談志が死んだ、翌日。

24/ⅩⅠ.(木)2011 くもり、寒い
今朝のスポーツ紙の一面は談志一色。
見出しは、スポニチ&スポーツ報知が「談志が死んだ」、ニッカンが「談志が死んじまった」、サンスポが「くたばっちまった。
談志さん死去」。
東京中日スポーツとデイリースポーツは芸能面に、「談志さん、死す」、「談志が逝っちまった」とそれぞれ大きく取り上げた。↓。

談志の死は密葬で弟子達もこの日に知ったそうだ。
各紙は著名人のコメントを載せるが、僕が知りたかったのは、三平やヨネスケやきくぞうのコメントではなく、
弟子達の反応だった。
志の輔が「スポニチ」と「ニッカン」と「デイリー」で、志らくが「東京中日」で、談笑が「ニッカン」でコメントが載り、
談春のコメントはどこにも掲載されてなかった。
東京中日スポーツに、2008年の「立川談志 談春 親子会」の写真が使われていただけだ。
爆笑問題・太田のコメントもなかった。
朝のワイドショーもこのニュースで持ちきりだったが、
ゲスト・コメンテーターのチョイスで各局の立川談志への理解度(つまり、そのTV局の文化水準)が理解る。
後は、帰って東スポを読む。東スポのチョイスは誰だろう?。きっと、一番、センスいいぞ。
BGM. グレープ「朝刊」


談志が死んだ。

23/ⅩⅠ.(水)2011 勤労感謝の日 寒い、少し雨
夕方、寝ていたら息子に「談志が死んだ」と起こされた。
寝ぼけて、<ダンス・ハ・スンダ?>とミカ・バンドの歌かと思い聞き返すと、「立川談志が死んだんだよ」と大声で言われた。
そりゃ、大変だ、とあわててTVをつけると、4チャンが特集みたいにしてやっていたから、それを観ていた。
談志は「笑点」の初代司会だから、4は力を入れたのかな?ゲストが始めは「きくぞう」だったが、
後半に円蔵(昔の円鏡)が加わったのは良い人選だと思う。
円鏡は何度も、「洒落じゃないの?なさけないなぁ。生きてなきゃ。
洒落じゃないの?」と画面越しにもガッカリしてみえた。
談志と円鏡と言えば、「談志・円鏡の歌謡合戦」という番組が伝説だ。
談志の言うイリュージョンの世界だ。今はCDで聴ける。↓。

談志はおととい亡くなったらしい。
息子が、夜の9時から「ニコニコ生放送」が独占で遺族による記者会見をするという情報をゲットしたので、
8時半くらいから2人で、パソコンの前に椅子を並べ、中継を待った。
すると、8時51分に、「ご遺族の意向により、中継中止となりました」というテロップが流れた。
ここに一冊の手帳がある。
これは、1999年8月10日から2000年11月30日までの、談志の「ひとり会」や「独演会」に行った時に用いたものだ。↓。

爆笑問題の太田光が何かで談志と落語について語っていたことがある。
落語には‘まくら’と言って本題の前にウォーミングアップみたいな小話が入る。
そこで談志は漫談のようなことを長々と言うのだが、そのジョークの数々がウイットに富み、毒を含み、社会に切り込み、
そして爆笑をさらう。
それは自分たちの漫才よりもすごいものを見せつけ、
その立川談志が談志よりも落語はすごいのだと言って見せ付けられる「落語」にはかなわない、
という様な趣旨のことを言っていた。
僕はこの手帳に、その‘まくら’のジョークを走り書きでメモした。
その日の着物の様子も後で思い出せるようにスケッチした。↓。

