた。

何を言いたいかというと、健全な精神も大事だが、その器としての体や体力も重要だということで、皆さんにご心配かけた、カワクリ夏休み中の人間ドッグのご報告です。

結論から言うと、僕の人間ドックはまるで無事でした。
数年前に「大腸ポリープ」を切って、細胞診に出して、結果を聞きに行かないまま、その後の検査をしてないから、腸の覚悟はしてました。
また数ヶ月前、救急搬送された時、脳の大動脈瘤を指摘されてたので、脳も。今回の検診はその二つが軸でした。
しかし、結果はあっさりしたもので、「胃腸はきれい」で「脳の動脈瘤も消えてなくなっていた」とのこと。
宗教変えたのが良かったかな?うそです。という訳で、肥満以外は何も問題なかったです。最後に医者と話すのですが、その医者が「骨密度が低いから、病的骨折に注意」と言いました。病的骨折とは、ほんのちょっとぶつけた位で骨が折れてしまうことだそうです。予防はカルシウムの多い食べ物を食べる事だそうで、「たとえば、牛乳飲みますか?」「いいえ」。「チーズやヨーグルトは?」「嫌いです」。「小魚を丸ごと食べるのも良いです」「あっ、それならこないだ、天然鮎の塩焼きを頭からかじって骨まで全部食べましたよ。内蔵もね、食べちゃう。ただ天然鮎がなかなか無くてね。養殖物は緑っぽいけど天然物は金色をしてますからね。香りも天然物はスイカのにおいがする」と僕が答えると医者は「……」、僕がもう一度「天然鮎は金色でスイカの香りがしてね。中々無くて。こないだその天然鮎をね、塩焼きにして、頭からかじっちゃう。内臓も骨も丸ごと食べちゃう。前に勤めてた岡田さんに、センセーは猫みたい、なんて笑われちゃって」と言うと医者は「じゃ、大丈夫です」と面倒くさそうに話を切り上げました。

今回は、東京ドームの近くのサービスがいいところを選んでもらった。で、今回の豪華なプランは、病院に泊まるのではなく連携してるホテルに泊まります。1日目に問題の大腸ファイバーがあり、そこでもしポリープがあったら即手術の契約で大腸ファイバーでポリープを切除したら、さらに1週間は飲酒・旅行も禁止とのことでした。しかし、セーフ。夕飯はホテルに移り、由緒正しそうな会席料理。そこのおカミがやりてババァみたいで、酒をすすめてくるが、「お前、俺が人間ドックと提携してるの知ってるだろ!そんなもの飲めるか!」と一喝してやりましたよ。明日は胃カメラだから7時半以降の飲食とお酒は禁止の決まりなのですから。

そんな感じで運ばれてくる料理が思いのほか美味しそうで、そしてたまたまスマホみたら、TOKIOの山口君が酒でしくじった、と袋叩き。特にネット住人の彼に対する意見が厳しくて、読んでてつらくなりました。山口君はファンから「達ちゃん」と呼ばれてて、僕も「達ちゃん」だから親近感を覚えたのでしょうか?「人間、酒くらいのむよ。いくらなんでも可哀想だろ」と思い、「せめて俺だけでも味方してやるか、ここで呑まずして男か!」と、日本酒を六合飲んじゃいました。翌日、バレなかったから良かったですが、でも、その後のニュースでみたら山口君の推定飲酒量は、日本酒に換算すると8合らしいですね。…2合、足りなかった。わりぃ。

翌日の胃カメラは鼻から入れてやったのですが、僕の鼻の穴は狭いらしく、なかなか入りづらく、おまけに前の日にルール違反の飲酒をしてたから、「酒臭いのがバレたらどうしよう」という後ろめたさも加わって、罪悪感が強まると人間は逆ギレするようで、僕は「いて~よ!いて~よ!」と大騒ぎしました。すると、介助についていた看護婦さんが「大丈夫ですよ。力を抜いて」と優しく耳元でピアニッシモで囁いて、僕の手を握り、肩から腕のあたりを優しく何往復もさすってくれました。とても心地よくて安心しました。その看護婦さんは「沼倉さん」と言う名で、上の一文字「ぬ」を抜くと「まくら」になるから、安らげるサブリミナル効果もあったのかも。
これは案外、ウケルかもしれない。つまり、一方で痛い事をして(たとえば、ペンチで生爪を剥ぐ)その背後から優しく「大丈夫ですよ。痛いですね。可哀想に」などと言いながら背中をさするサービスです。「沼倉さん」を引き抜き、後は採用する人材も名前に「まくら」の付く人を募集。たとえば、山倉さんとか生倉さんとか鎌倉さんなど。でも、これって風俗扱いになっちゃうのかな?着衣でも十分、いけるのだが。
ま、そんな訳で病院のアンケートには、「ナースの沼倉さんのナイチンゲール精神に救われた。彼女にボーナスを!」と書いておきました。ほんの気持ちです。

という訳で僕は元気です。だから皆さん、全力でぶつかって来て大丈夫ですよ!ご心配かけました。

BGM. 薬師丸ひろ子「すこしだけやさしく」


心の護美箱(25)~ハチュウルイをかう

6/Ⅹ.(火)2020 はれ 新庄、おおみそか、RIZIN??

石原さとみ、が結婚したというが、綾瀬はるか、や、長澤まさみ、との区別に一瞬、迷う。昔、松本伊代と早見優の差がわからないという大人を小ばかにしてたが、それと同じ現象が身に降りかかった。

若い頃は、町を歩く女の子や進学塾や電車の中でみる女子など可愛い子が多かった。毎日、どこかで恋をしてた気がする。当時と比べたら最近の人は素人でも芸能人のようにレベルが高く綺麗だと思うが、町を歩いてて振り向くような人はいない。これが老い、という名の年相応の女性への興味・関心の低下なのか、はたまたうつ病になると性欲が落ちるというから病気の前兆かしら?しかし、いい年して町歩いてる女に一々心ときめかせてるのもビョーキか。

僕の10代後半は80年代前半の何をやっても無意味…みたいな空気感が、背景にあって、そこから時代はビニール本→裏本→エロビデオ→裏ビデオ→AV女優のアイドル化と、エロはサブカルチャーの主流として目覚しい発展をとげてゆく。僕はそんな昭和のエロ文化の成長とともに、子供から大人への階段を昇った。だから単に今の文化のデジタルの媒体が合わないだけなのかもしれない。その頃の、作品をみたら、何か感じる事があるかもしれない。「うつ病」かどうかの判断はそれからでも遅くはない、と、中野まんだらけ、へ出かけた訳でして、「まんだらけマニア館」にも久し振りに顔を出した。
すると、「羽中ルイ」のマンガがあった。
羽中ルイ、は70年代後半から80年代初頭にかけて、僕が多感な時期にエロ雑誌にマンガを発表してて単行本を量産していた漫画家だ。僕は懐かしくなって、羽中ルイ、のマンガを2冊レジに出したら、店員さんに「爬虫類、好きなんですか?」と親しまれ、「?」と思ったら、「羽中ルイ」って「ハチュウルイ」って読むって初めて知った。僕がハイティーンの頃は、「ハナカ・ルイ」とか、「ハネナカ・ルイ」と読むと勝手に思い込んで、当時、それを共有する友人もいなかったから、これまで30年以上も訂正されずに来てしまった。
まさか、「羽中ルイ」の読み名が「ハチュウルイ」というダジャレ名だとは思いもしなかった。そんな衝撃を受けた僕は、まんだらけにある、羽中ルイ、のマンガを1冊600円くらいを、全部買って、8000円くらい使った。↓。

羽中ルイ、は漫画エロトピアとかに描いてるすごいやらしいマンガだったと記憶しているが、とは言っても、今の皆さんが初見で「羽中ルイ」をみてもなんとも思わないと思います。ただのエロ漫画だと思うでしょう。

さて、心の護美箱(24)いっぱいになったので、(25)を作りました。
はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。
ここでも、非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。
まぁ、グチに限らず、要望や苦情やエールやラブレターでも構いません。この記事に関する感想コメントなら、尚結構!

