プレイバック

こんにちは。
早回しで冬がきてしまいましたね。
乾燥の時期に突入したので、クリニックでも加湿器をつけはじめました。
受付うかいです。

 

 

この間、大平さんが11月の模様替えをブログに書いてくれましたが
その中に2ヶ月に一度更新する絵のことがアップされていましたよね。

 

お題は【好きだった人】で、私には難しすぎてなんだかつまらない感じに仕上がりましたが、
大平さんは「なつかしい!」と言ってくれました。

 

 

私はアニメや漫画のキャラクターや、現実に存在するけど画面からは出てこない人によく恋をしていましたが、
身近な人を好きになることがあまりありませんでした。
なので、あの絵はわたしだけ的外れと言いますか、全然甘酸っぱくないのです。

 

そんな私なので引き出しがないですが、今回の記事は題して
『青春プレイバック』です。

 

 

皆さんは、「制服の第二ボタン」の風習を知っていますか?
卒業の時に好きな女の子に第二ボタンをあげる、または好きな男の子に「第二ボタンください!」と言うことで
自分の気持ちを伝える告白の手段ですよね。

もしかしたら10代は知らないのかな?と思っていましたが、何の影響だかわかりませんがわりと浸透しているみたいです。
ただ、実際にあげたことorもらったことがあるかは別ですよね。

 

では、なぜそんな風習が浸透したのでしょう?
わたしは「第二ボタンが心臓に近いから」といつ誰が言っていたのかわからない理由をずっと信じていました。
それじゃ心もとないので第二ボタンがいつから、どこから始まったのかわからないので調べてみました。

 

諸説あるそうですが、1960年公開の映画の中で
特攻隊志願の予科練生が、終戦を迎える前日に命令によって出撃していく際、
好きな女の子に胸の第二ボタンを引きちぎって渡すシーンがあるそうです。
永遠の別れなので、「告白」というよりは「形見」として渡したのかもしれないですね。
そのシーンが起源だと言われています。

この映画がとても気になったので探してみたのですが、DVD化はされておらず、中古のVHSしか売られていないみたいです。残念。

 

ちなみに、戦時中にそれが実際行われていた説もありますが
軍服のボタンをちぎるなんて当時の軍人としてありえない、と否定する記事も見かけました。

 

 

好きな子に、プレゼントをあげると同時に告白をする日で、バレンタインデーがありますが
日本のバレンタインは、もともと好きな人にチョコをあげて告白をするという文化でしたが
今の時代は友チョコだったり、お世話になっている人や苦手な上司にまであげる、
もうほとんど挨拶のような文化となりましたよね。

 

それと同じように、私の中学時代の「第二ボタン」の文化も変わっていて
あこがれの先輩に自らもらいに行くのですが

1番人気はジャージで、人気の先輩はすぐに売り切れてしまうので
ジャージが売り切れていたら次はカバン、
それがダメなら名札
それもダメならボタン
それすらダメなら校章、と売りつくし大セールが行われるのです。

 

基本的には女子が男子の先輩にもらいに行きます。
女子同士、男子同士の場合もありましたが、なぜか男子が女子の先輩からもらうことはありませんでした。

 

1番人気のジャージは基本的に予約制で、
『○○先輩!卒業式のときジャージくれませんか!(目キラキラ)』
と何ヶ月も前から言うのです。
ロマンチックな恋というよりは、獲物をゲットするハンターのようです。

 

中学生の頃の私は、髪の毛を染め、化粧もはじめて、だいぶませていました。
なのになぜか「恋がしたい!彼氏ほしい!」
とは思っていなくて、自分のそういう気持ちに疎かったです。

 

周りの友達は、先輩やサッカー部の男子にキャーキャー言っていて
放課後部活をサボって、校庭のサッカー部を教室から見るのに付き合っていました。
「○○先輩がボール持った!」
「走ってる姿やばい!!」
「あ!転んだ~バンドエイドもっていこうかな!!」

 

文字通りキャーキャー言っているなか、わたしは心の中で
(あ!あの先輩この前犬の散歩してた人だ!あの柴犬ふわふわしてて可愛かったな)
とか
(みんな靴下泥だらけだけど、あの汚れ落ちるのかな)
とか思っていました。

 

 

みんな一人はお気に入りの先輩がいるのに、自分だけいないのがすごくダメな気がして、
私は無理矢理お気に入りの先輩を作りました。
当時の私はアニメ好きというのをとにかく隠したくして、普通の女子でいることに必至だったのだと思います。

 

