仲間の新年会2012~ゴルフの思い出

7/Ⅰ.(土)2012 
今日は、大学医局の先輩&同輩&後輩と、4人で寿司屋で新年会をする。
同窓の仲だから、医療に関する考え方やバックボーンが似通っていて、話していて楽だし、
勉強にもなったし、お寿司もお酒も美味しくて満足な会であった。
同輩が近頃ゴルフを始めたらしく、これで僕以外の3人はゴルフをやることになり、
もし僕がゴルフをやってたら、4人でコースに出ようと言う話しで盛り上がるのだろうな。
そういう僕は、一度だけゴルフをしたことがある。
それは、研修医1年目の医局コンペで、研修医は強制参加、だったから。
面倒見のいい、ゴルフ好きの先輩がいて、本番の前に練習場に何回か連れて行かれ特訓をし、
本番はその先輩と一緒に回る組になった。
キャディさんというんでしょう、僕らのグループと一緒に回るそのおばさんはきつい性格の感じの悪いキャディで、
口うるさくて、僕の歩き方が悪いとか、芝が駄目になるとか文句ばかりをつけてきた。
こっちだって、好きで来てる訳じゃないし、初めは我慢していたが、途中から
<うるせぇ!ババァ>とか<林にボールを打ち込んだから、その自慢の声でカラスを追っ払え>とか
<池に落ちたボールを潜って取って来い>とか言い、ババァも負けじと
「自分で池に入れ」とか「カラスのことまで知らない」とか「ゴルフをやる資格がない」などと言った。
<別に俺はゴルフをやらなくったって困らないから、ただ進行が遅れるだけで、それも知ったこっちゃない>
と言うと、先輩が「まぁまぁ、仲良くやろうよ」とか、キャディに「彼は純粋な性格なだけなんだ」と言い訳したり、
「池のボールは取らなくていいんだよ」と新しいボールを差し出したり、
「‘少年ジェット’みたいにやってみようかな~」とおどけて大声をあげて
「ウー、ヤー、ター!」とカラスを追い払ったりしていた。
こう書き連ねてみると良い人だな、先輩、元気かな?
結局、前半が終了した所で、医局の偉い先生達で話し合って
、僕は後半のラウンドは出なくていいことになり、風呂に入ったりして自由にしていて良いと許しをもらった。
皆が打ち終わると優勝者とか準優勝者とかブービー賞とかに賞品を授与するセレモニーがあるのだが、
僕は「努力賞」とかいう名目で電子ピアノの玩具みたいなのを貰った。
帰りはそれぞれ車に分乗するのだが、僕はさっきの親切な先輩の運転する車に乗った。
僕は、もらった玩具のピアノを車中でずっとデタラメに弾いていて、
先輩は「川原君、ちょっと静かに出来ないかな?」とハンドルを握りながら言って、
僕は<あと少しでやめますから>と即興で不協和音を鳴り響かせた。
その先輩はとても穏やかな人で、「川原君、もうそろそろいいかな?」と静かに言った。
<もうチョイ>そんなやりとりを僕がピアノに飽きるまでやって、僕は飽きたらやめて、
その後は後部座席で爆睡し、やさしく先輩に起こされて、目を覚ましたら自宅の前だった。
ま、当然だが、翌年の医局コンペに僕は誘われなかった。
それ以来、僕はゴルフのクラブを触ったことがない。
そんな若かりし研修医時代を思い出す2012年~新年会でした。


2012年~タツ

7/Ⅰ.(土)2012 寒い
あけましておめでとうございます。今年は、年賀状の返事を書こうと思い、年賀葉書を買ったのは良いのですが、真っ白いのを買ってしまったので、何か書かねばならず、色鉛筆で色々塗っていて、まだ形になりません、どうしよう。何かガラのあるものを買えばよかったです。
と言う訳で、年賀状をくれた方、返事を必ず出しますので、待っていて下さい。そうだなぁ、2月中には何とかします。今のところ、アイデアは「カワクリ・ベスト・メンバー、直筆寄せ書き風サイン入り」です。僕のデザインが出来上がったら、スタッフ皆にサインを頼む予定です。
さて、お正月なので、診察室も整頓しました。スッキリしたでしょう?下は、今年一発目のお花、‘サンダーソニア’。↓。