さて、今回の記事は、ハチュウルイ、についてです。↓。

 

5/ⅩⅠ.(木)2015 亡き母の誕生日
爬虫類に詳しい人から池袋のサンシャイン60で「大爬虫類展」をやると聞いた。
爬虫類の展示即売もするらしい。
それがうっかり家族にバレてしまった。
家族は口々に、
「行っても良いけれど、何も買ってきちゃダメよ」
「誰も世話する人が家にいないんだからね」
「飼っても、可哀想なのは、その爬虫類なんだからね」
「本当に好きならやめてあげて」
「むしろ、爬虫類展には、行かない方が良いんじゃないか」
「見たら絶対、欲しくなるものね」
「欲しくなったら、絶対、買ってきちゃうものね」
「やっぱり、爬虫類展には行かない方が良い!」
と寄ってたかって、多勢に無勢だ。
民主主義に乗っ取って、仕方なく、僕は爬虫類展に行くのをやめた。
代わりに、オオトカゲのフィギュアを買って、診察室に置いた。↓。


受付スタッフは朝に診察室のお掃除をしてくれるのだが、知っていても毎朝ドキリとする、と不評であった。
今回は特別に診察机の上に置いてお披露目。↓。


患者さんからも、「あれ、恐い。隠して」と言われ、それであちこちに移動しているうちに、首のあたりに亀裂が入り、
首の中から下のスポンジ生地がモコモコと出て来て、まるで、憐れなジラースの最後、みたいになってしまった。
ジラースとは、ウルトラマンに出てくる怪獣で、ビジュアルは同じ円谷プロのゴジラに襟巻をした怪獣だ。↓。


おそらく、ジラースはウルトラ怪獣史上、最弱の部類だ。
怪獣博士が、ジラースを作り湖の中で静かに暮らしていたのに、旅行者に発見され、ウルトラマンに怪獣という理由だけで、
何も悪いことをしていないのに退治された。
その時のウルトラマンの極悪非道ぶりは、筆舌に耐えがたく、ジラースをもてあそぶように、からかいながら、たとえば、
ジラースの襟巻を引きちぎり、その襟巻をマントのようにヒラヒラさせて、ジラースは頭から突進することしか出来ない。
ウルトラマンはそれを闘牛士気取りで、サッと身をかわして、おどけて、イジめるのである。
そしてお決まりのスペシゥム光線でやっつけて、ラストは口から血を吹いたジラースの断末魔の表情がクローズアップされ、
ブクブクと湖に沈んで行き、おしまい。
以前、ナースの塚田さんに見せたら、「これはひどい!ジラースが可哀想すぎる!」と怒っていた。
彼女は弱気を助け強気をくじく、正義感が強いからね。
憐れなジラースをマリア様の慈愛の光とともに。↓。


下が、ウルトラマンにやられた、ジラース、のような痛々しさのオオトカゲ。↓。


やはりフィギュアと言えど飼育は難しいのか。
僕は東京都が指定している半透明のビニール袋にお花を添えて、祈りを捧げて、オオトカゲのフィギュアを弔った。↓。


その昔、僕は子供の頃、カメレオン、や、グリーン・イグアナ、なども飼ったことがある。
しかし、当時はヒーターなどの装置もなく、エサもハエを叩いて、半殺しにして与えたりしていた。
これはなかなか難しく、技が必要で、爬虫類たちは動かないと食べないから、気絶だけさせて、全殺し、ではダメで。
その頃の僕は野生児のようで、学校帰りに、トカゲやカエルやイモリやヤマカガシを捕まえてきては、家の庭に放した。
僕の野望はうちの庭で爬虫類と両生類を繁殖させ彼らの楽園を作ることだった。
僕の家の街灯には夜になるとヤモリが群がるのを、理科の教師に自慢したら、「欲しい」と夜に家にやって来た。
<ご自由にどうぞ>、と僕が言うと、教師は「どうやって捕まえるの?」と尋ねた。
僕は、街灯を揺すって、ヤモリの目を回し、ふるい落とし、数匹のヤモリを教師に渡した。
すると、翌日から、学校の狭い廊下で理科教師とかち合うと、向こうが道を空け、「どうぞ」、と言った。
僕は、こんなことで人生の形勢とかが変わるものなんだと実感したものだった。
僕の家族は僕以外は皆、爬虫類(や両生類)が嫌いで、父は池で鯉を飼っていたが、「鯉が食べられてしまう」と怒った。
僕は、<アカハライモリがキンカブトを食べる訳ないじゃないか。バッカじゃなかろうか>とトニー谷みたいに言い放った。
滅多に僕を怒らない母も、目の前で大量のトカゲやカエルを庭に放つ僕の姿をみて、怒っていたな。
僕は、そんな両親をみて、<怒ったって何も変わらないのにな>、と思ったものでした。
その年の川原家の流行語大賞は、「母さん、怒ったって何も変わらないよ」でした。(うそです)。
家族は大変恐怖しましたが、しかし、母の声にびっくりしたのか、ヘビやトカゲはうちの庭からいなくなってしまって、
僕はとてもガッカリした。
あるいは、野鳥に食べられてしまったのかもしれない。女と鳥類は凶暴だな。
おじさんとおばさんの役割とは何か。
唐突だがそんなことを考えてみた。
それは、僕はこう思う。
親が禁止していて、子供が自分の経済力では買えない物をプレゼントする係りだ。
僕のおじさんの住んでいた溝の口の辺りに大きなペットショップがあり、そこにワニが売っていた。
僕は何かの記念日か何でもない日のお祝いに、おじさんにせがんでワニをゲットした。
ワニを池に放とうかとも思ったが、イモリで怒る父だ。ワニを泳がせたら卒倒してしまうかもしれない。
仕方ないから市営プールにワニを連れて行き、一緒に泳いだ。
すると、すぐに係りの者が飛んできて、厳重注意を受け、僕は出禁になった。
なので、僕はそれ以来、夏休みにプールに行くという選択肢が消えた。
だから僕がいまだに泳げないのは、市営プールの警備員のせいだ。
な~んて、そんなことを言ってはいけませんね。
なんでも、他人のせいにするのは、僕の悪い癖で、それは政治や文明や教育や世代のせいだと思う。
両親には僕とワニを厳重に管理する責任があった。
父は庭の隅に、小さなプールを作り、そこで僕らは近所の子供達も呼んで一緒に遊んだ。
子供達はすぐにワニに懐いていた。
ワニの餌は生きたドジョウや、肉を紐で縛り、動かして獲物のようにして食べさせた。
飼育は大変だったが、それなりに面白かった。
しかし、当時は知識も機械も乏しかったから、越冬するのが困難だった。
寒い冬が来ると水温を保てず、ワニは死んでしまった。
ワニが死んだ日のこと。
僕はワニを供養のために、食べる、と言って母を困らせた。
母は、ワニの料理をしたことがない、などと言い訳をして、父は寄生虫がいるからと説得した。
しかし、そんな理性的な理由は僕の衝動にブレーキを掛けるのには不十分だった。
結局、母は鶏のササミか何かを買ってきて、それをワニの形に切り抜いて、フライにした。
その日の晩ご飯のおかずは、「ワニのフライ」だった。
当時は公害の問題で、魚の値段が釣り上がっているという時事ネタを「サザエさん」の4コママンガでやっていて、
サザエとフネが「子供達が魚が好きだから困るわね」と言い、苦肉の策、鶏のササミを魚の形にしてフライにする、
という同じシーンがあった。
その4コマのオチは、カツオがワカメに「大人も苦労してるんだね」とこそりと言い、「協力しよう」と。
カツオが「あっ、魚の骨が刺さった」と口に指を突っ込み骨を取るマネをして、ワカメも「私も」と同じポーズをとり、
サザエとフネが青ざめるというものだった。
僕はそのマンガを見た直後だったから、仕方ない、黙って、「ワニのフライ」を食べた。
淡白で味も素っ気もなかった。
<ワニの肉は言われた通り、本当だ、うまくないね。もう、これからはいいや>
母は安堵の表情を浮かべ、そうして、我が家の食卓に「ワニのフライ」が登場することは、2度となかった。


