11/ⅩⅠ.(金)2016 冷たい雨
11月の新刊を紹介しましょう。
ここでも紹介した「聲の形(こえ・の・かたち)」です。
映画を観て原作を読んでいない人は是非、読んで下さい。映画の謎が解けるかも。↓。
それに伴って、押見修造「ぼくは麻理のなか」はフィギュアケースの横の本棚に移動。↓。
そこの一番下の段に横に積んであります。↓。
前にここで紹介した「日本妖怪大全」は診察室の本棚、アグネス・ラムの横にあります。
どうしても観たい人は、声をかけて下さい。えっ?アグネス・ラムをみたい?ど…どうぞ、それも。↓。
昔、こういう記事は、「図書委員」とか「文化部」というものを作り、その人に任せていました。
アイデアは、「さくら学院」。
受付のスタッフにそれぞれ部活を作って、個性をアピールし、患者さんに親しみやすい受付にしていたのです。
僕の精神科治療のイメージは、
<精神科は、治療の道具が少ない。
人によって傷ついた人は、人によってしか癒されない。
だから、カワクリのスタッフは自分のパーソナリティーも治療の武器として大いに活用して欲しい>、です。
しかし、これには根強い反対意見があります。
前の病院で副院長をしていた友人には、
「何もトレーニングしてない人に勝手なことをされたら大変だよ。
君がそういうのを一番経験してるからよく知ってるでしょ?」
別の精神科のクリニックの院長をしてる友人は、
「受付に、話なんかさせないよ。変な事を言われたら、こっちの仕事が増えるだけじゃない?」、
とほぼ同意見。
患者さんの中からも、苦情はありました。
「受付とのコミュニケーションなんて要りませんよ。それより会計や予約をちゃんとやって欲しい」
「先生やカウンセラーに会いに来てるんだから、受付なんて誰でも一緒ですよ」
「ベラベラとずっと喋ってるのがうるさい」
「若い男の患者にばかりチヤホヤしてる」
などなど。
これらの意見はごもっともなのだが、それでも僕の主張は変わらない。
それは僕が医学部の臨床実習の時に、それは灰色の青春生活だったが、唯一、白衣を出しに行って、受け取る時の、
クリーニング屋のバイトの娘の笑顔に支えられて頑張れた恩がある。
彼女はそんなことを知らないだろうけれど、世の中ってそんな風にして回ってる面もあると思うのだ。
受付の仕事は医療の分野だ。医療の分野で大切なことは、…色々ある。
時々、「可愛い女の子」とお話したいならキャバクラへ行け、という意見も聞く。
なんとなく哀しい気分になる。
キャバクラが悪いと言っているのではない。
職業に貴賎はないし。
夢を売ったり買ったりするのも経済だし。
だけど、おべっかやお世辞はコミュニケーションに不可欠だが、それだけで済むと思うのは甘い。
どんな職種でも接客対応にはある程度、共通した王道があると思う。
それは、「ウソが少ない」ことではないかと思いたい。
下は、「俺はまだ本気出してないだけ」の③巻から、
あるキャバクラ嬢が、お客の前ではプレゼントをもらって、喜ぶ顔をして、↓、
客が帰ったら、「処分して」と冷たく言い放つ。人相が悪くなってますね。↓。
寒い日の雨より冷たいですね。
そもそも論ですが、受付に、なぞなぞ、やブログの記事を書いてもらったのは、僕が<楽したい!>という思惑でした。
しかし、それで受付の仕事が増えてしまい、特に今は受付の入れ替わりも激しく、カワクリは過渡期で大変な時だから、
受付が肝心の受付業務や医療事務がおろそかになる方が患者さんには打撃だから、今はそちらに重点を置かせて下さい。
だから、しばらくは受付の、お知らせの記事、や、なぞなぞ作成、は休部です。
下は、そんな心象風景、町並みの冷たい雨で濡れてはがれかかったポスターのような、今はもう誰も解かない、なぞなぞ。↓。
冬来たりなば春遠からじ。もうじき余裕が出来て、受付に皆さんとのコミュニケーションを任せられる日がやって来ます。
それまでもう少し待っていて下さい。僕もあきらめずにやります。
クリーニング屋のバイトの娘のおかげで今の僕があると思っているから。
BGM.ハイ・ファイ・セット「冷たい雨」
11月はおとなしくしてよう⑩~おしゃべり大将
11/ⅩⅠ.(金)2016 冷たい雨
精神療法のテクニックで、「ヒア&ナウ」(今ここ)というのがあります。