国立演芸場の「ひとり会」は毎月欠かさず通ったし、その他の「独演会」もほぼ追っかけた。
99年8月10日の「ひとり会」の前座は、アンジャッシュと底ぬけエアラインが出演。
NHKの「オンエアバトル」の審査員を談志がして、目をかけた彼らを「ひとり会」の舞台にあげたのである。
12月9日の「ひとり会」の前座は志の輔がつとめ、談志は「もったいない前座。
今度は、小さんを使おう」と自分の師匠である小さんの名前をあげたりしていた。
2000年になると、談志の体調は悪くなり、落語が出来ず、テリー伊藤や毒蝮や山藤章二が舞台にあがりトークをしたりした。
ファンは、それで十分だった。
ただ、そこに座って、お茶を飲んだり、居眠りしてるのを見てるだけで十分だった。
しかし、談志自身が一番それを嫌った。
ファンに満足行く落語を見せれない葛藤を吐露していた。
1月11日の「ひとり会」は前座の後、談志が出るかと思いきや、
何と突然、円楽(笑点の司会をしてた、もう死んだ人の方)が登場して「蒟蒻問答」を一席演じた。
談志は、普段から「笑点は俺が作ったんだ。
あいつらは、俺のおかげで食えてるんだ」みたいなことを言い、円楽のこともバカにしたりしてたのに、
談志のピンチに円楽が駆けつけるとは思わなかった。
皆、ビックリして、そして歓迎した。
円楽が舞台を下りると、談志が登場し、
「風邪で今、ボーっとしてんだよ。それで、俺よりもボーっとしてる奴、前に出しゃいいと思ってね」と憎まれ口を叩いて、
友情への感謝の表現としていた。
そして毒蝮や山藤章二や西丸震哉も壇上に上がり、座談会をしようということになり、円楽も呼ぼう、ということになったら、
楽屋から「円楽師匠、お帰りになっちゃいました」という声。
ヒーローは颯爽と登場し、ピンチを救うと、姿を消す、みたいな感じだった。
だけど、円楽の方が、先に死んだんだよな。
久しぶりに、「ひとり会」のビデオでも観てみるかな。↓。

二期のサインには、「遺言がわりに…」と書いてある。
2000年正月だから、上記の円楽が助っ人に来た頃だ。↓。

せっかくだから、メモ帳に書かれてる中味を少し紹介しましょう。
・野球好きの2人。先に死んだ方が、天国にも野球があるか知らせようと約束。
1人が死んで、約束通り(幽霊になって)やってくる。
「良い知らせと悪い知らせがある。良い知らせは、天国にも野球がある」。
生きてる方は喜び、<で、悪いのは?>、「来週の火曜、お前が先発だ」。
・「あなた!変なことすると妹を呼ぶわよ!」。
<じゃ、俺も弟を呼ぼうか?>。
・酒は人間を駄目にするのではなく、酒は人間が駄目だということをわからせるためのもので、
呑んで後悔するためにあるもの。
・「人生は真面目に生きなさい」って言うけど、「そうはいかないよね。いいんだよ、ちゃんとしなくって」というのが落語だった。
それが、近頃、みんな、ちゃんとしなくなって、落語家が「ちゃんとしよう」と言わなくちゃいけなくなった。これを「末世」という。
・「芸人ってのは、どんなにつらくても客にサービスをして」って言うでしょう?
オレ、そういうのないから。
嫌でしょ?オレがそんなことしても。お互い、嫌な思いしても。
・(横山ノックが訴えられた時)芸能界では、女の人が来たら、お尻触ってやるのが礼儀ですよ。
触り方に、センスがいるんですよ。
・オレん所に来る客は一筋縄でも二筋縄でもいかない連中。良く言えば、マニアック。
社会から認められてない連中。傷を舐め合ってるんだ。
・(国立演芸場での「ひとり会」は今日でおしまい。毎回「ひとり会」の券を買うのが大変だったという話から)。
「もう走らなくっていいから。ごめんね、苦労かけてるって知らなかった。
でも、知ってると、心配したり、変に優越感にひたったりするから。
また、どこかでやる。引退なんて言ってないし、できない」。
2000年3月9日。
・酔っ払って、最後にチンポコ出して踊ってるんだ。一緒に連れてった、(ビート)たけしも出すよ。
小朝は出さないんだ。ここに差がある。下品ね、って言われりゃ、それまでだけど。
円楽は出さないね。志ん朝は出すかな。勘九郎は出すね。意外に、染五郎は出すと思うよ。鶴瓶は出すね。
ざこばは、言う前に出すよ。こういうところに差が出るんだよ。
立川談志、享年75才。家元、今まで、色々とありがとうございました。


LV50

21/ⅩⅠ.(月)2011 はれ
今日、獨協の校医の帰り、カテドラル教会のウインドウをのぞいたら、クリスマスの飾りつけがしてあった。↓。

そう言えば、クリスマスの雰囲気作りって何時くらいから始まるのだろう?。やはり、ディズニーランドのパレードが一つの目安なのかな?。ミッキーマウスの誕生日が、11月18日らしいから、その日が過ぎたらボチボチかな、と本当はどうでもいいことを考えながら目白駅まで歩いた。
目白駅でしょこたんのゲームの宣伝の看板を見つける。↓。