そうして無理矢理好きになった人は、柴犬を散歩していたサッカー部の先輩でした。
何故その先輩だったかは自分でもわからず、いつのタイミングで誰に打ち明けたのかなどは覚えていません。

 

周りの子が先輩にグッズの予約をする時期になると、友達から
「柴犬先輩から何かもらわなくていいの?」と聞かれ、
別にいらないなんて言えない私は
「恥ずかしいし、きっともう売れ残ってないよ」と返しました。

 

ですが残念ながら、その先輩は人気がなかったのです。
友達に「あの人なら予約しなくてもジャージもらえそうだから大丈夫か!」
と言われました。

 

その先輩の卒業式当日、私は友達に引っ張られてその先輩のところへ行きました。
気持ちなんてないのに、いざ先輩を前にすると緊張と恥ずかしさで顔が真っ赤になり、
何もいらないのに『何かください…』と、泣きそうになりながら言いました。
その時の私はもう、消えてなくなりたいと思っていました。

 

先輩は、ハニカミながら『何がいい?』と聞いてくれました。
その笑顔は、先輩が散歩していた柴犬に似ている気がしました。

1番人気はジャージですが、人が着ていたものには抵抗があり、カバンもなんだかクタクタで。
私は名札を通りこし、普段はあまりものの部類に入る校章をお願いしました。

先輩は学ランの詰襟についている校章をとり、私にくれました。
でも取るのに時間がかかり、その間も私はずっと緊張していて、やっぱり消えたいと思っていました。

 

そして、それがその先輩と最初で最後のやりとりとなり、先輩は卒業していきました。

 

 

好きでもない先輩から、いらないものをもらいました。
小さい、赤色の校章。
私は未だにそれを捨てられず、思い出ボックスの中で眠っています。

 

 
BGM: 松たか子 「明日、春が来たら」


談志の命日 2017

21/ⅩⅠ.(火)2017 はれ 蕎麦屋のメニューに本格ネパール・カレーが加わる。

さくら学院の文化祭は、ワイドナショーに立川志らく、がコメンテーターで出てたからついつい見てしまい、↓、

前日の焼き鳥が残ってたから、朝から宅飲みしてしまい、学院祭は行けず。
チケット争奪戦の時の熱量と、ライブ当日のモチベーションの差が、今の僕の課題

月曜の、おはスタ、を観たら、岡田愛(めぐみ)が可愛かったから、23(祝)のライブビューイングに行こうか迷ってる。↓。

談志まつりの頃は、ボジョレーヌーヴォー解禁のシーズン。
毎年、よみうりホールの下の、お好み焼き屋で呑むのが習慣。↓。

談志の追悼の会で、酔っ払って居眠りして怒られるのが夢。うそ。談志祭り、爆笑問題、目立ちすぎ(笑)。↓。

アーカイブス、談志が死んだ

家に帰って、テレビ。「Qさま」の、伊集院とアンゴラ村長の師弟愛に感動する。↓。

朝起きて、深夜の「おそ松さん」の録画を観る。十四松の「彼女」が再登場!イルカの調教師役。
クリニックのパソコンの壁紙を、アンゴラ村長から、イルカの十四松を陰からそっと見守るウェットスーツ姿の「彼女」に変える。↓。

壁紙は、アンゴラ村長の前は佳子さま。佳子さまの前は、アンゴラ村長で、その前は、元・ベルハーのみずほ、だった。↓。

みずほ、が、夏の魔物、に電撃加入したため、佳子さまにした。
しかし、佳子さまが英国留学するため、KOCで観て一目惚れした、アンゴラ村長に変えた。
しかし、にゃんこスター、の熱愛発覚で、佳子さまに戻す。
しかし、おはスタ、に出た、にゃんこスターを観ても大丈夫だったから、アンゴラ村長に戻していた。

パソコンの壁紙は、僕の恋の心もよう。

BGM.城みちる 「イルカにのった少年」


植木等人形

15/ⅩⅠ.(水)2017 はれ 七五三

昨日、小包が届いた。中身は、「人形」と書いてあった。
人形?
もう、その時点で、日本人形をイメージしてる。
ビクビク開封してみたら、随分前に注文した、植木等のフィギュア、だった。↓。