カウンセリングでは、「何を喋ってもいいですよ」と自由に喋ってもらいます。
すると、例えば、「あの時の、誰々は、話が通じてるのかどうか判らなくて不気味だった」とか、
逆に、「あの時の、彼々は、みんなが自分の敵だったのに、味方をしてくれて嬉しかった」など、
とその場で思いついたことを語ります。
「ヒア&ナウ」では、数ある話題の中から、わざわざそれを選んだには、無意識的な意味があると考えるのです。
大抵は、「ゼァ&ゼン」(あの時、あそこで)の話題です。
それを「ヒア&ナウ」(今ここ)で考えてみるというのは、こういうことです。
つまり患者さんは意識では、「昔」とか「どこか」の話をしていますが、
無意識的には(今ここ)での治療者との関係を語っているのでは?、と仮定してみる技法です。
そうすると、先にあげた例文の前者は、治療者に話が通じてるのか?と不安になっているのでは?となり、
後者は、ここでは味方をして貰っているとお礼を述べているのだとか、
或は、味方をしてくれますよね?とそう釘をさしている、となり、
治療関係を関わりを持ちながらも俯瞰的に観察してみよう、という第三者的な視点を持つことの推奨なのです。
「ヒア&ナウ」が上手になるためには、トレーニングも必要です。
コツは、相手の他愛もない話を一々「被害関係妄想」的に<自分のことを言っているのでは?>と勘繰ってみることです。
「ヒア&ナウ」は厳密な設定をした上で有効な物なので、皆さんは日常生活に取り入れない方が良いでしょう。
たとえば、デート中に、「あの映画のセリフはうそ臭い」などと言われて、一々、<俺がうそ臭いのか?>
なんてハラハラしてたら、身がもたないですからね。
なんでいきなり、こんな話をしてるかと言うと、話は数日前に遡ります。
しばらくご無沙汰をしてるお店の大将とバッタリ外で会いました。「お久し振り」みたいな挨拶をしました。
そんなことがあると、お店に顔を出さないと気まずいじゃないですか?
それで、今日のお昼に受付のソネさんを連れて大将の店にランチに行きました。
大将は、陽気で楽しい人物です。
しかし、時々、<そんなこと聞くか?>という侵襲的な質問をして来ます。
僕は少し、苦手だったりします。良い人なんですけどね。
案の定、大将はソネさんに質問攻撃です。
以下、「」が大将のセリフ。<>がソネさんのリアクションです。
「休みの日は何をしています?」、<家にいます>
「ひきこもり?」、<ひきこもり、です>
「今日は家にいたいって時に、友達に誘われたら?」、<断ります>
「グイグイ来る友達だったら?」、<グイグイ来る人は友達じゃありません>
「電話でグイグイ来られたら?」、<切ります>
と、大将の包丁さばきも見事だが、大将の質問攻撃をいなせにさばくソネさんも牛若丸のように見事でした。
っていうか、大将、気付けよ。これ、「ヒア&ナウ」だろ。
BGM.ビートルズ「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」
11月はおとなしくしてよう⑨~おはよう
11/ⅩⅠ.(金)2016 冷たい雨
今朝はアラームの代わりに、雨音で目が覚めた。
毎朝、大岡山北口商店街を通るのだが、必ず、果物屋のおじさんが「おはようございます」と大きな声で挨拶をしてくれる。
都会に住み慣れると、人と朝の挨拶をするなんて、滅多にないから、僕も「おはようございます」と挨拶を返す。
これは大岡山にクリニックを開いて良かったことだ。
おじさんの挨拶のバリエーションは果物のように季節によっていくつかあって、シンプルだが味がある、ベテランのいぶし銀。
「寒いですね」、「雨ですね」、「暑いですね」などと、書き出してみると、そのまんまだ(笑)
フルーツは、加工しない方が良いという、あきんど、のポリシーなのか?
それが今朝の冷たい雨の挨拶では、おじさんは「たまらんですね」と言った。
解説すると、「今日の天気は雨でおまけに寒いから、今年は秋がなくて急激に寒くなったから、たまらんですね」
の略だろう。
僕は、「たまらん」というフレーズは、
性的に興奮するが我慢を強いられる時に発する男の発情のエモーショナルな記号だとばかり思っていた。
「辛抱たまらん!」、みたいに使う。
だから、今朝のおじさんの挨拶の、「たまらんですね」、は新鮮!