目白は、渋谷や新宿と違って、往来が少ないので、写メしやすい。折角だから、アップも撮影する。↓。

しょこたんは、一時期、年齢を「永遠の16歳」と言っていたが、最近は年齢をテレビゲームで使われる‘レベル’という単位で表現している。だから、今はレベル26。
僕はもうすぐ「LV50(レベルごじゅう)」になる。


我が子

20/ⅩⅠ.(日)2011
11月も残り少しですね。11月は、父と母の誕生月であり、父の命日があり、息子の誕生日もあり、色々と物想う月であります。
今日は息子の誕生日。焼肉を食べに行く。
息子と、父は同じ干支で、出産予定日が父の命日の11月8日だったから、親戚連中からは「もしや父の生まれ変わりでは?」と期待されていた。しかし、なかなか予定通りの出産にならず、父の誕生日が11月27日だから、「もしや、その日に産まれるのでは?やはり、生まれ変わりだ」と親戚筋では噂になった。
そんな中、当時まだ生きていた母から電話があり、「今日、(茅ヶ崎の実家の)庭に大きな見たこともない白い鳥が舞い降りてきて、じっとこちらを見て、静かに飛び立った。だから、きっと、今日産まれるというお告げだ」という呑気な内容だった。
ちなみに、その大きな見たこともない白い鳥とは、サギとか鶴のような種類ではなく、ワシとかタカのようだったという。百歩譲って、そんな物騒な鳥が本当に庭に来たとして、何故、それがお告げだと言い切れるのか?。
それは、この子と父の共通する干支が「とり」だからだという。十二支の「とり」って「ニワトリ」だと思うのだが、鳥類だから大差ないらしい。大正生まれは、おおらかだ。
そんな母の他愛もない予感が的中し、大鳥の舞い降りた日に息子は産まれた。それは、父の命日(8日)と誕生日(27日)に挟まれていたから、「これは、父の生まれ変わりにちがいない」と親戚連中は祝福した。
ニワトリは、夜明けを告げる鳥だ。夜明けとは、新しい時代の到来の象徴だ。自分の力で人生を切り開いて行って欲しいと願う。
BGM. 忌野清志郎「ラッキー・ボーイ」


前田の想い~アウトサイダー19

13/ⅩⅠ.(日)2011
今、日本の格闘技界はK-1やDREAMが地上波から消え、景気がいいのはUFC(世界最高峰と呼ばれるアメリカのメジャー団体)と地下格闘技だけ!、という「格闘・格差社会」と呼ばれている。
その地下格闘技の代表が、前田日明が不良達の更生のために主宰する「ジ・アウトサイダー」だ。アウトサイダーについては、何度かここでも紹介したので興味があったら、読んでみて下さい。
※ジ・アウトサイダー関連記事:2010年5月&10月「ジ・アウトサイダー」、2011年5月「5・8アウトサイダー横浜大会」。
今日は、横浜文化体育館で試合が行われるので、観戦に出向く。↓。

今大会の僕のお目当ては、「ロシア特殊部隊対抗戦」と「日系ブラジリアン柔術軍団対抗戦」である。
つまり、不良達がこれらと戦うのである。

全31試合の長丁場で、開始が午後3時で終わったのが午後9時で、観戦するのにも気合がいる。
最初の20試合位は、アウトサイダー同士の戦いで、彼らの肩書きは例えばこんな感じである。「○○地獄族 第何代総長」とか「○×会 初代総長」とか「大阪ギャング」とか。
面白かったのは、かつては刃物片手に登下校し、ムカついた車はひっくり返して燃やすなどをしていたという宮永という選手。相手の選手が契約体重より5kgオーバー(格闘技では、悪質な反則になるらしい、体重が5kg違うのは圧倒的な不利だから)していても、対戦を受け入れ、KOして勝った。
それから過去最多の乱闘回数を誇る黒石という選手が地元・横浜ということもあり絶大な人気があり、試合も面白かった。
それから、ザ・シバター・テイカーという(WWEのジ・アンダーテイカーのモノマネ)一見イロモノっぽい選手が試合でもモンゴリアン・チョップとか出しながらも最後は圧倒的なスキルで相手を仕留めた。前田もニコニコしていた。
そして、いよいよ僕のお目当ての対・ブラジル、対・ロシアだ。対抗戦の前には、全選手がリングに上がり国歌の斉唱が行われ、否応なしに雰囲気は盛り上がる。

