番外編・父の命日

8/ⅩⅠ.(金)2013 くもり
前回と前々回とその前の記事を読まれた方は、さすがに今回は予告通りに、記事が進むと思われたでしょうね。
でも、「生きること、死ぬこと」を書くには、同時進行で先に済ませないといけない案件が生じてしまって。
今は、そっちに手を取られてしまっていて。
優先順位というのか、まずそっちを済ませてから、或いはその合間合間に書いてゆくので、しばらくお待ち下さい。
でも、そんなことをしているとその間はブログの更新が滞ってしまうので、今日も番外編をお送りします。
今日は11月8日、父の命日なので、お墓参りの代りに、父の思い出を記します。
父は大正10年生まれで、戦争中は家族と離れ離れになって、結核を患い足が不自由になって、満州に渡り医学校に入るも、敗戦で日本に戻り、東京の医学校に入り直し、自分より10以上も年下の同級生と一緒に勉強したとかしないとか。
あまり自分の苦労話をしなかったので、良く知らない。
父は何故だか、縁もゆかりもない茅ヶ崎という海に近い町を選び、そこに住み眼科医院を開業した。
家は茅ヶ崎の南口の駅の近くにあって、もう少し海の方まで行くと別荘地が多くなる土地だった。
僕が子供の頃は、近所から引っ越す人が多くて、そういう人から土地を買って、家はどんどん広くなって行った。
最終的には、ワンブロックくらいあったんじゃないかしら?
庭に池やプールや歌碑や書庫があり、職員の寮や患者さん用の駐車場や母方の親戚の住まいも近くにあった。
僕は小学校低学年の頃、裏に住む祖母のところに話し相手に行ってた。
炬燵に入って、日本茶と和菓子を食べ、夕方に流れる時代劇の再放送や大相撲中継を一緒に見ながら談話していた。
祖母は、母方の祖母で、「タッちゃんのお父さんは、トリ年生まれだから、夜明けを告げる人で、だから立派に一代で財を築いた」と幼い僕に説明した。
僕は、<じゃぁ、だったら、僕は大人になっても働かなくてもいいね>と言ったら、祖母は狼狽した。老婆を狼狽させた。
祖母は、「タッちゃんはトラ年で一番強いんだから、お医者さんになって、お兄ちゃんと一緒にお父さんと3人で病院を大きくしないと」と言ったが、それは嘘っぽかった。
本心でそう言ってるようではなかった。
ただ、立場上、そう言わざるをえないという雰囲気だった。目を合わさなかったもの。
でも、昭和40年代の医者の子供は皆、「後を継ぐのが当然」のように育てられてたようだ。
良い悪いではなくて、そんな時代だったのだと思う。
小学校でも、教師やクラスメイトは無条件に僕は将来、医者になるものだと決め付けていた。
学級で、お腹が痛い子が出ると、まず僕に診てくれ、とやってきたものだ。
そして、僕は「保健室に行け」とか「家に帰って病院に行け」とか指示を出していたものだ。
僕は小4の時、手の骨を骨折して、父の知り合いの整形外科の医者にかかり、その家族と付き合うようになった。
クラスに医者の子は僕だけだったので、よその医者の家の様子を知るのは、自分の家と比較して自分を客観視する上で参考になった。
僕の怪我は野球の試合中に起きた。
僕はショートを守っていて、三遊間の深いゴロを逆シングルでダイビング・キャッチした際に、左手の親指に全体重がかかって複雑骨折した。
それでも、僕は起き上がり様、ボールを右手に持ち替えスナップを効かせて、一塁へワンバウンド送球、打者走者を刺した。
思い出は美化されるもので、僕のファインプレーは僕の記憶の中で日々、華麗に上書きされた。
だから、大きくなってプロ野球の好プレー特集などを見ても、<俺の方がスゴい>と本気で思っていた。
高校を卒業する頃は、ドラフト会議で指名されるんじゃないかとドラフト前日に床屋に行ったりした。部活はブラバンだったのに。
僕の骨折した左手の治療方針は、ギブス固定だった。まだ子供の手なので、手術だと骨が成長しないからと言われた。
だから、僕は左手に分厚い石膏のギブスを数ヶ月していた。
グラブははめられなかったが、右手は使えたので、野球ではピッチャーをした。
捕手からの送球はワンバンで返してもらい右の素手でキャッチした。
ある日、僕のギブスの石膏がどの位、硬いのかと話題になった。
上級生達が来て、試しに脳天に空手チョップを打ってみて、と頼まれた。
皆、おっかなびっくりで、口々に、「軽くな」と言ったが、僕は容赦なくジャンピング脳天チョップを食らわした。
皆、頭を抑えて、転げまわって痛がった。
それ以来、僕は小4にして、学校で最強の男になった。
誰も、僕と喧嘩をしようとはしなかった。
それは、最強の武器であるギブスが外れた後もそうだった。
おそらく皆が恐れたのは、僕の左手のウェポンにではなく、平気で本気チョップを打ち込んで来る凶暴性だったのだろう。
ギブスが外れた後は、リハビリの日々だった。毎日、病院に通った。
父の知り合いのその病院は茅ヶ崎の南湖という海岸の方にあって、僕の家からは少し遠かった。
僕はバスで通っていた。
これで治療が全部、おしまいとなった日に、父の友人のお医者さんは僕を車で自宅まで送ってくれた。家族総出で。
僕の家は両親とも運転免許証をもってなかったから、車がなかった。
だから、家族が一台の自家用車で移動するという空間にお邪魔するのはよそと自分の家を比較する上で新鮮だった。
その家のお父さんが運転手をして、僕が助手席に座り、後部座席に奥さんと子供が2人いた。「人生ゲーム」みたいだと思った。
子供は、僕より年少の人見知りをしない騒々しい男の兄弟だった。
道中、彼らは父親に向かって、「ねぇ、このお兄ちゃんを治したのは、パパ?」と後ろから話しかけていた。
父の知り合いの医者は、ハンドルを握りながら、子供たちに、「違うよ。タッちゃんが一生懸命、自分で治したんだよ」と答えた。
僕は、この家では子供は自分の父親を誇りに思うんだ、と思って、自分にはそういう気持ちが欠けてるな、と思った。
僕は自分の両親に車内でのやりとりの一部始終を報告した。
<お父さんの友人の医者は、自分が治したと自慢してもいいのに、治療は患者の治そうとする気持ちが大事だと教えてたよ。
英才教育だね。なかなか大したものだよ。あの兄弟は、将来医者になって、あの病院を大きくすると思うよ>と僕は言った。
すると、僕の父と母は、顔を見合わせて、困ったような顔をして黙り込んだ。僕は、その瞬間の「間」をよく覚えている。
その後、僕は疲れて、居間でそのままうたた寝をしてしまった。
母が僕に毛布を掛けた拍子に目を醒ましたが、同時に両親の会話が耳に入って来た。
父「さっきの達二の言い分を聞いたか?」。母「ええ」。
父「達二は、将来、駄目かもしれないな」。母「あの子は、難しいから」。
その後、父母、沈黙。僕は、重い空気を読んで、タヌキ寝入りを続行。
そして、それからいつか、チャンスがあったら、問い質してやろうと思っていた。セリフも考えた。
<何をもって駄目と定めるのだ?駄目の定義を明確に述べよ。逆に、駄目じゃない状況とはどういうものを指すのだ?
それのメリットは何だ?仮にそれが良いものだとして、それは誰の価値基準だ?>などと。
しかし、結局、それは聞かなかった。
父は、僕が二十歳の頃、胃癌が見つかって、医者をリタイアした。
僕は、子供の頃は、あまり父と話さなかったが、父が死ぬまでの1年弱はよく話した。
その頃の父は僕の個性を認めていて、僕が着てた普段着のツナギをお揃いで着たり、僕の吸ってる煙草の銘柄を、マネした。
それは、セーラムのメンソールで、茅ヶ崎の風土にはよく似合った。
癌に煙草は良くはないのだが、父はもう手遅れだったので、僕らは一緒に吸っていた。
もうその頃には、父の「達二は、将来、駄目かもしれない」発言の真意や言及はどうでもよくなっていて、煙草の煙と一緒に僕は煙に巻かれてやった。
BGM. トレメローズ「サイレンス・イズ・ゴールデン」


