貼り紙いろいろ

1/Ⅷ.(火)2017 雨
ブログにも書いたし、実物を見た方もいて、心配されてるので、後日談。↓。

結局、当人がその日に名乗り出て平身低頭、「外で呑んでクリニックで捨てた」とのこと。
その日は、とても暑い日で、「太陽が眩しかったから」だって。カミュ「異邦人」か!
今回は、貼り紙特集です。今日は雨なので、足元が滑るから、受付が作った貼り紙があります。↓。

石川町のパトロールは、高齢者。大丈夫か?。↓。

そう思ってたら、防災訓練は、若手が中心。↓。でも、これ明らかに「高齢者」の上に貼ってありますね。

自由が丘の、トンカツ屋さんの店の前。「ネ」が可愛い。↓。

何かを注意する時、その理由をどこまで教えるかが問題になることがあります。
ボヤかしておいた方が良い場合もあります。模倣犯とか出るとイケナイからね。
たとえば、新宿三丁目の貼り紙。↓。

これ見て、「ここで小便する人いるんだ」とマネされたら困りますね。
だから、中野ブロードウェイ3階のトイレの貼り紙は、こんな感じ。↓。

でも、これだと、何があったんだろう?って気になりますね。
そう思って、2階のトイレをみたら、正解がありました!
おばちゃんの筆圧がすごいですね。おばちゃんとは限りませんが、おばちゃんっぽいパワーを感じる。↓。

昨日、中野に行ったら、ブロードウェイのトイレは綺麗になっていて、残念ですが、今はこの貼り紙はみれません。
さて、今日から8月です。
僕は専門誌から、コラムを依頼されていて、その締め切りが、8月中なので、しばらくそちらに集中します。
だから、ブログは、受付や心理に、8月は頑張ってもらいます。
V9の頃の巨人のなぞなぞ。「ジャイアンツがピンチになるのは、何月でしょう?」。
答えは、8月。8月は英語で、オーガスト。王がスト。国鉄がストとかしてる時代だから、なぞなぞになったのでしょうね。
BGM. 堀江美都子+ザ・モンジュ「アクビ娘」
追記、近くの駄菓子屋さんでみつけました。ろうせき、って何でしたっけ?。↓。


しょこたん30才のバースデー・ライブ~プロローグ

4~5/Ⅴ.(水~木)2015 はれ
中川翔子超☆貪欲生誕際「30だぉ!全員集合!」はTDRのイクスピアリのそばにある舞浜アンフィシアターで
2days2公演づつ、計4公演、多彩なゲストを交えて、合計約8000名のファンを動員して行われました。
4公演はすべてお祝いにかけつけるメンバーが異なり、いとうのいぢ、も来てて、初めて実物見たが、可愛かった。
4公演を続けて観ると、ステージが成熟して行く様子がみえて面白かったです。↓。

 
 

振り返ってみれば、去年は熱愛発覚でやけ酒して、しょこたん生誕ライブ行かなかったんですよね。
あの娘とスキャンダル参照。
5/5のゲストの小林幸子は、アニメの主題歌のため、しょこたんとユニットを組みました。↓。

 
 

小林幸子は、コミケ用の、さちさちにしてあげる。しょこたんと一緒に、風と一緒に、を歌う。
これは、しょこたんが初めて映画をみて号泣した映画・ポケモン「ミュウツーの逆襲」の主題歌で、小林幸子の持ち歌。
今さら僕が言うほどのことでもないが、小林幸子は、アイドルやアニソン歌手と一緒の舞台で歌を聴くと、やっぱり抜群に歌がうまい!
他が有象無象に思える。金魚の中に一匹、鯉が泳いでるみたいな。それも、 金兜(きんかぶと)。
5/5のもう一組のゲストは、でんぱ組。
でんぱ組も、アニメの主題歌でしょこたんはコラボしてて、パンチライン、を7人編成で共演。
プリチョコも一緒に歌う。でんぱ組は、面白いです。下が、しょこたん・でんぱ組。↓。

 
 