緊急提言!エロタナ

1/Ⅹ.(木)2020 朝、小雨。中秋の名月なので、受付のスーちゃんに、水晶を月光で浄化指令。スーは恥ずかしそうに夕暮れの大岡山北口商店街でクリスタルを満月にかざす。

芸能人の自殺者が続く世の中なので緊急提言。皆さんは、エロスとタナトスって知ってますか?
簡単に言うと、エロス=「性衝動」とタナトス=「死の本能」です。ベクトルが逆だと思うといいです。なので、タナトス(死)に傾いたら、エロス(性)を増やそう!という企画です。

こないだの、タモリ倶楽部は、あいみょん、と、かまいたちをゲストに迎えて、春画、の特集でした。
あいみょんは、春画のコレクターでもあり、官能小説の回にならって、かまいたち、との共演です。
春画は、放送できませんから、一部、「タモリ倶楽部のマーク」で隠してました。
春画とは現代で言う漫画みたいなもので、性行為をみてる第三者が存在し、その一言が、画面に記されています。
たとえば、夫婦の性行為をみてしまった乳母は、愛液がしたたりおちる、と言いながら興奮しそれの象徴のように画面右で茶釜が沸騰しています。
その解説に、あいみょんは思わず両手を頬にあて体を左右に振ります。
年下の男児を誘惑する女の性行為を覗くのは、女の友人2人で、わたしもあんな子ならしたいは、と言い、画面には初体験の象徴の梅の花弁が舞います。
この解説にも、あいみょんは満面の笑みでご満悦。
そして、あいみょんが選んだグランプリ作品を「お見せできる部分だけ」三角形に切り取って、Tシャツにプリントして、かまいたち山内が着ます。
あいみょんはタモリに「これいい!私、Mステ、これ着て出ます」と大興奮。タモリが適当に流すと、同じセリフを二度言いました。
きっと本当に着て出るのでしょう。その時、タモリがどう対応するかが見物ですね。
ちなみに、あいみょんが選んだ春画は、亡くなった夫の墓石の前で犯される未亡人。犯人は寺の住職です。

下は、10年前のいくつかの記事の編集です。↓。

 

僕が小さい頃、父親は雷おやじだったので~父は大正生まれで戦時中は樺太や満州などで苦学したらしい~いつも怒ってたので、僕は「早く死ねばいいのに」といつもいつも思っていた。
ただ、父が死ぬと生活が困るのは判っていたから、あの世から送金されるシステムができないものかと考えた。
逆に、母が死んだら僕はどうやって生きて行っていいか判らない。だからカルメン・マキの「時には母のない子のように」というヒット曲を聞くとやるせない気持になり、母が死んだら後を追おうと決意した。母が死んだら死ねる場所をいくつかみつける。僕は泳ぎが出来ないので、海や川は候補から外した。死ぬことより溺れることの方が恐ろしいからだ。茅ヶ崎駅から少し離れた所に開かずの踏切があり、そこなら確実だと考えた。何度か下見に行った。
ある日、線路の脇の草むらにエロ本が捨ててあった。中味を見た。オバさんがセーラー服姿で載っていて、吐き気をもよおしたが、掲載されてるマンガがシュールで面白かった。誰かが定期的にエロ本を捨てる場所だったらしく、僕は「エロ本の墓場」と名付け、いつしかそこに本を読みにいくのが愉しみに変わっていた。
エロスがタナトスに勝利したのだ。
後日、茅ヶ崎ライオンズクラブあたりが「有害図書ポスト」みたいなものを設置してエロ本の不法投棄はなくなった。小学校低学年の頃である。そして僕はその頃には、あまり真剣に死について考えなくなっていた。
話は父に戻るが、父は胃癌でリタイアしてから僕に歩み寄った。
僕が普段着ていたつなぎ(ダウンタウン・ブギ・ウギ・バンドが着てたような奴)を自分も着たいと言うから、藤沢の東急ハンズで買ってきてあげ、そろいで着て喫茶店に行ったりした。医者に止められてるはずのタバコも、僕が吸ってる銘柄のsometimeに変え、
「メンソールは茅ヶ崎に合う」と僕のチョイスを絶賛した。
父が死ぬ直前~兄はもう医者になっていて僕は医学生だった~僕は毎日、学校の実習を終えるとお見舞いに通った。
父には「癌だ」と言わない約束だった。母も兄も、内緒にしておくのがよいと判断したのだ。僕は医学校で「尊厳死」なんてものを習ったばかりだったし、大体嘘をついてるのが嫌だったから、ある日、2人きりの時にすべてを教えた。
父も医者だったから判っていたようで、
「達二、告知というのは大事なことだ。何でも告知をすればいいものでもない。
その時、その人によって、告知すべきか、すべきでないかと考えるのも医者の仕事だ。
主治医が告知しない方がいい、と言うのだから、今の話は聞かなかったことにする」
というようなことを言われた。
父が死んだのは、進級を左右する大学の定期考査の直前で、まったくもって迷惑な時期に死んでくれたものだと恨んだものである。

いつの世も、クラスにはアイドル的存在な子がいるもので、AZもその1人だった。
AZは外見は可愛いいが、あまりブリブリ・キャピキャピしてなくて、さっぱりした親切な人だった。性格的には男っぽいのかもしれない。
だから、恋愛の対象として大ブレークすることはなかったが、隠れファンは多かった。
AZ人気がブレークしない別の理由は、もう何年もつき合っている彼氏がいることだ。
AZは自慢するでもなく、かと言って秘密にもしてなかった。
AZが21才の頃。AZの誕生月は11月なのだが、その誕生日の前に彼氏と別れたらしい。この噂は一瞬にしてクラス、学校中に広まった。もうじきAZの誕生日、ここはひとつ「バースデー・テープ」を作りAZに贈り誰のテープが心を射止めるかという恋のレースが始まった。で、このレースの行方がどうなったかというと、AZは僕らのプレゼントをとても喜んでくれ、「ありがとう」と感激してくれた。どのテープが一番良かったかを聞いたら、AZはやんわりと「人に順位はつけられない」みたいなことを言っていた。
そんなAZは1年後の11月、僕の父親のお通夜に試験直前にもかかわらず顔を出してくれた。医学部の生徒は優しい人が多い。友人が気を利かせてAZを引っ張ってきてくれたのだ。
「喪服が色っぽいね」と僕が言ったら、AZはとても優しい笑顔で「無理に明るいふりをしなくていい」みたいなことを言って、
それから何かを思いついたらしく、ファッションショーのモデルみたいにクルっと一回転して喪服姿をサービスしてくれた。


心の護美箱(24)~今田の昔

19/Ⅸ.(土)2020 明日から夏休み。夏休み中はコメントの返信は出来ません(サプライズあり?)。きちんと、目は通しますよ、受け止めます、想像力で補って下さい。それで良ければ…