番外編・母の誕生日

5/ⅩⅠ.(火)2013 くもり
前回と前々回の記事を読まれた方は、予告通りに、記事が進むと思われたかもしれませんね。
まずは、「生きること、死ぬこと」なのですが、これを書くには先に済ませないといけない物が生じてしまって。
優先順位というか、同時進行というか、そっちの合間を見つけて書いてくので、しばらくお待ち下さい。
①「生きること、死ぬこと」、②石野真子、③バリ島、④ベルハー…の順番で行くので。
さて、そんな訳で、ブログの更新が滞ってしまうので、今日は11月5日、母の誕生日なので、母の思い出で繋ぎます。
母は2006年3月19日に死去していますが、僕はろくにお墓参りなどしていません。
そのお墓は父が死んだ時に建てたもので、(お墓も建てるって言うのかな?)、そのお墓には両親の骨が入っています。
でも、僕はどうにもそのお墓が好きではなくて、墓参りに行く気にならないのです。
それは、あの寺の坊主が僕は気に入らないんだ。ひどい人相してて、態度もふてぶてしい。おまけに、その嫁も。
あいつらに会うのが嫌で、お墓参りをしなくなったと言っても、過言ではないよ。
そもそも、親が死ぬまで、そこにお寺があることもしらなかったし、母だって、父が死ぬまでは行った事がないはず。
つまり、縁もゆかりもない場所だ。
何かの歌にあったけれど、お墓の前に両親の霊とか魂がいるとは思えないのだ。
こんなことを言ったら、細木数子あたりにどやされそうだが。
僕は墓参りどころか、三回忌だとか七回忌だとかの法要にも行っていない。
そもそも、三回忌だとか七回忌に法要があったかどうかさえも知らない。知らされてないし。
こんなことを皆さんが知ったら、とんだ親不孝者だと思うかもしれない。
なので、その名誉挽回に、母の誕生日に母の思い出を綴ろうという訳だ。
形式にとらわれない、供養の仕方を模索したい。母に語りかけ口調で。
お母さん、小学校の頃、僕は背が小さかったですね。
ある日、お母さんは僕の用事で小学校に行って、カンカンに怒って帰って来ましたね。
「山椒は小粒で、ピリリと辛い!」と叫んでいましたね。
聞けば、他の子の親に「タッちゃんは小さいから」と言われて、馬鹿にされたと言ってましたね。
僕は人間は中味が肝心だから、たとえデブでもチビでもブスでもハゲでも、そんなことは関係ないと思っていたけど。
お母さんが悔しがってるのが、かわいそうでね。
僕はお母さんから、馬鹿にした奴の名前を聞き出して、翌日、学校でそいつらの息子たちを片っ端からブッ飛ばした。
それで、家に帰って、その報告をしたら、お母さんは嬉しそうに、一件、一件に、お詫びの電話をかけてたね。
もっと小さい頃、大勢で熱海に旅行に行きましたね。
僕は、その温泉旅館に着くなり、ソファベッドみたいなものにダイビングして、打ち所が悪く、額から大流血しましたね。
すぐ病院に直行、家路につきました。その旅行は秒単位で終了しましたね。
箱根に旅行に行ったのは、僕が高校生の頃かな。
お正月をゆっくり過ごそうと出かけたんだけれど、そのシーズンは旅館は混んでて、サービスが悪くて、僕は不機嫌になって。
口もきかないから、お母さんは困って、結局、この旅行も一泊もしないで、わずか数十分で帰ってきちゃいましたね。
こう考えると、僕は我儘ですね。「My Mother」=「我がママ」の駄洒落じゃないですよ。もっとしんみりした話をしたいのです。
でも、我儘と言うより、僕は自分勝手でしたね。
大学の入学式です。僕は大学生になってまで、親が入学式に来るのは恥しいと思っていたのです。まだ反抗期ですね。
僕が嫌だったのは、周りの新入生たちで、皆、親子で来てて、嬉しそうに記念写真なんか撮っていて。
僕は、こんな奴らと一緒にされたくない、と思って、入学式を途中で脱け出して、母を置き去りにして、1人で帰っちゃいましたね。
あの時は、ごめんなさい。悪かったと思っています。
あの日、お母さんは、遅れて家に帰って来て、僕が居間で寝転んでテレビを見ていたら、「良かった。いた」と笑ってましたね。
あの場面は、怒るとか、「心配したでしょ!」くらいのことを言っても良かったんじゃないかな。でもなぁ、相手が俺だもんなぁ。
あれが正解だったのかも。
そう言えば、兄の結婚式の時も。
僕は間に合うように家を出たんだけれど、電車の網棚にスーツを置き忘れて、それを取りに行ったりして、遅刻して。
結婚式の途中で、バタバタと親族席に僕が遅れて到着すると、お母さんはホットした顔をして、振り向いて笑っていましたね。
僕にも今、家族がいて、世間体は保っています。
でも、家族って言っても、他人とあまり変わらないですね。
家族だって、他人と一緒。これって、考えようによっては、博愛主義者みたいですね。
僕は、お母さんの作る「ロースト・ビーフ」が好きでしたよ。でも、あれ厳密には、「ロースト・ビーフ」じゃないですよね。
高級な肉の塊を、セロリとか薬草と一緒に焼いて、その野菜のダシと肉汁に醤油か何かで味付けしたソースを作って。
それをたっぷりかけてヒタヒタにして食べるんだ。僕は今でも、この世の中であれが最高に旨い食べ物だと思っています。
有名店の「ロースト・ビーフ」を色々、食べましたが、どれも劣りますね。
あの味は、もうないんです。お母さんは、息子のお嫁さんたちには、「ロースト・ビーフ」の作り方を教えなかったからね。
こないだファミレスで1人で本を読んでいたら、隣のテーブルに家族連れがいて。そりゃ、ファミレスだからね。
僕の真向かいに座った男の子はやっと言葉を喋りだしたくらいらしい。
その子は「飲み物」が欲しくて、母親に「あぁ!あぁ!」と指差すんだけれど、母親は「口で言えるでしょ?」と言うんだよ。
多分、ちょっと前までは、その子はそうやって「あぁ!あぁ!」って言えば、欲しい物が目の前に出てたんだろう。
だけど、言葉を覚えたら、口で言わないと、取ってもらえないんだ。
僕とその子の目と目が合った。僕は、「お前、意地でも喋るな!」と気合いを送った。
しかし、その子は俺のエールを無視して、「じゅーちゅ」と言いやがったんだ。
その子の両親は、拍手して、「良く言えまちた~」なんて言って、飲み物を取ってやり、頭なんか撫でていてさ。
僕は本を閉じて、店を出た。
親子でも、言葉が無ければ伝わらないのか、言わなければ判らないのか、と思うと、僕はブルーな気分になって。
でも、親だから教える義務があるとか、理屈は判るよ。
こんなエピソードは毎日、ザラにあって、僕はそんな時、お母さんのことを思い出して、考えますよ。
お母さんは、僕の心の中にいると思ってますよ。お母さんはもう死んでいないから、美化されていて、お得だよ。
BGM. ザ・ローリング・ストーンズ「Have You Seen Your Mother Baby, Standing In The Shadow?」


