27/Ⅵ.(月)2011
せっかくの休日、アニメ『日常』のエンディング・テーマ曲のCDと、原作のコミックを買いに渋谷へゆく。
先週の月曜日、江口愛実のポスターが渋谷駅に大量に貼られていたのを見てから、丁度、一週間か。(数日前に『AKB48』について書きました。つまらない記事ですが、ポスターを見たい人は見てみて下さい)。
今日は、その続編ともいうべき、「種明かし」ポスターが貼ってあった。CG合成のパーツ毎の説明が書かれてあった。↓。
「109」にも何かの広告がでっかく出てた。2011年6月、渋谷の街はこんなでした。↓。
アニメイトで、佐咲紗花の「ZZZ」というCDを買ったら、特典でポスターとコースターをもらった。ポスターは、片方が歌手の写真で、もう片方がアニメ『日常』の絵柄になっていた。
コースターにも同じ絵柄。それがコレ↑。
2011年6月、日本における日常は、福島原発の事故をうけ、原子力発電を前提とした従来のエネルギー政策の見直しを迫られていた。
けいおん×ローソン、2011年夏
24/Ⅵ.(金)2011 はれ
昨日からスタッフが新ユニフォームになったが、心理と僕だけは私服です。
今日の徳田さんは白い半袖のブラウスで、清涼感のある素敵さでした。
帰り際、徳田さんに、「それ、夏らしいイデタチですね。昼間、そう思ったけど、日中に言うのはどうかと思って」と言うと、
彼女は<なんでですか?言って下さいよ>と笑って答えた。
だってさ、昼間に言うと、「太陽が眩しかったから」みたいなブンガク的なニュアンスになったりしない?。…しないか。
そんな真夏のような日が、連日、続いている中、ローソンでは、また「けいおん」の企画をやっているらしく、
昨日、またまたKさんにグッズを貰ってしまいました。どうも、ありがとう。
恒例になりましたが、ここに紹介しますね。うちわ4枚です。
まずは、「K-ON!!」メンバー全員集合。↓。
裏は、「放課後ティータイム」のメンバー紹介入り。↓。
2枚目の表は、唯ちゃん。よく見ると左目に涙が…。見えるかな?。↓。
裏は、唯&澪のツイン・ボーカル。↓。
3枚目は、澪ちゃん。↓。
裏は、澪ちゃんの幼馴染の律ちゃん。↓。
4枚目は、あずにゃん。↓。
裏は、ムギちゃん。↓。
ムギちゃんの誕生日は、7月2日だそうです。
7月2日(土)は、僕と徳田さんは、学会出席のため、クリニックは午前中で終わります。この場を借りて、お詫びいたします。
しかし、暑い夏ですね。節電もあいまって、楽しいうちわが色々、出てますね。
BGM. キャンディーズ「夏が来た!」
※「けいおん」関連記事
・2010年9月、「めざせ武道館!!」
・2010年11月、「風邪その後」
・2010年12月、「父を偲ぶ」、「スフィア」、「まつとし聞かば 今帰り来む」
・2011年2月、「チョコとメイドと似顔絵。」、「サボテンとか算数とか。」、「商魂」
・2011年5月、「けいおん×ローソン」、「けいおん×ローソン、その2」
新ユニフォームでこんにちは
23/Ⅵ.(木)2011 真夏日!
