2/Ⅲ.(木)2017 雨 かまやつひろし死ぬ
友人が病気になった。「誰にも言うな」と云うから<分かった>と答えたら、「ブログにも書かないで」と念押しされた。
ん?これは、「あえて書いて!」というフリなのか?ダチョウ倶楽部的な。
ま、期待値(ギャンブルで掛け金に対して戻ってくる見込みの金額をあらわしたもの)を考慮して、一応、ふせておこう。
確率は低いけど、当たるとデカそうだから。
こないだ会った時に友人は「リリーズのコンサートに行った」と自慢していて、「相変わらず可愛かったよ」と言っていたから、
何かの機会に、僕の持っている「好きよキャプテン」のシングルレコードでも見せて、薬師丸ひろ子のように、<元気を出して>、
と言ってあげたい。
時の経つのは早いもので、もう3月ですね。やおい、じゃないよ、やよい、だよ。
そういう訳で、今回は、3月のカワクリの模様替え、をお送りします。
クリニックに来院されてる方はとっくに気付いているはずですが、ウォーターサーバーの場所を替えました。
今までは、カウンターテーブルと90度の角度に位置していたから、端っこに誰かが座っていると使いにくかったでしょう。
それをこの様にして改善したのです。↓。

この移動に押しやられる形で、缶とペットボトルは美空ひばりの下に移りました。↓。

ウォーターサーバーのサイドには、お湯→お風呂という発想で、入浴中の忍野忍を配置しました。↓。

このポスターの忍ちゃんは、「お前さまよ、この儂と同じ絵柄のフィギュアが受付にあるぞ」と教えてくれています。
時計回りに受付の方を振り返ってみて下さい。
ここにあります。↓。

ウォーターサーバーに戻ります。
忍ちゃんコーナーには、入浴つながりで「入浴彼氏」のキモイメッセージも添えてみました。
劇場版「傷物語」を観に行った、I.さんからもらった入場記念の特典カードのコヨミンも心なしかホストっぽいですね。↓。

そんな軟派な男にお仕置きするのはセーラー戦士、ウォーターサーバー横だけに、水野亜美。↓。

缶バッジをアップで写します。
決め台詞、「水でもかぶって反省しなさい!」。
「入浴彼氏」にピッタリですね。↓。

もしも水をこぼしてしまったら、こちらのティッシュをつかって下さい。
「おそ松さん」のシコ松・ティッシュボックスカバーも配備しました。
アニメ「事故?」の名シーンを商品化したものです。↓。

薬は水か白湯で飲みましょう、というキャンペーンではないのですが、「好きな人を振り向かせる処方箋」も置きました。↓。

その下にいるのは、イカ娘。「振り向くでゲソ!!」と言っています。この処方箋と引っ掛けての「振り向かせ」ですね。
言われた通りに振り向いてみましょう。
こんなパノラマが広がります。
診察室の入口に何かいます!。↓。

ズームアップしてみましょう。
本当だ!巨大ダイオウイカがいるでゲソ!!。↓。

折角なので診察室の扉を開いて、中を見てみましょう。
診察室の内扉は、以前にお知らせしたように、石野真子シングルスコーナーになりました。
今の季節だと、「春ラ!ラ!ラ!」を思い出しますが、この歌詞は何ともおかしなものです。
それは、♪春という字は、三人の日、と書きます。あなたと私と、そして誰の日?♪と歌い出したかと思うと、
なんと、あなたを好きになる前の彼も呼んで三人でお出かけしましょう、という提案なのです。
これは僕が高校生の頃の歌ですが、当時の僕は<どんなシチュエーションだ?>と頭を悩ませました。
あの頃と比べたら僕も少しは人生経験を積んで来たから、当時は純情すぎただけかな?、と考察し直してみましたが、
それでも、やはりおかしな状況で、それを三人そろって、♪春ラララ~♪と歌う心境はいまだに理解の範疇を越えています。
昭和生まれだからでしょうか?
そう思って受付の三人(大平・ソネ・うかい)に歌詞を教え感想を聞いてみました。
そうしたら、三人とも口を揃えて、「気まずい(苦笑)」と答えてくれました。
良かった。時代のせいではないみたいだ。この歌、変だよ!でも、石野真子の最大のヒット曲なんだよなぁ。
僕は割と石野真子の出演する番組や雑誌のインタビューやファンクラブの会報を熱心にみてるファンだったが、
石野真子が、この歌詞が変だ、と言ってるのを聞いた記憶がない。
デビュー35周年記念ライブにも行ったが、そこのトークコーナーでも「春ラ!ラ!ラ!」については言及しなかった。
「私はオレンジ」という谷山裕子が提供した歌(ファーストアルバム収録曲)については、
「あの頃は何も意味もわからずに、♪私を食べて、今すぐ食べて♪なんて歌ってて恥ずかしい」、
と言って会場を笑わせたのにだ。
僕が石野真子を他のアイドル達と違うな、と位置づけてる理由のひとつはそういうところだ。
彼女は人を傷つけたり裏切ったりする発言が皆無なのだ。
いまや主流ともいえる、当時のぶっちゃけトーク、や、全部言っちゃうね、みたいなことを一切しない。
倉田マリ子と双璧をなす、芸能界口の固い女、と言えるかもしれない。
あれ、倉田マリ子は濡れ衣だっけ?
石野真子コーナー。↓。

診察室の皆さんが座った正面、僕の背後には、山口百恵ちゃんのLPを飾りました。
上が、山口百恵15才、今のベビメタ、ゆい&もあ、の方が年長です。
下が、山口百恵20才、今の元・ベルハー、みずほ、と同い年です。
なんでしょう、このベテラン感。さすが、昭和と寝た女、ですね。↓。

意外と死角というか、皆さんが目にしないのは、後ろの正面です。
そこにも、シングル・ジャケットを貼り直してみました。
良かったら、見てみて下さい。何か知ってるの見つかるといいですね。↓。

当時は娯楽が少なかったのと、レコード業界に活気があったから、皆、やたらとレコードを買っていました。
友達の家に行くと、本棚とレコードラックをチェックし合い、そこでヒエラルキーが決まったりしました。
いつの世も例外はいて、高校時代の同級生・マル君、は高1の時点で一枚もレコードを持っていませんでした。
彼は僕のレコードラックをみてビックリしてましたが、僕はレコードを一枚も持ってないマル君に驚きました。
僕らは都内の私立の男子校に通っていて、そこには神奈川や埼玉や千葉から通う子も多かったです。
マル君、も結構、遠くから通っていました。
「マル君は、生まれてから一度も本物の海を見たことがない」という噂が学園中を飛び交ったこともあります。
僕が流したデマです。
そんなマル君が高校卒業間際についにレコードを買います。
当時は、秋葉原の石丸電気3号館がレコードセンターで、今で言うタワレコみたいな存在でした。
僕は、マル君がレコードを買う場面に立会いたくて同行(尾行?)しました。
そして、マル君の選んだ一枚とは、クリスタルキングの「大都会」でした。
下が、シングルレコードのストック。↓。