番外編・劇場版「まどマギ」を観た。

27/Ⅹ.(日)2013 くもり
前回の記事を読まれた方は、予告通りに、記事が進むと思われたかもしれない。
しかし、10月26日に劇場版「まどマギ」の上映開始時期と同時に、僕の「まどマギ」柄のリュックが壊れて。
それは、取っ手と片方の肩に掛ける肩の部分が千切れて。↓。

日々の家とクリニックの往復やバリ島旅行にもこれで行ったのだから酷使しすぎた。
リュックへの慰労の意味も込めて、今回は予定を変更して、劇場版「まどマギ」の記事にします。
公開日の26日は土曜日なので、僕は診療もあるので、公開2日目の27日の日曜日に観に行きました。
場所は、新宿バルト9。
だけど、リュックが破壊されてるので、鞄も買わないと。
今度はもう少し丈夫で重量に耐久性のあるものにしよう。
そこで、ショッピング・カートを買うことにして、映画の前に自由が丘のフランス雑貨店「ピローヌ」に寄った。↓。

自由が丘の駅に降りて、ビックリしたのは、赤いキノコの格好をした兄弟が歩いていたこと。
それだけではなく、ギャングみたいな子供や、猫の扮装をした女の子もいた。
「いくら何でも、自由すぎる街だぜ」と思ったが、良く考えたら、ハロウィンのお祭りのためだと気が付いた。
自由が丘では、どこの店に行けば、お菓子がもらえるというマップみたいな物もあったみたいだ。
「ピローヌ」にも子供たちが来て、お菓子だけもらって帰って行ってた。
去年までの僕は、こんな光景を見たことがないから、急に今年になって普及したのかと思ったが、もう何年もそうらしい。
お店の人がそう言ってた。
僕の目的は、お菓子ではなく、ショッピング・カートだ。カートは表に陳列されていた。↓。

僕は、その中で一番、最近にお店に入ったという代物を購入した。
これは軽くて、小回りが利いて、書籍をいっぱい買っても、これなら楽々、持ち帰れて、便利だ。
今まで本で重くなったリュックを背負って移動していた自分が馬鹿のように思えてきた。下が、僕が買ったカート。↓。

