芦田愛菜への伝言~退行期うつ病

19/Ⅹ.(木)2023 くもり 50代の男性にわいせつ行為、62歳の男を逮捕 

退行期うつ病という言い方をしたものだ。中年から老人にさしかかる時点で発症するうつ病。区切りを「60才」にするか「65才」にするかで揉めてた議論もみてた。自分は「30才」代だったから、ひとごとというか、研究対象だった。

しかし、自分が「60才」になってみて感じた1番の衝撃体験は、「若い頃の思い出が改変される」のだ。僕は結構お気楽に生きて来たし幸せ者だったし母からも愛されて来たと思っていたがある朝起きたら「全然違うストーリー」になっていて、たとえば「母は兄の方を愛していた」などという実感と根拠がいっぱい頭に浮かんでくる。ある種、一晩にして革命である。死ぬかと思った。「60才」を馬鹿にしちゃいけない。危険がいっぱいだ。嘘だと思うなら生きてみるといい。

 

今日の記事はこれまでに書いたものの切り抜きで寄せ集め。

・11月5日は、母の誕生日。子供の時、兄弟でお金を出し合い、プレゼントをした。おもちゃの指輪で、多分、数百円の代物で、エメラルドのイミテーションで、キラキラの緑色がカメレオンみたいで魅力的だった。母は、その日、父に「子供達が、これをくれた」と報告しているのを、僕はコタツでうたた寝しながら聞いていた。父は、「子供達は、宝石のつもりなんだから、一生、大切にするように」と言うのを、僕は寝たふりをして聞いていた。
実際、母はその通りにして、母が亡くなって遺品を分ける時、宝石箱の中にそれをみつけ僕は素早く、その指輪を抜き取った。
この幼児体験は、のちのちの僕の女子との付き合い方の原型となった。要は、「お金<気持ち」である。僕は大学時代や医者になってからも女子に高価なプレゼントをするのは不誠実だと思った。プレゼントには、オリジナルの彼女を主役にしたマンガを描いたりしてた。
結構、大人になってから、価値観の合う女の子が、「プレゼントに、ブランド物を貰うと嬉しい」と言ったのを聞き、とても驚いた。

・母は薬剤師の資格を持っていて、僕が子供の頃、風邪をひくと、葛根湯(かっこんとう)を少し多めに飲ませた。「ちょっと多い方が、すぐ効く!」と言っていた。喘息には、庭にあるサボテンみたいな(アロエ?)植物を千切って、それを液状化して、僕の胸に塗り込んだ。すると不思議と、ヒューヒューが止まった。あれは何だったのか、いまだに判らない。

・小学校低学年の頃。母が死んだら僕はどうやって生きて行っていいか判らない。だからカルメン・マキの「時には母のない子のように」というヒット曲を聞くとやるせない気持になり、母が死んだら後を追おうと決意した。母が死んだ後に、死ねる場所をいくつかみつける。
僕は泳ぎが出来ないので、海や川は候補から外した。死ぬことより溺れることの方が恐ろしいからだ。
茅ヶ崎駅から少し離れた所に開かずの踏切があり、そこなら確実だと考えた。何度か下見に行った。
ある日、線路の脇の草むらにエロ本が捨ててあった。中味を見た。オバさんがセーラー服姿で載っていて、吐き気をもよおしたが、掲載されてるマンガがシュールで面白かった。誰かが定期的にエロ本を捨てる場所だったらしく、僕は「エロ本の墓場」と名付け、いつしかそこに本を読みにいくのが愉しみに変わっていた。エロスがタナトスに勝利したのだ。
後日、茅ヶ崎ライオンズクラブあたりが「有害図書ポスト」みたいなものを設置して、エロ本の不法投棄はなくなった。
そして僕はその頃には、あまり真剣に死について考えなくなってしまった。

・僕は子供の頃から小さいが背の高さなんてどうでもいいと思うのだが、他人に「タッちゃんは小さいからね」と言われると、母はよく、「サンショは小粒でピリリと辛い!」と怒っていた。写真は、母が作ってバザーに出した麒麟のぬいぐるみ。僕の方が、少し背が高く設計されているのが味噌。赤いマフラーはサイボーグ009。↓。


・下の写真のTシャツは、ケロヨン。となりの婦人は、「木馬座」のもぎりのおばさん。うそ。母。↓

・子供の頃、祖母が蕎麦屋から「もりそば」の出前を取り、海苔をたくさん千切ってかけて「ざるそば」にしているのを発見した。祖母が言うには、「ざる」と「もり」では百円の値段差がある。それなら、自分の家で海苔をかけた方が良いと言うのだ。
帰ってそのことを母に話すと、大きな溜息をつき、昔は、「ざるそば」と「もりそば」では御つゆが違ったものよ~、と現代そば事情を嘆いた。僕は、この親子はアベコベだな、と思った。

・小学校の頃、母の買い物の付き添い役は僕。
横浜の帰りは、ダイヤモンド地下街というところの『鳥ぎん』で釜飯を食べた。
その手の焼鳥屋さんがそうであるように、釜飯が炊き上がるまでの間、焼鳥をつまみながら待つのである。僕は偏食なので、鳥皮を30本とか40本とか食べるのである。そして、母の釜飯を少し分けてもらう。鳥皮だけを馬鹿のように食べる小学生を見て、店のおじさんは「この子は、将来、大物になるよ」とあきれ返り、それを真に受けた母は喜んで、「このお店だって繁盛するわよ」とお世辞で返してたのが微笑ましい。ちなみに、『鳥ぎん』は割とすぐつぶれた。

・子供の時、寿司の出前は高級な「寿司まさ」と決まっていたが、僕は近所の立ち食い寿司屋の「寿司寅」の方が好きだった。
子供ごころに「寿司まさ」は気取って見えたし、性分としてのアマノジャクと判官贔屓もあった。さらに、親に怒られて家から締め出されると、家のお金をチョロまかして「寿司寅」に寄っていた、常連気分も手伝った。だから家で寿司の出前をとる時は「寿司まさ」で大きな桶を頼み、僕用に「寿司寅」で穴子だけを注文した。
そんなある日、「寿司まさ」の出前と「寿司寅」の出前が玄関で出くわしてしまった。桶の大きさが全然ちがう。「寿司寅」のおじさんに嫌な思いをさせたのではないか、と大変気にした。それを知った母は僕に、「タツジの1番は『寿司寅』なんだから、堂々としていればいい」と言い、僕は<なるほど>と思った。

・小4の頃、上級生達も引き連れて、休み時間に野球をやって、ゲームをキリの良い所まで延長したから、皆を授業に大量遅刻させてしまい、そのことで学校から注意を受けた母が、親戚に電話してるのを、こっそり聞いてしまったことがある。電話口に向って、母は、「上級生まで従えて、野球で授業に遅れるなんて、達二は将来、竹見太郎のような大親分になるんじゃないかしら?」と、相談事のはずが、自慢話に変わっていて、僕はそれを盗み聞きしながら、<このままじゃマズイな>と思ったものだ。
ちなみに、竹見太郎、とは、ケンカ太郎、とも呼ばれた、その頃の日本医師会の会長。

・兄の進路か何かの話し合いがされていた。応接間に両親と兄が入って、僕はのけ者。しばらくは、テレビをみたり、一人でおとなしくしてたはず。でも、我慢しきれなくなったのです。子供だし、寒い日だったから。
僕は何度か応接間の戸をノックしたが、話は終りません。いよいよ、どうにも我慢ならず親の気をひくため水銀計をガスコンロであぶったのです。目盛を見ましたが、よく数字が見えませんでした。でも触ると熱いから、<これで良いだろう>とそれを持って、応接間の戸をノック。母は体温計を見て仰天。どうやら、直接炎に点けたから、目盛を振り切っていたみたいでした。母は、それを父に見せました。すると、父は母に言いました。「達二の看病をしてあげなさい」
母は僕の方に来て、何をしてくれたのかは具体的には覚えていませんが、「良い体験」として記憶しています。僕は仮病が親にバレタのは、すぐ判りました。
仮病だと判りながら、よくしてもらえると何かが、ストンと心に落ちたのです。
僕はそれ以降、親を振り向かせるために仮病を使う事はしなくなりました。

