心の護美箱(52)~カケラを集めて

10/Ⅲ.(木)2022 はれ 小林麻耶(42)、整体師の夫(「あきら。」38)と離婚を発表。

最近は困ったことに毎日同じ夢をみます。夢の中の僕は医学部を出たばかりの研修医。「卒業旅行」にみんなは行ったというが僕は誰にも誘われてません。毎日のお昼も誰かを誘って食堂に行こうとするのですが、時々付き合ってもらうけど、愛想がないというか、のけ者にされてる感じがしてヒシヒシと孤独です。カリキュラムもわからず「何をしていいのかがわからない」のではなく「何がわからないのかがわからない」のです。これはとても不安な悪夢で、夢の途中で「あれ?俺って、クリニックやってなかった?じゃ、これって夢じゃん」と思って目覚めるのです。こんな夢を毎日みてます。まるで並行世界を行き来しているようです。僕は自意識では人気者でグループの中心だった自尊心があるのに、夢は妙にリアルで、もしかして僕は本当はそっち側の人間なのか?と恐ろしくなります。なぜなら僕には夢の舞台である「卒業の頃」や「研修医の頃」の記憶が全然ないのです。当時の話になってその頃の流行歌やドラマや芸能人をまったく知らなくて驚かれるのですが、「それは勉強や仕事しかしてなかったから」だと思ってましたが、よくよく考えたら覚えてないのは「浮世のはやりすたり」ばかりでなく「自分史」も覚えてないのです。

時々、ある時期の記憶がすっぽり抜けてる子がいます。たとえば、小学校3年生の時の記憶が全然ない、など。それは苦痛を伴う記憶を意識にとどめておくと心の負担が大きいから、とりあえず意識の下に押し込めておいた方がよいと判断した自分を守る最終手段みたいな自衛です。「解離」という現象で「抑圧」とか「否認」とか「隔離」という「防衛機制」を駆使しています。「とりあえず全部なし!」みたいに。不自由はしますが、「総合的に評価」すると覚えてないメリットが勝るのです。こういう体験が有る人は「よく生き延びたな、頑張ったな、自分」と自分で自分を誉めてあげて下さい。「症状」というより「苦痛に対する対処」だった訳ですから。戦争中の国の子も大変でしょうが、「平和」な国で生きるのも同じくらい大変なことです。そういう訳で僕にも何か覚えてちゃ不都合な事態があったんですかね?もっとも、僕の場合は長く生きてるから記憶のメモリーがキャパオーバーして「忘却」という名の「老化現象」を起こしているだけなのかもしれないですが(苦笑)。

 

心の護美箱(51がいっぱいになったので、(52)を作りました。心の護美箱がなんだかわからない人はバックナンバーを見て下さい。ま、簡単にいうと愚痴を書き込めるページです。「非公開」希望の人はそう書いてくれば内容はアップしません。

 

僕が生まれてすぐに母が病気で入院したためどこかに預けられてたことがあるそうですが記憶にはなく、あまりそのことを詳しく聞かされたこともないです。みんなにとって良い思い出ではなかったのでしょう。共同作業として「なかったこと」にしてました。でも人生って油断ならないですよ。もうすぐ60ですよ、それなのに今頃になって、断片的な「嫌な」「痛い」思いを思い出したりするようになりました。「もういいじゃん」って思わないですか?許してくれないのですね、人生は。

その時の僕は白い足袋を履かされて縄のようなもので足首あたりが縛られてる視界の残像があります。僕らの世代で子供が足袋を履くなんてことはないからおかしな記憶の錯誤です。妙に生々しいのが不思議ですからひょっとしたら「前世の記憶」かもしれませんね。話がスピリチュアルになって来たからもうやめます。

お便りお待ちしております。

BGM. 吉田拓郎「襟裳岬」


おっぱい談義

5/Ⅱ(土)2022 今期のアニメでは「その着せ替え人形は恋をする」がおすすめ。amazonプライムでもみれます。

男性は「巨乳」が好きだと思い込んでる女性も多いようですが、ひとから聞いたのですが「おっぱいパブ」なる風俗店もある一方、「貧乳」専門のデリヘルもあるらしい。それなりの需要があるらしく、「巨乳派」と「貧乳派」におっぱいフェチは分かれるそうだ。僕はあまりどっち派でもないのだが、おっぱいで一番直近でショックを覚えたのは、コロナ以前の、さくら学院の文化祭の、アンコールで出て来た「ワンファイブ」というユニット。そもそも、さくら学院は、小中学生で結成される学校をモチーフにしたアイドルグループで、ファンのことを「父兄」と呼び、色んな部活もある。今を轟く、BABYMETAL、も元は、さくら学院の「重音部」でした。さくら学院は、中3を終えると自然に「卒業」になる、成長期限定ユニットです。この子たちは頑張り屋だったり天然だったりハツラツだったり芸達者だったりして、あまり「性」を感じさせない「安心感」が好きでした。ところが、「ワンファイブ(15歳の集まりって意味です)」。
中3の4人が、大人っぽい女のコーディでメイクしてそれっぽい歌を歌うのですが、こちらには、戸惑いしか生まれません。中3ですよ。妙に体の線を強調する服で、バストのフォルムとかクッキリみえて、目のやり場に困りました。

ワンファイブが一旦はけて、残りのメンバーがその感想を言い合うわけですが、「女性らしい、すてき~」みたいな反応なのです。
そこにワンファイブが、さくら学院の制服に着替えて何の反省もなく参加するわけですが、これがまた不思議で、さっきあんなに強調されてた胸がぺったんこなのです。
デビュー当時の小柳ルミ子は、アイドル演歌路線だったので、胸の大きいのはマイナスだと胸にさらしを巻いていたといい、アグネスチャンも、その愛くるしいルックスに、大きなバストは、日本男児が萎縮するといけないからと、さらしを巻いたという同様の噂を聞きました。だから、僕はこのワンファイブも、出番が終わって制服に着換える時に控え室で、スタッフにさらしでグルグル巻きにされたに違いないと、その光景まで頭に浮かんだものです。そんな「さくら学院」もコロナ禍の中、閉院してしまいました。

でも、よくよく考えたらそんなに驚くことでもないかもしれません。山口百恵など15歳の時に、月刊明星とか平凡で、黒のビキニとか披露してて、僕は毎月、そういうのを普通にみていたから。でも、百恵ちゃんは、僕の4学年上だから、「15歳の水着を見てる僕は12歳」なのでOKであって、「15歳のワンファイブをみてる僕は50代」なのだから、ちょっと何かと問題がありそうだ。

ところで、アイドルとバスト問題だが、やっぱり男は女が怖いから、日本のアイドルの場合はバストが小さい方が良いとされてきた歴史がある。…本当か?
堂々と胸を売り出す場合(榊原郁恵・河合奈保子・細川ふみえなど)キャラは「バカ」だった。(実際は違うのだろうが)そうやってちょっとバランスを女性側でとってくれないと、男はインポテンツになってしまう。だから、胸の大きい女性は不当に、バカという汚名を背負わされてた屈辱もあると思う。その悪い歴史に終止符を打ったのは、小池栄子だと思う。

僕はその場面をリアルタイムでみてたのだが、それは「爆笑問題の検索ちゃんぴおん」という深夜番組で、爆笑問題が司会で小池栄子がアシスタント、お笑いタレントがパネラーで、ネットの噂を出題するクイズ番組だった。もちろん、爆笑問題がやるのだから普通のクイズ番組ではなく、例によって、太田光が暴走するのである。
ある時太田は制止する小池栄子に、「お前なんか、オッパイだけのタレントじゃねぇか」と口が滑った。さすがの太田も発言のあと、しくじったという顔をした。パネラー達(芸人)が色々とフォローする中、小池栄子は冷静に「はいはい。オッパイだけでここまで来たタレントですよ」と返して、進行した。
これにはパネラーの土田も「さすが!大人!」と拍手し、皆が絶賛。太田もペコペコ謝っていた。
それ以来、胸が大きい=バカ、という図式をあまり見なくなりました。

僕の青春暗黒時代によくしてくれたお姉さんがいて美人で優しくて憧れてたのですが、彼女はおっぱいが小さいらしく、何かの時に、「私は貧乳だから」と自虐的に言うから、僕は「全然そんなこと魅力と関係ないよ」と言ったのですが、彼女はやさしく笑って、「タッちゃんは子供だからよ」と相手にしてくれませんでした。その頃、斉藤由貴が「微・少女」というビデオを出していて、「美少女」と「微少女」をかけてる妙だったから、それを真似して僕は「貧乳ではなく微乳だよ。微乳じゃなくて美乳だよ」と言ったら、彼女は真面目な顔をしてこちらを真っすぐにみてました。今だったらセクハラなのでしょうか?