やっとこ、スタッフの新ユニフォームが揃い、今日から、岡田さん&吉田さん&塚田さんの3役揃い踏みでお披露目。熟考しただけあり、なかなかスタイリッシュで、ハイセンスなナース服だ。
僕が小学校低学年の頃、大阪で万博があり、それを見に行った時のことを思い出した。各国のパビリオンに綺麗なお姉さんが近未来的なコスチュームでいて、その時、初めて「コンパニオン」という単語を知った。
そんな意味で、彼女らに、「万博のコンパニオンみたいだね」と言ったら、岡田さんにはキョトンとされた。吉田さんには、「コンパニオンというと、熱海の温泉コンパニオンしか思い浮かばないんですけど…」と、せっかく誉め言葉で言ったのに「セクハラ発言」のように受け取られてしまい、まったくもって心外だった。世代間ギャップとは、おそろしい。
BGM. 南沙織「傷つく世代」
奥さまは18歳…+α
21/Ⅵ.(火)2011
今日は、奥さんの誕生日。お昼休みに、花束でも買おうかと思っていたが、そんな日に限り、昼休みがとれず、
朝9時から夜11時までぶっ通し外来だった。途中、「けいおん」のチロル・チョコと「うなぎパイ」と水で食いつないだ。
帰りはコンビニくらいしか開いてなく、こないだ見た『日常』というアニメで、
「誕生日プレゼントが、バターロール一個だった」という寂しいギャグがあったが、そんなプレゼントもなんなので、手ブラで帰る。
家に着き、「今日、誕生日でしょ?」と奥さんに言うと、彼女は<ああ>と答えた。
奥さんは、<今から、夕ご飯、食べる?>と聞くから、僕は「ああ」って答えた。
天ぷらそば、だった。
やっぱり、お花かケーキを買って来てあげたら良かったな、と心の中で思いながら、ナスの天ぷらを食べた。
午前0時近くだったので、「年越しそば」みたいだなと思った。ある意味、奥さんにとっては、「年越しそば」であるが。
BGM. ARB「ダン・ダン・ダン」
2011年6月頃、『AKB48』というアイドルが流行っていたらしい。
20/Ⅵ.(月)2011 今日は校医
朝、JR渋谷駅で壁一面に「江崎グリコの『アイスの実』」のポスターが、「だから、なんなんだ?」って言う程、貼ってあった。↓。
これは、数日前、東スポで読んだから知っているのだが、AKB48の何人かのメンバーの顔のパーツをCG合成したものらしい。「江口愛実」というのは、商品をイメージしたネーミングだそうだ。
お恥ずかしいことに、僕はAKB48のことを何も知らない。それなのに、こんな写メを載せるなんて、「だから、なんなんだ?」と思われるかもしれない。そう、「だから、なんなんだ?」という気持ちを皆さんとシェアしたかったのです。それに、こうしてブログの記事に残しておくと、何年か経って読み直した時、「そうそう、2011年6月って、AKB48だったよね!。あれ、今、思うとなんだったんだろうね?」などと懐かしく思える日が来るだろう。
「AKB日和」というのだろうか。帰りに、新宿のタワーレコードに寄ったら、AKBの新曲の特大パネルと総選挙のランキングが威風堂々と飾ってあった。今の国民は「総選挙」と言えば、「AKB48」のようだ。昔、「総裁」と言えば、大川興業の「大川総裁」のことを指してたこととよく似てる。↓。
タワーレコードには、メンバーの等身大パネルに、店員風の名札をつけて、案山子のように店のあちこちに立たせていた。
これが、総選挙で3位だった人らしい。↓。
この子は、イトーヨーカドーのCMをやってる子だ。↓。
今、タワーレコードでは、無料でウチワを配布している。新宿のタワーレコードはビルの6~10階にそれぞれ違う種類のウチワが置いてある。知らないバンド(多分、有名なんだろう)や知らない映画(多分、流行るんだろう)のもの。で、10階には、今回の総選挙で1位になった「前田敦子さん」のウチワがありました。お一人様、1枚だそうです。欲しい人は、新宿南口のタワーレコード10階に行くとよいでしょう。まだ、結構、ありました。↓。
裏は、こんな。↓。
まだAKB48がそれほど売れる前、横浜アリーナで行われたK-1グランプリのハーフタイム・ショーで彼女らを観たことがある。ちなみに立場は逆転で、K-1は今や下火で興業も出来ない程、ジリ貧だ。