歌謡曲の思い出と言えば、高3の時、何かの拍子で、ツッパリ達のグループと一晩明かすことになりました。
はじめは、皆、不良自慢をしていました。
当時の時代背景は、金属バット事件とか校内暴力、学校の廊下をバイクが走る、駅で不良高同士が喧嘩をする、
などが日常茶飯事だったのです。
しかし、夜も更けて来ると、まるで歌声喫茶みたいに(行ったことないけど、歌声喫茶)皆が歌を歌い出し、
当時流行っていたオフコースの「さよなら」とか「眠れぬ夜」(西城秀樹バージョンもあり)を
ツッパリ達が歌っては、皆が涙を流して、口々に、
「俺たちにも、金八先生がいればこんなにはならなかった…」みたいなことをほざいてて、あきれた。
だから、
<武田鉄也がトルコ風呂(ソープランドのこと)へ行ったら、トルコ嬢(ソープ嬢のこと)が、
「え~、なんで金八先生がこんなところに来てるの~?」と泣き出してしまい、困ってしまった武田鉄也が、
「あれは~、仕事だから~」と言ってなだめた>というエピソードを話したら、一斉にツッパリ達から睨まれて、こわかった。
下のレコードを貼ってくれたのは、受付のソネさんで、ソネさんは「初恋」が好きだそうです。
ソネさんは、三田寛子バージョンも知っていて、さすが!、知ってることは何でも知っていて、
知らないことは何も知らない人です。
あっ、リリーズの「好きよキャプテン」が登場しました。友人に電話して知らせよう。
薬師丸ひろ子みたいに、「もしもし、私、誰だかわかる?」。↓。

中学時代、ブラバンで同期だった、おんだ君は、太田裕美の大ファン。
おんだ君が言うには、「太田裕美の水着写真は、この世に絶対、存在しない」。
<絶対、ってものはこの世にないだろう?>と僕が言うと、おんだ君はムキになって、「もし在ったら100万円払う!」って。
100万円って価格設定が、中2っぽい。
そこで僕は100万円ハンターになり、色々調べてみたが、太田裕美の水着写真は確かになかった。
そこは僕も中学生だから、負けず嫌いで、太田裕美の顔写真を切り抜いて、外人のヌード写真の顔の部分に貼り付けて。
作った合成写真は、今でいうアイコラ。我ながら良い出来で、お色気たっぷり。
おんだ君も気に入ってくれたらしく、「青い海と空のコントラストがキレイだね」なんて言ってさ、100円で買い取った。
100万円が100円に。
そんな、おんだ君の部活での政治力は絶大で、高吹連の自由曲に「赤いハイヒール」を選ぶよう、顧問や幹部に働きかけ、
僕らはコンクール(中高一貫校は中学生も出ていい)で、それをやった。
僕はホルンで、おんだ君はフルートだった。
「赤いハイヒール」はその時の練習用に買ったシングル。
「ブルースカイブルー」と「よろしく哀愁」は、ずっと不倫の歌だと思っていた。
今回歌詞を読み返したら、必ずしもそうとは限りませんね。
でも、そんな風に中学生に勘違いさせてしまうような歌が、堂々と歌番組でアイドルが歌っていたのだから、
鷹揚というのか、世の中の懐の深さというのか、あそび(この場合、ブレーキのあそび=余裕、に近い)があった。
女遊びは芸の肥やし、なんてテレビで皆言ってたけど。今だったら、大バッシングですね。
勝新が今の時代に生きていたら、どうなるんだろう?
勝新、芸能界追放かな?
それとも、世間の芸能界の見方が変わるのかな、ありゃ特別だ、って。
去年の一連の芸能界の「ゲス不倫騒動&報道」について、勝新の意見聞きたいな。
守護霊インタビューが出来る人、勝新の本、出してくれないかな。俺、買うけど。
桂木文は「ムー一族」で郷ひろみの恋人役をやっていたから、郷ひろみの隣にしました。
「短編小説」は、「ムー一族」の挿入歌で、さだまさし、の作詞作曲です。
さだまさし、は当時人気で、一方でタモリが深夜放送で、さだまさしの悪口ばっかり言ってました。
僕も世代的には、どストライクです。百恵ちゃんの「秋桜(こすもす)」も書いてますしね。
立川談春は僕と年齢が近いから、談春は、さだまさしの大ファンらしい。
談志が死んでから、談春は、さだまさしと二人で落語会をやっていた。談志が死んでからね。
生きてるうちにやってたら、破門だろ(笑)。↓。

立川談志にとっての歌謡曲とは最も新しくて、「津軽海峡冬景色」までだそうです。
弟子の志らくにとっての歌謡曲の最新は、久保田早紀の「異邦人」までだそうです。
下の、一番下の右から二番目が「異邦人」。
水谷麻里は、「すすめ!!パイレーツ」の江口寿史の奥さん。何故か右手だけ白い手袋ようなものをはめていた。
上坂すみれプレゼンツの「80年代アイドル歌謡曲」の選曲はかなりマニアックでした。あの子も変わった子だ。
中でも、伊藤つかさの曲では「へんネ!」をチョイスしています。これは「悲しみをうけとめて」のB面です。↓。

立川流四天王と言えば、志の輔・談春・志らく・談笑ですが、レコード盤にたとえて、
伝統を重んじる、志の輔・談春が「A面」、イリュージョン担当の、志らく・談笑が「B面」と言われています。
志らく曰く、「得てして、名曲はB面に多い」。
その代表でしょうか、薬師丸ひろ子の「探偵物語」のB面の「すこしだけやさしく」は名曲です。
ソネさんも昭和のアイドルには詳しくて、<一番好きなのは誰?>って聞いたら、石川ひとみ、ですって。
二枚貼ってみました。石川つながりで、隣には、石川秀美、を配置してみました。
その下には、聖子ちゃん。うかい、さんは、松田聖子、が好きらしい。↓。

大平さんにも、<誰が一番可愛い?>と質問したら、悩んだ末に、三田寛子、を指名しました。
受付三人の名前が出たので、ウォーターサーバーに戻りましょう。
元々、ウォーターサーバーがあった場所が移動してさびしくなったから、4人合作の絵を描いて貼りました。
良かったら見てみて下さい。
これは、奇数月に更新する予定です。1月・3月・5月・7月・9月・11月。大相撲の本場所と一緒ですね。
まずは、3月からスタート。↓。

個別にみて行きましょう。どれが誰の作品かは、ご想像にお任せします。
まずは、春と言えば、「花粉症」ですね。
ACHOO、は英語で、ハクション、の意味だそうですよ。↓。

3月と言えば、ひな祭りですね。ピカチュウで描かれています。↓。

それで思い出しましたが、今日、ひな人形を出しました。
これは僕が二十歳の頃、うちの母親が僕に買ってくれました。
思春期の男子に、ひな人形をプレゼントする母親って変わっていますね。
やおい、じゃないよ、やよい、だよ。
これを飾るために、寝釈迦動物たちを、ソネさんが移動させました。
寝釈迦サンタ以来、彼女のセンスは光ります。
今回のポイントは、ピンクの豚が、ピンクの蓮の花の中に保護色で隠れてるところでしょう。↓。