5/4のゲストは、水木一郎とPile。
Pileは近頃、しょこたんの「空色デイズ」をカバーしたらしいが、ラブライブの西木野真媛で有名だ。
しょこたんは、そのファンらしく、一般人にまじって、握手会に行ったことがあるらしい。
ラブライブの曲、ダーリン、をしょこたんとデュエットした。
下が、お花。↓。

水木一郎は、しょこたんのために、アニソンメドレー。しょこたんの好きな曲で構成されていた。
しょこたんは着替えが終わって出てくるなり、「アニキ~、バビル2世、の歌詞、間違ってましたよ」と笑って出てきた。
客席も歌ってる本人も誰も気付かなかったのに。
水木は「本当?」と聞くと、しょこたんは、「悪魔の基地をこわすため」の所を「悪魔の基地を守るため」って歌ってましたよ。
「守っちゃ駄目じゃないですか(笑)」って。しょこたんは衣装替えの最中でも、ちゃんと聴いていたのだ。
ごめん、水木一郎の写真はない。
さて、お待たせしました!次回から、しょこたんの30才のバースディ・ライブのレビューを4回に分けてお送りします。
予習(または復習)は、イースター、と、中の人
BGM.野村義男「待たせてSorry」
つづく


しょこたん30才のバースデー・ライブ~5/4-①

4/Ⅴ.(水)2015 はれ
4公演の1発目は、チケット運が良く最前列中央。
5/4は、29才最後の日、20代最後のライブであり、しょこたんも緊張。
その緊張が直に伝わってくる近さ。
高3の時、ビジー4のライブに友人と行き、客が僕ら2人でビジー4より少なく緊張したのと似てる。
お祝いだから、皆、サイリウム持参だが、僕は手ぶら。
すると、左隣のおじさん(と言っても、きっと同い年くらい)が「これ良かったら。単色ですけど」と、
赤色のサイリウムを貸してくれた。
右隣は2人組の女子高生でとにかく活発、にぎやか。
客層は老若男女だが、こんなクラスカーストの上の方にいそうな子も来るんだ。
前説の、あばれる君、の言動にも一々何か返している。
そして彼女達のすごいのは、全曲しょこたん、もしくはバックダンサーと同じ踊りが出来るのだ。
コスプレもしてないし、しょこたんのTシャツを着てなきゃ、誰のファンなのかわからない。
舞浜アンフィシアターのシートは前の席との間隔が広くスペースがあり自由に踊れるのは結構だが、
その度に、彼女のそよぐ髪や伸ばした手が僕の頬の辺りに触れる。
しかし、彼女らは、若いってそういうことなのかな、まるで正義は我にある、と言うようで、謝りもしない。
それで、こっちがよけないと、「痴漢」呼ばわりされたらたまらない。
こっちの潔白を示すのに隣のおじさん(と言っても、ほぼ同い年)だけじゃ役不足だ。
ま、そんな事態は杞憂だった訳だが。
そんなことに気を取られてるうちに、ゲスト出演などで、しょこたんの緊張もとれ、場が暖まり、ライブは進む。
しょこたんが、「この曲はピンクで統一してくれたら嬉しいな」とサイリウムの色を指定。
おじさん(赤のサイリウムを貸してくれた、多分、同い年)が申し訳なさそうな顔をするから、こっちも恐縮。
すると、隣の女子高生2人が自分達のサイリウムを僕の目の前に出して、
「これでピンク、使いなよ」と一人が言い、、もう一人が「2本持ちで」と、二人分を貸してくれる。
<いいの?>と僕。答えは、「モチのロン」。
<触られて、キモイとか言わない?>と僕。
「言わないよ」と一人が言い、もう一人が」「暗いこと言わないの!」と、サイリウムを押し付けた。
暗い?…そんなこと、親にも言われたことがないぞ。
「私達、サイリウム使わないから」と一人が踊る準備、もう一人も同様に「なくて平気だから」と。
<そうでしょうね…>と僕が言い、そのやりとりを見たおじさん(ほぼ同い年)が、「撤収します」と単色のサイリウムを引き取った。
曲はパンチライン。フリがパンチラする歌で、2人はクルっと回ってパンチラする。
奥の子が、僕を直視して、手を開いて、自分の顔の前で、指を小指から順に折り畳んで、
カモーン、みたいなポーズをとって、こちらを挑発。
僕とおじさん(同い年)は、ステージより、2人のパフォーマンスに釘付け。
この曲は、でんぱ組、とのコラボで。明日は、ゲストが、でんぱ組と小林幸子だから楽しみだ。
そして、ラストの曲は、しょこたんがバックダンサー3人と計4人で肩を組んで歌うのがサビだが、
そこで2人は僕の背中にも手を伸ばして来て、即席ユニットを組む。
そして、「隣の人も」と僕に顎で指示を出す。
そうか、あくまでも、ステージと同じに、か。すごいな。とりあえず、女子高の先生は大変だ。
こんな感じになる。↓。