そして僕はバルト9へ。自由が丘から新宿3丁目までは乗り換えなしの一本で行ける。今日の気分は「楽々」だ。
バルト9に着いた。表の大看板は、「まどマギ」だ。↓。

あっ、丁度、まどかの顔が木で隠れてしまいましたね。大丈夫、まどか、の所だけアップでお見せしましょう。↓。

バルト9は、「まどマギ」一色です。天井から、ヒラヒラとキャラクター達のパネルがぶら下がって見えます。↓。

反対側からも、ヒラヒラを。↓。

10階のカフェも、まどマギ仕様です。オリジナル・ドリンクが売られています。これがメニュー。↓。

カフェの壁には、キャラクターの垂れ幕が飾られています。さやか&マミ。↓。

杏子の垂れ幕。↓。

入口には、ほむらがいます。↓。

入口と出口は別方向で、それぞれ「まどか」と「キュウべえ」の立て看板が設置されています。まどか。↓。

どっちが入口でどっちが出口って決まってないですね。入った方が入口ですね。キュウべえ。↓。

カフェの中には、モニターが有り、映像が流れて、音楽も、まどマギです。↓。

カフェのテーブル席も、キャラクターの柄になっています。これが、まどか卓。↓。

そして、ほむら卓。↓。

次が、さやか卓。↓。

これは、マミ卓。↓。

杏子卓。↓。

さらに、キュウべえ卓。↓。

物販コーナーは、カフェの逆側、チケット売り場の上に特設ブースが設けられていましたが、グッズはほぼ売り切れでした。↓。

カフェから、この物販コーナーには渡り廊下みたいな所を通って行きますが、そこには、まどかの垂れ幕がかかっています。↓。

グッズと言えば、劇場にはこれから発売予定のフィギュアが展示・紹介されていました。↓。

ポップコーンは、各キャラクター毎に味が違いますが、ほむら、だけが完売でした。やっぱり今回の主役ですからね。↓。

僕は、ポップコーンのドリンクつきセットを買って、中味は入れないように注文して、綺麗なまま、診察室に飾りました。↓。

パンフも待合室に置いてありますが、これは「ネタバレ注意」と警告のシールが貼ってあります。
これから映画を観る予定の人は、見ない方がいいでしょう。↓。

「まどマギ」はシャフトという会社が製作しています。
シャフトは、「化物語」シリーズの製作会社でもあります。
去年「傷物語」が映画化されると発表されたのですが、去年は「まどマギ」が2作同時に作られたため後回しになった感じです。
その後、「物語」シリーズはテレビでは着々とアニメ化されていますが、劇場版の噂はとんと聞きません。不自然なくらいです。
そうそう、今回の「まどマギ」は本編の前に流れる鑑賞のためのマナーの映像が面白いですよ。伏線?
ネタバレになるといけないから、これ以上は書きませんが。
映画を観ないと言う人でそれが何か知りたい人には教えてあげますから、直接、聞いて下さいね。
クリニックでは、待合室のモニターで映画を消音にして画像だけ流しています。
画像だけでは観てても何が何だか判らないと思うので、日本語字幕にして流しています。
洋画はいいのですが、意外と日本の映画は日本語字幕がついていない物が有ります。
特に注意しないといけないのは、ブルーレイでは字幕があるのに、DVDにはないというパターンです。
「涼宮ハルヒの消失」がそうでした。それから、前回の「まどマギ」もそうでした。
クリニックの再生機器はDVDなので、だから「ハルヒ」や「まどマギ」は流れないのです。
「けいおん」や「エヴァQ」は、DVDでも日本語字幕つきでした。エヴァQは、日本語字幕で観ると内容が理解しやすいですね。
さて、今回の「まどマギ」は話も面白いですが、映像がアートです。前衛っぽいです。
場面展開にもスピード感があり、あれなら日本語字幕なしでもOKだと思いました。
皆さんは、観に行きましたか?
入場者には、ミニ色紙が配布されます。そしてその色紙が週変わりだと言うので、何度も足を運ばせる作戦ですね。
多くの人が観に行くより、コアなファンを何度も観に来させる方が「堅い」ですよね。
そういう意味では、商魂と言うより、ファンサービスと言うべきでしょうね。
さて、次回は、予告通りのブログ記事を公開して行きます。まずは、「生きること、死ぬこと」だったと思います。
優先課題があって、まだ、手をつけていないのですが、合間を見つけて書くのでよろしくお待ち下さい。
BGM. 円広志 「夢想花」(むそうばな)


風の噂とブログの予告

18/Ⅹ.(金)2013 くもり、寒い
風の噂で、大学の同門の先輩が、もうじき死にそうだって聞いた。
一時期、一緒に遊んだこともある仲だから驚いた。
クリニックも閉院してしまうとのこと。通ってた患者さんは大変だ。
行く所なかったら、うちで良かったら、どうぞ。
今年は同年代の医者仲間がよく死んだ。
そういう年だった、ということではなくて、そういう年になった、ということなのだろう、僕が。
そう言えば、今日、年齢を訊かれたな。
僕は小学校の頃は「大人びてる」と言われ、中高では「幼稚だ」と言われた。
大学時代はどうだったかな?
30才を過ぎてからは「若い」と言われ、近頃は「年齢不詳」と言われる。
こないだ若い子に「いくつですか?」と年を訊かれ、
<いくつに見えるの?>って問い返した。
すると、その子は人相判断の易者みたいに人の顔をジーっと見て、
「若く見えるけど、実は60!」とのたまった。
僕はある時期から自分の年齢を暗記しなくなり、
必要な時は今年の西暦から誕生年を引き算して答えを導き出していた。
さすがに「60!」と言われた時は、たまげた。
知らないうちに還暦になっていたかと焦って、焦った。
慌ててその時は、計算ミスをしないように筆算して、検算までして、
「60」にはまだなってないことを確かめた。
恐いなぁ、「年齢不詳」。
そんな事と無関係ではないだろうが、今日、僕はふといつも診療に使ってるスリッポンがかなりくたびれてるのが気になった。
先輩の件もあったしね。
2012年5月の記事「失礼しちゃうぜ」で紹介したレオポード柄の奴です。↓。

僕は、靴を買う時はいつも気に入る靴が中々ないので、必ず2足買うことにしている。
流行は素早くて、数ヵ月後には、せっかく気に入って買ったデザインの靴はもう店頭にはなく、
手に入らず、足も入れられない。
だから、スペアを用意しておくのです。
そして、今日、その2足目を新たにおろしました。綺麗でしょう?。↓。

さて、今後のブログ記事の予告です。以下の順番に仕上げるつもりです。
①「生きること、死ぬこと」
②「石野真子35th Anniversary Tour2013 しあわせのレシピ」のレビュー
③「バリ島」旅行記
④「BELLRING少女ハート」のライブのレビュー
⑤アニメ「日常」のDVD特典の肩身分け
⑥「爬虫類を飼うこと」

⑦立川志らくの落語会、などです。
現在、需要3件の「バリ島」記事は3番目の予定です。3+αの方、しばらくお待たせいたします。
BGM. 森尾由美「天気予報はI Luv U 」


ヘア・スタイル~2013秋

15/Ⅹ.(火)2013 雨、明日には台風上陸らしい
ほんの少し前の日に、徳田さんからメールをもらいました。「バリ島はいかがでしたか?」と。
他の記事のコメントで、saramiさんからも、「バリ島」のリクエストがあったので、これで少なくとも「需要2件」です。
よし、近いうちに「バリ島」のこと、書きますね。
さて、名前を聞いて懐かしがったり寂しがったりしてる人もいるでしょうから、徳田さんの近況を報告しますね。
徳田さんは元気だそうです。
最近は、生まれて初めて、「ある髪形」にチャレンジしたそうです。
何だと思います?
ヒント、次の中に正解があります。それはどれでしょう?
 ①ちょんまげ
 ②アフロヘア
 ③ショートボブ
 ④ソフト・モヒカン
 ⑤文金高島田
正解者には、何も出ませんが、もっとも多かった回答を次の髪型にリクエストしてみます。
組織票とかしてみます?
④あたりで、どうでしょう。
馬鹿な話はこのくらいにして、と言っても、ここから先が、馬鹿な話ではない、という保証はないです。
髪型つながりで、僕も昨日、美容院に行って来ました。
髪色は、ブリーチして、すると髪は黄色くなるので、そこにシルバーを乗せて、「フランス人形風」にしました。
僕の髪質は常人より強靭だそうで、普通の人だとこれだけブリーチとカラーとパーマを立て続けにすると髪の先がパサパサに痛んでしまうらしい。
そこで、美容師さんの言うことにゃ、「ブリーチは、今日で最後にしましょう」とドクター・ストップならぬ美容師・ストップ。
次の髪型が思いつくまでは、そしてそれが出来るくらいに髪が伸びるまでは、ヘア・マニキュアで原色を楽しむことにする。
ヘア・マニキュアは、結構、vividな色が豊富だが、需要が少ないから在庫は限られていて、事前に発注しておく必要がある。
美容師さんは、僕の持参した「BELLRING少女ハート」が表紙の雑誌を指指し、「ピンクにします?」と直感で提案した。
僕はそれでも良いかなと思ったけれど、やっぱりここはカワクリのイメージ・カラーだ、カタログからライト・グリーンを注文した。
なので、もう少し寒い冬の季節になると、僕の髪色は、季節と逆行して、若葉の色になっています。
そうそう、そもそも、ショート・カーリーは夏休みの行き先の、「バリ」(島)を(フランスの)「パリ」だと聞き間違えて、勘違いして、
早とちりして、喧嘩腰で、「パリ人に舐められないように!」とフランス人形風にしたのがきっかけでした。
なんとなく、良い具合に「バリ島」の記事にバトンタッチ出来たんじゃないでしょうか。
下が、これで見納め、ショート・カーリー(フランス人形風)、10月14日(月)バージョンです。↓。

