終戦記念日、特集~「死の島」

14/Ⅷ.(土)2010 はれ
最も感銘を受けた本を一冊あげよ、と問われたら、僕は福永武彦の「死の島」をあげるだろう。小説の面白さや技法もさることながら、絵画やクラッシックに関心を持つきっかけにもなったからだ。
この話は相馬鼎が朝、目を覚まし小説を書き出すところから始まる。
その小説こそが、これから我々が読む小説なのである。
彼は展覧会で見た「島」という作品にひかれて作者の萌木基子と知り合う。
萌木基子は被爆者で、あどけなく美しい相見綾子と二人で住んでいた。
物語は、現在形で書かれる3人のユーモラスな日常と、
過去形で語られる萌木基子の「内部」が交錯して展開していく。
ある日、相馬鼎は、広島の病院から二人が心中したという知らせを受ける。
相馬を乗せた東海道線急行列車は、一路広島へひた走る。
萌木基子と相見綾子に同時に感じた愛情が相馬の回想の中をめぐり、
パラレル・ワールドのように2つのシナリオが用意される。
相見綾子だけ生き残った朝と、萌木基子だけ生き残った朝と。
ストーリーは相馬鼎が朝、目を覚ますところで終わる。
循環小説というのだろうか、小説のラストが小説の始まりに繋がるのである。
だから、最初は相見綾子が生き残った方を選んでも、二度目には萌木基子が生き残った結末を選べる。
何度でも読み返せる。
「死の島」は、シノシマ、と死の頭韻を踏み、死の原爆をうけた広島をさす。
この小説は、原爆を主題にした長編小説だとも言える。
しかし、僕が一番、惹かれたのは、被爆体験を背景に語られる萌木基子の「それ」~
人間の「内部」にある闇である。
死や死の恐怖とは、「死の島」のようなものが何処かにあり「カロンの艀」みたいなもので運ばれていくのではなく、死や死の恐怖とは人間存在の根拠のようなものである。
それを、アーノルド・ベックリンとエドヴァルド・ムンクの作品の対比やシベリウスの交響曲を用いて表現するのだから、あやうく、「それ」に魅せられてしまいそうになる。
BGM. シベリウス「トゥオネラの白鳥」


終戦記念日、特集~「戦争は知らない」

13/Ⅷ.(金)2010 はれ、時々雨
先日、3チャンネルで北山修の最終講義をやっていたが、僕にとっては、北山修はいつまでも北山修で、北山先生と呼ぶ気にはならない。それが敬意だし、そんな距離だ。
北山修の代名詞は「戦争を知らない子供たち」である。
北山修は、加藤和彦、はしだのりひことザ・フォーク・クルセダーズ(以下、フォークルと略す)
を組んでいたから、「戦争を知らない子供たち」をフォークルの曲と誤解してる人がいるが、
「戦争を知らない子供たち」はジローズの代表曲である。
この曲は、大阪万博にちなんで作られた歌で、
僕は万博の写真をジャケットに使った別のシングル・レコードを持っている。
間違いやすいのは、フォークルの歌で「戦争は知らない」と似たタイトルの曲がある。
これは、寺山修司が作詞をしている。
もし「フォークル検定」があったとしたら、ここがヤマだな。
あと、フォークルの反戦歌といえば「何のために」。作詞・北山修。
フォークルは、自主制作で作った「帰ってきたヨッパライ」が思いがけず大ヒットしてしまい、
1年の期限付きで活動した。
その解散コンサートで、はしだのりひことシューベルツが紹介され、
「サウンド・オブ・サイレンス」(←サイモン&ガーファンクルのコピー)と
「風」(←北山修作詞のヒット曲)を歌っている。
そのシューベルツのメンバーに杉田二郎がいて、
のちに杉田二郎と北山修で「戦争を知らない子供たち」が作られたのである。
シューベルツは4人編成だったが、
結成後1年ちょっとでウッド・ベースを弾いていた井上博という人が亡くなって、解散した。                                       そうして、杉田二郎は森下次郎という人と、ジローズを結成することになったのである。
僕が、小学校低学年の頃、「おらは死んじまっただ~」と歌っていたら、友達のお母さんに
「そんな歌を歌うのは、おやめなさい。その歌を歌ってたグループの人は、本当に死んじゃったのよ」
と言われた。
でも僕は、オバサンはフォークルと井上博を混同してるんだろうな、とすぐわかった。
その場で指摘したかは、覚えていない。
時は流れて、加藤和彦も死んでしまった。
そういえば、こないだ今野雄二も死んでしまったな。
今野雄二・作詞、加藤和彦・作曲のサディスティク・ミカ・バンド
「へーい ごきげんはいかが」は、かっこいいナンバーだったな。
皆、死んじゃうな。戦争と関係なくなっちゃった。
BGM. ザ・フォーク・クルセダーズ「戦争は知らない」