まるで、もぎたて果実!
BGM.RCサクセション「多摩蘭坂」
11月はおとなしくしてよう⑧~ストーブ
10/ⅩⅠ.(木)2016
朝刊に、トランプ氏が米大統領に世界が動揺、と書いてあったが、よしだたくろうの歌ではないが、
まつりごと、など、もう問わないさ。気になることと言えば今をどうするかだ。
僕が指示をした覚えはないのだが、受付は契約された時間より早く出勤してるみたいだ。
それは歴代の人がそうだからで、そう申し送られているみたいで。
多分、患者さんの中にうんと早く着く人がいて、その人が外で待っていたのがきっかけみたいだ。
そう言えば、うちの父も似たようなことをしていた。
ある冬の日、クリニックの開業時間前に患者さんが外で行列してると噂を耳にした父は、
外は寒いだろう、と、扉を開けて患者を中に入れて、ストーブを点けて、自分は一旦家に帰って、開業時間まで家にいた。
小学生の僕は、<勝手に早く来てるのだから、従業員が来るまで外で待っていれば良いんじゃない?>と言ったが、
父は、寒そうだから、と中に入れてあげてた。結構、朝の早い時間だったと思う。
冬休み、僕は代わりに、扉を開けに行く係りを変わってあげた。
そうしたら、父からも、患者さんたちからも、大変感謝された。
僕は、こういうことは大切なんだと思ったものだ。
そういうことをスタッフに言ったことはないはずなのに、自然とそうやってくれているから不思議だ。
しかし、それには不都合なこともあって、例えば、朝の掃除がしずらいとか。
時間通りに来る患者さんが、すごく待たされるとか。
つまり、早く来てる人は受付時間前に受付を済ませている。それは、厳密にはルール違反だ。
きちんとルールを守っている人が損をして、それなら自分も次から早く来よう、という悪循環を呼び、
受付時間と言うルールが、あってないようになってしまった。
午後の受付も、2時半からなのに、午前中に診察券だけ出しに来る人もいて。
たまにならいいが、毎回だと、ちょっと。
午後の受付時間を守っている人の診察が午後4時とかになるのは、さすがに不公平だ。
だから、これは近いうちに是正するつもりだ。
あまり規則・規則とうるさく言うのは好きではないが、これは患者さんを守るために仕方ない。
と言う訳で、近いうちに受付時間の厳守の徹底をお知らせするチラシを配布します。
手書きの文をコピーします。その方が説得力があるでしょう?
その原稿も早く作らなきゃだ。
父はどうしていたのかな?
11月はおとなしくしてよう⑦~定例会
9/ⅩⅠ.(水)2016 木枯らしが吹く
そろそろ飲み会のシーズンで、落語も「芝浜」の季節が近付いて来ましたね。
診察でも、お酒の失敗談の後悔が聞かれることが多くなりそうです。
クリニックを開業する際に、昔の師匠に、<チーム医療をまとめるコツは何ですか?>と聞きました。
すると、その答えは、「月に1回、呑み会をすること」でした。これは師匠が実践されていることでした。
効能は、普段一緒に働くお互いの人柄を知り、コミュニケーションをとりやすくなることや、
普段は言えないスタッフの不満を聞いたりするはけ口にするためだそうです。
師匠は、一滴も酒を呑めませんが、それなのに朝まで酔っ払い達に付き合っていました。
カワクリでも、月に1回「定例会」というミーティングに、受付・ナース・心理の総勢9名が集まります。
カワクリの方向性や問題点の洗い出しや意見交換を目的にします。
この時、お酒は普段言えない事や、普段話しにくい相手に意見を言うためのツールに使われるものです。
師匠の言いつけを僕は守っているのですが、師匠の意図と違うのは、カワクリで本気で呑むのは、僕だけなのです。
僕は一人で酔っ払い、途中から意識がなくなります。
まるでスタッフが僕の普段のお疲れを労うために、貴重な時間を割いて、僕の酒に付き合う会になってないか?