日系ブラジリアン柔術軍団は、前田が直々に道場に赴いてスカウトしてきた選手だそうだ。しかし、そこはアウトサイダー軍が大和魂を見せつけ3勝0敗の結果となった。
しかし、ロシアの特殊部隊はそう簡単には行くまい。前大会にも登場し、圧倒的な強さだった。今大会では、パンクラスやZSTに出場経験のある実力者をぶつける。つまり、不良vsロシア軍ではなく、日本の格闘家vsロシア軍に近い。
1試合目のコンスタンティンは、パンチの当て勘も良く、1R56秒でKO勝ちした。前回に続き、2連勝だ。
2試合目のビターリは「技のマトリョーシカ」の異名があり、寝技の攻防の後、2Rラスト10秒で打撃のラッシュを掛けTKO勝ち。彼も2連勝だ。
対抗戦は、2勝0敗でロシア軍の圧勝。ちなみに、大将戦に出場する予定だった選手は交通事故に遭い来日できなかったのだと。残念。
僕は、1人で観戦に行ったのだが、僕の隣にはヤンキーの女子のグループが陣取っていた。知り合いが試合に出るので、応援に来たらしい。
僕は不思議と昔から不良少女との相性は良く、彼女らも1人観戦の僕を気の毒に思ったのか、不良ならではの情け深さか、缶ビールをくれたり、ポップコーンを食べろ、とすすめてくれた。
僕と彼女らは試合に熱中し、一息つくと、1人の女が「ところで、仕事、何してるの?」って聞いてきたから、色々ご馳走になった手前もあるから、<医者だよ>と答えると、皆で手を叩いて声を揃えて、「ウマイ!ウマイ!」って爆笑した。<ギャグじゃないんですけど>。
ま、いいか。
「人生をあきらめなかった奴には、必ずチャンスがあるのだ」。
挫折した若者達に、もう一度、敗者復活の舞台を作ってやりたい、それが前田日明の想いであった。
ある者はプロ格闘技家となり、ある者はアウトサイダーでの活躍により格闘技以外で自分の夢を叶えたという。
それぞれの若者が、アウトサイダーのリングに上がることで自信を持ち、己の生き様に誇りを持ち、堂々と社会へ巣立っていった。
しかし、その一方で、一度リングで敗者となった故に、二度とリングに戻って来ない若者もいるという。前田は、そんな彼らが残念でならないという。そして前田はこう言う。
「一度、男が決めたからには、せめて3年は歯を食いしばって頑張って欲しい。物事は、3年頑張らなければ結果はついて来ないのだ。あれこれ考える前に、とにかく3年頑張れと言いたい。頑張れば夢は必ず叶うのだ。決してあきらめないで欲しいと願う」と。
前田日明の発言だからこそ重みがある。そもそも前田は、新日本プロレスの若手レスラーだった頃、猪木の気まぐれで「ユニバーサル・プロレス」に飛ばされ、そこから戻って来いと命令が下るも、新日本には帰らず、社会現象とまでなった「UWF」に発展させた。しかしUWFも経営難から古巣・新日本プロレスにUターンするがセメントマッチ(真剣勝負)でクビになり、それからも色々ありながらRINGSを創り、自らが引退した後は、ヒョードルやノゲイラを発掘するも、新興勢力のPRIDEに人気選手を引き抜かれ、活動停止に追い込まれた。そして、ジ・アウトサイダーの旗揚げから、まもなく4年目になる。
来年、3月にはいよいよRINGSが再始動する。今日の大会に出場したメンバー達もRINGS出場を目指すのだろう。
そして新たな伝説を作って行くのだろう。
会場で、前田のフィギュアを買う。直筆サイン入り。自宅の部屋に飾る。↓。


せまる!映画「けいおん」

11/ⅩⅠ.(金)2011
もう、11月ですね。11月は、父と母の誕生日であり、父の命日があり、息子の誕生日もあり、色々と物想う月であります。
そんな今日この頃、11月11日は「けいおん」のあずにゃんのバースデーです。映画化が待ち遠しいですね。
映画「けいおん」は色んな所でタイアップ作戦を繰り広げてるようです。
Kさん(♀)に教えて貰ったのですが、ローソンで「経済なんとか」(名前、忘れた)を買うと特典クリアファイルがつくそうです。↓。

