17/Ⅰ.(火)2012 寒い
休み明け、受付の岡田さんが髪を切っていて、<それ、俺の髪型に似てない?>って言ったら、「私もそう思いました」とまばゆい笑顔が返って来た。
今の時代、こうゆう言い方は一つ間違えれば‘セクハラ’ととられるのだろうが、誤解を恐れずに言うと、<かわいい>のである。もっとも、自分の髪型と似てると言っておいて、その舌の根も乾かぬうちに、かわいい、と言うなんて、ギリシャ神話のナルキッソスみたいで、恐縮です。
しかし、俺と岡田さんしかクリニックにいない時に、初めてクリニックに訪れた人は、「ここの人は皆、同じ髪型をしているのか?」とビビるかもしれない。いっそ、スタッフ全員、マッシュルーム・カットにしたらどうかな?。昔のローリング・ストーンズみたいだ。ま、提案しても、反対されるだろうけど。多数決で賛成・1、反対・4、どちらでもよい・1、ってとこかな。
ちなみに、岡田さんよると、それは「マッシュルーム・カット」とは言わないらしい。
<じゃ、何って言うの?>って聞いたら、笑顔で「ボブ」って答えた。
BGM. キッス「いかすぜあの娘」
たのしい買い物
15/Ⅰ.(日)2012
1週間後に、中川翔子のファンクラブのイベントで日帰りバスツアーがある。
しょこたんと一緒に貪欲会!歌&お食事&2ショット撮影、その他お楽しみ企画満載だそうだ。楽しみ。
イベント開催前に行き先を公開してはいけない決まりなので、禁則事項。
去年は、うっかり寝坊して参加できず、その後もファンクラブの会費を滞納して脱会処分になったり、
ライブのチケットが抽選で外れたりと、がっくり続き。
追い討ちをかけるみたいに、受付の岡田さんには
「センセーは、もうしょこたんのことを好きではないんですよ」と精神分析されて、辛酸をなめた。今年はそのリベンジである。
ナースの塚田さんは、「また申し込むんですか?また起きれないんじゃないですか?」とクールな反応。
心理の徳田さんだけが好意的で、「最近、新譜は出たんですか?」と心配してくれ、
<’80年代アイドルとアニソンのカバーだから、聴かなくても大丈夫だよ>と軽く答えたら、
「そんな態度では駄目です。ちゃんと予習していかないと!」とホットな意見。
<それもそうだな>と思い直したら、今月に新曲「ホロスコープ」が発売された。
徳田さんの忠告にしたがって、ちゃんと覚えた。
当日は、運動もするらしいので、気合を入れるため、服を買いに中野ブロードウェイに行く。
なんとなくピカチュウのTシャツを買おうと思い、レジに差し出すと、
しょこたんが「魔法少女まどか☆マギカ」の‘キュウべえ’のTシャツを着て踊ってる写真が貼ってあった。
お店の人に<これ、何?>って聞いたら、同じTシャツを売っている、ということらしかった。
驚いたのはそこからで、店員さん曰く、
「中川翔子さんはこないだの×曜日に来られて、お客さんと同じピカチュウのTシャツを買って行かれましたよ」だって。
すごい!シンクロ率がアップしている。追い風だ。
‘キュウべえ’のTシャツは真似したみたいだから買うのはやめて、代りに別の店でフェイスクッションがあったので、それを買う。
診察室のブラインドカーテンのところに飾ってみる。‘キュウべえ’ってこんな顔です↓。
BGM. 中川翔子「ホロスコープ」
メッシ<又吉
9/Ⅰ.(月・祭)2012 成人の日
部屋着が欲しい。
そう言えば、大晦日の深夜に「ピカルの定理」の特番をやっていて、その中でピースの又吉がサッカーをするコーナーがあり、その時に又吉が着ていたジャージが格好良かったので、それはスカイブルーの生地で胸に大きくアディダスの山型と‘adidas’の文字が白くプリントされていて、胴と腿に走る白いラインも綺麗で、それを買おうと原宿のアディダス・ショップに行く。
雰囲気だが、アディダスはオシャレっぽい服が葉っぱのマークで、アスリートっぽいのが山型マークとショップが分かれてるようだ。原宿店はどっちもあるので、そこに行けば手っ取り早いと思った。