2020東京オリンピックのライバルは、1964東京オリンピックで当時のシンボルの一人が植木等だ。
そんなACか何かのCMをみたことがある。

僕の今の名刺の裏面は、植木等のポーズをイメージしている。
下は、当時の紅白の植木等。おそるべし、跳躍力。↓。

僕にはこれだけの体幹能力はないので、大平さんの妹さんがデザイン&加工してくれた。
カルタみたいに机に並べてみた。↓。

箱を開けてみます。ハッスルコーラの文字がみえます。↓。

ハッスルコーラとは、このコーラさえ飲めば誰でもハッスルしてしまう清涼飲料水だ。
クレージーの映画、くたばれ無責任、に登場する。↓。

ハッスルコーラは試作段階で、会社で一番無気力な男に飲ませてみようと選ばれたのが、植木等。
この映画では、植木等は、うだつのあがらないサラリーマン役。
それが、ハッスルコーラを飲むと、いきなり目を見開き、高笑いして、階段をこぶしをふりあげながら歌い踊る。

♪ハッスル・ハッスル・ハッスル・ホイ
なんだか知らぬが天下取った気分だよ~ワッハッハ♪

この瞬間、今まで白黒だった画面が総天然色になるのである。
そして、おっしこをすると、コーラの成分が体外に排泄されるから、植木等は元のダメ人間に戻る。
すると画面も白黒になる。
もう1本、ハッスルコーラを飲むと、またまた画面はカラーになる。
この手法は、ヴィム・ヴェンダース監督「ベルリン・天使の詩」(1987)に受け継がれたのではないかと思う。
無味乾燥な生活を送っていた主人公の天使がサーカスの美女を見初めると、モノクロが一挙にカラーに変わる。
似てるでしょ?

ハッスル・ハッスル、と言えば、最近だと「おそ松さん」の十四松を、プロレスファンなら小川直也を思い出すだろうが、
このフレーズのチョイスの期限をたどってゆくと、植木等に行き着くはずだ。
だから、僕は十四松も小川も好きだ。

映画、くたばれ無責任、はハッスルコーラを飲んでバリバリ出世するサラリーマン植木等のサクセスストーリーだが、
実は、ハッスルコーラには違法な興奮剤が入っていて商品には使えなかった。
つまり、植木等が飲んだハッスルコーラが本当に効いていたのは最初の1ケースだけで、後はプラシーボ。
植木等は、コーラのおかげと信じていたが、本当は自分の力で活躍してたというオチである。
それが、くたばれ無責任、というタイトルのゆえん。

この映画は、無責任シリーズの「ニッポン無責任時代」と「ニッポン無責任野郎」の間に作られているが、
内容的には、これを飛ばして観た方が良い。くたばれ~、は別物と考えて。
小林信彦は「日本の喜劇人」で、くたばれ~、を説教臭いと酷評していた記憶があるが、
大瀧 詠一監修の「クレージーキャッツ・デラックス(DVD)」では、ハッスルホイ、は輝きを放っている。

過去のアーカイブスから、植木等の記事を。

ホラ吹き男

無責任男

話を、植木等人形、に戻しましょう。
これは関節が曲がり色んなポーズがとれ、詳細なトリセツもついている優れものです。
うかい、さんに開封からポージング、写真撮影までをお願いしました。↓。

日本一のゴマスリ男。↓。

ハッスルコーラが付属品としてついてるのが嬉しい。↓。

ハッスルコーラを持っています。↓。

今日のお昼は有頂天。植木等人形を持って外出する。
北口商店街で撮影する。カメラマンは川原。↓。

そんな川原の撮影場面を撮影。カメラマンは、うかい、その1。↓。

そんな川原の撮影場面を撮影。カメラマンは、うかい、その2。↓。

そんな川原の撮影場面を撮影。カメラマンは、うかい、その3。↓。

そんな、うかい、の撮影場面を撮影。カメラマンは、徳田。その1。↓。

そんな、うかい、の撮影場面を撮影。カメラマンは、徳田。その2。↓。

そんな、うかい、の撮影場面を撮影。カメラマンは、徳田。その3。↓。

そんな徳田の撮影場面を撮影。カメラマンは、ソネ。その1。↓。

そんな徳田の撮影場面を撮影。カメラマンは、ソネ。その2。↓。

そんな徳田の撮影場面を撮影。カメラマンは、ソネ。その3。↓。

そして我々の行動に注目して、通りすがりのおばさんが、ソネさんの撮影風景を撮って行ったそうだ。
その写真、貰えばよかった。

BGM. 植木等「どうしてこんなにもてるんだろう」


十中八九N・Gアーカイブス 「偲ぶ会」

15/ⅩⅠ.(水)2017 はれ 日馬富士、貴ノ岩にビール瓶で暴行発覚

先週の「笑点」に、TKOが出てコントをやっていた。
木下が葬式に初めて出るから、しきたりが判らない設定で、
服は黒、と言われて、燕尾服を着て来てしまい、
黒のネクタイ、と言われたから、蝶ネクタイ、
数珠を持って来い、と言われて、鈴を持って来た。