また、Kさん(♂)によると、デニーズで特別なメニューを頼むとコースターをくれるそうです。↓。

ルミネエストでも「けいおん」のフェアをやっていて、徳田さんがスクラッチカードでクリアファイルを当てて来ました。
彼女は、僕がこないだブログにルミネエストの事を書いたからなのか、日頃お世話になってる尊敬の念なのか、それとも先日のワールドカップの録画のお礼のつもりか(サッカーとバレーボール、間違えて録画したけど)、そもそも僕が「けいおん」好きアピールをしてるからなのか、景品のクリアファイル・あずにゃんバージョンをくれました。↓。

徳田さんは「1枚だけなのですが…」と申し訳なさそうだったが、僕はこの企画で全部、揃えるのは無理だと諦めていたから、1枚だけでも手に入るなんてラッキーだよ。それに、もしも1枚選ぶなら、「あずにゃんバージョン」だろう。理由は、11月11日はあずにゃんの誕生日だから。
クリニックの受付横の「けいおん」コーナーの壁の右上に貼りました。気が向いたら探して見て下さい。↓。

見つけても、何もあげれませんが…。
BGM. 矢野顕子「ひとつだけ」
※関連記事:2011年11月「男の子とおしゃれ~(けいおん×ルミネ・エスト)の場合」良かったら見て下さい。


バレーの思い出

8/ⅩⅠ.(火)2011
前に、徳田さんがサッカーの代表戦を録画しそこなって観れなかったと残念がっていたことがあった。
誰か録画してる人はいないの?、と聞いたら、サッカーの様な種目はあまり録画・保存するものではないらしい。
それを聞くと、プロレス・ファンの収集癖は異常に映るかもしれないな。
でも、便利。見逃しても、誰か撮ってる(保存してる)からね。
先日、録画予約する際に、ワールドカップの番組があったから、念のために、徳田さんのために録画しておいた。
ちゃんと撮れてるか再生したら、それはサッカーじゃなくて、女子バレーボールだった。
お昼に徳田さんにその事を話して、<消していい?>と聞いたら、彼女は「先生は優しいですね。消して下さい」とやさしく笑った。
僕は、プロ野球とプロレス以外のスポーツはまったく興味がないので、オリンピックだろうとワールドカップだろうと見ることがない。
最近は、野球も観ないし、プロレスも観ない。総合格闘技くらいかな。
だから、どんなに有名な選手でも、スポーツ選手のことは呆れられるほど知らない。
でも、昔、野球・プロレス以外のジャンルで注目した選手がいたのを思い出した。
女子バレーの選手で、確か広瀬美代子とか言った。(名前、違ってたらゴメン)。
僕が高校生の頃、βービデオに自分の好きなシーンだけをよりぬきして編集してたことがある。
誰でも、経験あるでしょう?
僕は、「マイ・コレクション」というタイトルで3巻まで作った。
当時、僕は石野真子のファンで、石野真子が黄色いベレー帽を被った写真がジャケット・デザインのベスト・アルバムの
タイトルが「マイ・コレクション」だったので、そこから拝借した。
その「マイ・コレクション」の2巻に、
広瀬美代子がプロ野球ニュース(司会・佐々木信也)でインタビューを受けてる模様が収録されている。
合間合間に彼女のプレーが画像に映し出されるのだが、とにかくレシーブがすごいのである。
絶対、取れないようなものも拾うのである。
たとえば、観客席の方に飛んだボールもレシーブしてしまうのだ。マンガというか、サーカスみたいだった。
今、新宿の東口の地下通路に女子バレーの大会を紹介する大々的な看板とモニターがあるが、
そこで見て知ったのだが、どこかの国の代表選手(世界的プレーヤーらしい)は「アタックNo1」を観てバレーを始めたと紹介されていた。
すごいな、日本のアニメ。
でも、「アタックNo1」って、オレが小学生の時だぞ。
実写では「サインはV」(岡田可愛とかハンブンチャクが出てた)をやっていて、
昼休みに、女子は黒板の前で2人で向き合って対角線上に飛びながら、「X攻撃!」と叫んでいた。
オレは、それを教室後方でクラスメートに「卍固め」を掛けながら眺めていた。
きっと、日本中の小学校のお昼休みは、似たような光景だったんだと思うな。
ちなみに、マイ・コレクションは3巻で終わったが、その後は「パーフェクト・コレクション」とか「ミラクル・コレクション」とか
「ミリオンダラー・コレクション」というタイトルにした。
主な収録作品は、
「松田聖子が沖縄でコンサート中に襲われるシーンを、スーパージョッキーでビートたけしが笑いながら紹介してる」ものや
「野坂先生が、大島渚の記念パーティーの壇上で酔った勢いでパンチを浴びせ、
怒った大島渚にマイクで頭を叩かれるという逆襲に遭う」シーンや、
村上龍のトーク番組に忌野清志郎がゲスト出演するが2人とも話し下手で番組が成立しなかった、などなど、
今観ても、
「さすが!パーフェクト・コレクション!」、「本当に、ミラクル・コレクション!」、「まさに、ミリオンダラー・コレクション!」
と絶賛したくなるチョイスである。自分で、選んでるんだから当たり前かぁ。
全然、「バレーの思い出」じゃなくなってしまいましたね、すみません。
そうそう、今日は父の命日でした。ミーちゃんがいなくなって、もう1年かぁ。