大抵、翌日、後悔します。<ヤバイ、記憶がない。何かまずいこと言ってないかな?>って。
師匠が言ってた会の趣旨と随分、かけ離れたものになってしまっていますが、なってしまうも何も、はなから、
師匠と僕では人間の基礎条件が違うのだから、真似しようとしたことがそもそもの間違いでした。
「定例会」の意味も考え直さないといけないですね。勤務時間外の時間を拘束するのはよくないですからね。
基本は、自由参加ですが、断りにくいですからね。
大学病院の教授に聞いたら、最近の若い医者は、忘年会や新年会も来ないそうで、自分の時間を大事にするそうです。
僕は、<それは大学病院に栄光がみえないからでは?>と言ったのですが、教授は嫌そうな顔をして、
「川原が若い頃とは、時代が違うんだよ」と言っていました。そんなものだそうです。
時代が違うと言いますが、よく考えたら、いつの世も、酔っ払った者勝ちじゃないですか?勝ち負けの問題じゃないか。
ノミニケーション、って死語だしな。
無理に呑みに誘うのって、なんとかハラスメントって言うのでしょう?
パワハラ?モラハラ?カワハラ?
他人に気を使わせて呑むってのは、呑む方も、付き合う人と同じくらいに疲れるから、誰にも良い事ないな。
考え直すか、「定例会」。
全然、話は変わるけれど、断酒会、の人に聞いたのだけれど、酒飲みが酒を止めにくい季節は圧倒的に冬だそうだ。
夏の生ビールの爽快感はまだ我慢できるらしい。
だけど、独り身に人肌の熱燗はやめられないのだって。
そう考えると、「芝浜」ってよく酒やめれたね。まるで、人間の業の「否定」、みたいですね。
とりあえず、「定例会」、春までは続けるか。
BGM.ザ・ランチャーズ「真冬の帰り道」
11月はおとなしくしてよう⑥~家族
8/ⅩⅠ.(火)2016
ボブ・ディランがノーベル賞をとったことにビックリしている僕はボブ・ディランに詳しくない。
泉谷しげるが「家族」というLPを出した時に、何かのレビューで、これは製作期間を考えると、
ほぼボブ・ディランのなんとかというアルバムと同時期の発想で、つまり泉谷はディランに影響されたのではなく、
同じ時期に、同じような事を考え、同じような作品を発表したのだ、ということを読んで興味を持ったくらいだ。
その頃、中学生だった僕は、何か人間の文明とか、比較文化人類学的なことを考える時の良い素材ではないか、と思った。
恐山のイタコと、沖縄のユタが、似たような側面を持っていても、地理的にも遠いし接点もなさそうなのに、
「イタ」と「ユタ」の発音が似てる、のと同じように、泉谷しげるの「家族」とディランの何かが似てるそうだ。
肝心のディランの方を覚えてなくて恐縮だが、そんな「家族」が、今日のテーマ。
僕は、たとえばコカコーラのCMのように、仲間が集まって、美味しいものを食べて、(バーべQでも可)、そういう‘場’を、
自分の家庭に作りたいと、Xmasでも盆暮れでも、行き場のない人がウチに来て、楽しめればいいな、と
ずっと小さい頃から思っていた。
こんなことを言っては、しょってるが、そういう素質はあるし、サービス精神はあるし、そういうことは好きだし努力もするから、
将来、結婚して子供を作ったら、そういう家族を作りたいな、と思っていた。
そういうお手本になるホームパーティーにも招待されたことがあるから、イメージ・トレーニングは出来ている。
結論から言うと、僕が思い描いていたものに近い形になっているのが、「カワクリ」だと思う。
まだ努力は必要だし、スタッフの熱量も大切だ。
それには、まずスタッフをその気にさせないといけないのだが、まぁ、それはいいとして。
どうして僕がそんなことを思うようになったかと言うと、僕の家は茅ヶ崎の眼科の開業医で、僕が幼い頃から周囲には、
お手伝いさんも含め、たくさんの従業員がいて、昭和40年くらいは住み込みとかあったし、常に同じ屋根の下に3~4人の
若いお姉さんと一緒に暮らしていて、僕はたくさんの大人に囲まれて育った。
その中には、19才とか20才の人もいて、僕が浪人してる頃には、そんなに年も違わないし、シチュエーション的には、
恋におちてもおかしくなかった。落ちなかったけど。受験生だけに。
愛くるしかったあの人達が今は、50~60才なんだと思うと、年齢なんて関係ないな、と思う。
ご対面番組で芸能人が子供の頃、世話になった「お姉さん」に会うという企画で、相手はもうヨボヨボなのに、
泣いて抱き合うシーンに、僕は最近、違う意味を見い出したりして、<まぁ、良いものだな>と思ってる。
僕が同窓会に参加するようになった心持ちとも共通するのだろう。
きっと死期が迫っているのだ。朝からカラスがうるさい。
さて、うちの父は、大正10年生まれの酉年だった。酉年は夜明けを告げる干支で、初代運が強いと祖母が言っていた。
父の歴史はよく知らない。
北海道にいたというが生まれはどこか知らない。
北海道って、大正時代だと海外みたいなものでしょう?
