29/Ⅴ.(土)2021 はれ 新宿紀伊国屋書店地下のカレー屋「モンスナック」7月で閉店?
心の護美箱(36)がいっぱいになったから(37)を作りました。始めてこのブログを読む人は「何のこっちゃ?」ですね。そんな人はこちらを。→心の護美箱(36)。
さて今回はカワクリがお送りする「精神療法、三部作」の第三弾です。これを読めばあなたもカウンセリングを受けた気になれます。世間の無知な人間に対しては、カウンセリングを受けてるふりだって出来てしまいます。そんな必要がいつあるのかは知りませんが。
①出会い
…精神科(心療内科・カウンセリング)が一般身体科(内科・皮膚科・眼科など)と決定的に違うのは、家族や周囲が「心配してること」と、本人の「困ってること」が違うことです。たとえば家族は「リストカット」や「不登校」や「家庭内暴力」を心配しますが、本人はもっと哲学的なことで悩んでいるのに、仕方ないからやむをえず「それら」で凌いでるのに、そんなこともわからないくせに表面的な現象で右往左往する家族に対して、本質をみてない、と不満に思いながら病院に連れて来られる人がほとんどです。ですから治療のスタートは、本人が困ってることをこちらが見極め、それを一緒に解決していこうと同盟を結べるかどうかにかかっています。そのための第一歩が初回面接で、それは出会いであり、第一印象が大切です。人を見た目で判断するな、と言いますが見た目以外で判断するのは難しいです。それを補うために面接をします。こちらは患者がどんなことに困ってるかどんな人なのかを見極めようとしますが、患者も必死だからこの医者(カウンセラー)は信用できるか、とこちらを品定めして来ます。そんな真剣勝負が行われて、「じゃ、とりあえず、やっていこうか」となって、1年くらいしてからでしょうか、患者は「実は初めてここに来た時、こう思ったんですよ」と第一印象の報告をします。良い治療関係が構築できたからこそなのでしょうが、「最初は、ここは病院か?と思いました(笑)」とか「はじめてセンセーの髪色を見た時、『終わった』って思いました(笑)」と過去形で語られます。稀に初回面接で「ここ、変わってますね?」という人がいますが、感想だからそれは自由だから良いのですが、「初回からそんなことを言えるなんて、この人は変わってるなぁ」と僕は思います。
②治療構造
…設定のこと。何曜日、何時から、何分やる、などをあらかじめ決めておきます。我々の業界用語では「枠(わく)」とも言います。僕は若い頃、「枠」は、「我慢が足らない患者に不安耐性をつける目的」あるいは「患者の気まぐれに振り回されないため」のものだと勘違いしていました。なぜなら子育てをするお母さん(お父さん)には「枠」などありません。24時間365日体制です。精神療法にはある意味ほんのちょっと「育て直し」みたいな側面もなきにしもあらずだからそうした方が良いのかもしれませんが、そんなことをしてたら我々がもちません。一定水準のサービスを提供し続けることが不可能になるので、「枠」は治療者のためにあるのです。って、昔、誰か偉い先生が言ってました。ま、育児と精神療法、並べて語るのもいかがかね?