・僕はイジメを経験したことがない。もしそれに近いものがあるなら、小学校の高学年の頃だ。僕は受験のために、日曜日に、茅ヶ崎から東京の学習塾に通った。僕は途中から参加したので、もうグループが出来ているところに入った。
あまりよく覚えてないが、塾の帰りに、数人で電気屋に寄る風習があって、僕も誘われて、そこに参加した。最初は仲良くしていたが、何度目かで、まかれる、とか何かの嫌がらせを受けた。
きっと僕が頭が良かったか、顔が良かったか、女子にモテたせいだと思う。男の嫉妬は面倒くさいから。それが何回か続くとさすがに気分が滅入った。
僕の様子がおかしいことに母が気付き、しつこく聞かれて、ぼんやりと輪郭だけ話したんだと思う。自分が、イジメられてる、という事実を認めたくないという心も強かっただろうから。ぼやかして喋ったと思う。
すると母は、和服に着替えた。これは母の本気モードだ。
母はどこかに出かけて行って、しばらくして帰ってきたが、母はそのことは何も言わず、普段通りの母に戻っていた。
翌週、僕が塾に行く準備をしていると、母は、「達二、どこに行くの?」と聞いた。僕が、<塾>と答えると、母は、「あらっ、あそこはもうやめにしたのよ。言わなかったかしら?」とトボけた。男の子のプライドを大事にしたんだと思う。
僕と母は、その後の人生で、このことについて、1度も話したことがない。
しかし、このおかげで、僕には嫌なことがあったら逃げればいいんだ、という選択肢が出来て、随分とストレスに対する対処作のバリエーションの幅が広がった。逆に、だからこそ、攻撃的に人生を送れているのだとも思った。

・中学1年の時の「サングラス事件」。僕は学校にサングラスをかけて行ったら、担任にみつかって、没収&親の呼び出し。母が茅ヶ崎から目白までやって来た。高級な着物だった。これは母の戦闘モード。担任が、「校則違反で…」と言いかけると、「学校にサングラスをかけて来てはいけない、という校則ありました?」と上品に答える母。担任、絶句。担任は、気を取り直し、「しかし、達二君は、サングラスをかけないと目が変性して三つ目になる奇病だ、という嘘を…」に、母は、「先生、それは嘘ではなく、ユーモアですよ(笑)達二は昔から、トンチが効いて」と、むしろ自慢気。母は、問題のサングラスを手にとって、「先生もかけてごらんになったら?」と無理矢理、担任にグラサンをかけさせ、「あら、あまりお似合いになりませんね。似合ってたら、差し上げようかと思ったのですが、達二の方が似合いますね。じゃ、これは家でかけさせます。先生、サングラス、持って帰りますね~ごきげんよう~」と、つむじ風のように帰って行った。職員室に取り残されたのは、僕と担任だ。担任は、真顔で、「オレ、お前の母ちゃん、苦手。川原よ、もう学校に余計な物を持って来てくれるなよ。これは指導じゃない、お願いだ」と言った。

・その担任が卒業生を家庭教師にと僕に振って来た。OBのバイトの斡旋を、安易に俺に回して来るという安直な物件探しに、<俺も舐められたモンだぜ>とムカついたが、担任と母が相談して、そいつがうちに来ることになった。
当時、プロレス界はアントニオ猪木の異種格闘技路線で僕は猪木から目が離せなかった。毎日、学校帰りに、駅の売店で東京スポーツを買って帰っていた。その家庭教師は、東スポを見つけると、「その新聞、やらしい記事あるだろ」と下品に笑った。僕はエッチな紙面を見開きで渡し、<ちょっと、僕、水を飲んで来ますので、それまでそれでも読んでて下さい>と丁寧に言うと、そいつは、「おぅ!」なんて調子をこきやがって。僕は水など飲まず、急いで母の所に行き、<先生がお呼びですよ。お急ぎみたい!>と母をせかした。母は大慌てで部屋に入ると、堂々とスポーツ新聞のエッチ欄をニヤニヤして見てる男の姿に出くわして。
そいつの楽しみは、家庭教師の帰りに、駅前のパチンコ屋に寄ることだった。
一度、家庭教師が終った後、こっそり尾行したら、そいつは嬉しそうにパチンコ玉を両手ですくって席に向かっていた。僕は家に帰ってから、少し深刻そうな顔をして、<言おうかどうか迷ってるんだ>と母に言った。当然、母は聞き出そうとする。<あの先生、毎回、ここの後に楽しみに寄ってるお店があるのを見ちゃったんだ>と僕は答える。母はまだ冷静で、やさしく「どんなお店なの?」と尋ねる。<中学生は入っちゃいけない店なんだ>。母の顔はにわかに曇り、「なんて店なの?」。<うる覚えなんだけど、確か、看板に、チンコ、って文字が書いてあったよ>。
すると母は激怒して、勝手にハレンチな勘違いをして、担任に文句をつけて、そいつをクビにした。パ・チンコなのにね(笑)

・中2のバレンタインに、母から原宿で買ったという机一面大の板チョコをもらった。こんな物を売る奴も考える奴もおかしいが、買ってきちゃう母も母だ。
翌日、教室で「昨日、チョコ、もらった?」と探り合いの会話があって、僕は<このくらい>と机一面の面積を両手で示した。すると、クラスメートから、「すげー」と驚嘆された。男子校だったから皆も、チョコなんかもらってなかったから。ま、嘘でもないし。
しかし、中学生の男子なんてこんなことでクラスの階級が決まったりして、おかげで僕はその後の学園生活は随分と楽だった。

・大学の入学式。僕は大学生になってまで、親が入学式に来るのは恥しいと思っていた。まだ反抗期ですね。僕が嫌だったのは、周りの新入生たちで、皆、親子で来てて、嬉しそうに記念写真なんか撮っていて。こんな奴らと一緒にされたくない、と思って、入学式を途中で脱け出して、母を置き去りにして、1人で帰っちゃいました。母は遅れて家に帰って来て、僕が居間で寝転んでテレビを見ていたら、「良かった。いた」と笑ってました。あの場面は、怒るとか、「心配したでしょ!」くらいのことを言っても良かったんじゃないかな。でもなぁ、相手が俺だもんなぁ。あれが正解だったのかも。

・兄の結婚式。僕は間に合うように家を出たんだけれど、電車の網棚にスーツを置き忘れて、それを取りに行ったりして、遅刻。結婚式の途中で、バタバタと親族席に僕が遅れて到着すると、母はホットした顔をして、振り向いて笑っていました。

・僕は母の作る「ロースト・ビーフ」が好きでした。でも、あれ厳密には、「ロースト・ビーフ」じゃないですね。高級な肉の塊を、セロリとか薬草と一緒に焼いて、その野菜のダシと肉汁に醤油か何かで味付けしたソースを作って。それをたっぷりかけてヒタヒタにして食べる。僕は今でも、この世の中であれが最高に旨い食べ物だと思っています。
有名店の「ロースト・ビーフ」を色々、食べましたが、どれも劣りますね。
あの味は、もうないのです。母は、息子のお嫁さんたちには、「ロースト・ビーフ」の作り方を教えなかったですね。