その後、戦争になって父は長男だけど、家は普通の家なのに、父は何故か医者になると言い、
満州(当時は日本)の医学部に行ったらしい。
戦争が激しくなって、父の家族は色んなところへ逃げ回るらしいが、父は家族と離れて勉強して、でも結局、日本は
戦争に負けて、満州で勉強した努力は、パー。
そして戦後、東京の大学に入り直して、勉強するけれど、その時、同級生は一回りも年が違ったと聞いた。
父は若い頃、結核になって、片っ方の足が動かなくなってビッコになっていた。
結婚も遅く僕を生んだのは40才だったから、僕は子供時代、同級生より父がうんと年寄りだから、親が死んだらどうしよう、
ということを常に考えている子供だった。
父は自分が家族と長く離れて暮らしていたから、きっと自分に関わる人には温もりのある生活をさせたいと考えていて、
従業員が多いのも、中国からの留学生を沢山とったり、自分の親戚や家族が楽しめるようにパーティーや旅行を提案して、
スポンサーになった。
子供にも教育費ばかりでなく、学校にものすごい寄付をしていた。
たとえばブラスバンドを作るための楽器一式とか、学校のグランドや遊具を整備する費用とか。
今と違って当時は節税とか開業医の経費の優遇とかあったのだと思うが、だから出来たのだとも言えるが、
別にそこにお金を使わなくてもいいのに、純粋に父は戦争で自分が味わえなかった絆や娯楽や贅沢を、
自分の家族に味あわせたかったのだと思う。
それはまるで質の良いマスターベーションのように思える。
なぜなら、父は家族旅行には一切参加しなかったから。
足が悪かったから足手まといになるというのもあったと思うし、主目的は自分が楽しむよりは家族が楽しむ事で、
家族の家族や友達が楽しむことが主眼で、眼科医だけに、そこには自分がいるのは照れがあったのかもしれないし、
経験して来なかったからどんな顔してそこにいていいのか判らなかったのかもしれない。
医学部じゃ習わないしね。
大義名分は仕事だった。当時は高度経済成長だったし、父は休まず働いていた。
夜は書斎で遅くまで書き物をしていた。論文や短歌を詠んでいたから忙しく、家族と過ごす時間は少なかった。
周りのものは始めこそ遠慮していたが、すぐに慣れるもので、そういうものだということになって、
父を置き去りにして自分達だけ楽しんでいた。父は大阪万博も行ってない。
しかし、そんな父の性格は大正生まれだし、頑固で気が短く、まるで当時流行っていたドラマの「おやじ太鼓」のようだ。
すぐに怒っていたから僕は父が嫌いで、「こいつは金だけ稼いで、死ねばいいのに」とか思っていた。
ひどいと言われれば、ひどいものだ。
小学校の同級生の三上君や内藤君のお父さんは男らしくてかっこよく僕にもよくしてくれた。
その家の家族旅行に連れてってくれてキャンプとかカブトムシをとる体験とかをさせてくれた。
あの頃の他人の家のお父さんは家庭的だったから、それは時代のせいじゃなくて、やっぱりウチが変だったんだと思う。
僕は末っ子だったから、結構、俯瞰的に家のことを見れていて、父の葛藤もみていたと思う。
兄は父の跡を継ぎ眼科医になって医者としてのアイデンティティーを引き受ける重責だ。
僕は父の願いである、兄弟で眼科医になって、父と3人で医院を大きくする願いを無視した。
つげ義春の「ねじ式」じゃあるまいし、そんなに目医者ばかりいてもしょうがない。↓。
父は僕が浪人してる頃に胃癌が発覚して、リタイアを余儀なくされた。
僕が父とまともに喋れるようになったのは、その1年で、父は仕事に出れない体力で、僕は所属する学校がないから、
顔を突き合わす時間が出来たのだ。
その後、父は死ぬから、現役で大学に受からなくて良かったと思う。
現役で受かってたらどう思っていたかは判らないが。