これもひとから聞いたのですが、最近は「貧乳」を「品乳」と書いて「品格のある乳」と意味づけしたり、「貧乳」を崇め奉る「ヒンニュウー教」というカルト的なひとたちもいるそうです。全然関係ないですが、アニメにもなった「かんなぎ」のコミックスの帯を思い出しました。

僕の母は乳癌で僕が生まれた時はもう乳房がなくて僕は母乳をもらった記憶がなくて(みんな記憶はないか)おまけに赤ちゃんの時は母と離れてたので、そこへの執着から「おっぱいフェチ」になりそうですが、そうなりませんでした。変態とかフェチってそうそう単純なものでもないのですね。でもおっぱいに関しては、小学校の頃何かのマンガで読んだ、アマゾネスという女の部隊が馬に乗って弓矢を打つのですが、その時、おっぱいが邪魔になるから、片方の乳房を切り落とすというシーンになんとも言えぬ、エロスを感じた思い出があります。

小学校高学年になると、「泣くなおっぱいちゃん」という歌をボインの歌手が歌っていて、キャンペーンで茅ケ崎に来て、レコードを10枚買うと「おっぱいを見せてくれる」、20枚買うと「おっぱいを触らせてくれる」、30枚買うと「おっぱいにキスさせてくれる」というお色気企画がありました。子供ってそういうのが好きじゃないですか。僕らも盛り上がったのですが、正直、「おっぱいにキスする有難味」が分からず、「まぁ、俺は20枚だな」とうそぶいてました。レコード1枚400円の時代です。20枚で8000円です。お年玉を使ってなかったのでその代金はありました。同年代の奴らにマウントを取りたかったのでしょうか、僕は本気でそのキャンペーンに行くつもりでした。するとそれを知った親は当然止めるのですが、母は僕が止めても聞かないのを知ってますから、父が止めに入りました。当時の人気はなんと言っても天地真理です。天地真理の本名は斉藤真理といい、どうも茅ヶ崎駅前の斉藤不動産が実家との噂でした。父はそれを持ち出し、「お前が大人になったら斉藤不動産にかけあってやるから、泣くなおっぱいちゃん、は止めろ」と言いました。僕も子供ですから、天地真理と結婚出来るなら、と提案を飲みました。アイドルの寿命は短いもので、また天地真理はなんだか「おかしな転落の仕方」をして人気がなくなります。その内、僕は中学生になって東京に出てきます。
父は趣味でカメラをやっていて、その知り合い筋から、「今度、デビューさせるモデルの四つ切ポート」を2カット貰って来たと言い、僕にくれました。その外人モデルは豊満な胸をしていて、ビキニで海岸に寝そべっている生写真でした。父はきっと昔の、泣くなおっぱいちゃん、の約束をこれでチャラにしようとしたのでしょうね。ふてぶてしいですね。
ただ、僕はそのモデルのバストより童顔な表情がキラキラしたお日様見みいだったから気に入って、額に入れ部屋に飾りました。
しばらくしたら、そのモデルは色んな雑誌に出るようになって、あっという間に世間の男の人気を独り占めしました。すごい人気でした。僕は先に知っていた優越感から父のおかげで学校でもカーストが上位になりました。ちなみに、そのモデルの名前は、アグネス・ラムと言い、「うる星やつら」のラムちゃんの元ネタです。今も診察室の天井にいます。

そういえば、「からかい上手の高木さん3期」はとても実験的で賛否分かれてますが、僕は好きです。こないだ、高木さんが、ラムちゃんのコスプレに一瞬変わる、サービスショット(原作になし)があり萌えました。

おっぱいの大きな人は、男の人が「胸ばかり見てる」と分かるそうです。男もそんなにジロジロみないと思いますが、一瞬の目の動きのような気配でわかるというのだから、すごいですね。そう言えば、女性で「男の人の股間ばかり見てしまう」、という人がいます。それは「巨乳を見てしまうスケベ男」と違って、「見たくない」のに気になって、「見まい」とすればするほど「見てしまう」という「強迫行為」みたいなもので、「病気」です。恥ずかしがって中々打ち明けませんが、意外とそういう女性は多いのです。だから、もし自分もそうだ!という人がいたらそれは治療すればよくなるから診察で言って下さいね。

BGM. サザンオールスターズ「涙の海で抱かれたい~SEA OF LOVE~」


心の護美箱(50)~救世主願望

2/Ⅱ.(水)2022 鈴木福、初のキスシーン挑戦。

僕らの界隈では、集団があるカップルを「付き合ってるんじゃない?」とはやし立てたり、からかったりする、群集心理を「救世主願望」と呼びます。それは、学校ではイケメンの男性教諭・田原先生と、マドンナ先生・聖子先生の仲が「あやしい~」と生徒がキャッキャしたり、病院では若いドクターと美人ナースのあうんの呼吸が「お似合い~」と噂になるのは、単なるゴシップではなく、学校や病院でのストレスや不安を、その二人が救ってくれる救世主になってくれるのでは、という期待が込められてると考える心の動きのことです。まれに、患者同士や理想の先輩同士でも祭り上げられるカリスマカップルもいます。僕らはそういうのを目にすると、「ここの集団は、所属してるメンバーに共通する不安があるのだな」「救世主を求めてるのだな」と思うものです。

受付に実際そういうことあったか?と聞いたら、実体験としてはないが、「すがまさき&こまつなな」がそうでは?という。僕はその人たちのことを知らないから何とも言えませんが、昔でいうと、天皇陛下と雅子さま(美智子さま、紀子さまでも可)のご成婚や、山口百恵&三浦友和、貴花田&宮沢りえ(破局)、マッチ&中森明菜(破局)などの世間のフィーバーぶりと「親戚感覚の喜びの共有」こそ、「救世主願望」だったなと思い起こします。皇室ネタは、小室さんが終止符を打ったから、当面は佳子さまのご相手が注目ですね。

 

心の護美箱(49がいっぱいになったので、(50)を作りました。心の護美箱がなんだかわからない人はバックナンバーを見て下さい。ま、簡単にいうと愚痴を書き込めるページです。「非公開」希望の人はそう書いてくれば内容はアップしません。

「救世主が必要な時代は、救世主がいない時代より不幸である」と誰かが言ってそうな名言っぽいが、「救世主が必要な時代は、救世主がいない時代より生きるのが大変だ」。それがまさに今だと思う。

そう言う訳で、もしも今、熱愛中のカップルや不倫中で周りにバレたくないのにバレちゃって噂になって困った時、「それは皆が救世主を求めてるから、そんな風にみえるのではないですか?」と言い訳に使えるから覚えておくと便利ですよ。

BGM.左卜全とひまわりキティーズ「老人と子供のポルカ」


あんた誰?