・父は目医者だったが、臨床の傍ら、よく文を書いていた。短歌なども詠んでいた。母もその影響で、短歌を詠んでいて、僕にもそれをさせようとしていた。僕が中学に上がると僕と兄は東京に住み、母がその面倒を見に来ていたから、父は茅ヶ崎でほぼ1人で暮らしていた。僕が医者になると、兄はアメリカに留学し、もう父は死んでいるから、母は茅ヶ崎で1人暮らをしていた。
父も母も、1人で暮らしてる時間が長くあった。1人はさびしかったのかな。僕は1人になったことがないから、わからない。
母は‘1人暮らし’の頃、時々、手紙を寄こしたり、短歌の雑誌を送って来たりした。それは同人誌みたいなもので、僕もそこに入っていたのだけれど、歌などまるで詠んでいなかったので、母が僕の名で歌を作っては、勝手に投稿していたものだから、その雑誌には、毎号、僕の歌が載っていた。僕はあまりそれが気に入らなくて、母を怒ったこともある。
今思うと、僕は手紙を読んだら、そんな時は茅ヶ崎に帰って、顔を出してあげればよかった。そう遠くもないんだし。母には、もう少し、やさしくしてあげればよかったな、と思う。でも、もう死んじゃったから、今さら言ってもしょうがないですね。
その代わり、これから関わりのある人には親切にしていこう。罪滅ぼしというのかな、利己的な理由だけれど。「人の為」と書いて、「偽り」と読むのは、こういうことを言うのかな。

・こないだファミレスで1人で本を読んでいたら、隣のテーブルに家族連れがいて。僕の真向かいに座った男の子はやっと言葉を喋りだしたくらいらしい。その子は「飲み物」が欲しくて、母親に「あぁ!あぁ!」と指差すんだけれど、母親は「口で言えるでしょ?」と言う。多分、ちょっと前までは、その子はそうやって「あぁ!あぁ!」って言えば、欲しい物が目の前に出てたのだろう。だけど、言葉を覚えたら、口で言わないと、取ってもらえない。
その子と目と目が合った。僕は、<お前、意地でも喋るな!>と気合いをこめて合図を送った。しかし、その子は俺のエールを無視して、「じゅーちゅ」と言いやがった。
その子の両親は、拍手して、「良く言えまちた~」なんて言って、飲み物を取ってやり、頭なんか撫でていて。僕は本を閉じて、店を出た。
親子でも、言葉が無ければ伝わらないのか、言わなければ判らないのか、と思うと、僕はブルーな気分になって。こんなエピソードは毎日、ザラにあって、僕はそんな時、母のことを思い出して、考えますよ。お母さんはもう死んでいないから、美化されていて、お得だね。

・晩年の母は末期癌でどんどん年老いていき、僕は親孝行なもので、仕事が終わるとほぼ毎日、茅ヶ崎の実家まで見舞いに寄って帰った。そこで、血迷ったんだろうな、母が生きてるうちに開業して一人前の姿を見せてやろう、と決心したのだ。母の葬式で色々な親戚に会い、開業する時は、ご案内状みたいなものを送った。すると親戚から、驚嘆と絶賛のお電話を頂いた。内容は総じて、「タッちゃん、よくぞ大岡山にしてくれた」というものだった。なんと!母親の実家の薬局は大岡山にあったらしいのだ。
物件は、開業支援の会社がみつけて来てくれたもので、偶然だった。

・カワクリが法人化して、名称を「医療法人綾枝会」にしました。綾枝会の綾は、母の名前からとりました。母はここのクリニックをみることなく死んでしまいました。

 

芦田愛菜ちゃんに最近は注目してるのですが、日本郵便 2021年度 手紙 新コミュニケーション発表会にて、彼女は「母の存在があるから頑張ろうと…」と思うと母は「絶対的な味方」だと語っています。芦田愛菜ちゃんに誰かあったら伝えて欲しい。「60才になったら変わるぞ」と。

 

BGM. 近田春夫&ハルヲフォン「あの頃~ジョカへ」


10月10日は目の日

10/Ⅹ.(火)2023 くもり 宝塚歌劇団に激震! 劇団員が自殺。

芸術の秋ですね。出口王仁三郎の歌集を買いました。1日に2~300首の歌を詠み生涯15万首以上の歌を残した歌人であり、大正十年と昭和十年の二度に渡って不当な宗教弾圧を受けた「大本教」の教祖。さぞ宗教色の強い、あるいは超自然的なおっかない歌が多いかと思いきや、たとえば、

ころころと背すぢつたひて首の辺に爆発したり風呂の湯の屁は

などというユーモラスなものもあり驚き。

宗教弾圧といえば、大本教のこともあり、戦後日本は宗教弾圧に慎重で、新興宗教が台頭しますが、オウム事件まで野放しでしたね。今度、統一教会への解散命令がついに出されるようですが、鈴木エイトは統一教会の関連団体から訴えられました。サンジャポでその様子をやってましたが、その記者会見に鈴木エイト自身も参加してたのがすごかったです。鈴木エイトはジャニーズの「NGリスト」にも載っていたらしく、本人曰く「光栄です」。

僕は最近「コレクション」について考えてます。
談志が「志らくがいてくれて俺は助かった」という短い言葉の中には、色んな意味があるでしょうが、一つには談志の趣味をこよなく愛して、その資料館のような自宅を引き継いだこともあるでしょう。談志は自分がコレクションした膨大な芸能史の資料が活かされないのが心配で親友の石原慎太郎(当時・都知事)に「江戸の文化を伝える記念館」のようなものを公開の討論番組で直訴して承諾を得ましたが、都の予算は下りなかったようでオジャン。だから談志が死んだら誰も価値が分からないゴミになるものが、志らくのおかげで現存してます。
加藤和彦が死んだ時、彼の膨大なお洒落なジャケットやシャツをコンサートで天井からぶらさげる演出をして追悼した北山修も、「この中でどなたか博物館の知り合いの方がいてこれを展示してもいい、と言って下さる方をご存じの方はご一報を」と真顔で言ってた。北山修の人脈(医学会&芸能界)をもってしても難しいのでしょうね。そこで「はじめての断捨離」という本を買って読んだら、「自分が死んだ時に残された人が困るものから捨てなさい」とのこと。なるほど。価値が分からなかったり、「思い出」なんて継承する物じゃないのだ。さっそく、父と母の「短歌の原稿」を捨てた。

 

こないだお守りの代わりに買ったロザリオが壊れたので別のを買いました。

若い頃のミックジャガーと合わせてみました。

誰かが前のロザリオを修理してくれてました!「魔女っ子メグちゃん」のポスターの右にかけまして。

10月7日にスタートしましたスパイファミリーの劇場版記念に「日清」がコラボしました。

箱から絵柄つきです。

これもとっときたいですが、どんどん物が増えますね。

おまけつき。

どん兵衛のキツネとタヌキ、とUFOのふたにはアーニャがいます。

おまけは、バッジかと思いきや、アクリルスタンド。受付の羽田さんに頼んで狭いスペースのアーニャ・コーナーに仲間入り。

 

さて、配達物といえばこんなものも。なんでしょう?ヒントは最近、日本に来てブランコに乗ってた人です。

 

正解は…

ジャスティンビーバーでした。

彼は日本の変なキャラクターのクッションを買って帰ったみたいです。

ジャスティンビーバーが最もしなさそうなポーズを。

 

めっきり冷たくなりました。マリリンモンローは「寝る時は何を着てる?」と質問されて「シャネルの5番」と答えたと言います。シャネルの5番は香水の名前です。つまり裸で寝てるという意味です。山口百恵も(ブレインは阿木燿子)「ミス・ディオール」と香水の名前を答えています。僕もこないだまでは素っ裸で寝てたのですが、さすがに寒くなり、こんなものをゲットしました。

これは肌触りがモコモコで気持ち良いです。タグは、よく寝れるように(?)カビゴン。

前側には、ポケットもあって、ピカチュウが寝ています。今はこれを着て寝ています。

 

今日慌ててヒゲを剃ったら唇の上をサックリと切ってしまい痛いです。絆創膏を貼って、二重に上から、クロミで隠す。

 

BGM. キャッツ★アイ「めっきり冷たくなりました」


文化部通信~その肆拾陸~

こんにちは、文化部通信46弾。文化部長のスーです。

10月は9月より涼しい日が続くからスポーツや文化などのイベントに最適で、文化祭・芸術の秋・読書の秋と文化部の本領発揮…のはずでしたが、まだまだ暑いですね。

ここで、なぞかけをひとつ。
地球温暖化 とかけまして 面白いゲーム と解きます。
その心は?