僕はティファニー

5/ⅩⅠ.(土)2011
11月5日は、母の誕生日。子供の時、兄の提案で兄弟でお金を出し合い、プレゼントをしたことがある。
それは、おもちゃの指輪で、多分、数百円の代物で、エメラルドのイミテーションで、
キラキラの緑色がカメレオンみたいで魅力的だった。
母は、その日、父に「子供達が、これをくれた」と報告しているのを、僕はコタツでうたた寝しながら聞いていた。
父は、「子供達は、宝石のつもりなんだから、一生、大切にするように」と言うのを、僕は寝たふりをして聞いていた。
実際、母はその通りにして、母が亡くなって遺品を分ける時、宝石箱の中にそれをみつけた。
この幼児体験は、のちのちの僕の女子との付き合い方の原型となった。
要は、「お金<気持ち」である。
中1の時に、流行った太田裕美の『木綿のハンカチーフ』はその思想を強化した。
松本隆の作詞したその歌は、男が就職のため、恋人を田舎に残し、上京するという設定だった。
僕は中学から東京に出て来て、小学校の好きだった子は田舎の学校に通っていたので、
これは自分のために作られた歌なのではないかと愛着をもった。
『木綿のハンカチーフ』は、男女の文通の内容が歌詞になっている形式で、
1番では男が恋人へのプレゼントを探すと宣言し、
それに対して女は、私は欲しい物などない、あなたが都会に染まらないでくれればいい、と返す。
この歌は4番まであり、男は女にスーツ姿の自分の写真や、都会で流行りの指輪を贈りつけ、
それに対して女は、木枯らしのビル街で体に気をつけてとか、ダイヤや真珠よりあなたのキスの方がきらめくもの、
と返信する。
太田裕美の澄んだ伸びるソプラノが健気さを表現する。
男はとうとう4番の歌詞で、
「毎日、楽しくって、君を忘れちゃうよ、許してね」
みたいなふざけたことを一方的に抜かし、
ずっと贈り物は要らないと言っていた太田裕美が最後のわがままとして贈り物をねだるのだが、
それが涙を拭くための木綿のハンカチーフ、というオチである。
こうして、「お金<気持ち」路線は確固としたものになり、思春期の刷り込みは恐ろしいもので、
僕は大学時代や医者になってからも女子に高価なプレゼントをするのは不誠実だと思った。
プレゼントには、オリジナルの彼女を主役にしたマンガを描いたり、
その子の好きな歌手の秘蔵映像(もしくは音源)をあげたりした。
それが一番、喜ぶと、本気で思っていたから。
つげ義春のマンガで、世の中は安保闘争で騒乱としている時に、
ヤミ米を買いに行く仕事の手伝いをするという実話に近い作品がある。
そのマンガは、ヤミ米を買いに行く親分に
「アンポ、って知ってるか?」と聞かれたつげ義春が、<何ですか、それ?>と答え、
親分は「俺も知らねぇんだよ」と笑って終わるのである。
昭和史みたいのを見ると、皆がその時代は安保に関心をもっていたように錯覚するが、
同時代に全く別次元で生活する人はいるのである。僕もそんなところがある。
多分、僕はバブル時代というのを東京(もしくは神奈川)で過ごしているのだが、
実体験としての感覚はゼロだ。
言われて見れば、友人達がデート・コースや記念日が何とかとかよく言っていた時期があったから、
きっとあの辺りなんだろうな、とは思う。その頃も女子との付き合い方は同じだった。
結構、大人になってから、割と、この人はセンスがいいな、と思う女の子が、
「プレゼントに、ブランド物を貰うと嬉しい」と言ったのを聞き、とても驚いた。
僕のマンガを心底、喜んでいた子だったから。
平成に、太田裕美はいないのか、と痛感した。その反動形成なのかもしれないな…。
僕は、最近、カエルの指輪をしている。たまに、「可愛いですね」と言われると、
<ティファニーです>と答えている。
勿論、ウソであるが、皆、一瞬、「エッ?」と驚く。
それが、楽しくて、指輪をしているようなものである。↓。