29/Ⅰ.(土)2022 佳子さま’’私も愛に生きる‘‘宣言。

少し前の話だが、木曜日に仕事を終えて駅まで歩く道すがら、飲食店を覗いて帰るのだがどこもすし詰め状態。餃子の王将、なんて行列。何かと思った。翌日、同じ時間にクリニックを出たら「ココイチ」の電気が消えていて、まるでゴーストタウン。何ごと?…そうです。金曜日から、「マンボー」だったのです。だから木曜日は「飲める最後の日だ~」と言った群集心理が働いたのでしょう。しかし、よく飼いならされた国民ですね。いつ軍国主義に舞い戻ってもおかしくない、と末恐ろしくなります。

良いも悪いもこういう同調圧力が「ファクターX」の正体だとしたら、共通テストで「成績が悪いから絶望して」受験生を切りつける「モンスター」を生む土壌も同じ根っこなのかもしれぬ。「自己責任」という意識は皆が持つべきなのは前提として、それとは別座標で人間は社会的動物であるから「政治が腐敗すると少年犯罪が増える」ように、その準拠集団で1番「敏感」かつ「弱者」が「集合的表現」としてアクションを起こすことは、家庭内暴力と同じメカニズム。川が汚染されるとメダカが消え、川が浄化されるとメダカが姿をみせるようなこと。自然破壊のメルクマールに、メダカ、がなるように、子どもたちを世の中の荒廃のメルクマール=「加害者」にしないようにするのも大人の責任だ。

うちの心理の松井さんは「加害者研究」をしていて簡単に教えてもらったら、どの事件にも共通するのは、「誰かが気づけなかったのか?」という「声」の後出しジャンケン感で、つまり事件が起きてからそう言うのは簡単だが、現実にはなかなか難しかろう。うすうす気づいててもどうしていいやらわからぬし。

そこで我々の仕事である。教育現場や家庭で「あれ?何かおかしいぞ」と思う子がいる。「それが何かはわからないが」教師や親の勘である。名探偵の「あやしい。何か匂うぞ」という嗅覚に近いのかもしれない。「骨相学」という人相学のようなもののように、「顔つきの異常」かもしれぬ。とりあえず受診しろ、とやってくる子供と会う。

そんな子たちの中に「自分もジョーカーみたいになると思う」と未来を予見するものは少なくない。凶悪事件が起きると「自分も人を殺すのではないか?」と騒ぐ子がいる。ほとんどの子はそんなことはせず、ただ単に深層心理にある集合無意識としての反社会性のスイッチが押されて、強迫観念が発動してるだけなのだが、でも何%かは本当にそうなる。誰がいつ犯罪者になってもおかしくない、ロシアンルーレットみたいな時代は、まるでいつ誰がコロナに感染してもおかしくないというオミクロンの猛威とシンクロしてる。

そんな「狭義の精神疾患」ではない人のメンタルヘルスを担当するのがうちの3人のカウンセラーで精鋭部隊です。まだカウンセリングを受けてない人はいいが、もう何回か受けてる人へ。うちの心理士は名札をしてないから名前が見えないですね。最初に自己紹介や契約書を渡していますが、忘れたり放っぽっている人も多いでしょう。でも、今さら名前を聴くのは失礼ですね。そんなあなたに、今回は心理士の名前をあらためて紹介しました。僕がチラシを書き、クリニックの玄関に貼っておいたのでもうこれで安心ですね。固有名詞って単なる識別記号だから覚えづらいですものね。「風呂桶のアカを舐める妖怪だから、あかなめ」とか「蟻を捕食する動物だから、アリクイ」みたいに意味があれば覚えられますが、「愛知県出身、鈴木イチローです」なんて言われても丸暗記するしかないから、まるで学校の「勉強」と同じで頭の良さと関係なくないですか?ちなみに僕の好きな名前を扱った題材は、「シベールの日曜日」という映画です。フランソワーズ(本名はシベール)という少女が美少女です。

BGM. ゴダイゴ「ビューティフルネーム」


心の護美箱(39)~人生脚本

1/Ⅶ.(木)2021 雨 大谷翔平、持っている。1回途中で7失点もチームが同点に追いつき「負け」が消える。

心の護美箱(38)がいっぱいになったので、(39)を作りました。
はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。
人間は誰にも他人に言えない罪深いことや後悔の念を持つものでしょう。
昔は教会の懺悔室や、お寺でお坊さんが話を聴いてくれたのでしょう。今もそれは機能してるところでは働いているのでしょうが、生活が近代化すると少し縁遠くなっているかもしれません。
それに世間は、人の不幸は密の味、好奇心はスキャンダルをあっという間に伝播させます。
だから他人に秘密を打ち明けるのは、結構危険が伴いますね。聞き手の価値観も入り込むから、いらぬ説教をされる場合もあります。
しかし、我々、精神科&カウンセリングには守秘義務があります。そして、すべての「常識」や「偏見」から自由である、心の解放区です。安心ですね。
ここでも、非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。
まぁ、グチに限らず、要望や苦情やエールやラブレターでも構いません。

 

「劇的」というとドラマティックというイメージが思い浮かびますが、テレビでは一体何本のドラマが流れているのでしょう。きっとつまらないドラマも五万とあるのでしょうね。我々の人生を「劇」にたとえる場合もあります。主人公は「自分」です。精神療法的に考えると、人生には本人でも気づいていない「台本」を各々が持っていて、配役が決まると周りの人にその台本を配り役を演じさせるのです。シチュエーションは違えど、大体、同じ結末になります。それはそうですね。台本が同じだから。この台本の曲者なところは無意識に書かれているところです。人生が悲劇なのか喜劇なのかはその人の台本によるのです。

そこでは脇役・登場人物の個性はあまり重要視されません。「監督=脚本」にはさからえませんからね。あんまり無茶なことをする役者だと、「影武者」の「勝新太郎」のようにおろされてしまいます。だから多くの場合、どんなに善人でも「その人の台本」が「どうせ人間はみんな最後には私を見捨てる」というものだとそうします。選ばれた役者が「冷たい人」ならまだマシですが、「根は優しい」なんて場合は悲劇の度合いが増しますね。上げて下げて、ですから。同様に、「男は結局、体が目当てなだけだ」って脚本に選ばれると、本当は紳士なのに、非道なことをさせられるのです。そして主人公の台本だけが勝ち残り、「どうせ~なんて~だから」という人生のテーマが太塗りされて行くのです。

我々精神療法をする人間は時として、この台本に着目します。それは反復的に同じことをその人が繰り返している場合、その台本を読み解き、可能なら書き換える作業を提案します。これは無意識が作ってるので過去の人生を紐解いて、どうしてこんな台本が作られたのか、を分析して行く訳です。なぜそんなことをするかというと、書き換えられるものならそうした方がいいかもしれないからです。別にそれが分かったからって書き換えなくてもいいのです。「書き換える/そのままで生きる」その選択は患者さん自身がすればいいのです。ただし、選択肢は多い方が良いというのが我々の考え方です。

台本で割とよくあるテーマに、「成功しそうになると破滅する人」というのがあります。ここぞという時に無意識下で親を乗り越えてはいけない、という遠慮のような親孝行のような忠誠心が働く訳です。これも無意識の仕業なので、意識化していればいい訳です。「いつもダメな男を引いてしまう女性」も相手にそういう台本を渡してしまっているのかもしれません。その男の人は「あなた」じゃなければまともな男だったのかもしれません。人生は難しいですね。

手塚治虫の「どろろ」に白面不動という妖怪が出てきます。自分の顔を持たないために、次々に人の顔を欲しがります。白面不動によってかりそめの命を与えられた手下の女は白面不動の言いつけで人間をだまして谷に落として殺します。殺す時、この女は、相手が心に思う人間の顔に成りすませるのです。これではひとたまりもないですね。「どろろ」の前にあらわれた女は「どろろ」の母親の顔になり近づきます。いつものように生贄にしようとしたのに自分のことを「おっかちゃん」と慕う「どろろ」に情を抱いてしまい、白面不動の命令に背いて、「この子だけは助けて下さい」と逆らってしまうのでした。

