17/Ⅴ.(水)2017 連投
こないだの日曜は、母の日、だったそうで、週明けにもなると、
「誰々さんの家ではこんなことをしてもらったそうよ!」という母親の不満の怒号から、
口論がやまないご家庭もお有りのことでしょうね、皆さん、お元気ですか?
僕はもうとうに母が死んでるので、母の日、なんて忘れていました。
今や、母の日で思い出すのは、カーネーションより、まよいマイマイ、になってしまいました。
そんな僕ですが、そんな僕だからこそ、少し母のことを思い出しましょう。
これは、母の遺歌集。↓。

中の写真に、自宅前とあるが、これは近藤先生というお方のお家を訪問した時に、近藤先生のお宅の玄関先で撮ったもの。
それが、自宅前にて、となってるから、この本が出版された時、さぞかし近藤先生は驚いたことでしょう。
この歌集の編集の一部は僕がやりました。
僕のミスです。近藤先生、すみません。お家、乗っ取っちゃって。↓。

母の死後、押入れから、僕が子供の時に描いた絵が出てきた。
これは近所の養鶏場で描いたもの。
形見分けの時に、兄に、「持って行け」と言われたので、診察室に置いてある。↓。

裏を見ると、絵画教室で描いた油絵みたい。↓。

話は変わりますが、小学校の何年生だったか忘れたが、夏休みの宿題が終わってなくて、
最終日、大人が集まって手分けしてやった。リアル・サザエさん(カツオ)。
一番大変だったのは、「自由研究」。
母は何の変哲もない木箱を持って来て、その蓋に、僕に絵を描かせた。
僕は、蕎麦屋の前の置物の、タヌキ、の絵を描いた。
母は、趣味で、鎌倉彫、をやっていたから、僕のタヌキを上手に彫って、色をつけて、上にニスを塗って完成。
これが優秀だと評判になり、神奈川県の賞をとり、どこかに展示された。
「子供らしい視点、自然との調和と、子供らしからぬ技術の確かさ」みたいなことが評価された。
母は、ニワトリの絵はとっておきながら、この鎌倉彫、は捨てていた。
僕が作ったものじゃないからかな。親心って、そんなものなのかな?
母の死顔はおだやかで眠ってるようでした。
僕はその後、寺の坊主とケンカして墓参りには一切行かないし、実家にも10年以上寄り付いていないから、
今でもふらっと茅ヶ崎の家に帰ったら、母がメロンでも食べてるような気がしてなりません。
BGM. 八九寺 真宵(加藤英美里)「帰り道」