それでは、皆様にとって良い年でありますように。


年越しの報告

大晦日は、さいたまスーパーアリーナに年越し格闘技イベントを観に行く。2011年は格闘技は季節にたとえると‘冬’で、恒例の年末TV中継(地上波)もなしで、イベントの開催さえ怪しかった。
最終的には、アントニオ猪木の協力を得て、大会名も「元気ですか!!」、総合格闘技とキックと女子とプロレスの各々の試合を、午後3時に始まってカウントダウンまで提供する、おもちゃ箱をひっくり返したような大会だった。でも、意外とプロレスが挟まれると、息抜きできて、丁度良かった。
桜庭と柴田勝頼(新日本のレフリーだった柴田勝久の息子)がIGFという猪木率いるプロレス軍団と‘IGFルール’という、まぁプロレスのようなルールで、総合格闘技のような勝ち方をしたのが、ある意味、真剣勝負で面白かった。柴田の動きが良かった。
猪木はオープニング・セレモニーで、リング上で、字を書いた。猪木の父親の遺言は、「恥をかいても、字を書くな」だったそうだ。何回も聞いたから覚えている↓。

そんな猪木は、「1年の不幸なことはすべて忘れて、幸せだったことだけを覚えていましょう。そうすれば、今年は良い年に、ではなく、今年も良い年に、と言えるから」、と相変らず無責任なことをシャーシャーと言い、‘幸’という字を書いた。

セレモニーの途中で、タイガー・ジェット・シンが上田馬之助の遺影を持って登場して、一暴れした。上田馬之助も去年、亡くなったんだ。↓。

大会は1部と2部に分かれていて、スカパーやニコニコ動画の生放送が2部から有料になるらしく、その時間調整のため、1部と2部の間の休憩が40分あった。観客達は、「え~、40分?」「放送中心かよ」と軽く文句は言ったが、おとなしく屋台のラーメンを食べたりビールを飲んだり軽食をとって、暴動などは起きなかった。昔のプロレスはファンも熱くて、すぐ暴動を起こしていた。両国国技館なんか放火されて、しばらく親日は国技館を使わせてもらえなかった。平和な世の中になった。
メインの3試合は、DREAM(総合格闘技)のタイトルマッチが2つと、オオトリが‘60億分の1’人類最強と謳われたエメリヤーエンコ・ヒョードルvs北京オリンピック柔道金メダリスト石井慧。
ヒョードルは、RINGSで発掘され、PRIDEでトップを取った選手で、日本のファンには親近感がある。それはヒョードルも同じで、震災のあと、すぐに日本のファンに向けてコメントを発表し、今回も震災復興の祈りをこめて来日した。普通だったら(何が普通だ?)呼べない選手だ。
そんなヒョードルも、実はここのところ3連敗し、世界最強の名前は他に譲り、引退説も囁かれた。それでも、ヒョードルは、11月に復帰戦を勝利で飾り、復活した。そういった意味でも、ヒョードルは震災復興のシンボルに思えた。
DREAMのタイトル戦が2試合とも、フルラウンドの判定決着だったため、ヒョードルと石井の試合は、pm11時50分くらいからの開始になった。入場などにもそれなりの演出があり時間がかかるから、誰もがカウントダウンは無理だと思った。僕は、猪木と「1・2・3ダーッ、あけましておめでとう」をやりに来た訳ではないし、別にやりたくもないし、じっくり試合が観れればいい。左が石井、背中がヒョードル。↓。

しかし、スターというのはすごいもので、ヒョードルは石井を年内残り10秒ちょっとでKOし、石井が倒れたままのリングに猪木がおっとり刀で登場し、「1・2・3ダーッ!」を無理やり間に合わせた。会場は大盛り上がり。僕は、放送時間ギリギリで終る昔のプロレスを懐かしく思い返した。あの時も、リングの中央には猪木がいた。
下の青いグローブをはめてるのが、ヒョードル。↓。

そして、新年。会場のモニターに映し出された、ジョシュ・バーネットとヒョードルの2ショット。今年もいい年でありますように。


オオトリ

 
相談室からとくだです。これが2011年最後の更新です。
川原先生は、大晦日は格闘技でお忙しいとのことなので。
最後つながりで・・・
この季節は、高校サッカー、選手権があります。
数年前からついつい見てしまう高校サッカー。
何年か前に、準決勝か準々決勝、滋賀県代表野洲VS.山口県代表多々良学園という試合がありました。
当時、セクシーサッカーと言われ台頭してきた野洲が試合を押す流れの中、実況によると、多々良学園は学校の経営が困難で、「多々良学園」としては最後の試合になるということがわかってきました。さらに実況を聞いていると、それぞれの選手の努力、家族との絆や汗と涙の結晶がっての現在の試合、、、そして、ここまで導いてくれた監督もこれで引退、いろんな意味で最後の試合、、、
俄然多々良学園を応援。感動。   単純ですが。
結局、多々良学園は敗退してしまいました。
高校サッカーに限らず、箱根駅伝とか、野球は詳しくないですが、たぶん野球もそうですよね、あの実況の方々の情報はすごいですね。引き込まれてたちまちファンでした。
そんなわけで、高校サッカー今年もまた楽しみです。
チロルチョコでできた鏡もち。
いただいたのですが、かわいいですね!ありがとうございました。
それでは皆さま、よいお年をお迎えください。