しかし、僕は高1の夏、鰻屋のアキモト君とその友人に誘われて、「南こうせつのサマーキャンプ」と云う、
つま恋でやるオールナイトのライブに行ったことがある。↓。

前の晩、アキモト君ちに泊まった。
そこに出てきたアキモト君のおばあちゃんが、僕の寝る部屋を案内してくれて、振り向きザマに笑って、
「猫のシタイみたいな部屋で」と奇妙な笑い声をあげた。
僕が<猫の死体?>とビックリしてると、アキモト君が「猫の額、だよ。狭いって意味さ」と解説。
おばあちゃんは、「あたしは江戸っ子だから、ヒ、と、シ、の区別がつかなくてね」って、
ババァ、ヒ、と、シ、の区別、ついてんじゃねぇかよ!
当時はフォークがニューミュージックに魂を売り、プロテストソングとか反戦歌などなくなり、
愛とか恋の歌を、やわに、夜通し歌ってる訳ですよ。
オールナイトのライブの雛形は、「拓郎とかぐや姫のつま恋」にあると思うが、
原型は、中津川フォークジャンボリーやウッドストックにある。
夕方から始めて、深夜を越して、陽が昇るまで、夜通し、徹夜でやるライブだ。
若い男女が集い、そこから恋が生まれる幻想もあった。
だが、僕らはまだ高1でその集団に溶け込むには少し若かった。
南こうせつのサマーキャンプでも、エンディングに近付くと、日の出とともに、仲間意識が高まり、
若者達が輪になって踊るのである。それはその場の強制力のようであり、そうしないとならないような凝集性を生む。
アキモト君たちは何度かその輪に入ろうと試みていたが、僕は気が進まなかった。
なぜなら、徹夜明けの男のギラギラした女へのまなざしの中に、僕のようなチェリーボーイが参入したら、
オンナ達も徹夜明けで興奮していそうだから、ナオンの欲望が一気に僕に集中して、
(何故か、僕ら、にとは思わなかった。あくまで、僕に。アキモト君、ごめんね)
面倒くさい色恋沙汰になりそうだったからだ。
僕は男子校だったので、男の嫉妬は女の嫉妬と同じくらい面倒くさいものだと、よく知っていた。
だから僕は世代的なものもあるが、このサマーキャンプの洗礼のせいで、余計、コンサートで一体になるという空気に
嫌悪感があって、反発があって、馴染めず、遠ざかって、縁遠くなって、回避的になって、疎遠になって、孤立していて、
それを正当化していた。だから、ライブでは地蔵のようにしている。
しかし、まさかの、しょこたんLV29最後の宴で、15の夏にやり残した課題をクリアしたのである。
僕がこの年になってリベンジ出来たのである。だから、皆も出来るさ、きっと。
だって、北山修が、25才のばあすでい・こんさあと、「サムの朗読」で言っていたように、
「青春に終わりはない。始まりだけである」、だからね。
BGM.しょこたん・でんぱ組「PUNCH LINE」
つづく


しょこたん30才のバースデー・ライブ~5/4-②

4/Ⅴ.(水)2015 はれ
夜の部は、後ろの方の席。
とりあえず、サイリウムを買いました。
周りに気を使わせちゃいけないからね。学習効果って奴です。↓。

 
 