終戦記念日、特集~清志郎

12/Ⅷ.(木)2010 はれ
昔、「徹子の部屋」の終戦記念日特集に忌野清志郎が出たことがある。
清志郎の実のお母さんが戦時中に残した日記を、2週に渡り、ただひたすら黒柳徹子が読み、
涙ながらに感想を述べ、横で清志郎がただ黙って座ってるだけという番組だった。
清志郎は実のお母さんが別にいると知ったのは、デビュー後ずっと後で、RC後期の過激な
「反戦歌」を歌ってた頃でもまだ知らなかった、と、徹子が説明した。
清志郎の母は、戦地の夫との手紙のやりとりをスクラップ帳のように日記に貼りつけ、
その日記は夫の戦死を告げる葉書を最後に終わっている。
こんな簡単な葉書一枚なんですね~と、徹子は涙ぐむ。
戦争を憎み、平和を祈る、実の母の思いが日記に綴られ、それを知らないはずの清志郎が「反戦歌」を歌い、
平和を訴えたのは、きっとDNAだろう、と徹子は言い、清志郎も頷いた。
僕は、RCが人気絶頂の時の武道館公演のMCで清志郎が、
「今日、ここに来れた奴らは幸せだぜ。来たくても、来れない奴がいるからな。チケットがとれない奴とか、植物人間とかな」
、と言ったのを覚えている。
後に雑誌のインタビュー記事で、その時、清志郎の母親は植物人間で入院中だったと知った。
その「植物人間だった母親」は、実は育ての母親で、実の母親は別にいて、もう死んでいるということを、
その時の清志郎はまだ知らなかった、ということになる。
BGM. RCサクセション「あの娘のレター」


エビスと丸尾

6/Ⅷ.(金)2010 はれ、ホットサマー
若い人の間で丸尾末広の人気はすごいと思う。
よくこんな若い人が~と感心する。若い人にも、丸尾にも。 
それに比べ、蛭子能収の評価が低すぎると思う。
やはり、「スーパーJockey」のせいか。本業以外で売れると、有難みが目減りするのかもしれない。
僕は、エビスさんは天才だと思う。
エビスさんの初期作品集「地獄に堕ちた教師ども」「私はバカになりたい」「私の彼は意味がない」
「私は何も考えない」「なんとなくピンピン」「狂った果実」は傑作だ。是非、オススメだ。
それ以降の作品は、途端に手抜き色が濃くなるが、そんなことで前の作品の価値が下がるものではない。
僕は、年賀状に「私の彼は意味がない」とだけ書いて全員に出した年がある程だ。どれ程だ? 
1993年4月号「月刊ガロ 蛭子能収特集」もエビスさんの魅力が満載だ↓。超オススメ。

蛭子能収と丸尾末広は同時期に「ガロ」に掲載されていた。
その他にも、泉昌之、平口広美、根本敬、川﨑ゆきお、渡辺和博、菅野修、アラーキーらが作品を発表していた。
毎月、「ガロ」が出るのが楽しみだった。
僕は「ガロ」に敬意を表して、電車に乗って町田の本屋まで買いに行っていた。
中野でもシモキタでもなく、聖地は町田!、と自分で決めていた。
今や、町田も様変わりした。さびしいものだ。
下は、中野「タコシェ」で買った丸尾のピンナップを額装したもの。
絵とは全く関係のない名言をひっぱってきて、短冊状にして左右に貼り付けて、
結びつけて楽しむのが今のマイ・ブーム。