このように我々の好きな話は、こういう「台本」が書き換えられる時なのかもしれません。それは二つの「台本」がぶつかってどっちの台本が生き残るのか、という見方も出来ますね。それこそ劇的ですね。

うちには3人の臨床心理士がいます。彼女らの仕事は精神療法です。彼女らがその仕事を選択したのには彼女らの「台本」があってのことでしょう。そこは一括りには出来ませんが、共通するのは、専門的なトレーニングと実践的な理論と戦略的な方法論を持って、カウンセリングに臨んでいることです。数いる臨床心理士の中から何故、この3人がうちにいるのかと言えば、それは僕が面接して選んだからです。選んだ基準は、僕の臨床的価値観に近いからという理由です。どうですか?安心ですね。


見ないふり

17/Ⅵ.(木)2021 時々激しい通り雨 7月からの新ウルトラマンの敵役のボスに上坂すみれ。

ワクチン接種後から体調が悪い。体がだるく調子が出ないのだ。もう1週間以上たつから医者たちは「副反応ではない」と口をそろえる。ひどい奴は「仕事したくない病だ」という(笑)。

こないだの日曜の総合格闘技「RIZIN」の東京ドームマッチは後日録画でみた。しょこたん(36)がユーチューブでコラボした人気の朝倉兄弟の弟・朝倉海(27)の試合のリングアナウンサー役をやってたからビックリした。総合格闘技は潜在的なプロレスファンで占められてる世界だから迂闊に入って来ない方がいいぞ。全盛期のビートたけしでさえ物を投げられたし、下手すりゃ山田邦子の二の舞だ。そんな人気の朝倉兄弟の兄は、柔術家に失神負け。日本の総合格闘技がグルっと一回りして柔術にスポットが当たりそうな予感。それは中量級のタイトルマッチの決まり手も「三角締め」だったから。とは言え、この試合はチャンピオンがアゼルバイジャンの選手でこないだまで志願して兵役に出てた選手。対するチャレンジャーは日系人で浜松に拠点を構えて練習を積んでいた。今はコロナだから外人は来日後2週間隔離生活でアゼルバイジャンのチャンピオンはそんなハンディを背負って試合に挑み負けた。そしてそういう裏事情をテレビでは言わないのだ。卑怯だと思った。

女の子が親戚が死んだけど「なんとも思わない」という。対象喪失の直後はそういうものだ、と諭すが、「それとは違う」という。「自分には人間的な感情が欠落してるのだ」と淡々と言う。そこで僕は大学2年の時に、父が死んだ時のエピソードを話した。棺桶に花などを入れた後、釘を打つのだが、僕はたまたま台所に「イトーヨーカ堂」の商品券があるのをみつけ、茅ケ崎の北口にあるイトーヨーカ堂へ行き、別にすぐ必要でもない靴下を何足か買い、大事な儀式に遅刻した。女の子はそれを聞いたら大笑いして、「なんで靴下?センセーはサイコパスですね」と2度笑った。精神分析の祖・フロイトも自分の父親の葬式に床屋に行って待たされたために遅刻したというエピソードがある。フロイトはこのことから、「無意識に父の死を認めたくない気持ちが行動をコントロールしてしまう」失錯行為と言う無意識の作用を発見した。でもあの子に言わせりゃ「フロイトもサイコパス」だ。

僕のおじさんが先日、死んだ。コロナ禍だから葬儀は簡素に。参加しなくても良い。僕はそのおじさんには親しみを持っていたから、お通夜に行こうと思っていた。告別式だとちゃんとした格好をしないといけないが、お通夜ならフダンのTシャツ&ジーパンでも良いはずだから。でも知らせを聞いた土曜の夜、睡眠薬を規定量の倍飲んだら、二日間寝続けてしまい、お通夜も告別式も出れないどころか寝て過ごした。おじさんは僕が子供の頃に宮前平のペットショップで「ワニ」を買ってくれた。うちの家族は僕以外は皆、爬虫類や両生類が嫌いなので、おじさんくらいしか買ってくれる人はいなかった。僕が池にワニを放したら、父が池で飼ってる鯉が食べられてしまう、と大騒ぎして怒っていた。僕は子供の頃、俊足だったがそれは同年代の中でのこと。父は結核で足を悪くしてるから走るどころかビッコをひいてたから相手にならない。だからおじさんが遊びに来るとかけっこの相手をしてもらった。おじさんは足が速かった。何度やっても勝てなかった。「タッちゃんには無理だよ」と余裕で笑っていた。子供相手に手を抜かなかった。僕は大人げないなと思ったが、大人ってそうあるべきなんだと教わった気もする。

母の日ばかりが母に感謝すべき日ではないように、通夜や告別式以外の日に弔いに行っても良いことにさせてもらおう。しかし、体調がすぐれない。患者に心配されるほどだ。困ったものだ。おじさんのせいかもしれない。迷惑な話だ。合掌。


心の護美箱(38)~精神療法技法論・魔法の言葉

11/Ⅵ.(金)2021 はれ 池江璃花子(20)が日本選手団の旗手の候補に浮上

心の護美箱(37)がいっぱいになったから(38)を作りました。始めてこのブログを読む人は「何のこっちゃ?」ですね。とりあえず、グチを書き込めるページなのです。つまり心に溜め込んでるものを、捨てる、ゴミ箱、のようなものです。昔、僕の少年時代の茅ヶ崎では駅前に有害図書を入れる「護美箱」という大して面白くもないトンチのゴミ箱がありました。それへのオマージュです。非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。参考にこちらを。→心の護美箱(37)。

精神療法あるある、です。患者さんから「あの時の先生の一言で救われました」と後になって語られる一言が、こっちは全然覚えてない、ということがあります。逆に、こっちが満を持して発したフレーズがまるで刺さってなかったということもあり、結構なディスコミュニケーションの中、精神療法は進んでいるということです(笑)。えっ?そんなことで良いの?とお思いの方も多いと思いますが、「週刊誌ネタ」が「全体の会見や文章の一部を切り取ったもの」で印象操作が行われる悪意、であることの反対で、「たまたま語られた一言」なんて所詮全体を言いつくせてはいないという逆説です。もっと言えばコミュニケーションのうち「言語的コミュニケーション」の占める割合なんてわずかだという研究もあるし、皆さんも実体験で経験済みでしょう。例えば、ふんぞり返って爪を切りながら「愛してるよ」なんて言われても何も響かないし、前かがみになって背を丸くし哀願するように「ごめんね」と言われりゃ許しちゃう。たとえ、それがDV男の手口でも。

昔、プロレスではその人の必殺技を他人が真似するのはタブーとされました。アントニオ猪木の「卍固め」をジャイアント馬場が使うことは、どちらのプライドとしてもあり得ませんでした。藤波辰巳と長州力の名勝負数え歌では、あえて長州力の必殺技「サソリ固め」を藤波辰巳が長州に決め、それを古舘伊知郎が「掟破りの逆サソリ」と実況した名フレーズが例外くらいで、精神療法にも似たところがあり、人が使った名セリフ(解釈、などという)を他人が真似すると大失敗するという例は枚挙にいとまがありません。女性患者が妙にめかしこんでくるから「あなたは私と結婚でもするつもりですか!」と「恋愛転移」を指摘して治療が展開したというのを聞きかじった治療者が同じような女性に「あなたは私と結婚するつもりですか!」と言ったら、「やっと、わかって下さったの?」と火をつけちゃったって古典的な笑い話もあるくらいで、大事なのは「何を言うか」ではなく「誰がいつどのタイミングで何を言うか」が問題なのです。だからコンビニで売ってる本のように、「子供に伝わる魔法の言葉」みたいなものは存在しないと考えた方が良いですね。