会場では、7色に変わるサイリウムが、そのイベントごとに売られるので、
熱烈なファンはその度に購入するから、2本3本持っている人もいる。
パフォーマンスステージの猛者など、指の間に1本、つまり片手に最大4本、両手に8本持ってたりする。
すごい人は、さらに口にくわえたりするから、すごすぎて笑える。
はじめてしょこたんのライブに言った頃は、こんな風にオタ芸をする人がいっぱいいた。
オタ芸をしたりレイヤーが集う場所が、世間にはあまりなくて、しょこたんが受け皿になってるのかと思ってた。
僕がはじめて行ったのは、野音かな。
一人でライブに行くのが嫌で、お友達がいない子もみたいに、人形をリュックに入れてったんだ。かつての野音の記事
初日のライブが滞りなく終って、舞浜駅への帰り道、突然「ねぇ、これからランド行くけど、行かない?」と声を掛けられた。
誰かと思ったら、1ステージ目で「パンチラ」してた女子高生2人組み。
なんでも、「今から行けば、パレードの時間だから、アトラクションに乗り放題!」と誘われた。
僕は、<明日も2公演あるしなぁ、それに君らと行くとたかられそうだしな>、と答えてると、いきなり、花火が鳴った。
彼女らは機敏で、携帯でシャキシャキ写真を撮りながら、「ホラ、少しはディズニーっぽいもの撮ったら?」と僕に言った。。
せっかくなので、僕も携帯電話を出して、写メを撮ってみる。
しかし、花火と言うのは、なかなか撮るのは難しくて、
シャッターを切ると花火が消えてたり、だからと言って早目に押すとまだ花火が開く前で。
何枚か撮ってみて、<ま、いいか>と思える写真がようやく一枚撮れた。
自慢しようと思って、<どう?>と2人に見せようと振り返ったら、彼女らはそこにはいなくって、ドロンと姿を消していた。
下が、僕が撮った花火inイクスピアリ。↓。

これで29才最後のライブが終わり。明日は、しょこたん30代最初のライブだ。
BGM.中川翔子「空色デイズ」
つづく


しょこたん30才のバースデー・ライブ~5/5-①

5/Ⅴ.(木)2015 はれ
会場の空気が出来上がっていた。前説にもアンコールがおきる程。
あばれる君は、「前説でアンコールいただくのは、はじめてです」とマジで言っていた。
志の輔がパルコの何ヶ月連続公演をやる時、必ず千秋楽に、
「今日のために練習を重ねてきました」と言うギャグを言う約束があるが、そういうのはあるのかもしれない。
仕上がり度で言うと、二日目の昼(つまり今回)が1番だったと思う。
今回の席は2階席の前の方、3回目の公演にもなると、なるほど、ここはこういうことかと判ったりもした。
僕の周りは、20代の女子達に囲まれ、左隣の一人で来てた女の子が、お誕生日ソングのサビの、
♪願いをこめて、リボンをかけて♪
の歌詞の時に、サイリウムをクルクルしてリボンをかけるみたいな仕草をすると良いとレクチャーされた。
こんな可愛い子(普通の子)がしょこたんのライブに来るんだぁと思った。
BGM.中川翔子「make a wish」
つづく