K-1の長島☆自演乙☆雄一郎などは、戦う場がないから、こないだプロレス・デビューした。今度は、曙(あけぼの)とタッグを組んで、『AKB64』というコンビを結成したらしい。コンビ名の由来は、長島☆自演乙がアキバ系コスプレ・ファイターであることと、曙(あけぼの=AKB)をひっかけ、また曙が第64代横綱であることから、『AKB64』となったのだという。東スポに書いてあった。バカバカしくていい。
という訳で、2011年6月は、『AKB48』というアイドル・グループがとても輝いている時代でした。その頃の、日本は東北大震災の後、福島では原発事故が起こり、なかなか収拾の目途も立たず、総理大臣の民主党の菅直人という人はひどいバッシングを受けて、少し気の毒でした。
月刊談笑
タモリ倶楽部~歌ヘタ
11/Ⅵ.(土)2011
今日の「タモリ倶楽部」は世界規模の「ハーマン・インターナショナル」にて収録。ちまたでは、「歌ウマ」選手権的なものが流行っているが、そんなのダサくはないか?。そこで、「JBL」「AKG」「マーク・レビンソン」などの最高の音響機器&機材を使って、世界中から集めた「歌ヘタ」・レコードを鑑賞し、その頂点を決定しよう。題して、「魂の叫びを聞いてくれ!勝ち抜き歌ヘタ合戦」。
僕がすごいなと思ったのは、タモリが番組冒頭で、「この手の歌をいくつか知っている」と曲名を披露したことである。そして、それらの曲は後で登場するのである。タモリならこの手の企画でその曲が登場するくらいの予測はつくだろう。自分の冠番組だ、普通なら知らんぷりしていた方がいいのに、タモリはお構いなしなのである。タモリは、いつも自然体である。そこがすごい。
この「歌ヘタ合戦」のルールは、赤・青に分けて、勝ち抜き戦で、より不快指数の高い曲の方の札をあげて多数決で決める。そんな中、僕がやはりタモリはすごいなと思ったのは、審査の基準が昔からブレていないのである。歌ヘタの多数決で、タモリは一人だけ別の方に札をあげたりするのだが、その理由が僕が中学の頃に聞いていた「オールナイト・ニッポン」の頃のタモリと変わらないのである。たとえば、こんな感じである。「この曲を、イマイチ評価しないのは、何か、狙ってんじゃないかという匂いがするんだ」などという基準なのである。
タモリが知っていたのは、「フローレンス・フォスター・ジェンキンス」という人で、この人物はクラシック界のパトロン的な存在で、超・お金持ちで、自腹でカーネギー・ホールでコンサートを開催したこともあるという。クラッシック界を支えてた人なので、誰も嫌とは言えなかったのが実情らしい。選手権では、『夜の女王のアリア』というピアノ伴奏の曲が紹介されたが、ピアノの人はいっぱいオーディションして、一人だけ最後まで笑わなかった人を採用したというエピソードである。つまり、他の人は全員、笑っちゃったという訳である。
これを破ったのは、3人姉妹で結成された「ザ・シャッグス」の『マイ・コンパニオン』。当時は売れなかったが、後になって、フランク・ザッパやニル・ヴァーナのカート・コバーンが、「自分たちの失ったものがすべてここにある」、と絶賛して評判になったそうだ。ちなみに、ザ・シャッグスはその後もアルバムを出すが、段々と上手くなってしまって面白くなくなってしまうというから、人生は難しい。
そんな彼女らに勝ったのは、「ザ・ジョージ・ガラベディアン・プレイヤーズ&ジーオーフル・トランペット・オブ・ハリー・アームズ」の『ジョニー・ガール』という曲。ハープ・アルバート&ティハナ・ブラザーズと似たスタイルで、演奏はティハナブラス並みなのだが、トランペットが最初の出だしを「プッ」と吹き間違えてしまう録音で、タモリは「なんでこの人を起用したのか?」と真顔で考え、劇団ひとりが「僕はトランペットを吹けないんですけど、明日にでも越せそうです」とコメントして笑いを誘った。そして、最初の「プッ」という出だし間違いを皆で聴き直して大爆笑して圧勝。
結局、それが優勝したのだが、僕は個人的には、ポーツマス・シンフォニアの「ツァラトゥストラはかく語りき」に軍配をあげたい。これは、上手い人の中にあえて素人を入れて「偶然性の音楽」を狙った試みだそうで、そのわざとらしさが審査員達の心証を悪くした。