しかし、そこで<ピースの又吉がピカルの定理で着てたジャージで…>とイラストを描き説明したが、店員にうまく伝わらない。入れ替わりに色んな人が出てきてくれて、お店で一番詳しそうな人が登場したのはいいのだが、その人は自社の製品には詳しいのだが、‘ピースの又吉’が判らず、仕方なく僕は‘ピース’というお笑いコンビの説明から始めて、<この説明いるか?>と自問した。
結局、カタログにもなくて、あのジャージは幻のジャージということにして、代わりに店員がすすめてきたのが今一番人気があるという黒字に金色の3本線の入っている葉っぱのマークのジャージだった。金色がやたら眩しくてキラキラしていて、店員は、「これは日本限定のジャージで、メッシも着てるんですよ」と胸を張って言った。又吉の代りにメッシが来た訳だ。
とてもセンスのいいジャージだとは思うが、僕の好みとは違うから、<あなたの方が似合うよ。買ってあげようか?>と言って、煙に巻いて店を出た。
もう少し、又吉のジャージを探してみるつもり。
志の輔らくごinPARCOを観る
8/Ⅰ.(日)2012
Aを誘って「志の輔らくごin PARCO」を観に行く。ハチ公前で待ち合わせ、お正月だから、ハチ公がしめ縄みたいなのをしていた。Aはハチ公前で、「こびとづかん、つながるマスコット」というのをくれた。↓。
きっと、落語のお礼のつもりなのだろう。僕は歩きながら、スクランブル交差点の真ん中で、開封し、「オオワレカワコビト」というのを当てた。↓。
そのままパルコ劇場へ、PARCO1の上にある会場で、1ヶ月に渡り連続公演して、延べ1万人を集客するらしい。↓。
去年の11月に談志が死んで、12月23日のサンリビの志らくや12月26日の「白談春」が追悼色が強かったのに対し、この会はお洒落で洗練されていて視覚的にも聴覚的にも色々な工夫がされていて、POPなエンターテイメントだった。シティ・ボーイズのライブみたいだった。
志の輔は、始めてパルコで落語をやった時に談志が来てくれて、最後に舞台のそでに腰掛けてトークをして、「他人の落語会で最後までいたのは、これが初めてだ」と賛辞を贈ってくれたなどと思い出を語った。そして、その当時、談志がよく演っていた「紺屋高尾」を今回の演目に選んだのだと打ち明けた。↓。
昔、談志が深夜テレビで「落語のピン」というのをやっていたが、確かあの番組の最終回でも談志は「紺屋高尾」をやった。紺屋の職人のもとに人気ナンバー1の花魁が嫁いで来るという夢のある噺だ。こんな時代にピッタリだ。
僕と、Aは落語を観終わったあと、109の近くの「くじら屋」に入る。くじらの歯茎、などというメニューがあり、珍しいものを注文してつまみにした。Aはお酒を呑まないので、僕は一人でいい気分になっていた。僕は、結構、人見知りをするというか、気を遣うというか、人の好き嫌いが激しいというか、誰かと呑んでも疲れるので、一人で呑むのを好む傾向にある。しかし、Aは気を遣わず呑める、数少ない友人の一人だ。落語のお礼に「こびと」をくれるような人だ、疲れる訳がない。Aがこっちをどう思ってるかは判らないが、似たように思ってくれてるといいと思う。次回は「どぜう」を食べようと約束した。「くじら」の次が「どじょう」というスケールの大→小が面白いと思ったから。
僕らは、その後、カラオケに行った。僕は、あまり人前で歌は歌わないのだが、Aと一緒の時だけは例外で、理由はさっきと、まぁ同じ。
Aには、自ら歌うことを封印した歌がいつくかあるそうだ。それは歌うのがとても恥ずかしい歌なのだそうだ。僕はてっきり加山雄三の「君といつまでも」のような♪幸せだな~♪と鼻の横をこすりながらセリフを吐く奴とか、「ど根性ガエル」の主題歌のような♪憎いよ~この~ど根性ガエル♪と叫ぶ掛け声のような奴が、恥ずかしい歌かと思ったら、Aが言うにはそうでないらしい。それは「黒歴史」とでも言うべき、振り返っても恥ずかしくなる時代に、熱唱していた歌で、それを歌うとその頃の自分を痛々しく思い出してしまうというのだ。だから、その歌ごと心の奥底に封印されたものらしい。