このコントをみてて、僕も似たようなものだなぁ、と思った。
だから、僕は葬式には行かないで、お通夜に行くようにしている。
通夜は、準備していたと思われるより、駆けつけたというリアリティーが大事で、どんな格好でもいいからで、
実際、僕は親友のお父さんのお通夜に、ケロケロケロッピーの指輪をして行って、受付嬢に驚かれたことがある。

あいつが死んだ時、僕は大学1年生で、学園祭の「おかまグランプリ」の化粧をしてる最中だった。
彼は僕より頭が良かったが、良い学校を狙うため浪人していて、苦悩をしてたみたいだが、
僕はオカマの準備が忙しく、思いをやってやることが出来なかった。
そんな自分への苛立ちを僕は、打ち上げの酔っ払った席で、2-3人の先輩に向けて、ボコボコに殴った。
先輩にしてみりゃ、いい迷惑だったと思うが、皆、事情を知っていたからサポーティブだった。

あいつを偲ぶ会は、その後に少し落ち着いた時期に行われたから、やはり、11月だった。
アーカイブス、偲ぶ会

このテキストのラストには、今なら違うやり方をするだろう、みたいなことを書いているが、
でも、やっぱり僕は今でもこういう会があったら同じことをすると思う。

今の僕の髪の毛は、そっとパンクにしてるところだから、誰かが死んだらこれで行く。↓。

BGM. RCサクセション「ヒッピーに捧ぐ」


十中八九N・Gアーカイブス 「乳飲め、1!2!」

8/ⅩⅠ.(水)2017 はれ 父の命日

僕は、墓参りには行かないし、仏壇のある実家にも帰らないから、宗教的な供養はしていない。
だから、父母の誕生日や命日には、ブログに想い出の記事を書き、独自のスタンスで向き合っている。
そうは言っても、もう大概、想い出も書き尽くしたので、アーカイブスで父の想い出3部作をお送りします。

①2010年7月の記事、「エロスとタナトス
②2010年7月の記事、「AZ as No.1
③2011年11月の記事、「粋な別れ

母の誕生日は、11月5日でした。母の想い出は、こっち

BGM. よしだたくろう「おやじの唄」


十中八九N・Gアーカイブス 「メロメロ」

6/ⅩⅠ.(月)2017 はれ  トランプ・安部迎賓館に、ピコ太郎

奇数月は、大相撲の本場所と、受付と僕の4人の合作の絵が発表されます。
今回のテーマは、「好きだった人」。
詳細は近々、受付の大平さんがアップしてくれるでしょう。
そこで、「好きだった人」特集のアーカイブスをお送りします。

当初は、忌野清志郎 の曲にリスペクトして「メロメロ」という記事にしようと思って書き出しました。
そして、「君にメロメロ」に変更して、どうせなら、「君にメロロン」にしました。
君にメロロン、は、しょこたんが歌う「墓場鬼太郎」のエンディング曲のタイトルです。
歌い出しが、君にメロメロ~メロメロ~、です。

下は、新宿小田急千疋屋の、小田急百貨店55周年記念・55周年メロンフルーツパフェです。↓。

僕は二十歳の頃、「初恋の人はどんな人?」って聞かれると、照れくさくて、
<次の恋が初恋さ>と答えていたものです。
皆さんの、「好きだった人」はどんな人ですか?

BGM. 豊田 清 「青春PART1」


心の護美箱

2/ⅩⅠ.(木)2017 あたたかい 鍋焼きうどん、メニューに載る

最近のニュースは暗いものが多いですね。
しかし、知ってはいたとは言え、自殺願望のある人は多いですね。
安楽死外来、必要かもですね。
自殺までは決断しないまでも、消えたい、とか、早死にしたい、という人は、それを言える相手がいなくてつらそうですね。
精神科医でも否定的にとらえることが多いですからね。
生かせばいい、とだけ思ってる訳ではないんですけどね。
ここまでの文、全部、「ね」で終ってますね。

グチを聞いてくれて優しいだけの人も信用出来ない世の中だから、人生を生き抜くのは大変だ。
そう思って、何の力にもならないでしょうが、とりあえず、グチを書き込めるページを作りました。
心に溜め込んでるものを、捨てる、ゴミ箱、のようなものです。
子供の頃、ゴミ箱、のイメージを良くしようと「護美箱」って当て字にしてるのをよく目にしました。
それにあやかってのタイトルです。