なかなか「あき」が来ないでしょう。
(地球温暖化は秋が来ない。面白いゲームは飽きがこない)

さてさて、そんな10月のなんでもない日たちをご紹介

1日 メガネの日 メガネの先生シリーズ

2日 豆腐の日 「酢豆腐」という落語があります。豆腐を腐らせてしまいます。江戸っ子はキザで知ったかぶりの若旦那が嫌いだから、「珍味がある。若旦那なら知ってるでしょ?」と腐った豆腐に唐辛子やらをいっぱいかけて出すと、若旦那は一口で悶絶。「もう一口どうですか?」に若旦那「酢豆腐は一口に限る」‥上方落語では「ちりとてちん」と言うそうです。

3日 登山の日 中1の行事で高尾山へ。真ん中の下が先生。カウボーイ帽は「カウボーイ・ビル・ワット」に憧れてたとの事。

4日 天使の日

5日 レモンの日 ナンシー・シナトラはフランク・シナトラの娘

先生は中学生の時、梶井基次郎の「檸檬」のマネをして、神保町の本屋の積み上げた本の上に檸檬をおいてきたことがあるそうです。

6日 国際協力の日 砂かけばばあ

もともとは敵対していた砂かけばばあでしたが、西洋の妖怪との戦いで皆と一致団結して戦いました。

7日 ミステリーの日 渡辺典子は角川三人姉妹ミステリー部門担当でした。

8日 レーザーディスクの日

9日 世界郵便デー ミュウツーの逆襲で手紙を届けるカイリュウ

けいおん AIRMAIL

↓これは、愛と美の女神アフロディーテ。鳩や金梅花が象徴。このポストカードには「1914年10月15日」の日付が。誰が誰にどんな思いで出したのでしょう?1914年は7月に第一次大戦が始まった年なのです。

10日 目の愛護デー 医者の息子あるあるで、医学書のエッチなページをこっそり見る。というのがあるそうです。川原先生は、子供の時「目玉ってキレイだなぁ」と、こっそり医学書の眼球の解剖図を見ふけっていたようです。ある日、その姿を見られて、あわててページを変えてエッチなページを開き「達二はもう…」と呆れられたそうです。実家が眼科なので、目に興味があると家を継がされそうであわてて誤魔化したんだそう。普通と逆パターンですね(笑)
10代の時にみたルイス・ブニュエルの映画「アンダルシアの犬」の冒頭で、カミソリで目玉を切るシーンに衝撃を覚えたそうです。

11日 ウインクの日 可愛いウインク姿を紹介

12日 石油機器点検の日 オイルショック(石油危機)が起きたのは昭和48年。トイレットペーパーの買い占めが起きたそうです。コロナのマスクみたいですね。この頃、人気だったのがフィンガー5とあのねのねでした。

13日 麻酔の日 華岡青洲は世界で初めて全身麻酔下で手術を成功させました。これは医師国家試験の問題にも出るそうです。

14日 鉄道の日 「ミツバチのささやき」はアナ・トレントの出世作。少女がフランケンシュタインに恋します。線路に耳をあてる少女も名シーンです。

15日 きのこの日 漫画「デデデデ」に出てくるイソベやん。未来からデベ子を幸せにするためにきたきのこ人。ドラえもんのオマージュになります。

16日 ボスの日 ヒエロニムス・ボスの画集

その中から1つをチョイス

17日 カラオケ文化の日

18日 木造住宅の日 木造モルタルの王国(ガロの記念号)

19日 海外旅行の日 けいおんメンバー、卒業旅行にロンドンに行きます。

こちらも海外3本立て

20日 新聞広告の日

21日 国際反戦デー ’69年日比谷フォークゲリラ集会 日本でもベトナム戦争の反対運動がおきました。

22日 アニメの日 私スーの独断と偏見による、ハロウィンにぴったり!ちょっぴり怖いアニメランキングベスト3を。

1位 ひぐらしのなく頃に 小さな村で次々起こる惨劇。クリニック内にもたくさんのフィギュアがありますね。

2位 がっこうぐらし! ただの学園アニメかと思いきや、ゾンビアニメです。OPに注目して楽しんでほしいアニメです。

3位 電脳コイル ホラーアニメではなくSFアニメなんですが、どこか怖さを感じるアニメです。

23日 津軽弁の日 太宰治、寺山修司、ナンシー関の3人を生んだ「津軽」という土壌、興味湧きますよね。太宰は文字通り「津軽」という紀行文があります。終わり方がかっこいいです。「元気で行かう。絶望するな。では、失敬。」

寺山修司の映画「書を捨てよ町へ出よう」はオープニングから津軽弁の主人公がにらんできます。「まず、となりの女の子の手を握れ!」と言われ、1人で観に行った先生は隣が1人で来てた女の子できまずかったそうです。

ナンシー関は消しゴム版画とエッセイの人

その中から2つを紹介。特徴のとらえ方がすごくいいですよね。

24日 文鳥の日 つげ義春の代表作「チーコ」若いカップルの別れを暗示させます。

25日 民間航空記念日

26日 原子力の日

27日 テディベアズ・デー フィル・スペクターの最初に組んだバンドが「テディ・ベアーズ」。ヒット曲「To Know Him Is to Love Him」は直訳すると「To」は時の不定詞で「彼を知ったときが、彼を愛したとき」ですが、この邦訳が「会った途端に一目ぼれ」です。名訳ですね。

28日 速記記念日 速記で「愛してるって言わなきゃ殺す」と書かされました。ものすごく時間がかかりました。これからAIの時代、速記ってどうなるのでしょうか?

29日 ホームビデオ記念日 寺山修司の死の前年、詩人・谷川俊太郎とビデオ映像による「往復書筒」を始めた。最後は寺山の心電図がスーーッとまっすぐになるモニターの映像で終わるそうです。

30日 初恋の日

アイドルと楽曲提供者の音楽作品は、一時期ブームになりました。他には、河合奈保子・竹内まりやの「けんかをやめて」、高田みづえ・サザンオールスターズ(原由子)の「私はピアノ」…などなど。盛りだくさんでした。

31日 ハロウィン クリニックもすこーしだけハロウィン

10月は神無月、英語の月名「October」はラテン語の「第8の」という意味の「octo」に由来しています。タコの足は8本だからオクトパスみたいですね。これはポケモンの「オクタン」

実際の月の番号とずれているのは、7月にローマの政治家ユリウスが、8月にはローマ皇帝アウグストゥスが自分の名称を入れろとゴリ押ししたから、2つずれて「October」なのに「10月」になった訳です。この2人は何様なんでしょう?神様のつもり?なんて。

日本では、出雲大社に全国の神様が集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神様が居なくなるから「神無月」と言い、逆に出雲では「神在月」と言われます。

これは、世界初の神様グラビア写真集。「かんなぎ」のなぎ様

そして今月のBGMは、ショーケンこと萩原健一が所属していたグループサウンズの名曲です。テンプターズで「神様おねがい」。

何か変な世の中ですが、神様‥そろそろ本気出して。おねがい。


絶望教教祖爆誕?