僕は、精神分析的な立場から、どんな邪悪な観念でも、一方的に抑え込むのは反対で、安全な場所を提供した上で出番を与えてやった方がよいと思うと、Aに伝えた。Aは、それもそうかな、みたいな反応をしていて、封印された歌の一部を歌っていた。その歌自体は恥ずかしい歌ではないので、聴いてるこっちからすれば、フツーの歌なのだが、Aにとっては勇気のいることなのだろう、判らないけど。
一方の僕の方こそお構いなしで、主に’70年とか’71年の歌謡曲を歌った。最近、キーを下げるというリモコン操作も覚えたので、女性の歌も歌えるから楽しい。堺正章の「さらば恋人」、小柳ルミ子の「わたしの城下町」、南沙織の「潮風のメロディー」、オーヤン・フィフィの「雨の御堂筋」、トワエモアの「誰もいない海」、内山田洋とクールファイブの「逢わずに愛して」、加藤和彦&北山修の「あの素晴らしい愛をもう一度」などを歌った。
つまり、お互いが勝手に歌っていた訳である。これなら、疲れないでしょう?。
2012年~タツ
7/Ⅰ.(土)2012 寒い
あけましておめでとうございます。今年は、年賀状の返事を書こうと思い、年賀葉書を買ったのは良いのですが、真っ白いのを買ってしまったので、何か書かねばならず、色鉛筆で色々塗っていて、まだ形になりません、どうしよう。何かガラのあるものを買えばよかったです。
と言う訳で、年賀状をくれた方、返事を必ず出しますので、待っていて下さい。そうだなぁ、2月中には何とかします。今のところ、アイデアは「カワクリ・ベスト・メンバー、直筆寄せ書き風サイン入り」です。僕のデザインが出来上がったら、スタッフ皆にサインを頼む予定です。
さて、お正月なので、診察室も整頓しました。スッキリしたでしょう?下は、今年一発目のお花、‘サンダーソニア’。↓。
それでは、皆様にとって良い年でありますように。
年越しの報告
大晦日は、さいたまスーパーアリーナに年越し格闘技イベントを観に行く。2011年は格闘技は季節にたとえると‘冬’で、恒例の年末TV中継(地上波)もなしで、イベントの開催さえ怪しかった。
最終的には、アントニオ猪木の協力を得て、大会名も「元気ですか!!」、総合格闘技とキックと女子とプロレスの各々の試合を、午後3時に始まってカウントダウンまで提供する、おもちゃ箱をひっくり返したような大会だった。でも、意外とプロレスが挟まれると、息抜きできて、丁度良かった。
桜庭と柴田勝頼(新日本のレフリーだった柴田勝久の息子)がIGFという猪木率いるプロレス軍団と‘IGFルール’という、まぁプロレスのようなルールで、総合格闘技のような勝ち方をしたのが、ある意味、真剣勝負で面白かった。柴田の動きが良かった。
猪木はオープニング・セレモニーで、リング上で、字を書いた。猪木の父親の遺言は、「恥をかいても、字を書くな」だったそうだ。何回も聞いたから覚えている↓。
そんな猪木は、「1年の不幸なことはすべて忘れて、幸せだったことだけを覚えていましょう。そうすれば、今年は良い年に、ではなく、今年も良い年に、と言えるから」、と相変らず無責任なことをシャーシャーと言い、‘幸’という字を書いた。
セレモニーの途中で、タイガー・ジェット・シンが上田馬之助の遺影を持って登場して、一暴れした。上田馬之助も去年、亡くなったんだ。↓。
大会は1部と2部に分かれていて、スカパーやニコニコ動画の生放送が2部から有料になるらしく、その時間調整のため、1部と2部の間の休憩が40分あった。観客達は、「え~、40分?」「放送中心かよ」と軽く文句は言ったが、おとなしく屋台のラーメンを食べたりビールを飲んだり軽食をとって、暴動などは起きなかった。昔のプロレスはファンも熱くて、すぐ暴動を起こしていた。両国国技館なんか放火されて、しばらく親日は国技館を使わせてもらえなかった。平和な世の中になった。