ラストスパート!忘年会明け、仕事

27/ⅩⅡ.(火)2011 極寒
朝一、クリニックのクリスマスっぽいものをしまう。忘年会明けの初仕事だが、皆、締まっていた。とてもよろしい。
開業以来、スタッフの入れ替わりは色々あったが、今のメンバーがベスト・メンバーだな。
意地悪をする人もいないし、おっとりしてるし、忙しくても文句言わないし、夜遅くなっても嫌な顔しないし、気立てが良いし、思いやりもあるし、媚も売らないし、義理チョコもくれないし、変に気を使わなくていいし、裏表がなくて、皆やさしい人達で。
これが、ずっと続けばいいのだが。人生は色々あるから、いつか入れ替わりがあるんだろうな。いやだな。でも、しょうがないな。でも、しばらくは大丈夫かな。でも、しばらくってどのくらいだ?。数学的な表現じゃないな。
ところで全然話しは変るが、ずっと探していて見つからなかった「メトロン星人」のフィギュアが手に入ったので記念撮影。↓。

メトロン星人は基本的に武器を持たず知略で侵略を計る宇宙人で、アパートの部屋でモロボシダンと交渉するシーンが印象的だ。メトロン星人は、人間が凶悪になる成分を巻いて、自らは直接手を出さず、人間同士で事故や事件を引き起こさせる陰謀を企てた。
メトロン星人が、クリニックに来たら嫌だな。今、せっかく良い雰囲気だから。すぐにウルトラセブンを呼ぶ。


「幕末太陽傳」と「けいおん」

25/ⅩⅡ.(日)2011
奥沢の入船すしで遅いランチ。店主は背の高い静かな人だが、珍しく向こうから話し掛けて来た。
「昨日、一昨日はすごく混んでいました。今日もさっきまで(は、満員)。
今年は震災以降、自粛だかで飲食業は皆、駄目でしたね。低価格の店は別ですよ。
でも、皆、ついに我慢できなくなったんだか、昨日・一昨日は満席で電話を頂いたお客さんもお断りしました。
すいてる時に、来てくれればいいんですけど(笑)、そうはいきません。
まぁ、どんな商売もそうなんでしょうけど。おたくは仕事はどうでした?まぁまぁですか?なら、良かった」と。
ちなみに店主は僕の仕事を知らない。「究極のまぐろ丼」という贅沢なものをたいらげ、新宿へ。
テアトル新宿で、「幕末太陽傳」を観るためだ。↓。


この映画は、キネマ旬報の映画遺産の日本編で小津安二郎の「東京物語」、黒澤明の「七人の侍」、成瀬巳喜男の「浮雲」、に続く4位に選ばれて、
日活が100周年を迎えるにあたり、後の100年まで残したい1本としてデジタル修復する作品に選んだものだ。
監督は川島雄三、落語の「居残り佐平次」を題材にした日本の喜劇映画史上の最高傑作と言っても過言ではない。
主演のフランキー堺がカッコよすぎる。
特に芸者をあげて遊ぶ場面で、タイコを叩きバチをクルっと親指と人差し指の間で回転させる(授業中にシャーペンをそうしたように)のは、
元々、フランキー堺は進駐軍でジャズ・ドラマーをしていて「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」というコミック・バンドを率いていて、
そこには谷啓や植木等もいて、その音楽性は後のクレージー・キャッツに引き継がれていったことも思い出させて、感激である。
この映画には、50年代のオールスターが出演していて、石原裕次郎も高杉晋作役で出てる。↓。


そもそも「居残り佐平次」は、談志が<これこそが落語、人生成り行き>と代表作にしていたもので、
談志が死んだ時、NHKの「日本の話芸」の追悼番組でも談志の「居残り~」を放映していたっけ。
談志が死んだこの時期にデジタル修復版が上映されるのは喜ばしい不思議だと思う。
これは本当に面白い映画なので、騙されたと思って映画館で観ることを勧めます。
こはるのおはぎセット、という商品も売っている。こはるとは女郎のNo.1で南田洋子が演じている。↓。