それを大前提にした上で、僕がお勧めしたい「魔法の言葉」があります。これは結構、誰がやっても効果が期待できるのではと思うので、気に入ったら使ってみて下さい。それはダライラマの手口です。ダライラマが来日した時です。丁度、北京オリンピックの直後で柔道無差別級で金メダルをとった石井慧がダライラマの講演会を傍聴してたのです。フロアから何か質問はないですか?と聞かれた時、石井慧が手を上げました。石井は当時まだ22歳でオリンピックの連覇を期待される日本柔道界の宝でした。しかし石井慧は総合格闘技への転身を考えていたのです。石井はダライラマに対して真正面から質問しました。「周囲の反対があっても自分のやりたい事を貫くべきか、それともある程度、長い物には巻かれるべきでしょうか?」と。その時のダライラマの格好はつるっぱげに派手な黄色とオレンジ色のあいの子みたいな片方の肩だけさらけ出したセクシーなスタイルで、これで肩にインコでも止まってたら「ビルマの竪琴」の中井貴一です。ダライラマは、石井の質問に前傾姿勢になりながら、通訳を介してなのに、「うん。うん」とうなずきながら、物凄い真剣な目つきで格闘家顔負けの迫力の形相で北京オリンピック金メダリストを睨みつけ、話を聞き終わったら、間髪を入れず、石井を力強く指さして、腹の底から絞るような声でこう言ったのです。「自分の人生は自分で決めるのだ!」。僕はこれをテレビの中継で見ていて、ショックを受けました。そしてひらめいたのです。人にインパクトを与える魔法の言葉の発し方。それはなるべく浮世離れした格好をして、相手の語る話をさえぎらず傾聴し、相手の話が終わったら、相手を威圧するようなポーズと声で、ものすごい「正論」を言う事です。

後日、天皇陛下のお正月のご挨拶に前年度活躍した各界の著名人が招待される会に、石井慧も招かれていました。天皇陛下は事前に各々のゲストについてお勉強されてるようで、的確なご質問をひとつづつされます。石井の番が来た時、陛下は「これからも柔道をお続けになりますか?」とお声をかけると、そこは石井慧は日本男児、天皇陛下を前に嘘はつけませんね、「自分は総合格闘技の道に進もうと思っています」と答え、隣にいた女子レスリングの吉田沙保里が腰を抜かしていました。

僕はこの放映をみながら、ダライラマの仕業だな、と点と点が線になったのです。

BGM. よしだたくろう「ガラスの言葉」


心の護美箱(37)~精神療法事始め

29/Ⅴ.(土)2021 はれ 新宿紀伊国屋書店地下のカレー屋「モンスナック」7月で閉店?

心の護美箱(36)がいっぱいになったから(37)を作りました。始めてこのブログを読む人は「何のこっちゃ?」ですね。そんな人はこちらを。→心の護美箱(36)。

さて今回はカワクリがお送りする「精神療法、三部作」の第三弾です。これを読めばあなたもカウンセリングを受けた気になれます。世間の無知な人間に対しては、カウンセリングを受けてるふりだって出来てしまいます。そんな必要がいつあるのかは知りませんが。

 

①出会い

…精神科(心療内科・カウンセリング)が一般身体科(内科・皮膚科・眼科など)と決定的に違うのは、家族や周囲が「心配してること」と、本人の「困ってること」が違うことです。たとえば家族は「リストカット」や「不登校」や「家庭内暴力」を心配しますが、本人はもっと哲学的なことで悩んでいるのに、仕方ないからやむをえず「それら」で凌いでるのに、そんなこともわからないくせに表面的な現象で右往左往する家族に対して、本質をみてない、と不満に思いながら病院に連れて来られる人がほとんどです。ですから治療のスタートは、本人が困ってることをこちらが見極め、それを一緒に解決していこうと同盟を結べるかどうかにかかっています。そのための第一歩が初回面接で、それは出会いであり、第一印象が大切です。人を見た目で判断するな、と言いますが見た目以外で判断するのは難しいです。それを補うために面接をします。こちらは患者がどんなことに困ってるかどんな人なのかを見極めようとしますが、患者も必死だからこの医者(カウンセラー)は信用できるか、とこちらを品定めして来ます。そんな真剣勝負が行われて、「じゃ、とりあえず、やっていこうか」となって、1年くらいしてからでしょうか、患者は「実は初めてここに来た時、こう思ったんですよ」と第一印象の報告をします。良い治療関係が構築できたからこそなのでしょうが、「最初は、ここは病院か?と思いました(笑)」とか「はじめてセンセーの髪色を見た時、『終わった』って思いました(笑)」と過去形で語られます。稀に初回面接で「ここ、変わってますね?」という人がいますが、感想だからそれは自由だから良いのですが、「初回からそんなことを言えるなんて、この人は変わってるなぁ」と僕は思います。

②治療構造

…設定のこと。何曜日、何時から、何分やる、などをあらかじめ決めておきます。我々の業界用語では「枠(わく)」とも言います。僕は若い頃、「枠」は、「我慢が足らない患者に不安耐性をつける目的」あるいは「患者の気まぐれに振り回されないため」のものだと勘違いしていました。なぜなら子育てをするお母さん(お父さん)には「枠」などありません。24時間365日体制です。精神療法にはある意味ほんのちょっと「育て直し」みたいな側面もなきにしもあらずだからそうした方が良いのかもしれませんが、そんなことをしてたら我々がもちません。一定水準のサービスを提供し続けることが不可能になるので、「枠」は治療者のためにあるのです。って、昔、誰か偉い先生が言ってました。ま、育児と精神療法、並べて語るのもいかがかね?

「精神分析系の技法論」の書物を読むと、大抵、最初に「治療契約」のことが書いてあり、その中でもいの一番に「お金」のことが載っています。そのくらい精神分析では「料金設定」が大切なようです。でもそれを「いくら」に設定するかは悩みます。今は一応、一律にいくらとしていますが、本来はその人の収入で変えるべきだそうです。

本場で修行してきた人に聞いたら、昔はその人の履いてる靴の値段がワンセッションの値段、とした時代もあったらしいですが、今のように価値が多様化したり、お洒落さんが多かったり、一点豪華主義でバカ高いスニーカーを履いてる学生もいるからこれはもう通用しませんね。でもカウンセリングを受けるにあたり患者もそれ相応の覚悟を問われ、それが身を切るに相応しい料金を設定するというのが出発点で収入が上がったら料金も上げ、下がったら料金もディスカウントってしてる人(時代)もあったそうです。

しかし、患者のカウンセリングに関する本気度の評価基準を「お金」にすることにちょっとためらいがありますね。昔、精神科医になりたての頃、高校の友人と朝まで飲み明かした時に、この話になって、「お前の信じる思想は人の心を金ではかるのか。さもしい奴だな」「日本人には、赤ひげ、幻想がある。おばあちゃんが治療費がないからと大根を差し出しても、医者は笑って受け取るものだ。金持ちしか受けれない治療なんておかしい。金儲けに走ったら終わりだ」「そもそもユダヤ人の発想だろ。金に汚い」「見損なった」と散々でした。このディベート、今でも言い返せるかわかりません。

僕が子供の時に日曜学校で聞いた話。募金箱の横に鐘があります。クリスマスの夜に、募金をしてそれが神様に伝わると鐘が鳴る、という伝説があります。町の大金持ちが多額の寄付をしましたが、鐘は鳴りません。誰が募金してもそうです。やはりただの伝説か。皆がそう思った時、みすぼらしい女が来てわずかなコインを募金箱に投げ入れました。それは彼女が汗水たらして働いた全財産だったのです。すると教会の鐘は町中に鳴り響くように鳴っていつまでも鳴り続けた言います。聖書の教えは重要なのは「金額」ではなく「その人の信仰心=本気度」だと言うのです。こういう初等教育を受けてると、「料金設定」ってものすごく難しいんですよ。単なる「儲け話」ではなく、真剣度や覚悟を測る物差しに「お金」を使うから、いくつになってもディベートに勝てそうもない。