医学部1年の化学の実習のペアは機械的に出席番号順に組まされた。
僕とマサキの苗字は二人とも「カ行」で、続きだったから、席順は隣同士だった。
マサキの漢字は「マキ」とも読めて、僕はてっきり、ペアを組む子は「マキちゃん」という女の子だと決め付けていた。
「マキちゃんって、どんな子かな。きっと笑顔の良く似合う世話好きな少女に違いない。イヒヒ」って妄想してた。僕は、空虚な大学生活に、学園ラブコメの要素を期待して、「マキちゃん」の到着を待っていた。そこに現れたのが、実習のパートナーで「こんにちは、僕、マサキだよ」と丁寧に挨拶する男だった。
僕の実習のパートナーに対する第一声は、「君、この実験、1人でやってね。俺、やる気なくしたから」だった。
僕は本当にマサキに1人でやらせた。実習はとても長くかかって、マサキは僕に、「頼む、これ洗ってくれないか?」と巨大な球状のビーカーを渡した。
それは、何十万円もする高級なガラス細工の実験道具だったけど、「わざと落として割っちゃえよ。洗わないで済むぜ」って平然と答えた。
後で、聞いた話だと、マサキの僕の第一印象は、「本当に嫌な奴だった」そうです。

 

さて、心の護美箱(23)いっぱいになったので、(24)を作りました。
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とにかくダラケテ何もしてないダメ人間の人にとっては、今回のコロナは何もしない言い訳になって好都合だという喜びの声を聴きます。ダメ人間以外にも、人付き合い・親戚付き合いが嫌いな人には、コロナは格好の口実になると重宝されてますね。光あるところに影がある。逆もまた真、ですね。今回の過去の記事は、そんなダメ人間な皆さんに愛をこめて送ります。9年前の記事だから、まだ第2次安倍内閣発足前ですね。↓。

 

31/Ⅰ.(月)2011
深夜テレビ「お願いランキング」に、今田耕司が出てるのをみた。
ホスト役のブラマヨとやり取りをするトーク形式の番組だが、その中で「何故、今田さんはピン芸人なのですか?」
という質問に、今田は昔ホンコンさんと「Wホルモン」というコンビを組んでいたという。
解散の理由は、当時の今田は全然朝が起きれなくて、いつも寝坊して、
それでもああ見えてホンコンさんはとても優しい人で、ずっと許してくれていて、
それでも今田はずっと寝坊して、ある日、ホンコンさんが「このままでは2人とも駄目になる」と解散したらしい。
今田耕司は当時を降り返って「本当にダメ人間でした」と言っていた。
それは、本人が当時を振り返っても説明できないことだった。
学生の頃、忌野清志郎の売れない頃の日記を読むと、「この人はダメ人間だなぁ~」と思って、とても安心した。
そういえば僕も医者になりたては結構遅刻とかして怒られていた。
何年目かにある先生との出会いで衝撃というか影響を受け、真面目になった…というか、過剰に働くようになった。
それは今でもそのままで、人間は一生のうちで働くトータル時間が定められているのかもしれない。
まだ返済期間みたいだ。
何年か前に、指導医の先生にお会いして近況を報告したら、「へ~、川原君、朝から仕事してるの?」と驚かれた。
人間はいつか何かの拍子にガラっと変わる時期がある。
風向きとか潮の満ち干きに喩えられるようなものだ。
だから、今、駄目な人もそういう時期が来れば自然と変わるから、それまではあまり努力をしないでいいと思う。
…無責任な発言だなぁ。
BGM. ハナ肇とクレージーキャッツ「ホンダラ行進曲」


心の護美箱(23)~ナス

10/Ⅸ.(木)2020 はれ ホリエモン、機内マスク着用拒否事件、にブチギレ!

格安航空会社ピーチ・アビエーションの機内で、搭乗した客の一人がマスク着用を拒否し、さらに周囲の乗客や客室乗務員に対し威嚇行為をしたとして飛行中だった飛行機を新潟空港に臨時着陸させたという事件を、今朝のテレ朝「羽鳥慎一モーニンショー」とTBS「グッとラック!」の両ワイドショーで放送していた。しかし、取り上げ方がちょっと違って、「羽鳥」では、困った客だという直線的な報道で機内にいた別の客の声も「新潟で下ろされる時、バイバイ~、と手を振っていた」という態度の悪さを強調。一方、「グッとラック」では本人の独占インタビューに成功し、元々彼は耳が悪いので「声が大きくなってしまう」という身体的なハンディキャップのことや、意外とまともな彼の言い分、そして別の機内の客の意見も「迷惑だ」ばかりでなく反対意見の「大人しかった」という声も拾っていた。TBSって昔はあまり取材しないで一方的な決め付けをするイメージだったが、今回はかなりバランスが取れている印象だった。10月以降の改編で、ロンブー淳や金曜レギュラー・フワちゃんが合流する準備万端である。

そんな世相の中、僕は週末、呑屋でお土産にもらった野菜をリュックの中に入れっ放しだったことを今朝発見。少し、しなびている。下が、そのナス。ベッドに横たわらせてみた。↓。

さて、心の護美箱(22)もいっぱいになったので、(23)を作りました。
はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。
ここでも、非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。
まぁ、グチに限らず、要望や苦情やエールやラブレターでも構いません。この記事に関する感想コメントなら、尚結構!

今回は、ナス、にちなんだ過去の記事を編集して再録します。

↓。

 

人間の三大欲求は、食欲・睡眠欲・性欲だと言われ、うつ病では、これらが障害される。
だから、うつ病の評価スケールでは必ずこれらを含めたクエスチョンがされるべきなのだが、何故か、(というより、わかるが)性欲については、聞きにくいし、喋りにくかろう。

ある大学病院で治験をやってる精神科医と話したことがあるのだが、女性に対して性欲の質問はしづらいと言っていた。
だけど、患者が喋りづらいことを聞くのが、こっちの役目だろうが、と思った。

実際、セックスのことで悩んでる人の潜在的な数は多い。悩みは色々。人それぞれ。
でも、食欲や睡眠より、性欲の悩みを抱えてる人が意外と多いと思う。

皆さんに、性欲について話をさせるなら、こっちからそういう話を切り出さないといけないのかな?と思い、今回はそういう回にします。
だから、性的な話が嫌な人は、ここから先は読むのをやめて下さいね~

セックスはタブーである。
たとえば、青少年に見せてはいけない「なんとか指定」は、暴力とセックスの関連だろう。テレビやお茶の間もあきらかな性的描写を排除する。

それで思い出したのだが、僕が小学校低学年の頃、12チャンネルで「ハレンチ学園」の実写を放送していた。
ハレンチ学園は文字通り、ちょっとエッチなシーンの多い、永井豪の原作のマンガで、それをゴールデンタイムに、お色気ムンムンで発信してしまったのだ。

それは大評判になり、子供達は夢中になり、PTAは「俗悪番組だ」と目くじらを立てた。
その余波は僕らにも直撃して、「毎週、木曜、7:30~8:00は、自宅学習しましょう」と学校から命令された。
まぁ、家で宿題をいつやろうがこっちの勝手だから、僕はルールに従わなかったが、結構、その影響力はあって、その時間帯に勉強させられてる家庭のクラスメートはいた。だから学校で「ハレンチ学園」の話をしても盛り上がれなかった。いやらしい、やり方だよな、PTAとか大人って。「ハレンチ学園」の放送時間を自宅学習の時間にしたのである。

そんな「ハレンチ学園」が文部科学大臣賞をとったそうで、永井豪の作品が続々と再版されている。
なんだか、しみじみするなぁ。「ハレンチ学園」が文科省に認められる時代まで生きてしまったのかと…。

当時、糾弾されてる若き、永井豪は、
「自分は性にめざめた頃、父親のエロ本をこっそり見た。しかし、少年の性への興味と、そのギャップは大きかった。だから自分はそれを埋めるべく、ハレンチ学園、を描いている」
というような趣旨の事を、当時、PTAなどに吊るし上げられているテレビ番組や雑誌の対談で懸命に反論していたのを覚えてる。
札幌オリンピックの直前だった。