非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしないし、こちらで「刺激的すぎ」と判断したら控えます。
ですから、酔った勢いでも、ネガティブになった時でも、送って下さい。
返信は、すぐには出来ませんけど、「見ましたよ」くらいのものは送ります。
反応がないのも淋しいでしょうから。

まぁ、グチに限らず、要望や苦情や応援やファンレターでも構いません。

告知だけで終ると、申し訳ないので、アーカイブスしましょう。
11月は、母と父の誕生日で、父の命日でもあるから、僕の原家族の記事にしましょう。

それでは皆さん、ごきげんよう。

BGM. 太田貴子「ガールズ・トーク 」


まずは私が落ち着け

こんにちは、受付の大平です。
10月の模様替えのお知らせです。
でも、今月は模様替えもあまりなく・・・
変わったところと言えばマンガの新刊となぞなぞ、ういちゃんが衣替えをしたくらいで・・・・
まずはそのあたりの紹介から。
マンガは5冊新刊が加わりました。
【CITY】3巻↓

【3月のライオン】13巻↓アニメの2期がスタートらしいですよ

【聖おにいさん】14巻↓ まだ続いていたんですね!

【死人の声をきくがよい】10巻↓今回もサインつき

【掟上今日子の備忘録】5巻↓表紙がとっても可愛いのです

けいおんのういちゃんは冬服に衣替え。
ポーズも鵜飼さんがかえてくれました。
なんだかういちゃんが応援してくれてるように思えちゃうポーズです↓

ウォーターサーバーの今月のなぞなぞはソネさんが作ってくれました。
たくさんのなぞなぞ候補から厳選された3問です・
特に最後の問題が良いのでぜひ挑戦してみてください。

ここまでが10月12日10時30分くらいの時点・・・
 
〈10月12日11時過ぎくらい〉
クリニックに大きな箱が届きました。
箱の中身はシンゴジラのフィギュア!!!!
こちらが第二形態↓↓ 

私はシンゴジラの中で第二形態が1番好きなので前にブログで紹介した第二形態のぬいぐるみを触ったり、
スノードームをふりふりして眺めていたりするのですが、フィギュアのこの子もいい!
上の写真のピントが顔にあっていないのはこの子、口が開いたり手足や尻尾が動いたりするので
リアルで面白くて鵜飼さんと盛り上がり興奮しすぎてしまった為です。

第三形態↓↓


第四形態↓↓



第四形態のフィギュアは背中のトゲトゲが痛いので触るときにお気をつけ下さいね。
このフィギュアは診察室に置いてあります↓↓

〈10月12日11時50分くらい〉
また先生宛のお荷物が届きました。
中身はけいおん・ゆいちゃんの印鑑とキャンバスアート↓↓

印鑑は木箱に入っていて開けるとキリッっとした顔のゆいちゃんの印鑑ケースが↓↓

中身の印鑑はただ今「川原」で製作中で手元にないので出来上がり次第またブログにアップする予定です。
 
〈10月13日12時30分くらい〉
12日に届いたゆいちゃんのキャンバスアートが診察室に飾られました↓↓

このキャンバスアートの位置決め、ソネさんがはじめに呼ばれそこで決まらず、次に鵜飼さんが呼ばれそれでも決まらず、
最後に私が呼ばれそこで決まるという流れがありました。私のセンスはだいぶ磨かれたようです。
〈10月13日の夜〉
今回の模様替えで1番の大移動!診察室のソファの位置が変わりました
診察が全て終わったあと先生とソネさんが頑張ったようです↓↓

みなさんのほうの入口から入るとこんな感じです↓↓

私は朝出勤した時、このソファを見ておんたんと門出のお隣・・・じゃなくて、その2人の間になんだか座りたくなったのですが
まだ、お隣にしか座っていません。近々きっと2人の間に座る機会がおとずれてくれるでしょう。
受付まわりの子たちも誰かのイタズラで変わったようです↓↓

 
10月12日の朝、川原先生にブログを書いてと言われた時にはネタがなくて困っていたのに
数日間でこんなに書くことが増えるなんて!!!!不思議なこともあるものです。
書くことが増えすぎて、書ききれなかったこともあるし・・・
本日、ブログを書いている時にも受付まわりで変わったところがあるのですが、
これは自分で見つけたほうが面白いと思うので来月にでも紹介しますね。
BGM. The Hollywood Symphony & Roger Neill  「Lisztomania 」