早速、注文してみる。下が、実物。↓。


これは、食べなくてもいいかも。でも、映画は面白いです。
テアトル新宿を少し駅の方に歩くと、新宿ピカデリーがある。
「幕末太陽傳」の興奮が冷め遣らないので、「けいおん」も観ることにする。
何度も観ると景品をくれることになっていたのだが、もう品切れらしい。
そのせいかどうかは知らないが、入り口でポストカードを配布していた。唯のノートを再現したものだ。↓。


映画のはしごをしていたら、すっかり遅くなり、最終電車で家に着いたら、遅い、と心配された。
そうか、今日はクリスマスだった。


クリスマス・イブ2011

24/ⅩⅡ.(土)2011
イブは家で過ごす。息子と野坂昭如の本について語り合い、娘とテレビを見る。
明石家サンタのクリスマス・プレゼント・ショーってまだやってるんだ。
結婚し立てに奥さんと2人で見たことある番組を、娘と並んで見てるとは、時の流れを感じる、2011年、クリスマス。


「志らく」と「ひまわり」

23/ⅩⅡ.(金)2011 天皇誕生日
よみうりホールに、立川志らくの独演会を観にゆく。年末と言えば、談志が「芝浜」を演じるのが風物詩だが、今年は無理なので、志らくにオファーがあったらしい。そういう経緯で志らくが「芝浜」をやることになったのだが、チケットは発売してすぐに800枚売れ、あと少しで満席だから宣伝しよう、としたところで談志が死んだ。一瞬にしてソールドアウトだって。
志らくは、21日のお別れの会のことを、マスコミはお涙頂戴の場面だけを流して面白い素材を使わない、と裏舞台を面白おかしく喋った。高田文夫の話がさすがに面白かったが、不謹慎なのでここには書きません。
演目は「富久」と「芝浜」。その昔、談志も同じプログラムを30周年記念にやった事がある。
志らくは最後に、「今日は談春兄さんの所に行かないで、こちらに来て下さってありがとうございます」と礼を言った。たしか談春は、浅草だ。


志らくの落語の興奮が冷め遣らないので、映画を見ることにする。新宿で「ひまわり」をやっていたはず。
1970年、米ソ冷戦当時、欧米初のソ連ロケを敢行して撮影された。監督は、ビットリオ・デ・シーカ。ソフィア・ローレンが主役。↓。


第二次大戦で引き裂かれた男女の悲哀を通して、戦争の悲惨さを冷静に描いている。地平線まで広がる海のようなひまわり畑の下には、イタリア人やロシア人の戦死者が眠っているという。ヘンリー・マンシーニの音楽が素敵。
新宿武蔵野館で上映中です。


忘年会2011

22/ⅩⅡ.(木)2011
今日は、クリニックの忘年会。なので、少し早めに終わらせてもらいました。年に1度のことなので。
今回は、カワクリ総メンバー集結です。僕とナースの塚田さん、心理の森国さんと徳田さん、受付の岡田さん&吉田さんです。
場所は恒例の赤坂の料亭「たい家」。受付の2人は、何でもないことでずっとクスクス笑っている。静か~なお座敷だから、何でもないことが可笑しくなっちゃうんだろうね。下は、鯛めし。↓。

X’マスも近いので、クリスマス・ケーキを持ち込むことに成功。吉田さんのお手柄。↓。

6人に苺が5つ。だけど争奪戦にはならず、岡田さんと吉田さんの2人で仲良く1個の苺を分けていた。
しかし、今年は大変だったね、計画停電とかあって。まだ仕事、もう一週間あるけど、お疲れ様でした。
下は、今週のお花アナスタシア。菊の一種だそうです。↓。


写メに乗せて

20才の頃から、親しい友人が、池袋サンシャイン展望台から、写メを送ってきてくれた。↓。

池袋は、映画「けいおん」のスタンプラリーをやってるほど、メッカだからね。
友は「けいおん」は詳しくないと思うんだが(詳しかったらゴメン)、僕が好きなのを覚えていて、送ってくれたのだろう。昔から、さりげなく親切なやつなのだ。彼は、来年の4月にいよいよ開業するらしい。何か僕で教えてあげれることがあったら、手伝うね。
写メと言えば、こないだ僕が、談志が死んで凹んでいた時、スタッフが、自宅のベランダから見た風景を送ってくれた。↓。

綺麗だな。僕は、これを見て、ちょっと元気になったのです。
写メに乗せた仲間の心根に支えられて、日々を送っているわけです。