5/Ⅶ.(火)2011
東スポに、「阪神OBが岩田&能見に期待。38年前の伝説、江夏の再現」という記事が出てた。
38年前、江夏は延長11回をノーヒットノーランに抑え、延長11回の裏に自らの決勝サヨナラホームランで試合を決めて、
「野球は1人でもできる!」という名セリフを放った。
虎OBは、逆転優勝の起爆剤として、先の2人にあの伝説の名言を再現しろというのだ。…器が違いすぎるだろ。
僕は、この試合はよく覚えている。巨人戦のラジオが途中から、甲子園の阪神vs中日に変わったからだ。
江夏のサヨナラホームランはまさに劇的で、僕はその後に発売された「週刊ベースボール」の江夏がバンザイしてホームインする
ピンナップ写真を部屋に貼った。
記録に残る選手より記憶に残る選手になりたい、とよく人は言うが、江夏は記憶にも記録にも残る劇的な選手だった。
当時は、巨人・大鵬・玉子焼きの時代だったが、江夏は阪神タイガースのエースで生意気でふてぶてしく不良っぽいから好きだった。
ギッチョっていうのも、何か不良っぽくみえたな。
江夏の劇的なシーンといえば、他に以下のようなものが有名だ。
・オールスターの9連続奪三振。
オールスターは、1人の投手の投げれるイニングの上限が3回だから、対戦打者全員を三振に斬ってとったのだ。
これは、オールスター史上、江夏しかいない(はずだ)。
・広島vs近鉄の日本シリーズの第7戦、広島1点リードで迎えた9回裏近鉄が無死満塁と江夏を追い込む。
この両チームの攻防を当時「ナンバー」という雑誌に山際淳司が「江夏の21球」という文を書き、
当時何度も読み直しては感動した思い出がある。
ポイントは、江夏が追い込まれた場面で古葉監督がブルペンで北別府と誰かに投球練習をさせるのであるが、
これにはプライドの高い江夏が腹を立てる。
「1年間、自分を抑えの切り札として使っておきながら、最後の最後で信用していないのか!」と。
これも実に江夏らしい。
マウンドで怒りが収まらない江夏のもとに衣笠が近付き、「俺もお前と同じ気持ちだ」と耳打ちしてグラブで江夏の尻をポンと叩く。
それで冷静になった江夏は、この絶体絶命のピンチを抑えるのである。江夏はサウスポーだから、三塁走者が見えない。
そこで同点スクイズを試みる近鉄の作戦に対し、江夏はなんとカーブでウエストしてスクイズバントを失敗させるのだ。
この時の、江夏ってビール樽みたいなお腹をしてるのに、なんであんなにすごいんだろう。
確か、当時、本人は「この中には、ガソリンが入っている」って冗談を言っていた気がする。
・江川がはじめてオールスターに選出された時、8奪三振をとった。
その試合は、2-0とセ・リーグがリードした9回裏、パ・リーグは1点を返し、尚も無死満塁。
そこで、リリーフ・江夏が登場した。江夏はここでも、3者連続三振に斬ってとり、またもや伝説を作った。
この試合の「プロ野球ニュース」は、βビデオだが今も保存してある。
・そんな輝かしいエピソードのどれよりも、僕が一番、江夏らしくて好きなエピソードがある。
それは、TV中継が途中で終り、ニッポン放送のショーアップ・ナイターに切り替えた直後に起きた。
審判の「ボール!」の判定を不服とした江夏が、アンパイヤを殴ったのである。
それが、ラジオで実況中継されるのだが、映像がない分、想像力を掻き立てる。
江夏がゆっくりとマウンドを降り、肩で風切るようにアンパイヤを睨みつけながら距離をつめ、
アンパイヤは何故、面を外しちゃったんだろう?つけとけば良かったのに。
至近距離から的確に審判の顔面にパンチをお見舞いした。
江夏、退場。
湧き上がる会場のコールに興奮した。その試合の結果がどうなったのかの記憶はない。