僕は中学1年の夏休み、中耳炎になりほぼ夏休み中、耳鼻科に通った。そこの医者が良かったとか、そこの看護婦がやさしかった、なんて思い出はまるでなく、何の感謝もない病院だが、(中耳炎は治った)そこの待合室にある「少年マガジン」に連載されていた永井豪の「イヤハヤ南友」が、なんとも、いやらしくて、楽しみで、毎週、喜んで、その耳鼻科に通っていた記憶がある。

オナニーをいつから始めるかは人によると思う。時代とか文化とか学校の友人の影響とか大きいと思うが、ネットがある今だと、また違うのかなと思うが、性的なことに関心を示すのは、やはり本人の目覚めだと思う。

僕が小6の頃、山上たつひこ、の「がきデカ」が人気だった。僕は週末、東京の塾へ電車で通っていたから、その行き帰りに、「少年チャンピオン」を読んでいた。「ブラックジャック」や「ドカベン」や「エコエコアザラク」や「よたろう」もあったが、やっぱり一番人気があったのは「がきデカ」だった。

山上たつひこ、は皆さんどのくらいすごいか知らないかもしれませんが、たとえば「こち亀」の秋本治が連載当初のペンネームは、山止たつひこ(やまどめ たつひこ)だったというくらい、つまり「宝島」を「宝鳥」とか、「乞食王子」を「乞食玉子」みたいに読み間違えるダジャレにするのと同じくらいメジャーな人で、そんな山上たつひこ、の「がきデカ」以前のヒット作は、「喜劇新思想大系」で、それは僕らの世代には古臭い、性の啓蒙書だった。

そのマンガの中で主人公が、オナニーに使う道具が、「コンニャク」だった。
コンニャクを人肌に茹でて、そこに割れ目を入れると、女性器と同じような感触になるというのだ。僕のまわりでそんなことをしたという人に1人もあったことがない。だが、僕は1回だけ試してみたことがある。

コンニャクを手に入れる時は苦労した。
当時はスーパーやコンビニがないから、町の豆腐屋に行って買うのだが、コンニャク1つだけ買うと、「さては、この子、オナニーするつもりだな」と見破られそうで、仕方ない、要りもしない、焼き豆腐と木綿豆腐を一丁づつ余計に買った。
丁度、エロビデオを借りる時、「キタキツネ物語」と「タイタニック」ではさんでレジに出すテクニックと同じだ。

この話を(当時の)受付にしたら、爆笑された。普通に1つ買っても変に思う人はいないって。「じゃ、あなたは、八百屋にナス1本だけ買いに行ける?」と聞いたら、「行けますよ。1本でも、10本でも」と答えるから、「逆に10本なら平気なんだよ。ナス料理を作るみたいだから。ナスを1本だけ買うんだよ」と念を押しても、「全然、平気ですよ」と一蹴された。

僕の失敗は、コンニャクに包丁で綺麗に縦線を入れてしまったから、おチンチンをコンニャクにさすと、ヌルっと飛び出て、まるで、チビ太のおでんのように、ウインナーがコンニャクから突き出てるようなマヌケな絵づらで、僕はそれを鏡に映して、我ながらそのアホらしさに、性欲も萎え、鏡をみながら、コンニャクをさしたまま、フラダンスを踊ったものだ。↓。

BGM. かぐや姫「おもかげ色の空」


遠近法

1/Ⅸ.(火)2020 少し涼しい 9年半ぶり、11月に「涼宮ハルヒ・シリーズ」新刊発売。

ストレスと発症の因果関係をとやかく言われてもそんなものは「一対一」の分りやすいものではなく色んな物が積み重なって、
人には歴史もあるし、それはまるでコップに水が溜まって表面張力ギリギリで保っている所に、最後の一滴でコップの水があふれると、
最後の一滴がすべての原因であるかのように決め付けるかのように、あまり意味のないことだと思う。
しかし、だからと言って、最後の一滴がどうでもいいかというと、無罪放免、とはいかない訳でそこは「労災」とかで問われるべきギロンなのだと思う。
で、安倍総理だ。
僕が毎週みるテレビ番組のひとつに土曜の夕方に東京MXでやってる、田村淳の「訊きたい放題」というのがある。
これはお笑い出身であるロンブーの田村淳が大真面目に正面から政治に切り込んで行く番組で、
元々は都知事選の小池さんの対抗候補に出馬して番組をクビになった、上杉隆と一緒にやってた「週刊リテラシー」の後継番組だ。
しかし、元はと言えば、上杉隆の骨入りだ。かなりヤバイ線まで切り込んで行く。
生放送だがコメンテーターも憲法学者の木村草太とか、ジャーナリストの鈴木哲夫とか、文筆家の古谷経衡とか、歯に衣着せぬ本音トークで毎回核心をつくのだが、
お約束のように、淳が「何故、この番組をヤフーニュースさんはとりあげてくれないのでしょうか?」とか、「我々は言い続けて行きましょう」と視聴率とは関係なく大切な事を発信し続けるという姿勢を貫く地上波番組である。
この番組には、難しいニュースを誰にでも分るようにと、あえてお馬鹿キャラの、鈴木奈々をレギュラーに配置し、
鈴木奈々さんにも分る、という基準を置くことによってバラエティー色を出しているのが、淳の感覚のすごさだ。
鈴木奈々はプロ野球の始球式で何度も投げ直しをしてブーイングを浴びるほど、「計算しない人」である。
その彼女に番組の最後で、今週深堀したテーマについて、「鈴木奈々さんの今日の総括」と題してフリップに書かせて締めくくるのが番組の流れだ。
ここのところは、コロナや特措法や災害など色々と国会で決めないと進まない問題が山積していたが、結局、議論すると「国会を開いて法改正しないといけない」となる。
でも国会はしまっていた。鈴木奈々は「どうしたら国会が開けるんですか?」と素朴な質問をして、「それは安倍さんしか開けない」という回答に行き着く。
鈴木奈々は番組終りのフリップで、「安倍さ~ん、国会開いて~」と呼びかけていた。
少なくとも僕が観測した限り、3週は続けてやってる。
何を言いたいかというと、これが最後の一滴になったのではないか?
表面張力いっぱいいっぱいの安倍さんを辞任に追い込んだのは、鈴木奈々だと思う。

先週の月曜日(8/24)には、東工大キャンパスを爆破するという予告があって、うちのクリニックでも回覧板で「気をつけるように」とお触れがあった。
東工大は3つキャンパスがあり、田町の近くの会社では月曜の出勤を禁止したところもあったらしい。
だから、この前の土曜日(8/22)の診察室では、東工大爆破の話をする人が多かった。
そしてもう一つ、ネットを中心に話題になってたらしいのが、「安倍総理が8/24月曜に辞任会見をする」という噂。
だから、もしこれが同時に起きたら、東工大爆破されても新聞の一面は安倍さんだね、と何人かと話してた。
しかし、蓋をあけてみたら、8/24月曜には、東工大の爆破も安倍さんの辞任会見もなく、「どっちもガセネタかぁ」と思ったものでした。
ところが金曜日(8/28)にお昼に行った中華料理の店のテレビで緊急速報が流れて、安部総理が辞任を発表、と騒いでいた。

週末から今日くらいまでのニュースやワイドショーをみると、「突然の辞任」「永田町も政治記者も誰も気付かなかった」と言っていたが、
おれ知ってたよ。
ニュースはさらに「安倍総理が辞任を決意したのは、8/24月曜です」って、だからそれも知ってたよ。
テレビは「安倍総理は誰にも相談せず、孤独な決断をした月曜日でした」というが、いや孤独じゃないし。みんな共有してたから。
ある政治ジャーナリストは目を真っ赤にして、「私の取材不足でした」と驚きの表情を隠せないでいたが、2ちゃんねるとかみないのかな?
案外政治にどっぷりつかってる人は近すぎてみえないのかもしれないね。僕は政治に関心がなく遠くからみてるからみえたのかもしれないですね。
それで思い出したのが、牛ちゃんです。