しょこたん30才のバースデー・ライブ~5/5-②

5/Ⅴ.(木)2015 はれ
しょこたんは雨女で、爆笑問題の田中も雨男。
二人で降水確率0%の沖縄にロケに行ったら、見る見る晴れ間に暗雲たちこめて台風が来たという逸話がある。
しょこたんのライブやバスツアーはいつも雨だった。
それが、いつからかしょこたんは、雨女じゃなくなった。2日間快晴だったし。
4公演ラスト。WOWOWの放送が入ってた。
開演前にファンの代表からメッセージカードが座席に配布されて。アンコールの際の「おねがい」。
そう言えば、しょこたんと言えば、アンコールの際に、客席が「空色デイズ」を歌うのが定番だが、
昨日の夜の部は一切、「ソライロ」のコールがなかった。
これは、今回、僕もすごく思ったのだが、客層が変わったのだ。しょこたんが雨女じゃなくなったように。
今回の記事では、そこを少し掘り下げてみたい。
4公演をやり通したしょこたんは感動して、「ぼっち卒業」宣言をした。
10代はひきこもりで、ぼっち星に生まれたと思わないとやってこれなかった。
20代はライブ。皆との出会い。夢がかなった。
30になり、この2daysたくさんのファンとゲストに囲まれての、ぼっち卒業宣言、だ。
でも、これ大丈夫かな?
ファン、離れないのかな?
「もうオレ(ワタシ)はいらないのね…」みたいな。
でも、今日の様子を見ていたら、それもないね。
皆、しょこたんの自己実現に我が身を投影してみているみたいだし。
特に20~30くらいの若い女性ファン、それも非オタクっぽい普通の感じ、が多かった。
しかし、年を重ねたアイドルに若いファンが新たにつく、というのは珍しいことだと思う。
今日のファン代表からのメッセージは、昔を知らない新しいファンが外来種のように増殖してる危機感ともとれる。
なぜ、しょこたんなのか?
その鍵は、「今を生きる」ではないだろうか。
精神医学的には、我々は、今を生きる、のを前提とすると、過去に生きる人を、うつ、未来に生きる人を、不安と定義する。
うつ、の人は時間軸が過去へと向いてるから、何でも「あの時ああしとけば」「あの時ああしなかったら」と発想する。
一方、不安な人はそのベクトルが未来へ向いてるから、「この先どうなるのだろう」「こうなったらどうしよう」と、
先取り不安になる。
だから、精神科医は「我々は今を生きるんです!」と言うが、
その背景には「過去があるから今があり、今をしっかり生きることが未来に繋がるのです」ということがセットなのです。
しかし、今の若い人達(若くない人もそうだが)は、今を生きるのが精一杯で、過去も未来もみてる余裕がない。
「今を生きる」のではななく、「今だけを生きている」。
今回の2daysで、予定調和的に結論めいたものは、
水木一郎の言う「今が一番楽しい」(水木はしょこたんの倍の年)、
小林幸子の言う「年をとればとるだけ楽しい」、
「しょこたんは、今を一生懸命生きてるから素晴らしい!」は非の打ち所がなく、
ゲストにその点をリスペクトされ、「年齢なんか考えないで!」と激励されて、
(これだけ、30、30、とあちこちに書いてあるから、それはそれで矛盾してて面白かったが)
「いつまでも自分らしく」「好きなことをして」みたいなことを言われていた。
そんな生き方の啓蒙が、どうも腑に落ちなかったのだが、これが実際にはスムーズに受け入れられていて、
オタク系ファン代表が警告を出す程、ファンは新陳代謝されていて、
それも若い女子が多くて、ある種、「しょこたん的生き方」みたいなものに皆が惹かれ出している。
これは危険なものを背負わされることになるのではないか?
そんなことしたら、しょこたん、おなか壊しちゃうぞ。
そんな「自己実現」とか「ぼっちが陽の目をみる」とか「こんな私だって、いつか報われる」なんてサクセス・ストーリーは、
AKBの指原さんとか、でんぱ組にまかせておけばいい。
しょこたんが背負わされて走らされようとしてる道の先に、言っとくけど、水木や幸子はいないぞ。耳など貸すな。
そんなものを、しょこたんに背負わせてはいけない。オレが阻止する。
今回は、しょこたんの30才のバースディ・ライブのレビューだったが、実はしょこたんは、32、という数字を何度も口にしていた。
32、はしょこたんがとても大切にしてる数字で、敬愛するブルース・リーが死んだのが32才。
そして、しょこたんの父親が死んだのも、32。
もう正直、今回でしょこたんのコンサートはやめようと思っていた。
去年のバスツアーは、ベルハーの2ndワンマンと日程がダブり、ベルハーをとってしまった。
しょこたんは、ぼっち卒業、だって言うし、もう見届けたと一瞬思った。
しかし、何やら雲行きがおかしい。
今回、ライブで流されたVTRで、中川翔子の歴史みたいなものを振り返る映像があったが、
それをみたしょこたんの感想が、「走馬灯」。
走馬灯、って死ぬ時にみる、思い起こすものの表現じゃん。
にわかによぎる悪い予感。しょこたん、32才、死亡説。
僕はしょこたんの応援をここで一区切りにしようと思っていたのだが、33までは見守ろうと思い直した。
33、って女の本厄じゃん。
BGM.中川翔子「愛いっぱい、せいいっぱい」
つづく