3/Ⅹ.(火)2023 くもり 江川紹子、「ジュリー氏も、虐待の被害者では?」。「メリーはライオンで私はシマウマ」、ジュリー氏の手紙より。

 

月曜日、迷った挙句、こないだ「夢で出会った少女」に逢いに行ってみた。5時の下校時間のちょっと前。スクールゾーンを3回往復する僕の姿はまるで不審者だ。しかし、5時のチャイムがなっても誰も出て来ない。一人も生徒が出て来ないのだ。学級閉鎖か?それとも「10月1日」が都民の日だから、月曜の10月2日は代休で休みなのか?とりあえず、夢世界との交流が一時休止になった。今日も夢の話。

 

アメリカのコミック雑誌に閉じ込められてしまった。駐車場で敵対勢力が攻防を繰り広げるのを車の陰でおびえながらみる。本当に恐ろしい。そこに入ってきたポリスに寝こそぎ連行される。僕も囚人になった。「檻」の中はとても怖い世界だ。アメリカは人口を調整するために男からは出来るかぎりの精液を搾り取り、後はくじ引きで順番に去勢してしまうとのこと。怖がってばかりもいられない。僕は弱いけれどこんなおかしな仕打ちからは逃げ出さないといけない。同室の黒人は名前も取り上げられていた。彼は腕が太いから僕は「アーム・ジョー」という名前を付けてあげる。ヴィクトル・ユーゴーの「あゝ無情」から拝借したダジャレだ。

僕はアーム・ジョーをそそのかし、脱獄を企てる。僕がカギを盗み、アーム・ジョーが戦車を奪った。しかし、戦車は「科学と学習」の」付録のようなペラペラの折れ線の入った紙だ。僕は悲嘆にくれ、「くそ~!」と嘆くと、ペラペラの紙が軍用の戦車に変わった。どうやらアメリカ軍の兵器は最新鋭で全部「ことば」で管理されてるらしい。僕がたまたま発した「くそ~」が正解だった。ついてるぞ、とアーム・ジョーが戦車に乗り込み僕は助手席に乗る。そろそろ追っ手が来そうだ。車を発車させようとすると「ガソリンがゼロだ」とアーム・ジョーが言う。僕は本当に悔しくて「絶望だ!」と頭を抱えると、それが管理パスワードだったらしく、戦車が動き出した。僕らは市街地へ逃れることに成功した。

そう言えば、僕は前世で空を飛んでたことを思い出し、空を飛ぼうと試みると、空を飛べるのだが今世の僕は体重が重すぎる。これでは長くは飛べない。でも僕はこの世界軸で必要なのは「言霊」だと悟った。自分が飛べない代わりに、「モスラ!ラドン!」と大声をあげると、モスラとラドンが飛来して、支配者たちのビルを破壊する。僕は「ゴジラ!マンモス!ティラノザウルス!」と大声を出し彼らを召喚して街を破壊する。小さな少年がやってきて、「僕にも手伝えることはある?」と聞くから、「ポケモンは言えるか?」と聞くと、「200は言える」と言うから、「心を込めて名前を叫べ!」と命令すると、リザードンやギャラドスやカメックスなどが登場した。

アーム・ジョーは僕のことを肩車して、「キング!」と呼んだ。アーム・ジョーは「キング!みんなのために命令を」と僕を見上げてそう言った。振り返ると沢山の抑圧された民衆が僕らのあとを追ってくる。口々に「キング!キング!」とコールしている。人々は僕のことを「絶望王」と呼ぶ。あらためてアーム・ジョーが「キング!言葉を」と繰り返すから、僕はアーム・ジョーに担がれながら後ろを振り向き、「いいか~、みなども、絶望だ~!」と叫ぶと、民衆は「絶望だ~」「絶望だ~」と大声で叫び、怪獣や恐竜や巨大ポケモン達が壊すビル群を横目に、戦車が道を切り開いて行く。僕らは何物にもおびやかされる必要はない。自分たちの自由と権利と幸福のために突き進むのだ。合言葉は「絶望だ!」。

 

BGM. あがた森魚「最後のダンスステップ」


27/Ⅸ.(水)2023 くもり 貴乃花、初恋の人と再婚。

 

今日は夢の話。

見たことのある川。地元の人はそこにかかった橋を上手に渡るのだろうが、ちょっと危ない。「急がば回れ」ではないが迂回する道もある。僕は器用にピョンピョンと橋を渡る。渡り切ったあたりで後ろを振り向くと幼い少女が橋を渡ろうとしてるが見るからに危なっかしい。僕は橋を反対方向から戻って少女に「危ないからあっちから行きな」と指をさし、ついでだから一緒に迂回路を歩く。少女は紅いおべべを着てて、髪の毛は文金高島田。(随分、古臭いファッションの子だな)と心で思ったが口にはしない。少女はなんか僕に話しかけてどうやら僕のことを知ってるらしい。僕が(何故、知ってるんだ?)と不思議に思ってると、「兄から聞いてませんか?」と言われて、ちょっと考えて僕は慌てて飛び起きた。そんな夢をみました。

実は、その二日前、僕の大学の後輩の友人だと名乗る男に川のそばで話しかけられる夢をみた。さっきの川が見覚えあるのはこの川だったからだ。僕は「ごめん。君のこと知らないよ」と言うと、彼は「そうでしょう。川原さんは精神科のお医者さんですよね。頼みがあって妹をみて欲しいのです」。僕は、いいよクリニックに予約の電話をして、と答えた夢。

ひやっとした。その時の妹というのが少女だったのだ。

夢が現実と同時進行してパラレルワールドになってシリーズ化してる。ま、いいか。時々あることだし。「現実」が1枚の葉っぱだとしたら、「夢」は無意識の産物でもう1枚の別の葉っぱ。同じ「僕」という樹の幹で繋がってるから何も恐れる必要はない。そう思ってた。月曜までは。

月曜日。これは本当の話。夕方5時ごろ小学生の下校時間みたいだ。最近は防犯意識か集団で下校したり、迎えにきてる自転車のお母さんもいる。月曜は休診日だから僕は近所を散歩中。向こうから一人の少女が紅いランドセルを背負って歩いてくる。あれ?なんでこの子は一人なんだろう。そう思ってすれ違いざまに顔をみて驚いた。夢でみた紅いおべべの子と同じ顔をしてる。僕がちょっとビックリしてる姿は傍からみたら不審者だと思われるかもしれない。それなのにその少女は僕の顔をじっとみて「こんにちは」と挨拶してすれ違って行った。見ず知らずの人に挨拶するか??僕は「夢の世界」が「現実」に侵入して来たような妄想に恐怖した。一体なんだったんだろう?来週の月曜日も同じ時間に同じルートを歩いてみるか?いや、やめておくべきか。最近、「お札」をなくしたり、ロザリオがちぎれたりしてるから、君子危うきに近寄らず、か。

 

橋の少女のお話でした。橋といえば、笹公人の短歌にこんなものがありました。

・処女にしか渡れぬ橋がありましてC組の女子だれも渡れず

・童貞しか渡れぬ橋もありましてC組の男子つぎつぎ渡る

笹公人が妄想で書いた短歌です。「念力図鑑」に載ってます。面白いですよ。

 

BGM. 清水アキラ、橋幸夫のマネで「恋のメキシカン・ロック」ご本人登場


心の護美箱(73)~柿は英語で何っていうの?