と思っていたら、最近精神療法界隈でちょっとした揉め事があるそうです。発端は「アカデミック」なことだからスキャンダラスではないのですが、あえて揉め事と言う表現をしてみました。そのアカデミックな論争は「料金」の問題にも飛び火しそうで、革新派は「NPOを作って、お金の払えない子供や学生にもカウンセリングを」と言ってるらしく、主流派は保守的で体制をかえず、中には「患者のするべき仕事は精神療法家を食わせることだ」と極端なことを言う人まで。まだまだ論争はこれからのようです。昔、新日本プロレス所属の長州力が国際はぐれ軍団のアニマル浜口と組んで作った維新軍が、アントニオ猪木&藤波辰爾ら正規軍と真正面から革命闘争をした時が、日本のプロレス史上で最も盛り上がってた時期だったのと合わせて考えると、世代闘争って業界も活性化されるからどんどんやればいいと思います。

③抵抗

…わざわざお金を払って治療を求めてやってきて構造を決めて開始したのに、その治療に抵抗するという矛盾のことです。治療が進んで見たくない局面になると意識的・無意識的にキャンセルしたり、治療者と良い関係だったのがズレを感じたりするとガッカリしたり腹が立ったりしてストライキのようにカウンセリングをパスすることもあります。抵抗は必ず起きます。これをどう扱って乗り越えて認識して行くかが治療の醍醐味なので、あえてカウンセリングをキャンセルした時はたとえどんな理由でもキャンセル料が発生します。それは「あなたのために時間をとっといたのだから、時給分、頂戴ね」って意味ではないのです。昔から我々の業界では「雨が降ってもアクティングアウト」という言い伝えがあります。大雨で交通機関が止まったという表向きの理由があってもそれは抵抗の行動化(アクティングアウト)と考える厳格さが、逆にこちとらそのくらいマジだぜ的な契約だったのですが、ここに来て、コロナです。さすがに、コロナに感染してもキャンセル料とは言えません。むしろ熱があって来られちゃ困るし。こうやって、コロナはまた一つ古き良き伝統を破壊して行くのでした。

④転移

…転移という現象は精神療法以外の場面でも二人の人間が向き合えば必ず起きます。精神療法で言えば、患者は今までに体験した色々な人間関係を意識しないまま治療の中に投げ込んで来ます。患者の持ってる悩みや苦しみは大抵その中に潜んでいるから治療者は転移がどのように展開して行くかを意識して一生懸命見て行きます。転移というのは不思議で性別も関係ありません。僕は男だから「父親転移」や「おじいちゃん転移」ばかりが起きるかと思いきや「母親転移」が起きたりもします。だから「男性恐怖症」の患者には女性治療者をという発想はあまり意味がないと思います。「この人は男性が苦手だ」と理解出来てる男性治療者の方が、「何にも考えてない」女性治療者よりも良いに決まっています。

これまで僕も色々な転移を投げ込まれて来ました。戦争体験のあるおじいちゃん患者さんに「センセーは、兄貴のようだ」と言われたり、何でも僕が困ったことを解決してくれると理想化されてた女子校生には彼女が必死に興奮した時、「ね~、頼むよ、ドラえもん~!」って言い間違いされました。ドラえもん転移が川原史上最強ですね。

⑤解釈

…解釈とは治療関係の中で結局のところ、患者は何をしようとしているのか、治療者は何をしようとしているのかという理解を持つことです。大昔、日本に精神分析が輸入されたばかりの頃は、治療者と患者が一緒にテキストブックを観ながら、患者が話すことを「これに当てはまりそうだな」と勉強会のようなことをしてたそうです。それを今の精神療法に洗練させたのが「古沢平作」という人物です。一般の皆さんは知らなくて当然ですが、我々の業界でその名を知らぬ者はモグリです。権威のある専門的な学会でもその年にもっとも活躍した人に授与されるのが「古沢賞」と言います。プロ野球で言う「沢村賞」のようなものです。古沢平作は、実は、こさわへいさく、と読みます。皆さん、ふるさわ、だと思ったでしょう?もうお亡くなりになった先生ですがもしご存命なら、「今年の、ふるさわ賞は~」と司会者が言ったら、ひな壇から「こさわ、だよ!」と言うアンジャッシュのような持ちネタが出来てたことでしょう。

⑥洞察

…いくつかの抵抗を処理し、転移を理解し、解釈を通じて、患者さんは自分の基本的な問題への認識が広がります。それを洞察と言います。僕が洞察と言われて思い出すのは、中学の時の倫理社会の授業で習ったことです。その教師は心理学の授業をしてて、その中で「洞察とは、バスケット・ボールでシュートをする時に直接ゴールを狙わず、後ろの板に当ててその反動を計算してゴールに入れること、それが洞察だ」と言いました。僕はもういい年になって中学で習ったことなどあまり覚えてないのですが、これだけは忘れられないのです。間違いなのに。

⑦終結

…精神療法に終わりがあるのか?終わりがないのか?という問題があります。精神療法が「病気を治す」ためだけではなくさらに「幸福に生きる」ことを目的にするのなら当然出てくるディスカッションで、何をもって「幸福?」なんてとこから始めるからこの議論に終わりはありません。でも現実にはどこかで終わりが来ます。終わりが来る時が終る時です。それが終結です。別れはいつも突然です。いきなり終わってしまうこともありますが、理想的には終結の時にはこれまで行った精神療法の全体をもう一度おさらいしてまとめるという作業をしておしまいにしたいです。

僕が勤務医の頃、決まった曜日の宿直をしていました。宿直明け必ず、「おかあさんといっしょ(コアなファンは、おかいつ、と略す)」を見てました。毎週毎週何年か同じ歌のおねえさんとおにいさんにテレビの向こうから「おはよう~」と手を振られて癒されていました。ところがです。新年度、歌のおねえさんとおにいさんが新しい人にバトンタッチすると聞きました。僕は軽いめまいを覚えショックでした。でも一緒にこれまでの思い出を振り返って受け入れて行こうと思ったのですが、番組にはそんな配慮は微塵もなく、ある日いきなり「次回からこのおねえさんとおにいさんになります。バイバイ~」と言われました。僕のように精神療法を心得る身としては納得のいかぬ終結でした。でも、世間の多くの子供たちはスムーズに受け入れたみたいです。僕もいつしか慣れてしまい、そのお姉さんを好きになりましたが、なんと彼女こそ、「団子3兄弟」の茂森あゆみお姉さんだったのです。この歌は番組を超えて大ヒットしましたね。僕はたまたまNHKのポップジャムに「団子3兄弟」が出た番組の録画をしていて、その回の最後に、「みなさん、バイバイ~」と出演者全員が横1列で手を振る時、茂森あゆみお姉さんは2階席のお友達にも届くようジャンプして手を振りました。そして着地した時、スカートの裾が一瞬ひるがえった様子が映り込んでました。こういうのは気をつけて欲しいものです。僕は永久保存版にしておりますが。

以上、精神療法事始め、でした。カウンセリング希望の方は受付まで。

おまけ。下は何でしょう?

ヒント。香水をつけてる振付。

正解。BTSの新曲「バター」の中でメンバーが一人づつエレベーターの中でパフォーマンスを見せる時のオレンジの服のメンバーの完コピ。

BGM. BTS「Buuter」


心の護美箱(36)~精神療法総論

18/Ⅴ.(火)2021 梅雨入り 澤田隆治死ぬ。88才、野末陳平先生と同い年。

文案

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4月も2週間が過ぎ、春の風を感じる日も多くなってきました。

環境が変化した人も多いでしょうか?