メインの3試合は、DREAM(総合格闘技)のタイトルマッチが2つと、オオトリが‘60億分の1’人類最強と謳われたエメリヤーエンコ・ヒョードルvs北京オリンピック柔道金メダリスト石井慧。
ヒョードルは、RINGSで発掘され、PRIDEでトップを取った選手で、日本のファンには親近感がある。それはヒョードルも同じで、震災のあと、すぐに日本のファンに向けてコメントを発表し、今回も震災復興の祈りをこめて来日した。普通だったら(何が普通だ?)呼べない選手だ。
そんなヒョードルも、実はここのところ3連敗し、世界最強の名前は他に譲り、引退説も囁かれた。それでも、ヒョードルは、11月に復帰戦を勝利で飾り、復活した。そういった意味でも、ヒョードルは震災復興のシンボルに思えた。
DREAMのタイトル戦が2試合とも、フルラウンドの判定決着だったため、ヒョードルと石井の試合は、pm11時50分くらいからの開始になった。入場などにもそれなりの演出があり時間がかかるから、誰もがカウントダウンは無理だと思った。僕は、猪木と「1・2・3ダーッ、あけましておめでとう」をやりに来た訳ではないし、別にやりたくもないし、じっくり試合が観れればいい。左が石井、背中がヒョードル。↓。
しかし、スターというのはすごいもので、ヒョードルは石井を年内残り10秒ちょっとでKOし、石井が倒れたままのリングに猪木がおっとり刀で登場し、「1・2・3ダーッ!」を無理やり間に合わせた。会場は大盛り上がり。僕は、放送時間ギリギリで終る昔のプロレスを懐かしく思い返した。あの時も、リングの中央には猪木がいた。
下の青いグローブをはめてるのが、ヒョードル。↓。
そして、新年。会場のモニターに映し出された、ジョシュ・バーネットとヒョードルの2ショット。今年もいい年でありますように。
ラストスパート!忘年会明け、仕事
27/ⅩⅡ.(火)2011 極寒
朝一、クリニックのクリスマスっぽいものをしまう。忘年会明けの初仕事だが、皆、締まっていた。とてもよろしい。
開業以来、スタッフの入れ替わりは色々あったが、今のメンバーがベスト・メンバーだな。
意地悪をする人もいないし、おっとりしてるし、忙しくても文句言わないし、夜遅くなっても嫌な顔しないし、気立てが良いし、思いやりもあるし、媚も売らないし、義理チョコもくれないし、変に気を使わなくていいし、裏表がなくて、皆やさしい人達で。
これが、ずっと続けばいいのだが。人生は色々あるから、いつか入れ替わりがあるんだろうな。いやだな。でも、しょうがないな。でも、しばらくは大丈夫かな。でも、しばらくってどのくらいだ?。数学的な表現じゃないな。
ところで全然話しは変るが、ずっと探していて見つからなかった「メトロン星人」のフィギュアが手に入ったので記念撮影。↓。
メトロン星人は基本的に武器を持たず知略で侵略を計る宇宙人で、アパートの部屋でモロボシダンと交渉するシーンが印象的だ。メトロン星人は、人間が凶悪になる成分を巻いて、自らは直接手を出さず、人間同士で事故や事件を引き起こさせる陰謀を企てた。
メトロン星人が、クリニックに来たら嫌だな。今、せっかく良い雰囲気だから。すぐにウルトラセブンを呼ぶ。
「幕末太陽傳」と「けいおん」
25/ⅩⅡ.(日)2011
奥沢の入船すしで遅いランチ。店主は背の高い静かな人だが、珍しく向こうから話し掛けて来た。
「昨日、一昨日はすごく混んでいました。今日もさっきまで(は、満員)。
今年は震災以降、自粛だかで飲食業は皆、駄目でしたね。低価格の店は別ですよ。
でも、皆、ついに我慢できなくなったんだか、昨日・一昨日は満席で電話を頂いたお客さんもお断りしました。
すいてる時に、来てくれればいいんですけど(笑)、そうはいきません。
まぁ、どんな商売もそうなんでしょうけど。おたくは仕事はどうでした?まぁまぁですか?なら、良かった」と。
ちなみに店主は僕の仕事を知らない。「究極のまぐろ丼」という贅沢なものをたいらげ、新宿へ。
テアトル新宿で、「幕末太陽傳」を観るためだ。↓。