カワクリ・裏メニュー③「安楽死専門外来」

9/1は、18才以下の自殺者数が1年で一番多い日だそうだ。
そのため「死にたい」と思ってる10代の声に耳を傾ける番組を8/31の夜にEテレのハートネットTVでやっていた。
司会が、千原ジュニア、ゲストに大森靖子ら。
番組を見守る「お月様」のナレーションの正体は、しょこたん、だった。↓。
うちのブルーレイ・レコーダーのお気に入りワードに、中川翔子、と、大森靖子、が入れてあるからWで引っ掛かった。


まぁ、フツーの番組だった。
9/1から新学期(だから自殺が最も多い)という想定の上、8/31の夜にやることに意味があるのだろう。
自殺、は仕事柄、常に向き合っている問題だが、いつも思うのは、命かけてまで行く価値のある学校なんてないってことで、
行きたくなけりゃ行かなきゃいい。
いまどき、「すべての人間が平等だ」、と本気で信じ込んでる人は少ないと思うが、
人間誰しも、「自分の意志で生まれて来たんじゃない」、という点と、
「自分の望むタイミングでは死ねない」、という点のみにおいては平等だ。
そんな宿命に抵抗する手立は自殺くらいしかないのだとしても、失敗して生き残るとかえって面倒だったりするし、
成功するにせよ、死ぬまでは生きてないといけない訳で、決意してから死ぬまでの時間は恐怖だろう。
自殺をする勇気がないのなら、せめて安らかに死なせて欲しいものだ。
研修医の頃、精神科の主任教授に、「川原君、今後の高齢化社会で重要なことは何だと思う?」と質問された。
僕は少し考えてから、<安楽死ですか?>と答えたら、教授は、真顔で「惜しい!」と、うなった。
(ちなみに、正解は、「安心してボケられる世の中作りだ」って)
自殺と安楽死って、ニュアンスが似てる部分があると思う。
僕の通ってた医学部の教養課程では、「医療倫理」という講座があって、主に、
・「安楽死」と「尊厳死」の違い、とか
・ヒポクラテスの誓い、などが
テストのヤマ、だった。
安楽死は、医者が末期患者などに薬を用意して自殺幇助(ほうじょ)することで医者が関与したケースで、
一方、患者が同じ薬を自分で手に入れて使用したら、それは自殺になる。
尊厳死は、患者の意志によって延命治療を止めて自然に死を迎えること。
つまり、安楽死と尊厳死の違いは、医者が手を加えるかどうかの差。
ちなみに「ヒポクラテスの誓い」では、医者は誰に頼まれても決して死に至る薬を与えない、という項目があり、
安楽死は認めていない。
時代の移り変わりで価値観は多様化し、安楽死を認めている国もある。
スイス・ベルギー・ルクセンブルグ・オランダ・アメリカの一部・オーストラリア・カナダ・コロンビア。
この中でも、スイスだけが外国人の安楽死を行ってる。
末期癌の疼痛や、痛みの激しい不治の病の安楽死は、了解しやすい。
問題は、精神的な苦痛をどこまで考慮するかだ。
ステージは末期ではないが独り身でゆくゆくは老人ホーム、これまで幸せに生きて来たがこれからは不幸になるだけ。
それならば不幸になる前に逝きたい、という人が安楽死を希望したら?
何十年も連れ添った配偶者が末期癌で、本人は病気ではないが、配偶者のいない人生は考えられないと、
夫婦同時安楽死、が論争になったこともある。
ベルギーでは精神疾患や重症の「うつ病」などにも、安楽死、が認められたケースがあるという。
一昔前は、うつ病患者に自殺をしない約束をしたものだ。
うつ病の病前性格は真面目だから、「約束は守る」とか、「医者に迷惑がかかる」、ことがブレーキになると考えられていた。
随分と、性善説だ。
電車に飛び込むと賠償金とか、飛び降りは誰かをまき沿いにするからとか、が自殺を食い止めている場合もある。
しかし、本当にヤケになって、死ぬしかない人は、死んだ後の心配など知ったこっちゃない、のであるのも確かで、
精神科医がそんな浅い性善説に頼っていては、患者に見透かされて、「何もわかってないな」と見限られてしまう。
10代からODやリスカを繰り返し、精神病院に強制入院になり、病棟で首吊り自殺をする、なんてケースはよくある。
だから閉鎖病棟の持ち物検査は厳格で、ベルトや紐靴もNGだ。
それでも本気で死のうと思ったら、入院させても100%は防げない。
シーツを破ったり、舌を噛んだりするから。
もし、こういう人に、安楽死、を認めてあげたら、逆に抑止力にならないだろうか?