ただただ、江夏が審判を殴る姿だけを何パターンも頭の中で想像した。
左ストレートかな?フックかな?それともアッパーかな?。
野球で、パンチをするシーンって滅多にないもの。田淵は止められなかったのかな?下手したら自分が殴られちゃうものね。
田淵、体大きいけど、気は優しそうだったから。確か、延長11回、ノーヒットノーランを達成したシーズンと同じ年だったと思う。
江夏は、ピークを過ぎた頃、メジャーに挑戦するが、惜しいところまで行って駄目だった。
江夏は、あれだけの選手だったのに、監督もコーチもやっていないと思う。
一度だけ、12チャンネルで野球解説をしてるのを聞いたことがあるが、あまり面白くなかった。
その後、覚せい剤でパクられたりした。
「英雄失格」という梶原一騎世代の僕らにとっては滅びの美学というのだろうか、江夏の生き様に哀愁を感じた。
ONを擁して9連覇中のジャイアンツに対して、真っ向から向かっていったタイガースのエース・江夏に、少年時代、心を惹かれた。
それは反骨の象徴で、ロックのスピリッツにも通じるものがあった。
「江夏の21球」は、野村克也の解説でNHK特集で放送され、今はDVDが販売されているが、この番組でも江夏は実にふてぶてしい。
NHKの番組なのに、チンピラみたいなシャツで登場して、インタビューに答え、煙草をプカプカ吸って回想する江夏。
これは、必見です。
不老不死
4/Ⅶ.(月)2011
「あと10年くらいしたら、不老不死の薬ができるらしい」と真顔で息子が言う。ネットでみたらしい。「ものすごく高価で、副作用は口臭」だそうだ。「不死と言っても、病気で死なないだけで、事故や戦争なんかでは死ぬらしい」。<自殺は?>。「それは書いてなかった」。
「もし、そんな薬が出来たら飲みたい?」と息子。<病気が発見されたら、飲むかな>。‘不死’の方にばかり注目していたら、息子は「‘不老’も大切なポイントだ」という。「女性の場合は、特にそう」だって。「若さを保てるけど、若返りはしないから、自分がいくつの時に薬が出るかが女性にとっては、ポイントになるらしい」。<なるほど。でも、人間の魅力には渋みとか円熟味というのもあるぞ。歳とっても若い、ってちょっと馬鹿っぽいぞ>。
息子は、「28歳で飲みたい」という。<何故?>。「ブライアン・ジョーンズやジム・モリソンやジャニス・ジョップリンやジミヘンが死んだのが27歳だから、きっとそれ以上の年齢はカッコよくないんだと思う」から。そういえば、シド・ビシャスも27歳だな。<でも、ジョン・レノンが殺されたのは、40歳だ>と俺。「五味が、マッハに勝ったのも28歳の時」と息子。<猪木が、モハメッド・アリと戦ったのは33歳だ>と俺。議論は、尽きない。
ゴダールの「勝手にしやがれ」という映画で、「人生最大の野心は、不老不死の薬を手に入れて、早死にすること」っていうフレーズがあったな。
あれ?これ前にも書いたな。さっちゃんの誕生日の日だ。今年の4月の「よいこ」という記事です。良かったら見て下さい。
学会
2/Ⅶ.(土)2011
学会出席のため、午後2時までで終りにしました。
ポリシーとして、学会のために外来を休むのは、なるべく避けてきたのですが、
今回ばかりは特例で、心理の徳田さんと一緒に参加させていただきました。
皆様には、ご迷惑をおかけしました。
今日の体験を臨床に生かしていきたいと思います。多分、徳田もそう思っているでしょう。
そうそう、7月23日(土)は、川原だけですが、17時くらいに終りになります。
これも研究会です。一ヶ月に二回も、すみません。
今後は、そうそう滅多にはないと思います。よろしくどうぞ。
ちなみに徳田さんのカウンセリングは、通常通りに行いますのでご安心を。