26/Ⅸ.(火)2023 佳子さま、コロナに罹患。色々なバッシングで免疫力が低下したのか?可哀想に。天皇陛下は公の発言で、「佳子ちゃん」と名前を呼ばれ、イメージアップを配慮されたか?さすが天皇陛下。お優しい。

 

「お札」をなくした代わりに買ったロザリオがちぎれた。

親友たちは「お守りが壊れるのは災いの肩代わりをしてくれたからむしろラッキー!」とか「悪縁が切れたんですよ」とか「厄祓いじゃないですかね」などと、慰めてくれる。お優しい。受付の羽田さんとは最近よく「お化けの話」をする仲で、羽田さんも慰めてくれたのだがオカルト仲間なのでそれっぽいことを言うのかな?と思ったら、「修理しましょうか?」とまさかの現実的なサポート。お優しい。今回はそんな羽田さんが入職する前の受付の記事のプレイバックです。

 

心の護美箱(72がいっぱいになったので、(73)を作りました。心の護美箱がなんだかわからない人はバックナンバーを見て下さい。ま、簡単にいうと愚痴を書き込めるページです。「非公開」希望の人はそう書いてくれれば内容はアップしません。みんながどんな相談をしてるのか、これから受診される方には必見です。ただ、その性質上、「コメントは非公開」が多いから、僕の回答しかのってない例が多いです。そんな時は、答えから「コメント」を想像してみるのも一興ですね。

 

 

高級ブドウ・シャインマスカットを熊が食べたニュースがありました。人間が勝手に熊の居場所を奪っといて被害者面をするという批判もあります。人間がいなくなったら地球にとっては1番良いのだという学者もいます。厭世的ですね。

子供の頃は、マンガで「常識」を知りました。「清水の次郎長」や「忠臣蔵」や「ウィリアム・テル」は、バカボンで「習いました」。

これは「ウイリアム・テルなのだ」の扉絵。

まずはそんな知識を寄せ集め、(当時の)受付三人にそれぞれ役を与えた「柿2部作」の第1弾です。ではどうぞ。↓。

①柿と、クマと、ウィリアム・テル。(2019.11/9)

 

夏の蒸し暑さから一転、
朝晩の冷えと、乾燥に怯える季節となりました。

「クマはいいな。冬眠できるから。」
人間は呑気に言いますが、野生で生きていくのは過酷なのです。
山にある、あらゆる木の実などを食べまくり、冬眠に備えるのですが、
不作の年などは食べるものがないのです。
そうなると、どうなるでしょう?
そうです、人里におりてきてしまうのです。

この二匹のクマも例に漏れず、食べ物を調達しに人里へおり、
とても美味しそうな柿を盗もうとしたのでした。

 

↓柿を盗むクマ↓

作物を盗まれた人間様はお怒りです。
クマを駆除しろと、村長は無慈悲な決断をします。

↓村長(フラミンゴ)と駆除されそうなクマ2頭↓↓

そこへ現れたのは、英雄【ウィリアム・テル】。
彼は「駆除なんてさせない!」とクマを庇いました。

↓村長と対峙しているヒョウ柄のウィリアム・テル↓


すると村長は言いました。
「ならば賭けをしよう。おぬしの持ってるその銃で、柿を撃てるか?」
ウィリアム・テルは首を縦に振りました。
すると村長は、不適な笑みを浮かべながらこう言いました。
「その柿が、息子の頭の上に置いてあってもか?」

↓柿を頭の上に乗せられている息子↓

苦虫を噛み潰したような顔をするウィリアム・テル。
迷いに迷っていると、息子は一言
「ダッドを信じるよ」

ウィリアム・テルは柿を仕留めると約束をし、息子に銃を向けました。

息子は目を閉じて、歯を食いしばります。
その場にいた全員に緊張が走り、どこからかツバを飲み込む音が聞こえてきました。
ウィリアム・テルは狙いを定め、引き金をひきました。
その時、

バッ!とひらいたのは、傘。
ウィリアム・テルが持っていたのは、最初から銃ではなく、傘だったのです。

息子は安堵の涙を浮かべ、クマと村長はあっけにとられていました。
さっきまでご立腹だった村長は、みるみるうちに目尻がさがり、こう言いました。
「いやいや、こりゃ一本とられた!祭りじゃ!祝いじゃ!みな踊れ!(?)」

ウィリアム・テルと息子は、柿と傘を持って踊りました。

クマも一緒に踊り出します。

村長も一緒に踊り出します。

村の外でも踊ります。

 

この踊りは、一晩中続きました。
後にこの物語は、「大岡山名物、傘踊り」として、語り継がれましたとさ。

おしまい、おしまい。

………………………………………………………………………………………………

中学の時に悪いことをして職員室に呼び出し。てっきり怒られると思ったら、担任は何も怒らず、1冊の本をくれました。有島武郎の「一房の葡萄」のパクリでしょう。クラスメートの絵の具を盗んだ子に先生が怒る代わりに「葡萄」をあげるという話。そのことで主人公は心から反省したという物語。骨組みとしては似てますが、僕がもらった本は夢野久作の「少女地獄」でした。天才看護婦・姫草ユリ子がウソにウソを重ねて地獄へ落ちるという戒め。有島武郎の「一房の葡萄」は最後「おいしかった」としめられてますが、「少女地獄」の後味はむちゃくちゃ悪かったです。おまけにその頃、日活ロマンポルノで映画化されてたし。これは意外と担任も知らなかったんじゃないでしょうか?

 

さて「柿2部作」第2弾は、有島武郎の「一房の葡萄」テイストで。↓。

 

②柿と、貧乏と、文房具(2019.11/13)

 

あるところに、お嬢様学校に通う、貧乏な女の子がいました。
その子はとても秀才なため、特待生でそこの学校に入りました。
ですが、そこの学校に通う子は、自分以外、全員裕福です。
その子はひたすらに貧乏なので、お友達との様々な違いに、日々悩んでいました。

 

裕福な友達1「今日のわたしのおやつは、広島のもみじまんじゅう」

裕福な友達2「わたしは、プラハに売ってたチョコレート」

貧乏な女の子「いいなぁ。二つとも食べた事がないや。
わたしは、お母さんが勤めてるクリニックからもらってきた、ミルクと砂糖」

 

さっそく食べ始めようとした3人ですが、ここは学校の中庭。
手洗い場がありません。
でも女の子なので、用意周到です。

裕福な友達1「わたしの今日のお手拭は、三ツ星フレンチでも使ってる、これよ」

裕福な友達2「わたしは、ファーストクラスでも使われてる、これよ」

貧乏な女の子「二人とも可愛いの持ってるね。
わたしは、バイト先でお客さんが使わなかった、これ」

無事、おやつを食べ終わりました。
その後は、さすが女の子、お口のケアもかかせません。

裕福な友達1「やっぱりこれよね」

裕福な友達2「わたしはそれの新作よ」

貧乏な女の子「美味しいの?やっぱりにおいケアといえばこれよね!炭!」

裕福な友達1「おやつの時間はあっという間ね。今何時かしら?とけいで確認しましょう」

裕福な友達2「とけい、とけい、あ、あったわ。あら、もうこんな時間」

貧乏な女の子「わたしの、けいと、は時間がわからないんだ」

裕福な友達1「残った時間でシール交換しましょうよ。昨日買ってもらったの」

裕福な友達2「わたしはイギリスで買ったものよ」

貧乏な女の子「キラキラしてて綺麗だね。
わたしは手作りなんだけど、これでいいかな?」

 

シール交換を無事に終えた3人は、授業に戻っていきました。
次の授業は美術です。

裕福な友達1「わたしは、フランスの画家が使っているものと同じキャンバスとペンを使うわ」

裕福な友達2「わたしは世界に3つしかないキャンバスとペンを使ってみるわ」

貧乏な女の子「二人とも素敵な文房具だね。
わたしはそんな高級品持ってないから、これを使うよ」

貧乏な女の子「あはは。これじゃ、ぜんぜんかけないや…。
わたしのは文房具じゃなくて、びんぼうぐだよ…。」

女の子は、どうしてこうも違うのかと、嘆き悲しみました。
「わたしは、まともにかけるペンすら買えない」
一本のえんぴつを、小指ほどの長さになっても、大事に大事に使っていた女の子にとって、カラーペンなんて夢のまた夢でした。
そして、いいものを使っているお友達と、それを持つことすら出来ない自分を恨みました。

とうとう貧乏な女の子は、いけないことをしてしまいました。

同級生のロッカーからカラーペンを(ペン立てごと)盗んでしまうのです。

 