それでも何故、僕がこれを推したかと言うと、僕は中学時代は吹奏楽部でホルンを吹いていて、この曲を部活でやったことがある。僕はこの曲が苦手で、よく音を外したのだ。ポーツマス・シンフォニアの「ツァラトゥストラはかく語りき」は、当時の僕がそこにいるような、ノスタルジーをかき立てた。
下は、タモリTシャツ。ミニカーで有名な「TAMIYA」のパロディ。結構、気に入ってるんだけど、判る人にしか判らないでしょうね。↓。
暴走
10/Ⅵ.(金)2011
昨日、診察室のコンピューターが故障した。どうにもこうにも動かなくて、業社の人に来て貰って修理してもらった。だから、昨日の後半の人は、診察室じゃなく心理室で診察しました。でも、木曜日で良かった。木曜の心理は、森国さんなので五時以降は部屋が使えるから。これが、徳田さんの曜日で、最近は塚田さんの面接も遅くまでやっているので処置室も使えないから、あやうく診察する場所が無いことになるところだった。…木曜でラッキーだった。
前にも、似たようなことを書いたが(2010年5月「気づき」です、良かったらみて下さい)、アメリカ・インディアンやケルト民族は、亡くなった先祖は体を失っても魂だけは無くならず、残された子孫の身の周りの物に魂を宿し、彼らに色々とサインを送ってくれるのだと考えたそうだ。だから、昔の人は、身の回りの物が故障すると、これはご先祖様が体に気をつけろ、とメッセージを送ってくれていると考えた。文化圏は違っても、似たような思想は世界中にあるようだから、何か人間の深層心理に共通する智恵だったのかもしれない。でも、近代文明が発展してからは、物に魂が宿る、なんて非科学的なことは否定され、こういう考え方も失われて行ったのだろう。
でも、僕は科学が万能だとは思っていないので、今回の「コンピューターの故障」と「先祖からのメッセージ」をこじつけて、自分の体調を管理しなきゃ、と考えた。そうすると、面白いことに、業社の人が言うことにゃ、「コンピューターを調べたら、5月の終り頃から機械の調子は悪かった」らしい。今年は、震災もあり、4月&5月はオーバーワークで、僕も5月の終り頃から、疲れを感じていた。へ~、不思議と合致するな、と非科学的な空想にふけってみた。
故障の原因は、受付に置いてある親機と診察室の子機をつなぐHUBという名の機械の「暴走」だと判明した。これをアメリカ・インディアン的(ケルト人的でも可)に解釈すると、僕とスタッフ間の意思疎通にズレが生じている、という警告とも読みとれる。確かに、4月&5月はクリニックは忙しくて、スタッフ皆、大変だったからな。うまくコミュニケーションがとりづらくなっていたかも。近々、スタッフを集めて飲み会でもやるか。題して、「夏は近いぞ!お疲れサマーの会、2011」。
しかし、コンピューター用語というのは面白いもので、機械の故障を「暴走」なんて言うんだね。まぁ、本来の命令と違う働きを勝手にするのだから、「暴走」なのだろうが、これは文法的には「擬人法」だ。文明の最先端が、「機械が暴走しました」っていう言葉使いをするのと、昔の人が、「身近な物に魂が宿ってる」と考えたのは、意外と似たような思考回路だと思う。
よく真逆の考えを、「180度、考えが違う」と表現する。でも、さらに180度進むと、360度回転したことになり、結局、元の場所に戻る。数学でいう単位円の、0度と360度が同じ座標に位置するように。
悟りを得ようと、悩み苦しみ考えに考えて導き出された解答が、「あるがまま」、という境地で、でも、それって、「何も考えてないのとどう違うの?」とツッコミを入れたくなるのとよく似てる。
話は360度変わるが、正岡子規は自分の身の回りの物を捨てる時、必ず、一句詠んでから捨てた、と聞いたことがある。縁があって、自分のもとに来たのだから、という理由らしい。(確か、正岡子規だったと思う。違ってたら、ゴメン)。
僕は今、BICのボールペンを診察で使っているのだが、インクが無くなって書けなくなったら、必ず、目を閉じて、心の中でお礼を言ってからゴミ箱に捨てるようにしている。正岡子規(たぶん)みたいに、一句、詠めればいいんだけど、せめて感謝の気持ちだけでも込めて。診察の役に立ってくれた訳だからさ。…非科学的だけどね。
BGM. クールス「紫のハイウェイ」