徳田さんの次回作・髪型アンケートも絶賛、受付中です!
BGM. 沢田研二 「コバルトの季節の中で」


つげ義春カラー作品「紅い花」の紹介

10/Ⅹ.(木)2013 晴れ、肌寒い
「ひみつのアッコちゃん」の付箋を使って、お勧め図書を紹介しています。
たとえば、今なら、新刊の「3月のライオン⑨」。↓。

そして、皆さんに是非、手にとって欲しいのが、つげ義春カラー作品集「紅い花」です。
つげ義春の「ねじ式」には2色刷りがあるのは知っていましたが、今回は「紅い花」や他作品も2色刷りです。↓。

注目は10頁の、滝の少女、です。これは、「紅い花」のヒロイン・キクチサヨコが滝に水を汲みに行くシーンです。↓。

僕は、このシーンをフルカラーにした限定100部の額装ポスターを持っています。
それは、クリニックのお手洗いの先のバックステージの壁に立て掛けてあります。
良かったら、見て下さい。場所が判らなかったら、受付スタッフがご案内します。↓。

これは、結構、貴重で、つげ義春の直筆サインが絵の左上に通しのナンバーと一緒に書かれています。
僕のは、ジャスト、100番です。オオトリです。ちょっと自慢です。↓。

この本には、1960年代末に発表された名作10作(うちモノクロ2作)が収録されています。
ですが、何より感動的なのは、巻末にあるインタビュー記事です。
どうすごいのかは、うまく言えません。興味のある人は、読んで下さい。わずか3ページです。
後に竹中直人が監督&主演で映画化した「無能の人」を、より味わい深く鑑賞できます。↓。

そう言えば、「無能の人」が映画化された時期(平成3年頃)に、それを記念してタモリ倶楽部で特集がありました。
タイトルは、忘れてしまいましたが、「無用の物」をコレクションしてる人達を集めて、多摩川の川べりで撮影されました。
僕の部屋の段ボールの何処かにその回を録画したVHSがあるはずですが、探し出すのは至難の業です。
確か、みうらじゅんとかが出てた気がします。泉麻人だったかも。違ったら、ゴメン。
番組で紹介された「無用の物」とは、水道代の領収書とかで、そのスタンプの押されてる位置にこだわりを見せる、などです。
他の物件は忘れましたが、どれも負けず劣らず、「無用の物」でした。
それらをコレクター達がガチでプレゼンして、№1を決めようと言う企画でした。
「無用の物」№1の称号は、栄誉なのか?と言う疑問もありますが、要は他の人にも欲しがらせれるかが勝負でした。
タモリ倶楽部は、つげ義春本人にも出演オファーを出したのですが、断られたそうです。
放送の最後の最後に、タモリが、つげ義春から番組に送られたお断りの葉書を紹介しました。
一同は、「それは、本当に、つげ義春が書いた葉書なのか?」と自分達のコレクションを置き去りにしてタモリの周りに集まり、
鑑定をし、口々に、「これはホンモノだ!これが№1だ!」と葉書を奪い合うように、その場でオークションのように競りが始まり、
でも、タモリが真顔で「これは俺のだ」と言い司会者権限で懐にしまおうとすると、大の大人がマジでつかみ掛かり奪い合いし、
番組はエンディングとなりました。「タモリ倶楽部」史上、最高峰の出来栄えの回だったと記憶しています。
お掃除名人でも雇って、部屋からそのビデオ探して貰おうかな?
お掃除名人って職業があればの話だけれど…。
さて、これは、今日のカワクリの「紅い花」。下にひいてあるのは、Sさんのスイスのお土産。レストランのコースターです。↓。

今週のカワクリの植物係は、Tさん、下が、もう1つの今週のお花。↓。

彼女が花の名前を付箋に貼って、花瓶に点けてくれました。「トーヨーロマン」だそうです。↓。

話題を、つげ義春カラー作品集「紅い花」に戻しましょう。
この本の奥付には、2013年7月24日 第1刷発行、とあります。割と最近に出た本ですね。
ちなみにですが、7月24日は僕の誕生日です。
7月24日生まれの有名人って、あまりいなくて、「谷崎潤一郎」とか元・巨人の「高田繁」くらいでずっと肩身がせまかった。
なので、7月24日にこの本が誕生したのは、つげ義春ファンとしても、7月24日生まれとしても、大変に喜ばしいことです。
「だから、何よ!」と言われたら、返す言葉もないのですが、7月24日だけに、何よ(7・2・4)、ということで。
なんてダジャレはお好き?
BGM. ジャックス「花が咲いて」


もう、10月、休み明け、模様替え、パート2

9/Ⅹ.(水)2013 晴れ、風が強い変な天気
カワクリの10月の模様替え、第2弾をお送りします。
クリニックのインテリアや備品を写真とともにご紹介する気軽な記事です。
まずは、診察室に入った人は、ちょっとビックリするかも、バラのモビールです。
丁度、診察室の僕の後ろにチラチラ見えるから、サブリミナル的に僕を美しく見せる効果があります。
昔のアイドルの手法を応用してみました。
これはフランスの雑貨だそうで、子供部屋などを飾りつける物のようです。↓。

バラなのに緑と黄色の配色が面白いなと思い、カワクリのイメージ・カラーも緑なので購入しました。
下が、バラのアップ。こんな感じの質感です。↓。

次いで、「まどかマギカ」の映画化を記念して、「キュゥべえ」と「お菓子の魔女」のぬいぐるみです。
これは、相談室と処置室の正面の壁の上の方に画鋲で止めてあります。↓。