(右・学生)  『いま ぼくが ひたすら望んでいることは~存在すること(to be)なのだ。
どうか忘れないでほしいが、この不定詞は中国語では<他動詞>なんだよ』。ヘンリー・ミラー「南回帰線」
(中・豹男)  『メフィストフェレス「お昇りなされ、あるいは下りなされ。同じことじゃよ』。ゲーテ「ファウスト」
(左・少女)  『幸福がそんなにみじめなものなら、幸福から私を救って下さい』。ジャン・ジロドウ「間奏曲」
↑…こんな雰囲気です。僕は丸尾末広の「DDT」と「少女椿」のサイン本を持っている。
BGM. ヒカシュー「私はバカになりたい」


エンドレスエイト

3/Ⅷ.(火)2010 ハレ晴れ
エンドレスエイトとは、夏休みに何かやり残した感のある涼宮ハルヒが無意識に8月を繰り返させる話で、
テレビでは去年の夏、実際8週に渡り同じようなものを観させられた。
なぜ8週かはわからないが、エンドレスエイトの8月の8に引っかけたのかもしれないし、
無限大∞が数字の8を横にした形に見えるからかもしれない。関ジャニ∞と同じ要領だ。本当に同じか?
これからハルヒのアニメを観ようという大人は、まず一期の「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅰ~Ⅵ」までを観て、
次いで二期の「笹の葉ラプソディ」に飛び、劇場版「涼宮ハルヒの消失」のDVD(BL)化を待つのがよいと思う。
本当は一期、二期と順々に観て、「~消失」に進むのが王道だが、
いかんせん二期の「エンドレス・エイト」がしんどい。
二期アニメを期待していたため、反動でうんざりした。
名作「涼宮ハルヒの消失」は無限ループを全て記憶していた長門有希がエラーを起こす話だから、
本当は観ていた方が長門有希に共感できていいのだが、あれはつらいから、大人には無理だと思う。
下の写真は、クリニックの控え室の扉に貼ってある、長門有希のポスター。
左右に短冊状に「名言」を並べてみた。雰囲気を楽しむ、マイ・ブーム。

(右)『人生は、書物のそとで聞く音色が違っている』。ロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」。
 …長門はいつも部室で本ばかり読んでるから、花火の音色はどう聞こえるかしら?というもの。
(左)『死のうと思ってゐた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。
着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織り込められてゐた。これは夏に着る着物であろう。
夏まで生きてゐようと思った』。太宰治「晩年」。
 …長門の浴衣姿にひっかけてみました。
BGM. サザンオールスターズ「夕方Hold  On ME」


赤頭巾ちゃんご用心

21/Ⅶ.(水)2010 はれ、暑い
今期のアニメでは、「オオカミさんと七人の仲間たち」というのを観てる。
キャラクターがすべて立っているが、いずれのキャラも非侵襲的で心に負担がかからなくてGood。                                  エンディングテーマ曲は「赤頭巾ちゃんご用心」。これは、レイジーのカバー。
僕の大学時代のガールフレンドS子は、服飾の学校に通っていて、僕をレイジーのポッキーに似てるともてはやした。                      彼女は、レイジー解散後の「ネバーランド」の追っかけだった。
世が、カルチャー・クラブやチェッカーズにチヤホヤしてた時代にである。
レイジーは、影山ヒロノブがいたバンドだ。グルって回ってアニメ。
BGM. レイジー「ハローハローハロー」


老人と海~1978年夏

10/Ⅶ.(土)2010 はれ 
茅ヶ崎駅南口から海に向かう道を、東海岸という。茅ヶ崎は先週、海開きをしたそうだ。
かぐや姫の「かぐや姫Today」という再結成コンサート(←観に行った)が行われた年、
加山雄三は『加山雄三通り』」というLPを出した。
矢沢永吉の「時間よ止まれ」とかサーカスの「Mr.サマータイム」が流行ってた夏だ。
榊原郁恵は「夏のお嬢さん」、石野真子は「私の首領<ドン>」、大場久美子は「エトセトラ」だ、なつかしい。                          『加山雄三通り』を聴けば、加山雄三通りとは東海岸のことだとわかった。
当時、地元の年寄りが「若い奴が勝手をして困る。けしからん」と難癖つけてて、ズレてるなぁと思ったものだ。                          だって、もうサザンオールスターズなんて新人が活躍してるんだぜ。
加山雄三、若くないぞ。
加山雄三、おじさんだぞ。って。
今は昔、いつしか加山雄三通り、正式名称になっていた。
近頃は海水浴場を「サザンビーチ」と呼んで集客してるようだ。
年寄り、いいのか?
「老人と海」でした。
BGM. かぐや姫Today「湘南 夏」