「癌とは、未練の整理に良い物だ」、と言ったのは立川談志で、僕と父はその1年は色々な話をしたものだし、
父は僕の服を真似したり、僕のタバコの銘柄を真似したり、本当は病気にタバコはイケナイけれど、
不器用な父からの息子へのせいぜいの歩み寄りだったのだろう。父が死んだのは、その2年後くらいだ。
僕は精神科医になった分、家庭人としての父が出来なかったリベンジを任されてるような気になっていた。
しかし、実際蓋を開けてみたら、DNAとは怖いものだ。
僕の子供が子供だった頃、僕は子供専門の病院に勤めた。
すると、自分の子供の運動会と、病院の行事の運動会が同じ日で、僕は病院(仕事)をとってしまったり、
家族と離れて病院で生活してる子供(患者)たちのために、1年365日、病院に出て行った。5年くらい続けた。
結果として、僕は父と同じだ。ひょっとしたら、父の悲哀をいつも近くでみていたから、心のどこかで父を乗り越えると、
父が一人ぽっちになってしまうと情けをかけたのかな。
つまり、父が成し遂げられなかった、心の豊かな生活とは何かをみつけて成就することを躊躇したのかな。
父はビッコだったから歩くのが遅くて、家族で移動する時、みんなスイスイと行ってしまい、僕は前とはぐれないように、
そして後ろの父を気にして振り返って歩いた記憶が生々しく、僕は今でも団体で行動する時に、後ろの人がついて来てるか、
気になってしょうがない。
クリニックの開業当時は10年前だから、今の僕とでは体力が全然違う。
初期設定で昼休みを1時間としたのは、仮に午前の診療が長引いて昼休みがなくなっても大丈夫、という自信。
<ノンストップで12時間は働ける>、と豪語していた。
気の狂った発言だが、当時誰もそれをおかしいと言わなかった。
仮に、「無茶ですよ~」、とやさしい人が言ってくれても、僕は平気で無視してたと思うが。
それが最近、体にこたえるようになった。
身近な同業者は、「きっちり2時間昼休みをとる。その間、入口は閉める」、と忠告をする。
<なるほどなぁ>、と近頃思うのだが、開院当初にそんな事を言われてもバカにして相手にしてないのだから、
今更、宗旨替えも出来ないし。
季節の変わり目もあるし、天候の寒暖差もある。年のせいもあるし、体力にひびく。
開院時と同じペースでやってるのは、さすがにこたえてくる。
だけど幸い頭はまだ回る。あと10年はもつと思う。
アントニオ猪木がストロング小林戦の試合後に、
「こんな戦いを続けていたら10年もつ選手生命があと3年で終わるかもしれない。それでも私は戦う!」と言った。
燃える闘魂だ。それに結局、猪木以外は皆死んでるし、猪木だけ長生きだし。これでいいのだ。
しかし、先週は本当に疲れて、診察の合間に<このまま死ぬんじゃないか>と思った。
大和言葉では、「疲れる」と「憑かれる」は語源が一緒だというから、何か悪い者に「つかれた」のかと思い、
エネルギー療法の先生に、重点的に手当てをしてもらい、何とかしのいだ。
堺正章のお父さんの堺駿二はコメディアンの鑑で、舞台の上で死んだ、という幻聴が診察の合間ごとに聞こえてきて、
<俺はここで死ぬのか…>と覚悟を決めた一週間でした。
11月8日は、父の命日。こんな記事を書いたりするのも、季節のせいならいいんだけれど。
BGM. よしだたくろう「風邪」
11月はおとなしくしてよう⑤~フリマっぽい告知(更新)
クリニックの断捨離で、廃棄処分になりそうだけれど、
誰かが欲しがったらと思ってとってあるのが、
「進撃の巨人」のバッジとか、↓、
ライチ光クラブ」のストラップや、↓、
鬼太郎ミラーです。↓。
ものすごーく欲しかったら、言って下さい。
秘密の隠し場所から出して、よりどりみどり、であげます。
そんな‘カワクリ・フリマ’にスタッフの私物も参戦!