そうそう、7月24日(日)は、僕の誕生日です。
何も贈り物はいりません。
わざわざ、断るのも変ですが、本当に何もいりませんので。
じゃ、言うなよ、って話ですね。
まるでグレイシーのように~娘~
29/Ⅵ.(水)2011
昨晩、11pmくらいに家に帰ると、娘が「心理学について質問がある」と聞いてきた。大学の課題の参考意見にしたいらしい。
質問するのは構わないが、それなりの覚悟はあるのだろうな?。無責任な質問というのが一番良くない。質問したからには、こちらも本気で答えるぞ、いいのか?。
「オーケー!」。
という訳で、途中ギブアップなしルール、で心理学やらカウンセリングやらについてディスカッションを開始した。
結局翌朝(つまり今朝)の4時に外が白み始めて、オレが「もうそろそろ寝ないと、明日の外来が大変だ」と思い、終了を提案するまで、娘はギブアップしなかった。「ギブアップしない限りは、負けではない」というグレイシー一族の誇りに似たものを我が娘から感じた。エラいと思った。
そういえば、どこかの地方では、「疲れる」ことを「エラい」というそうですね。娘は、ダブルの意味で、エラかった、と思う。
BGM. アグネス・チャン「美しい朝がきます」
えっ?足りてたの?Tシャツ
28/Ⅵ.(火)2011
H君に、「えっ?足りてたの?」Tシャツをもらう。それは、須永豪という人がユーチューブで小出裕章の「原発なしでも電気足りてる」という講演にインスパイアされて作ったTシャツで、『エネルギー経済統計要覧』(1994年版~2009年版)で公式発表しているグラフを前面にプリントされている。↓。
↑これは、各年の「電力のピーク需要」と「発電能力」をあらわしたグラフで、ピーク時の使用量でみても、(水力+火力)の発電能力を超えた年は1度もないことがわかり、原子力がなくても電気は十分に足りていることをあらわしている。そして、なんとこれは政府の統計局のデータなのである。
この夏は、節電の夏である。企業や家庭に節電を訴えている。罰則もあるらしい。そんな時だからこそ、このTシャツについては、政府とか電力会社は、きちんと反論した方がいいと思う。そうでないと、「『原発を止めたら停電するぞ』と脅しをかけているんだ」、と反対派の人は、叫ぶだろう。
このTシャツには、補足する資料もついていて、「…という話をテレビはなぜ報じない?」という項目では、テレビ局と原子力の関係・ACの電力関係者の詳細な人脈図も載っていて、どこかで見たことあるな?、と思ったら、出典は広瀬隆の「危険な話」だった。見たことあるはずだ。
小出裕章は、参議院に呼ばれたとき、「一方だけの話を聞くのは、良くない。公開討論をしよう」と提案していた。まったく賛成だ。その模様をライブ中継して欲しいものだ。
文字だけにされると伝わらない情報が多すぎる。発言者の登場の仕方、歩き方(猫背、胸を張っている、すり足、がに股etc)や一瞬見せる表情(作り笑い、狼狽、邪悪な笑みetc)や話し方(声が裏返る、語気が荒くなる、絶句etc)などの非言語的な部分も大いに判断材料にしたい。昔、何かの裁判の時、静止画を流してたのは、こういうのが露骨に出るのを嫌がった圧力かな、と邪推したもの。そう思われるの嫌でしょ?。だからオープンに話しを聞かせて欲しいな。
このTシャツは、「須永豪サバイバルデザイン」と検索するとネット通販もできる。販売価格3000円の内、1000円が利益で、この利益をすべて「震災で親を亡くした子への寄付」に充てるそうだ。ただし、その時期はよく見極めて行いたいので、数年後になるかもしれないが、HP上で必ず報告すると約束している。