わたしはここにいる

7/Ⅶ.(水)2010  くもり、やっぱり雨
七夕といえば涼宮ハルヒだ。
中学生のハルヒは七夕の日の真夜中に学校へ忍び込み、ジョン・スミスと名乗る北高生の助けをかり、
校庭にナスカの地上絵のような落書きをする。
それは、宇宙人へのメッセージだという。
ハルヒが考案した宇宙語で、「わたしはここにいる」という意味だった。
おとなの皆さん、これが「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズを楽しむにあたっての鍵になります。
それでは、コマーシャルです。↓。

七夕は諸事情があって別れ別れになった二人が1年に1度だけ逢えるチャンスで、雨が降ったら来年に繰り越し、
という縛りがロマンティックですね。
郷ひろみも♪会えない時間が~愛、育てるのさ~、目をつぶれば君がいるぅ~♪と歌ってました。
昔、七夕に『吉田拓郎のオールナイト・ニッポン』があり番組しょっぱなで拓郎が、
「吉田拓郎で、流星、です。僕も誰かに逢いたいなぁ~」と曲紹介したのを何故だか妙によく覚えている。
当時のオールナイト・ニッポンは月曜・中島みゆき、火曜・所ジョージ、水曜・タモリ、木曜・たけし、金曜・拓郎、
土曜・鶴光だった。スター達が定点のように、いつもの曜日いつもの時間いつものダイヤルに必ずそこにいた。
それこそまさに恒星だった。

BGM. 吉田拓郎「流星」


ザ・ヒストリー・オブ川原①~「家族の肖像」

3/Ⅶ.(土)2010 蒸し暑い、くもり夕方から雨
7月はお誕生月なので、「ザ・ヒストリー・オブ・川原」と題して思い出にひたることにする。
その第一弾。
生まれて初めて好きになったアイドルは天地真理だった。
カトリック系の幼稚園から小学校に通っていた僕にとって、「天地創造」の天地に、
「わたしは道であり、真理であり、命である」の真理を名に持つアイドルは、
堂々と好きになっても許される安心感があった。
天地真理の本名は、斉藤真理といい、実家は茅ヶ崎の南口の駅前にある「斉藤不動産」
だという噂があったが、真偽の程は定かではない。
父は、なんとか僕に勉強させようと、「斉藤不動産にお嫁に来てもらうよう頼んでやるから」と
交換条件をチラつかせた。
しばらくして、森昌子が「せんせい」でデビューした。
僕と一緒に歌謡番組を観てた父は森昌子を大変気に入り、「娘に欲しい」と言った。
父は堅物だが、時々おかしなことを云う。
僕はブラウン管の森昌子を観ながら、こんなモンチッチみたいな奴にいきなり家に来られて、
今日からお姉さんよ、などと言われても困ると思った。
その頃、モンチッチ、まだなかったけど。
茅ヶ崎は潮風から家を守るために海沿いには松林が広がっている。
僕はそこらじゅうに落ちている松ぼっくりを見ては、忌々しく森昌子を自由連想した。
そんな折、ラチエン通りに密生しているヘビイチゴを食べることで評判の上級生「マミー」が
松ぼっくりを食べることに成功したというニュースを耳にした。
朝の礼拝で、僕は「マミー」に「森昌子、好き?」と話しかけてみた。
「マミー」は「くれんの?」と答えた。
僕は、こいつらはお似合いだな、森昌子は「マミー」にまかせた、と思い随分と気が楽になった。
母は働き者で浮かれたことはまずなかった。
だから芸能人で誰が好きかなんて話も聞いたことがない。
唯一、歌舞伎の坂東玉三郎を贔屓にしていたくらいか。
晩年は、兄がアリスの堀内孝雄に似てると誰かに言われたらしく、2か月半くらい堀内孝雄を応援していた。
僕は部屋に月刊明星か月刊平凡の付録についていた天地真理の等身大ポスターを貼っていた。
紺色のチョッキにベルボトムのGパンを履いて微笑んでいて、隣の真理ちゃんという感じだった。
いい感じ。                             
兄の部屋は殺風景で『ミクロの決死圏』という、博士の命を救うために医療チームがミクロになって
博士の耳から体に入っていくというSF映画のポスターが貼られてたのを覚えている。
兄はギターが弾けて学生時代はテニス部だった。
兄の部屋のポスターの変遷は「かぐや姫」とか「ビートルズ」といったアーティストか
コナーズとかボルグといったテニス・プレーヤーで、およそ色気も素っ気もなかった。
アイドルにうつつを抜かしたことなんてないんじゃないか?
あっても、岡田奈々1週間、とか、小泉今日子10日間、なんて程度じゃないかな。
そのくせ、東京乾電池の高田純二がやっていた土曜のお昼の8チャンの番組で、
アナウンサーの寺田理恵子のお見合い相手を大学生から募集するというコーナーの、
第1回の出演者としてテレビ出演していたのには驚かされた。
<ご趣味は?>「テニスです」
<何級ですか?>「硬球です」という、仕込まれた掛け合い漫才みたいなことをやっていた。
家族には極秘にしていたが、僕はその番組が録画されたビデオをたまたま発見して観た。
でもそこは武士の情け、親には内緒にしておいた。
BGM. サザンオールスターズ「茅ヶ崎に背を向けて」