数日後、女の子は先生から呼び出されました。
先生の後姿は、とても意味深です。

「な、なにかご用でしょうか?」
女の子は、怯えながら聞きました。

とてもこわいかおです。
でも、先生は何も言いません。
何も言わず、手を前にかざしています。

『先生は怒っているんだ。わたしが人の物を盗んでしまったから』
女の子はそう気付きました。
そして、盗んだものを先生の前に置きました。

女の子は言いました。「先生、すみません。
わたしは同級生のロッカーからこれを盗みました。
どんな罰でもうけます。」

先生は女の子に聞きました。
「なんでこれを盗んだの?」
女の子は正直に答えました。
「わたしが持っている文房具じゃ、満足に絵も描けないからです。
でも、新しい文房具を買うお金はなくて。」

先生は数回うなずいたあと、女の子に言いました。
「手を出してごらん」

「これは、とっても美味しい柿だよ。これを君にあげる」
女の子は混乱して、聞きました。
「先生、なぜですか?わたしは悪いことをしたのに、なぜ美味しい柿をもらえるのですか?」

先生は一呼吸置いて、こう言いました。
「その柿で、【カキカキ】しなさい。
よし!踊ろう!」

 

 

このお話が、有名な不良更生プログラム「柿踊り」の起源である。

………………………………………………………………………………………………

さて、表題の「柿は英語で何っていうの?」ですが、答えはわかりますか?なんと「kaki」です。

BGM, 遠藤賢司「踊ろよベイビー」


今日は母の話

21/Ⅸ.(木)2023 小雨 最高の教師、涙のクランクアップ

 

中二から僕は東中野に住んでいたが、大学2年の時に父が胃癌で死んだので茅ケ崎の実家に戻った。大学の5年生になるとまるまる1年病院実習でそれは夜中まで病院にいる訳でいよいよ茅ケ崎から通うのが無理になり、こっちでひとり暮らしした時の話。

お化けが出た。川のそばの物件だからだと思った。母に相談したら、知り合いの有名な歌舞伎役者のつてで「お札」を貰ってきてくれ、それを部屋に飾ったらお化けが出なくなった。

その後、僕は無事に医者になり今がある訳だが、母は僕が勤務医であること(誰かに雇われてること)を嫌っていた。母の肝癌の予後が告知された時、「生きてるうちに安心させてやるか」と魔が差して開業を決意したのが誤りで、それを聞いて安心した母はすぐに死んだ。だから母はここを知らない。教訓。皆さん、親に長生きして欲しいなら心配かけといた方がいいですよ。

 

その時の「お札」がこないだどうした具合か出て来ました。捨てた記憶はないから有っても不思議じゃないのですが、3~40年見なかったものがいきなり出て来たから懐かしいやら驚くやら。神の見えざる手、的に言えば、今は除霊が必要との事か?と悪ノリしてサンリオで腹巻を購入したことは前に話しましたね。

ちゃんと真面目に腹巻に「お札」を入れて肌身離さず暮らしていたのですが、腹巻というのは構造上、油断するとスポンと中の物が落ちてしまうものでして、案の定、どっかに落としてしまい紛失してしまいました。

そしたら途端に具合が悪くなってしまい、心にポカンと穴が開いた気がしたのです。

母はとうに死んでるのですが、僕は墓参りもしないし実家にも寄らないので、心の中で母は実家でまだ生きてるような妄想の余地を残していたのです。

それが「お札」の消失で、「母の形見」がなくなって、時期外れに、母を亡くした喪失感が現実感として押し寄せてきたのです。不思議ですね。「外的な現実」と「心的な現実」ってこんなにも乖離してるものなのですね。我ながら呆れました。

 

そんなこともあり、YouTubeで「母」を題材とする歌を選んで聞いています。皆さんも良かったらどうぞ。

さだまさし(グレープ)「無縁坂」

遠藤ミチロウ(スターリン)「お母さんいい加減にあなたの顔は忘れました」

森進一の「おふくろさん」は、もはやロックです。

・三善英史は花街、円山町で育ったシングルマザーの子です。苦労を知ってるからひとにも優しいです。自分も候補者だった新人賞を森昌子が受賞した時、森昌子が泣いて歌えなくなった時に、やさしくエスコートして、代わりに歌ってあげる姿は小学生ながら感動しました。山口百恵もこれをみてデビューのきっかけにしたとか。この年には麻丘めぐみもデビューしています。

森昌子「せんせい」

三善英史「雨」

 

僕はかねがね、「自立」とは輸入された概念ではないか?と疑っています。なぜなら家屋の問題もあり、欧米は子供部屋にはおばけが出るなど小さい頃から独立した空間がありますが、日本は「川の字・文化」です。欧米ではいい年しても実家にいると「おかしな奴」と思われるそうですが、日本では「親孝行」だと思われます。地盤が違うのです。

それが急激なグローバル化で欧米化した日本は生活様式やライフスタイルやメンタリティーまでそっちに寄せたから色んなところで歪が出てる気がします。

とにかく「自立」すりゃいい、と思ってる人も多いですね。良し悪しは別として、「まず自立の定義を決めろ」と言いたいです。そのくらい一人暮らし=自立、と思ってる人が多く、親元から離れればいいから、男の所に転がり込む、という依存対象を変えてるだけって人も多いです。それが悪いと言ってるのではなく、事実を言ってるのです。

心理的な自立とは、心理的に親殺しをすることなら、たとえば僕などは60になってやっと出来たのだからそんなもので、若い人はまだまだ慌てることはないのでは?と思うのでした。

BGM. 桜田淳子「ひとり歩き」


走れ!ファッションリーダーを目指して(改)

19/Ⅸ.(火)2023 はれ 「最高の教師」次回最終回も黒幕考察が難航、明確な動機が見当たらず。

 

美容院に行きました。美容師が変わりました。「前は、スイカ、ですよね?」というので、鬼滅の刃遊郭編の敵の鬼のお兄ちゃん、と説明すると納得。緑が綺麗に残ってるからと、「ビリー・アイリッシュの逆パターンにしましょう」と。誰だ?そいつ?そしてこんな風になりました。

下にもちょっと黒を残す。

アーニャの扇子と。

最近はイヤリングに凝ってるから、器が欲しくて、ネットで注文。

どんな柄だと思いますか?ヒントは、アリス。

タキシードを着たウサギです。

僕は鬼滅の刃の炭治郎のイヤリングをしてポーズ。

鬼滅の刃が流行った時に、瞬足、というメーカーがコラボしたので、三足ほど買いました。

一つ目をこないだまで履いてて履きつぶしました。エスカレーターにて。

これは誰柄でしょう?

そして今度おろしたのがこれ。炭治郎ですね。足の甲の部分にみえるのがイヤリングと同じ模様。

履いてみます。

地に足をつけて、足元を見られても良いように。残りの一つのストックは

甘露寺 蜜璃(かんろじ みつり)です。甘露煮と間違って覚えてました。中の人は、千石撫子と同じ人です。

ちゃんと「♡」が入ってるのは、彼女は「恋の呼吸(こいのこきゅう)」の使い手だからです。よく「死ぬならどういう死因が良いですか?」と聞かれますが、「恋の呼吸」なんて答えられたらいいですね。

 

追記(9/20)

今日、届いた郵便物。困った時だけの神頼み。

カラフルなロザリオ。

Tシャツは、ピカソ。イヤリングの「青」とピカソの背景の「青」が似合うと一部で評判。

BGM. ヴァージンVS「ロンリー・ローラー」


箱の中身は何だろなクイズ✖️2💊💊

9/Ⅸ.(土)2023 くもり ビートきよし、東山紀之新社長に浮上した「ハラスメント報道」に言及。…なんで、きよし?と疑問が浮かぶ。さすが、東スポということか。

 

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。」というと林家三平の「源平」を思い出す方も多いでしょうが、どんなに栄耀栄華を極めたものも長くは続かない、という仏教的な無常観を表すフレーズですね。

カワクリのそばの自転車屋さんも閉店だそうです。1回も行ったことないですが、最終日、中をのぞいたら制服姿の女子校生が店主と談笑してる姿をみつけました。女子と自転車と台風ってよく似合うなぁと思いました。さびしいですね。

老夫婦がやってる町中華の店がありまして通りかかった時に店内に客が誰もいないと入ることにしています。ある日、つぶれてたら、「俺が行かなかったからか?」と悩みたくないからです。入っとけばもしつぶれても、「俺、行ってたし」と言い訳できるから。…誰にだ?