「精神分析系の技法論」の書物を読むと、大抵、最初に「治療契約」のことが書いてあり、その中でもいの一番に「お金」のことが載っています。そのくらい精神分析では「料金設定」が大切なようです。でもそれを「いくら」に設定するかは悩みます。今は一応、一律にいくらとしていますが、本来はその人の収入で変えるべきだそうです。
本場で修行してきた人に聞いたら、昔はその人の履いてる靴の値段がワンセッションの値段、とした時代もあったらしいですが、今のように価値が多様化したり、お洒落さんが多かったり、一点豪華主義でバカ高いスニーカーを履いてる学生もいるからこれはもう通用しませんね。でもカウンセリングを受けるにあたり患者もそれ相応の覚悟を問われ、それが身を切るに相応しい料金を設定するというのが出発点で収入が上がったら料金も上げ、下がったら料金もディスカウントってしてる人(時代)もあったそうです。
しかし、患者のカウンセリングに関する本気度の評価基準を「お金」にすることにちょっとためらいがありますね。昔、精神科医になりたての頃、高校の友人と朝まで飲み明かした時に、この話になって、「お前の信じる思想は人の心を金ではかるのか。さもしい奴だな」「日本人には、赤ひげ、幻想がある。おばあちゃんが治療費がないからと大根を差し出しても、医者は笑って受け取るものだ。金持ちしか受けれない治療なんておかしい。金儲けに走ったら終わりだ」「そもそもユダヤ人の発想だろ。金に汚い」「見損なった」と散々でした。このディベート、今でも言い返せるかわかりません。
僕が子供の時に日曜学校で聞いた話。募金箱の横に鐘があります。クリスマスの夜に、募金をしてそれが神様に伝わると鐘が鳴る、という伝説があります。町の大金持ちが多額の寄付をしましたが、鐘は鳴りません。誰が募金してもそうです。やはりただの伝説か。皆がそう思った時、みすぼらしい女が来てわずかなコインを募金箱に投げ入れました。それは彼女が汗水たらして働いた全財産だったのです。すると教会の鐘は町中に鳴り響くように鳴っていつまでも鳴り続けた言います。聖書の教えは重要なのは「金額」ではなく「その人の信仰心=本気度」だと言うのです。こういう初等教育を受けてると、「料金設定」ってものすごく難しいんですよ。単なる「儲け話」ではなく、真剣度や覚悟を測る物差しに「お金」を使うから、いくつになってもディベートに勝てそうもない。
と思っていたら、最近精神療法界隈でちょっとした揉め事があるそうです。発端は「アカデミック」なことだからスキャンダラスではないのですが、あえて揉め事と言う表現をしてみました。そのアカデミックな論争は「料金」の問題にも飛び火しそうで、革新派は「NPOを作って、お金の払えない子供や学生にもカウンセリングを」と言ってるらしく、主流派は保守的で体制をかえず、中には「患者のするべき仕事は精神療法家を食わせることだ」と極端なことを言う人まで。まだまだ論争はこれからのようです。昔、新日本プロレス所属の長州力が国際はぐれ軍団のアニマル浜口と組んで作った維新軍が、アントニオ猪木&藤波辰爾ら正規軍と真正面から革命闘争をした時が、日本のプロレス史上で最も盛り上がってた時期だったのと合わせて考えると、世代闘争って業界も活性化されるからどんどんやればいいと思います。
③抵抗
…わざわざお金を払って治療を求めてやってきて構造を決めて開始したのに、その治療に抵抗するという矛盾のことです。治療が進んで見たくない局面になると意識的・無意識的にキャンセルしたり、治療者と良い関係だったのがズレを感じたりするとガッカリしたり腹が立ったりしてストライキのようにカウンセリングをパスすることもあります。抵抗は必ず起きます。これをどう扱って乗り越えて認識して行くかが治療の醍醐味なので、あえてカウンセリングをキャンセルした時はたとえどんな理由でもキャンセル料が発生します。それは「あなたのために時間をとっといたのだから、時給分、頂戴ね」って意味ではないのです。昔から我々の業界では「雨が降ってもアクティングアウト」という言い伝えがあります。大雨で交通機関が止まったという表向きの理由があってもそれは抵抗の行動化(アクティングアウト)と考える厳格さが、逆にこちとらそのくらいマジだぜ的な契約だったのですが、ここに来て、コロナです。さすがに、コロナに感染してもキャンセル料とは言えません。むしろ熱があって来られちゃ困るし。こうやって、コロナはまた一つ古き良き伝統を破壊して行くのでした。
④転移