アニメつながりで、「進撃の巨人」から、コンセント用のシールです。
これはウォーターサーバーの近くのゴミ箱の横のコンセントに貼ってあります。↓。

別のバージョンもあって、これは「奇行種」。興味がある人は探して見て下さい。相談室の入口付近のコンセントです。↓。

アニメつながりで、これは「ダンガンロンパ」のパスケースです。↓。

「ダンガンロンパ」は何故か、新宿マルイワンの1階でコーナーを設けて、フェアみたいのを随分と長くやってましたね。
新宿マルイワンは、マルイの中でも、ちょっと異彩を放っていて、ゴスロリとかパンクとかサブカルっぽいビルでした。
でも、この9月いっぱいで閉店してしまいましたね。
「ダンガンロンパ」推し過ぎで潰れたんじゃないのか?そんな訳ないですね。失敬な!。冗談にも程が有ります。
失敬つながりで、「偉人のことば」ペンケース・シリーズから、太宰治。
「元気でいこう 絶望するな では失敬」。これは、喫煙所にあります。ヴィレ・ヴァンで売っています。↓。

ところで、このフレーズの出典が何だか判りますか?
太宰治作品ですが、「人間失格」や「斜陽」や「走れメロス」や「晩年」などのメジャーなものではないです。
答えを知りたい人は、受付スタッフの天明さん&富田さん&後藤さんに聞いて下さい。彼女らは、答えを知っています。
さて、今回のテーマは10月の模様替えです。そうなると、ハロウィン色が当然、入ってきますね。
受付のカウンターの正面には、ハロウィンのモビールを吊るしました。↓。

受付カウンターには、「寝釈迦ポーズ」コーナーがありますが、そこにハロウィン・バージョンも参入。↓。

ハロウィンと言えば、お化けですが、妖怪も当てはまるのかしら?下は、「ゲゲゲの鬼太郎」ミラー。↓。

鬼太郎をスライドさせると鏡になります。ウォーターサーバー横の「エゴグラム」のポスターの上辺りに有ります。↓。

お化け、から連想して、「化物語」、登場人物のフィギュアを受付カウンターの上に飾りました。
でも、ここまで来ると、ハロウィンと随分と距離が空いてしまった感じですね。
おまけに、これ、「偽物語」シリーズでした。…撤収かな。↓。

最後はやはり、お気に入りのポケモンのゲンガーです。
大小、取り揃えてみました。↓。

そういう訳で、今度、カワクリに来る際には、気になる物を探してみて下さい。
そして、カワクリに来る機会のない方は、雰囲気だけでも味わって下さい。伝わったかな?
お陰様で、僕は元気にやっています。では失敬。
BGM. 郷ひろみ・樹木希林「お化けのロック」


もう、10月、休み明け、模様替え

4/Ⅹ.(金)2013 曇り時々雨
カワクリの遅い夏休みも終わり、診療再開、気が付けばもう10月、早いもので今年もあと3ヶ月ですね。
僕は、夏休みの最終日、カワクリ内を少し、イメージ・チェンジしました。
まずは、診察室の扉の前の壁のポスター。こないだまでは、「まどかマギカ」の映画の告知ポスターでした。↓。

映画の公開は10月26日と迫り、告知用のポスターも新バージョンが出たので、それに替えました。↓。

映画のチラシも新しくなってたので、受付の前のカウンター側の壁に、新旧、取り揃えて、貼っておきました。↓。

近頃の慣習では、最早、映画化の前に、テレビで旧作を再放送するのが恒例ですね。
「まどかマギカ」もそれにならって、明日、10月5日の夜11時半から、東京MXで放送開始です。
まだ観てない方は、観るといいかも、劇場版の予習にもなります。丁度、「物語シリーズ・セカンドシーズン」の前の時間帯です。
「アニメはちょっと…」と敬遠気味の方にも、「まどかマギカ」は気にいるかもしれません。何かの芸術祭の賞とかとってますよ。
まぁ、賞をとる、というのが面白い根拠にはなりませんけどね。
そう言えば、話は脱線しますが、必ず戻すので、安心していて下さい、僕はキュウリが嫌いです。
昔、僕のキュウリ嫌いを知ってる友人が善意から、「このキュウリは上手いから、食ってみ!」などと食べさせようとされました。
だ・か・ら、俺はキュウリが嫌いなの!
でも、友人はしつこく、「このキュウリは普通のキュウリと違うから。本当に旨いキュウリだから!」と薦めます。
だけど僕にとっては、旨いキュウリなんて言われても、その言葉自体が矛盾を孕んでいるのです。親切な泥棒、とニュアンスが似てます。
友人に悪気はないし、薦めてくれる気持ちは判るんだけれどね。ゴメンな、キュウリを旨いと思う自分のことが受け入れないんだ。
つまり、僕はその友人と同じことをしてないか?
アニメが苦手な人に、「まどかマギカ」は違うから、って言うのって、旨いキュウリを食わそうとしてるのと一緒かなと思って。
さて、無事に話も元に戻ったので、カワクリ内のリニューアルの紹介の続きをしましょう。
主に塚田さんが使う処置室(別名、ホワイト・ルーム)の前の壁にポスターをベタベタと貼りました。
映画つながりで、懐かしの「銀河鉄道999」を。
メーテルは、今でもアニメの人気ヒロイン・ランキングのトップ3に入りますね。↓。

そして、「怪獣総進撃」。これは、文字通り、怪獣が豪華キャストです。
出演者のところに、ゴジラ・モスラ・ラドン・ミニラ…と怪獣の名前が俳優たちの前にクレジットされてるのが楽しいです。
大人が本気で怪獣映画を作っていた最後の頃ですね。興味のある方は、実物をご覧下さい。↓。

いきなり路線が飛びますが、これは「BABY METAL」です。さくら学院の課外活動の「重音部」としてのポスターです。↓。

BABY METALは、カワクリのBGMでもよく耳にするはずです。メタルっぽい重低音に澄み切ったボーカルがそれです。
ちなみに、「なんだ、これは?」と思うような歌唱力と印象的なメロディーのインパクトがあったら、それは、BELLRING少女ハートです。
診察室の僕の後ろのポスターでゾンビと一緒に写っているのが、「BELLRING少女ハート」こと「ベルハーちゃん」です。↓。

ゾンビで思い出しましたが、10月はハロウィンですね。
僕らの世代には、ハロウィンはイマイチ、ピンと来ませんが、少し背伸びして、カワクリも、少しハロウィンの気分を意識してみました。
お化けの飾り付けを、「劇画オバQ」の拡大ポスターの上から吊るしました。↓。