続きまして、今回のメインテーマである、3月=弥生、です。
色んな不思議な生き物がいますね。
あれ?、弥生、の文字が消えてる。↓。

上の絵の「おとうふ」とは、とうふメンタル、のことだそうです。
皆さんは、「知ったら常識」、というフレーズを知っていますか?
僕は、とうふメンタル、を、受付に説明されるまで知りませんでした。
それは、おとうふのようにちょっとした外圧で崩れやすい弱いメンタルのことを言うのだそうです。
皆さんは、知りませんでしたか?とうふメンタル。これ、常識ですよ!
…と、この様に使います、「知ったら常識」。
ちなみに、このおとうふの表情は、早番で来たら、もう既に患者さんが玄関の前で列を作ってた時の受付の表情だそうです。↓。

これは一目瞭然、僕のです。
「春よ来い」と「恋」を引っ掛けて、おめかししてるシーンです。
大学5~6年生の頃の病棟実習のイメージです。
病棟実習には、ネクタイ着用が義務づけられてましたからね。
左下の、「キャー」とは僕のペンネームで「キャーハラ」の略です。
ジェームス・ディーンが映画の中で、
「僕の名前は、ジェイミー。本当は、ジミー、だけど親しい人にだけ、ジェイミー、って呼ばせるのさ」と言うと、
ヒロインの女の子が、「まぁ、ジェイミー?面白い名前ね!」って笑うシーンからパクりました。↓。

あんまり上手じゃないから恥ずかしいのですが、この頃に僕が詠んだ短歌があります。
とっときのペイズリーのタイでも絞めて町へ出ようか春ともなれば
父は僕が大学2年の冬に胃癌で死にました。
父の形見のネクタイを僕は何本も持っていたのですが、普段はネクタイなどしません。
しかし、病棟自習はネクタイが必要なので、その時にネクタイを引っ張り出して来たのです。
その中の一本にペイズリー柄の赤と緑のネクタイがありました。
流行はよく一回転するなどと言いますが、丁度その当時、ペイズリー柄が流行していました。
ちょっと派手なネクタイなので病棟実習には着用しませんでしたが、いざという時に使おうと思ったのです。
春、とは、父が死んだのが冬だから、そのショックから立ち直るという意味もありました。
小此木啓吾先生の「対象喪失」という本の中に、大体どこの文化圏も喪に服す期間は1年、と書いてありました。
年賀状を出さない、とかね。
でも、本当の意味で受容するのは、個人差があるでしょうね。時間って、人によって流れ方が違う気がするし。
僕の場合、病棟自習の前にこの句を詠んでるから、受容するのに3年かかっていますね。
それから、春、には、いよいよ病棟実習が始まり医者に近付いてきて、国家試験に合格して、サクラサク、で、
春よ来い、という意味も込められてましたね。
そして、さっき言った「春よ来い」と「恋」を引っ掛けた、春、のトリプル・ミーニングですね。
この絵で僕がおめかししながら空想してる女の子のモデルは、受付にしました。
以前、<それ一つ?二つ?>、とソネさんに聞いたら、指を一本差し出して、「一つです」と答えたのが、
「この指、止まれ」みたいだなぁ、と思ったのが印象的だったからこのポーズにしてみました。
女の子本体は、大平さんに似せようと描いたのですが、何故か、サザエさんのカオリちゃんみたいになっちゃいました。
ソネさん&大平さんで完成してしまったのですが、うかいさん要素を使用しないのは不公平なので、
黄色いアワアワの空想のルートを、迂回、させてみました。↓。

さて、3月のカワクリの模様替えをお送りしましたが、いかがでしたか?
ついでに、僕の新しいネイルをお見せしましょう。
僕の最近のお気に入りのマンガ「デデデデ」をテーマにしました。
親指は、おんたん&門出(かどで)。↓。

残りの指は、「デデデデ」と書きました。門出側は、青。コミックス1巻の表紙を参照。↓。

おんたん側の「デデデデ」は赤。コミックス2巻の表紙を参照。↓。

そんなネイリストさんも、実家に帰るらしく、3月でサヨナラです。
おニャンコクラブの「じゃあね」の歌い出しではありませんが、
「春はお別れの季節です。みんな旅立ってゆくんです」。
彼女の実家は僕の好きなマンガの舞台で、町中の鉄がみんな錆びている田舎。
人生は、出会いと別れの連続ですね。
出会いや別れに慣れては来たけれど、ちょっぴりさびしいものですね。
下が、今月の新刊、「死人(しびと)の声をきくがよい」9巻直筆サイン入り。
早川さん、可愛いです。特に1巻の最後の話が僕の純情ロマンティックのツボです。
母の命日も3月です。でしゃばりで、過保護で、アナーキーな人だから何やら口出しして来そうな季節です。↓。