この映画は、キネマ旬報の映画遺産の日本編で小津安二郎の「東京物語」、黒澤明の「七人の侍」、成瀬巳喜男の「浮雲」、に続く4位に選ばれて、
日活が100周年を迎えるにあたり、後の100年まで残したい1本としてデジタル修復する作品に選んだものだ。
監督は川島雄三、落語の「居残り佐平次」を題材にした日本の喜劇映画史上の最高傑作と言っても過言ではない。
主演のフランキー堺がカッコよすぎる。
特に芸者をあげて遊ぶ場面で、タイコを叩きバチをクルっと親指と人差し指の間で回転させる(授業中にシャーペンをそうしたように)のは、
元々、フランキー堺は進駐軍でジャズ・ドラマーをしていて「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」というコミック・バンドを率いていて、
そこには谷啓や植木等もいて、その音楽性は後のクレージー・キャッツに引き継がれていったことも思い出させて、感激である。
この映画には、50年代のオールスターが出演していて、石原裕次郎も高杉晋作役で出てる。↓。
そもそも「居残り佐平次」は、談志が<これこそが落語、人生成り行き>と代表作にしていたもので、
談志が死んだ時、NHKの「日本の話芸」の追悼番組でも談志の「居残り~」を放映していたっけ。
談志が死んだこの時期にデジタル修復版が上映されるのは喜ばしい不思議だと思う。
これは本当に面白い映画なので、騙されたと思って映画館で観ることを勧めます。
こはるのおはぎセット、という商品も売っている。こはるとは女郎のNo.1で南田洋子が演じている。↓。
これは、食べなくてもいいかも。でも、映画は面白いです。
テアトル新宿を少し駅の方に歩くと、新宿ピカデリーがある。
「幕末太陽傳」の興奮が冷め遣らないので、「けいおん」も観ることにする。
何度も観ると景品をくれることになっていたのだが、もう品切れらしい。
そのせいかどうかは知らないが、入り口でポストカードを配布していた。唯のノートを再現したものだ。↓。
映画のはしごをしていたら、すっかり遅くなり、最終電車で家に着いたら、遅い、と心配された。
そうか、今日はクリスマスだった。
クリスマス・イブ2011
24/ⅩⅡ.(土)2011
イブは家で過ごす。息子と野坂昭如の本について語り合い、娘とテレビを見る。
明石家サンタのクリスマス・プレゼント・ショーってまだやってるんだ。
結婚し立てに奥さんと2人で見たことある番組を、娘と並んで見てるとは、時の流れを感じる、2011年、クリスマス。
「志らく」と「ひまわり」
23/ⅩⅡ.(金)2011 天皇誕生日
よみうりホールに、立川志らくの独演会を観にゆく。年末と言えば、談志が「芝浜」を演じるのが風物詩だが、今年は無理なので、志らくにオファーがあったらしい。そういう経緯で志らくが「芝浜」をやることになったのだが、チケットは発売してすぐに800枚売れ、あと少しで満席だから宣伝しよう、としたところで談志が死んだ。一瞬にしてソールドアウトだって。
志らくは、21日のお別れの会のことを、マスコミはお涙頂戴の場面だけを流して面白い素材を使わない、と裏舞台を面白おかしく喋った。高田文夫の話がさすがに面白かったが、不謹慎なのでここには書きません。
演目は「富久」と「芝浜」。その昔、談志も同じプログラムを30周年記念にやった事がある。
志らくは最後に、「今日は談春兄さんの所に行かないで、こちらに来て下さってありがとうございます」と礼を言った。たしか談春は、浅草だ。
志らくの落語の興奮が冷め遣らないので、映画を見ることにする。新宿で「ひまわり」をやっていたはず。
1970年、米ソ冷戦当時、欧米初のソ連ロケを敢行して撮影された。監督は、ビットリオ・デ・シーカ。ソフィア・ローレンが主役。↓。
第二次大戦で引き裂かれた男女の悲哀を通して、戦争の悲惨さを冷静に描いている。地平線まで広がる海のようなひまわり畑の下には、イタリア人やロシア人の戦死者が眠っているという。ヘンリー・マンシーニの音楽が素敵。
新宿武蔵野館で上映中です。