牛ちゃんとは、僕が大学5年の時の病棟実習の班で同じだった女子です。
うちの学年の女子はかわい子ちゃんぞろいでしたから、残念ながら、牛ちゃんは「川原かわい子ちゃんランキング・クラスメート編」のトップ10には入らないような子でした。
しかし、病棟実習で1年間一緒に回ってると、可愛く見えて来ちゃうのです。
サザンの桑田がデビューの頃は、竹内まりや、が好きだと公言してたが、結局、原坊と結婚したように、毎日一緒に活動してると情が芽生えてしまうものですね。
牛ちゃんも「川原かわい子ちゃんランキング」のトップに立ったことがあります。
ま、そんなことはどうでもいいのですが、他の班の男女がいつもいつも一緒に図書館で勉強してたり食堂で二人でいるから、
「あの二人は付き合ってる」という噂がクラス中に流れた。

そのカップル(?)の女の方は牛ちゃんの親友だった。
牛ちゃんは僕に「あの二人は付き合ってないわよ。私、直接、つきあってない、って聞いたんだもの」と自慢した。
正直、僕にとっては、その二人が付き合ってようがいまいがどうでもいいことだったが、後日、二人が正式に付き合う事になったという。
牛ちゃんは、女の子の方から、直接、打ち明けられたそうで、ビックリしてた。
その勢いで、「川原、知ってる?あの二人、付き合ってるらしいのよ!」と一大事のように報告されたのだが、えっ、そんなのみんな知ってるよ。クラス中の噂だったじゃん。
今回の「安部さん辞任」に驚いてる政治記者たちの反応をみて、あの時の牛ちゃんはこんな感じだったのかな、と思いました。

下は、病院のレストランで牛ちゃんと。僕が口にくわえているのはブロッコリー。あれ?カリフラワー?

BGM. でんぱ組.inc「おつかれサマー!」


野球②

29/Ⅷ.(土)2020 はれ 池江璃花子、約1年7カ月ぶり50メートル自由形に復帰。タイムは26秒32。 目標の日本学生選手権(10月2~4日)の標準記録26秒86を突破!

名は体をあらわす、などと言うがこの人は良い人だった。
名前が「良男」である。大学時代の野球部の1年先輩だった。
僕はサードを守り、良男さんは控えの一塁手だった。
ある日の試合で、ショートの先輩が失策したあと、僕がサードゴロを一塁へ悪送球した。
ピッチャーは振り返って「怖くて三遊間には打たせられないな」と嫌味を言った。
ファーストだって捕れない球ではないだろう。
技術的な問題ではなく、捕る気がないのではないか?と思った。
無性に腹が立った。
そんな時、ベンチから良男さんの声が響く。
「ドンマイ~、ドンマイ~。川原~、くさるなよ~」。
3アウトをとり、ベンチに戻ると、良男さんが僕の横に座り、
「くっそ~、俺がファーストだったら捕ってやったのに。俺が試合に出れないから…」と
口惜しがった。
良男さんは努力の人だった。
野球部の練習日以外も自主練していた。
その試合の後、僕は良男さんに誘われ練習をした。
良男さんが一塁ベースにつき、僕がゴロを捕球したと想定しあらゆる体勢から一塁へ送球する送球練習。
細長いファーストミットの先を使ってショートバウンドの球は全部すくい上げる。
頭を超えそうな暴投もジャンプしてキャッチしてくれる。
言い忘れたが良男さんは長身である。
たまさか胸のあたりにストライクのボールを投げると、
いい音を出すためにファーストミットを思いっきり強く早くはじくように閉じる。
パシーン!球が重そうだ。
「川原~、ナイス・スロ~!」、良男さんは目をつむって青空に向かって雄叫びをあげるのだ。
こっちが照れる。
その後、僕はささいなことから日々がめんどくさくなり人間関係を全部切りたくなり部活を辞めた。
学校で部活の先輩とすれ違うとバツが悪いのは初めだけで、すぐに挨拶もしなくなった。
それでも良男さんは違った。僕の悪い噂を聞きつけると、
そのたびに学生会館まで僕を探し出しにきて、
「川原、くさるなよ」「川原、学校は辞めるなよ」と、こっちが「うん」と言うまで肩を揺すられた。
僕が今、こうして精神科医をやったりブログを書いたり出来てるのも良男さんのお陰。
「川原、くさるなよ」と言って引きとめてくれなかったら、どうなってたかわからない。

BGM. 小林旭「北へ」


KWAIDAN

28/Ⅷ.(金)2020 猛暑 内海佳子、死去。97歳大往生。

真夏なので、定番の怖い話をお送りしようと思います。と思ってたら、お昼のテレビで、安倍総理が辞任する、ってやってました。今晩は、タイタン・ライブですね。爆笑問題・太田は、ウーチャカがコロナだから一人で臨む訳ですが、朝の時点では、「内海佳子師匠、死去」で練ってたはずの台本を、直前に、ぶちこまれたビッグ・ニュースで大慌てで手直ししないといけませんね。時事ネタをやる人はここが大変ですね。

今回の記事のタイトルは、高校の時の英語の授業で「小泉八雲、の怪談」をやったのですが、表記が、「ラフカディオ・ハーンのKWAIDAN」だったことから拝借しました。

コロナの夏は医療従事者への負担や医療機関の病床数の逼迫などから、一部で「医師不足」が叫ばれていますね。以前に歌舞伎町のホストとこんな会話をしたことが印象的に残っています。
ホストは、真剣に僕にこう言いました。
「こう見えて自分は子供の頃、体が弱くかかりつけの小児科医がとても良い先生で。
自分も将来はその先生のように小児科の先生になりたかった。
しかし、自分が高2の時、その医者が児童ポルノの罪でつかまった。
なんだ、あんなに良い先生だと思っていたのが、実はそういう目で子供を見てたのかと。
裏切られたと思って勉強をやめてしまった」、それが医者をめざした理由と辞めた理由のすべてだった。
ん~、どうでしょう??
ま、それは実話なのかもしれない。でも、こう言うしかないな。
<その医者が逮捕されたのが医学部に入る前で良かったね>、と。まぁ、言わなかったけど。
医学部は6年間。その時間は、単に膨大な知識を吸収するためだけにかかる時間なだけではない。
その間に気持ちが折れずにモチベーションを維持出来るかどうかが問われているのだと思う。
そうやって、患者と向き合う覚悟が問われ、責任感が育まれるのだ。
我々だって何度も、理想と現実のギャップをつきつけられ、ぐらつくことに耐えて、生き残った。サバイバルした。
少なくとも、「尊敬する先生がロリコンだったから幻滅して、夢を放棄」なんて、責任転嫁な言い訳は通用しない。
ところが、こっちの世界では、通じちゃうみたいだ。むしろ、逆に、有効でさえあるみたいなのだ。
「その医者、サイテー」とか、「可哀想~、被害者だね~」なんて同情票が期待できる。とほほ、な話である。