自殺が出来ない自殺願望のある人の最大の苦しみは、死ねない、という事実で、
「この薬さえ飲めばいつでも自分のタイミングで楽に逝ける」と思えば、結局死なないで済むケースも出て来ないか?
ただ難しいのは、自殺の意志や本気度は今日言ってることと5年後に言うことが全く違うことがあることだ。
「うつ状態」の時と、薬を飲んで「良くなった」時では言ってることが、180度違い、そのどっちが「本気」なのかはわからない。
安楽死はまだ日本では認められていないが、今後の動向はわからない。
早いうちから、「安楽死専門外来」、を立ち上げておくと、その道のオーソリティーになって、認可されやすいかもしれない。
だから、自殺を今考えてる人は、もう少し待てるなら、「安楽死専門外来」、に通ってみたらどうか。
医者が手助けして、無痛で20分くらいで苦しまずに死ねて、事故物件とか残された人にも文句を言われないで済む。
何なら、死ぬ前に、パーティーをしてシャンペンとか飲んで、思い出話に花を咲かして、皆に見守られながら毒薬を呑む。
自殺、と一口に言っても、「死ぬしかない」「死んでお詫びを」「消えたい」「死んでやる」などのバリエーションがある。
昔、「自分の葬式に誰が来るか?リスト」を作ったことがあるが、「死んでやる」という人には、それのリアル版で、
関わりのある人たちの「反省」の肉声を生前葬儀のパーティーで聞けるメリットもある。
オチとして、「なーしよ」も有りである。
この間、自殺願望の強い女の子に、「安楽死専門外来」を考えてるんだとフライング気味に話してしまった。
すると驚いたことに彼女は、「私はスイスに行きたいんです」と教えてくれた。
彼女は、どんなビザをとったらいいか、とか、手続きとかを一生懸命調べていた。
思わず僕は、<あなた、よく勉強してるね>って感心すると、
彼女は照れ笑いして、「そんなの皆、知ってますよ」と謙遜した。
彼女の言ってる「皆」がどの辺りのグループをさしているのかは疑問だが少なくとも「自殺」をあきらめて、
「安楽死」に希望を託す人たちがいる空間がこの世に存在してるようだ。
僕が、<色々と難しい問題はあるが、そういうことも考えているんだ>と告白したら、
彼女は、「それはとても安心しました」、「もう少し生きててもいいかな」、と言った。
繰り返しになるが、一番難しいのは、人間は状況に依存しているから、状況次第でコロコロ考えが変わったり、衝動的になったりする点だ。
だから、一時の勢いで重要な決断をしない方が良い。安楽死、もそうだ。
人間は信用出来ないが、中でも一番信用おけないのが「自分」だったりするものだ。
一生懸命生きてる人は一瞬一瞬を大切にしてる分、発言に一貫性がないのと似ている。
だから賢明なのは、自分のことをよく知っていてくれる人を身近に置いておくことだ。
家族や友人でもいいが彼らは思い入れがある分、ノイズが入るであろう。
だから、専門家に定期的に通い、そういうことにブレない恒常的な外部オプションを作っておくのが良いと思う。
それが、安楽死専門外来、の設立の理念。
ブラックジョークみたいに思うかもしれないけれど、「自殺」がこれだけ問題になっているのだから何かしなきゃね。
綾小路きみまろのギャグで、
「頑張りましょう。頑張るために生きてるんだもん。幸せになるために生まれて来たんだもん。ただ、幸せになれないだけの話し」
というのがあるが、命かけてまで頑張る価値のあることってこの世にあるんですかね?
幸せ、って言うけど、幸せの基準を決めてもらわないと、何をもって幸せというか判らない。
膣内に一度に射出される精子の数は、数千万~数億個で、それが日本の人口と同じ位で、
それで精子の時点で競争に勝って受精したのだから、生まれて来ただけで人間は「勝ち組」って言う人もいるけれど、
そういう人が数千万~数億人いるのだから、その理屈で自分を「特別」と思えるほど、お気楽にはなれない。
生きること死ぬこと、を考えるのは難しいですね。
「安楽死」はとりあえず、脇に置いておいて、「生きる意味」とか、「自殺は何故悪い」とか、
「人殺しは悪いのに戦争だと英雄になる矛盾」とか、このご時勢もふまえて皆さん、どうお考えになりますか?
そうだな、ソネさんの意見を聞いてみよう。ソネさんとは、よくそういう話をするから。
「なんで頼んでないのに生んどいて勉強しなきゃいけないの?」とか。