BGM. ソフトクリーム「やったね!春だね!!」
11月はおとなしくしてよう⑮~さくら学院祭・続
14/ⅩⅠ.(月)2016
昨日の、さくら学院祭、のオープニングは、まさかの夏にやった舞台「秋桜(しゅうおう)学園合唱部」のパロディの寸劇で
始まりました。
これは、さくら学院の制服ではなく、セーラー服だから新鮮です。
11月3日にDVDが発売されていますが、今は売り切れで追加生産中です。
秋桜学園は、人里離れた田舎にある由緒正しいお嬢さん学校で、規律の厳しい寮生活を送っています。
そこに破天荒な少女が転校してから巻き起こるドラマで、「イジメ」が原因で廃校の危機にある学校を、
女生徒達が合唱部を立ち上げ、コンクールを勝ち進むことで学校を救うというストーリーです。
僕はこの舞台を観た時、映画「野のユリ」を思い出しました。
「野のユリ」は母が好きな映画で、子供の頃、何度も何度もテレビの洋画劇場で放映されていました。
その都度、母は、「野のユリ」は良い映画ねぇ、と感嘆していました。
それはこんな話です。
その街にやって来た風来坊を、始めは教会のシスターは嫌っていました。
ところが教会が何かの圧力で潰れされそうになった時に、その男が中心になってシスター達と合唱団を作り、
人々の関心を集め、歌で教会を守るというお話です。
11月3日が「秋桜学園合唱部」DVDの発売日、11月5日が母の誕生日です。
今日の休みを利用して、「秋桜学園合唱部」と「野のユリ」を2本続けて観てみようと思いました。
ところが、うちには2台ブルーレイ・レコーダーがあるのですが、なんと2台ともディスクの再生が出来ません。
ケルト民族やアメリカ・インディアンは、先祖の魂は亡くなった後でも、身近な者のそばにいて、
身近な物に宿って、しるし、を送ってくれると信じていたと聞きます。
母が、何かを伝えているのでしょうか?
現代は昔のように足で映画館を回ったりしなくていいような便利な時代になりました。
その分、「いつでもみれる」、と、「その瞬間」を大切にしなくなったのかもしれません。
母は、「その時その時を大切にしなさい」、ということを伝えたいのでしょうか?
そう言えば、中学でブラバンに入ったら、先輩から最初に教わったのは課題曲のレコードの聴き方で、
「いいか、川原、これを1回しか聴けない、と思って聴けよ」とレコードを渡された時に言われて、
僕は今でも言いつけを守って、そうやってアイドルのCDの新譜などを聴いています。
「野のユリ」ですが、機械が動かないので仕方がないから、ネットであらすじを調べてみたら、
僕の記憶と全然ストーリーが違っていました。
だから上に書いた「野のユリ」の筋は間違っています。「秋桜学園合唱部」も違うかも…。
こういう間違いは、何故起こるのでしょう?
多分、フィーリングで覚えてるからで、細部は自分の知ってる他の作品を組み合わせて構成してるからなのでしょう。
人間の心の営みではよくあることなので、あまり気にはしないようにしています。
それより、ブルーレイを直さなきゃ。
11月はおとなしくしてよう⑫~疾病利得(しっぺい・りとく)
12/ⅩⅠ.(土)2016 あたたかい
今年はインフルエンザが早目に流行っているらしく、保育園とかでは学級閉鎖もあるとか。
クリニックでも、スタッフの予防接種はしています。
患者さんにはしてないので、あしからず。
インフルエンザと言えば高熱ですが、今回は高熱の話。ただし仮病。
今回のタイトルは、疾病利得(しっぺい・りとく)、です。
疾病とは病気のことで、利得は得をすることで、「病気で得するの?」って少し不思議に思うかもしれませんね。
これは難しいから専門的なことは最後に書きます。
これから書くのは、仮病の話です。仮病って厳密には疾病利得には含まれないかもしれないですが、そこは雰囲気で。
子供の頃でした。今頃の季節です。
川原家は、兄の進路か何かの話し合いがされていました。
応接間に両親と兄が入って、僕はのけ者です。
それでも、しばらくは、テレビをみたり、一人でおとなしくしてたはずです。
でも、我慢しきれなくなったのです。子供だし、寒い日だったから。
僕は何度か応接間の戸をノックしましたが、話は終りません。
よほど、大事な話し合いらしく、僕はずっと放っぽかされてました。
そして、いよいよ、どうにも我慢できず、親の気をひくため体温計で熱を測りました。
平熱でした。
そこで僕は<もう少し熱を上げなきゃ>と思い、何を思ったのでしょう、ガスコンロで水銀計をあぶったのです。
目盛を見ましたが、よく数字が見えませんでした。
でも触ると熱いから、<これで良いだろう>とそれを持って、応接間の戸をノックしました。
まだ話の途中のようでしたが、母が体温計を受け取りました。
母は、体温計を見て、仰天した顔をしました。
どうやら、直接炎に点けたから、目盛を振り切っていたみたいなのです。
母は、それを父に見せました。ちょっとあきれた顔をしてました。
すると、父はその体温計を見て、両親は一瞬顔を見合わせました。
そして、父が母に言いました。
「達二の看病をしてあげなさい」
母は僕の方に来て、何をしてくれたのかは具体的には覚えていませんが、「良い体験」として記憶しています。
僕は仮病が親にバレタのは、すぐ判りました。
仮病だと判りながら、よくしてもらえると何かが、ストンと心に落ちたのです。
僕はそれ以降、親を振り向かせるために仮病を使う事は、あまりしなかったと思います。
心の芯からの思いやりとか、思いをやる、とか、見透かしてるけど見逃してくれる、とか、親身になるとか、
愛情を感じられる体験だったから、そこに固着せず、仮病を繰り返さなかったのではないかという体験をしてるから、
すぐ「疾病利得」うんぬん、って言う人は、仮病を使う人の気持ちや、したくて仮病をしてるんじゃないよ、って
核の部分の気持ちを感じ取れてないせいで、そこが本当に共鳴すれば、案外こじれないんじゃいかと思うのだけれど。
でも、それはやっぱり、甘いかな?
プロのいうことじゃないですね。
専門家仲間から、「病気をなめてる!」って怒られるのかな。嫌だな、大人になって怒られるの。
参考文献、弘文堂「精神科ポケット辞典」より、P148「疾病利得」。
「患者が精神的あるいは身体的な疾患であることにより得る意識的ないし無意識的で心理的・現実的な利益。
病態や不適応が患者にとり心理的な安定維持の手段になっている場合を第一次疾病利得、
疾病の結果二次的に得られる現実的利益(例えば学校へ行かなくて済む、補償金をもらえる、家族に大事にしてもらえる)
を第二次疾病利得という。
本人にとっては無意識であることが多く、意図的・作為的である詐病(さびょう)とは異なる。
疾病利得はしばしば患者の病態化を促進したり、治療を困難にさせる」
11月は、父の命日と、両親二人の誕生日があるから感傷的になるのです。反省、反省。
11月はおとなしくしてよう⑧~ストーブ
10/ⅩⅠ.(木)2016
朝刊に、トランプ氏が米大統領に世界が動揺、と書いてあったが、よしだたくろうの歌ではないが、
まつりごと、など、もう問わないさ。気になることと言えば今をどうするかだ。
僕が指示をした覚えはないのだが、受付は契約された時間より早く出勤してるみたいだ。
それは歴代の人がそうだからで、そう申し送られているみたいで。
多分、患者さんの中にうんと早く着く人がいて、その人が外で待っていたのがきっかけみたいだ。
そう言えば、うちの父も似たようなことをしていた。
ある冬の日、クリニックの開業時間前に患者さんが外で行列してると噂を耳にした父は、
外は寒いだろう、と、扉を開けて患者を中に入れて、ストーブを点けて、自分は一旦家に帰って、開業時間まで家にいた。
小学生の僕は、<勝手に早く来てるのだから、従業員が来るまで外で待っていれば良いんじゃない?>と言ったが、
父は、寒そうだから、と中に入れてあげてた。結構、朝の早い時間だったと思う。