BGM. 太田裕美「木綿のハンカチーフ」


ラッパと新刊

2/ⅩⅠ.(水)2011 はれ、割りと暖かい日
もう、11月ですね。11月は、父と母の誕生日であり、父の命日があり、息子の誕生日もあり、色々と物想う月であります。
こないだアニメイトで買ってきた新刊をクリニックに置いときます。「聖☆おにいさん」「日常」ともに⑦巻です。↓。

下は、「日常」のおまけについてたフリーペーパー。はかせ(右)となの(左)がラッパを吹いてる。↓。

僕は、小4の時にトランペット、小5・6でトロンボーン、中学はホルンと金管楽器ばかりを吹いていたので、年賀状の差出人には、♪かわはラッパのラ♪と書いて出していた。先生にもそうしていた。けれど、誰からも注意を受けたことはありませんでした。
ラッパはリキむといい音が出ません。人生も同じかもしれません。今日、パワーストーンを腕から外しました。
BGM. 南こうせつとかぐや姫「この秋に」


男の子とおしゃれ~(けいおん×ルミネ・エスト)の場合

31/Ⅹ.(月)2011 はれ
『日常』のコミックス⑦とブルーレイ⑤を買いに新宿アニメイトへ行く。すると東口改札を出ると、こんなものが。↓。

ルミネ・エストは、「けいおん」の映画化とコラボして、男性客層をとりこもうと、キャンペーンを実施中だった。下は、駅外側↓。

僕はアニメイトで買物をすませ、マルイ・カレンのヴィレ・ヴァンで定期入れを買い、リュックにつけた。(最後に、お見せします)
そのあと、折角だから、ルミネ・エストにも寄ってみる。キャンペーンは、男性服フロアで5000円お買い上げ毎にクジがひけ、コラボデザインの「けいおん」のマグカップやクリアファイルなどが景品で当るというものだった。
そういえば、ルミネで服をみる機会などないから、この企画は僕に対しては有効であると言えよう。
しかし、アニメイトとルミネ・エストの空気はかなりの温度差があったぞ。両者は直線距離ではわずかなものだが、アニメ好きの男子にとって(と、ひとくくりにも出来ないが)、ルミネ・エストは敷居が高くないか?。

ルミネ・エストは、エヴァンゲリオンの時も似たようなことをしていたが、抜本的なところを見直した方がいいのではないか?。
余計なおせっかいか?。でもアニメイトの袋を持って、ルミネ・エストをブラブラしてたのは、僕以外には見なかったから。
僕がある店で、冬のセーターを見ていたら、店員のお姉さんが、「それ、可愛いですよね?お客さんなら、赤がお似合いですよ」と声を掛けてきた。
僕は、そんな接客じゃアニメ・ファン逃げるぞ、と喉まで出かかったが、大きなお世話だから、飲み込んだ。アニメ・ファンにも色々、いるだろうし。
売り子ガールは、さらに、僕のリュックのさっきヴィレ・ヴァンで買ったばかりの定期入れに目をつけ、「可愛いものに目がない、タイプですか?」とワケノワカラナイことを言い出し、僕を困惑させる。尚も、彼女は、「もしかして、それ、ピグモン?」と畳み掛けてきた。さすがの僕もその間違いはゆずれなく、<ガラモン>、と訂正した。
それが、コレ。↓。