中二再来~その時期ね

準備中
・10/12途中経過~「魂削って、迷走中!」
・10/13途中経過~「骨格、出来上がる」も、「もう少し、ふんわりと終わらせたい」。現時点、血中濃度が高めの様子!
・10/14途中経過~「愚直に真っ直ぐ、執筆中!」
             
・10/14途中経過②~皆様の応援で、ソネのエナジーはチャージされ、もうじき記事が爆誕します!
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こんにちは。ソネです。
この短期間に、超難題のブログ記事を書くことになるとは・・・。
人生、何が起こるかわかりませんね。
 
前回は「哲学」というより考え方?といったテーマでブログを書きました。
結果、よくまとまらないブログになってしまいました。
よく物事を考えたりしますが、まとめて文字に起こすことがないので難しいです。
 
このブログの記事は私の意見で正しくないです。
反対の意見の人もいればわかるなって人もいるかもしれません。
こんな考えの人もいるのだなって感覚で読んでいただけると幸いです。
 
生きる意味ってなんでしょうか。
いろいろあると思います。
家族のため。友人のため。仕事のため。趣味のため。自分のため。
一方生きる意味について考え、それでも○○のため!といえない人もいると思います。
 
何故、生きているのか。
生きる意味ってなんなのか。
自己存在意義。
 
私もよく学生時代に考えていました。
 
個人的になんですが生きる意味や自己存在意義を考えているときは消滅したいって思っている時だったり・・・。
だから答えなんて絶対わからないこと考えて消滅理由に繋げていた気がします。
 
 
学生時代の私は、正直緩く生きていました。
何事にも無気力で、生きるのがとにかく億劫でした。
そんな私の姿をみて親が悲観していたのを覚えています。
だからこそ、自分の生きる意味や存在意義をやたらと欲しては、
何も出来ない自分に嫌気がさしていました。
どうして生まれてきたいなんて思ってない私が存在しているのかとか、
親と喧嘩するとよく
生まれてきたいなんて頼んでないって言っていましたね。
でも、親もきっと思ったでしょう。
選べたならきっとあなたなんて選んでないってね。
 
幼かったから逆を考えられなかったです。
親不孝とはこのことですね。
 
勉強する意味がわからない。という言葉も学生時代よく聞きました。
個人として、勉強は嫌いではなかったし、自分の知識量が増えるで、どちらかと言えば好きでした。
ただ、ずっと学校に行く意味がわからずにいました。
教科書通りに、教科書に書いてあることだけを説く授業に違和感がありました。
教科書通りに進む授業ならわざわざ学校に行く必要があるのかと思ったのです。
今、学校に通うことが必要か?と問われると一概にも必要だ。とは言えませんが、集団の中だからこそ学べることや、ほかの人が何を難しいと思うのか。とかね。
 
日々、少しずつ考えは変わります。
生きる意味や自己存在意義について今は余り考えていません。
意味は必要なのかな?という結論に至ったからです。
全く必要ないと思っている訳ではないですが、明確に、ハッキリと、○○のため!
と定義づけなくてもいいと思っています。
 
誰かに励まされたり、嬉しい気持ちにしてもらったり、でも自分に影響を与えてくれた相手にとってはただの日常、さりげなくしたことだったり。そんな事がありふれていると思うのです。
 
誰かにいつか、どこかで、誰かの励みになるようなことをしているかもしれない。
生きる意味なんてこのくらいぼんやりとしていてもいいじゃないかな。なんて、最近思います。
前に進めない時はどんなに頑張っても進めないし、気が付いたら一歩前進していたり。
何が起きるかわからない。だから生きる意味とか考えずに流れに身を任せるという生き方もありかな・・・と思います。
生きている中であらゆる物に影響を受けます。
学生時代の授業やTVでのニュース、アニメやマンガ、新聞、雑誌・・・
生きる意味を考えさせるものは世の中に溢れています。
 
これはあくまで、個人の意見なので、正解はありません。
 
このブログの記事も、いつか、誰かの記憶にふんわりと残っているといいな、なんて。
戯言もいいところですね。
長いことお待たせした割りに、上出来の記事はかけませんでした。
でもこれが今の私の魂削り込んで紡いだ言葉です。
 
しかし、これは最終地点ではありません。自分の最後が来るまで意見は進化しています。
BGM「にんげんっていいな」ガガガDX