こないだ、レディ・ガガさんという人が日本の安全をアピールするために初音ミクみたいな髪をして、日本に来てくれた。この人はずい分と変わり者だと聞くが、世の中、皆がおかしくなった時、変わり者がマトモな事を言うというのは、ジョン・レノンで学習してるから、すんなり腑に落ちる。プロレス界だって負けじと、この夏はチャリティー興業をいくつかする。
でも、この震災の復興は、10年単位とかで考えないといけないんだろうなぁ。今年だけ、チャリティーしてもあまり意味ないんだ。続けないとね。
良かったら、小出裕章の記事、2011年5月の「1/2000の男」を見てください。
続『AKB48』。
27/Ⅵ.(月)2011
せっかくの休日、アニメ『日常』のエンディング・テーマ曲のCDと、原作のコミックを買いに渋谷へゆく。
先週の月曜日、江口愛実のポスターが渋谷駅に大量に貼られていたのを見てから、丁度、一週間か。(数日前に『AKB48』について書きました。つまらない記事ですが、ポスターを見たい人は見てみて下さい)。
今日は、その続編ともいうべき、「種明かし」ポスターが貼ってあった。CG合成のパーツ毎の説明が書かれてあった。↓。
「109」にも何かの広告がでっかく出てた。2011年6月、渋谷の街はこんなでした。↓。
アニメイトで、佐咲紗花の「ZZZ」というCDを買ったら、特典でポスターとコースターをもらった。ポスターは、片方が歌手の写真で、もう片方がアニメ『日常』の絵柄になっていた。
コースターにも同じ絵柄。それがコレ↑。
2011年6月、日本における日常は、福島原発の事故をうけ、原子力発電を前提とした従来のエネルギー政策の見直しを迫られていた。
けいおん×ローソン、2011年夏
24/Ⅵ.(金)2011 はれ
昨日からスタッフが新ユニフォームになったが、心理と僕だけは私服です。
今日の徳田さんは白い半袖のブラウスで、清涼感のある素敵さでした。
帰り際、徳田さんに、「それ、夏らしいイデタチですね。昼間、そう思ったけど、日中に言うのはどうかと思って」と言うと、
彼女は<なんでですか?言って下さいよ>と笑って答えた。
だってさ、昼間に言うと、「太陽が眩しかったから」みたいなブンガク的なニュアンスになったりしない?。…しないか。
そんな真夏のような日が、連日、続いている中、ローソンでは、また「けいおん」の企画をやっているらしく、
昨日、またまたKさんにグッズを貰ってしまいました。どうも、ありがとう。
恒例になりましたが、ここに紹介しますね。うちわ4枚です。
まずは、「K-ON!!」メンバー全員集合。↓。
裏は、「放課後ティータイム」のメンバー紹介入り。↓。
2枚目の表は、唯ちゃん。よく見ると左目に涙が…。見えるかな?。↓。
裏は、唯&澪のツイン・ボーカル。↓。
3枚目は、澪ちゃん。↓。
裏は、澪ちゃんの幼馴染の律ちゃん。↓。
4枚目は、あずにゃん。↓。
裏は、ムギちゃん。↓。
ムギちゃんの誕生日は、7月2日だそうです。
7月2日(土)は、僕と徳田さんは、学会出席のため、クリニックは午前中で終わります。この場を借りて、お詫びいたします。
しかし、暑い夏ですね。節電もあいまって、楽しいうちわが色々、出てますね。
BGM. キャンディーズ「夏が来た!」
※「けいおん」関連記事
・2010年9月、「めざせ武道館!!」
・2010年11月、「風邪その後」
・2010年12月、「父を偲ぶ」、「スフィア」、「まつとし聞かば 今帰り来む」
・2011年2月、「チョコとメイドと似顔絵。」、「サボテンとか算数とか。」、「商魂」
・2011年5月、「けいおん×ローソン」、「けいおん×ローソン、その2」
新ユニフォームでこんにちは
23/Ⅵ.(木)2011 真夏日!