ロックの日
9/Ⅵ.(木)2011
6月9日は、ロックの日、だそうで、ロックな思い出でも書いてみようと思います。
その夏、ほんの数日前に友達が死んだ。交通事故だった。一緒に、RCサクセションのコンサートを観に行く約束をしていた。僕らは、暗い気分に支配されていた。おまけに、コンサート当日は、台風が接近して来ているという噂だった。場所は、所沢球場。屋外である。
僕らは池袋に集合し、コンサートに行くかどうか迷って、とりあえず「供養」の意味もあるからと、行くことにした。空は暗く泣き出しそうであった。
西武線で所沢に着いて、台風接近の予報もあったため、さすがにアリーナ席は満杯だったが、スタンドはガラガラで、僕らはスタンドの後ろの方で足を投げ出して、ビールを売店で買って飲んだ。
「ジャジャーン!!」ってチャボのギターの音が鳴り響いて、Liveが始まったら、一気に雲がどこかに消えうせて、空が晴れ渡った。一曲目は、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」。これはビートルズの有名な同曲のカバーで、RCがこの曲を演奏したのは後にも先にもこの時にしか記憶にないし、音源も残っていないと思う。(残ってたら、ゴメン。っていうか、残っていたら教えて下さい)。
キヨシローは、「サージェント・ペパーズ~」を歌い終えたあと、「ザマァミロ、晴れたぜ!これが、オレたちの実力だぜ!」って言って、いつもならアンコールのラストに歌うはずの「雨上がりの夜空に」を2曲目に歌った。
僕らはスタンドの後ろで、ビールを飲みながら踊ってた。
「ザマァミロ、これがオレたちの実力だぜ!」ってセリフが、スゴイ信用できた。1985年8月のことである。
BGM. RCサクセション「ヒッピーに捧ぐ」
※RC&キヨシロー関連記事
・2010年5月、「喪の仕事」・「NAUGHTY BOY」
・2010年8月、「終戦記念日、特集~清志郎」
・2010年10月、「TVを修理」
医者選び
8/Ⅵ.(水)2011
ちょっとした事情で、親類のかかる病院を探している。しかし、どこの医者が良いのか、皆目、見当がつかない。知り合いのドクターに病院探しのコツを伝授してもらったのだが、なかなか「正解」はない。学生時代に仲良かったから、って理由だけでは任せられない。友情と医療は別だから。辛抱強く、慎重に、色々とあたってみよう。
僕は自分が医者でありながら、診療科が違うと、どこが良いのか全然わからないのである。だから、一般の人が病院を選ぶのは大変だろうな、と思う。皆さん、大変ですね。
あまり大々的に宣伝してるところより、名医はこっそりしているって幻想もあるし、ホームページなんて所詮広告だから都合の良いことしか書いてないし、ネットの情報もあてにしていいのか悪いのか。口コミも、良い情報は伝播しにくく、悪い評判は一気に広がるから、信頼性にかける。
医者との「相性」も大切だけど、医者と政治家は性格が悪くても実力のある方が良い、という理屈もある。人柄だけ良くても、腕が悪けりゃしょうがない。
でも精神科の場合は、「相性」や「人柄」が「治療の道具」になるから、さらにもう一捻り難しい。最終的には、「縁」とか「運」ってことになるのかな。これは無責任な意見ではなくて、「運も実力の内」って言うでしょう?。だから「合わない」とか「良くならない」時には、他の病院を探した方がいいという意味です。
昔は、医者をコロコロ変えるのは、「ドクター・ショッピング」と言って嫌われたが、時代は変わった。患者が、医者を選ぶ時代だ。積極的に、セカンド・オピニオンとか受けた方が良いと思います。「かかっているお医者さんに失礼では…」なんて思う必要はありません。もし、それで機嫌をそこねる医者がいたら、そんな野郎はろくな医者じゃないから、気にする程の奴ではないです。
ちなみに、うちに来られる患者さんの約半数は「紹介」。残りの大半は、「ホームページをみて」である。
僕のブログは時々(いつもか?)、とんでもない記事を書いてるから、それを読んで「ここにしよう!」と判断された方の判断力を僕は「正しい」と評価したい。その心意気に、応えるべく、日々、精進します。
医者選びは難しい、というお話でした。おしまい。