変化と言うと、川原クリニックもこの春から相談室がひとつ増えることになりました!

今週16日金曜日から、早速開室します。

 

元々喫煙室だった場所が、2つ目の相談室となります。(謝って入室しないようご注意下さい!)

コロナ後は禁煙となり待合スペースとなっていましたが、あの空間が好きだった方もいるかもしれません。隠れ家みたいで素敵でしたよね。

 

ベタですが、春は出会いと別れの季節と言います。新たな出会いと聞くとポジティブなイメージですが、日常の破壊でもあります。なかなか疲れも伴います。

春風に足を取られぬよう、踏ん張っていきたいものです。

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↑これはうちの心理の、都袋美知恵(ペンネーム)、が新しい心理室が出来る時に間に合うように作ってくれた文案でアップするのをすっかり忘れていました。今さらですがアップしてみました。

さて今回は心の護美箱(35)がいっぱいになったから(36)を作りました。始めてこのブログを読む人は「何のこっちゃ?」ですね。そんな人はこちらを。→心の護美箱(35)。

前回、「精神療法各論」を書いたので、今回は順序が逆ですが、「精神療法総論」をお送りします。主にフロイトが唱えた重要なキーワードをカワクリ流に意訳して行きます。

 

①無意識の意識化

人の心は氷山の一角に例えられ、見えてる部分は全体の30%くらいで残りの70%は水面下に隠れていると言われてます。みえてる部分を「意識」、みえない部分を「無意識」といって、なんと我々の重要な物事の決定には「無意識」が大きく関与してる訳です。恋人を選ぶ時も、「今度こそ良い人!」と祈って選んでも「今度も結婚詐欺師だ!」なんてのは、無意識がそういう人をわざわざ選んでるのです。いやになりますよね?どうしたらいいでしょう。それは「無意識」を「意識化」すれば良いのだという寸法です。

たとえば、その人にとってはあまり良い父親ではありませんでした。でも無意識下では「父親をかばいたい気持ち」もあります。そこで男を選ぶ時に無意識的に変な男をチョイスします。人間なんて100%善人なんていないから、付き合う中で「無意識」に彼の嫌な部分を刺激して引き出します。そしてひどい目に会って傷ついて別れます。こんなことが繰り返されると、「所詮、男なんてみんなロクなものじゃない。お父さんだけが特別じゃない」という結論を出し、「父をかばうこと」に成功するのが無意識の力。こわいですね。これを辞めたいなら、無意識を意識化し、「行動」で処理しないようにすることが必要ですね。

無意識には常識的なところもあります。例えば、夫がいるのに浮気して若い男とデートをしようとしてるご婦人。心のどこかに罪悪感があるから、車のドアに足を挟んで歩けなくなって、デートをキャンセルします。無意識が不倫にブレーキをかけた訳です。これも罪悪感をちゃんと言語化していれば、デートに行けてたでしょう。

②防衛機制

…不安や葛藤が湧き上がって来た時に意識から追い払うための自衛手段。代表的なものを幾つか。

・抑圧、とりあえず心の奥底にしまいこみ蓋をしておく。

・否認、ないことにしてしまう。僕は忌野清志郎が死んだことを認めない派です。

・取り入れ、別れた男の口癖をいつのまにか真似して寂しさをまぎらわす。

・同一視、高倉健の映画を観終わって出てくる客は皆、肩で風切ってる。

・反動形成、差別意識が高い人ほど平等を訴える。

・合理化、イソップの寓話でキツネがブドウがとれないと「どうせ酸っぱいんだぜ」と捨て台詞。

・隔離、悲しくてやりきれないから感情を切り離す。「離人症」はつらさをリアルに感じないための防衛機制。これを利用してる風俗嬢は多い。熟練者になると「行為」をしてる自分を空中からみれる。

・退行、赤ちゃんプレイを好む社会的成功者は多い。母乳風俗も人気。

・昇華、不良たちの有り余るエネルギーをラグビーに向かわせ、皆で夕日に向かってダッシュ。

さてざっと書きましたが、「投影性同一視」というのが最近の流行りです。ちょっと難しいので、お芝居で説明しましょう。以前の心理啓蒙劇・シラノ~より。

これとよく似たものに「取り入れ性同一視」があります。クヴァード症候群って知ってますか?未開民族にクヴァード族というのがいてそこの風習では女性が妊娠すると男が「つわり」をするそうです。一説では婚姻制度がはっきりしてないから「俺が父親だ!」と主張してるとも言いますがどうでしょうね。そのクヴァード症候群が最近、日本でも多いそうですね。ひょっとして女が何股もかけてるから、「俺が父親だ!」と思いたいのかしら?押し付け合うケースはよく聞きますが、時代は変わったのかしら?男が優しいのですね。痛みを分かち合うのかしら。「すくすく子育て」というEテレの番組でもちょっと前はお母さんのワンオペが大変、だったのがコロナ以降、お父さんも子育て頑張ってるのに評価されなくて可哀想、みたいな番組に内容が変わってきてますから、クヴァード症候群増えるのかな?

③対象喪失

…「対象関係」とは、その人にとって大事な人との関係のことで、その他のどうでもいいような人間との「対人関係」と区別します。だから「対象喪失」は知り合いが死んだというよりとてもショックな喪失体験です。アメリカの診断基準で「ストレス強度」という項目があります。人によって何がストレスになるかなんて違うからそんなものに意味はないと思うのですが、各国間の比較とか疫学のリサーチにはある一定の基準が必要なのでしょう。そこでこないだまでの「ストレス強度」1位は「配偶者の死」だったのですが、最近は順位に変動があったらしく1位は「ペットロス」だそうです。ペットって不思議です。たとえば不登校の子とか場面緘黙の子に「ともだち」として犬や猫を飼ってあげます。家族が不和だからペットを飼うケースもあります。大抵の動物の平均寿命は人間より短いです。ですが、何故か、その子に友達が出来たり、居場所が出来たり、家族の仲が良くなったりすると、まるで「僕の役割は終わったね」と言わんばかりに死ぬケースが多い気がします。僕は獣医ではないから偏った母数を相手にしてるからでしょうか。

フロイトが晩年に大切にしたのは「対象喪失」に対する「喪の仕事」です。大切な人(ペットも家族か)が亡くなってからそれを受容するのにかかる時間はどんな文化圏でも「1年」と言われています。これは受容に必要な時間ではなく、喪に服す期間でしょうね。ペットロスの悲しみをもっと早く埋める方法を知ってますか?別のペットを飼うことです。

④夢

…「正夢」「逆夢」「吉夢」「夢占い」などは我々は信じません。では夢についてどう考えてるかというと、普段は記憶に残しとくと心の健康に良くない物を無意識下に抑圧して生きているけどさすがに無意識の容量も満杯になってくると、意識下に出しても良い物から寝てる間にクリーニングして洗い出します。その名残みたいなものが「夢」の構成要素になります。さすがに元の素材をそのまま出すのは安眠を妨害するから「検閲」して形をかえて夢の舞台に登場させます。だから夢は大抵、「不安」だったり「不気味」だったり「ヘンテコ」です。心が弱ってる時にバランスを取るために「良い夢」をみさせてくれることがありますが、これは要注意です。特に「うつ病」の人が「良い夢」をみて、目が覚めると「なんだ、夢か」とガッカリして自殺したりするからです。

昔何かで小児麻痺でずっと寝たきりで早死にした子の短歌を読んだことがあります。正確には覚えていませんが、こんな感じです。「思い切り草原を走ったらとても気持ち良かった。でも夢だった」、なんか目覚めのガッカリ感が伝わって来ますよね。