談志生誕80周年、パート2

14:00くらいに終わったから、一階下のお好み焼き屋で、コースとボジョレーヌーヴォーを頼んだ。
解禁後3日目らしい。
奥まった席だったが、僕の近くの席には、美人の女とその子供(小1、聞いた)と安岡力也みたいな男が3人で、
和気あいあいとしていた。
どんな関係かはどうでもいいが、うるさい。
そのうち、ガキが、「これ食べるとウンチになるよ」と笑って、何度も連呼している。
小1には、ウンチ、というタームが面白いみたいで、はしゃいでいる。
大人たちはそれを注意しない。
昔、高倉健の任侠映画を観終わった客が肩で風切ったように歩いて行くのと同じで、
僕は、談志まつり、のあとだからか、ボジョレー2本目だったからか判らないが、
その席にまで寄って行って、大人は無視して、子供の目をジッとみて、
<坊や、食べ物屋さんで、ウンチ、なんて言っちゃいけないよ。僕は不愉快な気分になったよ。
あとね、もっと大事な事、それ、つまんないよ>と言った。
安岡力也(似)は、拝むようなポーズですまなそうに謝って、美人は無言で子供を連れてトイレ(?)に消えた。
やっと静かになったかと思ってたら、安岡力也(似)がウエイターにお水を注文して、お店の人が持って来たら、
力也はどうやら常連みたいで、「今日、混んでるね。どうしたの?」と聞いてて、
そうしたら店の人が、
「上で談志さんの会があったんですよ」と答え、そうしたら力也は、「談志かぁ…」と天を仰いだ。
立川談志はみんなの心に生きている。
でもさ、1番話が通じたのが、この小1の子で、ひょっとしたら、この子はこの場を壊したかっただけなのかな、と思ったりした。
BGM. 荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」


充電期間

16/ⅩⅡ.(土)2016  明日は12月の定例会、今月の定例会は忘年会!
クリニックの受付は、今、大平さんと(ソネ)さんの2交替制。
それに加えて、音叉問題の余波もあり、今、新患さんをストップしているので、この頃は待ち時間も少ないでしょう?
それを一番実感しているのは、僕です。
朝9時にスタートして、昼休みをきちんととれ、夜9時に終わることさえある。
そんな日は、すごく楽。
でも、よく考えたら、これがフツーなのかも…
今はカワクリも僕自身にとっても充電期間。
年末年始ということもあり、催し物やイベントが多く、お出かけの機会も増える。
明日は、カワクリの忘年会。
月曜は、志の輔「歓喜の歌」。
祭日は、昼が志らく「芝浜」、夜はベルハーのライブ。
クリスマスも、ベルハーのライブ(あれば)。
最後の月曜は、志らく「シネマ落語」。
大晦日は、ベルハーのライブ(あれば)。
年が明けて、2週目はミュージカル「わたしは真悟」。
3週目、小朝&昇太の春風亭二人会。
4週目、さくら学院「公開授業」、談春「居残り佐平次」。
5週目、志らく&志ら乃親子会。
2月は、1週目がお笑いライブ。
2週目が、当たれば、さくら学院。
3週目は、大学の同窓会。
と、このように予定の詰め込み過ぎが目立つ。
応募する時は、「want~したい」で購入したチケットが、
ライブ当日には、「must/should~しなければならない/すべきである」の気持ちにスイッチすることが多い。
気分転換のはずが義務に変わってる。
コレクションを完全コンプリートする時のモードと似てて、まるで毎日が仕事みたい。
この現象を僕は、「ライブ当日の行きたくない症候群」と名付けて、ひとり、おびえている。
BGM.吉田拓郎「純情」