医師国家試験のテスト範囲は膨大である。
その全部を完璧にこなすのはなかなか難しく、また全部が出題される訳でもなくどこが出るかわからない。
そこで、傾向と対策が必要になり情報戦が重要になる。
僕らの頃の情報戦の主軸は、「~が出るらしい」という風の噂。
それを聞くと、そこを集中的に取り組む。
また別の噂を聞きつけると、そこを見直す。そんなことをしていた。
実際、情報内容よりも、そういうものを自分だけが知らない不安がプレッシャーを呼ぶから心理的効果の方が大だったのかもしれない。
そうは言っても、国試直前の僕らには、まるでTVの選挙速報よろしく、
「どこが出るらしい~」というガセネタを待ちわびながら、自分の勉強を続ける、
というスタイルがスタンダードだったような気がする。
クラスの頭の良い子が、学校にかけ合い、6年生のために皆で勉強をし情報を共有するためのスペースを確保してくれた。
これは、大変助かる。
0時とか1時まで解放してくれるのだが、その時間まで学校に残ると僕は家に帰れなくなってしまう。
僕は、当時、へんぴな所に住んでいたので、交通手段がなくなってしまう。
大学6年にもなると、結構マイカーを持ってる人がいて乗り合わせたりして帰っていたが、僕は車は乗らないし、いかんせん‘へんぴ’なので、他の友人に乗せてもらって遠回りになってしまうので悪くてお願い出来ない。
それも毎日毎日のこと。
とてもじゃないが頼めない。
困っていると、これまで6年間、ひとことも喋ったこともない男が、「川原さん、僕、帰り送って行きましょうか?家は○×ですよね?うちもすぐですから」と言ってくれた。
本当に?いいの?。
「川原さんの所、帰り道なんでいつも通るんですよ。1度、見かけたこともありますよ」と言ってくれた。
悪いなぁ。じゃ、お言葉に甘えて。
ところで、君、誰?。
すると彼は真面目な顔をして、「ナカクラです」と答えた。
ナカクラ君、と呼ぶことにした。
ナカクラ君の車は紺色の丸味を帯びた地味な日本製の車だった。
学校から僕の家までの間、車中で今日勉強した箇所を話し合った。ナカクラ君がどの位頭がいいのか僕は知らないが、きっと僕より成績はいいのだろう。
「そこはこうだと思いますよ」「それと関連して、コレコレ、というのも覚えておくといいですよ」などと言ってくれたから。
約束通り、国家試験が終わるまで、毎日、ナカクラ君は僕を家まで送り届けてくれた。
国家試験の当日、僕の手応えはなかなか良かった。
ナカクラ君はどうかな?と少し気にしたが、広い会場だ、誰がどこにいるかなんてわからなかった。
そして、国家試験の発表。テストは水物だから、受かる人もいれば落ちる人もいる。
合格発表者の表にナカクラ君の名前はなかった。他のクラスの子に「ナカクラ君、駄目だったの?」と聞くと、「ナカクラ?誰?」と言われた。
えっ?。…合格欄だけではない。卒業名簿にも「ナカクラ君」の名はなかった。
今でも、不思議に思う。ナカクラ君は、いなかった?。
ただ一つ、はっきり言えるのは、もしナカクラ君がいなければ今の僕はいない、っていうことだ。

BGM. ソフトクリーム「クラスメイト失踪事件」


心の護美箱(22)~野球

27/Ⅷ.(木)2020 国際スケート連盟がフィギュアスケートのシニア大会に出場可能年齢制限を15歳から17歳へ引き上げを検討。フィギュアスケート女子では、体重が軽く、高難度ジャンプを跳べる10代前半から中盤でキャリアのピークを迎える選手が多く、20歳前後で燃え尽き、摂食障害や精神障害に陥る選手も多いことが問題視されているため。

こないだラジオで高田文夫が言ってたのだが、
ジャニーさんは昔、ジャニーズ、という少年野球チームをやっていて、それが今のジャニーズ事務所の母体になった。
高田文夫も、少年シャーク、という野球チームに所属していて(7番セカンドだったらしい)、ジャニーズと対戦したことがあった。
そこでジャニーさんはお気に入りの子がいると、「You、うちに来ちゃいなよ」とジャニーズ事務所に勧誘してたそうだ。まだ小学生の頃の田淵幸一(江夏とバッテリーを組んでた阪神タイガースの強打者。王の連続ホームラン王の記録をストップした)は、目白コンドルスという少年野球チームにいて、ジャニーズと対戦しており、ジャニーさんの目の前で、130m級のホームランをレフトスタンドに放りこんだ。
それをみたジャニーさんは、こう言った。
「You、野球、行っちゃいなよ」。
田淵少年の素質を誰よりもジャニーさんが早く見抜いたというお話でした。田淵の東京六大学の通算本塁打数は当時の記録・長嶋茂雄を抜き、22本。それにあやかりプロ入りした時の背番号は、22、です。

と言う訳で、心の護美箱(21)がいっぱいになったので、(22)を作りました。
はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。
ここでも、非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。
まぁ、グチに限らず、要望や苦情やエールやラブレターでも構いません。この記事に関する感想コメントなら、尚結構!

 

 

中西先生と僕とサスガは不思議な縁で、高校と大学と医局が同じで、先輩後輩の仲なのです。
順番は、中西>川原>サスガです。
精神科は他大学との交流のため、毎年、野球のリーグ戦があった。
僕らの医局は、中西・川原・サスガの3人が主力メンバーだった。
ある年の野球大会。僕は派遣病院に出向していて、そこのMSさん(秘書みたいな人。ケースワーカーの卵。若い女子)
が野球観戦の応援に行きたいと言うから、3人くらいを僕の私設応援団員として帯同した。
そうしたら、若い女の子の前ですから、ちょっと良い所を見せたいと思うじゃないですか?判るでしょ?だんな。
僕は、サスガに、<おい、ピッチャーを変われ>と途中からマウンドに立って。
しかし、僕の下心はナインにみえみえで、「大丈夫なのか?」と心配の声があがって。
僕は、<大舟に乗ったつもりで。こう見えても、中学の頃は「小さな巨人」と呼ばれてたくらいだから>って、
ドカベンの里中を持ち出して。
実際、僕は中学の頃、草野球で、「小さな巨人」と呼ばれていた。
ま、正確には、友人に<そう呼べ!>と脅迫していたからで、皆は不要な争い事を避けたいから、言う通りにしていた。
他にも、「キャプテン」と呼ばせていた事がある。
これは、キャプテン・ハーロックとリリーズの「好きよキャプテン」をかけていた。
教師には、「川原、お前は一体、何のキャプテンなんだ?」とよく聞かれて、説明するのが面倒くさかった。
<何かに限定された範囲のものではなく、将来、トップに立つ資質のようなものを中学生の嗅覚が嗅ぎ分けるのでは?>
などと適当な事をフカしておいた。
話が脱線したが、僕はリリーフとしてマウンドに立った。
僕はドカベンの里中のように華麗なアンダースローから幾つかの変化球を投げ分けた。
しかし、練習は裏切らない、というか、ボールは正直だ。
1球として、ストライク・ゾーンに入らない。3者連続フォアボールで、あっと言う間に無死満塁。
風雲急を告げ、大ピンチだ。
400戦無敗で知られるヒクソン・グレーシーが最強の男であった1番の理由は、負けそうな相手とは戦わない、
というのがあって、前田や桜庭の挑戦からは逃げていた。
でも、これは案外、生きる知恵だ。
戦場で生き残るのは、必ずしも勇敢な兵士ではない、と言うのと同じだ。
僕は、ピンチに強い男と自認しているから、負けそうなピンチはヒクソン方式で分母から消そう。
そうすれば、勝率は下がらない。
これは良いアイデアだ。
そこで僕は、マウンドにサスガを呼び、<おい、ピッチャーを変われ>とリリーフを押し付けると、
「嫌ですよ、僕は!自分で蒔いた種なんですから、自分で責任をとって下さい。次から、クリーンナップですからね」
と言い放って、自分の守備位置に戻って行ってしまった。
あいつは、高校も大学も部活も医局も俺の後輩のくせに、少しも俺を尊敬してないな。
平気でこういう冷たい態度をとる。
普通、体育会系は縦社会、上が「黒」って言ったら、「白」でも「黒」だろ。
なんて僕がブツブツ文句を言ってると、マウンドに駆け寄ってきて優しい言葉をかけてくれたのが、その時のキャッチャーで、
女房役とは良く言ったもので、キャッチャーマスクをとって、
「川原、切り替えて行こう!
野球では、ピンチはチャンスだ。
川原の得意のフォームは、スリークォータだったよな。あの投球を俺に見せてくれないか?」
と優しくなだめる人物こそが、そうです!中西先生だったのです。
そうして僕はマンガの真似をやめて、中西先生のおだてに乗って、このピンチを最小失点で切り抜けた。
それで、試合は次の回に中西先生が逆転タイムリーを打って、残りのイニングをサスガがピシャリと抑えて、我々の勝利。
試合後の打ち上げで、<今日のMVPは誰か?>、と僕が言い出して、
「逆転打を打った中西先生では」とか「ピッチャーとして、先発とリリーフの両方の役割をしたサスガでは」と意見が分かれた。
しかし、もっとも大勢を占めたのは「野球はチームプレー。皆で勝ち得た勝利だから、皆がMVP」というぬるま湯のような意見だった。
僕はそこでも譲らず、新日世代闘争の時の前田が空気を読まず「誰が一番強いか決めればいい」と言ったフレーズがいつも頭の隅にあったから、
<誰がMVPかをはっきり決めるべきだ>と主張して、座はシラケた。
その時、中西先生がこう言った。
「今日のMVPは川原だよ。こんなに試合を盛り上げてチームに一体感を抱かせたんがから」と。
その意見にその場にいる皆が救われて、「MVPは川原」、ということになった。
僕はその時、中西先生って何て正しい意見の持ち主なんだろう、と感心した。
僕はおそらく、そんな風な発言もした。
すると中西先生は、わざとらしく頭をかいて、照れるポーズをして、それを見て皆が笑って。僕も笑った。