冬休み、僕は代わりに、扉を開けに行く係りを変わってあげた。
そうしたら、父からも、患者さんたちからも、大変感謝された。
僕は、こういうことは大切なんだと思ったものだ。
そういうことをスタッフに言ったことはないはずなのに、自然とそうやってくれているから不思議だ。
しかし、それには不都合なこともあって、例えば、朝の掃除がしずらいとか。
時間通りに来る患者さんが、すごく待たされるとか。
つまり、早く来てる人は受付時間前に受付を済ませている。それは、厳密にはルール違反だ。
きちんとルールを守っている人が損をして、それなら自分も次から早く来よう、という悪循環を呼び、
受付時間と言うルールが、あってないようになってしまった。
午後の受付も、2時半からなのに、午前中に診察券だけ出しに来る人もいて。
たまにならいいが、毎回だと、ちょっと。
午後の受付時間を守っている人の診察が午後4時とかになるのは、さすがに不公平だ。
だから、これは近いうちに是正するつもりだ。
あまり規則・規則とうるさく言うのは好きではないが、これは患者さんを守るために仕方ない。
と言う訳で、近いうちに受付時間の厳守の徹底をお知らせするチラシを配布します。
手書きの文をコピーします。その方が説得力があるでしょう?
その原稿も早く作らなきゃだ。
父はどうしていたのかな?
11月はおとなしくしてよう⑥~家族
8/ⅩⅠ.(火)2016
ボブ・ディランがノーベル賞をとったことにビックリしている僕はボブ・ディランに詳しくない。
泉谷しげるが「家族」というLPを出した時に、何かのレビューで、これは製作期間を考えると、
ほぼボブ・ディランのなんとかというアルバムと同時期の発想で、つまり泉谷はディランに影響されたのではなく、
同じ時期に、同じような事を考え、同じような作品を発表したのだ、ということを読んで興味を持ったくらいだ。
その頃、中学生だった僕は、何か人間の文明とか、比較文化人類学的なことを考える時の良い素材ではないか、と思った。
恐山のイタコと、沖縄のユタが、似たような側面を持っていても、地理的にも遠いし接点もなさそうなのに、
「イタ」と「ユタ」の発音が似てる、のと同じように、泉谷しげるの「家族」とディランの何かが似てるそうだ。
肝心のディランの方を覚えてなくて恐縮だが、そんな「家族」が、今日のテーマ。
僕は、たとえばコカコーラのCMのように、仲間が集まって、美味しいものを食べて、(バーべQでも可)、そういう‘場’を、
自分の家庭に作りたいと、Xmasでも盆暮れでも、行き場のない人がウチに来て、楽しめればいいな、と
ずっと小さい頃から思っていた。
こんなことを言っては、しょってるが、そういう素質はあるし、サービス精神はあるし、そういうことは好きだし努力もするから、
将来、結婚して子供を作ったら、そういう家族を作りたいな、と思っていた。
そういうお手本になるホームパーティーにも招待されたことがあるから、イメージ・トレーニングは出来ている。
結論から言うと、僕が思い描いていたものに近い形になっているのが、「カワクリ」だと思う。
まだ努力は必要だし、スタッフの熱量も大切だ。
それには、まずスタッフをその気にさせないといけないのだが、まぁ、それはいいとして。
どうして僕がそんなことを思うようになったかと言うと、僕の家は茅ヶ崎の眼科の開業医で、僕が幼い頃から周囲には、
お手伝いさんも含め、たくさんの従業員がいて、昭和40年くらいは住み込みとかあったし、常に同じ屋根の下に3~4人の
若いお姉さんと一緒に暮らしていて、僕はたくさんの大人に囲まれて育った。
その中には、19才とか20才の人もいて、僕が浪人してる頃には、そんなに年も違わないし、シチュエーション的には、
恋におちてもおかしくなかった。落ちなかったけど。受験生だけに。
愛くるしかったあの人達が今は、50~60才なんだと思うと、年齢なんて関係ないな、と思う。
ご対面番組で芸能人が子供の頃、世話になった「お姉さん」に会うという企画で、相手はもうヨボヨボなのに、
泣いて抱き合うシーンに、僕は最近、違う意味を見い出したりして、<まぁ、良いものだな>と思ってる。
僕が同窓会に参加するようになった心持ちとも共通するのだろう。
きっと死期が迫っているのだ。朝からカラスがうるさい。
さて、うちの父は、大正10年生まれの酉年だった。酉年は夜明けを告げる干支で、初代運が強いと祖母が言っていた。
父の歴史はよく知らない。
北海道にいたというが生まれはどこか知らない。
北海道って、大正時代だと海外みたいなものでしょう?
その後、戦争になって父は長男だけど、家は普通の家なのに、父は何故か医者になると言い、
満州(当時は日本)の医学部に行ったらしい。
戦争が激しくなって、父の家族は色んなところへ逃げ回るらしいが、父は家族と離れて勉強して、でも結局、日本は
戦争に負けて、満州で勉強した努力は、パー。
そして戦後、東京の大学に入り直して、勉強するけれど、その時、同級生は一回りも年が違ったと聞いた。
父は若い頃、結核になって、片っ方の足が動かなくなってビッコになっていた。
結婚も遅く僕を生んだのは40才だったから、僕は子供時代、同級生より父がうんと年寄りだから、親が死んだらどうしよう、
ということを常に考えている子供だった。
父は自分が家族と長く離れて暮らしていたから、きっと自分に関わる人には温もりのある生活をさせたいと考えていて、
従業員が多いのも、中国からの留学生を沢山とったり、自分の親戚や家族が楽しめるようにパーティーや旅行を提案して、
スポンサーになった。
子供にも教育費ばかりでなく、学校にものすごい寄付をしていた。
たとえばブラスバンドを作るための楽器一式とか、学校のグランドや遊具を整備する費用とか。
今と違って当時は節税とか開業医の経費の優遇とかあったのだと思うが、だから出来たのだとも言えるが、
別にそこにお金を使わなくてもいいのに、純粋に父は戦争で自分が味わえなかった絆や娯楽や贅沢を、
自分の家族に味あわせたかったのだと思う。
それはまるで質の良いマスターベーションのように思える。
なぜなら、父は家族旅行には一切参加しなかったから。
足が悪かったから足手まといになるというのもあったと思うし、主目的は自分が楽しむよりは家族が楽しむ事で、
家族の家族や友達が楽しむことが主眼で、眼科医だけに、そこには自分がいるのは照れがあったのかもしれないし、
経験して来なかったからどんな顔してそこにいていいのか判らなかったのかもしれない。
医学部じゃ習わないしね。
大義名分は仕事だった。当時は高度経済成長だったし、父は休まず働いていた。
夜は書斎で遅くまで書き物をしていた。論文や短歌を詠んでいたから忙しく、家族と過ごす時間は少なかった。
周りのものは始めこそ遠慮していたが、すぐに慣れるもので、そういうものだということになって、
父を置き去りにして自分達だけ楽しんでいた。父は大阪万博も行ってない。
しかし、そんな父の性格は大正生まれだし、頑固で気が短く、まるで当時流行っていたドラマの「おやじ太鼓」のようだ。
すぐに怒っていたから僕は父が嫌いで、「こいつは金だけ稼いで、死ねばいいのに」とか思っていた。
ひどいと言われれば、ひどいものだ。
小学校の同級生の三上君や内藤君のお父さんは男らしくてかっこよく僕にもよくしてくれた。
その家の家族旅行に連れてってくれてキャンプとかカブトムシをとる体験とかをさせてくれた。
あの頃の他人の家のお父さんは家庭的だったから、それは時代のせいじゃなくて、やっぱりウチが変だったんだと思う。
僕は末っ子だったから、結構、俯瞰的に家のことを見れていて、父の葛藤もみていたと思う。
兄は父の跡を継ぎ眼科医になって医者としてのアイデンティティーを引き受ける重責だ。
僕は父の願いである、兄弟で眼科医になって、父と3人で医院を大きくする願いを無視した。
つげ義春の「ねじ式」じゃあるまいし、そんなに目医者ばかりいてもしょうがない。↓。