「カードキャプターさくら」の未開封グッズとかもあります。
これは貴重なグッズなので、ものすごく好きかどうかを試験して、パスした人に進呈しようと思います。
ある程度、さくら、を知ってないとグッズも可哀想ですからね。
たとえば問題は、「カードキャプターさくら、に登場する主人公の下の名前は何でしょう?」とか、
「クロウカードの守護獣の名前は何?次の3つから選びなさい。①ケ目、②ケ耳、③ケ口」です。
正解じゃなくても、良い答えの人にプレゼント!
さらに、さくら以外のグッズもエントリー。
物語シリーズのバッジや、セーラームーンのミラーも。↓。
鏡なら、鬼太郎かセーラームーン。バッジなら、化物語か進撃の巨人か、という悩み方もありますね。
11月はおとなしくしてよう④~傷物語
7/ⅩⅠ.(月)2016
寿司を食べたら寝ようと思っていたのだが、そう言えば本当に映画「傷物語」が終ってしまいそうなので、
調べたら新宿ではもうやってなく、あとは多摩センターの朝1回とか、ブクロの夜1回とか。
ブクロは8時40分からだから、このまま観に行くことにしよう。
よく「物語シリーズ」を観たいけど種類が多すぎて何から観て良いか判らないという質問を受けるが、
アニメなら、まずは「化物語」から観るのが良いです。
内訳は、 ①ひたぎクラブ、②まよいマイマイ、③するがモンキー、④なでこスネイク、⑤つばさキャット、
とクレジットされてれば、合っています。
今回、上映されている「傷物語」は実は、言ってみれば、エピソード0、みたいなもので、時系列から言うと、
「化物語」の前になり、僕は「物語シリーズ」では最高傑作だと思っています。
「傷物語」は、そもそも 2012年に映画化されるはずでした。
クリニックには、その告知用のポスターも貼ってあります。↓。
それがたまたま制作会社の「シャフト」(今はNHKの「3月のライオン」を作っています)が、魔法少女まどか☆マギカ、
の映画化・それも2本同時上映とバッティングしたため、あとに追いやられてしまいました。その時の、まどマギ。↓。
ファンとしては、いまかいまかと待たされていて、正直、待たされ過ぎです。待ちくたびれました。
しかし、その分、「傷物語」は力が入っています。
まどマギ、の2本を越えて、「I 鉄血篇」「II 熱血篇」「III 冷血篇」の3部作になっていて、今は「II 熱血篇」です。
傷物語では、伝説の吸血鬼を追いかけて吸血鬼ハンターが集まるのですが、その中の一人・‘エピソード’は、
「終物語」では臥煙伊豆湖に呼ばれて登場してるから、テレビを観てた人は知ってる人もいるでしょう。
この‘エピソード’の声は、「おそ松さん」のトド松がやっています。
ちなみに、物語シリーズの主人公・阿良々木暦の声はチョロ松で、その恩人・忍野メメの声はおそ松です。
超ウケる(楽屋オチ)。
物語シリーズをどこからみればいいかという質問をする人の中にも、サラッとみておきたい人と、極めたい人とが、
混在してると思うのです。
もしも、きちんと極めたいなら、オススメはまずは①原作「化物語」を読む。②アニメ「化物語」のDVDorBDの本編を観る。
③アニメ「化物語」のDVDorBDを副音声で観る(聴く)。④アニメ『化物語』副音声副読本を読む。の順番が良いでしょう。
アニメの副音声は大抵、声優の撮影秘話やこぼれ話・フリートークなどで、それはそれでファンにはありがたいのですが、
「物語シリーズ」は一味違います。
原作者の西尾維新がちゃんと副音声用のシナリオを書いて、かつ、声優が役柄としてアニメにチャチャを入れていくという
メタ的な手法が斬新かつ好評です。
「偽物語」①巻のBDには、副音声が2パターンあって(DVDは1パターンのみ。BDの方が容量が多いらしい)、
その2パターン目で、月火ちゃんが撫子をいじめまくる性格の悪さは、筆舌に尽くし難く、
その後の「物語シリーズ」の展開を考えると、あれだけの大事件になるなら、月火ちゃんを送り込めば良いじゃん、と