お化けつながりで、ポケモンの「ゲンガー」のぬいぐるみもぶら下げました。これは僕はちょっと気に入っています。↓。

そんな訳で、カワクリ、2013年度後期、開幕です。休み明けは、少し混むと思います。皆さん、よろしくお願いします。
あっ、夏休みの話をするの忘れてました。僕はバリ島に行きました。その話は、需要があれば、またの機会に書きますね。
さて、10月、僕のマイ・フェイバリット・ソングスの歌い手は、BABY METALとBELLRING少女ハートです。
BGM. BELLRING少女ハート「ライスとチューニング」


F.へ~加藤和彦物語を観た。

15/Ⅸ.(日)2013 天気雨
台風18号が来るとの予報も、家を出たのが午後3時過ぎ、空は天気雨だった。
雨が降ってるのに、空は晴れている。サザンの歌にそんなのなかったっけ?
本日は、渋谷公会堂で16時から、「加藤和彦物語」だ。
正確には、きたやまおさむ「アカデミック・シアター、加藤和彦物語」だ。
実質的には、北山修とアルフィーの坂崎が、ゲストと一緒にフォークルの歴史を振り返る企画だ。
これは、今年の3月にもあり、その時は、友人のF.を誘って一緒に行った。
今回もF.を誘ったが、3連休は家族旅行の予定らしく、「残念だが行けない」と残念そうだった。
だから、今回の記事はF.のために書こう。
北山修は、今、芸能活動を「きたやまおさむ」と平仮名表記にして、精神科医(精神分析)の北山修と区別している。
だけど、僕らの世代には、ピンと来ないよね。
だから、あえて、北山修と書いてくね。「きたやまおさむ」じゃ、感じが出ないものね。
渋谷の東急の地下の壁には、きゃりーぱみゅぱみゅの来年1月の横アリのライブの広告がデカデカとあった。
写メを撮ろうと思ったが、人通りが多くて、いつまで経っても、行き交う人の波が途絶えないのであきらめた。
シブコウに着くと、空はどんよりとしていた。死人が天国から舞い戻って来るのには相応しい色の空だった。
開演までの時間に、僕はグッズ売り場で、東京公演限定のフォークル・トレーナー(グレー)を買う。
「帰って来たヨッパライ」のレコード・ジャケットの絵柄だ。
この記事は、F.のために書くと書いていて思ったのだが、何か記念にお土産でも買っといてあげれば良かったね。
何も買ってないです。ごめんね、気が効かなくて。でも、フォークルのタオルをもらっても、ビミョーでしょう?
だから、買わなくて良かったです。
いよいよ、オープニング。白いジャケットで北山修が登場して大拍手、ついでギターを持って坂崎が登場してさらに大喝采。
観客席の年齢層は、3月の時とほぼ同じで、昔の人気番組「クイズ!年の差なんて」だったら、僕らはヤング・チームでしたよ。
前半は3月の時とほぼ同じで、舞台中央のスクリーンに京都の北山の実家と加藤の実家の地図が出て、結成秘話を披露。
前回同様に松山猛と「イムジン河」を。
フォークルはアマチュア時代に、シブコウの舞台に立ったことがあり、その時の映像が残っているのだ。
マイク真木などが出てたフォークのフェスティバルで、それを客席から見てたのが、小室等だったそうだ。
ここで、アマチュア時代のメンバーの平沼義男がゲストで登場。
その貴重な映像に、北山・坂崎・平沼が時を越えて、同時に歌を合わせて歌い会場は盛り上がる。
和幸バンドにゲストで石川鷹彦が参加。和幸は、加藤和彦と坂崎幸之助が組んだユニット名ね。
「あのすば」のイントロを弾いたのは加藤か石川かという論議になる。「あのすば」は、「あの素晴らしい愛をもう一度」の略ね。
生前、加藤和彦は「あれは自分が弾いた」と主張していたらしいが、実際のところは石川鷹彦らしい。
今回はゲストで小室等も登場して、小室と石川と言えば、初期の六文銭のメンバー同士だ。
小室等が鑑定士のように、「あの12弦の音は石川さんのだ!」と言って決着。
もう1人のゲストは、杉田二郎だった。
平沼が抜けて、プロデビューする際、北山は杉田を推したらしい。この3人なら、背の高さが揃うから。
でも、加藤が「はしだのりひこ」を強く推して、背の高さが凸凹トリオになるからって。結果、正解だった気がするね。
3月の時は、「はしだのりひこ」について、北山が「連絡をとろうと試みてるがとれない」と説明があったが、今回はなかった。
さて、ここまで読んで下さったF.以外の皆さんのために、何だか全然判らないと思うので、少し、説明をしますね。
加藤和彦の遺志は、追悼コンサートをやるな、だったそうだ。
だから、「加藤和彦物語」をやるまでに、3年かかったのだ。
それは、残された者達の気持ちが整理するまでにかかった時間なのだろう。
そして、その挙句、「加藤和彦物語」は、加藤和彦に腹を立たせる、というコンセプトで行われることになったのです。
たとえば、加藤和彦が残した音源に北山と坂崎が歌を乗っけて、フォークルとして、レコードにして、それを実際に演奏した。
確かに、加藤和彦がもっとも嫌がりそうなことだ。
歌のタイトルは、「手と手、手と手」。
曲の途中の演出で、加藤和彦の衣装が手をつなぐようにして、数々、宙から吊るされてステージに登場した。
加藤和彦らしいカラフルで上品なデザインの物ばかりだ。
坂崎のアイデアで、加藤和彦のこれらの衣装を一箇所にまとめようと、家族から買い取って、家族にお金を渡したそうだ。
しかし、果たして、これをどこに保管するか?
服は25~6着はあり、大事に保管してくれる博物館を探しているらしい。
もし、この記事を読んでる人で、ご実家が博物館をやっているという方は、事務局に連絡してみたらどうでしょう?
ラストは「イムジン河」。原曲の詞で松山と平沼が1番、小室等の作った詞が2番、パトリック(和幸バンド)がフランス語で3番。
最後に元歌(フォークルの詞)を4番として会場と大合唱。親切にスクリーンに詞が出ます。
実際、僕らはリアルタイムで、「イムジン河」を聴いた事がないし、永い事、放送禁止の曲だったから、詞を良く知らないんだ。
アンコールでは、ステージに全員集合して、「あのすば」を歌うことに。
これは、レコードでは、1番を加藤和彦、2番を北山修、3番を加藤と北山で歌っている。