11月はおとなしくしてよう⑮~さくら学院祭・続

14/ⅩⅠ.(月)2016 
昨日の、さくら学院祭、のオープニングは、まさかの夏にやった舞台「秋桜(しゅうおう)学園合唱部」のパロディの寸劇で
始まりました。
これは、さくら学院の制服ではなく、セーラー服だから新鮮です。
11月3日にDVDが発売されていますが、今は売り切れで追加生産中です。
秋桜学園は、人里離れた田舎にある由緒正しいお嬢さん学校で、規律の厳しい寮生活を送っています。
そこに破天荒な少女が転校してから巻き起こるドラマで、「イジメ」が原因で廃校の危機にある学校を、
女生徒達が合唱部を立ち上げ、コンクールを勝ち進むことで学校を救うというストーリーです。
僕はこの舞台を観た時、映画「野のユリ」を思い出しました。
「野のユリ」は母が好きな映画で、子供の頃、何度も何度もテレビの洋画劇場で放映されていました。
その都度、母は、「野のユリ」は良い映画ねぇ、と感嘆していました。
それはこんな話です。
その街にやって来た風来坊を、始めは教会のシスターは嫌っていました。
ところが教会が何かの圧力で潰れされそうになった時に、その男が中心になってシスター達と合唱団を作り、
人々の関心を集め、歌で教会を守るというお話です。
11月3日が「秋桜学園合唱部」DVDの発売日、11月5日が母の誕生日です。
今日の休みを利用して、「秋桜学園合唱部」と「野のユリ」を2本続けて観てみようと思いました。
ところが、うちには2台ブルーレイ・レコーダーがあるのですが、なんと2台ともディスクの再生が出来ません。
ケルト民族やアメリカ・インディアンは、先祖の魂は亡くなった後でも、身近な者のそばにいて、
身近な物に宿って、しるし、を送ってくれると信じていたと聞きます。
母が、何かを伝えているのでしょうか?
現代は昔のように足で映画館を回ったりしなくていいような便利な時代になりました。
その分、「いつでもみれる」、と、「その瞬間」を大切にしなくなったのかもしれません。
母は、「その時その時を大切にしなさい」、ということを伝えたいのでしょうか?
そう言えば、中学でブラバンに入ったら、先輩から最初に教わったのは課題曲のレコードの聴き方で、
「いいか、川原、これを1回しか聴けない、と思って聴けよ」とレコードを渡された時に言われて、
僕は今でも言いつけを守って、そうやってアイドルのCDの新譜などを聴いています。
「野のユリ」ですが、機械が動かないので仕方がないから、ネットであらすじを調べてみたら、
僕の記憶と全然ストーリーが違っていました。
だから上に書いた「野のユリ」の筋は間違っています。「秋桜学園合唱部」も違うかも…。
こういう間違いは、何故起こるのでしょう?
多分、フィーリングで覚えてるからで、細部は自分の知ってる他の作品を組み合わせて構成してるからなのでしょう。
人間の心の営みではよくあることなので、あまり気にはしないようにしています。
それより、ブルーレイを直さなきゃ。


11月はおとなしくしてよう⑭~さくら学院祭

13/ⅩⅠ.(日)2016 今日は舞浜
クリニックは今、カードキャプターさくらフェア展開中です。↓。


さくら、と言っても、さくら違い、今日は、さくら学院の文化祭に行ってきました。舞浜アンフィシアター。
ここは、しょこたんの30才のバースディをやった僕にとっては聖地です。
円形のコロシアムで、どこからでも見やすいです。
僕は、しょこたんの4公演を(2日間2公演づつ)別の席から観てるので実証済みです。
そんな僕の席は、A2列。しょこたんの時もそうでしたが、1列目には人を入れないので「2列」というのは最前列。
日頃の行いが良いのだ。運はこういう所で使いたいものだ。↓。