横浜ドリームランドは、東京ディズニーランドが出来てから客足が遠のき経営破綻で閉園になりました。しかしひとは勝手なもので閉園が決まると、「惜しい」「続けて欲しい」「さびしい」「思い出の場所だ」などと客が押し寄せ、最終日などなんと「コーヒーカップ(カップ型の椅子に座ってくるくる回るだけのアトラクション)」に行列が出来て、「4時間待ち」だと。そもそもお前らが行ってりゃつぶれねぇんだよってことなのです。

盛者必衰の理、で思いつくのはやはりジャニーズ会見ですね。4時間やってました。コーヒーカップの待ち時間と一緒です。質問者側が酷かったですね。特に、望月とかいう女は下品で長ったらしくヒステリックでルールを守らない。ジャニーズサイドも苦しかったですね。藤島ジュリーさんは、喋り方に特徴があって、1回言葉を口の中で転がしてから発声するから、口の動きと音声がワンテンポずれるのです。海外中継みたい。ってか、腹話術のよう。東は必殺仕事人の役作りのような時代劇のような口調。結果、残るイノッチがナチュラルで「すごくまとも」に見えて一人株が爆上がり。しかし、やはり最後は東でした。ポンコツっぽい記者が「ジャニーが性犯罪者だからジャニーズ事務所という看板名はどうなのか?ヒトラー株式会社やスターリン株行会社は許されるんでしょうか?」という質問への東の返答が、時代劇口調で、「おっしゃる通りです」はなかなかナイスな返しでした。なんというのか、芸能界で食ってる人間の「格の差」を見せつけられました。ノーベル賞の立場は?

しかし僕がなぜこんなに詳しいかと言うと、4時間の会見を留守録してずっとみてたのです。

「野ざらし」という談志の十八番の落語のまくらで、よく使われてたのが、「馬鹿の番付」というのがあります。東の横綱が「醤油を三升、飲んだ奴」で西の横綱が「釣りをする奴」。何故釣りかというと、釣れるかどうかわからないのに、魚がひっかるまでずっと待ってるだけだから。「あいつ、馬鹿だぜ、釣れもしないのに、もう4時間もああやってる」。「なんで4時間ってわかるんだい?」。「だって俺、ずっと見てたもん」。「お前が1番馬鹿だ」。…っていうのと私は同じですね。自爆。

 

この事件はマスコミも加担してた事件だからこれからは忖度をなくして行くと言う。そうしたら、ひろゆきが良いこと言ってた。「のんちゃんはどうなるの?」って。まったくだ。

 

そんな僕にまた郵便物が届きました。さてこの箱の中身は何でしょう?大きいですね。ヒントはフィギュアです。

正解は、チェンソーマンの「マキマ」さん、です。

これは完全受注生産なので頼んでから届くまで数か月かかります。だから届くころには注文したことを忘れてるので箱を開けるとビックリします。

ジャンプ+のメンバーと並べて診察室に置きました。こうやって見ると、ロイドさんってデカいですね。

この「マキマさん」の目はなんとなくデカいです。

 

第2問。この箱の中身は何でしょう?ヒントはアクセサリーです。

正解は、お薬をモチーフにしたイヤリングでした。ブルーの台紙はちゃんとイヤリングなのですが、ピンクの台紙は間違ってピアスを買ってしまったようです。

青のイヤリングは左耳につけました。

僕はピアスの穴がないから、心理の松井さんのアイデアで、ピンクのピアスは不織布のマスクに付けてもらいました。

こんな感じです。「マキマさん」のような目にしてみました。

こんな感じの仕上がりです。

お薬のイヤリングはカプセルの形状もあります。

カプセルは錠剤より飲みにくいという人の気持ちが分かったような気がしました。これは装着しづらいからです。下の写真は失敗例。「そんなところに付けれる方がスゴイです」とカメラマンの羽田さんは言うので面白いから載せました。

前後左右も難しく、カプセルが後ろ向きになったりして。

でも何度かチャレンジして、なんとかなりました。

 

これはネットで「550円」で買いましたが、「4つセットで1万2千円」ってのも見つけて、すごいボリ方で驚きました。が、よく考えたら、「片耳550円」も高くないですか?これってひょっとして、「1万2千円」を見せといて「高い」と思わせて、「一個550円」を「お得!」と惑わせる新手の商法だったのかも。やられた~まんまと引っ掛かった。タワレコで、「DVD3本1500円」とかで「安い!」と思って要らないのに買っちゃうパターンだ。

BGM. 成清加奈子「ハートのピアス」


袋の中身は何だろなクイズ✖️2

6/Ⅸ.(水)2023 はれ ひろゆき氏&広島・安芸高田市長と議論 情報発信で政治が変わる? 

 

9月に入ってから私が心に誓ったことがあります。「ひとを嫌ったり、意地悪なことを言うのはよそう」と。振り返ると意識的にも無意識にもひとを傷つけたことがありすぎます。もうそういうことはしたくないので、「善い人」になろうと、川原ルネッサンス宣言です。なんでそんなことを思ったかと言うと、今夢中でみてる芦田愛菜のドラマで芦田愛菜がイジメを受けてるからで、僕はそういうことをしない宣言して、芦田愛菜に好かれたいからです。モテたいからやぁ~!あっ、すいません。つい心の声が出てしまいました。

そんな僕に宅配便が届きました。さて中身は何でしょう?ヒントはTシャツです。

大谷翔平だと思いますか?惜しい。東大生が「天才」だと思う人に選ばれた人で僕が知ってる3人のうちのひとりです。ちなみに、「この人」と大谷翔平以外のもう一人は芦田愛菜でした。正解はこの人。

藤井聡汰。背景の茶色が大谷翔平の日ハム時代のビジターのユニフォームの色に似てませんか?

 

続きまして、この中身は何でしょう?ヒントは、アクセサリーです。こないだは、RCのイヤリングやあのちゃんのピアスも紹介しましたね。

正解は、鬼滅の刃のイヤリング。「髪の毛の色とキャラクターが違う」との非難も聞こえて来そうですが、取りあえずはスルーして。

下のすみにチラッとみえる「ポチャッコ」の正体は…

腹巻でした。プリン君のもあります。

クロミも。

サイズ的に大丈夫か?と見えるかもしれませんが、すごく伸びるので平気です。何で腹巻を買ったかというと、先日、談春と三三の「牡丹灯篭」を聴きに行ったからで、幽霊を封じるには、お札を肌身離さず「首に掛けるか腹巻に忍ばせろ」というフレーズがあって、大学の頃一人暮らしのアパートにお化けが出て、母に相談したら、歌舞伎役者のつてで「お守り=お札」を貰ってきてくれ、それでなんとかしのいだことがあるのですが、そのお札が突然出て来たので、折角だからと腹巻を買った訳です。

ですから今日から腹巻をしてます。幽霊のポーズで。

撮影してくれた羽田さんが言うには「椅子に座った方がクロミが可愛い」と言います。なんか、トーテンポールみたいに顔が3つ重なってますが、クロミの中に「お札」があります。

BGM. 薬師丸ひろ子「守ってあげたい」