父は僕が浪人してる頃に胃癌が発覚して、リタイアを余儀なくされた。
僕が父とまともに喋れるようになったのは、その1年で、父は仕事に出れない体力で、僕は所属する学校がないから、
顔を突き合わす時間が出来たのだ。
その後、父は死ぬから、現役で大学に受からなくて良かったと思う。
現役で受かってたらどう思っていたかは判らないが。
「癌とは、未練の整理に良い物だ」、と言ったのは立川談志で、僕と父はその1年は色々な話をしたものだし、
父は僕の服を真似したり、僕のタバコの銘柄を真似したり、本当は病気にタバコはイケナイけれど、
不器用な父からの息子へのせいぜいの歩み寄りだったのだろう。父が死んだのは、その2年後くらいだ。
僕は精神科医になった分、家庭人としての父が出来なかったリベンジを任されてるような気になっていた。
しかし、実際蓋を開けてみたら、DNAとは怖いものだ。
僕の子供が子供だった頃、僕は子供専門の病院に勤めた。
すると、自分の子供の運動会と、病院の行事の運動会が同じ日で、僕は病院(仕事)をとってしまったり、
家族と離れて病院で生活してる子供(患者)たちのために、1年365日、病院に出て行った。5年くらい続けた。
結果として、僕は父と同じだ。ひょっとしたら、父の悲哀をいつも近くでみていたから、心のどこかで父を乗り越えると、
父が一人ぽっちになってしまうと情けをかけたのかな。
つまり、父が成し遂げられなかった、心の豊かな生活とは何かをみつけて成就することを躊躇したのかな。
父はビッコだったから歩くのが遅くて、家族で移動する時、みんなスイスイと行ってしまい、僕は前とはぐれないように、
そして後ろの父を気にして振り返って歩いた記憶が生々しく、僕は今でも団体で行動する時に、後ろの人がついて来てるか、
気になってしょうがない。
クリニックの開業当時は10年前だから、今の僕とでは体力が全然違う。
初期設定で昼休みを1時間としたのは、仮に午前の診療が長引いて昼休みがなくなっても大丈夫、という自信。
<ノンストップで12時間は働ける>、と豪語していた。
気の狂った発言だが、当時誰もそれをおかしいと言わなかった。
仮に、「無茶ですよ~」、とやさしい人が言ってくれても、僕は平気で無視してたと思うが。
それが最近、体にこたえるようになった。
身近な同業者は、「きっちり2時間昼休みをとる。その間、入口は閉める」、と忠告をする。
<なるほどなぁ>、と近頃思うのだが、開院当初にそんな事を言われてもバカにして相手にしてないのだから、
今更、宗旨替えも出来ないし。
季節の変わり目もあるし、天候の寒暖差もある。年のせいもあるし、体力にひびく。
開院時と同じペースでやってるのは、さすがにこたえてくる。
だけど幸い頭はまだ回る。あと10年はもつと思う。
アントニオ猪木がストロング小林戦の試合後に、
「こんな戦いを続けていたら10年もつ選手生命があと3年で終わるかもしれない。それでも私は戦う!」と言った。
燃える闘魂だ。それに結局、猪木以外は皆死んでるし、猪木だけ長生きだし。これでいいのだ。
しかし、先週は本当に疲れて、診察の合間に<このまま死ぬんじゃないか>と思った。
大和言葉では、「疲れる」と「憑かれる」は語源が一緒だというから、何か悪い者に「つかれた」のかと思い、
エネルギー療法の先生に、重点的に手当てをしてもらい、何とかしのいだ。
堺正章のお父さんの堺駿二はコメディアンの鑑で、舞台の上で死んだ、という幻聴が診察の合間ごとに聞こえてきて、
<俺はここで死ぬのか…>と覚悟を決めた一週間でした。
11月8日は、父の命日。こんな記事を書いたりするのも、季節のせいならいいんだけれど。
BGM. よしだたくろう「風邪」
11月はおとなしくしてよう②~主任教授の土産
6/ⅩⅠ.(日)2016 不動前で呑む
僕が医者になったばかりの時の主任教授の息子から、デューラーの「メランコリア」の版画の複写をもらった。
この絵はかねてから僕が目をつけていて、教授にどうやって入手したのかを手紙に書いて質問したりしたから、
その回答としてこれを下さったのだ。
裏には、川原達二先生へ、と直筆で先生のサインと日付もある。ありがたい。
デューラーの「メランコリア」は、人間はすべての欲しい物が手に入ると、憂鬱になる、という意味深なモチーフで、
色んな成功の象徴が、天使の祝福とか完成された魔方陣とか、散りばめられていて、謎解きして行くのが面白い。
憂鬱になるくらい、すべての物を手に入れたいものだ。…本当か?(自問自答してみました)
昔、ハンク・アーロンの記録を抜いた頃、週刊ベースボールのインタビューで、王貞治が、
「好きな歌は、梓みちよの『メランコリー』」、と答えていたのを何故か忘れられない。
BGM.梓みちよ「メランコリー」
11月はおとなしくしてよう①~母の誕生日
5/ⅩⅠ.(土)2016
前の記事に書いた、「湘南少年将棋大会」と同じ頃、桜木健一の「柔道一直線」がブームでした。
僕はいとこ(6つ上、男)と兄(4つ上)と3人で、「湘南少年柔道大会」をしました。
そこでは僕は3位でした。つまり、いとこと兄に柔道ゴッコで負けた訳です。
しかし、その頃の僕は負けず嫌いで、すぐに「第2回湘南少年柔道大会」を企画しました。
体格差で劣る僕は、まさに窮鼠猫を噛む、で投げられる瞬間に相手に噛み付いたのです。
兄貴は、「イテテ、イテテ~よ…」と、バナナボート、みたいに言いました。
いとこは、「タッちゃん、柔道で噛むのは反則だよ」と言いました。
僕がションボリしていると、いとこは、「でも、プロレスなら反則は5秒以内はOKだよ」と啓蒙してくれました。
プロレスラーには、噛み付きを得意技にしてる、ブラッシーという選手がいることも教えてくれました。
僕はそんな素晴らしいルールがあるのか。
清濁併せ持つのが人生だ(使い方、合ってるか?)
プロレスの方が柔道より人生向きだと思いました。
そんな頃です!テレビアニメ「タイガーマスク」が始まりました。
それ以来、僕はプロレスの魅力に取り憑かれ、梶原一騎イズムや、猪木の過激なセンチメンタリズムなどの、
相手がどんなにルール無用の悪党でも、フェアプレーで切り抜けて、こちらは正義の技で勝つ、という男の生き方が
人格形成の核になりました。
もっとも、どうしても我慢できなかったら、千倍返しの反則をしても良い、というオプションもついてます。
今日、11月5日は母の誕生日。
だから、ここ何日かは母との心暖まるエピソードや、親孝行風のちょっと良い話しを色々と考えていたのだけれど…
結局、アントニオ猪木の話になってしまいました。いのきの母A、なんてダジャレを猪木が言いそうですね。
昔、「傷だらけの天使」というドラマで、ショーケンと水谷豊が1枚だけレコードを買って良いことになりレコード店へ行き、
ビートルズやストーンズやベンチャーズやJAZZやら何やかやを嬉々として見比べて嬉しそうにチョイスする場面から、
一転して、2人は部屋に帰っていて、腕組みをして、首をひねって、レコードのターンテーブルを凝視しながら、
「どうしてこれを選んだんだろう?」とつぶやきます。
背後に流れてる曲は、浪花節、でした。
あまりに考えすぎると本来の趣旨から遠ざかってしまうということはよくあるもので、それと良く似た母の誕生日の記事でした。
BGM. 遠藤ミチロウ「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」
甘くて冷たい、アイスクリーム
27/Ⅹ.(木)2016 今日は秋晴れ。
前々々回の「夢の展覧会」に2回登場した、アイスクリーム・ベイビー、は大学の同級生。
性格が悪く、意地悪だから、顔の一つ一つのパーツの作りは良いのに、
ファッションセンスがダサいから、「好きな子」とか「ルックス」という文脈で語られることが稀有な女子だった。
それでも彼女は僕にはやさしくて、僕が授業をサボってるとプリントを1枚余計にとっていてくれたり、
「川原くん、サボりはダメ!はい、プリント。面倒かけさせないでよね」とか、
「これ昨日の分のノート。貸すからさっさと写して。それ以外の目的に使わないでよ」などと、
ツンデレなどいう用語が存在する前の20世紀の終りに、立花みさと級の輝きを放っていて、
僕は「甘くて冷たい」から「アイスクリーム・ベイビー」というあだ名をこっそり付けていた。
略して、アイス、と呼ぶこともあった。
アイスは、勉強がとても良く出来た。
僕は精神科医になるため医学部に入学したから、目的が明白な分、それ以外の授業は無意味に思え、
従って、モチベーションが上がらず、パフォーマンスは下がった。
医学部は6年制、僕は毎年スレスレの成績で進級をした。
国師を通れば良いのだ。それまではビリでも良いから、まず進級、と目標を低目に設定していた。
大学4年の時、いよいよ、僕はピンチで、<もうダメかもしれない…>とあきらめかけた。
そして僕は現実逃避。
<将来は、アイスクリームと結婚して、ヒモのような生活を送ろう>と思った。
アイスにそう打ち明けてもみた。
すると、アイスは真顔で僕のノートに、
「めざせ、タッちゃん、BSL」と書いた。
これは当時、流行っていたマンガ(アニメ)「タッチ」のヒロイン・南ちゃんが主人公の達也に、
「めざせ、タッちゃん、甲子園」と書いて部屋に貼るシーンのパロディだ。
BSL(ビー・エス・エル)とは、ベッド・サイド・ラーニング、の頭文字で、5年生になると出る病棟実習のことだ。
つまり、アイスは、「一緒に5年生に進級しよう」とエールを送ってくれたのだ。
アイスは模範生だったから先生達のウケもよく、
「もしBSLに上がれたら同じ班になれるようにお願いしてみる。川原くんの面倒みなきゃだものね」と微笑んだ。
そして僕は頑張って、元々、やれば出来るタイプだから、目出度く5年生に進級した。
しかし、BSLは別の班。
アイスに、<同じ班になれなかったね>と言うと、
アイスは、「川原くんと同じ班になんかなったらお世話係で大変よ。あーあ、良かった、良かった」と底意地悪く
そっぽを向いた。
当時、「IT’s」という清涼飲料水のCMに、オードリー・ヘップバーンが「ローマの休日」の髪を切るシーンで登場した。
僕は髪を切ったあと、鏡に写った自分の姿を左右に振って確かめるオードリー・ヘップバーンの美貌が、
アイスに似てると思い、「アイス、オードリー・ヘップバーンにそっくり説」をクラスに吹聴した。
アイスは性格が悪いからクラスの皆は、アイスの外見の美しさに気付いておらず、
アイスの服はイモいから、「相変わらず、川原はおかしなことを言ってるなぁ」と口々に言い、
「この間は、トモエくん(男)のことを、甲斐智枝美、に似てるなんて言ってたし」と丸無視された。
それでも、そのあと、こっそりとクラスの目立たない奴と、暗い奴と、キモイ奴が1人づつ、僕のそばに寄って来て、
「●●(アイスの名前)は、オードリー・ヘップバーンに似ているよ」と言った。
僕は6年間で彼らと口をきいたのは、それが最初で最後で、彼らが何という名前かも知らない。
そのCMのせいか、テレビの洋画劇場でタイムリーにも「ローマの休日」が放送された。
僕は見逃したが、アイスクリーム・ベイビーは録画したという。
アイスは僕に、「みた?みる?」と言った。
僕は内心、<アイスが、オードリー・ヘップバーンを録画。自撮り、じゃん。貴重だ>と思った。
自撮り、なんて言葉、まだない頃だけれど。
そして、<みる!みる!>と答えた。
僕のアパートとアイスの実家はご近所だった。
それは僕がアイスの家の近くのアパートを借りたからで、ま、軽くストーカーですね(笑)
アイスはビデオを学校にではなく、僕のアパートまで散歩がてら届けてくれた。
なのに、その日に限って、BSLの班員がうちで酒盛りをしてやがって、せっかくのチャンスだから奴らをたたき出し、
僕はアイスと二人で僕の部屋でアイスの持って来たビデオをみた。
アイスは映画のオードリー・ヘップバーンをみて、僕は画面をみてるアイスの横顔をみてた。
アイスの録った「ローマの休日」はCM入りで、CMのたびに、アイスに、「川原くん、映画に集中!」と怒られた。
下は、昔の夢日記の表紙に貼った、CMに使われたオードリー・ヘップバーン「ローマの休日」の一場面。↓。