さくら学院のライブはスタンディングは禁止。皆、着席したまま応援用のフラッグを振る。下が、フラッグ。↓。


僕は最前列だから一生懸命に旗を振ろう。
こないだ友人(女)が好きなアーティスト(男)のライブへ行ったら最前列だったそうだ。
彼女はレアなグッズやTシャツで完全装備して行って一心不乱に応援したら、それにエキサイトしたアーティストが、
ステージ上から手を伸ばして彼女の頭を抱えてギュッと自分の胸に抱き寄せてくれた、という話を聞いたばかりだ。
あわよくば僕も同じ目に…?
さくら学院のステージはメンバーが動き回るから、全員のメンバーが交代で目の前に来てパフォーマンスをしてくれる。
外タレのコンサートなどでは座った席運で、「ずっとベーシストしか見えない」なんて悲劇もあるが、それがない。
至近距離で全員のメンバーを観たのだが、中でも、さすが、倉島 颯良、と、岡田 愛、のオーラは別格だった。
彼女らはステージ上からのぞきこむような姿勢でこちらを見て、目と目が合ったら、ニコリと微笑む。
手を伸ばせば届きそうな距離だ。嬉しさ(?)を通り越した。と・ま・ど・い。ドキドキ。
少女には無条件に「正義」があるらしく、彼女らは絶対的な自信を持っている。正直、ちょっと怖かった。
山道で熊に遭遇したら、下に逃げるのではなく、上に登れという。
そうすると熊より目線が上になり、熊は自分より大きいと勘違いして逃げて行くそうだ。
そんなエピソードを思い出して、後日、大平さんに話したら、「じゃ、センセーが、熊ですか?」と笑われた。
スタンディングは禁止、にはそういう効果もありそうだ。
太宰治の「女生徒」の一節ではないが、もしこの中から誰か一人を選んで結婚しなくてはならない、としたら…、
などと考えたら、僕は、新谷 ゆづみ、にします。
彼女は僕の好みの風貌で、かつ、前に立たれても心に非侵襲的だったからです。
下は、当日の販売グッズの生写真。左から、2番目が、新谷 ゆづみ。↓。


文化祭は、寸劇で始まり全員での歌の他、部活ごとの歌もあったが、中でも、面白かったのは、「さくらデミー女優賞」。
6人のメンバーがエントリーされていて、ラブコメっぽいシチュエーションに合わせて、男がグッと来るセリフを
(女でも可)各自が考えて、女優になりきってセリフを言う大喜利風の好評企画だ。
ちなみに男役のセリフは会場の観客が全員で声を揃えて(揃わない)担当する全員参加型。
お題のシチュエーションは、
ヤンキーにからまれてるところを先輩が助けてくれる。ところが先輩はヤンキーにボコボコにされる。
そこに駆け寄って、「センパイなんでそんなに無茶をするんですか?」とメンバーが言う。
すると先輩(観客)が、<それは、俺はお前のことが、す…す…なんでもねぇよ>と答える。
ここまでがシナリオ。
それを受けて、どんな歯の浮くようなフレーズを言うかを競い合うのだ。
そこで何が面白かったかと言うと、コンテストの形式をとっているから、一人づつが前に出て演じる時に、
残りのメンバーは後ろで待機して、順番の子のセリフを聞いているのである。
僕は席がステージに近かったので、センターで演じてる子より、残りの5人のリアクションがよく見えた。
後ろに控えてる彼女たちは、「off」で、スクリーンにも、セリフを言う順番の子のアップしか映らない。
つまり、後ろの彼女らの「素の顔」が見えたのだ。
それは、たとえば、ある者は「キャー」って叫んで嬉々として両手で自分の頭を抑える、とか、
ある者は、凍えるように自分で自分を抱きしめるようなポーズで目を閉じたまま俯いて顔を左右に振る、とか、
ある者は隣の者と手を取り合って地団駄を踏む、とか、
ある者は幼稚園のお遊戯の小鳥のダンスのように両手を羽の様にして、チュンチュンと飛び跳ねる、とか。
しかし、彼女らは、アイドルだ。
だからファンに見られてることを意識してステージに上がってる訳だから、その時点で「素」とは言えない、とも言える。
しかし、そこは反論したい。
お笑い芸人の誰かが(フジモン?)、アイドル全盛期の小倉優子のことを回想して、こんなエピソードを言っていた。
それは公開番組の収録で、お笑い芸人が下ネタを言ったら、小倉優子は大笑いしたのだが、
カメラが小倉優子の顔をとらえた瞬間に、不機嫌そうな表情に切り替えたそうで、そのタイミングがバッチリで、
「この子は、プロやわぁ」と思ったそうだ。
そんな、「公開番組の収録中に小倉優子が下ネタで笑う」、を「素」だとカウント出来るのなら、
さくらデミー女優賞のこの子らのリアクションも同じ次元のものとして「素」と呼んでも許されるのではないだろうか?
つまり何を言いたいかと言うと、「素」の顔が見れて良かった、というお話でした。
BGM.さくら学院「目指せスーパーレディー2016」