…転移という現象は精神療法以外の場面でも二人の人間が向き合えば必ず起きます。精神療法で言えば、患者は今までに体験した色々な人間関係を意識しないまま治療の中に投げ込んで来ます。患者の持ってる悩みや苦しみは大抵その中に潜んでいるから治療者は転移がどのように展開して行くかを意識して一生懸命見て行きます。転移というのは不思議で性別も関係ありません。僕は男だから「父親転移」や「おじいちゃん転移」ばかりが起きるかと思いきや「母親転移」が起きたりもします。だから「男性恐怖症」の患者には女性治療者をという発想はあまり意味がないと思います。「この人は男性が苦手だ」と理解出来てる男性治療者の方が、「何にも考えてない」女性治療者よりも良いに決まっています。
これまで僕も色々な転移を投げ込まれて来ました。戦争体験のあるおじいちゃん患者さんに「センセーは、兄貴のようだ」と言われたり、何でも僕が困ったことを解決してくれると理想化されてた女子校生には彼女が必死に興奮した時、「ね~、頼むよ、ドラえもん~!」って言い間違いされました。ドラえもん転移が川原史上最強ですね。
⑤解釈
…解釈とは治療関係の中で結局のところ、患者は何をしようとしているのか、治療者は何をしようとしているのかという理解を持つことです。大昔、日本に精神分析が輸入されたばかりの頃は、治療者と患者が一緒にテキストブックを観ながら、患者が話すことを「これに当てはまりそうだな」と勉強会のようなことをしてたそうです。それを今の精神療法に洗練させたのが「古沢平作」という人物です。一般の皆さんは知らなくて当然ですが、我々の業界でその名を知らぬ者はモグリです。権威のある専門的な学会でもその年にもっとも活躍した人に授与されるのが「古沢賞」と言います。プロ野球で言う「沢村賞」のようなものです。古沢平作は、実は、こさわへいさく、と読みます。皆さん、ふるさわ、だと思ったでしょう?もうお亡くなりになった先生ですがもしご存命なら、「今年の、ふるさわ賞は~」と司会者が言ったら、ひな壇から「こさわ、だよ!」と言うアンジャッシュのような持ちネタが出来てたことでしょう。
⑥洞察
…いくつかの抵抗を処理し、転移を理解し、解釈を通じて、患者さんは自分の基本的な問題への認識が広がります。それを洞察と言います。僕が洞察と言われて思い出すのは、中学の時の倫理社会の授業で習ったことです。その教師は心理学の授業をしてて、その中で「洞察とは、バスケット・ボールでシュートをする時に直接ゴールを狙わず、後ろの板に当ててその反動を計算してゴールに入れること、それが洞察だ」と言いました。僕はもういい年になって中学で習ったことなどあまり覚えてないのですが、これだけは忘れられないのです。間違いなのに。
⑦終結
…精神療法に終わりがあるのか?終わりがないのか?という問題があります。精神療法が「病気を治す」ためだけではなくさらに「幸福に生きる」ことを目的にするのなら当然出てくるディスカッションで、何をもって「幸福?」なんてとこから始めるからこの議論に終わりはありません。でも現実にはどこかで終わりが来ます。終わりが来る時が終る時です。それが終結です。別れはいつも突然です。いきなり終わってしまうこともありますが、理想的には終結の時にはこれまで行った精神療法の全体をもう一度おさらいしてまとめるという作業をしておしまいにしたいです。
僕が勤務医の頃、決まった曜日の宿直をしていました。宿直明け必ず、「おかあさんといっしょ(コアなファンは、おかいつ、と略す)」を見てました。毎週毎週何年か同じ歌のおねえさんとおにいさんにテレビの向こうから「おはよう~」と手を振られて癒されていました。ところがです。新年度、歌のおねえさんとおにいさんが新しい人にバトンタッチすると聞きました。僕は軽いめまいを覚えショックでした。でも一緒にこれまでの思い出を振り返って受け入れて行こうと思ったのですが、番組にはそんな配慮は微塵もなく、ある日いきなり「次回からこのおねえさんとおにいさんになります。バイバイ~」と言われました。僕のように精神療法を心得る身としては納得のいかぬ終結でした。でも、世間の多くの子供たちはスムーズに受け入れたみたいです。僕もいつしか慣れてしまい、そのお姉さんを好きになりましたが、なんと彼女こそ、「団子3兄弟」の茂森あゆみお姉さんだったのです。この歌は番組を超えて大ヒットしましたね。僕はたまたまNHKのポップジャムに「団子3兄弟」が出た番組の録画をしていて、その回の最後に、「みなさん、バイバイ~」と出演者全員が横1列で手を振る時、茂森あゆみお姉さんは2階席のお友達にも届くようジャンプして手を振りました。そして着地した時、スカートの裾が一瞬ひるがえった様子が映り込んでました。こういうのは気をつけて欲しいものです。僕は永久保存版にしておりますが。
以上、精神療法事始め、でした。カウンセリング希望の方は受付まで。
おまけ。下は何でしょう?
ヒント。香水をつけてる振付。
正解。BTSの新曲「バター」の中でメンバーが一人づつエレベーターの中でパフォーマンスを見せる時のオレンジの服のメンバーの完コピ。
BGM. BTS「Buuter」