焼肉小倉優子

2/Ⅶ.(金)2010 はれ
小倉優子の焼肉屋が訴えられてる、と週刊誌に出ていた。
「居抜き」で使ったからどうのこうの、というあまり大した事件でないから良かった。
お店には、僕も一度行ったことがある。
新宿駅からコマ劇場に向かう途中のビルの上の方に大きな看板があり、
「焼肉小倉優子」の文字とゆうこりんの笑顔。
小倉優子を認知したのは、よみうりランドのポスターに起用された時だ。
当時、小田急線を利用してた僕は毎朝見かけた。
・水着姿でプールサイドに無表情で座り小首をかしげて、
「学生、来て来て!安くするわよ」と入園料学割。
・水しぶきを浴びる絶叫マシンで髪を逆立てて悲鳴をあげ、
「ヤダーッ、こんなにビショビショ」。
・暗がりで怯えながら、
「一日三回もなんて…。もう許してぇ!」はお化け屋敷。
さすがにこれはマズイだろうな、と思ってたら案の上、差し替えになった。
12チャンの夕方の帯番組「シブスタ」でライセンスと、
後番組「ぶちぬき」で雨上がり決死隊と組んで司会を勤めた。
僕個人は色々ときつい時期で、どれだけこの番組に救われたかわからない。
毎回録画して観た。
こりん星キャラが完成していく過程が見れた。
CD『フルーchu・タルト』の一曲目、「ビタミンLOVE」で毎朝、起こしてもらった。


恵比寿のリキッド・ルームでやったシークレット・ライブにも行った。
「ビタミンLOVE」は2曲目だった。
オール・スタンディングなので前の方で観れた。
この頃の、小倉優子は可愛かった。
小倉優子の失策は、何かのインタビューでコスプレをちょっと馬鹿にする発言をしたことだ。
ゆうこりんはコスプレ写真集も出してたのだから、間接的に、ファンを見下した発言だった。
その結果、ファンは中川翔子に流れた。
あっ、この場合のファンは僕です。
そうは言っても、昔のよしみ、小倉優子がイジメられたら知らん顔もしてられない。
僕が開業する時、前の病院から独立祝いに防災ポスターを貰った。
今もクリニックの喫煙所に貼って、火の用心を呼びかけてもらっている。


清志郎も初期のRCサクセションの「けむり」という歌で、
♪火のないところにも煙は立つものさ~♪と歌っている。
頑張れ、小倉優子。
BGM. 小倉優子「だいじょうぶ…」