中西先生が急死したのは、2014年の8月末、今頃だ。仮に、前の日に「人間ドッグ」を受けてても分からない病気だったそうだ。

BGM. 矢野顕子「行け柳田」

 


最新・川原かわい子ちゃんランキング、素人部門飲食店編~もしかして外科医?

27/Ⅷ.(木)2020 猛暑 都、23区内の時短営業要請延長、協力金は15万円。8/27が誕生日の有名人、孔子・マンレイ・宮沢賢治・サンボ浅子。

いきなり千昌夫の思い出話で恐縮だが、千昌夫といえば、細木数子に「とってはいけない」と言われたトレードマークのホクロと、
金髪好き(元・奥さんはジョーン・シェパード)、ヒット曲は「北国の春」で決まりだと思うが、
僕にとっての千昌夫は、「星影のワルツ」である。

僕が小学校の頃、「ぎんざNOW!」に小池聡行というオリジナルコンフィデンスの社長が出て、ヒット曲のランキングを解説していた。
年末の歌謡大賞やレコード大賞の基準が今ひとつ理解出来なかった小学生にとって、「レコード売り上げランキング」というのは、かなり分りやすい指標であった。

そのオリコンで千昌夫の「星影のワルツ」は24週連続チャートインという記録を持っていて、当時はヒット曲は長くて3ヶ月くらいの寿命の中、ロングセラーと言えば、「星影のワルツ」が代名詞だった。

一方、ファッションの発信地・ロンドンのヒットチャートは、猫の目のように日替わりで変わる、と言われた。それは流行のサイクルが早い、というのと同時に社会情勢が安定してないからだとも聞いた。
ひとつのものが長く安定してヒットしているというのはマンネリを呼ぶが、安心感の担保にもなる。

なんでいきなりこんな話をしてるかというと、今朝、コロナ以前によく通っていたカフェを覗いたら、僕のお気に入りの「インパラ娘=ラビットちゃん」の姿をみつけた。
コロナになってから僕もあまり店に寄らないし、彼女もシフトを出してないようで、もう会えないのかな、と寂しささえ風化する今日この頃だった。
僕はお店に入ると、彼女のほうから、「お久し振り!」と声をかけてくれ、マスクをしてるから美人にみえるし、飲食業だからそうなのだろうが、白いマスクが衛生的で彼女の持ち前の清潔感をデオドラント効果で魅力倍増。
彼女は、「わたし、今日、これであがるんです。会えて良かった」と微笑んだ。…正確にそう言ったかどうか自信はないが、僕の耳にはそう聞こえた。
僕は「こいつは魔性の女か?」と思い、彼女のニックネームを「インパラ娘」→「ラビットちゃん」と変化させて来たが、新たに、「ばつお魔性」と俳句の名人のような名前にかえてみた。
ばつお魔性、今日現在・川原かわい子ちゃんランキング・飲食店部門第1位に返り咲きです!
僕のかわい子ちゃんランキングは、世相(僕)が不安定なので、ロンドンのヒットチャートのようにコロコロかわります。鉄板焼き屋の娘の巻き返しなるか?

と、僕はこんなことを昔からやっています。
下の記事は、僕が医大生だった頃、川原かわい子ちゃんランキング・看護婦ランキングに短期間1位に君臨していたナースのお話です。↓。

 

21/Ⅲ.(木)2013 はれ
その朝、目がさめたら、となりに知らない美人がいた。
彼女はとっくに起きていて、「やっと起きた。遅刻」と僕に言った。
それは、まだ病棟実習をする前だから、大学の3年か4年の頃のはず。
僕は、友達と、大学の近くの街で呑んでいた。
たまたま、その店でとある運動部がコンパをやっていたので、そこに顔を出した。
その頃の運動部は2次会以降は最上級生が払う、という暗黙のルールがあったから、うまいこと紛れ込んで、
ただ酒にありつこうと考えた訳だ。
その作戦はまんまと成功して、僕は3次会のパブにもなだれ込んだ。
そのパブでは、第一外科、通称「1外(いちげ)」が飲み会をしていた。奥の方で外科の医者と看護婦さんたちが騒いでいた。
僕らのグループの最上級生の6年生は、1外の方々に挨拶に行っていた。「お前も言って来い!」と言われるまま、
僕は挨拶に行き、そこで呑んだ。
気が付いたら、結構、夜も更けていて、僕は「ところで、お前、誰?」とか言われてた時には、
最初に呑んでた友人も運動部のメンバーも皆、帰っていて、僕1人だけ、1外の人達と呑んでいた。
1外のスタッフは、普段、ハードな仕事なので、飲み方も豪快だった。
忙しさやストレスと、飲み会の発散の仕方は正比例すると思う。
救命救急の飲み会に参加したことがあるが、そこでは「パイ」が飛び交っていた。ケーキのパイである。
看護婦さん達が、医者の顔面めがけて「パイ」をぶつけるのだ。普段の憂さ晴らしなのか?
こうやってバランスをとってるのか、と興味深く、上級医の顔に付く生クリームを観察した記憶がある。
話は戻るが、僕は1外の飲み会に最後までつきあい、病院の近くに住むナースの家に皆で雑魚寝したのであった。
医者や看護婦は偉いもので、あれだけ呑んで騒いでも、翌日、休まないのだから。
それに比べて学生は、僕などは、甘いのだ。
そう、僕が目をさましたその部屋は、1外のナースのアパートだったのだ。
彼女は、僕に、「将来、何科に行くの?」と聞いた。僕は、「精神科」と答えた。
彼女は、「プシコ?意外ね。外科にしたら?」と真顔で言った。
当時は、都内でも郊外は畑などがあって、僕は彼女のアパートから学校に行く路を教わって、あぜ道のようなところを歩いて行った。
すると、向こうから畑仕事を終えた、おばあさんとすれ違ったりして、僕は何か後ろ暗い気分にさせられた。
僕が、彼女にあったのはそれっきり。
医学生が病棟のナース・ステーションに顔を出すのはそんなにおかしなことでもなかった。
それに泊めていただいたお礼を言いに行くのは、むしろ人間として当たり前なのかもしれなかった。
正直、何度か、会いに行こうかな、という誘惑と戦った。だけど、僕は行かなかった。
もう1度、彼女と会ったら、僕は自分の描いている人生の線路が違う方向に行ってしまう危険を予感していたのだ。

BGM. 千昌夫「星影のワルツ」