僕は医者になってから数年後、電車の中でバッタリ、アイスクリームに出会ったことがあった。
アイスは小さな男の子を抱っこしていた。
アイスから僕に気付き、声を掛けられた。
「この子、私の子」<エッ?>
「私、結婚したの」<エッ?>
「バツイチなの」<エッ?>
「うそよ(笑)」<エッ?>
「(笑)ホントよ」<エッ?>
と、出会いがしらの連続パンチのご挨拶だ。
アイスは、その子の手を持って、「僕は頑張るのだ~!」と、エイエイオー、みたいなポーズをした。
それをみて、僕は昔、きっとこの子になりたかったんだな、と思った。
そして僕はその子の目をじっとみて、<僕に出来る事なら何でもするよ>と瞳で語りかけたら、
その子は手を伸ばして、僕の鼻をギューッとつまんだ。
アイスは、「川原くんの鼻はつまみたくなるのよ」と真剣に解説した。
ならばと僕は、アイスの方をみて、ちょっと鼻を突き出すようにして、数秒、顔を向けてみたが、
アイスは鼻をつままなかった。
そして、アイスが先に電車を降りる。
僕らは手を振って別れた。
僕は車窓から彼女の背中を見送った。
アイスは一度も後ろを振り向かなかった。
僕は、<相変わらず、アイスクリームだなぁ>と思った。
次の駅で僕も降りた。
僕は、つげ義春の「もっきり屋の少女」のラストみたいに、「頑張れ、アイス」「頑張れ、アイス」、と手を振り上げながら、
病院への道を歩いて行ったんだ。
下が、「もっきり屋の少女」のラストシーン。↓。