しかし、今回は1番を坂崎が加藤の歌真似で~これが似てるのだ、立川談志が「物真似とは当人の了見を真似るのだ」と言っていたのを聞いたことがあるが、まさにそんな感じで~2番を小室等が、3番を北山修と杉田二郎が歌うことに。
北山修の歌うパートが普段と違うから、間違えないように、と坂崎が念を押す。その他の人はコーラス要員。
曲は坂崎の編曲でサンバ・バージョンで、追悼っぽくなく、湿っぽくなく、陽気に行くのだ。
折角だから原曲のイントロの12弦だけは残そう、と。
さっきも書いたが、この曲の編曲者で当時それを弾いた石川鷹彦もステージにいるし。
でも、実際に、イントロの12弦を弾くのは坂崎だ。
あの印象的なイントロの難易度は高く、当時それを弾いた石川鷹彦がステージにいるが、ここは石川でなく坂崎。
北山曰く、理由は「あの人(石川)も、もう歳だから」だって。
こう書くと坂崎がすごく若く感じるが、坂崎は1954年生まれで、今年59歳だ。なのに、ヤング・チーム。
すごいでしょう、この空間。僕なんかが、断トツ、ヤングなんだぜ。
しかし、坂崎の弾く12弦ギターの音色はレコードの「あのすば」にそっくりだ。すごいな、坂崎。
坂崎は何でも器用だ。
フォークルだけでなく、かぐや姫のコピーも完璧だし、拓郎に至っては「スターズ☆オン23」というシングルまで出している。
坂崎は初期のRCにも詳しくて、BS‐NHKの番組で共演した時にキヨシ本人が感心していたほどだ。
「あのすば」は、全員参加のサンバ・バージョンで、明るく歌われると、1人づつ感想を述べ、順に退場、北山と坂崎だけが残る。
加藤和彦の遺書を、北山修が読む。加藤和彦は、もう自分の音楽は必要とされていない、と感じていたような文だ。
北山と坂崎は、加藤和彦の死後、2人で歌を作った。
「人生という劇場」という題で、それは加藤和彦の生き様を歌ったつもりだ、と北山が紹介して、坂崎と2人で歌った。
舞台のスクリーンに加藤和彦の映像がスライドショーのように流れる。
「スモール・カフェ」や「和幸」や、懐かしの若かりし「フォークル」の動画も流れていた。
厳密に言えば、あれは「フォークル」ではなく「ザ・ズートルビー」名義の「水虫の唄」の映像だったと思うよ。
歌が終ると、北山が「最後に写真2枚をみていただきます」と言って、スクリーンに写真が映し出される。
それは、1967年のアマチュアの最後の日の写真で、2枚はショットが違う。
1枚目のは、加藤和彦が消えた日に、加藤のスタジオに残されていた写真だそうだ。
加藤和彦は死の準備を着々としていたらしく、加藤のスタジオからは機材も全部撤去され、もぬけの殻だったそうだ。
そんな中、ただ、1枚、この写真だけが、残されていたそうだ。この写真だけは、捨てれなかったみたいだ。
北山は、加藤和彦はこの日に戻りたかったんじゃないか、という解釈をした。
もう1枚は、同じ日のアンコールの時の写真。だから、衣装が違う。これは、北山の診療所の応接室に飾られているらしい。
何となく良い話で、これで終わりかなと思ったら、最後に大サービスが。
1968年にプロのフォークルのはじめての解散コンサートをやったのが、ここシブコウで、それにちなんでラストはマニアック。
北山が、「1番、加藤がやって欲しくない曲です。コウちゃん、やりますか~!」と掛け声、坂崎がギターを鳴らす。
それは、「フォークル節」だった!!
フォークルは、基本的に同じことを2回やらないグループだったようだ。
知らない人のために、フォークル節は「当世今様民謡大温習会(はれんちりさいたる)」というライブ版の最初に入っています。
「フォークル大百科事典」という、フォークルのベスト盤的なやつにも入っています。
でも、ライブ版はハレンチ口上の後に「フォークル節」が流れるから、その流れで聴くのがオススメです。
で、この日の「フォークル節」ですが、そのレコードを見事なまでに、忠実に再現していました。
「フォークル節」は歌謡漫談のようなものなのですが、アドリブや「間」や「呼吸」がレコードで聴いた通りのままでした。
あれは、すごく練習したんだろうなぁ。いい大人が2人して、あんなくだらないものを一生懸命、合わせてたと想像すると愉快だ。
大人も捨てたもんじゃないと思った。大人って、そんなんでも良いんだと思うと、気が楽になる。
歌い切ると、北山は「加藤和彦!悔しかったら帰って来い!」とマイクで叫んで、手を振って、坂崎と肩を組んで舞台を去った。
これが、僕が思い出せる範囲の「加藤和彦物語」の一部始終でした。F.どう?観たかったでしょ?
さて、ここで朗報です。緊急告知です。
2013年12月11日に「紀元貮阡年」のデラックス・エディションがリリースされます。
発売から45年だそうです。豪華付録満載のLPサイズボックス入りです。
アルバム「紀元貮阡年」&「ハレンチ」、シングル「イムジン河」、そしてフォークル・レア映像DVDのディスク4枚。
きっと、このレア映像にアマチュア時代のシブコウの演奏も入っているのだろう。お楽しみだ。
そしてオリジナルLPジャケット復刻(歌詞カードも)、ファンクラブ会報(全6号)完全復刻&全24pのブックレット。
さらに、「紀元貮阡年」発売告知ポスターと「フェアウェル・コンサート」告知ポスターも復刻して収納されるそうです。
「紀元貮阡年」のポスターは、メンバーサイン入りだそうです。これは、ラミネートじゃなく、額装しなきゃかな。
価格は、14980円だそうです。これに価値を見出さない人には、無駄に高く感じるのでしょうね。
価値観は多様化した世の中です。人それぞれです。
僕は今度の休み中にでも、予約してきます。
BGM. 加藤和彦 北山修「あの素晴しい愛をもう一度」


急遽、髪色チェンジ!

16/Ⅸ.(月)2013 台風のち、はれ
昼過ぎに起きたら、台風は去っていたそうで、お陰でそれまでの美容院はガラガラだったそうだ。
僕は、「Paris」行きに整えていたフランス人形風の髪型を、急遽、リゾート風にモデルチェンジ。
「ROCK」と緑色に縁取られたY君にもらったロックフェスのお土産のグラサンも、鏡に映ると、鏡文字。↓。


美容師さんのアイデアで、髪色には、少しプラチナを混ぜて、完成。↓。


昨日は、シブコウで、「加藤和彦物語」を観た。連休中の台風で空席も少々。詳細は、後日!。
BGM. 阿良々木月火(井口裕香)「白金ディスコ」