やっとこ、スタッフの新ユニフォームが揃い、今日から、岡田さん&吉田さん&塚田さんの3役揃い踏みでお披露目。熟考しただけあり、なかなかスタイリッシュで、ハイセンスなナース服だ。
僕が小学校低学年の頃、大阪で万博があり、それを見に行った時のことを思い出した。各国のパビリオンに綺麗なお姉さんが近未来的なコスチュームでいて、その時、初めて「コンパニオン」という単語を知った。
そんな意味で、彼女らに、「万博のコンパニオンみたいだね」と言ったら、岡田さんにはキョトンとされた。吉田さんには、「コンパニオンというと、熱海の温泉コンパニオンしか思い浮かばないんですけど…」と、せっかく誉め言葉で言ったのに「セクハラ発言」のように受け取られてしまい、まったくもって心外だった。世代間ギャップとは、おそろしい。
BGM. 南沙織「傷つく世代」
奥さまは18歳…+α
21/Ⅵ.(火)2011
今日は、奥さんの誕生日。お昼休みに、花束でも買おうかと思っていたが、そんな日に限り、昼休みがとれず、
朝9時から夜11時までぶっ通し外来だった。途中、「けいおん」のチロル・チョコと「うなぎパイ」と水で食いつないだ。
帰りはコンビニくらいしか開いてなく、こないだ見た『日常』というアニメで、
「誕生日プレゼントが、バターロール一個だった」という寂しいギャグがあったが、そんなプレゼントもなんなので、手ブラで帰る。
家に着き、「今日、誕生日でしょ?」と奥さんに言うと、彼女は<ああ>と答えた。
奥さんは、<今から、夕ご飯、食べる?>と聞くから、僕は「ああ」って答えた。
天ぷらそば、だった。
やっぱり、お花かケーキを買って来てあげたら良かったな、と心の中で思いながら、ナスの天ぷらを食べた。
午前0時近くだったので、「年越しそば」みたいだなと思った。ある意味、奥さんにとっては、「年越しそば」であるが。
BGM. ARB「ダン・ダン・ダン」
2011年6月頃、『AKB48』というアイドルが流行っていたらしい。
20/Ⅵ.(月)2011 今日は校医
朝、JR渋谷駅で壁一面に「江崎グリコの『アイスの実』」のポスターが、「だから、なんなんだ?」って言う程、貼ってあった。↓。
これは、数日前、東スポで読んだから知っているのだが、AKB48の何人かのメンバーの顔のパーツをCG合成したものらしい。「江口愛実」というのは、商品をイメージしたネーミングだそうだ。
お恥ずかしいことに、僕はAKB48のことを何も知らない。それなのに、こんな写メを載せるなんて、「だから、なんなんだ?」と思われるかもしれない。そう、「だから、なんなんだ?」という気持ちを皆さんとシェアしたかったのです。それに、こうしてブログの記事に残しておくと、何年か経って読み直した時、「そうそう、2011年6月って、AKB48だったよね!。あれ、今、思うとなんだったんだろうね?」などと懐かしく思える日が来るだろう。
「AKB日和」というのだろうか。帰りに、新宿のタワーレコードに寄ったら、AKBの新曲の特大パネルと総選挙のランキングが威風堂々と飾ってあった。今の国民は「総選挙」と言えば、「AKB48」のようだ。昔、「総裁」と言えば、大川興業の「大川総裁」のことを指してたこととよく似てる。↓。
タワーレコードには、メンバーの等身大パネルに、店員風の名札をつけて、案山子のように店のあちこちに立たせていた。
これが、総選挙で3位だった人らしい。↓。
この子は、イトーヨーカドーのCMをやってる子だ。↓。
今、タワーレコードでは、無料でウチワを配布している。新宿のタワーレコードはビルの6~10階にそれぞれ違う種類のウチワが置いてある。知らないバンド(多分、有名なんだろう)や知らない映画(多分、流行るんだろう)のもの。で、10階には、今回の総選挙で1位になった「前田敦子さん」のウチワがありました。お一人様、1枚だそうです。欲しい人は、新宿南口のタワーレコード10階に行くとよいでしょう。まだ、結構、ありました。↓。
裏は、こんな。↓。
まだAKB48がそれほど売れる前、横浜アリーナで行われたK-1グランプリのハーフタイム・ショーで彼女らを観たことがある。ちなみに立場は逆転で、K-1は今や下火で興業も出来ない程、ジリ貧だ。
K-1の長島☆自演乙☆雄一郎などは、戦う場がないから、こないだプロレス・デビューした。今度は、曙(あけぼの)とタッグを組んで、『AKB64』というコンビを結成したらしい。コンビ名の由来は、長島☆自演乙がアキバ系コスプレ・ファイターであることと、曙(あけぼの=AKB)をひっかけ、また曙が第64代横綱であることから、『AKB64』となったのだという。東スポに書いてあった。バカバカしくていい。
という訳で、2011年6月は、『AKB48』というアイドル・グループがとても輝いている時代でした。その頃の、日本は東北大震災の後、福島では原発事故が起こり、なかなか収拾の目途も立たず、総理大臣の民主党の菅直人という人はひどいバッシングを受けて、少し気の毒でした。