来年の2月には、何十周年記念かで大学全体の同窓会があるそうです。
会えるかどうかわからないけど、僕はアイスとその他に会いに行ってみようと思います。
BGM.RCサクセション「うわの空」
映画にならない話
22/Ⅹ.(土)2016 はれ マミさんのフィギュアの備品の扇子が紛失し、凹む
映画「聲の形」を観ました。
これで「こえ・の・かたち」と読みます。「かに」、と読み間違えそうですね。
この映画の原作はマンガで、単行本で全7巻です。
僕は1巻だけ読んで、暗い気持ちになったので、読むのをやめてしまいました。
「障害」とか「イジメ」をテーマにしていると、思ったからです。
映画化が決まり、京アニ(ハルヒ、や、かんなぎ、や、けいおん、や、日常、を制作した会社)と聞き、胸騒ぎ。
そして、うちの受付スタッフの約67%が「観た」というので、僕も観る事にしました。
観た後、なんとも懐かしい感じがしたのは、監督さんが「けいおん」の監督だったからかも。
男の主人公の声は、「おそ松さん」のトド松でした。しかし、トッティには聴こえませんでした。↓。

女の主人公は、「物語シリーズ」のアンリミテット・ルールブックでお馴染みの、斧乃木余接↓、の声の人。

聴覚障害の役の声なので、どうやるんだろう、と思ってましたが、上手でした。
誰かが、ももクロの元メンバーがやっている、と言ってましたが、「早見」違いですよ。
この声優さんは、「俺妹」の新垣あやせ、の声もやっている人です。
よつぎ、より、あやせ、の方が似てました。…って、同じ人なんですけどね。
全然関係ないですが、こないだ、「新垣あやせ」の抱き枕を買ってしまいました。(後日、みせます)
下の、向って右が、あやせ。↓。

僕が観た回は、「プレミアムなんとか」と言って、耳の聞こえない人用(?)の、字幕つきでした。
字幕は、「役名」&「セリフ」、で出るから役名を覚えやすかったです。
びっくりしたのは、主人公の男子の高校の同級生、永束、のセリフの度に、劇場の女子が受けまくってたことです!
ドッカン、ドッカン。
まるで、出オチ状態。
後で、パンフを観たら、人気の声優さんみたいですね。
そうそう、まどマギ、の、鹿目まどか、の声の人も出てました。
男言葉だから、わかりにくかったですが、ボソっと言う独り言が、まどか、の声でした。↓。

僕は昔、「こどもの病院」に勤務してたことがあります。
その時、こどもの治療では、オーソリティーである先生が当時の僕の師匠でした。
僕が今でも、印象的なのは、ある小学生が自殺願望を抱いていると直観された師匠は、
その子に、戦争で亡くなった方の写真(死体)をみせたのです。
すると、その子はじっと食い入るように写真(死体)をみて、「あ~、死ぬのも駄目か」とあきらめたという荒技でした。
僕も師匠の真似をしてみました。
幸い、病院には、大きな図書館が付属されていたので、写真(死体)をみつけるのは容易でした。
それを持って、病棟に行き、これから患者にみせると話したら、スタッフ全員に大反対されました。
非常識だというのです。
でも、僕はオーソリティーの先生の直伝だという自信があるから、スタッフを説得し、敢行しました。
すると、どうでしょう?
判で押したように、患者から、「あ~、死ぬのも駄目か」、という反応が返って来たのです。
今から、15年くらい前のことです。
そして、話しを、映画「聲の形」に戻します。
主人公(女)の妹は、動物の死骸ばかりを写真に撮っていました。下は、原作マンガから。↓。

そして、それらを家中に貼っていました。
姉がその中の1枚をコンクールに応募すると、入賞します。↓。

賞をとったのは、死骸をどけた空白の写真でした。
西宮とは、主人公(女)のことです。
妹が、家中に写真(死骸)を貼る理由は、映画の中では語られませんが、マンガではそれが描かれています。
ある日、妹は「障害」のため、ずっとイジメられているお姉ちゃんから、手話で、「死にたい」、と告白されます。
どんなにイジメられてても、ニコニコしてて、「わけ、わかんねぇ」と思っていた姉の切実な本音でした。↓。

それからです。妹が、死骸の写真ばかりを撮るようになって、家中に貼るようになるのは。
妹は、それを毎日みていれば、お姉ちゃんが死ぬのをあきらめると思ったのです。
僕の師匠と同じ発想ですね。
ところが、それでもお姉ちゃんは自殺未遂をしてしまいます。
それを男主人公が救うシーンが、映画ではハイライトです。
絵になる見せ場です。
しかし、その時の妹の心境はどうだったのでしょうか?
幼いなりに考えて、頑張っていたのに、自分の非力さを思い知ったのでしょうか?
さっきも言いましたが、映画はマンガ7巻分をまとめたものですから、どこかが割愛されるのは仕方がないです。
原作では、もう少し詳しく妹の心理が描写されています。
姉の自殺未遂のあと、妹は、家中の写真(死骸)を剥がして周ります。
お母さんに、「あら、剥がすの?」と聞かれると、「もう貼ってる意味がないんだ」とつぶやきます。
死骸を毎日みていれば、お姉ちゃんが死ぬのをあきらめると思い、そうしていたからです。
このあたりの妹の純情は健気で、キュンと抱きしめたくなる程、ひとりよがりで無力でした。↓。

最近、実は僕が気になっていることがあるのです。
それは、インターネットやスマホの普及で、若者の情報量が師匠が荒技を振るっていた15年前とは、段違いなのです。
自殺の方法や、「死体」の写真も簡単にみれるそうなのです。
僕が驚いているのは、「死体の写真」をみて、「きれい」とか「安心する」と言う若い子が結構いることです。
その発言自体の衝撃というよりも、もはや「師匠の荒技」が通じない世の中になったという時代の変化への戸惑いです。
人間の心の仕組みは、100年や200年で変わりはしないから、フロイトの精神分析の根幹は現代でも通用するでしょう。
でも、こどもを取り巻く環境や情報は15年前とは大違いだから、技法という枝葉は通じなくなったということなのでしょう。
むしろ、通じないのが当たり前で、修正してゆくべきなのでしょうね…。
僕はなんとなく、あやふやにしておきたかったセンチメンタリズムを、「聲の形」の、「映画にならない話」の部分で、
直面させられてしまった訳です。
人間というのはひょんなことから日頃モヤモヤしていた抑圧の輪郭がみえたりするもので、
今回の記事で一番、言いたかったのはそのことです。
さよなら、師匠。
BGM. BELLRING少女ハート「タナトスとマスカレード」
夢の展覧会(完璧版)
14(金)~20(木)/Ⅹ. 2016
ベルハー・ショックの、みずほロス、で、こんな時は何を言ったらいいのか、わからない。
FM北海道「みずほのほ」には、<あまりのショックで手がふるえます>と、
ふるえた文字のファックスを送ってみました。…ちょっと、怖いですね。↓。

気分はまるで、フォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」、で、そんな時こそ互助精神で、
スタッフに何かご機嫌な記事で繋いでもらって、時間を稼いで、気持ちを立て直せればとも思うのだが、
気分が下がっていると、人に頼るのも億劫で…。
人に頼れないなら、昔の自分に力を借りよう、と、思いついたのが、僕は高校の頃から夢日記をつけていて、
時々、挿絵も添えているから、それらをアトランダムに載っければ、まるで、夢のイラスト展覧会。
絵には解説は無用の長物、風味を味わってもらえばよい。
あっ、待てよ。今、僕の携帯電話はカメラ機能が壊れたままだから、撮影を誰かに頼まなきゃ、だ。
頼めば、誰も嫌とは言わ(え)ないだろうけれど、それもそれで気を使い、とかくにこの世は住みにくい。
そんな、すったもんだ、も、一っ飛び、完成させました!夢の展覧会。
・カラス貝のマニキュア女vsトラディショナル・ブルー~瞳~少年風(1981.9月)

・一人になりたい…ううん、一人がいやだから。(1982.7月)

・ダルなboyは、Love is Real.(1983.3月)

・誕生日。小指と小指をつないで歩く、理科室でキス(1983.7月)

・Hanesの白のTシャツに血を滴らせてしまった(1987.6月)

・過ぎ行く夏を惜しんで~絵を描く2人の少女(1987.9月)

・お前はストーブの前でのびていた。あくびしかしなかった(1987.9月)

・オバQが正ちゃんのクラスの記念写真に写ってしまった。皮膚科テスト、60点。(1988.7月)


















