 

以上、精神療法総論でした。カウンセリング希望の方は受付まで。


精神療法各論

13/Ⅴ.(木)2021 霧雨。医師会会長、マンボウの中会食を謝罪。

精神療法といっても色々と流派があって、アメリカではカウンセラーの数だけカウンセリングがある、とか、400種類のカウンセリングがある、などと言われてるそうです。今日はその代表をいくつか、カワクリ視点で独断と偏見で紹介します。

①精神分析(精神分析的精神療法、力動的精神療法)

…治療構造をしっかり作り、転移(患者さんが過去に体験した様々な対人関係を治療に、無意識に、持ち込んでくること)を取り扱うことを中心に行うもの。19世紀末にフロイトが提唱しました。イエス・キリストとフロイトとカール・マルクスは人間存在に大きな影響を与えた3人のユダヤ人だと並べて語られることがあります。

フォークトリオだったRCサクセションの清志郎はバンド編成の新生RCを作るために当時の人気フォークデュオ・古井戸(ふるいど)の仲井戸麗市・チャボを引き抜きたいと思いました。そこに古井戸のもうひとりの加奈﨑がソロアルバムを出すというので楽曲を何曲か提供しました。キヨシローはどんな時よりも本気を出して「売れる曲」を作りました。これでヒットすれば、古井戸が解散してチャボが自分のところに来てくれるから。結果、チャボはRCに参加してその後の成功は皆さんご承知の通り。出会った頃のキヨシとチャボはどっちも人見知り。当時は合同でリサイタルをすることが多く、ミュージシャンが楽屋でワイワイやる輪に入れなかった者同士でした。2人がはじめてコンタクトしたエピソードが僕は好きです。楽屋のすみっこでキヨシがチャボにポケットからチョコレートを出して、「チョコ、食う?」と声掛けると、チャボが「食う!食う!」と答えたそうです。これが二人の友情の始まりです。フロイトの話をしようとしてたら、すっかり古井戸(ふるいど)の話になってしまいました。

②実存分析(ロゴテラピー)

…ユダヤ人のため強制収容所に収監されて生き延びたフランクルが提唱した実存をテーマにしたもの。フランクル著の「夜と霧(よる、と、きり)」はベストセラー。

僕は生のフランクルにあったことがあります。講演会を聞いたのです。印象的だったエピソードを話しましょう。フランクルはある神学校に呼ばれて講演会をしたそうです。司会進行は学長がしたそうです。学生から事前に集ったアンケートを学長が1枚づつ見ながら質問を選別するそうですが、ある質問紙を学長が「くだらない」と捨てようとした時、フランクルは「ちょっと待った。それを見せて下さい」と言いました。学長は「?」な顔をして「600、とは何ですか?なんて質問は下らない」と言いますが、フランクルは「いや、これは大変、重要な質問だ。神(GOD)とは何ですか?と書いてある」と言います。きっとこんなくせ字だったのでしょう。↓。

ここで重要なのは、神学校の学長には見えなかった「GOD」が自分にはみえた、というアピールでした。すごくないですか?僕はちょっと引きました。

帰りに偉い先生に「君はフランクル先生は知っているかね?」と聞かれ、「はい。夜と霜(よる、と、しも)を読みました」とジョーク(霧を霜と読み間違えた体)を言ったらカンカンに怒ってました。ジョークの通用しない人は困ったものですが、僕にも責任はあり、やはりTPOを考えるべきですね。

③森田療法

…僕の指導教官が「森田療法」の専門家だったから大学病院の病棟に畳部屋がありました。全部で50床の病棟に特別室みたいな個室があるのは異様です。入院森田療法は「絶対臥褥(がじょく)」と言ってまず最初の1週間は寝たきりで部屋から出れません。そして次のステップで日記が許され、次で散歩・軽作業と行動の自由を広げて行きます。「不安」を行動で紛らわさず、正面から向き合うためです。しかし、考えてみて下さい。うちの病棟は50床あって、様々な病気の人がいて、皆、決まった時間に食堂に行って、薬も列に並んだりします。用件があればナースステーションに自分で行きます。しかし、森田療法は絶対臥褥、部屋から出られないので看護婦さんが食事や薬を届け、ナースコールで部屋に来てくれます。畳部屋は一つしかないから、超VIP待遇ですよね。これは自己愛が満たされるというか、お殿様みたいな気分に浸れます。だから僕の感想は「うちの病棟の森田療法の効果は、自分を特別扱いされることで満足するから」だと思ってました。森田療法は森田正馬(まさたけ)先生が考案した禅の思想を取り入れた日本発の精神療法です。僕は研修医の頃にやってたせいで古臭いものだと思っていたら、最近、またブームのようです。何故でしょう?不思議だ。

④内観療法

…大学病院に勤めてる頃、夏休みの2週間を利用して地方の精神病院に行った。無医村みたいなところで、医者の頭数を必要とする病院が当時はあって長期休みには出稼ぎに行った。その土地は治安が悪く入院時に記載する問診票(当てはまるものに丸をする)の「態度」の欄に「入れ墨をみせて脅す」という項目があり、こんなものが印刷されてるということはそういう人が多いという意味なのでしょう。そこで出会った心理士の先生(60さいくらい、男)は「東京から来た若い医者」に興味を抱き、「東京の精神療法事情」を聞いて来ました。代わりに彼は自分が考案した「ロール・レタリング」という精神療法を教えてくれました。誰かに向けてお詫びの手紙を書くという指導でした。何せ入れ墨ゴロゴロですから、普通のカウンセリングじゃダメなんでしょう。「母に向かって詫びなさい」と言ってローレ(ロール・レタリングの略)。「次は父に向って、ローレ」とローレ攻めにしてくそうです。

こないだ、「23歳シングルマザー小6男子にわいせつ行為で有罪」という記事に「こういう人には罰じゃなく治療を」と書いてありましたが、僕は「こんな美人が来院しても何をすればいいかわからんな」と思いましたが、その時に、ローレのことを思い出しました。あの先生、生きてるかな?

⑤認知行動療法

…これも犯罪者の更生に役立つそうですね。しょこたんがストーカー被害にあったというニュースでも「犯人には治療を」というコメントがあって、その時に弁護士が認知行動療法は再犯防止のエビデンスがあると言い切ってました。

その真偽はともかくとして、認知行動療法とはある状況で生じる気分や行動には、その人特有の「方程式」が稼働するのだという考えです。つまり、y=f(x)、という公式を持ってる人のそれを、y=f’(x)、に換えれば、条件ⅹでも結果yの値が変わってくるという算段ですね。でも、僕に言わせれば、その方程式って結局どうやってつくられたかってその人の人生の積み重ねで出来上がった訳だから、そこを掘り下げて行くのは精神分析だから、結局、認知行動療法って精神分析の短期&焦点づけ療法じゃんって思うのですが、違うの?

⑥箱庭療法

…昔、えらい先生に「箱庭をどう思いますか?」と聞いたら、「あれは、こちらが寄り添って見守ってる中で作ることに意味があり、それは風景構成法も同じことで、だから箱庭は決して一人で作っても駄目だよ。こちらが見ていて、それがきちんと患者さんに意識として伝わっていることが大事で、それがあればバウムテストだって治療になりうるよ」だって。分かったような分からぬような。

⑦アンガーマネージメント

…「怒り」をコントロールする方法をラジオビバリー昼ズで松村邦洋が言ってました。腹が立ったら「怒」という字を思い出し、「女の股にこころ~」、「女の股にこころ~」、「女の股にこころ~」、「女の股にこころ~」、「女の股にこころ~」、「女の股にこころ~」と10回言うと、腹が立たず、別のところが立つ、という下ネタ。高田文夫に怒られてました。

 

以上、精神療法あれこれ、でした。