突っ込みたくなるくらいの想像力を豊かにしてくれます。月火ちゃん、不死身だし。
西尾維新は、アニメ『化物語』副音声副読本、のあとがきにこんなことを書いてます。要約すると、
本はどんな風に読もうが読者の勝手で、小説家が指示するようなものではない。
あくまでそれを前提として言うのだが、この副音声副読本だけは、アニメを観てから読んで欲しい、と。
そうなると上に示したように、①~④の順番になる訳です。
たかが、アニメと言えども、極めようとすると、それだけの労苦が必要だということです。
それで思い出したのですが、もう辞めちゃったけど、昔、うちに勤めていたスタッフが、カワクリで働くには、
「涼宮ハルヒの憂鬱」を知っておいた方が良いと判断したらしいが、極めるのは面倒くさいから、こっそり、
「100分でわかる涼宮ハルヒ、なんてないですかね?」とジョークを言ったらしく、そうしたら別のスタッフから、
「そんなことが先生の耳に入ったら大変だ」と水面下でもみ消すのに苦労したという話を、随分時が経ったので、
最近、聞いた。
うちのスタッフは、通常のクリニックの業務より、別ベクトルの仕事が多いのだなぁと今頃、知った。
BGM.戸川純「好き好き大好き」
11月はおとなしくしてよう③~寿司屋で呑む
7/ⅩⅠ.(月)2016
11/7は、本当なら豊洲に移転する日らしい。
そんなことはどうでもいいのだが、今日は珍しく何も予定のない月曜なので、
昼間から近所の寿司屋でいっぱいやって、サッサと寝てしまおうと思った。
冷酒を頼んで、鯵と鰯と秋刀魚の刺身と、白子のポン酢、セイコ蟹という松葉蟹のメスを食べた。
セイコ蟹は初物で、年内しかとっちゃいけないらしい。なくなっちゃうからでしょうね。
松葉蟹も今日が初競りらしく、高いのには、130万円の値がついたらしい。
ご祝儀相場、という奴ですね。
高いのは初日だけで、1週間もすると普通の値段になるそうだ。
松葉蟹と越前蟹はとれる場所が違うだけで同じもの、ズワイ蟹も見た目は同じらしいが値段は1/3だって。
タグがついてるかどうか(ブランド化されてるかどうか)だって。
松葉蟹は、蟹酒というのが美味しい。
まず蟹を食べたら、脚を香ばしく焼いて、熱燗を注いで呑む「蟹酒」は、ふぐのひれ酒より美味しい。
こないだ「ウチくる?」で最近の回転寿司がすごい、という特集をやっていた。
活きた伊勢海老を握っちゃうとか。
僕は回転寿司は苦手。
さすがに今は食品表示の問題とかでないのだろうけれど、
昔は何の魚かわからない謎の魚を白身だから、「鯛」とか「平目」として安く握ってたし、
海蛇を穴子と言ってた時代もあった。
リアルな体験では、浪人生の頃、茅ヶ崎に回転寿司屋が出来たから行ってみたが、
そこでは「平目」を注文したら、「山芋」を魚の切り身の形にスライスして出してきたカルチャーショックから、
いまだに立ち直れていない。
BGM.ボ・ガンボス「 魚ごっこ」
11月はおとなしくしてよう②~主任教授の土産
6/ⅩⅠ.(日)2016 不動前で呑む
僕が医者になったばかりの時の主任教授の息子から、デューラーの「メランコリア」の版画の複写をもらった。
この絵はかねてから僕が目をつけていて、教授にどうやって入手したのかを手紙に書いて質問したりしたから、
その回答としてこれを下さったのだ。
裏には、川原達二先生へ、と直筆で先生のサインと日付もある。ありがたい。
デューラーの「メランコリア」は、人間はすべての欲しい物が手に入ると、憂鬱になる、という意味深なモチーフで、
色んな成功の象徴が、天使の祝福とか完成された魔方陣とか、散りばめられていて、謎解きして行くのが面白い。
憂鬱になるくらい、すべての物を手に入れたいものだ。…本当か?(自問自答してみました)
昔、ハンク・アーロンの記録を抜いた頃、週刊ベースボールのインタビューで、王貞治が、
「好きな歌は、梓みちよの『メランコリー』」、と答えていたのを何故か忘れられない。
BGM.梓みちよ「メランコリー」